熊野市長から、5月7日付けの2012年度固定資産税納税通知書が、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員5人に送られてきました。
2010年3月に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立していらい2年あまりの間に、追悼碑の敷地の公共性はより明らかになりました。
追悼碑建立以前からもその公共性は明白でしたが、建立以後、その公共性はより鮮明になりました。
それにも拘わらず、2012年度にも課税する熊野市の行為は、追悼碑とその敷地の公共性を地方自治体として否定するものであり、許すことはできません。
熊野市は、「英国人墓地」と称する、英国人の遺骨が埋められていない追悼碑を、「史跡」とし、熊野市文化財に指定しています。文化財保護法には保護する文化財には公共性があるという意味の規定があります。
熊野市は、紀州鉱山で亡くなったイギリス人捕虜の「英国人墓地」の公共性を認めていながら、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の公共性を認めず、これまで固定資産税を課税しています。
紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地への課税は、紀州鉱山で亡くなった35人の朝鮮人の基本的人権を侵害するものであり、憲法11条「基本的人権の享有」や憲法14条「法の下の平等」にも違反する行為です。
紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑の敷地には、公共性・公益性があります。
この敷地を購入する際、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、紀州鉱山の真実を明らかにする会という組織名では土地を登記できないため、会員5人の名で登記しました。しかし、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地は、5人の会員が個人的に使用する私有地ではありません。土地の使用目的が、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地であるという「特別の事情」・「特別な理由」を考慮し、熊野市長は、「地方税法」367条、および「熊野市税条例」第71条1項2号及び4号に基づいて、この土地にたいする「固定資産税」を免除すべきであったのであり、免除すべきです。このブログの2011年5月31日の「対熊野市訴状 「結論」」、11月30日の「判決を前にして 2」、12月4日の「1審判決が示していること 1」、 2012年2月6日の「控訴理由の要点」、4月9日の「裁判の経過と論点」などをみてください。
ことし4月3日に、韓国慶尚北道議会議員団(団長:金昌淑議員)と在名古屋韓国総領事館領事は紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員とともに、紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の宿所があった湯の口を訪問したあと、紀州鉱山でなくなった人たち名が記されている『紀州鉱業所物故者霊名』が置かれている熊野市紀和町小栗須の慈雲寺を訪問しました。
その後、豪雨のなか、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の前で追悼のつどいをもち、議員全員が一人ひとりその思いを追悼碑と死者の名が記された石のまえで語りました。
さらに、熊野市紀和町板屋の熊野市指定文化財とされている 「英国兵士墓地」と紀州鉱山選鉱場跡、石原産業紀州鉱業所本部事務所跡に建てられた紀和鉱山資料館に行ったあと熊野市内に向かいました。
熊野市内では、激しい風雨のなか、李基允さんと相度さんの追悼碑のある高台の近くに行き、木本トンネルを通って熊野市役所に行きました。
熊野市役所内の熊野市議会委員会室で、慶尚北道議会議員団は中田悦生熊野市議会議長、岩本育久副議長と面談しました。
その際、金昌淑団長は、
”慶尚北道議会議員訪問団は熊市野市の紀州鉱山で亡くなられた韓国人に対する
真実糾明と追悼碑敷地の課税撤回を要求するため熊野市議会の議長を訪問した。
熊野市議会も紀州鉱山で行われた不幸な事件に対して関心を持って歴史的な真
実糾明のためにご協力をお願いする”
という訪問目的を伝え、それにたいして、中田悦生熊野市議会議長は、
”熊野市が紀和町と合併して間もないので、紀和町の紀州鉱山の問題はあまり知
らない。
少しずつ関心を持って勉強していきたい」
と述べました。
熊野市長は、熊野市議会議長、熊野市教育長らとともに、紀州鉱山の諸問題を真剣に勉強し、過去に紀州鉱山でどのようなことがおこなわれていたのかを明らかにするなら、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地にたいする課税行為が、いかに不当・不法な行為であるかを自覚できるでしょう。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2010年度および2011年度の紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地にたいする固定資産税の課税撤回と、2012年度の固定資産税の免除を、憲法、地方税法、熊野市税条例に基づいて要求します。
佐藤正人