三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「日本に堂々と謝罪を要求するためには」

2024年04月15日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2024-04-15 10:50 
■[寄稿]日本に堂々と謝罪を要求するためには
 李東石(イ・ドンソク)|在日コリアン 
 <ハンギョレ‐ノ・フェチャン財団共同企画[6411の声]>

【写真】昨年10月29日、ソウル市鍾路区の日本大使館の前で筆者が「朝鮮学校と共にする人々『モンダンヨンピル』」と一緒に日本にある朝鮮学校の高校無償化を要求するデモをしている=キム・チャンソプ氏提供//ハンギョレ新聞社

 私は1952年に日本で生まれた在日コリアン2世だ。日本の高校3年生だった18歳のとき、朝鮮人であることを自覚するようになった。しかし、どうすれば朝鮮人として生きていくことができるのか分からなかった。悩みぬいた末、在日コリアンの同級生と日本の学校内に「朝鮮文化研究会」を作り、それまで使っていた日本名を捨て、朝鮮人として生きていくことを決意した。朝鮮文化研究会で朝鮮高校の生徒と交流し、日本の高校に通う在日コリアンの生徒たちの集まりにも参加した。その過程で、朝鮮人として生きようとするのであれば、韓国語を習わなければならないと考え、韓国留学を決心した。1971年に初めてソウルに来て、1973年に韓国外国語大学フランス語学科に入学した。
 1975年11月、保安司令部の要員が下宿に来て、令状なしで私を連行した。40日間保安司令部に監禁されて拷問と脅迫で自白を強要され、私は「スパイ」になった。韓国語と自分たちの歴史を学びたくて加入した朝鮮文化研究会で総連系の人に会って話したことが、「スパイ」になった主な容疑だった。在日コリアン17人が拘束された、いわゆる「学園浸透スパイ団事件」だ。私は5年の刑を受けて大田(テジョン)刑務所で獄中生活をすることになった。そんな私を支援して激励してくれたのは、日本の人たちが組織した「救援会」だった。救援会の人たちは裁判を傍聴して励ますためにソウルに何度も来て、大田にも何回も面会に来た。
 私は救援会がなければ健全な精神ではいられなかっただろう。私が釈放されて1981年に日本に帰ってきた後も、全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁政権下で在日コリアンのスパイ事件が多く発生した。拘束された在日コリアンの家族に会って励まし、救援会とともに支援運動を行った。多くの人たちの支援を受けたので、今度は私が取り組まなければならないと考えた。
 労働運動に関心があった私は、韓国の良心囚がほとんど釈放された1990年代後半に「在日高麗労働者連盟」(高麗労連)に加入した。高麗労連は朝鮮半島にルーツがある在日コリアンであれば南北関係なく誰でも加入できる労働組合だった。その組合で在日コリアンに対する労働差別改善や韓国人労働者の支援と交流のために活動した。監視を受けてはいたが2000年代になってからは韓国に行くことができるようになり、日本と韓国の労働者の交流の過程で通訳を担当して何度も韓国に行った。
 2005年に「真実和解のための過去事整理委員会」(真実和解委員会)ができたが、日本に住む私たちがその存在を知るようになったのは、ずっと後のことだった。国家権力による拷問を受けて長い間刑務所生活を経験した在日コリアンの良心囚は、国家機関である真実和解委員会を信じられず、当初は真相究明の申請をためらう雰囲気だった。私もそうだったが、真実和解委員会は韓国の民主化闘争の成果だと考え、2011年に真相究明を申請した。その後、裁判所が再審で「拷問で強要した自白には証拠能力がない」と判断し、2015年に無罪が確定し、賠償金も受け取った。賠償金は、国家の過ちは認めるが、金を支払うことでこれ以上の国家責任を問えなくするものだ。私は今後どのように生きていくのかを決めなければならなかった。大学に再入学することにした。2017年に外国語大学に入り、私より若い教授に学び、2020年2月に卒業した。大学生活の間に良い韓国の人たちと多く知り合い、卒業後も韓国で暮らしたくなった。4年が過ぎた今でも、ソウルに住みながら、在日コリアンの良心囚の再審を支援し、韓国内の難民問題や外国人労働者問題、ベトナム民間人虐殺問題などに関心があり、集いや集会に参加している。
 韓国は、日本による植民地下での痛みを経験し、解放後の済州(チェジュ)4・3事件では多くの難民が発生して日本に渡っていき、韓国人も労働者として外国に働きに行った歴史がある。現在、韓国に住んでいる外国人や難民に対する韓国の政府や国民の態度を見ると、とても残念に思う。韓国が国家の過ちを認めて修正し、外国人や社会的弱者に対する人権を保障してこそ、「慰安婦」や「徴用工(強制動員)」問題に対する日本の謝罪を堂々と要求できる。そして、在日コリアンへの差別をなくせと声を上げることができる。私がこの問題に関心を持って連帯活動をする理由は、歴史の過ちは正さなければならず、良い社会を作る責任が韓国人として生きる自分にもあるという思いからだ。私はいつも弱者の立場に立ち、労働者の目で世の中を見ようと努力している。

李東石(イ・ドンソク)|在日コリアン (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-04-14 18:44
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「スターリンの大粛清で処刑 「長崎出身の金山八五郎」情報提供を エストニア在住の研究者、保坂さん 」

2024年02月26日 | 個人史・地域史・世界史
『長崎新聞』 2024/01/04
■スターリンの大粛清で処刑 「長崎出身の金山八五郎」情報提供を エストニア在住の研究者、保坂さん

【写真】判決文の写しに書かれた内容を説明する保坂さん=長崎新聞社

  旧ソ連の独裁者スターリンが1930年代に主導した大粛清で、現在のロシアに接するジョージア(グルジア)で処刑された金山八五郎という名の長崎市出身の庭師がいた。旧ソ連国家保安委員会(KGB)や前身の内務人民委員部(NKVD)の関連文書を調べているエストニアのシンクタンク所属の日本人研究者は、「時代の荒波に巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げた長崎の人がいたことを知ってほしい」と語り、手掛かりを探している。
 情報提供を呼びかけているのはエストニア国際防衛安全保障センター研究員の保坂三四郎さん(44)。今年7月にジョージア内務省が所管する旧KGBの文書庫を訪れた際、ロシア革命(1917年)後、大粛清の嵐が吹き荒れていた37年12月に死刑が執行された61人の中に日本人がいたことを偶然確認。ロシア語で書かれた旧グルジアNKVDの判決文と死刑執行調書の写しを入手した。
 37年11月29日付の判決文には「1883年長崎市生まれのカナヤマ・ハツガラ・シロキコヴィチ、日本人、ソ連国籍、マハラゼ市在住、非党員、初等教育修了、逮捕前は庭師」を「諸外国のある国を利する諜報(ちょうほう)の疑い」で「銃殺刑に処す」などと記載があった。大粛清で裁判は開かれず、NKVD支部長、党書記、検察官の3人で構成する「トロイカ」で判決を下していた。1937年12月4日付の死刑執行調書には、首都トビリシのNKVD拘置所で61人を銃殺刑に処すことに所長がサインしていた。
 保坂さんはその後、日本人庭師について交流サイト(SNS)で情報提供を呼びかけたところ、一つの有力な情報が寄せられた。「知られざる魅惑の国グルジア」(加固寛子著、2012年刊行)に言及があるという。同書を確認すると、劇作家で社会運動家の秋田雨雀が1927年に黒海沿岸の港湾都市バトゥミの植物園を訪れ、「長崎出身の金山八五郎という労働者が働いている」と同年11月28日の日記に記していた。また同書には「金山が日本の盆栽をたくさん作っていた」との関係者の伝え聞きも紹介されている。
 保坂さんによると、20年代は旧ソ連が資本主義各国から投資を呼び込もうとしていた時期。秋田もロシア革命10周年の祝典でソ連を訪れた。バトゥミには革命前の帝政ロシア時代、植物園が開園し、日本庭園も整備されていた。
 保坂さんは「金山さんは庭師の腕を買われ、大正末期か昭和初期にソ連へ渡ったのではないか。無念な最期だっただろう。同じ日本人として多くの人に伝えることが供養になると思う。何か知っている人がいれば」と話している。
 保坂さんは12月上旬に長崎市を訪れ、郷土資料を調査した。年明けに再びジョージアを訪れ、情報提供を呼びかける予定。情報提供はメールで保坂さん(yokokumano2018@gmail.com)へ。

【写真】提供【市政】スターリンの大粛清で処刑された長崎市出身の庭師がいた  


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オタル港をふたたび軍港としないために 2024年

2024年01月11日 | 個人史・地域史・世界史
 きょう(1月11日)午後3時に、米空母に反対する市民の会の会員は、改憲阻止! 労働者・市民行動、新社会党北海道本部、明るく元気な〈みんなの小樽〉を創る会、社会民主党北海道連合、改憲阻止 憲法9条を護ろう! 護憲ネットワーク北海道のなかまとともに、アメリカ合州国艦船「ラファエル・ペラルタ」のオタル入港を許可しないことをオタル市長に要請しにオタル市役所に行きました。
 オタル市からは、迫(はざま)俊哉市長の代わりに、中村哲也総務部総務課課長、本間洋輔係長が出席しました。
 話し合いのはじめに、中村哲也次長は、アメリカ合州国の軍艦「ラファエル・ペラルタ」の小樽港への入港希望は、昨年(2023年)12月19日に、小樽港長(小樽海上保安部長)から小樽市長(小樽港港湾管理者)に通知があったが、1 入出港及接岸時の安全確保、2 商業港としての港湾機能への影響、3 核兵器搭載の有無、を確認してからオタル市長が決定すると話しました。続いて中村哲也次長は、「ラファエル・ペラルタ」の小樽港入港は「通常入港」であり、「通常入港」とは、「水の補給、乗組員の休養、ごみの廃棄」であると説明を始めました。
 それにたいして、米空母に反対する市民の会は、その「通常入港」の規定・内容は、アメリカ合州国海軍の文書で示されているのか、を訊ねました。
 中村哲也次長は、そのような文書はない。わたしが「通常入港」の規定・内容を知ったのは、小樽港長が、そのようなことを話していたということを聞いたからだ、わたしが直接小樽港長から聞いたのではないと答えました。
 それにたいして、米空母に反対する市民の会は、極端に重要な問題である軍艦の「通常入港」の厳密な規定を、地域政府であるオタル市が、市民に明らかにすることを強く要求しました。
 小柳正行新社会党北海道本部書記長は渋谷澄執行委員長の「アメリカ軍艦船の小樽港寄港に反対する申入れ書」を提出し、「日本は戦争にむかっている。戦争につながることは阻止しなければならない。アメリカ軍は、有事のさいには日本の港湾をつかえる。「通常入港」というのは、民間港を軍事につかうということではないのか」と話しました。
 鳴海一芳明るく元気な〈みんなの小樽〉を創る会代表は、「小樽港の軍港化につながる米艦船の寄港を行わないこと」という要求書を提出しました。
 浅野隆雄社会民主党北海道連合幹事長は、熊谷吉正社会民主党北海道連合代表の「アメリカ海軍ミサイル駆逐艦ラファエル・ペラルタの小樽港寄港かかわる反対要請」を提出しました。 
 吉井健一改憲阻止 憲法9条を護ろう! 護憲ネットワーク北海道共同代表は、「入港に際する物資補給は、「後方支援」に他ならず、拒否すべきです」と語り、「小樽港への米艦船入港を認めない要請」を提出しました。

 きょう(2024年1月11日)、米空母に反対する市民の会と改憲阻止!労働者・市民行動が連名で迫俊哉小樽市長にだした■要請■の全文は、つぎのとおりです。

(一) オタル港の管理権をもつオタル市長は、「ラファエル・ペラルタ」のオタル港の岸壁使用を許可しないでください。
 「ラファエル・ペラルタ」は、2021年2月に横須賀のアメリカ合州国海軍基地に「配備」されたミサイル駆逐艦で、原子炉2基を搭載している空母「ロナルド・レーガン」を旗艦とするアメリカ合州国海軍第5空母打撃群の第15駆逐隊に属する軍艦です。

アメリカ合州国艦船のオタル入港目的はなにか。
 1960年代から、アメリカ合州国の軍艦が、毎年のように、オタル港に侵入しています。
 2011年2月から、アメリカ合州国海軍は、アメリカ合州国軍艦のオタル入港目的を、「通常入港」から「親善及び友好」に変え、さらに2014年7月からは、「友好」をはずして「親善」のみとし、殺人兵器である軍艦の乗組員と市民との「親善」という虚偽を演出しようとしました。
その後、アメリカ合州国海軍は、アメリカ合州国軍艦のオタル入港目的を、「通常入港」にもどし、2024年2月5日にオタル港に入港しようとしている軍艦「ラファエル・ペラルタ」の入港目的も「通常入港」としています。
軍艦は、観光船でも客船でも貨物船でもありません。軍艦の通常行動は、すべて軍事活動です。
 昨年(2023年)9月6日午前9時から8日午後3時まで、アメリカ合州国海軍の掃海艦「パイオニア」が沖縄の石垣島南ぬ浜町の新港に侵入しました。
「有事」を想定し港湾施設の状態を調査する為でした。アメリカ合州国海軍は、はじめは入港目的を「親善」にしていましたが、8月14日に「通常入港」に変更しました。
 アメリカ合州国軍艦の民間港への侵入は、軍事的偵察行動であり、日米新軍事同盟体制を維持・強化し、地域政府(地方自治体)や地域民衆を戦争に協力させようとするものです。
 オタル市長は、軍艦を侵入させてくるアメリカ合州国政府・軍の策動をはねかえし、「ラファエル・ペラルタ」のオタル港侵入を阻止してください。
 わたしたちは、オタル港をふたたび軍港としないために、オタル市長に、憲法と港湾法と地域政府の自治をまもろうとする姿勢を堅持し、いっさいの軍艦のオタル入港を許可しないことを要請します。
 軍艦のオタル入港を認めることは、市民の平和と地域自治の願いに反して、軍事行動に地域政府の長が協力することです。オタル市長は、いっさいの軍艦にたいしオタル港の岸壁使用を許可しないでください。

(二)オタル港を平和目的以外に使用させないでください
 日本の地域政府が戦争非協力・戦争反対の意思を示すことは、日本政府の戦争協力(参戦)策動を阻止するのに大きな役割を果たします。オタル市長は、地域政府の長として、戦争非協力の意思を明確に示すとともに、日本政府にたいして戦争協力(参戦)策動に反対する意思を具体的に示して下さい。
 オタル市長は、オタル港を平和目的以外に使用させないという意志を、明確に示して下さい。

(三)「戦争法」の時代を終らせる努力を地域政府の長として市民と共に!
 1907年5月に、アサヒカワ駐屯の日本軍第7師団の将兵がオタル港から朝鮮仁川に上陸し、日本の侵略に抵抗する朝鮮民衆を殺傷しました。このとき日本軍が朝鮮各地で実行した犯罪行為は、いま現在、シオニスト国家「イスラエル」が、パレスチナのガザ地域・ウェストバンク地域で実行している犯罪行為と同質です。パレスチナ保健省は2024年1月8日(現地時間)、2023年10月7日以降、「イスラエル」による攻撃で、ガザ地区で少なくとも2万2835人のパレスチナ人が命を落としたと集計されたと発表しています。
 1907年以後も、第7師団の将兵は、横須賀鎮守府管轄下のオタル港から、朝鮮、シベリア、中国などにくり返し侵入しました。
 1945年8月以前に、オタル港は、長い間日本海軍の軍港として使われていました。 
 1950年~53年の朝鮮戦争のときにはアメリカ合州国軍の軍港として利用され、アメリカ合州国極東海軍司令官の文書指令にしたがってオタル港から海上保安庁の掃海艇が参戦しています。
 1997年9月にアメリカ合州国海軍の空母「インデペンデンス」がオタル港に入港しました。これはアメリカ合州国の空母のはじめての日本民間港への入港でした。
 21世紀にはいり、オタル港が軍港化される危機がいちだんと強くなっています。
 2016年3月29日から、「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)が施行され、2017年7月11日から「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」が施行されています。
 戦争法公布(2015年9月30日)のころから、いちだんと自衛隊の軍事力が増強され、海上自衛隊の艦船の海外出動が激しくなってきています。アメリカ合州国海軍の軍艦との連携体制も強化され、自衛艦の「戦略的寄港」の地域も拡大しています。
2017年7月には、自衛艦が初めてアメリカ合州国・インド・日本の海上共同訓練に正式参加しています。
 2017年末から海上自衛隊は“P3C”哨戒機と艦船を黄海におくり入れて「監視活動」を行っています。自衛艦は、黄海の軍事境界線まで北上しています。これまで自衛艦がこのような軍事行動をしたことはありませんでした。
 また昨年(2023年)11月28日には、「米海兵隊の再編と歩調を合わせた南西諸島での軍備増強を図る『南西シフト』を進めており、有事の際は、周辺拠点の米軍との共同使用も視野に入れている」(北海道新聞)と報道されているように、防衛力(軍事力)強化の目的で全国38か所の民間港湾と空港を選定して、自衛隊が有事に部隊展開、平時にも訓練などに利用するなど自由に利用できるようにしようとしています。そこに北海道道内の5カ所の港湾(石狩湾新港、留萌港、釧路港、室蘭港、苫小牧港)が含まれています。
 国民国家日本の他地域他国侵略の時代を終らせるために、戦争法の時代を終らせるために、オタル市長が市民とともに努力することを要請します。

(四)軍艦の侵入を阻止する方法を、市民と共に立案してください。
 アメリカ合州国の軍艦が毎年のようにオタル港に侵入しようとし、侵入している問題について話し合う市民集会を主催してください。
 市民とともにアメリカ合州国の軍艦のオタル港への侵入を阻止するために、できることを急いで具体的におこなってください。
 1997年8月にアメリカ合州国の空母「インデペンデンス」がオタル港に侵入しようとした時、米空母に反対する市民の会は結成されました。その後米空母に反対する市民の会は、くりかえし山田勝麿前々々オタル市長、中松義治前々オタル市長、森井秀明オタル前市長にアメリカ合州国軍艦をオタル港に侵入させないことを要請してきました。しかし、この三人のオタル市長は、アメリカ合州国軍艦のオタル港侵入の常習化を阻止するために、市民と共に語りあい、市民と共に具体的な対策をあみだし、それを実践しようとしてきませんでした。
 あらためて、迫俊哉オタル市長に、オタルを再び軍港都市にしないために、市民集会を主催し、商業港であるオタル港へ軍艦の侵入を阻止する有効な具体的な方法を、市民と共に立案するように努力することを求めます。

 以上の要請に、10日後の1月29日までに、文書で回答してください。

     米空母に反対する市民の会
          連絡先 小林けん  電話・ファックス 0133-74-7739
     改憲阻止! 労働者・市民行動 
          連絡先 大山慶一  電話・ファックス 011-865-3731

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 アメリカ合州国艦船は、毎年のように、オタル港に侵入しており、アメリカ合州国艦船のオタル港使用が常習化され、オタル港の再軍港化がすすめられています(このブログの2011年1月22日の「オタル市長、アメリカ合州国軍艦の入港を許可」、2011年1月26日の「アメリカ合州国軍艦の入港を許可したオタル市長に抗議」、2012年1月16日の「「マスティン」入港反対」、2012年1月17日の「すべての軍艦の入港を拒否する」、2013年1月18日の「アメリカ合州国軍将兵との友好・親善、拒否」、2013年1月28日の「アメリカ合州国海軍艦船のオタル入港容認に抗議」、2015年1月9日の「オタル港をふたたび軍港としないために」、2016年1月14日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2016年」、2017年1月12日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2017年」、2018年1月19日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2018年」、2019年1月11日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2019年」をみてください)。
                 米空母に反対する市民の会 佐藤正人
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「レバノンでハマスの指導者の葬儀…ヒズボラ、イスラエルへの報復に乗り出すか」

2024年01月06日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2024-01-06 07:02
■レバノンでハマスの指導者の葬儀…ヒズボラ、イスラエルへの報復に乗り出すか

【写真】4日、レバノンのベイルートで2日前にイスラエルの空襲で死亡したハマス政治局のサレフ・アル・アルリ副局長の葬儀に数千人が参列した/EPA・聯合ニュース

 イスラエルのドローン(無人機)攻撃で死亡したと推定されるパレスチナの武装組織ハマスの政治局副局長、サレフ・アル・アルリ氏の葬儀が4日、レバノンの首都ベイルートで数千人が参列した中で執り行われた。
 英BBCは同日、ベイルートで行われたハマス政治局のサレフ・アル・アルリ副局長の葬儀に数千人が集まって追悼したと報じた。葬儀の参列者たちは、彼の写真を持ってパレスチナ国旗とハマスの旗を振り、葬儀が終わった後には街頭を行進しイスラエルに対する報復を誓う姿も見られたという。
 今月2日、ベイルート郊外のダヒヤ地区で、アルリ氏を含むハマス関係者少なくとも6人がドローンの攻撃を受けて死亡した。イスラエルはドローン空爆を仕掛けたことを認めなかったが、西側メディアは明らかにイスラエルの仕業とみられると報道した。首都付近で起きた攻撃に対し、レバノン政府とレバノンのシーア派武組織ヒズボラは主権侵害だとしてイスラエルを批判した。
 ヒズボラの最高指導者ハッサン・ナスララ氏が今後どのような決定を下すかに関心が集まっている。ナスララ氏は3日の演説で「レバノンに対して戦争をするならば、我々はいかなる制限も規則も拘束もなく戦う」と強調したが、直ちにイスラエルに報復攻撃を行うとは明言しなかった。
 イスラエルのヨアブ・ガラント国防相はこの日、自国を訪問したエイモス・ホクスタイン米大統領補佐官(中東問題担当)に会い、「イスラエルはヒズボラとの軍事衝突問題を外交的に解決することを望んでいるが、機会の窓が開かれている期間は限られているだろう」と述べた。また、レバノンと国境を接する北部地域から避難した住民が帰郷できない限り、外交的解決策を見出せないと主張した。昨年10月7日、イスラエルとハマスの戦争勃発後、ヒズボラはパレスチナを支援するとしてイスラエル国境地域を攻撃し、国境地域の住民たちが避難している状態だ。
 「タイムズ・オブ・イスラエル」は、ヒズボラが大規模な戦争拡大よりも、今のように国境地域の衝突のような制限的な対応にとどまる可能性が高いと見通した。同紙は「サレフ・アル・アルリの死亡にもかかわらず、ナスララはイスラエルとの戦争を避けようとするだろう」とし、「彼は今すぐ戦争を大きく拡大することを望んでいない」と分析した。
 ヒズボラがイスラエルとの衝突でレバノンに広範囲な戦争拡大をもたらした場合、ヒズボラはレバノン国内でも支持を失う恐れがある。ヒズボラを代弁するレバノンの日刊紙「アル・アクバル」は昨年10月に実施したアンケート調査で「国民の3分の2以上が、ヒズボラがイスラエルと全面戦争をすることに反対している」という結果を発表した。
キム・ミヒャン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-01-05 14:25


「中央日報日本語版」 2024.01.03 14:41
■イスラエル、レバノンでハマスのナンバー3を暗殺…ヒズボラ・イランは報復誓う
 イスラエルが2日(現地時間)、レバノン首都のベイルート郊外にあるパレスチナの武装組織ハマスの施設を無人機(ドローン)で攻撃し、ハマスのナンバー3が死亡した。レバノンの武装組織ヒズボラが報復攻撃を予告しながら中東戦争に拡大していく可能性が高まっている。
 ロイター・AP通信などによると、この日午後ドローンがベイルート南部郊外にあるハマスの事務所に打撃を加え、ハマス全体序列3位として知られていたサレフ・アル・アルリ氏を含めて計6人が死亡した。ニューヨーク・タイムズ(NYT)は最近数年間においてパレスチナ住民が住んでいるガザ・西岸地区以外でハマスの最高幹部が暗殺された初めての事例だと伝えた。
 同氏は1991年ハマスの軍事組織アルカッサム旅団を創設した初期メンバーで、ハマス政治局の副局長だ。西岸地区で影響力を行使してきた同氏はハマスがヒズボラ・イランと緊密な関係を築くにあたり大きく寄与したという。最近数年間はベイルートを中心に滞在し、事実上「ヒズボラ駐在ハマス大使」役を果たした。
 イスラエルのネタニヤフ首相は今回の戦争が始まる前からアル・アルリ氏を除去すると公言していた。昨年11月、イスラエル情報機関モサドに「海外にいるハマスの指導者を全員暗殺せよ」と指示し、同氏が攻撃で亡くなった最初の人物になったとガーディアンは伝えた。
 イスラエルは今回の攻撃を認めなかった。しかしワシントン・ポスト(WP)は米国防総省高位関係者の言葉を引用し、イスラエルがベイルートの攻撃に責任があり、同氏の死亡を確認するための評価が進められていると報じた。
 ハマスやヒズボラ・イランなどはイスラエルを非難して報復の意志を見せた。ハマス高位指導者のイザト・リシェク氏は「ガザ地区におけるわれわれの勇敢な抵抗は絶対に弱くならない」としながら報復意思を明らかにした。ヒズボラは「レバノンに対する深刻な攻撃であり、戦争過程において危険な展開」としながら「(イスラエルが)トリガーを引いた。これに相応する対応や処罰が行われるだろう」と強調した。
 イラン外務省のナセル・カナニ報道官も「殉教者の血はパレスチナだけでなく全世界の自由を追求するすべての人々の間でシオニズム占領者など(イスラエル)に相対して戦おうとする抵抗の動機に再び火を付けるだろう」と話した。
 ヒズボラ・イランがイスラエルに報復を誓ったことで、中東地域の戦争拡大に対する懸念が一層高まった。レバノンのミーカーティー暫定首相はイスラエルを狙って「レバノンを新たな局面に引き込もうとする意図」と非難し、イスラエルを国連安全保障理事会に提訴すると明らかにした。
 国連は「非常に懸念すべきこと」としながら「紛争がさらに広い地域に波及する危険があるので、この地域の緊張を緩和するための緊急措置を取るよう求める」とした。フランスのマクロン大統領もイスラエル戦時内閣に参加した「青と白」のガンツ代表に電話してレバノンで緊張が高まることは避けなければならないと強調した。
 これに対してイスラエル総理室は「誰がなんと言おうと、アル・アルリの死はレバノンを挑発しようとする試みではない」と明らかにした。イスラエル国防軍は準備態勢を高めて報復攻撃に備えている。
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「日本企業に対抗して韓国労働者を助ける…私たちは尾澤さんになれるだろうか」

2024年01月03日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2024-01-03 10:39
■[寄稿]日本企業に対抗して韓国労働者を助ける…私たちは尾澤さんになれるだろうか
 イ・サンホン|国際労働機関(ILO)雇用政策局長

【写真】韓国放送(KBS)ドキュメンタリー・インサイト「日本人オザワ」より=KBS提供//ハンギョレ新聞社

 濃い霧に包まれた晩秋の夜、ジュネーブ中央駅に電車がなんとか停止した。10人ほどの韓国人が注意深くプラットホームに足を踏みだし周囲を見回した。私は急いで近づき、「遠路はるばるようこそ」とあいさつした。一行の目には嬉しさと断固さが重なってにじんでいた。「骨を埋める覚悟でここに来ました」。20年前、韓国ネスレの労働者のスイス遠征闘争はこうして始まった。
 正直なところ、私はその悲壮で断固とした覚悟が不安だった。緻密な戦略もなく、頼るべきところのないスイスに来て、見通しのない闘いをどうするつもりなのか。一行を迎えに来ていた国際食品労連の関係者の表情も不安そうにみえた。だが、彼らの闘いにはためらいがなかった。労働者の賃金引き上げ要求に対してネスレは、韓国工場の海外移転という脅しで対抗し、100日以上ストライキが続いており、これを問い詰めるためにネスレ本社を訪れに来たということを、休む暇もなく伝えた。
 困難な闘いだった。金銭的負担も大きかったうえ、何より「韓国で解決すべき他人事」だと考えるスイスの世論を動かすことは容易ではなかった。スイス本社はびくともしなかった。しかも、一行は現地の言語をまったく知らなかった。助けの手はあったが、長く期待できるようなものではなかった。妻と私も力を貸したが、心配が先行するのは仕方なかった。幸いなことに、遠征闘争のわずか10日後に韓国で交渉が妥結し、遠征闘争を終了できた。私たち夫妻は感激しながらも安心した。
 突然このことが思い出されたのは、先日放送されたドキュメンタリー「日本人オザワ」のためだった。尾澤さん夫妻(尾澤孝司さんと尾澤邦子さん)は、1990年代から日本企業を相手に遠征闘争に来る韓国の労働者たちを助けた。若い頃に個人的な試練に直面しながらも「闘う人たち」との連帯をライフワークとしてきた夫妻は、ある意味、最も困難な道を選んだといえる。「祖国」日本の企業を相手に闘う「外国の労働者」と日本の領土で肩を並べること。それは、他国で苦しむ政治家や労働者のために自分の国で声と資金を与えるより、はるかに大変なことだ。しかも、韓国と日本ではないか。
 始まりは、1989年にスミダ電機が韓国工場を閉鎖して従業員を全員解雇するという決定を記した1枚のファックスだった。韓国ではどうすることもできない労働者代表団は、「死ぬことはできても、敗北はできない」という血書を残して日本に向かった。飛行機も初めて乗る状況だったため、闘う覚悟以外には何の準備もなかった。この暗たんとした状況で、妻の邦子さんは胃がんの手術からまだちゃんと回復してもいない状態で、夫の孝司さんとともに韓国から来た労働者たちを全力で助けた。労働市民団体だけでなく地域社会を組織した。学生や地元のおじいさんやおばあさんも出てきた。労働者代表団はたいして持ちこたえられないだろうと判断して「無視、無対応、我慢」戦略に頼っていた会社に、日本の地元の市民たちは「まさにここに365日間闘う人たちがいる」というメッセージを強烈に伝えた。
 代表団の闘いはさらに強力だった。小澤さん夫妻をはじめとする日本の市民たちの助けのおかげで、ハンストさえも「祭り」のようなものだったという。闘いは何と206日間続き、最終的にスミダ本社は降参した。韓国の労働者と日本の市民はキム・ミンギの抵抗歌「朝露」を一緒に歌った。いつものように、尾澤さん夫妻が先に歌った。そして、勝利の興奮が冷めやらぬ頃、妻の邦子さんはすぐに韓国に語学研修に行った。韓国の労働者たちの闘いをより体系的に支援するためには、韓国の言語、社会、歴史をもっと理解する必要があると考えたためだ。
 その後の小澤さん夫妻の「年代記」は華やかだ。日本企業との対話と交渉のために韓国の労働者たちが玄海灘を渡ってくるたびに、彼らを一番最初に迎えるのは小澤さん夫妻だった。組合員が苦労して集めた闘争資金は節約すべきだと言いながら、ククス(韓国麺)のようなものを売って補給闘争をするようにという“小言”も欠かさなかった。この夫妻の、凛とした執拗な声を聞かなければならなかった企業の名簿も年々長くなった。シチズンセイミツ、韓国山本、韓国サンケン(サンケン電気)、韓国ワイパー(デンソー)、韓国オプティカルハイテック…。
 警察と対抗して苦労することは日常茶飯事だった。数年前、新型コロナウイルスの拡散で遠征闘争が不可能だったころ、夫の孝司さんは韓国で解雇された労働者たちに代わって毎日会社の前に行って対話を要求し、逮捕後に拘束された。7カ月間の刑務所生活の末に保釈で身柄を解かれた。その間、妻の邦子さんは乳がんの手術を耐え抜いた。寒い冬を過ごす孝司さんが保釈された日、邦子さんは花束を持って待っていた。そして、明るく笑って抱きしめた。孝司さんはありがとうと言いつつ「韓国の方々の闘いはどうなっているのか」を心配した。
 韓国の労働の現実は今もなお苦しいが、一緒に力をあわせて闘ったおかげで良くなったことも少なくない。時には中で、時には外で、「骨を埋める」「敗北できない」という覚悟で闘ってきたおかげだ。そして、外部の助けも多かった。内部事情が困難になるたびに、外部の力はさらに高まった。国際的な名声がある団体と個人の支援は、政治的な力と世論効果を発揮した。
 だが、尾澤さん夫妻のような人たちもいる。韓国語の歌や、闘争の際に踊るダンスも習い、韓国の労働を自分の生きざまのなかにすべて引き込んだ外国人もいる。自分が生活する土地で、苦しんでいる他人のために自分の国を猛烈に追い詰める人生を黙々と続けてきた人たちもいる。日本だけでなく欧州にも米国にもいる。私たちがあえて知ろうとしなければ、すぐに忘れられてしまうであろう人たちだ。
 「先進国韓国」は世界で猛烈だ。韓国から資金を引きだすための競争も激しい。驚嘆の声も、破裂音も聞こえる。労働条件の改善要求に暴圧的な反応を示した韓国企業のニュースも後を絶たず、夜中に荷物をまとめて別の場所に消える奇怪なこともある。いつか、こうした企業の労働者たちがソウルを訪れに来るだろう。決然たる覚悟の他には何もない彼らは、ソウルのどこかの街頭でつたない韓国語で叫ぶだろう。すでにそのようなことがあった。
 そのとき、私たちは尾澤さんになることができるだろうか。尾澤さん夫妻のような人が手を差しだして力を貸そうとするとき、その手をぎゅっと握ることができるだろうか。

イ・サンホン|国際労働機関(ILO)雇用政策局長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-01-02 15:57
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2024年1月に

2024年01月01日 | 個人史・地域史・世界史
 昨年1月1日に、わたしは、このブログに発表した文の末部で、次のように述べた。
  
 1931年の「9・18事変」から1945年8月までに、日本政府・日本軍・日本企業は中国・モンゴル各地で数百万人の民衆を殺害した。
 1933年1月~45年5月に、ナチス・ドイツは、数千万人の民衆を殺害した。
 1939年2月10日に海南島に奇襲上陸した日本陸海軍は、1945年8月までに多くの民衆を殺害した。その人たちの名前も人数も、いまなおほとんど明らかになっていない。
 1948年5月14日に、シオニストはパレスチナを占領し、民衆を殺害し、「イスラエル」という名の侵略国をつくり、アメリカ合衆国などの軍事力によって現在まで維持し続けている。
 2022年2月24日にロシア政府・軍がウクライナ侵略戦争を開始し、ウクライナ各地で、子どもを含む数多くの民衆を殺している。
 2022年~23年にウクライナでロシア政府・軍がおこなっている侵略犯罪は、ヨーロッパ人が15世紀末以後おこなってきた侵略犯罪、日本人が19世紀後半以後おこなってきた侵略犯罪、シオニストが1945年以後パレスチナでおこなってきた侵略犯罪と同じ質の犯罪だ。
 これまで証言を聞かせていただいた海南島の人たちに応えて、国民国家日本の侵略犯罪の実態を明らかにし、日本ナショナリズムに対抗する民衆運動を少しでも深化させていくことを、2023年1月1日に記しておきたい。

 2024年1月1日現在、シオニストの軍隊(「イスラエル」の軍隊)は、ガザ地域とウェストバンク地域で、パレスチナ民衆を殺傷している。とくにガザ地域では、大規模な空爆と地上・地下での軍事行動を連日くり返し、2023年10月7日以後これまでの間に20000人以上のパレスチナ民衆を殺害している。
 この「イスラエル」の軍隊の現在の行動は、1939年2月~1945年8月の日本軍の海南島での行動と同質である。

 1998年6月に、わたしは紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員としてはじめて海南島を訪ねた。
 それから25年あまりの海南島での「聞きとり」の報告、目撃した日本の海南島侵略の物的証拠の報告などの一部をまとめた『海南島近現代史研究』を今年秋に出版する。その構成はつぎのとおりである。

はじめに 
第一編  世界近現代史・海南島近現代史   
  第一章  国民国家日本の侵略史に対決する民衆運動
  第二章  日本の侵略犯罪の犠牲者の生涯  
  第三章  海南島近現代史における侵略と抵抗の世界史
  第四章  証言(ことば) ・「場」・「物」・記録  海南島における日本の侵略犯罪の真相究明
  第五章  文字と映像による記録・事実の伝達 海南島近現代史認識の過程で
  第六章  証言・記録、そして証言者と聞きとる者との関係
第二編  海南島の村むらで 
  第七章  国民国家日本の侵略犯罪 民衆虐殺    
  第八章  月塘村虐殺       
  第九章  沙土で
  第一〇章 感恩県龍衛郷新村(現、東方市新龍鎮新村)で
     補 感城鎮感城村麦家祠惨案
  第一一章 旦場村で 
  第一二章 老欧村と八所鎮で
  第一三章 黒眉村と高園村で 
  第一四章 「朝鮮村」で
第三編  侵略責任(戦争責任、植民地支配責任、戦後責任)
  第一五章 海南島における日本海軍の「Y作戦」
     補一  『海南島三省連絡会議決議事項抄録』について 
     補二 日本海軍佐世保鎮守府(田川定男氏の証言など) 
  第一六章一 海南島における日本企業の侵略犯罪罪
    二 日本窒素・西松組 
     補 「北黎田獨等地服役死亡工人」
    三 石原産業   
     補 フィリピンにおける石原産業 
  第一七章 海南島から朝鮮人帰還について――植民地国家からの出国、国民国家への帰還
  第一八章 海南島における日本軍隊性奴隷制   
     補 海南島戦時性暴力被害訴訟史(年表)
  第一九章 海南島侵略を支えた日本「文化」
  第二〇章 日本海軍特務部・海南師範学校・海南島日本学校
  第二一章 海南島におけるアヘン生産    
  第二二章サロモン岬・「サルモン岬」
  第二三章 海南島における日本の侵略犯罪と「戦犯裁判」    
    補一 姜延壽さん   
    補二 「海南島第十六警備隊能美事件」 
    補三 アメリカ合州国の能美実ほか三人に対する裁判記録
    補四 「海南島八所海軍俘虜収容所事件資料」など
年表 日本は、いつ海南島侵略を始めたか、海南島でなにをしたか
史料・資料・文献目録
漢語目次・漢語本書のなりたち
あとがき(本書のなりたち)

  三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会会員  http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
  紀州鉱山の真実を明らかにする会会員  http://www.kisyukouzansinjitu.org/
  海南島近現代史研究会会員  http://hainanshi.org/
                            佐藤正人
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「100歳在日光復軍と大阪療養施設「サンボラム」」

2023年08月25日 | 個人史・地域史・世界史
「中央日報日本語版」 2023.08.22 13:25
■【グローバルアイ】100歳在日光復軍と大阪療養施設「サンボラム」

【写真】大阪にある在日同胞高齢支援施設「サンボラム」。入所者のために食事にキムチを出したりアリランを歌ったりする。[写真 サンボラム]

 老兵の手は暖かかった。韓国でまたお会いしたいという言葉で一気に若返ったように見えた。16歳という若さで光復軍に合流したオ・ソンギュ愛国志士は一生のほとんどを日本で過ごし、百歳を迎えて韓国行きを選んだ。「余生を韓国で過ごしたい」と父親の願い。白髪だらけの息子はこれを聞いてどのような気持ちだっただろうか。
 今月11日、東京練馬区のある賃貸住宅。オさんの息子は頭を下げたまま韓国から父親を迎えに来た報勲部長官の会話に耳を傾けていた。韓国語ができない彼が会話の内容を理解していたかどうかは分からないが、正座をしたまま約30分間、微動だにしなかった。彼もやはり家長であり、家庭の日々の生活のこともあって父親の世話をすることは難しかったという。これからは韓国に行かないと会えない父親。子息としてつらいことだったかもしれないが、彼は「父が願んだことですから」と言いながら、なんとかして複雑な感情を隠そうとしていた。

 「奇跡のようなことが起きたんです!なんということでしょう、車椅子に座っていたおじいさんがすっくと立ち上がったんです!」受話器向こう側で興奮した声が聞こえた。大阪にある在日同胞高齢者のための支援施設「サンボラム」の高敬一(コ・ギョンイル)代表の言葉だ。車椅子がなければ挙動が難しい在日同胞第一世の入居者の一人がチャング(太鼓の一種)の伴奏に出てくる韓国民謡を聞いて立ち上がったということだ。高代表は「これが民族の血なのかと思った」と話した。

 高代表がいわゆる「在日」と呼ばれる同胞高齢者のために療養施設を作ったのは1990年代。日本政府が、韓国でいう療養保険制度を導入したが、貧困の在日高齢者が行くところはなかった。日帝強占期時にさまざまな理由を抱いて日本に渡ってきて、差別や貧困の苦しみを乗り越えて生きてきた第一世の孤独死が高さんを突き動かした。最後の瞬間くらい生きてきた甲斐があったと思ってもらいたいという一心で、その意味を韓国語に込めて「サンボラム」という施設名にした。
 ここに入所している在日高齢者は45人。このうち半数が第一世代で超高齢だ。「本当に変です。皆さん、日本語は忘れても韓国語は忘れないで、日本の食事が喉を通らなくても食べられなくてもキムチは召し上がります」。アリランを歌って、キムチを漬けるここの運営は厳しい状態だ。新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)の余波で利用者の状態が良くないためだ。
 日本の超高速高齢化を話しながらも、日本社会の中の非主流で日帝強占期の時に連れて来られるようにしてやってきながら、韓国語とキムチで最後を迎えたいと思う在日高齢者の言葉の中にあるものを、私たちはすぐに気づくことができない。駐日韓国大使館によると、日本に住んでいる在外国民は約48万人。このうち100歳以上の超高齢者は今年基準で42人だ。彼らがどのような最後を送れるようにするのか、また彼らの願いは何かに、今は耳を傾けるべきではないだろうか。

 キム・ヒョンイェ/東京特派員
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在日コリアン劇団が演じる望郷の物語「風の声」 韓国・釜山で25日から

2023年08月08日 | 個人史・地域史・世界史
「聯合ニュース」 2023.08.07 17:17
■在日コリアン劇団が演じる望郷の物語「風の声」 韓国・釜山で25日から
【ソウル聯合ニュース】日本の大阪をベースに活動する在日コリアンの劇団「タルオルム」は7日、演劇「風の声」を25~27日に韓国の釜山北区文化芸術会館で上演すると発表した。

【写真】演劇「風の声」のポスター(タルオルム提供)=(聯合ニュース)

 在日コリアン2世の作家、金蒼生(キム・チャンセン)の長編小説「風の声」を基にしたこの演劇は、「済州島四・三事件」のためにふるさとの韓国・済州から日本に逃れた双子の姉妹の望郷の物語だ。朝鮮半島出身者が多く暮らした大阪の「猪飼野」と呼ばれた地区に住む主人公が、差別を乗り越え在日同胞として堂々と生きていく姿も描く。
 タルオルムは、日本の右翼団体による朝鮮学校の襲撃事件や在日コリアンが多く暮らす京都府宇治市のウトロ地区を舞台にした演劇を上演してきた。
 同劇団の関係者は「在日同胞と日本人俳優たちが国と民族を越えて共演する」として「暗い時代を気丈に生き抜いた祖先に対する鎮魂の舞台になるだろう」と説明した。
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韓国軍元大尉「人々助けるためウクライナに行った」善処訴え…検察1年6月求刑

2023年07月18日 | 個人史・地域史・世界史
「中央日報日本語版」 2023.07.18 09:42
■韓国軍元大尉「人々助けるためウクライナに行った」善処訴え…検察1年6月求刑

【写真】イ・グン氏。[写真 ウクライナ国際旅団 フェイスブック キャプチャー]

 ウクライナに無断入国した容疑で起訴された元韓国海軍大尉のイ・グン被告に検察が懲役1年6月を求刑した。
 韓国検察は17日、ソウル中央地裁で開かれたイ被告の旅券法違反、特定犯罪加重処罰法上の特逃走致傷容疑の結審公判でこのように裁判所に要請した。
 検察は「イ被告は訪問・滞在禁止対象国であることを知りながらも知人たちを連れてウクライナに出国し、到着後もソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて韓国外交部の措置を非難するなど罪質は軽くない」と量刑背景を説明した。
 特定犯罪加重処罰法上の逃走致傷容疑に対しては「容疑が明白に立証されたのに犯行を否認しており被害者の傷害水準が軽くない点を斟酌してほしい」と明らかにした。
 これに対しイ被告側弁護人は「交通事故当時被害者に衝撃を与えた事実自体を認知できておらず、有名人として不必要な争いを避けようとその場を離れたもので逃走の意図もなかった」と反論した。
 イ被告は昨年7月にソウル市内で車を運転していたところバイクと事故を起こし、その後救助措置を取らずに現場を離れた容疑を受けている。
 イ被告はこの日の求刑に先立ち行われた被告人尋問で、事件当時は交通事故の事実を知らず、事故から3カ月後に警察からの電話で知ったという趣旨で主張した。彼は「事件当時被害者がバイクから降りて文句を言いながら近づくのを見て、私が中央線を越えたことを指摘しようとしていると思った」と話した。
 イ被告は最後の発言を通じ「旅券法を違反したことを心から謝罪する」としながらも、「人々を助けるために知人らとともにウクライナに行った点を考慮してほしい」と善処を訴えた。続けて「戦争が発生した時に心がひどく痛かった。軍事専門家として特別な技術を持っているが他の国の人も助けるのが真の軍人だと考えた」と話した。
 韓国海軍特殊戦戦団(UDT/SEAL)大尉だったイ被告は外交部の旅券使用許可を受けずに旅行警報第4段階の「旅行禁止」が発令されたウクライナに入国した容疑(旅券法違反)で1月に起訴された。
 イ被告はウクライナ戦争勃発直後の昨年3月に出国しウクライナの外国人部隊「国土防衛軍国際旅団」に合流した。戦場で負傷した彼は同年5月に治療のため帰国して警察に出頭した。
 裁判所は宣告期日を来月17日に決めた。


「中央日報日本語版」 2022.03.22 08:14
■「銃を一度も撃ったことがない烏合の衆」…韓国元海軍特殊戦団大尉が合流した傭兵部隊の挫折

【写真】韓国海軍特殊戦団(UDT)大尉出身のユーチューバー、イ・グン氏 [イ氏 インスタグラム キャプチャー]

 ウクライナで活動中の国際義勇軍の一部は銃器や防護服もなく放置されていると、ワシントンポスト(WP)などが20日(現地時間)報じた。
 WPは20日(現地時間)、ウクライナ内の国際義勇軍について「一部の初歩義勇軍は銃もヘルメットもなく挫折感を感じている」と報じた。ウクライナ外務省によると、これまで52カ国から約2万人が国際義勇軍に志願してウクライナ入りしている。このうち米国人は4000人ほどだ。元海軍特殊戦団大尉のユーチューバー、イ・グン氏を含めて韓国人も数人含まれていることが分かった。

◆「銃を一度も握ったことがない志願者が多数」
 7日、ウクライナ国防省は「大半は経験が多い戦士たち」とし「国際軍団がロシアの侵略に対抗する戦闘任務を遂行し始めた」と明らかにした。
 しかし海外メディアが伝える現実は厳しい。一部は訓練さえ受けていない「烏合の衆」軍隊であり、また武器と防護服の補給も円滑でないという指摘が出ている。WPは「徐々に多くの外国人がキーウ(キエフ)に入って最前方に配置されている」としながらも「多くの外国人志願者は戦闘経験がなく困難に直面している」と伝えた。
 AP通信も「ウクライナが国際義勇軍を募集しているが、現在のところ烏合の衆(ragtag)軍隊」と伝えた。AP通信はある国際軍団義勇軍を引用し「多くの義勇軍は銃を一度も撃っていない。言語の障壁がある」と報じた。
 義勇軍のうち「ジョージア軍団」司令官のマムラシュビリ氏はWPに「経験がない多くの外国人がウクライナで戦いたいと言って来る流行現象がある。経験がない人は結局、軍隊を離脱することになる。我々は徹底的にチェックして戦闘経験がある志願者だけを戦闘に投入している」と述べた。
 WPによると、国際義勇軍は戦争が終わるまで戦うという契約書に署名することになる。主にウクライナが国際義勇軍を募集するために創設された領土防衛軍(Territorial Defence Force)国際軍団に属し、月給は約3000ドル(約360万ウォン)という。

◆「15日間放置…ヘルメットも受けられず」
 ウクライナが国際義勇軍をまともに運用できていないという報道もあった。WPによると、現在、国際義勇軍の志願者は契約が遅れて入隊も遅れ、武器の補給と訓練がまともに行われていないという不平が出てきた。マムラシュビリ氏はWPに「戦争状況でも官僚制組織構造は存在し、義勇軍もこれを避けることはできない」と話した。
 キーウにいる「アダム」という名前の国際義勇軍はWPに「砲撃の音が聞こえるが、15日間、銃と防弾チョッキ、ヘルメットを受けていない」とし「彼らは我々に装備なく軍事施設を守れと言っている」と伝えた。
 13日にはロシア軍がウクライナ西部ヤボリウにある軍事訓練施設を攻撃し、数十人の国際義勇軍が死亡した。当時現場にいた国際義勇軍のセダー氏はAP通信に「ヤボリウの国際義勇軍のうち多数が軍事訓練を受けていない」と話した。
 AP通信は「国際義勇軍のうち数人は武器と保護装備を受けることができず、適切な訓練さえも受けられずにいる。彼らは無防備状態であり放置されたと感じている」と報じた。

◆「軍事的寄与より政治的目的」
 当初から国際義勇軍は実際の戦闘よりも「政治的宣伝」のために募集されたという見方もある。スウェーデン国防大のカイコ戦争学副教授は「国際義勇軍はウクライナ戦争を他国と結びつける方法」とし「軍事力に実質的に寄与するよりも政治的に重要なのかもしれない」と述べた。
 WPも「外国人の志願入隊が戦場でウクライナにどんな助けになるのか分からない。しかしウクライナが国際的な支持を受けているという広報目的では役に立つだろう」と伝えた。
 ロシアは国際義勇軍に向けて警告した。ヤボリウ軍事施設を爆撃した後、「傭兵がウクライナのどこにいようと容赦しない」と伝えた。これに先立ち「国際法上、軍人の地位ではないため、敵に捕まれば戦争捕虜として待遇せず処罰を受けることがある」と主張した。
 実際、ロシア側に捕まれば捕虜待遇を受けられない可能性がある。アメリカン大学のマレット公共問題学副教授は15日、フォーリンポリシーに「ウクライナの外国人志願兵は捕まれば法的地位が危険だ」と指摘した。傭兵はジュネーブ条約上、戦争捕虜の権利を持つことができない。
 マレット副教授は「傭兵は私的な利益によって戦争に参加した外国人参加者を意味するが、区分の基準はそれぞれ異なる」とし「ロシアがウクライナ内の外国人戦闘員を傭兵として扱うと話しただけに(志願者が属する)第3国が紛争に巻き込まれる危険がある」と述べた。


「中央日報日本語版」 2022.03.02 17:01
■ウクライナに向かう「外人部隊」…ゼレンスキー大統領の呼び掛けに世界の参戦勇士が集まる

【写真】ロシアの攻撃で破壊されたハリコフの学校

 ロシアが民間人居住地域に無差別爆撃を繰り広げ戦況が悪化の一途をたどる中、ウクライナのために参戦するという人たちが相次ぎ登場している。一部の国は自国民の自発的参戦を全面許容し同盟軍なく単独でロシアの大軍と対抗しているウクライナを支援している。
 英日刊紙インディペンデントは1日、各国から特殊部隊、参戦勇士、消防官出身のベテランを含め平凡な大学生から会社員までウクライナ国境を越え対ロシア戦闘に相次ぎ合流していると伝えた。彼らは海外在住ウクライナ人ではない外国人で、「ウクライナの残酷な写真と動画を見て助けるべきだと思った」とし、自費で武器を購入して旅行経費を調達しウクライナ最前線へ向かっている。

◇ゼレンスキー大統領「ともに戦ってほしい」呼び掛け
 これに先立ちウクライナのゼレンスキー大統領は先月27日、「世界守護に参加するならウクライナに来てロシア戦犯と戦ってほしい」として国際旅団創設と義勇軍募集の事実を知らせた。クレバ外相もツイッターに「ウクライナと世界秩序守護をともにしようと考える外国人の参戦を望む」と訴えた。
 ガーディアンは「主権国家が外国人の参戦を訴えたのは現代戦では前例がない。1936年のスペイン内戦を連想させる」と伝えた。スペイン内戦当時、ヒトラーとムッソリーニの支援を受けるファシズム性向のフランコ軍に対抗した共和派人民政府を助けるため53カ国から3万5000人が自発的に参戦した。

◇特殊部隊出身ベテラン部隊をウクライナに投入
 国際義勇軍募集が伝えられた翌日の先月28日、ウクライナの国防次官はソーシャルメディアに「数千人がウクライナ参戦を志願した」と投稿した。インディペンデントによると、カナダ出身の退役軍人でもある元消防官はウクライナ戦争に参戦するため自身のバイクを1万1000ドルで処分した。カナダのコメディアンであるアンソニー・ウォーカーは「私はウクライナ人ではない。だが同じ人間だ」としてウクライナに向かった。米カリフォルニア出身の米空軍退役軍人は「たとえそこで死んでも、私が信じる大義のためになるだろう」としながら自動車を売り武器とウクライナ行きチケットを買うと明らかにした。
 一部は部隊単位で国際義勇軍への合流の意向を明らかにした。米オンラインメディアのバズフィードは先月28日、特殊部隊出身で構成されたベテラン部隊がポーランドに集まりウクライナ投入を準備していると報道した。米国人6人、英国人3人、ドイツ人1人で構成されたこの部隊はNATO軍の訓練を受け、接近戦と対テロ経験もある。2人の元米軍将校も部隊のリーダーとして合流する意思を明らかにしたという。

◇英国、デンマーク、ラトビアは自国民の参戦許容
 欧州の複数の国は自国民の対ロシア戦争参加を支持し出国を許容した。ラトビア議会は先月28日、欧州で最初に自国民のウクライナ参戦を許容する案を満場一致で可決した。英国とデンマークも自国内のウクライナ人だけでなく、自国民がロシアと戦うためにウクライナに出国できるようにした。英国のトラス外相は「この戦争は民主主義のための戦いであり、決定は国民の役割」と話した。デンマークのフレデリクセン首相も「紛争解決に直接寄与できると考える人は(参戦を)選択できる」とした。
 日本政府は自国民の国際義勇軍志願を支持しない立場だ。だが1日までに日本人70人ほどがウクライナ参戦の意思を明らかにしたと日本メディアが2日に報道した。毎日新聞は志願者全員が男性であり、このうち約50人は元自衛官、2人は過去にフランス外国人部隊所属だったと伝えた。ある志願者は「ウクライナの若い人が亡くなるぐらいなら自分が戦う」と志願理由を明らかにした。在日ウクライナ大使館は志願者を実際に義勇軍として派遣するかは日本政府と調整して決める方針だ。
 現在米国と西側諸国はウクライナに侵攻したロシアをより強く糾弾し前例のない制裁を加えているが、軍事的介入には線を引いている。米国とウクライナは相互防衛条約など米軍の自動参戦を約束した装置がない。北大西洋条約機構(NATO)にも加盟しておらず、NATO軍もやはり乗り出すことはできない。ウクライナを軍事的に助ける方法は韓国戦争(朝鮮戦争)当時のように国連軍を構成することだけだが、国連安保理常任理事国であるロシアが戦争に出ているだけに安保理次元での議論すら容易ではない。ロシアの大軍に加えベラルーシの参戦の可能性まで予告された状況で、単独で抵抗するウクライナとしては外国人の自発的参戦を訴えるのが味方を確保する唯一の方法ということだ。
 一方、一部では極右主義者が戦闘経験を積もうとする目的でウクライナ支援を口実にして現地に紛れ込む可能性も懸念している。ガーディアンは「極端主義者などがウクライナで戦闘経験を積んだ後で故国に戻れば地域社会に大きな脅威になるかもしれない」と伝えた。
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「関東大震災での戒厳軍の配置図まで…姜徳相先生の寄贈資料は想像以上」

2023年06月25日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2023-06-19 19:43
■「関東大震災での戒厳軍の配置図まで…姜徳相先生の寄贈資料は想像以上」
 [インタビュー]イ・ギュス|全北大学学術研究教授

【写真】イ・ギュス教授が故・姜徳相教授の寄贈資料に含まれる「関東大震災当時の戒厳軍の配置図」を掲げている=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「想像以上の資料を持っておられました。一つかと思うと、二重、三重で資料が出てきます」。
 全北大学高麗人研究センターのイ・ギュス学術研究教授は、2月からソウル光化門(クァンファムン)駅の近くにある事務室で、恩師である在日コリアンの歴史学者の故・姜徳相(カン・ドクサン)元一橋大学教授(1931~2021)が、東農財団(キム・ソンヒョン理事長)に寄贈した資料を整理している。姜徳相氏は、今年で100年となる関東大震災の研究の開拓者であり、執筆に20年も要した『呂運亨(ヨ・ウンヒョン)評伝』(全4巻、2019年完刊)の著者。姜氏の遺族は、昨年12月、故人が生涯かけて集めた蔵書や資料、書画類などをすべて寄贈するという契約書を財団と結んだ。先月、創立総会を開き、8月に公式の発足を控えた財団は、姜徳相資料センターを設置し、寄贈資料を整理して公開する計画だ。
 9月に故人の資料に基づく関東大震災100年の展示会も計画しているイ教授に12日、事務室で会った。一橋大学で故人の指導によって博士号を取得したイ教授は、恩師の口述回顧録『時務の研究者 姜徳相:在日として日本の植民地史を考える』(2021年、日本語版は三一書房刊、韓国語版は語文学社刊)の韓国語翻訳も手掛けた。イ教授は恩師のデータの整理に専念するため、昨年初めに日本での生活を終えて帰国した。
 「先生は亡くなる前、資料が分散することを最も心配していました。可能であれば、資料を韓国に持っていき、整理して公開するのがいいだろうとのことでした。(資料を)社会化させてほしいという意向でした」。
 慶尚南道咸陽(ハミャン)で生まれ、3歳で日本に渡り生涯日本で暮らした故人の蔵書が、なぜ韓国に来たのかという質問に対するイ教授の答えだ。「韓国の公共機関や大学図書館とも交渉しましたが、そこで資料が適切に整理されるのか疑わしく思えました。そうした時、東農・金嘉鎮(キム・カジン)先生のひ孫であるキム理事長が財団を作るという話を聞き、引き取っていただけるかどうか意向を打診したところ、すぐに受け入れてくれました」
 財団は、2月に700箱を超える寄贈資料をすべて韓国に運び、そのうち14箱分の関東大震災の資料を優先して整理している。「東京にある在日韓人歴史資料館(李成市(イ・ソンシ)館長)とともに、9月に仁川(インチョン)の韓国移民史博物館で『差別と抵抗』と題して展示会を開催します。また、10月には高麗大学博物館で関東大震災だけをテーマにして展示する予定です。姜先生の寄贈資料が中心となるでしょう」。

【写真】イ・ギュス教授が故・姜徳相教授の寄贈資料である関東大震災当時の様子を描いた木版画を掲げている=カン・ソンマン記者//ハンギョレ新聞社
【写真】故・姜徳相教授(右)とイ・ギュス教授が4年前に故人が完刊した『呂運亨評伝』を前にして並んで写真を撮っている=イ・ギュス教授提供//ハンギョレ新聞社

 在日韓人歴史資料館の開館を主導して初代館長も担当した故人は、歴史研究者である前に誠実な資料収集家であった。1963年から13年間、関東大震災や三・一運動、日帝強占期(日本による植民地支配)の独立運動に関する資料をそれぞれ集大成した資料集『現代史資料』6巻を発刊した。特に、日本官憲の資料や現場を現地調査して発掘した各種資料を数年間かけて集めて整理した『現代史資料:関東大震災と朝鮮人』(みすず書房、1963)は、出版するなり日本の報道機関と学界の注目を集めた。関東大震災当時の朝鮮人虐殺の「起承転結」を資料で示したためだ。故人は、資料集や著述を通じて、大震災当時の朝鮮人虐殺の背後には、日本の民衆の怒りが皇室や治安当局へ向かうことを懸念した官憲首脳部の策略があったことを示した。
 イ教授は、今回の寄贈資料は『現代史資料』の原資料だと明らかにした。「解放(日本の敗戦)以前の日帝官憲の資料をマイクロフィルムにしたものが多いです。解放後、日本で出された韓国関連の研究書もほとんどそろっています。わずか5~6年前に出た本まであります」。イ教授は、100年前に出た『戒厳司令部情報』というパンフレットを見せてくれた。「これには、大震災当時の戒厳軍の配置図や各種のポスター、軍が作成した資料があります。先生がどのような経路でこのパンフレットを入手したのか、私もよく知りません。大震災当時の写真も何枚かあり、日刊紙の号外の原本もあります。最近、李成市館長がこの資料を見て(価値は)想像以上だと言っていました」
 日帝による侵略の過程を描いた300~400枚もある木版画(錦絵)のセットも、寄贈目録にある。「先生が日本の家3軒分の値段を投じて買ったそうです。日本でも非常に珍しい木版画です」。

 「関東大震災朝鮮人虐殺」の研究を開拓 
 一橋大学の故・姜徳相教授の弟子 
 東農財団に寄贈した恩師のデータを整理中 
 「データベース化して誰でも利用できるようにする計画」 
 9月に「関東大震災100年」の展示を計画 
 「『100年前のことでひざまずく…』発言の後、 
 展示場を貸すことに公共機関が難色」

 非常勤講師など非専任の大学教員を転々とした故人は、満58歳で一橋大学教授に任用され、「在日コリアンで初の日本の国立大学の専任教授」になった。生活が苦しい講師生活にもかかわらず、故人は、古本屋で関心を持った資料を見つけるとそのまま通り過ぎることはなかった。「先生の母親と夫人が、代々にわたり東京の代々木駅前で中華料理店を営んでいました。先生はその店のカウンターからお金を持っていき、本をたくさん買ったそうです。そのようなことをしても、夫人は何も言わなかったそうです。寄贈図書のなかには『清韓人傑伝』という小冊子があり、定価は2万8000円でした。私だったら、とても買えなかったでしょうね」
 寄贈資料のなかでイ教授が最も重視するのは日記だという。「先生は、高校生の頃から亡くなる前まで、毎月大学ノート1冊分の日記を書きました。日記をざっと見てみると、新聞のスクラップや手紙をはじめ、韓国に行った時に立ち寄った飲食店のメニューまであります。何がさらに出てくるのか気になります」
 イ教授は今後、大学の研究機関と協力し、寄贈資料をデータベース化して解題も付け、国立中央図書館のネットワークを通じて誰でも自由に利用できるよう推進する計画だ。
 イ教授と恩師の縁は、イ教授が高麗大学史学科を出て、日本に留学した1984年にさかのぼる。「当時、一橋大学の非常勤講師だった先生に、日本史を専攻すると伝えると、『日本近代の核心は朝鮮問題』だといって朝鮮史の研究を薦められたのです。その後、朝鮮史に方向を定め、博士論文も『近代朝鮮の植民地持株制度と農民運動』をテーマに書きました」。イ教授は、故人が専任の教授として在職中に送り出した唯一の博士だ。「私が朝鮮史専攻の修士2年目だったときから、大学の教授たちに、朝鮮史を教える正規の教授が大学に必要だと言って戦ったんです。幸い教授たちが賛同して、姜先生は89年に専任の教授になりました」
 恩師はどのような学者だったのかという質問に、イ教授は「誠実な研究者」だったとしたうえで、こう付け加えた。「関東大震災の朝鮮人虐殺の研究は、今でも先生を越えることができません。韓国はまだこのテーマで博士論文も出ておらず、このテーマの論文も先生の研究に依存しています」
 イ教授は、今回の「関東大震災100年」の展示を準備する際、展示場の確保に苦労したとも語った。「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が『100年前のことで、日本にひざまずかなければならないとは考えていない』と言ったではないですか。そのためなのか、公共機関はすべて展示に難色を示したのです。現政権だけではありません。1945年以降、韓国のどの政権も日本側に朝鮮人虐殺について抗議したり調査を要求したことはありません」。
 インタビューの最後に尹錫悦政権の韓日関係についてどう思うのか尋ねた。「過去の歴史を無視して明日を論じることができるでしょうか。姜先生は生前、日本社会に期待するものはないと言っていました。韓国と北朝鮮の和解と協力だけが東アジアの平和の道であり、日本と中国も変えるだろうと言っていました」。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1095968.html
韓国語原文入力:2023-06-14 19:13
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