三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「日本の嫌韓デモを阻止した市民団体、ソンプルインターネット平和賞受賞」

2018年09月24日 | 個人史・地域史・世界史
https://japanese.joins.com/article/287/245287.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年09月19日07時31分
■日本の嫌韓デモを阻止した市民団体、ソンプルインターネット平和賞受賞
【写真】18日、第1回ソンプルインターネット平和賞(Sunfull Internet Peace Prize)を受賞した「かわさき市民ネットワーク」の関係者たちが集まった。前列左側から青丘社(川崎ネットワークに参加する市民団体)のペ・ジュンド理事長、かわさき市民ネットワークの関田寛雄代表、ソンプル財団ソンプルキャンペーン本部のミン・ビョンチョル理事長、(株)スカウトのミン・ビョンド会長。(写真提供=ソンプルキャンペーン本部)
 
 日本の嫌韓デモに対抗する市民団体である「かわさき市民ネットワーク」と日本のサイバー倫理運動家の小木曽健さんが18日、第1回ソンプルインターネット平和賞(Sunfull Internet Peace Prize)受賞者に選ばれた。ソンプルの英語表記「sunfull」は、「太陽の光がいっぱいの世の中」という意味の「full of sunshine」から付けられた。また、韓国語の善(ソン)プル、つまり良識ある書き込みを表す言葉とかけていて、悪プル(悪意のある書き込み)の対義語でもある。
 オン・オフライン上で悪プルやヘイトスピーチの撲滅運動を繰り広げているソンプル財団ソンプルキャンペーン本部(理事長ミン・ビョンチョル)はこの日、神奈川県川崎市でソンプルインターネット平和賞受賞者を発表した。
 「かわさき市民ネットワーク」(代表・関田寛雄)は外国人に対する差別や嫌悪集会を根絶するために日本全国165カ所の人権団体が集まって2016年に結成された組織だ。SNSを通じてヘイトスピーチ監視活動を行っていて、ヘイトスピーチ抑制法や条例制定を促すなど多彩な活動を行っている。昨年6月と7月には会員1000人余りが街頭に出て極右団体の「ヘイトスピーチ集会と講演会」を阻止して話題になった。
 日本のモバイルゲーム企業「グリー(GREE)」の安心安全チームマネジャーとして活動中の小木曽さんは、これまで2000回にわたってインターネットのエチケットやサイバー悪プルの予防教育を実施した。サイバー倫理教育、執筆、相談など、さまざまなインターネット平和活動を広げた功労が認められて同賞を受賞することになった。
 ソンプルインターネット平和賞を制定したミン・ビョンチョル理事長は「韓国内の在留外国人200万時代に、私たち周辺の外国人やマイノリティに向けられるヘイトスピーチが度を越している」とし、応援と気配りのソンプルキャンペーンを通じて平和な地球村になれば」と述べた。
 現在、ソンプルキャンペーンには、国内外およそ7000の学校や団体が参加していて、ソンプルタルギ(善意の書き込み)キャンペーンのホームページには68万人の会員が投稿したソンプルが700万個を超えた。大韓民国の国会議員296人(全体国会議員の99%)が「国会ソンプル政治宣言文」に署名し、米国の国会議員2人、州下院議員1人、日本の国会議員1人が「ソンプルインターネット平和キャンペーン」に参加している。
 ソンプルインターネット平和賞授賞式は、来月11日にソウル漢陽(ハニャン)大学HIT大講堂で開かれる。
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「ベトナム最大の日刊紙 韓国軍の大虐殺事件の証言を連載」

2018年09月21日 | 個人史・地域史・世界史
http://n-seikei.jp/2016/09/post-39832.html
「JCNET(ジェイシーネット)」 2016年9月24日
■ベトナム最大の日刊紙 韓国軍の大虐殺事件の証言を連載
 ベトナム最大の日刊紙「トゥオイチェー」が、9月11日~17日に7回にわたり、ベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺事件の生存者の証言などを報じた。ベトナムの有力日刊紙が生存者の話を取り上げるのは極めて異例。
 韓国のハンギョレ新聞も当報道を掲載し、第6回では、生存者として昨年4月に初めて韓国を訪問したグエン・タン・ラン氏とのインタビューを掲載した。
 ラン氏は、昨年7月にビンディン省の人民議会の代表らと会った際、1000人以上が犠牲になったビンアン虐殺事件に関して、ベトナム政府が韓国政府に3つの事項を要求するよう訴えた。
   1つ目は、ベトナムで犯した罪に対する謝罪、
   2つ目は、生存する被害者に対する責任を果たすこと、
   3つ目は、被害者遺族に対する責任を果たすこと。
人民議会代表は昨年7月、ラン氏の要求内容を人民議会の会期に上程したという。
 虐殺の生存者らが高齢化する中、ベトナムでは生存者らの証言を残すための政府レベルの努力も始まっている。
 クアンガイ省のグエン・タン・プ文化通信観光庁長は、「ベトナムの全ての省が持つ情報を合わせれば、虐殺から50年となる今年中に生存者の会合を組織することができるだろう」と明らかにした。
 ベトナム戦争終了後、ベトナム政府は民族の統合と和合を優先するために「過去を閉じて未来を開こう」とのスローガンを掲げた。そのため、韓国軍の民間人虐殺も「閉じなければならない過去」となっていた。
しかし、今回の「トゥオイチェー」による報道は、政府の黙認のもとで行われたとみられている。
 虐殺から50年を迎えた今年は、ベトナム各地で犠牲者を追悼する慰霊祭が開かれた。一方、韓国政府は軍による民間人虐殺を認めていない。
 以上、こうした韓国軍のベトナム戦争犯罪について、朝鮮紙は最近、「両国が成熟した関係にあることから問題にならない」と書き立てていた。こうした報道もベトナム政府を刺激した可能性もある。
 韓国政府は、ベトナムに対して、韓国アニメ韓流ドラマをプレゼントして、ベトナムの戦後世代を洗脳したに過ぎないが、太平洋戦争(終戦1945年)より、ベトナム戦争(終戦1975年)は、30年も終戦が遅く、高齢者にいまだ色濃く韓国軍の蛮行は残っている。また、韓国軍が当時、ベトナムでやりまくり、強姦しまくり生まれたライダイハン(韓国人との混血児、釜山日報が推定した混血児は最大3万人、ダイハンは韓国という意味)は、今でもベトナムで差別されている問題もある。
 過去、こうした問題を報じた韓国のハンギョレ新聞社は、韓国軍OB組織に焼き討ちにあった。
 ベトナム戦争時、延32万人以上が送り込まれた韓国軍は、ビンタイ、ソンティン、タイビンなど多くの村で婦女は強姦した上に村民全員を大虐殺したことが知られている。(韓国軍は、ゲリラのベトコンと村民の違いがわからず、恐怖のあまり、村民を大虐殺・殲滅させ続けた説もある。米軍でも当時問題にしたほどの戦争犯罪)
 ベトナムでは、グエン・タン・ズン首相が、2006年から続けた開放経済路線を推進するあまりに、南沙諸島での中国の埋め立てに対して強い立場を表明せず、南沙諸島に多くの島嶼を占有するベトナムでもあり、今年4月、共産党の長老幹部たちから更迭され完全失脚した。その後、ベトナムは南沙諸島で占有する島にロケット基地を建設している。
ベトナムの現在の首相はグエン・スアン・フック氏であり、長老たちの意に即した政治を行うものと見られる。
(ベトナム戦争後の1979年、カンボジアの虐殺問題などからベトナム軍がカンボジアに進駐、その間隙を縫い、カンボジアを支援する中国が、ベトナムに軍を進駐させ、ハノイ近郊まで攻め入り破壊をし尽くした。しかし、カンボジアから帰還した(戦争慣れした)ベトナム正規軍に中国軍は粉砕され、中国へ逃げ帰った経緯がある。中越の根底は犬猿の仲。)
 こうしたことを背景に、軌道修正も含めて、今回、ベトナム最大紙に、韓国軍の蛮行報道もさせているものと見られる。
 韓国の朴大統領(現大統領の実父)は当時、銭欲しさにベトナム戦争に参戦しており、戦争の大儀は皆無であった。
 戦後、韓国の李承晩らは、1950年の保導連盟事件で100万人ともされる自国民を大虐殺、朝鮮戦争へと発展した。1948年には韓国人の済州島の島民5万人も大虐殺し、島の7割を焼き尽くす狂気の政治体質を有し、朝鮮戦争に突入すると一早く李承晩はソウルを逃げ出したことで知られている。その李承晩を韓国の建国した善人として見直そうと呼びかけているのが反日・民族派で韓国最大の新聞社の朝鮮日報である。
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「マクロン大統領、アルジェリア独立戦争中の拷問で仏政府の関与認める」

2018年09月20日 | 個人史・地域史・世界史
http://news.line.me/articles/oa-afpbb/f54cd9dde456
「AFPBB News」 2018.09.14 13:06
■マクロン大統領、アルジェリア独立戦争中の拷問で仏政府の関与認める
【AFP】フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は13日、アルジェリア独立戦争(1954~62年)の最中、拷問を行う「システム」をフランス政府が後押ししたことを認めた。

【関連写真】1957年にアルジェで失踪したモーリス・オーダン氏

 アルジェリア独立戦争後生まれの初の仏大統領であるマクロン氏は、これまでのどの仏大統領よりも踏み込んで、アルジェリア独立戦争中にフランス軍兵士らが行ったとされる虐待の規模の大きさを認めた。
 マクロン氏は、1957年にアルジェ(Algiers)で失踪した共産党員で独立運動家の数学者モーリス・オーダン(Maurice Audin)氏の妻を訪ね、同氏の拷問と殺害にフランス政府が関与していたことを認めた。さらに、独立戦争中に失踪した大勢のフランスとアルジェリアの民間人と兵士に関するフランス当局の資料を公開する意向を示した。
 仏大統領府が発表した声明は、独立戦争中にアルジェリアの治安維持のため仏政府が軍に特別な権限を与えたことが「拷問を含む数々の恐ろしい行為を許す地盤をつくった」としている。
 アルジェリア人約150万人の命を奪い、約130年続いた植民地支配を終わりに導いた激しい戦争の中でフランス軍は民族解放運動の戦闘員とその支持者らを弾圧した。
 ジャーナリストのジャンシャルル・ドゥニオー(Jean-Charles Deniau)氏は、2014年の著書でジャック・マシュ(Jacques Massu)大将の命令を受けた仏軍の士官らがオーダン氏を殺害したと主張。その命令があったことはポール・オサレス(Paul Aussaresses)大将(2013年に死去)も認めた。オサレス氏は数十人の非拘束者を拷問して死亡させたことも認めた。
 ゲリラ戦が繰り広げられた複雑な戦争の中で行われた虐待は国民感情に深い傷を残した。一方、フランス政府は戦時中に仏軍の拷問に言及した新聞、書籍、映画を検問し、仏軍による残虐行為はその後もおおむねタブー視され続けてきた。しかし、仏政府は13日、「真実の追求なくして自由・平等・博愛を得ることはできない」と明言した。
 アルジェリア独立戦争後60年が近づいている今でも、フランスでこの戦争は扱いに注意を要する問題となっており、仏政府がこの戦争当時の拷問について関与を認めたことには画期的な意義がある。


http://www.sankei.com/world/news/180916/wor1809160013-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/180916/wor1809160013-n2.html
「産経ニュース」 2018.9.16 16:31
■仏大統領、旧植民地独立派の拷問「国家責任」認める 「汚い戦争」の事実解明は「歴史家に」懸念も
【パリ=三井美奈】フランスのマクロン大統領は、旧植民地アルジェリアの独立戦争(1954~62年)中、仏政府が拷問を容認していたと認め、当時死亡した独立運動家の妻に謝罪した。歴代大統領で初めて、植民地の「汚い戦争」で組織的な国家責任に踏み込んだことで、波紋を広げている。
 この運動家は57年、仏軍に拷問され、失跡した数学者のモーリス・オーダン氏。アルジェリア共産党員で、当時25歳だった。マクロン氏は13日の声明で、オーダン氏は拷問中に死亡、あるいは処刑されたと発表し、背景には治安部隊による反体制派「容疑者」の逮捕・拘禁を認めた法制度があったとした。同日、パリ郊外に住むオーダン氏の妻を訪ね、「許しを請う」と述べた。
 フランスでアルジェリアでの仏軍の残虐行為はタブー視されてきた。2001年には元将軍が手記で、拷問で独立派を多数殺害したことを認め、政府は黙認していたと明かしたが、当時のシラク大統領は元将軍の勲章を剥奪し、責任論議を封印した。オーダン氏の妻は07年、夫の死の真相解明を当時のサルコジ大統領に書簡で訴えたが、返事はなかった。
 マクロン氏は昨年2月の大統領選中、「植民地支配は『人道に対する罪』だ。過去の蛮行にわれわれは向き合うべきだ」と発言。今回、国家責任に踏み込んだことについて、ルモンド紙は社説で、真実解明はフランスとアルジェリアの「歴史の和解につながる唯一の道」とたたえた。一方、保守系フィガロ紙は「戦争の惨事の解明は歴史家に任せるべきだ」と主張。アルジェリア系住民が仏政府への反発を強めれば、国内の対立を招くと懸念を示した。
 アルジェリア独立戦争では約50万人が死亡したとされる。フランス人入植者も数万人が殺害され、今も禍根が残る。マクロン氏は13日の声明で、公文書や証言による当時の実態解明を訴えたが、オーダン氏のように行方不明になった数千人の独立派への対応や、弾圧責任者の扱いには言及しておらず、今後論議となる可能性がある。


https://ovninavi.com/480_apropo/
「Ovni」 N° 480(2001/06/01)
■将軍が45年後に拷問を告白。
 1981年5月10日、今は亡きミッテランが第五共和政で左派として初の大統領に当選した日から20年。メディアはこぞって前大統領の功績をふりかえる。
 一方、1956-57年ギ・モレ内閣ミッテラン法務相時代に泥沼化したアルジェリア戦争で、アルジェリア解放戦線FLNの弾圧にあたった将軍ポール・オサレス氏(82) は5月3日、Perrin社から手記「特別部隊アルジェリア1955-1957」を出した。
 オサレス氏は1955年諜報員として着任。マスュ将軍下、テロ掃討を目的とした”死の中隊”と呼ばれた特別部隊隊長となる。当手記の中では彼自身がいかにFLN幹部たちを拷問し殺害したかを具体的に叙述している。殴打、電流、水責めによる拷問後、非常事態下、民事裁判にとって代わった軍事裁判 (1957-58年に1509名を死刑) にもかけずに死刑を執行。逮捕者が首吊り自殺したかのように死体を吊したり、投身自殺したようにみせたと誇らしげに述懐する。当時のミッテラン法務相は仏軍隊による組織的拷問を熟知し、軍部の独走を黙認していたと明言、45年前の “汚れた 戦争” を白日のもとにさらす。
 オサレス将軍の”拷問告白”記にシラク大統領は”憤慨”し、「この証言が仏軍隊や戦った者たちを汚すようなことがあってはならない」と軍司令部が同将軍に処分を科すよう命じるとともに、彼に授与したレジオンドヌール勲章の一時剥奪を命令。ジョスパン首相も同将軍の “破廉恥さにショック” を受けたが、”権力の乱用”と個人攻撃に留まらせる。共産党は拷問調査委員会の開設を要求、人権同盟国際連盟は同将軍を反人道罪で提訴。が、パリ検察庁は、1994年施行の反人道罪は、それ以前では第2次大戦にだけ適用されアルジェリア戦争には適用されないとし、同将軍と出版社を”戦争犯罪擁護罪” の疑いで予備捜査すると発表(5/17)。人権同盟や遺族は、どこまでも反人道罪で同将軍に対し損害賠償訴訟で追及する構えだ。
 ナチスに協力したヴィシー政府への国家の責任を、95年シラク大統領は元首として初めて認めた。98年には重罪院がパポン(93)元ジロンド県総務局長にナチス協力者として反人道罪共犯で10年の禁固刑を下し、第2次世界大戦が仏史上に残した汚点を象徴的とはいえ55年後につぐなおうとした。1954年から62年まで独立のために戦ったアルジェリア人への仏軍隊による組織的拷問を後世代が記憶し反人道罪として裁くか。祖父たちの過去として忘却に押しやるか。「自国の歴史について無知な国民は同じ歴史を生きる」(米哲学者サンタヤーナの言葉) というが。
 今日、アルジェリア自身も独立戦争の後遺症から癒えぬまま、仏軍隊がかつてしたように、軍隊が若いカビール人たちの反体制蜂起を弾圧している。(君)
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「建設現場で黒人とみられる95人の遺体、奴隷解放後も強制労働か 米」

2018年09月20日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.cnn.co.jp/usa/35122795.html
https://www.cnn.co.jp/usa/35122795-2.html
「CNN.co.jp」2018.07.20 Fri posted at 15:08 JST
■建設現場で黒人とみられる95人の遺体、奴隷解放後も強制労働か 米
 テキサスで95人の遺体、強制労働従事の解放奴隷か
(CNN) 米テキサス州の建設現場で今年2月に遺体が発見されたのを皮切りに、これまでに95人の遺体が見つかった。当局はこれらの遺体について、受刑者の労役施設で強制労働を課されていた解放黒人奴隷のものとの見方を示している。
 発見現場はテキサス州ヒューストン郊外にあるシュガーランド。同州フォートベンド郡の学区が土地を所有しており、新しい技術学校の建設に取りかかっていた。
 これらの墓は100年以上にわたり地下に埋もれており、手つかずの状態だった。しかし研究チームは16日、埋葬されているのは奴隷の遺体とみられると発表。奴隷制が違法になったものの、多くの黒人は事実上まだ奴隷状態にあったという、忘れられかけた歴史の一時期を明るみに出した。
 学区の責任者は声明で、「地域にとっても学区にとっても、郷土史についての学びを深める類いまれな機会だ」と述べている。
 発見のきっかけは、1980年代にテキサス州刑務所の看守を務めていたレジナルド・ムーアさんが、歴史的な墓地に関心を抱いたことだ。
 ムーアさんの狙いのひとつは、シュガーランドに存在した「受刑者リースシステム」の過酷な実態を認識してもらうことにある。このシステムでは、受刑者が強制労働に従事させられていた。
 ムーアさんはフォートベンド郡で別の墓地も管理しており、シュガーランドで昨秋に学校建設が始まった際、付近に他にも墓地があるかもしれないと当局者に告げた。

【写真】研究者が描いた遺体のスケッチ/Fort Bend Independent School District

 こうして発見された遺体はそれぞれ木製の棺(ひつぎ)に収められていた。これまで分析が行われた遺体のうち、1体を除いて全てが男性のもの。年齢は14~70歳とみられ、恐らく1878年から1910年の間に埋葬されたものだという。
 米国ではリンカーン大統領が1863年に奴隷解放宣言を出したが、それでも強制労働は続いた。
 南北戦争が1865年に終結し、奴隷が違法化されたことを受け、テキサス州経済は深刻な不況に突入。企業は新たな安い労働力を必要としており、刑務所に目をつけた。受刑者のリースシステムは実質的に、奴隷制を全面的に受け継ぐ形となっていた。
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「福島原発の北143キロにオープンするオルレ道」

2018年09月09日 | 個人史・地域史・世界史
https://japanese.joins.com/article/898/244898.html?servcode=800§code=810
「中央日報日本語版」 2018年09月07日14時04分
■福島原発の北143キロにオープンするオルレ道

【写真】10月8日にオープン予定の宮城オルレ奥松島コース。馬の背という名前の岬だ。(写真提供=宮城県)

 「宮城オルレ」がオープンする。10月7日と8日、宮城オルレの気仙沼・唐桑コースと奥松島コースが相次いでオープンするのが今日からちょうど1カ月後だ。宮城オルレも済州(チェジュ)オルレの姉妹トレッキングコースだ。済州オルレが個別コースを直接選定して、カンセやリボンのようなシンボルを共有する。(社)済州オルレに年間100万円の業務提携費を支払う。
 オルレ道が開かれる宮城県は、東北6県の中心だ。日本の歴史における東北が占める部分を知ってこそ宮城オルレも理解することができる。日本列島の中心、本州の先に位置する東北は、いってみれば辺境のうちの辺境だ。はるか昔、列島北側の原住民アイヌ民族の領土であり、明治維新時は新政府軍に対抗した最後の激戦地だった。
 2011年東日本大震災の最大被害地もまた東北だ。原発事故が起きた福島も東北6県の一つで、福島県の北部と接しているのが宮城県だ。津波による宮城県犠牲者は1万777人で、奥松島コースが通る東松島市だけで1152人の人命被害が発生した。この悲劇の地にオルレ道が通ることになった。(社)済州オルレのアン・ウンジュ理事は「宮城オルレは癒やしと共生のオルレ精神に最も合致するコース」と説明した。
 その趣旨には共感する。しかし、あまり乗り気がしない。放射線のためだ。福島原発から宮城県中心都市の仙台は110キロメートル、東松島は143キロメートル北にある。幸いにも、宮城県の放射線量は人体に影響がない水準と測定される。宮城県によると、今年1月仙台の放射線量は0.039マイクロシーベルト毎時で、東松島は0.028マイクロシーベルト毎時だった。参考までに、9月2日東京は0.038マイクロシーベルト毎時、ソウルは0.1036マイクロシーベルト毎時だった。ソウルが東京はもちろん、仙台よりも倍以上高い。
 原発近隣地区さえ除けば日本列島の放射線量は正常だ。しかし、韓国が感じる恐怖は相変わらずだ。次の統計を見てみよう。2010年宮城県の韓国人宿泊者数は1万6530人だった。東日本大震災が発生した2011年には5580人に激減した。昨年1万1150人まで回復したというが、依然として3分の2水準だ。反面、台湾と中国の訪問者数は2011年に半数に減ったがその後着実に増えて、昨年原発事故直前の2010年の2倍を越えた。日本の立場では、韓国を残念に思わざるを得ない統計だ。
 宮城オルレは韓国人を取り戻そうとする日本のマーケティング手段といえる。先例がある。東日本大震災が起きると、九州地域の韓国人訪日者数も大きく落ち込んだ。翌年、九州観光推進機構が準備を急いだ対策が九州オルレだ。済州オルレ初の姉妹トレッキングコースが誕生した背景だ。
 それでも韓国観光当局が宮城オルレのオープニングセレモニーに参加してもらいたい。交流は先に手を差し出す行動から始まるからだ。昨年、韓国を訪問した日本人(231万人)は、日本を訪問した韓国人(714万人)の3分の1にも満たなかった。「大勢行くこと」が問題ではなく、「少ししか来ないこと」が問題だ。日本社会の嫌韓気流さえ落ち着けば、この差はぐっと縮まるに違いない。観光は観光だけにとどまることではない。
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「沖縄とハワイ、済州、海南島が共同宣言 島の未来へ環境守る 済州島で国際会議」

2018年09月07日 | 個人史・地域史・世界史
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-792688.html
「琉球新報」 2018年8月29日 06:30
■沖縄とハワイ、済州、海南島が共同宣言 島の未来へ環境守る 済州島で国際会議

【写真】共同宣言に合意する(左から)大浜浩志県環境部長、ウォン・ヒリョン済州特別自治道知事、ドン・チンハワイ州副知事、周学双海南省環境生態保護庁技師長=28日、韓国済州島

【済州島で清水柚里】28日に韓国済州島で初めて開催された「グローバル・グリーン・アイランド・サミット」のフォーラムでは、沖縄県、済州、ハワイ、海南の代表者が各地域独自の取り組みを紹介しながら環境保全の議論を深めた。代表者からは「気候変動で生物の分布域が変わり始めてきたのが問題だ」「観光客の増加で渋滞などの問題が出た。無制限には受け入れられない」などさまざまな課題が挙がった。
 大浜浩志県環境部長は、海水温上昇によるサンゴの白化現象について説明。保全に向けた移植研究を進めているとし「高温で生きられるか研究している」と述べ、情報共有へ期待を寄せた。中国海南省の周学双環境生態保護庁技師長は「急激な経済成長により、環境配慮への時間が不十分だった」と島の状況を説明。一方、火力発電の新規設置を禁止し、最終的に全機を閉鎖するなどの取り組みを進めるとした。
 米ハワイ州のドン・チン副知事は、全米で初めて州として、地球温暖化対策の枠組み「パリ協定」を順守するための法律を制定したと紹介。自治体単位の取り組みの必要性を強調した。
 済州特別自治道のウォン・ヒリョン知事は世界自然遺産・漢拏山国立公園で生態系が変化していることを懸念。「次回のサミットまで日常的に交流し、共同研究などができたらいい」と展望を語った。


https://mainichi.jp/articles/20180829/rky/00m/040/005000c
2018年8月29日
■国際会議 島の未来へ環境守る 沖縄とハワイ、済州、海南島が共同宣言 /沖縄
【済州島で清水柚里】韓国済州島で開かれた島しょ地域が抱える環境問題について協議する「グローバル・グリーン・アイランド・サミット」のフォーラムは28日、持続可能な島の発展に向け環境保全に努めていくとした共同宣言を採択し、閉幕した。沖縄県と済州特別自治道、米ハワイ州、中国海南省の4自治体は、今後パートナー関係の島しょ地域を拡大していく。
 共同宣言では(1)定例フォーラムを開催し関係を拡大(2)事例の情報共有(3)炭素排出量削減など気候変動の政策実行(4)環境問題の相互協力促進(5)保護活動の加速-などの項目で合意した。沖縄県を代表して大浜浩志環境部長が、済州特別自治道のウォン・ヒリョン知事、米ハワイ州のドン・チン副知事、海南省環境生態保護庁の周学双技師長と署名を交わした。
 大浜部長は「4地域とも同じような環境課題がある。この地域から世界に発信していきたい」と述べ、継続して協力する重要性を強調した。
 フォーラムにはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領も出席し「世界的に気候変動が起きている。世界の共通課題解決のため、イニシアチブの基盤づくりが求められている」と強調した。(琉球新報)


https://ryukyushimpo.jp/news/entry-791936.html
「琉球新報」 2018年8月28日 05:00
■島の環境保全議論 韓国済州島でサミット 沖縄やハワイ参加
【済州で清水柚里】県、韓国済州島(特別自治道)、米ハワイ州の知事らが一堂に会し、島しょ地域が抱える環境問題について協議する「グローバル・グリーン・アイランド・サミット」(GGIS)の初めてのフォーラムが27日、韓国の済州島で開幕した。3島のほか、中国海南島からも含め約100人が参加した。自然環境や風土、産業などで共通点が多い各島の関係者が集まり、環境と観光との両立の重要性などさまざまな観点から環境保全の取り組みを議論した。

【写真】グローバル・グリーン・アイランド・サミットのフォーラムで各地の識者や自治体関係者と握手を交わす大浜浩志環境部長(左から6人目)=27日、韓国済州島

 初日は各自治体の職員や専門家が、干ばつやハリケーン、台風などの異常気象の報告や環境への自治体独自の取り組みを発表した。県内からは堤純一郎琉大教授が気候変動による適応策、黒田登美雄琉大名誉教授が宮古島の地下ダム事業について報告した。
 大浜浩志県環境部長は、海外漂着ごみ対策などを説明した。中国や韓国からのごみが沖縄に流れ着くことに触れ「沖縄だけで対策できるものではない」と協力を求めた。
 ハワイ州は低炭素社会の実現を目指し、四つの島が2045年までに再生可能なエネルギーへの転換を目標に設定している。ハワイの自然保護団体「ブループラネット財団」のメリッサ・ミヤシロ主任は「今後も観光客が増加が予想され、航空機の利用も増える。効率性を高める必要がある」と指摘した。
 済州島は、30年までに島の炭素排出を実質ゼロにすると宣言している。アジア気候変動教育所のジュン・ダイユンさんは、風力と太陽光を利用した発電を普及させ、100%電気自動車化を目指す取り組みを報告し、「社会的な合意を取りながら倫理観を変えていく必要がある」と語った。
 最終日の28日は、3自治体の代表者が環境保全に関する共同宣言をまとめ、調印する。


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/28/0200000000AJP20180828001900882.HTML
「聯合ニュース」 2018/08/28 15:31
■島しょの環境保全へ共に努力  韓米中日の4自治体が共同宣言
【西帰浦聯合ニュース】済州島を行政区域に持つ韓国・済州道と米ハワイ州、中国・海南省、日本・沖縄県の4自治体が27、28両日、島しょ地域の持続可能な発展を協議する「グローバル・グリーン・アイランド・サミット」第1回フォーラムを済州島で開いた。4自治体は最終日の28日、島しょ地域の環境保全へ共に努力することなどをうたった共同宣言文を採択した。

【写真】共同宣言文に署名した(左から)沖縄県、済州道、ハワイ州、海南省の首長や担当幹部=28日、西帰浦(聯合ニュース)

 共同宣言文に基づき、4自治体は2年ごとにフォーラムを開いて交流・協力を深め、参加自治体を増やして世界の島しょ地域の環境資産保全を目指す。
 島しょ地域の持続可能で健全な発展にも共に努める。島ならではの生態システムを守るため、炭素排出量の削減など各地の気候変動対応策を共有し、実施する。
 出席した済州道の元喜龍(ウォン・ヒリョン)知事は「われわれの共同努力が世界の全ての島の環境資産と固有の生態システムを保全し、持続可能な社会に移行していく上で里程標になるよう願っている」と述べた。
 グローバル・グリーン・アイランド・サミットの第2回フォーラムは2020年にハワイで開く。
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「ドイツ教会、ナミビアの大虐殺を謝罪」

2018年09月02日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23699/20170502/german-evangelical-church-apologise-namibian-genocide.htm
「Christian Today」 2017年5月2日22時02分
■「わたしたちの負い目を赦してください」 ドイツ教会、ナミビアの大虐殺を謝罪

【写真】1904年の反乱を起こしたとして首に鎖を付けられて捕らえられているヘレロ族の人々(写真:Ullstein Bilderdienst, Berlin)

 ドイツのプロテスタント教会が、アフリカ南部の国ナミビアで20世紀初頭、当時のドイツ帝国が現地の先住民族に対して行った大虐殺(ジェノサイド)について謝罪した。声明では、聖職者が直接虐殺行為を呼び掛けたことはなかったとしつつも、植民地支配を神学的に正当化することで、大虐殺に加担したと指摘。「これは大きな罪であり、全く正当化されるものではない」とし、ナミンビアの人々に赦(ゆる)しを求めている。
 ナミビアの虐殺について謝罪したのは、ドイツ人口の約3割が所属する同国の主流なプロテスタント教派である「ドイツ福音主義教会」(EKD)。マタイによる福音書6章22節から「わたしたちの負い目を赦してください」と題した声明(ドイツ語・英語)を、4月24日に発表した。
 ナミビアは当時、「ドイツ領南西アフリカ」とされ、ドイツ帝国の植民地だった。大虐殺は1904〜07年、先住民族のヘレロ族とナマ族に対して行われたもので、20世紀最初の大虐殺とされている。死者は、ヘレロ族が2万4千人〜10万人、マナ族が全人口2万人の半数に当たる1万人に及んだと考えられている。
 EKD副議長のペトラ・ボッセ・フーバー監督は、謝罪がとても遅くなってしまったと述べた。ボッセ・フーバー氏は、当時の聖職者らが大虐殺を実行した軍と密接に関わりがあったことを指摘。ドイツの国際放送局「ドイチェ・ヴェレ」に対して、「聖職者が直接にそこで(先住民族の)絶滅を呼び掛けたことはありませんでしたが、植民地の入植者と軍の関係はとても緊密だったので、残虐行為に立ち向かうことはできませんでした」と述べた。「ですので、私たちができることは、ただ赦しを求めることなのです」
 EKDの謝罪表明は、ルーテル派の世界組織である「ルーテル世界連盟」(LWF)が、5月10〜16日にナミビアの首都ウィントフックで総会を開催する前に行われた。ナミビアは人口の8〜9割がキリスト教徒で、さらにそのうち約半数がルーテル派とされている。一方、第2次世界大戦後に設立したEKDは、ルーテル、改革、合同の各派からなる。
 ボッセ・フーバー氏は、今回の謝罪表明に至るまでには、教会の指導者らを説得する必要があったことを認め、今後も両国の教会間で和解と関係改善のための試みが継続されていくだろうと述べた。
 しかし、教会が直接的に大虐殺に関わったとする歴史的証拠はないため、教会による賠償は否定。ドイチェ・ヴェレには、「もし私たちが賠償を検討すれば、(歴史の)正直な再評価がいっそう難しくなるでしょう」と語った。
 ドイツ軍によるヘレロ族とナマ族に対する大虐殺は1904年1月、ヘレロ族が植民地支配に対する反乱を起こしたことで始まった。反乱への報復として、ヘレロ族はナミブ砂漠に追いやられ、大半はそこで脱水症状により死亡した。その後、ナマ族も反乱を起こしたが、ヘレロ族と同じ運命をたどった。

さらに、何千人ものヘレロ族とナマ族が強制収容所に収容されたり、強制労働に従事させられたりし、多くが病気や極度の疲労で亡くなった。
 この大量殺りくは、国連でも1985年、ヘレロ族とナマ族を絶滅させる企てだとする報告書が提出され、20世紀の最初の大虐殺として認識されている。ヘレロ族とナマ族の代表は、賠償金の支払いが繰り返し拒否された後、補償を求めてドイツ政府を提訴。EKDは、ドイツ、ナミビアの両国政府が今後も交渉を継続していくことを求めている。

     ※この記事は英国クリスチャントゥデイの記事を日本向けに翻訳・編集したものです。


http://www.afpbb.com/articles/-/3113437
http://www.afpbb.com/articles/-/3113437?page=2
「AFPBB News」 2017年1月8日 16:27 発信地:ニューヨーク/米国
■ナミビア先住民、ドイツ植民地時代の虐殺めぐり集団訴訟

【写真】ナミビア・オビトト近郊の1904年4月9日に決起した先住民ヘレロ人たちが虐殺された現場で、共に花輪をささげるヘレロ民族の最高首長(左)とドイツの駐ナミビア大使(右、2004年4月9日撮影、資料写真)。(c)AFP/Brigitte Weidlich

【1月8日 AFP】ナミビアでドイツ植民地時代に起きた先住民ヘレロ(Herero)人とナマ(Nama)人の虐殺をめぐり、両先住民の代表団が5日、ドイツ政府に補償を要求する集団訴訟を米ニューヨーク(New York)の裁判所に起こした。代表団は虐殺をめぐるナミビア政府とドイツ政府との交渉にも参加させるよう求めている。
 訴訟の争点はナミビアが南西アフリカと呼ばれていた19世紀末から20世紀初期のドイツ植民地時代にさかのぼる。
 原告側の主張は、当時のナミビアで1885~1903年、ドイツ人入植者たちが植民地政府の了承のもとでヘレロ人とナマ人から土地を奪ったというもので、奪われた土地は両先住民の土地の約4分の1、数千平方マイルに及んだという。
 さらに原告団は、入植者らがヘレロとナマの女性や少女たちをレイプし、両民族を強制労働させていた事実を植民地政府が黙認していたと非難している。
 1904年、迫害に耐えかねてヘレロの人々が決起し、これにナマの人々も続いたが、反乱はドイツ帝国軍に鎮圧された。原告団は、ドイツ軍のロタール・フォン・トロータ(Lothar von Trotha)中将による「全滅作戦」でヘレロとナマの人々10万人が殺害されたと主張している。

★ドイツは直接補償を拒否
 1904~05年に起きたヘレロとナマ人大虐殺をめぐり、ナミビア政府とドイツ政府は共同宣言の発表に向けて協議を続けている。
 ドイツ側は虐殺の事実を認める一方、ナミビアが1990年に南アフリカから独立してから、ドイツは数億ユーロ規模の開発援助を「ナミビア国民の利益のため」に続けてきたことを理由に直接補償は拒否し続けている。
 原告団は、世界各地のヘレロとナマの人たちを代表して、ドイツの植民地支配に苦しめられ、虐殺された両先住民たちの賠償と補償を求めて集団訴訟を起こしたと説明している。
 これに対し、独外務省のマルティン・シェーファー(Martin Schaefer)報道官はドイツの首都ベルリン(Berlin)で、訴状を見ていないのでコメントできないとしたうえで、この問題で「未来に続く共通の道」を切り開くため、2年ほど前からナミビア政府と共同宣言に関して協議を続けていると強調した。
 原告団には、ヘレロ人の最高首長ベクイ・ルコロ(Vekuii Rukoro)氏とナマ人の首長でナマ人の団体の会長でもあるデービッド・フレデリック(David Frederick)氏の他、虐殺を生き延びた人たちの子孫が作った在米の非営利団体などが名を連ねている。


http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2016_02.html
■ 時事解説:永原陽子「植民地期ナミビアでの大虐殺に関する対独補償要求」
『アフリカレポート』ジェトロ・アジア経済研究所、2016年 No.54、pp.13-18


http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=210627
「中央日報日本語版」 2016年01月11日17時45分
■【噴水台】強者にだけ謝罪するドイツ
 アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』が絶版から70年ぶりの今月8日、ドイツで再出版された。この本は1925年に36歳のヒトラーがミュンヘン暴動で投獄された当時、ナチズムの思想的土台を整理した自叙伝だ。ナチ崩壊後に版権を得た独バイエルン州が出版せず、事実上の禁書だった。しかし昨年末に70年の著作権が消滅すると、ドイツ研究所が激しい反対を押し切って「極右人種主義を防ぐにはナチズムの正確な理解が必要」として再出版したのだ。
 その間、国内外を問わず、『わが闘争』出版禁止は反省するドイツの良心の象徴のように描写されてきた。反省をしない日本とは違い、ドイツはナチズムなら接触さえできないようにこの本を禁止したという論理だった。ところがこの悪名高い本が出てくると、世界メディアは「ナチズムを批判するための措置」という形で再出版も美化している。出版を禁止しても解除してもドイツはいつも模範的な国と見なされているのだ。
 しかし本当にそうだろうか。隠れている歴史を見てみよう。ドイツの醜悪な顔が一つ一つ見えてくる。1904年、ドイツは植民地のナミビアから土地を奪うためにヘレロ族・ナマ族を無惨に殺害した。井戸に毒をまいたという話もある。20世紀初めの人種虐殺だった。ヘレロ族8万人のうち6万5000人、ナマ族2万人の半分の1万人が死亡した。これだけでなくドイツは生存者2000人を強制収容所に入れて人体実験もした。その後、ドイツは遺体を本国で運んで研究用として使用し、2011年に20人の遺骨を本国に返した。
 ドイツ人はあまりにも純真であるためヒトラーという狂った人物にだまされ、悪行を犯したようになっている。しかしドイツ人はヒトラーの登場前から悪魔の人体実験をしていた。
 ドイツは繰り返されるナミビア政府の謝罪要求にもかかわらず、100年が過ぎた2004年に虐殺の事実を認めた。それも首相ではなく経済開発相が演説して一言述べたのがすべてだ。しかし経済的賠償は拒否し続けている。
 日本の否定的なイメージを強化するため、我々は「誠実なドイツ」という虚像を築いて見たいものだけを見ている。もう一つ。それではドイツはなぜユダヤ人だけに頭を下げるか。専門家らの答えはこうだ。「米国内のユダヤ人の影響力が強く、ナミビア人は弱いから」。悲しくもこれが国際社会であり、これが「不都合な真実」だ。日本からきちんと謝罪を受けようとするのなら、我々から強くならなければいけない。

     ナム・ジョンホ論説委員
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「済州4・3事件から70年 大阪への慰霊碑建立目指し募金活動」

2018年08月28日 | 個人史・地域史・世界史
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/07/27/0200000000AJP20180727002900882.HTML
「聯合ニュース」 2018/07/27 15:38
■済州4・3事件から70年 大阪への慰霊碑建立目指し募金活動
【済州聯合ニュース】朝鮮半島の南側だけでの総選挙実施は南北分断を固定化するとして反対した民衆の一部が済州島で武装蜂起し、軍や警察が多くの島民を虐殺した1948年の「済州島4・3事件」から70年を迎え、在日本済州4・3事件犠牲者遺族会などが大阪市天王寺区の統国寺への犠牲者慰霊碑建立を推進する。

【写真】記者会見する呉光現氏(中央)ら実行委員会関係者=27日、済州(聯合ニュース)

 遺族会などでつくる在日本済州4・3犠牲者慰霊碑建立実行委員会は27日、韓国南部の済州島で記者会見し、建立計画を説明するとともに、建立費用350万円を集めるため募金活動を行うと明らかにした。統国寺は在日コリアンの寺で、慰霊碑建立の敷地を提供する。
 大阪には日本帝国主義の時代から1950年代にかけ、多くの済州島民が移住した。4・3事件で被害に遭った在日コリアン1世やその子孫も多く居住している。
 大阪に暮らす済州島出身者らは、事件50周年の1998年から犠牲者の慰霊祭を毎年開いており、真相究明にも取り組んできた。
 遺族会の呉光現(オ・グァンヒョン)会長は「大阪は済州と密接な歴史的関係がある。日本でも事件を記憶し、平和と人権の大切さを思い起こさせるため、慰霊碑の建立を目指している」と述べた。


http://japanese.joins.com/article/534/243534.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
「中央日報日本語版」 2018年07月27日17時03分
■大阪に済州4.3犠牲者慰霊碑設置を推進
 済州(チェジュ)4.3事件から70年を迎え、大阪に済州4.3犠牲者慰霊碑を設置する市民運動が進められる。
 在日本済州4.3犠牲者慰霊碑設置実行委員会は27日午前11時、済州道議会「道民の部屋」で記者会見し、「済州と縁が深い大阪で済州4.3を長く記憶して残すために慰霊碑を設置する」と明らかにした。
 在日コリアンと日本市民、済州道民の参加で進行されるこの事業は350万円の募金を目標に大阪市天王寺区にある在日コリアンの寺「統国寺」に4.3慰霊碑を設置する内容で推進される。
 委員会側は「日本の中で済州の人たちが最も多く居住する大阪で過去20年間、済州4.3慰霊祭などを開催した」とし「大阪にも済州4.3の恨がある。こうようなところに4.3犠牲者慰霊碑を設置しようということ」と説明した。
 済州4.3事件は1948年4月3日に警察および右翼青年団の弾圧中止と単独政府樹立反対などを掲げて起きた済州の武装蜂起とその後に続いた武力衝突、そして鎮圧の過程で多くの住民が犠牲になった事態をいう。この過程で2万5000-3万人が虐殺され、弾圧を避けるために多くの済州住民が大阪に避難した。
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「南北、年内の離散家族再会を協議…早ければ10月末に行われる見込み」

2018年08月27日 | 個人史・地域史・世界史
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31461.html
「The Hankyoreh」 2018-08-27 09:26
■南北、年内の離散家族再会を協議…早ければ10月末に行われる見込み
 パク・ギョンソ大韓赤十字社社会長の記者会見

【写真】パク・ギョンソ大韓赤十字社会長が今月25日午後、金剛山離散家族面会所で、8・15を機に開かれた第21回離散家族再会行事(2回目)と関連し、取材陣と会見を行なっている/聯合ニュース

 南北の離散家族が、早ければ今年10月末に開催される追加の再会行事で会うことができる見込みだ。
 パク・ギョンソ大韓赤十字社会長は25日、金剛山で記者会見を開き、「パク・ヨンイル北側団長と(今回の)21回目の行事と同じ方式の離散家族再会行事を、今年中にもう一度開くことで合意した」とし、「具体的な日程などは局長級実務会談で協議することにした」と明らかにした。さらに、「規模は大体今回と同じくする」とし、「年内にすると言ったが、天候などを考慮し、うまく進めば、10月末頃(になる見込み)」だと付け加えた。
 パク会長は、南北が年内の追加の離散家族再会の必要性について、かなり意見が接近したと強調した。彼は「1年で離散家族3000~4000人が亡くなっている。おそらく7~10年後には、離散家族再会がこのような形で開くのは難しくなるだろう」とし、「人道主義に立脚した協力事業を推進する者として、離散家族再会に最も優先順位を置いている」と付け加えた。パク会長は金鋼山離散家族面会所をより積極的に活用するとし、南北離散家族の生死確認と定例再会、画像再会、故郷訪問、墓参りなどの問題について意見を交換したと明らかにした。
 パク会長は特に「パク団長と諸々の環境が整えば、故郷訪問団(交換)をなるべく早いうちに進めることについて、肯定的な協議ができた」と述べた。しかし、北側と故郷訪問団問題と関連し、具体的にどの程度の意見の接近が行われたかについてはまだ確認されていない。

【写真】第21回離散家族再会行事(2回目)最終日の26日午後、金剛山ホテルで南側の家族がバスに乗って先に出発する北側の家族の手を握りしめ別れを惜しんでいる=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

金剛山/共同取材団、キム・ジウン記者
http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/859246.html
韓国語原文入力:2018-08-26 19:47


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/26/0200000000AJP20180826000200882.HTML
「聯合ニュース」 2018/08/26 10:24
■南北離散家族再会行事 全日程がきょう終了
【金剛山(共同取材団)、ソウル聯合ニュース】朝鮮戦争などで生き別れになった韓国と北朝鮮の離散家族の再会行事の全日程が26日、終了する。

【写真】24日に行われた団体面会で、再会を果たし涙を流す離散家族(ニュース通信取材団)=(聯合ニュース)

 再会行事は北朝鮮の景勝地・金剛山で20日から開催され、3日ずつ2回に分けて進められた。
 20~22日の1回目の行事では、韓国側で参加を申し込んだ離散家族が北朝鮮の肉親と再会を果たした。
 2回目の行事は24日に始まり、北朝鮮側で参加を申し込んだ離散家族が韓国の肉親と再会。最終日の26日は団体面会の後、参加者全員で昼食を取る。
 韓国側参加者は午後1時半ごろバスで金剛山を出発し、韓国に戻る。

【写真】2日目の25日は、韓国側参加者が宿泊するホテルの各自の個室で、家族だけで過ごす時間も設けられた(ニュース通信取材団)=(聯合ニュース)


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/24/0200000000AJP20180824003500882.HTML
「聯合ニュース」 2018/08/24 16:47
■南北離散家族再会行事の第2陣 団体面会を開始
【金剛山(共同取材団)、ソウル聯合ニュース】朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の2回目の再会行事が24日、朝鮮南東部の金剛山で始まった。この日午後3時15分から金剛山の離散家族面会所で行われた団体面会で、韓国側の81家族326人が北朝鮮側の家族と約65年ぶりの再会を果たした。

【写真】金剛山に向け出発する韓国側の離散家族(ニュース通信取材団)=24日、束草(聯合ニュース)

 20~22日に行われた1回目の行事では、韓国側で参加を申し込んだ離散家族が北朝鮮の肉親と再会。この日から26日までの2回目の再会行事では北朝鮮側で参加を申し込んだ離散家族が韓国側の肉親に会う。
 行事への参加の連絡を受ける約2カ月前に母親が亡くなり、この日、北朝鮮で暮らす父親と再会した参加者は、「一方ではうれしく、一方では残念だ」と複雑な心境を明かした。
 韓国側の最高齢者は100歳の女性で、北朝鮮の妹家族に会った。
 参加者は団体面会に続いて歓迎夕食会で再び離散し家族らと共に時間を過ごし、25日は個別面会とホテルの個室での昼食、団体面会を行う。最終日には別れの面会の後に全員で昼食を取る。2泊3日の間、計12時間にわたり共に過ごす予定だ。
 韓国側の訪問団はこの日午前、北東部の江原道・束草を出発し、陸路で金剛山に到着した。


http://japan.hani.co.kr/arti/culture/31452.html
「The Hankyoreh」 2018-08-25 12:36
■[インタビュー]「ロンドンのコリアンタウンでは南北住民が同じコミュニティで生活」
 英国SOAS大学の研究者のソン・チョロン氏 
 「脱北民の適応における音楽の役割」を発表 
 韓国人が営む食堂・スーパーで 
 脱北民たちが掃除・サービングなどスタッフとして働く

【写真】論文「音楽を通じての治癒と再構成:ロンドンの北朝鮮離脱民たち」を書いたソン・チョロン氏が21日午前、ソウル瑞草洞の国立国楽院でインタビューに応じている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 「現在、英国に約700人の脱北民がおり、このうち500人余りがロンドンのコリアンタウンであるニューモルデンに住んでいます。南北の住民が一緒に暮らしているから、コリアン行事で必ず出てくる歌は『故郷の春』や『われらの願い』『アリラン』です」。
 21~23日、ソウル瑞草区の国立国楽院で行われた「2018 ICTM MEA国際学術大会」に参加した英国のロンドン大学東洋アフリカ大(SOAS)音楽人類学博士課程研究員のソン・チョロン氏(32)が見るに、コリアン約2万人が住むニューモルデンはすでに南北統一が成された未来の都市のようだ。南北の住民が緊密な関係をもって暮らし、『アリラン』を合唱することが自然だったからだ。
 「英国内のコリアンたちの音楽と文化生活」を3年間研究中の彼女は、今回の学術大会で細部テーマの一つである「音楽を通じての治癒と再構成:ロンドンの北朝鮮離脱民たち」を発表した。ロンドンに居住する脱北民たちがコリアン文化に適応していく過程での音楽の役割を指摘した研究だ。
 21日、国立国楽院で会ったソン研究員は、「私の専攻の音楽人類学は、音楽と文化を見るもの」だとし、「米国・日本・中国のコリアン文化研究は多いが、欧州は珍しく、南北のコリアンが一つのコミュニティで生活するということが興味深くて研究を始めた」と話した。
 欧州行きを選んだ脱北民たちが特にニューモルデンに集中するのは、難民申請が比較的容易だからだ。英国政府は2004年から脱北民を難民と認めている。欧州で唯一コリアンタウンが形成されており、言語の障害なく就職することもできる。脱北民たちは主にコリアンが運営するレストランやスーパーでサービング、掃除のような低賃金単純労働をする。脱北民がいなければ英国の同胞社会が回らないというほどで、南北の住民が互いに頼りあう部分が大きい。「脱北民たちを深層面接した結果、彼らが英国を選んだ理由は大きく三つでした。福祉、子どもの教育、脱北民ではなく『コリアン』と見る認識です。英語を学ぶことができ、子どもが偏見なく育つという点で、韓国ではなくここに来るのです」
 ロンドンで4年間暮らしながら見守ってきた結果、南北の住民が立場を分ける障壁は見当たらなかった。脱北民の99%はコリアンの教会に通いながらすぐに適応した。南北の中高年層はさまざまな集まりで賛美歌・民謡・トロット(演歌)を歌って交わった。お互いが知らない南北の文化は、ユーチューブを通じて知り合ったりもする。「言語が同じなのですぐ仲良くなり、食べ物を一緒に食べるので『同じ釜の飯を食う情』が築かれるんです。韓国の『舟歌』を北朝鮮では『海の歌』というのですが、別の歌だと思っていたのが皆が知っている歌だったと知ったとき、私たちが同じ民族であることを感じます」
 脱北民たちは子どもたちが英国社会に適応して暮らしながらもコリアンとしてのアイデンティティを持つことを望んだ。北朝鮮の体制が嫌で離れただけで、いつかは故郷に帰る気持ちがあるからだ。「幼い時に受けた文化教育がアイデンティティを確立するうえで力になります。ところがハンギョレ(同胞)学校には音楽の授業がありません。ロンドンのコリアン学校でもサムルノリ(民族打楽器)を教えるのが全てです。私は音楽教師の資格証があるのでハンギョレ学校で一定期間『丸く丸く』など童謡を教えてみたところ、童謡を学んだ子どもたちは学んでいない子どもたちより韓国に対する愛着が強くなったのを確認できました」
 今回の研究を通して彼女が感じたのは、北朝鮮に対する関心が増えたにもかかわらず、韓国社会が依然として統一時代に備えていないという点だ。ロンドンのコリアンタウンの一員である脱北民に対する関心と支援が足りないうえに、南北の子どもたちにとって朝鮮民族というアイデンティティを育てることのできる幼年期の文化教育もきちんと行われていない。ソン研究員は「統一された未来を思い描いてみるだけでも、海外にいるコリアンや脱北民たちに関心を傾ける必要がある」と話した。

キム・ミヨン記者、写真パク・ジョンシク記者
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/859133.html
韓国語原文入力:2018-08-24 19:38
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「戦争遺跡保護に歴史認識の壁 九州の1000件中、対象は65件 割れる評価、行政及び腰」

2018年08月27日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/441550/
「西日本新聞朝刊」 2018年08月16日 06時00分
■戦争遺跡保護に歴史認識の壁 九州の1000件中、対象は65件 割れる評価、行政及び腰

【写真】大分県宇佐市が史跡指定している宇佐海軍航空隊落下傘整備所。外壁には機銃掃射の痕が残る(宇佐市教育委員会提供)
【写真】熊本市内の竹林から見つかった飛行機の格納施設「掩体壕」の遺構。中央の窪地に機体を置き、敵機から隠す屋根もあったという。造成予定地でいずれ消失する見通しだ
 敗戦から73年がたち、戦禍の記憶が薄れる中、旧日本軍の施設遺構など「戦争遺跡」の保護の在り方が課題になっている。軍事的要衝が点在した九州には千件以上の戦跡が残るとされるが、文化財保護法に基づく保護対象となっているのは九州7県で計65件にとどまる。国の保存基準がなく、文化財としての価値判断が困難と考える傾向が自治体にあるほか、戦跡によっては日本の加害責任を巡る歴史認識の違いから市民の反発を招く懸念もあり、行政側が及び腰になっている事情がある。
 戦争遺跡は一般的に太平洋戦争終結までに建造された軍の司令部や飛行場、軍需工場跡などを指すが、公的な定義はなく文化庁も集約していない。自治体の把握状況もまちまちで、西日本新聞が九州各県に確認したところ、福岡505件(暫定数)、長崎56件、宮崎46件。大分、熊本、鹿児島、佐賀は未把握だった。
 戦跡を保護する場合、その他の文化財と同様、文化財保護法に基づき学術的価値の裏付けなど一定の条件下で国や自治体の文化財指定などを受けるのが一般的。原爆遺構で構成する「長崎原爆遺跡」など国史跡に指定されたケースもある。
 現在、保護対象となっている九州の戦跡は計65件。内訳は福岡25件、長崎3件、熊本1件、大分9件、鹿児島25件、宮崎2件、佐賀はゼロだった。しかし、民間研究団体「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」などの調査では熊本約700件、大分約100件が判明しており、九州全体では優に千件を上回る戦跡があるとみられる。
 保護が進まない背景には、考古学などの知見が蓄積した古代や中世の遺跡に比べ、戦跡は学術的価値を判断しにくいと考える自治体側の事情もある。長崎県川棚町は水上特攻艇が訓練した「川棚魚雷艇訓練所跡」について、「詳しい史料が残っておらず住民に保護を求める声も少ない」として保護措置を取っていない。
 一方、特攻隊の中継基地となった旧陸軍大刀洗飛行場跡がある福岡県筑前町は「戦争について『自衛』『侵略』といった認識の違いで戦跡の評価が分かれることもあり、積極的に保護してこなかった」と説明。現在、保護の網がかかっていない「三菱重工業熊本航空機製作所」(熊本市)の地下工場跡も、朝鮮人への強制労働など加害の歴史を抱えるとされる。こうした現状に対して文化庁職員は「政治的にデリケートな面がある。国が自治体に保護を促すのは難しい」と明かす。
 調査が不十分なまま解体や老朽化が進む例も。熊本市東区の私有地では1月、敵襲から飛行機を隠す格納施設「掩体壕(えんたいごう)」(幅最大20メートル)の遺構が竹林伐採を機に確認された。民間団体の調査で、米軍から沖縄の飛行場を奪還する「義烈空挺(くうてい)隊」が出撃した旧健軍飛行場関連の唯一の遺構と判明。団体は市に発掘調査や記録保存を要望したが、市は「国の保存基準はなく価値も定まっていない」として応じていない。造成予定地のため、このままでは遺構は消失する見通しだ。
 一方、特攻隊が編成された宇佐海軍航空隊の遺構が残る大分県宇佐市は保存に熱心だ。落下傘を製造したとされる建物など7件を文化財として保護。市教育委員会は2015年度に空襲跡が残る小学校の塀をはじめ戦跡29件の保存整備計画を作り、観光にも生かすという。担当者は「戦跡は戦争の脅威や悲劇を伝える格好の存在。住民の保存への意識も高い」と説明する。

 福岡県教委は昨年9月、戦跡の場所や保存状況の調査を開始。19年度に報告書をまとめ、価値が高い戦跡は市町村に保護を促す。九州の戦跡に詳しい「戦争遺跡保存全国ネットワーク」の高谷和生さん(63)は「いよいよ戦争経験者が減る中、歴史の検証材料となる戦跡の価値を行政はもっと見直すべきだ。住民も積極的に働き掛けてほしい」と訴えている。


http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/3390
「東愛知新聞」2018年08月19日00:00掲載
■豊川で戦争遺跡保存全国シンポ開幕

【写真】市内外から大勢の人が参加した戦争遺跡保存全国シンポジウム=豊川市勤労福祉会館で
【写真】県内に残された記念碑の視点で戦争を語る伊藤氏=同

 戦争遺跡保存全国ネットワークによる「第22回戦争遺跡保存全国シンポジウム愛知豊川大会」(東愛知新聞社後援)が18日、豊川市内で開幕した。6月9日の豊川海軍工廠(しょう)平和公園の開園にちなんで、豊川市では初開催。市内外から関係者や一般市民が集まり、あす20日までの3日間にわたり戦争や遺跡保存を考える。
 初日は市勤労福祉会館で全体集会が開かれ、約150人が出席した。
 名古屋市教育委員会の学芸員・伊藤厚史氏が「愛知県の戦争記念碑からみた戦争と国民」の演題で記念講演。国民の戦意高揚のため、当時の政府や軍隊が県内各地に展示した戦利品や廃兵器、軍人や天皇の像、凱旋(がいせん)門や令旨碑などを紹介し、今後も戦争の実像を後世に伝えていくための調査や視点を投げかけた。基調報告では、戦争遺跡保存全国ネットワーク共同代表の出原恵三氏が全国での遺跡の保護や調査、保存運動の現状を伝えた。
 地域報告では、20年以上も前から平和公園の開園に向けて活動してきた「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」の伊藤泰正会長が、開園までの経緯などを報告。まだ遺跡が残る公園東側6㌶の工業用地化などを課題に挙げ、今後は公園化されていない部分の保存活用などを市に要請していく方針を示し「若い人にも入ってもらい、若い知恵で新しい風を吹かせてほしい」と期待した。
 きょう19日は同館で、遺跡保存運動の現状と課題などをテーマに分科会を実施。あす20日はバスツアーで平和公園と関連施設、渥美半島の遺跡を見学する。
 愛知県では2008年の名古屋市大会以来10年ぶりの開催で、来年は熊本市で予定している。
     由本裕貴
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