三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

追悼 李陽雨

2020年11月08日 | 個人史・地域史・世界史
 追悼 李陽雨

 2019年5月20日、李陽雨(イヤンウ)さんが亡くなられた。
 一昨年(2017年)は、体調がよくないので追悼集会には参加できないと思う、と連絡をくださった。
 昨年(2018年)初秋、ことしは体調がいいから久しぶりに追悼集会に参加します、とメールをいただいた。車での長い道中、気を付けてくださいと返信した。
 昨年11月の追悼集会には来られなかった。どうしましたか、とメールを送ったが返信がなく、体調が悪いのだろうと考えていた。
 手術をしたが経過はいいと聞いていたので、ただ体調が悪いのだ、と考えていた。
 日に焼け頑健なからだつき。病気で倒れるとは考えなかった。

 李陽雨さんは、2011年、2012年、2013年の追悼集会に参加してくださった。各地での朝鮮人を追悼する集いに参加し、うたで追悼の気もちをあらわした。
 2012年6月22日には、沖縄読谷村座喜味の読谷村文化センターで開かれた追悼集会で、李陽雨さんにお会いした。無念に亡くなられた人たちを追悼する李陽雨さんのうたは、読谷村でもひびいた。
 同じ時代を日本で生きてきた。李陽雨さんは山口県下関で。わたしは和歌山で。
李陽雨さんのアボニム、オモニムは、なぜ下関に住むことになったのだろうか? 
ちがう地域で生きてきた朝鮮人とある日、ある場所で出会うと、その人のそれまでの来し方を知りたいと思う。
 李陽雨さんは同じ世代であるし、また機会があると思い、聞かなかった。心残りである。李陽雨さんのアボニム、オモニムは、いつ日本に来られたのだろうか? 
                                                                                             金靜美   2019年10月記 
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もくれんの会のひとたちとともに  2019年4月29日

2020年11月08日 | 個人史・地域史・世界史
もくれんの会のひとたちとともに  2019年4月29日
                            金靜美

 2019年4月29日、もくれんの会、宝塚市外国人市民文化交流協会の人たち7人が、李基允氏と裵相度氏を追悼する碑と、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の碑を訪ねました。
 1939年3月26日、旧福知山線改良敷設工事の事故で、ふたりの朝鮮人が亡くなり、数人の朝鮮人が重軽傷を負いました。
 もくれんの会は、旧福知山線改良敷設工事、神戸水道建設工事で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建てるために発会しました。もくれんの会共同代表のひとりである金禮坤さんは、これまで熊野の追悼集会に何回も参加している郭政義さんから話を聞き、熊野に行こうと考えたそうです。
 旧福知山線敷設工事で亡くなった人たちの碑(「殉難者之碑」)は、地元青年団が1979年に建て、20人の名前が刻まれていますが、すべて日本人だということです。
 金禮坤さんに2020年10月29日、電話でお話を聞きました。
 以下は、その内容です。

 “碑は建ったが、コロナウイルス感染症のため、除幕式は2021年3月26日に延期しました。
 石は韓国から運びました。碑には、漢詩にある「越鳥南枝」という文字とともに、旧福知山線改良敷設工事で亡くなったふたり、尹吉文(21 歳)さんと呉伊根(25 歳)さん、神戸水道建設工事で亡くなった3人、金炳順さん、南益三さん、張長守さんの名前を刻みました”。
 「越鳥南枝」ということばは、金禮坤さんが選び、文字も書いたそうです。そのことを、金禮坤さんは、「旅立った鳥は、故郷のある南に行きたくて南のほうを向いた枝に巣をかける。朝鮮人も故郷に戻りたかっただろう、という思いを込めて」と話しました。
 旧福知山線改良敷設工事で朝鮮人が亡くなったことは、さいしょ、金禮坤さんの弟さんである金相坤さんが、かつて事故があったあたり、木元(このもと)地蔵の近くで、親しくなった地元の人から話を聞いたそうです。
金相坤さんは土木技師で、測量のために何回もその地域に行っていたそうです。地元の人は、金相坤さんに、“こんな話をあんたにしていいんかな”といいながら、“事故で朝鮮人のからだがばらばらになった。(話を聞いた目の前)そこで火葬にした”と話したそうです。
 金相坤さんは、このことはきちっと調べなければいけないと考え、宝塚に住み朝鮮人の歴史を調べていた鄭鴻永さんを訪ねて、自分が聞いた話をしました。

 鄭鴻永さんは、神戸地域で朝鮮人の歴史を調べていた人たちとも協力し、旧福知山線改良敷設工事などのことを調べました。のち、鄭鴻永さんは、旧福知山線改良敷設工事のこともふくめ、宝塚の朝鮮人の歴史をたんねんに明らかにした『歌劇の街のもうひとつの歴史一宝塚と朝鮮人一』(神戸学生青年センター、1997年)を出しました。
 鄭鴻永さんは、日本の各地域に残る日本の朝鮮植民地支配の足跡―朝鮮人労働の現場―を、兵庫地域を中心に、仲間たちと先駆的に調査をはじめたひとです。鄭鴻永さん(1929年―2000年)とは、筆者も朝鮮人強制連行・強制労働関係の集会で何回かお会いしました。
 金相坤さん(1935年生まれ)、鄭鴻永さん(1929年生まれ)、そして、金禮坤さん(1933年生まれ)につながり、多くの人たちの協力と賛同を得て建立された朝鮮人を追悼する碑。
 日本では、地域に残る朝鮮人の歴史の跡を、認めない、隠す、ということが数多くあります。朝鮮人が日本の各地域で働きいのちを亡くした、という歴史の事実がそこに住む人たちの地道な努力で明らかにされ、碑に刻まれた名前が、かれらが生きた時代の歴史をのちの世代に伝えていきます。

参考:『우리고장 たからづか』宝塚市、1999年。
   『地球人 宝塚』宝塚市外国人市民文化交流協会、2019年7月・2020年7月。

 この原稿を書くさいに、金禮坤さんからていねいにおしえていただきました。ありがとうございます。
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展示会の名称を変更するとともに案内チラシの第2案を撤回してください

2020年11月04日 | 個人史・地域史・世界史
■展示会の名称を変更するとともに案内チラシの第2案を撤回してください■

  大阪で開かれようとしている日本の侵略の歴史を伝える展示会の実行委員会さま

      三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
      紀州鉱山の真実を明らかにする会
      海南島近現代史研究会
                           2019年3月9日

■展示会の名称(「アジアから見た日本の戦争」展、「アジアから問われる日本の戦争」展)批判  
 改悪ピースおおさかの展示に対抗する民衆の展示会開催にあたっては、すべての民衆運動においてと同じく、できるかぎり学習し、考えを深め、コトバを厳密に使わなければならないのではないでしょうか。
  ① アジアは地域名である。
   人は問うことができるが地域は問うことはできない。地域は何かを見ることはできない。
  ②アジアというコトバは、東アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、中央アジア、北アジア
  を示すコトバであり、日本が侵略した太平洋地域はふくまれていない。 
  ③ 日本が侵略した地域は東アジア、東南アジア、南アジア、太平洋地域である。
  ④ アジアには日本もふくまれている。
  ⑤ 「アジアから問われる」という表現は、被侵略地の民衆にたいする日本の戦争の侵略犯罪の
重大さを軽減している。侵略を体験した被侵略地の民衆は、問うているだけなのか。

 「アジアから見た日本の戦争」展という名称も、「アジアから問われる日本の戦争」展という名称も、日本はアジアにふくまれていない、あるいはじぶんたちは他のアジア諸国・地域とはことなる、という考えが前提にあります。
 アジアに日本をふくめないという考えは、「脱亜」という侵略思想に根を持ち、日本を「盟主」とする「大東亜共栄圏」構想にいたりました。「大東亜共栄圏」をスローガンとして、日本政府と日本軍は、アジア太平洋地域を侵略しました。
 日本のアジア太平洋地域の植民地化・侵略戦争を反省し、日本の子どもたちにも歴史的事実を知らせようとする展示会に、「脱亜入欧」を連想させる名称を使っていいのでしょうか? 「アジアから見た……」、「アジアから問われる……」という名称には、日本は他のアジア諸国・地域とは違う、という意識がふくまれており、排外・差別思想が根底にあるのではないでしょうか?

■第2案表面批判
 第1案につづいて第2案が出されましたが、このような案が次々に出されてくる根本を変えていかなければならないのではないでしょうか。
 住民虐殺、略奪、村落・都市破壊、性犯罪、無差別空爆……をくりかえした「日本の戦争」のパネル展示の案内に「狛犬の写真」一枚を選んだ実行委員会事務局は、第1案にあの醜悪な絵一枚を選んだ思想・感性をそのまま維持しているのではありませんか。
 展示会のことを広く知らせようとする展示会案内チラシには、その展示会の内容をできるだけ詳細に書き入れなければならないと思います。
 しかし、この第2案では、実行委員会事務局は、[展示内容]の箇所に、「南京大虐殺」、「強制連行・強制動員」、「日本軍「慰安婦」問題」、「朝鮮の植民地支配」、「三・一独立運動」、「沖縄・基地」、「朝鮮学校」、「フクシマ」、「etc……」というコトバを並べているだけです。
 歴史的意味の背反する「朝鮮の植民地支配」(国民国家日本の国家犯罪)と「三・一独立運動」(朝鮮民衆の抗日反日独立闘争)が並べられており、「日本の戦争」とはいえない「フクシマ」が並べられています。
 「フクシマ」は重大な問題です。「フクシマ」の問題をパネル展示することは大きな意味のあることです。そうであるならば、それを「日本の戦争」の枠内で展示するのではなく、「「……日本の戦争」展」という展示会の名称も実行委員会の名称も、変更しなければならないのではないでしょうか。
 「朝鮮の植民地支配」は、日本の戦争犯罪ではなく、日本の他地域他国侵略犯罪です。
 「三・一独立運動」は、日本の植民地支配に抗する運動です。
 「朝鮮の植民地支配」や「三・一独立運動」をパネル展示する展示会の名称を「「……日本の戦争」展」とすることは、関心を持つ人を混乱させかねないのではないかと思います。
 「「……日本の戦争」展」の開催日は、今年の4月29日と30日とされています。4月30日は、最悪の戦犯ヒロヒトの死後、天皇となったヒロヒトの子が天皇をやめる日であり、実行委員会は、この日に合わせて開催日を決定したのだと思います。
 ヒロヒトの子は天皇になった直後(1989年1月9日)に、ヒロヒトが「在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念」していたと虚偽をのべ、取り消すことがありませんでした。
 2019年4月30日に日本民衆が開催するパネル展示会の[展示内容]には、「天皇制」(あるいは、「天皇の戦争責任」、「天皇の侵略犯罪」……)を欠落させてはならないのではないでしょうか。

 実行委員会事務局は、狛犬に、「ここには昔、大阪砲兵工廠という東洋一の兵器工場があってな、……中国や朝鮮、アジアの国々を焼き尽くしたんじゃよ」と、歴史事実と違うことを語らせています。日本軍が朝鮮で爆弾を投下したことはありませんでした。
 「国を焼き尽くす」とは、具体的には、どういうことですか。「国」を「焼き尽くす」ことができるのですか? 
 「……工場」が、「中国や朝鮮、アジアの国々を焼き尽くした」という「説明」はなりたちません。

■第2案裏面批判
 第2案裏面の「「アジアから問われる日本の戦争」展」の全文はつぎのとおりです。【 】内の番号数字は、当方が記入。

【一】いま日韓関係が冷え込んでいると言われています。【二】「徴用工」問題、日本軍「慰安婦」問題に代表されるように、過去の戦争と植民地支配をめぐる「歴史認識」の隔たりがその根底にあります。
私たちは過去の歴史をどれだけ直視しているでしょうか?
【三】2013年、「ピースおおさか」はこれまで展示していたほとんどの加害展示を撤去し、被害についても真正面から受け止めるのではなく、差しさわりのないものに差し替えられました。
現在「ピースおおさか」を訪れる見学者(特に子どもたち)は、【四】侵略戦争における残虐な加害の歴史も、また【五】侵略戦争にかり出された日本の人たちが遭遇した不条理な被害の歴史も知らされないまま、【六】誤った「歴史認識」を植え付けられています。
【七】いまほどアジアから「歴史認識」を問われているときはないというのに、新聞やニュースを見ても、教科書を読んでも、アジアからの問いはほとんど載っていないのです。
【八】わたしたちはアジアから問われている本当の「歴史認識」を、市民の手で取り戻す作業を始めたいと思います。
【九】みなさま、ぜひとも「アジアから問われる日本の戦争」展に足をお運びください。

以下で、番号順に疑問を提出しつつ批判します。
【一】日本の侵略の歴史を伝えようとするパネル展示会の案内文の冒頭に「いま日韓関係が冷え込んでいると言われています」と書かれていますが、そのようなことをだれが言っているのですか?
 「日韓関係が冷え込んでいる」とは、どういう事実を言っているのですか?
 この場合、「日韓関係」とは、どのようなことですか?
 朝鮮民衆と日本民衆の関係は、国家間の関係ではありません。日本の国家犯罪の歴史を明らかにし、その歴史的責任を追究している日本民衆と朝鮮民衆の関係は、わずかずつではあるが、深化しつづけています。
 いま、「日韓関係が冷え込んでいる」と宣伝しているのは、日本のマスメディア、日本の排外主義者……です。
 「いま日韓関係が冷え込んでいると言われています」というコトバは、現日本政府と日本企業の侵略犯罪隠蔽に協力している日本のマスメディアなどの悪質な宣伝に加担しているコトバだと思います。
 いま、朝鮮民衆と日本民衆の関係は、強まっています。朝鮮女性を日本陸海軍、日本政府が組織的に“軍隊性奴隷”とした歴史的事実を隠蔽・否認しているのは、日本政府、右翼日本ナショナリストです。植民地朝鮮から住民を強制連行し強制労働させたのは、日本政府、日本企業です。
 その日本政府、日本企業、日本軍にたいして、事実を明らかにし、責任者処罰を要求し、謝罪と賠償を要求するのは、朝鮮民衆にとっても日本民衆にとっても当然のことだと思います。

【二】「「徴用工」問題、日本軍「慰安婦」問題に代表されるように、過去の戦争と植民地支配をめぐる「歴史認識」の隔たりがその根底にあります」と書かれていますが、意味がよくわからない文です。
  実行委員会事務局は、「「徴用工」問題、日本軍「慰安婦」問題」が何を「代表」していると言っているのですか?
 「その根底にあります」という「その」とは何ですか?  
 「「歴史認識」の隔たり」とは何ですか?
 国民国家日本の侵略犯罪にかかわる諸問題(「慰安婦問題」、「強制連行問題」、「住民虐殺問題」、「資源略奪問題」、「土地略奪問題」……)は、国家間ではなく日本国家の問題であり、社会正義の問題であり、歴史的責任を有する国家の国民がナショナリズムを克服することが問われている問題です。

【三】「被害についても真正面から受け止めるのではなく、差しさわりのないものに差し替えられました」と書かれていますが、この場合の「差しさわりのないもの」とは、具体的にはどういうものなのですか。

【四】「残虐な加害の歴史」というコトバにつけられている「残虐な」は、不要です。
 加害はすべて残虐です。

【五】「侵略戦争にかり出された日本の人たちが遭遇した不条理な被害の歴史も知らされないまま」と実行委員会事務局は書いていますが、「不条理」というコトバで実行委員会事務局は何を言おうとしているのですか?
 「侵略戦争にかり出された日本の人たち」とは、どのような「日本の人たち」ですか? アメリカ合州国軍機の爆撃で殺傷されたウルマネシアからアイヌモシリにいたる地域の幼児、子どもたちもふくまれているのですか?

【六】「現在「ピースおおさか」を訪れる見学者(特に子どもたち)」は、「誤った「歴史認識」を植え付けられています」と、何を根拠にして断定しているのですか? 「歴史認識」を「植え付ける」とはどういうことですか?
 だれが、どのように「植え付けて」いるというのですか?

【七】実行委員会事務局は、「新聞やニュースを見ても、教科書を読んでも、アジアからの問いはほとんど載っていないのです」と書いています。
 しかし、アジア太平洋民衆の日本の侵略犯罪にたいする怒りが反映している報道が、毎日のように日本のマスメディアによってもなされています。「ほとんど載っていない」のではありません。日本のマスメディアの報道を読みとって、アジア太平洋の民衆の声を聞きとるようにしなければならないのだと思います。
 いま、世界のマスメディアの報道を日本で受けとるのはかなり容易になっています。日本語での報道も少なくありません。
 「ほとんど載っていないのです」というのは、事実ではありません。

【八】「わたしたちはアジアから問われている本当の「歴史認識」を、市民の手で取り戻す作業を始めたいと思います」と書かれていますが、「アジアから問われている本当の「歴史認識」」というコトバで実行委員会事務局が何を言おうとしているのか、よくわかりません。
 「本当の「歴史認識」」とは何ですか? 
 「歴史認識」を「取り戻す」とはどういうことですか?
【九】「足をお運びください」は、障がい者差別表現ではないですか?
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「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判

2020年11月03日 | 個人史・地域史・世界史
■「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判■
 2018年11月17日の文書での、設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会から、「仮称「おおさか平和のための戦争展」を開きませんか?」という呼びかけに応じて、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会から竹本昇が、海南島近現代史研究会から斉藤日出治が、2018年⒓月17日に開催された「おおさか平和のための戦争展(仮称)」の第一回準備会に参加しました。
 2019年1月29日に「おおさか平和のための戦争展(仮称)」の第二回準備会が開催され、「おおさか平和のための戦争展(仮称)」という名称が、「アジアから見た日本の戦争」展(仮称)」に変えられ、その実行委員会が発足しました。2月5日の実行委員会で、展示会の名称が、「「アジアから見た日本の戦争」展」と決定されました。その後、2月26日の実行委員会で、展示会の名称が「アジアから問われる日本の戦争」展」に変更されました。
 以下は、2019年2月19日に書いた「「日本の戦争」展のための20項目 日本人が開催しようとしている「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判」と2019年4月23日に書いた「改悪ピースおおさかに対決する民衆の展示会について 続:日本人が開催しようとしている「アジアから問われる日本の戦争」という名の展示会批判」の要約です。
 日本人が「アジアから見る日本の戦争」あるいは「アジアから問われる日本の戦争」と言う、その「アジア」には「日本」は入ってません。そのような名称をかかげる展示会を批判する本稿の【一】、【二】、【三】において、筆者はアジア人と日本人を区別しています。
                              佐藤正人


【一】歴史的事実はひとつである。アジア人にとっての日本の戦争と日本人にとっての日本の戦争は同じ歴史的事実である。しかし、日本の戦争という歴史的事実におけるアジア人の経験と日本人の経験は同じではない。
【二】「アジアから見た日本の戦争」という言葉は、アジア人にとっての日本の戦争と日本人にとっての日本の戦争が別個の歴史的事実であるかのような虚偽を語る言葉である。
【三】日本人は、アジア人の経験した日本の戦争を語ることも「展示」することもできない。日本人は、日本人の経験した日本の戦争を語り「展示」しなければならない。
【四】日本の戦争は日本の国家犯罪である。
   日本の戦争は植民地獲得戦争であり他地域他国侵略戦争であった。
   国民国家日本の歴史は他地域他国侵略・植民地支配の歴史であった。
   日本政府・日本軍・日本企業は、侵略犯罪の歴史を終らせていない。
   日本民衆は、日本国家の他地域他国侵略に加担してきた。
   日本民衆は、日本国家の侵略犯罪を、隠蔽・消去させてはならない。
【五】改悪ピースおおさかの展示に対抗する、日本における民衆の「日本の戦争」の展示の基本主題は、国民国家日本の侵略犯罪、すなわち国民国家日本の他地域他国侵略と植民地支配である。
   展示実行委員会は、日本の戦争展準備の初期段階で、展示すべきパネルのリストを作成するという課題を実行するにはどうしたらいいかを検討しなければならない。
   おそらく、その主題は少なくても数百、パネルは少なくても数千枚になるだろう。
   そのうちから、実力いっぱいの展示を開始し、徐々に実力をつよめて、植民地歴史博物館(ソウル)、日帝強制動員歴史館(釜山)、植民地歴史博物館(ソウル)、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(ハルビン)のような展示館・陳列館・歴史館・博物館の設立を展望しよう。
【六】主題1:アジア太平洋民衆の抗日反日戦争(甲午農民戦争、義和団戦争、抗日義兵戦争)、アジア太平洋民衆の抗日反日闘争。
【七】主題2:アイヌモシリ植民地化、琉球王国植民地化、台湾侵略、朝鮮侵略、オキナワ戦、労働強制・強制連行(暴行死・事故死・病死・餓死)、住民虐殺(旅順、佳里・花蓮・埔里・枕頭山・「霧社」地域など台湾各地、江西・密陽・孟山・陝川・定州・南原・堤岩里など朝鮮各地、インノケンチェフスカヤ・イワノフカなどシベリア各地、間島、日本関東、平頂山など中国東北部各地、陽高などモンゴル各地、上海・南京など中国各地、海南島各地、香港、マラヤ各地、シンガポール、インドネシア各地、フィリピン各地、太平洋各地……)、無差別大量殺人(空爆:台湾「蕃地」に日本陸軍機爆弾投下〈1917年7月~8月。11回〉、台湾霧社烽起にたいし爆弾・毒ガス弾・焼夷弾投下〈1930年11月〉、中国東北部錦州爆撃〈日本軍のはじめての市街地爆撃。1931年10月〉、上海・蘇州・杭州爆撃〈1932年1月。日本海軍機〉、上海・蘇州・杭州・南京・徐州、広東、武漢、南昌、長沙、福州、開封、重慶、成都、桂林、昆明、蘭州爆撃〈1937年8月〉、重慶爆撃〈台湾・九州・済州島の日本軍基地から。1938年10月~1943年8月。218回。死者1万1889人、ほかに圧死者・窒息者数千人)、資源略奪、文化破壊、性奴隷化、生物兵器・化学兵器使用、731部隊の犯罪(人体実験……)、天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家・日本軍の他地域・他国侵略……。  
【八】国民国家日本の他地域他国侵略犯罪史年表共同作成。
【九】世界侵略犯罪史年表共同作成。
【十】主題3:シオニストのパレスティナ侵略犯罪、スペイン・ポルトガル・オランダ・イングランド・ドイツ・フランス・ベルギー、イタリア、アメリカ合州国……の侵略犯罪。核戦争・核実験・原発(広島・長崎への原爆投下、セミパラチンスク、チェルノブイリ、)。無人機によるアメリカ合州国軍・政府による爆撃(アフガニスタン、パキスタン……)。
 西ヨーロッパ白人とロシア人による侵略・虐殺の時代に続く、19世紀以後の国民国家の歴史は、領土・植民地争奪、他地域・他国侵略の歴史であった。
【十一】歴史を知り、歴史から学ぶことは、自己の生き方を確かめ、民衆解放の道を探求すること。
【十二】日本民衆は、日本の侵略犯罪の事実をできるだけ総体的に詳細に知り、その歴史的責任のありかを明らかにしなければ、日本が侵略した地域・国家の民衆と真に連帯することはできない。
【十三】なぜ、日本兵は、アジア太平洋各地で住民を虐殺できたのか。
    なぜ、日本国民(「臣民」)は、日本の他地域・他国侵略を肯定しつづけることができたのか。
【十四】天皇を「日本国民の象徴」とし、「明治天皇」・ヒロヒト・その子アキヒトそれぞれの誕生日をすべて日本国民の祝日とし、「元号」を使い、「ヒノマル」・「キミガヨ」を拒否しない日本国民は、他地域他国侵略と「臣民」の時代を克服していない。
 他地域・他国の民衆の大地と資源といのちを奪って経済を発展させた国民国家日本の侵略犯罪は、まだわずかしか解明されていない。
【十五】1991年9月に開館されたピースおおさか(財団法人大阪国際平和センター。大阪府・大阪市が共同設置)の設置理念には、
     「1945年8月15日に至る15年戦争において、戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、
     また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大な危害を与えたことを、私たちは忘れません」
と書かれていた。
   しかし、日本の侵略戦争は、「1945年8月15日に至る15年戦争」以前から開始されていた。ピースおおさかの展示は創立時から、誤った歴史認識に基づいていた。
   また、この設置理念には、
     「人類共通の願いである恒久平和は、戦争の惨禍を知る世界中のあらゆる地域の人々が、それぞれの
     体験を伝え合い、語り続けることによって達成されます」
と書かれていた。ここには、他地域他国を植民地とした犯罪者、他地域他国に侵入して殺人・略奪・村落破壊……をくりかえした犯罪者が、その国家犯罪の責任をとり、真に謝罪しなければ、恒久平和は達成されないとは書かれていない。
【十六】2015年4月30日に改装再開館されたピースおおさかの展示は、さらに改悪されていた。
 2013年4月に結成された「ピースおおさか」の危機を考える連絡会に続いて、2018年4月30日に「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会」が結成された。
 この会は、組織名からして、誤った歴史認識に基づく初期のピースおおさかの設置理念を批判する道を閉ざしていた。
【十七】改悪ピースおおさかの展示を日本の他地域他国侵略の歴史事実を伝える展示に変えさせる運動を進めるとともに、改悪ピースおおさかの展示に対抗する民衆の展示を、段階を踏んで持久的に確実に実現していかなければならない。
【十八】世界史・民族史・国家史・地域史・個人史について全世界的規模で考え、真にインターナショナルな(国際的・地域際的・民族際的な)民衆解放の道すじを明らかにしていきたい。
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「アジアから問われる日本の戦争」展で現れた日本の民衆運動の危機

2020年11月02日 | 個人史・地域史・世界史
「アジアから問われる日本の戦争」展で現れた日本の民衆運動の危機

                                佐藤正人

 ■「アジアから見た日本の戦争」展」
 2018年11月、設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会から、「仮称「おおさか平和アのための戦争展」を開きませんか?」という呼びかけがあり、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会(以下、三会と略記)は、この戦争展に参加を表明しました。
 翌2018年1月26日に、設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会の竹本昇さんと斉藤日出治さんの提案を受けて、海南島近現代史研究会は、設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会主催の集会(「海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略冊・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争」)に全面協力しました。
 その3週間後の2月15日に三会は「仮称「おおさか平和アのための戦争展」を改称した「アジアから見た日本の戦争」展」の「協力・賛同・カンパのお願い」と展示会のチラシ案(以下、第1案とします)を受け取りました。
 そのチラシには、旭日旗・日本刀・小銃をもったこどもたちが地球儀のモンゴル、中国地域を踏みつけている絵に「執れ膺懲の銃と剣」という軍歌の歌詞がつけられた1937年の日本陸軍のポスターが使われていました。
 三会は、「戦争展」実行委員会に、チラシの再検討を求めました。

■「アジアから問われる日本の戦争」展
 2月26日の実行委員会で第1案は三会の反対で撤回されましたが、3月4日に、「アジアから問われる日本の戦争」展という新たな展示会名称と別の図案チラシ(以下、第2案とします)が実行委員会で承認されました。
 三会は、この第2案も第1案と同じ問題を克服できていないと判断し、3月9日に「展示会の名称を変更するとともに、案内チラシの第2案を撤回してください」を展示会実行委員会に送信しました。
 しかし、実行委員会はこの要望書に回答することなく、第2案を正式決定し、4月29~30日を開催日としている展示会に向けて、作業を進めていきました(3月18日の「戦争展実行委員会第5回会議報告」には、三会の要望書を、「延々と言葉尻をとらえての非難のことばが並び、どのような理念・主旨で展示会をしたいのかは、全く出てきませんでした」と記録されています)。

■「公安のもぐり」発言・民衆運動の危機
 4月3日の第6回の実行委員会が終了した直後に、実行委員会の委員の一人であるNさん(南京大虐殺60カ年大阪実行委員会の会員)は、三会の会員で実行委員会に参加している竹本昇に「齋藤さんは公安のもぐりですよ」「あなたは差別に負けている」というメールを送信し、さらにその翌日の4月4日には,謝罪を求める竹本昇に対して、「あなたは差別に負けている」というメールを送信してきました。
 これにたいして,三会は、Nさんに「あなたの名誉毀損発言に抗議し,謝罪と誓約を求めます」という文書を4月6日に、「竹本昇さんにたいするあなたの侮辱発言に抗議し、報告と誓約と謝罪を求めます」という文書を4月12日に送信しました。
 それからほぼ1ヶ月後の5月8日に、Nさんは、竹本昇のメールアドレスに「5月8日海南島へ」と題する三会宛ての文書を送信してきました。そこには、「齋藤日出治さん、竹本昇さん、あなた方のしていることは間違っています、自分たちの行為についてあなた方は戦争展実行委員会、ピース取り戻す会の仲間に謝罪し、元の隊列に戻るべきです」書いてありました。

 展示会実行委員会は、「展示会の名称を変更するとともに、案内チラシの第2案を撤回してください」という三会の要請にまったく応じないで、暴言・虚言を黙認して、展示会の開催を強行しました。
 展示会実行委員会のこの姿勢は、21世紀の日本の民衆運動の危機を示しています。
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「家族を麻薬戦争で殺された子どもたちの合唱団 フィリピン」

2020年05月04日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.afpbb.com/articles/-/3273947
https://www.afpbb.com/articles/-/3273947?page=2
「AFP」 2020年5月3日 8:00 発信地:マニラ/フィリピン
■家族を麻薬戦争で殺された子どもたちの合唱団 フィリピン

【写真】フィリピン・マニラで行われた麻薬戦争で家族を亡くした子ども向けの合唱団の練習風景(2020年2月1日撮影)。(c)JAM STA ROSA / AFP
【写真】フィリピン・マニラ郊外の墓地で、麻薬戦争で亡くなった夫の墓参りに来た女性とその息子(2020年2月1日撮影)。(c)JAM STA ROSA / AFP
【写真】フィリピン・マニラ郊外パヤタスのごみ捨て場近くにある、麻薬戦争で家族が殺された人の家(2020年2月1日撮影)。(c)JAM STA ROSA / AFP

【5月3日 AFP】十数人の子どもたちは恥ずかしそうに観客の方を見つめていたが、いったん歌い始めると大胆になり、フィリピンの麻薬戦争で亡くなった父親たちへの思いを歌に注いだ。
 子どもたちの合唱は、国際的な批判が起こった麻薬戦争への抗議活動であると同時に、子どもたちが同じように銃殺されないよう守りたいと願うコミュニティーの重要な取り組みの一つでもある。
 合唱団に所属する子どもたちの家庭環境は経済的に厳しい状況に置かれており、ロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領の弾圧政策により、特に大きな打撃を受けている。麻薬戦争によって一家の稼ぎ頭は殺され、子どもたちはその代わりを務めるために学校を中退せざるを得ない状況となった。
 合唱団などの活動を支援する司祭のダニーロ・ピラリオ(Danilo Pilario)氏は、AFPに対し「この悪循環から抜け出せれば、子どもたちは違う人生を送ることができる」と語った。
 合唱団に参加する約25人の子どもの多くは、マニラ郊外にある人口13万人のパヤタス(Payatas)出身で、全員がドゥテルテ政権の麻薬取り締まりにより兄弟か父親を失っている。
 パヤタスは数十年前にごみ捨て場の周りにできた貧困地区で、ごみ拾いが主な地元産業となっている。フィリピンの他の都市と同様、ドゥテルテ氏が2016年半ばに弾圧を開始すると、パヤタスでも警察や正体不明の「殺し屋」による殺害が急増した。
 聖歌隊のメンバーであるジョーンさん(12)は2016年12月6日、突然家に押し入ってきた警察に父親を殺された。麻薬取引に関与したと警察は主張している。家のソファには銃弾でできた穴が残っている。
「父はその日、私の誕生日を祝うために家に帰って来た」とジョーンさんは父親の墓の前で涙をこらえながらAFPに語った。

◆「疲れ果て、貧乏で、打ちのめされている」
 麻薬戦争が始まった時、ピラリオ氏ら地元の人々は亡くなった人の葬儀代を支援した。1年以内に約100人が殺害された。これがやがて、ほとんど教育を受けておらず、仕事もない夫を亡くした女性たちへの支援や子どもたちへのカウンセリング提供の活動に広がっていった。
 ピラリオ氏は「子どもは大人ほど言葉で表すことができない。芸術を通じてこそ、子どもたちは自分の内側を表現できる」と述べている。
 地元の支援活動には、子ども向けの音楽、アート、ダンス教室や嵐の中の子守歌(Lullaby in the Storm)合唱団などの長期プログラムが含まれている。これらは、子どもたちを学校に通わせ、職に就けるようにし、ごみ拾いや少量の麻薬取引といった父親と同じ地元の罠にはまらないようにすることを目標にしている。
 子ども合唱団は展覧会やフィリピンの有名大学、クリスマスにはマニラ市内の家庭で歌を披露した。中でも最も印象的だったのは昨年、ドゥテルテ氏が施政方針演説を行っている近くで合唱団の代表曲「孤児の歌(Song of the Orphan)」を歌い抗議したことだ。
 売人とその利用者とされる人々が5500人以上殺された悪名高い麻薬戦争の成果をドゥテルテ氏が誇示するのに合わせ、合唱団は麻薬戦争が自分たちにもたらした被害を訴えた。この歌は冒頭にこのような歌詞がある。「私は疲れ果て、貧しく、打ちのめされ、当惑している…心から共感してくれる人を探している」。
 人権団体によると、麻薬戦争の実際の犠牲者は少なくともその4倍で、人道に対する罪に相当する可能性があるという。
 だが世論調査によると、殺害が起こっているにもかかわらず、麻薬戦争は国民の圧倒的な支持を得ている。
 このような圧倒的な支持と、子どもたちも麻薬と関係しているのではないかという恐怖から、家族が殺された子どもたちは仲間外れにされたり、いじめられたりしている。
 カウンセラーのボランティアをするカロル・ダリア(Carol Daria)氏は、子どもたちは怒り、報復への衝動といった感情に今も苦しんでいると指摘する。「彼らはひどく報復を望んでいる」。
 合唱団の活動は、そのような衝動を抑える一つの方法だ。
 父親を銃で殺された13歳のロンネルさんはこう話す。「世界の人たちに、私たちに何が起きているのかということと、超法規的殺人が行われたことを知ってほしい。自分たちがどう感じているのかを表現したい」。  (c)AFP/Joshua Melvin and Cecil Morella
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「「この歴史、後世に」 鉱山事故で犠牲の朝鮮人を慰霊 歴史伝える銘板も設置」

2020年03月16日 | 個人史・地域史・世界史
https://tanba.jp/2020/03/「この歴史、後世に」%e3%80%80鉱山事故で犠牲の朝鮮人/
「丹波新聞」 2020.03.16
■「この歴史、後世に」 鉱山事故で犠牲の朝鮮人を慰霊 歴史伝える銘板も設置

【写真】朝鮮人とみられる鉱山事故犠牲者の慰霊碑の前で営まれた法要=2020年3月3日午前10時8分、兵庫県丹波篠山市福井で

 1948年に起きた落盤事故で亡くなった朝鮮人とみられる3人の慰霊碑がある兵庫県丹波篠山市福井の豊林寺で事故発生日の3日、慰霊祭と歴史を伝える銘板のお披露目会が開かれた。静かな境内に読経の声が響き始めると雨が降り始め、同寺の北野諦圓住職(47)は、「法要の時に雨が降るのは相手に思いが伝わっている証拠ともされる」と言い、「この歴史を後世に伝えていきたい」と話していた。
 慰霊碑は48年3月3日に、戦前から戦後にかけて「珪石」が採掘された丹波篠山市下筱見地区にあった「鳥山鉱山」で起きた落盤事故で亡くなった犠牲者を弔うもの。慰霊碑は高さ約1メートルで、右側面に「殉職者名」とし「武田三童」「上野三郎」「金本容鎬」の名が記されている。建立者や年月日などは書かれていない。
 市内で在日コリアンの足跡などを調査している市民グループ「銘板設置の会」が関係者の証言をもとに、同寺で安置されていた慰霊碑を発見した。当初はほかの供養塔と共に並んでいたが、同会の調査などを受け、北野住職が檀信徒の協力を得てお参りしやすいようにと整備している。

【写真】歴史を伝える銘板も披露された

 同会は市内の在日コリアンの足跡地に銘板を設置しており、同寺境内には縦60センチ、横80センチの銘板を設置。市民からの寄付も寄せられ、7カ所目となる銘板が完成した。
 法要には同会メンバーのほか、檀信徒など地元住民らも参加。北野住職の読経に合わせて焼香し、慰霊碑にも手を合わせた。
 続いて寄付金などをもとに作られた銘板が披露され、同会の松原薫さん(72)=同県丹波市山南町=は、「在日コリアンの話には差別の話も出てくるが、調査したこの地区では、『同じ命をかけて穴に入っているのだから、日本人も朝鮮人もない』という声を聞いたのが印象深い。これからも調査を続けるので、情報があればぜひ教えてほしい」と呼びかけていた。


https://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=4&number=25981
「民団新聞電子版」 2020-03-11 11:16:00
■在日ゆかりの地に銘板設置  丹波篠山市
 解放直後に鉱山で殉職、地元で慰霊碑建て弔う
 市民団体「ともに地域支えた証し」

【写真】殉職者3人の名前を刻んだ慰霊碑
【写真】お披露目された銘板と司会担当の細見和之代表(左)

【兵庫】市民団体「篠山市在日コリアン足跡調査研究・銘板設置の会」(代表=細見和之京都大学教授)は3日、在日の鉱夫3人の名前を刻んだ慰霊碑の建つ玄渓山豊林寺(丹波篠山市福井)の境内に「ともに地域支えた証し」として銘板を設置した。同会は市人権・同和教育研究協議会とともに市内の在日ゆかりの地に銘板設置を進めている。これが7カ所目。
 銘板は縦60㌢、横80㌢。在日の鉱夫3人が1948年3月3日、「村雲村鳥山鉱山」での落岩事故で殉職したことを記した。慰霊碑を誰が建立したのかは不明ながら、地域の檀家の人々によって弔われてきた。鉱山事故で亡くなった在日をまつる慰霊碑が見つかるのは全国的にも珍しく、貴重な記念碑となっていると意義を強調している。
 慰霊碑は高さ1㍍の石柱。寺の裏山に建てられていたのを豊林寺の先代住職がさまざまな供養塔とともに境内に安置していた。左側面に「為鳥山鉱山殉職者之霊菩提」、正面には「南無観世音大菩薩」、右側面には「殉職者名 金本容鎬 上野三郎 武田三童」と刻まれている。18年に碑を発見した「銘板設置の会」は当時の地元紙の報道記事から日本風の名前ながら3人とも在日だと突き止めた。
 同会によれば「鳥山鉱山」は丹波篠山市にあった珪石鉱山。戦前から戦後にかけて鉱山事業が盛んで、近隣の農家の人々と一緒に在日も多く働いていた。同寺の北野諦圓住職(47)や檀家たちは昨年4月、慰霊碑をまつるため石柱の周囲に巻き石を整備した。
 地元紙の報道によれば北野住職は「『自分も鉱山で働いていた』『事故で救助にあたった』と話す住民もおり、鉱山やそこで働く在日コリアンとの交流は生活の一部だったのでは」と語ったという。
 細見代表は「日韓関係が悪化しているが、在日コリアンと日本人が、ときには一緒に、当時の花形産業であった鉱山を支えていたこと、その印として碑があることを考えてほしい」と話している。
 同会では引き続き銘板設置寄付金(1口1000円から)を呼びかけている。郵貯口座記号14380 番号83377901 銘板設置の会。問い合わせは篠山市同教(079・593・1260)。


https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202002/0013088861.shtml?fbclid=IwAR1v1IyNiY6nYtlmgrKrerNttl_fKJVr31lfU2jLQh3wRUFzgvQrTScTuAk
「神戸新聞NEXT」 2020/2/5 05:30  
■鉱山と在日コリアンの歴史伝えたい 豊林寺の慰霊碑に案内板

【写真】豊林寺にまつられた鉱山事故の慰霊碑。3月3日、歴史を伝える案内板が設置される=丹波篠山市福井

 戦後の鉱山事故で亡くなった在日コリアンの慰霊碑がまつられている豊林寺(兵庫県丹波篠山市福井)で、彼らが日本人と共に鉱山で働き、交流した歴史を伝えようと、市民グループが案内板の設置を計画している。事故が起きた日とされる3月3日午前10時から、同寺でお披露目と法要を行う。
 同市東部では、戦前から戦後にかけて硅石などの鉱山が栄えた。1948年3月の「篠山新聞」は、同寺近くにあった「鳥山鉱山」の事故を報じ、「金本」「姜」「竹田」の姓で朝鮮人とみられる犠牲者3人の名前を記している。
 同寺の裏山にはさまざまな供養塔が点在し、先代住職が集めて境内に安置していた。事故の慰霊碑は2018年、市内で在日コリアンの足跡や鉱山史を調査・記録している「銘板設置の会」が発見。高さ約1メートルの石柱で、「為鳥山鉱山殉職者之霊菩提」の文字と共に、新聞記事にあった3人と同一人物と思われる名前が刻まれている。
 その存在を知った同寺の北野諦圓住職(47)や檀家たちは昨年4月、慰霊碑をまつるため、石柱の周囲に巻き石を整備した。北野住職は「『自分も鳥山鉱山で働いていた』『事故で親が救助に当たった』と話す地元住民もおり、鉱山やそこで働く朝鮮人との交流は生活の一部だったのでは」と話す。
 「銘板設置の会」はこれまでに、在日コリアンの足跡を示す案内板を市内6カ所に設置。今回は同寺などの協力で、境内入口付近に縦60センチ、横80センチの案内板の設置を進めている。
 同会によると、鉱山事故で亡くなった在日コリアンをまつる慰霊碑が見つかるのは珍しいといい、同会の細見和之代表(57)=同市=は「それを檀家の皆さんが守ってくれるのがうれしい」と喜ぶ。誰がどのような思いで慰霊碑を作ったのかは分かっていないが、「案内板が経緯の解明や遺族の発見につながれば」と話していた。
 同会は案内板の設置費用や活動費用の寄付を募っている。振込先はゆうちょ銀行(口座番号は14380-83377901、名義は「銘板設置の会」)。
 慰霊碑に関する情報提供は市人権・同和教育研究協議会(TEL079・593・1260)へ。
          金慶順
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「ペルー、インカ帝国の歴史を記した貴重な写本公開」

2020年02月25日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.afpbb.com/articles/-/3269806?cx_part=latest
「AFP」 2020年2月24日 10:14 発信地:リマ/ペルー
■ペルー、インカ帝国の歴史を記した貴重な写本公開

【写真】ペルーの首都リマの国立図書館で、インカ帝国について書かれた貴重な写本を見せる専門家(2020年2月20日撮影)。
【写真】ペルーの首都リマの国立図書館で公開された、インカ帝国について書かれた貴重な書籍(2020年2月20日撮影)
【写真】ペルーの首都リマの国立図書館で、公開された写本を見る人々(2020年2月20日撮影)

【2月24日 AFP】ペルーはこのほど、インカ帝国の指導者らの回顧録などを含む貴重な写本を公開した。この写本はチリ、ペルー、ボリビアが争った1879~84年の太平洋戦争(Pacific War)中に行方不明になっていた。
 「Memories of the Peruvian monarchy or outline of the Inca's history(ペルーの帝国の回顧録またはインカ帝国の歴史の概要)」の写本は、インカ帝国の皇帝ワイナ・カパック(Huayna Capac、1493~1525年)の子孫であるフスト・アプ・サウアラウラ・インカ(Justo Apu Sahuaraura Inca、1775~1853年)によって1838年に書かれたもの。
 ペルーの首都リマにある国立図書館の蔵書保護部門長であるヘラルド・トリージョ(Gerardo Trillo)氏はAFPに対し、「この文章の価値は計り知れない」と述べている。
 インカ帝国の首都だったクスコの先住民の貴族階級に属していたサウアラウラは、自らを「インカ皇帝最後の子孫」と呼び、インカ帝国の歴史の保護に力を注いでいた。
 写本は、今では消滅してしまった文章も参考にしながら、スペインによる征服前までのインカ帝国の歴史をたどっている。写本にはスペイン人を父に、インカの貴族を母に持ち、アメリカ大陸初の混血とされるインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ(Inca Garcilaso de la Vega)に関する記述や、スペインによるクスコ征服の記録、インカの年表などが含まれている。
 トリージョ氏によると写本は太平洋戦争中にリマを占領したチリによって、ペルーの国立図書館から盗まれたという。チリは、占領中に同図書館から持ち出した書籍4500冊以上を返却している。
 だが、この写本は1970年代にブラジルの個人収集家の手に渡っていた。10年に及ぶ交渉の末、この個人収集家は昨年11月、正当な所有者に返却することに合意したという。
 返却後はデジタル化され、オンラインで閲覧できるようになっている。
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「<新型肺炎>中国政府を批判した人が次々と行方不明」

2020年02月19日 | 個人史・地域史・世界史
https://japanese.joins.com/JArticle/262704?servcode=A00§code=A00
「中央日報日本語版」 2020.02.18 11:35
■<新型肺炎>中国政府を批判した人が次々と行方不明

◆「中国は隔離された時代」と批判した許章潤氏…行方不明8日目
 新型コロナウイルスの感染拡大で中国政府を批判して注目を浴びた人たちが相次いで行方不明になっている。許章潤・元精華大法大教授が代表的な人物だ。許氏は10日から8日間、連絡が途絶えている。許氏は2日、「怒った人民は恐れない」として政府を批判する長文を発表した。
 「すべての原因は習近平主席と彼を取り巻く閉ざされた制度にある。官僚はシステムの後ろに隠れて責任を取ろうとしない。このため感染の発生に対応する機会の窓が隠れてしまった」。
 許氏は「習近平政権に入って官僚のモラルがひどく低下し、職業倫理と献身が全体的に崩壊した」と主張した。続いて「権力層はこの数年間、市民社会を発展させるすべての信号を抑圧する試みを加速している」と指摘した。
 また、新型コロナ事態に例えて現状況を「中国が隔離された時代」と表現した。許氏は最後に「これを書き終えてみると、処罰を受けるだろうという予感がする。私の人生で最後の文になりそうだ」と書いた。その言葉通り許氏との連絡は途絶えた。
 許氏の行方不明を最初に知らせたのは元記者の高瑜氏(66)だ。高氏は1994年に国家機密を公表した容疑で6年刑を言い渡された。高氏は1日、ツイッターで「許氏のWeChatがまた遮断された」とし「電話をかけたが応答がない」と伝えた。許氏は2018年7月、習近平主席の3選改憲(主席任期制限の撤廃)を批判し、昨年3月に教授職停職処分を受けた。

◆「1時間半に霊柩車4台」…市民記者の陳秋実氏、行方不明12日目
 陳秋実氏(34)は北京で暮らす元弁護士の自称市民記者だ。陳氏は1月、武漢を訪問し、ユーチューブに現地撮影映像を載せ始めた。先月29日、陳氏は武漢のある葬儀場に潜入した。霊柩車がどれほど出入りするかを確認するためだ。当時、一部では死者数縮小疑惑が提起されていた。
 陳氏は葬儀場の前で撮影した映像で「1時間半の間に4台の霊柩車が入ってきた」とし「葬儀場が24時間運営される場合、何人になるかは各自の計算に任せる」と話した。別の映像では「十分な証拠がなければ公式に出てくる発表を疑うことはできない」としながらも「正確な調査が行われるべき」と語った。
 陳氏が行方不明になったのは6日だ。陳氏の母は、陳氏のユーチューブアカウントに載せた映像で、中国政府が急いで建設した病院に午後9時ごろ行くと話した後、今日(7日)午前2時現在まで連絡が取れなくなっていると伝えた。そして「みなさんに息子を捜してほしい」と支援を訴えた。
 その後、陳氏の知人は「政府から陳氏の母親に連絡があった」とし「陳氏は数カ所の病院を出入りして感染した恐れがあるため隔離したという話だった」と伝えた。しかし依然として通話はできず、陳氏の携帯電話が押収されたと考えられている。

◆「8人の遺体が運ばれた」ツイートの市民、行方不明9日目
 武漢市民のパン氏は衣類販売業という。パン氏は病院の外に駐車されていた車から8人の遺体が運ばれる場面を撮影してツイッターに載せ、注目を集めた。陳秋実氏はパン氏の映像を見た後、パン氏にインタビューした映像を載せたりもした。
 パン氏は自分が警察に連行される場面も公開した。パン氏は警察が自分を逮捕した後の取り調べで「『否定的な映像を載せてはいけない。一つの声だけがなければいけない』と言われた」とし「『ほかの人はウイルス状況を知らせる権利はなく、続ければまた強制連行されることもある』という話を聞いた」と伝えた。パン氏は9日、「市民全員で抵抗しよう」という呼びかけた映像を最後に連絡が途絶えた。
 中国ポータルサイトのバイドゥとソーシャルメディアのウェイボでは、陳秋実氏とパン氏の名前を検索しても結果が出てこない状態だ。新型コロナウイルスの感染拡大で世論が悪化すると、中国がインターネット検閲と世論統制を強化し、関連内容が削除されたと推定される。
 中央日報が14日に接触した武漢市民は「病院に連絡しても入院はしていないし、ウェイボに助けてほしいというコメントを載せたが半日も経たずに削除された」と証言した。「なぜ削除されたのか、誰が削除したのかも全く分からない」とも語った。


http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/35780.html
「The Hankyoreh」 2020-02-18 07:26
■[社説]「武漢実態」伝えた市民の相次ぐ失踪を憂慮する

【写真】米国UCLAで15日に開かれた、「COVID-19」発生を初めて世界に伝えた医師、李文亮さんの追悼式。中国人学生がマスコミを統制する中国政府に対する抗議の意思を込め、口に「言論の自由」と書かれたテープを貼っている=ロサンゼルス/AFP・聯合ニュース

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の震源地である中国武漢で、感染症患者たちが治療も受けられずにほぼ放置されているという内容を自発的に取材して告発していた2人の市民ジャーナリストが、相次いで失踪したという。武漢一帯の悲惨な実情が知られるのを防ぐため、現地当局が彼らを拘禁または隔離したのではないかという疑惑が提起されている。
 昨年12月に発生したCOVID-19が早期に制圧されず全世界に拡散したのは、初期に中国の中央・地方政府が全面公開せず、感染症発生の事実を隠ぺい・矮小化しようとしたためだということは、すでに何度も指摘されている事実だ。それでも依然として中国政府は「情報統制」の誘惑にはまっているのではないかと懸念する。
 武漢で繊維業に従事していた方斌(Fan Bing)という市民は、COVID-19が発生すると、患者たちが病院の廊下にまで溢れている劣悪な医療の実態などを取材してオンライン上にアップし、大きな反響を呼んだ。しかしパン氏は先日、私服警察に逮捕され、連絡が途絶えたという。また、弁護士の陳秋実(Chen Qiushi)氏は先月、武漢が封鎖されると、すぐ武漢に入り、医療設備や人手が不足する病院を訪ね歩き、まともに治療を受けられずに死んでゆく人々の姿を取材し、オンラインを通じて世界に伝えた人物だ。チョン氏も6日に当局に逮捕されたという。
 中国当局は陳秋実氏らがCOVID-19に感染したため隔離されたと釈明したが、これをそのまま受け取るのは難しい。連絡が突然途絶えていることや、家族がオンラインで彼らの失踪を伝え、助けてほしいと訴えていることなどから、「報道統制」目的で逮捕された可能性が高い。
 中国政府は昨年末、医師の李文亮氏が感染症発生のニュースを初めてオンラインで公開した際、「デマ」として無視し、初期に事態を解決しうる「ゴールデンタイム」を逃した。今回、同じ過ちを繰り返さないことを望む。市民ジャーナリストの活動を統制し、自由な情報の流通を阻止する行為がこれ以上あってはならない。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/928585.html
韓国語原文入力:2020-02-17 18:46


https://japanese.joins.com/JArticle/262620?servcode=A00§code=A00
「中央日報日本語版」 2020.02.16 11:28
■「最後の文になるだろう」…市民記者に続き習近平批判の中国教授も失踪
 新型コロナウイルス問題と関連し、習近平中国国家主席を批判した許章潤精華大学法学部教授の行方がわからない状態という報道が出てきた。
 英日刊紙ガーディアン日曜版のオブザーバー15日付によると、許教授の知人らは「数日間彼と連絡が取れない」と話した。
 許教授は新型肺炎問題以降に習近平政権に対する批判の声を出している中国の知識人の1人だ。彼は最近のさまざまな海外ウェブサイトに寄稿した「憤怒する人民はこれ以上恐れない」という題名の記事で中国が新型肺炎の早期対応に失敗したのは中国で市民社会とメディアの自由が抹殺されたためだと批判した。
 香港紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストの報道によると許教授は他の知識人数百人とともに最近中国の議会である全国人民代表大会に「表現の自由の保障」などを要求するオンライン請願にも署名した。
 彼は直近に上げた文で「私が処罰を受けるだろうとあまりにも簡単に予見できる。まちがいなくこれは私が書く最後の文になるだろう」と記したりもした。この文で彼は自身が1年余り前にも批判的な文を書き「自由を制約されたことがある」とし、職務停止と教授職剥奪の経験を打ち明けたという。
 知人らは許教授が問題の文を載せた後、ウィーチャット(メッセンジャーアプリ)のアカウントが遮断され連絡も途絶えたと伝えた。許教授が拘禁されたのではなくて北京の自宅にいると推定されるとオブザーバーは伝えたが、彼のウェイボー(中国版ツイッター)のアカウントもやはり削除されており、中国最大の検索エンジンであるバイドゥでも数年前に上げたいくつかの文だけ検索できる。
 一方、中国では最近政府対応を批判する人々が相次いで失踪する事件が起きている。発源地である武漢で現場の実態を映像で告発してきた元弁護士の市民記者陳秋実氏が6日から連絡が途絶え、武漢病院内外の実状と「独裁批判」動画などを上げた衣類販売業者出身の市民記者方斌氏も失踪している。
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「極右政党の支持による選挙勝利に抗議、ドイツで1万8000人がデモ」

2020年02月18日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.afpbb.com/articles/-/3268520?cx_part=latest
「 AFPBB News」 2020年2月16日 12:31 発信地:エアフルト/ドイツ
■極右政党の支持による選挙勝利に抗議、ドイツで1万8000人がデモ

【写真】ドイツ・テューリンゲン州の州都エアフルトで行われた抗議デモに参加する人々(2020年2月15日撮影)。 (c)Jens Schlueter / AFP

【2月16日 AFP】 ドイツ東部テューリンゲン(Thuringia)州の州首相選挙で、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相率いる中道右派キリスト教民主同盟(CDU)の候補が、極右政党の支持を受けて当選したことに対し州都エアフルト(Erfurt)で15日、抗議デモが行われ、約1万8000人が参加した。当選した候補は、州首相に就任した翌日の今月6日に、すでに辞任している。
 主催者によると、デモにはファシズムに反対する芸術家や労働組合員、非政府組織(NGO)のメンバーや政治家らが多数参加。ナチス・ドイツ(Nazi)が「第三帝国」と呼ばれたことになぞらえ「第四帝国は許さない」と書かれた横断幕を掲げたり、「ファシストは絶対相手にしない」とスローガンを叫んだりした。
 旧東ドイツに位置する同州では今月5日に行われた州首相選挙の決選投票で、移民排斥を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が、国政の政権与党であるCDUが支持していた自由民主党(FDP)のトマス・ケメリヒ(Thomas Kemmerich)氏に票を集めた結果、同氏が当選。国政を揺るがす事態となった。
 ケメリヒ氏は就任からわずか24時間後、辞任することに同意したが、極右政党の支持を受けた州首相が誕生するのは、第2次世界大戦(World War II)後の1949年にドイツ連邦が発足して以来、初めてだった。
 デモの参加者らの間には、CDUが極右政党の支持を受け入れたことに対する根深い怒りがうかがえた。エアフルト在住のマリア・ロイター(Maria Reuter)さん(74)は、「AfDが東部で大きな影響力を持つようになっているので、デモに参加した」と述べ、「右派と極右の票が重なったことで、越えてはならない一線を越えてしまった」「こんなことがあってはならない」と語った。   (c)AFP/Mathieu FOULKES


https://www.afpbb.com/articles/-/3267125
「AFPBB News」 2020年2月7日 6:38 発信地:フランクフルト/ドイツ
■極右の支持受けた州首相、就任直後に辞任表明 ドイツ
【写真】ドイツ東部エアフルトで行われた、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に対する抗議デモ(2020年2月6日撮影)。(c)JENS SCHLUETER / AFP

【2月7日 AFP】ドイツ東部テューリンゲン(Thuringia)州で極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持を受けて5日、州首相に就任したばかりのトマス・ケメリヒ(Thomas Kemmerich)氏が6日、辞任を表明した。アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相はこの投票を「許されない」ものと批判していた。
 自由民主党(FDP)のケメリヒ氏は5日の州議会での州首相選挙の決選投票で、AfD議員らが自党の候補者への支持を取り下げケメリヒ氏の支持に回ったことを受けて予想外の勝利を収めた。しかしAfDの支持を受けての同氏の首相指名が1930年代のナチス・ドイツ(Nazi)の台頭をほうふつとさせるとして怒りの声が上がり、ケメリヒ氏は解散・選挙の実施を呼び掛けた。
 極右票の支持を受けて州首相が就任するのは戦後ドイツ史上初めて。ナチスの過去を持つ国家としては、越えてはならない一線を越える事態となっていた。
 メルケル首相は決選投票を「許されない」ものと批判し、投票結果は「取り消されなければならない」と明言。自身が率いる中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)は地方・全国レベルを問わずイスラム教徒と移民の排斥を掲げるAfDとは決して手を結ばないと強調した。
 ケメリヒ氏の首相選出を受け、首都ベルリンやフランクフルト、テューリンゲン州の州都エアフルト(Erfurt)などの各地では5日夜、数千人が街頭で抗議デモを行った。(c)AFP/Michelle FITZPATRICK
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