三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「韓国政府から初めて勲章を受けた日本人…朝鮮人は「私たちの弁護士」と呼んだ」

2024年09月16日 | 個人史・地域史・世界史
「中央日報日本語版」 2024.09.13 15:32
■韓国政府から初めて勲章を受けた日本人…朝鮮人は「私たちの弁護士」と呼んだ

【写真】11日、「布施辰治と石巻」をテーマに開かれている展示会 [写真 チョン・ウォンソク特派員]

 宮城県石巻市では韓国人にとって意味深い展示会が開かれている。日本人で初めて韓国政府から建国勲章を受章した布施辰治弁護士(1880-1953)を称える展示会だ。
 2017年に公開されたイ・ジュンイク監督の映画『朴烈(パク・ヨル)』で朴烈・金子文子夫婦を弁護しながら印象深い弁論をした日本人弁護士が布施弁護士だ。布施は1919年2・8独立宣言に参加した在日朝鮮人留学生と「国家転覆謀議」容疑を受けた朴烈・金子夫婦の弁論をした。日本人・朝鮮人など国籍を問わず人権擁護のために力を注いだ布施は1932年、法廷冒とくで弁護士資格を剥奪されるという試練も経験した。韓国政府は2004年、布施辰治に建国勲章愛族章を追叙した。
 11日、「布施辰治と石巻」という特別展が開かれている石巻市博物館を訪れた。博物館の研究員であり今回の展示を担当した伊藤匠氏の案内を受けて資料保管室に入った。一般人は出入りが統制されているたところだ。
 布施は日本敗戦直後の1946年、朴烈烈士に関する本を執筆した。「運命の勝利者朴烈」と題した本で、資料保管室には草稿と初版印刷本が保管されていた。草稿を見ると「朝鮮の独立運動に敬意を表し、日本の朝鮮侵略を心から申し訳なく思う」という部分が目に入った。後日、布施はこの内容を日帝強占期の『新朝鮮』という雑誌に掲載し、日本検事局から取り調べを受けたと明らかにした。
 布施が残した原稿は筆体が違っていた。伊藤氏によると、手の震えが深刻だった布施は多くの原稿を事務室の同僚が書き取るようにしたという。草稿などと共に資料保管室には朴烈・金子文子夫婦、義烈団員など朝鮮人を無料で弁論しながら収集した法廷資料、東洋拓殖株式会社を相手に全羅南道羅州郡宮三面(ナジュグン・グンサムミョン)土地取り戻し運動をした当時に収集した資料、ソウル・大邱(テグ)などで行った巡回講演資料もあった。
 日帝に対抗してさまざまな活動をした布施を当時の朝鮮人は「私たちの弁護士」と呼んだ。布施が死去した当時、葬儀に送られた七言絶句形式の哀悼詩も残っていた。
 保管室の資料は一般に公開されなかった。一般人が観覧できる展示会は、大型常設展示館の片隅にある10坪ほどの特別展示館に設けられていた。
 そこには布施が人権と労働運動、朝鮮人のために献身したという評価と共に、学生時代の物品、弁護士の法服などを展示していた。平日のためか、取材をする3時間に展示室を訪れた観覧客はいなかった。
 伊藤氏は「展示室が狭い影響もあるが、5000点にもなる膨大な資料を所蔵しながらも公開できないのが残念だ」とし「今からでも持続的に研究して新しい展示を企画してみたい」と述べた。
 9月13日は布施の忌日だ。布施を称えるための顕彰碑は石巻市の住宅街の教会付近にある小さな公園の中に設置されている。ここでは毎年、布施を称える追悼会が開かれる。
 「布施辰治を顕彰する会」の会長を務める松浦健太郎弁護士は布施について「日本の法曹界で尊敬されている人物だが、一般的にはあまり知られていない」とし「毎年地域から始めて、布施の行跡を称えながら広く知らせていきたい」と話した。
 顕彰碑には布施が座右の銘とした言葉が碑石に刻まれていた。「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」。
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「日本に堂々と謝罪を要求するためには」

2024年04月15日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2024-04-15 10:50 
■[寄稿]日本に堂々と謝罪を要求するためには
 李東石(イ・ドンソク)|在日コリアン 
 <ハンギョレ‐ノ・フェチャン財団共同企画[6411の声]>

【写真】昨年10月29日、ソウル市鍾路区の日本大使館の前で筆者が「朝鮮学校と共にする人々『モンダンヨンピル』」と一緒に日本にある朝鮮学校の高校無償化を要求するデモをしている=キム・チャンソプ氏提供//ハンギョレ新聞社

 私は1952年に日本で生まれた在日コリアン2世だ。日本の高校3年生だった18歳のとき、朝鮮人であることを自覚するようになった。しかし、どうすれば朝鮮人として生きていくことができるのか分からなかった。悩みぬいた末、在日コリアンの同級生と日本の学校内に「朝鮮文化研究会」を作り、それまで使っていた日本名を捨て、朝鮮人として生きていくことを決意した。朝鮮文化研究会で朝鮮高校の生徒と交流し、日本の高校に通う在日コリアンの生徒たちの集まりにも参加した。その過程で、朝鮮人として生きようとするのであれば、韓国語を習わなければならないと考え、韓国留学を決心した。1971年に初めてソウルに来て、1973年に韓国外国語大学フランス語学科に入学した。
 1975年11月、保安司令部の要員が下宿に来て、令状なしで私を連行した。40日間保安司令部に監禁されて拷問と脅迫で自白を強要され、私は「スパイ」になった。韓国語と自分たちの歴史を学びたくて加入した朝鮮文化研究会で総連系の人に会って話したことが、「スパイ」になった主な容疑だった。在日コリアン17人が拘束された、いわゆる「学園浸透スパイ団事件」だ。私は5年の刑を受けて大田(テジョン)刑務所で獄中生活をすることになった。そんな私を支援して激励してくれたのは、日本の人たちが組織した「救援会」だった。救援会の人たちは裁判を傍聴して励ますためにソウルに何度も来て、大田にも何回も面会に来た。
 私は救援会がなければ健全な精神ではいられなかっただろう。私が釈放されて1981年に日本に帰ってきた後も、全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁政権下で在日コリアンのスパイ事件が多く発生した。拘束された在日コリアンの家族に会って励まし、救援会とともに支援運動を行った。多くの人たちの支援を受けたので、今度は私が取り組まなければならないと考えた。
 労働運動に関心があった私は、韓国の良心囚がほとんど釈放された1990年代後半に「在日高麗労働者連盟」(高麗労連)に加入した。高麗労連は朝鮮半島にルーツがある在日コリアンであれば南北関係なく誰でも加入できる労働組合だった。その組合で在日コリアンに対する労働差別改善や韓国人労働者の支援と交流のために活動した。監視を受けてはいたが2000年代になってからは韓国に行くことができるようになり、日本と韓国の労働者の交流の過程で通訳を担当して何度も韓国に行った。
 2005年に「真実和解のための過去事整理委員会」(真実和解委員会)ができたが、日本に住む私たちがその存在を知るようになったのは、ずっと後のことだった。国家権力による拷問を受けて長い間刑務所生活を経験した在日コリアンの良心囚は、国家機関である真実和解委員会を信じられず、当初は真相究明の申請をためらう雰囲気だった。私もそうだったが、真実和解委員会は韓国の民主化闘争の成果だと考え、2011年に真相究明を申請した。その後、裁判所が再審で「拷問で強要した自白には証拠能力がない」と判断し、2015年に無罪が確定し、賠償金も受け取った。賠償金は、国家の過ちは認めるが、金を支払うことでこれ以上の国家責任を問えなくするものだ。私は今後どのように生きていくのかを決めなければならなかった。大学に再入学することにした。2017年に外国語大学に入り、私より若い教授に学び、2020年2月に卒業した。大学生活の間に良い韓国の人たちと多く知り合い、卒業後も韓国で暮らしたくなった。4年が過ぎた今でも、ソウルに住みながら、在日コリアンの良心囚の再審を支援し、韓国内の難民問題や外国人労働者問題、ベトナム民間人虐殺問題などに関心があり、集いや集会に参加している。
 韓国は、日本による植民地下での痛みを経験し、解放後の済州(チェジュ)4・3事件では多くの難民が発生して日本に渡っていき、韓国人も労働者として外国に働きに行った歴史がある。現在、韓国に住んでいる外国人や難民に対する韓国の政府や国民の態度を見ると、とても残念に思う。韓国が国家の過ちを認めて修正し、外国人や社会的弱者に対する人権を保障してこそ、「慰安婦」や「徴用工(強制動員)」問題に対する日本の謝罪を堂々と要求できる。そして、在日コリアンへの差別をなくせと声を上げることができる。私がこの問題に関心を持って連帯活動をする理由は、歴史の過ちは正さなければならず、良い社会を作る責任が韓国人として生きる自分にもあるという思いからだ。私はいつも弱者の立場に立ち、労働者の目で世の中を見ようと努力している。

李東石(イ・ドンソク)|在日コリアン (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-04-14 18:44
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「ロシア国防省「ウクライナ参戦韓国人は計15人…5人は死亡」

2024年03月16日 | 個人史・地域史・世界史
「中央日報日本語版」 2024.03.16 10:26
■ロシア国防省「ウクライナ参戦韓国人は計15人…5人は死亡」
 ロシア国防省が14日(現地時間)、「特別軍事作戦」開始以降の2年間に韓国人傭兵15人がウクライナ戦闘に参加し、5人は死亡したと主張した。
 ロシア国防省はロシアが同作戦を開始した2022年2月24日以降ウクライナに到着した外国傭兵を追跡して個人情報を把握しているとし、このように明らかにした。ただ、ロシア国防省は詳細な個人情報は公開しなかった。
 ロシア国防省は2022年6月当時、韓国人13人がウクライナに入国し、死亡した4人、出国した8人を除いて1人がウクライナに残っていると主張した。
 ロシア国防省は特別軍事作戦以降、ウクライナに88カ国から計1万3387人の外国傭兵が参戦し、うち5962人が死亡したと発表した。2022年6月の発表値と比べると、人員は6431人、死者は4006人増えた。
 国別にはポーランド出身者が2960人(1497人死亡)で最も多く、米国1113人(491人死亡)、ジョージア1042人(561人死亡)、カナダ1005人(422人死亡)、英国822人(360人死亡)、ルーマニア784人(349人死亡)、ドイツ235人(88人死亡)などと把握した。アジアからは韓国のほか中国から7人、日本から15人が参戦し、それぞれ1人が死亡したと伝えた。
 韓国外交部の関係者は「事実関係を確認中」と明らかにした。
 韓国の将校出身ユーチューバー、イ・グン氏は2022年、外交部の旅券使用許可を受けずにウクライナ国際義勇軍に参加し、旅券法違反などで有罪判決を受けた。


「The Hankyoreh」 2024-03-15 23:27
■ロシア国防省「ウクライナ側の韓国人傭兵5人が死亡」と主張
 「2年間で韓国人傭兵15人が参戦…このうち5人が死亡」

 ロシア国防省が14日、ウクライナ戦争が始まってからこの2年間、韓国人傭兵15人がウクライナ側で戦争に参加し、このうち5人は死亡したと主張した。
 ロシア国防省は同日、ソーシャルメディアを通じて、ロシアがウクライナに侵攻した2022年2月24日以降、ウクライナに到着した外国傭兵を追跡し国籍を分類した内容を公開し、このように明らかにした。彼らの身元情報は公開されなかった。
 発表内容によると、国別ではポーランド出身が2960人(1497人死亡)で最も多く、米国1113人(491人死亡)、ジョージア1042人(561人死亡)、カナダ1005人(422人死亡)の順だった。続いて英国822人(360人死亡)、ルーマニア784人(349人死亡)、ドイツ235人(88人死亡)などだった。アジア諸国では、韓国のほかに日本から15人、中国から7人が参戦し、それぞれ1人が死亡したことが分かった。ロシア国防省は、計1万3387人が参戦し、5962人が死亡したと主張した。また「フランスはウクライナに自国出身の傭兵がいないと否定しているが、356人が到着して147人が死亡したという点が注目される」と明らかにした。
 これに先立ち、将校出身のユーチューバー、イ・グン氏が2022年外交部のパスポート使用許可を受けずにウクライナ国際義勇軍として参戦し、パスポート法違反などで有罪判決を受けた。ロシア国防省は2022年6月基準で韓国人13人がウクライナに入国し、このうち4人が死亡、8人が出国したと主張した。

キム・ミナ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-03-15 22:12


「聯合ニュース」 2024.03.15 20:43
■ロシア「ウクライナで韓国人義勇兵5人死亡」と発表 韓国政府「確認中」
【モスクワ、ソウル聯合ニュース】ロシア国防省は14日(現地時間)、同国がウクライナへの侵攻を始めた2022年2月24日以降、ウクライナに入ってロシアとの戦闘に参加した外国人義勇兵のうち韓国人は15人で、そのうち5人が死亡したと発表した。身元に関する情報は公開しなかった。

【図】ロシア国防省が公開した資料(ロシア国防省のテレグラムより)=(聯合ニュース)

 これについて韓国の外交部当局者は「ロシア側の発表は認識しており、事実関係を確認中」と説明した。
 ロシア国防省によると、22年2月24日以降、88カ国・地域からウクライナ入りした計1万3387人の外国人義勇兵がロシアとの戦闘に参加し、5962人が死亡したという。22年6月の発表より外国人義勇兵の総数は6431人増え、死者も4006人増えた。
 発表によると、国・地域別ではポーランド出身が2960人(死者1497人)で最も多く、米国1113人(同491人)、ジョージア1042人(同561人)、カナダ1005人(同422人)、英国822人(同360人)、ルーマニア784人(同349人)、ドイツ235人(同88人)の順に多かった。
 アジア地域からは日本から15人、中国から7人が参加し、それぞれ1人が死亡したとしている。
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「国連特別報告者「ロシア、何らかの形でナワリヌイ氏の死に責任」

2024年03月12日 | 個人史・地域史・世界史
「中央日報日本語版」 2024.03.12 10:49
■国連特別報告者「ロシア、何らかの形でナワリヌイ氏の死に責任」
 ロシアの反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が先月シベリアの監獄で死亡したのはロシアに責任があると、国連のロシア人権特別報告者が明らかにした。
 ロシア人権問題担当の国連特別報告者マリアナ・カツァロワ氏は11日(現地時間)、ロイター通信に「ナワリヌイ氏は監獄で殺害されたか、または拷問に近い拘禁環境の中で死亡したため、ロシア政府は何らかの形で責任がある」と述べた。
 カツァロワ氏は「ナワリヌイ氏が死亡した後、誰が次のナワリヌイ氏になるかを問わずに過ごす日はないほど」と「今のロシアの弾圧レベルなら次のナワリヌイ氏が確実に出てくるはず」と話した。そして昨年反逆罪で懲役25を言い渡されたロシアの野党政治家でジャーナリストのウラジーミル・カラムルザ氏に言及しながら「深く心配される。ロシア国内の別の収監者がナワリヌイ氏と同じ運命をたどる可能性がある」と懸念した。
 ロシア反政府運動の求心点であり「プーチンの政敵」と呼ばれたナワリヌイ氏は2021年、帰国と同時にロシアで逮捕され、収監生活およそ3年が経過した先月16日、突然死亡した。ロシアはナワリヌイ氏の死因を血栓と主張し、ウクライナ情報省もこれを確認した。
 ただ、ナワリヌイ氏の死をめぐる疑惑が絶えず、欧州連合(EU)と米国、英国など西側43カ国は今月初め、ナワリヌイ氏の死因に対する独立的な国際調査が行われるべきだと主張した。


「中央日報日本語版」 2024.03.07 15:38
■ナワリヌイ氏の生前インタビュー「私が死んでも運動を率いる人間はもっといる」
 獄中死したロシアの野党圏指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の生前インタビューが公開された。
 6日(現地時間)、フランス日刊紙「リベラシオン」やLCI放送はナワリヌイ氏とのインタビューを初公開した。生前のナワリヌイ氏は自分が死んでもその役割を代わりに行う人間は繰り返し登場すると話した。該当のインタビューはナワリヌイ氏が2020年12月17日にドイツ・ベルリンでJacques Maire当時欧州評議会議員と交わした対話だ。
 当時ナワリヌイ氏はモスクワに向かう飛行機の中でノビチョク系の毒劇物中毒症状で倒れた後、ドイツに移送されて治療を受けていたところだった。
 ナワリヌイ氏はこのインタビューで「彼らが私を殺しても何も変わらない」とし「私の役割に代わる準備がもうできた別の人々がいる。すべての権力がたったひとりの手だけに握られた国で生きることを望まない人々は数百万人といる」と話した。
 続いて自身の活動は「私に対するものではなく、私が代表している、あるいは私が代表しようとする人々に関することだ」と強調した。
 また、ロシア政府は自身と「絶対に」交渉をしないだろうとし、ロシア当局が自身を非常に「急進的」に考えているとも話した。
 このインタビュー以降、約1カ月後の2021年1月にロシアに戻った同氏は帰国と同時に空港で逮捕・収監された。
 インタビュー当時、ナワリヌイ氏は帰国後、自身がいつ逮捕されるか分からないとしながらも、ロシア当局は自身が海外に留まって「もう一人の移民者」になることを望んでいるとし、確固とした帰国意思を明らかにしてもいた。
 ナワリヌイ氏は自身が逮捕されて再び戻ってこられない場合、反政府運動はどのようになっていくかと尋ねるMaire氏の質問に「すでに私は多くの時間を監獄で送ってきたので、私のチーム員は私がいなくてもどのように組織を運営していくべきか知っている」と答えた。あわせて「私の代わりに運動を率いる人間は何人もいる」と付け加えた。
 ロシアの空港で逮捕されたナワリヌイ氏は刑務所に入れられて約3年後の先月16日、突然亡くなった。
 同氏の死亡以降、妻のユリアさんは夫の遺志を継いでプーチン大統領に対抗することを宣言し、反政府運動の求心点に浮上している。
 ナワリヌイ氏はインタビューで「ロシア人の少なくとも半分は、ロシアが他の一般的な欧州国家のようになることを望んでいる」とし「(プーチン大統領は)このような考えと政治的動きを弾圧するよう望んでいる」と批判した。


「中央日報日本語版」 2024.03.02 13:36
■「不審死」ナワリヌイ氏、モスクワで葬儀
 シベリア刑務所で「不審死」したロシア反体制派アレクセイ・ナワリヌイ氏の葬儀が1日(現地時間)、警察の厳重警備の中で行われた。夫の遺志を引き継いでプーチン露大統領に対抗すると宣言した妻ユリアさんと娘、息子の2人の子どもは逮捕の危険があるため出席しなかった。代わりに当局に遺体の引き渡しを要求した母リュドミラさんが出席した。
 BBC放送などによると、先月16日に死亡したナワリヌイ氏の葬儀が2週後のこの日午後2時、モスクワ南東部の教会で営まれた。遺体は約30分の距離にあるボリソフ墓地に埋葬された。この日の葬儀はナワリヌイ氏のユーチューブで生中継された。
 この日午後、ナワリヌイ氏を追悼する数千人が花を持って教会の前に集まった。霊柩車が教会に到着すると、出席者らはナワリヌイ氏の名前を叫び、「あなたは恐れなかった。私たちもそうだ」と言って拍手をした。
 BBCは「最近ロシア全域でナワリヌイ氏を追悼する400人以上が拘禁された点を考慮すると、勇敢で挑戦的な行動」と伝えた。ロシア駐在の米国・ドイツ・フランス大使を含む西側の外交官らも葬儀に参列した。
 現地独立系メディアのモスクワタイムズによると、葬儀はロシア当局の監視の中で進行された。教会と墓地周辺には金属フェンスと監視カメラが設置され、教会内部には写真撮影とビデオ録画を禁止するステッカーが貼られた。墓地から近い地下鉄駅の出口と墓地の入口には警察が配置され、私服警察が近隣を巡察し、テロ防止を理由に訪問者の身分証と持ち物を検査した。ナワリヌイ氏追悼行事はこの日、モスクワのほかソウル、ローマ、モントリオールなど世界およそ100都市で開かれた。


『東亞日報』 February. 26, 2024 08:36
■ナワリヌイ氏の死から9日、ロシア当局が母親に遺体を引き渡し

【写真】刑務所で謎の死を遂げたロシアの反政権派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(写真)の遺体が死去から9日が経った24日、遺族に引き渡された。

 ナワリヌイ氏が設立した反汚職財団(ACF)のディレクター、イワン・ズダノフ氏は同日、テレグラムに「ナワリヌイ氏の遺体が彼の母親に引き渡された」とし、「ロシア当局に遺体の引き渡しを求めたすべての人々に感謝する」と書いた。
 当局は葬儀方式をめぐってナワリヌイ氏側を脅迫したという。ナワリヌイ氏側は死去8日目の23日、「当局がナワリヌイ氏の母親に、3時間以内に秘密裏に埋葬することに同意しなければ、遺体は引き渡せないと言った」と明らかにした。ロシア人の多くが信仰する正教会の伝統によると、葬儀は死後9日目に行われる。葬儀が大規模な反政府集会に発展する可能性を遮断するため、当局がその時期が過ぎた後に遺体を引き渡したとみられる。
 ナワリヌイ氏の葬儀が行われるかどうかは不透明だ。24日、ナワリヌイ氏の報道担当者キラ・ヤルミシュ氏は、ソーシャルメディアX(旧ツイッター)に、「葬儀はまだ行われていない。遺族が望む方式の葬儀を当局が許可するかどうか見なければならない」と書いた。
 APによると、追悼の動きが続く中、人権団体「OVD-info」は、同日午前だけで27人が逮捕されたと明らかにした。ある78歳の老人は、道で天使の羽をつけたナワリヌイ氏の写真を持って立っているところを逮捕された。
       イ・ジユン記者 asap@donga.com


「AFP」 2024年2月23日 13:34 発信地:モスクワ/ロシア
■ロシア当局、「秘密裏に埋葬を」と圧力 ナワリヌイ氏母

【写真】北極圏の刑務所で死亡したロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の写真を手に、抗議デモに参加する人。英ロンドンのロシア大使館前で(2024年2月16日撮影)。(c)Daniel LEAL / AFP
【写真】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が収監されていたモスクワ東方約250キロのメレホボにある刑務所を後にする母親のリュドミラ・ナワルナヤさん(左)と親族(2023年7月19日撮影)。(c)Natalia KOLESNIKOVA / AFP 
【写真】北極圏の刑務所で死亡したロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の写真を手に、抗議デモに参加する人。ベルギー・ブリュッセルで(2024年2月16日撮影)。(c)KENZO TRIBOUILLARD / AFP 

【2月23日 AFP】先週ロシア北極圏の刑務所で死亡した反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の母、リュドミラ・ナワルナヤ(Lyudmila Navalnaya)さんは22日、ロシア当局から同氏の遺体を「秘密裏に」埋葬することに同意するよう当局に圧力をかけられていると明らかにした。
 ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領を最も声高に批判してきたナワリヌイ氏の母、リュドミラさんは遺体との対面を数日間拒まれた後、21日にようやくナワリヌイ氏が収容されていた刑務所に最も近いヤマロ・ネネツ(Yamalo-Nenetsky)自治管区の主要都市サレハルド(Salekhard)の安置所で遺体を見せられたと語った。
 ナワリヌイ陣営がSNSに公開した動画で、リュドミラさんは「昨日の夕方、密かに遺体安置所へ連れて行かれ、そこでアレクセイを見せられた」と語った。だが、捜査当局はナワリヌイ氏を「別れを告げる機会も設けず秘密裏に」埋葬したがっているという。
 リュドミラさんは「彼らは私を脅迫し、アレクセイを埋葬する場所、時、方法について条件を付けてきた。これは違法だ」と非難した。


「中央日報日本語版」 2024.02.21 07:30
■ナワリヌイ氏の母「葬儀できるよう息子の遺体返してほしい」プーチン大統領に訴え

【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏

 獄中死したロシアの反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏の母親が遺体を引き渡すようロシアのプーチン大統領に訴えた。
 ナワリヌイ氏の母親のリュドミラさんは20日にユーチューブに投稿した動画で「プーチン大統領に訴える。あなただけが決められる」としてナワリヌイ氏の葬儀を行えるようにしてほしいと要請した。
 リュドミラさんはナワリヌイ氏が死亡したシベリアのヤマロネネツ自治区第3刑務所を背景にした動画で「5日にわたり息子と会えず遺体を引き渡してもらえなかった。息子がどこにいるのかすら聞けなかった。人間的な方法で葬儀を行えるようアレクセイの遺体をすぐに返すよう要求する」と促した。
 リュドミラさんはナワリヌイ氏が死亡した翌日の17日に息子の遺体が安置されたとされる第3刑務所に近いサレハルドの霊安室を訪ねたが遺体を見ることはできなかった。
 ナワリヌイ氏の広報担当者は前日に死因を調査中の連邦捜査委員会がリュドミラさんに遺体を解剖検査するのに最小14日かかると話したと伝えた。
 一方、ナワリヌイ氏の突然の死亡にプーチン大統領がかかわったという西側の疑惑提起にロシア大統領府は積極的に対応している。
 ロシア大統領府のペスコフ報道官はこの日の会見で、ナワリヌイ氏の妻ユリアさんが夫の死の背後にプーチン大統領がいると演説したことに対し「大統領に対する根拠なく低俗な非難」と一蹴した。続けて「ユリアさんがわずか数日前に夫を失った点を考慮しこの問題を論評なく残しておく」と明らかにした。
 プーチン大統領をはじめとするロシア高官らの不正腐敗を暴露しロシア野党圏指導者に浮上したナワリヌイ氏は苛酷な環境で悪名高いシベリアのヤマロネネツ自治区第3刑務所で服役していたが16日に死亡した。
 ロシア矯正当局はナワリヌイ氏が散歩後に帰ってきて意識を失い倒れたと発表したが、ナワリヌイ氏支持者らと西側諸国は殺害疑惑を提起しながらプーチン大統領とロシア政府を批判している。


「中央日報日本語版」 2024.02.21 07:16
■ナワリヌイ氏の生前の獄中手紙「ロシアも韓国のような民主主義は可能」

【写真】ケリー・ケネディ氏が公開したアレクセイ・ナワリヌイ氏の生前の手紙。[写真 ケリー・ケネディ氏のインスタグラム キャプチャー]

 刑務所収監中に亡くなったロシア野党圏の指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が生前に手紙を通じて韓国の民主化について取り上げていたことが伝えられた。
 19日(現地時間)、米日刊紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)はナワリヌイ氏が生前やりとりした手紙を入手して報じた。
 ナワリヌイ氏は昨年9月、ジャーナリストの知人に宛てた手紙で韓国の民主化に言及した。この中で「韓国と台湾が独裁から民主主義へ履行できたのであれば、きっとロシアもそのようにすることができる」としながら「希望だ」と書いたとNYTは伝えた。
 プーチン大統領をはじめとするロシア高位官僚の不正腐敗を暴露してきたナワリヌイ氏は過酷な環境で悪名高いシベリアのヤマロ・ネネツ自治管区第3刑務所で服役している間、16日に亡くなった。
 ロシア矯正当局はナワリヌイ氏が散歩後に突然意識を失って倒れたと主張した。だが、彼は死亡前日までオンライン裁判で冗談を言いながら笑う様子を見せるほど元気だった。
 NYTは「彼が死亡直前まで知人とやりとりした数百通の手紙でも、つらい収監生活で弱気になったような情況は全く現れていなかった」と分析した。
 ナワリヌイ氏はラトビアに亡命したロシア人写真家エフゲニー・フェルドマン氏に宛てた手紙で、今年米大統領選で再選に挑戦するトランプ前大統領が掲げた公約が「本当に恐ろしい」と話した。あわせて高齢者のバイデン大統領の健康に問題が生じれば「トランプが大統領になるだろう」としながら「このように状況が明確なのに民主党は心配にならないのか」と疑問を投げかけた。
 人権活動家のケリー・ケネディ氏に宛てた手紙では、ロバート・F・ケネディ氏の演説中の強大な抑圧と抵抗の壁を壊す「希望の波」に関連した引用句が入ったポスターを送ってくれたことに謝意を表して「いつかこれを私の事務所の壁にかけることができることを願っている」と綴った。
 ナワリヌイ氏は300日以上にわたって独房生活を送るなど苦難の中にありながらも、検閲を前提に、インターネットを通した書信交換を許容する刑務所規定を活用して外部と絶えず連絡をやりとりしていた。昨年末、第3刑務所に移監され、インターネットでの書信をやりとりできなくなった後も家族などを通して周辺と連絡を取り続けてきた。
 先月は韓国食品メーカー「八道(パルド)」のカップラーメン「トシラク」をもっと余裕を持って食べたいと言って食事時間制限の廃止を要求して拒否されたこともある。


「The Hankyoreh」 2024-02-20 07:02
■急死した「プーチン狙撃手」、36キロ移動後病院へ…「遺体にあざの跡」
 野党の指導者、ナワリヌイ氏の死因隠ぺい疑惑浮上 
 「家族に遺体を引き渡してほしい」との請願も

【写真】ロシアの野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の生前の姿。 写真は2022年5月17日、ポクロフの第2刑務所(IK-2)で法廷で映された画像より/ロイター・聯合ニュース

 獄中で死亡したロシアの野党指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏の遺体を家族が確認できておらず、死因の隠ぺいが懸念されている。ロシア連邦捜査官らがシベリア北部の病院に安置された彼の遺体の調査に乗り出し、遺体からあざの跡を発見したという。
 ラトビアで発行されるロシア独立メディア「ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」は18日(現地時間)、ナワリヌイ氏の遺体が一般的に刑務所収監者の遺体が安置される安置所ではなく、シベリアのヤマロ・ネネツ自治区の中心都市、サレハルトの病院に安置されていると報道した。氏は同自治区にある第3刑務所で16日に突然死亡した。
 同メディアはナワリヌイ氏の遺体が刑務所から36キロメートル離れた村に移されてから、再びサレハルトの病院に送られたと報じた。サレハルトのある救急隊員は「ナワリヌイ氏の遺体にあざの跡があるという話を聞いた」とし、「伝え聞いたあざの形から見ると、強いけいれんを起こした時、隣で人々が捕まえてできたものと考えられる」と語った。さらに「間接心臓マッサージをした場合にできるようなあざが胸にもあったという話を聞いた」とし、「人々が彼を蘇生させようと試みており、おそらく心臓麻痺で亡くなったようだ」と伝えた。彼は遺体の解剖はまだ行われていないと付け加えた。
 同メディアは、他の消息筋の話として、ロシア連邦捜査委員会(ICRF)と連邦矯正当局の関係者らが同病院に到着し、死因の調査などに着手したと報道した。消息筋は「今からナワリヌイ氏の遺体と関連した問題、専門家の検視、死因究明などはすべてこれら調査官が処理するだろう」と語った。

【写真】ロシア・サンクトペテルブルグの政治弾圧犠牲者記念碑で、18日(現地時間)、市民たちが獄中で死亡した野党指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏を追悼するために献花している=サンクトペテルブルグ/AP・聯合ニュース

 この消息筋は、これから重要な問題は、誰をナワリヌイ氏死亡の「スケープゴート」にするかだとし、第3刑務所長のバディム・カリニン大佐と連邦矯正当局の現地責任者、イゴール・ラチキン氏が最も有力な人物として考えられると語った。
 連邦捜査委員会が調査に着手したことで、当分の間、遺体は家族に引き渡されないものとみられる。ロシアの人権団体「OVDインフォ」所属の弁護士は、連邦捜査委員会がナワリヌイ氏の遺体に対する「手続き的検討」を始めたとし、これに伴い法的に最大30日間遺体を家族に引き渡さないこともありうると話した。
 ナワリヌイ氏の家族と側近たちは死因の隠ぺいを懸念するとともに、迅速な遺体引き渡しを求めている。ナワリヌイ氏の報道担当者のキラ・ヤルミッシュ氏は「彼らは嘘をついており、遺体を引き渡さないためあらゆる努力をしている」と主張した。人権団体「OVDインフォ」はナワリヌイ氏の遺体を家族に引き渡すことを連邦捜査委員会に要請するのに1万2千人以上が参加したと明らかにした。同団体は「昨日から請願署名を始め、24時間も経たないうちに署名した人が1万2千人を越えた」と説明した。
シン・ギソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-02-2001:27


AFP」 2024年2月20日 10:14 発信地:ワルシャワ/ポーランド
■ナワリヌイ氏妻「自由のために闘う」 夫の遺志継ぐ決意表明

【写真】ベルギー・ブリュッセルで開かれた欧州連合(EU)外相理事会に臨むロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏(2024年2月19日撮影)。(c)YVES HERMAN / POOL / AFP
【写真】ベルギーのアジャ・ラビブ外相(左)と面会する、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏。ブリュッセルで(2024年2月19日撮影)。(c)YVES HERMAN / POOL / AF 
【写真】欧州連合(EU)のシャルル・ミシェル欧州理事会常任議長(EU大統領、左)に迎えられる、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏。ベルギー・ブリュッセルで(2024年2月19日撮影)。(c)YVES HERMAN / POOL / AFP 
【写真】欧州連合(EU)のシャルル・ミシェル欧州理事会常任議長(EU大統領、左)と握手する、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏。ベルギー・ブリュッセルで(2024年2月19日撮影)。(c)YVES HERMAN / POOL / AFP 
【写真】ベルギー・ブリュッセルで開催の欧州連合(EU)外相理事会に臨む、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏(左)とジョセップ・ボレル外交安全保障上級代表(2024年2月19日撮影)。(c)YVES HERMAN / POOL / AFP 
【写真】欧州連合(EU)のシャルル・ミシェル欧州理事会常任議長(EU大統領、右端)に面会するロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏。ベルギー・ブリュッセルで(2024年2月19日撮影)。(c)YVES HERMAN / POOL / AFP 

【2月20日 AFP】先週獄死したロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の妻ユリア・ナワルナヤ(Yulia Navalnaya)氏は19日、訪問先のベルギー・ブリュッセルで、夫の活動を引き継ぐ決意を表明した。
 ユリア氏は、欧州連合(EU)外相理事会への出席に先立ち、自身のユーチューブチャンネルで、「私の夫は(ロシア大統領)ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)に殺された」と非難。「私はアレクセイ・ナワリヌイの活動を続ける。祖国の自由のために闘い続ける」とし、「私に力を貸してほしい」と訴えた。

 ユリア氏の決意表明は、ナワリヌイ氏の死後、リーダー不在となったロシアの野党勢力にとって予想外の展開となった。
 ロシアでは3月15~17日に大統領選が実施されるが、プーチン氏の実質的な対抗馬は存在せず、野党陣営の大半は亡命するか収監中、または既に死亡している。(c)AFP


AFP」 2024年2月20日 9:05 発信地:モスクワ/ロシア
■ロシア当局、ナワリヌイ氏遺体「14日間渡さない」 同氏広報は隠蔽工作と非難

【写真】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏。モスクワ市裁判所提供の動画より(2021年2月2日撮影)。(c)AFP PHOTO / Moscow City Court press service / handout

【2月20日 AFP】獄死したロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の広報担当者は19日、同氏の母親らが捜査当局から、遺体は「少なくとも2週間」保管して化学検査を行うと告げられたことを明らかにした。同担当者は隠蔽(いんぺい)工作だとの見方を示した。
 ロシア当局は16日にナワリヌイ氏の死亡を発表したが、母親はまだ遺体と対面できていない。
 広報担当のキラ・ヤルミシュ(Kira Yarmysh)氏はユーチューブで、「捜査当局はアレクセイの母親と弁護士に遺体の引き渡しを拒否し、14日かけて化学的な分析・調査を行うと伝えた」と指摘。
 その後X(旧ツイッター)で「繰り返すが、ナワリヌイの遺体は殺害の痕跡を隠蔽するため隠されている。14日間で『化学的な分析』を行うというのは真っ赤なうそ、茶番だ」と非難した。


AFP」 2024年2月19日 19:08 発信地:モスクワ/ロシア
■ナワリヌイ氏の獄死、捜査延長へ ロシア当局

【写真】ロシア・モスクワの裁判所で開かれた聴聞会にビデオリンクで出席する反体制派指導者故アレクセイ・ナワリヌイ氏(2023年6月22日撮影)。(c)Natalia KOLESNIKOVA / AFP


【2月19日 AFP】ロシアの捜査当局は19日、、反体制派指導者の故アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の獄死に関する捜査について延長する旨を、同氏の母親と弁護士らに伝えた。ナワリヌイ氏の広報を担当するキラ・ヤルミシュ(Kira Yarmysh)氏が明らかにした。
 ヤルミシュ氏はX(旧ツイッター)への投稿で「捜査がいつまで続くかは分からない。死因はまだ『未確定』だ。彼らはうそをつき、時間を稼ぎ、それを隠そうともしていない」と批判した。


https://www.afpbb.com/articles/-/3505540?pid=26543517                                                                                                  「AFP」 2024年2月17日 14:38 発信地:ミュンヘン/ドイツ                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
■プーチン氏は「残虐行為」で裁かれるべき ナワリヌイ氏妻
                                                                                        
【写真】ドイツで開催されたミュンヘン安全保障会議に出席した、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏(2024年2月16日撮影)。(c)KAI PFAFFENBACH / POOL / AFP

【2月17日 AFP】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏が収監先の刑務所で死亡したのを受け、妻のユリア・ナワルナヤ(Yulia Navalnaya)氏は17日、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領はロシアとナワリヌイ氏の家族に対する「残虐行為」で裁かれなければならないと訴えた。
 ユリア氏はドイツで開催されたミュンヘン安全保障会議(Munich Security Conference)で、「プーチンとその部下全員には、私たちの国、私の家族、私の夫への仕打ちに対する罰をいつか受けることになるのを知ってほしい」と語った。 
 「私たちは今、ロシアでこの恐ろしい政権と闘わなければならない。ウラジーミル・プーチンは、ロシアでの近年の残虐行為に対して個人的に責任を負うべきだ」。
 ユリア氏はミュンヘンで、アントニー・ブリンケン(Antony Blinken)米国務長官と面会。ブリンケン氏は弔意を伝え、ナワリヌイ氏の死の責任はロシアにあると強調した。
 一方、ナワリヌイ氏の母、リュミラ・ナワルナヤ(Liumila Navalnaya)さんは、いかなる「お悔やみの言葉」も聞きたくないと述べた。
 ロシア独立系紙ノーバヤ・ガゼータによると、リュミラさんは「12日に刑務所で息子と面会した。息子は生きていた。健康で、明るかった」とフェイスブックに投稿している。


「The Hankyoreh」 2024-02-19 09:55
■ナワリヌイ氏を追悼する市民まで連行…プーチン政権、遺体も家族に渡さず
 「最後に残った民主陣営の終末」と哀悼 
 プーチン大統領の側近ら、国際的な孤立の深まりを懸念 
 ロシア政府、閉鎖・排他性強化に乗り出す見通し

【写真】17日(現地時間)、モスクワのソ連時代の政治犯記念施設の近くに設けられたアレクセイ・ナワリヌイ氏の追悼場所に市民が花を捧げている=モスクワ/EPA・聯合ニュース

 ロシアの代表的な野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が獄中で突然死亡したことを受け、暴圧統治を続けているウラジーミル・プーチン政権の「正当性の危機」がさらに深まる見通しだ。ロシアの国際的な孤立も深まり、ウクライナ戦争終結の糸口を見出すことも期待できなくなった。
 ナワリヌイ氏が収監されていたシベリアのヤマロ・ネネツ自治区の刑務所で16日(現地時間)に突然死亡した後、モスクワに設けられた臨時の追悼場所で静かな追悼の列が続くなど、ロシア全域でナワリヌイ氏の死を悼む動きが広がっている。ロイター通信が17日付で報じた。ロシアの人権団体「OVDインフォ」は、同日午後までで全国36都市で追悼者401人が警察に連行されたと明らかにした。
 追悼者は強い怒りと絶望をあらわにした。モスクワの追悼所で献花したウラジーミル・ニキチンさん(36)はロイターのインタビューで、「ナワリヌイ氏の死はぞっとするものだ。希望が粉々に砕けた」と語った。また別の追悼者は「彼が未来に何かを成し遂げる人物と期待してきた」と言い、死を悼んだ。追悼所には「私たちは忘れない、容赦もしない」と書いたメモなどが貼られていた。
 弁護士出身で2000年に政治に飛び込んだナワリヌイ氏は、政府の腐敗と人権弾圧を強く批判し、プーチン大統領の最大の政敵として浮上。その後、生死をさまよう危機を乗り越え、プーチン大統領に対抗するロシアの良心として大きな注目を集めてきた。2020年8月20日、シベリアからモスクワに向かう飛行機で毒物中毒症状で意識を失い、ドイツに移って治療を受けた。しかし、亡命ではなく翌年1月17日に帰国を選んだ。多くの人々が懸念したとおり、ロシア政府は2014年の金品違法取得容疑で下された有罪判決の執行猶予決定を取り消し、ナワリヌイ氏を収監した。その後、氏は過激主義扇動などの疑いで30年以上の懲役刑を宣告された。氏は獄中でもウクライナ戦争に反対する声をあげるなど、政府批判を続けた。
 ナワリヌイ氏の突然の死は、ロシア政府の弾圧で大きく萎縮した民主陣営の終末につながるという憂慮を生んでいる。米シカゴ大学のコンスタンチン・ソニン教授(政治経済学)は、「もはやロシアでプーチンの言葉に疑問を呈したり、反対の声をあげることさえ、どうやったら可能なのか不明になった」と懸念を示した。
 ロシア連邦捜査委員会は、最長30日にわたりナワリヌイ氏の死亡に対する「手続き的検討」に入るとし、遺体を家族に引き渡していない。ロシア政府が死因を隠ぺいするだろうという懸念が高まる中、クレムリン宮(ロシア大統領府)の内外でも、現在の状況を気にかける声があがっている。ロシアの独立メディア「メドゥーザ」は、クレムリンの政治戦略家と政権与党「統合ロシア党」の関係者らが、来月15~17日に予定された大統領選前に発生した今回の事態がプーチン大統領にとって「非常に否定的な状況」になるという見通しを示したと報じた。別の政府関係者も「(プーチン)大統領は(西側から)再び手を血に染めた独裁者であり殺人者と呼ばれることになるだろう」と述べた。消息筋は、「ナワリヌイ氏の死去後、西側諸国ではプーチン大統領との対話を決して容認できないというムードが強まり、丸2年となるウクライナ戦争を終結させるための交渉の可能性もほぼ消えた」と診断した。
 実際、米国のジョー・バイデン大統領はナワリヌイ氏死亡のニュースが流れた直後、「ナワリヌイ氏の死がプーチンとその側近のならず者たちが行った何らかの行動にともなう結果だということは疑う余地がない」と述べた。欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長も「ナワリヌイ氏の死に対するロシアの責任を問うための努力を惜しまない」と約束した。英国のデービッド・キャメロン外相も、西側の主要7カ国(G7)とともにロシアに対する対応措置を検討すると宣言した。
 ロシアの反体制派は、西側の強力な対応を求めた。英国で亡命生活を送っているロシアの民間石油会社ユコスのミハイル・ホドルコフスキー元会長は、政治専門メディア「ポリティコ」への寄稿で、3月の大統領選でプーチンが再選しても西側諸国は絶対に結果を認めてはならないと述べた。さらに、西側がプーチンといかなる接触をしたとしても平和の試みを引き出すことはできないとし、ウクライナに対する強力な軍事支援だけが戦争を終わらせることができると強調した。
 ナワリヌイ氏の死は、ロシアの閉鎖性と排他性をさらに強めるものとみられる。メドゥーザは、プーチン大統領の側近の言葉を引用し「政府はナワリヌイが死亡した時に備えた対応策をすでに準備している」と伝えた。また、ロシア政府が「西側が過激な反政府派の人物の死を機に、プーチン大統領に打撃を与えようと大騒ぎするだろう」や、「ナワリヌイの死は西側だけに利益を与える」、「ロシア内の強硬派がナワリヌイを除去したことでウクライナ戦争を終わらせるための交渉を座礁させた」などの主張を同時多発的に広めるだろうと予想した。
シン・ギソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
韓国語原文入力:2024-02-19 07:08


「The Hankyoreh」 2024-02-19 07:11
■ロシアの野党指導者の死めぐる相次ぐ疑惑…極寒の監房、毒物中毒、疑惑の注射まで

【写真】17日(現地時間)、フランス・パリのエッフェル塔付近に、ロシアの野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏を追悼し「愛は恐怖より強い」と書かれた紙が置かれている/ロイター・聯合ニュース

 「わずか4日前(面会で)会った時は元気に生きていたし、幸せそうだったのに…」。
 「プーチンの唯一の政治的対抗馬」と呼ばれたロシアの野党指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)の突然の死に、母親のリュドミラさんは息子の死が信じられない様子だった。40代の若い政治家がロシア大統領選挙をわずか1カ月後に控えた16日(現地時間)、シベリアのヤマロ・ネネツ自治区のハルフ入植地にある第3刑務所(IK-3)に移監されてから2カ月後に突然死亡したことをめぐり、様々な疑惑が持ち上がっている。
 ロシア政府はナワリヌイ氏が死亡した状況について「刑務所で散歩をしている途中、『体調が良くない』と言った後、意識を失って倒れてから、回復できずそのまま死亡した」と発表した。ナワリヌイ氏が倒れて2分後に刑務所の医療スタッフが到着し、再び4分後に救急車が到着したが、命を救うことができなかったという。ロシアのインタファクス通信は「医療スタッフがナワリヌイ氏を助けるために30分近く努力したが無駄だった」と報じた。ナワリヌイ氏は同日午後2時17分に死亡した。
 ナワリヌイ氏の死をめぐり、欧米のマスコミはさまざまな推定をしている。 2021年2月、ロシア当局によって逮捕され収監された後、3年間にわたり300日間も独房に閉じ込められていたことから、ロシア政府が今回の死を意図した可能性が高いとみられている。ニューヨーク・タイムズはナワリヌイ氏が「収監期間の4分の1以上を『冷凍処罰監房』で過ごした」とし、「何が入っているか分からない注射を打たれたこともある」と報道した。昨年末、世界で最も過酷な刑務所の一つとされ、「北極オオカミ」という異名を持つ第3刑務所に移監されたことが、健康に致命的な影響を及ぼした可能性もあるという指摘もある。英国のBBC放送は、同刑務所は冬の気温が氷点下20度まで下がり、収監者に対する刑罰として、真冬にコートなしで外に立たせたり、冷水を浴びせかけたりする場合もあると報じた。5月になってようやく気温がマイナスからプラスに上がるが、夏には夜のない長い昼が続くなど、天気も収監者の健康に深刻な打撃を与えるという。
 ナワリヌイ氏は2021年に逮捕される4カ月前、旧ソ連時代に使われていた神経作用毒物「ノビチョク」によるテロで3週間にわたり死の淵をさまよった末に回復した。矯正当局は、ナワリヌイ氏にこれに対するきちんとした治療を施さなかったという。最近立っていられないほどの深刻な腰の病気で、足の片方が麻痺し、椎間板ヘルニアが疑われる状況もあったものとみられる。
 しかし、前日の15日、法廷に出席した時の映像では、精神と健康状態に異常がないように見えた。刑務所に収監されていたこの3年間にも、「プーチンのいないロシア」というウェブサイトを開設して反プーチン運動を行い、3月の大統領選挙でも有権者1人が他の10人を説得して反対票を投じるよう督励するなど、プーチン大統領にとって「目の上のたんこぶ」のような存在だった。BBCは「ナワリヌイ氏は法廷で余裕を見せたが、実際にはかなり憔悴した様子だった」と報じた。毒物中毒後、まともな治療を受けられない状態で、血管の中の血の塊(血栓)が固まって死亡に至ったのではないかという見方もある。日本経済新聞も18日付で、「(ロシアの捜査当局が)死因については調査中だが、過酷な環境での収監に伴う(事実上の)『殺人』という見方も出ている」とし、「3月のロシア大統領選挙を控えたプーチン政権がナワリヌイ氏の排除に動いたとの疑念も深まっている」と報道した。
 ナワリヌイ氏の死亡で、ロシアのプーチン大統領に対する国際社会の非難世論が高まっている。ジョー・バイデン米国大統領はナワリヌイ氏死亡のニュースが流れた直後、「ナワリヌイ氏の死がプーチンとその側近のならず者たちがした何らかの行動にともなう結果であることは疑う余地がない」と述べた。欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長も、「この死に対するロシアの責任を問うため、努力を惜しまない」と約束した。英国のデービッド・キャメロン外相も、西側の主要7カ国(G7)とともにロシアに対する対応措置を検討すると宣言した。ロシアと戦争中のウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は「プーチンは野党指導者であれ、自分にとって標的とみられる人であれば、誰でも殺す」と非難した。
 世界の世論も悪化している。BBCは17日、「ナワリヌイ氏は、ウラジーミル・プーチン大統領の統治に挑戦して死亡したロシアの著名人の中で、最も直近の事例になった」と説明した。ニューヨーク・タイムズは「プーチン大統領の反対勢力はほとんど逮捕されたか、海外に逃避したが、新たな殉教者(ナワリヌイ氏)の登場はプーチンに対する疑問と非難に力を与え、『プーチン神話』を維持することははるかに難しくなるだろう」と見通した。ただし、大統領選挙を控えた状況で「意図的他殺」でプーチン大統領が得るものはないという反論もある。ワシントン・ポストは「ロシアのエリート層の間では、ナワリヌイ氏が『殉教者』とみなされる可能性と、これを通じて西側がプーチン政権に対する決議を強化し、ウクライナ支援を増やす危険性があると指摘している」と報じた。
ホン・ソクチェ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-02-18 23:03


https://www.afpbb.com/articles/-/3505610
「 AFP」 2024年2月18日 12:13 発信地:モスクワ/ロシア
■ナワリヌイ氏追悼の市民拘束 ロシア・モスクワ

【写真】警官に拘束された、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み記念碑「悲しみの壁」の近くに来た女性。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP
【写真】警官に拘束された、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み記念碑「悲しみの壁」の近くに来た男性。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み涙ぐむ女性。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】警官に拘束された、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み記念碑「悲しみの壁」の近くに来た男性。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み供えられた花束。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み供えられた花束の傍らに立つ警察官人。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP 
【写真】ロシア・モスクワの記念碑「悲しみの壁」の前に、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み献花する人(2024年2月17日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP 
【写真】ロシア・モスクワの記念碑「悲しみの壁」の前に、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み献花する人(2024年2月17日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み記念碑「悲しみの壁」近くに集まって来た人々を連行する治安部隊。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】警官に拘束された、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み記念碑「悲しみの壁」の近くに来た女性。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み記念碑「悲しみの壁」の前に集まった人々。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼む人々を監視する治安要員。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み献花する人々。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼み献花する人々。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP 
【写真】アレクセイ・ナワリヌイ氏の死を悼む人々を取り締まるため出動した警官隊。ロシア・モスクワで(2024年2月17日撮影)。(c)Olga MALTSEVA / AFP

【2月18日 AFP】ロシアの首都モスクワで17日、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の死を悼んで献花するため政治弾圧犠牲者の記念碑を訪れた人々が警察に拘束された。AFP記者や独立系メディアが目撃した。
 独立系メディア「SOTA」が流した動画には、静かに追悼している人々をマスクで顔を覆った警察官が拘束している様子が捉えられている。
 AFP記者は、2人が拘束され、「悲しみの壁」と呼ばれる記念碑に人々が近づかないよう警察官が制止しているのを目撃した。SOTAは、15人以上が拘束されたとしている。
 記念碑には花やろうそくが供えられ、周囲に積もった雪の上にも花が置かれていた。
 花束の間には、「私たちは忘れない。許さない。責任を負うべきものは罰せられるだろう!」と記された紙が添えられていた。
 別の紙には、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領に宛て、「次は誰を?」との問いかけも見られた。


「AFP」 2024年2月18日 10:37 発信地:モスクワ/ロシア
■ロシア当局、ナワリヌイ氏の遺体引き渡し拒否 陣営「痕跡隠蔽」と非難

【写真】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(2021年1月17日撮影)。(c)Kirill KUDRYAVTSEV / AFP 
【写真】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(2015年3月6日撮影)。(c)PHILIPP KIREEV / AFP 
【写真】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(2011年12月24日撮影)。(c)Kirill KUDRYAVTSEV / AFP 

【2月18日 AFP】ロシア北極圏の刑務所で死亡した反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の陣営は17日、遺体の引き渡しに応じない当局を「殺人犯」であり、「痕跡を隠蔽(いんぺい)している」と非難した。
 ナワリヌイ氏の広報を担当するキラ・ヤルミシュ(Kira Yarmysh)氏によれば、母リュミラ・ナワルナヤ(Liumila Navalnaya)さんと弁護士は17日、収監先の刑務所を訪れたが、遺体との対面を拒否された。
 陣営はテレグラムへの投稿で、「殺人犯が痕跡を隠蔽したいがためにアレクセイ(・ナワリヌイ氏)の遺体を引き渡さず、母親からも隠しているのは明らかだ」と指摘した。
 ヤルミシュ氏はオンライン配信で「ロシア当局は、アレクセイの殺害方法が露見するのを望んでいない」と、これまでで最も強い言葉で非難した。
 リュミラさんと弁護士は17日、ナワリヌイ氏の死因について「突然死症候群」と伝えられた。この用語は具体的な医学的意味を持たず、あいまいな表現だ。
 ヤルミシュ氏は「それが死因であるはずがない」と述べた。


「AFP」 2024年2月16日 21:02 発信地:モスクワ/ロシア
■ロシア反体制派ナワリヌイ氏が死亡 収監中の矯正労働収容所で

【写真】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏。モスクワの裁判所で(2021年2月20日撮影)。(c)Kirill KUDRYAVTSEV / AFP

【2月16日 AFP】ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏が16日、懲役19年を言い渡され服役していた北極圏の矯正労働収容所で死亡した。刑務当局が発表した。
 発表によると、ナワリヌイ氏は「散歩の後に気分が悪いと訴え、直後に意識を失った」という。「直ちに医療スタッフが到着し、救急班が呼ばれた。蘇生措置が行われたが、救急隊が受刑者の死亡を確認した。死因については現在調査中」だとしている。(c)AFP
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「「朝鮮学校が怖いのか」…「反省しない日本」に鞭をとった市民たち」

2024年03月04日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2024-02-26 08:28
■「朝鮮学校が怖いのか」…「反省しない日本」に鞭をとった市民たち
 「朝鮮学校差別反対」第555回集会現場 
 「無償教育排除」に反発、2012年3月1日に創立した大阪の市民団体 
 毎週「火曜行動」…「同じ税金納めるのになぜ差別するのか。歴史に恥じないようにしてほしい」。

【写真】「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」の会員たちが6日、大阪府庁舎前で第555回「火曜日行動」を開いた。長崎由美子事務局長(右から2番目)は、同団体の集会を写真で報じたハンギョレ新聞(2012年10月15日付)を取り出した=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 今月6日午前11時30分、大阪市の大阪府庁舎前。ここは大阪の東側地域で、大阪城がすぐ隣にある。40代から80代に見える人々が三々五々集まってきた。約30人だった。
 ある人はスピーカーをつなぎ、ある人は太鼓とタンバリンを手に取った。「子どもたちの明るい未来のために」と書かれた横断幕が見えた。みんな決然とした顔だった。この日の気温は7度だったが、風が強かった。寒空の下、横断幕を持っている手が冷え切っているようで、気の毒だった。
 正午になると、日本の朝鮮学校を応援する集会が始まった。日本の市民団体「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」(以下、連絡会)が主催した555回目の「火曜日行動」集会だった。連絡会は2012年3月1日、創立大会を開いた。韓国の三一節に合わせた設立だった。同年4月17日から大阪府庁舎前で毎週火曜日に集会を開いている。

◆12年前の新聞に掲載された集会の写真
 朝鮮学校は1945年8月の解放後、日本に残っていた在日朝鮮人たちが子どもたちに朝鮮半島の言葉と歴史を教えるために建てた学校だ。1955年、在日本朝鮮人総連合会(総連)が結成された後、総連が学校運営を支援した。
 現在、日本の朝鮮学校は幼稚園をはじめ、小中高校、大学まである。日本で朝鮮高級学校(以下、朝鮮学校)の無償化をめぐる議論は、約10年前にさかのぼる。2010年、日本の与党民主党は、同年4月から「教育の機会均等」を掲げ、高校の授業料を国が負担する高校無償化政策を進めた。日本にある韓国学校や国際学校など外国人学校にもこの政策が適用された。しかし当時、北朝鮮による日本人拉致問題が騒がれたことによって朝鮮学校への適用は見送られた。保守的な安倍晋三内閣が発足した2013年には、朝鮮学校は無償化の対象から完全に除外された。時を合わせて大阪府もこれまで朝鮮小・中・高級学校に交付してきた補助金を絶った。現在、日本全域にある朝鮮学校の数は60校余りだ。
 赤い帽子をかぶって集会に参加した長崎由美子連絡会事務局長がマイクを握った。 
 「寒い中、朝鮮学校への差別撤廃のために集まって下さり、ありがとうございます。今日皆さんが持っている横断幕は、(朝鮮学校で)生徒たちの美術の指導をしてくださる先生が火曜日行動をイメージして作ったものです。韓国から送られた横断幕もあります。希望が込められた横断幕のように、私たちもあきらめず前に進んでいかなければなりません」。

【写真】2013年2月7日、朝鮮学校の生徒と学校関係者たちが東京の衆議院会議室で記者会見を開き、「自民党政権の高校無償化(対象からの)排除の撤回」を求めている/聯合ニュース

 藤永壯連絡会共同代表がバトンを受け継いだ。「2013年2月20日は(日本)政府が無償化政策から朝鮮学校への高校無償化の根拠となる法律の条項を廃止し、無償化からの除外を決めた日なのです。(大阪府の)吉村知事は『全ての子どもたちに平等な教育を』と訴えますが、そこから朝鮮学校の生徒たちは排除されています。国連社会権委員会や人種差別撤廃員会からも、朝鮮学校に対する高校無償化からの排除は差別であり、補助金を支給するようにとの勧告が何度も出されています。国際社会・歴史に恥じないようにしてほしいと思います」。
 同日のデモに参加した大村和子さんは、古い新聞の1ページを広げ、差別の撤廃を求めた。2012年10月15日付のハンギョレ新聞の写真コラム「この瞬間」だった。当時10人余りが始めた「火曜日行動」を取り上げた写真と記事が載っていた。日本の市民団体「1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支える会」所属の田村佳子さんは「朝鮮学校問題に関心を持つようになったきっかけは、朝鮮学校の保護者の方々が税金を払っているのに、朝鮮学校に補助金が支払われないのはおかしいと思ったため」だとし、「日本人同様税金を払っているのに教育を受ける権利を享受できなければ不平等だ」と強調した。

【写真】連絡会の藤永壯共同代表(左から)、長崎由美子事務局長、新井信芳さんが大阪の居酒屋前で朝鮮学校支援のために販売するTシャツを見せている=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 集会に参加した新井信芳さんは、居酒屋を運営しながら朝鮮学校を応援するTシャツを売っている。彼は先日にあった「特別な販売」について語った。「昨年11月、一人の韓国の方が私の居酒屋で販売しているTシャツを見て、『日本に来てTシャツを買う』と約束しました。当時は私の本気度を少し疑っていたようですが、その韓国の方は今年2月に来てTシャツを買いました。このように日本と韓国市民の間で小さな縁が続き広がれば、朝鮮学校の子どもたちにもっと希望と応援を送れると思います」
 在日コリアンの高己蓮(コ・ギリョン)さんは最近、日本の群馬県朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑が撤去されたことを取り上げ、涙声で話した。「日本全国には160か所の朝鮮人慰霊碑があります。それらはみな行政が作ったのではなく、日本の良心が、長い時間をかけ、たくさんの労力と資金を集めて作ったものです。 一日二日で追悼碑を壊したからといって、100年の歴史が消えるわけではありません。朝鮮学校の差別問題も同じです」。
 集会の合間に参加者たちはアコーディオンを演奏し「故郷の春」などの歌を歌ったりもした。在日コリアンのチン・スンウォンさんは「寒くても、胸は熱い」と話した。 集会を終え、参加者たちが韓国語の歌を歌った。タイトルは「勝利のその日まで」だった。 「顔を上げなさい。ため息を止めましょう。子どもたちの笑いを奪われるわけにはいかない。諦めず、くじけることなく、前進あるのみが私たちの道、勝利のその日まで」。

 「朝鮮学校差別反対」第555回集会現場 
 訴訟を支援したが、すべて敗訴…「安定した環境で勉強できるように寄付活動

【写真】連絡会の藤永壯共同代表(左から)、長崎由美子事務局長、新井信芳さんが大阪の居酒屋前で朝鮮学校支援のために販売するTシャツを見せている=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

◆「朝鮮学校は日本侵略の歴史の証人」
 集会を終えた後、藤永壯共同代表、長崎由美子事務局長、新井信芳さんが大阪南の西成に向かった。ここには新井さんが運営する特別な居酒屋がある。店の壁や天井、トイレなど、いたるところにチェ・ゲバラの写真が貼られている。居酒屋に本棚があるのも興味深い。本棚には在日韓国人スパイ団事件と光州(クァンジュ)民主化運動を取り上げた本が並んでいる。
 新井さんが運営する居酒屋の名前は「グランマ号」だ。チェ・ゲバラが1956年、フィデル・カストロと共にキューバ革命を夢見て乗った8人乗りボートと同じ名前だ。3人は保守的な日本社会で革命を夢見る革命家のようだった。
 555回目を迎えた「火曜日行動」に長崎事務局長は夫とともに毎回参加する。長崎事務局長は「集会に参加する度に、早く朝鮮学校差別がなくなり、これ以上集会を開かなくていいようになってほしいと願う」とし、「集会で感じられる情熱がとても素晴らしい。子どもたちのために一つになるような情熱だ」と語った。
 彼らが朝鮮学校に関心を持つようになったきっかけがあるのだろうか。「専門研究分野が韓国近現代史なので、朝鮮学校について少し知っていました。故郷はかつて朝鮮半島との往来の関門だった下関です。在日コリアンと朝鮮学校は幼い頃から身近な存在でした。連絡会の結成時に参加し、これまで活動しています」(藤永共同代表)
 「大学を卒業した後、保育園で働いていたのですが、70%が在日コリアンの子どもたちでした。でも子どもたちのための民族教育はまったくありませんでした。それで在日コリアンの保育士とともに、『チャルモゴッスムニダ(ごちそうさまでした)』などの韓国語を教えたり、クラスの名前を『サラン(愛)』や『パラム(風)』などに変えたりしました。サムルノリを習って子どもたちに教えたりもしました。そうしているうちに、子どもたちは自分のアイデンティティにプライドを感じるようになりました。保育園を卒業した子どもたちが朝鮮学校に入学し、その子どもたちが朝鮮学校の先生になったこともあります」(長崎事務局長)
 「私は横浜で育ちましたが、家の近くに朝鮮学校がありました。そこの生徒は、けんかが強いという印象がありましたね(笑)。その後、在日コリアンの友人もでき、居酒屋に在日コリアンの人たちがお客さんとして訪れて、朝鮮学校の問題を少しは知るようになりました。朝鮮学校の差別問題を聞いた時、政治と外交問題はともかく、『常識的におかしい』と思いました」(新井さん)

【写真】市民団体「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」の会員たちが6日、大阪市の大阪府庁舎前で第555回「火曜日行動」を開いた後、差別撤廃を求めてファイティング(ファイト)を叫んでいる=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 彼らは日本政府が朝鮮学校を差別する理由は何だと考えているだろうか。藤永共同代表は「日本は日帝強占期(日本の植民地時代)から(朝鮮の)民族教育を日本体制と秩序を揺るがす問題とみて弾圧した。現在、日本政府も日本人拉致・北朝鮮核問題などを理由に朝鮮学校に対する差別を正当化している」と語った。
 長崎事務局長は「日本が植民支配と侵略戦争を反省しない状況で、子どもたちが朝鮮学校で歴史と文化を学ぶことを負担に思うため」とし、「朝鮮学校自体が歴史の証人になりうるため、弾圧しているのだと思う」と指摘した。

◆「牛の角を刺す蜂」となって活動を続ける
 2013年から東京、大阪、愛知、広島、福岡の5校の朝鮮学校が、無償化からの排除取り消しを求める訴訟と国家賠償訴訟を起こした。しかし、2021年まで続いた裁判は、大阪地方裁判所(一審)で一度勝訴しただけで、いずれも敗訴した。勝訴した大阪一審も最高裁では敗訴が確定した。
 連絡会は募金などで朝鮮学校の訴訟を支援した。「朝鮮学校内部でも最初は負担になる法廷闘争を積極的に望んではいなかったと聞きました。それでも乗り出さざるを得なかったのは、日本政府の差別政策を見過ごすわけにはいかず、子どもたちの未来と人間の尊厳を守るためでした」(藤永共同代表)
 「最初は(補助金支援を絶った)大阪府と交渉して交付金問題を解決しようとしました。ところが2010年に大阪のある朝鮮学校の関係者が相談しに訪ねてきたんです。当時、橋下徹大阪府知事が大阪朝鮮高級学校を訪れ、ラグビー部の練習を観戦しながら『君たちは大阪の誇り』だと言った後、補助金支給を絶ってしまいました。子どもたちの心に大きな傷が残り、政治に不信感が生まれました。それが裁判を起こした理由でした。裁判が難しいことは分かっていましたが、正義が生きていると信じたかった。しかし、正義はありませんでした」(長崎事務局長)
 裁判の結果が示すように、日本の司法府も差別的認識から自由ではない。「日本の裁判所の歴史認識の不在だと思います。植民地支配で奪った民族教育権を回復しなければならないという歴史的意味を認識できていないか、認識しようとしなかったのです。これは現在の日本社会の朝鮮植民地支配に対する歴史認識を反映するものでもあります」(藤永共同代表)
 「植民地支配と侵略戦争を認めようとしない日本の保守化した政治と関連があると思います。日本の政界が強制動員や関東大震災、慰安婦問題などに保守的な態度を示しているため、司法府も顔色を窺わざるをえないようです」(長崎事務局長)
 日本社会で少数者中の少数者である朝鮮学校を支援するのは、「牛の角を蜂が刺す」ように極めて困難なことだ。司法府まで背を向けた状況で、彼らが今後どのような活動をするかが気になった。「敗訴してもひるまない在日コリアンのオモニ(母親)たちの前向きな姿勢がどれほど力になったか分かりません。法廷では負けましたが、今回の訴訟を通じて解決しなければならない新しい課題も多く出てきました。朝鮮学校の関係者たちと市民団体、法律家たちと共に連帯して情報を集め、新しい課題を探そうと思います。いつかは解決できると信じて、再び始めたいと思います」(藤永共同代表)
 長崎事務局長は「裁判で負けた後、朝鮮学校の子どもたちは自分の存在を否定された感じがしたと言ったけれど、民族教育がどれほど大切なのかに気づき、次の世代にもつなごうと誓ったとも言っている」とし、「寄付活動を通じてもっと安定した環境で勉強できるようにしたい」と語った。
 韓国でも保守政権が発足すれば、市民団体は活動が困難になる。日本はどうだろうか。長崎事務局長は「保守的な政界とともに、保守的なマスコミが問題」だとし、「政府の見解に合わせて、市民団体活動をまともに報道しない場合が多い」と話した。藤永共同代表は「今より若い層が市民団体に多く入ってきて活動をしなければならない。もっと若い人たちが市民団体の活動に関心を持ってほしい」と語った。
 彼らは皆、韓国現代史にも詳しかった。新井さんは「全斗煥(チョン・ドゥファン)は光州(クァンジュ)で民間人を虐殺した悪い人だ」と話した。長崎事務局長はさらに「大学生時代に、金大中(キム・デジュン)死刑反対集会に参加したことがあります。当時は韓国の独裁政権でこの方(金大中元大統領)が生き残れるのか心配でした。ところが、後で韓国の大統領になったのが印象的でした」。藤永共同代表は「日本の市民社会が韓国に関心を持つようになったきっかけは、金大中救命運動だった」とし、「1980年に光州で独裁政権が残酷さを見せたが、1987年の民主化運動で韓国のダイナミックさを見ることができた」と語った。

 「朝鮮学校差別反対」第555回集会現場

【写真】今月7日、日本の大阪市東大阪にある朝鮮学校の様子。正門の銅版には「大阪朝鮮高級学校」と漢字とハングルで書かれている=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

◆「総連と民団を区分して人と付き合ったりはしません」。
 今月7日午後1時、大阪市の東側にある朝鮮学校前。正門の銅板には「大阪朝鮮高級学校」と、漢字とともにハングルで書かれていた。校庭の中にはすでに咲いた椿の花が見え、運動場には何人かの生徒たちがサッカーの練習をしていた。教室では子どもたちが「キャハハ」と笑いながらじゃれ合う声が聞こえてきたりもした。
 これに先立ち、ハンギョレは大阪朝鮮高級学校や神戸朝鮮高級学校などに記事の趣旨を説明し、インタビューを要請した。しかし、最近南北関係が悪化した状況を反映するかのように、学校側はインタビューを断った。韓国では、朝鮮学校の差別問題を扱った映画の制作過程で総連と朝鮮学校の関係者に接触したという理由で制裁を加えようとしている。統一部は昨年11月、朝鮮学校問題を取り上げたドキュメンタリー『差別』を制作したキム・ジウン監督に、総連と朝鮮学校関係者に接触したという理由で「南北交流協力に関する法律」により過料が賦課される可能性があるという公文書を送り、「南北交流検閲」という議論を呼んだ。南北交流協力法によると、「北朝鮮住民」に会うためには、詳細な人的事項を書いて事前接触申告を行わなければならない。しかし、会う人の身元を特定するのが難しかったり、予期せぬ接触が行われたりすれば、事後申告もできる。しかし統一部は「事前申告」を強調して違反事例を捜し出し、事後申告も拒否している。
 キム監督は『差別』を作った契機を説明し、戸惑いを隠せなかった。「2017年、広島で朝鮮学校無償化訴訟の初判決が出ました。当時、ある在日コリアンがソーシャルメディアに掲載した動画を見て、大きな衝撃を受けました。在日コリアンたちが裁判長の前で泣き叫んで号泣する姿を見て、映画監督としてこのままではいけないと思いました」。
 その後、キム監督は日本のさまざまな地域を回りながらドキュメンタリーを撮り始めた。 「朝鮮学校を応援し、支援する多くの日本人がいることに驚きました。日本の市民団体や弁護士、市民の活動に大きな感銘を受けました。それから2年間記録し、2021年にドキュメンタリーが完成しました」。
 
【写真】大阪高等裁判所が2018年9月27日、大阪朝鮮高級学校の高校無償化控訴審で原告敗訴を言い渡したことを受け、朝鮮学校側関係者たちが「子どもたちを司法が見捨てた!」、「不当判決」と書かれた紙を掲げて見せている=キム・ジウン監督提供//ハンギョレ新聞社

 キム監督は「『差別』が統一部推薦ドキュメンタリーになってほしいという願いがあった」と言うが、現実は正反対だった。『差別』は釜山国際子ども青少年映画祭とソウル国際子ども映画祭から招待も受けていた。「韓国の中学や高校で上映会を開き、同年代の朝鮮学校の子どもたちも紹介し、在日コリアンの歴史もきちんと教えたいという考え」も水の泡になった。
 「李明博(イ・ミョンバク)政権や朴槿恵(パク・クネ)政権時代も、朝鮮学校の交流事業や訪問を南北交流協力法で阻止する事例はほとんどありませんでした。現政権の統一部は本当に情けなく、残念です。南北交流と協力のための法律を、交流を防ぐ法律として悪用するなんて…」。キム監督は21日から日本の北九州、広島、京都で『差別』上映会を開いている。
 韓国の市民団体「朝鮮学校と共にする人々、モンダンヨンピル(ちびた鉛筆)」も統一部から朝鮮学校の人々に接触した経緯書の提出を求められた。モンダンヨンピルのキム・ミョンジュン事務局長は「朝鮮学校は、国に力がなくて日本に強制的に連れて行かれた多くの朝鮮人の無念が込められた教育機関であり、解放された祖国に帰るために子どもたちに朝鮮語と文字を教えるために建てた学校だった」とし、「イデオロギーと政治にかかわらず支援すべき学校だが、統一部はこのような活動を展開する市民団体に対して、過去の活動を調査し脅しをかけようとしている」と批判した。
 朝鮮学校を支援している日本人も「不思議だ」という反応を示した。「私の知人の在日コリアンたちは総連か民団かを区分して付き合ったりはしません。ところが、総連の人に会う時に申告しなければならないなら、市民社会活動をするのにかなり負担を感じざるをえません。尹錫悦(ユン・ソクヨル) 政権が、南北交流を全面的に阻止するために弾圧と意地悪をしているようです」(長崎事務局長)
 新井さんが販売するTシャツには次のような説明文が入っている。
 「日本社会が朝鮮非難を続ける中で、朝鮮学校は子どもたちがありのまま自分を認め、民族アイデンティティを育む大切なコミュニティです。自分にも誇りを感じ、他人の痛みに共感する朝鮮学校の卒業生たちは日本社会のあちこちで活躍しています。『繋いだその手を離さなければ必ず勝つ! 諦めないことが勝利への道!』韓国と沖縄の友人から送られたこの言葉を胸に刻みたいと思います。ご支援のほどよろしくお願いします」。
 この文は長崎事務局長が書いた。新井さんは居酒屋を訪れる客にこのTシャツを勧め、何人かはTシャツを買ってくれるという。このように小さな縁を結んだ人たちが子どもたちの人権保護と差別撤廃に力を合わせる。民族や政治、イデオロギーとは関係のないことだ。
大阪/チョン・ヒョクチュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-02-2500:09


「The Hankyoreh」 2024-02-25 23:00
■[インタビュー]「チマチョゴリ着替えた学生たち、勝訴判決に歓喜」
 朝鮮学校裁判弁護団の丹羽雅雄団長

【写真】丹羽雅雄弁護士(朝鮮学校裁判弁護団長)が8日、大阪市の事務所でインタビューに応じている=大阪/イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 今月8日、丹羽雅雄弁護士(朝鮮高級学校無償化裁判大阪弁護団長)を大阪市西天満の事務所に訪ねた。丹羽弁護士は日本の代表的な人権弁護士。

-朝鮮学校の法廷闘争に取り組むきっかけは?
 「2010年に、大阪にある朝鮮学校の関係者が訪ねてきて相談を受けたんです。当時、大阪府の橋下徹知事が『北朝鮮という国は暴力団のようだ』、『北朝鮮と関係を持つ学校や施設は相手にしない』と述べて補助金の打ち切りを決めました。補助金打ち切りに続き、10校の朝鮮高級学校が高校無償化制度から除外されました。相談を受けた時は大阪弁護士会の役員だったので事件は引き受けられませんでしたが、役員を辞めた後に弁護団を結成して市民と共に法的に対応しようと提案しました。訴訟にかかる費用は、財政的に厳しい朝鮮学校からは受け取らないことにしました。市民が寄付金を集めるとともに裁判が本格化したんです」。

-法的にどのようなことに焦点を当てたのですか。
 「日本政府は、朝鮮学校は総連と密接な関係があり、支援金が別の用途に使われる恐れがあると主張しました。朝鮮学校が『総連の不当な支配』を受けているという根拠を示すためでした。私たちは、朝鮮学校は民族教育を目的とする学校法人であるため、母国語と母国の歴史・文化の教育は民族教育にとって重要な意味があるということを強調しました。また『教育の機会均等原則』を掲げました。国連が教育差別を禁じていることも強調しましたね。平等に教育を受ける権利、自分が望む学校を選択する自由も私たちの主張の根拠としてあげました」。

-大阪地裁での一審判決は唯一の勝訴です。裁判当日はどうでしたか。
 「私たちより先に一審の終わった広島では敗訴しています。だからかなり緊張しました。傍聴席のいちばん前にはチマチョゴリを着た学生たちが座っていました。学生を標的としたテロのせいで今や学校の外では着られなくなったその制服をカバンに入れてきて、裁判所で着替えて法廷に入ってきた学生たちでした。息づかいさえ聞こえない重い沈黙が流れた後、裁判官が主文を読みあげはじめました。私のような弁護士は、主文の最初の部分で裁判の結果が直感的に分かるんです。『勝った!』 まもなく女子高生たちが立ち上がって抱き合うのを見て、民族と国籍を越えた共通の感情を感じることができました」。

-勝てたのはなぜだとお考えですか。
 「まず、朝鮮学校の保護者と学生が非常に助けてくれました。裁判官に子どもたちの気持ちを伝えるとともに、教育を受ける権利を示そうとしてきました。そのために朝鮮学校のすべての保護者と生徒を対象にアンケート調査を行いました。アンケート調査には、なぜ朝鮮学校を選択したのかなどの他、学校の良いところや良くないところなど、客観的な内容も多く含まれていました。弁護団は連絡会や朝鮮学校の関係者たちと模擬裁判も行いました。模擬裁判では、以前からこの問題をよく知っている方々は日本政府の立場から敗訴主張を、この問題をよく知らない方々は勝訴主張を展開しました。模擬裁判を通じて弱い部分をあぶり出し、論理をしっかり固めていきました。いつも終わったら必ず打ち上げ(笑)。韓国の市民団体の声明も証拠として提出しました。朝鮮学校は日本だけの問題ではなく、南北関係なく誤った戦争と歴史の問題だということを裁判所に理解させるためでした。これにより、在日同胞の教育問題に韓国は関心がないというイメージも払拭することができました」。

-大阪の一審判決も最高裁で覆され、すべて敗訴しました。
 「普遍的な人権の視点からみると非常に残念です。逆に韓国最高裁は、強制動員の被害者が日本企業を相手取って起こした損害賠償請求訴訟で2018年10月に原告勝訴の判決を下しました。『日本の朝鮮半島支配は違法であり、違法占領は韓日請求権協定の適用対象ではない」というのが肝ですよね。人権という面で意味のある判決でした。しかし日本の司法府は、このような歴史的な認識にもとづく判決を下すことができなかったと思います。非常に残念です」。

大阪/チョン・ヒョクチュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-02-24 08:00
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「ガザ侵攻抗議の米空軍関係者、死亡」

2024年03月02日 | 個人史・地域史・世界史
「AFP」 2024年2月27日 13:49 発信地:ワシントンD.C./米国
■ガザ侵攻抗議の米空軍関係者、死亡
【2月27日 AFP】米首都ワシントンのイスラエル大使館前で、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)への侵攻に抗議して焼身自殺を図った米空軍関係者の男性が死亡した。空軍が26日、発表した。
 SNSで拡散した動画には、男性が前日、大使館前で「ジェノサイド(集団殺害)には加担しない」と言った後に自身に火をつけ、「パレスチナを解放せよ」と叫ぶ様子が捉えられている。男性は、一部始終をライブ配信プラットフォーム「ツイッチ」で配信していたとされる。
 消防は、男性は重傷で病院に搬送されたとしていたが、空軍の広報官は26日朝、25日夜に死亡したと明らかにした。(c)AFP/Nicholas ROLL


「The Hankyoreh」 2024-02-27 08:07
■米現役軍人、イスラエル大使館前で焼身…「パレスチナに自由を」

 「これ以上ジェノサイドの共犯にはならない」 
 病院で治療を受けているが重体

【写真】25日(現地時間)現役の米空軍の軍人が焼身デモを行ったイスラエル大使館の周辺に警察が配備されている=ワシントン/WJLA via AP・聯合ニュース

 米国の軍人一人が25日(現地時間)、ワシントンにあるイスラエル大使館の前で、パレスチナ支持を訴えて焼身デモを行った。
 ロイター通信などの外信によると、この日午後1時頃、軍服を着た男性が体に火をつけ、警備と消防隊員の消火後、病院に移送された。この軍人は病院で治療を受けているが重体状態だと警察が明らかにした。米空軍の報道官は、この男性が現役の空軍の軍人だと確認されたことを明らかにしたが、具体的な身元は明らかにしなかった。
 この男性は、現場でパレスチナ支持を訴え焼身する様子をSNSで生中継したと、現地メディアが報じた。
 当時の動画には、男性がイスラエル大使館側に歩いていき、「私はこれ以上ジェノサイド(集団虐殺)の共犯にはならない」と語る様子が映っていた。彼は「過激デモをする」と言い、大使館前で体に火をつけてから倒れるまで、「パレスチナに自由を」と叫んでいたことが分かった。動画は現在は削除されている状態だ。
 イスラエル大使館の報道官は、焼身した人物の身元について判明している点はないことを明らかにした。
 イスラエルの外交公館の前では、イスラエルのガザ地区攻撃に反対する抗議デモがたびたび行われている。昨年12月には、米国アトランタのイスラエル領事館の前でも焼身デモが起きた。当時の現場からは、パレスチナの旗とガソリンなどが発見された。
パク・ピョンス先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-02-26 18:07


「AFP」 2024年2月26日 14:40 発信地:ワシントンD.C./米国
■米空軍関係者、イスラエル大使館前で自らに火 ガザ侵攻に抗議

【写真】米首都ワシントンのイスラエル大使館に通じる道路を封鎖するシークレットサービス(2024年2月25日撮影)。(c)Mandel NGAN / AFP

【2月26日 AFP】米国の首都ワシントンのイスラエル大使館前で25日、現役の米空軍関係者が自身に火を付けた。事件については、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)への攻撃に対する抗議行動だったと報じられた。
 現地消防当局は、午後1時(日本時間26日午前3時)少し前に「イスラエル大使館前で人が燃えている」との通報があり、現場に急行したとX(旧ツイッター)に投稿。現場に到着すると、火は既にシークレットサービスによって消し止められていたと明らかにした。
 消防によると、男性は病院に搬送された。「生命の危険がある重傷」だという。
 米空軍の報道官はAFPに、男性は現役の米空軍関係者だと認めたが、詳細には触れなかった。
 イスラエル大使館の報道官は、負傷した職員はいないと発表。また、男性との「面識はない」とした。
 米メディアによると、男性はライブ配信プラットフォーム「ツイッチ」で一部始終を配信していた。戦闘服を着用し、「ジェノサイド(集団殺害)には加担しない」と宣言し、自身に液体をかけた。
 その後、男性は自身に火を付け、「パレスチナを解放せよ!」と叫び、倒れた。
 ニューヨークタイムズによると、動画はツイッチから削除された。AFPは現時点で動画を確認できていない。
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「ウクライナ戦死者、3万1000人 ゼレンスキー大統領」

2024年02月28日 | 個人史・地域史・世界史
「AFP」 2024年2月26日 9:25 発信地:キーウ/ウクライナ 
■ウクライナ戦死者、3万1000人 ゼレンスキー大統領

【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士のひつぎの傍らで嘆く母親。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP
【写真】ウクライナ・キーウの独立広場で、ロシアとの戦いで命を落とした兵士を追悼する市民(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士の妻(中央右)と息子(中央)。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士のひつぎをさする母親。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士のひつぎの傍らで嘆く母親。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士の墓に土をかける遺族。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士のひつぎの周りで膝をつき、こうべを垂れる兵士。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士の遺影を持つ兵士。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士の追悼式典で演奏する楽団。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士のひつぎを運ぶ兵士。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ東部アウディーイウカ近郊で戦死した兵士のひつぎが運ばれるのを膝をついて見守る親族や友人。首都キーウ近郊のブチャで(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ・キーウの独立広場に据えられた、ロシアとの戦いで命を落とした兵士を追悼する国旗(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ・キーウの独立広場に据えられた、ロシアとの戦いで命を落とした兵士を追悼する国旗の前にひざまずく女性(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AF 
【写真】ウクライナ・キーウの「戦没者追悼の壁」の前を歩く兵士や市民(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP 
【写真】ウクライナ・キーウの独立広場に据えられた、ロシアとの戦いで命を落とした兵士を追悼する国旗や花(2024年2月24日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AF 

【2月26日 AFP】ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は25日、ロシア軍との戦闘に伴うウクライナ軍の戦死者は3万1000人に上ると明らかにした。2年に及ぶロシアとの戦争で、自国軍の損失公表は異例。
 ゼレンスキー氏は首都キーウでの記者会見で、「この戦争で3万1000人のウクライナ兵が命を落とした。(ウラジーミル・)プーチン(ロシア大統領、Vladimir Putin)やうそつきの取り巻きが言っているような30万人や15万人といった人数ではない」と強調。「しかし、犠牲になった一人ひとりがわれわれにとっては大きな損失だ」と述べた。
 ロシアのセルゲイ・ショイグ(Sergei Shoigu)国防相は昨年12月、ウクライナ軍の死傷者は38万3000人と指摘していた。
 一方、ゼレンスキー氏は「(米)議会には希望がある。必ず良い結果が出ると確信している」と語り、約600億ドル(約9兆円)のウクライナ支援を含む予算案はいずれ承認されるだろうとの見方を示した。
 米国からの軍事支援が滞っている影響もあり、ウクライナ軍はここ数週間、深刻な弾薬不足に直面している。

「中央日報日本語版」 2024.02.20 15:07
■ウクライナに亡命のロシア操縦士、スペインで銃撃され遺体で発見
 昨年ウクライナに亡命したロシア軍の操縦士マクシム・クズミノフ氏がスペインで射殺されていたことが伝えられた。
 19日(現地時間)のロイター通信など海外メディアによると、クズミノフ氏は13日、スペイン南部の村のアパート駐車場で銃撃されて死亡しているのが見つかった。付近には燃やされた車も発見されたという。
 ウクライナ国防省傘下の情報総局(GUR)の報道官もクズミノフ氏がスペインで死亡したと明らかにしたが、殺害など詳細内容は明らかにしなかった。
 クズミノフ氏はウクライナ戦争が始まって以降ウクライナに亡命した最初のロシア軍操縦士で、昨年8月にロシア軍戦闘機の部品を積んだヘリコプターでウクライナに渡った。GUR側は当時、クズミノフ氏を6カ月間にわたり説得して亡命させ、家族をあらかじめロシアから出国させたと明らかにした。
 ウクライナ政府はクズミノフ氏に定着金として約55万ドル(約8270万円)を支給したという。クズミノフ氏が亡命に成功した後の昨年9月にはウクライナ空軍部隊に合流し、ロシアを相手に戦うという報道もあった。
 ロシアはクズミノフ氏を反逆者として非難してきた。スペイン国営通信EFEによると、クズミノフ氏は死亡当時、スペインでウクライナのパスポートを保持して身分を偽装しながら暮らしていたと推定される。クズミノフ氏がウクライナを離れてスペインに滞在していた理由は伝えられていない。
 ロシアの大統領府と近い親ロ性向のウクライナ高官ウラジミル・ロゴフ氏はテレグラムで、クズミノフ氏の死亡は彼の身分洗浄をするためのウクライナ情報当局の自作劇である可能性がある、と主張した。
 クズミノフ氏の死亡は、反プーチン・反ロシア派の不幸な最期が国際社会の注目を受けている状況で伝えられた。16日にはプーチン大統領の最大の政敵、野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏が疑問死した。
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「スターリンの大粛清で処刑 「長崎出身の金山八五郎」情報提供を エストニア在住の研究者、保坂さん 」

2024年02月26日 | 個人史・地域史・世界史
『長崎新聞』 2024/01/04
■スターリンの大粛清で処刑 「長崎出身の金山八五郎」情報提供を エストニア在住の研究者、保坂さん

【写真】判決文の写しに書かれた内容を説明する保坂さん=長崎新聞社

  旧ソ連の独裁者スターリンが1930年代に主導した大粛清で、現在のロシアに接するジョージア(グルジア)で処刑された金山八五郎という名の長崎市出身の庭師がいた。旧ソ連国家保安委員会(KGB)や前身の内務人民委員部(NKVD)の関連文書を調べているエストニアのシンクタンク所属の日本人研究者は、「時代の荒波に巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げた長崎の人がいたことを知ってほしい」と語り、手掛かりを探している。
 情報提供を呼びかけているのはエストニア国際防衛安全保障センター研究員の保坂三四郎さん(44)。今年7月にジョージア内務省が所管する旧KGBの文書庫を訪れた際、ロシア革命(1917年)後、大粛清の嵐が吹き荒れていた37年12月に死刑が執行された61人の中に日本人がいたことを偶然確認。ロシア語で書かれた旧グルジアNKVDの判決文と死刑執行調書の写しを入手した。
 37年11月29日付の判決文には「1883年長崎市生まれのカナヤマ・ハツガラ・シロキコヴィチ、日本人、ソ連国籍、マハラゼ市在住、非党員、初等教育修了、逮捕前は庭師」を「諸外国のある国を利する諜報(ちょうほう)の疑い」で「銃殺刑に処す」などと記載があった。大粛清で裁判は開かれず、NKVD支部長、党書記、検察官の3人で構成する「トロイカ」で判決を下していた。1937年12月4日付の死刑執行調書には、首都トビリシのNKVD拘置所で61人を銃殺刑に処すことに所長がサインしていた。
 保坂さんはその後、日本人庭師について交流サイト(SNS)で情報提供を呼びかけたところ、一つの有力な情報が寄せられた。「知られざる魅惑の国グルジア」(加固寛子著、2012年刊行)に言及があるという。同書を確認すると、劇作家で社会運動家の秋田雨雀が1927年に黒海沿岸の港湾都市バトゥミの植物園を訪れ、「長崎出身の金山八五郎という労働者が働いている」と同年11月28日の日記に記していた。また同書には「金山が日本の盆栽をたくさん作っていた」との関係者の伝え聞きも紹介されている。
 保坂さんによると、20年代は旧ソ連が資本主義各国から投資を呼び込もうとしていた時期。秋田もロシア革命10周年の祝典でソ連を訪れた。バトゥミには革命前の帝政ロシア時代、植物園が開園し、日本庭園も整備されていた。
 保坂さんは「金山さんは庭師の腕を買われ、大正末期か昭和初期にソ連へ渡ったのではないか。無念な最期だっただろう。同じ日本人として多くの人に伝えることが供養になると思う。何か知っている人がいれば」と話している。
 保坂さんは12月上旬に長崎市を訪れ、郷土資料を調査した。年明けに再びジョージアを訪れ、情報提供を呼びかける予定。情報提供はメールで保坂さん(yokokumano2018@gmail.com)へ。

【写真】提供【市政】スターリンの大粛清で処刑された長崎市出身の庭師がいた  


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「イスラエル当局者、パレスチナ女性を処刑・暴行の疑い 国連専門家チーム」

2024年02月23日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.afpbb.com/articles/-/3505930?pid=26511416
「AFP」 2024年2月20日 13:56 発信地:ジュネーブ/スイス
■イスラエル当局者、パレスチナ女性を処刑・暴行の疑い 国連専門家チーム

【写真】エジプト国境付近の避難民キャンプと近くの砂丘に座るパレスチナ人女性や子ども(2024年1月14撮影)。(c)Mahmud Hams / AFP
【写真】イスラエルの爆撃で負傷し、病院での手当てを待つ女性。ガザ地区南部ラファで(2024年2月12日撮影)。(c)MOHAMMED ABED / AFP 
【写真】イスラエルによる爆撃の跡を見る女性や子ども。ガザ地区南部ラファで(2024年2月7日撮影)。(c)Mohammed ABED / AFP 
【写真】イスラエルによる爆撃で親族を亡くした女性たち。ガザ地区南部ラファで(2024年2月12日撮影)。(c)MOHAMMED ABED / AFP 
【写真】イスラエルによる爆撃で親族を亡くした女性。ガザ地区南部ラファで(2024年2月8日撮影)。(c)Mahmud Hams / AFP 

【2月20日 AFP】国連(UN)に任命された7人から成る人権問題の独立専門家チームは19日、パレスチナ人の女性・少女がイスラエル当局者に処刑されたり、レイプを含む性的暴行の被害を受けたりしている疑いがあるとして、徹底調査の実施を要請した。
 専門家チームは、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)およびヨルダン川西岸(West Bank)で女性と少女を標的にした「重大な人権侵害が行われていることを示す信ぴょう性の高い申し立て」があったと述べた。
 ガザでは「子どもを含む家族と共に恣意(しい)的に処刑されている事例」があると指摘。「女性や子どもが避難先で、または退避中に意図的に標的にされ、超法規的に殺害されているとの報告に衝撃を受けている」とした。
 さらに、「恣意的に拘束されている多数のパレスチナ人女性と少女」の多くが殴打され、生理用品や食料、医療品を支給されずに「非人道的な扱い」を受けたとの報告を紹介。少なくとも2人がレイプされたほか、「イスラエル軍の男性将校に裸にされ、身体検査を受けた」人もいるとしている。
 専門家チームは、こうした疑いについて「独立した公平な調査を直ちに徹底的に」行うよう求め、イスラエルに協力を呼び掛けた。
 人権専門家は国連人権理事会(UN Human Rights Council)に任命されるが、国連を代表する立場にはない。
 スイス・ジュネーブのイスラエル政府代表部は「真実ではなく、イスラエルへの憎悪に基づいた」主張だと反発。ただイスラエル当局としては、「信頼できる申し立てと証拠が提示されれば、治安部隊が不正行為を働いたとする主張」を調査する用意はあると表明した。
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オタル港をふたたび軍港としないために 2024年

2024年01月11日 | 個人史・地域史・世界史
 きょう(1月11日)午後3時に、米空母に反対する市民の会の会員は、改憲阻止! 労働者・市民行動、新社会党北海道本部、明るく元気な〈みんなの小樽〉を創る会、社会民主党北海道連合、改憲阻止 憲法9条を護ろう! 護憲ネットワーク北海道のなかまとともに、アメリカ合州国艦船「ラファエル・ペラルタ」のオタル入港を許可しないことをオタル市長に要請しにオタル市役所に行きました。
 オタル市からは、迫(はざま)俊哉市長の代わりに、中村哲也総務部総務課課長、本間洋輔係長が出席しました。
 話し合いのはじめに、中村哲也次長は、アメリカ合州国の軍艦「ラファエル・ペラルタ」の小樽港への入港希望は、昨年(2023年)12月19日に、小樽港長(小樽海上保安部長)から小樽市長(小樽港港湾管理者)に通知があったが、1 入出港及接岸時の安全確保、2 商業港としての港湾機能への影響、3 核兵器搭載の有無、を確認してからオタル市長が決定すると話しました。続いて中村哲也次長は、「ラファエル・ペラルタ」の小樽港入港は「通常入港」であり、「通常入港」とは、「水の補給、乗組員の休養、ごみの廃棄」であると説明を始めました。
 それにたいして、米空母に反対する市民の会は、その「通常入港」の規定・内容は、アメリカ合州国海軍の文書で示されているのか、を訊ねました。
 中村哲也次長は、そのような文書はない。わたしが「通常入港」の規定・内容を知ったのは、小樽港長が、そのようなことを話していたということを聞いたからだ、わたしが直接小樽港長から聞いたのではないと答えました。
 それにたいして、米空母に反対する市民の会は、極端に重要な問題である軍艦の「通常入港」の厳密な規定を、地域政府であるオタル市が、市民に明らかにすることを強く要求しました。
 小柳正行新社会党北海道本部書記長は渋谷澄執行委員長の「アメリカ軍艦船の小樽港寄港に反対する申入れ書」を提出し、「日本は戦争にむかっている。戦争につながることは阻止しなければならない。アメリカ軍は、有事のさいには日本の港湾をつかえる。「通常入港」というのは、民間港を軍事につかうということではないのか」と話しました。
 鳴海一芳明るく元気な〈みんなの小樽〉を創る会代表は、「小樽港の軍港化につながる米艦船の寄港を行わないこと」という要求書を提出しました。
 浅野隆雄社会民主党北海道連合幹事長は、熊谷吉正社会民主党北海道連合代表の「アメリカ海軍ミサイル駆逐艦ラファエル・ペラルタの小樽港寄港かかわる反対要請」を提出しました。 
 吉井健一改憲阻止 憲法9条を護ろう! 護憲ネットワーク北海道共同代表は、「入港に際する物資補給は、「後方支援」に他ならず、拒否すべきです」と語り、「小樽港への米艦船入港を認めない要請」を提出しました。

 きょう(2024年1月11日)、米空母に反対する市民の会と改憲阻止!労働者・市民行動が連名で迫俊哉小樽市長にだした■要請■の全文は、つぎのとおりです。

(一) オタル港の管理権をもつオタル市長は、「ラファエル・ペラルタ」のオタル港の岸壁使用を許可しないでください。
 「ラファエル・ペラルタ」は、2021年2月に横須賀のアメリカ合州国海軍基地に「配備」されたミサイル駆逐艦で、原子炉2基を搭載している空母「ロナルド・レーガン」を旗艦とするアメリカ合州国海軍第5空母打撃群の第15駆逐隊に属する軍艦です。

アメリカ合州国艦船のオタル入港目的はなにか。
 1960年代から、アメリカ合州国の軍艦が、毎年のように、オタル港に侵入しています。
 2011年2月から、アメリカ合州国海軍は、アメリカ合州国軍艦のオタル入港目的を、「通常入港」から「親善及び友好」に変え、さらに2014年7月からは、「友好」をはずして「親善」のみとし、殺人兵器である軍艦の乗組員と市民との「親善」という虚偽を演出しようとしました。
その後、アメリカ合州国海軍は、アメリカ合州国軍艦のオタル入港目的を、「通常入港」にもどし、2024年2月5日にオタル港に入港しようとしている軍艦「ラファエル・ペラルタ」の入港目的も「通常入港」としています。
軍艦は、観光船でも客船でも貨物船でもありません。軍艦の通常行動は、すべて軍事活動です。
 昨年(2023年)9月6日午前9時から8日午後3時まで、アメリカ合州国海軍の掃海艦「パイオニア」が沖縄の石垣島南ぬ浜町の新港に侵入しました。
「有事」を想定し港湾施設の状態を調査する為でした。アメリカ合州国海軍は、はじめは入港目的を「親善」にしていましたが、8月14日に「通常入港」に変更しました。
 アメリカ合州国軍艦の民間港への侵入は、軍事的偵察行動であり、日米新軍事同盟体制を維持・強化し、地域政府(地方自治体)や地域民衆を戦争に協力させようとするものです。
 オタル市長は、軍艦を侵入させてくるアメリカ合州国政府・軍の策動をはねかえし、「ラファエル・ペラルタ」のオタル港侵入を阻止してください。
 わたしたちは、オタル港をふたたび軍港としないために、オタル市長に、憲法と港湾法と地域政府の自治をまもろうとする姿勢を堅持し、いっさいの軍艦のオタル入港を許可しないことを要請します。
 軍艦のオタル入港を認めることは、市民の平和と地域自治の願いに反して、軍事行動に地域政府の長が協力することです。オタル市長は、いっさいの軍艦にたいしオタル港の岸壁使用を許可しないでください。

(二)オタル港を平和目的以外に使用させないでください
 日本の地域政府が戦争非協力・戦争反対の意思を示すことは、日本政府の戦争協力(参戦)策動を阻止するのに大きな役割を果たします。オタル市長は、地域政府の長として、戦争非協力の意思を明確に示すとともに、日本政府にたいして戦争協力(参戦)策動に反対する意思を具体的に示して下さい。
 オタル市長は、オタル港を平和目的以外に使用させないという意志を、明確に示して下さい。

(三)「戦争法」の時代を終らせる努力を地域政府の長として市民と共に!
 1907年5月に、アサヒカワ駐屯の日本軍第7師団の将兵がオタル港から朝鮮仁川に上陸し、日本の侵略に抵抗する朝鮮民衆を殺傷しました。このとき日本軍が朝鮮各地で実行した犯罪行為は、いま現在、シオニスト国家「イスラエル」が、パレスチナのガザ地域・ウェストバンク地域で実行している犯罪行為と同質です。パレスチナ保健省は2024年1月8日(現地時間)、2023年10月7日以降、「イスラエル」による攻撃で、ガザ地区で少なくとも2万2835人のパレスチナ人が命を落としたと集計されたと発表しています。
 1907年以後も、第7師団の将兵は、横須賀鎮守府管轄下のオタル港から、朝鮮、シベリア、中国などにくり返し侵入しました。
 1945年8月以前に、オタル港は、長い間日本海軍の軍港として使われていました。 
 1950年~53年の朝鮮戦争のときにはアメリカ合州国軍の軍港として利用され、アメリカ合州国極東海軍司令官の文書指令にしたがってオタル港から海上保安庁の掃海艇が参戦しています。
 1997年9月にアメリカ合州国海軍の空母「インデペンデンス」がオタル港に入港しました。これはアメリカ合州国の空母のはじめての日本民間港への入港でした。
 21世紀にはいり、オタル港が軍港化される危機がいちだんと強くなっています。
 2016年3月29日から、「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)が施行され、2017年7月11日から「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」が施行されています。
 戦争法公布(2015年9月30日)のころから、いちだんと自衛隊の軍事力が増強され、海上自衛隊の艦船の海外出動が激しくなってきています。アメリカ合州国海軍の軍艦との連携体制も強化され、自衛艦の「戦略的寄港」の地域も拡大しています。
2017年7月には、自衛艦が初めてアメリカ合州国・インド・日本の海上共同訓練に正式参加しています。
 2017年末から海上自衛隊は“P3C”哨戒機と艦船を黄海におくり入れて「監視活動」を行っています。自衛艦は、黄海の軍事境界線まで北上しています。これまで自衛艦がこのような軍事行動をしたことはありませんでした。
 また昨年(2023年)11月28日には、「米海兵隊の再編と歩調を合わせた南西諸島での軍備増強を図る『南西シフト』を進めており、有事の際は、周辺拠点の米軍との共同使用も視野に入れている」(北海道新聞)と報道されているように、防衛力(軍事力)強化の目的で全国38か所の民間港湾と空港を選定して、自衛隊が有事に部隊展開、平時にも訓練などに利用するなど自由に利用できるようにしようとしています。そこに北海道道内の5カ所の港湾(石狩湾新港、留萌港、釧路港、室蘭港、苫小牧港)が含まれています。
 国民国家日本の他地域他国侵略の時代を終らせるために、戦争法の時代を終らせるために、オタル市長が市民とともに努力することを要請します。

(四)軍艦の侵入を阻止する方法を、市民と共に立案してください。
 アメリカ合州国の軍艦が毎年のようにオタル港に侵入しようとし、侵入している問題について話し合う市民集会を主催してください。
 市民とともにアメリカ合州国の軍艦のオタル港への侵入を阻止するために、できることを急いで具体的におこなってください。
 1997年8月にアメリカ合州国の空母「インデペンデンス」がオタル港に侵入しようとした時、米空母に反対する市民の会は結成されました。その後米空母に反対する市民の会は、くりかえし山田勝麿前々々オタル市長、中松義治前々オタル市長、森井秀明オタル前市長にアメリカ合州国軍艦をオタル港に侵入させないことを要請してきました。しかし、この三人のオタル市長は、アメリカ合州国軍艦のオタル港侵入の常習化を阻止するために、市民と共に語りあい、市民と共に具体的な対策をあみだし、それを実践しようとしてきませんでした。
 あらためて、迫俊哉オタル市長に、オタルを再び軍港都市にしないために、市民集会を主催し、商業港であるオタル港へ軍艦の侵入を阻止する有効な具体的な方法を、市民と共に立案するように努力することを求めます。

 以上の要請に、10日後の1月29日までに、文書で回答してください。

     米空母に反対する市民の会
          連絡先 小林けん  電話・ファックス 0133-74-7739
     改憲阻止! 労働者・市民行動 
          連絡先 大山慶一  電話・ファックス 011-865-3731

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 アメリカ合州国艦船は、毎年のように、オタル港に侵入しており、アメリカ合州国艦船のオタル港使用が常習化され、オタル港の再軍港化がすすめられています(このブログの2011年1月22日の「オタル市長、アメリカ合州国軍艦の入港を許可」、2011年1月26日の「アメリカ合州国軍艦の入港を許可したオタル市長に抗議」、2012年1月16日の「「マスティン」入港反対」、2012年1月17日の「すべての軍艦の入港を拒否する」、2013年1月18日の「アメリカ合州国軍将兵との友好・親善、拒否」、2013年1月28日の「アメリカ合州国海軍艦船のオタル入港容認に抗議」、2015年1月9日の「オタル港をふたたび軍港としないために」、2016年1月14日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2016年」、2017年1月12日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2017年」、2018年1月19日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2018年」、2019年1月11日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2019年」をみてください)。
                 米空母に反対する市民の会 佐藤正人
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