三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 25

2012年12月31日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 16
   以下は、2005年9月17日に配信された中国新聞社(通信社)の王辛莉記者の記事である。
                                        佐藤正人

■日本学者十下天涯 追查日军侵琼真相
  http://www.hi.chinanews.com/hnnew/2005-09-17/28722.html

  中新海南网9月17日特稿(记者 王辛莉)
  花白疏发,清瘦脸庞,金丝眼镜后面一双专注的眼睛。尽管白衣衫已被汗水浸透,纽扣仍扣紧领口。
  16日中午,日本学者佐藤正人到海南师范大学商洽今晚在学校放影《日本占领下的海南岛》之事。记者见到这位年逾六旬,为追查日军侵琼真相,十下天涯的日本学者。
  “我希望弄明白历史的真相。两国人民应记住历史,共同开创新未来!”佐藤语气急速地说。

★调查日军侵琼史实
  佐藤是日本国朝鲜史研究所学者,从事将英文版历史、经济类资料翻译成日文的工作。他坦言,日军侵略中国,也改变了绝大部分日本人命运,他在北海道的亲友有多人被卷进战争。中学时代的他就开始思考这场战争的根源问题。
  上世纪九十年代,他参加日本民间组织“查明纪州矿山事实真相的自治会”,偶然得知日本侵略海南岛掠夺铁矿的情况。为追查真相,一九九八年六月,他和自治会会员、在日本工作的韩国学者金静美女士首次到海南。
  至今,佐藤正人和同伴们已实地调查三亚田独万人坑、石碌万人坑、“朝鲜村”、羊角岭水晶矿、日本侵琼三亚航空基地司令部、慰安所等日军侵琼遗址,走访当地乡村幸存老者。
  “为了把海南岛作为侵略东南亚,太平洋的军事基地,日军和日本企业在岛上修建机场、港口、铁路,开发矿山、电力,掠夺资源。为了压制民众反抗,日军反复进行‘Y’作战方案,火烧村子,残杀当民民众。”
  调查的结果,让佐藤感觉:“那些被偷袭了村子的当地居民、从亚洲各地强迫带到海南劳动的人们,被逼成为日军性奴隶的‘慰安妇’,日本政府、日军和日企对他们犯下的残害暴行,就象发生在昨天!”

★制作纪实影片声援琼“慰安妇”
  佐藤说,七年的真相调查,让他更坚定观点:日本政府应真正反省侵华战争罪行并向“慰安妇”等战争受害者进行赔偿。
  去年,佐藤和同伴将获得的日军侵琼资料制作成《日本占领下的海南岛》影片,同年分别在日本京都大学、大阪人权博物馆和熊野市民会馆上映,但观看的日本观众并不多。去年五月举行的《海南岛上进行的太平洋战争》图片展还遭到日本右翼组织阻挠。
  尽管这些让老人颇感心痛和苦涩,但他仍坚持前行。本月底,日本京都市纪念馆将以“日本在海南岛干了什么”为题,展出日本军侵略海南岛史实。佐藤将出席,向日本民众报告自己在海南的所见所闻。
  《日本占领下的海南岛》今年已在海南大学、三亚“朝鲜村”和海口一些公共场所放影,在海南学子和民众中产生广泛影响。
  如今,只要和海南有关的事,佐藤都十分关切并积极参与。今年四月,海南“慰安妇”林亚金到日本提起索赔诉讼,佐藤和会员们一起赴东京为林亚金声援,抗议日本政府,希望裁判所还她公道。

★寄望年轻一代开创未来
  十下天涯,每一次都有新发现。此次佐藤和金静美、小谷英治三人,近十天里从北到南穿越海南中部,新发现四位“慰安妇”,寻访到一个日军炮楼遗址,并和海南当地高校学者达成合作研究日军侵琼史实意向。
  佐藤说:“我一天天老了,可喜的是日本年轻一代开始介入!”日前,两位日本年轻人抵达三亚和佐藤汇合,一起走访了三亚“朝鲜村”、田独矿山等。现场调查让两位年青人深受震动。
  佐藤说,在海南的大学放映影片,意义也在于让海南年青人关注、了解历史,这样两国年轻一代才能真正沟通交流。他表示,中日六十年前这场战争遗留下的问题能否解决,主要在于日本。虽任重道远,但有年轻人继续下去,他还是乐观的。
  佐藤一行在海南艰苦调研获得海南学界的认同和尊重。海师对外汉语教学中心主任王裕秋四年前就认识了佐藤先生。他说:“佐藤和他的同伴都是普通的日本人民,调查是自发自费,在城里他们乘公交车,在乡下搭载拖拉机、摩托车,餐宿都选择最便宜的去处,为查明真相,多年坚持不懈。作为一名海南人,我对他们表示由衷的敬佩。”(完)
コメント

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 24

2012年12月30日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 15
 以下は、『南国都市報』2005年9月9日号に掲載された許欣記者の記事、および『海南日報』9月14日号と9月16日号に掲載された周元記者の記事である。
                                        佐藤正人

■日韓学者再次来瓊掲露日軍侵華暴行:本月13日将在三亜回新村放映日軍侵略海南島記録
  2005年9月9日  来源:南国都市报
  http://www.hi.chinanews.com/hnnew/2005-09-09/28469.html

  已多次来琼考察日军侵略海南岛真相的日本学者佐藤正人、小谷英治和韩国学者金静美,再次来海南揭露日军侵华暴行。8日,他们一同来到该报,披露此次行程。
  13日晚,三位日本、韩国学者将在三亚回新村放映名为《日本占领下的海南岛》的纪录片,这部纪录片中融入了上述三位学者多年的心血,里面是他们亲临实地调查的史实,纪录了日军火烧村子,残杀当地民众的暴行。在日军侵略海南岛时,三亚回新村曾是“航空基地司令部”。
  佐藤正人和金静美从1992年开始研究日本侵略亚洲的历史,从1998年开始研究日本侵略海南岛的历史,到现在为止,仍然没有停止。此前,两人先后对田独万人坑、石碌万人坑、八所万人坑、朝鲜村、后石村、大坡村、羊角岭水晶矿山等地进行现场走访调查。当年日军曾侵占这些地方并犯下累累暴行。
  佐藤正人说,他们此次仍然是自费来海南,在海南大约呆两周,他们的日程安排得很满,除放映纪录片外,还要调查一些新发现的日军侵略海南岛史实。9月17日至12月14日,日本京都市纪念馆将以“日本在海南岛干了什么”为题对日本军侵略海南岛的史实进行展出。佐藤正人将在这次展出中作报告,向日本公众介绍自己在海南的所见所闻。(许欣)


■日本友人欲揭露日军侵琼事实 日本有个"海南NET"
     日韩学者再来琼揭露日军暴行 将放映侵琼纪录
     焦点网谈:天涯“慰安妇” 耻辱背负一生
  2005-09-14 来源:海南日报
  http://www.xinhuanet.com/chinanews/2005-09/14/content_5121593.htm

  60年的时间冲刷,历史已变得斑驳不清。在日本政府暧昧的态度下,年轻的一代正逐渐对那段不光彩的过去变得陌生,甚至产生怀疑。然而,有这样的一群日本年轻人仍在坚持自己的声音,希望拨开历史斑驳的外壳,再现当年日军侵琼的事实,它就是“海南NET”(海南网)。

★寻访日军侵琼证据
  9月5日,日本“海南NET”两名成员山田祥子(化名)、铃木良绘(化名)随日韩学者佐藤正人、金静美等来琼寻访日军侵琼证据,这是“海南NET”成员自今年2月在日本诞生后首次踏上海南的土地。
  9月12日晚,在结束了对三亚朝鲜村、保亭南林乡一天的寻访后 ,记者敲开了山田和铃木的房门,希望了解这个年轻的民间团体。
  21岁的山田祥子目前就读于日本中央大学法律系,是“海南NET”创始人之一。据介绍,“海南NET”的日常管理成员有10人,登记在册的成员约有100名,大多是18-24岁的在校高中生或大学生。“在日本,以年轻人为主的支援战争受害者的民间团体很少。”祥子显然不满意目前的情况,她表示将尽量吸收会员,扩大“海南NET”的影响。
   “只要愿意,都可以加入我们,专业不同并不代表对历史真相关心程度不同。”正就读于东京都立大学化学系大二学生铃木良绘这样表示。

★支援海南“慰安妇”
   1939年,日军侵占了海南岛,许多女性成为日军性暴力的受害者。然而,对于这种非人道的慰安妇制度,日本战后既没有承担责任,也没有让每个日本人认识到这个事实。
  2001年,为恢复自己的尊严和追究责任,海南8名慰安妇打破几十年的沉默,将日本政府告上法庭。随着林亚金、黄有良等受害者在日本一些研讨会及法庭的作证,越来越多的日本民众对她们的遭遇产生同情,同时,也对她们状告日本政府的勇敢行为表示支持。
  为了更好地进行诉讼声援活动 ,向日本全社会宣传受害者的事实,2005年2月,“海南NET”成立。山田祥子说,“海南NET”将以年轻人为中心,进行法庭旁听、宣传诉讼,组织各种相关的学习会,参加集会等,积极开展支援活动。

★希望同龄人正确认识历史
  “2005年新版历史教科书删改了很多,像南京大屠杀、慰安妇的内容都被删去了,也许以后的年轻人已经不再清楚日本以前做过什么。希望通过我们的努力,让年轻人对历史有正确的认识。”祥子表达了她的心愿。
  祥子和良绘都是瞒着父母来海南的,只告诉了父母她们来海南旅游,没有告诉其真实目的。
  祥子和良绘都不愿意记者公开她们的真实名字,害怕通过互联网在日本会有人看到,“这是政治问题,日本政府很敏感。”祥子一再强调。
  记者尊重她们的意愿,但在不愿公开真名的背后,似乎有更沉重的东西。 (完)(周元)


■日韓学者結束尋訪日軍侵瓊罪証之行、他們表示:我們還会再来
   海南日报 2005年09月16日
   http://news.sina.com.cn/s/2005-09-16/07326957153s.shtml

  本报三亚9月15日电(实习记者周元)经过近10天对万宁、三亚、保亭、陵水等地的实地调查,日韩学者佐藤正人、金静美一行6人的日军侵琼罪证寻访小组于昨天陆续离开海南回国。
  作为日军侵琼暴行的见证人,很多老人已陆续离开人世。为了留下宝贵的原始图像资料,9月12日到13日,寻访小组先后拜访了林亚金、陈亚扁、黄有良三位幸存的海南慰安妇,
  并用摄影机将访问场景录下。在位于陵水黎族自治县口本号镇的陈亚扁阿婆家采访时,正在坐着的阿婆突然站起身,从屋内拿着一顶草帽走出来,将帽子扣在佐藤先生头上后才回到座位上。原来,阿婆是怕没有撑伞的佐藤先生在烈日下晒着。事后,佐藤先生对记者说,陈阿婆把他当自己人看,他非常高兴,也十分感谢她。
  昨天下午5点许,金静美、崔文子、山田祥子、铃木良绘4人从三亚凤凰机场乘机返回日本。山田祥子临走时表示,尽管在海南待的时间很短,但感觉很漫长,历史的真相太沉重了。她以后会努力学好汉语和海南历史,争取再来海南,再带更多的日本年轻人来海南。
  已是第9次来琼调查的佐藤先生说,日本国内年轻人的组织“海南NET”(即海南网)第一次加入调查行动,让他非常振奋。“我们已经老了,没有这些年轻人我们的事业就不会成功。”佐藤先生希望日本年轻人担负起正视历史的责任。
  据了解,佐藤正人和小谷英治将于9月16日晚在海南师范大学放映他们制作的记录片“日本占领下的海南岛”,17日乘机返回日本。佐藤先生表示,明年3月,他们还将来海南继续寻访调查。
  据了解,海南大学派员随同日韩学者寻访调查。 作者:周元
コメント

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 23

2012年12月29日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 14
 2005年9月、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、9回目の海南島「現地調査」をおこなった。紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1998年6月から、海南島における日本の侵略犯罪の「現地調査」をおこなってきたが、調査すればするほど、知るべきことが多くなってきた。
 海南島と韓国と日本で、わたしたちが日本の海南島侵略の実態を追求していた7年余のあいだに、国民国家日本の他地域・他国侵略の国家・社会体制は強化された。
 1999年5月に、日本の「周辺」(実際には、世界全地域)侵略ための国内法である「周辺事態法」が成立し、その3か月後、1999年8月に「ヒノマル」「キミガヨ」が「国旗」・「国歌」とされた。2001年12月2日昼、日本軍艦「はまな」が、アラビア海で作戦行動中のUSA海軍の補給船に燃料を洋上補給し、日本軍が、アフガニスタン侵略戦争・民衆殺戮に直接荷担した。これは、アジア太平洋戦争後はじめての日本軍海外参戦であった。2004年1月から、日本軍はイラクに侵入しつづけていた。
 2005年秋、海南島に着いた翌日、わたしたちは万寧に行き、蔡徳佳さん(『パトローネ』50号を見てください)に案内されて、朱進春さんから話を聞かせていただいた。
 日本軍は、1945年4月13日未明、万寧県城から3キロ南の月塘村に侵入し、村人286人を殺した。このとき、朱進春さんは、日本刀で8か所傷つけられたが、生き残ることができた。「月塘村惨案」の日本政府の責任を追及する訴訟を起こしたいと、朱進春さんは言った。
 万寧北方の六連嶺地域には抗日軍の根拠地があった。日本軍はその地域の村々を襲撃し、抗日軍を支援したとして村民を虐殺し、家屋を焼き、村を無人化していった。万寧県政協文史弁公室編『鉄蹄下的血泪仇(日軍侵万暴行史料専輯)』(1995年刊)には、日本軍は万寧県で8000人以上の無辜の民衆を殺害したと書かれている。この地域を占領していたのは日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊であった。
 佐世保市内にある「海軍墓地」には、この陸戦隊の死者の碑があり、その横に1983年に建てられた「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊戦没者慰霊名碑」には、約300人の名が刻まれている。そのうち10人は沖縄人、55人は台湾人である。朝鮮人の名はない。
 碑文には、「佐八特は……約六年有余炎熱と険しい“ジヤングル”をものともせず勇戦奮闘した。この間幾多の討伐作戦等に尊い戦没者出すに至った」と書かれている。

 海南島中央の瓊中黎族苗族自治県は山岳地帯で、各地に抗日武装部隊の根拠地がおかれていた。日本軍は、抗日軍の兵站を破壊しようとして、空と陸から激しく山間部の村々を襲撃した。
 瓊中黎族苗族自治県の烏石で、わたしたちは、たくさんの人から話を聞かせていただいた。夫を殺された女性、父と兄を殺された女性……。陳玉金さんは、1944年冬に日本兵に刀で刺された数箇所の傷跡を見せてくれた。
 車が入らない道をオートバイで1時間くらい山中にはいり、里塞村の王玉金さん(74歳)に話を聞かせてもらった。侵入してきた日本軍はそこにも陣地を築いたという。また、日本軍は、近くの村に住む黎族の女性を性奴隷としたという。

 海南島に侵入した日本軍隊の性奴隷とされた林亜金さん、陳亜扁さん、黄有良さんら8人は、2001年7月に、日本国に謝罪と賠償を求める「海南島戦時性暴力被害裁判」をおこした。2005年3月16日、林亜金さんと張応勇さんが、東京地裁で日本軍の犯罪を証言した。2002年10月、わたしたちは、陵水黎族自治県祖関の陳亜扁さんの自宅を訪問し、話を聞かせていただいたが、2005年秋に再訪した。
 陳亜扁さんは、前年、胃病で入院したが回復し、“日本政府に責任をとらせるまでは死なない”と言った。陳亜扁さんの家の近くに日本軍の兵舎があったという。
 8人の原告のうち、譚玉蓮さんは、2003年12月に、黄玉鳳さんは、2004年9月に亡くなられた。黄玉鳳さんは、2002年10月にお会いしたときには、お元気そうだったが。
張応勇さんと保亭黎族苗族自治県羅葵の林亜金さんの自宅を訪問し、その帰路、張応勇さんに南林の旧日本軍兵営跡などを案内してもらった。林亜金さんが監禁された「慰安所」があった什浪の位置を確認することができた。
 陵水黎族自治県田仔郷で、雨が強く降るなか、黄有良さんの自宅を訪ねた。黄有良さんが日本政府を被告として訴訟提起する6年前に、政協陵水黎族自治県委員会文史学習委員会編『日軍侵陵暴行実録』(1995年)に「一位“慰安婦”的血和泪」(黄有良口述、胡月玲整理)が発表されていた。突然訪れたわたしたちを、黄有良さんは、穏やかな表情でむかえてくれた。黄有良さんと同じように日本軍兵士に襲われた陳有紅という少女は、くりかえされる性暴力によって殺されたという。

 三亜からバスに乗り継いで、文昌に行き、現在の海南島地図にない東坡村を探した。旧日本軍の地図には、第15警備隊駐屯地の一つとして記載されている。
 わたしたちが東坡村を探したのは、東坡村に侵入していた第15警備隊所属の海軍警察官であった松島貫吾氏(1919年生)から証言を聞いたことがあったからである(このブログの2011年9月5日の「海南島文昌市東閣鎮 1」をみてください)。
 わたしたちが、2004年8月に自宅に尋ねたとき、松島氏は、
   「東坡の第一分遣大隊におって、3階建ての望楼で寝泊りした。
    市場で、豚肉などを徴発した。望楼は村人につくらせた。
    嫌がったら叩かなあかん。日当も食事もださない。
    日本軍が東坡で人を殺したことはない。
    共産党員を探しに行った村で鶏を殺して食った……」
と語っていた。
 東坡村の日本軍望楼は壊されていたが、敷石の一部が残されていた。
わたしたちは、黄循桂さん(1925年生)、黄循昌さん(1931年生)らから、当時の話を聞かせていただいた。その内容の一端は次のとおりである。
   “日本軍は、黄循桂さんらの家を壊して、高さ約25メートル、幅約20メートルの望楼をつく
   った。東坡村には100人以上の日本兵がいた。共産ゲリラだといって、日本軍は連行して
   きた人たちをたくさん殺した。殺害場所は、いま東坡小学校が建っているところだ”。
 
 1939年に日本軍が侵入したとき、海南島南部の最大の都市は、崖県であった。日本軍は、そこに軍司令部をおき、数年後に三亜に移した。崖県の旧日本軍司令部跡は小学校になっていたが、その門柱のそばに、当時の樹が残っていた。崖県の日本軍司令部の近くに数か所あった「慰安所」のうち2か所の建物が現存していた。華南荘という名の「慰安所」で少年のとき掃除などの仕事をしていた湯有光さん(1921年生)に出会った。

 村委員会の全面的協力によって、三亜市回新村で、9月13日に、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』の上映会を開くことができた。
 『南国都市報』2005年9月9日号に掲載された「日韓学者再次来瓊掲露日軍侵華暴行:本月13日将在三亜回新村放映日軍侵略海南島記録」を見て回新村で上映会があるのを知った人が、当日来てくれて、会場整備を手伝ってくれた。
 9月6日に回新村委員会の人たちに、上映会のお願いをあらかじめしたのだが、その話し合いの最中に、村委員会の人が、哈秉尭さんをオートバイで迎えにいってくれた。回新村で生まれた哈秉尭さんに、これまでわたしたちは何回もお会いし、「朝鮮報国隊」の労働の様子や殺された人の話、宿所の場所、日本軍司令部の場所などを教えていただいていた。
 回新村での上映会は、雨上がりの午後8時過ぎから、村入り口の建物の白壁に投射した大画面で、野外でおこなった。
さまざまの年齢の人たちがあつまってくれた。証言の声と、音楽、ナレーションが響きわたる暗闇で、静かに画面を見つづける人、自分の記憶を語りながら見る人……。
上映会の翌日、回新村に隣接している旧日本軍三亜飛行場跡に行った。当時の給水塔が残っていた。9月16日には、海口にある海南師範大学で、王裕秋さんの協力で、ドキュメンタリー上映会を行なった。学生会の担当者が、屋外の白い壁に大きく投影した。参加者は300人あまりだった。

 こんども、「朝鮮村」で、朝鮮人虐殺にかんするあらたな証言を聞くことができた。なんど訪れても、はじめて知る事実がある。証言者(村人)との信頼関係が深まるにつれて、事実に接近できるのだということを、あらためて実感した。
 日本政府は、「朝鮮村虐殺」をおこなった海南島駐屯日本海軍第16警備隊の隊員名簿を公表しようとしていない。
今回の「現地調査」には、海南大学の李琳さん・銭家英さんが参加した。李琳さんは、1997年に「日本占領海南及其対資源的開発和掠奪」を発表している。李琳さんは、「日本人がなぜあのように残酷なことをやれたのか、理解できない」と、わたしたちに語った。
 また、今回の「現地調査」に3日間だけではあったが、海南島戦時性暴力被害訴訟の支援をしているハイナンNETの山田祥子さん(仮名)と鈴木良絵さん(仮名)が参加した。二人は、日本の侵略責任を自分の問題として考えようとしていた。この二人も、同行取材した『海南日報』の周元記者も若い世代だった。
 2003年春に同行取材した『海南日報』の陳超記者・許春眉記者も、紀州鉱山の真実を明らかにする会の若い世代である日置まり子さんや久保雅和さんと同世代だった。
10代、20代の若い人たちが、真実をともに明らかにし、歴史的責任のありかを追求する試みが継続的に進められている。

 周元記者は「日本有個“海南NET”」(『海南日報』9月14日)という記事でハイナンNETを紹介した。つづいて同記者の「日韓学者結束尋訪日軍侵瓊罪証之行、他們表示:我們還会再来」が『海南日報』(9月16日)に掲載された。9月17日に中国新聞社王辛莉記者の「日本学者十下天涯 追査日軍侵瓊真相」という記事が配信された。

 わたしたちは、日本で、旧日本軍兵士ら日本人加害者からの聞きとりをおこなおうとするとともに、防衛研究所図書館、外交資料館、矯正図書館などで加害の記録文書を探索してきた。しかし、隠されている侵略犯罪記録のおおくは公開されておらず、日本に「帰還」した旧日本軍兵士たちは、沈黙しつづけたまま、おおくが自然死している。
 日本の侵略犯罪の調査を、朝鮮人と日本人が共同しておこなうとき、日本人は、海南島をも朝鮮をも日本が侵略していた歴史と向き合う。
 海南島の人びとにとって、朝鮮はおなじ被侵略国であり、日本は侵略国である。
 海南島の人たちと朝鮮人は共通の歴史的被害者であり、朝鮮人と中国人が海南島で聞きとりするのは、歴史的被害者が歴史的被害者から聞きとりすることである。日本人が聞きとりする場合と、歴史的立場が根本的に違う。
 死者からは、聞きとりできない。海南島で犠牲者の遺族や侵略犯罪の目撃者から聞きとりを続ける時間のなかで、おおくの出会いがあり、別れがあった。海南島においても、わたしたちは、自分たちの歴史的位置をたしかめつつ、国民国家日本の世界的規模の他地域・他国侵略と実践的に対決しようとしてきた。
                                             佐藤正人
コメント

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 22

2012年12月28日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 13
 2005年4月14日に、独立紀念館韓国独立運動史研究所編『일제강점하 국외 한인피해 실태조사보고서 Ⅰ  중국 해남도지역(日帝強占下国外韓人被害実体調査報告書Ⅰ 中国海南島地域)』が独立紀念館から出された。同書には、金靜美「일본점령하 하이난섬에 있어서의 조선인(日本占領下海南島における朝鮮人)」と佐藤正人「海南島에 있어서  日本政府・日本軍・日本企業의 侵略犯罪調査」が掲載された(このブログの2010年9月3日~9月14日の「海南島における日本政府・日本軍・日本企業の侵略犯罪調査」1~12をみてください)。
 独立記念館は、2004年10月15日~11月21日に特別展『해남도에서 일본은 무엇을 했는가?  침략・학살・약탈・성노예화(海南島で日本はなにをしたのか  侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化)』(主催:民族問題研究所、獨立紀念館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)を開催したあと、同年11月末から12月初めにかけて海南島「現地調査」をおこなっていた。
 2005年5月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』が写真の会パトローネから発行された。
2005年5月に発行された三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会の『会報』41号に佐藤正人の「海南島と“カラフト”における朝鮮人虐殺の真相糾明」が掲載された。
 2005年4月中旬に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、「朝鮮村虐殺」の真相究明を、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が独自に職権でおこなってほしいと要請した。
 それたいして、崔鳳泰事務局長は、職権でおこないたいがそれでは時間がかかるので、紀州鉱山の真実を明らかにする会が調査請求書を日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会にだしてほしいとこたえた。
 それに応じて、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、「南方派遣報国隊(朝鮮報国隊)」と「日本軍隊性奴隷として海南島に連行された朝鮮人女性」にかんする「日帝強占下強制動員被害真相調査申請書」を、日帝強占下強制動員被害真相糾明等にかんする特別法第12条、および同法施行令第17条の規定によって、2005年6月23日に日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会委員長にだした(このブログの2009年5月16日の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会との「交流」4」をみてください)。
 この真相糾明調査請求は、2005年9月2日に受理された。
                                        佐藤正人

コメント

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 21

2012年12月27日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 12
 韓国民衆運動の広がりのなかで、2004年2月に「日帝強占下強制動員被害真相究明等に関する特別法」が韓国国会で議決され、11月に「日帝強占下強制動員被害の真相を糾明し、歴史の真実を明らかにすること」を目的とする日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が国家機構として設置された。
 韓国国務総理のもとに設置された真相糾明委員会は、2005年2月1日から、強制動員被害真相調査申請と被害申請の受付を始めた。
 真相糾明委員会は、行政課、調査総括課、調査1課、調査2課の4課にわかれ、調査1課は、日帝強占下強制動員労務者に関する真相調査、史料館及び博物館建立に関する事項など、調査2課は、日帝強占下強制動員軍慰安婦に関する真相調査、遺骸発掘及び収拾・奉還に関する事項、追悼空間の造成に関する事項などをおこなうことになっていた。
 2005年4月中旬に、紀州鉱山の真実を明らかにする会から佐藤正人がソウルに行き、「朝鮮村虐殺」をふくむ海南島での日本の侵略犯罪の真相を明らかにする方法を崔鳳泰真相糾明委員会事務局長、申栄淑調査2課長、孟康鉉調査2課調査委員と話し合った。その2年半前、2002年10月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会のキムチョンミと佐藤正人は、申栄淑さん(当時、韓国挺身隊研究所員)らと、海南島でいっしょに「現地調査」をしており、そのとき「朝鮮村」も訪ねていた。
 3回の話し合いで確認しあったことの要点は、つぎのようなことであった。

★1、真相究明委員会は、海南島の「朝鮮村」に埋められている人たちが朝鮮人であるかどうかを確認し、その死因を解明し、遺族をさがし、遺骨を遺族にかえす。
★2、虐殺の事実をあいまいにするかたちで遺骨を発掘し、虐殺の実態を解明しないまま韓国に「奉還」するようなことはしない。真相究明委員会は、その名称が示しているように、真相究明することなしに、遺骨を砕くようなことはしない。
★3、韓国政府機関として、真相究明委員会は、日本政府に、真相究明のための文書(「朝鮮報国隊」、16警備隊の隊員名簿をふくむ)の提供、真相糾明への協力を正式に要請する。 
その協議の場は、「韓日遺骨実態調査委員会」である。
★4、真相究明委員会は、必要な協力を、紀州鉱山の真実を明らかにする会に求める。紀州鉱山の真実を明らかにする会は全面的に協力する。
慎重かつ厳密で科学的な鑑定発掘によって死因を解明し、できるかぎり犠牲者の特定をおこなうように、共同で「作業」をすすめていく。
★5、真相究明委員会は、さしあたり、5月前半に海南島に行き、土地問題などを調査し、解決方法を追求する。
★6、真相究明委員会に調査請求を紀州鉱山の真実を明らかにする会がおこなうかどうかは、でるかぎり早期に決定する。ただし、それ以前に、真相究明委員会は海南島問題調査を開始し進行させる。
★7、当時のことを見聞した「朝鮮村」およびその周辺の村民全員、および「朝鮮報国隊」を現認した海南島住民から詳細な聞きとりをし、記録することを、紀州鉱山の真実を明らかにする会が提案。

 佐藤正人は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の人たちと話し合いをしながら、日本の侵略犯罪の真相を究明する政府機関は、日本でこそ、つくられなければならないと、痛感していた。
                                         佐藤正人
コメント

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 20

2012年12月26日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 11
  以下は、2005年1月9日の『南国都市報』に掲載された記事である。

■我想知道日军侵琼真相  一日本学者8次自费来琼研究日军侵华历史■
   http://www.hainu.edu.cn/stm/vnew/2005113/7250.shtml
    【照片】谈起日军侵琼史,佐藤一脸严肃。

★纪录片让海南学子心情沉重
  1月7日晚上7点半,海南大学图书馆多媒体放映室,CD《日本占领下的海南岛》正在播放。
  电视屏幕上,首先出现在人们面前的是海南岛的地图,然后镜头缓缓拉近,定位在朝鲜村(即现在的三亚市田独镇南丁村),然后是一个普通话有点蹩脚的男音在叙述:这个村子名叫朝鲜村,但现在却没有一个朝鲜人。而在日本侵略海南岛的时候,这里曾有2000多个朝鲜人被拉来当劳力,最后被杀和埋葬在此的有1000多人……
  65分钟的时间里,观看《日本占领下的海南岛》的学子们心情十分沉重。屏幕上,一处处日军侵略过的残败遗迹,一个个亲历者不堪回首的回忆,重现了那段残暴的屈辱的历史。而这样的镜头,是由一位来自日本的学者佐藤正人及其他人士7年来不辞辛劳的采访录制。
  观看完CD,学生们的提问有些“尖锐”。佐藤正人说,关于日本侵琼的历史,日本政府不承认,并想隐瞒,他们在教科书只字未提,很多日本人都不知道这段历史。日本政府希望再过10-20年,中国人能淡忘这段历史。但他,还有正义感,希望中国人尤其是年轻的大学生千万不要忘记历史,并希望海南的民间团体,跟日本的民间团体能一起研究历史,最大程度地还原历史的原貌。
  海大图书馆副教授钟哲辉说,从地方文献研究的角度看, 佐藤先生等人的日军侵琼历史研究,弥补了海南这方面的空白。教授长智说,该馆聘请佐藤先生为客座图书研究馆员,准备与他合作日军侵琼历史研究,希望以此强中日文化交流,拓展中日交流领域。

★自掏腰包8次远渡海南
  佐藤是日本国朝鲜史研究所的学者,先后研究日本侵略亚洲、朝鲜、海南的历史,今年已经63岁。从1998年至今,他一连来了海南8次,最短在海南呆2周,最长如这次他在海南呆了近1个月。他每天都在忙碌,有时从早上忙到下午3点钟才记得吃饭。任何与日军侵占海南岛有关的资料都能引起他强烈的兴趣。
  来海南调查是佐藤的个人行为,每次都是自掏腰包。每一次坐飞机来海南,单来回的机票都要6万多日元。第一次来海南时不了解本地情况,他们选择了外宾房,住一晚要花300多元块人民币,来的次数多了,佐藤正人对各地便宜的餐饮和住宿都比较清楚了。他在临高时挑每晚50元的便宜房间住。他每天都要为寻找历史见证人到处奔波,却几乎没打过出租车,在城市坐公交车,在乡村坐拖拉机、摩的、三轮车,平时吃饭也很节省,总是买3块多钱的学生餐。

★大批史迹已被毁掉
  佐藤说,每次来海南,他都会发现海南改变很大,开发得很快,但每次来都会发现上次见过的历史痕迹已被毁坏了。他认为,那些古老的建筑物记载着海南抗日战争的历史,有必要保留下来,教育后人。如在三亚崖城他发现很多由华侨在100多年前建成的建筑物,后被日军改为慰安所、“司令部”、银行、医院等,他认为是很珍贵的史料,但这些建筑马上就要被拆除了,。这令他非常吃惊,他说,这样的建筑若留下来,建成青少年教育基地,该是多有意义啊,不仅中国人需要看,日本人和韩国人来都会对其感兴趣,设为一个旅游景点也会赚钱的。
  他讲了很多例子,如上个世纪三十年代,三亚有处老宅非常漂亮,日本人进来后,要把它改为慰安所,把主人杀了,这家的孩子们跑出去避难才得以幸存。,而今,这家人又重新兴旺起来,为盖新房子居然要拆掉老房子。,在他看来,政府应该出钱资助,保护好这样具有历史意义的遗址。 (許欣・王海燕記者)
コメント

『京郷新聞』記事「日帝強制動員犠牲者遺族、中国海南島追悼巡礼」について 3

2012年12月25日 | 「朝鮮報国隊」
 以下は、韓国の日刊紙『경향신문(京郷新聞)』の今年の5月3日号に掲載された「“아버지”… 한 서린 ‘천인갱의 눈물’  일제 강제동원 희생자 유족, 중국 하이난성 추도순례」と題する記事の日本語訳文と原文です。
 この記事には、「[海南島に]‘慰安婦’として強制動員された朝鮮人女性が200人を越えるという証言はあるが確認された被害者は1人だ」、「1939年に海南島を侵略した日本は、不足した労働者を充当するために‘募集’で偽装して朝鮮人を強制動員した」など、不正確であいまいな記述が少なくありません。
 『경향신문(京郷新聞)』の2010年7月12日に、「朝鮮村」での朝鮮人虐殺の真相究明の経過などについて報告している佐藤正人の「海南島における日本国家の犯罪」が掲載されています(このブログの2010年7月14日、15日の「海南島における日本国家の犯罪」1、2をみてください)。
   http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201007111734425&code=210000


■“アボジ”……恨がこもった‘千人坑の涙’  
  日帝強制動員犠牲者遺族、中国海南島追悼巡礼 
 
  先月25日に、中国海南省三亜市南丁村。熱帯林をすぎて村に入るとすぐに崩れた塀のなかに韓国語で彫られたいくつかの碑石が建てられていた。 その前に約70年ぶりに父と兄弟の遺骨を訪ねてきた人々が立った。
  “アボジ……”
  誰もさらにそのほかのことばを続けることができなかった。みんなが、焼けつく陽射しのしたで、きれいに積まれた菊の花だけを見つめた。
  ここは日帝強制占領期に日本軍と企業に強制動員された朝鮮人が集団虐殺にあったことが明らかになった‘千人坑’だ。 [‘千人坑’というのは」、1000人を越える朝鮮人がいっしょに埋められたのでつけられた名称だ。
     【写真】犠牲者遺族チョヤンジャ氏が先月25日開かれた追悼祭で追悼辞を読んで涙
        をぬぐっている。
  慶尚南道の晋州から来たチェソンガン氏(72)は、“アボジが順天刑務所からここに連れてこられて、ハガキ一枚送ったのがすべてだ”、“遺骨は探せなくても、ここの土を一握り持って行って故国にあるオモニとアボジのいっしょの墓に撒いてさし上げたい”言った。
  チェ氏のように父や兄弟の痕跡を探して中国の海南島をたずねた遺族は全部で15人だ。この人たちは、すべてが、60歳~70歳代だ。
  国務総理室所属対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者支援委員会(強制動員被害調査委員会)は、2006年から毎年1~2回ずつ‘日帝強制動員犠牲者遺族海外追悼巡礼’をおこなっている。
  千人坑にくる前、遺族たちは三亜市の韓国食堂で追悼祭をおこなった。 当初追悼祭を千人坑でおこなおうとしたが日本側が反対した。
  追悼巡礼プログラムの予算中3分の1を日本で負担している。委員会関係者は“予算の一部を負担しつつ、日本は追悼祭の場所や日程に干渉をしたりもする”と話した。
  日本は、‘千人坑’での朝鮮人強制動員と虐殺はその当時企業がおこなったことだとし、日本軍が動員した朝鮮人とは違って責任がないという考えを明らかにした。
  追悼祭は沈鬱な雰囲気のなかでおこなわれた。 準備してきたプラカードは全て広げることもできなかった。 食堂の隅で供物をそろえて遺族たちが祭祀をおこなった。 祭膳の片方には遺族たちが持ってきた色あせた写真が置かれた。
  チョヤンジャ氏(69)は追悼辞で“お父さん、お父さんだと、どれくらい呼んでみたかったか……”、“いつもお父さんの不在を感じて生きてきた”といった。そして“なぜ今になって訪ねてきたのかと恨まないでください”、“不孝者の想いはアボジが現世での恨みをはらして冥土で安らかに眠ることだ”といった。 チョ氏はあふれる涙をこらえ、追悼のことばが何度もとぎれた。
  父親が日帝の軍属として強制動員されたユヒジョン氏(77)は“わたしたちがどんな罪を犯したのでこんなところで隠れて祭祀をおこなわなければならないのか”と委員会に抗議した。委員会関係者は“日本が追悼巡礼直前に知らせてきたので対処する余裕がなかった”、“次にはこのようなことが無いようにする”と答えた。
     【写真】日帝強制占領期間強制動員された朝鮮人が集団虐殺されて埋められた中国
        海南省三亜市‘千人坑’で先月25日被害者遺族たちが追悼碑の前で黙祷して
        いる。
  委員会は2006年に海南島実態調査をおこなって、113人の被害者を確認した。1939年に海南島を侵略した日本は、不足した労働者を充当するために‘募集’で偽装して朝鮮人を強制動員した。
  また、1940年代に、朝鮮人受刑者を対象にして減刑するとだまして‘朝鮮報国隊’という名で8回にわたって2000人余りを海南島に動員したと伝えられている。
  ‘慰安婦’として強制動員された朝鮮人女性が200人を越えるという証言はあるが、確認された被害者は1人だ. 2001年に市民団体を中心に海南島で遺骨発掘作業が実施されて109位の遺骸を確認したが、身元は明らかにならなかった。
  遺族たちの望みは遺骨を韓国に持ってくることである。 委員会側は“日帝動員被害地域が中国、日本、ロシア各国に大きく広がっているので故国で奉還する手続きをとろうとしても外交的な問題がある”、“遺骨送還と共に追悼碑を建設する方案を考慮してみる”と話した。

■“아버지”… 한 서린 ‘천인갱의 눈물’
  일제 강제동원 희생자 유족, 중국 하이난성 추도순례
    http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201205032153155&code=940202
    『경향신문』 입력 : 2012-05-03 21:53:15ㅣ수정 : 2012-05-03 23:35:02
    글·사진 김향미 기자 sokhm@kyunghyang.com

  지난달 25일 중국 하이난성 싼야시 난딩촌. 열대림을 지나 마을로 들어서자 허물어진 담장 안에 한국어로 새겨진 몇 개의 비석이
세워져 있었다. 그 앞에 약 70년 만에 아버지와 형제의 유골을 찾아온 사람들이 섰다.

  “아버지….”
  누구도 더 이상의 말을 잇지 못했다. 모두들 뙤약볕 아래 차곡히 쌓이는 국화 꽃송이만 응시했다.
  이곳은 일제강점기 일본 군과 기업에 의해 강제동원된 조선인들이 집단학살을 당한 것으로 알려진 ‘천인갱(千人坑)’이다. 1000명이 넘는 조선인이 한꺼번에 묻혔다고 해서 붙은 이름이다.
     【写真】희생자 유족 조양자씨가 지난달 25일 열린 추도제에서 추도사를 읽으며
        눈물을 닦고 있다.
  경남 진주에서 온 최선광씨(72)는 “아버지가 순천 형무소에서 이곳으로 끌려와 엽서 한 장 보낸 게 전부”라며 “유골은 못 찾아도 이곳 흙 한 줌 가져다가 고국에 있는 어머니·아버지 합봉한 묘에 뿌려 드리고 싶다”고 했다.
  최씨처럼 아버지나 형제의 흔적을 찾아 중국 하이난을 찾은 유족은 모두 15명이다. 이들은 모두 60~70대다.
  국무총리실 소속 대일항쟁기강제동원피해조사 및 국외강제동원희생자 지원위원회(강제동원피해조사위원회)는 2006년부터 매년 1~2회씩 ‘일제강제동원 희생자 유족 해외 추도순례’를 진행하고 있다.
  천인갱에 오기 전 유족들은 싼야시의 한 한국 식당에서 추도제를 지냈다. 애초 추도제를 천인갱에서 지내려 했으나 일본 측에서 반대했다.
  추도순례 프로그램의 예산 중 3분의 1을 일본에서 부담하고 있다. 위원회 관계자는 “예산의 일부를 부담하면서 일본이 추도제 장소나 일정에 간섭을 하기도 한다”고 말했다.
  일본은 ‘천인갱’에서 조선인 강제동원과 학살은 그 당시 기업이 진행한 일이라 일본군에 의해 동원했던 조선인들과는 달리 책임이 없다는 뜻을 밝힌 것이다.
  추도제는 침울한 분위기 속에 진행됐다. 준비해온 플래카드는 온전히 펼치지도 못했다. 식당 내 구석에서 제수를 차려놓고 유족들이 제를 지냈다. 상 한쪽에는 유족들이 가져온 빛바랜 사진들이 놓였다.
  조양자씨(69)는 추도사에서 “아버지, 아버지라고 얼마나 불러보고 싶었는지…”라며 “언제나 아버지의 빈자리를 느끼며 살았다”고 했다. 또 “왜 이제야 찾아왔느냐고 노여워 마시라”며 “불효자의 바람은 아버지가 이승에서의 한을 푸시고 저승에서 편안하게 고이 잠드시는 것”이라고 했다. 조씨는 쏟아지는 눈물을 참느라 추도사를 몇 번이나 멈췄다.
  부친이 일제 군속으로 강제동원된 유희종씨(77)는 “우리가 무슨 죄를 지었길래 이런 곳에서 숨어서 제를 지내야 하느냐”며 위원회에
항의했다. 위원회 관계자는 “일본에서 추도순례 직전에 알려와 경황이 없었다”며 “다음에는 이런 일이 없도록 하겠다”고 답했다.
     【写真】일제강점기 강제동원된 조선인들이 집단학살돼 묻힌 중국 하이난성 싼야시
      ‘천인갱’에서 지난달 25일 피해자 유족들이 추모비 앞에서 묵념하고 있다.
  위원회는 2006년 하이난도 실태 조사를 거쳐 113명의 피해자를 확인했다. 1939년 하이난을 침략한 일본은 부족한 노동자를 충당하기 위해 ‘모집’으로 위장해 조선인들을 강제동원했다.
  또 1940년대 조선인 수형자들을 상대로 감형해주겠다고 속여 ‘조선보국대’라는 이름으로 8차례에 걸쳐 2000여명을 하이난에 동원한 것으로 알려져 있다.
  ‘위안부’로 강제동원된 조선인 여성들이 200명이 넘는다는 증언은 있으나 확인된 피해자는 1명이다. 2001년 시민단체를 중심으로 하이난에서 유골 발굴 작업이 실시돼 109위의 유해를 확인했지만 신원은 밝혀지지 않았다.
  유족들의 바람은 유해를 한국으로 가져오는 것이다. 위원회 측은 “일제 동원 피해지역이 중국, 일본, 러시아 각국에 넓게 퍼져있는 데다 고국으로 봉환하는 절차를 밟으려 해도 외교적인 문제가 걸려 있다”며 “유해 송환과 함께 추모비를 건립하는 방안을 고려해보겠다”고 말했다.
コメント

『京郷新聞』記事「日帝強制動員犠牲者遺族、中国海南島追悼巡礼」について 2

2012年12月24日 | 「朝鮮報国隊」
 『경향신문(京郷新聞)』2012年5月3日号に、「일제 강제동원 희생자 유족, 중국 하이난성 추도순례(日帝強制動員犠牲者遺族、中国海南島追悼巡礼)」と題する김향미記者の記事が掲載されていました。紀州鉱山の真実を明らかにする会がこの記事を知ったのは、先月末でした。
 「朝鮮村」の朝鮮人遺骨の紛失問題とこの記事にかんして、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会に、12月21日に、つぎのような質問を郵送しました。

■대일항쟁기강제동원피해조사 및국외강제동원희생자등지원위원회 귀중■

  기주광산의 진실을 밝히는 회는 2005년6월 23일부로 일제강점하강제동원피해진상규명위원회에 「남방파견 보국대 (조선보국대)」 및 「일본군대제 성노예로서 하이난섬에 연행된 조선인」의 피해진상조사 신청을 했습니다.
  또한 그 후 지금까지 몇차레에 걸쳐 일제강점하강제동원피해진상규명위원회에 「남방파견 보국대 (조선보국대)」로서 하이난섬으로 끌려간 옥중자의 명부공개와 한국정부로의 인도를 일본정부에 요구함을 포함하여 몇가지 제안을 했습니다만 일절 실현되지 않았습니다.
  2010년3월이후 일제강점하강제동원피해진상규명위원회의 업무를 계승한 대일항쟁기강제동원피해조사및국외강제동원희생자등지원위원회에 「남방파견 보국대 (조선 보국대)」에 대한 기주광산의 진실을 밝히는 회의 진상조사 신청에 연관되어 있으니 질문합니다.

■一、「조선촌」의 「전시관」에 있었던 유리케이스 안의 5구 유골이 없어졌다는 것에 대해.
 작년 2011년10월10일날에 기주광산의 진실을 밝히는 회의 김정미와 佐藤正人이 대일항쟁기강제동원피해조사및국외강제동원희생자등지원위원회의朴聖圭사무국장(당시)을 만나 「조선촌」현상과 「조선촌」의 「전시관」 (「迎樂齋」)에 있었던 유리케이스 안의 5구 유골이 없어졌음을 설명했습니다. 그리고 그 때 없어졌던 5구 유골에 대해 1언제, 2누가, 3 왜, 4어디로, 가져 갔는지를 조사할 것을 요청했습니다.
  朴聖圭사무국장(당시)은 그 사안은 외교부를 통해 중국정부에 문의할 수 있는 것이므로 재 중국 廣州 한국총영사관에 조사의뢰를 하갰다고 언명했습니다.
 그 후 어떻게 되고 있습니까?
 우리 회가 이 전시관에 있었던 유골이 없어졌다는 사실을 알아낸 것은 2009년6월26일 기주광산의 진실을 밝히는 회의 제17회 하이난섬 「현지조사」때였습니다. 이 때는 전시관 안으로는 들어갈 수 없었고 유리 케이스안에 유골이 없는 것을 창 밖으로부터 확인했을 뿐이었습니다만 지난 제22회 하이난섬 「현지조사」때 11월3일에 「조선촌」을 방문하여 전시관안으로 들어가고 유골이 없는 것을 확인했습니다.
 이 일에 관해 지난11월에 중국에서는 신문과 텔레비전에서 한국에서 텔레비전에서 보도되었습니다.

■二、『경향신문』2012年5月3日付 記事에 대해.

  김향미기자에 의한 이 기사는 대일항쟁기강제동원피해조사 및국외강제동원희생자등지원위원회밖에 파악할 수 없는 것으로 생각되는 내용이 포함되어 있으므로 대일항쟁기강제동원피해조사및국외강제동원희생자등지원위원회에 직접 질문합니다.

 1、이 기사에서는 “중국 하이난을 찾은 유족은 모두 15명”이라고 돼 있는데 이 유족분들
  은 다 “남방파견 조선보국대”유족들입니까?

 2、이 기사에서는 “애초 추도제를 천인갱에서 지내려 했으나 일본측에서 반대했다”고
  돼 있습니다.
   이것은 시실입니까?
   사실이면 이번 경우 일본측에서는 언제 어떤 방법으로 반대했 습니까?
  “일본측”이라는 것은 일본정부를 말합니까? 그렇다면 일본정부의 어느 기관입니까?

 3、이 기사에는 “추도순례 프로그램의 예산 중 3분의 1을 일본에서 부담하고 있다. 위원
  회 관계자는 “예산의 일부를 부담하면서 일본이 추도제 장소나 일정에 간섭을 하기도
  한다”고 말했다” 고 씌어져 있습니다.
   “추도순례 프로그램의 예산 중 3분의 1을 일본에서 부담하고 있다”는 것은 시실입니
  까?
   또한 “일본이 추도제 장소나 일정에 간섭을 하기도 한다” 는 것은 시실입니까?
   사실이면 일본 측에서는 어떤 식으로 간섭을 해 옵니까?

 4、이 기사에는 “일본은 ‘천인갱’에서 조선인 강제동원과 학살은 그 당시 기업이 진행
  한 일이라 일본군에 의해 동원했던 조선인들과는 달리 책임이 없다는 뜻을 밝힌 것이
  다” 고 씌어져 있습니다.
   이것은 시실입니까? 사실이면 일본 측에서는 언제 어떤 형식으로 이런 입장을 표시
  했습니까?
   일본 측에서 이런 입장을 표시하기 전에 대일항쟁기강제동원피해조사및 국외강제동
  원희 생자지원위원회(강제동원피해조사위원회)는 이 문제에 관해 일본 측에 대해
  어떤 문의를 했습니까?
   이 문제에 관해 대일항쟁기강제동원피해조사 및국외강제동원희생자지원위원회(강제
  동원피해조사위원회)는 일본 측의 주장을 받아들었습니까? 받아들었다면 그 근거는
  무엇입니까?

 5、이 기사에서는 “위원회는 2006년 하이난섬 실태조사를 거쳐 113명의 피해자를 확인
  했다” 고 씌어져 있습니다.
   2006년에 하이난섬 실태조사를 했다는 것은 사실입니까?
   사실이라면 진상조사신청을 한 기주광산의 진실을 밝히는 회에 하이난섬 실태조사
  의 경과와 조사내용을 알리지 않았던 이유는 무엇입니까?

 6、또한 이 기사에서는 “113명의 피해자를 확인했다”는데 그 113명은 모두「조선촌」에서
  죽임을 당한 사람들이라고 생각하고 있는 것입니까?
   그 근거는 무엇입니까?

 7、이 기사에는 「유족들의 바람은 유해를 한국으로 가져오는 것이다. 위원회 측은 “일제
  동원 피해지역이 중국, 일본, 러시아 각국에 넓게 퍼져있는 데다
   고국으로 봉환하는 절차를 밟으려 해도 외교적인 문제가 걸려 있다”며 “유해 송환과
  함께 추모비를 건립하는 방안을 고려해보겠다”고 말했다」라고 씌어져 있습니다.
   “위원회 측”이 이렇게 말한 것은 사실입니까?
   사실이면
     ①、위원회는 현재까지 하이난섬의 조선인 희생자의 유골을 「봉환」하는 구체적인
       노력을 외교적으로 한 적이 있습니까?
     ②、위원회 측은 현재 하이난섬의 조선인 희생자의 「유골송환」과 「추도비석
       건설」을 위해 어떤 「방안」을 구체적으로 고려하고 있습니까?

  2013年1月말까지 회신해 주시기를 부탁합니다.

.
                               2012年12月21日
                                       기주광산의 진실을 밝히는 회
コメント

『京郷新聞』記事「日帝強制動員犠牲者遺族、中国海南島追悼巡礼」について 1

2012年12月23日 | 「朝鮮報国隊」
 韓国の『京郷新聞』2012年5月3日号に、「日帝強制動員犠牲者遺族、中国海南島追悼巡礼」と題するキムヒャンミ記者の記事が掲載されていました。紀州鉱山の真実を明らかにする会がこの記事を知ったのは、先月末でした。
 「朝鮮村」の朝鮮人遺骨の紛失問題とこの記事にかんして、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会に、一昨日(12月21日)、質問を郵送しました。数日後に届けられると思います。
 以下は、その日本語訳文です。

■対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会 貴中■

 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2005年6月23日付で、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会に、「南方派遣報国隊(朝鮮報国隊)」、および、「日本軍隊制性奴隷として海南島に連行された朝鮮人」被害真相調査申請をしました。
 さらにその後、これまで数回にわたって直接、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会に、「南方派遣報国隊(朝鮮報国隊)」として海南島に送られた獄中者の名簿公開・引き渡しを日本政府に要求してもらいたいなど、いくつか提案をしてきましたが、いっさい実現されていません。
 2010年3月以後、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の業務を引き継いでいる対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会に、「南方派遣報国隊(朝鮮報国隊)」についての紀州鉱山の真実を明らかにする会の真相調査申請にかかわって、質問します。

■一、「朝鮮村」の「展示館」に置かれていたガラスケース内の5体の遺骨がなくなっていること
  について。
 昨年2011年10月10日、紀州鉱山の真実を明らかにする会の金靜美と佐藤正人が対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会の朴聖圭事務局長に会って、「朝鮮村」の現状と、「朝鮮村」の「展示館(「迎楽齋」)」に置かれていたガラスケースの中の5体の遺骨がなくなっていることについて話しました。そして、このとき、なくなった5体の遺骨について、1いつ、2だれが、3なぜ、4どこに、持っていったかを調べてもらいたいと要請しました。
 朴聖圭事務局長は、その事案は外交部をつうじて中国政府に問い合わせができることなので、在広州韓国総領事館に調査してもらうと言明しました。
 その後、どうなっていますか?
 この展示館に置かれていた遺骨がなくなっていることにわたしたちが気付いたのは、2009年6月26日、紀州鉱山の真実を明らかにする会の第17回海南島「現地調査」のときでした。このときは、「展示館」に入ることができず、ガラスケース内に遺骨がないことを窓の外から確認しただけでしたが、今年の第22回海南島「現地調査」のさい、11月3日に、「朝鮮村」を訪ね、「展示館」内にはいり、遺骨がないことを確認しました。
 このことにかんして、11月に、中国で新聞とテレビで、韓国でテレビで報道されています。

■二、『京郷新聞』2012年5月3日付記事について
 キムヒャンミ記者のこの記事は、対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会しか把握できないと思われる内容がふくまれているので、対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会に直接、質問します。
 1、この記事では、「中国海南島を訪ねた遺族は15人」となっていますが、この遺族全員が「南
  方派遣報国隊(朝鮮報国隊)」の遺族ですか?
 2、この記事では、「当初、追悼式は千人坑でおこなわれることになっていたが、日本側で反対
  した」となっています。
   これは事実ですか?
   事実であるなら、今回の場合、日本側は、いつ、どのような方法で反対したのですか?
   「日本側」というのは、日本政府のことですか。そうだとすれば、日本政府のどの機関で
  すか。
 3、この記事には、
      「追悼巡礼プログラムの予算の3分の1を日本側が負担している。
       委員会関係者は、“予算の一部を負担し、日本が追悼式の場所や日程に干渉す
      ることもある”と話した」
  と書かれています。
   「追悼巡礼プログラムの予算の3分の1を日本側が負担している」というのは事実ですか?
   「“日本が追悼式の場所や日程に干渉することもある”」というのは事実ですか?
   事実であるなら、日本側は、どのような形で干渉をしてきますか?
 4、この記事には、
      「日本は、‘千人坑’での朝鮮人強制動員と虐殺は当時企業が敢行したことで、
     日本軍によって動員された朝鮮人とは違って(日本側に)責任がないという考えを明
     らかにした」
  と書かれています。
   このことは事実ですか?
   事実であるなら、日本側は、いつ、どのような形で、この考えを表明したのですか?
   日本がこのような考えを表明する前に、対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員
  犠牲者等支援委員会は、この問題にかんし、日本側にどのような質問をしたのですか?
   この問題にかんし、対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員
  会は日本側の主張を受け入れたのですか? 受け入れたのであれば、その根拠は何です
  か?
 5、この記事では、“委員会は2006年、海南島実態調査をへて、113人の被害者を確認した”
  とされています。
   2006年に「海南島実態調査」をおこなったというのは事実ですか?
   事実であるならば、真相調査申請をしている紀州鉱山の真実を明らかにする会に、「海
  南島実態調査」の経過と調査内容を知らせなかったのはなぜですか?
 6、“113人の被害者を確認”したとのことですが、113人は、すべて「朝鮮村」で殺された
  人たちと考えているのですか?
   その根拠は何ですか?
 7、この記事には、
     「遺族たちの望みは遺骨を韓国に持ってくることである。 委員会側は“日帝動員被
    害地域が中国、日本、ロシア各国に大きく広がっているので故国で奉還する手続きを
    とろうとしても外交的な問題がある”、“遺骨送還と共に追悼碑を建設する方案を考
    慮してみる”と話した」
  と書かれています。委員会側がこのように話したのは、事実ですか?
   事実であるならば、
     ①、委員会が、海南島の朝鮮人犠牲者の遺骨を「奉還」する具体的な努力を外交的
      にしたことがありますか。
     ②、委員会は、現在、海南島の朝鮮人犠牲者の「遺骨送還」と「追悼碑建設」のた
      めに、どのような「方案」を具体的に考慮していますか。

 2013年1月末までに返事をお願いします。
                         2012年12月21日
                                紀州鉱山の真実を明らかにする会
コメント

「海南在世“慰安婦”的最後夙願:日本欠我一個公道」

2012年12月22日 | 海南島史研究

 以下は、12月13日にCNSテレビで放映されたニュースの要旨です。
                                         佐藤正人

■海南在世“慰安婦”的最後夙願:日本欠我一個公道■
   http://big5.chinanews.com:89/shipin/2012/12-13/news142011.shtml
  發佈時間:2012年12月13日 09:31 來源:中國新聞網

  (資料圖片)“慰安婦”是指二戰期間被日本政府和軍隊強迫為日本軍人提供性服務、充當性奴隸的婦女。但因日軍在戰敗時大量銷毀檔案,其準確數量很難統計。一些研究人員根據現存資料推定總數在40萬以上,其中,僅中國婦女就有20余萬之多。
  【標題字幕】
  (資料圖片)“慰安婦”是指二戰期間被日本政府和軍隊強迫為日本軍人提供性服務、充當性奴隸的婦女。但因日軍在戰敗時大量銷毀檔案,其準確數量很難統計。一些研究人員根據現存資料推定總數在40萬以上,其中,僅中國婦女就有20余萬之多。
  【標題字幕】
  海南在世“慰安婦”的最後夙願:日本欠我一個公道
  【解說】據相關調查顯示,至2012年10月底,二戰期間在海南省被日軍性侵犯的老人,在世的僅剩最後的11人。而近年為討還公道曾經赴日出庭作證的8位海南老人中,如今在世的也僅剩下4位。
  【同期】(中國慰安婦問題研究中心調查員 陳厚志)現在就海南島 就是保亭 還有陵水 臨高 澄邁 瓊海 瓊海的今年已經聽說是去世了 澄邁那邊也有一個老人逝世了 現在我們海南全省的就剩下11個 還健在的 被日軍性侵犯過的老人
  【解說】此次探訪海南“慰安婦”的行程,是由22次到海南調查日本侵瓊史的日本海南島近代史研究會創始人佐藤正人連同他的會員發起的。而幾個生於80後的中國記者,也有幸加入到這次搶救性的探訪行動中。
  【解說】這位老人名叫陳蓮村,她的原名叫做陳林村。生於1926年,海南省保亭縣加茂鎮毛立村人。據相關資料介紹,1942年起,她在保亭縣三次被日軍抓到保亭加茂據點後勤服務隊,被迫成為慰安婦。
  【解說】在採訪期間,當佐藤一行人試圖讓陳蓮村老人回憶一下日軍當年對她的暴行時,老人的淚水瞬間奪眶而出。說著一口流利中文的日本女孩米田麻衣連忙上前去安慰老人。
  【同期】(日本女孩 米田麻衣)阿婆不要哭了 不好意思了 不問你了 不好意思了 我們不應該這樣的 不能來問她的經歷 這樣不行的
  【解說】對陳蓮村而言,慘遭蹂躪身為受害者,卻又感覺無顏面對親人和鄰里。因此她不願再回憶過去,更不願面對鏡頭去訴說這深藏心中的傷痛。而這也是所有的“慰安婦”的表現。
  【解說】根據中國慰安婦問題研究中心調查員陳厚志的介紹,海南“慰安婦”多數生活在偏僻山區,常年伴隨著各種不同的疾病傷痛,並且生活十分艱難。有的一生未能生育,日子過得更是孤苦伶仃。而生活在保亭縣南林鄉的林亞金,就是典型代表。
  【同期】(她看不清楚 眼睛不好 就沒發現我們來 耳聾 還痛風 她原來是放牛的)
  【同期】(中國慰安婦問題研究中心調查員 陳厚志)她(林亞金)今年已經87歲了 她原來是住在什號村那邊的她後來就搬到這邊的村莊裏 她因為家裏有一些特殊情況 所以再不能住在那邊的房子了
  【解說】陳厚志告訴我們,林亞金老人是黎族人,1925年生。1943年10月的一天,她和姐妹們在稻田裏被日軍抓走,押到什(zha)漏村,關在一個小茅房裏,第二天就被3個日軍輪姦,在什漏村10天有9天都被日軍強暴。10天后又被帶到南林村日軍據點,關在一間小鐵皮房裏,繼續充當慰安婦。一個月後林亞金病倒了,才得以回家。之後又多次被日軍性侵犯。
  【解說】林亞金老人一輩子無法生育,如今,林亞金老人居住在患有精神疾病的養女家,女婿除了要照顧兩個病人,還要耕種和照看田裏的農作物,因為那是他們唯一的生活來源。由於年事已高,林亞金老人的身體每況愈下,腿部、腰部、頸部也經常發病,在大多數時間裏,她很少外出走動。
  【同期】(林亞金老人)就是右邊這個手臂很痛 左邊這個沒有痛 那個肩關節那個位置痛的很害 傳到這個手臂 現在還在痛 (麻麼)
  【解說】日本女孩米田麻衣和林亞金老人早已認識。米田麻衣告訴我們,當年她們是在林亞金老人赴日申訴的時候相互相識的。米田麻衣後來在海南學習中文期間,也時常到林亞金老人家中看望她。
  【同期】(日本女孩 米田麻衣)我開始來的時候心裏也很複雜 因為我也是日本人 她看到我的話 就馬上想起來 那些很痛苦的時間和體驗 但是後來我每次都來 她就開始 要我住她家 睡覺吧 吃飯吧 現在 怎麼說 作為一個日本人 應該做什麼 我也要想一想 侵略別的國家都是錯誤 應該道歉 但是日本政府到現在一個都沒有道歉 這樣不行
  【解說】本世紀初,海南有8位“慰安婦”到日本提起索賠訴訟,而佐藤正人和他的會員們也一起趕赴東京為她們聲援,抗議日本政府,希望裁判所還她們公道。而這次在探訪名單裏的陳亞扁,就是這8位赴日申訴的“慰安婦"之一。在我們探訪她時,我們發現患有肺炎的老人說話時經常敲著腦袋。
  【同期】(陳亞扁老人)她說她每一次打針 才能睡 如果沒有打的就睡不了 她當時因為被日軍強暴 她不是叫麼 就被打 把頭打壞了 現在她的頭就老是痛
  【解說】陳亞扁老人同樣是黎族人,生於1925年,陵水祖關鎮祖孝村人。1942年時她17歲,被日本兵抓到三亞市,關進一座慰安所。交談中老人一邊擦著眼中的淚水,一邊向我們只言片語地說著那些她不願想起的經歷。
  【同期】(陳亞扁老人)她現在是這樣子 她有恐懼症 她一聽說日本人來 她就全身就覺得很痛 她就是現在心情非常地恐慌 她看到有人來 她就感到恐懼
  【解說】從2001年7月16日到現在,海南島“慰安婦”多年來多次在日本起訴日本政府,陳亞扁也曾多次到日本出庭作證,希望打贏官司,討回公道。而每次的判決都如出一轍地被宣告敗訴。每當想起這些不公正的審判時,老人總會一邊流淚一邊嚷著說“如果生前沒得到日本政府的道歉,我死了都閉不上眼睛。”
  【同期】(海南師範大學歷史學教授 張興吉)最近幾十年來 對日本的起訴 幾乎都沒有太大的進展 這些原因是包括日本社會 主要是日本政府為主導的 包括它的司法機構 它就在主觀上認定 有兩個認定 第一個認定是它認為戰爭賠償問題 作為日本 已經結束了 引用了所謂的司法時效的概念 說戰爭問題已經結束了 那麼第二個問題就是說 在慰安婦問題上就更加突出了 就是一種狡辯的嘴臉 就是堅決不承認 徵用慰安婦的過程 是強行的 暴力的 來徵用的 它為這些人(慰安婦)打上了自願從事這種職業的妓女的一個標簽 一旦打上這個標簽以後 她是自願職業者 那麼就沒有法律賠償的問題 當然我們知道這是完全不合理的 現在我們有很多證據 (她們)是受日本軍方控制的 顯然不是自由職業 他們(日本軍方)有專門的慰安所 這種慰安所是有嚴格的組織的 而且它的領導人 是日本軍官 那你怎麼能講它是一個民間的自願行為呢 所以這是日本政府完全的一個狡辯
  【解說】在這次的探訪過程中,老人們告訴我們一個同樣的夙願,希望有生之年能夠得到日本政府的道歉,還自己的一個公道。而對於我們而言,一個巨大的問題卻在我們幾個80後的中國記者心中反覆徘徊著。是再次詢問她們那些痛苦的經歷?還是不問?人性化的顧慮與記者的職業要求一次次碰撞。每當我們面對著那些蒼老的面孔時,總能感到她們內心的掙扎與無助,但是卻很難再一層層地撥開她們從未痊癒的傷口。
  【同期】(海南師範大學歷史學教授 張興吉)我們也採訪了她們(海南“慰安婦”)的一些家人 她們的家人當然也為了這段歷史 不願意把自己的祖輩 和長輩的一些事情說出來 這也能夠理解 但是我們希望 這些受過殘酷迫害的老人們還是應該勇敢地站出來 為了自己受到的這種迫害 為了人所最要求的最基本的平權 而站出來 我們也當然也應該呼籲社會 (希望)社會上的有識之士 對於這個問題的關注 對於這些老人們有所關注 對於這些研究的項目有所關注 使這個問題真正成為社會所關注的問題 使這些老人們能夠飽受了日軍的摧殘之後 能夠平平安安地走向人生的終點 我覺得是非常必要的
  【同期】(日本海南島近代史研究會 創始人 佐藤正人)日本國就是個從蝦夷 琉球開始侵略其他地方的國家 1931年開始侵略東北 然後1937年全面發動 對中國大陸的戰爭 對以上所說的這些侵略歷史 日本政府都沒在真正的意義上 認真反省承認賠償謝罪 不僅僅是中國 包括南韓 朝鮮 菲律賓 印尼在內 都沒建立真正的友好關係 日本政府完全沒有承認 並正視歷史現實 沒有道歉 也沒有賠償 就算是賠償了 也絕對沒有意識到錯誤 日本侵略海南的時候 同時海南島的人民也在持續抗爭 所以了解侵略歷史這件事 就是反對侵略戰爭本身 有必要讓日本政府 人民都知道這點 我們認為 這樣一來 才能實現真正的日中友好 以及日本和亞洲的友好
  【字幕】據11月9日中新網消息,日本右翼媒體人士櫻井良子所在的歷史事實委員會最近與39名日本國會議員一同在美國新澤西州當地報紙《Star Ledger》上刊登了題為“我們記得事實”的廣告,繼續否定和歪曲慰安婦問題。
コメント