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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「梨泰院にも平和の少女像…ソウルで12番目」

2017年08月31日 | 日本軍隊性奴隷
http://japanese.joins.com/article/730/232730.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
「中央日報日本語版」2017年08月27日10時26分
■梨泰院にも平和の少女像…ソウルで12番目
 ソウル・梨泰院(イテウォン)に平和の少女像と平和の碑が立てられた。
竜山(ヨンサン)平和の少女像建設推進委員会は26日午後、竜山区の梨泰院入口広場で平和の少女像除幕式を開いた。推進委員会は昨年8月に竜山区民の自発的な参加により発足し、1年間にわたり少女像建設を準備してきた。市民1000人余りと60余りの団体が支援した。
 少女像は日本大使館前の「平和の少女像」と同じように短髪にチマチョゴリを着た姿で作られた。ソウルで12番目の少女像だ。少女像は毎週水曜日に日本大使館前で開かれる慰安婦被害者の「水曜集会」1000回を迎え2011年に初めて建てられた。
 竜山は日帝が大陸侵略の前哨基地とした地域だ。竜山米軍基地の場所は日帝強占期に日本軍の駐屯地だった。また、竜山駅は日帝強占期に強制徴集された朝鮮人をサハリンやクリル列島、南洋群島などに送る前に集結させたところだ。竜山駅広場には12日に韓国で初めての「強制徴用労働者像」が設置された。強制徴用労働者像は平和の少女像作家のキム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏夫妻が作った。
 除幕式に参加したユン・ミヒャン韓国挺身隊問題対策協議会共同代表は「今後竜山平和の碑を通じ、より多くの人がおばあさんの傷を治癒し新しい正義の歴史、希望の新しい社会を開くことができるだろう」と話した。朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は「きょう竜山に建てられた平和の少女像がおばあさんには小さな慰労に、市民には痛みを記憶する歴史の現場に、われわれみんなには平和のための祈りになるよう願う」と書面で祝辞を送った。
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「慰安婦被害者また死去 生存者35人に」

2017年08月30日 | 日本軍隊性奴隷
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/08/30/0200000000AJP20170830005700882.HTML
「聯合ニュース」2017/08/30 20:42
■慰安婦被害者また死去 生存者35人に=韓国
【大邱聯合ニュース】韓国の市民団体「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)とともにする市民の集まり」は30日、90代の慰安婦被害者が死去したと発表した。遺族の意向により、氏名などは公表しない。
 亡くなった被害者は1924年に咸鏡北道(現北朝鮮)で生まれ、韓国南東部の慶尚北道で育った。地域の共同洗濯場にいたところ、旧日本軍に連行され、台湾の慰安所で働かされたとされる。正確な時期は本人にも分からないという。2001年7月、韓国政府が慰安婦被害者として登録した。
 韓国政府に登録されている慰安婦被害者239人中、生存者は35人に減った。今月28日には被害者の河床淑(ハ・サンスク)さんが亡くなっている。大邸を含む慶尚北道には慰安婦被害者が4人いる。
          yugiri@yna.co.kr


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28331.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.08.31 03:13 修正 : 2017.08.31 06:50
■慰安婦被害者ハルモニ、相次いで逝去
 生存者35人に
 
 今月28日に亡くなった日本軍慰安婦被害者ハルモニのハ・サンスクさんの葬儀が30日午前、ソウル江東区江東慶煕大学病院葬儀場で執り行われている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
 日本軍「慰安婦」被害者ハルモニ(おばあさん)のハ・サンスクさん(89)が亡くなってから2日後の30日、もう1人の慰安婦被害者ハルモニのLさんが逝去した。享年94。
 「挺身隊女性と共にする市民の会」は地方に居住していたLさんが同日午後3時に病院で老衰で死亡したと明らかにした。1924年に咸鏡北道清津(チョンジン)で生まれたLさんは、叔母の家に養子に出され、慶尚北道で育った。Lさんは村の洗濯場で日本軍に連れていかれ、台湾慰安所で苦痛を強いられた。正確な時期は本人も知らないという。解放後帰国し、食堂で働き、農作業などを手伝いながら暮らしてきたLさんは、2001年7月、政府に日本軍性奴隷被害者として登録した。
 市民の会は遺族の意向によってハルモニの身元を公開しないことにしたと明らかにした。葬儀は家族葬で行われる。Lさんは、生前にも公開活動に出ず、名前などを明かすことを嫌ったという。Lさんの死去で政府に登録された日本軍「慰安婦」被害者239人のうち生存者は35人に減った。

ファン・クムビ記者
韓国語原文入力:2017-08-30 22:26
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/809025.html
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「日本軍「慰安婦」被害者河床淑(ハ・サンスク)さん逝去」

2017年08月29日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28308.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.08.28 22:49
■日本軍「慰安婦」被害者ハ・サンスクさん逝去
 1944年、16歳の時に中国慰安所に連れて行かれ 
 生涯を中国で暮らし、2003年に初めて故郷の土を踏み 
 生前「慰安婦」被害証言に積極的に参加 
 「日本政府の謝罪を受けなければ死ねない」との訴えも

【写真】ハ・サンスクさんが9日午後、療養中だったソウルのある病院でベッドで微笑を浮かべている=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 日本軍「慰安婦」被害者のハ・サンスクさんが28日午前逝去した。享年89。
 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は「日本軍“慰安婦”被害者のハ・サンスクさんが28日午前9時10分頃、持病による敗血症で死亡した」と28日明らかにした。ハさんが亡くなって日本軍「慰安婦」被害を受けた生存者は36人に減った。
 ハ・サンスクさんは1928年、忠清南道瑞山(ソサン)で生まれた。礼山(イェサン)で暮らしていた1944年、16歳で「工場に行けば金を稼げる」という日本軍「慰安婦」募集者の話にだまされて、京城(ソウル)、平壌(ピョンヤン)、丹東(タントン)、新義州(シンウィジュ)天津を経て、中国湖北省の武漢漢口の日本軍慰安所に連れて行かれた。慰安所で8カ月近く収容生活をしたハさんは、翌年日本が敗戦して解放をむかえたが、「日本軍に辱められた体で故郷の人々に会わせる顔がない」という理由で帰国をあきらめ、中国人と結婚した。子供を産むことができなかったハさんは、夫の子供3人を実子のように育て、1994年に夫と死別してからは末娘と共に過ごした。
 ハさんは解放以後、中国に「朝鮮」国籍で残ったが、南北分断の過程で中国国内の朝鮮国籍者が全員北朝鮮国籍に分類されたために、1999年韓国政府の国籍回復判定によりはじめて韓国国籍を取り戻すことができた。中国で60年近く暮らし、2003年に故郷の土を初めて踏んだ。2000年12月、東京で開かれた「日本軍性的奴隷戦犯女性国際法廷」に証人として参加するなど、生前には「慰安婦」被害を証言する活動に積極的に参加した。2013年ソウルで開かれた「第1回世界日本軍慰安婦を記憶する日の記念国際シンポジウム」では「結婚もしない若さで(慰安所に)入ってきました。日本はこんな悪いことをしておきながら「そんなことはない」と言うが、嘘をつけば済むと思っているのですか。私は(日本政府が)過ちを犯しましたという言葉を聞かなければならず、それまでは私は死ねません」と話して涙で訴えもした。
 ハ・サンスクさんは昨年、中国人の隣人と言い争って、2階の階段から押されて倒れ健康が悪化した。肋骨と骨盤を骨折する重傷を負い、韓国に戻って病院生活をした。挺対協は「(ハさんが)最近よく回復して安心していたが、結局公式謝罪と法的賠償を受けられずに逝去された。天国で安らかに休まれることを願う」と故人の冥福を祈った。葬儀室はソウル江東区の慶煕大学病院葬儀場12号室に整えられた。

【写真】中国武漢に居住中の日本軍「慰安婦」被害者ハ・サンスクさんが2013年8月9日午後、仁川空港から入国し甥とソン・ヨンミ挺対協我が家憩いの場所長(右)の歓待を受けて歩いている。仁川空港/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
【写真】中国に残った唯一の韓国国籍慰安婦被害者であるハ・サンスクさん(88)が2016年4月10日午後、治療のために仁川国際空港を通じて入国している。大韓航空機から救急車に移動するため、医療スタッフと乗務員が準備している=共同取材団//ハンギョレ新聞社
【写真】ソウル江東区のある病院で療養中だったハ・サンスクさんが9日、見舞いに来たキム・ドンヒ戦争と女性人権博物館副館長に向かって手をあげて挨拶している=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

ファン・グムビ記者
韓国語原文入力:2017-08-28 18:55
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/808582.html


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/08/28/0200000000AJP20170828003800882.HTML
「聯合ニュース」2017/08/28 16:06
■慰安婦被害者が死去 生存者36人に=韓国
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を支援するとともに、慰安婦問題の解決に取り組む韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)は28日、被害者の河床淑(ハ・サンスク)さんが同日午前に敗血症のため死去したと発表した。

【写真】河床淑さん=(聯合ニュース)

 河さんは1928年忠清南道瑞山市生まれ。1944年、洗濯をしてお金を稼げるという言葉にだまされ、慰安婦として中国に連行された。1945年の日本による植民地支配からの解放後も帰国することができずに中国で暮らし続け、2003年にようやく帰国した。2年半余り過ごした後、中国の家族の元に戻ったが昨年2月に大けがを負い、同4月に中国からソウル市内の病院に移送され療養を続けていた。
 2000年に日本で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」では慰安婦の実態を証言した。
 韓国政府に登録されている慰安婦被害者239人中、生存者は36人に減った。


http://japanese.joins.com/article/787/232787.html?servcode=400§code=420&cloc=jp
「中央日報日本語版」2017年08月29日08時30分
■慰安婦被害者のハ・サンスクさんが死去

【写真】日本軍慰安婦被害者のハ・サンスクさんが28日午前死去した。89歳だった。

 韓国挺身隊問題対策協議会は「老衰で病院生活をしていたハさんがこの日午前9時10分ごろ亡くなった」と明らかにした。キム・グンジャさんが7月23日に死去してから36日ぶりだ。これで韓国に登録された239人の日本軍慰安婦被害者のうち生存者は36人に減った。
 1928年生まれのハさんは忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)で生まれた。「工場に行けば金を稼げる」という話にだまされ16歳で日本軍慰安婦として連れて行かれた。中国・武漢などの地で苦痛を受け解放を迎えた。その後帰郷せず中国にとどまったハさんは99年に韓国国籍を回復した。
 ハさんは昨年2月に階段で転倒して肋骨が肺に刺さる重傷を負った。中国で治療を受けている間に状態が悪化し韓国の病院に運ばれた。ソウルの中央大学病院で集中治療を受けて病状が好転し昨年8月に退院した。その後ソウル中央報勲病院でリハビリと療養治療を受けていたが最近になり敗血症の症状を見せていた。2000年には東京で開かれた「日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」に証人として参加することもした。
       

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/28318.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.08.29 22:04 修正 : 2017.08.30 07:12
■[社説]慰安婦被害生存者36人、未だに韓日合意の過程も分からない
 1月18日パク・チャスンさん、4月4日イ・スンドクさん、7月23日キム・クンジャさん、そして8月28日ハ・サンスクさん。今年に入って亡くなった日本軍「慰安婦」被害者は4人。

【写真】28日に亡くなった日本軍「慰安婦」被害者ハ・サンスクさんの生前の姿=ユン・ミヒャン韓国挺身隊問題対策協議会共同代表フェイスブックより//ハンギョレ新聞社

 最高齢生存者だった「椿の花」イ・スンドクさんと多くの寄付をしてきたキム・クンジャさんの生涯も数奇だったが、ハ・サンスクさんとパク・チャスンさんの生涯も別の意味で私たちの胸をつまらせる。2人は長期にわたり「慰安婦」被害者になったことを恥じたり、冷たい世の中の視線のために故国に戻って来られなかった。パクさんは生涯を中国で過ごし永眠についた。16歳の時にお金を稼ぐことができるという言葉にだまされて、中国の慰安所に連れて行かれたハさんは、60年以上を中国で過ごし、2003年に初めて故郷の土を踏んだ。1995年ドキュメンタリー『低い声』(邦題:『ナヌムの家』)第1編で中国の武漢に暮らしていたハさんをカメラに収めたピョン・ヨンジュ監督は「韓国語を忘れずに自分たちの存在を知らせることに積極的だった」というハさんを記憶する文をSNSに上げた。その後、ハさんは2000年に東京で開かれた「日本軍性的奴隷戦犯女性国際法廷」に証人として参加するなど、被害証言活動を続けてきた。
 現在、生存している政府登録被害者は36人。未だに私たちは2015年の12・28韓日慰安婦合意がどのようになされたのかさえ知らない。突然の合意の妥結過程、日本の公式謝罪なしで「最終的かつ不可逆的」という表現が入った経緯など、多くの疑問に対して外交部傘下の「慰安婦合意検討TF」は答えなければならない。

韓国語原文入力:2017-08-29 19:00
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/808809.html
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「米軍慰安婦被害、国家が真相究明に乗り出すか」

2017年08月29日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27934.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.07.16 22:52 修正 : 2017.07.17 07:36
■米軍慰安婦被害、国家が真相究明に乗り出すか
 ユ・スンヒ議員、14日、米軍慰安婦法の代表発議 
 「国家が米軍基地村女性の人権侵害の先頭に立った」

 朝鮮戦争は、韓国の女性たちにも癒えることのない傷を残した。米軍基地村女性122人は国に対し被害賠償請求訴訟を起こすことにした。2014年7月25日、ソウル大方洞のソウル女性プラザビル4階で開かれた訴訟記者会見の様子=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
 米軍基地村周辺で売春に従事してきた女性たちの被害実態を究明し、国家が彼らの生計を支援する内容の法案が国会に提出された。
 共に民主党のユ・スンヒ議員は14日、「米軍慰安婦問題に対する真相究明と名誉回復および支援などに関する法律案(米軍慰安婦法)」を代表発議した。民主党のイ・ジョンゴル、ユン・フドク、キム・ドゥグァン議員と正義党のキム・ジョンデ議員など18人が発議に参加した。
 同法案は4年期限で「米軍慰安婦問題の真相究明及び慰安婦支援委員会」を設置するようにしている。同法案は「1945年9月8日から2004年9月22日まで、韓国政府が在韓米軍を相手にした接客行為または売買春を目的とする店の営業を幇助した。また、政府が強制的に売春女性の性病を検診して治療する過程で、不当に監禁または暴行などを行うことによる被害も発生した」とし、「真相を究明し、被害を補償するため、大統領所属の委員会を設置する」と規定している。
 「米軍慰安婦」国家責任問題は、2013年の国会の国政監査と翌年のハンギョレの報道などで公論化した。米軍基地村周辺で売春に従事してきた女性122人は、2014年に国家を相手に精神的被害に対する損害賠償請求訴訟を起こした。今年1月、ソウル中央地裁22民事部(裁判長チョン・ジウォン)は、国家賠償責任の一部を認める原告一部勝訴判決を下した。

【写真】米軍基地村には人身売買された未成年女性たちも多数いた。国はこのような状況に目をつむり「米兵にうまく接待せよ」という教育ばかり行った。教育を始めた公務員らは基地村女性たちを「ドルを稼ぐ産業の担い手」と称えた。1970年代の東豆川基地村風景=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

ホ・ジェヒョン記者
韓国語原文入力:2017-07-16 20:16
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/803017.html
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「韓国裁判所「米軍基地村『慰安婦』に国家が賠償すべき」」

2017年08月28日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/26312.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.01.21 04:56 修正 : 2017.01.21 07:42
■韓国裁判所「米軍基地村『慰安婦』に国家が賠償すべき」
 根拠のない性病感染者の強制収容は「違法行為」と判断 
 「被害者57人に49万円ずつ賠償」判決 
 「基地村の設置・管理が違法」との主張は認めず

【写真】朝鮮戦争は、韓国の女性たちにも癒えることのない傷を残した。米軍基地村女性122人は国に対し被害賠償請求訴訟を起こすことにした。2014年7月25日、ソウル大方洞のソウル女性プラザビル4階で開かれた訴訟記者会見の様子=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社

 国が米軍基地村「慰安婦」被害者に対して損害賠償をすべきとする裁判所の判断が出た。裁判所は国家が性病の管理のため、彼女らを隔離施設に強制収容したのは違法だと判決した。
 ソウル中央地裁民事22部(裁判長チョン・ジウォン)は20日、L氏など基地村「慰安婦」被害者120人が国に対して起こした損害賠償請求訴訟で、「国が被害者57人に対して500万ウォン(約49万円)を賠償せよ」とする原告一部勝訴判決を下した。
 裁判所はまず、国が法的根拠もなく、性病に感染したり、感染者と疑われた被害者たちを「落検者収容所」に強制隔離収容して治療したのは、違法だと判示した。裁判所は「収容された慰安婦」たちは完治したと判定されるまで、収容所外に出られず、収容所から脱出を試みて負傷した場合もあったとみられる」と指摘した。また、「(治療の過程で)ペニシリンショックによる副作用に悩まされたり、死亡した被害者もいた」と述べた。
 裁判所はまた、5年の消滅時効が完了したという国の主張も認めなかった。消滅時効は、一定期間権利を行使しなければその行使を制限する制度で、国は米軍「慰安婦」の国家賠償の消滅時効が終了したと主張してきた。しかし、裁判所は「権威主義統治時代と当時米軍慰安婦などに対して閉鎖的だった国民感情、男性中心的で家父長的に形成された社会文化などを考慮すれば、(被害者たちが)権利を放置したとは評価できない」と述べた。また、「国家権力機関の国民に対する不法収容など、過酷行為は決してあってはならない違法行為」だと判断した。隔離収容の対象となる伝染病を明示した施行規則が制定された1977年8月以前に隔離し収容された「慰安婦」被害者57人に対する国家の賠償責任が認められたのだ。
 ただし裁判所は、「国が売買春が容易に行われるよう基地村を作ったのは違法」という被害者たちの主張は受け入れなかった。裁判所は「被害者たちが基地村内での売春を強いられたり、やめられないほどの状態にあったと見ることはできない」として、このように判断した。また、「政府が『浄化運動』などを展開して基地村の売買春を管理したのは違法行為」という主張に対しても、「このような指針は売買春関係者に対する性病検診・治療などの公益的目的を達成するためのものとみられる」との見解を示した。

ヒョン・ソウン記者
韓国語原文入力:2017-01-20 20:08
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/779648.html
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帝国主義諸国の侵略犯罪史における海南島侵略犯罪 年表(抄)

2017年08月27日 | 海南島近現代史文献・年表
1492年 コロンブス船団大西洋往復 → スペイン人・ポルトガル人、インディヘナ殺戮・文化
   破壊・掠奪・支配。
1592年~93年 「壬辰倭乱」。 1597年~98年 「丁酉倭乱」。
1602年 オランダ東インド会社、ジャワ島に。オランダのインドネシア植民地化開始。
1609年 薩摩軍、奄美・琉球国に侵入 → 幕府、琉球国を薩摩藩の「所管」とする。薩摩藩、
   奄美を直接支配。
1637年1月 清軍、朝鮮に侵入(「丙子胡乱」)。2月 朝鮮王、清王に降服。
1637年12月~38年4月:島原・天草烽起。籠城した37000人死亡。
1643年 ヘナウケの戦い。 1669年 シャクシャインの戦い。
1763年~65年 ポンティアック戦争(アメリカ北西部先住民諸部族が連合して、白人侵入者と
   戦う)。
1776年7月4日 アメリカ合州国独立宣言 → 先住民の大地にたいする大規模侵略開始。
1789年 フランス革命。 クナシリ・メナシの戦い(「寛政蝦夷蜂起」)。
1828年~32年 「ブラックウォー」(タスマニア人虐殺)。 1876年5月 最後のタスマニア人死亡。
1840年~42年 アヘン戦争。
1857年~59年 インド大反乱(第一次インド独立戦争)。
1869年9月 日本政府、アイヌモシリを日本領土とし「北海道」と名づける。
1872年10月 「琉球藩」設置(第1次琉球処分)。 1879年4月、「琉球藩」を「沖縄県」に(第2次
   琉球処分)。
1873年3月 オランダ、アチェ王国侵略開始(1904年、アチェ王国滅亡)。
1874年5月 西郷従道(「台湾蕃地事務局都督」)が指揮する日本軍が台湾に侵入。住民虐殺。
1875年8月:ロシアと「樺太・千島交換条約」締結(千島列島を日本の領土に)。
1875年9月 日本小型砲艦「雲揚」、江華島海域に侵入。→1876年2月26日 朝日修好条規調
   印・発効。
1875年5月7日 ロシア政府と「樺太千島交換条約」締結(「千島列島」全域を領土化)。
1877年3月 「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」とする太政官指令。
1883年~1885年 清フランス戦争( → 1887年 フランス領インドシナ)。
1884年11月~1885年2月:ベルリン会議(アフリカ分割会議)。
1884年12月 朝鮮で朴泳孝・金玉均ら日本の援助で「甲申クーデタ」、失敗。
1889年2月11日 「大日本帝國憲法」発布(1890年11月施行)。1890年10月、「教育勅語」発表。
1890年12月28日 ウンデットニーの虐殺(USA軍第7騎兵隊、サウスダコタ州スー族大虐殺)。
1894年7月 USAの侵略集団が「ハワイ共和国」樹立宣言(10月に日本政府が承認)。
1894年~95年 朝鮮日本戦争(甲午農民戦争)→ 清日本戦争。 1894 年11月 旅順大虐殺。
1894年12月28日 全琫準、淳昌で日本軍に逮捕されソウルに。 1895年4月23日 全琫準ら
   処刑される。
1895年4月 「日清講和条約」締結(台湾、澎湖列島、遼東半島を日本領土とする)。
1895年5月 日本軍、台湾侵入開始。以後、長期に台湾民衆を殺害。
1896年8月 フランス、メリナ王国(マダガスカル)「併合」。 USA、ハワイ「併合」。
1898年12月 USA、スペインに2千万ドル支払い、プエルトリコ、フィリピン、グアム島を植民
   地に。
1900年~1901年 義和団戦争(日本、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、USA、イタリア、オ
   ーストリア・ハンガリー〈8か国〉軍隊が連合して清国に侵入)。
1905年1月28日 日本政府、閣議で大韓帝国の独島を「竹島」と名付けて領土化。独島問題は
   植民地問題。
1905年 日本、カラフト南部・遼東半島南部(「関東州」)・「満鉄附属地」を領土化。
1905年~08年 マジ・マジ戦争(ドイツ、タンガニイカで大虐殺)。
1906年 日本占領下の大韓帝国で、反日義兵が中心になって独立戦争開始。
1910年8月 日本帝国、大韓帝国全土を植民地化。1910年9月 日本政府、朝鮮総督府設置。
1914年7月~1918年11月 「第一次世界戦争」。
1915年 日本、「南洋群島」を植民地とする。
1917年11月 ロシア革命。
1918年~22年 シベリア侵略戦争(日本・イギリス・USA・フランス・イタリア・カナダ)。
1919年3月~5月 朝鮮で、3・1独立運動。  5月~6月 中国で、5・4運動。
1919年3月 日本軍、イワノフカ村虐殺(アムール州)。1919年4月 イギリス軍、アムリットサル
   虐殺。
1919年6月 ヴェルサイユ条約(ドイツの植民地を分割。日本は「南洋諸島」占領)。 1920年8月 
   セーヴル条約。イラク・パレスチナ・エジプトをイギリスが、レバノン・シリア・モロッコ・チュニ
   ジアをフランスが支配。
1930年10月~31年5月 台湾の日本軍と警察、烽起した霧社の民衆を殺戮。
1931年9月18日 日本関東軍、中国東北部・モンゴル東南部侵略開始。  1932年3月1日「満
   洲国建国」。
1937年7月7日 日本、中国への全面的侵略開始。
1937年12月 日本軍、南京大虐殺。 日本海軍将兵、三灶島(三竈島)に侵入(民衆虐殺)。
1938年2月22日 陸軍特別志願兵令公布(「勅令」)。 2月26日の『朝鮮総督府官報』に掲載。
1938年2月~1943年8月 日本陸海軍航空部隊、重慶・成都・蘭州……爆撃。
1939年2月10日 日本陸海軍海南島に奇襲上陸。 2月~11月 日本海軍海南島で「Y一作
   戦」(地域住民虐殺)。
1939年9月1日 西からドイツ軍がポーランドに侵入。 9月17日、東からソ連軍が侵入。 分割
   占領。
1939年9月1日 朝鮮総督府、「朝鮮人労務者募集並渡航取扱要綱」を出す(「募集」方式の
   朝鮮人強制連行開始)。
1939年11月10日 朝鮮総督府、「朝鮮民事令」改悪。 → 1940年2月「創氏改名」実施。
1940年2月~4月 日本海軍海南島で「Y二作戦」(地域住民虐殺)。  1941年2月~3月 「Y三
   作戦」。
1940年7月 関東軍防疫部、関東軍防疫給水部に改編(関東軍防衛給水部本部の通称:満州
   第731部隊)。
1941年7月28日 日本陸軍第25軍約4万人、海南島楡林港からベトナム南部・カンボジア)に
   侵入。
1941年8月 日本海軍海南島で「Y四作戦」(地域住民虐殺)。 海南島澄邁県沙土・定安県黄
   竹鎮で住民虐殺。
1941年11月~42年1月 日本海軍海南島で「Y五作戦」。  1942年6月 「Y六作戦」。
1941年12月8日 海南島三亜港をでた日本軍、コタバル奇襲、アジア太平洋戦争開始。
1942年6月5日~7日 日本海軍、ハワイ西北のミッドウェーのUSA軍を攻撃。大敗。
1942年8月7日 USA軍、ガダルカナル島に上陸開始 → 日本兵約25000人戦死・餓死・病死。
1942年11月~43年4月 日本海軍海南島で「Y七作戦 1期」(海南島東北部住民虐殺)。
1943年3月30日 第1次「南方派遣朝鮮報国隊」ソウル出発 → 海南島へ。
1943年4月~5月 日本海軍海南島で「Y七作戦 2期」(海南島東部の住民虐殺)。
1943年5月12日 USA軍、アッツ島上陸開始。 5月29日、日本軍壊滅(日本兵2600人あまり
   死亡)。
1943年6月 「Y七作戦 3期」(海南島西北部の住民虐殺)。
1943年7月23 日 海軍特別志願兵令公布(「勅令」)→ 朝鮮人、海軍特別志願兵に。
1943年9月8日 イタリア、「連合軍」に全面降伏。
1943年12月から1年間断続的に  日本海軍海南島で「Y八作戦」(地域住民虐殺)。
1944年3月~7月 「インパール作戦」で日本兵約56000人・インド国民軍兵約1900人死亡(戦
   死、餓死、病死)。
1944年4月 朝鮮人にたいする徴兵検査開始。  1945 年1月 台湾人にたいする徴兵検査
   開始。
1944年6月15日 USA軍、サイパン島への再上陸開始。 7月7日、日本軍壊滅。
1944年7月24日 USA軍、テニアン島への上陸開始。 8月3日、日本軍壊滅。
1944年10月10日 USA軍、沖縄大空襲(十・十空襲)。 1945年3月2日、沖縄本島大空襲。
1944年12月 日本海軍海南島で「Y九作戦」(地域住民虐殺)。
1945年1月4日~6月~  ルソン島戦(フィリピン人犠牲110万人)。
1945年2月3日~3月3日 マニラ大虐殺(フィリピン人市民約10万人が死亡)。
1945年2月19日~3月17日 硫黄島戦(日本側死者2万人余、USA側死者6821人)。
1945年3月10日 東京大空襲、12日名古屋大空襲、13日大阪大空襲 、17日神戸大空襲、
   5月29日横浜大空襲。
1945年3月26日 USA軍、沖縄慶良間諸島の慶留間島・座間味島などに上陸。「沖縄戦」
   開始。
1945年3月26日 慶留間島で53人、「集団自決(強制集団死)」。4月2日 読谷村チビチリガマ
   で強制集団死。
1945年4月12日 佐世保第8特別陸戦隊、海南島楽会県互助郷を襲撃(被殺者777人、幸存者
   337人)。
1945年4月30日 ヒトラー自殺。 5月7日 ドイツ無条件降伏。
1945年5月2日 海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊万寧守備隊、万寧市月塘村を襲撃。
   犠牲者190人。
1945年7月30 日 海南警備府第15 警備隊舗前守備隊、文昌市秀田村を襲撃(被殺者140 人、
   幸存者56 人)。
1945年8月6日・9日:アメリカ合州国政府・軍、広島・長崎に原爆投下(約14万人・約7万4千人
   殺害)。
1945年夏 日本海軍海南警備府第16警備隊の兵士ら、「朝鮮報国隊」の朝鮮人を虐殺。
1945年8月14日 日本無条件降伏。 8月15日「大東亜戦争終結ノ詔書」NHK放送。
1946 年5月~49年3月 朝鮮人23人・台湾人21人、「戦犯裁判」で処刑。
1946年11月3日 最悪の戦犯を日本国民統合の象徴とする「日本国憲法」公布(1947年5月3日
   施行)。
1999年8月13日 「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)公布・施行。
2016年3月29日 「戦争法」施行。 2017年7月11日 「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」施行。
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海南島における日本の侵略犯罪

2017年08月26日 | 海南島近現代史研究会
■海南島における日本の侵略犯罪■       
   海南島近現代史研究会第11回総会・第20回定例研究会報告  2017年8月26日

(一)国民国家の他地域他国侵略犯罪
1、国民国家、帝国主義国家
    国民国家:植民地なしには国民国家はない。国民国家=帝国主義国家。
    16世紀から数世紀にわたって、アフリカ大陸から「アメリカ」に多くの民衆が強制連行。
    18世紀中期からアリューシャン・アラスカ地域に侵入したロシア人は、アレウト人を
   虐殺し、その大地を奪った。「アメリカ」各地の鉱山で、インディヘナが強制労働させ
   られ、多くの人が生命を失わされた。
    アメリカ合州国の歴史は、先住の赤人民衆虐殺の歴史であった。北「アメリカ」に侵
   入したイギリス系ヨーロッパ人は、1776年に「13植民地(東部13州)」を「独立」させ
   てアメリカ合州国を「建国」したあと、さらに西部のインディヘナの大地を奪って領土
   を拡大し、大陸の西海岸まで国境線を広げた。
    西ヨーロッパ人とロシア人による侵略・虐殺の時代に続く、19世紀から20世紀前半ま
   での国民国家の領土・植民地拡大の歴史は、他地域・他国侵略の歴史であった。
    19世紀末から国民国家による世界再分割。
    ベルリン会議(アフリカ分割会議。1884年11月~1885年2月。イギリス、ドイツ、オース
   トリア・ハンガリー、ベルギー、デンマーク、スペイン、アメリカ合州国、フランス、イタリ
   ア、オランダ、ポルトガル、ロシア、スウェーデン、オスマン帝国)。
    他地域他国侵略による国民国家形成。
       国民。国語・戸籍・徴兵。領土・領域。国民統合。「民族」差別。人種差別。象徴。
       国旗。国歌。宗教。
    20世紀はじめ:国家数60個あまり。 現在:国家数約200個。
    数世紀にわたる帝国主義諸国の侵略犯罪・国家犯罪は、全容はおろか、その一部も
   細部にいたるまではほとんど明らかにされていない。

2、世界、世界戦争。 世界認識、歴史認識
    「第一次世界大戦」、「第二次世界大戦」は、世界認識、歴史認識を誤らせる規定(用
    語)。
     1914年~18年戦争は、「世界戦争」ではなく、オーストリア・ハンガリー帝国、ドイ
    ツ帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国とイギリス帝国(イギリス領インド帝国 、自治
    領を含む)、フランス共和国、ロシア帝国、大日本帝国、アメリカ合州国……間の、ヨ
    ーロッパ、北アフリカ、パレスチナ、ウクライナ、青島などを戦場とする戦争。
     1914年~18年戦争を「世界戦争」と規定するなら、1492年のコロンブス船団の大
    西洋往復後のスペイン王国のアスティカ、インカ……侵略戦争を「第一次世界戦争」と
    規定すべき。

3、近代、現代   世界史・各地域史における時代区分の問題
    ① 世界近代史はいつ開始されたか。
        15世紀末。
        1789年。
        1917年。
    ② 各地域の近代史はいつ開始されたか。
    ③ 世界現代史はいつ開始されたか。
    ④ 各地域の現代史はいつ開始されたか。

(二)国民国家日本の他地域他国侵略犯罪 国民国家の他地域他国侵略犯罪史総体のなかで
   国民国家日本は、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ベルギー、アメリカ合州国、ドイツ、イタリア、ロシア……とともに、侵略犯罪・国家犯罪を重ねた(1894~95年の日朝日清戦争と1904~05年の日ロ戦争の中間期、1900~01年の義和団戦争に参戦した侵略軍は、イギリス、ロシア、日本、フランス、アメリカ合州国、ドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリーの8か国の連合軍だった)。
   日本の台湾植民地化、独島を含む大韓帝国植民地化の前後に、アメリカ合州国、イギリス、ドイツ、フランスなどが、ハワイ王国、プエル・トリコ、グアム島、メリナ王国(マダガスカル)、サモア、テ・アオ・マオヒ(現、フランス領ポリネシア  Polynésie française。タヒチ島、ムルロア環礁など)……を植民地とした。帝国主義諸国は、相互に、他地域・他国植民地化を黙認・追認・同意していた。
   日本の大韓帝国植民地化は、アメリカ合州国、イギリス、フランス……の黙認なしには不可能だった。
   日本政府は、過去も現在も、国民国家日本の侵略犯罪・国家犯罪の歴史的責任をとろうとせず、謝罪も、賠償も、責任者処罰もおこなっていない。
   日本政府は、過去も現在も、国民国家日本の侵略犯罪・国家犯罪にかんする証拠を消去・隠蔽し、事実を抹殺しようとしてきた。日本政府は、侵略犯罪という歴史的事実を、侵略犯罪と認めないという新たな犯罪を重ねてきた。

1、国民国家(「臣民」国家)日本の成立
    1868年 維新クーデタ。
    1869年 北方のアイヌの大地を領土化。
        「北海道」は、国民国家日本の最初の植民地である。
        日本政府が、アイヌら北方諸民族の大地であった地域の一部を北海道と名づけ
       てからほぼ一か月後、「開拓使」は、
        「北海道ハ皇国ノ北門山丹満州ニ接候場所ニテ開拓ハ方今ノ重事件ナリ依之
        第一土人ヲ愛恤移住ノ民ヲ撫育シ高山遐陬ノ隈迄モ開拓致シ……」
       という布達をだした。
    1872年 南方の琉球王国を領土。

2、人民、平民、庶民、国民、「臣民」
 1971年5月22日に、「維新政府」は、戸籍法を布告した。
 この法令は、「全国人民ノ保護」を口実とし、「人民」のすべてを住居地にむすびつけて把握しようとするものであった。
 その第2則では、「臣民一般」は「華族士族卒族祠官僧侶平民迄ヲ云」とされ、その第32則では、「等」の戸籍を「平民」の戸籍と別個にすることにされており、「臣民」のなかに「等」はふくめられていなかった。
 戸籍法布告の4か月あまりのち、10月12日に、「維新政府」は、「等ノ称」を廃止し、被差別民の「身分職業」を「平民同様」とするという「布告」(「賎称廃止令」)をだした。この法令によって、「等」が「平民」とされ、「臣民」にくみこまれた。
 太政官が「賎称廃止令」を布告したのは、1871年太陰暦8月28日であったが、この年太陰暦八月付で、「開拓使」は、「戸籍法則拾七ヶ条」をだした。そこでは、
    「ノ事向後其在所寄留ノ戸長ニテ取調万事平民同様ノ例ヲ以テ可取計事」(第
    拾参則)、
    「乞食見当リ候ハヽ其地ニ留置戸長其生国身分浮浪ス次第等具ニ詰問書取ヲ以テ
    速ニ可出……」(第拾四則)
とされていた。
 「賎称廃止令」(被差別民の「平民」化)の政治目的のひとつは、「臣民」のなかに「等」をふくめ、統一的に「全国人民」を把握し管理支配するための基礎台帳を作成することであった。「賎称廃止令」は、被差別民を解放するのではなく、被差別民を「臣民」すなわち天皇の民とし、天皇制を確立・強化するための法令であった。
 1872年(「壬申」年)に、「維新政府」の地方機関は、いっせいに戸籍編成をはじめた。
 この年、東京の「開拓使仮学校」に、アイヌの青年が「留学」させられ、アイヌにたいする「同化」教育がはじめられた。このとき「開拓使」は、6月23日付で、
    「元来北海道土人ハ容貌言語全ク殊ニシテ風俗陋醜ヲ免レス……大凡百人程出京
    為致度目的を以て先つ男女弐拾七名差登せ少壮は仮学校にて読書習字等修業為  
    致……」
という文書をだしている。
 1873年ころから「開拓使」は、アイヌに日本戸籍を強制し、「壬申戸籍」にアイヌを日本の「平民」として登録しはじめた。
 アイヌにとって日本の「平民」とされること(日本人戸籍の強制←「アイヌ人別帳」)は、天皇(制)をおしつけられ、民族の文化・言語をうばわれることであった。日本人への「同化」を強制されることであった。被差別民にとっての「解放令」は、アイヌ民族にとっては「エスノサイド令」であった。
 「維新政府」は、被差別民とアイヌをともに「平民」として日本の戸籍に登録することにしたが、そのさい「等」という賎称は廃止したが、アイヌにたいする呼称は「旧蝦夷人」「古民」「土人」「旧土人」などとしていた。

 「蝦夷ト雖モ斉ク国民タルヲ以テ戸籍編制ノ初メ華夷ヲ別タス」(大蔵省『開拓使事業報告』第一編、600頁、1885年)。
 「日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」(「大日本帝国憲法」18条。1889年2月11日発布)。
 「朕……茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」、「尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」、「朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」、「擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ……國體ノ精華ヲ發揚シ……」、「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」(1945年8月15日:「大東亜戦争終結ノ詔書」放送。8月14日に録音)。

3、「臣民国家」日本の台湾侵略

4、「臣民国家」日本の朝鮮侵略
    「臣民国家」日本は、アイヌモシリ植民地化、琉球王国植民地化、台湾侵略、朝鮮侵略の過程で、軍備を増強し、経済基礎構造を建設・強化していった。
    「臣民国家」日本の権力者は、「軍人勅諭」や「教育勅語」などを使って侵略犯罪を実行できる「臣民」を形成していった。「富国強兵」、「殖産興業」は、国民国家日本の他地域・他国侵略のための基本戦略であり、「臣民国家」日本は、他地域・他国侵略の過程で、「富国強兵」、「殖産興業」を実現していった。

5、「臣民国家」日本の「南洋群島」侵略
    「第一次世界戦争」=第二十次(第三十次……)世界戦争。

6、「臣民国家」日本の中国・モンゴル侵略

7、「臣民国家」日本のアジア太平洋侵略

(二)海南島戦争(侵略と抵抗)の時代  日本軍の海南島奇襲上陸から日本敗戦まで
1、海南島における日本の侵略犯罪
 1938年9月、台湾総督府は、「海南島処理方針」(海南島を軍事占領し台湾・「南洋群島」を統合し、「帝国南方政策の前進拠点」とする)を作成し、「南方外地統治組織拡充強化方策」(「海南島に海南庁を置き東沙島西沙島及新南群島を附属せしむ」)をだした。
 1939年1月13日、天皇ヒロヒトを含む会議(「御前会議」)が日本陸海軍の海南島侵入を決定。1月17日、日本大本営陸軍部と海軍部、「北部海南島作戦陸海軍中央協定」を締結。2 月10日、日本陸海軍、海南島に奇襲上陸。

 占領下の海南島で、日本軍と日本企業によっていのちを奪われた犠牲者の数も、名まえも、ほとんどが明らかにされていない。
 日本の防衛研究所図書館が所蔵している『海南警備府戦時日誌』(月報)や『海南警備府戦闘詳報』では、海南島で日本海軍が殺害した「敵」の数が、毎月数百人と記述されている。
 日本が占領し植民地とした台湾で日本軍警が殺害した人の数は、10万人に近い(あるいはそれ以上)と考えられるが、海南島での犠牲者の数もそれに近いと思われる。
 日本占領下の海南島に香港、汕頭、台湾、朝鮮などから強制連行されて、いのちを失わされた人も多い。石碌鉱山、八所港、石碌~八所間鉄道建設の現場で殺された人は、数万人であった(河野司編著『海南島石碌鉄山開発誌』石碌鉄山開発誌刊行会、1974年)。
 海南島に侵入した石原産業は、田独の鉄鉱石を、日本窒素は石碌の鉄鉱石を大規模に略奪した。
 日本占領下の海南島で資源を略奪し、住民を虐待し、海南島内外の民衆を酷使し命を奪った日本企業(日本窒素、三菱鉱業、西松組、石原産業、王子製紙など)は、責任をとることなく、いまも日本国内外で企業活動をつづけている。

2、海南島における非軍人日本人の侵略犯罪
            海南島近現代史研究会第9回定例研究集会(2012年2月26日)で報告
 日本人は、軍人としてだけでなく、官僚、日本企業の職員、警察官、技師、日本語教師、看守、医師、「研究者」、従軍記者、日本軍慰問団員、農業移民、商人、船員、旅館経営者、アヘン栽培人・販売人、僧侶……として海南島で行動していた。
 「移民」として海南島に侵入した日本人は、中国東北部に侵入した日本人と同じく、農民の既耕地を奪いそこに住んでいた人びとをそこで働かせた。日本語教師として海南島に侵入した日本人は、子どもたちに、日本語を学ばせるとともに、「ヒノマル」・「キミガヨ」をおしつけた。

(三)1945年8月14日以後
1、海南島における日本の侵略犯罪と「戦犯裁判」
 1945年9月3日の日本国の降伏文書調印以後、数年間、「戦犯裁判」が上海、広東、香港、漢口、北京、南京、瀋陽、シンガポール、マニラ、グアム、ラバウル、メダン、クアラルンプール、バタビア、マヌス島(パプアニューギニア)、サイゴン、東京、横浜などでおこなわれた。
 「戦犯裁判」で、おおくの台湾人と朝鮮人が裁かれ約50人が処刑あるいは獄死させられた。 
 「BC級戦犯裁判」(極東国際軍事裁判)以外の「戦犯裁判」)で処刑されたのは朝鮮人、台湾人をふくめて約1000人だったが、極東国際軍事裁判で処刑されたのは7人だった。

 海南島で戦犯容疑者として中華民国軍に逮捕され広東におくられた日本人は約100人だった。逮捕された者のなかには台湾人もいた。
 そのなかで、広東で処刑されたのは7人で、6人は日本人(兼石績、富田堯人、望月為吉、前田三郎、鮫島宗義、中村三郎)、1人は台湾人の姜延壽さんだった。海南島でアヘンを生産・販売していた厚生公司の支配人であった中村三郎は、軍人ではなかったが死刑を執行された。日本海軍巡査補として海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に所属させられていた姜延壽さんは、1947年8月4日に処刑された。
 海南島では、日本軍の司令官・参謀は1人も戦犯容疑者として逮捕されなかった。日本敗戦時に海南警備府の司令長官であった伍賀啓次郎中将も参謀たちも、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊や舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊や第16警備隊などの特別陸戦隊の司令官(青山茂雄、能美実など)も、すべて帰国した。第15警備隊司令吉田喜一大佐は、いったん逮捕され数日後に釈放され帰国した。
 かつて日本海軍海南警備府佐世保鎮守府があり、現在日本海軍 (海上自衛隊)佐世保基地とUSA海軍第7艦隊佐世保基地がある佐世保市内に「海軍墓地」がある。そこに建てられている「佐世保鎭守府第八特別陸戦隊慰霊名碑」には、日本人231人と台湾人55人の氏名が書かれている。このなかに、広東で処刑された佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の2人の日本人の名(前田三郎、鮫島宗義)がふくまれている。

   1946年4月29日(ヒロヒトの誕生日)、極東国際軍事裁判で起訴状提出。
   1946年11月3日(「明治節」:「明治天皇」の誕生日)、最悪の侵略犯罪者ヒロヒトを日本国の象徴・日本国民統合の象徴とする「日本国憲法」公布。
極東国際軍事裁判のさなか1947年5月3日、「日本国憲法」施行。
1947年9月、ヒロヒト、連合国最高司令官政治顧問に「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」という“天皇メッセージ”をだした(1945年3月~8月に、ヒロヒトは天皇制の廃絶をおそれ「本土決戦」のために沖縄で日本軍にUSA軍との「沖縄戦」を遂行させていた)。
1948年12月23日(ヒロヒトの一男の誕生日)、極東国際軍事裁判で判決を受けた7人処刑。

2、日本国家の他地域他国侵略の時代は、終わっていない
 国民国家日本は、形成期から現在にいたるまで侵略国家であり続けている。日本国家の政治的・経済的・社会的・文化的侵略構造は、19世紀後半から変わっていない。
 1945年8月に、日本はアジア太平洋戦争に敗北し、台湾、朝鮮、中国東北部、モンゴル東南部、海南島、香港……に対する日本の植民地支配は終った。
 だが、アイヌモシリの一部(「北海道」)は、日本の植民地のままに残された。アイヌモシリの他の一部(「南樺太」と「千島列島」)も、北方先住民族に返還されず、再びロシアの植民地とされた。ウルマネシア(かつての琉球王国、宮古・八重山地域、および波照間島、与那国島……)は、アメリカ合州国に占領された。1972年5月、ウルマネシアは、再び日本の領土とされた。
 朝鮮戦争時(1950~1953年)に、日本は、朝鮮民衆の大きな犠牲を土台にして、経済構造を再編・強化し、自国経済を成長させ、軍事力を増強した。ベトナム戦争に実質参戦した。
 アジア太平洋、アラブ、アフリカ、中央・南アメリカの各地で資源(材木、鉱石、漁業資源など)を不等価交換で奪い、全地球的規模で経済侵略をおこない、自然を破壊してきた。
 1999年8月13日、日本は、侵略の旗「ヒノマル」を国旗とし、天皇賛歌「キミガヨ」を国歌とした。その12日後(8月25日)に、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法」を施行。
 2001年12月2日、日本海軍軍艦が、アラビア海で作戦行動中のアメリカ合州国軍艦に燃料を洋上補給。アフガニスタン侵略戦争・アフガニスタン民衆殺戮に直接荷担。このとき、アジア太平洋戦争後はじめて、日本正規軍が侵略戦争に参戦。
 2004年1月から日本政府は日本軍をアメリカ合州国のイラク侵略戦争に参戦させた(2004年1月、日本軍サマワに侵入)。日本は、ファルージャやバスラなどイラク各地でのアメリカ合州国軍の民衆虐殺に間接的に荷担。
 2011年11月から日本軍が南スーダンに侵入(2015年12月から「第9次要員」が侵入)。
 2015年9月19日、自民党とそれに追随する公明党などが、「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」)を成立させた(9月30日公布、2016年3月29日施行)。

 日本政府は、日本帝国が1905年に占領した大韓帝国の領土を「日本国家の固有の領土」と主張し、いまなお朝鮮植民地化を肯定している。
 日本の独島再占領策動および「北方領土返還」策動は、領土を拡大し国境線(および経済水域)をおし広げようとする帝国主義国日本の現在の他地域・他国侵略策動の一環である。

 第2次アジア太平洋戦争敗北後、日本の領土・植民地・占領地は縮小した。日本天皇の「臣民」の数も、それまでのほぼ3分の2に縮小した。1946年5月に発布された「日本国憲法」では、残った3分の2の日本天皇の「臣民」は、日本国家の「国民」に改称された。だが、天皇を「日本国民の象徴」とし、「明治天皇」・ヒロヒト・その子アキヒトそれぞれの誕生日をすべて日本国民の祝日とし(「みどりの日」→「昭和の日」、「文化の日」、「天皇誕生日」)、「元号」を使い、「ヒノマル」・「キミガヨ」を拒否しない日本国民は、「臣民」の時代を克服していない。
 天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家の他地域・他国侵略の時代はおわっていない。
 世界近現代史において、世界の各地で、帝国主義諸国の国民によって、海南島でおこなわれたのと同質のことがおこなわれ、いまもおこなわれている。
 海南島での国民国家日本の侵略犯罪を明らかにすることは、全世界的規模の侵略の構造を破壊する民衆運動の一環。

【補】海南島史
 石器時代:三亜市吉陽区の落筆洞遺址。東方市四更镇荣村の付龍園遺址。文昌市昌洒鎮の鳳鳴村遺址など。
 BC110年:漢、海南島に珠崖郡、儋耳郡を設置?
 631年:唐、海南島を瓊州(簡稱「瓊」)とする? 
 19世紀:清、海南島に瓊州府設置。県:儋州、瓊山、澄邁、定安、文昌、會同(→瓊海)、樂會(→瓊海)、臨高。
 1912年:中華民国建国。「中華」・「五族共和」という排外主義・侵略思想。
 1931年12月:国民政府、海南島を瓊崖特別区とする。
 1939年2月:日本軍、海南島に侵入。1945年8月:投降。
 1947年8月:国民政府行政院、瓊崖特別区を海南特別行政区とする。
 1949年10月1日:中華人民共和国成立。
 1950年5月1日:中国人民解放軍、海南島全域占領。 → 中国政府、海南島を広東省に編入。
 1987年11月20日:白沙県(1935年設置)→白沙黎族自治県、楽東県(1935年設置)→楽東黎族自治県、陵水県(611年設置?)→陵水黎族自治県、瓊中県(1948年設置)→瓊中黎族苗族自治県、保亭県(1935年設置)→保亭黎族苗族自治県。
 1988年4月:中国政府、海南省設置。 → 中国本土から多数の漢族などが移住。人口急増。
 2012年6月:中国政府、海南省に三沙市(市政府駐地西沙永興島)設置。

                                         佐藤正人
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「米軍慰安婦、私たちは日本右翼の妄言に堂々と答えられるか」

2017年08月25日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18088.html
「The Hankyoreh」登録 : 2014.08.21 10:41 修正 : 2014.08.21 15:50
■[土曜版/ ニュース分析] 米軍慰安婦、私たちは日本右翼の妄言に堂々と答えられるか
                                      ユ・スンフィ議員インタビュー

【写真】ユ・スンフィ新政治民主連合議員は去年の国政監査で、朴正煕元大統領が決栽した基地村浄化対策文書を公開し、基地村被害女性に対する国家の責任を国会の場で初めて問題提起した。先月30日、ソウル汝矣島(ヨイド)の国会議員会館執務室でインタビューをしているユ・スンフィ議員。シン・ソヨン記者

 先月5日、ハンギョレは米軍慰安婦関連問題を集中照明しました。基地村女性の人権侵害問題に対して新たな証言と資料により世論を喚起させたとの評価を受けました。国会で真相糾明、及び被害支援特別法制定の動きが始まりました。恥ずかしい歴史を反省しなければ日本右翼たちと同じではないかという自省論が起きています。特別法を主張するユ・スンフィ議員に会いました。
 ハンギョレは先月5日、「米軍基地村被害女性の証言」を報道した。韓国社会が努めて目を閉じて来た悲しい現代史の記録だった。
 1960~80年代に基地村で働いた性売買女性のかなり多くが、人身売買されて来た未成年者であって、国家はそれを放置していた。基地村一帯を特別区域に指定して、その地の米軍人に限って性売買を許容した。甚だしくは女性たちを「慰安婦」と呼称して「ドルを稼ぐ愛国者」と言うなど精神教育を行った。性病にかかった女性は収容所に閉じこめて強制的に治療した。国民の人権は眼中になく、米軍の性的欲求を安全に満たしてやることにのみ国家は集中した。
 このような事実は被害者の証言だけでなく記録で確認され始めたという点で、静かな波紋が生まれた。米軍慰安施設の数を面(日本の村にあたる行政単位)別に計画した京畿道庁の起案紙と、慰安施設集団収容を拒否すれば処罰を可能にする計画を立てた仁川市などの記録、「慰安婦女性ペニシリン過多投与によるショック事故が発生しても医者に兔罪符を与える」との法務部長官公文書などがハンギョレ報道で公開された。

 セウォル号があきれた惨事であるように
 同じ理由で基地村女性に注目
 未成年の子供達が性暴行被害を
 受けているのに救助しなかった
 真相調査特別法が必要だ

 被害女性たちが年老いていく
 一度もまともに人間としての待遇を
 受けられなかった方々に
 少なくとも亡くなる前に
 尊重された思いを持てるように

★1990年代から「慰安婦」と呼ばなくなった理由
 今、白髪の老人になりつつある基地村性売買の被害女性122人は、ソウル中央地方裁判所に国家を相手に被害補償を要求する訴状を提出した。今月末に韓国法務部が訴状提出に対する答弁書を裁判所に提出すれば、直ちに審議期日が決まり裁判所で攻防が繰り広げられるだろう。
 韓国国会では一部の議員を中心に真相調査の動きが始まった。ユ・スンフィ、キム・グァンジン 新政治民主連合議員らは、特別法(在韓米軍基地村性売買被害真相糾明及び支援に関する特別法)を制定して旧基地村女性の問題を解決しなければならないと主張している。
 ハンギョレは先月30日、ユ・スンフィ議員(国会女性家族委員会委員長)に会った。ユ議員は昨年の国政監査で、1977年に朴正煕大統領が親筆で決栽した「基地村浄化対策」文書を暴露し、国家が基地村女性たちを直・間接的に管理したことを指摘した。ユ議員は今回ハンギョレとのインタビューで「ドイツのように国家が犯した恥かしい過去を反省すれば、私たちも未来に向かって進むことができる」と指摘した。

ーー国家が基地村女性問題に関心を持たねばならない理由は何か?
 「セウォル号事件に私たちが注目する理由は、このあきれた惨事、助けられた筈なのに救助できなかった理由、そういう疑問のためだ。同じ理由で基地村女性の被害に注目するようになった。軍基地村に売られた女性た ち、それも未成年の子供たちが性暴行被害を受けている間に国家は救助しなかった。基地村があれば、そこで性売買をする人々がいるのは当然で、それを仕方ないと思ってはいけない。米軍部隊が駐屯する過程で韓国の女性たちが結局、性のおもちゃとして犠牲になったのだ」。

ーー基地村に自発的に入っていった女性も多い。全員を被害者と見ることはできないのではないか?
 「どの様な経緯で流れて行ったのかを把握することはもちろん重要だ。人身売買された女性もいて、そうでない女性もいるでしょう。ただ、キム・ジョンジャさん(ハンギョレを通じて証言に立った基地村人身売買被害女性。ハンギョレ7月5日付 3.4面)の事例は、一部ではなく広範囲だ。かなり多くの女性が人身売買や就業詐欺被害に遭って基地村に入って行った。脱出しようにも脱出できないくびきに嵌まっていた。そこから脱出しようとする女性を救うべき警察は、抱え主と癒着して責任を放棄した。
 さらに大きな問題は、そこで国家が女性たちに「君たちは外貨を稼ぐ愛国者だ」との精神教育をしたということだ。国民の人権と生命を保護しなければならない義務がある一国の政府が、どうすれば米軍に性を売ることは正当だと訓戒できるのだろうか。自発的に基地村に入って行った女性であっても、そこにはいられないようにすべきだった」。

ーー他の集娼村の性売買女性たちと米軍慰安婦女性たちにはどの様な違いがあるか?
 「米軍基地村は他の集娼村とは性格が異なる。米軍基地周辺に自然発生的にできたのではなく、国家が厳然たる淪落行為防止法の存在にも関わらず性売買許可区域を作り、そこを管理して育成した。そこには歴史的・社会的背景がある。韓-米軍事同盟を堅固に維持するために国家が必要に応じて管理したわけだ。それで当時、米軍基地村で働く女性たちを政府が公的に(軍)慰安婦と呼称したのだ。政府記録と地方条例などでは基地村女性たちを慰安婦という行政用語で呼称してきた」。

ーー90年代以後、いつの間にかに慰安婦という用語は日本軍慰安婦被害者を指す用語としてのみ使われ、基地村女性は慰安婦と呼ばなくなった。
 「意図的に潤色されたのではないかと思う。基地村女性を米軍慰安婦と呼称し続けていたら、この女性たちの問題は個人的問題ではなく、韓米間の特殊な状況で発生した構造的問題として認識されるようになる。そこで慰安婦という言葉を脱色して、彼女たちを基地村女性とだけ呼び、私人間の性売買問題に潤色したのではないかと思う」。

★「日本軍慰安婦所為」の拡大を用心深く提案
ーー去年の国政監査で朴正煕元大統領に親筆決裁された「基地村浄化対策」文書を公開して話題になった。
 「本来は2012年の国政監査で公開しようと思っていた文書だ。朴槿恵(当時)大統領候補は朴正煕元大統領の娘で、少なくとも女性大統領候補として胸が痛む私たちの過去の歴史を認識するよう願う思いがあった。しかし当時、ハンナラ党がその文書だけは公開しないでほしいと頼んだ。大統領選挙を控えて政治争点化しようとしているという誤解を受けかねないので、その翌年に公開することになったのだ」。

ーー基地村女性問題は人権問題としてアプローチすべきで、国家暴力の問題として接近するのは行きすぎだという主張もある。
  「基地村内での性売買被害は、私人と私人との間に起こった人権侵害の水準を越えている。国家が基地村を政権の維持に必要な道具として活用したので、その様な面から見た場合、基地村問題の背後には国家権力が隠れている。たまに偶然で起きる人権侵害とは性格が異なる」。

ーーそれにも関わらず、米軍慰安婦問題と日本軍慰安婦問題は明らかに異なるのではないか?
 「異なる。日本軍慰安婦問題は戦時下で起こったもので、米軍慰安婦問題は休戦下で起こったものだ。慰安婦徴集と慰安所運営に対する国家の介入水準も異なる。米軍慰安婦問題ははるかに複雑だ。
  しかし本質的には同じ部分がある。日本軍慰安婦は日本が大陸侵略戦争をする過程で形成されたもので、米軍慰安婦は米軍が軍事力を世界的に拡張する過程で形成された。慰安所設置と運営に国家が介入した点も同じだ」。

ーー朴正煕政権が米軍慰安婦被害者問題の解決に積極的に取り組まなかったと見るか?それとも当時は警察力が不足しており仕方なかったことと見るのか?
 「当時、淪落行為防止法があったが、特別区域を設定して基地村を運営したのは、この程度の犠牲は米軍駐留と政権の維持のために甘受せざるをえないと判断したものと見なければならない。被害者たちを放置したことが意図的だったか、結果的に放置することになったのかは、歴史的文献と証言からさらに見つけ出さなければならない課題だ。真相糾明をしなければならない」。

ーー米軍慰安婦被害女性たちに国家がどの程度の水準の責任を負わねばならないか?
 「ひとまず、国家が責任を認める宣言を出さなければならない。現在、被害女性たちが高齢になってきている。少なくとも亡くなる前に人権を尊重されているとの思いを持てるようにしなければならない。一回たりとも人間らしい待遇を受けられなかった方々だ。大韓民国で生まれた国民なのに、国家が自分を捨てたのではないという社会的人格として慰労を受けられるようにすることが重要だ。また、彼女たちは現在病気も多く、住居状態も良くない所に住んでいる。最小限の人間的な生計が可能になるように支援しなければならない」。

ーー国会ではどの様な努力をするのか?
 「被害者たちが国家を相手に行政訴訟をしているが、そうであるならば真相糾明が優先されなければならない。国会がその仕事を助けなければならない。被害者たちの証言を国家が直接収集しなければならない。今は市民団体がこの仕事を引き受けているが、国家がすべきことだ。
  国会に「日本軍慰安婦及び戦時下での女性性売買関連小委員会」があり、私が米軍慰安婦問題にまで拡大して扱ってはどうかと提案している。まだそれほど活発ではないが、適切な時点に国会でこの問題が正式議題として扱われなければならない」。

ーー今年の国政監査でもこの問題を扱うのか?
 「一段階ずつ、この問題を発展させて行くつもりだ。法案を発議しておいて腰砕けになる場合が多いが、最後まで続けるつもりだ」。

★民族的次元以前に人権の問題
 キム・グァンジン議員を中心に「在韓米軍基地村性売買被害真相糾明及び支援に関する特別法案」が先月7日発議された。国会国防委員会で間もなく法案審査が行われる予定だ。
 国務総理所属の「基地村性売買被害真相糾明及び被害者支援委員会」を設置することを主要内容とし、委員長は国務総理が引き受け、委員は国防部次官と関係公務員、及び被害者代表などとすることになっている。委員会の構成後、4年以内に在韓米軍基地村性売買被害事件に関連する資料の収集と分析を完了し、委員会活動終了後に真相調査報告書を作成しなければならない。また、性売買被害者たちに対して国家が寝食提供など各種支援を行う内容を記している。法施行日から30日以内に政府は被害申告を受け付けるための申告窓口を運営するよう法案が構成されている。

ーー米軍慰安婦問題に注目が集まれば、日本軍慰安婦問題の責任を回避しようとしている日本の右翼に悪用される恐れもある。
 「もちろん、その様なこともあり得る。去年、国政監査でこのような問題を申し立てた時に心配したのもそれだ。日本の右翼が『お前たちも反省しないのに、なぜ我々にだけそう言うのか』と主張することもあり得る。しかし、そうだからこそ韓国政府が立ち上がって米軍慰安婦問題について真相を調査し反省する姿を示さなければならない。それでこそ、日本の右翼に対して私たちが堂々と日本軍慰安婦問題に対する反省を要求できる」。

ーー最後に言いたいことがあれば?
 「日本軍慰安婦問題は日本が犯した蛮行なので民族的次元で怒りが容易に拡散した。しかし、慰安婦問題は民族的次元以前に人権の問題だ。米軍慰安婦問題も同じく普遍的人権の価値の側面から関心を傾けてもらいたいと思う」。

ホ・ジェヒョン記者
韓国語原文入力:2014/08/17 11:47
http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/397/651360.html
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「米軍基地村女性問題を悪用する日本のメディアに支援団体が取材拒否」

2017年08月24日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18087.html
「The Hankyoreh」登録 : 2014.08.21 10:39 修正 : 2014.08.22 00:46
■米軍基地村女性問題を悪用する日本のメディアに支援団体が取材拒否
  [土曜版] ニュース分析なぜ?

【写真】米軍基地村女性たち122人は、国家を相手に被害補償請求訴訟をすることにした。 6月25日午後、ソウル大方洞(テバンドン)のソウル女性プラザ建物4階で開かれた訴訟記者会見の様子。 カン・ジェフン先任記者/ハンギョレ新聞社

 ハンギョレの基地村女性問題報道以後、外国メディアも関心を示した。
 西欧メディアは、米軍と韓国政府の反応に注目している様子だ。ロイター通信とウォール・ストリート・ジャーナルは、基地村女性の訴訟のニュースを伝えて「在韓米軍スポークスマンが該当訴訟に対して『在韓米軍は性売買と人身売買に絶対的に反対する』との立場を示し、韓国政府は沈黙した」と報道した。ただし、米軍のこのような言及が、現在の原則を説明したのか、過去に自分たちが利用してきた基地村慰安所に対する立場であるかは曖昧だ。
 日本メディアはさらに積極的に関連ニュースを伝えている。6月26日、保守系の産経新聞は2面、読売新聞は6月27日に7面で韓国基地村女性の訴訟のニュースを伝えた。ハンギョレの報道は、主に日本の週刊誌などが中心となって言及している。週刊ポストは今月1日、ハンギョレ報道に言及して「日本に対して元慰安婦の人権という“正義”を振りかざして罵倒を繰り返しながら、自らに都合の悪いことに頬被りする。韓国政府は『米軍慰安婦』についてこれまで謝罪も補償もしていない。朴槿恵(パク・クネ)大統領は、これから嘘の代償を支払うことになる」と指摘した。
 日本週刊誌の報道は「人権を踏みにじった日本軍慰安婦と米軍基地村女性問題を韓国と日本が一緒に悩んで解決しよう」という反省的な省察ではなく、「君逹も同じじゃないか」との冷笑的観点が大半だ。米軍基地村女性問題を利用して日本軍慰安婦問題の本質を希薄させようとする意図が入っていると見られる。このような憂慮のため、基地村女性の訴訟を支援する韓国の市民団体は、日本メディアの取材問い合わせには対応しないという方針を決めたことが伝えられた。

ホ・ジェヒョン記者、東京/キル・ユンヒョン特派員
韓国語原文入力:2014/08/17 11:47
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/651359.html
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「日本、被爆朝鮮人徴用者名簿をこっそり廃棄」

2017年08月23日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/international/28123.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.08.08 22:12 修正 : 2017.08.09 06:40
■日本、被爆朝鮮人徴用者名簿をこっそり廃棄
長崎地方法務局 
強制徴用者3400人の賃金内訳、1970年に廃棄処分 
長崎原爆投下当時、被爆の可能性高い 
「被爆者として支援を受ける権利を国家が奪った」

【写真】昨年、広島市平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で日本の学生たちが韓国人被爆者に関する説明を聞いている=広島/聯合ニュース

 日本法務省傘下の地方法務局が、原子爆弾により被爆した可能性が高い朝鮮人徴用者名簿を廃棄処分していた事実が確認された。
毎日新聞は8日、長崎地方法務局が第2次大戦当時に朝鮮半島から強制徴用された3400人の未払い賃金供託名簿を1970年に廃棄処分していた事実が明らかになったと報道した。未払い賃金供託名簿に上がっている朝鮮人3400人は、1945年8月9日に米軍が長崎に原子爆弾を投下した当時、被爆した可能性が高い。日本政府は被爆者に対し「被爆者健康手帳」を発行し、医療費と看病費を支給しているが、被爆者健康手帳の発給を受けるためには、被爆したという根拠が必要だ。日本の企業らは徴用などで日本で働いたが解放後に帰国した朝鮮人の場合、所在の把握が難しいという理由で未払い賃金を供託しており、供託時に名簿を添付した。未払い賃金供託名簿は、朝鮮人強制徴用者の場合、被爆者健康手帳の発行を受けるための決定的証拠資料だ。
それでも長崎地方法務局が資料をなくしてしまったという事実が明らかになった理由は、韓国人原爆被害者の闘争と日本市民団体の支援のためだった。日本の市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」は、韓国人徴用者3人の被爆者健康手帳の発行を求めて、5月に未払い賃金供託名簿の公開を長崎地方法務局に要求した。長崎地方法務局は先月、公文書で供託名簿の保存期間が1970年3月で満了し廃棄されたと強制動員真相究明ネットワークに回答した。だが、これは日本政府の方針にも反した措置と指摘されている。日本の法務省は1958年、戦後処理未解決を理由に朝鮮半島出身徴用者の未払い賃金は供託後に債権消滅時効の10年が過ぎても国庫に入れないこと、すでに国庫に入れた場合には関連書類を保存するよう通知した。被爆者支援団体は「被爆者が支援を受ける権利を国家が奪った」と批判したと新聞は伝えた。
2010年「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」が出した資料によれば、原爆で被爆した朝鮮人の数は広島で5万人、長崎で2万人と推定されている。また死亡者は広島で3万人、長崎で1万人と推定される。被爆者のうち2万人以上は帰国したと推定される。
帰国した被爆者は、日本政府の治療費支援でも差別された。日本政府は1957年3月、被爆者の治療を支援するための「原爆被害者の医療等に関する法律」を制定した。法律には、治療対象を日本人に限定するという「国籍条項」はなかったが、支援範囲を「日本に住んでいる人々」に限定し、事実上韓国人など外国人を排除した。
朝鮮人原爆被害者に対する差別が本格的に問題になり始めたのは、幼い頃に広島で被爆したソン・ジンドゥ氏が1970年被爆治療を受けるために日本に密航し法廷闘争を行ってからだ。以後、朝鮮半島出身の原爆被害者に対する差別は少しずつなくなった。2015年、日本の最高裁判所は韓国人原爆被害者と遺族3人が日本に住んでいないという理由で治療費を一部しか支給しないことは不当だとし、日本の大阪府を相手に提起した訴訟で治療費を全額支給せよとの判決を確定した。
韓国政府も被爆者支援に大きな関心を見せなかった。韓国の国会では、原爆投下から71年経った昨年、被爆者医療支援等を含んだ「韓国人原子爆弾被害者支援のための特別法」が通過した。
毎日新聞は被爆者健康手帳の発行を申請したキム・ソンス氏(91)、ペ・ハンソプ氏(94)、イ・グァンモ氏(94)が今後これと関連した法的闘争を行うと伝えた。

東京/チョ・ギウォン特派員
韓国語原文入力:2017-08-08 16:29
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/805989.html


https://mainichi.jp/articles/20170808/k00/00m/040/141000c#cxrecs_s
『毎日新聞』2017年8月8日 06時40分(最終更新 8月8日 07時51分)
■<長崎地方法務局>被爆徴用工の名簿廃棄 手帳申請困難に

【写真】元徴用工の名簿が廃棄されていたとする長崎地方法務局の回答文書=徳野仁子撮影

 戦時中に長崎市の三菱重工長崎造船所に徴用されるなどし、被爆したとみられる朝鮮半島出身者約3400人分の名簿を保管していた長崎地方法務局が、名簿を廃棄していたことが分かった。元徴用工の支援団体に文書で廃棄を認めた。名簿は、元徴用工が被爆者健康手帳の交付を申請する際に被爆事実を証明する有力な証拠となるが、長崎では名簿が見つからず申請が却下されていた。支援団体は「被爆者として援護を受ける権利を国が奪った」と批判し、実態解明を求める。 【樋口岳大】

 終戦後に帰国した朝鮮半島出身の元徴用工らに対する未払いの賃金や退職金などがある事業所は、日本政府の指導で、名簿と共に未払い金を法務局に供託した。だが、2014~15年に90代の元徴用工の韓国人3人が長崎市に手帳交付を申請した際、供託名簿が見つからず、市は「徴用されていた記録がない」などとして却下していた。
 3人を支援する市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」(神戸市)が今年5月から供託名簿の所在を明らかにするよう長崎地方法務局と交渉し、同局は7月、「1970年3月末で保存期間が満了し、同年8月31日付で廃棄された」と文書で回答した。文書などによると、48年6月2日、三菱が3418人分の未払い金85万9770円78銭を供託したが、59年、時効(10年)を理由に国庫に納付した。
 戦後処理が未解決であることを踏まえ、法務省は58年、朝鮮半島出身の元徴用工らへの未払い金は10年が過ぎても国庫に納付せず、既に納付した場合も書類を保存するよう通達しており、支援団体側は「通達に反する」と指摘している。
 長崎地方法務局は取材に「現存する資料からは(廃棄した名簿などが)朝鮮人労働者の方に対する未払い金等の供託であると確認できない」と回答。しかし、供託の日付と金額が、支援団体が入手した朝鮮半島出身の元徴用工らへの未払い金に関する旧労働省の調査報告書などと一致しており、団体側は廃棄されたのは元徴用工らの供託名簿と特定した。

【ことば】供託制度
 債権者(今回のケースは元徴用工)の住所が不明などの理由で賃金の支払いなどができない場合、債務者(三菱重工長崎造船所)が法務局に金銭を提出し債務を免れる制度。供託時には労働者ら金銭受け取り人の名簿などが添付される。2009~10年の法務省の調査では、戦時中に日本国内の軍需工場などで働かされていた朝鮮半島出身者に関する供託は延べ17万5221人分あり、金額は有価証券を含め1億2756万円に上るとされている。


https://mainichi.jp/articles/20170808/k00/00m/040/146000c
『毎日新聞』2017年8月8日 06時50分(最終更新 8月8日 07時52分)
■被爆徴用工名簿廃棄
 本人証言で交付を

【写真】元徴用工の名簿が廃棄されていたとする長崎地方法務局の回答文書=徳野仁子撮影

 国は被爆者健康手帳の申請者に対し、被爆の証拠として公的書類や第三者2人以上の証明などの提出を求めている。だが原爆投下から72年がたち、日本国内に住む人ですら自ら証明するのは難しい。まして、終戦後の混乱の中で朝鮮半島に帰国した元徴用工らがこれらを自力で見つけるのはほぼ不可能だ。
 それだけに名前の記載があれば、長崎にいたことの「動かぬ証拠」となる供託名簿は極めて重要な書類と言える。戦時中、軍需工場や炭鉱がある長崎には多くの朝鮮半島出身者が徴用されていた。その中でも最大規模の事業所が、長崎地方法務局が名簿を廃棄した三菱重工長崎造船所だった。
 終戦で受け取り損なった賃金や退職金がある名簿登載者3418人は、爆心地から約4キロの同造船所に終戦まで在籍していたとみられ、ほぼ全員が被爆者と推定される。支援団体側が「被爆者として援護を受ける権利を国が自ら奪った」と批判するのは当然だ。
 在外被爆者問題に詳しい田村和之・広島大名誉教授(行政法)は「廃棄はあまりに軽率。ずさんな文書管理の実態も踏まえ、行政は公的書類の有無にこだわらず、本人証言を重視して手帳を交付するよう姿勢を改めるべきだ」と指摘する。 【樋口岳大】


https://mainichi.jp/articles/20170808/k00/00m/040/144000c
『毎日新聞』2017年8月8日 06時45分(最終更新 8月8日 07時52分)
■被爆徴用工名簿廃棄
 「責任を取って」91歳韓国人

【写真】2度目の調査のため訪れた長崎造船所の近くで被爆当時の様子を語る金成洙さん(中央)=長崎市で2016年

 「名簿があれば被爆者健康手帳が取れた。法務局や三菱は責任を取ってほしい」。長崎市に手帳申請を却下された元徴用工の韓国人、金成洙(キム・ソンス)さん(91)=釜山在住=は語気を強めた。
 金さんは1938年に福岡県大牟田市の菓子店で働くため朝鮮半島南部から来日し、43年に長崎造船所に徴用された。図面に沿って鉄板に印を付ける現図工として爆心地から約4キロの造船所内で勤務中に被爆。終戦2日後に木造船で帰郷した。
 戦後、韓国で菓子職人として働いていた金さんは、「被爆者」として日本政府から援護を受けられることを知らなかった。韓国の政府機関から徴用に関する調査を受けたのを機に手帳制度を知り、長崎市に申請したのは2015年3月。国は被爆したことを証明する公的書類や第三者2人以上の証明を求めているが、既に被爆から70年がたち、見つからなかった。
 金さんは15年12月に戦後初めて長崎市を訪れ、造船所周辺を歩きながら市職員らに当時の様子を詳しく証言した。しかし、16年3月に届いた却下通知には「原爆が投下された日に長崎造船所に勤務していたことを確認できない」と記載されていた。
 「なぜ日本のために一生懸命働いたのに、被爆者と認められないのか」。金さんは16年9月、手帳交付を求めて長崎地裁に提訴。同様に申請を却下された元徴用工のペ漢燮(ペ・ハンソプ)さん(91)、李寛模(イ・グァンモ)さん(94)とともに法廷闘争を続けている。 【樋口岳大】


https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/349576/
『西日本新聞』朝刊 2017年8月9日
■被爆徴用工の名簿廃棄 3400人分、証明困難に 長崎法務局
 戦時中に三菱重工業長崎造船所(長崎市)に徴用されるなどし、被爆したとみられる朝鮮半島出身者約3400人分の名簿を保管していた長崎地方法務局が、名簿を廃棄していたことが分かった。名簿は元徴用工が被爆者健康手帳の交付を申請する際、被爆を裏付ける物証となり得るため、支援団体は「書類保存を求めた法務省通達に反する対応だ」と批判している。
 法務省によると、政府は戦後、帰国した元徴用工らに未払い賃金などがある事業所は、名簿と未払い賃金を法務局に供託するよう指導。同省は1958年、朝鮮半島の徴用工に関し、民法が定める時効(10年)を過ぎても供託金を国庫に納付せず、名簿などとともに法務局に保存するよう通達した。
 元徴用工の韓国人3人が2014~15年、長崎市に手帳交付を申請した際、市は「被爆を確認できる資料がない」などとして却下。3人は16年、市などを相手取り、手帳交付申請の却下取り消しを求めて長崎地裁に提訴した。
 3人を支援する「強制動員真相究明ネットワーク」(神戸市)が長崎地方法務局に名簿の存在を確認したところ、7月12日付で「1970年3月末で保存期間が満了し、同年8月末に廃棄されている」と文書で回答。供託金約86万円は59年、時効を理由に国庫に納付されたことも明らかにした。
 同省は「現存資料からは、この供託が朝鮮半島出身者のものか確認できない」とし、通達違反かどうかも判断できないと説明。一般的な公文書ならば「管理規程に基づく廃棄で問題でない」(民事局)とする。
 これに対し、ネットワーク事務局次長の小林久公さん(75)は「3人の名前が名簿に載っている可能性が高いのに廃棄したのは問題だ」と指摘。国は被爆者健康手帳の交付要件を「2人以上の第三者の証明」としているが、広島市は15年、広島法務局が保管していた供託名簿を有力な証拠と判断し、韓国在住の元徴用工の男性に手帳を交付している。
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