三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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『海南省抗日戦争時期人口傷亡和財産損失』について 4

2017年01月31日 | 海南島史研究
 以下は、このブログの2015年12月31日、2016年1月8日、5月19日の「『海南省抗日戦争時期人口傷亡和財産損失』について」1、2、3に続くものです。

 『海南省抗日戦争時期人口傷亡和財産損失』(2015年版)の本文は、一、海南省抗战时期人口伤亡和财产损失调研报告、二、资料、三、大事记の3編です。
 このうち「海南省抗战时期人口伤亡和财产损失调研报告」の目次はつぎのとおりです。

一、海南省抗战时期人口伤亡和财产损失调研报告
 (一)调研工作概述
     1.调研组织 2.调研过程 3.所得资料
 (二)海南抗战前自然条件及社会经济状况
     1.行政区域和自然条件简况 2.抗战前海南社会经济状况
 (三)日军对海南的侵略与主要罪行
     1.日军侵略海南的基本情况
     2.日军对海南岛的殖民统治和血腥屠杀
        (1)陵水县港坡村惨案
        (2)海口儒显村惨案
        (3)林圩乡民海难
        (4)乐罗大惨案
        (5)大洋、北岸两村惨案
        (6)沙土峒大惨案
        (7)大河、后田、牛耕坡、周公四村大屠杀
        (8)石马村惨案
        (9)血洗昌洽村
        (10)南阳乡大惨案
        (11)木石大屠杀
        (12)互助乡“三一”大惨案
        (13)月塘村惨案
        (14)秀田惨案.
        (15)八所潭“万人坑”
        (16)万福村“焚尸炉”与天烛坡“万人坑”
     3.奸淫并杀戮妇女
     4.封锁经济, 制造灾荒
     5.强征、 摧残“慰安妇”
     6.进行经济掠夺
 (四)人口伤亡情况
     1.档案,文献资料中反映的海南抗战时期人口伤亡情况
     2.此次调研所得的人口伤亡情况
     3.对此次调研口径的说明
 (五)财产损失情况
     1.社会财产损失
     2.居民财产损失
 (六)结论
     1.基本结论
     2.海南人口伤亡和财产损失的特点
     3.人口伤亡和财产损失对海南的主要影响
 
 2015年版の「海南省抗战时期人口伤亡和财产损失调研报告」の内容は、2011年版のものとほとんど同じです。
 ただ1箇所加筆されていますが、それは「日军对海南岛的殖民统治和血腥屠杀」の節の「南阳乡大惨案」(10行)です。
 この加筆の他は、2011年版の「慰安婦」が「“慰安婦”」と訂正されていることと、「海南抗战时期直接人口伤亡总数」が2170905人から218506人に601人増やされ、「海南抗战时期间接人口伤亡总数」が347272人から347272人から347668人に396人増やされ、「总计海南抗战时期人口伤亡565177人」が「总计海南抗战时期人口伤亡566174人」に997人増やされていることなどが変わっている箇所です。
 これらの数字が信用できないものであることは、このブログの2015年12月31日の「『海南省抗日戦争時期人口傷亡和財産損失』について 1」で述べたとおりです。

                                       佐藤正人
 

http://jds.cass.cn/Item/32113.aspx
「近代中国研究」 2015年12月11日
■《抗日战争时期中国人口伤亡和财产损失丛书》A系列陆续出版
  A系列分省卷和专题卷:省卷反映各行政区域内日本侵略造成的人口伤亡和财产损失情况;专题卷以专题的形式反映中国军队伤亡情况、日本掠走资源及破坏文物情况、日军在中国制造的一系列重大惨案、中国劳工损失情况、中国妇女遭受日军性侵犯情况、日军在中国使用细菌及化学武器情况等。
  已经出版的A系列省卷本有北京、天津、内蒙古、安徽、河南、湖北、浙江、江西、重庆、甘肃、江苏、广西、青海、海南、湖南、辽宁、宁夏、四川、云南、等地区的抗日战争时期人口伤亡和财产损失情况19种;即将出版的A系列省卷本有陕西、福建、新疆、贵州、上海5种,另外有龙江、吉林、山西、广东、河北、山东6种尚未出版。
  已经出版的A系列专题卷有《国民政府档案中有关抗日战争时期人口伤亡和财产损失资料选编》《抗日战争时期八路军人员伤亡和财产损失档案选编》《山东省百县(市、区)抗日战争时期死难者名录》《抗日战争时期全国重大惨案》4种,即将出版的A系列专题卷有《抗日战争时期华侨人口伤亡和财产损失》《日本侵华细菌战研究报告》《日军侵华期间中国劳工伤亡调查》《抗日战争中国军队伤亡调查》《侵华日军“慰安妇”问题研究》《抗日战争时期中国解放区人口伤亡和财产损失档案选编》6种,《抗日战争时期中国人口伤亡和财产损失调研论文集》尚未出版。


http://www.zgdsw.org.cn/n/2015/0728/c218988-27371678.html
「中国共产党历史网」 2015年7月28日09:16  来源:人民政协报
■全国政协委员李忠杰:还原事实慰藉英灵
  中央党史研究室从2004年开始,组织全国党史部门和其他有关部门共60万人,对“抗日战争时期中国人口伤亡和财产损失”情况进行了为期10年的大规模调研。调研采取块块与条条相结合的方式。每个省区市负责调研本行政区域内的人口伤亡和财产损失,就一些重要专题,如劳工、难民、细菌战、化学战、“慰安妇”等组织专家进行专题调研。调研人员查阅和搜集了大量的档案文献、历史资料和研究成果,走访了大量当事人和知情人,记录了许多证词证言,有的还进行了司法公证。仅山东省就查访了全省507万名70岁以上的老人,收集证言证词79万余份。此外,组织专人到美国、俄罗斯、日本等国搜集档案资料。17个省区市前往台湾查寻档案,得到台湾有关机构和人员的支持。
  调研成果全部用事实说话,用档案资料说话,用证人证言说话。从获取的事实和证据中,可以非常清楚和具体地看到日本侵略者在中国为所欲为的丑恶嘴脸。他们制造了一系列触目惊心的大惨案,在中国进行残酷的细菌战和化学战,对中国军队和平民大量使用生化武器;掠走大批中国劳工,强迫他们筑路、开矿、拓荒,从事大型军事工程;对中国妇女进行性摧残,严重残害妇女身心健康;对抗日根据地实行“三光”政策,大量掠夺中国战略物资、毁坏和窃取大批文物;轰炸或焚烧医院、学校、工厂,使大批公共设施毁于一旦……调查当年的事实,还原历史的真相,不是为了延续旧时的仇恨,而是对历史负责,对当年的同胞负责,对国际社会负责,对我们的子孙后代负责;更是为了以史为鉴,珍爱和平,不让历史的悲剧重演。但日本国内的右翼势力,直到今天仍然否认侵略战争的性质和罪行,这是中国人民不能答应的。还原事实慰藉英灵,铭记历史警示未来,应该是我们纪念抗战的一项重要任务。
  一、中华民族应切实厘清和牢记当年灾难的实情,不能让先人付出的牺牲和代价成为一笔糊涂账。希望全社会,包括人大代表、政协委员和其他各界人士,更多地关注和了解“抗日战争时期中国人口伤亡和财产损失”的调研成果,并在有关的纪念活动、展览、研讨、宣传中加以展示和运用。
  二、在纪念抗战胜利70周年过程中,不仅要举办适当的仪式和活动,用外交语言表达我们的立场,还要采用摆事实讲道理的方式,用确凿的历史事实说话。要用中华民族蒙受灾难的具体事实,展示历史的真相,揭露日本侵略者的罪行,驳斥日本右翼势力否认侵略的错误言行。
  三、更加细致地做好日本民众,特别是年轻人的工作。采取有效方式帮助日本民众了解历史真相,了解当年侵略者的罪行违背了起码的人类良知和国际公法,日军的侵略行为是对人类文明的挑战,是对人权和人道主义的践踏。要使两国人民在正确对待历史的基础上真正世世代代地友好下去。
  四、更加广泛地向国际社会介绍当年的历史事实。有组织地推介、翻译中国人口伤亡和财产损失的档案、资料、调研成果、图书、影视等,并赠送给联合国及其教科文组织、人权理事会以及国外著名的图书馆、大学、研究机构等,组织召开国际研讨会,开展国际学术交流,使世界各国政府和人民更多地了解中国人民当年蒙受的灾难。
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일본의 침략범죄를 옹호하는 조직:재일본 대한민국 민단

2017年01月30日 | 国民国家日本の侵略犯罪
 지난 1월 25일자로 발행된 재일본 대한민국민단 기관지인 『민단신문』 1면에 「위안부 문제의 조기해결. 한일관계의 개선을 바란다. 현명한 판단과 처치로」라는 표제가 붙여진 약2700자의 「주장」이 게재되었다.
 http://www.mindan.org/front/newsDetail.php? category=2&newsid=22860
 
 이 「주장」 좌측에는「1월17일 오공태단장이 위안부 문제의 조기해결을 요구하는 본국에 보내는 「요청서」를 李俊揆주일한국대사에게 제출」이라는 기사가 있으나 그 문면은 게재되어 있지 않다.
 「주장」에는 다음과 같이 씌어져 있다.

   「위안부 문제를 둘러싸고 한일관계가 위축하여 경직하기 시작했다. 발단은 작년말의
   주부산 일본총영사관앞의 위안부를 상징하는 소녀상 설치다」.
   「한일관계는 재일한국인에게 있어 매우 큰 관심사다. 관계가 양호이어야 재일사회도
   안정해질 수 있기 때문이다」.
   「민단으로서는 할머니들이 조용히 여생을 보내는 것이 무엇보다도 소중하다고 생각해
   왔다. 바로 그 때의 부산 위안부 소녀상 문제다」.
   「일본공관을 표적으로 한 위안부 소녀상 존속에 고집하는 것은 일본을 고의적으로
   자극하는 행위일 수 밖에 없다」.
   「무슨 일이 있어도 피해야 하는 것은 한일관계의 악화이며 한국측의 행위를 핑계로
   일본의 일부가 혐한감정으로 확대하고 헤이트 스피치에 연결되는 것이다. 레이시스토들
   에게 기회를 타는 틈을 주어서는 안된다. 그것은 헤이트 스피치 대책법을 쟁취한 노력이
   수포로 돌려 보내는 것이 된다」.
   「위안부 할머니 피해자에게는 남겨진 시간이 많지 않다」.
   「양국정부가 역사적인 「한일합의」를 순조롭게 이행함을 강하게 기대하고 민단으로서도
   해결에 같이 참여해 나가는 바이다. 다시 한번 한국국민과 일본정부의 냉정하고 현명한
   판단을 바라고 마지 않는다」.


 이에 앞선 지난 1월 12일에 재일본 대한민국민단 단장은 “부산 총영사관 앞의 소녀상을 철거해야 한다는 것은 재일동포의 공통된 생각이다”라는 뜻의 말을 공언하고 (이 블로그 1 월 16 일의 「소녀상 철거 요구는 일본의 국가범죄를 면죄하는 일 」을 보시기 바랍니다) ,1월17일에 「위안부 문제의 조기해결을 요구하는 요청서」를 주일한국대사에게 제출했다. 이어 1월 25일자 재일본 대한민국민단 기관지는 「한일관계의 악화」를 억제하고 「재일사회」를 「안정」시키기 위해 일본대사관·일본총영사관 앞의 소녀상을 철거해야 한다고 「주장」했던 것이다.
 이리하여 재일본 대한민국민단은 「재일동포의 공통된 생각」을 위조하면서 일본의 침략범죄를 승인하는 조직이 되어가고 있다.

 1월 25일자 『민단신문』은 침략범죄를 인정하지 않고 침략책임을 회피하려는 일본정부를 지원하면서 「무슨 일이 있어도 피해야 하는 것은…… 한국측의 행위를 핑계로 일본의 일부가 혐한감정으로 에스컬레이트하고 헤이트 스피치에 연결되는 것이다. 레이시스트들에게 기회를 타는 틈을 주어서는 안된다」등등으로 「주장」하고 있다.
 여기서 『민단신문』이 말하는 「한국측의 행위」라는 일본정부에 참된 사죄를 요구하는 한국민중의 행동이다.
 『민단신문』은「한국측의 행위」를 「핑계」로 하여 「일본의 일부가 혐한감정으로 에스컬레이트」 하는 것을 「무슨 일이 있어도 피해야 하」기 때문에 한국민중은 일본정부에 대해 그 침략범죄의 책임을 제대로 지게 하는 행위를 해서는 안된다고 「주장」하고 있는 것이다.
 일본 레이시스트의 「혐한감정」은 천황제를 유지하고 있는 민족차별사회인 일본사회내부의 문제임에도 불구하고 『민단신문』은 마치 그 원인이 한국사회에 있는 것 처럼 말하고 있다.
 『민단신문』은 침략범죄의 책임을 지지 않는 일본정부에 대한 한국민중의 운동이 「레이시스트들에게 기회를 타는 틈을」준다고 주장하고 있다. 민단은 일본사회에 있어서의 「레이시스트들」의 움직임을 전제로 하여 일본의 침략범죄를 긍정하고 「재일사회」를 「안정」시키려고 하고 있다.
 「민단으로서는 할머니들이 조용히 여생을 보내는 것이 무엇보다도 소중하다고 생각해 왔다」, 「위안부 할머니 피해자에게는 남겨진 시간이 많지 않다」라고 『민단신문』은 말하고 있다. 그렇다면 재일본 대한민국민단은 일본의 침략범죄에 관해 일본정부에 국가적이고 법적인 책임을 명확히 인정시키고 일본군의 성노예로 만들어진 여성들에게 참된 공식사죄를 하는 것을 요구하지 않으면 안된다.
 「할머니들이 조용히 여생을……」이라고 말로 하면서 일본의 침략범죄를 면죄하고 일본정부의 사죄없는 「일한합의」를 전면적으로 지지·용인하는 사상적 퇴폐. 그것을 극복하는 내부의 힘을 재일본 대한민국민단은 가지고 있지 않는 것일까?
 애매하며 이해하기 어렵고 논리적인 일관성이 없는 이 『민단신문』의 「주장」은 재일본 대한민국민단이 「재일동포의 공통된 생각」을 참으로 실현하는 것을 방해하는 친일조직이 된 것을 나타내고 있다.
 재일본 대한민국민단은 1946년10월에 결성된 재일본 조선거류민단으로부터 출발된 조직이다. 그 초대단장은 「대역죄」로 1945년8월까지 투옥되고 있었던 박열이었다.

  2017년1월29일

     김 정미
        미에현(三重縣) 기노모토(木本)에서 학살된 조선인 노동자(이기윤씨와
       배상도씨)를 추도하는 비석을 건립하는 회 대표
        기주광산의 진실을 밝히는 회 사무국장
        하이난섬근현대사연구회 부회장
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日本の侵略犯罪を擁護する組織:在日本大韓民国民団

2017年01月29日 | 国民国家日本の侵略犯罪
 1月25日付けで発行された在日本大韓民国民団の機関紙『民団新聞』の1面に、「慰安婦問題の早期解決 韓日関係の改善を望む 賢明な判断と処置で」という表題がつけられた2700字ほどの「主張」が掲載された。
 http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=22860
 この「主張」の横には、「1月17日 呉公太団長が慰安婦問題の早期解決を求める本国向けの「要望書」を李俊揆駐日韓国大使に提出」という記事があるが、その文面は掲載されていない。
 「主張」には、つぎのように書かれている。

   「慰安婦問題をめぐって韓日関係が冷え込み、硬直し始めた。事の発端は、昨年末の駐釜
   山日本総領事館前への慰安婦を象徴する少女像設置だ」。
   「韓日関係は、在日韓国人にとって非常に大きな関心事である。関係が良好であってこ
   そ、在日社会も安定でいられるからだ」。
   「民団としては、ハルモニらに静かな余生を送ってもらうことが何よりも大切なことだと思
   ってきた。その矢先の釜山の慰安婦少女像問題である」。
   「日本公館を標的に慰安婦少女像存続に固執することは、日本をことさら刺激する行為に
   他ならない」。
   「何としても避けなければならないのは、韓日関係の悪化であり、韓国側の行為を口実に
   日本の一部が嫌韓感情へとエスカレートし、ヘイトスピーチにつながる事である。レイシ
   ストらに付け入る隙を与えてはならない。それは、ヘイトスピーチ対策法を勝ち取った努
   力が水泡に帰すことにもなる」。
   「元慰安婦ハルモニ被害者には残された時間があまりない」。
   「両国政府が歴史的な「韓日合意」を滞りなく履行することを強く期待し、民団としても、
   ともに解決に参与していく所存である。改めて韓国国民と日本政府の冷静かつ賢明な判
   断を望んでやまない」。


 ことし1月12日に在日本大韓民国民団の団長は、“釜山日本総領事館まえの少女像を撤去すべきだということは在日同胞の共通の思いだ”という意味のことを公言し(このブログの1月16日の「少女像の撤去を求めることは、日本の国家犯罪を免罪すること」をみてください)、1月17日に「慰安婦問題の早期解決を求める要望書」を駐日韓国大使に提出した。つづいて1月25日付け在日本大韓民国民団機関紙は、「韓日関係の悪化」を抑え「在日社会」を「安定」させるために日本大使館・日本総領事館前の少女像を撤去すべきだと「主張」した。
 こうして、在日本大韓民国民団は、「在日同胞の共通の思い」を偽造しつつ、日本の侵略犯罪を承認する組織になりつつある。
 1月25日付け『民団新聞』は、侵略犯罪を認めず侵略責任を回避しようとしている日本政府を支援しつつ、「何としても避けなければならないのは……韓国側の行為を口実に日本の一部が嫌韓感情へとエスカレートし、ヘイトスピーチにつながる事である。レイシストらに付け入る隙を与えてはならない」などと「主張」している。
 ここで『民団新聞』が言っている「韓国側の行為」とは、日本政府に真の謝罪を求める韓国民衆の行動のことである。
 『民団新聞』は、「韓国側の行為」を「口実」にして「日本の一部が嫌韓感情へとエスカレート」することを「何としても避ける」ために、韓国民衆は日本政府にたいして侵略犯罪の責任をまともにとらせようとする行為をしてはならないと「主張」しているのだ。
 日本のレイシストの「嫌韓感情」は、天皇制を維持している民族差別社会である日本社会内部の問題である。にもかかわらず、『民団新聞』は、あたかもその原因が韓国社会にあるかのように述べている。
 『民団新聞』は、侵略犯罪の責任をとらない日本政府にたいする韓国民衆の運動が「レイシストらに付け入る隙を与える」と言っている。民団は、日本社会における「レイシストら」のうごきを前提にして日本の侵略犯罪を肯定し、「在日社会」を「安定」させようとしている。 
 「民団としては、ハルモニらに静かな余生を送ってもらうことが何よりも大切なことだと思ってきた」、「元慰安婦ハルモニ被害者には残された時間があまりない」と『民団新聞』は述べている。そうであるならば、在日本大韓民国民団は、日本の侵略犯罪にかんして、日本政府に国家的かつ法的な責任を明確に認めさせ日本軍の性奴隷にされた女性たちに真の公式謝罪をすることを求めなければならない。
 「ハルモニらに静かな余生を……」とコトバで言いつつ、日本の侵略犯罪を免罪し、日本政府の謝罪のない「日韓合意」を全面的に支持・容認する思想的退廃。それを克服する内部の力を在日本大韓民国民団はもっていないのだろうか。
 あいまいで解りにくく論理的な一貫性がないこの『民団新聞』の「主張」は、在日本大韓民国民団が、「在日同胞の共通の思い」を真に実現することを妨害する親日組織になっていることを示している。
 在日本大韓民国民団は、1946年10月に結成された在日本朝鮮居留民団から出発した組織である。その初代団長は、「大逆罪」で1945年8月まで投獄されていた朴烈であった。

  2017年1月29日

   金靜美
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会代表
     紀州鉱山の真実を明らかにする会事務局長
     海南島近現代史研究会副会長
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「劳工监狱受损事件报国家文物局 东方市表态严查」

2017年01月28日 | 海南島史研究
http://www.hinews.cn/news/system/2012/08/30/014884642.shtml
「南海网」 2012-08-30 10:35  作者:黄丹
■劳工监狱受损事件报国家文物局 东方市表态严查
  南海网海口8月30日消息(南海网记者黄丹)海南省东方市八所港附近的省级文物保护单位——“日军侵琼八所死难劳工遗址”中的劳工监狱在东方万驰国际边贸城项目施工过程中遭到破坏一事,引起了网友的愤慨和社会各界的广泛关注。东方市委、市政府8月29日表态,将彻查此事,严肃处理责任人,并将尽快建好死难劳工纪念园,以告慰亡灵,勿忘国耻。
  东方市委宣传部副部长郭国雄告诉记者,在东方边贸城的建设过程中,政府部门和业主单位都是按程序进行的。劳工监狱遭到破坏是由于施工单位赶工期,没有严格遵照合同的规定来施工,最终对文物造成了破坏。
  事发之后,东方市公安局马上介入调查,将擅自施工的工人带走调查,郭国雄说:“查清后将根据相关法律法规对责任人进行严肃处理。”
  另外,记者通过海南省文物局了解到,此事已上报国家文物局,海南省文物执法大队也介入了查办。“此事将按相关法律法规走行政处罚的程序。”海南省文物局局长王亦平说道。
  由于东方边贸城的建设占用到了原“日军侵琼八所死难劳工纪念碑”的所在地,纪念碑因此被推倒。纪念碑计划择址新建,东方市委宣传部副部长郭国雄告诉记者,新建的“纪念碑”形式有所改变,“我们将建一面纪念墙来代替纪念碑,纪念墙将与劳工监狱、‘万人坑’组成纪念园,成为新的爱国主义教育基地。”


http://www.hinews.cn/news/system/2012/08/24/014857609.shtml
「南海网」 2012-08-24 06:47  来源:南海网-南岛晚报 作者:王全印
■东方:网曝日军侵琼“劳工纪念碑”被推倒盖酒店
 东方文化广电出版体育局回应:拆除报告已获上级批准
  8月13日,网友曝料东方劳工纪念碑被推倒盖酒店,引起众多网友的关注。记者在网帖所指现场看到,先前树立的“日本侵琼八所死难劳工纪念”一碑(以下简称“纪念碑”)的位置一片狼藉。施工单位称,他们有东方市有关部门的批准文件。东方市有关部门表示,纪念碑于1994年建设,不属于文物,且省文体厅已批准可以拆除。

★纪念碑不见踪影现场一片狼藉
  网友“海岛一哥”在天涯社区(东方版)发帖《鱼鳞洲的万人坑纪念碑哪去了?》,引起众多网友热议。网友“四方游热气球”发帖称,连地皮都卖掉了,正在盖酒店,怀疑开发商故意破坏文物。网友“光辉太阳”称,这种行为是好了伤疤忘了痛。
  昨日上午,记者赶到网友帖子中提到的地点。从远处看到先前竖立的纪念碑已不见踪影,在纪念碑前的小广场上,纪念碑的底座被推平,现场一片狼藉。记者在碎石中翻找带有文字的石头,试图了解纪念碑上的文字和建造时间,寻找半小时后未果。在距离纪念碑不足50米处,有两间较矮的房子。据当地居民说,这就是劳工监狱。一旁还悬挂着“历史文物重点保护,严禁破坏”的牌子。

★回应:已向有关部门申请将用于边贸城建设
  施工方是否破坏文物,施工单位是否有施工相关证件?东方万驰国际边贸城有关负责人赵先生称,他们有东方市有关部门批复的文件,也有有关证件,但婉拒了记者想看证件的要求。
  对于纪念碑和劳工监狱是否属于历史文物,东方市文化广电出版体育局符局长表示,纪念碑为1994年建设,不属于文物。据介绍,为确保东方边贸城的建设用地和建设进程,他们向省文化广电出版体育厅汇报,省厅也批复可以拆除。他们将重新提出设计方案在新址重建纪念碑,设计方案和劳工监狱平移方案一同报批。
  符局长告诉记者,在拆除纪念碑前曾在电视台等媒体作公告,避免引起市民误解。下一步,他们将督促施工单位在纪念碑附近作出公告牌,并在媒体上做公告解释。


http://www.hinews.cn/news/system/2012/08/24/014860528.shtml
「南海网」 2012-08-24 15:11 作者:禹海君
■推倒纪念碑,东方做了日本人想做做不到的事
  8月13日,网友曝料东方劳工纪念碑被推倒盖酒店,引起众多网友的关注。记者在网帖所指现场看到,先前树立的“日本侵琼八所死难劳工纪念”一碑的位置一片狼藉。施工单位称,他们有东方市有关部门的批准文件。东方市有关部门表示,纪念碑于1994年建设,不属于文物,且省文体厅已批准可以拆除。(8月24日《南岛晚报》)
  东方劳工纪念碑所在的荒滩曾是抗日战争期间日本侵略者屠杀、埋葬近2万劳工的地点,人称“万人坑”,是侵琼日军疯狂掠夺海南矿产资源、残忍杀害中国人民和盟国战俘的历史见证。东方市文体局符局长却以“纪念碑为1994年建设,不属于文物”为由,批准拆除,这一决定还得到了海南省文体厅的批复。
  “东方劳工纪念碑”究竟是不是文物? 笔者带着这个疑问百度了一下,赫然在由“中共海南省委党史研究室”主办的网站“海南史志网”上发现,“日军侵琼八所死难劳工纪念碑”不仅是文物,还是是海南省重点文物保护单位,管理单位是东方市文体局。
  就算“日军侵琼八所死难劳工纪念碑”不是文物,就可以随便推倒吗?
  据史料记载,日军侵琼期间,为了开辟出海口,从海南各市县、全国各地抓来近两万余名劳工及英国、澳大利亚和印度等盟国的战俘1200余人修建八所港。这些劳工在日军的皮鞭下受尽凌辱,最后仅剩下2000余名劳工。那些惨死的劳工,被日军埋在八所港旁的荒滩上,人称“万人坑”。1988年,海南省文体厅和东方县(今东方市)人民政府在“万人坑”旁建一座30米高的纪念碑,并勒石铭文,以示千秋。这个“万人坑”以及“万人坑”旁边的纪念碑是一个整体,是侵琼日军疯狂掠夺海南矿产资源、残忍杀害中国人民和盟国战俘的历史见证,提醒我们每一个海南人都不能忘记这段历史。
  有网友在新闻后面跟帖:“东方市做了日本人想做,却做不到的事情。”的确,推倒劳工纪念碑、在“万人坑”旁盖酒店,让那些惨死于日本人手中的劳工如何安息?让千千万万中国人情何以堪?开发商见利忘义就算了,作为纪念碑的管理单位--东方市文体局竟然批准了这样的申请、东方文体局局长悍然以“不是文物”来回复网友的质疑,骨子里透露出的是对这段历史的麻木,其民族感情的淡漠。
  抗日战争是全民族的事情,东方劳工纪念碑所铭刻的,不仅有千万惨死日本人手中的海南劳工,还有千万来自全国的劳工,甚至还包括1200名同盟国的战俘。东方市文体局必须为他们的草率行为,向全国人民以及遭受这场战争创伤的同盟国人民道歉!
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海南島八所港湾工事の犠牲者の遺骸の上に建てられた「辺貿東方城」

2017年01月27日 | 海南島史研究
 日本政府・日本軍・日本企業(日本窒素・西松組)は、海南島石碌鉱山の鉄鉱石を日本の八幡製鉄所に運ぶために、石碌鉱山から八所海岸までの鉄道と八所海岸に港湾を急造した。
 八所港建設のために香港、広東などから多くの労働者が連行され、多くの人が事故や病気で死んだ。
 たくさんの遺体が、八所海岸の魚鱗州の近くなどに捨てられた。
 その地域を、1983年6月に広東省人民政府は省級文物保護単位とした。
 その一角に、1988年に海南省政府は「日軍侵瓊八所港死難労工紀念碑」を建設し、1994年11月に海南省政府はこの地域を省級文物保護単位とすることを公布した。
 その後、海南島各地で観光開発が活発化し、この地域で「辺貿東方城」建設がすすめられた。
 2012年初めころ碑の破壊を海南省政府が許可(あるいは黙認)し、2012年4月の時点で、海南省文体厅と东方市が破壊することを決定したようである(このブログの2015年6月17日の「日军侵琼“劳工纪念碑”被推倒盖酒店」、2015年6月20日の「2015年春海南島「現地調査」記録 3」、2015年7月14日の「劳工泣血八所港」をみてください)。
 2014年3月付けで海南出版社から出版された中共海南省委党史研究室編『海南省重要革命遺址通覧』の「日軍侵瓊八所港死難労工遺址」の項には、碑の写真と解説が掲載されているが、碑の破壊にかんしてはなにも書かれていない(『海南省重要革命遺祉通覧』についてはこのブログの2014年12月26日の「《海南省重要革命遗址通览》出版发行」、2016年11月18日の「五百余处遗址通览 诉说琼岛红色往事」、11月21日の「文昌市玉堂村で」、12月1日の「中共海南省委党史研究室編『海南省重要革命遺祉通覧』について」をみてください)。 
                             
                                  佐藤正人
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熊野市にたいする抗議・要請 2016年11月27日 

2017年01月26日 | 紀州鉱山
 きのう(1月25日)、紀州鉱山の真実を明らかにする会と第9回追悼集会参加者一同は、河上敢二熊野市市長と倉本勝也熊野市教育長に、抗議と要請の文書を送りました。文書の日付けは、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する昨年の9回目の追悼集会の日である2016年11月27日です。抗議・要請文の全文はつぎのとおりです。
 
                    紀州鉱山の真実を明らかにする会

■抗議・要請■
 わたしたちは、2010年3月に追悼碑を建立し、毎年11月に碑の前に集まって追悼集会を開催して9回目を迎えました。これまでと同様、今回も千葉、東京、小樽、京都、奈良、兵庫など各地から参加して、紀州鉱山に拉致され過酷な労働を強いられた後、故郷に戻ることなくその生を断たれた朝鮮人を追悼する集会を開催しました。
 昨年の追悼集会の直前には、三重県に住む朝鮮人の協力により、亀山から運んだ巨石に「朝鮮人追悼碑」と刻んだ新しい石碑を建立しました。土地の中央に建てられた追悼碑、および犠牲者ひとりひとりの名前を刻んだ石碑に加えて、道路に向かったこの新しい大きな石碑が道行く人に紀州鉱山における朝鮮人強制連行の歴史を訴えています。この土地が日本の過去の植民地支配と侵略戦争の犠牲となった朝鮮人を追悼するという公的な場であり、そのような場として年々整備が進められていることをここからしっかりと確認することができます。
 昨年も、今年も、追悼集会には雨が降りましたが、参加者の中には「この雨は犠牲者の悔し涙だ」、と語る人もいました。
 石碑に刻まれた35名の方々は、わたしたちの会が知りえたかぎりの方々であり、紀州鉱山の強制連行によって亡くなった方々のすべてではありません。しかもその35名のなかでも本名が一部しかわからない方もおり、さらにそれらの方は多くが遺骨の所在すらいまもなお不明のままです。
 70年以上か経過した現在もなお、日本の政府と企業は、朝鮮人を連行し死に至らしめその方々の生命の尊厳を踏みにじった行為に対して、実態の調査も、責任者の処罰も、犠牲者に対する謝罪も、賠償も、行っていません。
 追悼集会では、熊野市の不当な課税行為に抗議する裁判の報告もおこなわれました。熊野市は追悼碑の土地を私有地と見なして固定資産税を課しました。熊野市のこの課税行為は、市民団体が紀州鉱山で命を断たれた朝鮮人を追悼し日本の歴史的責任を明らかにするためにおこなった追悼碑建立の公共的意義を否定するものにほかなりません。
 わたしたちは追悼集会のたびに、熊野市に対して、本会とともに、紀州鉱山における朝鮮人の強制連行・強制労働に対する実態を調査し記録し、朝鮮人を追悼する行事に取り組むよう求めてきました。しかし、熊野市は、一昨年も、追悼集会に際してわたしたちが発した抗議要請に対して、回答していません。そのような熊野市の態度は、行政の公的業務を放棄することを意味します。
 昨年の抗議要請文をこの抗議要請と合わせて同封しますので、昨年の質問事項を確認のうえ、責任のある回答を求めます。2月末日までにかならず文書で回答してください。
                                  (2017年1月25日発信)


                                  
抗議・要請      2015年11月8日
  熊野市長   河上敢二 さま
  熊野市教育長 倉本勝也 さま

               紀州鉱山の真実を明らかにする会
               第8回追悼集会参加者一同

 わたしたちは、1997年2月の会の結成以来、朝鮮から紀州鉱山に連行され過酷な労働を強いられた1000人以上に及ぶ朝鮮人労働者の歴史について調査を進めてきました。そして2010年3月に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立し、それ以降毎年追悼集会を開催して、本日、8回目の追悼集会を迎えました。
 今回の追悼集会には、紀州鉱山で働かされた朝鮮人の出身地のひとつである慶尚北道の道議会のみなさんが参加されました。紀州鉱山に連行され労働を強いられ犠牲となった朝鮮人の韓国の遺族のかたがた、そしてその出身地の地域や議会がこの追悼集会に強い関心のまなざしを向けています。
 当会が独自に調査を進めた結果、これまでのところ、少なくても朝鮮人労働者とその家族35名が紀州鉱山で亡くなったことが明らかになっています。しかし、この35名の方の遺骨の所在も、死亡の状況や原因についてもほとんどわかっていません。
 わたしたちは旧紀和町、そして熊野市がこれらの朝鮮人の追悼碑の建立に取り組むよう働きかけてきましたが、貴職らは誠実に応答しませんでした。 
 わたしたちはやむなく、会で独自に土地を確保し、追悼碑を建立して、2010年3月28日に除幕集会を開催しました。ところが、この土地に対して、熊野市長は固定資産税を求めてきました。
熊野市への朝鮮人強制連行、熊野市での朝鮮人強制労働という歴史について、熊野市が責任をもってその事実を究明し、犠牲者を追悼することは当然のことであるにもかかわらず、貴職はその責務をはたさないばかりか、市民団体が心ある多くの人びとの寄金によって入手した追悼碑の土地に課税をするという、無恥で理不尽なことをしました。
 わたしたちはその不当性を公の場で問うために2011年3月18日に三重県津地裁に訴訟を提起しました。この訴訟の提起は日本の社会だけでなく、韓国にも大きな反響を呼び起しました。紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷の江原道および慶尚北道の道議会では、わたしたちの会による提訴を支持し、熊野市による固定資産税の課税の撤回を求める決議がなされています。また慶尚北道の道議会議員団が2012年4月に三重県と熊野市を訪れ、三重県の不動産取得税と熊野市の固定資産税の課税を撤回するよう求めました。慶尚北道の道議員団は今回8回目の追悼集会に参加するため、熊野への二度目の来訪をおこないました。
 以上の経緯を踏まえて、熊野市のこれまでの不当な対応に抗議するとともに、改めて以下のことを要請します。

 1 熊野市紀和鉱山資料館に、紀州鉱山への朝鮮人強制労働、紀州鉱山での朝鮮人強制労働に関する資料を展示すること。
 2 紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働についての調査を進めること。
   石原産業が1946年に三重県内務部に提出した朝鮮人労働者についての「報告」はきわめて不正確なもので、この「報告」に「逃亡」したと書かれている千炳台さんは紀和町で死亡していることが判明していますが、旧紀和町は、私たちが千炳台さんの埋火葬許認可書の開示を要望したにもかかわらず、この要望を拒否し続けてきました。
 3 熊野市は、紀州鉱山での朝鮮人犠牲者を、今後どのようなかたちで追悼するのか、その内容を具体的にあきらかにすること。
昨年の7回目の追悼集会ではこの同じ要請を貴職に対して行ったにもかかわらず、貴職は当会への回答を1年近く経過した今日までおこなっていません。
 市民の要望に答えるという行政の基本的な責務を放棄するこのような態度は許すことのできないものです。

 さらに加えて、倉本教育長に対して以下の質問を行います。
 昨年9月25日の熊野市教育委員会で、鉱山資料館に紀州鉱山の朝鮮人の強制労働に関する資料の展示についての教育委員の質問に対して、杉松前教育長は、「鉱山の資料館として、昔こういう方達がはたらいていたことで写真を飾ることは構わないと思います」と答えています。
 この答弁について以下に質問します。
 1 倉本教育長は、鉱山資料館にすでに英国人捕虜の鉱山労働に関する写真の展示があるのは御存じでしょうか。
 2 杉松前教育長は、これまで当会が紀州鉱山における朝鮮人の強制連行・強制労働についてくりかえし要請してきた経過を承知のうえで、このような答弁をしたのでしょうか。倉本教育長はこの答弁と同じ考えなのでしょうか。
 3 「鉱山資料館に写真を飾ることは構わない」と答弁するに当たって、教育委員会はこの件に関してどのような調査をおこない、どのようなことを確認したのでしょうか。
 4 倉本教育長は、鉱山資料館の道路を挟んだ斜め向かいに紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑が建てられていることをご存知でしょうか。また、熊野市がこの土地に対して、固定資産税を課していることをご存知でしょうか。

 上記の要望と質問に対する回答をかならず12月28日までに文書で求めます。
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熊野市にたいする抗議・要請 2016年11月26日 

2017年01月25日 | 木本事件
 きょう(1月25日)、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と第23回追悼集会参加者一同は、河上敢二熊野市市長と倉本勝也熊野市教育長に、抗議と要請の文書を送りました。 文書の日付けは、李基允・さんと裵相度さんを追悼する昨年の23回目の追悼集会の日である2016年11月26日です。抗議・要請文の全文はつぎのとおりです。
       三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会

 
■抗議・要請■
 本日、わたしたちは木本トンネル入り口の追悼碑の前で23回目の追悼集会を開催しました。この追悼集会には、例年と同じく、地元の方々はもとより、各地から参加者が結集しました。
 1994年に朝鮮半島を向いて建立された李基允さんと裵相度さんの追悼碑は、その後22年の間、地元の方々の協力によって草取りや整地や植樹がおこなわれ、守られ、維持されてきました。
 狭くて登るのに苦労する入り口の階段には手すりをつけ、追悼碑のある高台の危険な崖の縁には防護柵を設けて、追悼碑の敷地はすこしずつ整備され、熊野の地域にしっかりと根づいた碑となっています。
 李基允さんと裵相度さんの命を奪った「木本事件」は、熊野の地域住民が引き起こした虐殺事件であるにもかかわらず、熊野市はこの事件の実態がどのようなものであり、なぜこのような虐殺事件が起きたのかについて、その究明を積極的に行おうとしてきませんでした。わたしたちがその究明を求めて毎年発している質問にも熊野市は答えようとしていません。
 このような熊野市の態度は、事件を二度と起こしてはならぬものとして教訓化し、次世代に伝えていこうとする姿勢を欠落させるものであり、それどころか事件を引き起こした地元住民の差別意識を温存することにもつながっています。
 2016年9月1日に、「「木本事件」の発端」という会員の佐藤正人が書いた記事に対して、「木本人」という署名で、「朝鮮人の捏造記事」というコメントが投稿されました。その全文は、つぎのとおりです。
   「木本事件の内容は父から聞いた事があります。当時朝鮮人労働者の迷惑ぶりは悲惨で
   あったらしく、朝鮮労働者達は徒党を組んで傍若無人の振る舞いにより、町の人々を怖
   がらせ大問題になっていたらしく、小さな村の木本警察などでは、手に追えなかったら
   しいです」。
 また、その前々日の8月30日に、「木本水道」という署名で「実際」と題するコメント投稿されていました。その全文はつぎのとおりです。 
   「私は父からこの事件について話を聞いたことがあります。
    このトンネルは実家の直ぐ近くにありますが、父も事件を見ていたそうですが、私が
   聞いた話とは、随分違う様にかんじますが…」。

 「木本人」は、「当時朝鮮人労働者の迷惑ぶり」、朝鮮人労働者たちの「徒党を組んで傍若無人の振る舞い」を理由とすることによって、地元住民によるふたりの朝鮮人殺害をやむを得ないこと、あるいはしごく当然なこと、であるかのように語っています。
 この事件が起きた当時の地元新聞のコラム欄では、お二人を殺害した住民の行動を「吾が民衆の先駆者」と呼び、事件当時在郷軍人会副会長だった谷川義一氏の手記(「鮮人騒動の記」、『木本小学校百年誌』、1973年発行)には、朝鮮人労働者の「無法地帯的な行状に泣いたこの地方の人々こそあわれ」だとして、住民によるお二人の殺害を「あながち無理とも言えない」と肯定しています。
 事件後に、朝鮮人労働者を殺害した住民の行動を「あながち無理とも言えない」などと肯定することが、今回の「木本人」の発言となって再現しているのです。
 この事件を根源から問い直すためには、朝鮮人虐殺を正当化するこのような発言がなぜ生まれたのか、そのような発言とその背後にある民族差別意識をどうしたら克服できるのかを考え、その課題に取り組むのが熊野市に課せられた責務なのです。しかし、熊野市はわたしたちの呼びかけにもかかわらず、なすべきその責務を放棄してきました。
 たとえば、事件から50数年が経過した1983年に熊野市が発行した『熊野市史』中巻の「木本トンネル騒動」のなかでも、住民による朝鮮人への襲撃と虐殺を、「木本町民としては誠に素朴な愛町心の発露であった」としています。三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、すでに1989年6月4日の創立集会の翌日に、熊野市に『熊野市史』の書きかえを求め、それ以後、これまで27年あまりの間、この文言の削除を求めると同時に、「木本トンネル騒動」の記述全体の書き換えを求めてきたのですが、熊野市はその要請に応えてきませんでした。
 木本トンネルは、木本町民らの生活を便利にするために作られたものです。そのトンネルを日本人労働者とともに掘っていたのは、日本による朝鮮の植民地支配によって日本に働きに来ざるをえなくなった朝鮮人労働者でした。木本町の住民たちはその朝鮮人を集団で襲い虐殺したのです。さらに、在郷軍人、消防組員らを中心とする住民集団は、2人の朝鮮人を虐殺したあと、警察官らとともに、襲撃を逃れようとした朝鮮人を捕まえようとして、徹夜で山狩りまでしました。
 熊野市と熊野市教育委員会が、「木本事件」について事実をみずから明らかにし、その歴史的責任をとろうとし、このような犯罪がくりかえされることを阻止する活動に積極的に取り組んでいたならば、「木本人」がこのようなコメントをすることはなかったでしょう。
 「木本人」が上記のような発言をするという状況を許してきた熊野市・熊野市教育委員会の責任は重大です。
 熊野市長、および熊野市教育長は、朝鮮人虐殺を事実上肯定する発言が「木本人」から発せられたことについて、どう考え、どのように対処すべきだと考えるのか、責任のある回答を文書で求めます。
 同時に、昨年の抗議要請文をここに添付し、そこでわたしたちが求めた質問事項に対する速やかな回答を求めます。回答は、2月末日までに必ずお送りください。(2017年1月25日発信)


抗議・要請            2015年11月7日
 熊野市長   河上敢二さま
 熊野市教育長 倉本勝也さま

   三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
   第22回追悼集会参加者一同

 本日、わたしたちは木本トンネル入り口の追悼碑の前で22回目の追悼集会を開催しました。
 木本町(現熊野市)でお二人を殺害したのは在郷軍人会や消防組などの地元住民の組織であり、その組織に出動を指示した木本町長はお二人の殺害に重大な責任を負っています。
 したがって貴職らは地元行政機関の責任者として「事件」の原因を究明し、遺族に謝罪し、このような事件が2度と起きないような人権教育に真摯に取り組む責務があります。
 私たちは会を結成した当初から、熊野市に対し、地元の行政機関として、この事件がなぜ起きたのかについて地元住民とともに考え、地元の歴史教育に積極的に取り組むべきであると述べてきました。そしてつぎのような課題を提起してきました。
 1 『熊野市史』における「木本トンネル騒動」の記述で、地元の住民がとった行動を「誠に素朴な愛町心の発露」として弁護する文言があることを指摘し、この文言を削除すると同時に、『熊野市史』の記述全体を再検討すること。
 2 お二人の追悼碑を建立するために、熊野市が土地を確保し建立の資金を市民から募って、追悼碑の建立活動に取り組むこと。
 3 地元で「木本事件」を考えるための歴史教育・人権教育に積極的に取り組むこと。
 4 「木本事件」の詳細を明らかにすること。

 しかし、熊野市は当初は我々の会と協力して上記の取り組みを進めるという方針を立てながら、中途でその取り組みを放棄しました。
 1の課題については、熊野市は『熊野市史』の「誠に素朴な愛町心の発露」と言う文言の削除を約束しながら、削除要請通知を一部の『熊野市史』の購読者(主として、熊野市が『熊野市史』を寄贈した相手)に送っただけで、削除が実際に行われているかの確認をも誠実に行ってはきませんでした。
 わたしたちが各地の公立図書館に所蔵されている『熊野市史』を調べたところ、実際に文言の削除がなされていない図書館が多数あることを確認しました。その後、わたしたちは文言の削除が的確になされているかどうかの確認を熊野市と熊野市教育委員会に求めましたが、いまだにその確認はおこなわれていません。
 2の追悼碑の建立については、熊野市議会で了承がなされ、200万円の予算が計上され、なおかつ追悼碑の建立予定地まで確保しながら、碑文を作成する段階で、熊野市は追悼碑の建立そのものを拒絶するに至りました。
 3の課題については、熊野市はこれまでまったく取り組む姿勢をみせていません。それだけでなく、熊野市の図書館に「木本事件」に関する資料コーナーを設けてほしい、という当会の要求を拒否し続けてきました。
 4の「木本事件」の詳細を明らかにするという課題は、熊野市がかならず組織的に全力をあげて早急に進めなければならない課題であるにもかかわらず、熊野市は、現在にいたるまで、まったくなにもおこなっていません。

 22回目の追悼集会にあたって、わたしたちは以上のようなこれまでの熊野市の対応に強く抗議するとともに、あらためて以下の要求を行います。
 1 『熊野市史』における「木本トンネル騒動」に記載された文言「誠に素朴な愛町心の発露」について、『熊野市史』の公的・私的な購入者に対する削除の通知を徹底していただきたい。また削除の通知をするだけでなく、なぜ削除するのかについての理由を明記していただきたい。
 2 熊野市市議会は当初、追悼碑を当会とともに建立するために200万円の予算を計上しそれを可決したが、その予算は執行されていません。現在、その200万円がどのように扱われているのか、説明していただきたい。
 関連して、新屋英子さんが熊野市に追悼碑建立の基金として渡された10万円がどのように処理されたのかについて説明をしていただきたい。
 3 熊野市図書館に「木本事件」の資料コーナーを早期に設置していただきたい。設置しないのであれば、なぜ設置しないのかについての理由を説明していただきたい。
 4 お二人がなぜ異郷の地で無残に殺害されるに至ったのかについて、地元の学校で、あるいは社会教育を通して、反省する機会を設けていただきたい。
 5 昨年9月30日に熊野市の教育委員会の社会教育課に対して追悼碑の案内板を設置するように要望をしました。しかし、教育委員会からはいまだに回答がありません。早急に回答をしていただきたい。
 6 「木本事件」の詳細を明らかにし、お二人が無残に殺害された歴史的社会的原因を究明する機関を設置し、「木本事件」の真相を明らかにする調査報告書を、わたしたちの会とともに作成・発行していただきたい。

 昨年の追悼集会のあと、ほぼ同じ抗議要請文を貴職に送りましたが、回答をいただいておりません。ただひとつ、昨年9月30日に熊野市建設課を訪問し追悼碑の下のがけの危険個所について整備を要請したところ、この整備については調査と工事がおこなわれました。しかし、この工事の実施について、当会のほうには何の報告もありません。今年の9月になって当会が建設課に問い合わせて工事が実施されたということを初めて知りました。追悼碑の土地の管理者であり所有権者である会に対して、工事の事前連絡も事後報告もおこなわないまま工事を実施したのは異常な事態と言えます。
 いずれにしても、上記の市民団体の要請を無視する態度はあきらかに行政の説明責任を放棄するものです。 今回の6点の要望については、そのようなことのないよう、12月28日までにかならず文書での回答を求めます。
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アメリカ合州国艦船「マッキャンベル」のオタル入港拒否要請にたいするオタル市長の回答

2017年01月24日 | 個人史・地域史・世界史
 米空母に反対する市民の会は、1月12日に、オタル市長に、アメリカ合州国の軍艦「マッキャンベル」の小樽港への入港と岸壁使用を許可しないことを要請しました(このブログの1月12日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2017年」をみてください)。
 この要請の回答期限としていた今日(1月24日)午後2時半に、米空母に反対する市民の会はオタル市総務課から今日付けの文書回答を受けとりました。
 文書名は「米国艦船の寄港に関する要請書に対する回答について」(樽総第223号)であり、森井秀明オタル市長の名のよこに印鑑が押されています。
 米空母に反対する市民の会の要請・質問に十分に応えていませんが、オタル市長は「度重なる米国艦船の入港は、必ずしも好ましいものとは考えておりません」と明記しています。
 しかしオタル市長は、地域政府の長として、好ましくないアメリカ合州国艦船のオタル入港を拒否する確固とした姿勢を示していません。
 わたしたちは、オタル市長がオタル市民とともにオタル港を再び軍港としないための具体的方策を構築することを求めていきます。
 米空母に反対する市民の会は、1月12日の7項目の要請の第4で、外務省が1983年12月に「秘 無期限」として作成し、いまなお開示を拒否している機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』の開示をオタル市長が外務省に求めることを要請しました。
 そのさい、米空母に反対する市民の会は、『琉球新報』が2004年7月までにこの外務省機密文書全文を報道し、同年12月に琉球新報社が『日米地位協定の考え方・増補版』を収録した単行本『日米地位協定の考え方 外務省機密文書』を発行しているという事実をオタル市長に伝えました。その外務省文書には、アメリカ合州国軍が優先使用できる港湾として「小樽、室蘭港がその対象として合意されている」と書かれています。
 港湾法によって港湾管理者である自治体が管理権を持っているにもかかわらず、日本中央政府とアメリカ合州国政府は、オタル港やムロラン港については、それを実質的に無効化しようとしています。
 地方政府の長として、オタル港やムロラン港がアメリカ合州国軍の「優先使用施設」とされている外務省文書の開示を日本中央政府に請求するとともに、オタル港とムロラン港をアメリカ合州国軍の「優先使用施設」としている「港湾施設の使用に関する合同委員会の合意」をとりけさせる努力を重ねてくださいという要請にたいして、オタル市長は、「外務省において不開示決定されている以上、その内容につきましては確認できないものと認識しております」という無気力・無責任な回答をしています。
 1月12日の話し合いのときに、石坂康雄オタル市総務課次長らは、琉球新報社が2004年12月に発行した『日米地位協定の考え方・増補版』は、昨年の米空母に反対する市民の会の指摘のあとオタル市役所で購入したと述べていました。どうして、「その内容につきましては確認できないものと認識しております」という文書をオタル市長がだすのかが不思議です。

 オタル市長の回答の全文はつぎのとおりです(「元号歴」は普通歴に訂正)。

                         米空母に反対する市民の会 佐藤正人


■米国艦船の寄港に関する要請書に対する回答について
 本年1月12日付けで米国艦船「マッキャンベル」の小樽港寄港に関し貴団体から要請をいただいた件につきまして、米国艦船の入港に対する本市の考え方を改めて申し述べさせていただきます。
 以前から申し上げておりますとおり、本市といたしましては、小樽港は商業港でありますので、度重なる米国艦船の入港は、必ずしも好ましいものとは考えておりません。しかしながら、地方自治法上、外交及び防衛に関することは国の専管事項とされており、日米安全保障条約及びこれに基づく日米地位協定により、国の判断として、米国艦船は民間港にも入港できることとなっております。また港湾法では、港湾管理者である市長は、何人に対しても不平等な取扱いをしてはならないと規定されており、米国艦船であるという理由のみをもって港湾施設の使用を不許可とするのは、同法に違反するおそれもあります。
 このようなことから、本市といたしましては、商業港としての機能を損なわない範囲内で、一定の判断基準をもって、岸壁手配の可否を慎重に判断していかなければならないものと考えており、従前から「入出港時及び接岸時の安全性」、「商業港としての港湾機能への影響」及び「核兵器の搭載の有無」の3つの判断基準をもって、その可否の検討を行ってきたところです。
 このうち、核兵器搭載の有無に関しましては、本市は1982年に「核廃絶平和都市宣言」を行っており、非核三原則の遵守は国是でもありますことから、これまでも外務省のほか、在札幌米国総領事館に対しても文書照会を行い、その回答をいただいているところであり、より慎重な判断をしているところであります。したがいまして、これらの条件がそろった場合は、受け入れざるを得ないものと考えております。
 なお、小樽港への入港目的につきましては、「親善」以外の目的に疑いを有してはおりません。
 また、外務省に対する「日米地位協定の考え方」増補版の開示請求についてでありますが、当該文書につきましては、2006年に、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」第5条第3項の「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」として「不開示情報」に該当するとの東京高等裁判所の確定判決がでております。外務省において不開示決定されている以上、その内容につきましては確認できないものと認識しております。
 また、市民集会の主催の件につきましては、これまで申し述べましたとおり、米国艦船の入港に対する港湾管理者の裁量は狭く、先程の3つの基準に沿って粛々と判断せざるを得ないのものと考えており、また、市民の皆様からの御意見につきましては、職員が様々な市民団体等からその都度直接お伺いし、要請書等も拝見しておりますので、引き続きそのような形で御意見をお伺いしてまいりたいと考えております。
 最後に、反戦についての本市の考え方につきまして、本市は、2009年10月に核兵器廃絶を目的とする平和首長会議に加盟し、平和に対する姿勢を対外的に示しているほか、毎年8月には平和事業を実施しており、今後とも核兵器廃絶、平和の希求に努めてまいります。なお、平和安全法制関連法につきましては、いまだ国民の理解を十分に得ているとはいえない状況にあり、国から国民に対して丁寧な説明が必要であると考えております。
 いずれにいたしましても、米国艦船の小樽港入港に関しましては、市民の平和と安全を守る立場から慎重に判断しなければならないものと考えておりますし、小樽港は商業港であり、商船優先の立場に変わりはなく、今後ともその考えは堅持してまいります。
 以上、本市の考え方を申し上げ、要請書に対する回答に代えさせていただきます。



http://otaru-journal.com/2017/01/0124-1.php
『小樽ジャーナル』2017年1月24日
■米国艦船入港反対団体へ 市が要請書へ回答 (2017/01/24)
 2月3日(金)に小樽港へ寄港要請がある米国艦船「マッキャンベル」を反対する、米空母に反対する市民の会、改憲阻止!労働者・市民行動、ピリカ全国実・札幌圏の3つの団体からの要請書に対し、小樽市は1月24日(火)に回答した。
 その内容は、これまでの回答とあまり変化がなかったが、外務省に対する「日米地位協定の考え方」増補版の開示請求について初めて言及した。
 平成18年に「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」第5条第3号により、不開示情報に該当するとの東京高等裁判所の確定判決が出ているため、外務省において不開示決定されている以上、内容については確認できないと回答した。
 また、市民集会の主催の件については、3つの判断基準に沿って判断せざるを得ないとし、職員が市民団体などからその都度話を聞き、要請書を見るなどして意見を聞く方向を示した。
 これを受けて、市民団体のひとりは「20年近く、米国艦船が入港するたびに要請書を提出してきたが、回答は変わっていない。一歩踏み込んでもらいたい。今後もこの活動を続けるしかないと感じた。開示請求に関しては、問題があるから指摘している。初めて回答をもらったが、満足していない。繰り返し要求していく。市としては歓迎はしていないと聞いているが、市民が入港に対してどう思っているか市民集会を開き、広く市民の意見を聞いてもらいたい」と話した。
 小樽市は、米国艦船の小樽港寄港にかかる岸壁の手配について、平成29年1月20日までに回答するよう通知があったが、回答期限までに岸壁の手配ができていない旨を文書で回答している。
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死者の証言

2017年01月23日 | 海南島史研究
 日本政府・日本軍・日本企業によって海南島で殺害された犠牲者は、話しをすることはできない。
 海南島で殺害された人のうち名前が記録されている人は少ない。
 海南島で日本政府・日本軍・日本企業は、6年半の占領期に数十万の人びとを殺害したと考えられるが、いまなお、犠牲者の人数が明らかにされていない。
 村落で虐殺された村人の名は記録されていることがあるが、中国本土、ホンコン、朝鮮から連行され、鉄鉱石採掘、港湾建設、鉄道建設、飛行場建設、軍事施設建設などの現場で働かされ命を失わされた人の名はほとんど記録されておらず、遺体も粗末にあつかわれた。
 死者は、話しはできないが、遺骨となって証言している。
 しかし、2014年から15年にかけて、東方市八所港の近くに埋められている犠牲者の遺骨の上に、大きなリゾートマンションが建設された。その敷地に相当する場所に建てられていた「日軍侵瓊八所死難労工紀念碑」は、2015年5月にわたしたちが行ったときには、破壊されており、その残骸が土ぼこりに覆われていた。
                                   佐藤正人
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海南島侵略日本軍の痕跡 3

2017年01月22日 | 海南島史研究
 1939年2月に海南島に侵入した日本軍は、海南島各地に軍事拠点を建設するとともに、各軍事拠点をつなぐとともに占領地を拡大するための道路建設をおこなった。
 軍事拠点には兵舎、望楼、砲台、トーチカ、火薬庫、給水塔、軍用倉庫、軍用洞窟などを建設し、その周辺に戦壕をめぐらせた。
 日本軍は、ときに、民家を破壊し、民家の木材などを奪って兵舎、望楼の建設資材とした。
 日本軍は、飛行場を建設した。
日本軍は、海南島各地に、大小の橋梁を建設した。
 日本軍の海南島侵略後、ただちに海南島侵入を開始した日本企業は、略奪した資源(鉱石、材木など)を運び出すための道路、鉄道、港湾、発電所建設をおこなった。
 現在、海南島の各地に、日本軍の兵舎、望楼、砲台、トーチカ、火薬庫、給水塔、軍用倉庫、軍用洞窟、戦壕の痕跡が残っている。
 日本企業が日本政府・日本軍の援助のもとに建設した道路、鉄道、港湾、発電所の痕跡も残っている。
 それらを実際に建設した労働者は、海南島人、ホンコンや汕頭・広東などから連行されてきた人たち、朝鮮から連行されてきた朝鮮人獄中者などであった。
 その労働者についての記録はほとんどない。
 その労働者が具体的にどのように働かされていたかは、当人や目撃者の証言なしには知ることができない。
                                佐藤正人
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