鄭麗玲「海南島的台湾兵(1937-1945)」(『台湾風物』46巻3期、1996年)は、海南島の台湾兵にかんする数すくない論文のひとつである。台湾では、ほかに、湯熙勇「脱離困境:戦後初期海南島之台湾人的返台」(『台湾史研究』第12巻第2期、中央研究院台湾史研究所、2005年12月)が発表されているが、中国本土でも海南島でも、海南島の台湾兵にかんする個別論文は発表されていない。日本では、林えいだい『台湾の大和魂』(東方出版、2000年11月)で、海南島の台湾兵だった数人の証言が紹介されている。
「海南島的台湾兵(1937-1945)」で、鄭麗玲は、台湾人青年が日本侵略下の海南島で具体的にどのようなことをさせられたのかについて、具体的に述べようとしていない。この論文で、鄭麗玲は、日本軍と戦う人たちを、しばしば「土共」「土匪」と表現しており、「敵」と表現していることもある。
鄭麗玲は、「台湾兵」とされていた人たちから聞きとりを重ねており、この論文でも証言を「資料」としているが、証言の客観性をほとんど検証していない。
鄭麗玲は、この論文で、日本政府・軍が海南島を侵略するという方針を1936年9月の「北海事件」のさいにだしていた、という重大な事実を示している。
佐藤正人
「海南島的台湾兵(1937-1945)」で、鄭麗玲は、台湾人青年が日本侵略下の海南島で具体的にどのようなことをさせられたのかについて、具体的に述べようとしていない。この論文で、鄭麗玲は、日本軍と戦う人たちを、しばしば「土共」「土匪」と表現しており、「敵」と表現していることもある。
鄭麗玲は、「台湾兵」とされていた人たちから聞きとりを重ねており、この論文でも証言を「資料」としているが、証言の客観性をほとんど検証していない。
鄭麗玲は、この論文で、日本政府・軍が海南島を侵略するという方針を1936年9月の「北海事件」のさいにだしていた、という重大な事実を示している。
佐藤正人