三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「ベトナム戦争当時韓国軍による民間人虐殺裁判で参戦軍人が証言台に」

2021年09月15日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/41121.html
「The Hankyoreh」 2021-09-15 07:06
■ベトナム戦争当時韓国軍による民間人虐殺裁判で参戦軍人が証言台に

【写真】昨年4月21日、民主社会のための弁護士会のベトナムTF関係者らがソウル中央地裁前でベトナム戦争当時韓国軍による民間人虐殺国家賠償請求訴状の提出に関する記者会見を行っている/聯合ニュース

 ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺被害者が韓国政府を相手取って起こした国家賠償訴訟に、参戦軍人が証人として出席する。当時派兵された韓国軍がベトナム戦民間人虐殺に関連する裁判に出席するのは初めて。
 ソウル中央地裁民事68単独のパク・ジンス部長判事は、14日に開かれた民間人虐殺被害者グエン・ティ・タンさんの国家賠償訴訟の3回目の裁判で、ベトナム戦争に派兵された青龍部隊1大隊1中隊に所属する軍人だったR氏を証人に採択すると明らかにした。原告側の証人申請を受け入れたのだ。
 これに先立ち、R氏は2018年4月に開かれた「ベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷」で、匿名の動画を通じて「フォンニィ・フォンニャット事件」に対する具体的な情況を明らかにした。「フォンニィ・フォンニャット事件」は1968年2月、韓国軍青龍部隊がベトナムのクアンナム省ディエンバン市(当時ディエンバン県)フォン二ィ村の住民70人余りを殺害した事件を指す。当時8歳だったグエン・ティ・タンさんは青龍部隊1大隊1中隊の軍人に左のわき腹を撃たれて重傷を負い、一命は取りとめたが、現在も後遺症に苦しんでいる。この事件で彼女の家族5人が命を失い、当時14才だった兄は大けがをした。
 R氏は今年7月に国会で開かれた「ベトナム戦争時の韓国軍隊による民間人被害事件調査に関する特別法」制定のための懇談会で、顔と名前を公開し、「身を隠せなかった女性や高齢者を全員田んぼの中に集め、その過程で現場で射殺した民間人もいた」と打ち明けた。
 グエン・ティ・タンさん側は、R氏のほかにも韓国軍の民間人虐殺事件に対する米軍の監察報告書原本を米国からコピーしたカン・ソンヒョン聖公会大学教授と、「ハンギョレ21」でベトナム戦参戦軍人をインタビューしたコ・ギョンテ、ファン・サンチョル記者も証人として申請した。
 韓国政府側はR氏に対する証人申請は拒否しなかったが、記者らに対する証人申請には否定的な反応を示した。政府側は「あまりにも古い事件なので証人が高齢であり、その過程で記憶が歪曲されたり、軍隊単位で作戦していた場所で一人が見聞きできる範囲が限られているため、R氏の証言を補完できたり、他の要素を話すことができる部分があるか検討する」としながらも、「参戦軍人をインタビューした記者たちと在韓米軍監察報告書原本を確認したカン教授に対する証人尋問が客観化されるか疑問」だと述べた。
 これにより、早ければ11月16日に開かれる裁判でR氏に対する証人尋問が行われる予定だ。

チョ・ユニョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1011741.html
韓国語原文入力:2021-09-14 20:05
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本の皇居に爆弾を投げた金祉燮の「獄中からの手紙」、韓国の国家文化財に」

2021年09月07日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/41033.html
「The Hankyoreh」 2021-09-07 06:28
■日本の皇居に爆弾を投げた金祉燮の「獄中からの手紙」、韓国の国家文化財に
 弟には投獄された同志の安否を尋ね 
 妻には「面会に来るな」

【写真】1928年に金祉燮義士が弟のキム・ヒソプに送った手紙。同年、彼は日本の監獄で死亡した=文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 東京の皇居に爆弾を投げ、獄中で殉国した金祉燮(キム・ジソプ、1884~1928)義士の手紙が韓国の公式な文化財になる。
 文化財庁は6日、金祉燮義士が獄中から家族に送った4通の手紙と、1908~1913年に大韓帝国皇室の後援で工芸品を作った「漢城美術品製作所」の銀製盒(ふた付きの鉢)、朝鮮戦争時に済州島に建てられた陸軍第1訓練所の正門の柱を近代文化財に登録すると予告した。

【写真】金祉燮義士=独立記念館提供//ハンギョレ新聞社

 義烈団員だった金祉燮義士の手紙は、1924年1月5日に東京の皇居入り口の二重橋に3発の手榴弾を投げて投獄され、獄中から弟のキム・ヒソプと妻のクォン・ソッキに送られたものだ。当時の抗日志士の内面世界をうかがえる貴重な史料と評価される。弟に送られた3通の手紙では投獄された同志の安否を尋ねたり家族を心配したりしており、妻への手紙には面会に来ないようにと諭す内容がある。

【写真】漢城美術品製作所で作られた銀製盒。大韓帝国の皇室を象徴する梨花文様が刻まれている=文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 漢城美術品製作所が制作した銀製盒には、大韓帝国皇室の象徴である梨花の文様が刻まれている。文化財庁は「伝統工芸が鋳物や圧縮技法などの使用で近代的な製品へと変化していったことを端的に示す作品」と説明した。漢城美術品製作所は李王職美術品製作所(1913~1922)、朝鮮美術品製作所(1922~1937)と名を変え、日本による植民地末期まで続いた韓国近代名品工芸の産室だ。

【写真】済州島の朝鮮戦争関連遺産である旧陸軍第1訓練所正門の柱=文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 済州島の旧陸軍第1訓練所正門の柱は、2008年に文化財に登録された指揮所とともに、済州島に残されている代表的な朝鮮戦争関連遺産だ。玄武岩や貝殻などの島の地域的特色のある建築材料が使われているのが特徴だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1010592.html
韓国語原文入力:2021-09-06 11:35
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「「受けたのはコメ30袋だけ」韓国に訴訟を起こしたベトナム戦被害者の涙」

2021年08月26日 | 韓国で
https://japanese.joins.com/JArticle/282187?servcode=200&sectcode=210
「中央日報日本語版」 2021.08.24 07:17
■「受けたのはコメ30袋だけ」韓国に訴訟を起こしたベトナム戦被害者の涙

【写真】ベトナム中部フォンニィ・フォンニャット村の生存者、グエン・ティ・タンさん(61)[写真 韓国・ベトナム平和財団]

 ベトナム戦当時、派兵韓国軍に被害を受けたという村の生存者が韓国裁判所に被害補償訴訟を提起したとニューヨークタイムズ(NYT)が21日(現地時間)、ソウル発記事で伝えた。
 NYTはこの記事で「韓国軍が村に来て母、姉、弟や親戚など5人を失った」というベトナム中部のフォンニィ・フォンニャット村の生存者グエン・ティ・タンさん(61)の話を伝えた。また、現在の韓国政界と一部の市民団体が民間人被害事件を調べるための特別法制定を進めていると報じた。
 グエンさんは「韓国軍がわが村に来たあの日の悪夢から抜け出せずにいるが、韓国政府はわが村を訪問したこともなく、何があったのかも尋ねなかった」と話した。
 韓国はベトナム戦争当時、32万人の兵力を派兵した。韓国軍は強い軍規と戦闘力で武装した米軍以上の戦果を上げたりもしたという評価を得ている。NYTは韓国軍が留まった席には乳飲みの子豚も生き残ることができなかったことで有名だったと伝えた。
 ただ、現地では韓国軍に民間人まで殺害されたという主張が提起されたりした。NYTが伝えた当時、米軍の調査によると、米軍海兵隊や南ベトナム民兵隊はクアンナム省のディエンバンで作戦中に、フォンニィ・フォンニャット村で小屋が火に焼けることを見て該当村へ向かった。韓国軍に負傷して逃げる民間人を助けたりもした。また、フォンニィ村に到着して頭に銃を撃たれた子どもや妊産婦、まだ生きているままで胸が切られた女性などを含んで遺体の山を発見した。調査団の中で1人はこの姿を写真で残した。70人以上の村の人々が亡くなったと推定される。
 1968年4月米軍捜査官は「戦犯である可能性がある程度ある」という結論を下し、ベトナムに駐留中だったチェ・ミョンシン中将(1926~2013)に関連内容を問い合わせした。チェ将軍は「虐殺は共産主義者などが装ったこと」と反論した。
 しかし、参戦したリュ・・ジンソンさんは「ベトナム戦参戦海兵隊は(韓国軍に害を与えた)小さい火災でも発生すれば、発源地を追跡して発見されたすべてのものを破壊し、非武装の民間人を含んで敵に恐怖心を与えよとの命令があった」と主張した。リュさんは当時、村に武装した男性はいなかったとも打ち明けた。
 機密解除された米軍文書で米海兵隊捜査官のジョン・カンパネラ少佐は「この事件の犠牲者は無防備状態の民間人で、ほとんどが女性や子どもだった」と明らかにした。また「死亡者とケガ人の遺族をなだめるために謝罪の意を伝え、2月18日にお見舞いの名目でコメ30袋を渡した」と伝えた。NYTは、「ベトナムの生存者は正義を望んでいるが、彼らが受けたのはコメ30袋だった」と伝えた。
 NYTは韓国とベトナム政府いずれも被害者が発生したこの事件の解決に積極的でないと指摘した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が2018年ハノイを訪問した当時、「不運な過去に対する遺憾」を表明したが、公式的な謝罪はしていないということだ。NYTは「文大統領の遺憾表明は生存者をほぼ慰めることができなかった」とし、「グエンさんと他の生存者が文大統領に送った嘆願書には『韓国政府と役人らは生存者に謝罪を望むのか尋ねなかった。われわれは謝罪を望んでいる』と書かれている」と伝えた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「在日同胞留学生スパイ団」を捏造した国家権力を告発

2021年08月23日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/40884.html
「The Hankyoreh」 2021-08-21 12:48
■[レビュー]「在日同胞留学生スパイ団」を捏造した国家権力を告発
 ドキュメンタリーインサイト「スパイ」編 
 ファン・ジンミ|大衆文化評論家

【写真】ドキュメンタリーインサイト「スパイ」編=KBS提供//ハンギョレ新聞社

 19日、光復節特集企画として番組『ドキュメンタリーインサイト』の「スパイ」編が韓国放送1(KBS1)で放送された。1970年代に韓国に留学した在日同胞の中には、中央情報部によってスパイの濡れ衣を着せられた人たちがいた。代表的な事件として、1975年11月22日に大々的に発表された「学園浸透スパイ団事件」がある。21人のスパイが検挙されたが、そのうち10人余りが在日同胞だった。このほかにも大小の捏造事件があったが、このようなスパイ事件に巻き込まれた在日同胞の数は100人余りにのぼる。在日同胞留学生スパイ捏造事件の被害者らは「在日韓国良心囚同友会」を結成し、2015年に再審運動を行った。彼らのうち30人以上が再審を申し立て、40年ぶりに再審法廷で続々と無罪を言い渡された。40年間の濡れ衣が晴らされる瞬間だった。当時の事件と被害者について記録した本がある。キム・ヒョスン氏は2015年に『祖国が棄てた人びと:在日韓国人留学生スパイ事件の記録』(日本語翻訳版:2018年刊行)を出版したが、同氏は民青学連事件で重刑を言い渡されたジャーナリストで、今回のドキュメンタリー「スパイ」編でプレゼンテーションを担当した。

 2015年当時に作られたドキュメンタリーもある。プロデューサーのチェ・スンホ氏は「ニュース打破」で『祖国が棄てた人びと』というドキュメンタリーを制作した。翌年公開されたドキュメンタリー映画『自白』では、ソウル市公務員スパイ捏造事件を扱い、過去にあった在日同胞スパイ団事件を扱った。こうしたコンテンツはあったが、依然として在日同胞スパイ団事件は韓国社会ではあまり知られておらず、遠い話だ。本やドキュメンタリーも関心のある少数だけが探してきて見るだけだ。2015年よりも事件に対する社会的関心は低下した。朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代に起きた捏造事件に対する暴露は、朴槿恵(パク・クネ)政権当時には有効な政治的関心を引き出せたが、朴槿恵政権弾劾後は興味がさめていくのは避けられなかった。たとえば、ドキュメンタリー『自白』が公開された当時は、まだキム・ギチュンは「悪党」として話題にのぼっていたが、いまでは彼は忘れ去られた存在だ。映画の出来栄えとは関係なく「あの時、あの人たち」が持っていた波及力を、『南山の部長たち』には期待できないのも同じ理由からだ。いうなれば、いま在日同胞スパイ団事件は、過去の事件をタレントたちが語る形式のテレビ番組などで一種の近現代史として扱うような話にすぎず、8・15特集ドキュメンタリーとして扱う話なのかは多少曖昧な面がある。むしろ「チャンネルA」の『いま会いに行きます』で、2000年代に起きた「黒金城事件」(1997年の大統領選で金大中(キム・デジュン)候補を落選させるために安全企画部が主導した北朝鮮関連工作のうちの一事件)を立体的に扱ったものの方がはるかに興味深く、ホットな政治性を持つといえる。
 にもかかわらず、光復節特集で在日同胞留学生スパイ団事件を扱ったことに意味がある。まずは全国民を対象に国営放送であるKBSがこの事件を公式に伝えたことだ。番組の途中に挿入された文在寅大統領の謝罪シーンは、2015年に作られたコンテンツとは差別化される部分だ。文在寅大統領は2019年に大阪で開かれた在日同胞懇談会で、被害者らに対し国を代表して謝罪した。これで過去清算の一つのピースがはめられたことになる。
 番組のもう一つの意味は、清算すべき過去に対する境界線を違ったかたちで設定する観点を示したという点だ。つまり、光復節を迎え日本統治の残虐像を描いたり、独立運動史に照明を当てたり、解放後に日本に残っている在日朝鮮人に対する差別を描く従来の方式ではなく、韓国政府が在日同胞に行った拷問と蛮行を見せたということに注目する必要がある。これは、日本対韓国という民族を境に境界線を引く方式ではなく、日本であれ韓国であれ、誤った国家権力対人権という新たな境界線を想起させるものである。
 「スパイ」編で、被害者たちは日本で生まれ育ったが自分は日本人ではなく朝鮮人であるという民族的アイデンティティに気づき、韓国をより深く学び、その後韓国社会と日本社会に貢献しようという若き夢を抱いて韓国に留学したところで惨事に遭う。日本で比較的自由に北朝鮮に関する情報に接しながら暮らしていた彼らは、韓国で訳も分からぬまま逮捕され、拷問を受け、嘘の供述をしたためにスパイの濡れ衣を着せられた。彼らの苦痛は家族にもむごい傷を負わせた。婚約者もスパイほう助容疑で逮捕され懲役に服すことになり、彼らに期待をかけて学業を支えてきた家族はショックで倒れたり、韓国政府に脅迫されたり、同胞社会でスパイ家族というレッテルを貼られたりした。朴正煕政権は彼らをスパイとして捏造し、維新独裁に反対する学生デモはスパイ主導で起きた事件だとして追い込んだ。彼らを助けるために立ち上がったのは、日本の市民社会だった。事件が拷問によって捏造されたという疑惑を日本のメディアが暴露し、日本の弁護士たちがアリバイなどを問題視して弁論に乗り出した。彼らを救うために市民社会が救援会をつくって助力した。

 韓国の反共政権に踏みにじられた在日同胞と彼らを助ける日本の市民社会の構図は、これまで韓国で見慣れていた「民族を境にした加害と被害」という構図を揺るがす。その後も韓国社会はスパイ捏造事件の在日同胞被害者を支援することはなく、再審で相次いで無罪判決が下されても、キム・ギチュンら当時の加害者の謝罪と反省は伴わない。これは「歴史の清算」の声を誰に向けて出すべきかを考えさせる部分だ。
 番組は、キム・ヒョスン氏が当時の被害者たちを訪ね、証言を聞くかたちで構成されている。やや味気ない構成に物足りなさも感じる。当時、スパイ捏造がどのような脈絡で行われ、人民革命党事件、民青学連事件などとはどのような相関性を持つのか、また、金大中拉致事件や文世光(ムン・セグァン)事件(朴正煕大統領の夫人射殺事件)などを含め、当時の在日同胞社会はどう感じていたのかなどを幅広く扱えばよかったのではないかと惜しさが残る。1974年、戦争加害者としての痛烈な反省を込めて戦犯企業である三菱本社などに対する爆破事件を起こした日本の若者たちと、彼らを支援した日本の市民たちにスポットライトを当てたキム・ミレ監督のドキュメンタリー映画『狼をさがして』(韓国題『東アジア反日武装戦線』)とともに、狭い民族主義的な視点から抜け出すコンテンツとしておすすめしたい。

ファン・ジンミ|大衆文化評論家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1008522.html
韓国語原文入力:2021-08-20 18:43
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「英空母「クイーン・エリザベス」所属打撃群の原潜が釜山に入港」

2021年08月16日 | 韓国で
https://japanese.joins.com/JArticle/281840?servcode=200&sectcode=220
「中央日報日本語版」 2021.08.12 11:42
■英空母「クイーン・エリザベス」所属打撃群の原潜が釜山に入港

【写真】英海軍の空母「クイーン・エリザベス」(CVA-01) [英国海軍]

 英国の空母「クイーン・エリザベス」(6万4000トン級)を旗艦とする英空母打撃群所属の原子力潜水艦「アートフル」が釜山(プサン)に入港した。
 韓国海軍が12日に明らかにしたところによると、アートフルは今月末の空母クイーン・エリザベスの釜山海軍基地訪問を控え11日午前に釜山海軍作戦司令部港に先に到着した。
 アートフルはここで軍需品を積み込んで装備を点検する計画だ。新型コロナウイルスの状況により乗組員を対象にしたPCR検査が行われている。
 一方、インド太平洋地域での演習に向け5月に英国を離れた空母クイーン・エリザベスは最近グアム米軍基地に到着し、今月末には国防協力増進などに向け釜山海軍基地を訪問する予定だ。


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40804.html
「The Hankyoreh」 2021-08-14 07:09
■韓国初の3000t級潜水艦「島山 安昌浩艦」就役…敵を不意打ちできるSLBM搭載
 世界8番目の3000t級潜水艦保有国に

【写真】韓国が独自に設計・建造した3000t級の島山安昌浩艦(トサンアンチャンホ ハム)の乗組員が両舷に並び就役式の記念撮影をしている=韓国海軍提供//ハンギョレ新聞社

 韓国が独自技術で設計・建造した海軍初の3000t級潜水艦「島山安昌浩艦(トサンアンチャンホ ハム)」(KSS-3)が13日就役した。海軍は公式に確認していないが、この潜水艦には敵を不意に威嚇可能なため“ゲーム チェンジャー”と言われる潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)が6機も搭載されていて、朝鮮半島有事時には重要な“戦略的役割”を担うことになると見られる。
 海軍はこの日報道資料を出し「この日午前、慶尚南道巨済(コジェ)の大宇造船海洋玉浦造船所で、ヤン・ヨンモ潜水艦司令官、パク・トゥソン大宇造船海洋造船所長らが参加した中で潜水艦の引き渡しと就役式を進めた」と明らかにした。
 この日の行事でヤン・ヨンモ司令官は「島山安昌浩艦は海洋強国大韓民国を後押しする強い海軍力の象徴であり、核心軸であり、海に向けた私たちの夢とビジョンを明らかにする戦略資産」と紹介し、「存在するだけでも脅威を与える強固な“戦略的あいくち”となり、私たちの海を強固に守るだろう」と話した。島山安昌浩艦は今後1年間、戦力化訓練を通した作戦遂行能力評価を経た後、2022年8月頃に実戦配備される予定だ。この日艦艇の引き渡しが終わった直後に、島山安昌浩艦のマストには正式就役を知らせる就役旗が掲揚された。
 この日ヤン司令官が明らかにした通り、3000t級の潜水艦は海軍がこれまで運用してきた他の潜水艦とは質的に異なる戦略的意味を持つ。敵に不意に脅威を与え、場合によっては“2次攻撃”を加えられる潜水艦発射弾道ミサイルを搭載できるためだ。こうした戦略的重要性のためか、北朝鮮も2019年7月に3000t級と見られる潜水艦の外観を公開し、同年10月初めには「自衛的国防力強化の一大事変」と称した潜水艦発射弾道ミサイル「北極星-3型」発射を試み成功した。既存の海軍が運用してきた張保皐-1(張保皐艦)と張保皐-2(孫元一艦)はそれぞれ1200t級と1800t級だった。
 島山安昌浩艦は長さ83.5m、幅9.6m、水中最大速力は20ノット(時速37キロメートル)であり、搭乗人員は50人余りだ。海軍はこの艦の戦略的意味について「機雷、魚雷、誘導弾など多様な武装が搭載でき、地上の核心標的に対する精密打撃能力を保有し、有事の際には戦略的打撃任務も遂行できる」という程度の言及にとどめた。島山安昌浩艦の就役により、韓国は米国・英国・フランス・日本・インド・ロシア・中国に続き8番目の3000t級以上潜水艦の独自開発国になった。
キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1007583.html
韓国語原文入力:2021-08-13 13:29


https://japanese.joins.com/JArticle/281840?servcode=200&sectcode=220
「中央日報日本語版」 2021.08.12 11:42
■英空母「クイーン・エリザベス」所属打撃群の原潜が釜山に入港

【写真】英海軍の空母「クイーン・エリザベス」(CVA-01) [英国海軍]

 英国の空母「クイーン・エリザベス」(6万4000トン級)を旗艦とする英空母打撃群所属の原子力潜水艦「アートフル」が釜山(プサン)に入港した。
 韓国海軍が12日に明らかにしたところによると、アートフルは今月末の空母クイーン・エリザベスの釜山海軍基地訪問を控え11日午前に釜山海軍作戦司令部港に先に到着した。
 アートフルはここで軍需品を積み込んで装備を点検する計画だ。新型コロナウイルスの状況により乗組員を対象にしたPCR検査が行われている。
 一方、インド太平洋地域での演習に向け5月に英国を離れた空母クイーン・エリザベスは最近グアム米軍基地に到着し、今月末には国防協力増進などに向け釜山海軍基地を訪問する予定だ。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210812002000882?section=news
「聯合ニュース」 2021.08.12 12:11
■英最新鋭空母群所属の原子力潜水艦 韓国・釜山に入港
【ソウル聯合ニュース】今月末に韓国南部・釜山に寄港予定の英最新鋭空母「クイーン・エリザベス」(6万4000トン級)を中心とする空母打撃群(船団、CSG)所属の原子力潜水艦「アートフル」が11日、釜山に入港した。韓国海軍が12日、伝えた。

【写真】釜山に入港した英原子力潜水艦「アートフル」=12日、釜山(聯合ニュース)

 アートフルはここで軍需品を積み込み、装備を点検する計画だ。
 空母打撃群に所属する潜水艦は、航海中に空母を護衛したり、事前点検をしたりするためにあらかじめ運航される。
 新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、アートフルの乗組員にはPCR検査が行われている。
 先ごろグアムに到着したクイーン・エリザベスは、国防協力推進などのため、今月末に釜山の海軍基地に寄港するとみられる。
 国防部の夫勝チャン(プ・スンチャン)報道官は12日の定例会見で、「現在1隻が軍需積載と乗組員の休息のために(海軍の)釜山作戦基地に入港している」とし、「入港期間中に防疫当局と緊密に協力し、新型コロナ防疫対策を行う予定だ」と述べた。
 また、韓国海軍との活動は計画されていないとして、空母打撃群の入港に関する詳細は韓英両国が協議中だと説明した。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朝鮮戦争当時の民間人虐殺現場の「巨大な墓」…数百柱の遺骨、入り乱れて発見」

2021年08月12日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40789.html
「The Hankyoreh」 2021-08-12 07:54
■[ルポ]朝鮮戦争当時の民間人虐殺現場の「巨大な墓」…数百柱の遺骨、入り乱れて発見
 最大の民間人虐殺地「大田山内コルリョン谷」 
 軍と警察が無差別に7千人以上を集団射殺したものと推定 
 30~180メートルの穴から約700柱の遺骨を発掘 
 子どものものと見られる奥歯も発見

【写真】今月6日、大田山内虐殺犠牲者遺骨発掘団の研究員たちがコルリョン谷の現場で遺骨発掘作業を行っている=発掘団提供//ハンギョレ新聞社

◆脛骨、骨盤、頭蓋骨、歯…。
 71年の歳月の間に白骨化した数多くの骨片が建物の床を埋め尽くしていた。朝鮮戦争当時の代表的な民間人集団虐殺地である大田(テジョン)の山内のコルリョン谷(郎月洞13番地一帯)から出た遺骨だ。
 今月10日に訪れたコルリョン谷の遺骨発掘現場で会った研究員たちは、6月1日から今月6日までの2カ月間、新たに発掘された骨を種類別に分類する作業を行っていた。キム・テイン研究員は「予想以上に多くの遺体が発掘され、調査する時間が足りない。だけど、供養する気持ちで全力を尽くしている」と語った。

◆最も多くの遺品は「白いボタン」
 遺骨の分類作業が行われている建物の裏側に回ると、発掘のために長く掘られた穴が目に入った。穴の中には発掘を待っている大腿骨が見えた。その隣には破損した臀部の骨もあった。キム・ギヒョン研究員は「遺骨が混ざっており、脚の骨と臀部の骨が同じ人のものかどうかは分からない。文化財発掘の時よりも敬けんな気持ちで臨んでいる」と話した。穴の中からは遺骨だけでなく、弾皮や弾頭、靴底なども発見された。最も多い遺品は「当時の大田刑務所の囚人服のボタンとみられる」(キム・ギヒョン研究員)白いボタンだった。

【写真】大田山内虐殺犠牲者の遺骨発掘作業を行っているチェ・ジュン研究員が、発見された遺骨について説明している=チェ・イェリン記者//ハンギョレ新聞社

 コルリョン谷は朝鮮戦争勃発直後の1950年6月28日~7月17日、大田刑務所に収監されていた服役者と大田・忠清南道地域で左翼とされた民間人が集団虐殺され埋められた場所だ。1992年12月末に解除された米国秘密文書が公開され、世間に広く知られた。第1次虐殺(6月28~30日)で約1400人、第2次虐殺(7月3~5日)で約1800人、第3次虐殺(7月6~17日)で約3800人など、約7千人が軍と警察によって無差別に集団射殺されたものと推定される。彼らが埋められた30~180メートルの穴8カ所を繋ぐと、長さがなんと1キロメートルに達するという。

◆明らかになった児童虐殺
 長い間、言及することさえタブー視されてきたコルリョン谷集団虐殺は、2007年に真実・和解のための過去事整理委員会主導の初めての発掘で遺骨34柱が発掘され、日の目を見た。市民社会団体や遺族会、専門家などで構成された「朝鮮戦争期民間人虐殺犠牲発掘共同調査団」も、2015年に12柱の遺骨を発掘した。
 行政安全部(行安部)と大田東区庁の主管の下で行われた昨年の3回目の発掘では、234柱の遺骨が発見された。今年は6月から9月までをめどに、3つのチームに分かれ1320平方メートルの範囲で遺骨発掘作業が行われているが、これまで450~500柱が見つかった。今年の発掘現場には200人近いボランティアも参加し、現場で土を運ぶなど作業を手伝った。

【写真】大田山内虐殺犠牲者遺骨発掘作業を統括するパク・ソンジュ責任研究員(忠北大学考古美術史学科名誉教授)が今月10日、発掘現場の隣にある仮設建物で発掘された遺骨の特徴について説明している=チェ・イェリン記者//ハンギョレ新聞社

 遺体発掘作業を統括するパク・ソンジュ責任研究員(忠北大学考古美術史学科名誉教授)は「鑑識で他の骨より小さい骨が見つかったが、未成年者のものなのか、女性のものなのか、それとも体の小さい男性のものなのか、解剖学的知識とDNA検査により確認できる。未成年者の遺骨の場合、奥歯が完全に成長していないものも見られる」とし、「いくつかの証言と資料を通じて犠牲者の中に未成年者と女性がいたという話もあったが、昨年の遺体発掘と鑑識でその話が事実だということが証明された」と述べた。また「今年も未成年者と女性のものとみられる骨が発掘された。コルリョン谷遺骨発掘は1950年、ここで何が起きたのかその真実を明らかにする資料になるだろう」と付け加えた。
 大田山内事件犠牲者遺族会のチョン・ミギョン会長は「遺骨が発掘される現場で胸が張り裂ける思いだった。あまりにも悲惨で、遺骨を見るに忍びなかった。遺骨が父なのかどうかはまだ分からないが、一人一人出てくるたびに父のような気がして、胸が痛んだ」と語った。
 今回発掘された遺骨は2024年にコルリョン谷に建てられる平和慰霊公園「真実と和解の森」に安置される予定だ。

チェ・イェリン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/chungcheong/1007287.html
韓国語原文入力:2021-08-12 02:40
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「韓日の歴史和解に努めた日本の市民団体、韓国史教科書に紹介」

2021年08月04日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/39611.html
「The Hankyoreh」 2021-04-06 06:47
■韓日の歴史和解に努めた日本の市民団体、韓国史教科書に紹介
 勤労挺身隊市民の会「8種中3種が含む」 
 「日本の市民団体の努力・活動紹介は初めて」

【写真】韓国の高等学校用韓国史教科書8種のうち3種に日本の市民団体の活動が含まれた=勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 韓国史の教科書に韓日間の歴史和解のために努力する日本の市民団体の活動が紹介された。日本の市民団体の活動が韓国の高等学校の韓国史教科書に具体的に紹介されたことは初めてだ。
 5日に「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」が分析した結果、昨年検定を通過した韓国の高校の韓国史教科書8種のうち3種に「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」、「第二次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会」など日本の市民団体の活動が含まれた。
 「ヘネムエデュ」版の韓国史教科書には「韓国と日本を近づける人と努力」というタイトル(312ページ)で「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(以下、名古屋訴訟支援会)を紹介している。この団体は、太平洋戦争の時に強制動員された朝鮮女子勤労挺身隊(以下、勤労挺身隊)の女性たちが日本の三菱重工業を相手に起こした損害賠償請求訴訟を支援している日本の市民団体だ。教科書には、この団体が韓国に暮らす被害者の人々の訴訟費用や航空運賃、滞在費を支援するなど、名誉回復と被害救済のために努力した活動が載っている。また、2017年に共同代表の高橋信さんなどが光州市(クァンジュシ)名誉市民証を受けた事実も写真と共に伝えた。
 「東亜出版」版の韓国史教科書にも「歴史和解のための多様な努力」というタイトル(302ページ)で、ドイツ、南アフリカ共和国、カナダの事例とともに日本の名古屋訴訟支援会が紹介された。教科書には、1998年に結成されたこの団体が毎週金曜日に強制動員に対する謝罪と賠償を促す「金曜行動」を行なっていることも強調している。また「天才教育」版の韓国史教科書も「葛藤の解消と平和定着のための努力」というタイトル(312ページ)で、2012年に韓国の「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」と、日本の「北陸連絡会」の会員たちが東京の戦犯企業の前で共同で開いた集会を紹介している。

【写真】名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会の高橋信共同代表=資料写真//ハンギョレ新聞社

 日本の市民団体による歴史和解のための活動が、韓国の高校の韓国史教科書に紹介されたのは初めて。日本政府が自国中心の歴史観により、歴史的事実までありのままに記述しなかった教科書を検定通過させたのとは対照的だ。「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」のイ・クゴン常任代表は「高校の韓国史教科書には、韓日の対立的観点よりは普遍的価値としての人権と歴史和解に焦点を合わせた内容が含まれたことに格別の意味がある」と話した。名古屋訴訟支援会事務局長の小出裕さんも「今回のニュースが私たちの団体の活動には大きな激励になると思う。韓日市民団体との連帯が一層進展することを切に望む」とイ常任代表を通じて伝えた。
 一方、韓国政府は、先月30日に日本が独島領有権主張を強化し、日本軍「慰安婦」問題の叙述を縮小した高校教科書検定を承認したことに対し強く糾弾し、即刻是正を求めた。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/area/honam/989635.html
韓国語原文入力:2021-04-05 11:43
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「麗水・順天事件特別法が可決… 国家暴力の犠牲者と遺族、「73年の痛恨」晴らす」

2021年07月05日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40422.html
「The Hankyoreh」 2021-06-30 09:17
■麗水・順天事件特別法が可決…国家暴力の犠牲者と遺族、「73年の痛恨」晴らす

【写真】共に民主党のソ・ビョンチョル議員が29日、国会本会議で、麗水・順天事件真相究明および犠牲者の名誉回復に関する特別法案処理に先立ち賛成討論をしている/聯合ニュース

 大韓民国政府樹立の初期に民間人の多くが国家暴力の犠牲になった麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件の真相が、事件から73年目にして明らかにされるようになった。
 国会は29日に本会議を開き、在籍議員231人のうち賛成225人、反対1人、棄権5人で「麗水・順天10・19事件真相究明および犠牲者の名誉回復に関する特別法」(麗水・順天事件特別法)を可決した。73年間、反共主義に押さえつけられ痛恨の歳月を送った犠牲者と遺族が無念を晴らす道が開かれた。
 麗水・順天事件特別法は、同事件を「麗水に駐屯していた国防警備隊14連隊が、済州4・3事件の鎮圧命令を拒否して蜂起した1948年10月19日から、智異山(チリサン)への入山禁止措置が解除された1955年4月1日まで、麗水と順天を含む全羅南道・北道と慶尚南道の一部地域で起きた武力衝突と、この過程で民間人多数が犠牲になった事件」と明示し、真相究明と被害者の名誉回復を定めた。このため、首相所属の「麗水・順天10・19事件真相究明および犠牲者名誉回復委員会」(名誉回復委)が設置され、名誉回復委は2年間真相調査を行った後、6カ月以内に真相調査報告書を発刊する。名誉回復を望む麗水・順天事件の犠牲者と遺族は、名誉回復委が設置された後、1年以内に被害内容を届け出て調査に応じればよい。
 これに伴い、国家は慰霊墓域と公園を作り、史料館と慰霊塔を建てるなど記念事業を推進する。特別法は公布6カ月後に施行され、名誉回復委の活動は来年初めから本格化するものとみられる。
 麗水・順天事件特別法は2001年の第16代国会から4回発議されたが、毎回会期終了とともに自動廃棄されていた。第21代国会に入り、昨年7月に議員152人が再び発議し、国民の力がこれまで反対していた態度を変えたことで、国会を通過した。麗水・順天事件遺族会は「法制定が遅れ遺族でさえ高齢になった状況を考慮し、速やかに真相究明と名誉回復を推進してほしい」として歓迎した。
キム・ヨンヒ、アン・グァノク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/area_general/1001462.html
韓国語原文入力:2021-06-30 02:30


http://japan.hani.co.kr/arti/PRINT/34744.html
「The Hankyoreh」 2019-10-25 01:27
■[インタビュー]「国家暴力の麗順事件被害者たち、恨みを秘めた証言のたびに号泣」

【写真】昨年から順天大学の麗順研究所長を務め「麗順抗争」被害者の証言の採録作業を進めているチェ・ヒョンジュ教授=写真・順天大学提供//ハンギョレ新聞社

 「国家暴力による無念の死、その後遺族が負った傷と苦痛を、歴史に一行でも残さなければならないと思います」。
 順天大学麗順研究所長のチェ・ヒョンジュ教授(53・国語教育学科)は、麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件(麗順事件)71周年を二日後に控えた17日、複雑な心境で口を開いた。麗順研究所は2014年にセンターとしてスタートし、昨年研究所として正式に発足した。彼は所長についてから2年間、麗順抗争の証言を採録して発行する作業を率いている。5月に遺族14人の口述を収録した初の証言集『おれは罪がないから大丈夫だよ』が出た。まずは1000部の非売品として発刊した。さらに、来年初めに発刊する2冊目の証言集を準備している。

 昨年から麗水・順天の遺族らと会い 
 初の証言集『おれは罪がないから大丈夫だよ』 
 「70年余り強要された『沈黙』、聞くだけでも治癒に」 
 軍警の遺族、目撃者、公務員なども採録 
 「事件の実態」に接近…歴史的記録が「重要」 
 「特別法の制定を急ぎ、国が担うべき」

【写真】麗順研究所が発行した初の証言集『おれは罪がないから大丈夫だよ』の表紙//ハンギョレ新聞社

 「麗順抗争はいまだに『反乱』という烙印を押されたままです。公式の歴史もそうですが、国民の視線も同じです。遺族は今まで心の傷を表に出すことができないまま、息を殺して生きてきました。長い間大学の垣根の中で地域住民の苦痛に背を向けてきたのではないか、という自責の念と反省から採録を始めました」
 チェ教授は昨年から研究員7人と共に録音と映像、写真などで採録をしている。講義と研究を並行し、遺族130人余りの口述を記録した。これをまとめた報告書を出し、大衆が共感できる内容を選んで2冊目の証言集に入れる予定だ。被害地域があまりにも広く、遺族の証言を採録するだけで4~5年はさらにかかるものと予想される。
 「遺族は恨みを秘めた証言をしながら涙を流すのが常で、採録者も一緒に泣くことが多いです。口述を終えた遺族たちは、沈黙を強要されてきた人生の経歴がようやく少しは認められたようだと言って感謝してくれます。そのため、採録は個人史を公式の歴史に編入させる過程であり、遺族の痛みと傷を癒す過程だと思います」
 チェ教授は、3歳の時に両親がいずれも虐殺された後に生きのびた歳月があまりに辛酸に満ちていて「戻れといわれたら絶対に戻れない」という遺族のイ・スクチャさん、25歳の父親が妻に「冷えるから早く帰りな。おれは罪がないから大丈夫だよ」という最後の言葉を残して連行されて戻って来なかったという遺族チョ・ソンジャさんの事例を紹介し、「痛みのないストーリーは一つもない」と話した。
 「まず麗水と順天の遺族会員を中心に採録中です。今年からは村の里長に紹介してもらい対象を選んでいます。被害者だけでなく、軍人や警察の遺族、目撃者や公務員なども採録し、『事件』の実体に一歩近づこうと思います」
 チェ教授は70年以上麗順抗争に理念の束縛がかけられたために証言の採録作業も遅れたとし、焦る思いをのぞかせた。彼は「麗水の地域社会研究所が1990年代後半、順天の全南東部社会研究所が2000年代に入って採録に乗り出した。しかし予算・人材の限界のため中断し、その成果も出版までには至らなかった」と伝えた。
 チェ教授は国家レベルの証言採録が必要だとし、このための特別法制定を求めた。同じ国家暴力被害事件である「済州4・3」や「光州5・18」は特別法が制定されたとし、麗水・順天事件の特別法案を先送りしている政界に矛先を向けた。「採録事業は政府が法律的根拠、人材と予算を持って進めなければならないのに(やらないがために)地域の大学や市民団体が乗り出さなければならなくなっている」と吐露した。
 「権力者たちはまだ国家の主が国民であることを悟っていないようです。もっと遅くなる前に遺族の涙を拭わなければなりません。遺族も亡くなってしまったら、もう採録も治癒も不可能になりますから」。
 彼は、政府と国会が目をつむっているために麗順研究所がやらねばならないことが山積みだとも話した。彼は現代史研究を通じて国民の共感を得て、遺族の痛みを治癒する事業に力を注ぐと誓った。すぐには真相解明は難しいとしても、被害者の犠牲と不幸を癒し補償することをこれ以上先送りにはできないと強調した。
 19日に71周年を迎えた麗順抗争について、彼は「解放直後、民族的な階級的矛盾が衝突して発生した悲劇。他の事件より重層的な構造と多様な言説が存在する。民衆生存権、外勢干渉、左右衝突、南北統一など朝鮮半島を縛り付けている矛盾が解決される日、『麗順』は抗争や蜂起、統一運動の起源として再評価されるだろう」と述べた。
 チェ教授は、全南大学で博士号を取り、2004年から順天大学に在職している。地域研究に焦点を合わせた順天大学智異山圏文化研究院長を務め、現在、全国教授労組の光州全南支部長として活動している。

アン・グァノク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/914364.html
韓国語原文入力:2019-10-24 02:04
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「4年の訴訟で引き出した15文字…韓国政府の「ベトナム戦争虐殺記録」保有を確認」

2021年06月09日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/39664.html
「ハンギョレ新聞」 2021-04-10 07:27
■4年の訴訟で引き出した15文字…韓国政府の「ベトナム戦争虐殺記録」保有を確認
 民弁「さらなる情報公開を要求する予定」

 「チェ・ヨンオン釜山(プサン)、イ・サンウ江原、イ・ギドン・ソウル」。
 15文字。ベトナム戦争当時に行われた韓国軍によるベトナム民間人虐殺事件について、国家情報院が持つ情報を公開するよう命じた最高裁判所の判断により、国家情報院が5日に公開した内容だ。国情院が公開した内容は、ベトナム戦争に参戦した韓国軍青龍部隊の各小隊長3人の名と、中央情報部(国情院の前身)による調査当時に彼らが住んでいた地域名程度だ。リストにあった3人の生年月日などは非公開となった。
 民主社会のための弁護士会(民弁)の「ベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺真相究明のためのタスクフォース(TF)」所属のイム・ジェソン弁護士とキム・ナムジュ弁護士は9日、ソウル地方弁護士会で記者会見を開き、「今回の情報公開請求で初めて、韓国政府が保有するベトナム戦争での民間人虐殺の情報が確認された」とし、「国情院が自ら先んじてフォンニィ・フォンニャット村での虐殺について当時の将兵を対象として調査した記録の一切を公開することを要求する」と述べた。
 オンラインでこの日の記者会見に参加した民間人虐殺の被害者グエン・ティ・タンさんは「私が望むのは大きなことではない」とし「(韓国政府が)あの日、私たちの村で起きたことを認めることと、参戦軍人たちのただ一言の謝罪。今この瞬間もつらい心情を隠すことはできない」と語った。さらに「国情院には、最高裁の判決に従って誠意をもって関連情報を公開することを望む」と強調した。
 この日公開された文書リストは15文字に過ぎないが、イム弁護士らが2017年8月に情報公開請求を行ってから約3年8カ月を経てようやく得た「半分の勝利」だ。イム弁護士が情報公開を要求した内容は、1968年2月に韓国軍によって引き起こされたベトナムの「フォンニィ・フォンニャット事件」についての中央情報部による調査の内容が記録された文書のリストだ。
 これに関し、国情院側はこの日「最高裁の判決は、文書の内容ではなくリストを公開せよというもので、この判決に従って可能なものはすべて公開した」とし「今後訴訟などを通じて別の判決が下されれば、国情院はそれも受け入れる」と述べた。

【写真】「フォンニィ・フォンニャット事件」の被害者グエン・ティ・タンさんが9日、ソウル地方弁護士会で開かれた記者会見にオンラインで参加し「国情院には、最高裁の判決に従って誠意をもって関連情報を公開することを望む」と述べた=チョ・ユニョン記者//ハンギョレ新聞社

 「フォンニィ・フォンニャット事件」は、1968年2月に韓国軍の青龍部隊がベトナム中部クアンナム省のフォンニィ・フォンニャット村の住民74人を殺害した事件。事件発生後、フォンニィ・フォンニャット村の住民たちが1969年2月に韓国軍の責任を追及してベトナム共和国の下院議長に送った嘆願書には「韓国軍が急に村を襲い、目に入った者は誰でも捕らえてナイフで刺殺したり、非常に残忍に家族や知人の手足を切断したりするという行為を犯した」と記されている。
 中央情報部は同年11月に青龍部隊第1中隊の3人の小隊長ら中隊幹部を調査し、尋問調書や報告書などを残していたことが分かっている。3人の小隊長は「ハンギョレ21」とのインタビューで、「中央情報部の要員が『大統領が事実を調べるために(調査せよと)指示した』と言った」とし、「第1小隊と第2小隊が後退させた人を合わせれば70~80人程度になるだろう。中隊に報告して前進したら、後ろから銃声がした」と初の証言を行った。しかし情報公開請求前まで、国情院はベトナム戦争での民間人虐殺についての調査や資料保有の有無などについて、公式には明らかにしていなかった。
 情報公開拒否処分無効確認訴訟の一審と二審は「大韓民国政府が当該事件に関して関連者を調査したかどうかなどは、歴史的事実を確認する史料として意味があり、大韓民国政府を相手取って公式の謝罪や責任の履行を求めるなどの憲法上の表現の自由を行使することに寄与するものとみられる」との判決を下した。しかし国情院は「当該資料が公開されれば、国の重大な利益を著しく害する恐れがある」とし、「調査当事者のプライバシーが侵害される可能性がある」などの理由で公開を拒否してきた。これに対し、最高裁判所3部(主審:イ・ドンウォン最高裁判事)は先月11日、国情院の上告を審理不続行により棄却した。審理不続行とは、原審判断には問題がないと判断し、本案審理を行わずに上告を棄却する制度。
 一方、「フォンニィ・フォンニャット事件」の被害者グエン・ティ・タンさんが昨年4月に大韓民国を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の第2回口頭弁論は、今月12日に開かれる。
チョ・ユニョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/990373.html
韓国語原文入力:2021-04-09 13:19


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/39534.html
「ハンギョレ新聞」2021-03-26 11:09
■「ベトナム戦争での韓国軍による民間人虐殺資料を公開せよ」最高裁で最終判決

【写真】昨年4月21日、民主社会のための弁護士会(民弁)のベトナムTF関係者らがソウル中央地裁前でベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺国家賠償請求訴状に関する記者会見を行っている/聯合ニュース

 ベトナム戦争当時に行われた韓国軍の民間人虐殺事件と関連して、国家情報院(国情院)が持つ情報を公開すべきだという最高裁判所(大法院)の最終判断が出た。国情院は判決主旨に従って当該資料を公開すると明らかにした。
 最高裁3部(主審=イ・ドンウォン最高裁判事)は25日、イム・ジェソン弁護士が国情院を相手取って起こした情報公開拒否処分無効確認訴訟で、原告勝訴の判決を下した原審を確定したと発表した。これに先立ち、原審はイム弁護士が公開を要求した情報に対し、「大韓民国政府が虐殺事件に関して関係者を調査したかどうかなど、歴史的事実を確認できる史料として意味があり、公開する価値が認められる」と判断した。最高裁判所もこのような判断が正当だと見て、国情院の上告を審理不属行で棄却した。審理不履行とは、原審判断に問題がないとして、本案審理を行わず上告を棄却する制度だ。
 イム弁護士は2017年11月に訴訟を起こした後、今回の最高裁の判決まで約4年間、国情院と法廷で争わなければならなかった。イム弁護士が情報公開を要求したのは、1968年2月に韓国軍によって発生したベトナム「フォンニィ・フォンニャット村民間人虐殺」事件の中央情報部(国情院の前身)の調査内容が書かれた文書リストだ。一審と二審は情報公開が正当だと判決を下したが、国情院は「当該資料が公開されれば、国家の重大な利益を著しく害する恐れがある」とし、「調査当事者のプライバシーが侵害される可能性がある」などの理由で公開を拒否してきた。
 国情院は今回の判決によって関連情報を公開するという意思を明らかにした。国情院の関係者はこの日、ハンギョレの電話インタビューで「情報公開のための諸般の手続きが進められており、(関連手続きが)完了し次第、確定判決の趣旨に沿って処理する予定だ」と述べた。
 これによって、政府がこれまで沈黙してきたベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺事件の真相を究明する道も開かれるものとみえる。現在、ソウル中央地裁では「フォンニィ虐殺事件」被害者のグエン・ティ・タンさんが大韓民国を相手取って起こした損害賠償請求訴訟が進行中だが、政府は「被害の事実は信じられない」として、韓国軍の加害事実を認めていない。「フォンニィ・フォンニャット事件」とは、韓国軍青龍部隊がベトナム中部のフォンニィ・フォンニャット村の住民70人余りを殺害した事件を指す。中央情報部は1969年11月、各小隊長3人など中隊幹部を調査した後、尋問調書や報告書などを残していたことが分かった。イム・ジェソン弁護士は「(中央情報部の)調査文書リストを確認し、実際の文書内容も情報公開請求で明らかにする」と述べた。

チャン・イェジ、チョ・ユニョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/988297.html
韓国語原文入力:2021-03-26 08:02
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「4歳、懐には千ウォン札1枚…5・18光州抗争の「幼い無名烈士」の名は」

2021年06月02日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/39988.html
「The Hankyoreh」 2021-05-15 10:49
■4歳、懐には千ウォン札1枚…5・18光州抗争の「幼い無名烈士」の名は
 [土曜版]親切な記者たち

【写真】昨年11月19日、光州広域市北区の国立5・18民主墓地で、5・18真相究明調査委員会の調査官が遺伝子採取のために4歳と推定される無名烈士の墓を掘り起こしている=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 私には、光州広域市北区雲亭洞(プック・ウンジョンドン)の国立5・18民主墓地を訪問した時に必ず立ち寄る所があります。5つの無名烈士の墓(墓域番号4-90、92、93、96、97)と行方不明者の墓域(10墓域)です。故人の名前、生年月日、死亡した日、家族の名前などが墓碑に記された他の犠牲者の墓とは異なり、無名烈士の墓碑には「無名烈士の墓」という5つの文字と改葬された日付だけがぽつんと書かれています。行方不明者の墓は墳丘がなく、寂しい感じがします。「一体、この無名烈士はどこの誰で、どのように死んだために家族を見つけられなかったのだろうか」「行方不明者たちはどこにいるのだろうか」「まだ生きている人はいるのだろうか」。心の中の疑問がいつかは解消されればという思いから、無名烈士の墓と行方不明者の墓域を訪ねてしまうのです。
 こんにちは。5・18民主化運動など、主に光州地域のニュースを取材している全国部のキム・ヨンヒです。最近、光州では、5・18墓地に埋葬されている子どもの無名烈士に熱い関心が注がれています。41年ものあいだ寂しく横たわっている幼い亡骸が誰なのか、知っているような気がするという人が現れたからです。
 4-97番の無名烈士の墓には、家族を探し出せなかった4歳(5・18民主化運動当時。推定)の子どもが眠っています。墓域の端の方に位置するため、いっそう寂しく感じられる墓地でもあります。この子どもは1980年6月7日、光州市南区松岩洞(ナムグ・ソンアムドン)の山で、女性の服に包まれて密葬された状態で発見されました。子どもの懐には1枚の1000ウォン札がありました。当時、光州市役所社会課の公務員チョ・ソンガプさん(78)が住民の情報提供を受けて収拾し、望月洞(マンウォルドン)墓地(旧5・18墓地)に埋葬しました。同日の朝鮮大学病院の検死記録によると、この子どもは首に銃弾を受けて死亡し、死亡した時期は検死日の10~15日前(1980年5月23~28日)でした。検死記録には「死者を30代の女性が軍のジープに乗せてやって来て、孝徳洞(ヒョドクトン)にある仁星高校前の山に埋葬し、その車で帰っていった」とも記されていました。子どもの死に軍が関係していると推定できる内容です。

【写真】木浦科学大学のイ・ドンチュン教授が、1980年5月27日の朝、4歳ぐらいの男の子を抱いて軍のバスの車内に座っている=イ・ドンチュン教授提供//ハンギョレ新聞社

 1980年5月27日、旧全羅南道庁を守っていて戒厳軍に捕らえられた木浦科学大学のイ・ドンチュン教授(62)は、「最後の抗争の時に自分が連れていた子どもが、幼い無名烈士だと思う」と本紙に語りました。これまでは証拠がなかったため話せなかったが、1980年5月27日の朝に外信記者が撮ったと推定される映像で、自分が子どもを抱いて軍用バスに乗っている姿を見つけたというのです。
 映像の中の子どもは、赤い上着を着て不安そうに窓の外を見つめています。この様子は、いま旧全羅南道庁で行われている「外信記者ノーマン・ソープ 5・18特別写真展」(5月7日~7月31日)で展示されている写真でも確認できます。
 イ教授は「鎮圧作戦の際、戒厳軍に捕まって道庁の前庭に連れて行かれたのだが、先に来ていた2人の高校生の男女から4、5歳くらいの男の子を託された。バスに乗って尚武台(全羅南道・全羅北道戒厳軍指揮本部)の営倉に連れていかれ、分類審査を受けた際に憲兵に子どもを引き継いだ」と説明しています。イ教授はまた、「実弟が5・18当時に尚武台の憲兵だった知人から、『あの時、市民軍が抱いてきた子を覚えている。軍の兵舎で保護していた子どもが突然いなくなったので、軍が大慌てになった』と聞かされた」と語っています。
 本紙の報道以降、幼い無名烈士に関する情報提供もありました。ある50代の市民は、文化体育観光部の旧全羅南道庁復元推進団に連絡し、「報道された写真の中の子どもは、1980年5・18の際に赤い上着を着て出て行った弟と顔が非常によく似ている」と語っています。この市民は「当時、弟は小学校1年生だったが、小柄で4、5歳に見えた可能性がある」と付け加えています。復元推進団は5・18民主化運動真相究明調査委員会(調査委)と協議し、遺伝子が一致するかどうかを確認する計画です。

【写真】4歳の無名烈士の検死記録=資料写真//ハンギョレ新聞社
【写真】5・18当時、光州市役所の社会課に勤務していたチョ・ソンガプさんが、光州市南区の孝徳初等学校の向かい側から、4歳の子どもの遺体を収容した場所を指し示している=資料写真//ハンギョレ新聞社

 調査委は子どもの無名烈士について少し違う意見を提示しています。子どもを殺して埋めたという軍人の証言を得たからです。
 5・18で光州に投入された第11空輸旅団第62大隊所属の3人の部隊員は、「1980年5月24日に、松岩洞で陸軍歩兵学校教導隊との間で誤認射撃が起こった後に、市民軍を探し出すための民家の捜索過程で、子どもたちが遊んでいるところに向かって銃を撃った。現場に行ってみると4~5歳くらいの子どもが死亡しており、仮埋葬した」と証言しました。調査委は、チョ・ソンガプさんが収拾した子どもの無名烈士が、この時に死亡した子どもだった可能性もあるとみています。ただし、「30代の女性が埋葬した」との検死記録と62大隊の部隊員の供述が一致しないため、さらなる調査が必要とみられます。
 市民のCさんは「5月27日に軍用バスで連れて行かれたのだが、7歳の子どもと一緒に3日後に解放された」と調査委に証言しています。イ教授が連れていた子どもが、27日以降も生きていた可能性が提起されたのです。
 イ教授といた子どもの行方は今も分かっていません。子どもの無名烈士の身元も闇の中です。はっきりしているのは、「あの時の軍人」たちは知っているということです。
キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/995312.html
韓国語原文入力:2021-05-14 20:34


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/39935.html
「The Hankyoreh」 2021-05-10 08:58
■光州民主化運動当時、軍バスに乗せられた4歳児はどこへ
 イ・ドンチュン教授、海外メディアのカメラに収められた姿を発見 
 ノーマン・ソープ元記者の写真にもかすかに写っており 
「被弾して死亡した4歳の無名烈士と同一人物の可能性高い」

【写真】イ・ドンチュン木浦科学大学教授が1980年5月27日の朝、4歳ぐらいの男の子を抱いて軍用バスに座っている=イ・ドンチュン教授提供//ハンギョレ新聞社

 1980年の光州民主化運動(5・18)の最終日に軍用バスに乗せられていた4歳くらいの男児の姿が撮られた映像と写真が、初めて発見された。この4歳児の行方が41年間明らかになっていない中、被弾して死亡し、野山に埋められた状態で発見された「4歳の5・18無名烈士」と同一人物と推定されている。
 イ・ドンチュン木浦科学大学教授(62)は9日、「1980年5月27日の朝、私が4歳くらいの男の子を抱いて軍のバスに載せられていた姿を、映像で発見した」と述べた。海外の放送局が撮影したとみられる5・18関連映像で、当時大学生だったイ教授は軍用バスに4歳くらいの男児を抱いて乗っていた。映像で赤い上着を着た子どもは、不安そうにバスの外をじっと見つめていた。イ教授は「最近、文化体育観光部・旧全羅南道庁復元推進団が5・18関連映像をまとめた写真を見て、当時会った4歳児のことが思い浮かび、心臓が止まりそうだった」と語った。

【写真】木浦科学大のイ・ドンチュン教授が2020年11月、国立5・18民主墓地で4歳の無名烈士の墓に参拝している=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 軍用バスの中の4歳児の姿は、元「ウォールストリート・ジャーナル・アジア版」記者のノーマン・ソープ氏が撮った写真(5・18特別展にて公開)にも写っている。イ教授は「5月27日未明に旧全羅南道道庁で捕まった後、バスに乗ったが、海外メディアの記者がバスの外から撮影したようだ」と話した。イ教授の前の座席に座った人はイ教授と旧全羅南道道庁本館2階の副知事室で逮捕された故イ・ジョンギ弁護士(1917~1997)だ。
 イ教授が4歳児に会ったのは5・18の最後の夜明けだった。旧全羅南道道庁で銃を持って戒厳軍の鎮圧に抵抗した彼は「道庁の前庭に連れて行かれたが、先に来ていた男女高校生2人から4、5歳くらいの男の子を預けられた」と語った。イ教授は、光州の軍部隊だった尚武台の営倉に連行され、分類審査を受ける際、憲兵に子どもを引き渡したという。

【写真】ノーマン・ソープ元ウォールストリート・ジャーナル・アジア版記者が撮った写真の中に、イ・ドンチュン教授が子供を抱いている姿(赤い四角)が映っている。イ・ドンチュン教授の前に座っている人は故イ・ジョンギ弁護士(青い四角)だ=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 軍尚武隊の営倉に収容された4歳の子どもが銃事故で死亡した可能性が高いという指摘もある。イ教授は「実弟が5・18当時尚武隊憲兵だった知人に『あの時、市民軍が連れてきた子どもを覚えている。軍の兵舎で保護していた子どもが突然いなくなり、大騒ぎになった』という話を聞いた」とし、「私と一緒に軍の営倉に連れていかれた4歳児と国立5・18民主墓地に埋められた4歳の無名烈士が同一人物かどうか、5・18真相調査委が徹底的に調査しなければならない」と述べた。

【写真】4歳の無名烈士の検死調書//ハンギョレ新聞社

 光州市北区雲井洞(ウンジョンドン)の国立5・18民主墓地には「4歳の無名烈士」(4-97)が葬られている。4歳(推定)の無名烈士は1980年6月7日、光州市南区孝徳小学校の向かい側にある野山(光州大学に変わった当時のインソン高校前)で発見され、5・18墓地に埋葬された。4歳児の検死記録には「左後頸部盲管の銃傷」(左の後ろ首に弾が刺さった状態で死亡)が死因となっている。また、「死者を30代の女性が軍用ジープ車に乗せてきて、孝徳洞(ノドクドン)所在のインソン高校前の山に埋葬し、その車で立ち去った」という内容も記されている。4歳児の遺体周辺には「ブラウンの女性用セーターで包まれた、韓国銀行1000ウォン札1枚が入っていた」という。この遺体を収容した光州市役所社会科の元職員のチョ・ソンガプさん(78)は、「尾根の方に埋まっていた。(遺体は)とてもかなり小さくて痩せてこけていた。乾いた真砂土の多い地に誰かが埋めたんだ」と振り返った。
 4歳の無名烈士の身元や家族などは、いまだに明らかになっていない。5・18行方不明者78人のうち10代未満の犠牲者イ・チャンヒョン君(7)やパク・グァンジン君(5)の家族と4歳の無名烈士の遺伝子は一致しないことが分かった。光州市は旧5・18墓地に埋葬された無名烈士の墓11基を新しい墓地に移転する過程で、行方不明者家族の遺伝子を比較・分析し、2002年に3人、2006年に3人の身元を確認したが、4歳の男児ら5人の身元は明らかになっていない。イ・ギョンリュル旧全羅南道道庁復元推進団チーム長は「5・18当時軍のバスに乗っていた4歳児の家族や知人が現れ、真相が明らかになることを望んでいる」と話した。

チョン・デハ、キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/994393.html
韓国語原文入力:2021-05-100 2:31
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする