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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

『海南島近現代史研究』創刊号

2008年07月31日 | 海南島近現代史研究会
      2008年8月3日に、海南島近現代史研究会第2回総会を開催します。
      同じ日に、会誌『海南島近現代史研究』を創刊します。
      B5版166頁(カラー22頁)。定価1200円です。
      会員には無料でお渡しします。
      連絡先:大阪産業大学斉藤日出治研究室
              大阪府大東市中垣内3
           http://www.hainanshi.org/

      内容はつぎのとおりです。

『海南島近現代史研究』創刊にあたって
値此≪海南島近現代史研究≫創刊之際
『해남도근현대사연구』창간에 즈음하여
金静美「海南島からの朝鮮人帰還について
     植民地国家からの出国、国民国家への帰還」
五十嵐彰「「日本考古学」と海南島」
久保井規夫「資料に見る日本の海南島侵略(その2)」
斉藤日出治「日本の海南島侵略
    土地・資源・食料・空間の略奪のための軍事占領 」
佐藤正人「証言・記録、そして証言者と聞きとる者との関係」
佐藤正人「文字・絵・音・声・映像」
金山「社会転型期的黎族伝統文化」
王建成「五指山下的古老民族 黎族」
■月塘村追悼碑を拠点として
  月塘三・廿一惨案紀念碑掲碑儀式
  「月塘村“三・廿一”惨案碑志」
  中国海南省万寧市万城鎮月塘村全体村民「致日本国政府要求書」
  中国海南省万寧市万城鎮月塘村全体村民「委託書」
  「1945年5月2日(農暦三月廿一日)日軍殺害月塘村無辜村民名碑」
  朱進平「在月塘村“三・廿一”惨案紀念碑掲碑儀式上的講話」
  朱瓊波「祭兄長 血泪控訴拿碑前作証  追賠償 彼此銘記防歴史重演」
  朱学基「簡介日本侵略軍殺害月塘村民情況」
  海南島近現代史研究会「月塘村追悼碑建立の歴史的意味」
■海南島近現代史研究会に 海南島から
  中国海南省万寧市万城鎮月塘村全体村民「祝賀信」
  朱振華「研究歴史 為世界和平貢献力量」
  曹靖「熱烈祝賀日本《海南島近現代史研究会》成立」
  林彩虹「我們共同掲暁日軍侵略海南島的歴史真相」
■アンボン島・海南島
  佐藤正人「海南島老欧村と八所鎮で」
  西里扶甬子「海南島連合軍捕虜収容所」
  笹本妙子「飢えと重労働と虐待の果てに 英連邦戦死者墓地に眠る捕虜たち」
      「英連邦戦士者墓地オーストラリア区海南島死亡者リスト」
■海南島近現代史研究会会員のことば
  鐘翠雅「私の国と日本  60年前のことは昨日のこと」
  楊得洲「从日本海南島近現代史研究会来考察日本社会」
  日置まり子「運動としての歴史研究」
  久保雅和「月塘村追悼碑建立に想う」
  佐山和子「皇軍の亡霊が歩きだした今」
  藤井幸之助「大阪市東淀川区から2500㌔離れたまだ見ぬ海南島へ」
  嶋田実「海南島近現代史研究会への参加について」
  竹本昇「「試掘」の実現に向かって」
■紹介
  『「朝鮮報国隊」』紹介
  『海南島月塘村虐殺』紹介
  『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』紹介
  『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』紹介
  写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』紹介
  海南島近現代史研究会第1回研究集会報告
  海南島近現代史研究会『会報』創刊号紹介

表紙 五指山
裏表紙 三江鎮新馬郷の紅樹林と水路
    三江鎮新馬郷の秀生河にかかっている旧橋
    三亜市林家村にのこっている旧日本軍水源地守備隊の井戸跡
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海南島近現代史研究会第二回総会を開きます

2008年07月14日 | 海南島近現代史研究会
 海南島近現代史研究会の会則「三 総会と定例研究会 毎年夏に、総会を開き、本会の組織および運営に関することを審議するとともに、1年間の行動計画を話し合います。総会の時に、定例研究会を併催します」にしたがって、昨年8月5日の創立集会から1年後に、第二回総会を開きます。
 みなさんの参加をお待ちしています。

と き:2008年8月3日(日)13時~17時(開場12時半)
ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室
                 (大阪駅前第三ビル19階)
参加費:500円(会員は無料です)

第二回総会プログラム
開会
1、1年間の会の活動報告
2、あいさつ 王建成(海南省民族学会副会長)
3、研究報告Ⅰ
   金山「社会転型期的黎族伝統文化(社会転形期における黎族
  の伝統文化)」
     海南島の先住民族である黎族の伝統文化は、改革開放
    後、とくに中国最大の経済特区である海南省が設立され
    たあと、大きく変貌しています。
     年中行事、伝統宗教、生活文化という三つの角度から、そ
    の変化を考察します。
4、海南島近現代史研究会制作『海南島 2007年秋』、『海南島
     2008年春』、『月塘三・廿一惨案紀念碑掲碑儀式』上映
5、研究報告Ⅱ
   五十嵐彰「「日本考古学」と海南島」
     ある文化を認識するには、一定の時間(時代)を区切らざる
    を得ないと同時に、一定の空間(地理的範囲)を区切らざるを
    得ません。
     ある時間的空間的範囲を区切るためには、区切られた内部
    の均質性と外部との異質性が成立要件として求められます。
     「日本考古学」が区切っている時間的空間的範囲のいびつ
    さ・歪みを、海南島という定点から検討します。
6、研究報告Ⅲ
   水野明「海南海軍特務部編『海南島三省連絡会議決議事項抄
  録』について」
     1939年2月の海南島侵略直後から海南島の「政務」をおこ
    なった三省(日本外務省、日本海軍省、日本陸軍省)連絡会
    議は、1942年11月に廃止され、以後、海南海軍特務部(前、
    第5艦隊情報部)が、海南島を政治支配しました。海南島三
    省連絡会議にかんする極秘文書を解析します。
7、質疑・討論
8、参加者の発言・討論
9、こんごの研究主題・研究課題
10、月塘村全村民の日本政府に対する要求について
11、日本軍の海南島奇襲攻撃70年後(2009年2月)に
12、「会則」改定
閉会

■会則「四『研究報告書』と『会報』 毎年夏の総会時に会誌『海南島近現代史研究』を発行します」にしたがって、8月1日に、『海南島近現代史研究会』創刊号を発行します。

海南島近現代史研究会
    事務局 大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室
                   saito@eco.osaka-sandai.ac.jp
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文字・絵・音・声・映像 14

2008年07月04日 | ドキュメンタリー
 これまで、わたしたちは、海南島で、文昌市重興鎮排田村・白石嶺村・昌文村・賜第村、文昌市羅豆郷秀田村、文昌市抱羅鎮石馬村、文昌市南陽鎮老王村・托盤坑村、定安県黄竹鎮大河村、瓊海市九曲江郷波鰲村、瓊海市北岸郷北岸村・大洋村、瓊海市九曲江郷坡村・長仙村・南橋村・佳文村・鳳嶺村・官園村・戴桃村、瓊海市陽江鎮覃村、瓊海市烟塘鎮大溝村・書田村、瓊海市潭門鎮潭門村九所村、瓊海市新市鎮南城園村、瓊海市参古郷上坡村・外路村、瓊海市大路鎮川教村、万寧市石城鎮月塘村、万寧市東澳鎮豊丁村、万寧市南橋鎮田公村、万寧市龍滾鎮、万寧市和楽、万寧市烏場、万寧市北大鎮中興、儋州市中和鎮東坡村、儋州市長坡鎮呉村、陵水黎族自治県后石村・三十笠村、陵水黎族自治県陵城鎮南門嶺、瓊中黎族苗族自治県湾嶺鎮烏石、瓊中黎族苗族自治県黎母山鎮黎母山村・榕木村、瓊中黎族苗族自治県吊羅山郷、五指山市水満郷、楽東黎族自治県仏羅鎮仏羅村、東方市感城鎮長坡村、三亜市羊欗鎮妙山村、海口市永興鎮、海口市咸来鎮美村・美桐村・昌洽村・美良村・丹村、海口市三江鎮上雲村・古橋村・東寨村・演州村・福内湖村、海口市長流鎮儒顕村、海口市東山鎮儒万村、三亜市田独鎮「朝鮮村」……などを訪ね、住民虐殺の目撃者や幸存者から話しを聞かせてもらい、それを撮影してきました。
 その映像記録は、すべて海南島における日本の侵略犯罪と抗日反日闘争の史料です。
 この史料を、わたしたちは、国民国家日本の海南島侵略と中国民衆の海南島における抗日反日闘争の歴史を共に探求しようとする人びとに公開します。
 わたしたちは、これらの映像史料を共有し、共同研究を深めていくことを願っています。
                                    佐藤正人
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文字・絵・音・声・映像 13

2008年07月03日 | ドキュメンタリー
 1869年8月にアイヌモシリの一部を植民地としてから70年後、1939年2月に日本軍が海南島に奇襲上陸してから1945年8月までの6年半、日本政府、日本軍、日本企業は、残酷な侵略犯罪を実行しました。
 日本政府・日本軍は、海南島で、住民虐殺、村落破壊、放火、暴行、性的暴行、略奪をおこないました。
 日本政府・日本軍・日本企業(三井物産、日本窒素、石原産業、西松組、浅野セメント、王子製紙、武田薬品、資生堂、三越、トヨタ自動車……)は、港湾・道路・橋梁・鉄道・飛行場などを農地・住宅などを破壊して建設するとともに、鉱山資源、森林資源、漁業資源、農産資源を略奪し、その過程で、海南島・香港・広東・台湾・朝鮮……から民衆を強制連行し労働を強制しました。おおくの人が事故や病気や飢えや暴行で死にました。 
 日本政府・日本軍は、海南島の金融を支配し、「軍票」を乱発ました。
 日本政府・日本軍は、行政機関を設置(三省〈外務省、海軍省、陸軍省〉連絡会議)するとともに傀儡政府を造成し、「治安維持会」を設置して「良民証」などによって住民を管理しようとしました。
 日本政府・日本軍は、海南島民衆に「ヒノマル」・「キミガヨ」おしつけ、天皇賛美を強制しました。
 毒ガス大量使用、組織的生体解剖以外の犯罪のほとんどを、日本政府・日本軍は海南島でもおこないました。

 これらの侵略犯罪の実態は、日本では、隠されつづけていました。
 わたしたちは、1998年6月から、国民国家日本の海南島侵略と中国民衆の海南島における抗日反日闘争の歴史を探求してきました。
 その過程で、わたしたちは、2001年1月から、証言をビデオカメラで記録し始めました。
 それは、侵略と抵抗の史実を探求するとともに、その史実の史料を創出することでした。
                                   佐藤正人
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文字・絵・音・声・映像 12

2008年07月02日 | ドキュメンタリー
 たとえば、54分のドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』は、2001年1月以後に撮影した100時間近い原映像を編集したものです。編集にさきだってキム チョンミさんと共同で、構成を決定し、シナリオを書きましたが、それは、文字による歴史叙述の場合と方法的には同じ作業でした。
 撮影を開始したときには、わたしは自覚していなかったのですが、「朝鮮報国隊」にかんする証言や現場を撮影することは、「朝鮮報国隊」にかんする史料を創出することでした。
 ドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』のシナリオを、わたしたちは、海南島と韓国で撮影した原映像を史料として執筆しました。
これまで、わたしたちは、「朝鮮報国隊」に入れられ、生き残って故郷にもどることができた人たちから、韓国で話を聞かせてもらうことができました。そのうち、証言している映像の公開を承諾してくれた人は、高福男さん、柳濟敬さん、呂且鳳さんでした。
 わたしたちは、高福男さん、柳濟敬さん、呂且鳳さんを何回も訪ね、そのたびに話を聞かせてもらい、「朝鮮報国隊」にかかわる証言の際には、すべてを撮影させてもらってきました。
 その数10時間の映像記録のうち、ドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』で紹介できたのは、5分ほどです。したがって、高福男さん、柳濟敬さん、呂且鳳さんの証言の史料としてのドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』の役割はきわめて限定的です。
 「朝鮮報国隊」にかんする文書史料は、ほとんど公開されていません。わたしたちが撮影した映像史料を検討することなしに、これからは、「朝鮮報国隊」にかかわる日本の侵略犯罪事実を明らかにしていく作業はほとんど進展しないと思います。
 「朝鮮報国隊」にかんする史実探求においてだけでなく、国民国家日本の海南島侵略犯罪にかんする史実探求においても、わたしたちが撮影してきた証言映像・現場映像は、その史実にかかわる史料となっています。
                                佐藤正人
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文字・絵・音・声・映像 11

2008年07月01日 | ドキュメンタリー
 ドキュメンタリーは、記録であるとともに、歴史叙述なのだと思います。
 ドキュメンタリーのシナリオは、ことばによる記録と歴史叙述ですが、文章形式のことばだけによる記録・歴史叙述とは違い、影像による表現を前提としています。
 11月6日に、朱学平さんの姿と証言を撮影したわたしは、11月中旬に、『海南島月塘村虐殺』のシナリオを書き換えました。
 ドキュメンタリーシナリオという形式での記録・歴史叙述は、撮影してきた映像および撮影しようとする映像に規定されますが、同時に、撮影できない映像をも前提としなければ、書きあげることができません。
  『海南島月塘村虐殺』のシナリオを書いていく過程は、わたし自身が、月塘村虐殺を認識しているのかを確かめる過程でもありました。ドキュメンタリーのシナリオは、証言を文字で記録しているという意味では記録ですが、映像を前提とし数百個のクリップを編集しているという意味では歴史叙述です。わたしにとって、『海南島月塘村虐殺』のシナリオを書くということは、歴史を認識すると同時に歴史を叙述するということでした。
 ナレーションという形式の歴史叙述を書くためには、依拠する文献史料の史料批判を厳密におこなわなければならないのは当然です。
 ナレーションは、現在の証言映像に示されている過去の歴史的事実、現在の廃墟の映像に示されている過去の歴史的事実をことばによって「解説」するものでもあります。ナレーションは、文献史料と影像史料を結びつける役割を果たすものだと思います。
                                   佐藤正人
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