三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争

2018年12月13日 | 集会
 日本軍の海南島侵入(1939年2月10日)から80年後、来年(2019年)1月26日に開催する集会のお知らせです。


■海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争■

 2019年1月26日午後1時30分開会(午後1時開場)
 ところ:ムーブ21(守口市生涯学習センター) 
         地下鉄谷町線大日駅(3号出口)をでて北へ約250m
 参加費(資料代を含みます):500円

 主  催 設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会         
           http://regainpeace.blog.fc2.com/
           連絡先 090-8860-9961(竹本)
 協  力 海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/
 報告者 海南島近現代史研究会 佐藤正人 金靜美 斉藤日出治

【集会内容】
(一)報告 
■日本陸海軍、海南島に奇襲上陸
 80年前の1939年2月、日本陸海軍は、アジア太平洋地域の中心部に位置する海南島に奇襲上陸しました。
■住民虐殺
 日本の侵略に抗する民衆の抵抗を抑えようとして、日本海軍は、「Y作戦」をくりかえし、村を焼き、住民を虐殺しました。
■略奪
 日本政府と日本軍は、日本企業とともに、飛行場、港湾、道路、橋梁、鉄道、ダムなどを整備・新設して軍事支配の基礎をつくり、鉱山開発、森林伐採などをおこなって資源を略奪しました。
■労働強制
 日本企業は、海南島内、ホンコン、上海、台湾、朝鮮などから連行した人たちを酷使し虐待し、1万人以上の命を奪いました。
■日本軍性奴隷
 1939年3月に、海口の日本海軍情報部長は、台湾拓殖会社本社に「慰安所」設置を依頼しました。台湾拓殖会社は、5月に海口に「慰安所」を竣工させました。海南島の村々に侵入した日本軍将兵は、その地の少女を捕え監禁し性奴隷としました。
■海南島を基地として
 1941年12月4日、日本陸軍兵士を乗せた船団が海南島の港を出港し、12月8日未明、マラヤのコタバルを奇襲攻撃し、アジア太平洋侵略戦争を開始しました。
■昨日のこと
 日本占領時に、村を襲撃された海南島住民、朝鮮の監獄から海南島に連行された「朝鮮報国隊」の人たち、アジア各地から連行され酷使された人たち、「日本軍隊性奴隷」とされた人たちにとって、日本政府・日本軍・日本企業による虐殺・暴行・略奪・人権侵害は、昨日のことです。
■抗日反日闘争の時代
 日本の侵略に抗して、海南島の民衆は、戦いつづけました。
 アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代でした。 
 その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません。
■海南島民衆の証言
 紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会はこれまで、海南島の1000か所あまりの村を訪ね、証言を聞かせてもらうとともに、住民虐殺の現場、日本軍の基地跡などに案内してもらいました。
 日本国家の侵略犯罪を日本民衆が知り、日本政府に責任者を処罰させ、謝罪させ、賠償させる民衆運動が広がっていくことを願いつつ、海南島民衆の証言の内実を報告します。

(二)討論  他地域他国侵略をゆるさない民衆の歴史認識


◆略年表                                       
 1939年2月10日 日本陸海軍海南島北部に奇襲上陸。
 1941年12月4日 日本陸軍の船団、海南島楡林港出港。12月8日午前1時半、日本陸軍コタバル奇襲、アジア太平洋戦争開始。
 1945年8月14日 日本無条件降伏。
 1998年6月 海南島で、紀州鉱山の真実を明らかにする会、はじめての「現地調査」。
 2001年7月 日本軍隊性奴隷とされた8人の女性、「海南島戦時性暴力被害訴訟」開始。
 2007年8月5日 海南島近現代史研究会創立。
 2007年9月~11月 海南島近現代史研究会、はじめての海南島「現地調査」。
 2018年10月 海南島近現代史研究会として20回目、紀州鉱山の真実を明らかにする会として33回目の海南島「現地調査」。
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「白基玩・張俊河…民青学連裁判記録、45年ぶり公開」

2018年12月12日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32324.html
「The Hankyoreh」 登録:2018-12-10 22:05 修正:2018-12-11 07:43
■白基玩・張俊河…民青学連裁判記録、45年ぶり公開
 国家記録院、民青学連当事者の裁判記録物、来年から公開 
 民主化運動家の個別陳述調書など韓国現代史の研究資料 
 尹ボ善元大統領「非民主的独裁体制」独裁政権に抵抗

【写真】来年1月に公開される民青学連当事者の裁判記録物=国家記録院提供//ハンギョレ新聞社

 白基玩(ペク・キワン)先生の逮捕状、張俊河(チャン・チュンハ)先生の陳述調書、パク・ヒョンギュ牧師の起訴状、尹ボ善(ユン・ボソン)元大統領の審問調書など韓国民主化運動の貴重な史料が45年ぶりに公開される。
 10日、行政安全部国家記録院は、国防部検察団が保管していた1974年全国民主青年学生総連盟(民青学連)事件の記録物を11月に国防部から移管され、来年から全国民に公開すると明らかにした。国家記録院は、民青学連事件の関連者180人に対する裁判記録と捜査記録など合計105冊の記録物を来年1月から国家記録院のホームページにすべて公開する予定だ。
 民青学連事件は、1972年に維新憲法が制定された後に起きた反維新運動の一環で、中央情報部(現、国家情報院)が維新憲法に反対した人、合計1024人を調査し180人を非常軍法会議にかけた事件だ。当時、中央情報部はこの運動の背後にスパイ集団がいると規定して、1974年4月3日に緊急措置4号を発動した。2005年国家情報院過去事真実委員会はこの事件を大韓民国最大の学生運動弾圧事件と規定し、2010年には裁判所が被害者に国家賠償判決を下した。

【写真】緊急措置違反で検察の調査を受けた尹ボ善元大統領の被疑者尋問調書=国家記録院提供//ハンギョレ新聞社

 公開される記録物は、非常軍法会議に回付された180人に対する個人別逮捕状、起訴状、公判調書、捜査報告、被疑者尋問調書などの裁判記録と捜査記録だ。張俊河先生、白基玩先生、チ・ハクスン神父、パク・ヒョンギュ牧師など民主化運動に大きな一線を画した人物の陳述調書、弁論書、起訴状も含まれている。張俊河先生と白基玩先生に関する記録物は6冊4千余ページ、チ・ハクスン神父と尹ボ善元大統領、パク・ヒョンギュ牧師に関連する記録は2千余ページに達する。
 特に、主要な人物の個別記録物は韓国現代史研究に役立つと見られる。1974年、尹ボ善元大統領が民青学連事件で実刑判決を受けた当時、検察で述べた被疑者尋問調書を見れば、尹ボ善元大統領は「現政権や体制は非民主的な独裁体制に導いているので、友好国家間や国際問題でも我が国が警察国家だ独裁国家だとの非難が多大で、友好関係を損傷させており、国内問題でも国民が非民主的な独裁に反発している…」として、独裁政権に抵抗した。
 公開されることになったこれらの記録物は、当時緊急措置違反者が拘束される過程の全般を把握できる意味ある資料と評価されている。ノ・ヨンギ朝鮮大自由専攻学部教授は「この記録物は、民青学連の組織と活動、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の対応様相を具体的に確認できる基礎資料であり、民主化運動の実状と共に当時の政界と裁判所の認識をそっくり見せる韓国現代史の核心資料の一つ」と話した。

キム・ミヒャン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/873748.html
韓国語原文入力:2018-12-10 18:00


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20847.html
「The Hankyoreh」 登録:2015-05-31 22:01 修正:2015-06-01 06:40
■第1次人民革命党事件の被害者9人、50年ぶり無罪確定  大法院再審判決

【写真】1975年4月8日の上告審で人民革命党関連者8人は人民革命党再建委事件で死刑判決を受け、判決から20時間後の翌日午前6時に刑が執行された=資料写真///ハンギョレ新聞社

 (朴正煕政権の)維新政権時代で最悪の“司法殺人”と言われる「人民革命党再建委事件」(第2次人民革命党事件)を導いた「第1次人民革命党事件」被害者が、50年ぶりに再審で無罪を確定された。
 大法院(最高裁)3部(主審 クォン・スンイル大法院判事)は、第1次人民革命党事件の被害者である故ト・イェジョン氏、パク・ヒョンチェ氏など9人の再審で無罪を宣告した原審を確定したと31日明らかにした。 裁判所は「公訴事実に関して犯罪の証明がないと見て無罪を宣告した原審は、法理の誤解、罪証法則違反、判断脱落などの誤りがない」と明らかにした。
 第1次人民革命党事件は、1964年に中央情報部(現、国家情報院)が北朝鮮の指令を受けて人民革命党という反政府組織を結成したとして、平和統一論を主張した革新系要人数十人を逮捕したことから始まった。 中央情報部は40人余を拘束し検察に送致したが、ソウル地検公安部の検事たちは「証拠が不充分でとうてい起訴できない」と抵抗した。 検察首脳部は検事らに起訴状に署名させ26人を無理に起訴し、担当検事らは辞表を出した。その後、検察が14人の公訴を取り消し、1審ではト氏ら2人だけに有罪が宣告されたが、控訴審では6人が懲役1~3年を宣告され、翌年9月に大法院で確定した。
 中央情報部は維新が宣言された後の1974年、第1次人民革命党事件連座者が北朝鮮の指令を受けて人民革命党を再建し全国民主青年学生総連盟(民青学連)を操って国家を転覆しようとしたとし「人民革命党再建委事件」を発表する。20人余が裁判に付され、ト氏ら8人は大法院確定判決の翌日に死刑に処された。 人民革命党再建委事件の被害者遺族たちは再審を請求し2007~2008年に無罪を宣告された。
 第1次人民革命党事件の被害者遺族たちも真実・和解のための過去事整理委員会の調査結果などに基づいて2011年に再審を請求した。 ソウル高裁は2013年にト氏らが不法監禁され拷問を受けた事実を認め、犯罪の証明もないとし無罪を宣告した。

ソ・ヨンジ記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/693622.html
韓国語原文入力:2015-05-31 20:01


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20264.html
「The Hankyoreh」 2015-04-09 08:25
■[インタビュー] 「夫の死刑から40年が過ぎたが、再び維新時代が訪れたようで怖い」
 人民革命党事件遺族のイ・ヨンギョさん

【写真】1974年に人民革命党再建委事件で死刑になったハ・ジェワン氏の妻イ・ヨンギョさんが7日、大邱・大賢洞の整形外科病室で夫の遺影に触れている オ・スンフン記者//ハンギョレ新聞社

 「朴正煕(パク・チョンヒ)が晩年に人民革命党事件を後悔したですって? だけど今、再び維新時代になったようで…。時局の雲行きが怪しく何かを話すのが怖いです」。
 40年の悔恨の末の恐れが滲み出ていた。「酷い歳月でした。夫が死刑になって40年が過ぎたけど、あの日が昨日のことのようです」。イ・ヨンギョさん(78)にとり1975年4月9日以後の40年、1万4600日は、一日たりとも苦痛と願望から抜け出すことができない日々だった。その日、彼女の夫のハ・ジェワンと、ト・イェジョン、イ・スビョン、ソ・ドウォン、キム・ヨンウォン、ソン・サンジン、ウ・ホンソン、ヨ・ジョンナムの8人に対し、西大門(ソデムン)にあったソウル拘置所で死刑が執行された。大法院(最高裁)で確定判決が下された翌日のことだった。
 “司法殺人”と呼ばれた「人民革命党再建委事件」被害者が無念の死に追いやられ9日でちょうど40年になる。1974年の暴圧的な緊急措置で維新体制を続けようとしていた朴正煕政権は、ハ氏らを全国民主青年学生総連盟(民青学連)の背後勢力と決めつけ、彼らが北朝鮮の指令で地下組織の人民革命党再建委を結成し、韓国政府を転覆しようとしたと発表した。

 「地下組織」の脚本に沿った1、2、3審
 家族には「真っ赤な烙印」による別の刑罰
 死刑33年目にして再審で無罪判決
 「時局の雲行きが怪しく話すのが怖い」

 7日、大邱(テグ)・大賢洞の病院に入院中のイさんに面会した。スパイを捕まえる「特務隊」で5年間服務した夫がスパイだという政府発表を、彼女は到底信じることができなかったと語った。「1審で死刑が宣告されると夫が傍聴席に座っていた私を振り返り、首を横に振って軽く笑ったのです」。法廷では夫が自分をひと目で分かるようにいつも同じ服を着ていたというイさんは、大法院判決当時を思い起こすと今でも呆れ果ててしまうと言う。「夫の顔を見ようと法廷に行くと、被告人もいないのに『上告棄却、死刑』と判決したのです。家族が泣き叫んで抗議すると、大法院判事は逃げるように法廷から出て行きました」。
 再審請求を話し合うため一夜を明かした後、夫に面会するためソウル拘置所に行った。「『面会謝絶』となっているので問い詰めると、刑務官に『赤のマネなんかして死ぬのにまだ話すことでもあるのか」と罵られました。後で分かったことですが、その時すでに死刑は執行された後でした」
 夫の死で残されたイさんと5人の子供たちの人生には“真っ赤な烙印”が押された。村の人々の蔑視と冷遇は刑罰ならぬ刑罰だった。「子供たちが末の息子を村の木に縛り付けて『赤どもは銃殺しなければならない』といじめていました。息子の首を紐を巻き付け引っ張っていたんです。学校が終わって家に帰ってくる三女の後を追いかけてきて、「おまえらの親はスパイなんだってな」とからかう子供たちにアイスクリームを買ってあげ、「この子の父はそんな人ではありません」と言わなければならなかった時は、本当に死にたい気持ちになりました」。
 2008年の再審で夫には結局「無罪」が宣告されたが、むしろ虚しさを感じたという。「 なぜ無罪の夫を殺したのだろうか」という考えが頭から離れなかった。足が宙に浮いた感じがして、よく倒れてしまうというイさんは、最近、腕と脚の骨折傷で夫の40周忌の追慕祭に参加することができない。

大邱/オ・スンフン記者
韓国語原文入力:2015-04-08 22:58
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/686070.html
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「韓国行政安全部長官、「強制徴用者の遺骨奉還、日本に振り回されることはないだろう」」

2018年12月12日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://japanese.joins.com/article/964/247964.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
「中央日報日本語版」 2018年12月10日14時23分
■韓国行政安全部長官、「強制徴用者の遺骨奉還、日本に振り回されることはないだろう」

【写真】タラワ島に連れ去られて負傷した韓国人強制徴用者の姿(写真=行政安全部提供)

 金富謙(キム・ブギョム)韓国行政安全部長官が第2次大戦当時、強制徴用されて死亡した韓国人の遺骨を送還することに責任を全うするという意向を明らかにした。
 9日、金富謙長官は自身のSNSに「第2次大戦当時、太平洋の『タラワ島』で亡くなった韓国人強制徴用者の遺骨が日本へ渡って消失する危機に処したというニュースを初めて見た時、何かが込みあがった」と話した。彼は「第2次大戦当時、太平洋の島々では血戦が起きないところがなかった。その島ごとに連れ去られた韓国人が陣地とバンカーの構築に投入された」として「他国の戦争に動員されて労働力を捧げ、虐待され、飢え、命まで奪われた方々」と明らかにした。
 また「現在、遺体発掘作業は米国が行っている。アジア系遺体が発掘されれば、韓国にも知らせる予定」として「外交部とともに米国政府と必ず奉還方法を探すつもり」と明らかにした。また「過去、私たちが力がなくて連れ去られたが、今になって遺骨奉還作業まで日本に振り回されることは断じてないだろう」という意向を明らかにした。
 これに先立ち、韓国公営放送KBSは南太平洋のタラワ島で韓国人強制徴用者のキムさんのものと推定される遺品が発掘されたと報じた。だが、日本NGO団体がタラワ島で遺骨を収拾し次第に火葬するが、この中に韓国人強制徴用者などの遺骨が混ざっている可能性が大きいと報じた。
コメント

「日帝植民統治者の銅像を建てる」

2018年12月12日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/32242.html
「The Hankyoreh」 2018-11-29 23:13
■[コラム]日帝植民統治者の銅像を建てる
 凶悪な記憶として残っている日帝植民地時期の日本人の業績を賛えて銅像を建てることが可能だろうか?台湾では可能だ。
 台湾南部の古都である台南には、17世紀オランダ占領期に島全体の指揮府があった赤嵌樓がある。本来は洋式レンガ建物だった。しかし、地震と台風が頻繁な気候地理、そして鄭成功~清国~日帝へと連なる征服者の交替を体験して、現在の複雑な姿になった。赤嵌樓は洋式レンガ作りの基礎が跡として残っていて、現地伝統様式の2階楼閣、儒教・道教式霊廟、多くの記念碑が混在する観光地だ。
 楼閣の一方には日本人の胸像がある。日本占領期の1942~45年に台南市長を歴任した羽鳥又男(1892~1975)だ。彼は、皇国臣民化運動の影響で孔子廟に設置された日本式神壇をなくし、台湾で最古の鐘が武器製作用の屑鉄として徴発されることを防ぐなど、文化財保護と復元に努力を傾けた。特に、太平洋戦争期間にもかかわらず予算を編成し、赤嵌樓の復元事業を進めた。台湾総督府は望まず日本軍の弾圧もあったが、結局1944年に復元作業は終えられた。復元工事の概要は碑石として残っている。
 羽鳥は、日本の敗戦後の1947年に帰国した。胸像が建てられたのは2002年で、台南の企業家、許文龍らが彼の誕生110年を記念して推進した。彼らは当初から胸像を赤嵌樓に建てようとした。しかし、市当局が許諾するかどうかが分からなくて、ある日の明け方こっそりと赤嵌樓に胸像を持って行き置いた。当局の黙認の中で時間が過ぎ、日本人観光客の関心を集めて広く知られた。
 許文龍は2007年、羽鳥の故郷である群馬県に同じ胸像を贈った。2012年この胸像を祀った寺で誕生120周年記念行事が開かれた。行事場所には台湾の青天白日旗と日章旗が並べて掲げられた。羽鳥の三男が家族代表として参加した中で、参席者は誕生130周年行事は台南で開こうと口をそろえた。
 いくら文化財保護の功労がある人物だと言っても、植民地時期の日本人の銅像建立は、日帝に対する抵抗を正統性のベースとする朝鮮半島の南北政権や中国共産党側には、ぎこちなく感じざるをえない。過去数百年間を台湾で生きてきた“本省人”(民進党の主力支持層)が、植民地時期の日本人より国共内戦で敗退した蒋介石と国民党が連れてきた“外省人”を強く嫌うというのは、余計な話ではない。単純な“親日”と“反日”ではなく、台湾本土のためになった側を好むためだ。“親中”と“反中”も同じ脈絡で扱われる。
 24日の台湾の地方選挙は、野党国民党の圧倒的勝利であると同時に、執権民進党の惨敗で終わったが、羽鳥の胸像を可能にした台湾社会の雰囲気が完全に一方に傾いたのだろうか?違うだろう。たとえば2014年の立法院(議会)占拠事態である“ひまわり運動”の結果、翌年創党した進歩政党「時代力量」は、市会議員選挙に40人が出馬し16人が当選するという高い当選率を記録した。ある人は民進党政府の進歩議題が失敗したと診断するが、時代力量は民進党よりはるかに本土中心的で進歩的だ。
 執権3年にもならないうちに“民進党疲労感”との表現がすでに登場するほど、台湾の権力移動周期が短くなったようだが、世論が時計の振り子のように、国民党と民進党を行き来して、本土中心の利益追求は一層強固に固められる姿だ。台湾を統一対象と見る中国が、観光など経済力を基に国民党所属の当選者らと連結地点を探そうとしているようだが、国民党が油断できない理由だ。

キム・ウェヒョン北京特派員
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/872428.html
韓国語原文入力:2018-11-29 19:23
コメント

「「慰安婦」問題の国際化…韓国外大日本研究所、国際学術大会開催へ」

2018年12月12日 | 日本軍隊性奴隷
https://japanese.joins.com/article/822/247822.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年12月06日06時43分
■「慰安婦」問題の国際化…韓国外大日本研究所、国際学術大会開催へ
 韓国外国語大学校〔HUFS、総長・金仁チョル(キム・インチョル)〕日本研究所〔所長・朴容九(パク・ヨング)教授〕が、12月8日(土)午後12時時30分からソウルキャンパス本館で韓国日本思想史学会、東亜歴史文化学会と「“慰安婦”問題の国際化」というテーマの下で国際学術大会を開催する。
 この学術大会は「日本軍慰安婦被害者が亡くなる日まで時間がかかれば問題は解決される」という日本政府の本音とは違い、被害当事者である「日本軍慰安婦被害者の納得と同意なしには問題は解決されることはできない」という韓国側の立場が国際社会の世論で大勢を占めていきつつあることを確認する大切な機会になる見通しだ。
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「討伐軍の銃に撃たれ家族5人を失ったチョン家の長孫…彼が生涯民主党に投票した理由は」

2018年12月11日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32323.html
「The Hankyoreh」 2018-12-10 21:33
■討伐軍の銃に撃たれ家族5人を失ったチョン家の長孫…彼が生涯民主党に投票した理由は
 済州4・3 椿に尋ねる 2部(9) 
 表善面加時里のチョン・ホンギ氏 
 自宅の中庭で家族の虐殺現場を目撃 
 銃傷を負った祖父は後遺症で翌年死亡 
 武装隊に連れていかれた父親は内地の刑務所で行方不明 
 11代宗家の子孫だが 
 「学校に通えなかったことが恨」…生涯を農作業

【写真】済州道西帰浦市表善面加時里出身のチョン・ホンギ氏が4・3の記憶を解きほぐしている=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 1948年11月15日午前7時頃、まだ太陽が昇る前だった。南済州郡(ナムチェジュグン)(現、西帰浦市(ソギポシ))表善面(ピョソンミョン)加時里(カシリ)アンジャ洞のチョン・ホンギ氏(76,済州市道南洞)は、自宅から10メートルほど離れた祖父(チョン・ソンドン)の家にいた。祖父がチョン氏の服を着せている時、遠くで銃声が聞こえた。「はやく服を着なさい。お母さんの家に行ってはやくご飯を食べよう」。祖父が孫をせかした。
 少しすると鉄兜をかぶった軍人7人が家の中庭に入って来た。母親(キム・ヨンウ、当時23)が末の弟を出産してから5日目の日だった。祖母(オ・ギギョン)は台所で嫁のためにソバ粉でスジェビ(韓国式のすいとん)を作っていた。銃口を突きつけた軍人は、たいまつでわらぶき屋根に火をつけて、出てこいと脅した。軍人たちが足で蹴り、母親が使っていた大かごが中庭に転がった。

◆祖母、母親と生まれたばかりの弟、叔母といとこが一緒に犠牲に
 祖父と祖母、生後5日の赤ん坊を抱いた母親、実家に来ていた二番目の叔母といとこ(叔母の娘)、そして6歳だったチョン氏とチョン氏の3歳の弟(チョン・ホンテク・73)の8人は、自宅の中庭で恐怖に震えていた。突然軍人たちの銃口が火を噴いた。チョン氏と弟を除く家族5人が一度に殺された。母親は銃に撃たれ倒れ、抱いていた赤ん坊を離した。チョン氏は末の弟の耳から黒い血が“ドクドク”とあふれるのを見た。チョン氏は「大人たちだけを撃って、自分や弟は幼いので撃たないようだ。その時の事はとても鮮明に覚えている」と話した。わらぶき屋根が燃える濃い煙と煙たい臭いがアンジャ洞一帯に広がった。加時里本洞から2キロほど離れたアンジャ洞は、人里離れた中山間の村だ。

【写真】済州4・3以後、村が復旧して初めて作られた民保団事務室と当時の里長、派遣所職員および地域の有志。民保団事務室は、現在の加時里事務所の場所にあった。<カスルム誌>より//ハンギョレ新聞社

 加時里が出した村誌<カスルム誌>(1988)は、その日の状況をこう説明している。「大々的な共産軍討伐作戦が加時里で広がった。この日未明から銃声が響き、各地で火柱が上がった。避難できなかった一部の住民が討伐隊によって射殺されたり、焼け死ぬ凄惨な光景が広がり、午後になって銃声は止まったが、燃え上がる火と煙は空を覆い、すさまじい泣き声が全村を覆った。凄惨な地獄を連想させた」
 牧畜を主な産業とする加時里は、済州4・3当時に人命被害が多かった村の一つだ。<カスルム誌>には「死亡374人、失踪12人、家屋363戸が放火で消失し、1200人余りの被災者を出した。家畜の被害は、牛1千頭余り、馬600頭余り、豚370頭余り、鶏2千羽余りに達した」と記されている。この日一日で30人以上が犠牲になった。軍人たちは同年12月22日、表善小学校に収容された加時里住民160余人のうち76人を表善里(ピョソンリ)の「ポドゥルモッ」付近で虐殺した。家族構成員のうち一人でもいなければ「逃避者の家族」と見なして銃を撃った。

◆祖父は腕に銃弾が当たったが孫二人を抱いて逃避
 軍人たちが撤収した後、血まみれの中庭で祖父がふらつきながら立ち上がった。祖父は左腕から血を流していたが、孫二人を抱いて近くの竹林に避難した。竹林の向こう側の石垣のそばにいた軍人が見えなくなると家に戻った。中庭には祖母、母親と末の弟、叔母と叔母の娘の遺体が乱雑に散らばっていた。「祖父は大量に出血していて寒かったようです。焼けたござの火を消して、それを被って少し眠りました」。チョン氏は「一時避難して身を守った隣人たちは生き残ったが、私たちは赤ん坊がいて避難できずに集まっていて抹殺された。父親(チョン・ヨンイク、当時22)は、幸い銃声を聞いて隠れて身を守り助かった」と話した。

【写真】昨年10月、加時里の4・3跡を見て巡る「加時里4・3通り」が開通した=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 この日の惨状を知ってか知らずか、太陽の光は終日暖かかった。日差しが照らすと祖父は孫たちと一緒に、焼けてしまった家の裏の椿の下にもたれて座った。祖父は鶏卵を割って銃弾に撃たれて血が出た左腕に塗った後、クワで切り出したヤナギの枝で縛り付けた。太陽が沈む頃、父親が帰ってきた。父親は家の中庭に入るなり、大声で号泣したが遺体を処理する意欲は起きなかった。避難して身を守った親戚たちも、あたりが暗くなるとすぐに帰ってきた。
 「村に祖父の2番目の兄弟の家があったが、そちらは火に焼けず皆がそちらに集まりました。朝から何も食べられず隠れていたのでお腹がすきました。ちょうど祖父が育てていた豚が焼け死んだので、その豚を運んできたことを思い出します」。自宅の中庭で犠牲になった家族の遺体には、その場で臨時に土で覆った。生き残った家族は、真夜中に村から6キロほど離れた南元面(ナムォンミョン)新興(シヌン)2里に実家に向かった。
 この日は陰暦の10月15日だった。十五夜の月が明るく大地を照らしていた。「下の叔母の夫が私を負ぶって、父親は3歳の弟を負ぶって山道を歩き、新興2里の下の叔母の家を訪ねました。銃が当たって腕をひどく負傷した祖父も一緒に行きました。月が明るい夜でしたが誰も話をしないで歩きました」。

◆父親を最後に見た日、行かないでくれと言ったけど
 父親は亡くなった家族を仮埋葬するために、新興里とアンジャ洞を行き来した。父親が二回目にアンジャ洞に行った日、チョン氏は父親を頑として離さなかった。「行かないでと泣いて追いかけて行きましたが、それが父親の顔を見た最後でした」。

【写真】チョン・ホンギ氏が4・3の経験を話している=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 アンジャ洞に行った父親は、山から降りてきた武装隊と遭った。武装隊に連れていかれた父親は、後になって帰順したか討伐隊に捕まったものと見られる。チョン氏は、父親の便りをしばらく後になって聞いた。当時の「軍法会議受刑人名簿」などを見れば、チョン氏の父親は1949年7月2日、軍法会議で懲役15年を宣告され大邱(テグ)刑務所に行き、1950年1月20日に釜山刑務所に移監された後、消息が途絶えた。行方不明になった父親の名前は、済州市奉蓋洞(ポンゲドン)の済州4・3平和公園内の行方不明者の石碑に刻まれている。実家に一緒に行った祖父は、銃傷の後遺症で翌年の6月25日(陰暦5月29日)に亡くなった。
 チョン氏は、新興2里でも4・3の影響で何回も引越ししながら暮らした。そんな風に3年を暮らしたチョン氏は、9歳の時に加時里に戻った。家の11代目の宗家の子孫だったチョン氏は「親戚たちが会議をして『兄弟を実家にだけ任せて良いか。宗家の子孫だけでも加時里に連れて来なければならない』ということになって、祖父の2番目の兄弟の家に来たが、弟は実家に留まった」と話した。
 加時里に戻ったチョン氏は、加時里本洞の“ソンアン”で暮らした。軍警は、武装隊の襲撃を防ぐために表善面の住民を動員して村を巡回して石垣を積ませた。住民たちは、その中に小さな石垣を取り巻くようにすすきで覆った掘っ立て小屋で集団生活を強いられた。住民たちは、1955年3月になって以前に住んでいた家の跡地に戻ることができた。故郷に帰ったものの、学校に通える状態ではなかった。同じ年頃の子供たちが学校に通うのを見てうらやましかったし、自身の境遇がとても佗びしかった。

◆学校に通えなかったことが佗びしくて…4・3の時期がくれば胸が騒ぐ
 「15歳の頃から冬になれば山に行って炭焼きや牛の餌やりの仕事をしました。その時から山に行って炭を焼いていましたから。友達が中学校に通う時、私は炭を焼いて戻ってくればすすきでかますを作り、炭を入れて背負えるだけ背負って表善里まで売りに通い、夏になれば畑に通ってばかりいました」。表善里は村から10キロほど離れている。

【写真】チョン・ホンギ氏と妻のキム・ヨンジャさん=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 隣にいた妻のキム・ヨンジャさん(77)さんが話に加わった。「牛のように何一つ悪さをせずに、あんなことがなければ夫は実家で暮らしたはずなのに、学校にも通えずに日も当たらずに生きてきました。学校に行っていたら人生は違っていたでしょう。それが一番佗びしくてなりません」。
 チョン氏は20歳の時、キムさん(当時21歳)に会い、アンジャ洞の古い家を修繕して暮らした。キムさんの話が続いた。「宗家の子孫なので食べることが多かった。正月一カ月は名節を含めて三度、八月にも名節を含めて三度、そして毎月祭祀を行って、そのようにしてきました」。
 チョン氏は生涯を“民主党”支持者として生きてきた。政治哲学があったわけではない。単に、民主党が“4・3問題”を解決できると信じたためだ。李明博(イ・ミョンバク)政府時期「4.3委員会廃止」が議論された時は、「人間としてどうしてあんなことができるのか」と怒った。
 「政府が4・3問題を解決すると言っても、その時に亡くなった人たちの恨をすっかり解くことはできないが、100分の1でも補償しなければなりません。何の罪もない人々を殺した以上は補償しなくては」。
 妻のキムさんが「4月3日になれば平和公園に行かなければと胸が騒ぐ。義父の顔も知らないけれど、それでも行ってくれば気持ちが安らぐ」と言うと、チョン氏も「私もそうだ。今でも両親のことをしばしば思い出す」と話した。

ホ・ホジュン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/873743.html
韓国語原文入力:2018-12-10 14:34
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「家の中庭で銃殺された家族…なぜ撃ったのか、誰も知らない」

2018年12月11日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32272.html
「The Hankyoreh」 登録:2018-12-04 22:07 修正:2018-12-05 08:31
■家の中庭で銃殺された家族…なぜ撃ったのか、誰も知らない
 済州4・3 椿に尋ねる 2部(8)銃殺・逃避・帰順…コ・ギジョンさん一家の4・3受難史

【写真】コ・ギジョンさんが4・3当時の経験を話している=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 手で菩提樹の枝を握って力いっぱい引っ張ると、真っ赤に熟した一握りの実が落ちてきた。少年はその実を口の中に入れると、再び茂みの中に走った。1949年1~2月、雪がたくさん降った漢拏山(ハルラサン)には、菩提樹の樹々に真っ赤な実がたわわについていた。雪に覆われた真冬の漢拏山で、腹がへった住民たちにはその実が“生命の糧”だった。少年はそれほど多くの実がついた季節を二度と体験することはなかった。

◆私の目の前で銃殺された父と祖父と祖母
 1948年11月7日午前、ポンチョをかぶった軍人3人が、中山間の村である南済州郡南元面(現、西帰浦市(ソギポシ)南元邑(ナムォンウプ))衣貴里(ウイグィリ)の11歳の少年コ・ギジョンさん(81)の家に押しかけた。風が吹く寒い日だった。真っ黒い煙が風に乗ってコさんの家に押し寄せた。母屋にいたコさんの家族は、祖父と祖母が暮らす離れに集まり震えていた。祖父(コ・グァンホ・77)と祖母(キム・グァンイル・78)、父(コ・ヨンピョン・47)と母(キム・ヨンハ・43)、二番目の姉(18)と妹が二人いた。「罪人が隠れるものだろう、なぜ隠れる必要があるのか」。祖父は頑強に逃げることを拒否した。父親は重ねて説得した。「それでも退避しないといけません。あそこを見てください。煙が上がって銃声が聞こえるのに、仕方ないでしょう」。それでも効果はなかった。

【写真】済州(チェジュ)4・3の時に大きな被害を被った西帰浦市南元邑衣貴里には「南元邑4・3犠牲者慰霊碑」が立っている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 “GMC”(軍用トラック)に乗って来た9連隊の軍人が、村を回って家々に火をつけ始めた。わらぶき屋根の「焦げた葦」や「古い葦」の焼ける臭いが全村にたちこめた。この日は「軍・警合同作戦」が展開され、午前には水望里(スマンニ)と衣貴里を、午後には漢南里(ハンナムニ)が焼かれた。本格的な焦土化作戦が始まる前だった。一周道路の周辺は警察が、衣貴里などの中山間の村は軍が火をつけた。
 家の中庭に押しかけた軍人が「アカども、出て来い」と大声を張り上げた。父親が出て行くなり銃口が火を噴いた。理由も言わなかった。父の次には祖母、祖父の順だった。一度に三人が中庭に倒れた。銃を撃った軍人は、コさん一家が暮らしていたわらぶきの家3軒に火を放った。火は風にあおられ脱穀のために積んであった中庭の陸稲に燃え移った。祖父、祖母のからだにも火がついた。コさんとその家族は、台所でその光景を見ていた。この日、衣貴里の300世帯あまりのうち20世帯あまりを除いてはすべて燃やされた。

 祖父・祖母・父が家の中庭で銃殺され
 監視を逃れて漢拏山の城板岳付近で避身生活
 菩提樹の実で命をつないだその冬…真っ赤な便が出てきた

 軍人が帰り銃声が聞こえなくなると、叔父と村の人々が集まってきた。その日の夕方、3人の遺体を収拾して隣の畑に臨時に埋めると、すぐそばの叔母の家に行った。そちらで10日あまりを過ごし、衣貴里・水望里・漢南里の住民たちと共に漢拏山(ハルラサン)側に10キロほど離れたマフニオルムの西側の“チョジンネ”という所に身を隠した。漢拏山側の密林地帯は安全と考えた。コさんは「村の長老たちが一週間も経てば静かになるだろうと言って、その期間だけ隠れていれば良いと言った。私たちも農作物を片付けに通い、銃声が聞こえれば隠れる生活をして身を守った。水車で粟を引いて一週間分の糧食を作り牛の背にのせて行った」と話した。来月に結婚を控えていた二番目の姉も身を隠しについて行った。

【写真】南元邑4・3犠牲者慰霊碑の裏面には、衣貴里だけで248人の犠牲者の名前がぎっしりと記されている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆隠れ場所が発覚し、住民はちりぢりに
 隠れ場所には60~70世帯が集まっていた。それぞれが丈の低い石垣を積み、ススキで覆い日々を耐えた。一週間で終わると思った隠れ家での生活は、いつ終わるとも知れなかった。12月20日頃、隠れ場所が討伐隊に発覚した。小さな村の規模まで大きくなった隠れ場所の住民たちが、食糧が不足するとさつまいもを掘ったり食べ物を取りに村を行き来して、雪の上に足跡が残ってしまったのだ。討伐隊の銃声が聞こえると、すぐに住民たちは散った。挙動が不自由な老弱者と赤ん坊を産んだ妊婦は銃口から逃れられなかった。隠れ場所で亡くなった住民は20人を超えたと推定される。討伐隊は、釜と器を破壊し、食料や石垣の上に乱雑にかぶせられていたススキに火をつけた。母親は朝早く近所で逃避生活をしている祖母に会いに行って軍・警討伐隊に捕まった。チョジンネが燃えた後、コさん一家は祖母と一緒にいた。コさんは「表善(ピョソン)支署に連行された母親は小便をすると言って出てきて、支署の垣根を乗り越えた。そして外に積まれていた垣根も越えて雪道についた足跡に沿って祖母のいる所まで真夜中にたどり着いた」と話した。母親とともに支署に連行された住民30人あまりはほとんどが表善の白い砂浜で銃殺された。
 コさんの家と叔父の家族は、隠れ場所近隣の洞窟と茂みの中に隠れて過ごした。一カ所に長く留まることはできず、討伐を避けて移動する日々が繰り返された。水望里や衣貴里まで降りて行き持ってきた腐ったさつまいもを茹でて、それもなくなれば食べずに我慢した。

【写真】コ・ギジョンさんが4・3の時に家の中庭で4・3当時にあったことを話している=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆城板岳(ソンパンアク)まで逃げて身を隠していた家族が討伐隊に捕まる
 飢えと寒さに疲れた彼らにとって菩提樹の実は最高の食料だった。コさんは「種までそっくり食べて、大便をすれば赤いのが出てきた。もし菩提樹の実がなかったら、飢えて死ぬ人も大勢出ただろう。その当時、菩提樹の実が大切な食糧だった」と話した。
 討伐隊の銃声が聞こえれば、海抜600~800メートルにある日帝強制占領期間に日本軍の兵たん道路だった“鉢巻道路”を越えて、漢拏山の城板岳側に身を隠し降りてきたりもした。コさんは「銃声や人の気配でも感じられれば、反対側に逃げるしかなかった」と話した。母親はその冬に末っ子の妹を背負い隠れ場所を尋ね歩いた。寒さが厳しい時は発覚の危険を押して火を焚きもした。
 コさんの家族は、城板岳といくらも離れていないクェペニオルム(海抜792m)付近まで行って身を隠した。討伐隊は山中に隠れられるところをなくそうと、手当たり次第に火をつけた。寒さがゆるみ雪が溶ける頃、山頂の方でホイッスルの音が鳴り響いた。朝天面(チョチョンミョン)橋来里(キョレリ)に駐留していた2連隊の2個中隊兵力が城板岳から下方に“ウサギ追い”でもするように討伐作戦を行った。火に焼けた山中で隠れる所を見つけられなかった叔父といとこの姉(当時13)、母親と二番目の姉、妹が討伐隊に捕まった。彼らは橋来里に行って済州市の酒精工場に収容された。コさんと従兄(当時17)は軍人が近づくと反対方向に逃れ、山で会った住民たちと隠れ家生活をつづけた。履物はいいかげんに編んで作ったわらじしかなかった。凍傷にかかった住民たちの足からは膿が流れた。

【写真】コ・ギジョンさんがもの思いに沈んでいる=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆「11歳で山に登り、12歳で下りてきた…その時期のことを誰が理解しようか」
 1949年の春になると、帰順を勧告するビラが飛行機からまかれた。菩提樹の実もない山には食べものがなかった。「帰順したい者は白旗を掲げろ」というビラの指示に従ってコさんと従兄は白い布切れを棒に付けて山の下に下って来た。森の中に隠れて暮らしていて、討伐隊が燃やし視界が開けた野原を見ると、別世界のようだった。
 「山から下りて洞窟で一晩寝て、衣貴小学校を経て南元支署に帰順した。軍人が1カ月半程駐留した学校の運動場は、白い牛骨だらけだった。牛は住民たちが畑を耕す際に欠かせない財産だったが、軍人たちがすべて取って食べてしまった。死ぬまいと11歳で登った山を12歳で下りてきた」。コさんの話だ。
 帰順したコさんは、収容所に使われていた西帰浦のボタン工場で14日過ごして故郷に戻った。年上の従兄は1カ月さらに過ごした。ボタン工場に関する記憶は強烈だった。「人が住む所ではなかった。数百人が収容されていたようだが、私がいる間にも毎日人が死んでいたようだった。取り調べが厳しくて、取り調べを受けに行ってくれば息も絶え絶えの人がいて、ある人は一緒に取り調べを受けた人々が支えて座らせることもあった」。
 軍・警は、衣貴里を巡回し、石垣を積ませ、その中に衣貴里・水望里・漢南里の住民たちを暮らさせた。酒精工場に収容された母親と二番目の姉、妹は2カ月余りそこで過ごして故郷に戻った。ソンアンで暮らしていた母親は翌年の1950年8月に亡くなり、末の妹はそれから1年も経たずに栄養失調で亡くなった。一緒に行った叔父は、大田(テジョン)刑務所に行った後行方不明になった。ボタン工場から帰ってきたコさんは、ソンアンに暮らし、水望里と漢南里と近隣の新興里(シヌンニ)の石垣積みに動員された。
 「めちゃくちゃだった。私の目の前で何も言えずに父親と祖父、祖母が一度に亡くなった。山の中に逃げて身を隠している時に討伐隊が襲撃してきて人々が死んでいったことを思い出せば眠れない。私たちは犬や豚にも劣る取り扱いを受けた。この頃の若い人々に話しても信じられないだろう。この世でそんなことがどうして起きたのかって」

ホ・ホジュン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/872950.html
韓国語原文入力:2018-12-04 17:11


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32264.html
「The Hankyoreh」 2018-12-03 21:48
■「明鏡のようなお月様、私たちがどんな罪を犯したのですか?」
 済州4・3 椿に尋ねる 2部(7)虐殺の夜、生き残ったおばあさんが月を見て口ずさんだ

【写真】済州4・3の時に父親と上の姉を失ったイ・ジェフ氏が当時の経験を話している=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 父親(イ・ハンスク)は同じ村の姻戚たちと共に済州邑北村里(プクチョルリ)のヘドン村の岩の隙間に身を隠して、西側のモンチュギアルの断崖をじっと凝視していた。北村里の住民たちも多くいた。1948年12月11日午後5時、「タン、タン、タン」という銃声が聞こえた。軍人は北村から連れてきた女性を海辺の断崖に立たせ引き金を引いた。銃に撃たれた女性は落葉のように断崖の下に落ちていった。
 ヘドン村は、咸徳(ハムトク)海水浴場そばの犀牛峰(ソウボン)を巡る済州オルレ(小道)18コースが通る所だ。北村小学校から1キロメートル余り離れた村は、海辺にあって西側にモンチュギアルの断崖がよく見えた。しばらくして2連隊の軍人が撤収すると父親は姻戚の人たち、村の住民たちと共に一番上の姉(イ・ソンファン・当時21)の遺体を運んできて北村小学校の西側に仮埋葬した。上の姉は結婚して1年ほどの新婦だった。先に捕えられた姉の夫は行方不明だった。
 軍人たちが村で悪行を日常的に行い、一番上の姉と若い女性たちは彼らを避けて村の近隣の洞窟に身を隠した。だが、軍人たちに見つかり、多くの苦難に遭って断崖の処刑場で花のように美しく短い生涯を終えた。

【写真】犀牛峰に沿って巡る済州オルレ18コースの海に飛び出している部分がモンチュギアルの断崖だ=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆新婦だった長姉は断崖で銃殺された
 長姉を尋ねて来た日の夕方、母親(ウォン・ヒファ)は父親と姻戚の人々を迎えるために食事を準備していた。9歳だったイ・ジェフ氏(79・済州市朝天邑北村里)は、母親の横に座った。父親が口を開いた。「娘は私たちの手で埋めたが、私たちが死ねば誰が埋めるのか」座っていた人々は泣いた。イ氏は「時局が異常に流れているので、父親も迫りくる運命を予感していたようだ」と話した。
 上の姉と若い女性たちを虐殺したのは2連隊の軍人たちだった。彼らは洞窟で発見した女たちを咸徳大隊の本部に連行した。イ氏は「捕えられた日は正確には分からないが、そちらに10日あまり監禁されていて犠牲になったと承知している」と話した。

 4・3の時、父親と姉を失った済州北村里のイ・ジェフ氏
 軍人悪行被害を避けるために洞窟に身を隠した長姉は断崖で銃殺され
 父親は1カ月後の北村里大虐殺で犠牲に
 生き残った下の姉妹ははしかで亡くなり
 「最後の願いは国家賠償を受けて碑石を立てること」

 長姉が死んでから5日後の1948年12月16日、今度は村を守って軍・警に協力していた住民(民保団員) 24人が、ネンシビルレ(ナズナ畑、北村里と東福里(トンボンニ)の境界)で集団虐殺された。
 さらに大きな死の恐怖が村を襲った。翌年の1949年1月17日、北村里全体が炎に包まれた。北村小学校近隣のノブンスンイで武装隊の襲撃を受けて部隊員2人を失った軍人が報復のために家々に火を付けた。彼らは老若男女の区別なく村の住民全員を学校の運動場に追い立てた。イ・スンジェ氏(85)は「家から出て運動場に行って見ると火がうす赤く燃え上がっていた」と話した。

【写真】イ・ジェフ氏が4・3の経験を話しながら、込み上げたように涙まじりに話している=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 銃に帯剣を挿した軍人たちは、北村里の路地のイ氏宅にも押しかけた。着剣した銃で門を破り開け放した後に運動場に出てこいと脅した。父親が先に出て行き、母親は兄(当時13)と二番目の姉(当時11)、妹(当時4)が後についていった。イ氏は祖母(当時50代半ば)の手を握って家を出た。イ氏は「祖母のスカートの中に隠れて、ひよこのように首を出して見ていた。学校の南側の正門と東・西側の垣根の周辺に銃を持った軍人の姿が見えた。銃声が聞こえ、人々は学校の外に連れ出された」と当時を回想した。軍人たちは、住民を近くの畑に連れて行き銃殺し始めた。運動場は文字どおり阿鼻叫喚の地獄だった。
 『済州4・3事件犠牲者合同慰霊祭資料集』には、この日犠牲になった住民だけで282人に達すると出ている。犠牲者の中には、イ氏の父親もいた。父親が死んだところは、ノブンスンイ近隣のケスワッだった。この日の午後5時頃、指揮官が乗ったジープが咸徳からきて虐殺劇は止まった。この日の虐殺を主導した2連隊3大隊は、38度線を越えてきた西北青年団員を中心に編成されたため「西北大隊」と呼ばれていた。

◆「あまりに佗びしくて涙も出ない…私たちが何の過ちを犯したんですか」
 強風の中で降りしきる雪が飛び散り、煙と強い臭気が村を覆った。家に戻ると穀物と家畜が焼ける臭いで喉がつまった。村のわらぶきの家はほとんどが焼けていた。軍人たちはイ氏の家にも火をつけたが、幸い火は広がらなかった。家を失った住民20人余りがイ氏の家に集まった。住民たちは焼け死んだ豚を運んできて釜で茹でた。また別の釜には粟を入れて粟飯を炊いた。

【写真】済州の北村小学校の一角には「済州4・3北村住民の惨事現場」という碑石が立っている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 この日は陰暦十二月の八日。遅くにのぼった冬の月が、焼けた北村の村を照らしていた。祖母は家の中庭に立って、イ氏の手を握って月に独り言をつぶやいた。

 「明鏡のようなお月様。私たちがどんな罪を犯したのですか?教えてください。黒いのがカラスで、白いのがシラサギと知っていて、祭事があれば料理も分け合い、隣家で赤ん坊が泣いていれば乳を含ませ、雨が降れば甕に蓋をして、そんな風に平和に生きてきた私たちに、何が足りなかったのですか」
 しばらくすると母親が帰ってきた。母は着ていた葛衣(済州の伝統的な仕事着)と履いていた黒いゴム靴には血糊がついていた。手を洗った母親が村のおとな10人余りが集まって座った台所に入ってきて話した。

【写真】済州4・3当時の北村小学校=資料写真//ハンギョレ新聞社

 「あまりに佗びしくて涙も出ない。食べよう、食べよう。今夜のことも分からない。明日のことも分からない。腹いっぱいに食べて死のう」。誰かが「お父さんはどうしたか」と尋ねると、お母さんは「見つけてかますで覆ってきた」と答えた。すると大人たちは「誰それのお母さんはどのように死んだよ」とか「誰君のお父さんはどこで死んだよ」という話をやりとりした。
 粟飯を刳り鉢に盛り、茹で豚を粟わらの上に出した。そこにいた大人たちは、肉を手づかみで食べ、ご飯も手で食べた。「その日は終日そんなことがあって、次の日は死ぬのだろうと思って、人々は気が抜けた状態だった。夫と妻、両親・兄弟が死んで泣いても仕方がないのに、泣く人はいなかった。ただ魂が抜けたような状態だった。その日、祖母と母親が言った言葉が今も忘れられない」
 翌日、北村里の住民たちは近隣の咸徳里に疎開させられた。そちらでまた数十人が銃殺された。イ氏の家族は、咸徳里の上の叔母の家の牛小屋を借りて暮らし、1949年4月頃に故郷に戻った。「男のいない村」になった北村里の女たちは、わらぶき屋根の茅をつないで、夫や両親・兄弟の遺体を収拾して村の再建を始めた。その頃、済州にはしかが流行した。虐殺を免れた子供たちが虚しく死んでいった。イ氏の二番目の姉と妹もはしかで亡くなった。

◆盗んださつまいも一つ、愛の米一握り集め運動に
 4・3が起きた時、イ氏は小学校2年生だった。だが、学校はまもなく廃校になった。近隣の咸徳中学校の1年に通っている時は、同じ村の友達がさつまいもを盗み食いしたことを忘れられない。当時、北村里の子供たちは「暴徒の子」と蔑視されて、ご飯もまともに食べられなかった。せいぜい小麦粉にヨモギやヒジキを混ぜて一日一食で済ませていた。

【写真】イ・ジェフ氏=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「ある友達が畑でさつまいもを一個掘って、畑の主人が来たので逃げた。翌日、畑の主人が学校に訪ねてきて、校長先生に抗議した。体育の先生が授業が終わった後に北村里の生徒たちを運動場に集めて、体罰を加えた。精魂尽きた子供たち3人が先生の前に出てきたが、一人の友達が泣きながら告白した。「お父さんは4・3の時に行方不明になって、お母さんと弟妹二人と暮らしているが、家に食べものがなく昨日も学校に来て水を飲んだだけです。先生許してください」と言った。体育の先生は感動したのか「もう良し」と言って皆に戻れと言った。その場面を子供たちは皆見ていた。翌日その先生が友達の机に弁当を持って行った。友達が立ち上がって先生のいない教卓に向かって大きな声で「ありがとうございます」と叫ぶと、友達は拍手した。班長が出てきて「腹がへった子供たちのために、愛の米一握り集めをしたらどうか」と提案し、生徒たちが拍手でうなずいた。すると2,3年生にも知らされて、生徒会全体で愛の米一握り集め運動が広がった。その時さつまいもを盗んだ友達は、生涯を他人に喜んで施して、あの世に逝った」
 お母さんは懸命に働いた。イ氏は「独り身の母が、馬車に他人の荷物を積んで済州市内に売りに行き、私たちを食べさせてくれた。潮時になれば海辺で漁をして、畑も耕して、焚きものを拾い、馬車に載せて売りに行った」と回顧した。
 イ氏は10余年前から国家賠償がなされなければ4・3は解決されないと話してきた。「事実を明らかにし、許して和合の道に進まなければ。過ちがあったのなら政府が責任を負わなければならないのではないか?無念の死に国家賠償がなされれば、その金で碑石を立てたい。『4・3により亡くなり、政府の支援を受けてこの碑石を立てる』という字句を碑石に刻みたい」。八十路を眺めるイ氏の切実な希望だ。

ホ・ホジュン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/871946.html
韓国語原文入力:2018-11-27 13:48
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「旧海軍、毒ガス人体実験 国内で米軍使用に備えか」

2018年12月10日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018081802000288.html
「東京新聞」 2018年8月18日 夕刊
■旧海軍、毒ガス人体実験 国内で米軍使用に備えか

【写真】相模海軍工廠の報告書「除毒剤ニ関スル研究」には「人体実験」や「大水疱生ジ」などの表現が記されている=防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵

 日中戦争や太平洋戦争当時に旧日本海軍が、毒ガス研究のため国内で人体を使って実験していたことが分かった。皮膚をただれさせる「びらん剤」を塗るといった内容を詳述した複数の資料が、防衛省防衛研究所と国会図書館に所蔵されているのを共同通信が確認した。一部は軍関係者が対象と明記され、皮膚に水疱(すいほう)が生じる被害も出ていた。
 日本軍の毒ガスを巡っては、陸軍が中国大陸で戦闘や人体実験に使った記録などが一部残っている。今回の資料で海軍による人体実験が裏付けられた。
 中央大の吉見義明名誉教授(日本近現代史)ら複数の専門家は、初めて見る資料とした上で、国内で米軍との毒ガス戦を想定していたことが、実験の背景にあるのではないかと指摘する。
 防衛研究所は、海軍で毒ガス兵器の研究開発を担った技術研究所化学研究部(神奈川県)と、これが改組された相模海軍工廠(こうしょう)化学実験部(同)の報告書を複数保管する。びらん剤のイペリットやルイサイトを除毒する薬剤開発に関する内容。
 このうち相模海軍工廠が一九四四年にまとめた「除毒剤ニ関スル研究」という報告書は、開発した薬剤の効果を人体で確かめる実験を記述。イペリットを腕に塗り薬剤で洗ったり、イペリットを染み込ませた軍服の布地を薬剤で洗った後、人の皮膚に付けたりして観察した。大きな水疱ができた人がおり、一部の実験は軍関係者が対象と記している。表紙には「秘」「処理法・用済後焼却要通報」との表示がある。
 毒ガスを人に吸わせる実験の論文が国会図書館にあることも判明。「ガス検知ならびに防御に資する」目的で四一年に実施した実験では、くしゃみ剤や嘔吐(おうと)剤と呼ばれた種類の毒ガスを吸わせ、感知までの時間を調べた。
 吸入実験の対象は少なくとも十六~三十九歳の八十人だが所属は不明。健康被害はなかったとしている。著者は舞鶴海軍病院(京都府)などに所属した軍医で海軍省教育局の「秘密軍事教育図書」とされていた。
 別の海軍軍医が、理論的に耐えられないとされる濃度のガスを吸わせるなど、人を使い「幾多の実験」をしたとの先行研究が引用され、実験を繰り返したことがうかがえる。

【写真】報告書の表紙=防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵

◆陸軍も兵士に体験
 <「日本軍の毒ガス兵器」の著書がある歴史研究者松野誠也さんの話> 海軍は戦争末期、米軍が先制的な毒ガス戦に踏み切ることを恐れ、報復用にイペリット爆弾の大量生産を進めていた。切迫した状況下、米軍に使われた場合の備えとして除毒剤の開発を進め、人体実験で治療効果の確認をしたと考えられる。陸軍も教育で兵士に毒ガスを体験させていた。当時は兵士の人権に配慮しておらず、海軍も「この程度なら問題ない」という認識で実験したのではないか。
 <旧日本軍の毒ガス> 敵を殺したり戦闘能力を失わせたりするのが目的で、複数の種類があった。びらん剤は皮膚をただれさせ、目や呼吸器にも被害を与える。このうちイペリットはマスタードガスとも呼ばれる。くしゃみ剤(嘔吐剤)は目や喉に激しい刺激を生じさせる。高濃度だと嘔吐や呼吸困難に陥る。肺の障害を引き起こす窒息剤や、細胞の呼吸を阻害する血液剤もあった。国内の製造工程で多くの健康被害を出した。中国大陸には大量に遺棄され、戦後、流出による被害が報告されている。化学兵器禁止条約で日本に廃棄処理が義務付けられ、作業が続いている。


https://this.kiji.is/403344625467278433?c=39546741839462401
「共同通信」 2018/8/18 09:31
■旧日本海軍、人体で毒ガス実験   防衛研究所に報告書

【写真】相模海軍工廠の報告書「除毒剤ニ関スル研究」に記された実験結果の例。「人体実験」「大水疱生ジ」などの表現がある(防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵)

 日中戦争や太平洋戦争当時に旧日本海軍が、毒ガス研究のため国内で人体を使って実験していたことが18日、分かった。皮膚をただれさせる「びらん剤」を塗るといった内容を詳述した複数の資料が、防衛省防衛研究所と国会図書館に所蔵されているのを共同通信が確認した。一部は軍関係者が対象と明記され、皮膚に水疱が生じる被害も出ていた。

 日本軍の毒ガスを巡っては、陸軍が中国大陸で戦闘や人体実験に使った記録などが一部残っている。今回の資料で海軍による人体実験が裏付けられた。専門家は、国内で米軍との毒ガス戦を想定していたことが、実験の背景にあるのではないかと指摘する。

【写真】人体を使った毒ガス実験の報告書「除毒剤ニ関スル研究」の表紙(防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵)


http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2018-08/20/content_59433933.htm
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年8月20日15:23:04
■日メディア、旧海軍の毒ガス人体実験を証明する資料を公開
 日本の共同通信社は18日、旧日本海軍が第二次世界大戦中に日本国内で毒ガスの人体実験を実施したことを証明する資料を公開した。
 共同通信社は、皮膚をただれさせる「びらん剤」を塗るといった内容を詳述した複数の資料が防衛省防衛研究所と国会図書館に所蔵されていることを確認。
 資料には当時海軍で毒ガス兵器の研究開発を担った技術研究所化学研究部(神奈川県)、これが改組された相模海軍工廠化学実験部の報告書がある。
 相模海軍工廠が1944年にまとめた『除毒剤ニ関スル研究』という報告書は、開発した薬剤の効果を人体で確かめる実験を記述。
 報告内容によると、被験者の腕にイペリットを塗った後に薬剤で洗ったり、イペリットを染み込ませた軍服の布地を薬剤で洗った後、人の皮膚に付けたりして観察した。大きな水疱ができた人もいたと記載されている。表紙には「秘」「処理法・用済後焼却要通報」などの表示がある。 
 そのほか、毒ガスを人に吸わせる実験の論文が国会図書館にあることもわかった。1941年に「ガス検知ならびに防御に資する」目的で実施した実験では、くしゃみ剤や嘔吐剤と呼ばれる毒ガスを吸わせ、感知までの時間を調査。
 論文はそのほかの海軍軍医による過去の研究も引用。理論的に限度を超えた濃度の毒ガスを吸わせるなどの人体実験もあり、このような実験が繰り返し行われていたことがわかる。
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「「6年間、壁に描かれていた旭日旗、ついに…」 韓国人生徒の努力で消されることに」

2018年12月10日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://japanese.joins.com/article/873/247873.html?servcode=400§code=400&cloc=jp|article|ichioshi
「中央日報日本語版」 2018年12月07日07時59分
■「6年間、壁に描かれていた旭日旗、ついに…」 韓国人生徒の努力で消されることに

【写真】カナダ・トロントのエトビコ芸術高校の廊下の壁に描かれていた旭日旗(写真提供=カン・ミンソさん)

 カナダ・トロントにあるエトビコ総合芸術高等学校。この学校の廊下の壁に描かれていた旭日旗が生徒たちの努力で6年ぶりに消されることになった。
 同校に通うカン・ミンソさん(15)は「6年前、生徒たちが芸術祭で上映する歴史関連演劇を準備しながら描いた旭日旗がまだ教室の廊下に残っている」としながら「とうとうこの旭日旗がなくなる」と6日、明らかにした。
 これまで旭日旗をめぐりカンさんや中国・フィリピン系の生徒は学校に繰り返し抗議をしてきた。これに関連し、学校側は4日に会議を開き、旭日旗をペイントで上塗りして消すことを決めた。カンさんは「冬休み開始前に消すと校長先生から聞いた」とし「今月6~7日に生徒を対象に『旭日旗に対してどう思いますか』という題名の発表も進める予定」と話した。
 カンさんは発表内容について「日本帝国主義時期の旭日旗を前面に出して犯した日本関東軍731部隊の残酷性、若い女性たちの人権を蹂躪(じゅうりん)した日本軍慰安婦の蛮行などについて発表する予定」としながら「日本戦争野心の被害を受けた韓国をはじめ、中国やフィリピンなどアジア地域の国民は旭日旗を見ればその時の傷を思い出すということを教えたい」と説明した。
 カンさんは発表に使う旭日旗関連資料を在トロント韓国総領事館と徐敬徳(ソ・ギョンドク)誠信(ソンシン)女子大教授などから入手した。
 7歳の時にカナダに移民したカンさんは「私はカナディアンだが韓国人でもある」としながら「外国に住みながら常に韓国人であることを思い出し、韓国のためにできることがあるなら最善を尽くしてやりたい」と付け加えた。


https://japanese.joins.com/article/896/247896.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」  2018年12月07日10時47分
■米LAコリアタウンにある公立学校の「旭日旗壁画」、消されることに

【写真】11月15日、韓国人がロバート・F・ケネディ・コミュニティ・スクールの旭日旗模様の壁画の前で「正しい歴史認識」を求めている(写真=米州中央日報)

 米国LAコリアタウンにある公立学校であるロバート・F・ケネディ・コミュニティ・スクール(Robert F. Kennedy Community Schools)の体育館外壁に描かれていた旭日旗が韓国人の抗議で消される予定だ。
 ロサンゼルス統一学区(LAUSD)のロベルト・マルティネス教育長は6日(現地時間)に記者会見を開き、「韓人コミュニティの指摘に共感して、学校と地域社会の保護のために論争のあった壁画を冬休み期間中に消すことにした」と述べた。続いて「歴史の教訓を認識して傷を癒やさなければならないという韓人社会の意見に共感する」と付け加えた。
 壁画は2016年5月に行われた壁画祭りの時に画家ボー・スタントン氏が描いたものだ。数棟ある学校建物の間から旭日旗を想起させる模様が見える。韓人社会は壁画が登場した時点から旭日旗模様がナチス・ドイツを象徴する鉤十字(ハーケンクロイツ)と同じだと指摘した。それでも学校やLAUSD、スタントン氏は「そのような意図ではない。全く知らなかった」という言葉だけを繰り返してきた。
 これに先立ち、カナダある学校では、廊下の壁に描かれていた旭日旗が韓国人生徒たちの抗議の末に消されることが決まっている。
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「大邱市でも慰安婦被害者支援条例を制定」

2018年12月09日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32277.html
2018-12-05 12:04
■大邱市でも慰安婦被害者支援条例を制定
 市議会、4日に常任委員会で条例案処理 
 19日の本会議通過が有力

 「日帝下での日本軍慰安婦被害者支援および記念事業に関する大邱市条例案」を代表発議した大邱市議会共に民主党のカン・ミング市議会議員=大邱市議会提供//ハンギョレ新聞社
 大邱(テグ)市議会は4日、文化福祉委員会を開き「日帝下での日本軍慰安婦被害者支援および記念事業に関する大邱市条例案」を可決した。同条例案は、19日に開かれる大邱市議会本会議を通過するものとみられる。
 条例案には、「日本軍慰安婦被害者に関する記念事業、被害者に対する歴史的資料収集、保存、管理、展示および調査、研究、教育、広報、被害者の名誉回復のための国際交流および共同調査などのための国内外の活動が可能だ」という内容が含まれている。また、現在大邱に暮らしている日本軍慰安婦被害者に支給する生活補助金を1カ月50万ウォン(約5万円)から100万ウォン(約10万円)に増やし、死亡弔慰金100万ウォン、旧正月と秋夕(チュソク=中秋節)にそれぞれ50万ウォンずつ支給する規定も新設した。
 同条例案は、共に民主党所属のカン・ミング市議会議員が代表発議し、同党のキム・ソンテ、キム・ドンシク、イ・ジンリョン市議会議員や自由韓国党のカン・ソンファン、キム・ビョンテ、キム・ウォンギュ、パク・ウグン、イ・シボク、イ・テソン、ハ・ビョンムン、ホン・インピョ市議会議員など11人が署名した。カン・ミング市議員は「2009年7月、大邱で初めて日本軍慰安婦問題の解決を求める大邱市議会決議案が採択され、その精神を込めたかった。条例案が通過すれば、日帝下での日本軍慰安婦被害者の方々の名誉を回復し、安定した暮らしを送る上で小さな力になると期待している」と述べた。
 しかし、当初条例案には慰安婦被害者に関する造形物、銅像などの記念物の設置と慰安婦被害者支援事業を展開する個人や団体に事業経費を支援することができるという2つの内容が含まれたが、常任委員会で条例案を審査する過程で削除され、市民団体の激しい反発が予想される。市民団体は「予算を支援できる内容が削除され、慰安婦被害者支援事業が今後さらに難しくなった」と指摘した。日本軍慰安婦被害者の支援条例が制定されている広域自治団体は、ソウル、釜山、京畿道、光州、慶尚南道などだ。

ク・デソン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/873012.html
韓国語原文入力:2018-12-04 17:33
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「妨害禁止の慰安婦映画、混乱なく上映 横須賀」

2018年12月09日 | 日本軍隊性奴隷
https://www.kanaloco.jp/article/376564/
「神奈川新聞」 2018/12/08 22:54
■妨害禁止の慰安婦映画、混乱なく上映 横須賀

【写真】トークショーで話す朴監督 =横須賀市

 元慰安婦を追ったドキュメンタリー映画「沈黙-立ち上がる慰安婦」の上映会が8日、横須賀市西逸見町1丁目の市生涯学習センターで開かれた。右翼団体が各地で上映妨害を繰り返しており、横浜地裁が横浜市内の右翼団体に対して、この日の妨害禁止を命じる仮処分決定を出していた。市民有志らが警戒する中、上映会は混乱なく終了。朴壽南(パク・スナム)監督は「ここ数日、生きた心地がしなかったが、多くの日本の方が集まってくださり希望になった」と話した。
 会場には、市民有志約90人のほか弁護士5人、神奈川県警の120人が集まり、警戒した。右翼団体は姿を現さず、一時は中止が検討された監督のトークショーも無事行われた。主催者の男性は「排外主義が吹き荒れ、日本人がどう向き合うかという時代に入った気がする。ここで負けてはいけない」と述べた。
 作品は、2017年制作。李玉先(イ・オクソン)さんなど元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちが、「法的責任は解決済み」とする日本政府に謝罪と補償を求めた1990年代の闘いを描く。10月に茅ケ崎、11月に横浜で開かれた上映会では、複数の右翼団体が上映を妨害していた。


https://japanese.joins.com/article/871/247871.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年12月07日07時34分
■慰安婦映画『沈黙』上映控え…横浜地裁「右翼妨害禁止」決定
 日本で慰安婦被害者を題材にしたドキュメンタリー映画『沈黙―立ち上がる慰安婦』(以下、『沈黙』)上映を控えて志を一つにした弁護士が上映会場付近の右翼団体妨害行為に対して現地裁判所から禁止仮処分決定を獲得した。
 6日、神奈川県で活動する神原元弁護士や同映画を演出した朴壽南(パク・スナム)監督らは横浜弁護士会館で記者会見を開き、この日横浜地裁がこのような決定を下したと明らかにした。
 在日同胞2世の朴監督が演出した映画『沈黙』は、自分の名前を明らかにした慰安婦被害者15人が沈黙を破って日本にやってきて謝罪と賠償を要求する闘争記録をまとめたものだ。
 2016年ソウル国際女性映画祭(SIWFF)で韓国の観客に紹介されたことがあり、日本では昨年12月に東京で封切られてから地方都市で巡回上映会方式で公開されている。
 この日、神原弁護士は「今月8日の横須賀上映会を控え、全国140人の弁護士が力を合わせて上映会主催側代理人として4日に右翼団体の接近を制限する仮処分を申請し、今日裁判所で決定が下された」と述べた。
 該当右翼団体は「菊水国防連合」で、横浜地方裁判所は上映会場から半径300メートル以内の街頭宣伝など一切の妨害行為を禁止する内容の仮処分決定を下したと神原弁護士は説明した。
 また裁判所は、該当時間に具体的には集会を開いたり街頭宣伝カーやスピーカーを使ったりする行為、または大声を出すなど上映活動を妨害する行為の禁止を決めたと説明した。
 弁護士が協力して裁判所に仮処分申請を出した背景には、先月28日の横浜上映会で右翼団体の宣伝カーが登場し、右翼団体のメンバーが特攻服姿で会場に乱入する事態が起こったためだ。
 これに先立ち10月、神奈川県茅ヶ崎市市民文化会館での上映会を目前に控えた時点では、市と市の教育委員会に抗議が殺到したことがある。
 神原弁護士は「日本の加害責任を直視するべきだという映画上映会を暴力と脅迫で圧迫しようとする行為は憲法に保障された表現の自由を侵害するもの」としながら「民主主義社会の根幹を揺るがすという点で見過ごすことはできなかった」と仮処分申請の理由を説明した。
 記者会見に同席した朴監督の娘である麻衣さんは「今からわずか3日前に弁護士に相談したことだが、仮処分申請が速やかに行われて今日良い結果をいただけた」と話した。また「先月末の横浜上映では右翼団体が2時間にわたって居座り、恐怖を感じた」と打ち明けた。
 記者会見に参加した朴監督は「多くの平凡な市民が今まで上映会を助けてくれて非常にありがたく考えている」とし「ドキュメンタリー映画というのは、非常に弱い存在の最後の絶叫であり悲鳴」と述べた。
 神原弁護士は「今回の決定で、右翼団体のそうした行為は許されないという雰囲気を作りたい」とし「全国140人の弁護士は今後も上映会が正常に行われるように法的措置を追加で講じていく」と強調した。


「共同通信」 2018/12/6 19:41
■慰安婦映画上映の妨害禁止命じる  横浜地裁、仮処分決定
 元従軍慰安婦の女性を題材にした映画上映の妨害禁止を求める仮処分を主催者が申し立て、横浜地裁(宮沢睦子裁判官)は6日、右翼団体に対し、上映会場の半径300メートル以内で街宣車やスピーカーの使用など一切の妨害行為の禁止を命じる決定を出した。申し立て代理人の神原元弁護士が明らかにした。
 映画は8日午後に神奈川県横須賀市で上映される予定。決定は、団体の関係者が同日正午から午後10時までの間、妨害行為をすることを禁じた。


https://www.jiji.com/jc/article?k=2018120600778&g=soc
「時事ドットコムニュース」 2018年12月06日19時12分
■慰安婦映画の上映妨害を禁止=会場周辺でデモや街宣-横浜地裁
 従軍慰安婦問題をテーマにしたドキュメンタリー映画をめぐり、神奈川県横須賀市で上映会を企画した市民団体が、右翼団体の妨害禁止を求めた仮処分申請で、横浜地裁は6日、会場周辺でのデモや街宣活動を禁じる決定を出した。
 宮沢睦子裁判官は「妨害行為をする恐れがあり、保全の必要性も認められる」として、会場から半径300メートルでの妨害行為を禁止した。
 映画は、在日朝鮮人の女性監督が撮影した「沈黙~立ち上がる慰安婦」で、慰安婦だった女性の視点から描いた作品。
 原告の代理人弁護士によると、10月と11月に同県茅ケ崎市や横浜市で開かれた上映会では街宣車が集まり、右翼団体の構成員が会場に押し入ろうとするなどしたという。弁護士は「表現、言論の自由に対する暴力であり、許されない」と話した。


https://www.kanaloco.jp/article/374593
「神奈川新聞」 2018/11/29 02:00
■脅迫や右翼街宣で妨害行為 横浜で元慰安婦の映画上映

【写真】警察官がバリケードをつくる中、会場前の道路を右翼団体の街宣車が連なった=横浜市中区(画像を一部修整しています)

 元慰安婦の女性たちを追ったドキュメンタリー映画の上映会が28日、横浜市中区の横浜情報文化センターで開かれた。在日朝鮮人2世の朴壽南(スナム)監督(83)の娘でプロデューサーの麻衣さん(50)に匿名の脅迫メールが届いたほか、会場周辺では作品を非難する右翼団体の街宣車が周回し、警察官が警戒。右翼団体の男性が入場しようとし、上映会スタッフと押し問答になる場面もあった。
 作品は「沈黙-立ち上がる慰安婦」。元慰安婦の15人のハルモニ(おばあさん)が、「法的責任は解決済み」とする日本政府に対して謝罪と補償を求めた1990年代の闘いを中心に描いている。
 10月に茅ケ崎市で開かれた上映会では、極右政治団体幹部を名乗る男性が入場しようとし、右翼団体の街宣車も周辺に押し掛けた。また、この日の上映会に先立つ今月25日には右翼団体の街宣車が会場周辺で上映中止を訴えたこともあり、上映側は警戒していた。
 28日午前、麻衣さん宛てに作品の内容を非難し、在日朝鮮人を差別する内容の匿名メールが届いた。警察官がバリケードを作る中、複数の右翼団体の街宣車が午後8時ごろまで会場周囲を回り、拡声器で「反日」などと叫んだ。午後7時ごろには特攻服姿の右翼団体の男性が会場に入ろうとし、警察官に囲まれ会場を後にした。
 スタッフの男性は「萎縮させることで上映を止めさせるのが彼らの目的。ここで止めると波及する。絶対に上映し続ける」。麻衣さんは「これまで1年間上映を続けてきたが、茅ケ崎までこういう妨害はなかった。韓国の最高裁判所が徴用工として働いた韓国人への賠償を日本企業に命じた判決後、被害者たちが請求すること自体が不当との印象を与える発言を日本政府が続けており、右翼が勢いづいたと思う」と当惑した表情を浮かべた。朴監督は「この映画に対する攻撃はある意味、ヘイトスピーチだ」と訴えた。
 上映会は12月8日にも横須賀市内で開かれる予定で、すでに右翼団体構成員が中止を求めて会場を訪れている。
コメント

「ジャパンタイムズ「慰安婦・徴用被害者の呼び方から『強制』排除」」

2018年12月09日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://japanese.joins.com/article/919/247919.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年12月08日09時11分
■ジャパンタイムズ「慰安婦・徴用被害者の呼び方から『強制』排除」

【写真】日帝強制徴用被害生存者の李春植(イ・チュンシク)さん

 日本国内の英字紙「ジャパンタイムズ」が第2次世界大戦当時の日本による強制徴用および慰安婦被害者について「強制性」を排除する表現を使用することにし、国際的な論議を呼んでいる。
 これに関連し同紙は7日、編集主幹は異例にも全面社告を掲載し、「全体の編集方針の変更を意図したものではない」と釈明した。続いて「今回の決定はジャパンタイムズの編集者が1年以上にわたり関連事案についてさまざまな議論をして決めた」とし「独立的なメディアのジャパンタイムズは外部圧力に屈したのではない」と強調した。読者にも「複雑な問題をおことわりで簡略に説明し、読者のさまざまな解釈を招いた」と謝罪した。
 同紙は「呼び方の変更は論争の余地がある部分について客観的な観点を反映するため」とし「この問題について内部の議論を現在進行中で、近いうちに明確な説明を出す」と伝えた。
 ジャパンタイムズは先月30日、「おことわり」を通じて徴用工について「強制労働者(forced labor)ではなく戦時中の労働者(wartime laborer)という呼称を使うことにした」と伝えた。
 ジャパンタイムズは「徴用工は戦時中に日本の会社に採用された者を表す用語」とし「しかし働く条件と採用された過程はそれぞれ異なるため、今後は戦時中の労働者と記述する」と主張した。
 ジャパンタイムズのこうした主張に対し、英ガーディアン紙は「安倍保守政権と歩調を合わせた」と指摘するなど、国際社会は同紙が特定の政治的な圧力に屈したと批判した。


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/08/2018120880007.html
「朝鮮日報日本語版」 2018/12/08 08:48
■「強制徴用者」を「戦時中の労働者」と記載、ジャパンタイムズが社告で釈明
 圧力に屈したとの見方は「断固否定」

 日本の英字紙ジャパンタイムズが、「従軍慰安婦・強制徴用被害者に対する論調を日本政府寄りに変えた」という海外読者の批判に反論した。
 ジャパンタイムズは先月30日、記事の下の注釈に、旧日本軍従軍慰安婦を「戦時に旧日本軍を対象とした売春街で働いていた女性」と、強制徴用者を「戦時中の労働者」と呼ぶと記載した。これは、日本がこうした人々を強制的に動員したという認識をなくし、中立的に規定したものだ。
 水野博泰編集主幹は7日の同紙社告で、「私はジャパンタイムズが外部からの圧力に屈したどのような非難も断固として否定する」と述べ、読者・社員との信頼関係を壊したことについて謝罪した。そして、「事案の複雑な特性を考えると、短い注釈では説明が不十分で、これがジャパンタイムズの方向性に対する無数の仮定につながった」と語った。
 ジャパンタイムズは先月30日付の記事で、慰安婦と強制徴用の単語としての意味を新たに規定するという内容の注釈を掲載し、海外の読者から激しい非難を浴びた。この注釈は韓国大法院(最高裁判所)が先月29日、パク・チャンファン氏=故人=らの強制徴用被害者5人が三菱重工業を相手取り起こした訴訟で、同社に対して被害者に1人当たり8000万ウォン(約800万円)の慰謝料を支払うよう命じた記事の下に付けられていた。海外メディアは、ジャパンタイムズが「韓国大法院の判決は受け入れがたい」という安倍晋三政権の見解に合わせ、慰安婦や強制徴用の意味をあらためて定義付けたものだと指摘していた。
 ジャパンタイムズは注釈で「今後は慰安婦を『旧日本軍に性行為を提供するため戦争期間中に売春街で働いていた女性』と規定する。これには、自分の意思とは関係なく連れてこられた女性も含まれる。これは、女性によってそれぞれが経てきた経験の範ちゅうが多様だからだ」と説明した。
 強制徴用については「強制労働という用語は第二次世界大戦前と戦争中に日本企業のため雇用された労働者を指すのに使用されてきたが、これらの人々が働いていた条件や採用過程などが多様であるため、私たちは今後、これらの人々を『戦時中の労働者』と呼ぶ」と説明した。
                               パク・スヒョン記者

https://this.kiji.is/443612082935596129?c=39546741839462401
「共同通信」 2018/12/7 12:15
■ジャパンタイムズが釈明の社告  元徴用工の呼称変更などで
 英字紙ジャパンタイムズは7日付の紙面で、同紙が従軍慰安婦や韓国人元徴用工に関する説明や呼称を変えたことは「全体の編集方針の変更を意図したものではない」とする全面社告を掲載した。特定の政治的圧力に屈したとの見方については「断固否定する」とした。
 ジャパンタイムズは先月30日、徴用工問題で「forced labor(強制労働)」の文言を使うことは誤解を招く可能性があるとして、今後は「wartime laborer(戦時中の労働者)」とし、慰安婦問題でも「強制的に働かされた」としてきた説明を「意思に反して働いていた者も含まれる」との記述に変更するとした。


https://www.mbs.jp/news/zenkokunews/20181208/3543220.shtml
「MBSニュース」 2018-12-07 17:22
■ジャパンタイムズ、慰安婦問題などで異例の社告
 日本国内で発行されている英字紙ジャパンタイムズは7日、いわゆる従軍慰安婦や韓国人徴用工に関する説明や呼び方を変えたことについて釈明する異例の社告を掲載しました。
 英字紙ジャパンタイムズは先月30日、前日に韓国の最高裁が三菱重工に言い渡した韓国人の元徴用工らに対する賠償を命じる判決について報じる中で、「強制労働」としてきた文言を、「戦時中の労働者」に変えるとする、おことわりを掲載しました。変更理由についてジャパンタイムズは、どんな条件下で働いたかや労働するに至った過程が多様であるため、「誤解を招く可能性がある」としていました。また、同様に、いわゆる従軍慰安婦についても、「強制的に働かされた」としてきた説明を、「意思に反して働いていた者も含まれる」との記述に変更するとしていました。
 これについてジャパンタイムズは7日、水野博泰編集主幹名で異例の全面社告を掲載し、このおことわりが「これまで培ってきた読者らとの信頼関係を損ねた」として謝罪。「全体の編集方針の変更を意図したものではない」と釈明した上で、外部からの政治的な圧力に屈したとの見方については、「断固として否定する」と強調しました。


https://www.sankei.com/photo/daily/news/181207/dly1812070005-n1.html
「産経フォト」 2018年12月8日
■慰安婦問題で釈明社告 ジャパンタイムズ

【写真】ジャパンタイムズに掲載された社告

 英字紙ジャパンタイムズは7日付の紙面で、同紙が従軍慰安婦や韓国人元徴用工に関する説明や呼称を変えたことは「全体の編集方針の変更を意図したものではない」とする水野博泰編集主幹名の異例の全面社告を掲載した。特定の政治的圧力に屈したとの見方については「断固否定する」とした。.
 ジャパンタイムズは先月30日、徴用工問題で「forced labor(強制労働)」の文言を使うことは誤解を招く可能性があるとして、今後は「wartime laborer(戦時中の労働者)」との呼称を用いるとのおことわりを掲載。慰安婦問題でも慰安所で「強制的に働かされた」としてきた説明を「意思に反して働いていた者も含まれる」との記述に変更するとした。.
 これに社内の一部で反発が起き、インターネット上でも変更の是非について議論が広がった。英紙ガーディアンが東京発の記事で、安倍晋三首相の保守的な姿勢と足並みをそろえたとの見方を紹介するなど、国際的にも波紋を呼んでいた。


https://www.japantimes.co.jp/2018/12/06/announcements/message-executive-editor/#.XA2is4v7Tcs
「The Japan Times Announcements」 Dec 6, 2018
■Message from the Executive Editor
  In the Friday Nov. 30 issue of The Japan Times, we published an Editor’s Note on our language regarding “comfort women” and “forced labor.”
  Following multiple discussions on the issue that commenced more than a year ago, the decision to revise our descriptions of these terms was made by myself as executive editor, along with senior editorial managers, in the belief that the change would better reflect a more objective view of topics that are both contentious and difficult to summarize.
  Given the complexity, the brief note was insufficient, and therefore led to a number of assumptions about the direction of The Japan Times, which came under new management in June 2017.
  For our readers, the change warranted a more detailed and nuanced explanation of our decision. As a media organization, one of our duties is to communicate efficiently and avoid ambiguity. The note failed to do that.
  We must acknowledge the fact that the note damaged the relationship of trust that we have developed with our readers, our writers and our staff. For this, we humbly apologize.
  Although the note was not intended to signal a change in our overall editorial direction, we realize that this could be misconstrued as the result of political pressure. It pains us, as journalists, that this note has tarnished our reputation as an independent voice, and I categorically deny any accusations that The Japan Times has bowed to external pressure.
  The Japan Times has long prided itself on its independence and adherence to the fundamental principles of quality journalism. This will not change.
  We are currently engaged in further internal discussions to scrutinize and amend our language regarding these contentious issues. Furthermore, we intend to present our findings and fully clarify our descriptions of these controversial topics in the near future.
  To improve as a media organization, it is important for us to listen to all of your voices.

   Hiroyasu Mizuno   Executive Editor
コメント

「ユネスコは日本に屈服することなく慰安婦記録物登載手続きを」

2018年12月09日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32306.html
「The Hankyoreh」 2018-12-07 21:07
■「ユネスコは日本に屈服することなく慰安婦記録物登載手続きを」
 慰安婦記録物の世界記録遺産搭載推進する慰安婦連帯委 
 「世界署名運動通じユネスコの迅速な決断を促す」

【写真】「日本軍慰安婦関連記録物のユネスコ世界記録遺産共同登載のための国際連帯委員会」が7日午前、ソウル市鍾路区のセンターポイントビルで記者会見を行い「ユネスコは慰安婦記録物登載のための(韓日間)“対話”仲裁に早く乗り出せ」と主張した=シン・ミンジョン記者//ハンギョレ新聞社

 日本軍慰安婦記録物のユネスコ世界記録遺産登載を推進する民間団体が、ユネスコが昨年10月に記録物の登載を保留し発表した「申請者間の対話促進」に乗り出すよう促した。同団体はユネスコの決断を促すために、世界の市民から署名を集めてユネスコに伝達するとの意も明らかにした。
 韓国・日本・中国など7カ国14の民間団体が集まった「日本軍慰安婦関連記録物ユネスコ世界記録遺産共同登載のための国際連帯委員会」(国際連帯委員会)は7日午前、ソウル市鍾路区(チョンノグ)のセンターポイントビルで記者会見を行い、「様々な経路を通じて日本が“対話”をできないようにしているという情報を聞いた」として「日本の歴史問題に対する退行的行為を糾弾し、ユネスコは慰安婦記録物の登載のための(韓日間)“対話”の仲裁に早く乗り出せ」と話した。
 国際連帯委員会が言うところの“対話”とは、ユネスコが指定した仲裁者を通じた韓日当事国間の対話を意味する。2016年、国際連帯委員会は朝鮮半島出身被害者のうち初めて被害を証言したペ・ポンギさんの肉声証言テープと、慰安婦被害者調査資料など各国に散在していた慰安婦関連記録物2744件を集めて、ユネスコ世界記録遺産に登載申請をした。翌年の2017年2月、ユネスコ登載審査小委員会が「唯一で代替不可能な資料」と高く評価もした。
 だが昨年10月、ユネスコ国際諮問委員会は慰安婦記録物の登載を保留して「慰安婦と日本軍規律に関する記録」を申請した日本の団体と“対話”することを薦めた。「世界記録遺産と関連して当事国間に異見がある時は、当事国に対話を促し最長4年間登載を保留する」という趣旨の新たな決議にともなう措置であった。日本の民間団体「歴史の真実を求める世界連合会」は「慰安婦が合法的に運営された」という趣旨の資料6件を持ってユネスコに記録遺産登載申請をした状態だった。
 国際連帯委員会は、ユネスコが対話のための手続きを踏んでいないと批判した。シン・ヘス国際連帯委員会事務団団長はこの日記者会見で「今年5月、ユネスコからアンシア セラーズ博士を(韓日対話のための)仲裁者に決めるという書簡を受け取り、『歓迎する』趣旨の書簡を送ったが、その後何の返事も受けていない」として「日本の圧力と反対があることは明らかだが、それでも対話は進行されなければならず、ユネスコは“対話”過程を踏まなければならない」と明らかにした。ユネスコに最も多くの分担金を出している日本は、2017年慰安婦記録物登載決定を控えて分担金の支給を先送りし、ユネスコを圧迫したことがある。
 国際連帯委員会は、消極的なユネスコの態度を指摘して「世界署名運動を通じて対話仲裁を促す」という意向を明らかにした。キム・ソンシル韓国委員会代表は「全世界の市民に慰安婦記録物が永遠に保存されるべきであり、世界記録遺産に登載されなければならないということを広く知らしめ、署名運動を今日から始めようと思う」として「オンライン(www.voicecw.orgまたはwww.voicecw.com)署名運動と共にオフラインでも全国民を対象に署名運動を行い、市民の同意を集めてユネスコ事務局に伝達する予定」と話した。
 また団体は、ユネスコ事務総長に面談を要請する趣旨の書簡も公開した。シン団長は「日本政府が慰安婦記録物の登載努力を妨害するのは人権に反する行為で、世界的傾向に逆行すること」としながら「もしユネスコが日本の圧力に屈して登載されなければ、民間団体が別に人権アーカイブを作る方法も考慮している」と話した。

シン・ミンジョン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/873500.html
韓国語原文入力:2018-12-07 15:07
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「犠牲者追悼碑建立から30年 勤労挺身隊訴訟支えた日本団体」

2018年12月08日 | 抗日・反日闘争
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181206004700882?section=news
「聯合ニュース」 2018.12.07 08:56
■犠牲者追悼碑建立から30年 勤労挺身隊訴訟支えた日本団体
【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代の1944年5月、韓国の光州や全羅南道、忠清南道などで暮らしていた少女300人余りは「お金も稼げるし、勉強もさせてあげる」という言葉にだまされ、三菱重工業の名古屋航空機製作所に向かった。

【写真】1944年の昭和東南海地震による犠牲者を追悼する碑(提供写真)=(聯合ニュース)

 1日12時間の重労働だけでなく、暴力までふるわれる生活に17カ月間も耐えた。賃金は一銭も支払われない強制労働だった。
 日本側は数十年にわたり「強制労働はなかった」との主張を繰り返したが、良心的な声をあげる日本人も存在した。「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の高橋信共同代表や小出裕事務局長などがその代表だ。
 同団体は募金活動を行い、1988年12月7日に名古屋市内の三菱工場の跡地近くに追悼碑を建立した。この碑は1944年12月7日に発生した昭和東南海地震により崩れた工場の建物の下敷きとなった犠牲者を追悼するもので、犠牲者の中には朝鮮半島出身の強制労働被害者6人が含まれている。
 同団体は、元女子勤労挺身隊員の被害者らが1999年に日本政府と三菱重工を相手取り損害賠償を求める訴訟を日本で起こした際、敗訴が確定する2008年まで原告の訴訟費用、日本への渡航費用、滞在費などを支援し、被害者の名誉回復と救済のために努力した。
 また2007年7月から毎週金曜日に街頭に立ち、三菱の謝罪と自発的な賠償を促す「金曜行動」を448回にわたり続けている。
 韓国大法院が先月29日、日本による植民地時代だった戦時中に三菱重工で働かされた韓国人被害者が同社を相手取り起こした損害賠償請求訴訟2件の上告審で、いずれも賠償の支払いを命じる原告勝訴の判決を出した際も、同団体は翌日に、三菱重工本社に近い東京・品川駅前で同社に判決の受け入れを促す呼びかけを行った。
 同団体が名古屋に追悼碑を建設してから7日で30年を迎えた。同団体の呼びかけにもかかわらず、日本政府は1965年の韓日請求権協定で個人請求権問題は解決済みとの立場を変えずにいる。
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「元韓国大法官2人の逮捕状請求却下、元徴用工判決など介入容疑」

2018年12月08日 | 韓国で
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/07/2018120780012.html
「朝鮮日報日本語版」 2018/12/07 10:01
■元韓国大法官2人の逮捕状請求却下、元徴用工判決など介入容疑
 韓国大法院(最高裁に相当)が朴槿恵(パク・クンヘ)前政権の意向を受け、元徴用工が日本企業を相手に起こした損害賠償請求訴訟の判決を遅らせたなどとされる司法行政権乱用疑惑で、韓国検察当局は法院行政処長を歴任した元大法官(最高裁判事に相当)2人の逮捕状を請求したものの、ソウル中央地裁に7日未明に却下された。
 検察は元大法官の朴炳大(パク・ピョンデ)、コ・ヨンハンの両氏が司法行政権の乱用について、指示または関与していたとみて捜査を進めていた。裁判所の人事、行政を統括する法院行政処の業務の性格上、行政処次長から処長、大法院長(最高裁長官に相当)へと報告がなされていたと判断したからだ。検察は両氏を逮捕した上で、司法行政を統括する梁承泰(ヤン・スンテ)元大法院長に対する捜査も急ぐ構えだった。しかし、両氏に対する逮捕状の請求が却下されたことで捜査は難航が予想される。
 両容疑者の逮捕状審査を担当したソウル中央地裁の判事は「共謀関係の成立に疑問があり、証拠隠滅の恐れもない」として、請求を却下した。
 検察はこのうち、朴氏について、日帝(日本帝国主義)による強制徴用をめぐる訴訟などさまざまな裁判に介入した疑いがあるとみていた。憲法裁判所への派遣裁判官を通じ、内部情報を収集した疑いも指摘されていた。コ氏は釜山での裁判官不正疑惑の波紋が広がらないように不当な影響力を行使し、現職裁判官が関わった「チョン・ウンホ事件」で裁判所に捜査の手が及ぶのを防ぐため、逮捕状審査を担当する判事を通じ、機密事項の報告を受けた疑いも持たれている。大半が職権乱用の疑いだが、裁判所は当事者の関与が確からしいという疎明が不十分だと判断した格好だ。
 検察は逮捕状審査で、「2人の元大法官は司法行政権を統括する法院行政処長を務めた際、職権を乱用し、裁判所が組織的に裁判に介入するよう指示した」と主張。一方、両元大法官は「正当な業務指示だった」「実務担当者が行ったことで事後に報告を受けた」という趣旨の説明を行い、被疑事実の大部分を否認したという。
 検察は今月3日、両元大法官の逮捕状を請求し、梁元大法院長を共犯として名指しした。しかし、裁判所が両元大法官の被疑事実について、十分な立証がなされていないと判断したことで、捜査に無理があったのではないかとの指摘は避けられない見通しだ。
 検察は当初、両元大法官を逮捕後、梁元大法院長に出頭を求める方針だった。検察内部では年内に捜査を終結させるという計画を立てていた。しかし、梁元大法院長に捜査を拡大する手立てがなくなり、梁元大法院長への出頭要求時期は遅れることになりそうだ。
                                キム・ジョンファン記者


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181207000300882?section=news
「聯合ニュース」 2018.12.07 08:50
■前最高裁判事の逮捕状請求を棄却 韓国地裁
【ソウル聯合ニュース】韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権時代、大法院(最高裁)が政権の意向を受け、日本による植民地時代に強制徴用された被害者らが日本企業を相手取り損害賠償を求めた訴訟の判決を先送りしたなどの疑いが持たれている前大法官(最高裁判事)の朴炳大(パク・ビョンデ)氏と高永ハン(コ・ヨンハン)氏について、ソウル中央地裁は7日未明、逮捕状請求を棄却した。検察は3日に職権乱用などの疑いで両氏に対する逮捕状を請求していた。大法官経験者への逮捕状請求は初。

【写真】逮捕状請求が棄却され、待機していたソウル拘置所を出る朴氏=7日、義王(聯合ニュース)

 ソウル中央地裁は6日、朴氏と高氏をそれぞれ呼び出し、逮捕状発付の可否を決める令状審査を行った。その結果、「共謀関係の成立に対し疑問の余地がある」「現段階で拘束の理由や必要性、相当性を認めることは難しい」などとして請求を棄却した。
 令状審査で両氏は容疑を否認したとされる。
 検察は「常識に外れる」と反発している。だが、新たな手掛かりを確保できない限り、逮捕状を再請求しても裁判所の判断は覆らないとみられることから、検察は両氏を出頭させ捜査を進める可能性が高いとされる。


https://this.kiji.is/443326073886475361?c=39546741839462401
「共同通信」 2018/12/7 01:34
■元最高裁判事の逮捕状棄却  韓国の徴用工訴訟遅延疑惑
【写真】2015年1月、行事に出席した梁承泰最高裁長官(右)と朴槿恵大統領(肩書はいずれも当時)=韓国・鶏竜(聯合=共同)

【ソウル共同】韓国の朴槿恵前政権期に韓国最高裁の所属機関「法院行政所」が元徴用工の民事訴訟の進行を遅らせた疑惑で、ソウル中央地裁は、行政所の所長を務めた元最高裁判事2人に対する職権乱用などの容疑の逮捕状の請求をいずれも棄却した。韓国メディアが7日伝えた。検察は梁承泰・前最高裁長官の関与にも注目し聴取を検討していたが、これにも影響しそうだ。
 訴訟進行の遅延疑惑は日韓関係の悪化を危ぶむ朴前政権の意向をくんで行われたとされる。
 聯合ニュースによると検察は、元最高裁判事2人の逮捕状が発付された場合、早ければ今月中旬にも梁前長官の聴取を検討していた。


https://www.fnn.jp/posts/00407161CX
「FNN PRIME」 2018年12月7日午前6:32
■元徴用工 判決先送り疑惑 ソウル地裁、逮捕状棄却
 日韓関係の悪化を懸念した前政権の意向をくみ、元徴用工の訴訟の判決を先送りさせた疑惑で、ソウル中央地裁は7日未明、韓国最高裁の前判事2人に対する逮捕状を棄却した。
 最高裁前判事の朴炳大(パク・ビョンデ)氏ら2人に対して、韓国の検察は、日本企業に損害賠償を求めた元徴用工の訴訟の判決言い渡しを先送りさせた、職権乱用などの疑いで逮捕状を請求していた。
 ソウル中央地裁は、6日午前から2人を出頭させ、逮捕状を審査した結果、7日午前0時半すぎ、「共謀関係の成立に疑問の余地がある」と判断し、2人の逮捕状を棄却した。
 一方、検察は逮捕状を再請求するとみられ、当時の最高裁長官の関与についても、捜査を本格化させたい考え。


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32310.html
「The Hankyoreh」 2018-12-08 10:18
■[ニュース分析]「大統領より最高裁判事が上」…裁判所、元最高裁判事の拘束令状棄却
 パク・ビョンデ、コ・ヨンハン元最高裁判事、令状棄却の理由分析

【写真】パク・ビョンデ(左)、コ・ヨンハン元最高裁判事=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 7日、裁判所がパク・ビョンデ、コ・ヨンハン元最高裁判事の拘束令状を棄却し、波紋が広がっている。元最高裁判事とヤン・スンテ元最高裁長官に免罪符を与えようとする「事前布石」ではないかという懸念のためだ。ともすれば、拘束起訴されたイム・ジョンホン元裁判所事務総局次長が、大統領府との交感のもと数年間続いた裁判介入と裁判官査察の責任を一人で負う可能性があるということだ。令状棄却の理由を見た裁判所内部では「裁判所事務総局の構造上、事務総長を務めた二人の元最高裁判事を除いては司法壟断を説明することができない。誰よりもよく知っている裁判所がこうした判断を下したのは、結局“ヤン・スンテ保護”とみられる」という指摘が多かった。元大統領を2人も拘束した裁判所のこのような態度に、「最高裁判事は大統領より上」という言葉も出た。

◆共謀関係の成立は疑問?
 ソウル中央地裁のイム・ミンソン令状担当部長判事は10月27日、「犯罪事実の相当部分が疎明されている」として、イム元次長の拘束令状を発行した。そうしたイム部長判事が、今度はイム元次長の起訴状に31回も「共謀者」として登場するパク元最高裁判事に対して「犯罪容疑の相当部分で被疑者の共謀関係の成立に疑問の余地がある」と判断した。コ元最高裁判事の拘束令状を棄却したミョン・ジェグォン令状専担部長判事は「一部の犯罪事実から共謀の有無に対する疎明程度」に触れた。裁判に入ったイム元次長の犯罪事実の中には、コ元最高裁判事が18回にわたり「共謀」したと出て来る。イム元次長のときは「疎明」された犯罪容疑が、2人の元最高裁判事のときは「疑問の余地」を残すということで、前後が合わない。
 ある地裁の部長判事は「イム元次長を拘束するときには疎明されたと判断した犯罪事実が、その上司である元最高裁判事には適用されなかった。事務総局の垂直的関係、特に有力な次期最高裁長官で、司法行政を掌握してきたパク元最高裁判事の地位を考慮すればなおさら納得できない」と話した。彼は「イム元次長が最高裁長官に並ぶパク元最高裁判事を“パッシング”し、ヤン元最高裁長官に直接報告した可能性はない」と述べた。別の判事も「ヤン元最高裁長官が直接イム元次長に指示するケースは一部あっただろうが、報告の段階でイム元次長が『パク・ビョンデ』の存在を無視するということは、事務総局内部ではあり得ないことだ」と述べた。また別の判事は「それでは何年間イム・ジョンホン一人が秘かにそんなことをしていたというのか」と問い返した。
 これは裁判所が拘束令状を発行して有罪を言い渡した朴槿恵(パク・クネ)政府の「文化芸術界ブラックリスト事件」とも比較される。「朴槿恵大統領→金淇春(キム・ギチュン)大統領秘書室長→大統領府秘書官→文化体育観光部長官」と続く共謀関係が認められ、有罪が言い渡された。ある弁護士は「上級者は指示を否定し、下級者は上部に不利な供述をしない状況なので、共謀関係を立証する証拠が足りなかった可能性もある」としながらも「中間管理者が口をつぐんで上級者が処罰を受けなくなるならば、こうした類型の組織犯罪で処罰の公平性問題が発生し続ける」と指摘した。

◆証拠が確保されたから棄却?
 イム・ミンソン部長判事は「すでに多数の関連証拠資料が収集されている。証拠隠滅の懸念があるとは考えにくい」とし、パク元最高裁判事の拘束令状を棄却した。ミョン・ジェグォン部長判事も「被疑者(コ・ヨンハン)の住居地押収捜索を含め、広範囲な証拠収集が行われた」と棄却事由を明らかにした。
 裁判所の一部では「共謀関係が成立しないと言っておきながら、『証拠は収集された』というのはつじつまが合わない」と指摘する。あえてこうした表現を入れた理由が、今後検察が補強捜査を通じて追加の証拠を含めた拘束令状を再請求しても、「すでに広範囲な資料が収集されたが疎明は足りない」とし、再び令状を棄却するための“非常口”と見る見方もある。
 「広範囲な証拠収集」を強調しながらも、犯罪容疑に対する「疎明」には疑問を提起したことをめぐり、令状審査ではなく事実上裁判段階の有罪・無罪の判断だという指摘も出ている。また、別の部長判事は「共謀関係などは有罪無罪の問題ではなく、むしろ量刑を判断する段階で考慮すべき事案」だと話した。
 住居地への家宅捜索を強調したのも異例のことだ。刑事事件で拘束令状を請求するほどの事案なら、普通「住居地家宅捜索」は基本的に行われる。一般の刑事犯には当然の手続きが、「前職最高裁判事」には拘束令状を棄却する特別な名分になったのだ。令状棄却の事由に「逃走の恐れはない」とは明示しなかったが、イム・ミンソン部長判事は「被疑者の住居および職業、家族関係などを総合」して令状を棄却したと明らかにした。特に「家族関係」にまで言及したのは異例のことだ。前日、パク元最高裁判事と弁護人は「93歳の老母」について触れ、「自宅に戻れるかは判事に掛かっている、拘束を免れるようにしてほしい」と要求したという。

キム・ミンギョン、コ・ハンソル、チェ・ウリ記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/873539.html
韓国語原文入力:2018-12-07 20:44
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