八、歴史認識・社会倫理
国民国家日本の近現代史は、他地域・他国侵略の歴史であった。
北方のアイヌモシリと南方の琉球王国を国民国家の植民地としたあと、一八八九年二月に、日本政府は、天皇の名で大日本帝国憲法を発布した。
天皇の「臣民」と規定され、天皇を「神」とする日本人によって組織された日本軍は、台湾、朝鮮、中国、モンゴル、ミクロネシア、東南アジア……を侵略した。
日本軍に前後して日本企業が侵入し、日本人が商人・農民(「移民」)……として侵入した。
日本の他地域・他国侵略の過程で、天皇制が強化された。天皇の「臣民」として統合された日本民衆は、他地域・他国を侵略しつづけた。
一八九五年五月に台湾侵入を開始した日本軍は、長期にわたって台湾民衆を殺害した。台湾侵入三五年後の一九三〇年一〇月に、日本軍と警察は、機関銃や山砲だけでなく、飛行機、毒ガスをも使って、烽起した民衆を殺戮した。
日本軍占領下の大韓帝国で、一九〇六年に反日義兵が中心になって独立戦争を開始した。このとき、日本軍は、数年間にわたり、大韓帝国各地で、住民を殺した。
台湾植民地化のとき、朝鮮植民地化のとき、シベリア・間島侵入期、中国東北部・モンゴル東南部植民地化のときに住民虐殺をくりかえした日本軍は、海南島植民地化のときにも住民を虐殺した。
一九三九年二月に、日本政府・日本軍が海南島侵略を開始する以前に、日本国民のほとんどが、他地域・他国侵略に反対する思想・感性・倫理を喪失していた。
アジア太平洋戦争開始後、日本軍は、アジア太平洋の各地で住民を虐殺した。
アジア太平洋戦争敗北後、日本の領土・植民地・占領地は縮小した。
天皇ヒロヒトによって一九四六年五月に発布された新憲法(「日本国憲法」)て、天皇の「臣民」は、日本国家の「国民」と改称された。だが、天皇を「日本国民の象徴」とし、「明治天皇」・ヒロヒト・その子アキヒトそれぞれの誕生日をすべて日本国民の祝日とし、「元号」を使い、「ヒノマル」・「キミガヨ」を拒否しない日本国民は、侵略と「臣民」の時代を克服していない。
日本の侵略犯罪の全容は、いまなお明らかにされていない。
他地域・他国の民衆の大地と資源といのちを奪って経済を発展させた国民国家日本の歴史的国家犯罪は、いまだわずかしか解明されていない。
なぜ、日本兵は、アジア太平洋各地で住民を虐殺できたのか。
なぜ、日本国民(「臣民」)は、日本の他地域・他国侵略を肯定しつづけることができたのか。
旅順で、佳里・花蓮・埔里・枕頭山・「霧社」地域など台湾各地で、江西・密陽・孟山・陝川・定州・南原・堤岩里など朝鮮各地で、インノケンチェフスカヤ・イワノフカなどシベリア各地で、間島で、日本関東で、平頂山など中国東北部各地で、陽高などモンゴル各地で、上海・南京で、海南島各地で、マラヤ各地で、シンガポールで、フィリピン各地で…………、どうして日本民衆は、アジア太平洋民衆を虐殺したのだろうか、どうして民衆虐殺をおこなうことができたのだろうか。
日本兵士の一人ひとりは、村落に侵入して住民を日本刀や銃剣や機関銃や小銃で殺害し、家屋に放火するとき、犠牲者一人ひとりの人生を考えることができなかったのだろうか。
どうして、そのようなことができたのか。その日本兵は、日本にもどったあと、どのような人生を送ったか。その日本兵の上官は、その後どのような人生を送ったか。
この問は、どうして、シオニストは、パレスチナやレバノン各地で民衆虐殺を続けるのか、続けることができるのか、という問いにつながっている。シオニストは、ドイツ人などがおこなったユダヤ人虐殺の歴史を思想的にも感性的にも実践的にも継承しているのではないか。
アメリカ合洲国の歴史は、先住の赤人民衆虐殺の歴史であった。
タスマニア虐殺・マジマジ虐殺・ヘレロ虐殺…………、世界近現代史におけるジェノサイド・エスノサイドの総括は、世界史研究の領域においてもほとんどなされていない。
佐藤正人
国民国家日本の近現代史は、他地域・他国侵略の歴史であった。
北方のアイヌモシリと南方の琉球王国を国民国家の植民地としたあと、一八八九年二月に、日本政府は、天皇の名で大日本帝国憲法を発布した。
天皇の「臣民」と規定され、天皇を「神」とする日本人によって組織された日本軍は、台湾、朝鮮、中国、モンゴル、ミクロネシア、東南アジア……を侵略した。
日本軍に前後して日本企業が侵入し、日本人が商人・農民(「移民」)……として侵入した。
日本の他地域・他国侵略の過程で、天皇制が強化された。天皇の「臣民」として統合された日本民衆は、他地域・他国を侵略しつづけた。
一八九五年五月に台湾侵入を開始した日本軍は、長期にわたって台湾民衆を殺害した。台湾侵入三五年後の一九三〇年一〇月に、日本軍と警察は、機関銃や山砲だけでなく、飛行機、毒ガスをも使って、烽起した民衆を殺戮した。
日本軍占領下の大韓帝国で、一九〇六年に反日義兵が中心になって独立戦争を開始した。このとき、日本軍は、数年間にわたり、大韓帝国各地で、住民を殺した。
台湾植民地化のとき、朝鮮植民地化のとき、シベリア・間島侵入期、中国東北部・モンゴル東南部植民地化のときに住民虐殺をくりかえした日本軍は、海南島植民地化のときにも住民を虐殺した。
一九三九年二月に、日本政府・日本軍が海南島侵略を開始する以前に、日本国民のほとんどが、他地域・他国侵略に反対する思想・感性・倫理を喪失していた。
アジア太平洋戦争開始後、日本軍は、アジア太平洋の各地で住民を虐殺した。
アジア太平洋戦争敗北後、日本の領土・植民地・占領地は縮小した。
天皇ヒロヒトによって一九四六年五月に発布された新憲法(「日本国憲法」)て、天皇の「臣民」は、日本国家の「国民」と改称された。だが、天皇を「日本国民の象徴」とし、「明治天皇」・ヒロヒト・その子アキヒトそれぞれの誕生日をすべて日本国民の祝日とし、「元号」を使い、「ヒノマル」・「キミガヨ」を拒否しない日本国民は、侵略と「臣民」の時代を克服していない。
日本の侵略犯罪の全容は、いまなお明らかにされていない。
他地域・他国の民衆の大地と資源といのちを奪って経済を発展させた国民国家日本の歴史的国家犯罪は、いまだわずかしか解明されていない。
なぜ、日本兵は、アジア太平洋各地で住民を虐殺できたのか。
なぜ、日本国民(「臣民」)は、日本の他地域・他国侵略を肯定しつづけることができたのか。
旅順で、佳里・花蓮・埔里・枕頭山・「霧社」地域など台湾各地で、江西・密陽・孟山・陝川・定州・南原・堤岩里など朝鮮各地で、インノケンチェフスカヤ・イワノフカなどシベリア各地で、間島で、日本関東で、平頂山など中国東北部各地で、陽高などモンゴル各地で、上海・南京で、海南島各地で、マラヤ各地で、シンガポールで、フィリピン各地で…………、どうして日本民衆は、アジア太平洋民衆を虐殺したのだろうか、どうして民衆虐殺をおこなうことができたのだろうか。
日本兵士の一人ひとりは、村落に侵入して住民を日本刀や銃剣や機関銃や小銃で殺害し、家屋に放火するとき、犠牲者一人ひとりの人生を考えることができなかったのだろうか。
どうして、そのようなことができたのか。その日本兵は、日本にもどったあと、どのような人生を送ったか。その日本兵の上官は、その後どのような人生を送ったか。
この問は、どうして、シオニストは、パレスチナやレバノン各地で民衆虐殺を続けるのか、続けることができるのか、という問いにつながっている。シオニストは、ドイツ人などがおこなったユダヤ人虐殺の歴史を思想的にも感性的にも実践的にも継承しているのではないか。
アメリカ合洲国の歴史は、先住の赤人民衆虐殺の歴史であった。
タスマニア虐殺・マジマジ虐殺・ヘレロ虐殺…………、世界近現代史におけるジェノサイド・エスノサイドの総括は、世界史研究の領域においてもほとんどなされていない。
佐藤正人