https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220429001500882?section=news
「聯合ニュース」 2022.04.29 13:42
■在日の歴史伝える「ウトロ平和祈念館」 京都に30日オープン
【京都聯合ニュース】在日韓国・朝鮮人が多く暮らす京都府宇治市のウトロ地区に、ウトロの歴史を伝え、平和を願う「ウトロ平和祈念館」が30日オープンする。開館を前に同館で説明会が開かれた。
【写真】オープンを控えたウトロ平和祈念館=(聯合ニュース)
【写真】水道管が布設されていなかったころの写真の前に立って説明する田川館長=(聯合ニュース)
【写真】館内に展示されている伝統楽器=(聯合ニュース)
【写真】ウトロに生きた人たちの写真が展示されている=(聯合ニュース)
【写真】放火によって焼けた建物=(聯合ニュース)
【写真】ウトロ平和祈念館の田川明子館長=(聯合ニュース)
【写真】水をくみ上げるためのモーター式ポンプ。1980年代まで使われていた=(聯合ニュース)
ウトロ平和祈念館は一般財団法人ウトロ民間基金財団が運営する。建物は3階建てで、延べ床面積約460平方メートル。
ウトロ地区は、朝鮮半島が日本の植民地だった時代に軍事飛行場建設のため動員された労働者たちが暮らし始めた場所だ。祈念館はウトロができた経緯や、ここで暮らした朝鮮半島出身者の暮らしぶりなどを分かりやすく伝えようとしている。
例えば、住民が使っていた取水用のモーター式のポンプと手動式のポンプを展示している。ウトロでは1988年にようやく上水道工事が始まった。生活インフラはそれほど劣悪だった。
52年のサンフランシスコ講和条約で日本国籍を失った朝鮮半島出身者が外国人登録法に基づく指紋押なつを拒否する運動を起こすなど、差別的な待遇と闘ってきたことも紹介した。
ウトロの土地を所有していた日本企業は89年に住民に立ち退きを求めて提訴し、最高裁は2000年に立ち退きを命じている。この訴訟の際に住民に送達された分厚い訴状の副本は、不動産契約や法律に通じていなかったウトロの人々にとって司法の壁がいかに厚かったかを実感させる資料となっている。わが家を撤去される危機に追い込まれた住民がデモをしたり各界に助けを求めたりするなど、居住権を守るため奔走する姿を収めた写真もある。
伝統芸能のサムルノリに使う楽器や朝鮮学校設立に関する資料からは、住民がアイデンティティーの維持に努めてきたことが伝わってくる。
祈念館開館を記念し、ウトロに生きて亡くなった在日コリアン1世の写真や生前の言葉などを集めた企画展も開催する。
また、1943年ごろ設置されたとみられる、飛行場建設現場の労働者が寝起きした施設の一部を祈念館前の広場に移設した。
祈念館の建設には約2億円を要し、その多くを韓国政府が拠出した。祈念館運営費の募金には韓日両国の大勢の市民が賛同した。100万円の募金を持参した高齢の女性もいたという。また、60人あまりがボランティアスタッフとして登録した。
田川明子館長はウトロを守る道のりの厳しさを振り返りながら、それでもウトロの人々は「人の生活がそんな風にないがしろにされていいはずがない。人生を踏みにじられていいはずがない」と勇気を奮い立たせてきたと語った。祈念館には、ひどい差別を受ける中でも小さな喜びを分かち合い、つくりあげてきたウトロを残すという役割があるとした。
だが昨夏、展示用に保管していた生活用品などが放火により多数焼失するという事件があった。その結果、展示物は写真が多い。
10歳ごろまでウトロで暮らしたという80代の在日コリアン2世のチョン・ウギョンさんは「当時の暮らしの中で使っていた本物があるとよかったのに」と残念がりながらも、多くの人に来館してほしいと話した。
財団は30日午前11時から開館記念式典を開いた後、午後1時に祈念館を一般向けにオープンする。毎週月・金・土・日曜日は個人、火曜日は団体の観覧を受け入れる。
https://www.bengo4.com/c_18/n_14417/
「弁護士ドットコム」 2022年04月29日 09時27分
■ウトロ「在日朝鮮人」集落、放火事件のりこえ歴史伝える 平和祈念館オープン
近鉄奈良線・伊勢田駅を下車し、住宅街を歩くこと10分。「ウトロ51番地」と書かれた青い看板の向こうに、まだ新しい5階建て集合住宅と整備されたばかりの道路があった。すぐ隣には、火災の跡が残る空き家が何軒も並んでいる。
京都府宇治市の「ウトロ地区」は、戦前、「京都飛行場建設」のためにあつめられた在日朝鮮人労働者たちで形成された集落だ。今年4月30日、この地で生きてきた人たちと寄り添い続けた日韓市民の記憶や思いを未来へ伝えていく、「ウトロ平和祈念館」がオープンする。
【写真】移築した建物の前に立つ金秀煥さん(碓氷連太郎撮影)
「ダークツーリズムとしてただ消費するのではなく、ぜひ、ここに来て過去と今を見て知ってほしい」。
ウトロ平和祈念館の事務局長、金秀煥(キム・スファン)さんだ。昨年8月、ウトロ地区の一角が放火されて、展示予定だったパネルの一部が焼失しているが、キムさんはできあがったばかりの建物を前に柔らかな表情で語った。
(ライター・碓氷連太郎)
◆帰国がかなわず日本に取り残された人たち
1939年、当時の大日本帝国政府の後押しで、ウトロ地区に「京都飛行場」が建てられることになった。飛行場建設のためにあつめられた労働者は約2000人、そのうち1300人が朝鮮人労働者だったと言われている。彼らは貧困に苦しんでいたり、徴用から逃れるためにやって来た。
終戦を迎えて工事が止まると、朝鮮人労働者の多くが帰国を希望した。しかし、日本の植民地となっていたことから、家族や住まいを失っていたり、その後の「4.3事件」(済州島で民間人が虐殺された事件)や朝鮮戦争の混乱によって帰国できない人も数多くいた。
日本政府からの保障がない中でとどまることを決意した彼らは、飯場だった一角に自らの手で住まいや学校など、生活基盤を作り上げていく。上下水道が整備されず、大雨が降ると床上浸水するなど、発展から取り残されていたものの、同胞が住んでいることを理由に引っ越してくる朝鮮人もいたという。
◆土地が転売されて「不法占拠者」に
劣悪な住環境から「朝鮮人スラム」として蔑まれ、「潜入レポ」と称して、ウトロを「怖い」「危険」「近寄ってはいけない」と紹介するサイトがある。その中には「ウトロは朝鮮人が不法占拠している」と書いているものもある。
戦後、土地を所有していた「日産車体」から1987年に土地を買い受けた第三者が不動産会社に転売し、この会社が住民たちに立ち退きを迫った。その際、無理やり住民を追い出そうとしたことから訴訟となり、敗訴した住民は不法占拠とされてしまったからだ。
しかし、「現在は違う」とキムさんは否定する。
「ウトロ地区のうち、1152坪は韓国政府系の財団が、830坪は民間基金財団が所有しています。その一角にある5階建ての市営住宅に40世帯が暮らしていて、新たにもう1棟の建設がすすんでいます」(キムさん)
◆韓国政府が土地購入資金を支援
キムさんによると、日産車体が土地を転売する前の1986年から、日本人と住民が共同で街の生活改善運動を始めたという。しかし、1989年に不動産会社が明け渡し訴訟を起こして、2000年に最高裁で住民の敗訴が決まった。
政府や地方自治体に対する請願や要望は無視されてしまうが、10年以上におよぶ裁判と住民を守る市民運動が韓国に伝わった。すると2005年、韓国でウトロ問題を解決しようという「ウトロ国際対策会議」が結成され、韓国内で約16万人が募金した。
ベテラン俳優のアン・ソンギや、ネットフリックスのドラマ『未成年裁判』主演のキム・ヘスなど、韓流スターがウトロに関心を示したことも話題になり、廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の2007年、ウトロの土地を購入するために30億ウォンを支援することが国会で決まった。
この決定は李明博(イ・ミョンバク)政権以降も引き継がれ、日本の民間基金財団が2011年、韓国政府財団が2012年に土地を購入。しかし地権者との話し合いがすすまなかったり、ウォン安で通貨価値が下がるなどがあり、2018年にようやく市営住宅1棟が完成した。
◆「朝鮮人が嫌いだった」という犯行動機
【写真】火災の跡が生々しく残る放火現場(碓氷連太郎撮影)
ウトロ地区はもはや不法占拠されているわけではない。しかし、ウトロが「嫌いだ」という理由による事件が起きた。
2021年8月30日、ウトロ地区の一角が放火されて、住宅や倉庫など5棟が全焼し、2棟が半焼した。犯行におよんだ男性は「朝鮮人が嫌いだった」と供述したという。
この男性は非現住建造物等放火の罪で起訴された。2018年にも奈良県大和高田市の在日本大韓民国民団支部に火を付けようとして書類送検されたものの、こちらは不起訴になっている。
「郵送で寄付を送ってくれる人や、普段、顔を合わせている配達の人などから『大丈夫でしたか?』と温かい声をかけてもらいました。しかし、それはオフラインでのことで、ネットの世界は惨々たる状況になっています。この先また模倣犯が生まれないか、本当に心配しています」(キムさん)
◆「どっちもどっち」ではない
放火事件を取り上げたネット記事には「こういう行動は論外だが、少なからず、良く思っていない人は、日本の中ではかなり多いのではないか」「嫌われるのには理由もある」「動機には一部同意できる」などと、あたかも「犯人も悪いが、住民側にも問題があるから、放火された」と言わんばかりのコメントが並んでいる。
しかし、この「どっちもどっち」は、差別と地続きであるとキムさんは言う。同時に、誰もが自身のマジョリティ性と向き合う必要があるとも語る。
「ウトロや在日朝鮮人への偏見がないという人の中にも、『かわいそうな人たちを助けてあげる』という視点を持っていたり、『戦時中は日本人も朝鮮人も同じく大変だった』と話す人がいます。
しかし、構造差別を薄めて相対化するのではなく、加害の事実を見つめる必要があると私は思います。その一方で、私自身も日本社会では、在日朝鮮人というマイノリティですが、男性という点ではマジョリティにあたります。
どこかでは弱者であっても、別のどこかでは強者になり、弱者を苦しめているかもしれない。そのことを踏まえて内省していく必要があると、私もウトロを通して考えるようになりました」(キムさん)
◆かつての「スラム」は姿を消す
【写真】4月30日オープンのウトロ平和祈念館の外観(碓氷連太郎撮影)
2007年に建設が計画されて、15年を経て完成した平和祈念館は3階建てで、1階はコミュニティスペース、2階と3階が展示場になっている。2階には生活用品や床上浸水していたころの住宅の再現などの常設展示が並び、3階は企画展が催される予定だ。
無理やり連れて来られたのではない。しかし、植民地下で土地を奪われて、小作権が否定されてしまうなど、貧困に追いやられた中での選択だった。平和祈念館は、そんな彼らの歴史を通して、ウトロの姿を伝えることがテーマだ。
60世帯約100人の住民はすでに市営住宅に移ったり、新たに建つ住宅に引っ越すことになっている。今も残る古びた建物がある場所は、地権者によって再開発される予定だ。「スラム」と呼ばれたウトロの景色は近いうちに完全に姿を消す。
「祈念館の敷地内には唯一、水道屋だった建物が手押しポンプとともに移築されています。地区外の人たちは『かつての建物を残してほしい』と言いますが、住民の中には『この貧困の象徴に一体何の価値があるのか』と反対する人もいました。そんな人たちはすべて整備されてから、なくなったものの存在に気づくかもしれないですね」(キムさん)
◆内装展示のクラファンも
現在、内装展示の作成費用をあつめるクラウドファンディングがおこなわれている。
https://mainichi.jp/articles/20220427/k00/00m/040/327000c
「毎日新聞」2022/4/27 21:06
■京都「ウトロ平和祈念館」30日開館 歴史伝えヘイトクライム防ぐ
【写真】報道陣に公開されたウトロ平和祈念館の企画展示スペースで、ウトロで生きた在日コリアン1世を紹介する写真展の説明をする田川明子館長=京都府宇治市で2022年4月27日午後2時40分、山崎一輝撮影写真一覧
京都府宇治市にある在日コリアンの集住地域・ウトロ地区に30日、第二次世界大戦をきっかけに形成された集落の歴史を伝える「ウトロ平和祈念館」が開館する。住民と支援者で作る財団が建設し、写真パネルや生活用品など地区の歴史を伝える資料を展示している。27日には、館内が報道陣に公開された。
ウトロ地区は、戦時中に京都飛行場を建設するため国策企業が集めた朝鮮人労働者の宿舎群がルーツ。戦後、現地に残った労働者とその家族、親類らが生活インフラの乏しい劣悪な環境下で暮らした。
約2万1000平方メートルの土地を買収した不動産会社が明け渡しを要求し、2000年に住民の立ち退きを命じる判決が最高裁で確定。韓国政府や日本国内外の有志が住民を支援し、韓国政府系財団が土地の一部を買い取った。
報道陣に公開されたウトロ平和祈念館の常設展示スペースで説明する田川明子館長=京都府宇治市で2022年4月27日午後1時50分、山崎一輝撮影写真一覧
住民と支援者で作る「ウトロ民間基金財団」は、この土地の一部に鉄骨3階建ての祈念館を建設。約2億円の費用は韓国政府の拠出金などで賄った。
祈念館は1階が交流フロア、2階が常設展示室、3階が企画展示室となっており、ウトロで暮らした在日1世宅の茶の間を再現したコーナーもある。庭には、1943年に建てられた労働者の宿舎で、80年代まで住居として使われた木造建物も移築された。
2021年8月には、地区の住宅など7棟が焼ける放火事件が起き、その後、奈良県の男性被告(22)が非現住建造物等放火罪で起訴された。この火事で、展示予定だった資料の一部も焼けたが、祈念館は予定通り完成にこぎ着けた。
館長に就任した、市民団体代表の田川明子さん(77)は「戦争を知らない世代から、差別と偏見によるヘイトクライム(憎悪犯罪)をこれ以上出さないよう、歴史を語り継いでいく」と抱負を語った。
開館日は月、金、土、日曜日で、観覧料は一般300円、小学生100円。【鈴木健太郎】
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220421001800882?section=news
「聯合ニュース」 2022.04.21 13:55
■京都・ウトロ地区を記録した書籍 韓日で同時発売へ
【ソウル聯合ニュース】在日韓国・朝鮮人が多く暮らす京都府宇治市のウトロ地区に関する記録と住民の証言をまとめた書籍「ウトロ ここで生き、ここで死ぬ」の韓国語版が、30日に韓国で出版される。著者はウトロを20年余り取材してきた在日コリアン3世のジャーナリスト・中村一成氏で、日本語の原書も近く日本で発売される。
【写真】「ウトロ ここで生き、ここで死ぬ」韓国語版の表紙(出版元提供)=(聯合ニュース)
日本による植民地時代だった1941年、軍事飛行場建設のために動員された労働者らが暮らし始めた場所がウトロ地区だ。土地を所有する日本企業が89年に住民に立ち退きを求めて提訴し、最高裁が2000年に立ち退きを命じた。土地の所有者が04年に強制退去に踏み切ると、これを知った韓日の市民団体や韓国政府が支援に乗り出した。住民のための市営住宅が建設され、18年に一部の住民が入居し、来年には新たな棟も完成して残りの住民が入居する予定だ。
「ウトロ ここで生き、ここで死ぬ」は、すでにこの世を去った1世たちが耳元で語っているかのような証言とともに、ウトロの来し方を克明に記録している。
韓国語版の出版元、図書出版プムのチョン・ミヨン代表は21日、「『ウトロ平和祈念館』の建設事業の一つとして、日本語版と同時に韓国語版も出版する」と説明した。ウトロの歴史を伝える平和祈念館は30日にオープン予定。
中村氏は元毎日新聞記者で、2011年からはフリーで活動している。在日コリアンや移住者、難民を取り巻く問題、死刑を主なテーマとする。
https://japanese.joins.com/JArticle/289808?servcode=100§code=120
「中央日報日本語版」 2022.04.11 14:55
■【時視各角】ウトロ、奇跡のもう一つの名前
【写真】京都ウトロ地区で30日に開館する平和祈念館(右の建物)。祈念館の前に朝鮮人臨時宿舎の飯場が再現される。写真の左側のアパートは2018年に完工した市営住宅。現在の市営住宅2号(真ん中)が建設中。 [写真=地球村同胞連帯]
2018年4月22日、京都府宇治市ウトロ地区で祭りが開かれた。「ヤキニク祭り」と呼ばれた。火鉢で肉を焼きながら楽しい時間を過ごした。この日はウトロ市営住宅の入居式が行われた日だ。参加者を過去を思いながら涙を流した。
4年後の今月30日、ウトロ地区でまた祭りが開かれる。ウトロ平和祈念館の開館式だ。80年余りのウトロの歴史に新しい里程標を立てる行事だ。「ウトロ2期」宣言といえる。漢字は記念でなく祈念だ。記憶よりも祈る心、平和を祈る場所ということだ。逆に言えばそれだけ平和でなかったということだ。
ウトロ。耳に残る名前だ。差別と蔑視の在日韓国人を象徴する言葉の一つだ。日帝強占期の1941年、京都飛行場の建設に動員され、戦争が終わった後にも故国に帰れない朝鮮人が集まってこの地区が形成された。韓国と日本、その境界で日々の危険に耐えた人たちの痛みが積もったところだ。
ウトロ地区がもう平和を話す。過去より未来を眺めようという。過去80年余りの葛藤と対立は消えないだろうが、それでも昨日よりもよい明日を希求する思いからだ。平和祈念館が歴史の和解に向かう新しい出発になることを期待する。
ウトロ祈念館は延べ面積450平方メートル、地上3階規模で、展示場・公演会場・収蔵庫などがある。特に祈念館の前に復元された飯場が目を引く。飯場は飛行場の建設に動員された労働者の臨時宿舎だった。1940年代初期、約1300人の朝鮮人労働者の家族は3坪ほどの狭い部屋で過ごさなければならなかった。
日本が敗戦した後も状況は変わらなかった。故郷に帰っても生活できない人たちはそこに残って日々を細々と暮らした。日本当局も朝鮮人を「いない人」として扱った。1988年3月に上水道が初めて設置されるほどだった。住民は井戸の水に頼って生きた。公衆衛生もよくなかった。
ウトロ問題が本格化したのは1980年代後半からだ。1989年に日本不動産会社が住民に立ち退きを通知して訴訟を起こし、2000年に日本最高裁判所が強制退去確定判決を出すと、波紋が広がった。半世紀の生活拠点を一瞬にして失う危機に直面したウトロ住民を守ろうとする韓国と日本、そして国際社会の世論が形成され始めた。その後、両国の市民社会と政府の支援で住居環境改善、市営アパート建設、平和祈念館の建設が進められることになった。反目と不和の韓日関係の中で奇跡のようなことだ。
ウトロ祈念館はさまざまな開館行事を準備している。日帝強占期動員記録、住民の生活用品、強制立ち退きに対抗した闘争・訴訟文書、住民インタビュー映像などが公開される。差別の過去を記憶し、共存の未来を約束しようという趣旨だ。
しかし将来は明るいことばかりではない。ウトロ地区も独島(ドクト、日本名・竹島)・歴史教科書・強制徴用葛藤など最悪の韓日関係から抜け出せない。祈念館の建設を支援したチェ・サング地球村同胞連帯事務局長は「祈念館が日本国内の嫌韓勢力のターゲットになることも考えられる。実際に昨年は放火事件もあった。ところが嫌悪は歴史の実体を知らないところからくる恐れではないだろうか。祈念館がこれまでの誤解を解いていくきっかけになればいい」と述べた。
ウトロは現在進行形だ。韓国社会に投げかけるメッセージも大きい。韓日両国を越えて差別と平和に対する根源的な省察を促す。学習院女子大の羅京洙(ラ・キョンス)教授は「国際社会が注目したのも単なる反日を越えてウトロ地区に内在する普遍性」と評価した。
「市民は自国の国境線の前で思考を停止してはいけない。自分自身の壁、人種主義という壁、女性差別など日常的差別の壁を一つずつ崩して、我々の子孫に『生きる価値』がある社会を残すことが平和のために戦う意味だ」(1990年、国際平和会議inウトロ)
パク・ジョンホ/首席論説委員
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220406004600882?section=news
「聯合ニュース」 2022.04.07 09:00
■京都・ウトロ地区の「平和祈念館」 韓日団体が工事費支援呼びかけ
【ソウル聯合ニュース】財団法人・ウトロ民間基金財団と韓国市民団体の地球村同胞連帯は7日、在日コリアンらが暮らす京都府宇治市のウトロ地区にオープンする「ウトロ平和祈念館」の内装展示費用に充てるためにクラウドファンディングを開始すると発表した。
【写真】ウトロ平和祈念館(資料写真)=(聯合ニュース)
日本の植民地時代に軍事飛行場建設のため動員された労働者らが暮らし始めたウトロ地区では、土地の所有主が住民に立ち退きを求めたが、韓日の市民団体や韓国政府の支援により2018年から住民のための市営住宅の建設が始まった。
ウトロ平和祈念館は差別の象徴だったウトロ地区が韓日市民の和合の象徴として生まれ変わったことを広く伝え、文化交流の拠点となるよう韓国政府の支援を受けて建設された。
だが、新型コロナウイルスの感染拡大で建設資材や人件費が上昇し、展示場の内装工事などが終わっていないという。
財団関係者は「内装工事ができず、30日に予定している開館に展示を間に合わせるのが難しい状況だ」として、「工事を終えて安定的に運営するため、資金の工面が急がれる」と訴えた。
クラウドファンディングは、工事費用など500万円を目標に無期限で行われる。
支援者にはお礼のメッセージや記念グッズ、ウトロ祈念館のパンフレットなどが贈られる。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220405004700882
「聯合ニュース」 2022.04.05 18:39
■京都・ウトロ地区に「平和祈念館」 30日開館=在日の歴史伝える
【ソウル聯合ニュース】在日韓国・朝鮮人が多く暮らす京都府宇治市のウトロ地区に30日、「ウトロ平和祈念館」がオープンする。同施設の建設を主導した財団法人ウトロ民間基金財団が5日伝えた。
【写真】平和祈念館の完成予想図(同財団提供)=(聯合ニュース)
この地区に在日韓国・朝鮮人が多く暮らすことになった歴史を伝えるウトロ平和祈念館は3階建て、延べ床面積約450平方メートルの規模で建設された。
ウトロ地区は1941年、京都飛行場建設のために動員された労働者らが暮らし始めたエリア。土地を所有する日本企業が1989年、住民に立ち退きを求め地裁に提訴。最高裁が2000年に住民の立ち退きを命じた。04年、土地の所有者が住民の強制退去を進め、韓国にも伝えられた。
その後、韓国で「ウトロ国際対策会議」が結成され、韓日の市民団体や韓国政府の支援金などで土地の一部が取得され、立ち退きを求められた住民のための市営住宅の建設が始まった。18年に1期棟が完成し一部の住民が入居。今年2期棟の工事が始まり、来年には残りの住民全員が入居する予定だ。
韓国政府は19年、日本による植民地時代に起きた独立運動「三・一運動」と韓民国臨時政府樹立から100年を迎えることを記念して推進する事業として、ウトロ平和祈念館の建設を選定し、工事費用を支援した。
記念館1階は多目的ホールが設置され、住民の交流や講座などに使われる。2階は常設展示館が用意され、3階は特別展示館と所蔵庫が作られる。
戦後から現在までのウトロ地区住民の生活用品、強制退去に抵抗した住民の資料や訴訟関連文書、住民の口述記録や写真・映像など約500点が所蔵される。
財団は祈念館の運営や、内部設備を用意するためクラウドファンディングを行う。
財団の郭辰雄(カク・チヌン)代表は「ウトロの歴史だけでなく在日同胞の歴史を伝え地域住民と交流する開かれたコミュニティー拠点として運用し、平和の象徴になるよう努める」とし、「新型コロナの感染状況を考慮し、開館後、しばらくは展示館を予約制で運営する」と説明した。
開館式は30日午前10時に行われる。