http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/35617.html
「The Hankyoreh」 2020-01-31 09:19
■[特派員コラム]名古屋のパボたち
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドクさん(中央)が17日、東京千代田区の外務省前でデモをしている。ヤンさんの左側でマイクを持っている人が高橋信「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」共同代表//ハンギョレ新聞社
「翼があれば飛べそうな気分だ」。
朝鮮女子勤労挺身隊(勤労挺身隊)の被害問題の解決を求め、日本の市民たちが行ってき「金曜行動」が、今月17日午前で500回を迎えた。同日午後、東京では被害者の91歳のヤン・グムドクさんが出席した中、「第500回金曜行動」記念の屋内集会が開かれた。ヤンさんは上気した顔で出席者を見つめながら「ありがとう」と言った。
金曜行動は日本の市民団体の「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋支援会)が毎週金曜日午前、東京三菱重工業前で行うデモだ。名古屋支援会は、三菱重工業名古屋航空機製作所で強制労働を強いられた被害者たちが損害賠償訴訟を提起することを支援するため、1998年に結成された。太平洋戦争時、日本軍の代表的な戦闘機である「ゼロ戦」を作った三菱重工業は、「朝鮮女子勤労挺身隊」という名目で、名古屋航空機製作所に全羅南道と忠清南道出身10代前半の少女たちを動員した。
金曜行動の始まりは2007年に遡る。ヤンさんをはじめとする勤労挺身隊被害者たちが日本で提起した訴訟が2審で敗訴したことを受け、名古屋支援会が訴訟以外の方法でも解決策を模索するため始めたものだ。三菱重工業が問題解決に向けた協議に応じた2010~2012年には金曜行動がしばらく中止されたが、この時期を除けば、10年間続いている。
高橋信・名古屋支援会共同代表は500回記念集会で「いつまで金曜行動を続けられるか、(私にも)分からない。一歩ずつ前に進むという考えでやってきた」と述べた。勤労挺身隊被害者が日本で起こした訴訟当時、弁護人団だった内河惠一弁護士は「皆、年を取りながら闘争を行ってきた」と振り返った。
集会には金曜行動を取り上げた韓国のドキュメンタリー映画『名古屋のパボ(バカ)たち』が縮約上映された。イム・ヨンチョル監督が「良心的な日本市民の連帯活動」に惹かれて制作した映画だ。
映画のタイトル通り、彼らの活動は“バカ”のように愚直なものだった。金曜行動は朝早くから始まる。出勤途中の市民に勤労挺身隊被害問題の真実を伝えるビラを配布する活動も兼ねているからだ。三菱重工業の本社が品川にあった昨年12月までは、朝8時15分に品川駅でビラ配りをしてから、午前10時30分から本社前のデモを行った。三菱重工業の本社が1月から丸の内に移転してからは、朝8時30分に外務省の前で宣伝活動をしてから、三菱重工業本社でデモを展開する。日本市民の中には応援してくれる人もいるが、冷ややかな視線を送る人が多い。舌打ちされたり、「お前、朝鮮人だろ」と言われたことも多かった。
名古屋支援会は全500回について記録を残してきた。参加者は平均4~5人で、名古屋から2~3人が上京し、東京と近隣地域から3~5人が合流するといった具合だ。最も少ないときは2人だけで金曜行動を行ったこともある。それでも10年間金曜行動を続けてきたのは決して容易なことではない。第500回金曜行動を迎え、韓国市民団体「勤労挺身隊女性と(行動を)共にする市民の会」のメンバー約20人が訪問団として日本を訪れた。集会で韓国訪問団は「バカの道を学ぶために来た」と述べた。
金曜行動はこれからどれくらい続くか分からない。勤労挺身隊を含めた強制動員問題が昨年、韓国最高裁(大法院)の賠償確定判決の後、解決の兆しを見せていないからだ。今年91歳のヤンさんがまた日本を訪れることができるかどうかも分からない。被害者らに残された時間はあまり長くない。
チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/926270.html
韓国語原文入力:2020-01-31 02:39
http://japan.hani.co.kr/arti/international/35502.html
「The Hankyoreh」 2020-01-17 21:04
■「アベは謝罪せよ」91歳のハルモニと“日本の良心”の叫び
日本の市民団体が勤労挺身隊被害者支援“金曜行動”
17日、東京の三菱重工業前で第500回集会
ヤン・クムドクさんが日本を訪れ「謝罪を望む」叫び
2007年から10年間、朝の出勤途中に東京集会
三菱本社に入り短い面談「協議を準備しなさい」
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドク・ハルモニ(おばあさん、中央)が17日、東京千代田区の三菱重工業本社前で、金曜行動に参加してスローガンを叫んでいる。ヤンさんはこの日、「アベは謝罪せよ」というスローガンを繰り返し叫んだ//ハンギョレ新聞社
「私は今日死ぬか明日死ぬか、それでも心残りはりません。一日も早くアベは謝罪しなければなりません。謝罪を耳で聞いてこそ怨恨を解くことができます」
17日昼12時、東京千代田区の三菱重工業本社前で勤労挺身隊被害者であり91歳のヤン・クムドクさんは「謝罪を受けたい」という言葉を何度も繰り返した。隣には、10年以上にわたり勤労挺身隊被害者支援のために毎週金曜日に三菱重工業本社前で“金曜行動”デモを続けてきた高橋信「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋訴訟支援会)共同代表などが立っていた。日本の良心的市民800人ほどが集まったこの支援会は、2007年から三菱重工業に対し勤労挺身隊被害補償を要求し金曜行動を続けてきた。この日が500回目だった。名古屋・富山・長崎・広島など列島全域から日本の市民が訪ねてきた。韓国では「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」などから20人余りが訪ねてきて、韓日を合わせて60人ほどが集まった。高橋代表は「(日本の敗戦後)75年間ハルモニは一度も謝罪を受けることができなかった」として、日本政府と三菱重工業が被害補償に応じなければならないと訴えた。
この支援会は、1998年に勤労挺身隊被害者の日本裁判所への訴訟提起を助けるために結成された。名古屋市民がまず呼応した。ハルモニが強制労働に苦しめられた所が、三菱重工業の名古屋航空機製作所だった。2007年5月、名古屋高等裁判所は強制労働被害自体は認めつつも、1965年の韓日請求権協定を理由に原告敗訴判決を下した。日本訴訟の当時、弁護団だった内河恵一弁護士はこの日、集会現場で「被害はあるが請求はできないというのは、それまで聞いたこともない論理だった」と回想した。支援会は2007年7月20日、東京の三菱重工業本社前で最初の金曜行動を始めた。ソウルの日本大使館前で28年にわたり続いている水曜集会にヒントを得た。三菱重工業が協議に応じた2010~2012年を除き、一度も欠かさず金曜行動(通常4~5人が参加)を続けてきた。
強制動員被害問題で日本で“行動”に出ることは大きな勇気がいる。「お前、朝鮮人だろう」 「(デモに参加すれば)いくらもらえるのか」と言ってくる人もいる。日本人が舌打ちして過ぎ去るのは日常茶飯事だ。金曜行動に名古屋から来る日本の市民1~2人は、360キロメートルも離れた東京に来るために午前4~5時に起きる。朝の出勤途中に市民にビラを配る活動もするためだ。名古屋~東京の往復運賃だけで25万ウォン(約2万3千円)を超える。
韓国と日本の市民の支援と被害者の闘争で、ヤンさんをはじめとする原告5人が昨年11月、韓国最高裁(大法院)で被害補償確定判決を受けたが、日本政府と三菱重工業は無視している。支援会がこの日、ヤンさんを迎えて外務省の担当者との面談を試みたが、外務省の拒否で失敗に終わり、外務省前での朝デモで行動は終わった。ただし、三菱重工業はこの日、2010年の協議当時以来、初めてヤンさんに本社内で会った。ヤンさんは面談で「謝罪を受けたい。私の涙が川になり、私がその涙に浮かぶ船になり、(日本の責任を)世界に伝える」と話したと高橋代表が伝えた。面談には、三菱の総務課職員2人が出てきて「聞いた話は確かに担当部署に伝える」とだけ言ったという。韓国と日本の市民団体は、三菱重工業に「人権被害者の権利回復は、逆らいえない世界の潮流だ。被害者の尊厳回復のために、原告と協議する席を用意しなさい」という要請書を手渡した。外務省と安倍首相には、強制動員問題の解決を妨害するなとの要請書を郵送した。
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドクさん(中央)が17日、東京千代田区の三菱重工業本社に入り面談した後出てきている//ハンギョレ新聞社
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドクさん(中央)が17日、東京千代田区の外務省前でデモをしている。ヤンさんの左側でマイクを持っている人が高橋信「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」共同代表//ハンギョレ新聞社
東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/924845.html
韓国語原文入力:2020-01-17 17:48
「The Hankyoreh」 2020-01-31 09:19
■[特派員コラム]名古屋のパボたち
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドクさん(中央)が17日、東京千代田区の外務省前でデモをしている。ヤンさんの左側でマイクを持っている人が高橋信「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」共同代表//ハンギョレ新聞社
「翼があれば飛べそうな気分だ」。
朝鮮女子勤労挺身隊(勤労挺身隊)の被害問題の解決を求め、日本の市民たちが行ってき「金曜行動」が、今月17日午前で500回を迎えた。同日午後、東京では被害者の91歳のヤン・グムドクさんが出席した中、「第500回金曜行動」記念の屋内集会が開かれた。ヤンさんは上気した顔で出席者を見つめながら「ありがとう」と言った。
金曜行動は日本の市民団体の「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋支援会)が毎週金曜日午前、東京三菱重工業前で行うデモだ。名古屋支援会は、三菱重工業名古屋航空機製作所で強制労働を強いられた被害者たちが損害賠償訴訟を提起することを支援するため、1998年に結成された。太平洋戦争時、日本軍の代表的な戦闘機である「ゼロ戦」を作った三菱重工業は、「朝鮮女子勤労挺身隊」という名目で、名古屋航空機製作所に全羅南道と忠清南道出身10代前半の少女たちを動員した。
金曜行動の始まりは2007年に遡る。ヤンさんをはじめとする勤労挺身隊被害者たちが日本で提起した訴訟が2審で敗訴したことを受け、名古屋支援会が訴訟以外の方法でも解決策を模索するため始めたものだ。三菱重工業が問題解決に向けた協議に応じた2010~2012年には金曜行動がしばらく中止されたが、この時期を除けば、10年間続いている。
高橋信・名古屋支援会共同代表は500回記念集会で「いつまで金曜行動を続けられるか、(私にも)分からない。一歩ずつ前に進むという考えでやってきた」と述べた。勤労挺身隊被害者が日本で起こした訴訟当時、弁護人団だった内河惠一弁護士は「皆、年を取りながら闘争を行ってきた」と振り返った。
集会には金曜行動を取り上げた韓国のドキュメンタリー映画『名古屋のパボ(バカ)たち』が縮約上映された。イム・ヨンチョル監督が「良心的な日本市民の連帯活動」に惹かれて制作した映画だ。
映画のタイトル通り、彼らの活動は“バカ”のように愚直なものだった。金曜行動は朝早くから始まる。出勤途中の市民に勤労挺身隊被害問題の真実を伝えるビラを配布する活動も兼ねているからだ。三菱重工業の本社が品川にあった昨年12月までは、朝8時15分に品川駅でビラ配りをしてから、午前10時30分から本社前のデモを行った。三菱重工業の本社が1月から丸の内に移転してからは、朝8時30分に外務省の前で宣伝活動をしてから、三菱重工業本社でデモを展開する。日本市民の中には応援してくれる人もいるが、冷ややかな視線を送る人が多い。舌打ちされたり、「お前、朝鮮人だろ」と言われたことも多かった。
名古屋支援会は全500回について記録を残してきた。参加者は平均4~5人で、名古屋から2~3人が上京し、東京と近隣地域から3~5人が合流するといった具合だ。最も少ないときは2人だけで金曜行動を行ったこともある。それでも10年間金曜行動を続けてきたのは決して容易なことではない。第500回金曜行動を迎え、韓国市民団体「勤労挺身隊女性と(行動を)共にする市民の会」のメンバー約20人が訪問団として日本を訪れた。集会で韓国訪問団は「バカの道を学ぶために来た」と述べた。
金曜行動はこれからどれくらい続くか分からない。勤労挺身隊を含めた強制動員問題が昨年、韓国最高裁(大法院)の賠償確定判決の後、解決の兆しを見せていないからだ。今年91歳のヤンさんがまた日本を訪れることができるかどうかも分からない。被害者らに残された時間はあまり長くない。
チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/926270.html
韓国語原文入力:2020-01-31 02:39
http://japan.hani.co.kr/arti/international/35502.html
「The Hankyoreh」 2020-01-17 21:04
■「アベは謝罪せよ」91歳のハルモニと“日本の良心”の叫び
日本の市民団体が勤労挺身隊被害者支援“金曜行動”
17日、東京の三菱重工業前で第500回集会
ヤン・クムドクさんが日本を訪れ「謝罪を望む」叫び
2007年から10年間、朝の出勤途中に東京集会
三菱本社に入り短い面談「協議を準備しなさい」
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドク・ハルモニ(おばあさん、中央)が17日、東京千代田区の三菱重工業本社前で、金曜行動に参加してスローガンを叫んでいる。ヤンさんはこの日、「アベは謝罪せよ」というスローガンを繰り返し叫んだ//ハンギョレ新聞社
「私は今日死ぬか明日死ぬか、それでも心残りはりません。一日も早くアベは謝罪しなければなりません。謝罪を耳で聞いてこそ怨恨を解くことができます」
17日昼12時、東京千代田区の三菱重工業本社前で勤労挺身隊被害者であり91歳のヤン・クムドクさんは「謝罪を受けたい」という言葉を何度も繰り返した。隣には、10年以上にわたり勤労挺身隊被害者支援のために毎週金曜日に三菱重工業本社前で“金曜行動”デモを続けてきた高橋信「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋訴訟支援会)共同代表などが立っていた。日本の良心的市民800人ほどが集まったこの支援会は、2007年から三菱重工業に対し勤労挺身隊被害補償を要求し金曜行動を続けてきた。この日が500回目だった。名古屋・富山・長崎・広島など列島全域から日本の市民が訪ねてきた。韓国では「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」などから20人余りが訪ねてきて、韓日を合わせて60人ほどが集まった。高橋代表は「(日本の敗戦後)75年間ハルモニは一度も謝罪を受けることができなかった」として、日本政府と三菱重工業が被害補償に応じなければならないと訴えた。
この支援会は、1998年に勤労挺身隊被害者の日本裁判所への訴訟提起を助けるために結成された。名古屋市民がまず呼応した。ハルモニが強制労働に苦しめられた所が、三菱重工業の名古屋航空機製作所だった。2007年5月、名古屋高等裁判所は強制労働被害自体は認めつつも、1965年の韓日請求権協定を理由に原告敗訴判決を下した。日本訴訟の当時、弁護団だった内河恵一弁護士はこの日、集会現場で「被害はあるが請求はできないというのは、それまで聞いたこともない論理だった」と回想した。支援会は2007年7月20日、東京の三菱重工業本社前で最初の金曜行動を始めた。ソウルの日本大使館前で28年にわたり続いている水曜集会にヒントを得た。三菱重工業が協議に応じた2010~2012年を除き、一度も欠かさず金曜行動(通常4~5人が参加)を続けてきた。
強制動員被害問題で日本で“行動”に出ることは大きな勇気がいる。「お前、朝鮮人だろう」 「(デモに参加すれば)いくらもらえるのか」と言ってくる人もいる。日本人が舌打ちして過ぎ去るのは日常茶飯事だ。金曜行動に名古屋から来る日本の市民1~2人は、360キロメートルも離れた東京に来るために午前4~5時に起きる。朝の出勤途中に市民にビラを配る活動もするためだ。名古屋~東京の往復運賃だけで25万ウォン(約2万3千円)を超える。
韓国と日本の市民の支援と被害者の闘争で、ヤンさんをはじめとする原告5人が昨年11月、韓国最高裁(大法院)で被害補償確定判決を受けたが、日本政府と三菱重工業は無視している。支援会がこの日、ヤンさんを迎えて外務省の担当者との面談を試みたが、外務省の拒否で失敗に終わり、外務省前での朝デモで行動は終わった。ただし、三菱重工業はこの日、2010年の協議当時以来、初めてヤンさんに本社内で会った。ヤンさんは面談で「謝罪を受けたい。私の涙が川になり、私がその涙に浮かぶ船になり、(日本の責任を)世界に伝える」と話したと高橋代表が伝えた。面談には、三菱の総務課職員2人が出てきて「聞いた話は確かに担当部署に伝える」とだけ言ったという。韓国と日本の市民団体は、三菱重工業に「人権被害者の権利回復は、逆らいえない世界の潮流だ。被害者の尊厳回復のために、原告と協議する席を用意しなさい」という要請書を手渡した。外務省と安倍首相には、強制動員問題の解決を妨害するなとの要請書を郵送した。
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドクさん(中央)が17日、東京千代田区の三菱重工業本社に入り面談した後出てきている//ハンギョレ新聞社
【写真】勤労挺身隊被害者のヤン・クムドクさん(中央)が17日、東京千代田区の外務省前でデモをしている。ヤンさんの左側でマイクを持っている人が高橋信「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」共同代表//ハンギョレ新聞社
東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/924845.html
韓国語原文入力:2020-01-17 17:48