ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

「七つ森」が読める!…宮床ダム

2022-10-16 18:29:31 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県黒川郡大和町宮床荻ケ倉(たいわちょう みやとこ おぎがくら)にある鳴瀬川水系の宮床ダムを訪れます。アクセスは国道457号を進んで行くと到着します。

ダム横へ行く前にダム下の「あさひな湖畔公園」へ国道457号から行ってみます。すると「ご尊顔」を拝むことができました。横に長いダムですね。


左岸のダム横に来ました。そこには宮床ダム管理事務所があります。



左岸の位置関係を示した図。「サブロー交流広場」? なんでしょうね(命名理由は後でわかります)


その上流側へ行くといくつかの石碑があります。この「記念碑」には宮床ダムへ至る経緯が記されていて、要約すると次の通り。

宮床ダムができる前、ここには摺萩(すりはぎ)溜池と呼ばれる溜池があったそうな。それは富谷町一ノ関、二ノ関、三ノ関の農業用水確保のために作られたもので昭和5年(1930年)10月に完成。ところが昭和23年(1948年)9月に来襲したアイオン台風により宮床川は増水、氾濫して下流域に甚だしい被害を及ぼした。宮城県はこの状況を鑑み、水害防止を図るために宮床ダムの築造を計画。そして完成したという。


「記功碑」と題された石碑。随分古いもののようで、内容がほとんど読めませんが、どうやらこれは摺萩溜池が完成した際に建てられたものらしい。これによれば、着手は昭和4年(1929年)2月21日で、昭和5年10月15日に竣工したと記されています。



「治水悠久」と題された石碑。あれれ、ここにも七ツ森と朝比奈三郎が!これらについては「南川ダム」の記事に書いたのでお読みください。


宮床ダムの概要が記された案内板。当該ダムは下流の吉田川総合開発の一環として建設されたもので、洪水調節、流水の正常な機能維持、水道用水確保を目的とする多目的ダム。昭和48年(1973年)に予備調査が開始され、平成8年度に完成したとあります。




左岸のダム横に戻ります。そこには民話「七つ森」に関する石碑があり、その概要が記されています。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。1997年(平成9年)3月完成とあります。上の案内板で平成8年度完成とありますが、案内板は年度記載なので間違いではないですね。


ダム湖名は「あさひな湖」。その名称はもちろん朝比奈三郎に由来するもの。そしてダム湖百選のひとつに選ばれていますが、このプレートがダム湖に面していないのはちょっと残念。


そして、これが左岸から見たダム上。歩いてみましょう。


なんと、ダム上の欄干には民話「七つ森」のお話がイラスト付きで読めるようになっています。どんなお話か興味のある方はお読みください。










ダム上、中央に来ました。そこからみた「あさひな湖」の様子です。


ダムの真下はこんな感じ。

そして下流側の遠景。


民話「七つ森」の続きです。








やっと対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


そこから見た「あさひな湖」の様子。


宮床ダムの前に完成した南川ダムでは「七つ森」の概要が記されていましたが、ここでは遂にその物語を読むことができるんです。「七つ森」が、ひいては朝比奈三郎がいかに地域に根ざし、愛されているのかがわかりますね。
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