ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

地域に根ざす横長の…南川ダム

2022-10-14 06:56:21 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は宮城県黒川郡大和町吉田悪田西(たいわちょう よしだ あくだにし)にある鳴瀬川水系の南川ダムを訪れます。ダム名は南川を堰き止めて築造されたことに由来すると思われます(ダムの下流は吉田川と呼ばれるんですが)。アクセスは国道4号「大和町吉田」交差点から「七ッ森湖畔公園」方面へ曲がり、しばらく行くと突き当たりになるので左折。そのまま行くと「南川ダム」の表示があるのでそれに従って進むと到着します。

まずは正面から見た「ご尊顔」をご覧ください。治水ダムかな?


先ほどの道をそのまま進むと当該ダムの左岸に辿り着きます。道沿いには「南川ダム管理事務所」があるので迷うことはありません。


これが管理事務所の建物。



左岸からダムを見ると、こんな感じ。横に長いダムです。


ダム本体に嵌め込まれたプレート。昭和63年(1988年)3月竣工とあります。


別の場所に嵌め込まれた「定礎」のプレート。こちらは1982年10月14日。


左岸から見たダム上。リンク先のデータによれば、長さは355.0m。なかなかの長さですなぁ。


ダム湖名は「七ッ森湖」で、ダム湖百選のうちのひとつ。


【七ッ森の由来】(参考
ここから北にある加美の地に昔、朝比奈三郎という大男が住んでいたそうな。ある時、彼は弓の稽古をするため的となる山を作ることにしました。そこでタンガラと呼ばれる背負いカゴを作り、現在の東北本線の鹿島台駅あたりまで来てタンガラ一杯に土を入れて七往復して的山を作ります。完成した的山が現在の矢喰山(薬萊山)で、土を掘ったくぼ地にできのが品井沼(しないぬま)となり、土を運ぶために歩いた道が今の吉田川になったそうです。

とはいえ、さすがの大男も土を運ぶには息が切れたのでしょう。七往復する途中、毎回一度休憩を入れたそうな。その際タンガラから土がこぼれ、結果的に七つの山ができました。それが笹倉山、松倉山、撫倉山、大倉山、蜂倉山、鎌倉山、遂倉山で、それらを総称して七ッ森と呼ぶんだそうです。

ダム上の欄干は「南川アートギャラリー」になっていて、周辺の小学校の生徒が描いた絵が飾られています。左岸の平成17年度のものから順に並んでいます。絵はたくさんあるので省略。



ダム上、中央から見た「七ッ森湖」の様子。向こうに見えるのは次回記事にする予定の南川鞍部(みなみかわあんぶ)ダム。



一方、高さ46.0mから見たダム下の様子。

そして下流側の遠景。


一番右岸側に飾られているのが平成25年度のもの。


ようやく対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


南川ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、上水道用水の供給を目的とする多目的ダムですが、地域に根ざした感が強い印象をもちました。
コメント