どーも、ワシです。今回は長野県上伊那郡辰野町平出(かみいなぐんたつのまち ひらいで)にある天竜川水系の東天竜・伝兵衛井共用頭首工を訪れます。ここは昨日記事にした西天竜頭首工の下流にあるもので、場所は岡谷市(おかやし)と辰野町の境の少し辰野町寄りのところにあります。目印は県道14号沿いに小さな鳥居があるので、そこを降りて行くと目的地に到着します。
これが全景。なかなか立派な頭首工です。
頭首工の名称について調べてみました。天竜川の左岸の東天竜(ひがしてんりゅう)用水はまたの名を東井筋、上井筋とも呼ばれるもので江戸時代の1856年に完成。一方、右岸にある伝兵衛井筋は西井筋、上堰、上伊那井筋とも呼ばれるもので、1859年に完成したと言われます。伝兵衛とは上伊那地域の水路開発に尽力したことで知られる伊東伝兵衛(1801-1862)のこと。伝兵衛は現在の上伊那郡長谷村に生まれ、伊那谷の数々の水利事業を手がけ、伝兵衛五井と呼ばれる五つの井筋を開削。それらは「鞠が鼻井筋(1832年完成)」「大島二番井(1858年完成)」「小原井筋(1866年完成)」「お鷹岩井筋(1869年完成)」そして先に挙げた伝兵衛井筋の五つです。
ところで、かつての東天竜用水の取水口は現在の場所から約100m上流にありました。しかし東天竜用水は、大正8年(1919年)に西天竜用水が開設されたことで取水量が減少することが懸念されたため、その取水口が昭和2年(1927年)に伝兵衛井筋の取水口の対岸に移設され、現在に至っています。つまり両者が共同で取水するというところから東天竜・伝兵衛井共用頭首工と命名されたというわけですね。ちなみにこれは「日本の近代土木遺産(改訂版)~現存する重要な土木構造物2800選~」のひとつに認定されています。(参考)(参考)(参考)
水の流れ方も多様で迫力があります。
水利使用標識。使用目的の項目に「かんがい又は養鯉」とありますね。鯉を養殖してるんだな…。珍しい。
堰堤部分に注目!アーチ型になっているのがわかりますか? なんと芸術的な!
左岸側の取水口。これが東天竜用水の入口で、
この水路を通って天竜川の東側の農地へ向かいます。
残念ながら伝兵衛井筋の取水口は確認できず。でもアーチ型の味わいのある頭首工でした。
これが全景。なかなか立派な頭首工です。
頭首工の名称について調べてみました。天竜川の左岸の東天竜(ひがしてんりゅう)用水はまたの名を東井筋、上井筋とも呼ばれるもので江戸時代の1856年に完成。一方、右岸にある伝兵衛井筋は西井筋、上堰、上伊那井筋とも呼ばれるもので、1859年に完成したと言われます。伝兵衛とは上伊那地域の水路開発に尽力したことで知られる伊東伝兵衛(1801-1862)のこと。伝兵衛は現在の上伊那郡長谷村に生まれ、伊那谷の数々の水利事業を手がけ、伝兵衛五井と呼ばれる五つの井筋を開削。それらは「鞠が鼻井筋(1832年完成)」「大島二番井(1858年完成)」「小原井筋(1866年完成)」「お鷹岩井筋(1869年完成)」そして先に挙げた伝兵衛井筋の五つです。
ところで、かつての東天竜用水の取水口は現在の場所から約100m上流にありました。しかし東天竜用水は、大正8年(1919年)に西天竜用水が開設されたことで取水量が減少することが懸念されたため、その取水口が昭和2年(1927年)に伝兵衛井筋の取水口の対岸に移設され、現在に至っています。つまり両者が共同で取水するというところから東天竜・伝兵衛井共用頭首工と命名されたというわけですね。ちなみにこれは「日本の近代土木遺産(改訂版)~現存する重要な土木構造物2800選~」のひとつに認定されています。(参考)(参考)(参考)
水の流れ方も多様で迫力があります。
水利使用標識。使用目的の項目に「かんがい又は養鯉」とありますね。鯉を養殖してるんだな…。珍しい。
堰堤部分に注目!アーチ型になっているのがわかりますか? なんと芸術的な!
左岸側の取水口。これが東天竜用水の入口で、
この水路を通って天竜川の東側の農地へ向かいます。
残念ながら伝兵衛井筋の取水口は確認できず。でもアーチ型の味わいのある頭首工でした。