ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

同窓会報

2005-08-21 23:25:54 | 脳みその日常
そういえば先月、高校の同窓会事務局から封書が届いた。何のことはない、年に一度送られてくる「同窓会報」である。卒業以来、ただの一度も会費を払っていないのに勝手に送ってくるのでそのままにしているのだが…。

そもそもワシは同窓会といったものに対してあまり興味がないほうである。たまたまある時期に同じ学校で勉強しただけじゃないかという認識しかないし。もちろんその時に個人的に影響を受けた教師や友人はいる。でも、この歳になって思い返してみれば、あの時だからこそ互いの「波長」が合ったのではないかと思ったりもする。

感傷に耽るのが好きな人は同窓会をやりたがるものだ。その気持ちを否定するつもりはない。しかし、実際に再会して、かつてのような関係になれるかというと残念ながらなれない。再会した瞬間は懐かしいという気持ちで盛り上がることはできても、それでおしまい。翌日からはまた元の生活に誰もが戻るわけだし。何だか無理矢理再会したみたいで、後味が悪い。少なくともワシはそう感じてしまう。

縁というのは不思議なもので、出会うべくして出会う人もあれば、その時の成り行きで出会ってしまった人もいる。縁がある人とは頻繁に連絡をとっていなくても交際は続く。いわゆる「腐れ縁」というやつだ。だが、縁のない人とは一時的に異常なほど仲が良くても、ある時期を過ぎるとまったく音信不通になる。まあそんなものだ。

同窓会報に話を戻す。毎年一方的に送られてくる会報のなかで唯一見てしまうのは「訃報欄」だ。ワシの母校は100年以上の歴史がある。だから当然毎年多くの同窓生が亡くなる。他人の不幸を喜ぶつもりは毛頭ないが、その欄にもしかすると自分の知っている人が出ているかもしれないと思うと見ずに捨てるわけにはいかない。

で、今年の訃報欄には同年のA君の名前が載っていた。クラスは違ったしロクに話もしなかったが、長身でヌボーッとした姿は明確にワシの記憶に刻み込まれている。訃報欄によると亡くなったのは5年前らしい。またどのような経緯か知らないが、1年後にはA君の弟も亡くなったというのも出ていた。兄弟揃って同じ高校だったのだ。それにしても何とも不可解な話ではないか。両人の冥福を祈るばかりである。
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