ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

モンテロの蛇足

2005-08-25 04:34:54 | 音楽あれこれ
ベネズエラ出身の女流ピアニスト、ガブリエラ・モンテロ(b.1970)の新作が2枚組でリリースされた。これはなかなか素晴らしいアルバムといってよい。

モンテロは周知の通り、1995年の第13回ショパン・コンクールで第3位となった経歴を持つ。今回のアルバムを聴くと、彼女がなぜ第3位なのかわかる気がした。率直に言えば、この人はショパン向きじゃないからである。むしろこのアルバムに収められている後期ロマン派の作品こそ彼女の真骨頂なのだ。

意地悪く表現するなら、モンテロは本能むき出しの演奏をする。ドロドロ、ギトギトに加え、色気バシバシなのだ。まさしくラテン系の演奏であろう。ヒナステラ(1916-83)の《3つのアルゼンチン舞曲》なんて、もう脳みそが完全にふっとんじゃってるし。それはそれはスゴイ!

しかし、モンテロの素晴らしいのは、本能むき出しでブイブイ言わせながら、ちゃんと作品の特徴を「理性」で弾き分ける点である。だからラフマニノフ(1873-1943)ではラフマニノフの音がするし、スクリャービン(1872-1915)はスクリャービンらしい響きとなる。1枚目最後のリスト(1811-86)の《メフィスト・ワルツ第1番》にしても、ただ鍵盤をぶっ叩くわけじゃない。人間に共通するリズムのようなものを踏まえて演奏するから、聴いた後で素直に「これはいいゾ」と思える。

こうした作品に対し、ショパン(1810-49)の《夜想曲》op.27-2とか《幻想即興曲》なんて、もう地味もいいとこ。借りてきた猫である。つまりモンテロのグラウンドは後期ロマン派なのであって、仄かに香る前期ロマン派ではないということなのだろう。だから優れた技巧をもっていても、ショパンの作品しか審査対象にならないショパン・コンクールで優勝できなかったのも頷けるのである。

手放しで評価するのはここまで。問題は2枚目のCDである。ここにはラフマニノフの《ヴォカリーズ》やJ.S.バッハの《ゴルトベルク変奏曲》などをテーマとする即興演奏(インプロヴィゼーション)が12曲も収められている。すべてジャズ風なテイストなのだが、これがまた気の遠くなるほど退屈なのである。1枚目の感動はどこへやら…というのが正直なところだ。

ワシはジャズを否定する立場ではない。むしろ大好きなほうだ。だからなのかもしれないが、シロートに毛の生えたようなジャズ演奏をなぜこのアルバムでカップリングさせるのか全く理解できない。クラシックの演奏ができればジャズもイケるだろうと考えるのは思いっきり間違っている。たぶんこのプロデューサーはそれがわかっていない。せっかくクラシックでナイスな演奏をしたのに、こんなオマケを付けたばっかりにこのアルバムは見事に価値を落としてしまった。残念至極である。

リーフレットを読むと、大御所のマルタ・アルゲリッチ(b.1941)がモンテロに、インプロヴィゼーションというものがいかに特殊なものでどれほど違うものなのかを気づかせたとある。そして、モンテロにとってインプロヴィゼーションは癒しの形だとも述べている。

それはそれでいいわさ。でも、そんなのはおウチの中で自己満足でやればいいこと。自分が癒されるからといって、それが他人にも同じ効果があると考えるのはスウィートですぜ。繰り返すようだが、モンテロのグラウンドは後期ロマン派であって、ジャズではない! せめてキース・ジャレット(b.1945)ぐらいの力量がなくちゃ、聴く者を唸らせることはできませんぜ。もっとも、キース自身も唸ってるけどね。
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