ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

あれま、日付が変わっちまったw

2004-06-26 02:31:25 | 脳みその日常
本日は、というよりも昨晩は久々に東京シティ・フィルの演奏会に行く。それというのも、面白そうな曲目が並んでいたからだ。それにしても、このオケの音は相変わらず「しょぼい」ねえ。特に弦楽器群は、ちーとも鳴らん。それゆえに、しょぼく聴こえてしまう。なんとかならんのかな。

前半はマルタンの2つの作品。最初は《小協奏交響曲》。これは2つのオーケストラ群とチェンバロ、ハープ、ピアノからなるもの。だが、作曲家がわざわざ2群のオケにしたことを指揮者のYは、ちっともわかっていないようだ。こういった作品の場合は、当然両群の音量や音色を対比させる必要がある。そうすることで作品に面白みが出るというもの。ところが通り一遍な演奏なので、オケを2つに分けた意味がまるで表現されない。どういうことかね、彦太郎君(あっ、書いちゃった)。

また、曲目解説は、若手のFという人が書いていたが、マルタン作品についての評価基準がよくわからない。この作品と次の《7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏のための協奏曲》について、「素晴らしいのに」なぜか知られていないと述べていた。

確かに両作品は有名ではない。実際、どちらもあまり演奏される機会はないだろう。でも、果たして「素晴らしい」のかどうかは疑問である。なんとなれば、《小協奏交響曲》とほぼ同時期に書かれたバルトークの《管弦楽のための協奏曲》を思い出してみれば良い。書き手Fの文脈から判断して、これらの作品を素晴らしいとしているのは、マルタンの作曲した中での名作という意味ではなさそう。つまり、音楽作品全体のなかで、知られていないが「素晴らしい」と言いたいらしい。まあ、素晴らしいと感じるか否かは書き手本人の感覚でしかないから、その意見を否定はしない。でもねえ、解説の中に、せめて比較対象としてバルトークのことぐらい触れてもいいんじゃないかね。ま、まさか《管弦楽のための協奏曲》を知らないのか? そんなことはないと祈りたいけど。

《7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏のための協奏曲》の演奏においては、特に第2楽章がよかったな。冒頭の弦楽の響きだけは、しょぼくなかった。なーんだ、やればできるじゃん。なぜそうした響きを他の作品でも出さないのさ。だめだねえ、まったく。作品そのものは、たいして面白い曲ではない。いや、ワシの感覚からすると、マルタンは、室内楽作品のほうが密度が濃くて優れたものが多いと思うけどな。もちろん、この意見も私見に過ぎないのだがね。

後半は、新実徳英の作品2つ。最初の管弦楽組曲《森は踊る》は日本初演で、世界初演は昨年の11月にバンコクで行なわれたという。そう、これを聴くために今回ワシは来たようなものだ。しかし思いっきりわかりやすい作品で拍子抜け。わかりやすいと言えば聞こえはいいが、要は曲の所々に有名な作品の断片がはめ込まれただけにすぎない。ある時はガーシュウィン《ラプソディー・イン・ブルー》の冒頭だったり、またある時は……ええと、なんだったかな。いろいろあって忘れちまったわ。そうそう、ガムランのリズムなんかもあったな。ま、どーでもいい作品だけど。

1997年の作品である《風神・雷神》の目玉は、何と言っても和太鼓の林英哲だった。強弱と音色を使い分けながら緊張感を持続させた演奏はよかったね。この作品の最後のほうには和太鼓とオルガンのカデンツァがある。ここは奏者のアドリブが要求されるらしい。でも、Sの弾くオルガンのアドリブは、まるで70年代のロックのキーボード、例えばジョン・ロードもどき。もしくはELPのキース・エマーソンのソロみたいじゃん。いや、そんなに格好よくなかったけど。

本日の日記が日付変更線を越えてしまったのは、会場で同業者のI氏と出くわしたから。彼は仕事で来ていたらしい。さあ、この演奏をどう評価するんだか。演奏会終了後、I氏を送りがてら、ファミレスで久々に話し込んでいたら、いつしかこんな時間になってしまった。

さあ、今晩も演奏会だ…。
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