湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

川崎パソボラの方のメールを戴き/母の検査外出後の不調/野宿者支援の転機?

2010-05-31 17:59:04 | 引きこもり
川崎パソボラの**さんから長文メールをいただいた。だいぶ誤解があったようで、お詫びしなくてはならない。私は団塊の世代の尻尾に当たるので、全共闘運動の洗礼を受けている。というより私の子どもの頃の特殊な人生体験を、時代が言葉にしてくれたような社会体験をしている。健常を理想として歪みを正すような発想にはもともと馴染まなかった関係で、特に差別について、ある政党関係者といつも対立する結果になってしまっていた。ところが私のフリースクールの活動と連携していた教育活動は、技術のところで、ひと塾という教育雑誌系の活動をしていたので、この政党支持者との活動は続いていたし、東京南部の知人の塾で一緒に塾を作っていた人たちは、大半が政党関係者だった。だから当時の全共闘運動の島国根性は私の中には無縁だった。しかし、あちこちの活動をするたびに、いつも信者ではないために、はしごをはずされるような憂き目に会うのには、しょっちゅう閉口していた。

これは**さんと同じく、私もパソコン通信300bps時代からのネットワーカーなので、私の行動基準はネットワーキング、一緒にやれることでお互いがつながればいいと考えている。だがこれは、外から見れば私は有象無象と一緒だったらしい。私は親方日の丸のようなバックを持って物事を属して語るのが嫌い。自分の真情で考えたいと常々考えている。社会運動や教育活動をしていると、いろいろな集団に首を突っ込むので、見えない結界が貼られていることがしばしば。そのときは無理しないで別口を探すことにしている。

**さんの講演会を誤解したのは、細かいところまで予定に組まれていて、質問のゆとりもなかったことや、異様に運営する方が緊張しておられたので、好まぬ来客と思われたかと解釈していたことだった。**さんのお話で腑に落ちた。この企画参加者の方がICT のプロの方と障碍者家族の方の混在で話の関心や専門性に落差があったことや、Q&Aに質問が出なかったらどうしようかと対策を打たれていたとのこと。それを私が勘違いしたのだとわかった。**さん、申し訳ない。

しかし、過去のブログに書いたことだが、パソボラが機器操作研修やアプリトレーニングに終始している内容の金太郎飴みたいな講演会が多くて、在宅就労の連携の部分の語りや、仕事の創造性をどう育てているか、出会いをどう活かしているかとうような技術のヒューマンな部分、これは研究者レベルの束ねた場か、現場の生の話が出やすい地域の現場密着した場を回るしか、なかなか関連の経験に出会えないだろうと思う。身体障碍の分野の就労は、やはり精神や知的・発達障碍の分野と比べ雲泥の差というか、仕事の専門性に踏み込んでいけるのですね。その先進事例から、ヒューマンな部分を学びたかったというのが、私の狙いだった。精神や知的・カナータイプの発達障碍の方には、場の力が就労の鍵になると思っているので、身体障碍の事例もきっと参考になると考えていた。

突然、茅ヶ崎くんだりから、川崎の地元活動にお邪魔し、注文つけているのだからしょうもないはなしだなと思いつつ…、**さん、お許しあれ。

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昨日、母は横浜駅そばの大学附属病院で検査を受けていた。完全予約制なので待合室はがらんとしていたのだが、それでも母は疲れたらしく、翌日、昼過ぎまで起きてこなかった。胃の調子が悪いと言って食事を避けるので、水分を取らせて枕をやや高くし、胸の圧迫を避けるように指示して様子を見ていた。

10時半ごろに隣の新築中の家の工務店関係者が車の置き場所について話をしに来た。応対しているとトイレで母が嘔吐をはじめた。日曜日なので工事はなかったが、翌日に車を長時間止めるので、我が家の門前のスペースを使わせて欲しいというもので、私は母の様子が気になるというのに、事情のわからない工務店関係者を、ともあれOKして押し返した。

またいつものダンピング、逆流だった。胃切除した者が一生付き合わなければならない症状で、いかに軽い状態で付き合うかという立て方が現実的と執刀医に言われていた。

体調の悪いときというのは、なぜか、今すぐにやらなくてもいいものに固執して、余分な労力を費やしてしまうものだ。一度休ませた母は、なんとか昼食を取ったあと、朝の萎えた様子はどこへやら、父が帰って来てしまうと枕元で出来ないからと、私の制止を振り切って、押入れの中から夏物や亡き祖母の遺品袋を開き始め、父の部屋はバザー状態となった。そのいくつかを階段下に下ろすのだが、大きなものもあるので、ふらつく母が階段を落ちたら両親とも介護しなくてはならない状態で、結局午後、母に無理やり付き合わされてしまった。

一休みした14時過ぎ、母は四肢と腰の痛みと痺れを訴えて、作業途中で自室にこもってしまった。もともと母が采配をふるって詰め込んだ衣類である。どこをどう入れたらいいのかわからず、私が右往左往していると、母が父の部屋の子機に電話を入れてきた。

母の携帯に電話が入ったという。ショートステイしているホームからの連絡だった。私の携帯の次が母の携帯という順に緊急時連絡の連絡順が決まっている。私は自分の携帯をPCのそばに置き忘れていた。更に母が、工務店の車の約束は、月曜日、父の送りの車が入ったり、父の宗教関係者が車を停めたりと忙しい日ではないのかと電話で付け加えた。

ホームに連絡を返すと日曜日の担当者しかおらず、電話をかけた職員が外回りしているという。連絡仲介をお願いして、今度は工務店に連絡。また日曜日なので連絡が留守電になっていた。

真綿の鎖につながれるのを吹っ切るつもりで携帯をポケットに入れて、夕食の買い物と言いつくろって、5/18懇談会レポートを持って関係者巡回に出た、16時になろうとしていた。

バスの中で携帯が鳴った。母からだった。工務店は我が家の固定電話に、ホームは母の携帯に連絡を返してきた。なんとも間が悪い。メールを使わない相手との通信はこんなもの。バスを降りて工務店に連絡するが、また留守電が邪魔をした。ホームの方は、私の携帯の取次ぎを頼んで、20分後、やっと連絡がついた。肌寒いので、父が持参した衣類をすべて尿で濡らしてしまっているので、追加の衣類を持ってきて欲しいというものだった。ホームは寒川町の小谷である。完全に巡回は止めを刺されてしまった。

家に戻ってみると、母が押入れの始末をしていないと怒りをぶつけてきた。泥沼は避けたい。文句の火種になる炊飯作業を先に済ませ、父の衣類をまとめて再度玄関を飛び出した。直接注意すれば炎上する。携帯を使って母に「寝ていろ」と注意して、電話を切った。17時を大きく過ぎていた。

小谷行きは本数が少ない。出たばかりの20分のバスの次が40分待ちの18時である。31分発の相模線で寒川経由した方が得策と、相模線に乗り込んだ。寒川からはタクシーである。ホームに着いたのが18時。工務店から連絡があったと母からの連絡が入り、母に私の携帯に連絡せよと伝言するように伝えてあったその話がまた空転していた。工務店からの連絡を母が携帯連絡してきたのだった。家族の事務連絡はとにかく通じない。堂々巡りの苛立ちを抑えて、宿直の担当者に手渡し,父に会ってから帰ろうとした。制止されてしまった。家に帰ると主張する父をなだめたところだったらしい。

小谷のバス停に戻って驚いた。私が着いた18時に茅ヶ崎駅行きが出ていた。しかも次の40分発は出たばかりなのだ。これから40分待って次の19時20分まで待つか、寒川からのタクシーを呼んで待つかという状態だった。じっとしているのも何なので、ゆっくりと寒川駅方向へと歩き出した。途中地元の方の車が止まっていたので道を聞いたのがいけなかった。宮山駅の方が近いと途中まで送ってくれたが、土地勘の無い者が幹線道路から外れては、いけない。延々と夕闇の中、道を引き回され、結局寒川駅に戻るという始末だった。20時近くになっていた。

帰宅すると夕食が間に合わなかったからと、母が勝手におかゆを食べてしまっていた。買って帰った惣菜はすべて私の胃袋へ。父の部屋の始末を母の指図で行って22時。何をやっていたのかわからない一日が過ぎていった。介護は真綿の鎖と縄で絞められていくような時間が流れていく。父の徘徊の元気がなくなったと言っても、この状態は変わらない。間もなく父は帰って来る。仕事との切り分けをしないと私が壊れてしまう。母に月曜日の日程を宣言した。

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父との介護戦争は、格闘のような状態から持久戦のような状態へと変化していることを感じる。小谷からの帰り道、迷いながら私は夕闇を蹴飛ばしていた。これからも、今回のような介護上の割り込みが入るだろう。約束をして定時にその場所に着けなかったり、約束のものが準備できなかったりというような信用を失うようなことが続出するだろう。じわりと真綿の締めがきつくなってきたのを感じている。私が蹴飛ばしたのはその真綿。持久戦に燃え尽きさせない意志の自己確認だったのだ。

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湘南あすなろ会の運営も境目に来ている。ビッグイシューという路上生活脱出の活動は、購入者(お客さん)と販売員との間で交わす意志交換の活動である。一般の商品販売活動と違うのは、一般の労働対価の収益活動とは目的が異なる「出会い活動」の上に成り立つ、目的実現の社会活動としての収益活動である。この辺が、私生活時の飲酒問題をめぐって揺らいでいる。営業活動中の酒気帯びだけでなく、販売場所から近い場所の飲酒は、利益が酒代に消えていると思われても仕方ないところがある。私は日々抑圧に耐えているものに酒断ちせよとはいわない。ただ販売活動を一般の収益活動に落とし込めないで欲しいと考える。アルバイト口が見つかり収入が出たときはましてやそうだ。意志を風化させないことは難しいことだ。だから客不在がこれからも続いていくようならば、IDカード取り上げを実行せざるを得ない。他の活動をやっているからというなら、それに満身すればいい。それも自分の意志と判断で活動を作って欲しいと願う。この世界はアシスタントは要らない世界だからだ。

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昨夜、平塚パトロールのSさんから、日程情報をいただいた。6月6日に防砂林の湘南パトロールがあるという。Tさんが提案した生活基本カードは駅頭・公園と同時に、この海岸線の防砂林にも撒く。その下見ともなる体験なので、参加しようと思っている。父の昼間の見守りを母に頼んだが体調次第。

6月5日(土)は昼間、横浜寿町のバザーと、夜間に平塚パトロールがある。この日は、就労支援の講演会もあり、これは午前中企画、生業の巡回が海老名なので、とても全体は参加できないので、ヘルパーさんを頼み、日中のみをたどってみようと思っている。これも両親の体調次第。

パトロールは関心のある方は飛田にご連絡を。tobita@@mbm.nifty.com(@を小文字に変え1つ削る)に。

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6月29日(火)に私の担当するひきこもり青年のふたりと、生田緑地を散策してくる。午前中の苦手な連中だから、昼過ぎ位に向ヶ丘遊園集合となるだろう。彼ら、ここなら出易い。雨天順延である。今回は本校関係者のみという無粋なお達しがあるので、私からは参加しませんかとはとてもいえない。母の友人親子の留守番支援をいただいた。感謝。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)
     入谷さんからメール(びっくり・シアトルで元気)


(校正2回目済み)
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