湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

春期講習と父の暴走/新年度の準備にふれて

2010-03-29 07:04:07 | 引きこもり
春期講習が始まっている。私のような爺ぃは、取り出し指導という、気になる生徒を一斉授業の教室の後壁側に対面机席を用意して別指導する、いわゆる「キャッチアップ」屋になる。成績が悪い生徒を呼び出すのではなくて、いまひとつつかえて先の学習にひっかかりそうな生徒を、出来るだけ広範に引き抜く。私のひと言で、学びの便秘が治ればいい。一斉授業の担当講師に、生徒個々人の状況を返していく。チーム・ティーチング(TT)と書くと、顔文字では泣いている。私と組んだ若手講師は私が注文が多いから災難なのだ。だからというわけでもないだろうが、私に訪問指導の用件を作って教室外に押し出している様でもある。

年寄りのひがみはともかくとして、年度が代わる事は自分の取り残され感の付きまとう不登校・引きこもりの子にとっては、憂鬱な時期である。「ひとはひと」と諭されるが、それが割り切れれば苦労はしない。

ここ数日、不規則な授業支援への呼び出しと、訪問指導が一応入っていた。一応というのは、通勤時間の方が業務時間より長いこともあるからだ。約束の時間に行っても会ってくれなかったり、はずしてゲーセンや本屋に出かけてしまう者もいる。約束破りははっきりと怒るが、空転待機のあいだ、彼の部屋から私は幽体離脱して、彼のくそ面白くない顔に連れ添っている。彼は、ひと気のない通路を選んで、用事のあるふりをして雑踏を横切って、路地伝いに家に戻ってくる。私の幽体は、ひたすらそれを追っている。馬鹿だなあと幽体離脱していた私を自嘲し、彼の御宅から失礼する。勿論、実際に彼が何処に行ったのかを知ることは出来ない。

こんな日は、そのまま次のひとのところを回ることはしない。空転した彼の顔を思い浮かべなおす。一度彼との交流の経過を思い出せるだけたどりなおし、彼がまっすぐ自分を見たところで両手を重ねる。仕切りなおしの儀式のようなものだ。これをしなければ、つぎのひとに感情の余波をぶつけては失礼ではないかと思うからだ。

こういう空転を含むから、私の給与は単純な時間給ではない。成果あってなんぼ、彼と家族が訪問に価値を感じてなんぼの世界だ。交通費だけは保証されているから、それだけでも恵まれている。

今回はひとり空転した。巡回は終了後、一度茅ヶ崎か辻堂に戻る。そこで本校に確認を取って終わりとなる。

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私は今回巡回終了後、藤沢側の特養と、もうひとつ、茅ヶ崎の老健をまわってきた。藤沢側の順待ちは390人。茅ヶ崎市民は優先順位が下位になる。ここはそれでも待ち人数が少ないところ。藤沢市内なら400人台はざらにある。

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父は宗教団体の春の行事が頭に染み付いている。だから3月末になると落着かない。父の人間関係を絶ってはいけないと思い、宗教団体関係者も父の寝室まで迎え入れている。彼らの話から、今が3月でありその行事が近いことを知る。彼らは、父が行事に参加できないから、経過を報告するつもりでいる。ところが父は、出かけるつもりでいる。このギャップが埋まらない。話題に出すのを止めて欲しいと言っても事態を理解できないから、別人が来ると、また行事を話題にする。

だから門のチャイムが鳴ることに冷や汗をかくことになる。父が猛然と起き上がり、窓辺に走りよろうとして転倒するからだ。宅配便が来たときは、父が階段を降り始めていて、私が阻止しに階段に向かったが、宅配業者には事態が理解できず、何回と無く私を呼んだ。応答するが私の声は通りが悪く、先方に聞こえないために話はもつれていく。幸い母が機転を利かせて、トイレから飛び出し難なきを得たが、春期講習期間でもあり、父の転倒や危険行為で、いつ呼び出しの電話がかかるか、気が気ではない。

昨日は、窓辺にテーブルを置いて、父がそれ以上近寄れないようにしてあるのだが、窓の壁とテーブルの間に、逆立ちするようにはまり込み、時間が長かったのだろう、周辺が尿の海となり、郵便物を投函しに20分ほど家を空けた母が父を発見。訪問看護師に救急応援を頼む事態になった。私や看護師が手を貸さないと、重い父を動かせないのだ。帰宅した私は1時間ばかり、母からその事態の小言を聞くことになった。しかし父は、夕食の箸が床に落ちたから拾ってくれと、その説教の最中ですら、母の声を掻き消すような大声で怒鳴っている。憂鬱が流れ込んでくる。介護者がつぶされてしまうと思う瞬間だ。

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私は年度替りを節目にして、諸活動の新年度の方針をまとめている。このとき、父の介護による中断があらゆるところに影響してしまうので、40年近く続けてきた教材開発や指導法研究の教育関係活動を絶った。(「湘南オンラインフレネ」はブログのみ活動)社会的困難を抱える方の地域就労支援活動とコミュニティ形成の地域放送等ミニコミ活動の中の、在宅活動が可能な部分を必ず入れて、ここに集中して活動することにした。

「『わーく』編集部」、私の参加活動として「さぽちが・地域就労支援PJ」、「湘南あすなろ会」、「スペアちがさき」の4団体の活動である。

元特殊研の方との視角シンボル研究のメール交換
教科教材開発の某研究会
通信教育開発関係の研究会
任意の部分の夜間傾聴(元の塾生)
軽度発達障害関係研究者団体

ここを休止した。活動量にして4分の1程度の比重の部分である。背水の陣の気分なのだが、放棄した活動は壊れるのは早い、取り戻せるとは思っていない。

今年、私が端緒をつけなくてはと思っている課題は、地域潜在する引きこもりの方や社会的挫折者、軽度障碍、野宿者の方、そして手帳のある諸障碍の関係者活動を横断する地域起業関連の対話の萌芽を作ること、すなわち「わーく」発刊、画像放送開始が最大の焦点となる。

野宿者自立支援関係では、「湘南あすなろ会」のビッグイシュー販売のモノカルチャーからの脱出。

生活支援関係>生活緊急連絡カード湘南版作成配布
地域起業関係>放置傘路上販売関連

この辺を詰めていきたい。

「わーく」と「さぽちが・地域就労支援PJ」、「スペアちがさき」関連は、別にまとめて書いていく。

夜間傾聴:大森海岸君(仮名・こちらから)
     町田3君(仮名・久しぶり)
     ******君(仮名・母親)
     ------ いずれも3/27

p.s. 寒川町議会事務局・平塚市&藤沢市市民活動センターに、湘南HL便りNo.5を配った。個人宛配布8通済み。

月曜日は平塚市老健入所申請の巡回、2ヶ所の予定。


(校正2回目済み)

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危険時の父の異常行動をどう判断するのかと

2010-03-26 14:44:33 | 引きこもり
父の認知症の「まだら」の部分が、少し良好な方に変化してきている。相変わらず紙パンツを下げたままであるし、転倒も毎日ある。以前、TVで故南田洋子さんが認知症が急に回復した時期があったように、肝機能が改善していることがどうやら原因のようだが、挨拶や表情がかなり取り戻しているように見える。

ところが一昨日、認知症の象徴的な場面があった。表面で捉えると見誤ることを知らされた。

場面は朝の起床と朝食の時、私が父を誘導して排尿と紙パンツ交換をサポートし、ポータブルトイレに父が床を離れた隙に、母がシーツ交換を行った。その際の出来事である。

以下に書くことは、この場面だけに限られたことではなく、日々、日常的に行われていることで、父の癖をつかんでいるから対処できた出来事でもある。

私は朝食と顔を拭く温タオルを持って入室し、遮光カーテンを開けて、父に起床を促した。8時頃だ。父にとっては、朝4時・5時に排尿を契機に部屋を歩き回り、ひと仕事を終えて再度眠りについた時間であり、起こせば機嫌が悪い。起こして数分はベッド上にあぐらをかいている。それからおもむろに床に下りるのだが、ベッド上のからだの向きをを変える事がひと仕事、四肢をばたつかせるけれど尻が動かない。やっと向きを整えて足を床に下ろすときに、あぐらをかいたままの片足がベッド柵の穴の中に入り込み、体重で指先が逆方向に折り曲げられ、足首とともに非常に危険な状態になってしまう。ここだけは、私が介助してはずしているが、夜間、父が自力でポータブルトイレに排泄に立ち上がるとき、同様な危険を犯しているので、ぞっとするところなのだが、そこまで立ち会うことが出来ないでいる。

問題はここからだ。父はなぜか床に足を交差させたまま、ベッド柵につかまって立ち上がろうとし、腰をぬかして床に落ちてしまったり、足を直そうとして横転、椅子に体当たりすることが頻繁に起きる。特に横転は頭部を打ち付けるために危険極まりない。だから立ち上がったときに、私は父の腰を支えるために父の横に待機している。

立ち上がった瞬間、ぐらりと腰を落としながら、父はすばやく手を伸ばしてテーブル上の入れ歯を手にしたのだった。左手には自分のステイタスシンボルの壊れた高級時計を掌にはめていた。崖から落ちていく最中に歯を磨いているような、この異質な行動は毎回起きてしまう。横転しながら、薬の粒が入ったキャップを取り出して、転げ落ちるのと同時に薬を床に散乱させたりする。その前は箸を握り、危うく怪我をするところだった。

今回は入れ歯。まずは椅子にちゃんと座ってからと入れ歯を取り上げて、猛烈な抵抗にあった。力づくで入れ歯を奪い返そうとして、ものすごい形相となり、入れ歯ごと、椅子の角に尻を打ちつけて床に転んでしまった。倒れながら私に殴りかかっているのだった。あたかも転げていることがなかったかのような動作が、明らかに状況をつかんでいないことを示していた。

父をなだめてやっとのことで起こして椅子に座らせた。ベッドはおねしょでぐっしょり、下半身もぐっしょりで紙パンツとパジャマズボンは下げた状態なのである。と、突然、ポータブルトイレに向かったので、排尿のサポートをし、済んでからトイレの椅子に座らせて、紙パンツ交換を行った。目の前のベッドでは、この隙に母がシーツ交換を行っていた。交換をすませ、着替えのパジャマズボンをはかせようとすると、麻痺側の足を誘導して通したとき、目の前のズボンを眺めながら、後を追いかけて、もう一方の足を力づくでけり出すようにパジャマの中に足を入れてしまうので、男性器を出す穴から足を突っ込んでパジャマを破ってしまった。自分の目の前の行動を観察できていないのだった。

替えのパジャマズボンに交換したところ、急に立ち上がり、まだシーツ交換しているベッドに戻ろうとするので制止。まだ椅子にすわっていてくれということと、シーツ交換が済んでいないから、終わるまで待てということを話して座らせたところ、烈火のように怒り出し、ベッドに戻ろうとして、足がいうことを効かずに転倒した。

全く状況が把握できないのだった。熱くなっているから見えないというのではない。見えないのに制止するから怒る、そういう状態。怒りはあとから湧き出してくる状態だった。

場面、状況認識がすべてに共通して衰えている。ホームの移動の場面で、車椅子から食堂の椅子に移るとき、的をひとつはずした手前の何も無い空間に腰を下ろそうとして、危うく支えられることがおきていた。これは我が家でも、父の座る位置がおかしいことは確認済みだった。自己の身体把握がおかしくなっていたのだった。

すべて焦って手早くやろうとして失敗を繰返す。てきぱきやるのがしっかりの基準という発想は、父が若いときからの癖で、さんざん、私たちを苦しめたものだった。過ってフォークを投げ出したり、箸を折ってしまうこともあった。そのときは必ず誰かとの交渉中、雑談の最中だったりしていた。それがひどくなったという具合だ。

結局父はへそを曲げた。シーツ交換が終わって父をベッドに誘導しようとすると、立ち上がらないのだった。だんまりを決め込むので、放置して1階に下りてきてしまった。

しかし、この見え方は自閉症の方の見え方に似ていまいか。フォーカスした部分が見えているとしたら…。

階段を上げるとき、対面誘導を行っているヘルパーさんから急に手を離し、まだ遠くにある手すりに飛び込もうとして、ヘルパーさんを慌てさせたり、玄関のチャイムが鳴ったとき、突然コショウの瓶を握り締めて立ち上がろうとし、瓶を何回もテーブルに叩きつけたり、不可解な行動には遑(いとま)が無い。このとき、問題なのは立ち上がるときとか、転倒寸前というような危険が伴っていることが特徴。安全確保や危険回避から視点が別のところに隔離されてしまうというか、逃避してしまうように見えること。安全優先を指示した時、強烈な抵抗に会うのが悩ましいことなのだ。父にとってのリアルに橋渡しする指示の方法をあれこれ考えている。

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「湘南ホームレス便りNo.5 3月号」 配布。
3/25 寒川町議会事務局済み
記者クラブ・支局配布(茅ヶ崎・寒川)半分済み

今日、市民活動センター(平塚・藤沢)に配布予定

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(校正1回目済み)
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ビッグイシュー販売の意義を改めて問い直す・湘南あすなろ会の今後について/私の生業新年度固まる

2010-03-26 08:52:32 | 引きこもり
ひとつは、湘南あすなろ会の転機、もうひとつは、私の仕事の実質新年度が始まったことから書いておこう。

この間、湘南あすなろ会は、ビッグイシューの販売活動を軸にして、路上生活者支援の活動への参加を果たしてきた。年末から販売者複数名の個性の違いが、もう一度問われるような場面が何回かあり、私たちの活動の内容をより拡張することで、もう一度、枠組みの整理の議論が必要になってきたように思う。

湘南あすなろ会の「日常活動」、ビッグイシュー販売に「加えて」という話の中で、「今できることから」という視点は、私のような「支援者の視点」だったのだろうか。湘南には、炊き出しを中心にした生活支援の優れた活動があり、本来私たちは、その補完というか生活支援の基礎の上に自立就労支援をたてるという出発点からことを始めてきたと思う。そこからビッグイシューが手がけている「路上脱出ガイド湘南版」を出すこと、「湘南ホームレス便り」発刊とブログ設置を通じた地域協力者との出会いを進めてきた。前者は「生活支援連絡カード湘南版」作りへと内容を変えてきた。

ビッグイシュー販売部数の急成長は、ビッグイシューの評価をめぐって、より深い議論を必要とするようになってきた。ビッグイシューは、ただの収入源であるのかという議論だ。ビッグイシューの本来の位置づけは、自立就労へのファーストフードというか出発点とすることにある。路上生活者の収入は空き缶集めなど、社会の余剰に食い扶持をぎりぎり稼ぎ出す、1,000円/日前後の稼ぎが彼らを逆に縛っていた。昼夜、時間を費やしてこの金額だった。体の健康な者はまだいい。中高年の多い野宿者は気力、体力に限界を感じている。この仕事が「雇用労働」ではないために、動かなければたちどころに収入が立たれる。雨天が入っただけで飢える。

ところが野宿者になるには、蟻地獄の坂に迷い込むように簡単に陥る現実がある。多重債務、家族の絆の破綻、触法経験などがあれば、扉の向こうはすぐに野宿者の世界である。住所、連帯保証人が持てなければ就労が出来ない。以前のように日雇い労働がクッションに成っていた時代は過ぎ去り、アルバイトさえ中年以上の年齢の者には、その口すらない。そういう社会に生活再建を果たしていく契機がビッグイシューだった。しかしそれとて、計算上はフル稼働して8~9万円/月、実際上は2~3万円/月、空き缶集めを加えて5~6万円/月位であり、上限がある世界である。しかし販売活動は、支援者を結びつけ、様々な出会いを生む。ここから契機をつかむことは、ひとの出会いを避けて収入を得る空き缶集めよりは、転機を引き寄せる面で比較にならないほど可能性は高い。「すべり台社会」(湯浅誠氏)からの脱却がビッグイシューの役割となる。

私は本来、引きこもり青年や、軽度障碍者、若年無業者の就労支援を地域起業に力点をおいて活動してきた。ネットカフェ難民や派遣切りの形で路上に押し出されてきている時代性をより強く持った方の就労支援の延長上に関わっている。ところが路上生活者の課題の中心は中高年層の支援と、就労そのもののイメージがずれている。

以前、私たちの催した県立鶴嶺高校講演会の中でも、寿連絡会の高沢氏が語ったように、路上生活者の問題の背景には支援制度の狭間の中高年層の課題として路上生活者の課題があり、路上脱出ということでは現実を支えきれない、路上生活者(野宿者)として生涯をすごすという前提に立った現状対応型の生活支援が必要という論もまたあることも事実だ。しかし、この論は若い路上生活者の増加という時代の課題には論及していなかった。主流は中高年の課題であるということだ。

湘南あすなろ会は、ビッグイシュー販売を自立就労支援の活動として立ててきた。ところが最近の議論では、この活動が路上生活者の活動とは浮き上がった活動で、病院連れ添いや、空き缶業者への高値販売を目指した活動のようなことが必要な活動というように、対立して論じられるような場面も登場し、初心が薄らいできたような感じがある。これらの活動は全く対立するものではない。

問題は「いま始められること」を「拡張していく」見通しを立てて活動を組んでいるかということであり、活動の普遍性というか、移殖可能性を持っているかという視点が大事なのだと思う。その切り込み方が、個別具体性の背後にしっかり貼り付いているかは、粘り腰の活動を作るために、しっかり吟味されなくてはならないだろう。個々の活動の重要性を否定するのではなく、いま・ここで生活支援と地域起業を目指した活動へ拡張するときに、湘南あすなろ会は、地元の生活支援活動と連携し、就労支援を個性とした地元活動補完からはみだしていく活動が必要なのだと思う。

4月初めに、私たちは東京の路上生活者自身による協働出資組合立事業所の「あうん」(三ノ輪)と、住環境提供を中心にした生活支援の「舫(もやい)木漏れび荘」(飯田橋)の見学交流会や、放置傘再販の仕入れネット形成による雨天販売への下準備に入る。また「生活支援連絡カード湘南版」作りを進める。またこれはまだ会の総意ではないが、茅ヶ崎市行政新設課「生活支援課」との懇談会を私は提案していく。会員の中には「ガレージカー」設置による住居確保の活動もあり住環境提供への試みとの連携も考えうる。新年度はこうした諸活動、特に地域起業の方向への拡張、力量付けを初めて行きたいと考えている。特に、「カード」「放置傘再販」は、パッケージ化(移殖可能性)の当座の活動であり、真似できる活動を作るという基本線を据えるものとして、重要視している。また、ビッグイシュー販売が生み出す出会いを以下に拡張するかという事例への取り組みも始まっている。会の立場と主眼をじっくり話す必要を強く感じている。

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私の新年度の生業が少し動いた。現在春期講習が始まっているが、教材開発に特に、障碍や不登校などの原因で学力低迷する方へのバイパスを作る役割を某塾の方でいただいた。そのかわり、臨時の小学生の授業講師は無くなる。爺ぃは向かないから、バックヤードへということだ。某予備校の方は、外勤学習カウンセラー講師として、今年も命がつながっただけだが、今年いっぱいかなとも思う。一応進学校だから、この制度も後退しそうなところがあるのだ。塾の方は続きそうなのだが。軽度発達障碍関連の学習指導活動を湘南に塾として始めていけないかなと、改めて考えている。

先日、睡眠薬乱用の件で問題が起きた。弟が補導されたことで、引きこもっている兄貴が芋づる式に警察に捕まった。未成年であり初犯、常習者ではなかったので厳重注意で治まったが、契約外の弟の側が学校の処分対象となり、私が動くと違反になるので、別企業の私の同士が動いた。年度切り替えの時期でもあり、なんとか彼を謝らせて治めた模様だ。しかし、学齢期の子ならSSW(スクールソーシャルワーカー)達が取り組んだ方がいいように思う。緻密さの問題だ。

こうした問題への対処は、より訪問への足腰が強くなければならない。父の介護に縛られている身には制約がかかる。だからやらないとは、絶対言わない。やれる範囲を見切る必要がある。出来ない部分を分担できるチームを講師仲間特に県北部在住者と組む必要がある。これは新年度の大きな課題になりそうだ。


夜間傾聴:□□君(仮名 3/24)
     橋本2君(仮名 3/25)

(校正1回目済み)

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高齢者社会保障の光景(生活保護者の葬儀)

2010-03-24 05:39:57 | 引きこもり
母が友人の葬儀に出ている間、私は留守番、父の監視役をやっていた。父は父で、宿便を溜め込み気味、治療中の痔の痛みに、ベッドとポータブルトイレの間を頻繁に往復しては、おぼつかない足元に、転倒まではいかないものの目が離せなかった。介護サービスは、今回のような葬儀や疾病など、急な事態になかなか対応しきれない。

この方は、身寄りがなく、夫の仕事の倒産で夫の命と財産を失い、趣味の指導で、ひとり細々と食べていたが、病気がちで生活保護を受ける状態に追い込まれていた。その趣味の関係で母はこの方と親しくしていた。癌が発見されたときには、全身に癌が転移しており手遅れと、少ない友人関係を次々に切り離し、孤独死を覚悟されていた。母はその友人の中の最後の居残りを決め込んでいた。リハも不可能な状態となった時点で、私には不可解でしかたないのだが、本人の意思でもないのに、自宅に帰されてしまった。その翌日の誰も看取ることのない、推定時刻6時台のひとりぼっちの他界だった。多臓器不全が診断となった。

彼岸の連休中の出来事で、月曜日が友引だった関係で、翌23日の葬儀となった。民生委員と介護ケアの担当者と母、この家の大家さんの4人の寂しい葬儀、母は、2度目の厳しい現実の葬儀を体験することになってしまった。

1度目は、認知症の夫を老老介護する妻が、暴れた夫の乱暴であばら骨を折って寝込み、状態がわからない夫が訪問客の母に空腹を訴えた。凄まじい姿で死後硬直を起こしているのを発見、動揺して私に電話が入り、私が母を支えて警察に連絡した。この方は、骨折を病気と勘違いしていたらしく、その状態で夫の介護をしようとしていたことがわかった。動けなくなり糞尿垂れ流し状態で息絶えていた。このときも、この方の遠方の親戚筋から心無い言葉を受けて、しばらくは母は我が家でも言葉を失っていた。20年ほど前のことだった。

母は東京大空襲のとき以降も都心に残っていた。女学生の頃である。そのとき路傍のむくろをもののように見てきたから平気なのだと語っていたが、さすがにこの方が納棺時、そばで骨折る音を聞いて、事情聴取になんとか答えつつ、生きた心地がしなかったと語っていた。

それが今回は、再び孤独死に立ち会うことになったのだった。救われたのは、入院中もそうであったが、当人、痛みを感じなかったようで、衰弱して寝入るような最後だったとのこと。達観された方で、準備を終えてこの世を去ったという。しかし、病院のベッドを空ける目的とはいえ、これは医療放棄ではないか。私が割り切れないのと同様、母も病院の行為を不可解と感じていた。

母がいなければ、納骨先の手配やら遺品整理などは出来ず、無縁の塚に共同埋葬されるところだった。生前話を聞いていた、この方の管理となっていた母親の墓の住職が、納骨を受け入れてくださった。しかしお彼岸の多忙な時期、生活保護者の葬儀は、経無し花もなし。ただ30代のころの写真のみ。火葬場の窯も粗末、骨壷に無造作に開けられ、昼食も各自コンビニで買ったもの。家にもどると、市内の整理屋が入り、家電製品や家具の取り外しが始まっていたという。

この方が残したメモに従い遺品を分けて、我が家に母が帰ってきたのは、15時を回っていた。昼には戻るとの話だったが、大幅な延長。私の巡回をまた日送りした。父が便意を催し、ひとり残すことが出来なかったからだ。1時間かけて腹部のマッサージをし、なんとか排便させたときには、私の介護手袋は血だらけだった。なんとか寝かしつけ、汚物処理と洗濯をしている最中に、疲れ果てた母が帰ってきた。父は疲れて大いびきをかいていたので、やっと外出できた。留守番が必要という状態は、なんとかならないものか。

夕食の食材の買出しの間をみて、Oさんの「湘南ホームレス便りNo.5」を配ってきた。

茅ヶ崎市議団+市役所有志
秘書課
茅ヶ崎市社協
藤沢市議団
秘書課

以上配布済み

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時間切れ


夜間傾聴:中央林間君(仮名・3/23)

(校正1回卦済み)

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街の孤独死の葬儀に立ち会うこと

2010-03-22 12:07:15 | 引きこもり
私の母が趣味の関係で知り合った市内のある老婦人が昨夜朝、肝臓・すい臓がんで亡くなった。倒産の心労で発病した夫を亡くして5年余、天涯孤独、生活保護を受けて暮らしていた。趣味の世界の友人も迷惑をかけるからと関係を切り、この老婦人は、民生委員と母だけの付き合いで、先日リハが出来なくなったと某病院を退院させられ、我が家にもどった翌日の看取るもののいない逝去だった。明日荼毘に伏される。

生前、お彼岸に逝くのは良いというからと、自分の死期を決めているような言葉を残した達観した往生だった。せめて最後だけでもと母が動き出し、父の見張りを私と交代しながら、葬儀の準備を、この方の隣人でもあるボラさんひとりとともに行っている。今日が友引なので、明朝が葬儀。母の意志で私は父と留守番となった。こういう急なとき、補助として母に連れ添えない矛盾が見えてしまった。介護ヘルパー事務所も急な依頼なので、父の見守りが受けられないと断られてしまったのは、お彼岸中という時期の悪さも手伝っていた。母には先方から、葬儀後は無理せずタクシーで帰れと指示した。

しかし、身寄りの無い生活保護受給者の埋葬は寂しいものだ。野宿者の方や、家族離散した隣人の男性、引き取り手のない中年引きこもりの方の葬儀などを体験してきたが、それは切ないものだ。ひとはつながりの中で生きているのだということを痛感する。今回は私と数回会っただけの方だが、その方の孤独と、同世代の母の気落ちも気になっている。家族の少ない誰もが陥る可能性のある街のひとの関係希薄化を肌で感じている。

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父は毎週月曜日デイサービスに出て行く。帰りは16時半。父の宗教は復活を意識して墓地埋葬は認めても、墓参りを認めない。そんな長年の衝突もあって、墓地までの往復、父を送り出して、デイの帰りの迎え入れに間に合わせることは、無理と判断された。昨日も同じだった。

盆や彼岸など、皆が共通して外出する日、介護サービスの予約は前月では取れない。だからすでに新盆、旧盆とも施設には予約が入り始めている。忙しない世の中だと思う。父がホームの職員さんに引き継がれたとき、急にそのことを思い出し、母に確認を取って、ケアマネさんに盆の予約の伝言を頼んだ。早い予約は初めてのことだった。

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ボラさんと母の「企業組合 あうん」「舫 こもれび荘」の見学会の調整と、都教委・職場紹介ビデオ「輝く未来へ」の番外解説を行えるジョブコーチ探し、「シブカサ」との放置傘路上再販企画会合の提案を始めている。いずれもこの連休で中断している。私のような不規則な休日で動く人間には、土日や連休が空転の期間になる。今日は前述の方の縁故があった方を探す作業や納棺する身の回りの物の選択など母の手伝いで、16時半までの時間、動く。ヒューマンスタジオの青少年メッセは、この話が無くても途中退席だったので、出席を見合わせることにした。

一昨日、Eさんの撮影の後、ある精神保健関係者と会っていた。通学していたので直接私の担当ではなかった子なのだが、彼の弟が睡眠薬の問題で補導され、芋づる式に彼も補導された件で、見守りの対応作りの相談をしていた。私は兄のみの協力なのだが、この方は今年初の大学受験だが失敗していた関係で、来年度は私の担当になりそうだ。夜間傾聴参加の方も固定化してきており、彼の了解が得られれば、参加する。

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以上、ここまで

夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名・こちらから)
     ******君(仮名・こちらから 3/20)

p.s. 3月上旬分までの販売妨害事件関係等残部200部、東京事務所返送済み。
   バックナンバー保管場所調整今夜。

(校正1回目済み)

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ビッグイシュー茅ヶ崎販売員Eさんの撮影と高松英昭さん

2010-03-21 01:46:01 | 引きこもり
---- どうしたものか、2回ともブログメンテか、ブログに入れませんでした。前日分です。すみません。

03/20/2010 記
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ビッグイシュー東京事務所から、カメラマンの高松英昭さんが茅ヶ崎取材。湘南あすなろ会のBI販売員Eさんの撮影を行なった。4月中の同誌「時の人」欄にEさんが登場する。高松英昭さんの写真集は以下の通り。

「STREET PEOPLE―高松英昭写真集」

15時に茅ヶ崎駅北口デッキの販売場所に集合。そこで撮影。3人雑談しながら、だんだんにリラックスさせていく様子は、なるほどプロなのだなと。

駅南口から図書館、カトリック教会の前を抜け鉄砲道を左折。海岸まで着く間、茅ヶ崎の野宿者の状況を話す。都会のビッグイシュー販売と違い、茅ヶ崎販売は近郊に位置しているにも関わらず、それが成り立つのはなぜかと高松さんに問われ、茅ヶ崎カトリック教会のHL支援の会の活動の蓄積があるからだと応答。

しかし、野宿者の問題解決は、従来語られている、制度の狭間の中高年の問題という把握だけでは状況が語りきれなくなっている。それが派遣切りや、正規雇用・再チャレンジ枠の激減という、若年層の不安定化・貧困化があり、障がい者雇用の法定雇用率達成を越えるノーマライゼーション・パワーの衰退があって、そういう社会的背景がネットカフェ難民、若年層野宿者の増大となって、新たな課題が生まれている。それが生活支援を土台にし、若年層にもうひとつの焦点を置いた、これからの就労支援の課題なのだと私の考えを伝えた。

もうひとつは、BI(ビッグイシューの略、以下同じ)販売を生業(なりわい)としていけるのかということ。これは本来BIはファーストエイド的な就労コンディションを整えるのが目的ということで、販売形態が路上販売と限定されていることもあって、月2~3万円稼ぐのが精一杯。ならば、食えるようになるには、企業採用されるか起業する、または生活保護という道となる。だから、次のステップへの段差を少なくする試みと、次のステップを作る試みが問われる。BI販売だけの活動でいいとは思っていないと答えた。この企業就労か起業かという道に知恵を絞りたい。

その起業と併行して、新規参入してくる野宿者に対し、公共図書館という場を評価したい。季節に関わらず無料で居場所に使える。ここを文科省が「図書館海援隊プロジェクト」と称し、図書館職員に来館就労困難者への就労プレ相談と関連資料の案内を求めたことを足がかりに、参入者にも仕える地元支援ネット紹介と、生活・就労支援企画をたて、資料コーナーを作ってつないでいくという定置網のような活動を地域ネットワークを作る活動の芽として生み出していく。茅ヶ崎は図書館のまん前がカトリック教会であり、ここの売店に生活保護申請ガイドのような書籍を置いたり、定例相談会で受け止めてもらう等、動きを作っていく。放置傘の雨天時再販とこの図書館開拓が茅ヶ崎の当面の課題だ。

高松さんは、他地域を回った比較の目で茅ヶ崎を見たとき、生活支援が野宿者支援の場合圧倒的なニーズで、茅ヶ崎は、その先を探しているところが、寄せ場以外の近郊都市の動きとして聞いたことが無いとのこと。そういう活動とビッグイシュー販売がもっとうまく関係付けられるといいということを語られていた。

海岸に着いてから、記念撮影。恥かしいけれど、高松さんにお願いしてスナップ撮影に入ってもらった。この写真は、次号の便りに載る予定。もう一枚、離れすぎの方をブログに載せます。

高松さんは、いい環境だと感心されていたけれど、地元に住むと案外海は疎遠で、どうということがなく、ただ台風の直撃が少なく、暖かいことは確かだなと思うと伝えた。

雑炊にしてはずいぶんホットな話題を交わしていたら4時間が経っていた。高松さん、またいらしてください。

-----

夜間傾聴の関係で、大和の支援者と夜に緊急相談。私の担当する子はいなかったものの、この時期は何が起こるかわからない。


夜間傾聴:******君(仮名・上のこととは関係なし)

(校正1回目済み)

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湘南オンラインフレネにスタッフ参加希望者の娘さんが<すみません

2010-03-19 11:24:17 | 引きこもり
湘南オンラインフレネ(略称:SOF 以下これを使う)に若い方からスタッフ参加の問い合わせがあって、実は困惑した。ここ5~6年、当事者家族以外の支援者からの問い合わせが全く無かったからだ。事務所や居場所を構えて活動する場合、活動目的に共感してくださった方を受け入れやすいのだが、訪問指導や、活動立ち上げ支援の特に構想提案をしているSOFには、活動参加の形が見えにくい。

不登校・引きこもりの方への直接支援(特に学習支援)を期待されているようで、現在進行形の「わーく」編集部・画像放送&提言紙のスタッフという方向には、飛躍があり、話は難儀した。期待の受け皿がないからだ。私はもとフリースクールっぽい塾経営者で、不登校学齢期の子たちを活動の中心においてきた。だからその世界を取り戻していく方向も可能だ。しかし還暦を迎えようとしている者は、むしろもっと年齢が上の引きこもり青年の生活・就労支援の方に力点を絞った方がいいと判断している。その方が実があるように思えるのだ。

ところが若い方にとっては、同世代または年上の世代の方の支援となり、また若干社会経験がいるので、しんどい相手だろう。正直言って初学者というかお手伝いの形では、なかなか仕事が見つからないのが実情なのだ。

娘さんに、私が昔、湘南で塾を基盤に19年間活動していたこと、ある出来事と家庭の事情で塾を閉じ、他塾や予備校を10数年放浪しつつ、東京南部で無拠点活動を立ち上げては頓挫を繰り返し、2000年末、交通事故で2年入院、活動基盤を失って湘南に戻ってきたこと、遠方で訪問指導をしている関係で、当事者間の横のつながりがなく、なかなか地域活動が立ち上げられない現状の概略説明をし、苦い選択ではあるけれど、地域のもっと若い活動、例えば「ラズベリースクール」等の門を叩いた方がいいと話した。

「茅ヶ崎市民活動サポートセンターを訪ねなさい」と語って電話を終えたが、正直言って寂しかった。私の作る活動は、ある程度の年齢と地域の状況把握という経験が必要となるのだ。果たしてサポセンに、この娘さんが訪ねてくれるかそれはわからない。しかし、私の活動は領域横断的な境界線の活動であり、これから生み出していかなくてはならない活動なので、見習いの方には居場所が無い難点があることが、むき出しになってしまった。就労困難(社会参加困難)な方の支援活動というインクルーシブな目的意識を先行して意識していないと、狙いが見えないだろう。

障がい諸領域のいわゆる手帳のある方の活動は自立支援協を中心にまとまりつつある。しかし、手帳が無い、あるいは地域潜在している精神障がいや軽度の方、それに大きく重なる引きこもり、または生活すら崩してしまったニート、野宿者の方への支援も、それぞればらばらである。特に就労については、派遣切りなどの社会情勢が加速することもあるので、横断連携が必要なのだ。企業就労と地域起業の両面において、地域ネットという独自活動を協力して作っていく。だからニーズ予測と当事者の結集を図る裏の目的を持って、当事者交流と就労意欲を生み出していく当事者マスコミ活動、ネット作り活動としての「わーく」編集部活動の立ち上げから始めようとしている。なんで今、放送局なのという疑問に答えるには、特に沈黙を続ける引きこもり青年たちの声が既存障がい者関連団体に伝わっていかなくては、横断の必要性も理解できないだろう。娘さんの電話は、そのジレンマの中で飛び込んだ出来事だったのだ。

ごめんなさい。

-----

4月上旬、出来たら4月6or8日に、湘南あすなろ会で見学会を企画している。東京・三ノ輪の企業組合「あうん」&飯田橋の「舫(もやい)こもれび荘」にお願いを出している。不成立のときは、いずれお邪魔するつもりでいた横浜寿町に立ち寄るつもりでいる。今後は山谷「きぼうのいえ」山本雅基さんのグループホーム活動取材や、北村年子さんと「野宿者の周辺」について上映シンポを考えている。

(とりあえず続く)

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)

(校正1回目済み)

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やっと復活です、すみません

2010-03-18 07:48:40 | 引きこもり
ここ数日、13日サポセンのワイワイ祭り関連の残務整理、15日の確定申告や、生業の新年度入試問題集屋の締め切り、16日の右目涙腺の手術と、父の入所希望申請を出す老健からの呼び出し(市外)等、身動きが取れない状態が続いていた。といっても、16日は手術の帰り、さすがに古書探索は無理だったが、クリニックの近くの神保町周辺の街を、学生時代をなぞりながらうろつき、片目でメルヴィル監督の「海の沈黙」(岩波ホール)を観たりもしていた。昔、有楽町のATGという映画館の雰囲気を味わってきた。ドイツ軍占領下のフランスの一家庭の暖炉に視点を置いた作品だ。

私は複数収入なので確定申告が必要となっている。家業の名ばかり社長でもあるので、そちらも抱えていく。不精が祟って、いつも3月の締め切り間際に突貫作業をして、税務署に持ち込む習慣ができている。新年から仕上げればいいではないかと思うのだが、入試関連と新年度雇用契約更新で、いつも後回し後回しにしたツケが回ってくる。

今年はその申請風景に変化があった。7割方がパソコン入力(清書のみ)に周り、いよいよ手書きが高齢者コーナー化したことだった。1時間ちょっと順番の列に並び、立ったままの筆記台にたどり着くまでに、いい加減疲れている。その斜めになった狭い机面に、雑然と資料が並ぶ。パソコンの側は座っての作業だし、計算が自動化しているので、7:3は当然なのだが、こちらはその機械の操作法の質問に巡回者を手放そうとしない方がいるので、質問に時間がかかる。だから手書きを選択し、質問を受ける機会を手っ取り早く作ろうとする。

今年は家業の親の整理分の医療費控除に矛盾が起きた。母が大きな手術を2回していた。その関係で傷害保険にかけていた掛け金が下りた。ところが医療費よりも掛け金が上回ったために、差額が黒字逆転を起こした。この掛け金は任意保険を積み立てた結果で支払っているにも関わらず、今回は医療費控除0円として提出せよというものだった。自分で対策を準備し、自分で支払ったのに、医療費の控除請求が出来ないというのはおかしいではないかというものだった。時間かけて領収証を保存、記帳集計したものが、出す必要が無いというのは、タコの足食いのような割り切れない思いが残った。高額医療費の申請は市役所へと聞いていたので、そちらにもう一度行かなくてはならないのだろうか。とにかく、税務・会計は性に合わない。いわゆる帳尻合わせが嫌いなのだ。

この確定申告前の数日分の積み上げた雑務が翌日からかかってくるのだが、今年は両眼の網膜色素変性症の進行のうち、特にまだらの視野喪失から失明が近づいている右目の症状が、涙分泌の異常がストレスとなって進行しているので、確定申告締切日の翌日、日帰り手術となった。涙腺側への薬物注射と鼻側にある涙の出口、涙小管に細い針金を通して、導管に詰まった油成分の老廃物を貫通させる手術だが、今は即日手術で済むのはありがたかった。

なにもその日に映画もないが、左目は生きているとばかり、まっすぐ帰宅するのが嫌で、父の様子を母に窺いながら、母に介護を預けて闇の中に身を置いていた。一日二日は目を休ませるようにということで、結局メールチェック以外のPC利用を珍しく休んでいた。

湘南あすなろ会の定例会は、土曜日に変更されていた。実はありがたかった。私のような請負稼業は他力本願的なところがあって、流れをストップさせれば、仕事が山積し、片付けなければ次から仕事が回ってこなくなる。片目だと間違いが激増するのだが、なんとかそれもやっつけることが出来た。再開である。

とりあえずご挨拶。神保町散策の折り、買い求めた書籍のひとつを紹介することで、今回はご容赦を。

●「闇の中に光を見いだす」

----- 視力障がいの話や、キリシタン・バテレン宗教の類の書ではない。清水康之・湯浅誠両氏の対談リーフレットである。貧困と自殺とセイフティネットの話題を年末派遣村の裏事情を交えて、さらりと紹介している。マスコミの情報操作の経過から透けて見える社会意識の貧困さよ。


夜間傾聴:日が長いので省略


(校正1回目済み)

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15日夜まで書き込みを休みます

2010-03-14 03:13:42 | 引きこもり
父の症状と、本業と青色のサボっていた報いのすべてが重なって、14~15日夕方まで、身動きが取れません。一回書き込みを休みます。

すみません。

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父の介護、排便と痔の治療の戦いの中から

2010-03-13 05:39:15 | 引きこもり
父と排便の戦いをしている。一度切れた痔は、そう簡単には治らない。薬が出ているが、父は安定して横臥することが出来ないため、立てばうつむくと転んでしまうし、ポータブルトイレに座っても膨らんだ腹が邪魔をして肛門に手が届かないという、自分で始末がつかない状態になっている。便意がなければ、介護の手を拒絶しても問題にならないが、一度便意を催せば、たちどころに意志と現実の矛盾が父を追い込んでいく。

深夜3時50分、全身が冷えていく悪寒を感じて目が覚めた。PCの前で眠ってしまったのだが、石油ストーブの油が切れ、火が消えていた。立ち上がってストーブに近寄ろうとしたとき、闇の向こうから、歯切れの悪い震えた大声で、父が母の名を呼んでいるのだ。敏感である。1階で息を詰めた瞬間、2階でクシャミや咳払いが聞こえてくるという具合に、ぴたりと息が合ってくる現象がある。特に病気等で他者に依存しているひとや、乳幼児に頻繁に見られる。特異な現象ではなく、論敵が壁の向こうの部屋にいると自覚したときなどや、室内犬が飼い主があくびをしようとしたとき、自分もあくびをするなど、ある程度の進化した哺乳類ならば、互いの関係性の、類を保つ(関係を保つ)無意識のチューニング共鳴現象とも呼ぶべき現象が起きている。

昔、第六感とか気配と呼んだものも、おそらくはこの現象だろう。特に消化器の感覚が伝わりやすいようにおもう。腹が減る・便が出たい・喉が渇くなどは、恐ろしいほど頻繁に伝染していく。これはおそらく、認識に関連している。共感の構造というか、擬似的な類似の行動をシンボリックに行うことを通して、状況を照合解釈しているように思う。相手の響きを無意識のうちに類似のものへと調整している。

いわゆる五感の範囲で解釈するには、状況を伝達する物理現象が事例の鋭敏さに対応しきれないために、第六感というような、もうひとつの神秘的な力を想定して理解してしまうという怪しげな話となり、その宗教じみた傾向から、皆、現象を黙殺し受け流している。しかし、五感が知覚的である範囲を感覚と呼んでいないか。無意識のところまで感覚の世界を広げていけば、五感の範囲や複合感覚の様相がもっと探られていい。呼吸や皮膚感覚などの情報処理がどのようになされているかは、もっと考えていい。

それはともかく、父が必死に声を絞って母を呼んでいたのだった。

照明をつけると、父が呻いている。寝言ではなかった。便が爆発しそうだと父は私に訴えた。父は摘便する処置を前日の救急外来で受けていた。そのとき、宿便を柔らかくする薬が処方されていた。宿便が痔につながっていたからだ。この薬の効果か、父は便意を頻繁に催し、今までは便が出なかった。ところが今回は明らかに悪臭が漂っていた。

ポータブルトイレの排便にこだわる父だが、ポータブルトイレに移る場面で、便が漏れて大騒動になるのが常だったから処置はベッド上で行うことにした。平オムツ2枚分の大きさの使い捨て作業用シーツを父の尻の下に差し込んだ。父を安心させて、排便しても大丈夫だと声をかけた。

下痢便が出るわ出るわ、大人のゲンコツ3つ分以上の量が捻りだされた。問題はここからなのだ。姿勢を動かせば、この血の混じった軟便は尻に付いて周囲に撒き散らされてしまう。悩んだ。肛門から血が滲み出している。ここに薬を塗ろうとすれば父は暴れ、大惨事になる。便を処理させておきながら、肛門をいじらせないのは、痔の痛みや、社会的価値観としてのプライドが邪魔をしているのだ。腹部マッサージを続け、とにかく便を出し切ることに集中した。マッサージが5分を超えたころ、案の定第二波がやってきた。気の遠くなる臭さである。

使い捨てシーツの上に流れ出した軟便を尻と遮断して引き抜かねばならなかった。例え排出した便を始末できたとして、流れる血でベッドを汚しかねない。2枚目に交換する瞬間を安全に越えるために、便と尻の間にぼろ布をいれて遮断。2枚目に交換できた後に、清拭中に肛門に薬を塗る山場を持ってくることに成功した。

父はこの段階でも尿で湿った靴下を履いた足で私を蹴り上げた。熱くなったら負けである。肛門から血が出ていること。これを止める薬を塗ることを告げ、「放置すると癌になってしまうぞ」と嘘をついた。すでに便の始末を任せていることが役に立った。抵抗はゆっくりと治まり、当面の処置をすることができた。

しばらく様子を観てから、紙パンツをはかせた。父の安心を作るために、プラシボ(擬似薬)に近い緩やかな整腸剤を飲ませて、部屋の照明を消した。4時半を過ぎていた。

こうした排泄補助が一日数回ある。後始末を入れると一日が介護で回っている状態になる。なんとかならないものかと思う。

8時に父に朝食を出して、見かねたOさんがサポセンまで車で送ってくださる。東京からのお客さんKさん一行到着は14時だが、午前中で一度引き上げさせてもらう。父の処理が終わったら、祭りが終わってから改めてKさんと会えないか調整してみる。

販売者Tさんが不調、果たして会場に現れてくれるか。悩みは尽きない。



夜間傾聴:橋本2君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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明日13日、茅ヶ崎サポセンでワイワイ祭りがあるので/9日「あうん」にお邪魔し

2010-03-12 16:32:20 | 引きこもり
いつも3月上旬~中旬は、生業の方や、青色やら、入試の始末や入試問題集作り屋などが重なり、最悪の状態になります。今年はそれに「父の元気」が加わり救急車騒ぎが起きて、何が起きても不思議ではない状況になっています。

不思議にこの時期、新年度前の大事な接点となる企画が多く、茅ヶ崎サポセンも「ワイワイ祭り」が行われます。下旬にしてくれると助かると思いつつ、圧倒的な給与所得者・定年退職者の主導で日程が決まってしまうのは多勢に無勢。

今朝も、父は身辺介護のヘルパーさんがくる2時間前から部屋を歩き回り、家具を倒して自分も転倒したり、30年前のみやげ物を昨日買ったかのように、「引き出しからだせ」と母に要求。「祖母(ばあさん)がしまいこんだから聞いて来い」というような、故人を活きているように勘違いしている、認知症がもろに出ている要求をして、母と口喧嘩となったりと、どうしようもない状態が続いています。

集中して書く時間がなかなか得られないので、9日の「あうん」訪問の様子。肉付けされていませんが、とりあえず以下に書いておきます。同日の東京中小企業家同友会の障害者委員会の講演会の様子は、講演内容とは別個の話なので、割愛させてもらいます。「わーく」編集部の東京同友会賛助会員参加の準備話なのです。

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9日(火)東京東日暮里の企業組合「あうん」を訪ねた。この日、みぞれの天候で、三ノ輪の駅の2番出口から正庭通りを探し、通り沿いに中華千住軒を探した。この中華店を左折してまもなくが「あうん」の場所。はじめ訪ねた自由広場・フードセンター(出荷場)はお留守。電話で事務所を教えていただいた。事務所は通り沿いの奥にある。徒歩8分ということだが、結構通りの名前が分からないので迷う。ワイズマートというスーパーの横の通りが「正庭(まさにわ)通り」だ。

事務所には数名の事務所担当者の方や、発起人の中村光男氏がいらして、アポなし単刀直入話に耳を傾けてくださった。(感謝しています。)内容はふたつ。ひとつは、湘南あすなろ会の見学会を請けて下さるようにお願い。2点目は、シブカサのSさんを交えて、放置傘再販の活動を湘南だけでなく東京にも種を蒔くという話し合いの場を設定したいという勧誘の件です。

前者は「見学会の主眼」を話し、販売活動の立ち上げ安定化の経験を参考にさせて欲しいこと、店舗(事業)展開する上でひととお金の飛躍をどう支えたか、新しい事業展開を生み出していけるような自由さを事業の中に埋め込んでいけるか。協働出資の形を野宿・生活困難者の領域で実現するときのメリットと可能性について。というような具体的な話に、乗ってくださった。4月初め、特に6日、お邪魔することが決定した。

もうひとつは、放置傘再販ネットワークの準備話に参加してくださることになった。

中小企業の事務所の親和的な雰囲気が部屋を包んでおり、仕事帰りの方(従業員兼社長)が、ぞろぞろと帰ってくる中、中村さんと私がなにやら熱中して話しこんでいる、「またかいな」という視線あり。ちょっと面白かったので、この方に話そうとしたのだが、時間切れ。

こちらは近所に、衣類・家電製品などの店舗・倉庫があり、今回は倉庫ではない衣類の店舗兼事務所にお邪魔したのだった。詳細は下記をご覧あれ。

企業組合「あうん」

以上
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恐れていたことが…父の階段転倒/将棋倒しに「舫」訪問も空転し

2010-03-12 12:54:37 | 引きこもり
救急車騒動があった翌朝、父が階段を降りて転倒してしまった。朝6時過ぎの出来事。1階の床から1段あがったところから、手がかりが無いので落下したらしい。父は体調がよいときが危険。しかし私も母も疲れていた。母は風邪を薬で押さえ込んだところだったし、私はオーバーフローで、眠りこけていた。

父の下半身はぐっしょりと尿に濡れ、背中も尿を背負い込んでいた。腰を抜かし、泣き顔の私を見上げていた。さすがに我慢の限界にきていた。階段を指差し、「落ちたら死ぬことぐらい、わからんのか!」と呆けた表情の父の胸倉をつかんだ。「ひとりで降りるな、落ちたら死ぬぞ!」と揺さぶった。

険しい顔になる父。無我夢中でつかみかかってくる父。何も意味が通じていない。母が騒動に、起きてきた。父が母を見つけ、抵抗をやめた。

「何をしたかったのか」、私は父に聞いた。返事が無いままだ。ただ、立ち上がろうともがくばかり。母が2階にあがって、引きちぎられたカーテンの金具を持って下りてきた。トイレットペーパーが床に転がり、道が出来ていると母の報告。

「自分が出来ることはやらないと」と、父の声。
「ヘルパーさんを頼んで、いつも階段は必死で上がり降りしていたのを覚えていないのかい!」と私。
子ども用の椅子を2階から降ろして父の前におき、立ち上がらせると、父は階段ではなく、1階のトイレに強引に向かおうとして、また椅子ごと倒れた。

「便が出たいのか」と私。
全く反応が無く、もがいて立ち上がり、トイレに行こうとした。

「うんこでたいの?」と母。
「出たくない」と父。

「便」では通じない、「うんこ」なのである。しかし、「出たくない」のになぜトイレなのだろう。

「なぜトイレに行くの」と母。
突然、もがくのをやめて呆然とする父。排便という目的が消えて、「トイレにいかなくては」という意志だけが残っていたようだった。階段の危険性など蹴散らされていたのだった。これでは目が離せない。

2回にあがった母が大声を出した。ポータブルトイレに、隠しておいたキッチンタオルのひと巻きと、入れ歯が落ちていたのだった。枕もとのCDプレヤーは床下に落ち、着替えがかき回されていた。カーテン下から、ぐっしょり濡れた尿取りパッドが出てきた。

父を介助して階段を上る。体重をもたせ掛けてくるので、数回、ふたり丸ごと落ちそうになる。こんな状態で、両側の壁に手を突いて降りてきたのだ。以前、父を背負って階段を上ったときの記憶が蘇ってきた。終えたとき視野が真っ暗となり、呼吸が出来なくなった。あのときの感覚である。

先に部屋の奥にいいる母に、父を座らせる椅子を用意させた。私が呼吸を整える間を作るためだった。そしてベッドへ無事着地。父を駆り立てたと思われる排便欲求は、前日の救急外来の浣腸の処置で一時的なものになっているはずだった。父は、新しいホームに行くことに緊張していたのではないかと思った。

と、突然、「飯にしてくれ!」と父。
我に返ったものの、何もかもが通じていない現実に立ち返らされてしまった。

------

新しいホームの迎えが来ない。階段介助のヘルパーさんも来ない。不可解な状態に、ホームに問い合わせた。今日の判定会を過ぎなければ、テスト入所はありませんとの通知。

1週間前、ホームの聴き取り調査があった。そのとき、テスト入所は1週間後ぐらいになるので、予定をしておいてくれと言われたことで、時間の空きを確保するために、私の予定表に記入した。それがテスト入所予定に化けていたのだった。失敗だった。私はこの聴き取り調査と、次の展開をケアマネさんに連絡していかなった。そのために、階段介助ヘルパーさんが来ないものと勘違いして、前夜、ケアマネさんのホームに電話連絡していた。ところがケアマネさんが休みの日だったのだ。

勝手に予定をいじる結果になってしまい、あとでケアマネさんに謝ったものの、私のところで起きた介護関連の予定の通知義務は、用心しないとと改めて思う。

しかし、こういうときは私自身もおかしいのだ。食事を下げるために、父の部屋に入ったとき、押入れが開いており、また父がひと仕事したのがわかったので、蓋の開いた茶箱を閉めていた矢先、右手の薬指に鈍い痛みが走った。古い木片が深々と指に突き刺さり血が噴き出ていた。

木片はもろく、深く突き刺さっていたので、午後の巡回前に、開業医は休みの日なので病院で抜いてもらうことにし、父を救急搬送した病院の外来に行った。局部麻酔して切開。1分もかからず、木片は取り除かれた。化膿止めはともかく、痛み止めはいらないというのに、ワンセットついて4千7百円ちょいの出費。頭痛がする…といえば、痛み止めを追加しようといわれかねない状況だった。

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春めいた陽気に少し助けられつつも、橋本までの1時間、前後不覚で眠り込んだ。目が覚めていると指の包帯サックがはずれ、隣の方が迷惑そうに私との間に鞄を置いた。

面談開始10分前、洗面を済ませた。寝惚け顔では失礼というもの。学習指導は年度末、いまいち焦点が定まらないが、彼は来年受験である。教室に通学できるといいのだがと、そんな話を交えて無事対面指導を終えた。

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橋本から京王線を使って新宿に出て、JR総武線で飯田橋に出た。20分遅刻だった。仲介者は携帯を持たない主義。空振りのまま「舫(もやい)こもれび荘」に向かった。こもれび荘は閉まっていた。東京ボラセンは飯田橋にある。ボラセン経由で連絡先をつかみ、連絡。支援者全体が忙しい状態がわかる。結局、私の遅刻が原因で次々と空転が拡がったことが、昨夜の仲介者*さんからの電話で分かった。

市ヶ谷経由でビッグイシュー東京事務所に立ち寄る。会計担当者不在。販売担当のMoさんとMiさんに会う。カメラマン話も宙吊りのまま。

私の留守中は、母の友人親子が入ってくれていた。階段騒動の後なので母が依頼していた。

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舫のこもれび荘には、ビッグイシューの「路上脱出ガイド東京23区版」と、「路上からできる 生活保護申請ガイドブック」が自由に持っていけるように出してあった。後者のガイドブックは昨年12月に刊行されたもので、悪いかなと思いつつ4部いただいてきた。「ホームレス総合相談ネットワーク」の出版。1,000-となっている。本の申し込みは、03-5312-7654 まで。

夜間傾聴:******君(仮名)
     □□君(仮名)

(校正2回目済み)
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介護は雪崩のように>「舫」「あうん」訪問、東京同友会企画参加、あすなろ会定例会報告は次に

2010-03-11 05:18:30 | 引きこもり
real-player の自動更新につかまった。その前はmicrosoftのセキュリティ自動更新につかまった。寒川町立図書館の本の延長をかけようとしていたら、1real-player の更新がすねてpwを受け付けず、片付けていたら、図書館HPメインテナンス時間am3:00になってしまい、延長操作がシャットアウトされてしまった。こいうとき、自動更新がなんとも邪魔。寒川図書館に立ち寄らねばならず、ため息をついている。

父は今日、寒川町内の高齢者介護施設のテスト入所をする。テスト1泊だが、このときは施設の様子確認と契約のために、父と送迎車に同乗しなくてはならない。一昨日、みぞれの夜、父が血便を出し腹痛を訴えたので無音の救急車を使って近くの某病院の救急外来に行った。父はその前日まで老健にシュートステイしていた。老健では「家に帰る」と大立ち回りし、納得したら、複数部屋のベッドで睡眠時間に大声で怒鳴り始め、同室の入所者の方とトラブルになった。だから腹痛はストレスかと冷や汗をかいた。

結局、便秘気味の便が出る時に痔血が出たということで、腹痛は便意だったというわけで、帰りには本人すっきりした顔で介護タクシーの緊急呼び出しを頼んで帰宅した。介護タクシーは2階まで父を上げるのを手伝ってくれる。父を寝かせ、携帯から夜間傾聴の時間延期を頼んでいた青年に、帰宅済みのメールを入れた。午前4時前のことだ。

母は風邪の引きなおしで咳き込んで熱を出していた。本人の体調のこともあるが、風邪を父に移すまいと考えて、夜間の移送劇にはノータッチだった。父は自分の状態を説明しようとしないため、ことが大きくなって困っている。

翌朝8時半、父はデイサービスに出て行った。母は睡眠不足と風邪薬のせいで、泥のように眠り続けていた。私も夜間傾聴を終えたのが5時。本校へのレポートメールを済ませ、PCの前の床に毛布を抱えて消灯したのが5時40分過ぎ。8時には契約の灯油交換業者が来てすぐに、階段介助のヘルパーさんがやってくる。それまでに父に朝食を出さなくてはならない。私も午前中は使い物にならない寝惚け状態で眠りこけた。

母の昼食を作り拒否される。風邪薬の副作用。荒れる胃がないのが悲しい。山のような父のシーツ等の洗濯をしていると、母が起きだし冷蔵庫をあさっていた。おかげで買い物は1時間出発が遅れ、オンラインショッピングで半分片付けた。巡回は日送りとなった。

オンラインショッピングで、全く残りがなくなった紙パンツを補充した。宅配は18時までに届けるということになっていた。父の帰りが17時過ぎだから何とかなると、夕食の食材の下ごしらえして、19時からの湘南あすなろ会の準備を始めようとしたら、猛烈な眠気がやってきた。

丁度そこに別の宅配便が届き、稲城市在住のIPAリカバリーキャラバン隊のNさんから「働く生活ストーリー2」という全国精神障害者就労支援事業所連絡会発行の寄贈本が届いた。

我が家は配達用の地図ソフトでは、袋小路の裏口の勝手門閉ざしているが、そちら側を経路にしてしまう。車は道が無いので、ぐるり回って玄関にでるのが大変。バス停一駅分の距離を回り込まなくてはならない。裏口にポストが無いので、焦って私のところに電話をかけてきたのだった。猛烈な眠気の中、宅配便屋のガイドを延々とやらざるをえなかった。そこへ、外に干したシーツなどを山と持った階段介助のヘルパーさんが入ってきた。デイサービスは、もう父の帰宅時間だった。

携帯片手にほうれん草をゆでているところに、ヘルパーさんである。この忙しなさ、嫌な予感がした。まだオンラインショッピングの配達が届かない。手持ちの紙パンツがないからだ。

オンラインショッピング店に督促をかけたら、こちらもまた宅配担当者が迷っていた。我が家の隣の新築工事の土地の番地が、隣であるにもかかわらず、全然違っていること、我が家は加えてその家の影になってしまったので、かくれんぼしているような状態になってしまったからだった。

父はぐっしょりと紙パンツを濡らせて帰宅した。17時を回っていた。父はご機嫌な声で、「お好み焼きを食べたのだ」とはしゃいでいた。強烈な疎外感の中で、ヘルパーさんと二人で、腰を時々抜かす父を激励して、何とかベッドまで運び上げた。

そこで父は早々に紙パンツを脱いで下半身裸になってしまった。厨房ではほうれん草が茹で上がり、宅配便屋が玄関でチャイムを鳴らしている。無茶苦茶なタイミング。階段介助のヘルパーさんに父を頼み、ほうれん草の火を止めた。しかし玄関の宅配便屋は苛立っていた。玄関に入って「本をポストに入れておきましたー」と大声。私ではなく父が「ご苦労様~!」と返事をし、その直後、2階で小競り合いの様な何事か起きていた。

駆け上がっていくと、階段下から母の声がした。「このままでいいのかい?」ときく。「ああ」と応答したが、ヘルパーさんが尿取りパッドで父の下痢便を押さえ、ポータブルトイレに父を誘導していた。父をトイレに座らせると、ヘルパーさんは、次があるからと帰って行った。

しかしさあ、紙パンツがないのだ。しばらく父をポータブルトイレに座らせたまま待っていたが、母が「電話がうるさい」と2階にあがってきた。食材が届いているというので、ほっとして紙パンツを取りに戻ろうと階段を降りたとき、母の悲鳴が聞こえた。

戻ってみると、もう便が出ないようなのでと、父をベッドに誘導しようとし、途中、手に負えなくなったのだった。父をトイレに戻そうとするがいう事をきかない。交代し母に紙パンツを持ってくるように指示。ベッドに座らせ、到着したての紙パンツ交換。汚れた床を拭く。頭を洗う時間がないので、シャワーをざっとすませ、タクシーでジャスコに飛び込んだ。今回からあすなろの定例会は18;30始まりなのである。差し入れのミカンを買って、サポセンに5分遅刻で飛び込んだ。

家に戻ると、母は伝言しておいた夕食のメニューを全く無視して、食材を中途半端に使って食事を食べ終わっていた。刺身はまるまる残り、解凍した鶏のササミは電子レンジに生のまま放置されていた。

3月15日で販売中止となるバスカード販売員のOさんと別れを惜しんでカードを買ってきた。そんな余韻も何も消し飛んでしまった。防水シートは闇の中、庭の物干し台にはためいていた。

慌しく片付けて、私の夕食は生ものを腐らせないように、刺身とササミを食べた、母は飯を炊かなかったので、パックの飯も使い切り、私はパン。すごい取り合わせである。翌日の持ち物の名前入れを手伝って、靴下の刺繍。23時には父のトイレ周りの清掃とおむつ交換をして、翌朝のかながわ生協の配達注文リスト作り。

4時前の父の転倒を解除して、こうして記事を書いている。今日は9時半には、テスト入所に付き合ってホームまででかける。徹夜二日目である。巡回は夜に回す。不調とはいえ、母の応援が無ければ介護が回らない。痛切に感じている。

夜間傾聴:******君(仮名・こちらから)

p.s. 一昨日の「舫(もやい)」・「あうん」訪問、東京中小企業家同友会の障害者就労部会参加、そして昨夜の「湘南あすなろ会定例会」の話とIPAリカバリーキャラバン隊Nさんの話は、次にまとめます。寒川図書館から発信できたら記事を入れます。

(校正2回目済み)
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オールニートニッポンとトキワ荘プロジェクトのNEWVERY講演会に参加し

2010-03-07 18:26:30 | 引きこもり
父がショートステイで家を空けている自由を利用して、昨日は平塚市民活動センター主催の「ボランティア入門「NPOで働く若者たち~社会起業家という選択~」」に参加することにした。

この団体は以前「コトバノアトリエ」として活動していたNPO法人だが、私が「社会的困難者の地域就労ネット作りのための冊子発刊活動と画像放送」を手探りして数年たった頃出会い、「オールニートニッポン」(渋谷区発のポッドキャスティング放送)や「トキワ荘プロジェクト」(マンガ家集団への居住環境等の提供活動)を打ち出し接点を感じた団体だったから興味関心を持ったのだった。

「わーく」編集部のネットワーク・プロバイダ活動推進のためには、是非会っておきたい団体だった。平塚の講演企画は非常にこじんまりとしたものだったが、番野和敏副理事長の語り口に特徴があり、語っているときの聴衆を直接見ない眼差しに、実は引きこもり青年への共感のパスポート感覚に似た、この領域に深入り可能な素質を感じ、その確信は深まった。「なんでそうなの?」という問いは、それを若者の活動に問うのは、着想の活きのよさを消してしまうことがある。この人たちは、引きこもり者やニート、そして芽をなかなか出せないマンガ・アニメーターの卵ら「無業者」への共感を持っているのだ。

発想が面白いのだ。「なんでそうつながるの」という問いは、先々に取っておいてもいい、抑圧された表現者への共感がすべての企画に流れている。私たち段階の世代の尻尾にあたる世代にも郷愁を呼び起こすような面もあるが、古い意味での草の根市民活動の自立活動と事業型市民活動が未分化に存在していること、これが今回の講演者、番野和敏副理事長や、主宰者の山本繁代表理事などの仕掛人に通っている。

私の世界が追い詰められた個人への伴走という立場と同時に、塾と私塾の教材研究活動をしていた頃の立場との両歩にまたがる問題の「リアル」、そこに関わる社会活動という立場から見ると、抱える内容が柔らかいのだ。

ポッドキャスティングの「オールニートニッポン」の放送経過を是非聴いておきたかった。「わーく」のオンライン環境は、放送や冊子の協働編集作業という具体的話題を触媒にしながらSNSの壁の中のコアとして緩い会員制を取り、その活動の外側に公開画像インフォメーション携帯放送が半双方向性の形で構成させていく。この活動全体が、社会的困難者という障がい種別横断的な境界線活動として機能させていく。当事者起業活動の端緒作りと、地域セイフティネットの未分化な卵のような地域起業活動がそこに盛り込まれている。こういう多層の概念のデコレーションが詰め込まれた活動は、直感性の代わりに必要性と効果を説くことによって、支援者を広げるという宿命的な泥沼を引きずっている。曼荼羅を拡げたら逃げ出してしまう様というか、始めたいから説くことが、曼荼羅ではなく始まったものを見せろという空転に晒されてしまう。ならばともかく始めていこうというひとりのキャッチボールは、個人の事情が活動の不安定に直結してしまう綱渡りにある。不安定な実践は内容を問わずそれは拡がらない。

塾の閉鎖と長期の漂流、交通事故からの10年という、協力者はあっても同胞なしという状況から、未開拓の活動を立ち上げていくとき、遠い親戚に会ったような親近感と違和感が今回の講演にあった。私が語りたい山のようなことばの中から。番野さんに語ったことは、抑圧された表現者への共感という本題ではなく、「一部の活動だがこれを拡大し」という発想に対し、原資を前提に展開できない市民活動は、「真似ができる活動作り」、「自分もやってみたくなる活動作り」が力なのだと「活動のパッケージ化」というテーマの外の市民活動の根を語った。今自分がやってみたいことをちょっと遠くから眺めなおしていくことで、社会問題の解決へとつながっていく。その広がりへの視野の中で連携を見通した活動が出来たらと考えているということをまず語った。テーマを語るにはQ&Aの場は誤解を生む。その方がこわかったからだ。

この講演のQ&Aには年配の日本語教師の方が参加しており、日本語教師資格取得活動の意義とやりがいの熱っぽい語りがあり、引きこもり・ニートの青年たちの参加呼びかけが行われる場面があった。私の訪問カウンセリング活動の中で、じつは、父親や兄などの企業就労者からの求人情報の熱い語りが、逆に本人の困惑を激化させている例が数多くあり、「失業者」と「無業者」の違いが分からない方の、これらの提案は困るという内容の反論を直接、提案者にぶつけ釘をさした。

気分を害したと思うが、会終了後、番野さんのところに名刺を持って行ったので、制止は通じていないなと思った。資格取得で引きこもり・ニート脱出できるなら、もともと選択肢はいくつもあるのであって、選択する気になれないから緩やかに泥沼にはまっていくという状況が取り組む相手なのだ。

当事者から考えず社会的常識から社会への再あてはめを行う善意は、善意にならない。この辺は番野さんをなおざりにしてまずかったかなと思いつつ、彼らの世界作りに助力している立場が、遊び手のいない公園作りに転ぶこの領域の危うい綱渡りが、番野さんたちは、試行錯誤という手ごたえの中で展開されていることへのうらやましさを感じつつ、つい爺ぃの戦いを演じてしまった。(この方の前の質問者は、明らかに政治的立場からの講演者の知識を試す質問をしていたが、その世界に触れていないための空転を見定めて、程度浅しと席を立っていった。彼は自分の活動を明かさない失礼を感じていない。)

画像放送立ち上げのアイデアや、地域に引きこもり・ニート等の社会的困難者の社会参画活動の当事者活動経験を聴きたいと、会終了後、どうやらストレートにヒットした引きこもり当事者の娘さんのアクセスの終わりを待って、番野さんに名刺を出した。NEWVERYの方々はオンライン活動に熱心な活動者であるので、いずれ私の公私混同した泥沼書きこみに出会うだろう。怯えてしまうかなと、それを危惧している。

私は地域生活圏を社会参画的就労の場として、一般の方との仕事の一翼を担う就労の絵を描いている。地域のニーズは高齢者と乳幼児子育て、高齢化する地元商店主への支援や、公共ニーズなどがある。ここを開拓する起業就労を、当事者の開かれた世界作りへと誘う活動、就労の前段になりうる活動をどうつくるかということに、身体で言えば「血流網と神経網」作りの活動に対し、番野さんの放送経験とスキル、マンガ家の卵との画像放送の登場など、先方に出来るだけ負担のかからない提案をさせてもらうつもりでいる。雑巾爺さんがやってくると思えばよし。蛇足ではあるが、「トキワ荘PJ」の方は、もともと勝手にフアンである。

近々、事務所に放送端末を持ってお邪魔したいと考えている。つまみ食いできるところはどんどんつまんで構わないので、そういう内容を持っていけるように準備している。

------

帰りに平塚から新宿に向かい、ビッグイシュー東京事務所に寄ってきた。サポセン13日のワイワイ祭り用のバックナンバーの売れ筋を仕込んできたのだ。Eさんの名刺も出来上がっていたので受け取ってきたが、横須賀線の人身事故の関係で、講師が遅れた目的の会は延期になってしまい、それを知らずに、慌しく東京事務所を出てきて、結局、また空振りとなった。都内の編集者会員の集まりだから遠方の人間がいない。延期する腰が軽い。仕方ないなと思いつつ、例の明大のマイクロクレジットからみの話のほうも当たってみた。企画側の知人は学生との二次会から抜け出せないとの話で、これもだめ。やむなくそのまま家に帰ってきた。長期に準備できない私の場合、こういう空転が多いことに、我ながらいつも閉口している。

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帰ると青色の帳簿が待っていた。今日も一日、残りの始末である。今年は、3月、問題集屋の方も1社だけ。訪問カウンセリング講師も、片方は定年をにおわせている。収入のこともあるが、爺ィの一念を反映させる活動を立ち上げるほうが優先である。全く…隙間風、しっし!なのだ。


《気になった記事から》
●「大卒求人の撤回企業相次ぐ 11年春採用、業績低迷で」
●「就職氷河期 打開探る【くらしを見つめて】/山口」
●「失業者の国保保険料、4月から軽減」
●「障害者自立へ芋焼酎「自立」/福岡」
●「弁護士夜の街へ 住む場所失った人支援/多摩」
●「「芸術文化通じた社会活動を」英の文化交流機関幹部、語る/神奈川」
●「「もう限界、お願い」「つらかったね」妻殺害時の会話」
●「妻子の分まで生きて 相模原・嘱託殺人/神奈川」
●「難病ALS 治療・看病 重い問い」
●「「お水を下さい」哀願の声響く 相次ぐ虐待、行政救えず」
●「4歳児衰弱死 県が検証を検討/埼玉」
●「4歳児衰弱死 怒鳴り声・鳴き声、毎日/埼玉」
●「奈良5歳餓死 祖父母を自宅に入れず 虐待隠す目的か」
●「餓死の長男、ロフトに寝かせカーテン引く 虐待隠す?」
●「「私が母でなかったら元気に育ってた」奈良・5歳虐待死」
●「5歳虐待死 調査委設置へ/奈良」
●「5歳長女を虐待致死容疑、母親を再逮捕 兵庫・三田」
●「児童虐待、気づいてたのに…埼玉・奈良、悔やむ周辺住民」
●「中2男子、首をつり死亡 鹿児島、帰宅後に自殺か」
●「学校「原因わからぬ」 中2自殺/鹿児島」
●「「何が」わからぬ原因/東京」
----- ただごとではない。このままでいいはずがないでしょう。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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父の介護から解放された日、決算なんてと…

2010-03-06 07:10:55 | 引きこもり
私は3箇所のNPOの会計(兼雑務)を担当している。自分の青色もあって、この時期は憂鬱になる。やっと2つのNPOの集計にめどがたった。縦横集計しているうちに何度トイレに立ったことか。誰も好きではないだろうが、先のことを考えていくことが、必要に中断されるのが本当に嫌なのだ。

領収証がないものをどう処理するかあたりのことになると、動物園の獣のように冷蔵庫と自室とトイレを何回巡回したかしれない。本業の連絡と、父の介護や家事が割り込むと、その都度思考がリセットしてしまう。傍らの「マイクロファイナンスのすすめ」を開いて、経理担当者にはなれないなと思ったり、「出会えてよかった」の古い付箋を読み返しては、なぜここに付箋したのか忘れているなと、今やらなくてもいいことをつぶやいてみたりと、ろくなことをしていない。

それはそうと、ひとつ嬉しいことがあった。5日から3泊4日で、父が老健にショートステイに出かけていったのだ。シーツから靴下まで、尿浸しの山のような洗濯物をやっつけて、とにかく父の留守に決算を済ませようと、憂鬱な決断をした。ところが私の関係しているNPOには、気軽にメールを飛ばしてくるネットワーカーがふたりいる。片方はおばさん(失礼)なので、生活を細切れにされ宙釣りにされる悩みは、何とか共有してくれるが、上野一彦氏の著書リストが欲しいのだけどというような用件を言われると、アマゾンの検索使えと応答しても、検索方法がわからないと返って来るのが関の山なので、つい説明してしまう。お節介の血が騒ぐのだろう。講演会チラシにそんなものを載せても誰も利用してくれないぞと言ったら怒ってしまった。講演者ではなく、関係文献だから余計そうなのだ。もうひとりは、熱心なだけに断りきれない現状報告者(レポーター)なのだ。細切れではなく一度話をまとめて欲しいのだが、メールだけではなく、肉声電話が重なるとついぐちりたくなる。

父を施設の迎えの車椅子に乗せるために、2階の父の寝室から階段を降ろすまでの作業をヘルパーさんに手伝ってもらっている。ところが母が本調子ではないので、ヘルパーさんの身辺介護が始まる前に父の朝食を済ませておくところで、用件の電話を切ってしまったり、父のスープを飲んでしまったりする。昨夜の段取り確認も翌日には白紙に戻って、父が出かけていくことを完全に忘れている風なのだ。

ショートステイ先に看護師が常駐している老健の場合は、そこまでする必要はないが、特養の場合は夜間、看護師がいない。だから出発前の日、訪問看護師が父に浣腸をかける。普通の浣腸ではなく、看護師用の先の管部が長いものを使うのだが、父のその被害気分が、出がけ当日の幾度と重なる早朝排泄となって現れ、睡眠不足か父の機嫌が極端に悪くなる。やらなければひどい便秘と爆発騒動事件が繰返される。だから、ホーム宿直担当者のために、処置を実行するのだが、あおり被害は出掛けの騒動に引き継がれる。

父はどう揺すっても起きなかった。不機嫌な顔を私に向けては、また横を向いてしまう。と、厨房から大きなものが落ちる音がした。焦って厨房に下りていくと、母がやかんを落として、床は水浸し。ヘルパーさんが門のチャイムを鳴らしたことで、手をすべらせたらしい。雑巾で床を拭こうとしても、私は右膝骨折後、中腰や四つんばいが出来なくなってしまった。だから床はモップを使うが、それが母には気に入らない。しかも「こんな時間に誰が来たのだろう」と、水浸しのパジャマ姿のまま、「モップではなく雑巾で拭きなさいよ」と捨て台詞を残して、玄関に出て行った。ヘルパーさんが玄関を入ってくるなり、母のパジャマが父の尿で汚れたと勘違い。「洗いましょうか」と奇妙な問答を言っている最中に、2階で天井を揺るがすような音で父が転倒した。

戦場のような展開の中、私は調理中のガスを消して、2階に駆け上がった。父は紙パンツを自分で交換しようとして、パンツ置き場のソファーの近くに、下半身の衣類を汚れた紙パンツごと足元に下げて、新しい紙パンツを握り締めて床に転がっていた。

こう頻繁に転倒を繰り返すと慣れが出来てきて、子供用の木製椅子に父をしがみつかせて立つのを応援するのだが、父が汚した衣類を袋にまとめていくと、母がその袋を持って階段を降りていったが、最後の一段を踏み外し、偶然そこに居たヘルパーさんにぶつかるようになって、ヘルパーさんの機転で母は無事だった。母は目が覚めていないというか疲れているのだ。上下階の転倒騒ぎを終息させて、ともかく調理時間が無茶苦茶になった延びた焼きビーフンを作って父に出した。ヘルパーさんに父の不機嫌の話を伝達しているうちに迎えの時間が来て車椅子が来てしまった。老健ケアマネさんに事情を説明。遅れること5分、父を乗せた車椅子は駆け足に押されて車に詰め込まれていった。

厨房はびしょびしょ。父の寝室はベッド周りが排泄物汚染。母は寝惚けていたと落ち込み、自分のベッドに再びもぐってしまった。ヘルパーさんの介護記録に押印して、掃除と洗濯を済ませたら、激しい眠気が急に襲ってきて、厨房のテーブルにうつ伏せのまま、1時間半ほど眠ってしまった。

決算の書類と平塚図書館に返す書籍を抱えて巡回仕事にでかけ、途中、昼食を平塚駅構内のスパゲティ屋で食べようとして嘔吐。巡回を夜に変更してもらって家に帰って爆睡。昨日は母とふたり、それぞれの部屋で帰宅後2時間ほど寝込んでいた。

電話に睡眠を中断され、その後は決算。夕方母と駅前で外食。私はその足で改札をくぐり、巡回を済ませて帰ってきたが、相模線でよかったと思う。金曜日の夜、電車は座れないからだ。手足のつりで、また2時間仮眠。夜間傾聴開始時間になんとか待機。昨夜は決算やりながらの待機となった。

まもなく眠る。今日は平塚で「Newvery」の会合が13時からある。終了後、入金が間に合わなかったビッグイシューの2月下旬分を持って新宿に出る。間に合えば、明大の非営利・公共経営研究フォーラム企画関係者に会い、今日のフォーラムの様子を聴く。ダメなら紀伊国屋書店で書籍を物色して帰る予定。

夜間傾聴:□□君(仮名 3/5)
     小田急相模原君(仮名 3/5,6)

(校正2回目済み)


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