湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

社会的企業・路上生活者による放置傘販売の提案

2008-10-31 07:29:56 | 引きこもり
資金の枯渇している状態から、仕事を立ち上げられないかと考え続けている。公共性の高い社会的ニーズを背景に、ニーズに応える対価を売る公共企業体(社会的企業)の形で、そのハードルを越えられないかと考えている。社会的困難を抱える無職層への仕事作りを通じた仕事の(再)出発点提供なのであるが、資本主義社会では、あらゆる場面を逃さず利潤追求の競争が行われているために、先行既得権の争奪が優先されて、政策的な社会的弱者救済の起業・就労が生まれにくい。

しかし欧米では、「ソーシャル・ファーム」とか「ソーシャル・カンパニー」という第三セクター的な仕事そのものの提供を行う自立経営の公共的企業活動が、行政と市民活動の連携の中に育っている。ところが、行政の仕事の「アウト・ソーシング(外注)」の仕事を私企業が奪い合うことが行政との連携であるかのように思われがちなために、この辺の利害の構造をあいまいにした概念の「コミュニティ・ビジネス」という言葉は、あえて使わないことにしている。

大事なことは、「ソーシャル・ファーム」や「ソーシャル・カンパニー」は社会参加や就労機会が抑圧された立場の人たちに、機会と場面、起点となる就労の場を提供することが目的となっていることだ。しかしそれが無償労働の提供を背景としたものでは持続性や実現規模に限界があるし、弱者と救済者を分離した構造に陥ってしまう。こうした活動への運営参加を基礎に、自立促進を行う公益企業活動が望まれる。

世界恐慌的な社会不安の中では、企業就労の道が難しくなっていく。こうした社会情勢のもとでは、なおさらに社会政策的な就労支援が重要になる。ひとつはCSRを求める強力な雇用機会促進の法的強制力を持った企業就労への道であり、その地域還元の道だ。もうひとつは、地域起業を背景とした社会的企業推進の道。例えば地域と消費部門 「商店会まるごとの共同運営の中に、社会的弱者という人材を積極活用する道」だ。「自治体の現業部門等の外注を基礎にした自主運営(発展系を認める)だ。」ここで無から有を生み出すような独立起業の推進を行っているのではなく、社会的ニーズに応えるという背景をしっかりと持っていることだ。ニーズと求職を出あわせることを原動力にしようということなのだが、ここにも更にひと思案が必要になる。初発のシード(種)モデルをどう選び、どう蒔くかが問われている。

初発の資金は乏しいから、そこから始めて行ける仕事はないかと考えた。ここで登場するのがリサイクルだ。廃品回収業のように転売益を売るような直線的な仕事ではなく、再利用に踏み込んだ仕事を考えた。まずは放置自転車の利用と、放置傘の利用をである。

この後者は、路上生活者の支援にぴたりと照準を得た。彼らは雨が降ると仕事が無くなり苦しい生活を強いられる。JRの放置傘の利用例は、身体障害者支援団体の資金作りの例が大阪に、車椅子購入などの資金集めの例が千葉にある。しかし、路上生活者の自主販売と結びつける「Big Issue」式の地域展開版を、学校の社会奉仕活動と結び付けられないかと思う。勿論JRなどが協力してくれれば、現物の傘を得ることが出来る。

このとき、マイクロファイナンス的な少額初動資金貸付による再利用傘の購入が必要になるし、この傘が盗品ではないことを証明する社会的信用団体の承認がいる。この後者を学生の無料奉仕というフィルタを通す。商店会や行政、公共団体発行の公認シールなどがいる。また益を売る路上生活者側も、販売に責任を持つ、緩やかな共済組合的な受け皿を作る必要がある。ここで問題なのは、路上生活者は多重債務などの理由で、実名を名乗らない、名乗れないものがいるために、自主組織が必要になる。その組織がわずかな利益でも権力者を生まないような工夫が必要になる。雨の日の収入源として、通行人の利便性と結んだ販売は価値を生むだろう。そして「傘売るひと」としての路上生活者は無職者のレッテルから離脱できるし、傘の提供者は路上生活者と出会うことになる。過去に魚屋さんとか、営業マンとかいうような過去をもち、ある人は家庭を捨てて路上に出てきている。そうした顔と出会うことが可能になる。これはまだラフ・スケッチに過ぎない。しかし、必要とする人が明確な社会的企業の事例だ。たとえ純益が安くても、捨てた雑誌を集めて販売するよりも、彼らの自尊心を捨てずに済む活動のはずである。しかし売店傘は売れなくなるだろう。この二面性をどうするかも残された課題なのだ。活動を起こしたいと思っている。時間切れなので自転車は続きにさせてもらうが、心にとめていただきたいことは、「市民活動は真似ができること」これが大事。湘南でうまくいけば、全国で類似の活動をなしうるからだ。分かち合い、ネットワークしていくことが力なのだという事だ。

(つづく)
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介護戦争再開/明日から2日間夜間傾聴を休みます

2008-10-30 07:19:32 | 引きこもり
父が帰ってきた。ショートステイからの帰りなので、いつもと違う午前10時台。母は入院前の調整で、すでに外出していた。

家にいるときと同じく、父はあ介護者の指示に従わない。昼夜を問わず、おむつをはずしトイレを探して歩きだし、つまずいたり転倒を繰り返した。そのうちの1回は車椅子につかまり、椅子を巻き込んだ派手な転倒で、大腿骨骨折の寸前の打撲・内出血を起こし、それでも夜間の宿直介護職員の責任を問うのは酷な状況の事故だった。父が家にもどり、その打撲部分を見ると、広範に内出血が広がり、慣れていない者は、顔をそむけるほどに大腿部表皮に紫斑がすねにまで広がっていた。

家に戻ると、元気なころと同じ、茶の間のTVの前に横になろうと介助者の手を振り払い、危うく玄関板の間に転倒するところだった。

ベッドに戻った父と話し合った。私にはほとんど自分から言葉を発しないのが常だったが、父から母の安否を気遣う言葉が出てきたのには、おどろいた。散々状況を説明しても、「胃がん」は分かっても「母の胃がん手術」は通じなかったからだ。父の患部の清拭とシップ薬交換をしているとき、「退院はいつだ」と話しかけてきたのだった。帰宅前日、父の宗教信者たちが、ホームを訪れ、父をたしなめた結果のようだった。続けて出てきた言葉が「塾の時間だろう。行かなくていいのか。」だった。父の時間は20年タイムスリップしていた。

階段下にバリケードをつくり、不足食材と父のシップ薬を止めるテープを買いに出た。

急いで家にもどると、父はベッド下に倒れてねむっていた。ずりおちて、ベッドに戻ることができずに、眠ってしまったのだった。紙パンツは乾いたまま、周囲は尿だらけになっていた。これでは目が離せない。

母は夕食時に帰ってきた。派手に内出血した足に絶句。これではホームからも、いずれ拒否されてしまう。糖尿病患者の怪我はなかなか治らない。ともあれ、在宅看護の要請を出し、同時に特養ホーム入所の条件を打診することになった。これでは家族が何もできないからだった。

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父は猛烈な食欲を示し、カロリーを抑制されていたホームの食事の不足分を取り戻すかのようだった。父は痛み止めを飲んでいることもあって、すやすやと寝息をたてていた。

午前4時50分。夜間傾聴の終了の気配を感じたか、天井に足音を感じたので、様子を見に行った。ポータブルトイレの蓋をとらずに、立ち小便をしていた。怒りも何も、介護戦争の再開である。

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ホームからケアマネさんが11月の予定確認に現れた。父の実家から兄夫婦の嘆きの電話や、主治医の薬剤師の薬の二重提供のチェック訪問が昼過ぎにあり、2週間後、日程の関係から新規の施設を借りる関係で、先方のケアマネさんが訪ねてきた。私の巡回を中止せざるをえなくなり、母が帰宅したのと入れ違いに、閉まる間際の眼科専門の調剤薬局に飛び込み、自分の緑内障の目薬をもらってきた。

今、自治体の放置自転車調査と解決法研究のレポートの所在をまとめている。題名だけでは区別がつかないので、近場から探らなければならない。その予備作業をしている。今日は市役所の資料室から、間を見つけて歩き始める。


夜間傾聴:******君(本人)


(校正1回目済み)
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仕切りなおしスタート/母に付き添い大学病院で検査を

2008-10-29 04:46:33 | 引きこもり
母の付き添いで大学病院に行く前に、指定時間の余裕があったので、平塚市立図書館に書籍の入れ替えを行い、今年いっぱいから1月にかけての地域就労支援PJへの関係者懇談を進めるための人材絞込みと打診を2人行った。また、自転車リサイクルの件で相模原の「再来」の公共自転車による地域おこしと仕事起こしについて、知的や精神の障碍者実践の例で、フリマ協への打診を行い、目的の補強人材を探った。いずれもPJ月例会への提起承認と、地域協力要請を行うので、その準備作業に当たるものだった。コンタクトは成立。要請はあと1名。

もうひとつ、「スローワーク、始めました。」に触発された、いわば「スローワーク」の洗い出し作業のための書籍探し。脱サラ・自由を求めてというベクトルで描かれている「スローワーク」の世界を、「ロー・ハードル」「社会参加」的な仕事として、社会の隙間に埋もれない定位感を持つ仕事の可能性を指し示すものとして検討していくこと。残念ながら、平塚図書館本館には対象書が見当たらなかった。川崎図書館と鎌倉図書館にあるようなので、予備検索をかけてから歩いてみようと思う。

時間枠が狭かったので、仕事はここまでで、母と駅改札口合流して、通院に不釣合いな荷物を下げて、大学病院に向かった。前夜、父のベッド周りに通報マットを敷いた話や、飽きて立ち歩く対策として、足の調子の見舞い客をホームに送る件で、ケアマネさんとメール交換する約束となっていたので、車中、携帯メールがフル稼働した。父は猛烈な食欲の主。II型糖尿病の治療にとことん苦労するが、ホームの食事は完食し、相変わらず空腹なようだ。珍妙なエピソードがあるが、父の名誉のため、これはマル秘。

電車を降りてバスの待ち時間、検査のため食事を取れない母に了解を得て、軽食を取りに見せに入ろうとして母の立ち姿を見て驚いた。母は背丈も体重も縮んでいた。それが離れてみるとありありとわかる。放置できず、嫌がる母を店内に引き込み、とにかく昨日夕方から食事していなかったので、さっさと軽食を済ませた。

バスが定時に到着し、やや早めに病院に到着した。周囲には何もない。制限された外来なので、全体の患者家族の数が少ないので商売にならないのだろう売店が地下にあることはあるが、「入院セット」や「尿取りパッド3枚組」などの自動販売機が幅を利かせていて、売店には店員が見当たらなかった。暇なのだろう。

母の検査は短時間で終わった。続けてやってくれればいいのに、今度は11月4日である。同じ検査を繰り返す愚。医療報酬目当てに付き合わされて、膨大な時間と万円札が軽々と飛んでいく。命の商売というガードに守られているが、消防士・自衛隊員の給与と見比べて見れば、格差社会の現実が見える。

母の呆れた顔に付き添いながら、藤沢で下車して母の好きな柳川鍋の店に引き込んだ。駒形どぜうの店は寺が傍に会ったので、いつも法事の帰り立ち寄った。そんな思い出を喚起する料理だった。いつも食事を残す母がすべて平らげて、一応は成功したものの、手術後、こうして美味しく食事が出来るのだろうかと問う。その法事に連れ添った関係者の家族の消息が気になったようだった。この中に、ディスレキシア(読字障碍)の子(今は4児の父)や、アルビノ(白子)と腎臓障害(内部障碍・逝去)の子がいた。五体満足と持ち上げられ、ひどい喘息持ちの幼い私が、どう受け止めたらいいのかわからない奇妙な誇らしさ(愚かです)を6歳の私が感じていたことを母に打ち明けた。塩漬けにされていた記憶の開帳だった。私の身の回りには、当たり前のように障碍を持った方がいた。いつごろからか、日常生活の場から分離されたような違和感を改めて思った。これは年配者以外は、通じない話ではある。

食材を買い求めて帰宅した。まさに一日がかりの、そして膨大な時間浪費の一日だった。今日は午前10時台に父が帰ってくる。介護戦争が始まる。

<製本版資料入手>
●「重度障害者雇用事業所における障害者雇用状況に関する調査」(平19年度)

●「就労困難な若年者の就業支援の課題に関する研究」

夜間傾聴:##君(本人)
     中延君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)

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母の手術は11月下旬、それまでに如何に効果的に動くか…

2008-10-28 06:43:05 | 引きこもり
朝8時半には大学病院についていた。不便な場所にあるので、バスの時間の関係でかなり早くついてしまった。やはり1時間半かかる。これが入院となり、日参介護となったら、他のことは何も出来なくなる。発見された癌細胞は初期のものであり、摘出手術をすれば転移のみつかる可能性は少ないとの話なので、手術のダメージの少ない方法を求めて大学病院にやってきたと言っていい。

母は留守中の父の骨折を気にしている。母の癌の手術の話を切り出しても、意に介さないほどに、認知症はまだらに進行している。先日のショートステイ中の転倒で、病院の医師などにもレントゲン写真を見せられたり、大腿骨の部分模型を使った骨折の危険性の生々しい説明があっても、最後には生あくびをしており、その場でおしめを剥がそうとして、看護師に制止されるなど、厄介な話は通じず、言う事を聞かない。今の食事のメニューの話や、入浴希望の有無対話などは正常に出来ており、他者把握が困難な、限界を持った「まだら」だといわれている。

緊急治療のあと、痛み止めと湿布薬が処方された後も、飽きたり、尿意を感じたりすると、安静と立ち歩きの抑制を無視して立ち上がり、滑って車椅子から落ちたり転げたりしてホーム職員の手を焼かせている。これが帰宅したら…。

2階の居室にいれば階段転落を、1階にベッドを下ろせは、ガス火災の危険と風呂場・玄関の転倒、徘徊等は常習で、なおさら危険ということで、介護者はがんじがらめになってしまう。この板ばさみが予測されたから、地域就労支援活動の初動の枠組み作りだけは、なんとしても生み出しておきたかった。しかし母の癌が重なるのは誤算だった。母の手による父の介護協力を頼りにしていた。母も介護をするには負担が大きすぎる年齢に差し掛かっていることを甘く見ていた。

いくつか対策を打った。家業からの母の撤退を受けて、実務上のオンライン管理の割合を増加させ、巡回の緊急出動(今もセーブしているが)を新体制が安定する程度の期間(半年ほど)を遠慮させてもらうことにすること。和菓子同好会と文献の素読会は撤退すること。周辺活動を戦略的に整理し、就労支援活動のコアの部分に徹すること。(当面は、飛び込みがあっても不登校児の方は手を広げないことにする。)教科研関連の活動は休むこと。これで、活動配分は少しは軽くなる。

大学病院外来の長い待ち時間に、久々に母と今後のことを話し合った。亡き祖母の長期介護と私の交通事故後遺症の長期入院が影響して、介護5人目の父は有料介護老人ホームの入所は財政的に難しくなっている。いっそ転倒骨折して歩けなくなってくれたほうが助かる。母の手術が医師のいう入院2週間として、退院後の安静期間も入れれば、11月下旬から12月上旬にかけては、父への介護度を超えた有償サポートでもなんとか場を確保していく。転倒して父も入院となったときは、母の転院も含めて、父の入院先と合流か、近隣の病院に通院巡回地域を集めて、関わる。このために、ケアマネさんと病院選びを行う。現在の大学病院でなくてはならない病巣摘出手術入院は、事情を説明し、医局派遣している地元の病院に転院するために、近隣病院の相談員に受け入れ相談を早々に始める。

母の手術は、11月の中旬から12月の期間のうちの2週間ほどになるという。それまでは、何日か検査通院がある。それぞれ一日仕事だ。昨日は医師の都合で、翌日の今日28日と、11月4日が決まった。あとはまだ大枠しか決まらない。

父のケア会議を数日中に開く。今月一杯は、在宅介護をヘルパー派遣でこなし、集会などの企画は、バリケード内に閉じ込める。転倒はセコムの非常用ボタンで対応…。それ以上は出来ない。監視の長い空白を作らないように心がける。

母が手術をする前に、遠方の調査・集会参加を集中する。ことは動くまい。だから手がかりを確保する。ここが正念場。

とりあえず、今回の書き込みはここまで。10時すぎには、母に付き添い、病院出かける。


夜間傾聴:中止

(校正2回目済み)
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母を連れて今日大学病院に行きます(今後の大きな流れが見えるはず)

2008-10-27 03:59:03 | 引きこもり
夜間傾聴、今夜はこれで切り上げ。今日は、母が大学病院の診察を受けに、6時台に家を出る。私も付き添う。我が家からは1時間半程度の距離。外来はひどく混むとの事。何時に終わることやら。今日、手術の日程がわかるだろう。

父をケアマネさんを拝み倒して、現在のホームにショートステイを延長して火曜日まで、預かってもらう。ホームでも、排尿の時、傷んだ腰のまま立ち上がろうとし転倒しそうになる騒ぎを続けている。これで利用を断られたら、自宅で父の監視と母の手術サポートでは身が持たない。事態の理解力が、父にはすでに無いように見える。母の癌のことも、全く意に介していない。

母が帰路大丈夫なようなら、県庁に寄る予定。果たして…。

今日はここまで。


夜間傾聴:昨日、巡回終了手続きを取った青年の母親から相談が入る。電話番号を教えていないのにと、本校に問い合わせ。仕事の締めで相談に乗るようにと指示あり。訪問要請しきり。今日、センターに再度連絡を入れる。
     ******君(本人・小さな事件あり)


(校正1回目済み)


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父の病院の検査騒動に/父に語る言葉を捜す

2008-10-26 09:58:38 | 引きこもり
朝9時半、病院に診察券を通しておく。10時に老人ホームの車が父を乗せて出発。病院合流。父は搬送車用のストレッチャーに、かいこぐるみ、ベルトにまかれて下ろされた。数日振りの私の顔に驚いていた。

医師の紹介状を出し、検査依頼の旨を伝えるが外来に待たされる。整形外科の外来は、パンク状態に混んでいて座る席もない。先に撮影だけでもやってくれないものかと問うが、問うたびに看護師が違う。話は振り出しに戻って応答がない。ホーム職員のふたりは、時間が詰まっているから、帰りに迎えに来ると、ストレッチャーを置いて出て行ってしまった。救急外来の隙間に父のストレッチャーを置かせて欲しいと病院看護師に頼み、「なんで職員がいないのか」と苛立ちをぶつけられながら、なんとかスペースを確保。立ったまま2時間が過ぎた。

父の様子がおかしい。中でおしめを破っている。尿意を催したのだ。中でしろというがやめないので、大声を出した。慌てて看護師が制止にくる。屎瓶を持ってくるが父は払いのけて立とうとする。ふたりで制止しておいつかないので、近くにいたPTさんが、ストレッチャーを安静待機室に強引に移動し、驚いた父が立ち上がるのをやめ、カーテンの囲いの中で看護師が制止。さすがに父の行動は治まった。

看護師の連絡で、初診担当の医師が抜け出して見に来てくれた。しかし、持参したレントゲン写真を見てからにしようと、中を開いて、「何しに来たの。安静にしていればいいよ。」という。「歩ける人なの?なら入院も意味があるけれど、歩けない人なら、安静にしていればいい」と付け加える。「骨が割れる寸前のようなので、解像力が高い装置で撮ってほしい」こと、「認知症が入っているので、安静が保てない。勝手に立ってしまうので、それは治療法にならない」ことを告げたが、急に来てもMRIは予約だし、CTはレントゲンとさほど解像度が違わない。」とつれない。さっさと部屋を出て行ってしまった。哀れを感じたか、看護師がやっと椅子を貸してくれた。

10分後、父が立ち上がろうとして痛みに悲鳴をあげ、父は看護師に叱られ、なぜおしめを持ってこないのかと私も叱られる。壁際に積んであるのを有料で使わせてもらえないかと頼むが拒否される。20分後、やっと最後の順番で撮影許可をもらい、痛み止めを処方してもらう。写真が上がって、やはり「安静」で。時計は14時になろうとしていた。

町医者から帰ってきた母に連絡しておむつを病院に運んでもらった。タクシー。

処置室を借りて交換。ホームに連絡をしておいたので、30分後に迎えに来た。一日がかりで、これである。父の写真を撮った放射線技師は骨片があるなあと、ひとりごとを言って、封筒に写真を入れていた。しかし医師は言及しなかった。

母が来たので、胃がん入院の話をしたが、父は嫌な顔ひとつ見せず、眠ってしまった。
ホームの職員が、家族旅行のために入れた方を他の施設に移動してもらい、父のショートステイ延長を可能にしてくれた。助かった。母もひとり大学病院に診察を受けに行くのを恐れていたから、これで付き添っていけるようになった。

父をホームに送り出し、私は時間が迫った巡回にそのままでかけた。

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緊急性の高い引きこもり青年(というか精神の方で、発症を引きこもりストレスと家族が解釈していた)とを医療の保健師さんにつなぎ、塾の方は退学へ。もどせる状態ではなかった。メールでレポートして、帰りの相模線で爆睡。駅で食事を取り、B5NOTE-PC用インナーケースを購入し、母には弁当を仕込んで帰宅。

そのまま布団にもぐって15分後、ホームから電話がかかってきた。一度眠った父がベッドから落ちたというものだった。担当が巡回したら、床に座り込んでいたのだった。肩を強打していて、内出血があるという。タクシーで飛んで行き、父を説得。父は今日、病院に行ったことを忘れていた。消毒しているホーム職員に、あなたたちの落ち度とは思わないから、任せますと伝えて外に出た。

今の語りも通じないだろうと思うと、情けなくなった。ひと気のない闇の文教大学からのバスに乗り駅へ。帰宅したが問う母に応答するのも正直言っていやになって、座り込んだ。父の骨折は予想よりも早いだろう。母の手術と重なるなと思うと、握りこぶしも固くなる。

ひとは生から死への一本道を歩んでいく。その別れの近い老いたひとの出会いが、すれ違いであることは悲しい。人の輪に看取られていくひともいる。そばに家族がいても荒れたまま、不本意な死を迎える人もいる。手を離すまいと思う。しかし何をなしたらいいのだろう。この迷いは、引きこもり青年とのドア越しの語りのときも付き合わねばならない迷いだ。ここを得体の知れない「希望」で充填する欺瞞は犯すまい。空疎な闇にアリアドネの糸がある。共感の糸だ。これを手繰っているのだと自分に言い聞かせている。

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夜間傾聴:##君(本人)
     町田さん(仮名・こちらから)
     中延君(仮名・こちらから)

<気になる記事>
●「ニート・引きこもりの自立支援へ「若者新法」 政府方針」
●「青年会議所がニート支援  働く意味伝えるため奮闘 職場見学に230人 雇用に直結/埼玉」
●「映画:「おそいひと」賛否呼ぶ 「障害者と犯罪」テーマに--福井で30日/福井」


---- とりあえず。

(校正1回目済み)

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また重なりました、父の骨折です

2008-10-25 05:03:41 | 引きこもり
昨夜、父を預けていたホームから電話が入った。父が転倒したとの話で、医者に連れて行きたいとのことだった。連日の転倒慣れしていた私は、介助してベッドに戻った後に眠ったという話に楽観視していたがOKを出していた。ところが翌日の電話は連絡のトーンが変わっていた。レントゲン写真でははっきり見えないが、大腿骨の骨折が疑られているというホームの看護師からの電話だった。

茅ヶ崎・円蔵にある「ともの整形外科」に行ったとき、父はホームに戻されていた。医師の説明によると、すでに動かなくなっている側の大腿骨の骨盤との付け根、「大腿骨頭」の表面に剥離のようなものがみえて、経験上、骨折の前兆だろうがCTかMRI検査をするために病院に検査入院を勧められた。今度は割れるように骨折し、その部分は壊死、歩けなくなるとのこと。

正直のところ、無茶な歩行と転倒を繰り返す父には、この事態はいつかやってくると思っていた。ただ人がピンチのとき、必ず重ねて問題を起こす父のまさに骨頂だった。まだ骨折に至っていない危険な状態ほど、厄介な状態はない。いくら注意しても、一切無視して歩いてしまうから予防できないのだ。父のショートステイ明けに、母の大学病院手術入院がある。家で父を監視していなくてはならないのだとしたら、検査入院してくれたほうがいい。

母と相談し、母の大学病院初診はなんとか父のデイサービスを重ねて切り抜け、母の手術は延期してもらうことにした。来月改めて父のショートステイを重ねて組んで、母の入院と退院直後の安静時、衝突を回避することにした。

ところがケアマネさんと話をしたが、更なる問題が起こった。症状が安定している以外の傷病者は現在のホームでは預かれないので、その場合は他の施設との連携を取るというものだ。もうひとつは、検査後入院の可能性だった。その病院の整形外科は以前から悪評しか聞かない。私が入院していたときも、そのすさまじい状態を見てしまっている。そこでは父の手術はさせまい、検査だけとする。ただ父の入院が必要となったとき、該当する病院が思いつかない。まずは今日午前中、検査を受ける事になった。また徹夜である。

状況を理解せずに父が荒れ、大腿骨を粉砕骨折したとき、手術入院となる。これでは母の予定が付かないのだ。父の入所を行う時期にきているのかもしれない。この辺はケアマネさんと週明けに話し合うことになる。父の協力が欲しい。勝手に歩かないという協力だ。

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月曜日、父のデイサービスを実行してもらうように、嘆願書のメールを送った。土日はケアマネさんが休みの日だから、間に合わないからだ。午後、私は東京で配達関係の団体指導者のインタビューをする予定だった。さきほどキャンセルした。したもののこの方には、頼んでキャンセルの失礼、「代わりの次」がない。さっそく仕事がつぶれるという、一発パンチが跳んだ。

夜が明けた。まもなく生業の仕上げ。今回は緊急性のない傾聴は遠慮してもらうことにしていた。

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今回、相模原の中古自転車商のリサイクル実践紹介を書く予定でした。間に合わなくなりました。一応そのお店のHPを紹介します。会員制レンタル自転車の共有による放置自転車対策と街づくりを考えている実績ある方でした。とりあえず、HPをご覧ください。

●「相模原市の中古自転車店『再来』(さいくる)」

夜間傾聴:******君(本人)
     大森海岸君(仮名・遠慮してもらう)

(校正1回目済み)

p.s. 軽度発達障害関連団体のNさんから、引きこもり高校生の緊急メールあり。応じられないので、午後返信することに。家出捜索協力依頼のメールだった。
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今夜はつなぎ、ごめんなさい

2008-10-24 08:51:41 | 引きこもり
昨日は父も母もいない我が家で、久々に静かな夜を迎えることが出来た。ただ母の一件があるために、一向に気が晴れないまま、昼間立ち寄った大学病院の資料を開いたり閉じたり。いままで家業の半分を分担していたところをすべて担った場合の、自由になる時間配分を思案していた。私は人臭い生き方の、不器用なひとたちとともに生きていこうと思うし、それが私の生きてきた証しでもあります。19年間抱えたフリースクールっぽい塾の有志作りに追い詰められたところに、父の代理の介護役実行と収入向上の必要性から塾を閉じ、学習困難な方を排除しないと思われる他人の塾に飛び込み、内実の違う実態のために場を得られぬまま遍歴20年弱、砂山を作っては壊しを繰り返してきて、カウンセリングのような横の拡がりを育ていることに向かない仕事に、目的への妥協線を見出してきたこと。介護の終盤戦を迎えて、このまま、思いを残して老いていくのだろうかという寒気のする問いだった。母の思いが伝染したかなとも思う。

なるようにしかならない。空転は慣れているから、提言を磨く以外ないかなと思いつつ、この生活の再編期に、まだやりうることを洗い出してみようと、切り口を変え、あれこれ考えている。私は幸い学習カウンセリングの件が細々続いているのでゼロではないので、このまま巡回と傾聴は風化させずに続けていくこととし、当座は放置自転車と放置傘の別々のプロジェクトを「わーく」誌で、提案していくことにした。

昨日は大学病院の帰り道、ある中古自転車販売を担っている方のお店に立ち寄って、刺激的な話を伺ってきた。月に数百台を手がける方のリサイクル論である。このお話は、今夜紹介させてもらう。

##君、結局思いは始めてみる以外ないのだと思うよ。このおっさんも大言壮語できないけれど、いい人とは出会っている。やって成果が出るとは限らないけれど、やらなければ終わって始まらないのだけは確実。だったら「やる」、じゃないかなあ。探さなければ出会うこともないしさ。

午後には母が帰ってくる。さてさて。

夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本君(仮名・近くまで行きました)

P.S. FeePC 購入。これで外出先の書き込みに、携帯を使わないで済む。

(校正2回目済み)
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一難去ってまた一難

2008-10-23 08:13:13 | 引きこもり
家の修理のために日曜日まで、父が始めての長いショートステイに入った。出先にさんざんもめて出て行ったが、ホームで問題が起きなけれいいが。とりあえず、ひと息かとおもいきや、こういうときは計画通りにはいかないのである。

昨日は父の居室の絨毯の清掃と一部張替え、壁紙の修繕と屋根瓦の並べなおし作業があった。母の友人の所有する伊豆高原の別荘に、金曜日まで母を旅行に追い出したのだが、出かけてすぐに戻ってきてしまった。先方のご夫婦のお互いの了解が得られておらず、夫が妻の外泊を拒否したっというのだ。70~80代以上の男性は身辺自立が出来ていない人が多い。ここにも難物が隠れていた。翌日、つまり今日からならば、別居の娘さんが支援してくれるというので、話が1泊縮んでしまったのだった。

ため息をつきながら、母は帰ってきた。自分の別荘に行くのに、1泊も開けられないなんてと文句をいいつつ、母の行きつけの町医者に健康診断の結果を聞きに出て行った。胃カメラにポリープが写っていたので、組織検査に出していたものの結果がわかる日だった。

携帯が鳴り、母から落胆した声で、初期の胃がんで、大学病院手術入院だと言われたという。愕然とした。母帰宅後、話を聞いたところ、まだ初期なので内視鏡を使った摘出手術をするだけで済むというので、3~4日は手術入院になるという。あほ臭い父の介護戦争の最中、母が病んでいた。母の気が滅入っていたのは、この可能性に心が動いていたのだとわかって、自分の配慮の浅さを見てしまった。大学病院は順待ちだろう。緊急性はないとのことなので、多少胸なでおろしている部分があるが、来週早々、母を指定の大学病院に連れて行くことになった。ホームから帰ってきた父を、もう一度預かってもらわなければならない事になりそうだ。

家の修繕に職人が入っている脇で、私は「わーく編集部」の名刺を作っていた。その企画推進に、もうひとつの負荷がかかった。胸突き八丁というところだが、ここはケアマネさんと綿密に調整し、超えなければならないと思っている。時間が細切れ状に縛られるので、集中した調べ物や遠方の会合参加がきつくなる。しかし当座の困難は週単位で、とりあえずは越えられる。自営の仕事の部分の母が支えている役割はすべて私が引き上げ交代することにした。いよいよ4足目のわらじ、ムカデなみになる。

今日は午前中で瓦作業の引き上げ、並べなおしが終わる。母は気分転換に1泊するというので午前中にでかける。私は午後から、再生自転車販売をしている相模原の業者さんに情報収集に出かける。うまく時間があえば、近くの巡回を済ませて、横浜でフェアトレード関連のボランティアをしている知り合いと会う。じわりと憂鬱が迫る。しかし、この企画が始まれば、路上生活者支援だけではなく、困難を抱えた青年の地域就労や、地域活動そのもの(「わーく」など)も動き出す。今始まっているふたつの大きな企画の中身を膨らませる準備でもあるのだ。

●「雇用の安定のために~事業主の方への給付金のご案内~」平成20年度版(平20年10月1日現在)

が出た。ハローワークに行けば冊子がある。個人向きではないが、個人でも障碍者就労がどのような枠組みに支えられているかがみえる。

夜間傾聴:******君(本人)
     橋本君(仮名)
     大森海岸君(仮名)

8時、職人の作業が始まった。初めは母に任せて、毛布かぶってこれから仮眠する。では。

(校正2回目済み)

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昨日は家からの携帯連絡にひやひやしながら、ふたつの会合のはしごができました

2008-10-22 07:56:00 | 引きこもり
父を日曜日までホームに預けることにした。我が家は古い家屋なので住人もろとも痛んできたので改修することにした。改築ほど大げさではないが、だいぶ介護戦争で壊れた部分もあって、屋根と屋内を修繕する。介護用の改造をしたばかりだったが、2階のトイレに紙おむつを詰まらせて、1階の厨房が汚水の滝に襲われた事件が決断のきっかけだった。これほどの期間、父の直接の介護から距離をおけるチャンスは、なかなか得られないから、無理強いして母を旅行に追い出した。父の愚行に落胆している母の気分転換に丁度いい。私は留守番と見張り、家と指導巡回先往復のいつもの生活だ。

作業は金曜日には終わる。金曜日の夜には母が帰宅する。一日休息をとって、翌日14時過ぎに父が戻ってくる。父に事情を説明したが、不愉快な話の応答は一切無視するので、話を理解しているかどうかはわからないが、従来の様子からすると、半分も伝わっていないと予想する。それはそうとして、今回のやや長期のショートステイが、先々のショートステイを拒否する話にならないかと心配の種は尽きない。

母の挫折感は依然として尾を引いている。父の世話のあらゆるところに、忘れや手違いが続出している。その異変に父は気づかず、相変わらず立小便散布を繰り返している。父は認知症が進む前から、家族の世話になるときに、相手の傷つくことを言い無理強いした。愛情を求める逆表現という話もあるが、この歳まで未解決というのも堪忍して欲しい。この立小便も、示威行為なのだろうかとも思う。愚かとしか言いようがない。糞尿を弄んでいるのではない。指図と主従逆転のような、おむつ交換の体勢が気に入らないのかもしれない。そのために介護者の時間がむさぼられていくのだとしたら…。感謝されない世話を、残り少ない時間を食いつぶしてしなければならないのは耐え難いと母は思い始めている。主を世話するのは当たり前という父の感覚は、私も認めない。私は病者に対する介護であって、父に対するものではない。この矛盾は必ずどこかで再爆発するだろう。

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湘南東部障害保健福祉圏域就労支援ネットワーク主催の「障害者就労の実際」研修会(藤沢労働会館ホール)に参加してきた。明日からの父の宿泊と、昼食の片付け・洗濯、両親の夕食の準備を済ませて家を出たが、15時開始の会に1時間遅れてしまった。薔薇クリーニングの永山取締役の講演を聞き逃したが、生活共同組合連合会ユーコープ事業連合の秋場隆人事人材開発部部長の講演の途中で会場に飛び込んだ。この後の(株)アルバックの人事部人材開発室原田和夫室長の講演も共に、在職中の障害者の労働状況の報告に、秋場氏の場合は、就労の双方のメリットを取り出して見せるという一歩深めた内容を加え、その労働環境がどのような職場集団とリンクしているのかを垣間見させてくれた。

アルバックの場合、いわゆる「ライン」という製造形態がない受注生産主軸の企業のため、障碍者就労は事務部門が中心になるという。こうしたいわば内情を公開してくれる意義は大きい。

第二部は精神の当事者から、就労に託すものが語られたが、テンポ維持は職場の協力、そのための職場理解がないと難しいことが報告されていた。鬱の場合、日常と発症時の外見が他者に掴みにくいことがあって、このギャップに苦しむという。私が巡回する引きこもり青年たちに、一番近いタイプである。

その後、知的障碍の青年からの報告は、生い立ちと就労の話が登場し、聞く側にとって、通して彼に寄り沿う理解者の仕事が浮かび上がるような気がして聞いていた。ただここで語られていることは、企業就労の話であって、最賃保証のレベルまで頑張っているパン屋さんとか、豆腐屋さんのような地域企業に従事する方とは表情が違う。企業就労の方たちは「背伸び」をしているのが感じられる。これにたいして、後者の方は仕事の運営参加している意味での自由さとか、接客という開いた人間関係の開放感を感じる。

まずは職場報告の会という事で、みやげを抱えて帰ってきた。あちこちでお馴染みの顔。藤沢市自閉症児者親の会の方とも顔合わせ、お久しぶりでした。


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18時半からは湘南子どもネットワークのムーブメントのワークショップに参加。ここも1時間遅刻。対象が幼児学童というところで、身体活動を共感の中におく特徴のある活動。ただピアジェ流の発展段階とか、調査に学習や発達がからむ集団に疑問もなく二項分布を前提にした分析を割り振るなど、それ科学なのと疑問に思う部分が活動の論理背景にあり、達成度という抽象が持つ意味を持ち出さねば、柔らかな実にいい活動なのにと思うのだ。ムーブメントは、やはり学校文化の産物だなと。

<気になる記事>

●「年長フリーターの正規雇用、企業に助成金 厚労省方針」

夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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父のサポートのもうひとつの柱「看護」の体制を整えて/ある引きこもり支援団体の質問から

2008-10-21 08:10:31 | 引きこもり
昨日は父のデイサービス外出の間を利用して、階段踊場にマット型センサーを敷くかどうかケアマネさんと話し合っていました。徘徊する方向けに使われているもので、マットを踏むとスイッチが入って、当事者の方が通過したことを知らせます。問題は状況理解がしっかりしている人には、隔離感を生んでしまうだろうということ。例え、当人には音がしなくても、普段と違う装置が置かれているので、気が付くだろうということでした。父の場合確信犯ですから、当然設置が分かります。

結果は「やめましょう」ということに。ただし、もっと原始的な方法を採用することにしました。現在部屋と階段の間を仕切っている扉は、父がドアノブに体重をかけたために、全体が歪み、開閉困難になっています。この扉を中途半端に直すことになりました。つまり、開閉するとヒンジがきしんで音をたてるというものです。マットより不確かですが、隔離感は少なく、軋む音が当人への警告になるだろうというものでした。普段扉を閉めておくのです。1・2階のコミュニケーションは現行の内線電話を使い、使い方を教えることにしました。使い方の説明は、私のような家族だと猛反発するので、訪問する宗教団体の信者諸氏に依頼することにしました。

もうひとつは、通院治療の件。入院前と退院後の違いは、歩行不安定の程度と「まだら惚け」と呼ばれる認知症の進行です。乱暴なのは前から。これは訪問看護とホームドクターの体制で糖尿病を中心とした一連の困難に対応することになり、病院外来通院のように予約しても何時間もかかる状態を避けるために、ホームドクターを入院前と同じく利用し、組み合わせることになりました。つまり、父が出かけていくところを訪問看護の看護師さんと、たまにでも医師の巡回往診で、来てもらえばいいだろうということになりました。この訪問看護往診は病院でもやっているところがあります。しかし外来と結びつくことになり、家族がやはり通院指導を受けることになります。ホームドクターの場合も同じですが、外来待ち時間が少なく、すぐにやってもらえます。病状悪化したり、装置が必要な検査は病院と組む形で連携します。問題は往診する医師が少なく、医師をいかに説得するかに話が移りました。

今日は母が昼間を取る約束になっていたので、私がデイサービスからの父の帰宅を受け止めて父をベッドに戻したら、バリケードを作って主治医の説得に**医院まで行き、母はその隙間に出来るだけ早く帰ることになりました。留守中の当人のコミュニケーションは電話とセコムの非常用ボタンでとります。実際は大声で助けを呼ぶでしょう。隣人に迷惑が及びます。ここも悩みです。

父の1階茶の間に座ろうとする行動を制限し、ふたりがかりで父を2階に誘導。数箇所で倒れそうになる体勢を支え誘導を済ませ、バリケードを組んで午後の外来の終わる間際に飛び込み医師の説得。これは訪問看護の中心を看護師におくことで何とか承諾を得て、一応これで、介護ともうひとつの柱、看護の方の体制を作りました。

母が私が出発した穴を埋める形で帰宅。私は食材を通販で買い、補充買い出し後、コインロッカーを利用して巡回へ。今日は会議なので相模大野へ。

大枠ができたのでほっとしたのか、夜間傾聴の電話が入るまで、借りてきた本をに眼鏡を挟んで、いつの間にか眠っていました。夜間、今夜初めて電気ヒーターを早朝使い始め、父も今夜は静かというか、もう朝食時間ですが、無事夜が過ぎました。

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ここ数日、他の支援団体からハローワーク利用の問い合わせがあり、そこへの付き添いが出来るかどうかというご質問を受けました。当人の依頼・承諾があれば可能ですが、ハローワークを利用する場合、当人の意志とコンディション、そして生活の状態に就労を組み合わせる生活設計が安定しているかがむしろ問題で、もうひとつは職種が案外狭く、希望する職種へ進めることはむしろ稀。この辺が納得いくかが問題です。下手をすると閉塞感を高めてしまうので、事前に就労相談経験者と話し合っておいたほうがいいことを伝えました。ハローワークは使うところであって、依存するところではありません。これは職員の方にはど顰蹙の話ですが、当人が行く前に、障碍者枠の支援の担当者に、精神などの手帳の得失を聞くということで面接、知り合いを作っておいたほうが、一般就労のほうにもガイドしてくれますからお得。障碍者枠の担当者の方が、熱心な方を見つけやすいということなのですが、「忙しいのに」と担当者から叱られそうではありますが、本当です。

不登校の支援活動の長期化が生んだ質問。手帳があるなら、地元の生活就労支援センターと話し合うのも手です。

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<入手した書籍から>
●「子どものコミュニケーション障害」

夜間傾聴:##君(本人)
     多摩センター君(仮名・親)
     入谷さん(仮名・傾聴?)

(校正2回目済み)

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自転車操業とはよく言ったものと思いつつ

2008-10-20 07:19:24 | 引きこもり
茅ヶ崎駅の路上生活の人たちの中で、自転車再生を仕事のひとつに加えたいと考えている人がいる。昨日は、私の提案が今企画提案の下調べのところをまだ出ていないことを報告しながらも、少し話し込んだ。彼らには以前からカトリック教会関連の方の支援があり、若松町のある市民団体所属者の方の支援があって、経歴は古い。路上生活者の人がどう「仕事」のことを考えているか気になるので、聞いてみた。ところが明快な応答が得られなかった。基本は、「彼ら自身が、よいと思えば乗る」そういう原理に乗っているために、支援関係者をお互い関係付ける発想自身が希薄なのだとわかる。

ただ自転車ともうひとつの提案は、自分たちには住所や保証人のような社会参加の契約の土台になるところがすべてにわたって不安定なので、自分から話を進めることが難しいこと。多重債務のような事情で、未解決の課題を抱えている者もいること。こうしたことから、日雇いのようにその場、その場で出来高払いのような形を持っていることが現実的で、ありがたいこと。同じ理由で、恒常的な彼らの代表者を置くことは難しいこと。だから支援者で出発点を作って欲しいことなどが重い口から出てきた。

官民協働を進めるとき、お互いの契約者の信頼がしっかり確認できないと、企画は実現できないということと矛盾することがここに出てきており、政策としてトップダウン型で実現するか、緩衝組織となるこの中間支援枠をどう作るかが鍵となる。ところが彼らは、この中間支援枠が自分たち以外の人たちが固めることに極めて懐疑的であるにもかかわらず、自主組織としては出発できないという膠着した矛盾が出きていた。

だからまずは希望者(2名)から、実験枠でスタートし、始めは一番厄介なことではあるが、民間提供の自転車をフリマ販売に結びつけることを考えたい。この自転車は持ち主が、私たちに譲るという証明がなくてはならない。さらにはその販売に可能性があるかを見極め、大丈夫なら次の段階として古物商資格を私が取り、この資格者を、同時に彼らの中に育てることを考えていかなくてはならないだろう。

これは商売になるぞという実感が大事なのだ。それでも多重債務者の場合は、その踏み切る部分が解決していないので、社会復帰とはなかなか直結していかない。この辺が他の支援団体との協力が必要な場面となるだろう。普段きつい状態で対面する行政が微笑んでくれるとは彼らは信じていない、そういうことも露骨にある。

手続きや根回しがいるから、時間がかかる。経過報告は入れるから、自分たちもアイデアを練っていてもらいたいと私は彼らに伝え、駅の階段から腰を上げた。

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今日の巡回は、多摩センター君(仮名)の御宅1件きり。橋本から更に乗り継ぐので、時間がかかる。往復の時間が重い。事情は書ける事が少ないので、大まかな状態を言えば、ともあれ、彼も私が担当する他の子と同様、引きこもりのベテランである。準備を整えても、受験日間際になると重圧に耐えられなくなってしまう。決まった期日に押し上げていくのではなく、自分のテンポで課程をこなせばOKという制度が少ないことを改めて思う。

橋本の電車待ち時間に中途半端な時間に食事。母のため息が伝染したか、所属を作らない我が身、成果の形が欲しいと思い始めているのに気が付いた。年だなと思いつつ、思いを打ち消した。成果はある。それらは滞留せずに拡散してしまうもともとそういう仕事なのだと自戒した。

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母はずっと家で友人との電話にしがみついていた。私の呼び出しに応じて、形式的な軽いバリケードを階段下に作って駅前に出てきた。ところが、父の宗教団体の信者二人が父を訪ねてくるという連絡が入り、急遽私は母を駅前に放置し帰宅。鍵を開けて、彼らを2階に招き入れた。少し留守番を頼んで、私はまた駅前に戻った。母はメールのやりとりの事情が読み取れずに、行き違いで帰宅して、結局「わーく」のポッドキャスティング関連の資料が到着していた茅ヶ崎図書館に立ち寄り、食材を買って、急ぎ家に戻った。

父の居室は防水シートのあちこちに、尿の水溜りだ出来ている。パンツを下ろしてから座るという段取りを踏まえる「先読み動作」が難しくなっている。便座に腰掛けてから、紙パンツを下げるので、中腰が出来ずに転んでしまう。この辺が立ちションしてしまう背景にありそうで、「下げて・座る」という事場を復唱させ、言葉から行動を想起させようと試みた。空転した。来客が尿の前で話をするのかと圧力をかけたが、しらんぷりをしている。夜になって、部屋のカーテンがばかにたなびくので、窓をみると、窓が全開になっていた。昼間の客が悪臭対策で開けたものと分かった。閉めて帰らない。介護未経験者の証拠であった。父に説明したが意味が通じない。介護が見えないのだから当たり前と、その実、諦めていた。

遅めの夕食は手間のかかる力作だった。気分を転換し、母の憂鬱を定着させないためでもあった。父のサイドテーブルに運んで、階段を降りたところで、激しい物音がした。急いで戻ると、サイドテーブルが倒れ、食事がすべてこぼれて、その食材まみれになって父が転がっていた。ベッドから席に移るとき、父は先にサイドテーブルの折りたたみ部分を邪魔な形に、あげてしまう。危ないからと前々から注意していた。父はその上げた部分に激突しサイドテーブルごと転倒したのだった。重量級の転倒である。皿は見事に割れ、食材は尿たまりにまで飛び散っていた。

父を起こし、警戒する父をベッドに誘導して、床の清掃を済ませ、着替えを用意し、さて清拭をしようとしたが、汚れたまま湿った布団をかぶって起きないのだった。力作は吹き飛び、母は相手にするなと自分の部屋のベッドに横になり、結果昨日よりも状況は悪化した。

やむ終えず、居眠りを決め込む父の部屋の暗闇の中で、応答しない父の枕元に、握り飯を置いて一日を終えた。動物園の飼育員状態だなと自嘲して、夜間傾聴に入った。

夜間傾聴:##君(本人)
     大森海岸君(仮名・傾聴?)

(校正2回目済み)
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介護者のリセットについて(希望を神聖化するのは、やめよう)

2008-10-19 08:02:54 | 引きこもり
母が朝出て行ったきり、夜8時まで帰ってこなかった。父方の実家に立ち寄り、父の状況報告をしてきたらしい。持ち歩き習慣のない携帯電話は所持せず、充電器の中に納まったままだった。今回のことは、若ければふらり出て行って二度と帰らないこともありうる状態だと思っていた。父は母の姿がないこと自体、気づかない。私は会合参加を体調不良と偽り断って、階段の傷の修復をしたり、急にやってきた父の宗教仲間が様子を見にきたので応対。事情を説明、彼らの「代わりに留守番を」という申し出をあえて受け入れなかった。どうせ家事を選んだのならと、この際、残りの山積みの洗濯を片っ端に済ませた。夕方、階段にバリケードを組んで、外出。ヤマダ電機に父のCDプレヤー付きの生活防水ラジオを購入。食事を作る気にならないので、弁当を買って暗闇の自宅に戻った。

さすがに階段を降りようとした形跡はなかったが、言う事を聞かず、部屋中、排泄物の匂いがたちこめていたので、窓をあけて急いで換気、おしめ交換…。ここで気がついた。おしめがほとんど濡れていないのだ。それにも関わらず、パジャマズボンが濡れて、どうやら自分で着替えたようで、出かける前と履いているものが違っていたのだった。嫌な予感がして箪笥を開けた。案の定、尿に濡れたパジャマズボンが、箪笥に収納した下着と木枠にしみを作っていた。この愚かな行為のために、また仕事が増えていた。ポータブルトイレの蓋を閉めたまま、立ちションしたのだろう。椅子のクッションにもべっとり尿が乾き貼り付いていた。

弁当に付き添う気が萎えて、ざっと拭き掃除をして、汚物のゴミを抱えて階段を降りたとき、母が帰ってきた。母は「気晴らしだ」という。しかし私の会合参加はふたつ突然出席出来なくなった。言うまいと思ったが、これでは責任のある仕事が出来なくなる。感情を抑えて母と話し合う。

父を入所させたいと母が言うが、父は介護5人目である。稼ぎの少ない私の自営塾をやめさせて、介護補助をさせてきたツケが回ってきている。父を有料老人ホームに入れれば、母の安定した老後生活が資金難になってしまうだろう。自立していない老人を受け止める有料施設は更に高い。ショートステイを増やそうと提案して、母の根気の糸を繕った。介護は不合理な忍耐勝負である。制度と他人(ひと)の綱渡りの知恵で息継ぎながら泳ぎきる営みだ。手綱を放したら互いに溺れ死ぬだけだ。

CDラジオを買ってきたのだと、紅茶を入れながら母に見せた。勿体無いと突き放してみせる母の眼差しの中に、弱い気力が戻ってきたことを感じ取った。母は父方の実家の長男夫婦のところを訪ねていた。先方も夫婦の片方が倒れたらふたりともホームに入ることになる。先方は我が家どころではないのだが、母は事情を話したらすこし気が晴れたという。母方の実家訪ねることが出来ない。それは、ここ(我が家)だものねと母がいう。

父に買ってきたラジオを見せて、宗教団体が置いていくCDを手元でかけられると説明すると、父はラジオに飛びついた。しかし、CDの裏表確認、挿入、ボタン操作のいずれも出来ない。無理に入れればCD自身を傷つけてしまう。

今まで使っていたラジオの操作も出来なくなっていたことを思い出した。買ってきたラジオは、風呂場で使うタイプという、操作がシンプルでベッドから落としても大丈夫な頑丈な構造のもので、余分な機能も少ない。触っていれば、扱い方はすぐに分かってくるだろう。CD挿入部分の垂直型の蓋は、防水のために閉じるフックが付いている。蓋を閉めないと動かない安全装置がついている。この蓋を「引っ掛けて、閉じる」という動作を私がして見せるが、父は必死に覗き込んでいるのだが、自分が扱うと、フックを上から力任せに押してしまう。結局蓋が閉まらなかった。結局、私が父の部屋に戻るとラジオはベッドの下に下ろされていた。

父と抗争があったとき、私が壁に追い詰められているとき、虚しさの罠に半身(はんみ)をとられているとき、父もまた分からなさの海にあえいでいる。頑張るのではなく、続けてやりきっていくことで状況の転機を待つ、相手の変化を待つ。持続しか力はない。ここにもうひとつの仕事が加わった。母のメンタル・ケアである。しばらくは、父と母、双方の観察がいる。

-------

ヤクザの闇金融の多重債務者の自殺場面で、その終電間際、偶然命を救ってしまったという路上生活者から相談を受けていた。市の市民相談室と警察がらみの支援を組んだ矢先、それが頓挫していた件で、新たな情報が入った。この路上生活者が入っていた宗教団体は「ジーザズ・ファミリー」と言ったが、これはカトリックとは関係のない新興宗教団体らしいということだ。この団体がどういう団体かわからないが、インターネット検索では、若い子たちがパーティをしているシーンだけが登場する。そこにも連絡先が全く出てこない。おかしなことだ。

この団体の評価はともかく、彼が語った「カトリック施設に救助した女性の身を預けていた」ということが、「虚偽」であることが調査でわかったのだった。小銭稼ぎの詐欺行為の可能性が高まった。しかし、私は詐欺とは断言しない。詐欺なら今、生死の境の女性は絶望の中にはいないのだから、せめてそれを善しとする認識は保ちたい。

茅ヶ崎駅の路上生活者に、簡単な経過と未遂に終わったのかもしれないという話をした。彼らはゲタゲタと笑って、「俺も多重債務者だ」と言った。確かに今回の交渉、眉唾ものには違いない。しかし、この粗雑な笑いの中に、したたかで強靭な生を感じる。そう、どっこい彼らは生きているのだ。昨日は、みかんネットつめあわせを差し入れ、一緒に食べてきた。

再生自転車情報と「しごと作り」は、今日巡回の前後に取り組む予定。さて朝食作りである。

夜間傾聴:橋本君(仮名)


(校正2回目済み)
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座敷わらしのように

2008-10-18 08:25:22 | 引きこもり
東京都と大阪府の「放置自転車の実態調査と対策」関連の報告書の所在が分かってきたので、項目整理して、とりあえず各図書館・自転車協会筋に打診してみようと思っている。古い資料が多いので、「自転車の再利用」の部分に絞って探ってみたい。神奈川県の資料調査は、週明け県立図書館に行くが、紅葉坂(横浜)か川崎かどちらだろう。まあ、リファレンスに在庫相談すれば分かることだが。

巡回の帰り、本厚木の医療器具屋に用事があってカタログと見積書をもらってきた。丁度、平塚駅行きのバスがあったので乗ってしまった。平塚図書館に返却する本があったからなのだが、いや、移動時間のかかること。「リサイクルキーワード」という93年版の書籍の予約をかけていたのだが、受取りにちょっとたじろいだ。本は、すっかり黄変していたのだ。いい本だからと進めてくれた方がいらしたのだが、その方は70代後半。すでに関係の活動から手を引いている方だった。

------

昨日は母と私はがっくりきていた。父に朝食を出した後は、急いで眠らないと睡眠時間がなくなってしまう。昨日もまた、眠りの闇に吸い込まれそうになったとき、母の怒りとも嘆きともつかない大声に呼び出された。茶の間に行って、私も母と同じように、呆然としてしまったのだった。いつの間にか父が茶の間にいて、TVに抱きつくように大きな音のする画面をみていたのだった。

すべての介護が打ち砕かれた瞬間だった。

「いつの間に…」

階段は1階まで一直線。何回も墜落の危険を味わっているのに、降りてきてしまう。ペンギンのように身体を振って降りてくるのだ。そのほとんど毎回、途中でバランスを崩し、墜落しそうになる。背筋が寒くなった。

父の胸倉を掴んだ私の手が震えていた。

母が背後から、「なんのために、ヘルパーさんをつけていると思っているのよっ!」と涙声をかけ。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた父が、居直り始めた。

父:「大丈夫だっ!家政婦(?!)なんぞ、断っちまえっ!」

私:「階段で何回、墜落しそうになったか、覚えていないのかっ!」

父:「うるさい!」(立てない…、私が手を貸そうとするが倒れてしまう。)

母:「すっと見張りしていろというの?家中をおしっこ漬けにするつもり!?」(震えている)

父:「うるさい!」(やっと立って、よたよたと階段を上がっていくが、足元がおぼつかない。)

私は虚しさに暴発しそうになる自分を抑えて、父の背後から転倒防止の体制で連れ添う。
ベッドまで誘導し終えて、

「命とTVとどっちが大事だ!馬鹿者、よくかんがえてみろ!」

とどなった。背を向ける父。

私が階段を下におりたころ、2階が騒々しくなった。おしめの一抱えあるパックが2階から降ってきた、と、次の瞬間、歩行器が私めがけて落ちてきた。間一発。それを避けたが、当たったら大怪我をするところだった。

母はベッド上に泣き崩れ、寝具を殴っていた。心無いことをやってしまう病い、それが認知症と分かっていても、「階段をひとりで昇降しない」「立ちションをしない」この2点の協力が出来ないというのは、どういうことだろう。食事を出せば「ありがとう」と機械的に返事が返ってくる。宗教団体の信者から「ありがとう位、いいなさい」という指摘がその前にあった。その結果の応答なのだが、さすがに今回は、生木を引き裂くようなこころの痛みを感じた。激情を堪えて母に、茶を飲ませ休ませた。私の起床時間まであと1時間になっていた。緑内障の視界の曇りが苛立たしかった。階段に車椅子でバリケードを組んで。とにかく仮眠を取った。

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夜間傾聴:相模大野2君(仮名)
     ##君(本人)

(校正2回目済み)


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横浜を回ってきました

2008-10-17 07:26:19 | 引きこもり
父が口の中の痛み以外は好調なので、部屋を歩き、かえって階段を勝手に降りるリスクが高まっていた。そのような状態の中、昨日は偶然、父の宗教団体の女性信者のOさんが昼に現れ、父の居室清掃をかって出てくれたおかげで、父の見張り役も兼ねてもらって時間が出来たので、横浜周りをしてきた。県庁・紅葉坂周辺である。

自転車リサイクル関連の情報収集と近況報告だった。この中で県内の特例子会社が、親会社の通勤社員の自転車のメインテナンスを請負っている話を聞いた。メインテナンスに留まる話だが、部品準備費とか、技能習得や修理件数と担当職員数などこまで教えてくれるか分からないが、見学させてもらえないか行ってみることにした。数件の話があり、とりあえず、座間市の件と2件、時間を作ることにした。

また自転車商組合に協力を求めることにし、こちらは時間切れで、とにかく企画素案を「わーく」再刊号に載せて、関係者提案をすることにした。桜木町の地下道で子ども未来ファンドのSさんとすれちがった。この計画は修理の場所や当事者団体が整わない中で進める話なので、助成金を求めることも出来ない。私の動きをどれほど公開できるかが、結集の鍵になっているからだ。Sさんとは逆コースのエスカレーターですれ違ったので、挨拶をかわすだけに終わった。

貴重な時間である阪東橋で地下鉄を降りて、映画「ドキュメント フツーの仕事がしたい」の上映予定を聞いて、戸塚で食材の買い物をして帰宅した。

父はOさんのことを覚えていなかったという。半年もたっていない方を忘れていたことがショックであったが、この方の掃除中、立ちションを数回やっていたことが判明。ポータブル・トイレの改修は意味を持たなかった。

巡回はお休み。PJのML参加者2名増


夜間傾聴:##君(本人)
     ******(親)

(校正1回目済み)
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