資金の枯渇している状態から、仕事を立ち上げられないかと考え続けている。公共性の高い社会的ニーズを背景に、ニーズに応える対価を売る公共企業体(社会的企業)の形で、そのハードルを越えられないかと考えている。社会的困難を抱える無職層への仕事作りを通じた仕事の(再)出発点提供なのであるが、資本主義社会では、あらゆる場面を逃さず利潤追求の競争が行われているために、先行既得権の争奪が優先されて、政策的な社会的弱者救済の起業・就労が生まれにくい。
しかし欧米では、「ソーシャル・ファーム」とか「ソーシャル・カンパニー」という第三セクター的な仕事そのものの提供を行う自立経営の公共的企業活動が、行政と市民活動の連携の中に育っている。ところが、行政の仕事の「アウト・ソーシング(外注)」の仕事を私企業が奪い合うことが行政との連携であるかのように思われがちなために、この辺の利害の構造をあいまいにした概念の「コミュニティ・ビジネス」という言葉は、あえて使わないことにしている。
大事なことは、「ソーシャル・ファーム」や「ソーシャル・カンパニー」は社会参加や就労機会が抑圧された立場の人たちに、機会と場面、起点となる就労の場を提供することが目的となっていることだ。しかしそれが無償労働の提供を背景としたものでは持続性や実現規模に限界があるし、弱者と救済者を分離した構造に陥ってしまう。こうした活動への運営参加を基礎に、自立促進を行う公益企業活動が望まれる。
世界恐慌的な社会不安の中では、企業就労の道が難しくなっていく。こうした社会情勢のもとでは、なおさらに社会政策的な就労支援が重要になる。ひとつはCSRを求める強力な雇用機会促進の法的強制力を持った企業就労への道であり、その地域還元の道だ。もうひとつは、地域起業を背景とした社会的企業推進の道。例えば地域と消費部門 「商店会まるごとの共同運営の中に、社会的弱者という人材を積極活用する道」だ。「自治体の現業部門等の外注を基礎にした自主運営(発展系を認める)だ。」ここで無から有を生み出すような独立起業の推進を行っているのではなく、社会的ニーズに応えるという背景をしっかりと持っていることだ。ニーズと求職を出あわせることを原動力にしようということなのだが、ここにも更にひと思案が必要になる。初発のシード(種)モデルをどう選び、どう蒔くかが問われている。
初発の資金は乏しいから、そこから始めて行ける仕事はないかと考えた。ここで登場するのがリサイクルだ。廃品回収業のように転売益を売るような直線的な仕事ではなく、再利用に踏み込んだ仕事を考えた。まずは放置自転車の利用と、放置傘の利用をである。
この後者は、路上生活者の支援にぴたりと照準を得た。彼らは雨が降ると仕事が無くなり苦しい生活を強いられる。JRの放置傘の利用例は、身体障害者支援団体の資金作りの例が大阪に、車椅子購入などの資金集めの例が千葉にある。しかし、路上生活者の自主販売と結びつける「Big Issue」式の地域展開版を、学校の社会奉仕活動と結び付けられないかと思う。勿論JRなどが協力してくれれば、現物の傘を得ることが出来る。
このとき、マイクロファイナンス的な少額初動資金貸付による再利用傘の購入が必要になるし、この傘が盗品ではないことを証明する社会的信用団体の承認がいる。この後者を学生の無料奉仕というフィルタを通す。商店会や行政、公共団体発行の公認シールなどがいる。また益を売る路上生活者側も、販売に責任を持つ、緩やかな共済組合的な受け皿を作る必要がある。ここで問題なのは、路上生活者は多重債務などの理由で、実名を名乗らない、名乗れないものがいるために、自主組織が必要になる。その組織がわずかな利益でも権力者を生まないような工夫が必要になる。雨の日の収入源として、通行人の利便性と結んだ販売は価値を生むだろう。そして「傘売るひと」としての路上生活者は無職者のレッテルから離脱できるし、傘の提供者は路上生活者と出会うことになる。過去に魚屋さんとか、営業マンとかいうような過去をもち、ある人は家庭を捨てて路上に出てきている。そうした顔と出会うことが可能になる。これはまだラフ・スケッチに過ぎない。しかし、必要とする人が明確な社会的企業の事例だ。たとえ純益が安くても、捨てた雑誌を集めて販売するよりも、彼らの自尊心を捨てずに済む活動のはずである。しかし売店傘は売れなくなるだろう。この二面性をどうするかも残された課題なのだ。活動を起こしたいと思っている。時間切れなので自転車は続きにさせてもらうが、心にとめていただきたいことは、「市民活動は真似ができること」これが大事。湘南でうまくいけば、全国で類似の活動をなしうるからだ。分かち合い、ネットワークしていくことが力なのだという事だ。
(つづく)
しかし欧米では、「ソーシャル・ファーム」とか「ソーシャル・カンパニー」という第三セクター的な仕事そのものの提供を行う自立経営の公共的企業活動が、行政と市民活動の連携の中に育っている。ところが、行政の仕事の「アウト・ソーシング(外注)」の仕事を私企業が奪い合うことが行政との連携であるかのように思われがちなために、この辺の利害の構造をあいまいにした概念の「コミュニティ・ビジネス」という言葉は、あえて使わないことにしている。
大事なことは、「ソーシャル・ファーム」や「ソーシャル・カンパニー」は社会参加や就労機会が抑圧された立場の人たちに、機会と場面、起点となる就労の場を提供することが目的となっていることだ。しかしそれが無償労働の提供を背景としたものでは持続性や実現規模に限界があるし、弱者と救済者を分離した構造に陥ってしまう。こうした活動への運営参加を基礎に、自立促進を行う公益企業活動が望まれる。
世界恐慌的な社会不安の中では、企業就労の道が難しくなっていく。こうした社会情勢のもとでは、なおさらに社会政策的な就労支援が重要になる。ひとつはCSRを求める強力な雇用機会促進の法的強制力を持った企業就労への道であり、その地域還元の道だ。もうひとつは、地域起業を背景とした社会的企業推進の道。例えば地域と消費部門 「商店会まるごとの共同運営の中に、社会的弱者という人材を積極活用する道」だ。「自治体の現業部門等の外注を基礎にした自主運営(発展系を認める)だ。」ここで無から有を生み出すような独立起業の推進を行っているのではなく、社会的ニーズに応えるという背景をしっかりと持っていることだ。ニーズと求職を出あわせることを原動力にしようということなのだが、ここにも更にひと思案が必要になる。初発のシード(種)モデルをどう選び、どう蒔くかが問われている。
初発の資金は乏しいから、そこから始めて行ける仕事はないかと考えた。ここで登場するのがリサイクルだ。廃品回収業のように転売益を売るような直線的な仕事ではなく、再利用に踏み込んだ仕事を考えた。まずは放置自転車の利用と、放置傘の利用をである。
この後者は、路上生活者の支援にぴたりと照準を得た。彼らは雨が降ると仕事が無くなり苦しい生活を強いられる。JRの放置傘の利用例は、身体障害者支援団体の資金作りの例が大阪に、車椅子購入などの資金集めの例が千葉にある。しかし、路上生活者の自主販売と結びつける「Big Issue」式の地域展開版を、学校の社会奉仕活動と結び付けられないかと思う。勿論JRなどが協力してくれれば、現物の傘を得ることが出来る。
このとき、マイクロファイナンス的な少額初動資金貸付による再利用傘の購入が必要になるし、この傘が盗品ではないことを証明する社会的信用団体の承認がいる。この後者を学生の無料奉仕というフィルタを通す。商店会や行政、公共団体発行の公認シールなどがいる。また益を売る路上生活者側も、販売に責任を持つ、緩やかな共済組合的な受け皿を作る必要がある。ここで問題なのは、路上生活者は多重債務などの理由で、実名を名乗らない、名乗れないものがいるために、自主組織が必要になる。その組織がわずかな利益でも権力者を生まないような工夫が必要になる。雨の日の収入源として、通行人の利便性と結んだ販売は価値を生むだろう。そして「傘売るひと」としての路上生活者は無職者のレッテルから離脱できるし、傘の提供者は路上生活者と出会うことになる。過去に魚屋さんとか、営業マンとかいうような過去をもち、ある人は家庭を捨てて路上に出てきている。そうした顔と出会うことが可能になる。これはまだラフ・スケッチに過ぎない。しかし、必要とする人が明確な社会的企業の事例だ。たとえ純益が安くても、捨てた雑誌を集めて販売するよりも、彼らの自尊心を捨てずに済む活動のはずである。しかし売店傘は売れなくなるだろう。この二面性をどうするかも残された課題なのだ。活動を起こしたいと思っている。時間切れなので自転車は続きにさせてもらうが、心にとめていただきたいことは、「市民活動は真似ができること」これが大事。湘南でうまくいけば、全国で類似の活動をなしうるからだ。分かち合い、ネットワークしていくことが力なのだという事だ。
(つづく)