湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

現場の常識をずらすこと、本人の自主活動を位置づける穴を穿つこと(通じるだろうか?)

2008-11-30 09:00:13 | 引きこもり
昨日から筑波に行く予定でいた。1日に母の最終検査と、父のショートステイを控えて家事は山積していたが、自分の仕事がなし崩しになっていくことがたまらなかった。しかしそれも、神経の高ぶった母の不眠と午前中からの来客に、出発のタイミングを失ってしまった。母の病状が回復する手術後のときまで、二度と繰り返せないこの時を思うと、やはり外泊はできなかった。

来客は父の宗教関係者だった。聖書の聖句の引用だろうが白髪(長寿)の部分を讃える内容の、大活字の明朝体で無骨に印刷されたプリントが2枚、父の枕元に置いてあった。どうしてこうも表面的なのだろうかと、うんざりもする。父の文章が理解できなくなったのは、字が見えないからではない。挨拶のあと、父がひたすらにうなづきに徹して言葉を失っていたことの意味がわからないまま、ステレオタイプな判断の押し付けをしゃべりまくった後、ちゃんと応答も出来てお元気だと言い残して若い二人は帰っていった。挨拶が出来ていたから元気という報告を行うのだろう。父の空転のなにも見えていない。

母は最終検査のとき、手術箇所のクリッピング(胃の患部周辺に目印のクリップを打ち込む)をするとし、入院予定が15日頃という、約2週間の空白の状態予想に苛立っていた。印をしてすぐに手術というならまだわかる。そこにブランクがあり、しかも胃壁に傷がついたままなのである。体調はどうなるのだろうという不安に病院は答えていない。(検査部門と診療部門の分業)

当日、私は父のシュートステイ2泊3日の送り出しに制約されて、大学病院までは、追いかけていく形になる。帰りには駅前に母を一時休憩させて、私の眼科の点眼薬をもらうために眼科往復をしなければならないし、母を家で休ませたあと、橋本巡回が待っていた。この間、母はひとりになる。補助支援を当てるには、これは父ではなく母の問題となるので、介護度は使えない。懇意にしている一番我が家に近い辻堂の端に住む母の友人も、大腸がんの手術を終えて退院してきたばかりということで、頼むことも出来なかった。有償のヘルパーさんを頼みながら、自分が何をやっているのかわからなくなった。巡回は日送りしていたので、再日送りはできなかった。

無駄だというのに父が宗教団体のある信者さんの勧めで、昔、光フレッツの回線の@niftyに独自登録した件を、母は母の友人の息子さんから金の無駄と聞きかじってきて、怒り出した。父に廃止を求め、私の怠慢と怒りをぶつけてきた。母は検査を前にしてナーバスになっていた。

私はPC通信時代から@niftyの会員であり、父がPCセットとインターネット環境を取得するとき、私の光回線を共用すればいいと伝えたものの、信者さんの指示と違うと父が茶碗を床に叩きつけて怒った経過があった。

無駄は承知で非常識な支払いを続けてきた経過があることを母は理解していない。説明してもわからない。PCセットが部屋に送り込まれたとき、キーボードのコネクタが抜けていた。今もそのコネクタは抜けたままだ。父は茅ヶ崎駅前の鬼いじめのPCスクールに2年通った。しかし私のノートPCの電源スイッチがどこにあるかすら分からない。父は毎回予約電話を受けていたので、ぼったくりにかかっていた。実際父のPCのスイッチが入ったのを見たことも無い。

母の怒りから、月末の区切れもいいから、父の承諾の元で回線廃止の手続きをした。0120をかけて、先方の担当者が出るまで15分強待たされ、それが母の苛立ちを掻きたてていた。プロバイダやメーカーの客応対回線はこれが常態。それを母は納得がいかない。先方にID/PW確認があっても父はかけらも記憶していなかった。それが母を煽っていた。回線は当人の病気ということで当人の直接確認なしで、書面交換で処理されることになり、無事接続廃止となった。

父の認知症が始まる前から父は頑固を貫いていた。その城壁が崩れていく。出した茶漬けを忘れて1時間後に食べている。来客のあったことを30分後には忘れていた。応答の名前も別人だった。昨日は元気に歩行器を使わず、片足を引きずって部屋を歩き回っている。ソファーの上に立ち、天窓を閉めようとする。転倒の警戒のかけらも無い。この状態が長く続くとは思っていない。大腿骨骨折事故で、いずれ寝たきりになる。深夜2時40分、排尿に失敗転倒、闇の中。照明をつける。父をすくい上げて清拭。/5時、ベッド柵が投げ飛ばされる。危うく板戸に穴があくところだった。

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今日は筑波の大会二日目である。連日通いのつもりでいたので、参加費だけの浪費ですんだが、社会活動の背景を語る地元のつながりが無い関係から、医療モデルに沈む引きこもり支援システムへの異論は、封じ込められたままだ。

ある精神障碍系の専門家のカウンセリング技法に「ジョハリの窓」の図式が大きく取り上げられているのにうんざりした。「気づき」をめぐるマトリクスなのだが、当人の気づきの有無と、他者の気づきの有無が4分類されていた。こんな単純な図式に人の心は掬い取れない。誤認・思い込みや、社会関係が交錯する場で、おどろおどろしく登場させること事態、理論(モデル)と現場経験の乖離を意味している。こんな二重化の状況が何十年も平然と続いている世界がある。

ひとの対話的関係をみずみずしいまますくいあげられる論を求めて、私の実践の裏作業を練っている。分析操作から対話の世界への橋渡しをと思うが、それを現場に求めるのは無理なのだろうか。

今日は見舞いということで、父方の老夫婦が足の利くうちにとやってくる。同じ介護度を抱えているのだから、無理が出来ない。片方はペースメーカーをつけているのだ。階段をどう補助しようかと頭を悩ませている。夫婦はタクシーを借り切ってやってくる。出費の一部も出さざるを得ない。突然の訪問予告にどうしたものかとつい私自身もナーバスになっている。まもなく父の朝食である。


夜間傾聴:******君(仮名・中断ごめん!)

(校正1回目済み)

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バリアフリーカフェ同窓会に参加し~ひとの隙間の魔と語る~

2008-11-29 08:44:45 | 引きこもり
「バリアフリーカフェ同窓会」が、茅ヶ崎市役所1FのCafe.COM(通称ドットコム)で開かれた。参加者50名?市行政からは市長・市民活動推進課・障害福祉課関係者の参加。7月の「バリアフリーカフェ」のその後版。障害領域を横断する交流とプレ就労の場は貴重。今まで17時までの利用の形をはみ出す「アフター5」の試み。自己紹介と前回の映像紹介と立食パーティの形。ドットコムのメンバーさんの活躍あり。

今、地域に求められている就労困難な青年達の情報と出会いの結び目(ノット)を行政とともに生み出していく価値は高い。しかし、この企画に私は外野的にしか参加できなかった。介護戦争に振り回されていたからだが、これからどのような参加が出来るか考えていくと、中心には立てない。これだけは明らかだ。12月は厳しいものになる。

私にとっては、ドットコムの今後の形や、新規スタートしていくタイ焼き屋さんのショップ機能をどうひろげていくかということで、周辺から情報を集め、提案したり、自転車をキーワードに配達業・自転車リサイクル業を誕生させることに力を注ぐことになるが、決定的にはこれが関係者の協働で進めることにならないこと。再び空転の連鎖に踏み込みつつあることを痛切に感じている。

間を見つけて動くことと、スケジュールに乗って動くことがかみ合えばいい。しかしここが、予測不可能な介護に寸断されてしまう。ならば、提案を磨くこと(ここが協力でできないことが難)、思いつき屋と思われても、黙るよりはいい。ひとりのキャッチボールを少なくとも12・1月の2ヶ月を超えなくてはならない。

ひとつは「自転車」というキーワードが伏線の検討課題となるところまで、持ち上げられるようなテストケースをつくること。路上生活者の方との放置自転車リサイクル下請け話の具体化・相模原市自転車屋さん見学会。

もうひとつは、ドットコムを初めとした横断交流のミニコミ機能から始める「わーく」のスタート。その「オンライン」編集部の実現。(ここが流儀が違うから、難航するだろう。)

私はこのふたつの流れへの協力打診を行うか、これはPJ関係者以外は唐突な提案である。そして他の方には必然性の見えない提案である。この空転は昨日の立食パーティの最中、断層の崖際に寄るような愚行であるが、これは落ちても進めねばならないことと念じながら話しかけていた。

私がいつもアスペの若者とともに立つ断層に、自分が立つ思いがある。相手の空気が読めないといわれ、問題を抱えて彼らは私と話をする。そのとき、多面的な視座を提供するのが私の役目であるが、このとき、いつも出会いとかなりゆきという、自分と相手との絡みに状況が組み合わさってうまれる事態の人間関係の接点部分しかフォローしえない限界をいつも感じていた。

この辺を大津和夫氏が大きく取り上げた。また湯浅誠氏が「すべり台社会」と証した概念の背後を形作っている力である。構成する当事者たちの生み出す力を捨象した「運命」なる発想は過ちだが、この部分は自覚的でありたいと思う。ただ「機運」ということばで呼べばいいか、ここのところは、波に乗れば通る。しかし波が来ないことが明らかなときはどうするのだろう。

わからないねえ、困ったねえと、私は彼と隙間探しに参加する。では私のときは?折れずに「やる」。これしかないでしょう。二者択一ではなく、語り続けること。改めてその思いを募らせて帰ってきた。

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父の訪問看護の形を作るために、主治医と相談して事業所を決定した。午後そのスタートが、母の手術がある12月下旬を挟んで12月いっぱいから、1月上旬にかけて、父が特養に一時入所するので、話が中断するため、その期間が終わってからのサポートに、話を遅らせる調整となった。しかし注意しなくてはならないことは、父が先方で事件・事故を起こしかねないこと。新しい特養のケアマネさんからが、預かれない場合があるという釘が刺さっているために、そのときの準備をどうするかを考えなくてはならなかった。

一昨日のポータブルトイレ転倒事件では、骨折がありうる事態だったし、10数kgあるコンクリートの土台が1m近くころがってしまった勢い、木製ポータブルトイレが上下逆転する勢いを考えると、介護者の身の危険すら考えうる事態だ。これを持て余し、特養から年末年始に母の臥せっている我が家で預かれば、地獄の沙汰となる。今までの特養のケアマネさんとその辺は相談しているが、答えが出ない。その緊急時の選択肢をうやしておく必要があった。

巡回の海老名から茅ヶ崎の事業所をまわり、食材の買い物を済ませて「ドットコム」に向かったのだが、それを終えて帰った我が家は、下半身裸の父がベッド際に落ちたまま寝息を立てている様だった。

さて采配をどうするか。

夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本君(仮名・こちらから)

p.s.ビッグイシューの東京事務所のI さんと連絡が取れる。元地元販売員のTさんと駅頭で会ったので、三者で時間調整に入ることに。

(校正1回目済み)

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ポータブルトイレが空を飛ぶ日

2008-11-28 08:00:34 | 引きこもり
父の言葉がめっきり減ってきた。苛立ちのようなものは感じないが、行動が粗雑になって、大きな失敗が繰り返されるようになってきた。教科書通りなら、外部観察だけでなく、当人との会話の中で困難を掴むことが大事ということになるだろう。しかし関わりを持つということは、これは常識とは異なるが家族・関係者すべて何らかの関係の中に当事者と向き合っている。その者が客観を確保するという構造は実は擬制なのだと思う。関係の歪みを受けつつ、もつれを離脱していく道を求めていく。その関係性が空転し始めている。

朝食を出して、階段を降りたところで、父の部屋からただ事ではない大きな物音と悲鳴があがった。急いで部屋に戻ると、ひとつの足に10数kgのコンクリートの塊をつけた椅子型ポータブルトイレが吹き飛び、父が部屋の真ん中で横転して呻いていた。椅子の下に挟んである汚物バケツが防水シート一面に排泄物を溢れさせ、転がっていた。猛烈な悪臭が立ち込めていた。

父はポータブルトイレもろとも、吹き飛んでいたのだった。

父の身体を拭き、怪我をチェック。母に救急箱を(焦らずに)持ってくるように親子電話で指示。父を安全な場所に引きずって移動し、汚物処理に移った。手元にある尿取りパッド全部をかぶせ、もともと準備してある30リットルゴミ袋に詰め込んだ。

母が救急箱を持って上がってきたが、悪臭に驚き呆然としていた。父の四肢と頭部の細かいチェックと消毒、着替えを支持して、階段を急ぎ足で降りた。私は、足の骨折後遺症で、走ることが出来ない。ありったけの雑巾とひとにぎりの新聞紙を集め、バケツに水をいれて現場に戻った。

憎まれ口を言っているから平気だと母が言った。頭を動かさないでと私がどなる。転倒が連日続いている。今回は派手だった。コンクリートやぐらのようなポータブルトイレが上下逆にひっくり返って数m先にころがっていた。父が手すりに全体重をかけたのだった。ただごとではない。

父はポータブルトイレを投げ飛ばしたのだった。今日はインフルエンザ予防接種が午後からある。それに影響すると入所できなくなる。腹をくくって、しばらく父の傍にいることにした。まずは周辺の清掃と、父の安静の確保。

私が大田区の塾に勤務していた頃、すぐそばの4車線路を飛ばしてきた自家用車が暴走して追突した。車が派手に空中を一回転し、中からひとが走り出てきて崩れた。周囲に緊急停止した車に呼びかけて、非常灯を焚かせ、追突の連鎖を避けさせ、クラクションを鳴らせるように依頼した。緊急時を知らせるためだった。車道の安全を確保し、彼の気道を確保した。

彼は骨折で歩けるはずがないと警官が語っていた。しかし私が見たのは、運転席から立ち上がって走り出た姿だった。この違いは何のだろうという思いが残っていた。

だから派手な事故が起きたとき、その当事者の意識の具合だけでは身体の状態は現場ではわからないものなのだと思ってきた。父は毛布にくるまって寝息をたてはじめた。いびきではなく、私の立ち上がる気配にも反応していたので、階段を降り、雑巾を洗濯していた母に状況を説明した。朝食を無理して食べさせることは、やめよう。私が父の部屋のソファーで眠ることにし、母を寝かせた。

11時すぎて、緑内障の眼圧を下げる薬の点眼を忘れたことに気が付いた。薄い曇りガラスの視野がどろりとした透明なゼリーが渦巻いているのがわかったからだ。右目はささないと失明すると脅されていた。点滴を済ませて目をつむっていると、父が起き出した。気まずそうに、ベッドから降りてポータブルトイレで立小便を始めようとしていた。身体は驚異的に丈夫だと分かったものの、周囲を汚すから座ってという指示は全く忘れ去られていた。尿で再び汚されていくベッドサイドに虚しさを感じつつ、父の紙パンツ交換をして嫌になった。全く汚れていないのだ。

拭き掃除のやり直しをして、沈黙と無視を続ける父に、お絞りを渡す。視野をゼリーが渦巻いていた。

昼食を作って食べさせて、ホームに状況連絡を入れ、ケアマネさん経由で、階段昇降介助のHさんと、介護タクシーのAさんに間接連絡を取った。母が保険証が見当たらないと焦っている。余計な何かが芋づる式に出てくるから、とりあえず病院にいこうと母を説得。母は昨日の検査の後始末の便意が不安定なので留守番をするという。我が家の借用車椅子が初めて出動することになった。

無事、接種を終えて家に戻ると、今度は自分に睡魔が襲ってきた。仮眠1時間半。夕食準備をして、巡回に出る予定で立ちくらみが起きた。メモを見ると、学習指導だったので、堪忍してもらうことに。そのまま2時間仮眠を取った。

起きて焦った。今日はドットコムの集いの日ではないか!全く脳裏になかった。自己嫌悪と幻滅がのしかかってきた。がっかりして、コーヒーを入れていると、母が笑った。「二代目だわ、今日は27日(木)よ」と。安堵と自分の危うさが見えて、コーヒーが苦かった。

今日、茅ヶ崎市役所1階のCafe.COMで「バリアフリーカフェ同窓会」が18時から開かれる。もうハプニングは沢山なのである。


夜間傾聴:******君(仮名)
     自由が丘君夫妻(仮名・傾聴にあらず、家事引退勧告)

<気になる記事>
●「経済困窮者の高卒資格支援/東京」
●「「氷河期」再来に危機感/マナー講座は満員/茨城」
●「県内就職、苦戦する高校生/秋田」

<チェック中>
●「大人のアスペルガー症候群」

p.s.介護タクシー、片道1,090円なり。夜間救急の帰りも24時間対応しているとか。助かる。浜見平の業者さん。

(校正1回目済み)
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11月中、インフルエンザ予防接種しないと特養入所不可の報に(また介護話のみ、すみません)

2008-11-27 05:39:56 | 引きこもり
父との格闘は、父に要望する家族の像と、父の意志が対立して起きる。その父の意志は、父の身体の現状からは無理な内容を孕んでいるために、その身体の現状の受容がおきなければ、解決へと向かうことは無いだろう。この受容を疎外しているのが、荒ぶる家父長の権力の維持願望があり、長年の無理難題を押し付けてきた家族への不信があった。家全体の状態が眺め渡せる茶の間のTV前の席への執着は、茶の間脇の階段昇降時、介助者を押しのけて、その場に座ろうとしてもつれ合う事態を引き起こしていた。座ると立てない。送迎のホーム職員さんは分単位の時間に追われている。そこに休めば、ここにいると言い出し、もめるのは目に見えていた。

父の2階の居室は、ぶちぬきで20畳ある。家具を部屋の隅に押しのけると空間が出来る。家具があればそこでぶつけて転倒し、なければ空間の絨毯上を足がもつれて転倒する。家具にぶつかるよりはと思って配置したことが、転倒からの立ち上がり時、頼りにする手がかりのなさにつながっていた。

朝、父は深夜から興奮していた。母の検査通院を母が父に愚痴っていた話が、父は自分の通院と勘違いしていた。母の病状への配慮は見失われ、自分の状況への不安へとすり替わっていた。父の認知の後退を前提に話さないと事態は錯綜するばかりなのだが、この辺の機微が母には通じない。

闇の中、階段を降りてこようとする父を阻止することは、ほぼ1時間ごとに3回にわたった。注意されてはベッドまでもどり、一応眠る。ただ不安が募り、また降りてくる。理屈ではない。

最後は階段下に私が椅子を持ち出して、膝にPCを乗せ操作し、携帯をポケットに入れて傾聴延期の応対をした。2回目までは、2歩ほど危うい歩調で階段を降りていた。1回目は倒れる寸前。3回目は首を階段から出して、私の様子を見て、降りるのをあきらめた。缶けりをしているかのような…「だるまさんが転んだ」なのだった。

母が出かけたあと、ホームの送迎車が到着し、父はデイサービスに隠し持った腕時計を抱えて出て行った。と、数分後に、ホームのケアマネさんから電話が飛び込んだ。12月から利用する別のホームの入所条件の「インフルエンザ予防接種」を済ませているかという確認だった。仮契約時、その説明は先方のケアマネさんの話の中にはなかった。新契約のホームに問い合わせをして驚いた。「11月中にインフルエンザ予防接種をしていないと入所できない」というのだ。インフルエンザ予防接種は、予約制。今から頼んでも12月になってしまい間に合わない。事情をいうが、接種は不可欠。していないと入所はダメというのだった。あと数日中に、父は接種を受けなければならなかった。

ここのホームは大手病院系列の特養。この病院の職員は看護師から清掃のパートさんまで、入院時激烈な不満の井戸端会議を拓いていたのを入院中の日々、聞いてきたし、責任の押し付け合いや、見えない陰の事件を山ほど見てきていた。だから特養とて似た事態が起きていても不思議ではなかった。しかし年末年始のこの時期、選択肢はなかった。案の定、仮契約時の説明時に話し忘れたことは認めたが、父の介護の中心においているケアマネさんには伝えてあるのだと言い出した。ここから先は責任回避の泥仕合になる。今は仮契約だから十分に入所反故になる危うい状態だった。

病院に電話連絡するが、事情は病院に来て担当者と話し合ってくれと、いずれも断られ、市内の4つの病院を緊急巡回することになった。接種は予約。11月は間に合わないこと。病院系列の特養なら、その系列病院に頼めと門前払いが続いた。東部>市立病院間はタクシーで移動。結局すべてだめ。藤沢・平塚などの隣接病院か、大き目の個人医院かと選択肢を広げて苦戦していると、電話先の藤沢側の病院が、茅ヶ崎市内の病院のキャンセル待ちをしたらどうかと勧めをしてくれたおかげで、系列病院の関連窓口に直接相談を持ちかけ交渉の末、キャンセル待ちであるが、今日27日に来てもいいという了解を得た。糸口ができるまで5時間が経過していた。

この日、ホームのデイサービスからの父の帰宅を16時半すぎには、家で待機し受け止めなくてはならなかった。母の検査には先方で母の友人が車で合流し、我が家まで送ってくれることになっていたので、帰りに寄り道をしないで、家に直行してほしいと携帯留守電+メール攻勢連絡をした。が、母は携帯に出ない。数十回の電話に応答がなかった。父の迎えの時間も迫っていた。

糸口を掴んでも、まだ解決にはならなかった。父を通院させなくてはならなかった。ホームに電話して、当日の階段昇降介助、玄関<>タクシーの移動サービスの確保を帰路の道すがら、電池切れの迫る携帯でやりとりし、結局話がまとまったのは、父が無事帰宅し、母が家に戻ってからのことだった。胃が痛くなるような展開だった。

父は昨夜睡眠不足を起こしていた。母も検査疲れで夕食は三人三様。この事態は予測されていたので、父には臨時に味の濃い、好みの食材の炒め物を、母には粥を仕込んでおいた。自分は簡単にラーメンである。食器を洗い終わって、翌朝提出の生協の注文リストを仕上げていると、睡魔が襲ってきた。そこに送迎予約完了と、ケアマネさんから連絡が入った。今日は雨が降るやもしれない。しかしとにかく、入所拒否の事態は、これで切り抜けられたのだった。

この一日、私は月に一度のTOTOドロノワ倶楽部の陶芸WSをポカ休していた。市都市政策課の訪問もキャンセルした。巡回も再日送りのタブーを犯した。荒っぽい先方の解説ミスが引き起こした出来事だった。だから例え入所できても、時々様子を見にいく必要があるだろう。粗雑さの背景にはせち辛い労務管理があることは、病院で観察済みのこと。

冬期講習の担当確認表に印をしてFAX。母の検査後のバリウム排泄の介助。病院間奔走時に思い出した紙パンツ補充の綱渡りがあって無事、父の就寝時の紙パンツ交換を済ませ、一応一日の作業を終えた、シャワーを浴びる足元がふら付いていた。

仮眠2時間。生業の夜間作業と、日送りの無理な子の相談1件。まもなく父の朝食を出して一日が終わる。今回は新聞記事巡回は休ませてもらう。

p.s. 父のインフルエンザ予防接種が終わったら、相模大野に出る。横浜をまわって帰宅予定。「わーく」テスト収録メンバーひとり確保か。/放置傘、教組関係と相談。路上の男性軍、茅ヶ崎駅南口から排除の様相。路上の女性に巡回警察官が珍しく移動を要求していた。介入して聞くが、行政との作戦の模様。警官から身元確認の掲示を求められた。「わーく」編集部代表…余計怪しい名刺をプレゼントしてきた。背後の女性の硬い三角目玉の視線が突き刺さった。


夜間傾聴:##君(仮名)
     町田さん(仮名・こちらから)
     同僚>事態説明

(校正2回目済み)

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父帰宅し、介護戦争炎上中です(新聞記事リンクのみご利用ください)

2008-11-26 04:28:48 | 引きこもり
一昨日の深夜、翌日はショートステイを終えて家に戻る予定の父が、排尿を手伝ってくれたヘルパーさんの介助を振り払って歩き出し、派手に転倒した。またもや同じ場所にダメージ。翌朝、診察を受けて車椅子に乗せられ、湿布を貼った足を抱えて帰宅した。

父は連続して物事を行う予定を提示されると、順番を飛び越して、先のことをはじめてから前の操作に戻ろうとする傾向がある。一時も早くてきぱきと物事を進めようとするあまり、先のことを済ませておこうとするのではないかと思われる。今回も類似のことが起きていたようだ。

幸い傷めたのは、まだ動く方の足ではなく、麻痺している側の足をひねっていたので、帰宅時、階段を上げて寝室まで運ぶのに、父を背負う必要は無かったのが幸いだった。背負うと私がつぶれてしまう。貧血を起こしたように視野が落ちて、猛烈な息苦しさがやってくる。だから、今回はサポーターさんとケアマネさんが応援に入って、3人で一気に2階のベッドまで押し込んだ。

一日置いて、26日は母の検査の日である。この段階で、父の方と二重の介護になるのは、何としても避けたいのに、必ず重ねて厄介な事態が起きてくる。はじめ、母のことを意識して、無謀な行動は当人なりに頑張ろうとする結果と考えていたが、どうも事態は、もっと原始的なようである。周囲が慌しくなったり、周囲に普段と違う緊張が走っていると、それを肌で感じて、自分もてきぱきしようとするという具合だ。それが証拠に父は予定も、母の行き先もわかっていなかった。

ベッドに誘導したまでは、まあよかった。やがてひねった足首が腫れて来たのだ。

前回、転倒時に診てもらったホーム指定の整形外科に電話をかけた。今回も同じクリニックで診てもらっていたからだ。ところが休憩時間中で電話は、なりっぱなしでつながらなかった。父は湿布をむずがゆって剥ぎ取ってしまう。幸いインドメタシン軟膏が余っていたので、湿布から軟膏を塗る形に切り替えて場をしのいだ。

そこに突然宅配便があって、私がベッドサイドを離れて戻ってみると、部屋の真ん中で、父がころんで、のた打ち回っていた。母は自分の整形外科のリハで主治医のところに行っている。携帯電話も通じない。

立つから倒れる、ベッドに乗せるから降りる。ベッドに戻すことは早々に放棄し、上半身に毛布をかけ、上向きのまま両膝を軽く折らせ、痛む側のかかとに柔らかなクッションを挟んだ。買い置きのバファリンを胃壁保護剤とともに飲ませ、様子を見た。寝返りをうとうとするので、この場をはなれられなくなり、ただ、母の帰りを待った。

時間が経って、やっとクリニックと連絡が取れたが、レントゲン写真では折れていないので、湿布を続けるようにと指示があり、痛み止めの薬も効いてきたらしく母の帰宅音と同時に、父は起き上がろうとして、そこで腰が抜けた。場を離れられないという事態は、これからも起きる。一切の巡回は中止。

なんとも間が悪い。巡回延期の連絡を廻し終えたとことに、父の宗教団体の女性の信者さんのひとりが、手伝いをすると突然飛び込んできた。留守番を頼んで巡回に出られるのなら、巡回を中止しなかった。ともあれこの方に母の支援を頼んで、食材の買出しに走り、帰宅した。すると、父がベッドに寝ていて、信者さんの姿がなかった。母によると、こんなところに寝ているのではしょうがないから、ベッドで寝ろと父に言ったら、自分で立ったから、歩行器持たせて移らせたという。父は布団をかぶり、声を押し殺して寝ていた。女の力である。信者さんに格好をつけた…が…足が痛い…とまあ、父はこんなところなのである。

父がもし途中で転倒したら、母や女性信者さんのふたりでは起こすことが出来ない。だから、見守りだけを頼んだのだが、また確認が確認で無くなっていた。湿布があったから貼っておいたと母が言う。呆れた。すべてがずれてしまうのだった。

食事を作り母と私の食事を先に終わらせて、父の夕食を持って部屋に入ると異臭がする。立って排便しようとして起きられず、紙パンツの中に便を出てしまった。その確認をした汚れた手で湿布を剥がして部屋の中央に放り、汚した紙パンツを脱いでベッド下に落として、汚れたまま下半身裸で布団をかぶっていたのだった。結果糞が部屋に飛び散ったのだった。

厨房にいる母に親子電話で事態を伝え、「私の着替えを階段下に置き、2階には上がってくるな」と指示をして、急いで上着を脱ぎ、ぼろ布を取り出した。母が気を利かせて熱いおしぼりを何本も作り、部屋の入口においていってくれた。これが後になってまた面倒を引き起こすのだが、父の清拭とシーツ・かけ布団カバー交換、紙パンツ交換と父の着替え、ポータブルトイレへの移動介助。汚物の処理。ポータブルトイレの汚物廃棄と容器洗浄。汚れた部屋とポータブルトイレの逆性石鹸液を使った消毒消臭。夕食介助。

すべてが終わるのに2時間半が過ぎていた。シャワーを浴びて、衣類交換。父の分と私たちの分は別々に洗濯する。シーツが有るので洗濯が3回。外のペール缶の汚物の袋を地域のゴミ捨て場に持ち出して、門を戸締り。一般ゴミは朝6時に出す。ゴミ袋を玄関先にまとめて出しておいて、夕食の食器洗い。すべてやっつけて、椅子に疲れて、腰をどっかりとかけると、いつの間にか母が居なくなった。

母は、おしぼりを何回も階段上に持っていったので、「足がつる」と自室のベッドで布団をかぶってしまったのだった。介護には火事のような部分がある。もとに火をつけてしまうと事態が燃え広がってしまうのだ。この辺の先読みが今の母には出来ない。私とて、拡がってしまった家事を毎回やったら、この始末だけで毎日が終わってつぶれてしまう。

無事なショートステイは、父の気性を読み違えたヘルパーさんの先行指示によって、父の転倒で反故になり、看護は母との相互確認の無視によって汚物散乱の悪夢へと燃え広がった。さらにそれは、昨夜の父の連続排尿騒ぎへとつながった。「紙パンツ内に排泄する」というひとつのことが拒否されるために、夜間尿まみれになって、ベッド脇に座り込むことが続くし、最後には父が家具に八つあたりの状態になる。坐骨神経痛を起こした母を通院のタクシーにのせ、売薬の安定剤を投与した父は、夜明かしの戦いの末、眠りこくっていた。

実質48時間試合をこなしたようなものだった。曾祖母・祖父母の介護経験がなかったら、切り抜けることができなかっただろう。うっかり当てにしてしまった母も高齢の病人なのである。「父の冒険暴走がなければ」と繰言ではあるが思う。認知症の進行だけではなく、男性独特の周囲を見る力の欠如と強情。これが家族を窮地に追いやってしまう。本人が丈夫であればあるほど、介護は長期戦にもつれ込んでしまう。

ホーム入所で共倒れを防ぐ知恵が絶対に必要。それを使えるようにする制度充実が必要不可欠なのだ。日誌を1回書き込みがおくれたのは、父の消火活動(?)が故だった。

先ほど、主治医から痛み止めと、ショートステイ用の下剤を処方してもらい、ホーム指定の我が家から離れた場所の整形外科から、治療を主治医の内科に移した。父は食事を平らげると、疲れが出たか早々と眠っていた。母も明日の検査の準備を終えて、父の宗教団体のさきほどの信者さんが同行してくれるとかで、母は寝床に子機電話を引き込んで、何やら話しこんでいた。私は夕食の使った食器を洗い終わって始めて仮眠をとることができた。20時半からだから3時間ほど眠った。大声を出した喉が、がりがりである。


<気になる記事>

--- 20日文部科学省が児童生徒の問題行動の調査を発表。各県地方版が自分の県を取り上げている例が多い。いじめ発生件数は増減あるものの、不登校の生徒数は増加。

●「街角掲示で安心対応 町田の市民団体」
●「ドライブの喜び 聴覚障害者に光」
●「支局長からの手紙:アスペルガー/京都」
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●「記者の目:過労死・過労自殺、企業名の公表を=東海林智」
●「快走自転車負の側面も」
●「「飛び込み出産」多発に苦悩」
●「相談最多の354件 職場のいじめ・嫌がらせ」
●「「教育再生懇」首相が廃止決定、教委改革一段落後に」
●「不登校最多1884人/長崎」



p.s. 午前3時50分、突然父の部屋の扉が開いて、父が階段を降りようとした。慌てて制止。「今日は、ホームに行く日だろう」と父は力んでいた。上着を裏返しに羽織っていた。「迎えは9時。時計を見てご覧(見ても読み取れないので)今4時前、夜中だよ」と確認させる。上着を脱がせてベッドに戻す。ベッドの周りは、ちぎれた湿布と、ころがったトイレットペーパー、濡れた尿取りパッド。

こういうときは、すぐにもう一度降りてくる。地獄である。>6時半まで3回の戦い有り

夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本2君(仮名)>中断ごめん!


(校正3回目済み)
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巡回という仕事/読売新聞「最前線」から

2008-11-24 09:39:38 | 引きこもり
父の居室の整理を済ませて、母は友人の見舞いに、私は久々に中延君(仮名)に会いに出かけた。合流が一日遅れたのだ。彼は昔、私が大田区の私塾で特別クラスを作っていたころに、友達がいるからと塾生が連れ込んでから、しばらく便乗参加していた不思議な奴だった。その後、彼が「自分の困難を語る」という、これまた珍しい経過を経て、塾生となった。だから、旗の台君(仮名)や、大森君(仮名)ほどではないが、やはり古株である。

彼は細かいところに結構癖があり、喫茶店で会っても、それが相変わらずなので、つい私は、にやけていたらしい。中延君は、つんと不機嫌な表情になり、「いい加減に塾を再開するなり、自分のことを考えたら…いい年して」と手厳しい。そういう中延君も行き詰っていた。彼は今年、引きこもり脱出宣言を出して、あることに挑戦していた。その中に自分ひとりで進むのとは質の違う、「チーム展開の課題」となるような部分があるのだが、自分と組む友とは事情が違いすぎて、先方の普通と常識を押し通されると苦しくなるというのだった。もろに、ここ。私の出会う青年の多くは、これが必ず大きな障壁となって立ちはだかるのだ。

大局的なところでは、学生・社会人を問わず、私のような外部支援者と現場の監督者との接点が必要だなといつも思う。それは彼が設定し、始末をつけることという意見もある。ただ当事者では裁ききれない、はみだした部分も実際、あるのだ。それでもそれは、所詮、援護射撃ではあるが。

もっと現場経験が欲しいと私は思う。爺ぃになると、肩書きを伏せると、だんだん相手にされなくなる。私の場合、肩書きをつけるともっと怪しくなるから、ぶっつけ本番で先方に乗り込み、迎え討ちにばっさり。ソンビ流再提案で徐々にこぎつける形が多いから、経過に依頼者の胃が痛くなる。(しかし、結果解決しているのだが。)眉間に皺を寄せるのはよくないといわれるが、素顔。換骨奪胎したような心理カウンセラーによくある、無根拠笑顔仮面はかぶれない。

中延君は、とりあえず私をキープした。このやり方…、相変わらず、本当に珍しい奴なのだ。

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話が長くなって終了後、慌てて紅葉坂の県立図書館で図書更新し、戻った県サポで父の介護関連の方と会い、息継ぐ間もなく、飛んで辻堂に戻った。

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アリバイ作りではないのに、奇妙な負い目の家事を済ませていると、母が暗闇の庭を抜けて帰ってきた。私の夕食準備に納得したのもつかの間、父の布団がベランダに出っぱなしじゃないかと、大声。あとはご想像にまかせるとして、ほんとうに「家事は底無し沼」なのである。口八丁、急場(窮場?)は何とか離脱。

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読売新聞の大津和夫さんたちは、「いい仕事をしている」。「最前線」シリーズをまとめていて、私と同じように巡回をしている方の記事に出会った。違うのは私は裏稼業(表の場合と同様に稼げないが)、キャパゆえの下請け仕事というところだ。物好きの相棒が出来たら表稼業でと思いつつ、何十年も過ぎてしまった。

それはそうと、いくつか記事を紹介しておく。

<読売新聞・最前線より>
●「(上)ニート自立塾 利用伸び悩み」
●「(下)「訪問型」事業 国の支援必要」
●「(上)助け合う従業員 障害は関係なし」
●「(上)自分の特性知り セミナーで改善」
●「(下)能力生かせる 就労環境作り」
●「(上)志と事業両立 若者の使命感」
●「(下)ノウハウ提供 事業への助言」

以上

夜間傾聴:##君(仮名)
     入谷さん(仮名・親)

p.s. 厚生官僚テロ。「年金ではなくペット殺し」の動機記事。これでまた偏見が増幅される…。逆風。

(校正2回目済み)
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年の瀬に流れ込む/11/22講演会・精神科に通院しながら企業で働けます!

2008-11-23 07:28:45 | 引きこもり
昨日父は1泊2日のショートステイに出て行った。ホームの側でも長期滞在が12月下旬にあることを話す予定になっていた。父の所持品に忘れ物があり、その件でホームから電話が入った。「***(妻)が旅行にいくが大丈夫なのだろうか」と父が言っているとのこと。入院を隠しているのだろうかと、話を合わせる必要の確認があった。ずれの経過を説明して、「病院」という単語が勘違いを生むこと、母の病気は伝えているが、理解していないようであること、まだ間があるので、間際にもう一度説得確認しないと、話がリセットされてしまうことを伝え、ホームでは無理して話を伝えると、こじれかねないことを伝えた。

父は睡眠不足(?)か、お疲れのようで到着後、ずっとお休みになっていますとのホームの状態の話を聞く。母が「私はどうなるの?!」と怒り出した。「忘れ物(愛用の爪切り)を届ける必要は無い」と母は言い出していた。

ホームからは、もう一度連絡が入り、先方(もうひとつ別の特養ホーム)と仮契約が出来ていることの再確認と、その間の補充日宿泊の契約の再確認があった。今年の年末年始は、家族ばらばらである。奇妙な形で私に自由がやってくる。両親の様子チェックがあったり、予定変更の緊急出動の可能性があるものの、いままで出来なかった時間ができる。母はそのことを不公平と怒った。しかし退院後、しばらくは本調子で家事介護は出来ないだろう。その分のご褒美と思ってくれと応答したものの、冗談ではない。入院入所費用の立替金捻出や、家業引継ぎの先方への確認など、大枠は見通しを立てたが、冬期講習指導の稼ぎは不可欠になっていたからだ。

私のライフワークは、不登校・引きこもり青少年の(余計だろうと)社会参加的立て直し支援にある。冬期講習時、例年問題が起きる。年末年始、親類との比較や受験への焦りが当人・家族に出てくるからだ。この対応の授業臨時中断があると、今までのサポート校や補習塾以外の臨時講師は無理となる。(今までは数校のお世話になる、いわゆる得意先があった。)今までの職場では、私を使うゆとりは、ぎりぎりなので、就活をすることに。電話申込で臨時個人指導(受験間際対策)1人は決まったが、さて。ムカデのような複数の収入を合わせて生きている50代の者はそういまい。しょうもないと思っているところに青色の申請用紙が送られてきた。なんともタイムリーである。

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私の古い友人で、埼玉県の某所で20年前、心理相談クリニックを開業したが、数年で続かなくなったために借金と酒に沈没した奴がいて、5~6年ほどで借金返済は終わったものの酒が残ったという紺屋の白袴のような奴なのだが、彼から電話が突然入った。某神田の職場時代の私のことが印象に残っているのか、泥酔しながら私の(元)職場に今から行くという。何人かの精神科開業医を知っているが、結構自分自身も似た症状を超えてきた者が多い。だからこそ患者さんの訴えが響くのだが、彼は仕事を切り、節操を捨てた。つまらぬ意地と思われるだろうが、ここの部分を捨てたら、私は若者に会わない。節操とは主張、「夢」ではなく「希望」であり、「独立」ではなく「自立連携(ネットワーキング)」への意志のことである。

年末に会おうというので、お断りした。彼は60代始めの世代、企業医の補完のような仕事をしていても、まだ地域で、やることはあるはずだからだ。年賀状は、ださないぞと言って電話を切った。ここまでなら話が格好が付くのだが、その直後、泥酔している彼からの間違い電話が数回。すっかりずっこけてしまったのだった。ひりひりする意識、年の瀬だなあと思う。

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昨日はNPO法人かながわ精神障害者就労支援事業所の会主催・雇用部会共催の研修会「精神科に通院しながら企業で働けます!!(講師:精神科医・蟻塚亮二氏)」に参加してきた。話は専門性を織り込みながら、「障害タイプ掲示と指導」というスタイルを批判するという視角に納得するものの、資料が同じスタイルを引用していたりと、釈然としないものが残った。事例は能弁だから、そこを重ねて論を立てればいいのにと思いつつ、彼の著書を覘いてみる気には、まあ、なった。要するに包括的すぎるから、理論に取り込まれるのだと思う。統合失調症と鬱の全貌を抱え込む必要は無いと思うのだ。だから後半、うつの話に転じたとき、講演者がばっさり内容を削って「メンタルヘルス…手抜きと低空飛行のすすめ」という提言に移ったのは正解だと思った。

蟻塚氏がソーシャルファームの欧州会議経験者とは知らなかった。むしろこの辺あたりも聞いてみたいと思うのだった。

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久々に夜間傾聴が閑古鳥だ。自転車を使った配達業起業の青写真をあれこれいじっている。セイフティネットのかぶせ方の問題なのだ。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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父の一時入所説得のお粗末(介護話)

2008-11-22 07:58:50 | 引きこもり
父の一時入所の準備。衣類の補充。説得。

昨日までの父と、打って変わって黙りこくっている。特養の新しい施設に母の手術期間前後1ヶ月にわたって、2箇所の特養のはしごをする。年末・年始の特養は予約が早い。父の入所期間の予約は、1箇所ではフォロー出来なかった。

本番に入る前に相互のお試し宿泊1泊2日がある。ここをクリアできれば、本決まりとなる。来月に入ってからテスト泊が行われるが、仮契約は昨日の父の承諾で決まる。

父は黙って私の話を聞いていた。時々同意を求めないと父は耳が遠い上、長い話の途中で誤解すると修正が効かず、説明を拒否されてしまう。だから慎重に話をした。母の発病のこと、手術がいること、入院先が遠方であり、ときどき覘きにいかなくてはならないこと。そして、私だけでは父の介護を留守が出来ないのでは、フォローしきれないこと。

話を進めていくうち、父の顔が次第に険しくなってくる。「留守」のところで「平気だ」と言い出すだろうと予測していたが、予想は外れてしまった。

「俺を追い出すつもりか」
「***(母の名前)は、いつ帰ってくるのか」
「長い間働いて、お払い箱か」

がっかりした。母への気遣いの一言も無い。

私:「歩くと転倒する。この前も腰から膝に大アザを作ったばかりだ。誰も居ないときに倒れたらどうする?セコムの(非常呼び出し)ボタンだって今まで投げ出して、使えなかったろう?」

父:「(ボタンを覚えていない。)失敗しただけだ。大丈夫だ。」

私:「見ていないと階段も降りてしまう。前に転がったら命取りだ。ずっと買い物にも行かずに見張っていろというのかい。」

父:「***を呼べ。俺は階段なんぞ、(ひとりで)降りたことはない。」

私:「胃ガンの手術だというのに、自分の都合しか考えていない。家族を殺す気かい。」

毒があり過ぎたと思いつつ、父を眺める。全く話を聞いていない。

父:「気違い病院(差別用語)に閉じ込めるつもりか!」

私:「##さん(ケアマネさん)のところや、似たような…(声がかぶさる)」

父:「##さんのところに行く。気違い病院に入れてみろ!」

勘違いにがっくりくる。

私:「何勘違いしてるんだ。##さんとこ(特養ホーム)と、もうひとつの同じような別荘みたいなところだ。」

父:「##さんを呼べ!」

仕方なく電話を入れる。留守で先方にいない。そこに母が部屋に入ってくる。

母:「何騒いでいるの。私、病気治さなかったら、飯も洗濯もしないからね!」

父が黙ってしまう。

私:「手術の1ヶ月、協力してホームに行ってくれ。」

間を置いて…

父:「寝る。出て行け!」

このあと、父の清拭担当のヘルパーさんが来て、なにやらしゃべっていた。

ヘ:「『言うこと効かないから、飯も食わさないそうだ』とおっしゃってますよ。『ホームに行くんでしょ』と聞いたら、『そうだ、なのにあいつら気違い病院に押し込むつもりだ』と言ってます。もう一度、話されたらいかがですか。」

ヘルパーさんの仲介によって、「ホームなら、いく」という話にずれていることに気づくが、また状況説明もこじれるばかりなので、間を置いて話しなおすことにした。

その後…
私:「母さんの手術入院の間、1ヶ月間ホームに行ってくれるかい。」

父:「(うるさそうに)ああ、何でそんなに騒ぐんだ。ホームに行くのは明日か?」

私:「年末・年始、12月下旬から1月上旬だ。」

父:「お前らはどうするんだ。」

私:「母さんは外泊(入院)だ。私は留守番している。」

父:「そうか。***(母の名)も出かけるのか。俺は行くからいい。」

「手術」と言い出そうとして、言葉が止まった。「病院」という言葉に父が勘違いしたことを思うと、この辺が落とし所だろうということになった。

しかし、##さんの力は絶大だ。ホームを父は、嫌がっていない。別荘のように思っているからだ。父に同意書の印を押させ、奇妙な対話は一件落着。しかし、差別用語、ひどいものである。


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藤沢で衣類を買い求めて、コインロッカーに入れて、寒川に。役場に寄ってから図書館にCSR関連の図書を借りる。相模線に乗り継いで橋本巡回。相模原・相模大野に立ち寄って書類の交換。藤沢周りで帰宅した。ぐるり県南北1周。

夜間傾聴:******君(本人)

今日は、精神の講演会、蟻塚恭二氏(精神科医)の就労支援関連の話を上大岡で聞いてくる。午後、久々に大井町の巡回(中延君(仮名))。そこから講演会に回るので遅刻か。

JDD-NET大会申込、決断が付かなかった。あまりに母の入院日に近いからだ。病院情報が欲しい。

(校正1回目済み)

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初利用の特養Hを訪ね/茅ヶ崎市環境政策課担当者に放置自転車対策を聞きました

2008-11-21 07:48:56 | 引きこもり
父を12月中何らかの組み合わせで、ホームに入所してもらう件で、いつも利用しているホームのケアマネさんに作ってもらったケア・プランに登場する特養にお邪魔してきた。

交通が不便なところにあるのは覚悟していたが、降りてから歩く部分が多いので、雨天時などは、やはり敬遠したくなるだろう。世間は狭いもので先方のケアマネさんは、病院の監護し師時代に何回か病棟で会った方だった。初めて利用する場合、様々な看護データーを提供しなくてはならない。父の場合、最大の問題は「転倒だった。部屋を見せてもらうが、空間の広さが返ってこわい。転倒したとき、床に当たるが、床が硬めなのだ。
ナースコールを利用できるかも、チェックポイントとなった。

結果は設備はOK。他の部分は使ってみないとわからないことばかりだ。特に職員の人物評価はわからない。ただそのケアマネさんは、昔ばりばりと行動されていた方で、「しきりタイプ」なのが気になった。父は指図を聞かないからだった。入浴方法とか、補助具などは、持ち込みとなる。送迎時間も早めなので、その30分の確実なずれのために、待機のヘルパーを頼まなくてはならなかった。ここが今後の利用の癌になる。

帰り道、偶然気になるリサイクルショップに出会った。自転車リサイクルに取り組んでいそうなのだった。近々、取材させてもらうことにした。

父の清拭のヘルパーさんの帰る時刻に間に合わせるために一度帰宅し、改めて市役所環境政策課に放置自転車対策の現状を聞きに出かけた。取締りの結果、毎年1000台ペースで台数は減っていて、返還率も7割近くに上がっているので、理に合わないだろうというのが担当者さんの意見は否定的だった。

今日は放置自転車集積場に出かける。時間の合間に取材する状態なので、もどかしくもある。日本発達障害ネットワーク(JDD)の大会参加申し込みの期限。母の入院日が近いのが気になる。東京中野の目白大学なので通いで参加するが、就労支援がどのように取り上げられるかが関心事。

<気になる記事>

●「児童生徒の暴力最多、「ネットいじめ」21%増 文科省」(朝日)
●「暴力行為:過去最多の5万2756件 昨年度・小中高校生」(毎日)
●「暴力行為5万3千件、半数は児童生徒間…文科省調査」(読売)


夜間傾聴:(頭痛のため中止)

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母の大学病院検査に連れ添って(介護話のみ)

2008-11-20 07:05:33 | 引きこもり
急に寒くなった。父をデイサービスに送り出すとき、父が寒いと言い出した。母はすでに大学病院の検査のために出かけている。こういうとき男はだめである。自分以外の衣類の細かい在り処など、全く分からない。ホームは室温調整しているから大丈夫と、迎えに来てくれた職員の方が時間を気にしながら、私の許可を得て父の居室へ。

造作なく、ソファー上の衣類の山から、いつも着ている上着を取り出した。プロだと、改めて感心した。父は眼鏡も紛失していた。これは上掛け布団のカバーの中から発見することが出来たが、とにかくお互い時間が迫っていた。階段を焦りを悟られぬように誘導して父を下ろし、玄関先の車椅子に乗せたところで、私は自分の着替えに切り替えた。ホームの送迎車が出て行くのを背後に聞きながら、玄関先の鍵をかけて家を飛び出した。母の待つ大学病院へ後を追うのである。

バスは間に合わなかった。20分に1本なので電車に間に合わない。この地域はタクシーも、すぐには調達できない。走ることの出来なくなった右足を確かめるように、早足で駅へと歩き始めた。2分後、遅れていたバスが私の横を追い抜いていった。物事の歯車は燃え広がる火事のように連鎖してしまう。その隙間の選択は私の意志によるものはその結果をすべて受け入れなくてはならない。偶然に翻弄されれば奈落に落ちる。進むか止まるか、その二者択一に苛まれながら駅に着く。わずか数分の差だが早くついたのだが、電車は目の前を通り過ぎて行った。

こうして、携帯電話の乗り換えサイトを利用しながら、いつもとは異なる奇手の道を選びつつも、病院には到着が1時間近く遅れてしまった。次に予想されるのは、検査中ゆえに母と出会うことが出来ないこと。病院なので携帯電話を母がマナーモードにしているから、バッグの底の音に気づかないことは恒例の出来事だったからだ。

担当科受付を通して、検査受付に問い合わせをかけてもらい、検査室を特定して迷うことなく検査室の前に到着。待つこと15分。母が険しい顔をして別の通路から走り寄ってきた。トイレと待合室の間を必死に往復しているのだという。手荷物をしっかり持っている。父ならここで手荷物を置き忘れて騒ぎになっていただろう。ここも男女差と妙な監視をしている私の応答が気に入らない母が、私の遅刻を問いつめた。

腸の検査は、今は造影剤を吸引してしまうので、影響は軽くなったというものの、やはり体力を消耗する。母を出切るだけトイレ近くのソファーに座らせ、衣類を楽にさせる。休ませる時間に、母は数回トイレに立つ。間隔が空いてきたので、話すゆとりが出来たのか、母は戸締りを私に詰問する。大丈夫と答えるが、朝刊を抜いていないだろうと怒る。どのみち遅い昼食も母は食うまいと、売店に行くからと母を待たせて、朝食抜きの分を売店隣の食堂で、一番出来の早いカレーライスを注文して、糖尿病食限界の範囲でかき込み、母の待つソファーに戻ると、売店で菓子を選んでいるのかと期待していたのに、何も勝て来なかったと怒る。怒るゆとりがあるなら大丈夫と受け流していると、罰に昼食をおごれと言い出した。

まずかった。大学病院の周辺は辺鄙な場所なので、駅前に出ても母の満足のいく軽い気の利いた食事ができるところなどありはしない。16時半には父が帰ってきてしまう。全く時間のゆとりが無いからだった。待ち時間、携帯を使ってレポート原文を打ち込んでしまおうというようなひとりの時間は全く無かった、経験不足。

母を茅ヶ崎駅前の定食チェーンに連れ込むことで納得させることとし、予防線の救急対応に父の宗教団体の信者さんに早めの待機を依頼しようと電話をかけた。出ない。焦りながら食事を済ませ、帰宅。徹夜だったので、20分の間に横になって休んでいると、母が朝刊を持って「私に移動をやらせるつもりか」と怒りをぶつけてくる。体調の悪い者の介護はだから忍耐と的確な観察判断がいる。しかし実はもうひとつ、陰の力が要る。危機下の体力配分である。ここがチーム対応ではないから、むずかしい。

日常の対応は定型化を使う。今回のような場合は、臨機応変の対応がいる。この辺は障がい者介護と同じだ。

仮眠休憩を諦めて、父を迎え二回に誘導。受け取った洗濯物の仕分けをして、不足する夕食の食材の買出しに走り出て、他館取り寄せ図書の返却期限日が今日と思い出す。返却ポストは他館の図書を入れると後日注意されるからと、頭の中はレポートと図書返却を挿入したとき巡回が遅れてしまうことを考えていた。

玄関をくぐると厨房のやかんが蒸気を吹き上げていて、母はベッドに臥せっていた。父はポータブルトイレの受けバケツをいじって、ひっくり返して汚水が防水シートの際まで広がっていた。異様と思われようとかまわない。私は着衣をパンツ一枚になり清掃を始めた。汚せば洗濯が待っている。驚いた父が床に座り込んでいるのをベッドに移動し、冷たいのを我慢させ、濡れティッシュで清拭。すべてを済ませて、夕食の食材を準備し母へとつなぎ、シャワーを浴びて家を出た。

ずっしりと疲れが身を覆うが、相模線は茅ヶ崎が始発、行き先は橋本である。1時間程度は仮眠できる。こうして無事巡回を終えたが、この隙間対応の力配分が限界に達していた。サポチガの全体会をすっかり忘れていたのだった。今日は、父のホームの日程が付かない日を他の事業所を利用して埋めるために、初めてのホームの視察と契約を済ませて、巡回に出る。広島のLD学会は出席できるはずも無い。底無し沼と考えつつ、ふと巡回のことに気が付いた。長年の付き合いがあるから、担当者が私の予定変更だらけの仕事を飲んでくれているのだと。

夜が明け、まもなく父の朝食である。江戸時代以前は2食、狩猟採取の時代は食事だらけともいえる生活。規則正しい食事を3食とは近代のイデオロギーなのであるとぶつぶつ言いながら、天井の地響きと軋みを聞いている。馬鹿野郎、これは失言である。

夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本君(仮名)
     多摩センター君(仮名)
     大森君(仮名・応援団>いらんぞ)

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久里浜少年院見学に参加して

2008-11-19 07:42:15 | 引きこもり
今日検査の母に、昨日は父の介護を任せていた。久里浜少年院見学と地域就労支援PJの月例会を終えて夕食を済ませて帰宅すると、父の部屋のTVが鳴りっぱなしのまま、父はベランダ側の床に倒れて寝息をたてていた。母は水分以外の絶食中だと語ったが、父の話題を避けた。食器が積み重なっている厨房に立ち、ブレザーを脱いで、食器を洗う。厨房の音に父が目覚めて、足を引きずってベッドに戻る音がする。

今日は母が8時台、私が父をデイサービスに送った後、母を追いかけて大学病院に向かう。母を家に戻して、父の帰宅と階段昇降サポートと夕食準備を済ませてから、巡回に再出発する。間が欲しい。

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野比の国立特別支援教育総合研究所(旧特殊研)には、「シンボルを使ったオンライン交流が自閉症者に可能な方法はないか」というテーマを立てた会合を作っている。だからたまに野比に出かけることはあっても、逆に久里浜の少年院側には、ほとんど足を運んだことは無かった。

昼食を金谷行フェリーのそばの黒船亭で取り、午後昼食明けから予約していた少年院の門をくぐった。1時間半のプログラムだったが、こういう場所は問題意識を持っていくところだ。紋切り型の少年院の役割開設と、見学コースを歩いてきたのだった。

広島少年院から赴任してきた刑務官(教官?)の方の解説は正直言っていただけなかった。古い「矯正」教育の人間観に、発達障がいの知見が接ぎ足された統一感のないスライドを見せられて、それではと、成果の事例報告を求めたが、出所後の話はと掴んでいないとかわされてしまう。建物と、模範生の清掃作業デモと思われる庭整備作業を遠方から覘き、鉄格子の入った窓の隙間を覘いて帰ってきたというところだ。

生育歴の偏在を心身の特徴として説明し、鋳型の中に歪みのある心身を流し込むことによって、知への道を拓くという論が前半、展開された。これは極端な例だが「茶髪の奴は不良である」というような事例がずらり並べられる。そこには偏見を助長する危険への無神経さが目立っていた。それぞれの少年院の特徴を語り、久里浜少年院の場合は累犯少年が多いという話があった。姿勢の悪さ・共同行動歩調を取れない心身という具合だが、ならば清掃実習なのだろう、彼らの安定した立ち居振る舞いは矯正後の姿というのだろうか。他の所生さんの姿が見えないのはなぜか、座学の時間とて集団の吐息は伝わってくるはずだ。デモとしか思いようがないのだ。

細かい色紙を張った貼り絵の作品が並んでいた。しかしこれには下絵があり、部分の糊を延ばし、細かく機械裁断した色紙を散らしていく。私がやるときには、最後をパラフィン紙で押さえるのだが、色合いがおかしいし、そこの一部に欝的な表現が混じっていたが、完全に分かれていた。悩みも苦しみもそこには反映していなかった。

陶芸にしてもしかり。その展示物の大半は、私が通うTOTOの陶芸教室にある作品そのものであり、高度な鶴首も教官と生徒ふたりの作品と思われる感触を残した作品であり、機械ろくろを使った鉢はきれいに大きさの揃ったものだった。糸尻の大きさが様々なので所生さんが取り組んだものかもしれないが、陶芸の作品・掲示作品は教官の手が相当入っていると思われた。むき出しのままの粘土やさびだらけの手動ろくろは、だれか担当者と居ても数名の作業跡だった。

一番問題を感じたのは、教育再生会議委員となった品川裕香氏の著書●「心からのごめんなさいへ―人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦」が紹介した宇治少年院の実践に描かれる軽度発達障害のある若者の高率な存在の話が意識されたスライド後半のつながりの悪さだった。単純に生育環境と経験の矯正という旧来の範疇からは、はみ出してしまう若者には理由があったという指摘は、最後の久里浜ではない少年院(宇治?広島?)の大縄跳びの共同体験の感動的な事例で締めくくられるが、ならばその共同体験がどう生かされているのかという質問には答えられないというのは、歴史ある少年院の応答ではないだろう。むしろ時勢にあわせ、見学内容を継ぎ足し見せ場を作っていった感が強いこの見学は、若者に対する偏見を植え付ける結果になっていないか。主催者は大変な後始末を抱えてしまったと思う。>お疲れさま

携帯電話と手荷物を部屋に置いて巡回する慎重さは、二人組みで陰のように連れそう刑務官から、手荷物チェックがあると嫌だなと思わされた。建物には歴史が刻まれる。その修復のあちこちや、職員室の機材がどの程度新しいものが入っているかによって、予算がどの程度下りているかが想像できる。所生さんの更生を願うのであれば、彼らの生活の残滓が見えるはず。その人影が見えないというのは、留守中に見学を組んだのではと思わされるのだった。ここは漠然と覘くのではなく、問題意識を持って見に行く場なのである。

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就労支援PJの月例会は、特に精神障がいの方の支援の話にアクセントを持ちつつ、ゲストを迎え、少数ながら今後に期待の持てる話となった。この話は今晩へ。


夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本君(仮名)

(校正1回目済み)

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今日は、これからPJ月例会&久里浜少年院見学です

2008-11-18 07:24:59 | 引きこもり
父が帰ってきた。体調は良好なようで、いびきをかいて寝ている。ずれてしまった介護の歯車を感じてか、母が介護の重荷を語り始めた。一方通行の介護は精神を病んでいく。その虚ろな穴が拡がることは不可避なのだろうか。

母の胃ガンは初期のものだが、内視鏡手術のガイドラインには、収まりきれなかった。転移の可能性が少ない分、当事者・家族の気持ちは追い込まれてはいないが、父の介護と重なると、力技と密度の件で底無し沼のような実情にたじろぐ。父の危険な過信と認知障がいがもたらす転倒事故や徘徊未遂の傷が、一向に反省修正のループに乗らない異常さが、家族を追い込んでいる。それでも且つと踏み越える根拠を、健常時の父の横暴の記憶が奪っていく。だからこそ、父はサル山を守るために転倒し、私を時には殴打し、私たちの介護を主従逆転と、おしめ戦争を起こしていた。

その父が寝息を立てている傍で、ポータブルトイレの清掃と、当人を起こしての紙パンツの交換を行った。寝ぼけ眼で、やけを起こしたように、力任せでズボンを下げる父に、(父に)「死ぬまでのしかかるつもりなの」と声をかける母は、私の制止を聞かない。耳の遠くなった父は、予感で表情を読み取り、ひたすら防衛する。父の帰宅は、その戦争が再開されたということでもある。ひとのエゴを踏まえなければ、ひとの実在は語れないし、過ちを経なければ解決は無力だ。しかしそこに泥仕合を超える智の力がなければ、私たちはつながることが出来ない。

昨夜は珍しく夜間、親しい友人からの電話が飛び込んだ。お互いの抱える棘だらけの家庭の事情があるから、会話は不器用に途切れては、袋小路を引き返すように次の話題を語りつつ隙間の交感を行っていく。言葉はそういう情緒の海に浸っているから、響き合うことが出来る。その隙間の存在を片方が手綱を離したら、いや結果的につながっていた綱を放したら、舟が闇のうねりに沈むまで、舳先をぶつけ合う以外ないのだろうか。

そんな思いが、電話の会話の片隅に、先方との話とは無縁に、眼差しの闇を広げていた。

久々の声に、嬉しさと途方の無さが交錯している不器用なひとときを過ごした。私が拡げている夜間傾聴の風呂敷も、そんな不器用な指の隙間にこぼれおちる砂の感情が、きれい事ではなく追認できるものでありたいと思う。

今日は地域就労支援プロジェクトの会合である。レジュメのひとつ、準備していきたいと思いつつ、最後の「俺がやる」の提案に、始動の捺印を捺せないもどかしさを抱えて、まもなく久里浜少年院見学に出かける。免罪符のようにNotePCをバッグに詰め込んだ。帰り道、父の実家に立ち寄ることは、先方の介護予定とぶつかり出来なくなった。茅ヶ崎サポセンに行く前の間の楽屋裏アクロバット作業、さて可能だろうかと。

夜間傾聴:******君(親)
     MTさん(仮名・ストライク)

(校正2回目済み)

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宮城県大場製作所の精神障碍者就労実践講演を聴いて/高卒認定試験は無難に過ぎていった

2008-11-17 08:56:46 | 引きこもり
今日は母の検査入院と父の短期入所の準備を進めていた。父は今、ホームにショートステイ。今日の昼過ぎに帰ってくる。一昨日・昨日と父の居室の掃除とベッドメイク、洗濯をして、ゆとりも何も、当人がいることで出来ない作業を留守中にやってしまうというだけで、ショートステイ2泊3日は終わっていった。

母の体調を気にして、母の友人が突然やってくることで、短い猶予時間が浪費されてしまうために、母は居留守を決め込んだが、掃除機や洗濯機の音がしていては、何にもならない。来客と長時間通話には悩まされ続けた。

私は藤沢に出て買出し屋。車ではないので、両手が紙パンツと尿取りパッドの大袋に占領されてバスの着席は勿論、昇降すら一仕事となってしまう。祖母のときは「紙おむつ」だったから更に重かったがバイクで動いていたので、その分楽だった。今日から母は腸の検査のために検査食と排泄調整食事制限に入る。明後日、1泊して検査という予定。明日、私久里浜少年院見学にヘルパー補強して出て行くが、留守番の母が反対するのも尤もではあるのだ。

昨日は、久々に相模原の塾の方の高卒認定試験受験者と会った。私が藤沢にいることを知って、大船から藤沢・町田経由の小田急線まわりで帰ろうというふたりが、連絡をしてきたからだった。本来は私は、大岡山の東工大の会場の見守り屋の若い講師たちの監視屋で(笑)で出かける予定だった。しかし、紙パンツの大袋を担いで、会う事になるとは思っても見なかった。先方も荷物の山に驚いて、改札口の立ち話で終わって双方ほっとしたというところだ。ただおむつのつけ方路上講義は、通行人にもうけていた。噂になるなら徹底すべしである。

母には夕食のポトフで引導を渡した。今日から数日食事の地獄、ポンコロンを飲まされる。

13日、横浜桜木町で浜家連主催の講演会で、宮城県栗原市の(株)大場製作所の大場俊孝氏による、精神障がい者就労に力点を置いた障がい者就労実践の講演を聴いてきた。知的や発達障がい者の就労と様相が異なっている。ひとつは能力を持った方が、安定持続を課題に取り組んでることや、単独労働でも複雑な操作をこなしていることだった。

私が会っている若者の中で、いわゆる「障がい」を抱えている若者は、対人・認知に困難のある自閉症スペクトラム系の方か、うつ病系の方が多い。その間にパーソナリティ障害の方が入れ込むように存在している。今回会ったふたりは非行経験離脱組だ。大場氏の実践に登場する人物像が少し違うなと思いつつ、自分の就労体験を語る語り口に、切々と説明を刻んでいくような語り口に、ふと似ている子が思い浮かんだりしていた。

大場製作所は地震被災地でありながら、損害が少なかったという。地図を検索すると農地の間に工場が立っている。ここに通勤してくる方は、盛岡の方すらいらっしゃるとのことに驚いた。都市部より就労現場は選択肢が少ない状況が伝わってくる。職場環境の詳細は、少しデータが古いが、高齢・障害者雇用支援機構のDB(下記)を見ていただきたい。

●「精神障害をオープンにした訓練から雇用までの取り組み~病気を持ちながら働く尊さ~」

大場氏の講演には精神医療への批判が入っていた。過度の「無理をしない・させない」という姿勢が自立を阻んでいるというものだった。「疲れた」「眠くて」という訴えは、欠席届を出すだけでいいから出社するようにと指導しているという。勿論発熱などの身体状態があるときは別である。出てくると、案外働けてしまう。この積み重ねが長時間労働を可能にしているという。一歩間違うと危険な発想ではあるが、映像をみる限り、妥当な指導に見えてくる。ひとは単独作業といえども人間関係に支えられている。ちょっとの背伸びがひとを育てる。

ここで熟練工の作業を髣髴とさせるケーブル操作を見た。また当事者の方の語りが自信満ちているのに驚く。私には特に2点の映像が印象に残っている。

ひとつは、部品の配送作業に、寛解した統合失調症の方に車の運転免許を取らせ、なれた運転や作業をこなしている姿だった。工場を基礎に私の地域就労イメージはたてていないために、この配送は買出し代行や、高齢者生活支援者派遣などの職種を、2人組パートナーのチームでこなすことの現実味を裏打ちさせてもらった気がしている。勿論、運転時間の作業量管理は忘れてはならないが、そこにパートナーとして知的や発達障がい畑の青年との「ケア・パートナー」という非対称協働を考えうるからだ。保護的に同僚と関わる作業協働のあり方が、労働の価値を動かしうるのだ。

もうひとつは、職場相談が大場氏の意志伝達の場になってしまっていたが、べてるの家風の少人数全体会のショットを見たからだ。ピア・カウンセリング的な芽がそこにあったからだった。残念なことに大場氏は、職親の面倒見の線で1対1の相談にまとめてしまっていたが、ひとは他者との関わりを通じて成長していく。分かり合える質の仲間の協働は自立就労の基礎になっているのだ。

(参考)
●「宮城県商工観光部産業人材・雇用対策課雇用促進班 平成19年9月27日更新」

●「盛岡タイムス」

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夜間傾聴:##君(仮名)
     大森海岸君(仮名・私の応援)
     多摩センター君(仮名)


(校正1回目済み)
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父が階段騒ぎを起こしつつ、ショートステイに出て行って

2008-11-16 05:46:20 | 引きこもり
昨日と今日は高卒認定試験の日である。神奈川は大船の鎌倉女子大会場だが、私は大岡山の東工大の方に応援に出る予定だった。大半が大船だが、前の塾の関係もあり東京会場の方を取ったのだが、父の送り出しの件などから、結局欠席となった。横浜桜木町の「きょうされん」の集まりもパス。

しかしとことん片時も目が離せない。湯のみ茶碗は、まず毎回落として事件の元となる。父の部屋の来客用にと用意したスリッパが目に入ると履いてすべって、転倒を繰り返す。だから今回はスリッパを隠しておいた。

父は、ここ数日、自分の意思に反してもらしてしまう。血栓が跳んだのかもしれない。様子が違う。びっしょりと膨らんだ尿取りパッドをポータブルトイレの手すりに干して、部屋の端の尿取りパッドの袋をひっくり返して自分で交換。一度中に濡れたパッドを入れたらしく、中身は使えなくなっていた。ふたたび、尿取りパッド尻尾状態。10時半の迎えに、朝5時半から騒動を繰り広げている。

父は茶をこぼしつつも、なんとか朝食を終え、着替えを済ませて待機。階段の近くに置いた椅子に座って、送迎車からの連絡がある5分前には待っていなければならない。電話が鳴り、父を椅子に座らせた。宿泊セットの紙袋を持って玄関に私が降りると同時に、がたぴしと大騒ぎが部屋で始まった。今回は私が坐骨神経痛で力が入らないので宗教団体の信者さんに応援を頼んでいた。その方が来ない。そのため家に電話をかけていた。

そこにホーム職員の方が玄関を迎えに入ってきたそのとき、なんと靴下の上にスリッパを履き、ジャージの上に腕時計をした父が階段を一段降りてきてしまった。

とっさ、大声で怒鳴りつけ、しゃがむように指示。ところが父は拳を振り上げて更に下りようとし、駆け上がる私とぶつかり、父に殴られつつ阻止。バランスを崩す父をホーム職員とふたりで支えて、落着かせて下へと誘導した。階段にはいつも持ち歩いたことの無いサインペンが散乱していた。眼鏡とサインペンと腕時計とスリッパ、父の最大限の正装だったのだが、父を駆り立てているものが見える事態だった。

前日、母が父と口論していた。自分が入院したら自分ひとりではどうしようもないから、いう事を聞いて欲しいと母が言うと、近所に飲食店があるから大丈夫だと、父が応答した。救急車騒ぎを重ねて、手術中も安心できないではないかと母。平気だという父は、興奮してベッドの手すりから手を離してころがってしまったという。なぜ思いやりの一言も出ないのかと父を叱責し、決裂。

その余波が朝に残っていた。父は家族を仇を睨みつけるようにして車椅子で運ばれていった。母の昨夜からの食事拒否をだましだまし、食事させる。昨日、一時入所が決まってホッとしていた。

昼過ぎ、ホームから足の怪我の確認電話が入る。先日の孫の手・ソファー事件の救急外来で処置をうけた麻痺側の足の捻挫だった。ぞっとした。朝の階段事件は一歩間違えれば落下していたのだった。昼食後、制止を聞かずに立ち上がって転んで包帯が取れたらしい。来週早々腸の検査に入る母の絶食期間に父が帰ってくれば事件が起きる。月曜日の帰り予定だが、変則的な形だがタクシーで別の事業所で続けて2泊を組んだ。水曜日が帰り。この日の午前中に大学病院で検査をする。

私は火曜日、久里浜少年院の見学と地域就労支援プロジェクトの月例会を控えていた。母はきりが無いから行けという。悩んだが横須賀の父の実家への連絡に抜け、その足でPJの茅ヶ崎サポセンに行くことで、なか日の暇をもらった。父の実家は心臓にペースメーカーを入れた父の兄弟老夫婦が住んでいる。ヘルパーさんの助けを受けている。我が家どころではないのだが、情報をくれと家に立ち寄ることを望んでいた。久里浜からの帰りに立ち寄り、そこから茅ヶ崎に向かう。

巡回がなかなかできない。月曜日、橋本君(仮名)と##君(仮名)のふたりを入れているが、この日、1ヶ月ぶりの私の眼科の予定が入っており、タクシー移送の曲芸をしなければならない。ふたりは無理かなと頭を抱えている。

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いい話もある。昨日の受験日、離婚していたご両親が偶然、試験場に娘を応援に出くわしたという話を娘さんから電話で聞いた。喜んでいた。

欠席しないで済んだという話も一件。当人から電話が来れば、やはりうれしい。ひとりは昨日で終わりだが、娘さんは今日もがんばって受験する。


夜間傾聴:大森海岸君(仮名・受験様子見電話)
     ******君(本人)
     橋本君(仮名)

p.s. イトーヨーカ堂の通販、紙おむつやポータブルトイレの消臭剤あり。案外助かるが、医療控除用に領収書を取るが、領収書が他の食材雑貨と重なってしまう。ここだけなんとかならないものかと思っている。

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母の手術入院は12月下旬・父の一時入所も12月下旬~1月上旬(今回介護話だけです、すみません)

2008-11-15 07:15:38 | 引きこもり
父のことで時間が奪われ、続けてきた活動が崩れることは避けたい。母からは、収入に結びつかない活動は、この際やめてほしいと言われる。母自身、父の介護負担が支えきれなくなっていることも影響している。そんな微妙な隙間を抱えつつ、母の大学病院の消化器外科の診察が始まった。

腹腔鏡手術による患部切除になるだろうと担当医から伝えられ、入院期間は追加検査を見た上でとしながら、母の病歴を問診、話を終えた。大体2週間から3週間、12月下旬に入院と決まった。父の件を伝え、「入院日が決まらないと一時入所が決まらない。手術と病棟予定はいつごろ分かるか」と聞いても、医師は「緊急性の高い患者優先なので、日はまだ言えない」との応答だが、その場の電子カルテに事情を付記し、「来週早々連絡する」との約束をとって終了した。

検査は、出来るだけ通院日を減らして、検査を重ねてもらった。今回も簡単な基礎検査を済ませて、入院予約申請を済ませて病院を出た。昼を取っていなかったので、駅前で食事を済ませ、デイサービス帰りの時間にぎりぎり間に合う。宗教団体の信者さんとふたりで父を寝室まで押し上げ、私は夕食の食材を準備後、1時間ほど爆睡。

ケアマネさんから電話が入り1時間後に起こされて、相談。いつまでも具体的日程がわからない状態では予約が取れないので、12月入院の線で予測して動くことになった。12月下旬から1月8日までの入所予約を複数の事業所で支えることになったが。日程上、父を施設までどう移動させるかに問題が移った。また、父の説得の話。先方で冒険が続くと、退所させられてしまう。結局、作戦会議のような話へ。

母は、私のことはどうなるのかと怒っている。私も先日の格闘で坐骨神経通が始まってしまったので、無理が効かなくなり始めている。そんな事情が入所に反映している。基本は強制入所は出来ない。父の了解がいるのだ。

久々に湿布をし、消炎解熱剤を飲んだ。夕食後、仮眠2時間。私を睨みつけている父の紙パンツを替えて、ポータブルトイレを清掃。ベッド周りの拭き掃除をして、消灯。

今日から父を2泊3日のショートステイに出す。この書き込みの後、朝食を出して準備。父を追い出してから眠る予定。

昨夜12月17日~1月8日までの入所仮予約が出来たと、ケアマネさんの素早い応答あり。一安心。

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精神障がい者の地域就労事例、宮城県の「大場製作所」の話は追って。高校生レストランの話、母がビデオ撮りしてくれた。これも書きたい。

夜間傾聴:##君
     橋本君(仮名)

(校正2回目済み)

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