湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

県人材育成センター中小企業人事担当者向け精神障碍者雇用プログラム作りに

2008-09-30 08:13:23 | 引きこもり
昨日は機構が急に秋へとシフトしたためか、父の荒れも治まり気味。デイサービスに出かけていった。おそらく父の寝室がある2階へと誘導の配慮と思われるが、16時30分~17時15分の帰宅は、男性ヘルパーさん2名が父を車椅子に乗せて現れた。父の表情が喧嘩の後の様に険しかった。月曜日は私が一時帰宅する時刻がぎりぎりのため、念のために在宅移動サービスのヘルパーさんをお願いしている。ホームからの送りは玄関まで。その後は、私と移動サービスのヘルパーさんが父を2階にあげる。

在宅サービスは家族が立ち会わなくてはならないという困った規則がある。これでは家族の拘束がとれない。今回初めて登場した移動サービスのヘルパーさんが、なんと柔道体型の鋭い目つきのおじさんだった。父は、男性ふたりに有度されて玄関につき、今度は屈強な腕に引かれて、2階に押し上げられた。険悪な目つきは一層鋭くなり、ベッドに横になると布団をかぶって寝てしまった。護送された気分だったのかもしれない。

勿論その後のおしめ戦争は、怒号罵声の一切ない沈黙の激戦となったが、ともかく言葉を発しなくなってしまった。今日、関係事業所から担当ヘルパーさんが我が家に集まって、ケア会議が開かれる。まったく、書類と調整だらけで母はうんざりして、今後の会議は私の担当となった。

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デイサービスに父が出かけた後、父の居室に風を入れて敷物類を洗う。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)感染等が起きかねないほどに、ベッド周りが尿がしみこみ、蒸れたアンモニア臭を発している。ベッド手すり、サイドテーブルやポータブルトイレ周りは逆性せっけん液で拭いている。父はこの作業を知らない。ちぎられたおしめを廃棄して、ベッドメイクしてから、駆け足で母の昼食を作り、藤沢に出た。

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昨日は湘南東部地区精神障害者就労推進協議会(SEJA)の講演会が、13時30分から藤沢保健所の研修室で行われていた。そのすぐそばの県合同庁舎の能開校の県人材育成支援センターでは、「心の悩みを抱えた方のキャリア形成支援プログラム開発分科会」が14時から開かれていた。SEJAに30分ほど参加し、分科会に出席するという予定を立てていたが、それは、雨天の敷物洗濯に阻まれ、結局は分科会に滑り込むのがやっとだった。夜間傾聴と在宅作業が終わるのが午前6時。9時半にデイサービスの迎えが来る。家事を済ませて14時に登場すると小刻み数時間の睡眠しか取れない。しかもデイサービスは16時半すぎには帰ってきてしまうので、分科会は16時、中途退席して、駆け足でパンと魚を購入して、家に戻り、父を迎える。夕食の下準備をして、巡回に再出発するというどうしようもない日程で動いている。この一度家に戻るという部分がなんとかならないものかと憂鬱の種になっている。

分科会は、中小企業採用担当者・人事課向けの精神障害者雇用の教育プログラム作りを行っている。私は市民活動サイドから、社会的挫折者・神経症罹患労働者の家庭から見た論点を提案する立場にいる。他はプロ・カウンセラーばかり。だからそのカウンセラー技法の精選に関心が向く。しかしそれは企業内担当者向けというより、プロ技を見せるための精選に見える。むしろ医学的基礎知識や、職場で苦しむ当事者が退職の淵に追い込まれないようにサポートする手がかりであって欲しいと思う。

とにかく素人は私だけだから、逆にカウンセリングという特殊な場の中から取り出すことの難しい状況や、関わりの継続支援法の提供という間接支援の場を有効にする案を練っていかなくてはと思う。果たして有効に配布されるプランなのかという疑いを消しつつ関わっている。

巡回は、町田3君(仮名)宅。相模原に資料を置きに帰って、相模線まわりで帰宅。夕食を取って2時間ほど仮眠。今日のサイクルに入っている。今日は13時からスタート。

夜間傾聴:******君(親)
     旗の台君(仮名)
     ##君(親)


(校正1回目済み)


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巡回仕事再開/ある議員後援会会食会に参加して違和感

2008-09-29 10:39:06 | 引きこもり
昨日は久しぶりに巡回を重ねることができた。父の介護が3食時にいなくてはならなかったから、日干し状態にあった。父の退院から2週間を経て、やっと新しい介護プランが動き出したからだった。週2日のデイサービス日を除いて、食材購入以外の夕食が開放されたことが大きい。副業がなかったらつぶれている。

しかし、サービスがサービスになっていないこと。これは祖父母の介護の頃からずっと感じてきた。在宅サービス時、家を空けてはいけないという矛盾だ。母と私が交互に家に縛られてしまう。何のためのサービスだか、わからない。久々に町田方向を歩く。夏の暑さが引き、持ち歩くペットボトルのお茶も持ち帰る分が出てきた。

昔、パソコン通信時代、私は町田に本拠をおく東海大系の個人ネットワークに所属していた。様々な専門職の方がちょっと多目の集団だったが、年齢層が様々な通信ネットの特色があらわれていた。そのオフラインの集合には、主宰者のお宅の他、近くの喫茶店が使われていたので、昨日はその近辺を歩いていたので、いろいろと思い出されて面白かった。

町田さん(仮名)の御宅は、バスに乗らないといけない。着いて、様子が違うのが気になった。ばかにこの子の存在感を感じるのだ。話をしていて分かった。別居のおばあちゃんの介護が始まり、家事の一部が町田さんに与えられたからだった。町田さん自身、その分、親への引け目が薄らいでいる感じがしたのだった。すでにほぼ復学しているので、私の巡回の手を離れることが近いなと感じていた。

そんな気持ちから、ちょっと脱線して、先ほどのパソコン通信の話を持ち出したら、町田さんのお父さんも昔からのネットワーカーだということがわかった。ただ、そのオフラインの自由さというものが、どうしても合コンっぽい宴会調の雰囲気に引かれて、話が通じないのが時代を感じさせた。町田さんに、そんなのが楽しいのかとばっさりやられて、討ち死に寸前で退散した。

もうひとりは、以前、授業の方で担当していた子で、本来は巡回の対象にならない卒業生の専門学校生だった青年。その学校選択を間違えたということで、再び引きこもり始めて、親御さんの要請で、顔見知りの私が巡回に入った。彼は2回目。大半、親御さんとの話し合いで終わった。ちらりと客間に現れて会釈したあと、自分の部屋にはいって、無言の拒絶が続いていた。メモ書きを加えたテキストと、傾聴への誘いを書いておいてきた。町田2君は巡回終了しているが、町田3君としよう。添えた手紙のなかに、前述のパソコン通信時代の某ネットワークを登場させていた。

時間のゆとりがあったら、父のTV補強の関連の電子部品を買いに、通販屋に立ち寄ろうとしたが、先日約束した某議員の立候補の会食会の時間が迫っていた。私は社会運動を行うが、いわゆる議員後援会は体質があわずに参加しなかった。某市議以来一年ぶりだった。今回は古い集まりなので、私は初参加…と言っても、一方的ではあるが顔はほとんど知っていた。ということは、逆にいうと昔から変わっていないメンバーだということになる。

その違和感とは、社会運動が状況に対して行動するのに対して、その動静がすべて個人の行動に還元されてしまうことだ。だから小泉氏の政界引退話なども個人の気質と決意に還元されてしまう。その背後の社会のうねりが見えないのだ。だから後援会風の集まりは性にあわないのだということは、わかっているのだが。

顔見知りの高齢の支持者の方々の間に挟まって挨拶したものの、先方は議員の気質の話だけしかしないし、私は活動の局面を話す。これは全くかみあっていない。誘われてきたものの、私は議員に代行してもらおうとは思わないし、協力して欲しいとは思うが無理難題なのは目に見えてしまう。政治は統治であって、その力が必要な場面があることもわかっている。しかし力を集めども、最高決着の場が議会だとは思わない。

顔見知りの市議さんたちや、隣接市・町の関係者の方が参加している。しかし、私の求めるつながりは、現場のつながりだ。誰がくるのかなという野次馬根性で参加したが、新鮮味はまったくなかった。選挙協力はするが、特定政党支持の立場はとらず、その都度、政策によって協力する。

副産物があったことはあった。久しぶりに親の会関係者にあった。SNSの参加は紹介制なので、紹介要請が出来たこと。先日書き込んだ斎藤宇開さんの発達障碍系の「たすく」の話だ。

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帰りに駅南口に集まっている路上生活者のひとたちと、話し合った。そこに自転車を押した女性が近づいてきた。昔からの支援者の方だった。私はBig Issueの再開支援の話をしていたのだが、支援者同士は案外お互いの顔をしらなかったりする。先方は名前を教えてくださらなかったけれど、古着の提供などをされていることがわかり、一度落着いた場で当事者を含んで交流してみたいと思った。新提案もあって、Big Issue 販売者のTさんは賛同してくれたが、どこかいい集まり場所はないかと思った。サポセンは居心地が悪いだろうし、交通費がかかるところはだめ。さてどうしたものかと…。

ローカル・ファイナンスが必要な時期がやってきている。超小口金融と訳せるか、これはユヌスのグラミン銀行の活動に似ている。数千円から1万円程度を上限とする低金利または無利子返済で、初動資金を準備するものだ。これを始めてみようと思っている。

ニート・路上生活者の支援の骨子をまとめてみよう。


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夜間傾聴:多摩センター君(仮名:こちらから)
     町田さん(仮名)
     旗の台君(仮名)


(校正2回目済み)

p.s. 父をやっとデイサービスに追い出した。では、おやすみなさい。

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発達障碍のSNS「たすく」鎌倉に発足とか 他

2008-09-28 09:03:59 | 引きこもり
神奈川新聞に
●「発達障害児支援にネットの力/SNS活用」
という記事が出た。国立特別支援教育総合研究所(横須賀市)元主任研究員の齊藤宇開さんがはじめたシステムで「たすく」という。「当事者家族と研究者・支援者」を結び、意思疎通を目指すものとしている。SNSの紹介会員制を取り、「継続性と一貫性のある支援」を目指すという。SNSは書き込み権の有無というような階層管理が可能であり、内部の構成の自由さも利用できるだろう。

実践に評価の定まってきたテレコムの技術が、やっと使われ始めたなという思いがあるのと同時に、本人活動のより安全なフィールド確保の意味で私が提唱していた「わーく」のオンライン環境が全く通じない虚しさをかみ締めていた。「たすく」の目的は、支援を通すために有るという意味で、私の「当事者のQOL向上とネットワーキング」という段階とは位相を異にするものだが、そのシステムは運営の柔らかさ次第で、同じ発達障碍といっても一律な括りに置くのではなく、様々な個性を反映させうるので、まずは発足を喜びたい。メーリングリストとどう違うのか、答えられる状態を願う。

さて紹介制だとか、私を参加させてくれるだろうか。

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放置自転車の再生販売を、路上生活者の自立支援に使えないか調べている。彼らは差別の中にいるから、販売品が盗品ではない証明がより厳格に求められるだろう。この辺の運用をどうするのかという問題がひとつある。

これについては、古物営業法に基づく県公安委員会への登録認可が必要となる。申請免許のようなので、当事者が資格を得ることを支援する形をとり、持つ者が持たないものを束ねるような形は出来るだけ避けたい。中間搾取が生まれる可能性があるからだ。自転車そのものは、有資格者へ市が放置自転車を提供する形になる。このとき自転車には盗品ではない証明にあたる、市の認可ステッカーが必要になるだろう。

資格は登録地の範囲内。ということは県公安委員会だから、神奈川県内ということになるだろうか。営業所を自宅で登録するので、その登録の市町村の枠内だろうか。この住民票のある住所がまた問題になる。

もうひとつは、儲けが出るかということ。修理部品を他の痛んだ自転車からはずすことが出来るのか、新品部品を買い揃えるのかも様相が異なる。また修理する場所をどう確保するかも探る必要がある。

形ができれば、広がるだろう。ここからもう一本の枝、障碍者の仕事が芽生えてくるだろう。今夜、関係者と会う機会があるので相談を持ち出してみたい。

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父の宗教仲間4人が父の見舞いに来た。突っ立って、大丈夫ですかときき、父は大声で笑い歓待する。すぐに聖書の読み合わせが始まった。彼らの足元の敷物は父の尿で絞れるほどに膨らんでいたのを洗濯し干したところであり、彼らが立つあたりはおしめが引き裂かれていた激戦地なのである。拭き消臭剤をかけておいたところなのだ。父がはずさない毛布の下には、下半身裸の状態があり、防水パッドは交換したてだったのだった。しっかりされてるようで、平気じゃないですかという人物の手元の父の眼鏡は柄が曲がっていた。

怒りがこみ上げてくるのを飲み込み、母はさっさと階段を降りてきた。家事介護の未経験者の男性たちだと、祖母なら帰ったあと塩をまくだろうよという。ご存知だろうか、スーパーで買い物しているとき、夫婦で来られた方をよく観ると初老の男性は、通路をふさいで平然としているのを。老後、濡れ落ち葉予備軍だなと思いつつ、通り抜けてくるのだが、あの所在無さが父のベッドサイドに蔓延したのだった。

紙パンツを濡らさなかったという父。そのパジャマと周囲はじっとりと尿を含んでいる。それがわからないのだ。放置すれば感染症につながる。おむつは介護者のためにあると言っても、後ろを向けば脱いでしまう虚しさ。全く会話が成り立たない状態でないだけに、いやだからこそぶつかるのだが、この一線を守ってほしいと懇願し、嫌悪と卑下の眼差しで答える父に家族は無視でしか答えられないのかと思う。巻き込まれまい、しかし巻き込まれる神経戦に母は汚物臭に拒絶反応をしめし、嘔吐を繰り返していたことをやっと超えたことを父に伝えるが一切無視。にやりと笑う。母の前では決して笑わないでくれと、心の暴力をいさめる。限界への水位はまた上がっていくのがわかった。月曜はデイサービス、一時休戦である。

朝食を出す。おむつを替える。無言の出来事。母は昏々と眠っている。私も12時まで眠る。


夜間傾聴:入谷さん(仮名)
     橋本君(仮名)
     ##君(親)

SSWのNさんに、久々に電話。お元気な様子。でも私がかけるときは、ろくでもない依頼のときばかり。すみません。

(校正1回目済み)

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「引きこもり」って束ねるな~旗の台君(仮名)の場合

2008-09-27 08:35:18 | 引きこもり
旗の台君(仮名)から連絡が入ったのが午前4時。私は、PCの前でいつの間にかクッションを抱えて眠っていて起こされた。そんなこともあって、なんで「4時」なのかが話題になった。さすがに私も寝起きは眠い。

引きこもり青年は、「昼夜逆転」しているという。たしかに逆転している者が多い。しかし旗の台君(仮名)は、昼間、近場の買い物をしたり、図書館に出かけたりしている。最近は、私がいた塾の、同期生の親が営む飲食店の仕込みを手伝っていたりする。決して悶々と狭い室内で悩んでいるわけでもない。ただ彼は群集がだめだし、長時間の緊張が、身体に異常を来たしてしまう。私と彼との付き合いは古い。だから、その異常状態を回避することには熟練したと思うし、いわゆる生活リズムの取り方も前から、実に整然としている。しかし、彼が連絡してくるのは、早くて午前3時である。

彼はゲーマー「だった」。小学生の頃は、起きている時間をほとんどゲームに費やしてきた。今は薬のせいもあるが、ぼんやりしているのが好きだし、気心知れたひとと話すのが好きだ。引きこもり青年というと、インターネットやTVゲーム中毒のために昼間起きられず、だから昼夜逆転しているという観念が流通している。実際は「そういう者もいる」という言い方が正しい。しかし本当に、心の無理が利かない。

彼はいわゆる症状が原因した「引きこもり」のタイプだが、精神障碍の患者として治療を受けているといえるほど、症状は鮮明ではなく、彼に下された診断は発達障碍にはいり、机上の分類からすれば「落着いて」「気心知れたひとと話すのが好き」というのも妙と、逸脱と疑問を呈する方もいる。しかし分類があってひとがいるのではなく、まず旗の台君が「いる」のだ。今の状態は二次障碍を薬物治療している状態といえば、はずれてもいない。

彼との話で出た大事な概念は「僕の時間」という概念だ。日中は「他人(ひと)の時間」だというのだ。「作っている私」と「地の私」といえば分かりやすいだろう。彼は自分を掴みたいと思っている。私はその「自分らしさ」は、「理念」ではなくて彼の「活動」なのだと思っている。だからこのずれが私にも気持ちの良い、柔らかな緊張と各々の「私」の存在感を浮き上がらせている。

こんなことを書くと哲学論議をしてるかのように思うかもしれないが、たわいのない雑談が延々と続くのだが、たしかに私たちはそこに「ある」のである。だから彼は早朝を選んで連絡してくる。一般的には他者理解とか抽象的思考が苦手と教科書には出てくるが、彼は「静か」が好きだし、この会話が数日間の彼の安定を生み出している。情報共有をしているが、もつれた観念を解きほぐしているわけでもない。私と彼がいて、それが今夜出会ったこと、それ自体が無自覚な価値となっている。

彼はTVが嫌いだし、コンサートには決して行かない。

今回、茅ヶ崎に「たまり場」を作る話のときも、イベントを作ってひとを集めると説明したとき、彼は絶対にいかないと言い切った。こういうタイプもいる。私のところにいるひとたちは、この手の静かな子が珍しくない。

実は初期の頃、それではと絵画を観る企画をたてて大失敗したことがある。全員がつまらなかったと感想を述べたのだった。「静かだから内省的な心の散歩」と直結したのが愚かだった。その後やり方を変えた。それがアメリア・アレナスの美術鑑賞法なのだが、これは、予備知識無く小集団で作品に出会い、自由に感想を交し合う鑑賞法だが、これは慣れてくると結構いけた。

旗の台君たちの現場では、形状が浮かび、類推へと広がらない奇妙な言い放ちの断片が飛び交うのだが、違う視角が発見を生むのか、そのときの体験が彼らの話題にその後も登場してくるのだった。勿論その鑑賞集団は異なる状態の青年によって構成されているので、深い読み取りを語る青年もいる。その青年も旗の台君のタイプの子の発言にある、視角の意外さや、連想横滑りの不可解さを抱えて帰るのだった。彼はそれを不快とは思わないだろう。しかし舞台裏のコーディネートが難しいのも事実なのだ。

つまり。結論をいえば、「引きこもり青年を平板にとらえてはいけない」ということだ。様々なひとがいる。それを緩やかに抱え、「生きていくという大河」に合流していく「暴れ川」(川筋が常に変化している野性の川)を実践として描く必要がある。

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昨日は母が切れて出かけてしまったために、父をひとり残すか否かの選択に悩まされた。予定していた横浜の高機能自閉症の子の親御さんたちの企画への参加は、みごとに吹き飛んでしまったが、一方、始末しなければならない用事が山積していたので、むしろよかったのかもしれない。しかし相変わらずのおしめ戦争と、立ち歩き転倒との戦いがあった。幸いなことに、昼、ヘルパーさんの身辺介助と清拭が入った関係で、父は身体の不快感が軽くなったのか眠っている時間が増えた。覚悟して父をひとりにし、ときどき電話を入れることにした。

ところが電話を入れると、なんと母が電話にでたのだった。心の檻は外出する者の行く先々も、格子の中に閉ざしてしまう。自由になれないのだ。これと格闘してはだめなのだが、信じられない介護費用や生活の束縛の大波に、母のキャパに限界がきているようにもみえて、母に内緒で近所の母の友人に電話をかけた。間があったら、ちょっと我が家に立ち寄ってくれないかと頼んだ。彼女は私の古い友人でもあった。母には偶然にみえる、思いつきの奇策だった。勿論、しょっちゅうは使えない。

父は眠りを繰り返していて、私の帰宅まで静かに事は終わった。早朝の3回の棒状の派手な転倒の疲れも出ているのだろう。

知人と活動の状況を話しこんで、食材を買い込んで帰宅し夕食の下準備をして、母にバトンタッチしてから巡回に出かけた。母の機嫌は直っていた。こういう日、橋本君(仮名)は、遅めの時間を許容してくれるので助かっている。相模線を往復しながら、思案のメモを取っていく。案外気楽な時間が作れるのも、ローカルな茅ヶ崎が終点の相模線ゆえにである。

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<気になる記事>
●「「ビッグイシュー」創刊5年、進まぬ就職に支援基金始動」
------ 高齢再就職の道は厳しい。ましてや路上からの復帰となれば推して知るべし。私は社会的企業を興す隘路、「仕事作り」をしなければならないと思っている。再生自転車はその「わらしべ長者」型の変容に富んだ道のひとつと思っている。形を実現しないと…。


夜間傾聴:*******君(親)
     中延君(仮名)
     橋本君(仮名)

(校正2回目済み)
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介護戦争そろり再開/古物商資格を取る準備

2008-09-26 09:06:06 | 引きこもり
厄介な問題・危ない問題が起きたとき、必ず自分の状況を掴んでもらう第三者をたてておく。自分が直接関係者となり客観性を保てなくなったり、怪我などで他の問題への取り組みがうまく引き継がれなくなることがあるからだ。昨日はそんなことで、父のホームからの帰宅後、県民サポートセンターと某所に寄ってきた。

父の介護戦争の関係で、様々な私の活動がストップしている。労大研修があったので、帰りの時間が遅くて恐縮だったのだが、逆コースの川崎に出て、大森君(仮名)に旗の台君(仮名)への伝言仲介を頼んだ。茅ヶ崎にすぐに帰れる場所というと、湘南新宿ラインか東海道線の線上にいなくてはならない。相模大野や相模原の関係は相模線ということになる。いつもの場所ではなく、沿線駅まで移動を頼んでいた。

労大研修に3分遅刻。あせってバッグを開けると、尿取りパッドが…。かなり濃厚なフェチだと納得。何しているひとだろうと隣の席の嘱託おじさんの眼差し。

それはそうと、労災保険の話はもう少し知っておかなくてはならない。これは個別講座もあるから、のぞいてみるつもり。講師は法政の山本圭子さん、めりはりある語りっぷり。

昨日の新聞記事、
●「予備校講師の指導、大学合格に不十分」
を読んでひやり。むやみな予定変更や、疲れが顔に出ると二代目になりかねない。予定変更はともかく、後者には、いつも悩まされてきた。原因は大概、家族の介護だ。指導中に寝てはさすがにいけないが、引きこもり青年に、よれた講師と気遣ってもらっているのは、強引引っ張り型よりはいいとまあ、納得してくれと言ってはいるが、人生いろいろあるからねといわれるのは、傾聴なのだろうかと、少々気になるところである。

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ホームの疲れが出たのか、父は夕食を食べてあっさりと寝てしまった。介護ベッドだろうが、部屋の模様替えだろうが全く関係ない。これが曲者で、案の定午前4時半ごろに、立ち歩き、三度転倒のおもらし騒ぎ。どうしてもおしめを認めてくれない。背中がびしょぬれ。結局父が眠るまで、7時ごろまで携帯で作業をしていた。ジグソーパズルのようだ。

古物商とオンラインショップのhow toものをチェック。

●「はじめようネット古物商」
●「オンラインショップの法律Q&A」

母が起きてきたので、ここでバトンタッチ。2階で尻餅再開の音。

夜間傾聴:中延君(仮名)
     ******君(親)

(校正1回目済み)

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父の居室の準備/昨日の女性の仲介サポートに動き

2008-09-25 07:38:51 | 引きこもり
父のショートステイも今日が帰り。14時台に戻ってきてしまう。2泊3日と言っても、初日が10時台に出かけ、14時台に帰宅となると、実質的な休みは中日の一日だけというのが実感だ。最終日がせめて16~17時台にならないものかと思う。

父の居室は、一部の補強工事があったので部品が来るのを待って、もう一日必要になるが、なんとか配置を終えた。隣家の窓と近いところにTVを置かざるを得ず、耳の遠い父が大音量でTVをつけかねず、出力回路にアッテネーターを入れ込もうかと試みて、なんとも困ったことに気が付いた。昔はDIY店に行けば電子部品が品数が少ないものの、かつかつ入手できた。ところが秋葉原や、横浜・川崎の部品屋に買出しに出なくてはならないのだ。数十円の買い物を千円以上の交通費をかけて買いに行く馬鹿馬鹿しさ。通販か電気機器の廃品から部品を取る手間を考えて、嫌になってしまった。HPから通販かなと思いつつ、中古TVのケースを開けたら、別の所が壊れるような気がしてならない。町田の部品屋に寄るかなとも考えている。

とにかく、既成のものを配置していくことに徹しないと、すぐに膨大な手間隙が広がってしまうのだ。介護用ベッドに乗ってみて、リモコン操作を確認して、ともあれ準備が終わった。

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昨日は、TOTOドロノワ倶楽部の陶芸WSが朝10時からあった。徹夜二日目の展開。朝の追加衣料が到着したり、工事の中途チェックが入ったり、電話がかかったりと、結局1時間遅刻してドロノワ倶楽部に到着。皿に釉薬をかけると昼。引きこもり青年へのプレ就労の場作りの進行状況を食事を取りながら参加者の親御さんたちに語り、集中力の限界が来た。遅刻早退。14時前に早退し、路上生活者支援のYさんが持ち込んだ多重債務の女性の、公的救済支援の接点作りに市役所市民相談課に向かった。

弁護士・司法書士会への連絡や、関連支援団体への協力依頼の連絡をまわし、当人を仲介しているYさんに連絡を取る。しかし留守、応答がない。どこまで踏み込んで協力するかという間合いが何とも微妙なのだ。しかし警察にも情報は流しておいた。私のできるとことは、ここまでだろう。しかしこれで、Yさんや私が万一つぶされても、事は止まらない。

缶コーヒーを煽って、ジャスコで食材補充の買い物。茅ヶ崎サポセンに立ち寄る。朗報が待っていた。まだ公表できないが、たまにはこういうご褒美があってもいい。茅ヶ崎中央病院の外来でメタボ検診の結果を聞いて(聴くまでもない予測どおりの結果なり)、それにかこつけてしばし仮眠を取った。

外食をあおって、真っ暗な家に戻る。生業の作業途中でまた限界。2時間仮眠を取って起きると母がいつの間にか帰っていた。私が起きると母が寝る。ともかく疲れが抜けないのがはっきりわかる。これで今日、14時過ぎには介護戦争が再開されるのだ。相模大野の巡回も一日日送りした。

今回、中小企業同友会全国交流会の報告は、休ませてもらう。


夜間傾聴:##君(仮名)
     大森海岸君(仮名:こちらから、部品の件)
     多摩センター君(仮名)
     町田さん(仮名)

電話>多重債務者保護の女性の宿泊先提供の問い合わせの返事。>NG無念
   自転車修理関連資料の応答。
   故**君の友人と偶然再会した件で、**君を偲ぶ。

<書籍>
●「ホームレス自立支援」
----- 一昨日、平塚図書館で借りたもの。目次開いて、部屋の提供・北九州の実践などと目に飛び込んでくるが読む気力なく、今日は取りやめ。

(校正2回目済み)
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中小企業同友会障害者問題全国交流会から(3)下請けではなく横請けの関係を

2008-09-24 07:38:48 | 引きこもり
第三分科会:「新しいしくみと仕事づくりで、自立支援を!」(沖縄・担当)

この分科会のたたき台になった職場は、ビル清掃フランチャイズ関連の仕事を立ち上げた記録が報告されていた。パートを含む48名の社員のうち、知的4名、精神1名、精神・パート1名の計6名が働いている。「お掃除隊」と呼ばれる職場である。地域連携を意識した職作りということで、ビル派遣清掃を行うが、始業自前の仕事で朝が早く、4時台から出勤する。外周の花壇・道路清掃から始まったが、雨天時屋内清掃が必要という形で、次第に職域を広げていった。

このとき、清掃の方法へのこだわりがある方のスキルアップが目覚しく、この熱意に惹かれるようにして、次々と得意な作業が結びついていった。お互いの仕事を分かち合って行った。これを「横請け」と呼ぼう。これが出切ると、各人にさらなる意欲がひきだされてくる。適材適所配置というより、適材発見自主配置のようなチームが大事なのだというような話だった。

Q&A で質問する方もまた積極的に障害者雇用を実践されている方で、熱気に圧倒されていた。

(つづく)

夜間傾聴:##君(仮名)
     旗の台君(仮名)

(校正2回目済み)
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介護戦争一時休戦/路上生活者支援のYさんが連れてきた女性は

2008-09-24 07:36:04 | 引きこもり
父はショートステイ出発間際まで荒れた状態で朝食を済ませ、ホーム職員の迎えが入った途端に紳士に戻った。しかしその紳士は、職場から帰宅直後なのだった。2階の寝室からの階段をホーム職員と私がサポートしながら、2階足を滑らせつつ無事に1階に下りてきた。職員に両脇を支えられながら、車椅子に乗り、無事に送迎車に乗って出かけていった。その直後から、ケアマネさんが訪ねてきて、契約書類関係をチェック、留守中に父の寝室の改造(2回目)と、介護ベッドの搬入の段取りを確認して行った。

私は7時前に傾聴と仕事を終え、父の朝食を作り、そのまま出発を手伝った。13時からベッドの搬入と部屋工事が入り、15時に相模大野で会議があった。だから出発直後の隙間に仮眠を取る予定でいた。それが突然の訪問に崩されたのは痛かった。

業者に連絡を取り、少し早めに作業に入ってもらうことにし、私は作業の大まかなところを確認して出勤。その後の隙間は母が立ち会うことで、ことを進める段取りになっていた。ところが母も気力が尽きていた。作業の間、自分の寝室で仮眠を取っていたために、工事終了後、業者が留守と勘違いし、ケアマネさんを呼び出すなどのトラブルがあり、ケアマネさんが私の携帯に、すぐ帰るようにと連絡をよこし、私は事情がわからず、上司に家庭の事情と謝って、会議を中座して帰宅していた。勿論減給である。

行き違いは、藤沢に着く直前に分かった。しかし会議に戻るわけにはいかず、期限切れの図書をバッグに抱えていた平塚図書館に、まわってから帰宅した。とにかく疲れていると行き違いが多い。この書も、先日一括して返した書の中に入っていたはずのものだった。家に置き忘れていた書を返したのだった。

異変は続く。今日は司書も同僚も妙な顔をしているので気になっていたが、疲れた顔をしているのだろうと思っていた。

帰宅直後に、Big Issue で知り合ったYさんが茅ヶ崎に急用で向かっている話が電話に飛び込み、それは、すぐ会いたいという要請。業者の支払い契約の書類にサインしながら、着替えずに駅前に飛び出した。

父宛ての見舞いのリンゴを思い出して、駅前の路上生活者のひとたちに食べてもらうことにして持ち出し、リンゴを小脇に抱えて、まだ気が回るから大丈夫だと思っていた。彼らにリンゴを送り、駅ビルで母の要請の弁当を仕込み、食材の買い物をした。

その途中の駅ビルで、サポチガ会員の方にばったり出会った。ゆとりのなくなっている自分に実はひやひやしながら、挨拶をしてわかれた。その方は私のブログを読んでくださっているという。感謝。

果たしてYさんは中年の女性を伴って現れた。新宿の駅で夜間、自殺寸前のところの女性を引き止めたのだという。多重債務の被害者だった。ともあれ、クリスチャンのYさんは、信者さんたちの緊急確認を取り、急場をしのいだという。

Yさんは、問題を分かち合って欲しいと私に求めた。金には縁がない私である。路肩に腰をかけて、この方の話を伺った。連帯保証人の事業破綻だった。再建の手立てなどの相談に乗ってくれる、法的関係者につなぐことになった。

とYさんが声をあげた。

「どうしたの?首から血がでている」

すべてが理解できた。

朝、父との戦いの隙間にひげを剃った。そのとき、顎を切ったのだ。シャツの襟は血が滲み、顎は固まった血がべっとりと付いたままだったのだ。これでは、皆、異様な顔をする。鏡を見るまもなく、走りこむように夜になっていたのだった。

Yさんには、確約は出来ないが、相談役ととりあえず数日程度の女性の隠れ宿を探すこととし、今夜は彼の宗教関係施設に身を寄せてもらうことになった。

家は焼け跡のようだ。母は弁当で夕食をすませ、私は外食。女性の当座の宿と相談役を探して、0時前、夜間傾聴と在宅仕事に突入した。母は気を失ったように眠りこけていた。明日母は自分の検査で、都内の病院に出かける。私は朝10時から15時までドロノワ倶楽部WS。徹夜二日目である。そこで帰宅後、睡眠をとる予定。ヤキが回ってるなと疲れを思いつつ、とりあえず締め。

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中小企業同友会障害者問題全国交流会から(2)適性配置の職場を

2008-09-23 09:01:41 | 引きこもり
第二分科会:「目指すは『誰でも働ける共生の会社』づくり」(愛知・担当)

この分科会に紹介された職場は、愛知県の電力関係部品加工の製造業の職場だった。10名のうち半数が障碍を持った方で運営されている。知的1名、他が精神の方である。

それぞれの得意なところを組み合わせて仕事をしているという。精密旋盤加工の得意な方は、その持続する集中力に舌を巻くという。(実はこのコントロールをしてあげないと、疲労を蓄積してしまう。)情報収集が得意な方もいる。この個性が職場に反映されているという。

分科会にはその中のMさんとSさんが登場し、自分の仕事を語った。適職との出会いの内容もあったようだ。新卒者は在学時からの実習体験を是非積んで欲しいとまとめ。職場を見極める大切さを語っていた。観客席からは、障碍者比率の高さに感動する発言や、自分の職場の場合の体験実習の受け入れ方の話などが行われたが、企業の精神障碍者への偏見の壁の厚さを訴える内容の展開も印象に残った。

とにかく社員研修のあれ、異様に快活、元気なのである。

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父のショートステイ2泊3日初体験初日

2008-09-23 08:33:27 | 引きこもり
今日、父は初めてのショートステイ2泊3日の外泊をする。準備が大騒ぎだった。まず健康の証明が要る。これは病院入院時に看護サマリーを出してもらっていたので、順調に済んだ。在宅の場合、主治医の意見書がいる。父の説得。これは作戦をたてていたのだが、デイケアで先方に知人を作り、場も慣れておいてもらった。同ホームのケアマネさんの説得に折れて、ここもクリア。家より文句を言うものが少ないし、変化がある。この辺が説得の要点となった。

ところが入院時、父は「つなぎ」を着せられていた。別名「拘禁衣」手首足首に紐を通してあばれるのを防ぐために、縛って自由を奪うツールだ。ベッド柵に手足を縛られる、これは人権侵害ということで、違法。さすがに父は縛られはしなかったが、柵の中でおしめはずしの制限を受けていた。この服をきていると、なかなか自分でおしめをはずすことが出来ないのだ。これもすべて家族の同意書の上だが、これも実は違法。しかしこれがないと、実際上看護が保てない。我が家の介護戦争の状態と同じことが起きていた。

だからホームに宿泊する際も、ここが問題になる。昼間は人手があるから問題が浮き立たないだろうが、夜間がこわいところなのである。説得も肩透かしで、この記事を書いている最中も、つけたばかりの紙パンツがむしりとられている。5分前に「同意の上で」履かせたものだ。ここを叱ると泥沼になる。来客の会話は実にしっかりとしているのに、ちょっと気が付くと類型化した挨拶だけだと気が付く。叱れば怒る。突然無表情にすると困惑が広がり、介護者の感情に反射的に応答していることがわかる。掌を返したような喜怒哀楽の演技にも、何の矛盾なく翻った表情の応答を返してくる。一貫した思考、会話の因果関係と意味が破壊されている。

だから説得がなかなか通らないし、たちどころに忘れ去られてしまう。これを同意への裏切りと考えると、自滅してしまう。しかし観察者として見えることが、介護者と被介護者という関係に晒されると、それは怒り自制のストッパー的にしか実際上の意味を成さないところが悲しい。執拗な説得は抑圧にしかならない状況の中で、何が会話を支えることになるだろう。共感の場面も、食事のときならばとりやすいが、いざおしめとなると天敵のように激突してしまう。

部屋は通気を心がけても匂ってしまう。ベッド周りはし尿に汚れ悪臭を抑えるのが手一杯の状態となる。汚れたパジャマの山と、ちぎられたおしめの山が介護者に圧しかかってくる。結局は介護者の耐性と腕力に還元されてしまう。曾祖母・祖父母のときも、ときに限界を渡ってきたが、彼らは協力的だったし、入院生活が長く在宅が短かったから、ここまで介護戦争が際立たなかった。そのときの妨害者が、おしめをちぎっている。その思いが母を神経症的にしている。空転の構造や、介護の枠組みの不全(もともとふたりの家族で抱えるのが無理)ということを説明していなければ、当時の妨害に引き裂かれた思いが頭をもたげてしまう。邪教と、祖父母の病床の枕元で我が家の仏壇を焼き、玄関の祖父母の石の表札をノミで壊した人間である。それが「父」である。

人権侵害や暴力すら隠蔽してしまう装置が家族。幸せから残忍な行為のすべてを飲み込んでしまうのが家族だ。引きこもり青年たちが泥沼にあがくのも、この家族とそこの平和をたてまえとする近隣社会が矛盾を抑圧するからだ。その世間の流れにに藁を落としているのが支援活動なのだろうか。それは違うといいたい。しかしカウセリング活動の枠では、そこにとどまっている。共感しても実践は当事者と別の土俵にいるのである。

熱した「おしぼり」と、「野菜粥」を持って父の元に行く。飛び散ったおむつと、泥棒に入られたような飛び出した洗濯物にあふれる箪笥を片付け、紙パンツをはかせる。「今日は天気がいい、外泊に出るのにはいい天気だ」と話す途中で、さげすんだ父の横目の笑みが挑戦している。「介護・家事は最低の能無しがやる仕事」とあしらってきた父の骨頂だった。生を全うするのはすべての人間の権利である。そのことだけが私を踏みとどまらせている。階段を降りながら「馬鹿野郎」とつぶやいていた。

(校正2回目済み)
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活動の範囲を整理中/中小企業同友会障害者問題全国交流会から(1)

2008-09-22 06:58:39 | 引きこもり
介護戦争の隙をみて、母と私とヘルパーさんが交互に留守番することで、外出時間を作っている。相模線の時刻表を見ながら橋本の巡回を済ませ、寒川下車。図書館に期限切れの図書を返して、これもまた時刻表を事前チェックしておいた路線バスで円蔵で降りる。資料の受け渡しを済ませて、育成会事務所に投函、茅ヶ崎サポセンに立ち寄る。駅前で夕食の食材を買って、最後に、前方のカート付きバッグをよけて、自分の傘に足を引っ掛けてこけた。恥かしいも何もありはしない、予定の路線バスに飛び乗った。母は父のショートステイの準備の買い物だけを済ませて帰宅。ヘルパーさんの時間が短かったこともあるが、これでは絶対長続きしない。

ところがヘルパーさんの引継ぎでは、「ずっと眠っていた。お疲れのようです。」とのこと。結局父は夕食を作って持っていくまで眠っていた。振り回されていると実感。

橋本君(仮名)との話も、いままでは彼の希望にそって話を聴き、学習指導を織り込んで、内容の区切れでラフに時間カウントしていた。(彼は相模大野校から依頼されている青年だからだ。東京南部の塾の関係は純粋ボランティア。)ところが時間に追われる身となって、終了時間を決めて話をまとめる形になってしまった。夜間傾聴のメール&電話を使って出来るだけ補完しても、質の変化は生まれてしまうだろう。緩やかな時間・回数+実績制だから伸縮が聴くが、疲れが邪魔をしそうだ。警戒している。

父とは、その後3回衝突。ポータブルトイレのなかにおしめを捨てて、ポリマーが膨らんで、すさまじい状態になってしまう事故も。0時になんとか寝かしつけるが、5時に立ち歩き、階段の手前で私の姿をみて引き上げた。下半身は生まれたままの状態。傾聴を済ませた直後だったので起きていたが、昼夜逆転型の生活しているから持つものの、普通の生活をしていたら、確実に潰されてしまう。このあと、7時台におむつ交換と朝食をとらせてから眠る。しっかり愉快犯の無言電話が入るので、これも対策済み。

母の神経症的苛立ちの状態がよくない。あと2日でショートステイ2泊3日が入って、休むことが出来る。雨と連休に阻まれて活動の方が寸断されているが、中身を落としたくない。法事は取りやめ。今は根気合戦である。

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活動を整理した。

放置自転車再生販売を路上生活者ふたりから社会的企業として立ち上げる。見通しを作って、障碍者の配達業と結び付けて行く。

古物商資格取得準備。自転車・雑貨。

ショップ立ち上げ2件。(片方が難航中だが。)

「わーく」デモ放送作り。

能開校系人材センターの精神の企業側教育モデル作り。(野次馬?)

Big Issue 販売再開協力。(ただし茅ヶ崎以外の販売になりそう。)

>ジョブコーチ研修は先送り。労大研修は10月まで。菓子と調理の方は休み。急がない関連団体協力活動凍結。

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中小企業同友会の障害者問題全国交流会の資料を読み直ししている。パワーのある経営者団体である。私は初日(19日)分科会が藤沢市自立支援協サブ部会と重なったので、翌日(20日)のシンポジウムから参加している。だから初日の分科会の議論が報告できないのだが、シンポジウムで報告された分科会の話題から、気になったところを書いてみようと思っている。

第一分科会:「能力主義をよしとしない経営をめざして」(京都・担当)
第二分科会:「目指すは『誰でも働ける共生の会社』づくり」(愛知・担当)
第三分科会:「新しいしくみと仕事づくりで、自立支援を!」(沖縄・担当)
第四分科会:「"旅"を通じ高齢者・障害者のいきいき生活を」(広島・担当)
第五分科会:「私たちは働きたい、働ける」(東京・担当)
第六分科会:「産学共同企画 立場を超えて考える共生社会」(東京・担当)

の6つの分科会。参加者は両日とも250名を超えていた。それぞれの分科会とも、企業経営者の実践がモデルとして紹介され、そこから話題を広げる形。シンポではその分科会の議論を紹介。加えて参加者の指名発言。会場参加者からのQ&Aという具合に進行するのだが、この会場発言がまた自分の実践紹介をするという具合で、社員研修によくあるようなハイテンションの発言ばかり。雰囲気が労働者団体や障碍者支援団体と勝手が違うのでこれも面白かったところ。

とりあえず、第一分科会から。(以下続く)

第一分科会:京都のシール印刷業の紹介。聴覚障碍の女性の雇用の話。

作業の勝手が違うので、初め戸惑ったが仕事依頼をメモ書きして頼むようになったこと。お互い不干渉の雰囲気がケアの機運に変わり、それが相互の会話と協力を育むことになったという。障碍者採用がお互いの関係を見直す契機となる効果について議論。

経営指針と障碍者雇用が一致と報告。

(つづく)

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<気になる新聞記事>
●「父殺害で起訴の息子に殺人未遂罪適用 「誤想防衛」認定」


夜間傾聴:橋本君(仮名)
     *******君(親)
     大森海岸君(仮名)

(校正1回目済み)
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中小企業同友会障害者問題全国交流会の話は明日書きます

2008-09-21 07:01:00 | 引きこもり
介護は体力勝負と改めて思った。一昨日、父は夜中通しで排泄戦争を行った。おしめ拒絶と便意の重なった抵抗だった。起き上がること・安定して立ち・ころばずに移動すること、このすべてが困難になっており、介護者が去ると、おむつをはずして激しい転倒を繰り返した。この日、父の来客があり、父と歓談し帰っていった。客を玄関先で送り、父に久しぶりの方ではなかったかと声をかけた。このとき、父は来客があったこと自身をわすれているのだった。短期記憶が侵されている。いつもは眠ってばかりいたのだが、一昨日は、妙に高ぶって眠らなかった。

ベランダ側に歩き出し、ソファの脇に激突し、転倒して肘を打った。午前4時の出来事だった。片手は感覚が鈍り握力は残っているが、巧緻運動は出来なくなっていた。逆側の自由な腕の方の肘を打ってしまったために、立てなくなっていた。ベッドに手を貸して誘導するが、部屋を出ようとするとベッドサイドに落ち、失禁を繰り返した。

3時間にわたる戦争が休戦になるころ、時計は6時をまわっていた。中小企業同友会の障害者問題全国交流会は9時からだった。幸いなことに台風直撃は逸れて雨は治まっていた。

父の朝食を、暖めるだけの状態に作り置き、母を今のうちにと眠らせ、そのまま着替えて東京・白金の明治学院に出た 昼休みに、役員Mさんに依頼話。役割を終え、コンビニでパンを買ったところで、私が「電池切れ」に陥った。明学のキャンパスで、母に電話を入れた。母も父もまだ寝ていた。午後から新規にホームヘルパーさんが入り、父のベッドメイクと清拭をする予定だったが、母が準備をしていなかった。午後の記念講演を諦めて帰宅することに決意した。幸い台風を予測して、帰りに巡回を行うことを日送りしていた。

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家に戻ると、偶然訪問した父の宗教団体の信者の**さんが父を制し、その間に母とヘルパーさんがベッドメイクをしていた。介護戦争がまた始まっていた。着替えて、排泄物に汚れた床周りの清掃。ベッドの枕元の紛失物探しを終えたら、日が落ちていた。

夕食は出前にして、ともかく睡眠をとることにした。

父の体力も尽きたか、今夜は大人しく寝ている。介護は一歩間違えば戦争となる。今週から通所サービスが始まる。少し息が継げる。

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とにかく、様々な方と出会い名刺交換をした。その中には、京都の美術商の方で、障碍者アートや工芸品の販売を手がけている方がいらして、他の地区の作品と出会いたいとの話があったので、心当たりに仲介することにし、中継ぎに育成会のUさんに引き継いだ。

東京のMさんとは、自転車商の会員さん探しの話とか、地域おこしに熱心な会員さんと懇談したいという話も打診を終えた。様々な交流が生まれたが、これらは書けないことも多いので、次回はシンポジウムの様子を報告する。また、様々な就労支援関連の企画予定も一気に出てきたので、紹介させてもらう。

さて朝食作りである。

夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本2君(仮名)

(校正1回目済み)

                    
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中小企業同友会の障害者部会に参加するので休みます

2008-09-20 06:45:18 | 引きこもり
朝9時からなのですみません。
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介護の激突の中に道をみる

2008-09-19 08:44:47 | 引きこもり
父の体力が戻ると介護する側は猛然と忙しくなった。掴み歩きをするために周囲につかまる。花瓶が落ちて割れ水浸しになる、落ちたレースに足をとられて父がころぶ。

準備した歩行器を使わない。壁を引っかくように掴んでは、壁に体当たりする。●●が帰ってしまうと、何十年も前に亡くなっている同僚の名前を呼ぶ。認知症が進んでいる。降りることはなかったが、階段最上階の踊場から、身を乗り出して便意を告げる。間一髪、頭からの墜落を食い止める。午前5時。

今日で退院1週間になる。来週から、やっとホームへの通所が許可になる。母が神経症的な悪臭拒絶の芽が出始め、解きほぐす。とんでもないところで、引きこもり青年への精神疾患への対応が役に立つ。介護を家族の閉鎖空間に閉じ込めてはいけない。地域が意味を持たない現代では、制度的サポートを限界まで使う。

父に、「昼間は紙パンツにしよう」と提案する。はかせると、とりあえず履いた。尿取りパッドは男性用の円錐状にするタイプをやめて、男女共用の船型のものを二重に入れ込んだ。多少とりにくくなる。ぼろきれを熱湯で絞り、陰部を拭いてビニ袋に捨てた。これで不快感は減るはず。考えてみれば、曾祖母・祖父・祖母、父が全面拒否していた介護の代理をやってきた。だから今も身が持つのだと思う。製造業特に印刷業関係でぼろ切れを清掃用に使う。そのためぼろ布を重さ売りをしていることを知っているので、やや高いが、その分、洗濯の負担が軽くなっている。しかし、ハウスダストにアレルギーを持つ身にとって、父の介護は地獄である。奇妙な形で喘息の薬漬けになる。

これが子育てだったらと、母と話すことが増えた。尊厳ある死に軟着陸するために介護を続けているように思える。残された時間を意味あるものにするためにという言葉は、激突の波頭に吹き飛んでしまう。私の同期には両親を切り捨てて、割り切った生活をしている者も多い。しかし、数千万の入所費・月数十何円の生活費を別途準備できる収入は私にはないから、公共の介護保障の入所を進めることとなり、それは残された母には自ら追う道として、母の絶望を呼ぶことになる。介護は生への執着であり、先逝くものの話ではなく、後追うものへの絆の証でもある。だから、諦めない。

お互いの中に、新たな約束事をゆっくりと形作っていく。それが潤滑にまわれば父は落着く。当人の障碍の受容と、互いの信頼が身の削りあいを減らしていく。臨床知と生活技術を介護ケアにつぎ込む。だから他者の経験のまなびは、組み替えられ意味を持つ。

筑波大の介護技術研究のビデオの一部を見て驚いた。起こし・座位を取るまでに、いくつもの失敗の教訓が洗練された形で生かされ、紹介されているからだ。しかしその実践の尻尾はその映像に残っていた。これがすべての方のベストであるわけではないだろう。しかしより高い水準から試行錯誤をスタートさせることが出来るという意味で、この映像は、すばらしい。

子どもを抱くのにも、国によって背負ったり、抱え込んだりする。実践の様式は文化・慣習として、「そういうもの」として根付いている。慣習として流し,型を学びながら、現場で崩れ、形作っていく。波のように果てしない繰り返しが浜を作っていく。

それの価値に気づき取り上げるかどうかは、実践者の資質に委ねられている。気づかねば流れ去り、気づいてもまず引き継がれることはない。それでも絆の隘路を通じて、それは「私」から「私たち」へと滲み出していく。知は個人の営みでありつつ、社会の営みに連なっている。家事とて例外ではない。

面白いですよ、●「文化的営みとしての発達」バーバラ・ロゴフ著。ピアジェ真っ青。横浜市立図書館に有り。

夜間傾聴:##君(仮名)
     ******(親)
     町田さん(仮名)

p.s.今日は藤沢市の自立支援協進路就労サブ部会に出る。

(校正2回目済み)

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父の徘徊話の逆傾聴の珍現象に感謝しつつ

2008-09-18 07:33:30 | 引きこもり
母が留守の間、私が用事で出かける直前、父が私が留守と勘違いしてもつれた足で階段を降りてしまった。幸い途中で私が発見して難を逃れたが、歩行機を使っても5mも歩けずに転倒する状態なのに、この冒険は許せなかった。初めて父の頬をはたいた。怒りとも無力感とも付かぬ激情がこみ上げ、「落下したら死ぬぞ」とどなった。父は小刻みに震えて怒りをあらわにし、私に掴みかかろうとして横転した。失禁していた。

これでは、留守にすることが出来ない。例え居を1階に移しても、父はベッドにいないだろう。すでに2階のトイレに尿取りパッドを詰まらせ、溢れた汚水で真下の厨房は照明をつけることも、料理を並べることも出来ない状態になり、2階も悪臭が漂い始めていた。

父は茶の間に横になり、家族の動静と玄関の人の出入りに睨みを効かせるのを常としていたから、失禁したまま居室と茶の間、トイレを徘徊することは目に見えていた。そのコースには、玄関の段差のあるタイル敷きのたたきがあり、夕刊を取りに出ようとしてしょっちゅう転倒する庭があった。さらに怖いのは、お気に入りの徘徊コースには、狭い家具の間に転倒を繰り返した場があり、やかんを2つ黒焼きにしたガスレンジがあった。1階も糞尿だらけになり、事故が起きる、そう考えると母の「階段往復の疲れ回避から1階へ」という話も、だから半分承服できないものがあった。

その矛盾が昨日、「内緒で階段を降りる」という形で爆発してしまった。

叱られた父は怒りあらわに階段を数段上り、あっという間に上向きに転倒してしまった。倒れたまま、私を必死に蹴飛ばしている父の様を私は呆然とみていた。

私は光の風の会議に出ることを諦め、父を落着かせて、茶の間に横たわらせた。母に連絡するが出ない。しばらく父の傍らに座り、着替えさせながら方策を考えていた。会議の後、眼科で診察を受け、明日右目の緑内障の手術をするかどうか、検査結果と眼圧を下げる薬物治療の効果チェックを受けることになっていた。

ホームに相談するが、緊急待機してくれるサービスはない。ヤクルト系の事業所が受けるかもしれないという情報を得たところに、父の宗教団体の信者の方が偶然連絡をしてきた。藁をもすがる思いで相談を持ちかけたところ、手が空いている人がいるかもしれないとの話。十分後、私の通院の間だけ、父の相手をしてくれるとの話で今回は助かった。彼には宗教云々ということではなく善意に感謝している。

往復タクシーで、結果は薬物点眼でもう少し様子をみることになり、明日の手術は無くなった。帰宅すると、父が快活な大声で虚勢を張って笑っているのが聞こえてきた。いつも信者が帰ると、風船の気が抜けたように倒れ、翌日は調子が悪くなった。今回もそれを繰り返しているのだった。

留守番してくれた彼に礼を言いつつ、さらに父を2階に誘導するのを手伝ってもらった。父は彼の言う事は聞いた。作業を終えて、周囲の清拭、汚れた着衣の洗濯、夕食の支度を済ませたところで、母から電話が入った。まもなく駅に着くという連絡だった。

母と話し合った。1階は徘徊転倒と火災の危険があるので、2階階段往復と両者とも、疲れ引きずって追いまわしのはめになる。本人が同意しない以上、危険は覚悟しなければならないが、ショートステイやデイサービスをフルに使って、父の気をそらそうということになった。介護のフォーマット化と分担の明確化、あとは目をつむること。階段は通ると音が出る仕掛けをして、留守のときの落下は、諦めるとした。買い物も通院も、そして仕事にも出られない状況は、正面に解決はないと判断した。1泊、隔週2泊のショートステイと2回のデイサービス、隔週の通院で揺さぶりをかけようということになった。父の関心を散らす、このこと。実現のためにも介護度を上げてもらいたいと思う。

分担を明確にすると、母の階段昇降は半分に減った。音がすると、やたらに見に行かないことと戒めた。私がいる間は、私が様子を見る。

PCオンラインショッピングをフルに使うことにした。買出し時間を減らす。ホームヘルパーを点数オーバーでも探し、外出時間を作る。TVの2階設置を急ぎ、1階に下ろすのは、寝たきり状態になったときを境にすることにした。2階のトイレはすでに水道屋が入り、配管の劣化と再度のつまりがおきるとのことで水を止めあるので、祖母の介護に使った重い木製のポータブルトイレを設置してある。

事件後、相変わらず父はおしめをはずして投げ捨ててしまう。ベッドまわりはしっとりと尿を吸い込み悪臭が鼻を突く。せめて食事のときはと窓を大きく開けて、通気をよくするが、この蒸し暑いのに寒いと言い出す始末。自律神経に異常が出ているのだろう。ともあれ、母も私もひとり倒れれば残りも倒れる状態に入ったから、相互観察を入れて疲れを判断することにした。抱え込んだら終わる、それが祖母の介護から得た教訓だった。

私の夜間傾聴は、不思議な展開になっている。古株の大森君(仮名)をはじめ、自分の相談ではなく、私の説教をしに電話をしてくるようになった。時間帯が早まっていることも、私への配慮とわかる。お節介な奴らなのである。古株だからだ。新しい青年たちはこうはいかない。親御さんに強要されて、しぶしぶ連絡を入れてくる。または自分の危機的状況に手一杯という少数派もいる。しかし、話しているとそれでも私を気遣っていることがわかる。この優しさが同世代の付き合いに、仇となっている。勿論、この情感の共有が障碍特性ゆえに成り立たない青年もいる。同じ引きこもりと言っても、性格は様々だ。

ともあれレポートを書き、傾聴も終わった。朝のおむつ交換と朝食を出して私の一日は終わる。

「そんなにしてまで、いきていたくないねえ」
「何のために生きているんだろう」

そんな問いだらけの対話を重ねて、今夜は終わった。

夜間傾聴:大森君(仮名>彼はいわば卒業生なのだが)
     自由が丘君(仮名)
     ******君(本人)

(校正2回目済み)

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