2016/07/30 記
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市の3.11&熊本地震被災地支援活動報告会に参加してきた。公開だが対象が職員向けと勝手に思っていた。主催が職員課だったからだが、職員の数は休日ということもあってか少なく、年配の災害ボランティアや動員された方(推測でしかないが。)が多く、ほぼ定員の100名いたのだろうか。
私は家屋被害認定調査活動の様子を知りたかった。災害時要援護者は、避難所の健常者基準の過酷な集団生活に合わせられないために、崩壊した危険な自宅や元の施設に戻って生活している。だから福祉避難所設置や福祉仮設を優先建設してもらいたいが、実情に合わせれば、被災建築物応急危険度判定だけは、行ってほしいと思う。問題になるのが実際上は発災直後ではなく、数日後から在宅避難生活が始まるので、一応の移動は可能。近隣自治体からの応急危険度判定士の緊急応援派遣を願いたい。余震も残り、状態も安定しないことはわかるが、認定調査派遣も優先して欲しい。
先ず第一に在宅避難を余儀なくされている方の安全を守るため。第二に罹災証明書取得を早めるためだ。罹災証明書がないと、応急仮設入居・応急住宅修理が出来ないからだ。
私は、報告者の発災時からの仮設入居にいたるまでの進捗状況報告を聞きたかった。避難所生活に困難があって在宅避難に踏み切ったのち、情報・物資不足と危険生活をすることになる。
被災地職員家庭の被災も手伝って、職員が物資駐積部門の人手不足から、再配達の大幅な遅れが起きてしまう点で、外部ボランティアに任せる以上に、宅配業者の力を借りた話など、話題は分散したが、話題の中に要援護者支援の視点が見えてこなかった。
派遣期間が1年余ある方からの報告は、町の再建・産業復興の話はあるが、在宅避難生活者支援はなく、5年を経て、まずは観光であろうと被災地訪問を進めること、被災地物産の購入を推奨というパターンが相変わらずなのだ。
しかし被災地物産の購入は、年金生活者や、食品加工業や販売店などの従業員を除く賃金労働者や年金生活者は潤わない。地方のように、漁業とその加工業・農業従事者の割合が多いところと、都市型の多様な賃金労働者・年金生活者の比率が高いところでは、効果が違う。トリクル・ダウンは成り立たない。その単純な理屈が通らない。縦割り行政による情報共有が育っていないのだ。
また、最期の特非テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也氏の講演では、話しなれた感情誘導を心得た話だったが、大半がヒューマニズムと心がけの話であり、「大槌復興刺し子プロジェクト」の意義の深堀りや、形成上のエピソード交じりの経験紹介にはならなかったことだ。素人未経験者相手の誘導ならまだしも、ある程度の災害知識を持つ者への講演ではなかった。理念は共感できても、祈りや共感を出発点におくことには、警戒心を持つ。
ひとつ、おやっと思ったのは、「男性被災者には仕事がある」という一節だった。国際NPOの感覚なのかなと思って聞いていたが、「やることのない女性高齢被災者向けの仕事」として「刺し子プロジェクト」、一般化して言えば「女性の共同作業」はムハマド・ユヌスの影をみるのだが、精神医療や福祉の立場からは、「生きがいつくり」と「居場所コミュニティの萌芽」つくりの発想が強い。「男性被災者には仕事がある」ということについては、高齢男性にはあてはまらない。家の再建など個人的理由の処理に動く方はいるが、連携が弱い。女性だけが手持ち無沙汰なのではない。高齢男性は建前が強くある場面でないと連携できないのだ。巡回支援の多くは単身高齢男性であり、女性の場合は体調の限界以外は、生活できてしまうのだ。
刺し子プロジェクトは累積1億7千万円を売り上げているという。馬鹿にはできない。ここから起業していく方も出てくるだろう。こうした「収入づくり」もまた新規のコミュニティつくりにつながっていく。私が知りたかったのは、「避難所>仮設」、「仮設>災害復興住宅」へとコミュニティの再編をくぐる困難な場面のなかで、プロジェクトを定着化していくプロセスが見たいと考えていた。
その意味で「復興の現場から考える、支援の在り方について」というテーマでは、やむおえない部分もあるのだが、日誌的エピソードや、運営上の浮上する問題を教えて欲しかった。(いつもこの辺が、心がけ論にすりかえられてしまうのが常なのだが。)
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市長がいらしていた。しかし、鬼丸氏に対する不満な表情をみたためか、すっと進路を変えてしまった。市長に限らず、いつもこれである。
昼食を取って橋本へ。今日が夏期講習前期最終日だった。相模線内往復爆睡。講習が終わっても、試験の8/3&4が済むまで、ほっとはできない。
「懇話会ニュースNo.018」作成中。
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(校正1回目済み)