湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/30 茅ヶ崎市被災地支援活動報告会から/夏期講習前期終了

2016-07-31 05:28:31 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/30 記
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市の3.11&熊本地震被災地支援活動報告会に参加してきた。公開だが対象が職員向けと勝手に思っていた。主催が職員課だったからだが、職員の数は休日ということもあってか少なく、年配の災害ボランティアや動員された方(推測でしかないが。)が多く、ほぼ定員の100名いたのだろうか。

私は家屋被害認定調査活動の様子を知りたかった。災害時要援護者は、避難所の健常者基準の過酷な集団生活に合わせられないために、崩壊した危険な自宅や元の施設に戻って生活している。だから福祉避難所設置や福祉仮設を優先建設してもらいたいが、実情に合わせれば、被災建築物応急危険度判定だけは、行ってほしいと思う。問題になるのが実際上は発災直後ではなく、数日後から在宅避難生活が始まるので、一応の移動は可能。近隣自治体からの応急危険度判定士の緊急応援派遣を願いたい。余震も残り、状態も安定しないことはわかるが、認定調査派遣も優先して欲しい。

先ず第一に在宅避難を余儀なくされている方の安全を守るため。第二に罹災証明書取得を早めるためだ。罹災証明書がないと、応急仮設入居・応急住宅修理が出来ないからだ。

私は、報告者の発災時からの仮設入居にいたるまでの進捗状況報告を聞きたかった。避難所生活に困難があって在宅避難に踏み切ったのち、情報・物資不足と危険生活をすることになる。

被災地職員家庭の被災も手伝って、職員が物資駐積部門の人手不足から、再配達の大幅な遅れが起きてしまう点で、外部ボランティアに任せる以上に、宅配業者の力を借りた話など、話題は分散したが、話題の中に要援護者支援の視点が見えてこなかった。

派遣期間が1年余ある方からの報告は、町の再建・産業復興の話はあるが、在宅避難生活者支援はなく、5年を経て、まずは観光であろうと被災地訪問を進めること、被災地物産の購入を推奨というパターンが相変わらずなのだ。

しかし被災地物産の購入は、年金生活者や、食品加工業や販売店などの従業員を除く賃金労働者や年金生活者は潤わない。地方のように、漁業とその加工業・農業従事者の割合が多いところと、都市型の多様な賃金労働者・年金生活者の比率が高いところでは、効果が違う。トリクル・ダウンは成り立たない。その単純な理屈が通らない。縦割り行政による情報共有が育っていないのだ。

また、最期の特非テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也氏の講演では、話しなれた感情誘導を心得た話だったが、大半がヒューマニズムと心がけの話であり、「大槌復興刺し子プロジェクト」の意義の深堀りや、形成上のエピソード交じりの経験紹介にはならなかったことだ。素人未経験者相手の誘導ならまだしも、ある程度の災害知識を持つ者への講演ではなかった。理念は共感できても、祈りや共感を出発点におくことには、警戒心を持つ。

ひとつ、おやっと思ったのは、「男性被災者には仕事がある」という一節だった。国際NPOの感覚なのかなと思って聞いていたが、「やることのない女性高齢被災者向けの仕事」として「刺し子プロジェクト」、一般化して言えば「女性の共同作業」はムハマド・ユヌスの影をみるのだが、精神医療や福祉の立場からは、「生きがいつくり」と「居場所コミュニティの萌芽」つくりの発想が強い。「男性被災者には仕事がある」ということについては、高齢男性にはあてはまらない。家の再建など個人的理由の処理に動く方はいるが、連携が弱い。女性だけが手持ち無沙汰なのではない。高齢男性は建前が強くある場面でないと連携できないのだ。巡回支援の多くは単身高齢男性であり、女性の場合は体調の限界以外は、生活できてしまうのだ。

刺し子プロジェクトは累積1億7千万円を売り上げているという。馬鹿にはできない。ここから起業していく方も出てくるだろう。こうした「収入づくり」もまた新規のコミュニティつくりにつながっていく。私が知りたかったのは、「避難所>仮設」、「仮設>災害復興住宅」へとコミュニティの再編をくぐる困難な場面のなかで、プロジェクトを定着化していくプロセスが見たいと考えていた。

その意味で「復興の現場から考える、支援の在り方について」というテーマでは、やむおえない部分もあるのだが、日誌的エピソードや、運営上の浮上する問題を教えて欲しかった。(いつもこの辺が、心がけ論にすりかえられてしまうのが常なのだが。)

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市長がいらしていた。しかし、鬼丸氏に対する不満な表情をみたためか、すっと進路を変えてしまった。市長に限らず、いつもこれである。

昼食を取って橋本へ。今日が夏期講習前期最終日だった。相模線内往復爆睡。講習が終わっても、試験の8/3&4が済むまで、ほっとはできない。

「懇話会ニュースNo.018」作成中。

 

夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

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7/29 8/3&4の試験忌避事件じわり/9/14懇話会が決まり…他

2016-07-30 03:25:09 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/29 記
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高認の受験日が迫ってくると、様々な問題が起きる。それは受験生の不安が生み出す嵐の場合が多いことは、教える側は経験的に掴んでいる。しかしそれは微妙な一線で、対策を先見的にかかわろうとする教員側と、それは現実であると感じている受験生側の種火のような葛藤となって現れる。

そのことは、私のところでも一昨日から、じわりと現れていた。何事も問題ではないかのような微妙なずれは、長いことつきあってきた奴には大概わかる。しかし初対面の子には、予測で関わるのではなく、変化を見逃さないように感覚の網を張って待機する以外ない。

出動まではいかなかったが、同時に二件起きるとさすがに、しんどい。試験は基本的なことばかり。過去問を解いていけば、まず大丈夫なのだが、この試験が目標なのではなく、本番の前哨戦のような構えが必要。スマホは鳴りっぱなし。クール・ダウンのために、応答の間をあける。

例年のことなので何とかなったが、後は受験日、ポカ欠を注意すれば、とりあえずは一息つける。

洗濯機の前でメールを書いている様は、カウンセリングの最中だとは、母は信じられないのだろう。教室でも一番後ろに席を陣取り、緩やかに蹴飛ばし合いながら、ぼそぼそと話しているか、机間巡視しながら、足の悪い私には苦手のしゃがみ込みをしながら、筆談しているが、これなら何かやっている風に見えるだろう。コーヒー片手に、白髪頭を掻いている様など、家庭の邪魔者でしかない。でもあと1日だ。日曜から受験日前日の2日までは頻度が大幅に減る。怖いのは「消えた」という塾長の電話だけだ。

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朝9時前、市役所から電話が入り、減免申請、課長が出かけているとの連絡。予約がダメになることはないように念を押して、眠気眼を押さえた。来ると予想していたので、モジュラージャックをさしておいたが、就寝3時間未満は、しんどい。

明日、市の支援活動報告会に参加するが、大槌のテラ・ルネッサンスの鬼丸昌也氏の講演だが、むしろ市職員の誰が派遣経験してきたかの方が気になっている。医療・生活支援サイドではないが、熊本地震の家屋の危険度判定の話などが聞けそうだ。

しかし…9:30から。朝型は困る。実に困る。どのみち、事件が解決していないので、メールが飛び込んでくる。また病院の外来仮眠となりそうだ。

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「懇話会ニュースNo.020」は9/14の牧秀一氏の「要援護者長期訪問支援と被災高齢障害者訪問支援」の懇談特集だ。表紙タイトルが出来たが、まだ日本自閉症協会と訪問看護関係に電話。進捗状況を聞くが、後者は別団体を紹介してくれたが、当団体は無理との話。自閉症協会の方は、時間が欲しいということで、引き受けてもらっていることがわかった。No.018に間に合えばいいのだが。

ともあれ、もつれた事件の気分の糸をほぐし中。早く試験が終わらないかというのが本音。

夜間傾聴:臨時休業

(校正2回目済み)

 

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7/28 夏期講習前期追い込み中/津久井やまゆり園事件への育成会メッセージ

2016-07-29 05:32:21 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/28 記
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夏期講習前期は7月いっぱいで終わる。高認試験が8/3&4 穴川県は青学・相模原Cで行われる。受験生は8/2まで遠隔指導を行う。今年私の担当は少なく*名、ここにも定年後の影響が出ている。これが終われば二週間休みを挟んで、後期が始まる。

無理難題をお願いしたことで、自閉症協会からの応答がまだない。被災地の支援従事者への仲介なので時間がかかるのだが、月末感か気が急く。明日連絡を入れる。

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高速バスで大船渡または石巻に出かけられないか調整を始めている。大船渡は考えている日では帰りが心配。石巻は大丈夫だった。ただ先方が休みを取っている可能性がある。宿泊・タクシー代が両者とも不安。さて。

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津久井やまゆり園の事件が気になる。手をつなぐ育成会の久保会長のメッセージを私の知人に拡散した。「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について」(声明文)と、同(障害のあるみなさんへ)だ。

●「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について」〈声明文)
●「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について」〈障害のある皆さんへ)

だ。私たちの考えを代弁してくれた。是非ご一読あれ。

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今回は手抜きとなって申し訳けない。懇話会日程が決まったので「懇話会ニュース」を書き始めている。

夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

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7/27 秋の懇話会日程は9/14に決定/被災地に「高齢者の足」を(総括)

2016-07-28 05:31:13 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/27 記
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牧秀一さんを招待する秋の懇話会の日程が決まった。

2016年9月14日(水)

だ。詳細は後日。ほっとした。

-----------ここから------------

「わーくNo.066」の連載原稿の中で、流産してしまった企画を先に紹介しておく。

今回は
 
●高齢者移送用車を滞在ボラに寄付(陸前高田に1台済み。通院・買い物等同伴用)

高校生の被災地見学を企画していた2012年。典型的な環境整備と交流支援を行っている茅ヶ崎の防災ボラ連絡会のタージの会員の方から、車検間際の中古車(大事に整備していた車)の提供を受けた。

この頃、地元の方の協力の元、赤崎町側の仮設を除き、道の関係で一部陸前高田市内(広田・小友)を含めた大船渡・陸前高田の仮設巡回訪問を行った。

このとき、学校敷地と一部の仮設を除き、仮設の設置場所は自家用車が無ければ生活が困難な仮設が多かった。広田の仮設では、一日一往復の路線バス以外は公共交通機関がないこと、病院が被災しているため、寝たきりの方がいる家族は、市外遠方の仮設に移動せざるをえない状況が浮かび上がってきた。

訪問看護を行う看護師さんや開業医さんたちは被災しており、いつ地域に体制を整えられるかは、見当がつかなかった。地域が丸ごと仮設に移動した地域を除き、隣人が見知らぬ地域の方たちの集合である仮設は、地縁の絆が弱く、夜間発症の場合、一時期は救急車を市外から呼ばねばならず、隣人の車で移動売することが出来ない場合が想定されていた。

その後、仮設に自治会が出来、車の緊急時共同使用や、タクシーの共同乗車(自家用車乗り合いには、タクシー業界からクレームがついていた。)の買い物移動や、自営食品業者の巡回販売車登場など、深刻さは薄らぎつつあったが、それでも仮設入居者共同の車は重要な課題となっていた。

通院と買い物入浴・外出の足としての車のニーズはありながらも、その車の日々のメインテナンスや運転を支えるボランティアが見つからなかった。車の提供申し入れ自身が眉唾見えたことや、行政の相談も行ったが、維持費のこともあって、最期には福祉施設関係も探ったが、怪訝な顔で断わられてしまう事態が続いた。このころ中古車販売のガリバーが車の提供活動を始めており、それでも行政や議員紹介などのルートがないと難しいという噂が伝わってきていた。

私は大船渡市・陸前高田市の社協を通じて打診を行ったが、成立しなかった。

そんなおり、広田半島の付け根の民間図書館つくりに、茅ヶ崎の古書有効利用活動をしていた**君の協力があり、その図書を受け入れてもらうために広田を訪問していたところ、法政大学のサークルが災害ボランティアも始めており、広田町に移住を決意した##君とであった。そこで話がまとまり、彼が公用で使うことを守ってくれるならと、我が家に停めてあった提供車を車検に出し、彼に提供したのだった。通院・買い物・外出支援の例があれば、事例をメールして欲しいと頼みつつ、20万円の車検を通し、彼に無償提供した。

その後、**君の中古書籍の仮設への配達を一度配達してくれた切り、連絡は途絶えてしまった。今年春の陸前高田市の市議選に彼は立候補し、現在彼は保守系市議となっている。

この活動は、大きなスーパーなどのマイクロバス配車などが始まり、必要性はやや薄らいだものの、災害復興住宅入居に至るまで、「高齢者の足」としての重要性は変わっていない。

この活動は引きこもり青年や、障がい者とその家族には、作る側としては関係の薄い活動だった。私自身が東北に出かける足にとも思ったが、視覚障害が進行する状況では利用することも出来ない限界の産物という見方も出来る。しかし、共用車は、辺鄙な仮設入居者には安全保障という意味を持っている。

 

--------- ここまで --------

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津久井やまゆり園の情報が入ってこない。被害者に地元の方がいらっしゃるか、気になっている。

夏期講習前期、土曜日まで。フィニッシュの感。


夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)

 

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7/26 「わーくNo.066」災害ボラを振り返る「被災ペット保護」活動 他

2016-07-27 05:38:16 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/26 記
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ーーーここからーーー

<<「わーくNo.066」以降連載原稿>>初稿

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5年前、大船渡の避難所を訪問していたとき、避難者の高齢女性から「家に残してきた***ちゃんが心配で」という話を聞いた。愛犬を心配していたのだった。

たかがペットと思うかもしれない。しかし同居者のいない実家の祖父母にあたる高齢者や、単身者にとって、犬猫は同居人を越えた「家族」になっている。いつかは生きているうちに別れなければならない家畜と異なり、ペットは「家族」扱いされる動物であり、私は雲仙普賢岳噴火以降の被災者の話には、必ずペットの話を聴いてきた。

避難所にペットは連れていけない。「ひとと動物とどちらが大切か」と問われるが、自分達の感覚は少数派であるだろうが、「笑われても、叱られても大事な家族」なのだ。そこに「ペットの保護」と「一時預かり」のペット・レスキューのボランティア活動が生まれた。

「わーく」編集部の、社会参加活動としての災害ボランティア活動では、ひとの私生活レベルから捕らえ直した社会貢献に焦点をおいている。要援護者支援である。公共用地等に開設されるペットのシェルターの運営や、全国の一時預かりの飼い主さん探しを動物愛護の団体が始めるが、前述の被災者さんとのつながりを意識し、地元ならばその強みを活かし、元の飼い主さんとシェルターのペットの様子を仲介する活動をしたり、外部支援者ならば被災地外の飼い主さんを決定後、ネットを介して様子をつなぐ活動を行う活動として合流できると考えた。

そこで福島県の原発避難で、取り残された大量のペットの保護飼育を行っている3つの団体関係者と話をし、被災地外支援者として、一時預かりの飼い主さん募集協力活動を始めた。2つの団体は「にゃんだーガード」・「ねこひと会」という福島と東京の動物愛護団体であり、そこの募集リストの一部を紹介させてもらうことになった。

「被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会」を設立し、隔月刊のポスター型募集紙を18回発行し、地元の獣医さんとペットトリマーさん、市役所・郵便局等の外来や玄関口21ヶ所に貼り出してもらった。連絡を受けた希望者さんのところには、シェルターとの間の仲介者が適格審査に伺い、合格すると預けられるという形をとった。厳格だが生き物を途中放棄されてはならないし、被災者「家族」を預けるのだから転売は防がなければならなかった。

活動の形を得た引きこもり青年たち3名は、編集印刷した募集ニュースの巡回掲示と、A5簡略版の街頭チラシ配布を始めた。しかし、この活動はすぐに暗礁に乗り上げた。もともとハンデを背負い対人恐怖と対決する気持ちが強く、臆した彼らからは、1枚もチラシを受け取ってくれる方がいなかったのだ。また掲示版ニュースは、巡回中,獣医さんたちの質問にフリーズしてしまい、彼らは編集作業のみとなり、配布は私が請け負うことになってしまったのだった。

その結果、簡略版チラシは一部手直しが入った。飼い主募集が退き、義援金募集を前面に出した。送金先は2つの団体の正規口座宛であり、相談先を飛田のところにおいた。しかし、この簡略版も再び問題が起きた。個人宅へのチラシ投函は犬に吼えられたり、不審者として詰問されたりすることが起き、足がすくんでしまうというのだった。このことから、茅ヶ崎・藤沢の団地関係への投函に投函先が絞られた。ところが団地ではペットを飼えないという矛盾があった。そのために義援金募集となったのだった。私を含んで3人が、のべ5万枚のチラシを、空転覚悟で投函した。応答は「あなたたちは、どこの政党のものか」という問い合わせが何回かあっただけ。飛田のところには、知人ルートが2件、問い合わせが獣医経由で1件あっただけだった。収穫は、3人で投函作業を行った体験と、獣医推薦の魚市場近くの方の1件があるだけで、この方は高齢ゆえ、家族の反対があって成立しなかった。私の知人ルートでは、某病院の看護師さんが楢葉町の猫を飼ってくださったことと、同じ楢葉町の老猫を某団地内で内緒で飼ってくださったことだ。

その後、3ヶ月で老猫は足の傷の化膿から敗血症で死に、1年後、看護師さんは寮に入るとのことで、猫は飛田が引き取った。

活動としては入りやすい災害ボランティアとして始めたものの、対人恐怖がある方は段階参加のステップがなければ無理という結果で3年に及ぶ活動は終止符を打った。「命の旗」関連チラシの、のべ1万枚と合計6万枚のチラシ投函は誇っていいと彼らに言ってはいるのだが。

もともと引きこもり青年の就労希望先に、ペットトリマーさんや、ペット看護師さんが昔からあり、これらの活動は、ペットの散歩活動(散歩中、地域の方との緩やかな出会いがある)などのバイトを含んだペット関連職の方と知り合う契機を作るものとして、裏の目的を飛田は設定していた。これは就労先開拓として、一歩進められたと考えている。

また、湘南の支援者さんを拡げるため、市議さんにも声をかけ、協力してもらった。取り組み易い活動として、後援会の方に活動参加してもらうことになったが、Pet Trust という3番目の団体(新子安駅前)代表の笹部圭以氏(ペットのしつけのプロ・日本動物福祉協会会員)の被災ペットの引き受けをテーマにした講演会を開いたが、市議さんからは信じられない言葉が届いた。「明日は都合があって行けません」というものだった。後援会協力話はとうに失せ、私たちの準備した会合に、ただ顔を出すだけという議員の付き合い型の関係に変質していたのだった。私たちからは、遠方の久里浜からひとり、初めて一般会合に参加したHさんが凍りついて席に座っていた。最悪のときは、笹部さん以外は私と彼女という事態になるところだった。約束が反故にされた結果だった。あとの方は、某県議の関係者の方と、とんでもない勘違いをしている方々と、何とか十数名が参加した。

とんでもない勘違いとは、当時、寒川にペットのシェルターを構えていた団体があり、元ヤクザ系の方が、ペットの愛らしさに動物愛護活動を始めたという団体が、大型トラックを使って仲介活動をしていた。そのHPはおどろおどろしい鬼が踊るアニメが本来の活動画面を塞いでいたり、寒川町行政とトラブルを起こしていた。そのシェルター見学をしてきた熟年の奥さんたちが、シェルターで、乱暴な扱いをうけたので謝罪を求めてきていたのだった。全く無縁な活動であることの説明で雰囲気は壊れ、笹部さんには失礼な会合になってしまった。

予兆はあった。この講演会の前に、寒川町町議会事務局にチラシを持っていったところ、警察が相手と思われる電話がその場で始まり、事務局は受け取れないという晴天の霹靂のような事態を経験していた。その何日か前に、町議の**さんに、協力を求めたが、険しい顔で、「私はあなたの活動と全く関係がない」とお叱りをうけて、面食らって帰って来ていた。その後の誤解は全く解けていない上、他の活動にも信用問題となって噂が尾をひいている。

私たちの活動は動物愛護活動ではなく、被災時要援護者支援活動のひとつとして考えている。また地元若年者の災害ボランティアとして、引きこもり青少年の社会参加の災害ボランティア活動として考えた。「家族としてのペット」という被災者個々人との契約を重要視した活動である。

引きこもり青少年たちの対人恐怖には、本来会のスタッフがアシストすべきこと。訪問支援活動を基礎とする引きこもり青少年支援は、居場所という拠点ができない。ゆえに社会活動としては、成り立ちにくい難点がある。進学や就職できると家族も活動から身を引き、疎遠になっていく。通過点の活動であるため、定着できない。そこを越える活動、居場所を前提にしないでもやっていける活動を作らねばと苦戦している。また、障がいを持つ引きこもり青少年の支援活動は、手帳を持つ障がい者の活動の依然外側にあり、いわゆる挫折回復型の引きこもり青少年支援活動のアウトローとなっている。やっと発達障がいの知見が拡がり、市民権を得てきたが、そのふたつの活動の谷間にいる。湘南に大災害が起きたとき、若者が支えるべき活動の一分野がペット保護活動だが、活動論は多様性を含めたかたちで提案できるように、整理しておく必要がある。

ーーーここまでーーー

「津久井やまゆり園」の事件は戦慄を覚えた。覚せい剤の影響なのだろうか。注視していきたい。前代未聞の事件だ。

夜間傾聴> 3人(夏期講習関係)

(校正2回目済み)

 

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7/25 津久井やまゆり園の事件が気になる 他

2016-07-26 05:31:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/25 記
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夏期講習、1コマだけ教室授業。帰りは町田経由で藤沢へ。買い物を済ませて、喫茶店で「わーくNo.66」の原稿を書く。ここ数日の伊豆半島相模湾側を震源とする群発地震の件。地震の巣であるが、この無関心は危険。大騒ぎしろというのではない。防災活動形成の有効なステップを具体的に提言していく時期だと思うのだ。

今、TVで「津久井やまゆり園」に3時すぎ、暴漢が侵入。45名が怪我、15人死亡というニュースが飛び込んできた。犯人は出頭してきたというが気になる。海外の自爆事件といい命が軽んじられている。事態を注目したい。

ジュンク堂書店にて

「その痛みやめまい、お天気のせいです―自分で自律神経を整えて治すカンタン解消法」
「健康人新書 認知症介護で倒れないための55の心得―医者は知らない!」
「巨大地震はなぜ連鎖するのか―活断層と日本列島」
予約。

以前、中古車を車検を通して、岩手県陸前高田市の広田半島に移住した**さんに提供したその後、連絡が無かったが、今年の市議選に立候補、保守系市議になっていることがわかった。車が災害復興に役立っているのだろうか。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

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7/24 「わーく」が携わった災害関連活動(No.66メモより)他

2016-07-25 05:52:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/24 記
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夏期講習のSkype(TV電話)対話の最中、母が庭の草むしりを始めた。母に出来る仕事ではない。母には学習指導には見えない。PCに関わりきりが気に沿わない。対話切断後、母を制止し草むしりを交代。やはり昼間、家では仕事にならない。汗だくになって、次の指導要請に答えていると、急階段を掃除機一式を持って母が上り始めた。口論になるが、埒が空かない。結局亡き父との格闘介護の戦場となった父の2階書斎を掃除。降りると洗濯が始まっていた。やむなく近くのファミレスに避難。何十年も続けている闘いではあるのだが、気が滅入る。母には遠隔指導がわからない。

3人目の区切り後、間が空いたので、次回「わーくNo.66」の表紙原稿を書いた。「支援者と当事者の活動の位相」の話。「引きこもり若年者の被災ペット仲介活動の経験から」の2点。

No.65 では、
1)美容券<間接支援システム>の試み
2)半鐘の記号システムと緊急避難警報
3)「命の旗」から~「いるだけ支援」/「長期訪問支援」
4)JAGDA「被災地からのことばのハンカチ展」を子ども・障がい者交流へ2013~

の頓挫の活動史をアイデアの記録として載せた。以下は「No.66」に続けて載せる活動メモだ。

5)おくすり手帳QRコード版の検討(継続中)
6)静岡版市民トリアージの茅ヶ崎版検討(継続中)
7)高齢者移送用車を滞在ボラに寄付(陸前高田に1台済み。通院・買い物等同伴用)
8)被災ペットの仲介・新しい飼い主さん探し・講演会1回階A5版チラシのべ6万枚ポスター18回掲示・配布。(完了)
9)椿油搾油販売福祉作業所の支援活動(頓挫)
10)被災地に障がい者FM番組を(陸前高田にて実験放送)
11)中古自転車による被災地見学ツアーの実現を(大船渡準備後・頓挫)
12)鶴嶺高ボラ塾に被災地方紙記者の語り(完了)
13)鶴嶺高ボラ塾に高校生率先避難員養成講座を/市行政職員と論じる(11の影響で頓挫)
14)鶴嶺高ボラ塾に中高生運営の
  避難所FM(マイクロFM)を(1)(完了)
15)鶴嶺高ボラ塾に中高生運営の
  避難所FM(マイクロFM)を(2)(準備不備で中止)
16)金曜災害ミニ・カフェの実施(継続中)
17)被災障害者の困難テーマのビデオ作品「逃げ遅れる人々」他・上映(完了)
18)茅ヶ崎懇話会設置と参加(継続中)
19)被災地地元中高生の仕事2課題提唱(継続中)
以上

何とも憂鬱なメモだが、被災地出張活動が少ないことが、特徴。後方支援と防災への橋渡しの医療・生活・ケア支援メモ。

No.066には、連載記事が加わり8面構成。被災地に行くことが出来ないか、同行者の募集あり。(大船渡へ)

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食事準備で戻ったところ、母は寝入っていた。苛立ち、子どもなみ。

夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

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7/23 夏期ブレーキの隙間を探す

2016-07-24 05:02:07 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/23 記
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昼間の時間、母に付き合い海老名まで、母を送る予定が、海老名の母の友人に急の来客があって中止。憤懣やる方ない母をなだめて、橋本の仕事だけを済ませる。急ぎ茅ヶ崎に戻って母の外食に付き合う。

皆、外出出来なくなったり、特養入所したりで、親しい友が激減していることが背景にある。昨年は故郷の東京の方で、3人が鬼籍に入った。最近亡くなった永六輔さんとは、昔、交流があったが、辻堂の駅頭で会うと雑談を交わす程度のお付き合いだったが、訃報を聞くと、将棋の一手に追われる感覚を味わった。だから母の孤立感が判らなくもないが、夏期講習の電話が入ってこないか、冷や冷やしながら、食事を済ませて帰宅した。

これでは長期外泊もできない。今年、陸前高田ではなく石巻か、一度中止になった益城町に行ってこようと画策していたが、見込み薄だ。8月を無駄にしたくないという思いは募るのだが。

最悪のときは、発災時の「中高生御用聞き自転車部隊構想」マニュアル化と、「お薬手帳QRコード版」の重ね印字可能な感熱紙探しをまとめたい。欲求不満が募るなあと思いつつ…。

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早稲田出版部からブックレットを出している仕掛人の方に紹介者を挟んで接点を作ってもらっているが、話が立ち消えになっている件で、改めてメールで問い合わせをした。月曜日に応答があるのではと、期待をしている。

22日に某講演会があった。これも行けなかった。

休日は嫌だ。事が進まない。


夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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7/22 金曜災害ミニ・カフェあり/カフェ8月分予定ポスターできる・他

2016-07-23 04:49:44 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/22 記
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TV電話指導の合間に「金曜災害ミニ・カフェ8月予定ポスター」を作った。予定は以下の通り。

>8月5日 被災した障がい者の避難生活
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★ハートネットTV緊急報告・熊本地震「病院を出された700人~被災した精神科の患者は今」(2016/07/14 ETV 30分)
★あの日わたしは「岩手県陸前高田市・田崎實さん」(2016/07/05 NHK 5分)
★あの日わたしは「福島県浪江町・秋山真貴子さん」(2016/07/06 NHK 5分)

 

>8月26日 被災したグループホームの高齢者とホームの生活の再建
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★明日へ つなげよう「悲しみもよろこびも~認知症グループの5年」仙台市若林区・GHなつぎ埜(2016/05/22 NHK 50分)

以上

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熊本地震を契機に被災した要援護者(災害弱者)の生活が紹介されるようになってきた。まずは施設下に生活していた精神障がい者・認知症高齢者たちの記録だ。いずれも外部には避難生活の情報が知らされなかった貴重な語りだ。

それぞれケア支援者から家庭に戻されて、困難が顕在化しており、施設のケア関係者の支援が回復する中で、施設の意味がとわれ、新たな施設の生活が始まっていることが見える。

視座は変わり、8/6 の田崎さん・秋山さんら、障がい者を家族にもつ方の被災体験の告白を入れた。避難準備を整えていた田崎さん一家、ダウン症の弟の死のショックから抜けられない看護師の秋山さん。想定される災害に対策を行ったか否かが明暗を分けた。

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今夜も「金曜災害ミニ・カフェ」は「長期滞在型支援」と「心のケア専門職の訪問巡回支援」を取り上げた。被災者の日々に寄り添わなくては、抱え込んでいる痛み・悲しみはわからない。まずはただ、ただ傾聴を続けて行く以外ないのだろうか。

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長ネギ・もやし・食パンと塩パンという必需品を買って帰り、急ぎカレーライスで終わり。

精神障がい者の生活・就労支援を行っているKさんから応答あり。面会は8月下旬までだめ。無念。

コミュニティホール会議室を押さえた。牧さんの9月懇話会具体化してきた。問題は企画の重なりがないか、チェック月曜日から。

私の福祉活動の師匠から連絡あり。横浜で日程調整して会おうということになった。

明日、母の希望で海老名に出る。私は橋本。帰りに母を拾って帰って来る。


夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

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7/21 夏期講習が始まって…/災害派遣精神医療チーム(DPAT)について

2016-07-22 04:58:50 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/21 記
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夏期講習が始まっているが、今日は教室の授業がない。SKYPE 眺めて一日が終わる。ふけた高校生がいるから、対話も長い。開店休業の間があるかと思えば、時間が延長のために重なる時もある。

合間に内職。「DPAT(Disaster Psychiatric Assistance Team 災害派遣精神医療チーム)を調べていた。

●「DPAT 災害派遣精神医療チーム活動要領(厚労省HP)」
●「DPAT事務局」
●「災害時 こころの情報支援センター」

一般被災者の精神医療なのだなと思いつつ、精神障がい者や高齢認知症患者・発達障がい者・知的障がい者の救急ケアの比重が少ないのかと思いつつ、急性期の現場の様子を考えてみた。環境激変と不安によるパニックへの対応、しかし不眠や自傷などは対象外なのだろうか。

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秋の懇話会の日程の件で、牧秀一さんとすりあわせを始めている。注意しないと、別企画と重なる可能性がある。

精神障がい者の就労支援を行っていたKさんにメールを出した。懇話会への参加要請なのだが、近々面会出来ないか打診。果たして…。

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また22:51に茨城県沖で震度3の地震があった。頻度があがっている。不気味である。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

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7/20 自閉症協会・在宅看護関係団体への依頼メール済み/記事をかきつつ。

2016-07-21 05:14:59 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/20 記
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夏期講習が本格的に始まった。例年より教室の授業が多いが、私の仕事は学習カウンセリング。オンラインのTV相談が多い。高校卒業程度認定試験が8月3日にある。その受験者も何人か担当する。平常時の訪問指導の若者は、いつものままだ。今日の分は済み、団体宛のメール2通と「わーくNo.66」の「発災時の中高生に頼みたい仕事」の記事を書いている。

やっと日本自閉症協会と某訪問看護関係団体宛の依頼メールを送ることができた。講習前に済ませたかったので、ほっとしている。

ところが、中高生宛の記事を書いていて、ローブローのようにじわりと効いている出来事があった。昨日のブログを書いて、就寝した直後、7:25 に茨城県南部地震(震度4)が発生した。地震の巣だからと思いつつも、警戒地域ゆえの不安はぬぐえない。しかし、あまりにも私の身の回りは無関心すぎる。**さんは、地震は地面を押さえても止まらないだろうと茶化していたが、熊本はいつも揺れている変な場所というのではないだろうねと、反発を込めて切り替えした。そこで対話は終わったが、他の方は、「こわいね」という応答がせいぜいだ。

轍を踏むことは避けたい。そのためには、重要な提案はシンプルに、克つ実現可能性の吟味を通して提案をまとめていくことだ。「発災時の中高生に頼みたい仕事」では、周辺の附属活動に中高生を置くのではなく、中心活動に深められる分野への分担を考えたい。また活動の吟味が出来る場を踏まえること。彼ら自身の安全を守る点を明記すること。やはりいずれマニュアル化する必要があるだろう。縛るのではなく、目的を明確化するためだ。「在宅避難者と行政・支援者の仲介・見守り自転車配食部隊」のことだ。ここには大人のリーダーが必要になる。そのリーダーは地元民か外部支援者かを考えていた。

この仕事は、避難所生活に無理がある在宅避難生活を選んだ要援護者の孤立を防ぎ、中高生が社会を知る大事な仕事になる。配食サービスとの連携や、避難所運営会議への要請還元など貴重な体験をすることになる。

可能だろうか。何人もの教え子の顔を思い浮かべて、ため息をついている。記事完成はまだまだだ。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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7/19 牧さんから秋の懇話会承諾をいただき…他

2016-07-20 05:06:47 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/19 記
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早速の牧さんからのレスポンス。ほっとするのと同時に、夏場の懇談参加者召集の合戦が始まると背筋に寒気。9月平時夜の懇談に応じてくれたのだった。準備が出来る。白髪頭を指で掻きあげた。

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サポセンに「ビッグイシュー」誌を届けた。販売員さんの糖尿病性の足の親指の鈍痛があった件、寿町の販売中継点をしている**医師の治療の効果だが、とりあえずの痛みの山を越え、糖尿病治療に戻ったという。長年、この販売員さんを支える購入を続けてきたが、いずれは販売終了の別れのときが来ることを感じさせられた。別の販売員さんとも対話を始めていかなくてはと思いつつ、読者の方々に寿町の販売の現状を意識して語るようになった。

サポセンに行くと、様々な情報を小耳に挟むことが出来る。夏休み中に子供向けの防災企画が進行しているようだ。多様性を持たせた避難訓練のようだ。

南橋本に行く途中だったので、話を深く問うことはしなかったが、塾の方で9月に地域防災に在日外国人の避難訓練合流を考えていることを聞き、両者ともに初耳だった。要援護者の医療・生活・福祉支援の社会活動を主軸に活動している活動とは、位相が違っていることはわかるが、ちょっと接していないと情報がすぐに途切れるのはまずい。逆に言えば懇話会の活動も情報公開共有を意識して提供して行かなくてはと思う。閉鎖集団の活動は短命に終わる。爺ぃだが身を引きしめたい。

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秋口は、諸行事が目白押しだ。牧さんのご都合を伺う前に、懇話会参加者出席の企画をつかんでおかないと、地雷を踏んでしまう。明日から打診開始。

日本自閉症協会・某訪問看護団体へのメールを校正している。まもなく出せる。一方、来年初頭に入れる企画に某託老所と連絡が取れた。最近NHKで放映した東松島氏の「すみちゃんの家」ではない。後日この番組は、別にレポートを書く。

今朝も12.57に千葉県東方沖の震度4の地震があった。誰も話題に上らない。16:28には茨城県沖の震度3の地震が続いた。地震の巣、プレート境界面近辺の体感地震が、東日本大震災以降、増えているのを感じるが、しかしオンライン上の話題を出すが無関心だ。神経質になりすぎる必要は無いが、熊本は揺れているところなのだ風のばっさり無関心(平常性バリア)はひどいものだ。

次号の「わーく」は、この辺のことも触れてみようと思う。

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父方の菩提寺から墓石の土台防災カンパの話があって、どうするかと絶縁状態の従兄弟から連絡が入った。横須賀市内の墓地である。3.11のとき、斜面に立つ墓石の半数近くが倒れ、土砂崩れの危険に晒された。幸い墓石の転倒は免れたが、後日、のり面へのコンクリート吹きつけや、水道施設の修繕、古い石段の並べ直しが行われた。今回は樹木の整理、墓石の補強、本尊の補強というもので、横須賀の台地が褶曲でひびわれて弱くなっていることがわかる。「墓石の補強」以外は納得がいかないのでと、今回は断わった。


夜間傾聴>ひとり(泥酔とは失礼な)

(校正2回目済み)

 

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7/18 やっと牧秀一氏に講師要請メールを出せた 他

2016-07-19 04:47:40 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/18 記
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牧秀一氏(神戸・よろず相談室理事長)への懇話会ゲスト参加のお願いメールをだした。同時にずっしりと参加者要請個別訪問のノルマがのしかかってきている。懇談会形式というのは、参加者の問題意識が問われる。ここでしか経験できなかった対話が生まれることを願うものだが、それゆえ関係者の閉塞性がのしかかる。また、安全避難の話題から拡がらない防災講演会とは異なる視座ゆえの、医療・生活・福祉関連の要援護者支援の話題が通じるのが少数という状況がある。

また、続いて日本自閉症協会と訪問看護関係団体(後日公開)への「わーく」「懇話会」双方からのお願いメールを書いている。これも、かなり無理をお願いしている。

「わーくNo.066」の原稿を書き始めている。今回は「市民トリアージ」の重要性の話と、「引きこもり青年の被災ペット仲介活動」の経験談を書き始めている。月末に配布予定。

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暑い。就寝時には日が昇っている関係で、蒸し暑さを伴う猛暑。全然眠れず、エアコンのない古い日本家屋ゆえの悩み「夏暑く、冬寒い」が露骨。水をあおり、一度起きて、茶の間の扇風機を抱いて転がった。昼食後、猛烈な眠気に誘われ、2時間ほど仮眠した。

塾生の2名が浜降祭に来ていた。我が家に行っていいかと電話で起こされたが、騒音コンビ、来るなと拒絶。我が家の安寧を乱されてたまるかと思っていた。授業中もトイレに入っていても、しゃべり続ける雑音人間。私の悪口はLINE通じて、すでに全国に広がっているやもしれぬ。「はげ」これだけは許さん…とか。

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母はデイサービスに出かけていった。マッサージ中、居眠りしていたという。

今夜は節約で、オムライス&冷製スープとサラダ。なんとか完食。

夜はTV電話とメールに張りつき状態。夏期講習が始まっていて、教科交差の乱捕り指導。今回は高校卒業資格認定試験対策ばかり。ついにFAXが無くなった。

クリーニング屋さんの++さん、懇話会に誘いの電話を入れた。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

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7/17 浜降祭の夜に…ノミの心臓かなと…

2016-07-18 04:51:56 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/17 記
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夕方、橋本へ。茅ヶ崎は、海の日の早朝「浜降祭」が行われる。そこかしこに、みこしの担ぎ手が闊歩している。海岸の路上生活者のコロニーのことを思う。臨時避難先は、以前は就労活動を前提に生活保護で部屋を借りている昔の仲間のところに身を寄せていた。今も同じだろうか。

13:24茅ヶ崎からの出先に、茨城県南部の内陸部40kmを震源とする震度2・マグニチュード5,0の地震があった。その直後ということもあって、茅ヶ崎の海岸線に津波が及ぶような地震があったとき、一番速く被害に遭うのは彼らだと思う。行政も知っているので、3.11の時は、海岸線にパトカーが駐車していた。浜降祭の最中に、茨城南部の地震を思い浮かべた方は、いただろうか。避難経路をちらりとも気にかけただろうか。この落差が震災話は取り付きようも無い。

帰りの市立図書館に「ビッグイシュー」を定期寄贈してきた。休日は17時までなので、冊子と手書きメモをポリ袋に入れて、返却ポストではなく、図書館向けポストに投函してきた。

連休中は、ひとを相手にあがいてもダメ。ともあれ往復の相模線の時間、以前はPC画面を見ていたが、最近は片目裸眼の10分以上の読書が出来なくなった。だから割り切って、仮眠をとることに。

夏期講習は新顔の青年ひとりと、常連さん*名なので、今日は新人さんと、初顔合わせをしてきたのだ。

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今、牧さんへの手紙を書き進めている。書き進めないのは、今回レギュラーの多くが人事異動しており、受け入れ体制に危うさを感じるからだ。レギュラーたちと、後任の方には説明をし、秋の懇話会への出席をお願いしているのだが、了解したという応答しか得られていないからだ。懇話会は最大十名程度で懇談としている関係上、参加者数は大きな問題となる。深い懇談が成立するにはレギュラーの確保が重要。ここが揺らげば、牧さんに失礼なことになる。新規の方が現在3名出席の約束を押さえてあるが、正直なところ、話しているのが私と牧さんだけで、皆ギャラリーという最悪のシナリオが払拭できないからだ。

牧さんの実践は大切な経験を含んでいる。新規企画のときは、いつもこの孤立不安に襲われるが、要援護者支援の根っこの部分の話なので、是非成功させたいのだ。

この余波は自閉症協会と訪問看護関係団体への新規企画の協力要請の方にも影響を与えている。予測される関東の大規模地震発生時の必要な具体策について話を進めている。しかし本音は懇談に来て欲しいのだ。とにかく、自覚的な方との出会いが欲しいので、心当たりの方へ、膝寄せ談判を繰り返している。

今日は「ビッグイシュー」の配達と、遅筆牧さんへの手紙で一日が終わって行く。焦りかもしれないが、有効な手立ては着実に打っていきたいのだ。願わくば、懇談の果実を分かち合えるように文章化したいが、話題の深みの実態は、まだそこまで熟していないのだ。まずは参加者がそれぞれの成果を持ち帰るような場を作りたい。リスナーではなく、懇談に成熟させたいのだ。

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カマスを買っておいた。塩焼きの方が糖尿病にはいいのだが、母のことも考えて、バター焼きにした。再冷凍ものなので、身崩れ対策で、苦肉のホイル焼きにした。いただいた厚切りの玉子焼きに大根おろしとしょうがをつけた。汁は贅沢な分量を確保したしじみ汁。やった、母は完食。密かにガッツポーズを思い浮かべていた。珍しいことなのだ。

先ほど花火が上がっていた。明け方、海は混んでいるだろう。
明日は、高齢者施設関係の知り合いをつかまえる。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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7/16 バスに置き忘れた袋を回収しに行った帰り…中間支援者の立場の事

2016-07-17 05:20:13 | 地震津波災害ボランティア

2016/07/16 記
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「中間的支援」という立場がある。活動が萌芽的状態にあり、または時代や場面に要請された活動を周辺に立ち上げるゼロからの外在サポートのことだ。

例をとろう。大災害が起きて、被災負傷の結果、身体障がいを負った「被災障がい者」の支援活動の立ち上げの例をとる。

このとき、負傷者とその家族(被災当事者)が被災回復活動を始めるという立場と、被災者支援希望者という立場の者を出会わせ、活動の内容の推奨という初動を与える第三の立場、これが「中間支援者」の立場だ。

実際の活動の立ち上げでは、当事者にはよそ者であり、支援者からも常時推力を提供するのではない、よそ者となる。

災害ボランティアでは、「わーく」編集部は、引きこもり青年の自主活動という点で、第二の立場の「支援者」であり、諸企画提案の活動において「中間支援者」なのだと、改めて気付かされた。諸企画において、「つなぐ」または「結集を呼びかける」という活動は、当事者の対極の支援者候補が設定できない場合、企画は命を得る事は出来ない。自分の懐の大きさに基づいて、自らのやれる範囲を実行する、かの有名な「連帯を求めて孤立を恐れず」(失笑するべからず)の腰の引けた活動を精査継続することだ。「中間支援者」とは便利な言葉なのかも知れないが、なしうることのひとつに、実現可能性の高い企画の立案と初動推進があり、そこから一歩踏み込むという「支援者への道」を試み続ける愚公の山に向かう活動をおくということになる。常に道は開かれている。それが必須の条件となる。

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忘れ物の「ビッグイシュー」の袋を神奈中高山車庫営業所に受け取りに行った帰り、故人に親しくしていただいたお宅の娘さん(元大手薬品企業研究職・現薬学論文翻訳者)と話した。レーチェル・カーソンの愛読者という、わかりやすさも提供してくれる。福島原発関係の活動に関わっているという。

昔、故人の父上のところに、時々たちよって雑談をさせてもらった。このとき、父上の膝の上にいらした方だ。当時、左派社会党系の方や元共産党の方が出入りしており、私は野次馬、中ソ両系の方の所属臭さと平板な論理に抵抗していた。父上は豊富な情報から、個人の作為の結果として社会情勢を語ることで、その口論をたしなめていらした。木の集合として森は見えないという反論を続けていたが、森を振り回したら、木が見えないということも真だった。

私は教育現場の差別と歪みについて、倫理信奉からの視座に陥ることを戒めつつ話をしていたように思う。感情誘導に流れる論理は偽物、現実が人を動かすと主張をしては、煙たがられていた。

娘さんと昔の話をしつつ、変な親父たちがうろうろしていたねえと話すと、親父おばはんにされてしまったと笑っていた。しかし、変わらないねえといわれると、懐古的な甘酸っぱさと同時に、自己嫌悪に似た限界が見えてしまっていた。あえて気付かされたことは「中間支援者」という組織に属さない立場だ。

高齢者医療と薬価の話や、高度医療の背景の話など、ジャーナリスティックな話題に話をあわせて語ってくれていたが、私の立場と身体との接点が気になって、知識を交差させる言葉が冷えていくのがわかった。空中戦は嫌なのだ。

しばらく、雑談につきあってもらったが、うなづきあう関係にならなかったなあという疲労を含んだ気持ちでお暇してきた。

授業やカウンセリング以外、母とも長い雑談の言葉を発したのは久々であることに気がついて、4つ切りカボチャを眺めながら、ため息をついていた。そう、脳みそに見えたのだった。

凍り付いている私を如何わしい目で見つつ、私の作ったスープカレーが、具が多すぎると母は不満をぶつけていた。

まあ、忘れ物が戻ってきたことで、よしとすべきなのだろう。

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夏期講習の仕事を持ち込んで、先ほどメールで返した。辻堂駅前は子どもお囃子の音。野暮な仕事である。


夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

 

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