湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

5/30 通信2ページ目「☆☆☆懇談型講演会の試行から見えてきた事☆☆☆」

2013-05-31 05:39:46 | 地震津波災害ボランティア
☆☆☆懇談型講演会の試行から見えてきた事☆☆☆

 3.11の広域甚大災害が、災害対策と民間災害対策活動に与えた課題は、2年余を経た現在に至っても、現在進行形の活動ゆえに、距離を置いて見つめ直すことは難しい。しかし、被災地の要請が、医療・福祉・就労を含んだ生活支援に移るに連れ、民間支援活動の退潮や、行政まかせの風潮が膨らんでいる。また、地元で始まった防災活動が、3.11の教訓や広域甚大災害型の吟味を軽視したまま、従来の定形防災活動に収まろうとしていることに疑問を持ち、今なさねばならないことは、継続活動と併行した、防災とケア関係者の意見交換を積み上げつつ、近未来の広域甚大災害への連携の素地を整えていくことだと判断した。

 また、この被災数年後は、被災者の孤立に基づく様々な問題が露出してくる時期で、阪神淡路大震災のときは、病死を中心とした多くの孤独死を生み出した。その裾野、海面下の氷山は押して知るべし。そういう時期の後手対策への悔しさも伴っている。

 行政の方々の研修も進んでいるが、本懇談会の講演懇談は、広域甚大災害への専門職の方のキャパを超える事態の民間支援活動の育成も視野に入れつつ、生活支援民間活動との連携の芽を探るものである。従来の災害ボランティア活動と一味ちがった視座から、官民連携または生活支援民間活動に何ができるかを考えるために、特に「災害時要援護者支援」を基礎に据えた。

 テストケースは当初3回にわけ、1回目は昨年12/26 永井雅子氏(神奈川県茅ヶ崎保健福祉事務所保健予防課課長)、2回目は災害看護が専門の黒田裕子氏(阪神高齢者障害者支援ネットワーク理事長)を招き、被災時の要援護者の保護支援の話や災害時の救援システムの概要と地域トリアージの話等を踏まえて話し合った。中心は要援護者、参加者の関係から障がい者と高齢者の救護支援の議論の入口に立った。

いずれも市行政の方々の出席の協力を頂いたことを感謝。

しかし、3回目の大関輝一氏(岩手県気仙地方の支援者連絡会の生活支援提唱者、社会福祉士)の会は、現地参加支援者の出席が少なかったため、新年度に持ち越しとなった。また,障がい者の話題には他の領域の方々が、高齢者の話題の時は他の領域の方々がという具合に、出席者が減る状態が予測されるため、お時間をいただいたという経過がある。

新年度の予定は、議論の手薄な「外出時被災」や「一次産業地域型(農山漁村型)」と「都市・ベッドタウン型(都市周辺都市型)」の避難生活の差異、「青少年の積極評価と民間交流」、「地域医療のサポート」というような課題に適した方の招待を考えている。(別紙)このそれぞれから、災害対策生活支援の根が広がっていくことを期待する。

人選・予算等を検討する世話人会を作りたい。対象がケア関係者向けにしているのは、災害対策の現状打開の思いがあるためであり、一般啓蒙は別の枠組みで行うこととする。

講師の人選は、今まだ交渉決定していないため、別紙に分けた。切り口が新しい前線の実践者の方から、全国の状況を提供していただくことを心がける。会への積極参加をお願いしたい。(飛田)

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夜間傾聴:5/29 ひとり 5/30 なし

(校正1回目済み)
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ごめんなさい、通信編集追い込みかけています、明日には仕上、ブログ今回休止します

2013-05-30 04:11:55 | 地震津波災害ボランティア
すみません。
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5/28 健康診断の予約を取り/通信裏面予定講師記入で難航

2013-05-29 05:12:51 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/28 記
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**子が避難先の近所の寺から自宅に戻った。南米にいる兄夫婦が仲裁したとのこと。珍しく、元塾生の旗の台君から昼間電話があり、私が訪ねた**子の近況を調べて、夜に再度電話をくれた。親が自営業の商店会つながりである。無難にすごしているのだろうか。

旗の台君は、結婚して転職したという。「単独作業」を企業にお願いしたという。奥さんを見せるので、ー東京に来ることはないかとの話で、急いで目薬をチェックした。網膜色素変性症用の目薬だった。来月中旬までには、慈恵医大に薬をもらいに行く。そのときに、会おうと約束したのだった。歳を食うわけだ、彼は33歳、**子の先輩にあたる。

さらりと転職と行っているが、苦労したのだろう。彼に質問
すると笑ってごまかしていた。

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健康診断の申し込みを済ませてきた。虫垂炎と、交通事故時膝の粉砕骨折の際、移植のために骨盤から骨を取った。その切開した部位でもある傷口は、同じ場所に傷を残した。そこがポツネンと痛い。嫌な予感がして総合診療課を受診した。様子を見ようということになった。不気味。

相模大野からの帰り、

●「明日にかかる虹-「東日本大震災」「発達障がい」と子どもたちの現実(子どもの明日)」
●「ふくしま・震災後の生活保障: 大学生たちの目で見た現状」

●「震災・避難所生活と地域防災力 - 北茨城市大津町の記」

●「地域創造研究叢書 東日本大震災と被災者支援活動」

の4冊を注文。

通信を書いています。仕上がったら、記事を載せます。
今回は、これで。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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5/27 通信を書いています

2013-05-28 05:51:15 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/27 記
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災害対策の懇談型講演会の呼びかけ号通信を書いています。今回は、その巻頭の呼びかけ文の転載で、他のことは後に書きます。お許しを。6月1日号にしようかと。

----ここから----

■要援護者の支援を考える懇談型セミナーを作りましょう!■

 東日本大震災から2年余経ち、被災地への必要としている支援も、被災地長期滞在型支援か
関連専門職の現地派遣以外は、的を射た支援が成り立ちにくくなってきました。それは被災者の生活に深く関わる就労・医療・福祉等に関わる課題に内容が変わってきているからです。いわゆる投げ銭寄付型支援では課題に届かないため、被災地に出かけられない者にとってつながる方策が見えなくなって、風化が進んでいるのが実情です。しかし、福島の放射能汚染被災の地元から避難している方々や、家屋・稼業を失い仮設生活をしている方々の状況は、災害から生活の復旧がなしとげられたわけではないため、継続支援は不可欠です。

 この状況を打開する方法を考える必要があります。ひとつの道は「私的民間交流の促進」という手立てです。家族づきあいの交流促進の方法です。もうひとつは「具体目的支援の推進」という方法です。東北太平洋岸地域の医療は深刻な状態にあり、就労も若い方を地元に引き止める力になりえていません。ここに物や人材をシステム派遣したりする活動を考えるという方向があります。まだ有効な策があるかもしれません。この前者は官民協働の活動が成り立つ可能性が高い分野です。当懇談会はここを考えます。

 また東日本大震災は、全国に防災の見直しの課題を投げかけました。甚大災害は発生時から専門職のキャパシティを超えます。また避難以降の避難生活サポートも官民の協力が不可欠です。この活動の形を準備検討していく、非行動決定型懇談講演会を通じて、方策を練っておく必要があります。アイデアを持ち帰ることから始まる、協働の芽を育てる会を作るのです。新たな切り口を持った年数回の講演懇談から始めていきませんか。

----ここまで----


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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5/26 夏の被災地研修ドライブの運転手候補を見つけ…

2013-05-27 06:25:23 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/26 記
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大船渡の津波博物館で事務職員を募集している。博物館が観光土産物店のようなものなのか、それとも一応博物館機能を持つ収集展示活動を持たせるのか実態がつかめない。ただ大船渡市商工会議所や、「かもめの卵」のさいとう製菓が呼びかけ団体に入っているので、博物館が低迷しても、職種を選ばなければ地元転職が全くできないというわけではなさそうだ。昨日、伝習館の**さんと話したとき、引きこもり青年が社会との取り結びをする、新天地で心機一転という場として、採用してもらえないかと持ちかけた。

面接を通すが、具体的な人物がいれば、**さんが仲介する。」現在、「さいとう製菓」の空き室を利用して運営しているが、寄付金をつのって自立させるという。

S君や、相模大野校にもひとり。相模原の塾の方は神奈川から離れられないために該当者がいなかった。給与は詳細を**さんに会って調べておくことにした。

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「防風」をいただいた。厚みのある葉・あずき色の茎,セリの香りを強めたような香り、若干甘い。防風は漢方の調剤の材料となる。これも季節品種だが砂地で栽培が可能。刺身の舟盛りの仕切り材というかツマとしてみたことがあるだろう。

さっそく母のために、チキン・クリームシチュー仕立てにして、好評だった。しかしそれは、チキン・クリームシチューそのものに対してであって、母の食器の脇に、防風はきれいに取り出されていたのだった。固くて胃に負担がかかるという。胃は切除して残っていない。ダンピングのとき、吐くので苦しいからという意味だ。しかしそれは、長時間茎に火をいれて、負担にならない状態にしてあったので、食べず嫌いがまた出たというところなのだった。ゆでて、シチューにいれたり、お好み焼きのトッピングにしてもいい。セリの代わりに使える。

栽培法を調べている。仕事に使えないかと考えているのだ。

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今日はともかく、医療・福祉関連書を読むことにした。といっても仕事は仕事、橋本を往復してきた。個人指導の最中、彼の兄がバスの運転手であると聞いた。彼に頼みこんで、夏場、大船渡・陸前高田の現地レンタカーの運転手を頼めないかきいてもらうことになった。現地見学と団体交流の3泊4日(車中泊2泊)を組みたかったからだ。対象は、医療・福祉関連の官民混成数名の小研修旅行だ。これも彼の兄貴が3.11直後、石巻にがれき撤去ボランティア体験をしていると聞いたからだ。

高田・希望ヶ丘病院、社協、関連行政課、支援者ネットワーク、仮設相談指導員のところをまわる。レンタカーは大船渡で借りる。往復は交通費節約して夜行バス泊。問題点がはっきりするので、時間がとれたら、過疎の地域広田町を訪ねたい。

私の目が悪いから、運転ができない。運転手がひっかかっていたのだ。

今、通信の寄稿募集は諦めて呼びかけ号を作っているが、年間計画には、何人かの講演者のめどを立てねばならないか、そこが難航している。予算・参加者の見通しがシビアだからだ。ある方には祈るような気持ちでメール、そして訪問したが、専門職と民間支援者の連携という部分が無理だと切り捨てられて、粘っている。この方の発想は、被災直後の救命と安全避難の発想に心が固まっている。私は、トリアージ以降、復興住宅入居に至る、長い避難生活サポートにウェイトがある。語っている場面が違っているが、その差が突破できない。

もうひとつは、この交流会的懇談講演会(セミナー)が長期戦になることだ。南海トラフ等、直下型地震対策は10年20年仕事となる。これに耐えるには、中間成果が必要だ。そのひとつが被災地ドライブと、被災地職員を含んだ緩やかなSNS交流の実現だ。生活支援という根っこの部分の活動ゆえ、プライバシー漏洩が気になって、なかなか公開交流はできない。会員制で行く以外ないだろう。

とにかく、2人は講師候補が決まった。これから打診である。相変わらずのフリーランス、説得、気が重い。

夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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5/25 大船渡津波博物館つくり東京ブースへ行きました

2013-05-26 05:28:35 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/25 記
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東京・有楽町の交通会館で、大船渡被災の惨状を描いた上映会(大船渡津波伝承館主催)をするということで、様子を見に行った。私は3月に大船渡に津波博物館が出来たことを聞いていた。観光資源なのだろうなと思っていた。被災地では、依然被災者の方の生活が様々な影響から抜け出していない。そういう現在の課題と、産業復興の課題がある。こちらの方は、陸前高田と比較して、相対的に、地元に余力を残している大船渡側に地場産業自身の地域復興の動きがある。陸前高田は市外の資本を呼び込み、その動きを作っているという差異がある。どちらがいいのという話ではないが、この手の活動の大切さは認めるが、結局経営者の生き残り策であって、それが地域住民の潤いになかなかつながらないことから、担ぐ気にならないのも事実だ。

交通会館に入って驚いた。会場がないのだ。インフォメーションに問い合わせると、これは交通会館の企画ではないのだけれど、「マルシェ(市場)」のコーナーに関係者がいるという。行ってみると、三陸大船渡のブースがあって、地場食品の販売コーナーがあった。と、レジの横にTVが。嫌な予感がした。これが上映会?!

ブースの担当者に話を聞いた。大船渡の津波博物館を宣伝し、職員候補との出会いを求めて、ここで広告活動をしているのだという。上映作品はループ型の映像で、自立した作品の体を成していなかった。車と雑踏の周りの騒音で映像作品の音声は全く聞き取れなかった。私は割り切って、有限責任監査法人トーマツの**さんに、様子を聞いてみることにした。

「かもめの玉子」で知られる「さいとう製菓」が自社工場の一部を貸していわば博物館準備会のような芽をつくり、その支援者の膨らみを期待して、自立した博物館を建てようということらしい。東海新報や市商工会議所がバックアップしていた。地場物産販売を通じて、協力者を求めているという。

●「大船渡津波博物館HP」

私は、学校間交流のような公的な感覚ではない、自転車被災地ツアーで、大船渡・陸前高田のフィールドワークを生み出し、民泊を契機に、私的民間交流を生み出していくベースを作りを実現したいと考えている。その擬似親戚付き合いからの生活再建の長期見守りを行うことや、高齢化・過疎化・無医化の地域を作らないための方策の出発点を作りたい。私の言う要援護者の医療・福祉支援活動の支援を生み出すには、地元に集結する場が必要と考えていた。

医療・福祉の形を考えると、湘南の場合は地縁の結束力が弱く、災害後の地域流動性が高い意味で、阪神淡路大震災の方が質が近いが、急性期の対応で同質の経験を得ることができる。だからこの地域への民間夏期実習を生み出せないか考えている。関係学生は病院実習と重なるので難しいが、テーマは即戦力となりうるものをおいていく。

また障がい児者親子の被災時イメージ作りのために、民泊可能地を開拓していく仕事がある。そのいずれも、地元受け皿が整わないと、うまくいかない。

健常者中心の博物館活動だが、ステップにならないか、一度大船渡に出たとき、立ち寄り先ができた。また引きこもり青年の就労受け入れについて、関心を寄せてくれたので、**さんと再度話し合うことにした。

また、復興のための物産即売ができる場所を探しているという。「市営の行事だと難しいが、考えてみる」と応答した。

大船渡は椿の北限なのだが、化粧品だけでなく食品としての椿油の特産品作りが始まっていて、「椿スパゲッティ」を試作して売り出している。2つ買ってきた。(cf.図版)


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PCAT東京事務所はお休み。帰りに立ち寄った神奈川県サポで、県立図書館の書籍更新をして、時間が早かったが町田経由で相模大野に出た。

P.S, 6/1 ”This is not my cap" 、原著・大阪弁訳 2冊組
   プレゼントを贈る。「ことばは”じゆう”だ」


夜間傾聴:明日会うことに。

(校正2回目済み)

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5/24 映画「天心の譜」上映会に参加してきました

2013-05-25 06:11:16 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/24 記
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茅ヶ崎手をつなぐ育成会の「天心の譜(しらべ)」上映会に参加した。私は3.11関連から発想しているので、それがどこかで接点がないかと淡い期待を持っていた。この作品は、知的障がいをもつ9人の撮影隊が、「コバケンとその仲間たちオーケストラ」の営みを追う活動とその映像が中心となっている。そういうものとして観るべきなのだろうが、やはりその編集表現には違和感を感じるものだった。

それは小手先のものではなく、物事の考え方が背景にある。皮肉なことだが、小林研一郎氏が団員に伝えようとしている音楽に込められる気持ち、音楽が表現であるというメッセージが、転じて作品のBGMにも適応されることに落とし穴が見えてしまう。大事なことは、音楽は表現ゆえにメッセージ性を持っており、それが映像にかぶるとき、豊穣な映像の本質を忘れると映像と音楽のメッセージが衝突してしまう。

話はがらりと変わるが、被災地三県の中小企業が衛星を打ち上げる話がある。その中に未来に対する子どものメッセージを入れる。そうすれば、空を見上げた時に自分の理想が空にあるから、その子の人生の指針になるという話だ。それはそれだけで考えると、とても素晴らしいアイデアにみえる。しかしその背景で、理想に向かう子どもという形で、地上の子どもたちは束ねられてしまう。様々な子がいる。ひとりの子でも喜怒哀楽さまざまなコンディションがある。視覚に障がいのある子もいれば、ベッドから離れられない子もいる。こうしたことを考えると、シンボルをたててそこにひとを束ねる方法論の危うさが浮かびあがってくる。

理想をたて、そこに向かう姿に子どもを結びつけるとき、それは子どもの成長の神話に支えられていることに気がつく。これが高齢者なら…、背伸びの入れ物にひとを追い込む視角の偏狭さに気がつくだろう。音楽は根源的で豊かな表現を提供すると同時に、情でひとを束ね強いメッセージ性があるがゆえに、肉体を持った様々なひとを塗り込めてしまう。その精神性からみえてくる地上の私から見上げるそれは、いわば「公」の私だ。

小栗謙一監督の作品共通のテーマは、ファインダーの向こうの人物の命、変容と成長のドラマであるようだ。(全作品を見ていないので、”ようだ”と書く。)しかし、その映像を追体験している私は何者なのだろう。エリクソンのそれのように、成長の可能性を指摘された背を追う者なのだろうか。そこには、モデルとなった人物と私との同質性の認識がなければ、そのメッセージは伝わらないし、憧れている私を期待されている野放図のレッテルを貼られた私が見えるばかりなのだ。

宇宙飛行士やスポーツ選手、時代を遡れば軍人さんもまたその構図に束ね包み込まれてしまう。なぜ常に現在の私は脱皮していくべき否定的存在なのだろう。この違和感がつきまとってくる。

作品は初め小林氏の指導の中、楽団員がいきいきと演奏練習の中で成長していくのが見える。ここまでは、私は映像の中のブレス(息)を感じて見入っていた。ところがその練習が断ち切られる3.11の災害が割り込む。このとき、東日本大震災の被災映像が現れチゴイネルワイゼンが流れて、私の共感の絆は絶たれてしまった。

私は東日本大震災の破滅的映像を見たとき、一切の情感を捨てた。今ここで起きている現実と対峙すること、その現実はそのものとして向かい合おうと考えた。貿易センタービルに旅客機が激突したときもそうだった。リアルな物事を予定調和的な解釈に当てはめるなということ。人の営みや物事には常に音楽的な情感が伴うが、東日本大震災のそれは、沈黙の中に対峙が行われたのだった。被災したひとびとの思いへの想像が、チゴイネルワイゼンとは、被災した人に聞いてみるといい。作品と私がそこで切り離された。

その後、映像はスペシャルオリンピックの画像へと飛び、なんと第二次世界大戦の映像へと変わる。これらを貫いて、「私たちはどんなに絶望的な環境でも立ち直っていくのだ」と作品の影の主題がたちあがる。常民としての私らが困難を乗り越えていけることへのメッセージが送られてくるが、人災・天災・スポーツが、それを言いたいための素材に連ねられるとき、私たちは庶民として、またカタルシス中毒の観客となって会場から充足して家路につくのかなとうんざりした。もとのテーマの障がいを持った若者が表現を獲得して、社会参加していく姿の命の躍動を描いた方がすっきりする。

「語るべきは、今の私たちである。」また常民の感覚に訴えているのだろうが、ふまれてもふまれても立ち直って生きていくというテーマは、その共感に危険性があることを知るべきだ。いみじくも第二次世界大戦の画像を挿入したことで、この戦争を起こしたのが自らが支えた為政者であったことの自己責任をかなたに置き去りにしてしまう、常に「巻き込まれた外野」になる。

いや、よかった、よかったと会場を出る観客にさせられた私たちは、それこそ鈍麻した人間像ではないか。奇妙な編集をかけたために、何が言いたいのかさっぱりわからない作品だった。

蛇足だが、これ被災地で上映するのかなと老婆心が疼く。被災者の疎外感、通じないのかなと思う。

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有楽町の交通会館で、25日に東京で大船渡の被災映像が上映される。連携の可能性がないか、様子をみてくる。

●「津波惨禍の映像、東京で25日上映 大船渡・伝承館」

夜から授業なので、時間が大丈夫そうなら、PCAT東京事務局に寄ってくる。土曜日、大丈夫だろうか。


夜間傾聴>南橋本君&塾長

(校正2回目済み)

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5/23 湘南こどもネットワーク第50回シンポに参加して

2013-05-24 06:22:22 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/23 記
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「やさしいハンカチ展」の「湘南+α展」の呼びかけチラシができた。私学との交流が早道と思っていたところ、横国大事務局に私の友人がいて、附属に話してみるとの話が入った。ありがたいのだが、それでは横浜の取組みになってしまい、湘南が動かない。すっきりしない気持ちで仲介を依頼した。

夜、「第50回湘南こどもネットワークシンポジウム」があった。保育と小児療育関係者が集まった。毎回40~50名は確実に集まる。頭が白いのは極少数派だ。

テーマ別にシンポジストが答えていく形。<園の格差>から始まって、<子どもたちの未来>までの話を聞いてきたのだが、これはプライバシーの問題がというより、個別事例を語る発想がないという感じがする。平板な話だったように思う。司会の**さんは、要点ピックアップの的確さは定評がある。しかし構造的に分野まるがかえの発想なので、いつ論じても同じになってしまう。抱えている状況のテンションがにぶいのだ。長丁場の活動拍手する者だが、欲求不満が残った。

今回は茅ヶ崎市長がシンポジストに入っていた。会が始まる前、この間の「わーく」編集部の災害ボランティア活動を鳥瞰する資料をまとめて市長に提供した。

一番具体的なものは個人医療情報QRカードの構想提案、そして東北被災者生活継続支援と、湘南防災医療福祉関係の官民交流懇談講演会設置呼びかけの文書だ。渡したから何かが変わると思うほど甘くはないが、内容が伝わっていれば、活動を立ち上げたとき、説明の通りが多少ちがう。

これから通信をつくるので、秘書課の方にも届けていく。

いつもなら、会の終了後、懇親会に参加するのだが、行けばひとを怒らせてしまうから、今後遠慮することにした。震災は被災地を見た者と見ていない者との危機感の差異がでる。南海トラフ地震に誘発された相模トラフ、首都直下型地震の発生確率の高さを感じているか、まだ平気だと考えるかの差はなめない方がいい。この断層に私に協力してくださった方々が板挟みになっている。やれるところまで、やりきっておくことが、私のすべきこと。

NHK「きらり、えん旅 綾戸智恵」の録画を見た。私の仮設巡回のとき、お宅でお茶をいただいた**さんが写っていた。どの顔さげて行ったらいいのかわからないが、声が聴きたくなった。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)



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5/22 庶民の常識なる障壁に立つ偏屈爺ぃ

2013-05-23 05:08:39 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/24 記
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昼食を終えて母は東京の病院へ、私は相模大野に出かける直前、電話が鳴った。叔父からだった。出るなりすごい剣幕で怒鳴られた。時間に余裕のない母を送り出し、私が相手をすることになった。

話はだいぶタイムラグがあった。伯父の葬儀のとき、私が叔母の高調した話に水を刺したことを、叔父に告げ口し、聞いた叔父が怒り心頭、私を怒鳴るために電話をかけてきたのだった。普段大人しい人なので、びっくりした。

伯父は亡くなる際、ホスピスで死を迎えた。麻酔薬で骨に転移した癌の身をよじるほどの痛みから解放される代わりに、夢現つの状態になっていた。目は中空を見つめているが、私という人物判断どころか、夢の中に写る幻と現つの私の輪郭の間を揺れ動いていた。その証拠をここでは書かないが、その状態を叔母は理解していなかった。

叔母は伯父が亡くなる数日前、伯父を訪ね、伯父に話しかけ、手を握った。笑いかけたら笑い返したという。人の認識は相手の身振りを抑圧した意識の上で模倣をすることによって、共感的に対象を理解する。記憶のインデックスが呼び起こされている。笑いに笑いはその認識の過程が身振りを抑圧しきれず現れたものであり、宙をうろつく掌に手をあてれば反射で掌を握る。

私が伯父と同日ベッドサイドから声をかけたとき、私は一番わかりやすい話の文脈からはずれた頷きを行った。伯父は頷くのだった。私が何であるか理解しようという行為だ。

叔母は、伯父が自分をしっかり見つめて、「あとをよろしくたのむな」と言われたと、手を握って話してくれたと声高に話して回っていたのだった。醜態に口裏を合わせるつもりはないので、「伯父は麻酔薬で夢の世界にいたんだよ」と釘をさした。

よっぽど悔しかったのだろう、それを夫に泣き声で訴えたらしい。なんと情のないと叔父が怒り、電話をしてきたという経過だった。「よろしく頼む」は作り話とまでは言わなかったが、私がその場の3人目、面子をつぶされたと怒っているという。亡くなる前に会うことができたこと、これはよかったと思う。しかし、粉飾してはいけない。

叔父は、伯父を物扱いして情がないと怒る。事情を説明し、亡くなる前にお別れできたことはよかったと思うが、嘘はいけない。しかしそれは、人前で指摘したわけでではない。恥をかかせたつもりもないと応答した。叔父は、幼子が葬儀の場で亡くなったひとが壁際にいると主張する例をあげ、霊魂は大人には見えないが、幼子は心が綺麗だから見えると言い出した。その子の主張する現場に叔父さんはいましたかと問う。虫の羽を一枚一枚はぎとるのも子どもですがと応答。罰当たりと電話が大きな音をたてて切れた。

身内をかばうのはわかる。しかし便乗して自己主張するのは見苦しい。そこでいわれる「情」のキッチュな感覚に私はなびかない。

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鬱陶しい気分で門をでた。

取り敢えず、ビッグイシュー誌を茅ヶ崎サポセンにとどけ

相模大野校の授業が始まる前に、昨日の日本プライマリー・ケア連合東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の**さんに応答メールを出すことを思い出した。まだ50分ほどゆとりがあったので、相模大野の某ファミレスでメールを書いた。時間切れだったが、講師依頼の話は次のようなものだ。

●東日本大震災について、PCATの今後の活動を紹介して欲しい。

---- PCATのいう外部民間活動との連携推進とは、海外のセミプロ集団との連携を言っているが…

●大規模災害の時、まず急性期、消防団や防災リーダーのように、ある程度訓練を受けた方々だけではなく、地域NPOの協力をさぐる試みはないか。専門職特に現場の看護師の支援をすることは邪魔になるだけだろうか。仕事の切り分けはできないか。

●石巻・気仙沼・大槌町の現場を語れる講師候補がいらしたら仲介して欲しい。関心は医療看護介護への人手不足緩和と、災害理解を広げるために地域NPOの役割をモデル化的に吟味できないか。

●東北の社会的弱者の継続支援として被災地で活躍する活動を寄付活動を超えて関われる、非被災地支援者の活動のアイデアはないか。

とまあ、倦怠期の被災者支援活動を私は「私的民間交流」推進にあると考えているが、医療サイドから見て、NPOが必要な支援とは何か。

と、こういうことだ。

もう一通は、介護タクシー業者に向けたメールだが、これは間に合えば今夜に。

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近々映画上映をする++さんに電話。BDプレヤーを探しておられた。私のプレヤーを受け渡しする件で電話をかけたのだが、かけているうち、前に++さんから注意をうけたときに考えたことを思い出した。

私は東日本大震災のあとの群発地震に、南海トラフを中心とした時限爆弾的巨大地震が来る予兆のようなものを感じている。東北の被災した方たちの続く窮状に対する支援と同時に、このままではいけないという思いがある。

しかしこれは、決して皆と共有されているものではなく、正常性バイアスがかかれば、確実に来るのではなく来ないかもしれないということだってあるという、揺れたら揺れたときのことという発想の中で踊らねばならないこと。

巨大広域災害を経験しているにもかかわらず、旧態の風水害・局地火災モデル、子羊誘導モデルに固着して、教訓を受け止めていない活動があって、そういうものだという想像力の貧困がある。

特に災害発生と安全避難の話に関心が集中しているが、避難生活と生活再建という「生き延びる困難」の段階の話にならないと、障がい者・高齢者・母子家庭のような要援護者のリアリティは生まれてこない。安全避難論議の肥大化が、逆に災害対策の気持ちに蓋をしている。段階(時期)を明確にわけた議論提案をしていくことの重要性。

中高生・引きこもり青年ら若年層の災害ボラ活動の中の積極的な位置と評価。社会参加の好機。

こんなことが頭にあっても、明日揺れるわけではないしという壁をどう超えるのか。伝わらない言葉の中に、私がいること。まず櫂より始めよ、埋もれるなという言葉の反芻。

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個人医療情報QRコードカードの件、市との共同の議論の場に出しつつ、沈黙したのは個人情報カード(昔風にいえば国民総背番号制)の法制化の波をかぶる可能性かあったからだ。項目は「名前・連絡先(住所)・年齢・血液型」という必須の部分と、「病歴・常備薬」等、自己選択項目からカードを記号化するという案が共感するメンバーを作って再提案する出直しの気持ちがあったからだ。これがあれば、巨大災害の大量負傷・発症のトリアージを迅速に進められる効果を提供できる。

この共感者が本当に見つからない。ほぼ全員沈黙している。ここをどう打開するか。今年度7月の市との共同懇談に、無視されない協力者が欲しい。すべてが糞詰まりのような、もやもやとした思いの中にいる。

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カツオのたたきを食べたいと母がいうので、藁灰で焼いているのを買い込んで帰った。ところが、にんにく臭くていらないとまた捨てられた。カロリーを下げるために、飯抜きで刺身を食べた。どうしたらいいものやらと、縮んだ母の背中をみる。

夜間傾聴:**子(よかった、元気だ)


(校正1回目済み)

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5/21 PCATとJDFに連絡を通した

2013-05-22 06:23:53 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/21 記
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ペットレスキュー支援紙No.16配布終了。玄関でエアデール・テリアのご挨拶を受ける。私は事故で片膝の可動域が狭いので、しゃがんで挨拶を受けられない。犬の背が高いので立ったままの威圧感が少ないのだろう、久々に犬に話しかけた。災害時、避難所にペットは入れないところが大半だ。避難所の近辺にペットの預かり所を作っているところもある。福島では家畜やペットの預かり拒否があったため、自宅生活を続けたり、車内生活をした話も聞こえてくる。たかが獣ではない場面もあるのだ。

メールで、うち合わせをかけていた日本プライマリー・ケア連合東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の関係者と連絡がつき、27日、会うことに。日本障害フォーラム(JDF)宛にメールを送った。

私の問題意識は被災要援護者の支援について、話題が「安全避難」に集中しすぎて、避難所生活以降の「生き延びる困難」への知恵の交流が疎かになり、定形の活動に支援が収まってしまい、非健常者の健康とQOLを上げる活動が、専門職に預けっぱなしになって、人手不足から単身者・高齢者夫婦・母子家庭等の社会的弱者の深刻な孤独死に至る事態がある。また被災地の福祉施設職員の極端な人手不足などから、専門職と民間NPOの協力援助を膨らませる医療福祉活動のモデルを作りたいと願うのだ。また慢性期といわれる被災数年後の継続支援を被災者<>非被災地支援者の交流支援モデルをたてたいと考えている。これから生活再建という時期に、市民活動の退潮がやってくる。その結果、被災者は自主活動という孤立化を余儀なくされる。そこに交流サポートの泉を作りたい。それはまわりめぐって、自分たちの防災にも活きてくる。

とにかく、ことを進めたい。様子見の間に手遅れの事態になることを恐れる。

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**子のことが気になる。今日会うことになっていたが、時間が足らなかった。

今月は異様に金がかかっている。年度替わりの会費納入が追い打ちをかけている。会費だけで3万円近い。行動限定、困ったものだ。

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父の機能訓練計画書を持って特養に行く予定だった。海老名に出てきてもらった橋本3君と会う。海老名は就労研修先だ。母親と三者で合う。食べたサンドイッチにむせた。不快感を抱えたまま帰宅。嚥下障害候補か。

残り物始末で精進揚げをつくる。飯が嫌だと母がいうので素麺。冷たいからいやだと言い出し、また精進揚げを母の分まで片付けるはめに。糖尿病者とは思えない。悩み。母が取った胃のあとに偏屈の虫が住み着いたというか…。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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5/20 じんわり始動/医療社会福祉協会全国大会・災害シンポ

2013-05-21 05:51:09 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/20 記
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昨日の庭師のダメージが残っていた。前日の睡眠時間が3時間ほどだったので、連日は体力がもたない。全く母の判断は最悪だった。カプセルホテルを昼間利用するには江ノ島か、相模大野に行く。これが2回目だった。窓ふき・外壁塗装・積み上げてある書籍・雑誌の廃棄(冗談ではない、ハードカバーを捨てろとは。)仕事が山積みされていた。そこに救いの雨。しかし、3千円+交通費が立ちどころに消えてなくなった。教室が近いからラブホテルというわけにもいかない。前回はやっつけ仕事で、パソコンを担いで作業した。家事は底なし沼だ。計画的に行わないと、読書や作業ができなくなる。

小雨の中、ペットレスキュー支援紙の残り4医院を回った。あとペットショップ1箇所を回った。医院だけで時間切れになったが、今回は中川こうじ写真展(横浜)を紹介した。

●7月3日~7火
●かなっくホール(横浜・東神奈川)

だ。まだビッグイシュー誌が2冊残っているが時間切れ。

今回は南橋本の訪問。橋本3君が嫌がった白衣の工場に代わりに就職したが、遅刻が続き、休業していた。漠然とした圧迫感が原因。釣りの入門書を提供した。

就労支援では、某チェーンスーパーのレジまわりの清掃や買い物かごの片付けの仕事があったが、条件が女性。客の商品袋詰め手伝い等を含むためだ。女性対象者がいなかった。障がい者としては脊椎損傷の身体障がいの方をイメージされていた。1名。勤務地・横浜。某中主企業団体からの情報。

海抜表示のあるところで、スマホのアプリ「標高測定機」を確かめた。標高15mの地点で14.3m。誤差が大きいが、これはこれで災害ボランティアで使えるのではないか。無料アプリなのでお試しを。

「ハンカチ展」の活動のすすめを仕上げるところだった。外出中、**さんから、BDプレヤーを貸す話だった。被災障がい者の現状上映の段取り話ものれんに腕押しだった。企画のもうひとひねり必要だが上映しよう。とりあえず「ハンカチ展」要請文は、あすサポセンで印刷する。

<医療・福祉関連記事より>

●「『関心を持ち続けて』被災地からの願い-医療社会福祉協会全国大会・災害シンポ」(CBニュース)


夜間傾聴;なし

(校正1回目済み)

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5/19 岩手県の高齢化率が公開される中…

2013-05-20 06:26:21 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/19 記
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母が庭師を呼んでいた。予定外、徹夜状態で起こされて、仮眠を取るためにネットカフェに逃げ込んだ。だがすぐに店員に起こされた。すごいいびきなのだそうだ。やむを得ず、大げさだが、ビジネスホテルに飛び込んだ。とんでもない出費。徹夜のまま、家屋の拭き掃除できるほど若くはない。おかげで今日は一日、企画関係はお休み。夕方、ペットレスキュー支援紙配布に集中した。辻堂=茅ヶ崎を2往復する。14箇所に掲示依頼した。また、日曜日というのに職員がいた、高齢者地域包括センターと、元市医師会の看護師さんの作った訪問看護ステーション、共同作業所の3箇所、順路沿いにあるところは、ちょっとお邪魔して、今年度のセミナーの構想を話してきた。帰宅20時。頭ががんがんする。

母は離れた部屋にいるから、私の夜間の様子を知らない。アジの刺身と糸ミツバ・いかそうめんで和風カルパッチョをつくり、冷凍保存していた卵白処理の鶏を手早く焼いて母に食べさせ、自分は飯かきこんで、ともあれ仮眠を取った。2時間。

岩手県は全体が高齢化が急速に進み、災害被害のあった太平洋沿岸部は、3人に2人が高齢者になる社会が、日本の未来を先取りする。陸前高田で初のエア・ドクター機着陸したそうで、訪問看護優先の僻地医療型の医療システムが準備されている。

しかしこのことは、仮設生活から被災者住宅に高齢者が固まることを意味している。高齢者施設は職員採用が全く成り立たない、低賃金・重労働、被災地では転居して施設近隣入居が建物自身がないために、それも加わって機能していないという。推し測って、仮設入所したものの、新事業に飛びこむ余力のある方は少ないとしたら、TPPに駆り出された漁業・農業も若手を雇い入れた大手産業が地元買取のような形で進出。生活保護高齢者が増え、仮設や被災者住宅に集中、放置すればスラム化しかねない。低賃金・重労働が解消されない限り、三陸地域の課題は、高齢化をめぐって社会参加の対策を描いていかなくてはならない。

災害時要援護者の中でも、高齢者支援の課題は、多面的な視座のセミナーを行って、非被災地と被災地をつなぐ活動の企画化を進める必要がある。

この像が湘南の未来像かというと、高齢者の周辺が違っている。この差異も、丁寧につかみだしておかなくてはならない。今までの教育と障がい者サポートととは違う領域だけに、手探りの闇を感じている。在宅介護の経験はあるが、社会資源が見えないし、ここしばらくは、高齢者関連施設の関係者に押しかけ問答を踏まえなくてはならないだろう。短期的には、孤独死を氷山の頂点となる喫緊の課題もあって、セミナーと別個に活動をどうたてるか…まずは私から、たとえその先も私だけという事態でもそれなりに意味を持つ活動。枝葉を茂らす可能性のある活動をつくるのだ。現在出せる企画は、「個人医療QRカード」「改良・ハンカチ展」だ。ものにしたい。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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5/18 仕切り再開/仙台地裁発行の被災破産民事裁判事例集

2013-05-19 06:19:50 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/18 記
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やっと父の特養入所と、伯父の葬儀、生業の誤解税務処理始末の重なりと家事、無茶苦茶だったが、すべて整理がついた。

少しずつ、ペットレスキュー支援紙 No.16 配布をしているが、O動物病院で「しばらく来ないから、やめたかと思った」とお叱りを受けてしまった。今年に入ってから、1・3・5月に配布という隔月配布になっていたからだった。7箇所配布したが、あと16箇所残っている。獣医さんと話しているからなかなか進まない。月刊体制に戻せないか、日程の隙間を図っている。というのは、外来が午前中と16時~19時のところが大半だからだ。塾と重なってしまう。午前中は昼夜逆転生活の睡眠時間が削られる。

岩手・宮城の震災資料が仙台で編纂されていて、行政だけでなく、仙台地裁からも震災破産者の民事処理の事例が書籍にまとまった。今後の震災裁判に影響を与えることとなる。紹介しておく。

●「東日本大震災に伴う仙台地裁の事務処理・運用」

昨日から、懇談型講演会の今年度の講師予定を作表している。
出来次第、通信の記事に織り込んでいく。

JDFの講師を考えたが、こちらは、「被災障がい者の被災後の現状」の映画込み講演会で再度出会うことになりそうだ。

セミナーが7月、上映会が9月のイメージで動き出す。

昨日は生協に買い物にでた以外は、電話とPCに関わりきりだった。橋本の訪問指導が先方の調子悪化で日程変更を求めてきたから、丁度いいタイミングで、たまった事務作業をこなしていくことができたのだ。

視覚障がいの関係者が絞れない。複数の条件、避難と避難生活の2点が当事者サイドから語れる方が欲しい。

初回は「外出時被災」の話からだ。

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ペットレスキューの関係では、被災ペットの販売行為の伝聞情報が入っている。要注意。

ハンカチ展の件で、会場を駅ビルのような大きな会場を確保する資金をつくる算段を打診し始めている。結局どこかで助成金を使わねばならないだろうが、其の辺のノウハウの話を含んで、今月中に、関係者とアポがとれないか、協力者を探している。障がい者の話からは、慎重な団体の方が、被災時、よりリアルな困難にぶつかるというジレンマがある。

ハンカチ展は、セミナーを進める際、二股を関係者に迫ることになりかねず、了解が得られるか不安があった。だから、東北の継続支援で支援活動をしている関係団体に振っていこうと思っていた。しかし、ことはもっとひどく、ならばこちらも「言いだしっぺ原則」に基づいて、牽引役に出ることにした。美術館ではどうかという助言もあったが、これは美術館が準備を仕切り、それに乗っかるという線で、これでは地元の被災者継続支援活動の掘り起こしにはつながらない。いま、防災以外は被災地長期滞在型支援に絞り込むということになってしまう。東北の継続支援の裾野をどう整備していくか、そこがぼっこり手放されてしまうのは、被災の現状とかけ離れている。

沈黙が最良の手立てという泥沼ならば、肺魚になればいい。干上がって死ぬことは耐えられる。十五年目である。

夜間傾聴:ひとり

p.s.横須賀在住のADHDの熟年女性から、長期アルバイト社員の情報を求められた。とりあえず、生協関係に打診をかけている。テリトリー外なので、情報がない。困ったものだ。

(校正1回目済み)

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5/17 切り替えのための今日の一日

2013-05-18 05:48:55 | 引きこもり
2013/05/17 記
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市役所の高齢福祉介護課父の移動の始末の件で相談に行っていた。帰りに市社協にビッグイシューを届け、3箇所ペットレスキュー支援紙をクリニックの貼らせてもらう。藤沢税務署にでかけ、相談を受ける。本数の少ない路線バスで、父の特養の近くに向かい、そこから歩く。行き違いで、不足していた印鑑や介護保健証を持ち込むことになっていたからだ。バスの時刻が父との面会を拒んでいた。バスに競歩で乗り込み、辻堂駅へ。
辻堂図書館で書籍更新。茅ヶ崎に出て糖尿病の治療薬を処方してもらうために、主治医の医院へ。買い出しをして家に戻ると浜見平の++さんが目の前に。父の在宅介護していたときに、お手伝いしてくださった母の友人だった。夕食をともにし、食器を洗ってやっと一息をつくと、21時になろうとしていた。うんざりとした気分が私を包んでいた。まるでマラソンである。

切り替えのため、仮眠1時間。
気分を変えて傾聴開始までに、ストレッチ。

懇談型講演会の講師候補選択。>障がい者フォーラム岩手の**さん追加

「訪問看護と介護 2013/03」誌の再チェック。

図書館で借りた「不埒な希望―ホームレス/寄せ場をめぐる社会学」をざっとチェック。メール応答。母が珍しく茶の間から去ったので、PC持ち込み、作業開始。

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深夜の傾聴待機は十年前を頂点にしながら、徐々に固定会員の夜間サポートに変わっていった。今日も%%君の様子を作業をしながら緩やかに見守っている。気を入れれば彼の負担となるからだ。

先日、以前東京の社協の会合で知り合った、命の電話の@@先生からメールが飛び込み、会員専用携帯の番号を伝えた。その後、音声で話し合うことができたのだが、先生のお話は、命の電話の講習を受けて、サポート会員にならないかというお誘いだった。結果からすると、私はここに全力をかけるスタイルは、本来私が願うことを具現する活動形態ではないので、お断りさせていただいたのだが、この夜間傾聴の世界は、公開すれば津波のように、対話を望む方が押しよせる。組織ではない個人が支える運営はむずかしい。またニーズが差別のスティグマから家計困窮の課題まで含むので、神経症を含む心身障がいの青少年の生きづらさへの伴走に的を絞りきれない難がある。加えて私の関心事の社会的弱者の社会参加の協働像が、社会活動としてではなく、個人救済に収束してしまうからだった。正誤というよりスタンスが違うのだ。

作業は教室からの持ち帰り作業だったり、社会活動の準備や、関連読書・ネット探索だったりする。音を絞って狙いの番組を見ていることもある。医療・福祉・教育系と震災関連のドキュメントが大半。ところが今夜(5/18am)は、珍しく「涙の書 ~作曲家タン・ドゥンの世界~」を見ていた。世の中にひしめく生活音や自然音に感覚の断片を感じ取り、織物をつくるように、表現に組み込んで曲をつくる譚盾(タン・ドゥン)の「女書」と家に嫁ぐ女性たちから起こした組曲制作のドキュメント(再放送)だった。2回目なので、ぼんやりと傍らの画面をみていると「涙の書」が始まった。

前回気づかなかったのだが、女書の歌詞を歌う女性たちの記録取材が組曲作りの協力者の取材へと変容し、水辺で洗濯する女性たちの歌声をロックに乗せるという場面があった。違和感があった。伝統的に受け継がれて来た女性の歌が、作曲者の構想に基づいた演出体験をすることで、伝統的な曲相が影響を受ける。私なら記録取材に止め、スタジオで目的に沿って編集するだろう。つまり関わる側が、日々生成し継承される伝統文化に参与するのだ。このことは、音楽に関わる仕事に限らず、カウンセリングの世界でも、リード役をすれば、絆は切れる。解決するのは彼であり、彼が参加する環境との関わりのレスポンスの力だからだ。

p.s. 帰宅時、ポルトに立ち寄り、ビッグイシュー誌配達。
   iPhne用アプリに「標高測定機」という無料アプリ発見。震災ボランティア用に使えそうだ。GPS機能から算出。


(校正2回目済み)

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5/16 やっと一段落か/シャドウボクシングの再開

2013-05-17 05:55:02 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/16 記
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父が利用していた老健の諸費の精算と、介護保険証明や常備薬の残りなど様々な後始末があって、老健に出かけた。チェックして事を勧めていたと思っていても、必ずやり残しが出る。橋本のもうひとりの訪問指導に、父のパジャマの入った紙袋や、この間、すっかり書籍の貸出期間の延長ボタンを押し忘れて、図書館の管理を忘れていたために、前回の残り20冊近いハードカバー資料を抱えて最貸出んために本の塊を担いでいく訳になったが、指導の場に荷物を持ち込む訳にもいかず、茅ヶ崎駅のコインロッカーを久々に使うことになった。県立図書館と寒川町立図書館と、厄介なのは慶應大附属の湘南キャンパス図書館が残っていた。交通の便が悪いのだ。

昨日、大岡山に出かけた時に、十年ぶりの旧友に会った。フリースクール支援者だった。ともに年を食ったと話したが、方や某大手出版社の教材開発部門の統括部長補佐になっていた。私の主張していた「学習困難児者の学びの協業的場面設定と営みの評価」「個別指導計画の境界」などという屈折した現場主義の話など通じるはずもない健常児者の能力開発屋になっていたが、私の頭よろしく擦り切れたモップと書道の太筆の差のような、落差が、翌日じんわりとボディーブローのように効いてきていた。私教育に賭けた時点でそれは覚悟の上だったが、互いに話す言葉も通じないことに痛みが走った。かれもフリースクールの支援者だったからだ。

そんな思いが、なおさら抱えた荷物を重くしていた。自閉症児者の発達を追う仕事が長いあいだ語る言葉を発する相手を失っていたからだ。

父の居た老健に紙袋を置いて,精算。橋本出て仕事。茅ヶ崎に戻り書籍の山を取り出して逆戻り寒川へ。そこから文教大に向かい、バス停で休憩しているタクシーに乗って慶応大・SFCへ。SFCから辻堂に出て、横浜の県サポの生涯学習センターで更新。相鉄改札口でビッグイシューを買い込み、藤沢からバスで、どしゃぶりの闇の中、今度父が入所した特養へ。宿直の職員に、不足資料等を渡す段取りが、先方の引き継ぎミスで、事務員のいるときにと突き返されて、ぐるり回って帰宅。ビッグイシュー誌を近所の**さん宅へ。

猛烈な無駄でも、時はまわしていかなくてはならない。気がついてみれば、特養の介護職スタッフに、今日の父の容態を尋ねていなかった。感覚が擦り切れている思いを自覚。母に食事を出しつつ、言葉を交わす気にならなかった。

東京都が、南海トラフ地震と津波が島嶼部(伊豆七島・小笠原諸島等)を襲ったとき、推定1,800人の死傷者が出ると公表した。地震・津波が起きたとき本土もまた大惨事が起きている。しかし島嶼部の被災者は自力医療のキャパを超えてしまい、1,800人を本土移送する力が本土側に残っていないとなれば、医療救援組織の派遣の事前計画を練っておかなくてはならないだろう。

地震が発生してから組織され動き出す民間支援団体や、旧態を抜け出せない地域防災組織が、そのつど同じ轍を踏む解決力の限界を抜け出していく道はないのか。元気づけ応援団が島嶼に乗り込むのか、限界あらわな問題が提起されたように思う。

明日からペットレスキューの支援紙No.16の配布を再開する。また被災障がい者の現状の上映会提案は、また沈黙の時が異様に続き、結果的に中止になるいつもの事態が進行している。ハンカチ展も然り。間が抜けた頃、障がい者フォーラムの映画が、次の活動を生むことなく、単発で流れていくのだろう。このゼリー状の状況にいかに仕掛けていくか、それにはしばし、一握の砂ではないが、眠りの一日が欲しくなった、いまのままでは、まず無理だろうが。

p.s.私のもうひとりの旧友と話した。アドバイス感謝。


夜間傾聴>ひとり


(校正1回目済み)

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