湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

8/30 自閉症スペクトラムのある路上生活者の青年の保護その後/

2014-08-31 03:42:10 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/30 記
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昨夜、緊急避難した青年**さんの件で、宿泊所の管理者と話をした。彼は3日間、食っていないと訴えていた。深夜、土砂降りの雨の中、食事と緊急避難をする宿まで案内したが、彼を受け入れてくれた宿に、時間外訪問の謝罪と一時受け入れの感謝を伝えたのだ。

彼の件は、県保健所の緊急窓口と市に連絡された。その結果、彼は土日をその宿で過ごすことになったという。ただ彼は実家がはっきりしており、所在地が茅ヶ崎近隣自治体のため、茅ヶ崎市役所を仲介して、その自治体が身元を保護することになる。宿泊施設の運営団体と私は、寿町に身元を移す方法も検討している。その自治体で折り合いがうまくつかなかったから、茅ヶ崎市に流れてきたようだったからだ。

しかし、今回の金曜ミニ・カフェは実質、彼の訴えを聴く場になってしまった。彼は非常に理知的であり、自分の状況を客観的に捉えていた。それゆえの苦しさもまた抱えていたのだが、路上経験をしてきた点が違うだけで、私が伴走支援してきた青年たちと同じく世間という荒波に悪戦苦闘してきた。寄り添うことしかできないが、今回の**さんとも、これからもお付き合いが続きそうな気がしている。

次にサポセンに電話。これは受付窓口担当者の困惑に、今後類似の話が起きたときの対応を話し合っておく必要を感じると私の意見を伝えた。ともあれ、昨夜の担当の++さん、お疲れ様。と同時に、宿の責任者と臨時受け入れ調整をしてくれた##さんに、お礼と今後の対策の検討をお願いしてきた。

昨夜は、傘をさしてもびしょぬれとなった。時間からして、隣人との関係で深夜、風呂に入るのは憚られた。すでに明け方になっていた。着替えをして布団にころがったものの、どしゃぶりの闇の中で、道に迷っている**さんの姿が焼きついて、彼の経歴の闇が透けてくるようで、結局は眠れなかった。

辻堂駅から姿を消して、日立市でひき逃げ事故に会い、植物人間になってしまった??さんと重なって見えていた。

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昨日の金曜ミニカフェは「明日へ 地域のセーフティネットを作ろう 釜石市野田町第2仮設」を取り上げたが、そこではケア・プラン会議(ケース会議)とは違う福祉・医療の緊急時対応のできる職種横断型地域セーフティーネットの必要性を大阪・豊中市の経験を踏まえて検討している。きわめて実践的な内容だった。この話はいずれ話せる場で論点を紹介したいと思っている。

後期夏期講習はひどかった。睡魔との闘いだった。学習に困難のある子の支援をしている講師たちとも、路上生活者の話はなかなか話せない。話せば明らかに引かれてしまう。例外は相模原の塾長夫婦ぐらいのものだ。サポセンには、どのように説明するかが脳裏に貼りついて離れなかった。助けを求めてきた彼は特別な人間なのではない。そこをどう語るか。

帰宅が遅くなり、母にはサバカレーを食べさせようとしたら、全部生臭いと手をつけず残されてしまった。そうめんと玉子で越えようとすれば、玉子が残った。勝手にせいと諦め、夜間傾聴前の仮眠を1時間ちょっととれたのが救いだった。


夜間傾聴>ひとり
        友人

(校正3回目済み)

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8/29 金曜ミニカフェに路上生活者の**君が参加し、夜間、避難支援となった

2014-08-30 05:14:39 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/29 記
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母は珍しく静かだった。友人の見舞いの件、雨天を突いてでかけるのは無茶ということになったらしい。翌日雨が上がる日曜日に日程変更。母の付き添いで付き合う必要がなくなってほっとしている。

珍しく教育カウンセリングが忙しかった。日曜日は授業がないので、畑中さんの紹介号を準備する。

金曜ミニカフェに、珍しいお客さんが参加した。若い路上生活者の**さんだ。番組を流している横で、彼の訴えを聞いた。自閉症スペクトラムの方だという。近隣他地域に実家があるという。今回は、彼の話が中心となった。3日間食事をしていないという。茅ヶ崎は炊き出しがある。その場所を教えて会を閉じて帰宅したが、それから5時間半後。彼から真夜中の電話があった。場所がわからないという。そとは土砂降り。

いそいで身の回りの菓子やパン、雨傘を袋に詰めて、彼のいるところに向かった。午前1時半である。路上生活者の簡易宿泊所まで彼を誘導。偶然起きていた入所者の方に頼んで、なんとか彼を保護できた。それはサポセンの管理者の##さんが機転を利かせて、彼がサポセンを出る前に、この簡易宿泊所の管理者に雨宿りを頼んでくれていたからだった。だからスムーズに、宿泊できたのだとわかった。ナイスフォローだった。

夜間傾聴は今夜は臨時休業。私も濡れ鼠状態なので、今夜は作業中止して終える。


(校正2回目済み)

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8/28 後期夏期講習、私は土曜まで/「きずなシステム」これしか考え付かないんかなと

2014-08-29 06:01:08 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/28 記
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小雨。気温が10月初旬並。相談1件。目の調子が悪い。

網膜色素変性症の視野は、油に汚れたガラスで世界を見ているようだ。先ほど台所のシンクを洗っていると、きれいに洗って、終わりと思ったら、大きなゴミが突然現れた。それを取ると逆方向にスプーンの洗い忘れが現れた。しかし当人は、その都度、すべてきれいに洗い終えたと思い込んでいた。こういう視覚の穴が起きる。車を運転していたら、突然通行人が現れてしまうだろう。雨の降り始めのときに、なぜか間違いが多い。

3年前に岩手県庁に仮設そばにポストをと意見投書をしたことがあった。なぜかポストに、いまごろ貴重なご意見ありがとうございますという封書がとどき呆れている。3年間どうなっていたのだろう。

吉浜の**さんから、中古自転車を片付けたからと連絡があった。懇話会出費があるので、そう頻繁に現地に行けない。岩手ではもう学校が始まっているだろう。それでも区切りなのだろう。やむを得ないと返事をした。

明日は金曜ミニカフェ。その前に「わーくNo.46」の配布が出来るか。明日は相談2件、取り出し指導1件。相談は電話になる可能性大。

災害弱者のための「きずなシステム」(『医療とIT』P.118~121)を読んだ。要するにタブレット端末を使えるひとのためのシステムで、メール相談や、生活情報提供、緊急連絡アプリがくっついたようなシステムだ。亜急性期以降、インターネット回線復旧を前提としたシステムで、これを駆使できるひとは、危機脱出力のある方と、矛盾した災害弱者像が浮かんでくる。QRコードのカードとマッチングできるかと読み始めたが、接点が無かった。

懇話会ニュース(No.009)の外枠完成。畑中さんとのインタビューが主。朝、母の旧友の入院の電話あり。犬の散歩中にリードがからまり転倒。大腿骨骨折でなければいいがと、土曜日に関係者と合流してお見舞いにいくという。浦和だ。つき合わされないといいのだが。

「わーくNo.46」20部増刷。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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8/27 災害弱者と取り結ぶ絆とは 他

2014-08-28 05:09:25 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/27 記
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雨が降って気温が一気に下がった。縁側から男の宅配便屋のような声がして、ちょっと待ってくれと応答したのだが、縁側から枕元の障子を開けたようなどきりとした瞬間目が覚めた。リアルなのでびっくりしたが、身体がすっかり冷えていた。

畑中さんのインタビューを載せる懇話会ニュース(No.009)の外枠を作った。きのう喫茶さざんぽで、「わーくNo.046」をおかせてもらうとき、「No.045」を回収したが、その部数が一部も減っていなかった。手に取った折り目のひとつすらついていないことに、考えさせられていた。

災害対策関連の他の取り組みをみても、下肢障害のある高齢者や、認知症の高齢者の取り組みで当事者家族の声が少ないように、圧倒的に障がい者の取り組みは遅れていることを感じてしまう。我が家と懇意にしてもらっている浜見平団地の++さん親子と話すことがあって、私が災害ボランティアをしていることを先方は驚き、話し込むと私は困った意見に出会った。

東日本大震災はもう済んで、しばらくは、大震災は、やってこないし、関西や東京のも(南海トラフと首都直下型地震のことらしい)いつくるかわからない先々のものに、手をかけても無駄だ、だって交通事故で私たちは、いつ死ぬかわからないんだから、そのときはそのときよと、この方は言い放ったのだった。

発生確率のことは全く頭にないらしい。

障がい者の家族の場合は「そのときはそのとき」という気持ちが強い。しかし、それでは私は発生確率が高いから行動しているのだろうか。なにか違うように思うのだ。

3.11私は辻堂図書館前の通行人を誘導した後、タクシーで海岸線の路上生活者たちに避難を呼びかけに飛び出した。その行為はあったことはあったのだが、その行動以降、私を突き動かしていたものは、車を飲み込み、人家が流れるニュース・シーンに全身の冷えと怒りで不条理さに涙がにじんだことを覚えている。やりきれない虚しさを飲み込んだ。現地にでかけて、家族を失った葬儀屋さんと話をした。

そのとき、災害弱者を強く思った。憤りではなく、これはまずい、このままではまずいという直感だった。理由はあとから追いかけてきたように思う。このあたりの実感の差が、皆との認識の壁になっているように思う。直前の3.8に私は社会的企業・ソーシャルファームの一石を投じていた。それが3.11、わずか3日後の震災で吹き飛んだ。

そこから3年余、走り続けてきたが、私には阪神淡路大震災や有珠山噴火という災害支援の中で見たステレオタイプ化したお祭り騒ぎにはうんざりしていた。間違いではないが浅い。今回の類似活動の再現には消極的だったことと、茅ヶ崎は南三陸しか担当しないという話に、私のもともとのスタンスの「災害弱者の支援」の深みへと活動の方向を独自に検討し始めた。この方向は、発災1年ほどは、ガレキ撤去や支援物資取りまとめの動きにかき消されることはわかっていたので、仮設入居後からの伴走支援の準備をしていこうというもので、実行を心に決めていた。これは今回はじめてのスタンスだ。有珠山噴火災害のときは、元気付けこいのぼり騒ぎには乗らず、火山灰を学校に送る活動を立ち上げていた。授業で子どもたちに現物を手に話をきけば、子は親に話す。その方が現地の様子がしっかり拡がると判断したからだった。だから、その時点まで結局私は被災者の外野にいたように思う。しかし、3.11は胸元に棘が刺さったような気になっていた。阪神淡路大震災の「非被災地からの支援」の立ち入れなさが心に残っていたから、私には実際につながれる隘路を探す志向があったのだと思う。

こうした経過の中に、長期避難生活に晒される災害弱者への支援と伴走そして防災への踏み込みという形がでてきたのだが、この発災時の事態へのやりきれなさは、その活動の底流に流れている。ここが共有できないのだろうと思っている。「虚しさを越えて行くところにひとの生がある」と私は常に引きこもり青年たちに言ってきたが、それは決意ではなく、谷間を超えてつながろうとする情熱だ。その場面に立ち会っていない方と、どう言葉を交わすかそこが常にひっかかっている。ドゥルーズを引っ張り出すまでもないが、ひとは必要の中で考えるとすると、包み込まれた必要の包みの紐をどう解くかがかぎであることには違いない。今自分が可能なことはことは何だろうかと思いつつ、まずは持続して発言して行くことを再度、肝にすえた。

後期夏期講習、夜2コマ。珍しや。

夜間傾聴>開店休業

(校正3回目済み)

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8/26 市議会・県保健所etc.に「わーくNo.46」配布/復興庁・陸前高田市に動きが

2014-08-27 06:03:50 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/26 記
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後期夏期講習が続いている。橋本で個別指導をしてきた。南橋本で教室の迎えがあったので、嫌な予感。小学生の理科工作を手伝わされた。渦巻状に切った葉書を白熱灯の上にかざすとくるくると回る。それがなぜかと説明する。大概は、上昇気流があるからだで納得するのだが、やっぱりいた。なぜ上昇気流があると回るのか…だ。これを説明するのにベクトルを使って説明してはいけない。通じないし泥沼にはまる。息を使ってやったり、風車をつくってまわしてみる。それで、やっぱり回るとして逃げ出す。小学生低学年の場合は類似実験を自分が体験して、まわるものだと納得すればいい。反則だが秘伝なり。泥沼は学生にまかせて、冷や汗かいて、逃げ出した。

ともかく、さっさと工作を仕上げて茅ヶ崎に戻った。

「わーく PicUp No.46」を急いで配布した。市議会・県保健所・手をつなぐ育成会・サザンポで時間切れ。しかし、サザンポに委託配布させてもらっていた前号5部は、すべて残っていた。スペースに限りがあるので、時節のひんやりとした空気を感じつつ回収してきた。歯をかみ締める。

秋風が吹き始めた。懇話会ゲストの畑中さんのインタビューを早くまとめないとと、開催まで1ヶ月を切ったことを感じている。懇話会ニュース発刊である。

復興庁・陸前高田市両者に動きあり、資料をDL。
「災害医療とIT」の中に、「きずなシステム-タブレット端末を用いた被災地における高齢者・障害者支援-」を発見。派生情報をたどっている。

●「生活支援相談員らを拡充 復興庁、見守りを強化」岩手日報
●「震災報告の概要27日に全戸配布 陸前高田市
」岩手日報


夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

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8/25 「わーくNo.46」配布開始・他

2014-08-26 06:02:22 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/25 記
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夏期講習の最中、代々木ゼミナールの7割閉校のニュースに驚く。少子化の波は大手も洗う。

久々の集団授業。もともと声が通らないのだが、どうも調子がでない。ポンコツか。帰り、藤沢で下車して「わーくNo.46」の版元コピーを取り、茅ヶ崎の5円コピーで印刷。さっそく市社協と市役所関係課・市サポセンに配布。秘書課に1部。

JR相模原の塾からTELあり。八王子の青年の担当を塾長の奥さんが始めたという。塾長の補佐だという。続かんぞ、注意したのに。明日、橋本訪問が入る。相模大野校は取り出し指導。現時点で対象者なし。出勤せず、橋本へ。

「医療とIT」をチェック。QRカードとの整合性はない。地域sys部分コピー。

雄勝の関係資料コピー到着、資料再整理。
明日、図書館書籍の更新巡回。

左目の視野に真っ黒いゴミ状の異物が飛ぶ。網膜の一部が死んだ証拠。次回の慈恵医大眼科は視野検査が必須。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

p.s. 今回は簡略で…すみません。

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8/24 「わーくNo.46」仕上がり、残りの記事から

2014-08-25 05:57:36 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/24 記
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後期夏期講習が始まった。今日は私は1コマだけ。行って帰ってくる感じ。「わーく PicUp No.046」が完成した。すでにブログで紹介している内容だが、続き原稿を載せる。今日印刷し、近場から配布を始める。

----- ここから -----

<長期避難生活者の日々の視点を ~國森康弘氏の写真集から~>

◆東日本大震災の仮設生活も長くなり、以前、阪神淡路大震災の被災者がたどった避難生活の長期化の歪みと同じような問題が、東北の仮設で起きている。しかし、現地に出かけることができない非被災地の者にとっては、なかなか避難生活の様子がイメージできないまま、被災者を忘れ始めている。TV番組もめっきり数が減った。図書館の返却棚をふと見ると、写真家・國森康弘さんの写真集「恋ちゃん はじめての看取り」(ISBN:9784540112652 /2012.1刊)が目にとまった。この写真集は、滋賀県東近江市のおおばあちゃんの臨終の場にカメラを持ち込み、ひ孫の恋ちゃんのお別れの様子を記録した素晴らしい写真集だった。子どもが命のバトンを受け取っているシーンが、とてもよい表情で撮影されている。
◆貴重な仕事だと思い、國森康弘さんの仕事を調べてみたところ、東日本大震災関連の仕事もされていることがわかった。作品の中で「ぼくはクマムシになりたかった―かあさんに残したさいごの笑顔」(ISBN:9784540122538 /2014.1刊)、「歩未(あゆみ)とばあやんのシャボン玉」(ISBN:9784540122514 /2014.1刊) などが東日本大震災関連の写真集であることがわかり、さっそく図書館でチェックし、驚いた。前者は南相馬市の仮設に住む骨肉腫を患う勝彦さんの記録、後者は癌で余命の少ないじいやんと、ばあやんの南相馬の仮設の二人暮しの日々に、原発事故避難をしている孫の、幼い歩未ちゃんがときどき遊びに来る。その希望の記録だ。
◆私が写真集に感動したのは、仮設の避難生活の中で、災害弱者の方も、仮設の中で脈々と生活を営んでいるという当たり前のことだ。ただ勝彦さんの最後のメッセージも、じいやんと幼い歩未ちゃんを見守るばあやんの思いも、私たち非被災地に生活する者にとっては、その思いと吐息が伝わってこないことが悲しい。私たちが災害弱者と呼び、孤独死注意の支援を語る単身者の体温も、支援を語りながら忘れているのではないか。私たちが災害弱者支援を語るときの災害弱者の一側面を垣間見た気がするのだ。被災後数年を経た被災者の今に目を向けた写真集をご一読されることをお勧めしたい。幸い各地の図書館の児童書コーナーに置いてあるようだ。
◆私はこの写真集によって、支援活動をリフレッシュしたような気になった。どのような困難も抑圧も、被災者の生活の視野から感じ取って行く大切さを反芻している。

(注:クマムシ…体長は50マイクロメートルから1.7ミリメートル。熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息する。Wikipedia)

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<(連載)個人医療情報QRカードの検討(6) 個人情報を扱う社会的企業 ~カード自主作成制を基礎に 医療情報集約を支える窓口を 第三セクタ運営で>

●個人医療情報QRカードは、急性期の大量要治療者の治療歴チェックを迅速化するツールとして威力を発揮する。病歴や現在服薬中の薬品名と服薬量を携帯電話でチェックでき、データはそのままメールしエクセルに取り込める機能がある。しかし、運営上はいくつかの問題点もある。それは、有効性テストに医療機関(市立病院等)の協力がいること(top-down型活動)、利用者が複数の病院・クリニックの治療を受けているとき集約の必要がでること、体調は日々変わり治療も変化するため更新をどうするかというような点が大きな問題点となる。今回は、この2点目、複数医療機関情報の集約(一元化)について考えよう。

●カードに記載される情報は、住所・氏名のような必須項目を除いて、当事者の自主選択に任される。本人確認用健康保険証No.や家族構成などは自主選択に入る。その中でも、医療情報の核となる病歴・治療歴、服薬中の薬品名とその使用量などは、医療機関の協力を得て、項目フォーマットを決めてQRコードで患者さんに毎回提供してくださるようにお願いする。薬品名と量については、処方薬局にお願いできないか考えた。しかし、病歴・治療歴につては医者でなければ扱えない。シール状にし、カード作成申請書の1枚に連続して貼りこみ提出する形にし、まとめてカード化する。カードはセンターが発行する。カード申請・発行窓口は、地域基幹病院と市役所とその出張所に置き、センター職員が巡回回収と配達を行う。病院窓口にはセンター職員が常駐してもいい。

●申請書類から情報を読み取り・入力する作業、カード印刷・集配などの作業が要るが、個人情報管理のために、市役所内に作業コーナーを置き、作業管理者下に置く。カードは有料とし、その資金と構成団体のカンパ・助成金により官民協働のセンターの運営資金にする。希望としては、このセンター運営は、障がい者の就労先として占有させていただきたい。

(つづく)

----- ここまで -----

QRカードで、広島土砂災害・大雨冠水災害について振れるのは、次号に行うことにした。

夜間傾聴>ひとり
     **子

(校正1回目済み)

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8/23 「わーくNo.046」<避難所内簡易マイクロFM放送局を運営する(3) >より

2014-08-24 05:57:34 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/23 記
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「わーくNo.046」の記事の続きを転載する。今、QRカードの連載記事の書き直しをしている。広島の土石流災害の件に触れたかったからだ。明日から後期夏期講習が始まる。事前作業が続いている。

----- ここから -----

<避難所内簡易マイクロFM放送局を運営する(3)
  ~「マイクロFM」「災害(ミニ)FM」との住み分け~>

●「マイクロFM」は、大きめの体育館などの避難所のエリア内のみをカバーする放送局だ。本来はメモ紙やホワイト・ボード
の掲示板や、避難所スピーカー放送を補完して行く機能や、取材による避難所利用者の声を公開していく役割を持つが、FMラジオを聴いていなければ流れ去って行く、インターネット以前の旧メディアに属している。

●「情報伝達」という面では、「掲示板&チラシ(新聞)」をメインにおき、より短期補間型のサブ・メディアとしての役割を果たしてきた。避難所の床は雑然としており、高齢者や歩行に難のある方には、非常に住みにくい空間だ。体育館内で利用された事例では、館内管理ボランティア(サービス提供ボランティア)と入所者さんとの肉声呼び出しの補間事例が多い。前提条件としては、FM記者が頻繁に巡回していなくてはならないが、「歩行に困難のある方のトイレ介助要請連絡」があった。ボランティア間はトランシーバなどが利用されているが、入所者さんとの連絡は向こうにいるボランティアさんをつかまえなくてはならなかったから、利用価値があった。また、「トイレの利用(空き)状況放送」は重宝された。これは常時提供されるものだった。それに加え、物資入荷や諸連絡事項は定時放送でカバーされた。これは、FMラジオのスイッチを入れてもらうタイミングを揃えるためだ。また、風の通り具合で寒さを訴える高齢者が、床の場所を交換してほしいと訴えたこともあった。これは「対話促進」の事例だろう。

●阪神淡路大震災のとき、離散した家族の消息確認や、公共のサービスの外国人向け放送を行った民間ボランティア放送があった。これは「ミニFM」といわれる活動で、「FMわいわい」などが有名だ。またインターネットや携帯電話が普及していない頃の話だったが、この頃から「ミニFM」放送は、地域コミュニケーションのツールとして、一方では公共の臨時放送免許を取得して大規模化した「災害FM」や、マニアックな「音楽放送」を流すツールに引き継がれていった。この「ミニFM」は地域をエリアとしており、その機能の違いから、会場内FMを「マイクロFM」と呼び分けている。「ミニFM」は独自の世界があり、助成金の切れ目が放送局の切れ目となるような「災害FM」には身売りすべきではないが、日常からローカル局を運営している局が、災害発生時「災害FM」の機能を持つという局は例外である。

●「マイクロFM」は、そのデータの公共性・信頼性を確保するために、避難所運営委員会に参加すべきだと考える。掲示板係との兼任などするのもよい。入所者のコミュニケーションを潤滑にする役割を果たすため、経験者+ハイティーンズのチームで運営するのがいい。一番の危険は入所者のプライバシーの侵害があり、取材の的確さが求められるからだ。繰り返しになるが、「マイクロFM」は日常時、学校などのサークル運営でき、いわゆる休眠待機ではない状態でいられる点だ。中高生の登場が期待されるとはそういう意味を含んでいる。  (続く)

----- ここまで -----

夜間傾聴>8/22 ひとり/8/23 開店休業

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8/22「わーくNo.46」<ミニ・カフェ第10回「釜石市野田町第2仮設・地域のセーフティ・ネットを作ろう」>

2014-08-23 18:04:10 | 地震津波災害ボランティア

昨日の「金曜災害ミニ・カフェ」はサポセン担当者と日程相談をしたとき、飛田の勘違いで8/29を8/22にしてしまった。そのため、他の企画と重なり番組上映が出来なかった。8/29は飛田の後期夏期講習の最中なので間違えたのだが、今日、拝みこんで日程を変更できた。改めて8/29にやり直しをする。以下は、事前に番組を観て書いたものだ。

----- ここから ------

<金曜災害ミニ・カフェ第10回「明日へ 釜石市野田町第2仮設・地域のセーフティ・ネットを作ろう」(NHK)レポート>

●釜石市の仮設入居被災者を、3つの訪問支援組織が巡回している。保健師と見守りスタッフ、被災者緊急雇用制度によって生まれた支援連絡員(1日3回巡回)、市社協の福祉スタッフの生活支援相談員だ。その3つの活動は、地域の生活応援センターに集まり、情報共有とケース会議が行われている。しかし、活動は順調に受け入れられているわけではない。特に単身者の方が訪問を拒否されたりする場合、孤立死(孤独死)、アルコール中毒などの危険度が高いが、なかなか解決策が無いのが現状だ。仮設の自治会との連携をとっているが、もともと仮設は仮住まいなので人の移動が多く高齢化の傾向があり、自治会は安定していない。そんな中で、仮設自治会・訪問支援者・市行政関連課が研修会を持った。

●今研修会の講師には、復興サポーターの湯浅誠氏、大阪・豊中市社協の勝部麗子氏が招待された。初め問題点の抽出・個別事例を検討していった。そこで出された問題が貼付左図だ。3回目以降も土日・夜間診療の問題や、自治会企画への男性参加率の悪さ等、次々に課題が出てくる。被災後3年余、被災者にストレスが高まりながらも、問題を胸のうちにこめている状況が報告されていた。各訪問支援員・自治会・行政が「見守りネットワーク会議」を進める必要が高まっている。地域の課題をどうシステマチックに支えていけるか、その仕組みを必要の中なら生み出して行く事例として、豊中市の経験が検討される。「認知症高齢者の徘徊」の地域サポートの事例が報告されている。そこから「豊中市の見守り支援の枠組み」が語られる。(貼付右図)

●番組はかなり実践的な内容の示唆を含んでいる。この回の研修会は、釜石市の見守り支援システム作りに大きな影響を与えると思われる。懇話会に、この豊中市社協の勝部さんは来年是非招待したいと考えている。

●ただ、一貫して「障がい者」の地域参加と見守りの課題が消えている。当事者が会議に参加していないのだ。あまりにも悲しい現状ではある。茅ヶ崎で検討を進めて行く際には、特に成人障がい者の支援の形を浮かび上がらせたいと思う。この点の話では、障がい者の困難は以前から指摘されながら、対策はなかなか具体化しない。障がい者のノーマライゼーションや地域サポート一般を論じるのではなく、障害者総合支援法や震災津波を中心とした「防災」のプラン化というような隘路が開かれている。具体的な課題設定ができるところで、話を立ち上げて行くという方法が、この平常時の見守り支援ネットワーク実現に至るみちだろう。難しい課題だからこそ、被災体験の先人者、現場の声や空気を集めて検討する必要がある。ただ入れ物を先に作っても魂が入らない。現場の事例に耳をそばだてて行くことだ。今回の番組は課題を明らかにし、解決の枠組みを探るという方法論のしっかりとした記録になっている。

------- ここまで -------

(続く)

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8/21 千葉の歯科医師会の医師と会いました/他

2014-08-22 05:18:15 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/21 記
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千葉の歯医者さんと鎌倉で会った。懇話会の歯科医師会ゲストの話の可能性を求めて、鎌倉散策に久里浜方向から来たらしい。家族で来られたとの事だが、奥さんは別行動。娘さん連れだった。

小学生の娘さんが同席していたので、鎌倉の話やフェリーの話ばかりで、あまり話は深まらなかったが、やはり首都圏支援者のボランティア体験談ではなく、被災地の歯科医の紹介は難しいということになって、結局、歯科医師会の東日本大震災への取り組み全般の語りになることは避けられなかった。懇話会は被災地の現場の声を湘南に引き込むことにある。だから直接には不適合と判断した。謝金も交通費も私の想定の倍はあって、それだけで無理なのだが、「わーく」編集部の方の企画に含みを残した。

鎌倉は久々だった。以前、障がい者の半民間就労支援窓口作りをしていた頃、障がい者の喫茶コーナーの個性で和風にするため、「手焼き煎餅」を導入する付け焼刃練習を煎餅屋さんにお願いした時期があった。関東風の煎餅ではなく南部煎餅に乾燥の具を入れ込んだような、煎餅汁のもとを作るアドバイスで、あとは芭蕉煎餅(これも汁の具となる。)を安定させる工夫をお願いしていた。

その煎餅屋さんを久々に訪ねて、土産を買わせた。店は代替わりしており、若旦那と話したが覚えていないとのことで興ざめ。

江ノ電で藤沢に出て、大船からモノレールで江ノ島に戻り鎌倉へというコースを紹介して藤沢までご一緒して別れた。

歯列鑑定医の話は、資料をいただけることに。収穫はゼロではないが、現地に押しかけないとことは拓きそうに無い。

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とにかく暑い。母にチキンドリアを作って食わせた。私はキンキの干物を改めて庭で乾燥させたもの。最近の干物は水分が多いので、焼いている網に皮がこびりついてしまう。猫とハエ対策の排水口ネットで干す。

●「ふろしきづつみ」
●「浜の命―震災から立ち上がり、平泉・藤原まつりを命がけで支え」

の2冊を注文した。震災関連の児童書。

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p.s.明日は金曜ミニカフェ「野田第二仮設」セイフティネット作りがテーマ

夜間傾聴>**子

(校正1回目済み)



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8/20 後期夏期講習が近づいて/盲ろう者の孤立 全国調査

2014-08-21 05:31:29 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/20 記
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河北新報が盲ろう者の全国調査を紹介している。被災時、障がい者が晒される環境が透けてみえる。全国組織があればこそ見えること。発達障がい・精神障がいの領域で類似の調査が出てこないかと待望している。

●「盲ろう者、孤立浮き彫り 東北938人 全国調査」

9月に出かける件、石巻か大阪になりそうだ。石巻というより女川。今度は障がい者施設関係で冬場。畑中さんとの調整を兼ねれば石巻だが、さて。

後期夏期講習が今度の日曜日から始まる。演習の指導は年中無休だが、後期は少し私にも授業がある。取り出し指導だけではないので、楽しみでもある。

それまでに「わーくNo.046」を仕上げておきたい。畑中さんとのインタビューは「懇話会ニュース No.009」で、9月初めに出す。

昨日のムーアの美術批評ごっこ失敗の後遺症で、今日は若干落ち込んでいる。生協で買い物中、市議の**さんと出会う。投函資料を読んでくれているとのことなので、いつもいく宮古は遠くてねとカマをかけると、宮城県と間違えていた。二重の間違い。読んでいないね。期待してません。

夜間傾聴>なし

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8/19 箱根彫刻の森美術館に重役出勤したものの

2014-08-20 03:36:44 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/19 記
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塾の一行と合流して驚いた。3分の1がフィリピン出身者、残りの大半が講師と後援会の大人,残りが高校生だったのだ。期待していた就学前児童・小学校低学年児童がひとりもいなかったのだ。

私の行おうとしていた美術教育は、15年近く前に上野行一氏が紹介したアメリア・アレナスさんの美術批評型の美術鑑賞法であって、現在ではポピュラーなものだ。美術史と公的評価を確認し記憶するのが美術鑑賞とされていた常識を覆した。自らの感じ取った発想を立ち会った他者と意見交換することで、多様化した眼差しとの衝突のなかに、評価を創造するという方法だった。

しかし、この方法には見守り・活性化屋が必要であり、発想の類型化という潜んだ敵と戦わないと認識が深まらないという難がある。類型化の優れた破壊者が実は児童らなのだが、今回のように子どもがいない場合も一応はなんとかなるのだった。それが異文化。私は美術科の教員ではないから場数を踏んでいるわけではない。ましてや母国語が違う方との実践は、中・英・日の3ヶ国語のネイティブという子と高機能自閉症の青年と塾長という不可解な集団で体験した一例だけだった。

出会って驚いた。すでに彼らは観光を済ませており、帰りの食事の前のひとときを美術館で過ごすという感覚で参加したので、皆で見つめるという動機がなかなか作れないまま、鑑賞対話に入った。私にはタガログ語は全くわからないし、癖の強い英語も塾長の通訳を介して行われた。

この鑑賞が、いわば「ごっこ」を内包していることを感じ取ってもらわねば、なかなか対話になっていかない。ヘンリー・ムーアの作品を回る形で行ったのだが、実はこれは他の客が周辺に少なかったという珍妙な選択だった。

目的が共有されていないので、作品にレッテルを貼って、次に移動したがるところを「話し合ってみよう」と誘いかけたが、同意は得られたものの、講師陣はヘンリー・ムーアを美術館のインフォメーションで有名な人と知り、だったら作品に優れたメッセージが隠れているに違いないという向かい方をした。この辺はピカソだったら様相がまた違っていただろう。一方日本滞在が短いフィリピンの方は、その日本語インフォメーションが読めなかった。だから自分の知識のインデックスを探って英語で語ったが、「これはどこどこで見たことがある」という言い方になって作品のメッセージから離れてしまう。結局、閉園前にレストランで食事を済ませようという形で、みごとに破綻してしまった。

準備不足だったなあと思いつつ、小田原で別れるまで、みやげものの話をきいていたのだった。今までの対話は子どもが主導していたんだなと、わかっていたことを改めて反復していた。

しかし考えてみると、私は塾の方も下請けのような関わりで、教室を居場所にしているわけではない。訪問指導講師とは、1:1の指導や、気の合う数人を喫茶に集めて添削を中心とした指導を行うことで、孤立の重荷を下ろさせ、同世代と結んで行くという仕事と、教科のキャッチ・アップを行う、いわば出前業だ。勿論、テーマ授業を教室で行うが、それは臨時のこと。そういうよそ者感が付きまとってしまう。今回もそういうキャラクターがじわりと身にしみる。ちょっとした敗北感がそこにある。

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出発前、市社協と特別検診の結果を受け取りに駅の近くの病院にたちよった。社協はビッグイシューの配達、病院は案の定、糖尿病ですねのひとこと。あとは異常なし…眼は範疇外らしい。こんな余裕をもって箱根に向かったのだが、油断したのかなと思う。しょうも無いない話なのだが、美術企画が終わっての帰り、結局は、母の好物の笹蒲鉾を買って帰ったという、何をしにいったのかさっぱりわからない小旅行だったのだ。

このまま帰るのは嫌なので、遠回りして、辻堂の図書館に予約書籍を取りに立ち寄った。

●「歩未とばあやんのシャボン玉」--- 南相馬市の仮設在住の老夫婦は夫を見送ったころ、孫の歩未ちゃんが遊びに来るようになって…
●「華蓮ちゃんさいごの家族旅行」---宮城県沿岸部で被災・脳腫瘍の女の子のディズニーランド旅行

國森康弘さんの写真集だ。震災関連の最後の2巻。これは追々「わーくOnline PicUp」で紹介していく。

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夜間傾聴>ひとり

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8/18 遠足の前日のように…

2014-08-19 04:45:32 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/18 記
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明日は箱根彫刻の森美術館に出かける。久々のイベントだが、塾の方で、この企画を知っている者も、塾長夫妻と自称後援会の**さんだけで、その他は今回が初体験。そんなこともあって、いくら講師に説明しても、話が見当違いになる。

例えばゴッホの有名な「星月夜」を皆で観たとしよう。ある子は「津波」を連想し、ある子は「明るいネオンサイン」を思い、ある子は「戦争の空襲」を思った。それを詳しく説明してもらう。正解はない。お互いの感じたことを交流させて、多様な視点を楽しめばいい。最後に参考情報としてゴッホをさっと私が語っておしまい。人と作品を鑑賞者に押し付けてはいけない。話の立て方のコペルニクス的転回がある。最後のわたしの話も「正解」扱いはしない。ここがわかってもらえない。

以前は岡本太郎記念館を使ったが、岡本作品は類似の犀型がやたらと登場するので、作品のバラエティに富んでいる箱根彫刻の森美術館に切り替えた。

今回は「小さな子には難しい」と講師が思い込み、大半が大人なのがつまらない。冗談ではない。園児程度の歳の子が一番面白い。いわゆる権威への畏敬などという感覚が無いからだ。

それはそうと、少し作品の見方の補助パネルを用意した。私は午後からの登場にしてもらった。小田原待ち合わせは無くなったが、彼ら小涌谷周辺を歩いて食事をしてから美術館に行くという。だから箱根登山鉄道で現地合流となった。

準備は、むしろ母の方だ。早めの昼食を食べさせて、夕食を平塚合流でかわした。いつものことだが、とにかく店を選ぶ。値段ではなく、純粋「味とサービス」が気に入るか否かだ。

古い冷蔵庫から出たゴミをまとめて、とにかく相模大野校の割り込みが無いよう封じ、わけのわからないうちに一日が過ぎていった。

夜間傾聴>ひとり
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8/17 新しい冷蔵庫へ食材の入れ替え作業をしつつ/箱根彫刻の森美術館行

2014-08-18 05:53:47 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/17 記
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後期夏期講習がまもなく始まる。といっても私の場合は、林某氏のように、教室で「今でしょ」とパフォーマンスするわけではない。取り出し指導とか、保健室の養護教員のように、ぼそぼそと話しているだけだ。しかしそれでも、レギュラーがいるので、ある程度予測がつくので準備が可能だ。

今日は、購入した大型冷蔵庫の搬入があり、事前に冷蔵庫の中身の取り出し作業がある。その合間にPCを打っている。しかし,
よくぞこうも、瓶詰め調味料類が溜まったものだ。

待てば相手は遅くくる。16時過ぎに業者があらわれ、能率の悪いこと…。一日中、テキスト画面と冷蔵庫で冷えていた。

JR相模原の塾の方は、箱根彫刻の森美術館の美術評論ごっこが19日にある。皆はマイクロバスで行くが、私は文句をいわれながら、小田原で拾ってもらう。箱根登山鉄道の混雑はうんざりだからだと説明している。日帰りだが、それなりに意外性があって楽しい。ただし、自閉症スペクトラム系の子には、注意しないと話が浮き上がってしまうと、塾生間に分断の種になりかねない。

たとえば、広い床に手袋が片方落ちているという作品があったとする。多くの子どもはそれを殺人事件の現場と言い出す。中には落し物とか、人間蒸発というような話が始まる。しかし自閉症スペクトラム系の子には、床に手袋が落ちている、または手袋という話から離れることが極めて難しい。しかし、彼らから意見が飛び出すこともある。その見え方の新鮮さに驚かされることもある。

ともあれ一日が慌しく過ぎた。大ゴミの袋は、空き瓶でいっぱいになった。

昨日母に異変があった。回転椅子に頼って立ち上がろうとしてこけた。私が手を添えると、そんな手で急に触らないで頂戴と手を振り払った。すぐにそれは、父と母の会話とわかった。私を瞬時、故父と間違えたのだ。数時間後、私は母に買い物の頼まれごとをした。ところが夜、私がなぜ買い物をしたのかと母は怒り出した。頼んだ経過の記憶は蒸発していた。認知症の初期症状に似ていた。

そんな騒ぎは、今日になって睡眠導入剤の服用の副作用とわかってほっとしたのだが、その振り子が逆に振れ、母は早々に眠ってしまった。疲れがでたようだ。私が夜起きているが、母は母の部屋の隣の家が早起きなので、慢性寝不足になっている。注意せねばと、背筋に寒気を感じている。

夜間傾聴>開店休業

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8/16 金曜ミニカフェ・レポートを書いていました

2014-08-17 06:01:06 | 地震津波災害ボランティア

2014/08/16 記
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昨日(8/15)の金曜ミニカフェのレポートを書いていた。原稿は下記の通り。

----- ここから -----
<<<NHKスペシャル「避難者13万人の選択」(2014/03)60分>>>
★今回の話は高齢者や障害者災害弱者の話というより、原発事故の放射能汚染から避難生活を強いられた福島の避難区域住民の窮状がテーマだ。避難生活も3年半も経つと、生活上の様々な無理が軋みをあげる。行政の施策が遅れている現状では、なおさらのことだ。
★仮設住宅は狭い。プライバシーも守りにくい。しかし今回の問題は「郷里の放射能汚染」からの避難であり、当初の帰宅の望みが崩れて行く家族の、痛みと絶望を伴った近未来選択の話だ。
★幼い子のいる家庭では、事故発生直後、自主避難した方たちがいる。自主避難は補助金の待遇がちがっているために、長期化で生活費の不足分を積立金を取り崩しているため家計が破綻しつつあり、移住も帰郷の住宅再建も難しい局面を迎えている。/集団避難をした仮設周辺には仕事が無く、父親が単身赴任状態で生活が二重化しており、子どもの成長によって、大学進学時、家族の生活が3重になることから、避難生活の長期化が家計破綻となることが予測される事態になって、移住を決断しなくてはならない家庭がでてきている。/移住を決めた夫婦は、家屋田畑を売り払って、仕事のある地域に新居を立てようとしているが、土地価格が3倍を越して高いために、未だに転居先が決められない方もいる。/帰郷可能地域の方も、除染が家屋周辺と生活道路周辺に限られ、林業やしいたけ栽培などを生業としてきた方は、依然高い線量に晒されるため、仮設を出ることが出来ないという方もいる。
★なによりも、高齢者の方には一年先延ばしの重さが大きい。被災者住宅が出来るまで、自分が生きているかどうかとあきらめ半分の声を発する方もいる。
★こうした事態にいる方が、2014年春先に13万5千人、避難生活を余儀なくされている。その声を集めた番組だった。この話を聴くたびに、非被災地の支援活動の風化や、生活再建は当事者と行政がという発想が、なかにはプライバシーには立ち入れないという言い方で支援に関心を失って行く、ある意味無責任な理由付けが行われる。南海トラフ地震や首都直下型地震に見舞われたとき、私たちも近い将来「いつか来た道」を歩くことになる。そのことへの想像力も私たちは失っているのだろうか。どう支援したらいいのか、寄付型支援を一歩踏み越えた支援のあり方は、東北の被災者との対話の道をいかに開くかに関わってくる。
★そしてまた、この番組にすら登場しない蟄居生活の高齢者・重い傷病者・障がい者などの災害弱者への眼差しの欠如が深い闇を作っている。だから耳をそばだてたい。相互の扶助的な民間交流の道を考えたい。そんなことを思いつつ地域と生活再建の道への構想案を育てていきたいと考えるのだ。

(参考)
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●「避難者数いまだ26万7千人 復興庁、東日本大震災でまとめ」

----- ここまで ------

公開アドレスに相談を寄せてくださった方から、メールをいただいた。私より一回り下の世代の方だ。1ヶ月近くメールボックスを放置していたために、大変失礼をしていたが、往信をいただき、正直なところほっとしている。すみませんでした。

私に出来る範囲のことであるか否かを、お答え願っている。なにせ中高生世代とは違うから、何が出来るか手探り状態である。

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お盆明けから、9月25日の懇話会のゲスト畑中良子さん(MSW)とのインタビューや、湘南の関係者まわりが始まる。後期夏期講習もはじまるので、その前を活用したいと思う。

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國森康弘さんの写真集の「ぼくはクマムシになりたかった」「まちに飛び出したドクターたち」を入手した。南相馬市の被災者の日常生活から見た視界が広がっている。骨肉腫で在宅治療を受けている勝彦さん、市立総合病院在宅診療科の医師たちの姿が、自然光のなかに記録されている。だから一見見栄えが悪いように感じるが、繰り返し眺めてみてほしい。被災地の大気が香りだしてくるだろう。このシリーズは優れている。

夜間傾聴>開店休業

(校正2回目済み)

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