湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

9/29 父の回復が始まった/県立鶴嶺高ボランティア塾への申し込みを終え

2011-09-30 07:05:54 | 引きこもり
2011/09/29 記
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習慣とは恐ろしいもので、相模大野からの帰り、父が入院した病院に立ち寄るのに、辻堂で降りてしまった。**さんから湘南あすなろ会のHPに、茅ヶ崎駅頭に半袖姿のホームレスがいるが、なんとかしてやれないかとの読者投稿があったとメールが入っていた。バスの待ち時間応答メールを書く。この辻堂駅南口にもベンチで時間を過ごしているホームレスの方を見かけるようになった。茅ヶ崎の駅周辺にも3名いるが、そのうち2名は、この辻堂のひとと同じく古参の人で、半袖のひとは、平塚から移動してきたのではないかと想像された。衣類や炊き出しをしている2団体に連絡することに。そういえば、パトロールをしていない。見かけるとき声かけはしているが、具体的な支援はしていなかった。父が退院したらネットカフェと野球場あたりの夜間巡回を再開していくつもりだ。私の網膜色素変性症の目では、明りのあるところ以外は、いわゆる鳥目状態なので闇が見えないので、加えるとしても茅ヶ崎・辻堂駅周辺ぐらいしか広げられないが、夜の授業からの帰り道、時間が少し早いがまわってみようと思っている。

そういえば、遠野のまごころネットの拠点や、大船渡には、HLの住環境の提供活動で有名な「もやい」の理事の**さんが災害ボランティアに入っている。大船渡中の避難所を管理していたのも「もやい」の関係者だった。ひとの命の危機に対して動くということは、地下茎でつながっているのだと思う。親しいひとに出会ったような気持ちになる。遠野まごころネットの報告会のシンポのとき、多くの関係者が地域の復興を語っている中で、ひとのことを語っていたのが印象的だったのを覚えている。

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病院にはウェットティッシュを持っていく必要があった。こういう買い物をするのは辻堂では用が足らない。病院の売店をみてみようと考え、路線バスで病院に向かった。しかし大きな容器のウェットティッシュが品切れのままだったので、結局茅ヶ崎駅に出ることに。

父は前日と比べものにならないほど、順調な回復をしていた。急性胃腸炎と誤嚥性肺炎では、消炎剤が効けば極端に恐れることもないだろう。清拭してもらったようで、ひと息ついた。まだ本調子ではないが、片言で会話を交わし、父の細かいところをウェットティッシュで拭いて病院を出た。

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県立鶴嶺高のボランティア塾の申込期限だったので、サポセンに行き申し込む。内容に気仙地方から被災者を呼ぶと書き込んだ。いよいよ講師決定と招待費用を捻出しなくてはならなくなった。10月下旬の訪問前に電話交渉をしていかなくてはと思う。これは冬休みに、高校生数名を気仙地方の体験学習につなげる活動となるので、高校生の出番を企画化していこうと思う。

今回の申し込みで、鶴嶺高校の先生達に正式に構想を伝えることになる。今立てている構想が、実はペットレスキューと小中学生の活動なので、被災者の生活に一歩踏み込んだ内容を提案しようと思っている。

しかし講師招待から高校生派遣まで、自分の付き添い実費も含んで15万円は費用がかかる。ここをどう助成金で埋められるか、なやむところだ。

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美容サービス提供にも、内容に少し追加が。カット券を買う方式だが利用者にメールを届け、先方からは感想色紙をいただくことを考えた。アドレスを互いに公開するようにすれば、交流ができるかもしれない。ただ協働の店「絆」にメール仲介をお願いすることになる。その交渉を始めることに。

ポトフの準備。とにかく仮眠を取ろう。今夜は南大沢君の相談がはいる。

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溜まった東海新報を読んでいる。地方紙でここまでやる新聞社は少ないだろう。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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9/28 父の介護再開 講師を確定する作業

2011-09-29 06:23:53 | 引きこもり
2011/09/28 記
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父の入院手続きを取っとっさのたり、入院セットを整え、父の担当医に状態を聞いたりしていた。栄養剤の点滴を受けながら、父は弛緩した表情で宙空を浮遊するような眼差しで私の声に応じた。意識が朦朧としているのか、話が続かないのだ。誤嚥性肺炎は体力の衰えた高齢者には、決して軽い病ではないという。病院の売店で買ったティッシュと吸い飲みをサイドテーブルに並べ、衣類のチェック。昨日から父は顔を拭いてもらっていないようで、ティッシュで拭いても綺麗にならない。売店で濡れティッシュとタオルを買おうとしたが、濡れティッシュが偶然切れていて、タオルは高かった。

叔父・曾祖母・祖父母と、私と母は介護に縛られてきた。父のいる病室の斜め前は祖母が補聴器のコードを首にからませてベッドからずりおち、当時交通事故で松葉杖をついていた私には、発見しても手が出せない危うい場面を経験した部屋だ。前日の菓子の破片が吸い飲みの底に沈んでいた。ケラケラと隣のベッドの老婦人が祖母の恰好を笑っているという地獄絵だった。その老婦人は認知症を患っていた。祖母の逆立ちが可笑しかったらしい。

呼び出しボタンがベッドの向こうに落ちていて、松葉杖の私にがは届かなかった。咄嗟の機転で椅子を廊下に投げ出し、異常を知らせた。私の声はくぐもっていて、大声でどなっても掃除機の騒音にかき消されてしまう。補聴器のコードを本体からはずしているところに看護師が飛び込んできて、祖母は助かった。だからここには正直いうと父を入院させたくなかった。茅ヶ崎は病院の選びようがない、究極の選択を強いられる。

新しいナースたちに、私の思いが通じるはずもなく、入院時の注意を機械的に説明する顔を眺めていた。下手をしたら、彼女が生まれる前から私は家族の介護をしていたかも知れない。病棟当番医が外来からあがってくるまで、休憩室で待たされて、要領を得ない説明を聞いて帰ってきた。手続きのない明日は、母に頼むことにした。

衣類の洗濯とおむつを抱えると、連日通院しなければならなくなる。老健と同じ業者が入っていたのも、先日レンタルの問題で、県サポの裏の本社に談判しに行ったばかりで、憂鬱だったが、衣類とおむつはレンタルにした。来客があるわけでもないと割り切った。

茅ヶ崎駅前で夜の食事の買い物を済ませ、荷物をコインロッカーに入れて相模線に飛び乗った。車内からだが、母が応急の食事をしないように念を押す電話をしてメールに気がついた。銀座に東京支社のある新聞社から、送った資料の礼と、**記者の講師派遣が無理であることを伝えてきた。もう一通はてかんの本人会の関係者からで、今夜なら会えるという内容のものだった。今夜は短時間だが、JR相模原の塾の方の海老名の巡回訪問があるので無理だった。じんわりと疲労感が広がっていた。資料は相変わらず応答がまったく返ってこない。提案というのはそういうものだ。まず隗より始めよ、キャッチボールを見せてみよとなる。ひとりのキャッチボールを見せることに腹は決めている。

帰りの車内で読売新聞の岩手版の記事に、薄暮の道をみた。遠野の公務員ボラが、震災の語り部を始めているという記事だった。北海道話が出ていた。県立鶴嶺高校のボランティア塾に被災者を招待する予算に頭を抱えていたからだった。10月下旬の気仙地方訪問は、その講師を口説く意味合いもあった。シンポというか、輪座して話し合う少人数企画か、人数が多い場合もQ&Aの場面をしっかり取るつもりでいるが、数万円はかかる。ここを突破する可能性が出てきた。申し込みは29日が締切り。まさに駆け込みなのだ。冬休みに高校生数名を体験学習で陸前高田・大船渡に送りたい。その布石は打って置きたいのだ。

深夜の洗濯を済ませて、食器を洗う。母に父の状況を話しながら、岩手の地方紙をチェック。1時間もしないうちに夜間傾聴が始まる。それまでに作戦を練ってメールを出していく。

陸前高田の戸羽市長が新書版の本を出していた。よいしょ本でないことを祈り、メモを取った。

●「被災地の本当の話をしよう~陸前高田市長が綴るあの日とこれから」(ワニブックス・
ISBN: 9784847065224 戸羽太著)


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)


  
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9/27 父の入院

2011-09-28 06:47:46 | 引きこもり
2011/09/27 記
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朝9時、父の老健から電話が入った。父が嘔吐し発熱している。提携病院でレントゲンを取るがいいだろうかという電話だった。何かが起きていた。これは任せる以外ないので、実行してくださいと頼む。

9時50分、再び電話が入る。イレウス(腸閉塞)の可能性があるので、至急老健に来てくださいとのこと。入院の可能性があるので、入所時の契約通り茅ヶ崎の病院に搬送するのだという。つまり1時間かけて老健に行き、施設の車で茅ヶ崎に戻るというのかと確認。第一、腸閉塞なら急ぐ必要があるだろう。そんな悠長なことをしていていいのかと問う。実は看護師のひとりが親の葬儀で欠勤しているところに、父ともう一件病院搬送が必要な入所者さんがいて、手が空かずに困っているのだという。私が車の運転を出来るわけではないし、病院合流ということにはならないのかと交渉して、病院で合流することになった。茅ヶ崎の某病院は内科で受け取るということになったとの話。動揺する母に事情を説明し、目覚ましの紅茶を飲んだ。

夜間傾聴は、相模大野校の強制定年を受けて私の訪問巡回が終わったのだが、このとき緩やかな会員制の夜間傾聴の扉も閉じてしまった。これで、夜間傾聴の対象者はJR相模原の塾が抱える青年達だけになって、閑古鳥が鳴いていた。それでも一ケタ台の青少年が夜間傾聴を利用している。午前1時に始まり、5時に終わる。レポートを塾に送って床につくのは大概6時を回っている。家庭ごみの袋を出して、今日は**子のプロフィールをまとめて、都内障害者就労支援施設と連絡を取る予定だった。そんな関係で床についたのが6時半をまわっていた。

一般の電話はモジュラージャックをぬいて寝るので鳴る事はないが、傾聴専用携帯は鳴ってしまう。緊急連絡用だからだ。私用の方はマナーモードになっているが、この緊急連絡用は鳴ってしまう。教えるんじゃなかったなと思いつつ、病院行きを準備した。

ところが約束の12時直前になっても車が来なかった。病院に一般外来も救急外来も予約が入っていなかった。12時10分、遅刻して車がやってきた。だから施設の車からストレッチャーを降ろしたものの、内科の一般外来は時間切れ、救急外来は救急室に入れないというトラブルが発生した。

救急室の前にストレッチャーを停めたまま、家族の申請が必要という事で、私は総合受付に手続きに出た。ところが老夫婦が相談をしており、そのあとに3人、合計5人が診察券のことなどで並んでいた。事情が事情なので列に割り込んで、救急外来の受付を頼みますというと、事務員は列に並んでくれという。埒があかないので、事務室に入ろうとすると阻止された。

今、腸閉塞が疑われるので、老健施設の病院から患者を搬送してきたが、内科で受け付けるという話が付いているのに、ストレッチャーが救急室に入れないと説明した。極端に嫌な顔をした事務員に引き継がれ、施設の病院の紹介状と検査データを私が渡すが、事務員はPCに入力が始まった。紹介状を開けもしないのだった。

10分経過し、私が切れた。「分秒を争う患者だったら事務員の不手際ということで殺すことになるという自覚があるのか!」と声を荒げた。「診察券を作っています」という。「まずストレッチャーが救急治療室に入れるようにするのが第一だろう。なにやっているのだ」と怒った。事務員は机を叩いてふくれ面で救急室に向かい、ストレッチャーは中に入ることができた。事務員は再び紹介状をスキャナで撮っていた。いつもこうだった。私がこの病院に入院していたとき、目の前で何人の家族が声を荒げていたか。これは事務員の問題だけではなかった。

施設の看護師は、病院の医師に状況説明の引継ぎを済ませ、次の仕事に移りたかった。ところがいくら待っても、経過説明を聞きにでてこないのだった。父のほかには、肺炎で入院が決まったご婦人が、点滴スタンドを持って出入りしているだけで、救急医や救急の看護師は待機状態だった。業を煮やした施設看護師が、部屋の入口から、「次の用で帰るから引継ぎをお願いします」と声をかけた。しかし、女医が出てくるのに、それから10分が過ぎていた。女医は今回の担当者らしい。

紹介状と生活介護データ、早朝の処置とその後の症状、服用薬リストを使節の看護師が見せながら、その女医に説明し、女医は克明にメモを取っていた。施設看護師が帰ってから、私は1時間半以上、廊下の長いすで待たされ、出てきた父のストレッチャーはCTを撮ると放射線科の方に向かっていったが、病院到着から50分近くが経っていた。

結局救急治療室の前の長いすに更に30分以上待たされ、出てきたのは若い男性の医師だった。「腸炎と誤嚥性肺炎」という診断だったが「経過を教えてください」という。「先ほど女医の**さんがメモを取っていきましたよ」と私が告げると、その男の医師は救急室に入っていき、「**さんは帰ったか」と聞いていた。情報が引き継がれていないのだ。経過の又聞きダイジェストと紹介状の話を私がする。部屋の奥では紹介状はどこだと探しているのだった。それはCTを撮りに行くとき、ストレッチャーから廊下にこぼれ落ち、売店職員がカルテをこの場に拾ってもってきて一件落着したのだった。つまり読んでいない、そういうことだ。冗談ではない。

老健の説明はこうだ。午前1時の巡回のときに、父が不快感を訴えたので、吐かせると夕食の肉の塊がでてきたというのだった。6時間以上経っているというのに消化されていない、つまり食道などにひっかかっていたのだ。慢性便秘の父をポータブルトイレに移動させ、ラキソベール(液体の下剤)を飲ませて下腹部のマッサージをしたところ、嘔吐が始まり大量の胃液が出てきたという。(これもおかしい。)つまり処置が行なわれた結果、引き金かもしれないが、嘔吐と朝の38度の発熱となったのだった。

医師はそれを聴いて「だったら診断が変わってきますね」という。症状が自然と進み嘔吐したと考えていた。発熱しているのだから、抗生剤で様子を見ようということになり、入院が決まった。

とにかくチームプレーが出来ていない。職員がみな不満そうな顔をしており、不満顔ではあるが、唯一交代が少ないのはPTやOTさんぐらいだろう。

相模大野校に急な欠勤に謝りをいれた。しかし、またまた一日が封じられてしまった。ため息がでる。

いくつかの動きがあった。

陸前高田の避難所期、美容(理容)サービスをしていたTさんの消息がわかった・八王子に避難していた方が交流会を始めていたが、その方たちの連絡法がわかった・**子の就労支援の件でてんかん協会東京都支部の本人会と連絡が取れた・命の旗の横断旗メーカーがわかった等である。


<気になる記事>

●「被災者4割 睡眠障害の疑い」
●「お年寄り孤立回避課題」
●「被災者向け借り上げ仮設家賃 宮城県の「滞納」
深刻化」



夜間傾聴:橋本2君


(校正2回目済み)

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9/26 今日は慈恵医大病院眼科の検査日/全国てんかん協会東京都支部にお邪魔し

2011-09-27 06:01:24 | 引きこもり
2011/09/26 記
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やっと連休が明けた。しかし、今日は慈恵医大眼科の検査に縛られていた。

午前中、父の介護度の更新の件で、市役所の高齢福祉課に行って、審査には家族の立会いがいるので、平塚の老健と三者で日程調整をしていた。

家族にとって、この検査は板ばさみの立場に晒される。本人は「俺はこんなに元気。そんなこと、出来る出来る」と頑張る。そのことで中途半端な介護度3~4あたりは微妙にずれる。

たとえば、自立歩行だ。現在父は立ち上がれるが歩けない。半身不随が原因だ。ところが前回の審査の日、足を引きずって数歩歩き前のめりに倒れ、審査員が転倒を支えた。父は数日、痛みに寝たきりになり、再び歩けなくなった。ところが介護度は4から3に下がった。つまり審査のときの状態は日常の状態ではないのだ。家族は介護度が高いほうが利用点数が多いので、正直言うと4であって欲しいと思う。

そんな場面がまた10月にやってくる。気仙地方に出かけるので、そこと重ならないようにしたいが、日程が微妙だ。

調整を午前中に済ませて、「命の旗」「カーシェアリング」「初級災害安全避難員制度」の3点の資料を市役所仮設庁舎を出たところで出会った某市議を捕まえて手渡し、数分ほどだったが、説明をした。応答は、資料は読ませてもらいますという紋きり型のものだった。普段交流の無い議員だったので、当然は当然だが、またひとり、提案を知ることとなった。議会中だったのだろうか、追いかけるようにして覘いた市議会事務局は全く議員の姿が無かった。

時間が来てしまったので諦めて茅ヶ崎駅に戻り、品川・田町経由で御成門まで移動した。月曜日は混む。予約をしていたが、視野検査は30分ほど外来で待たされて、視野検査室前で20分、合計50分待たされた。視野検査が30分ほどかかり、次が視力検査。ここでも20分弱待たされた。検査を終えて、主治医の診察までが30分、診察は数分。

右目の視野悪化は自覚していた通りのものになってしまった。不均一な蒸気が漂う風呂場の中にいるような視野、右目を閉じたほうが安定して見える。両眼とも激しく明滅を繰り返している。片目になるのは、いつなってもおかしくない。両手で水をすくうような仕草をすると、ぼんやりと右から左へと水が流れているように見える。

このちらつきと、視野の部分的なオブラートをかけたような部分が邪魔して、両眼で本が読めなくなった。今は本は片目で読まないと視野が落着かない。右目の視野の悪化が指摘されたが、網膜色素変性症は原因がわからず、治療法が確立していない。まずは酷使するなといわれても、それは進度差が出るだけで、進行を遅くする網膜の血流増加を狙った薬物療法しかない。

レスキュラ点眼薬とビタミンAを使うのだが、レスキュラは緑内障の降圧剤としては旧い薬で、あまり使われなくなった。その関係で薬局で常備しているのは大学病院眼科のあるところ以外は「取り寄せ」となる。網膜色素変性症に取り組んでいる病院は数が少ないだけに、薬局も慈恵医大附属病院周辺にしか常備していない。

この薬局が月曜日で大混雑しており、40分待たされた。やむなく食事して時間をつぶしたが、3時間近くかかってしまった。

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せっかく東京にでてきたのだから、**子の就労の関係で飯田橋や、大森・下丸子に寄る予定が17時になってしまうので諦め、西早稲田の「全国てんかん協会東京都支部」に時間外でお邪魔した。就労情報や、調査のヒントをいただいた。相談は、港区芝の「東京都障害者福祉会館面接相談」でも出来る。

結局まわれたのは1箇所しかまわれなかった。

新宿に出て、スルガ銀行新宿支店を探した。東京モード学園のそばのはずが、わからないのだ。ぐるぐると1時間近く彷徨って、理由がわかった。ビルの24Fだったのだ。丁度、ATMが閉まるところでアウト。

しかし、これはわからない。厄日だなと思いつつ、帰宅したのだった。

東海新報から応答あり。招待は10月訪問のときまで、お預けのようだ。困っている。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


p.s.ペットレスキューの壁新聞No.02取材開始。


(校正2回目済み)

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9/25 ボラバス乗車違反なの? 被災高齢者の孤独

2011-09-26 05:37:56 | 引きこもり
2011/09/25 記
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県ボラセンに行く。「命の旗」を拡げたいと思うからだ。やっと話が出来たが、それ以上にはならない。明日ボラバスの調整会議があるので私の単独行が、ボラのパッケージ違反なのにバスにのせていいのか、それが検討されるという。やはり問題化していたのだと知ると同時に、「命の旗」の応答が沈黙の彼方にあるのには辟易とした。検討してくださいな。

今回の横浜に出るのは、父の入所時受けている衣類のレンタル&クリーニングの支払いの行き違いを調整するため、県サポのそばの某社の担当者と会うためだった。日曜日なのに、こういうことは別らしい。今日は相模大野の方に予定があったので、県サポのみで相鉄線に乗った。大和乗り換えが鬱陶しい。会議中の抹茶ういろうがうまかったので、残りを買い取って(こうしないとうるさい)母へのみやげが出来た。しかし連休をつぶして話す内容ではない。奇妙な疲労を感じて帰宅した。

横浜ではビッグイシューの販売員さんが、西口にも出てきている。こちらからも1冊買いこんで来た。

「もやい」の大関輝一氏は「みちのくふる里ネットワーク」の代表をしている。「3・11と被災者支援 2」として「生活再建期支援の模索~仮設入居者、在宅被災者、避難所被災者へのケア~」というパンフレットを書いている。命を守るセイフティネットを作ることが提唱されているが、時期の転換の話が包括的にまとめられている。具体的な行動提案まで絞ってはいないので、状況認識を整理するにはいい書だ。被災者の側から見る支援活動の眼があるので、押し付け支援や、押しかけ支援担っていない点がいい。書店ルートでは買えない、下記に問い合わせを。

発行:賃社編集室 03-64111 \300-


読売新聞記事に、被災高齢者の孤独の話が取り上げられていた。

●「お年寄り孤立回避課題」


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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9/24 連休されど連休 藤沢・横浜を歩いてきた

2011-09-25 07:04:30 | 引きこもり
2011/09/24 記
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明け方急に冷えるようになった。鼻風邪を引いてしまった。葛根湯で当座の押さえ。気仙地方は冷えるだろう。

藤沢の日大生物資源科学部の学生さんと会う。学園祭(桜藤祭)の話を聞くが、地域活動と手を結ぶ接点は、やはり受け皿に乗る形しか興味が無い様に感じる。陸前高田に行こうということなら、話は別なのだろうが、湘南で「新しい飼い主さん探し」となると彼は消極的になる。「命の旗」の話は関心を持ってくれたが、話がどうもすれ違う。仮設に旗を配りに行くのかということに関心が向いてしまい、募金となると身が引く。仕切りなおして10月の現地入り同行の誘いをした。忘れていた。もろに時期が重なる。桜藤祭(10/22~24)なのだ。今後の連絡の接点を維持しつつ、今回は撤退。

県内の某高校の教員**さんに連絡。忘れていた。お彼岸だった。これまた空転。

市民活動センターは、具体的な企画を持ち込まないと話が進まない。藤沢との活動の接点がなかなか作れないので、まずは藤沢の関係団体二団体に話をしている。直接災害復旧復興支援関連の団体ではないので、茅ヶ崎市提案に持ち込みたいと考えている「災害時初期安全誘導員制度案」の藤沢版をという形でしか話を持ち出せないのがもどかしい。こちらは連休明けに会う約束。

横浜に出た。再びボラセンへ。相変わらず責任者不在というたらい回しだったが、バスの予約状況を掴んで来た。何種類か日程が組める状態だが、基本的に活動パッケージなので、遠野の活動参加ではないとなると、事前確認がいるという。了解は責任者のところで一緒にというところ。授業日程を調整確認した上で申し込んだ方が安全と見た。空きはある。

寿町に足を向ける。元ビッグイシュー販売員の++さんの消息を確認しつつ、「もやい」の災害救援活動の情報を仕入れる。ここで時間切れ。新子安の笹部さんのところにお邪魔することができなかった。

日がどんどん過ぎていく。連休は私の感覚では、叱られそうだが本当に障害物でしかない。駆け足で夕食の買い物を両手に抱えて帰宅となった。冬瓜を仕込む。薄味ベースのものなのに、思いつきで金目を買ってどうする。これもまた気もそぞろの証拠。

ツイッターとHPで「のこされた動物たち~福島第一原発20km圏内の記録」の太田康介さんのつぶやきを聴こうとアクセスして噴き出した。ネコマニアのそれなのだった。(「うちのとらまる」参照)HPでは「福島」のところを読んでいけばいい。書の中に富岡町のサンデンキ駐車場を3頭の牛が占領している異様な光景。HPをたどっていくと、街角にダチョウが現れ、通り抜けていく光景に出会う。家畜舎のやりきれない凄惨な光景とは別に、人災がもたらしたシュールな光景。それでいて胸に突き上げてくるものを感じる画像群だ。

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「災害初期安全誘導員制度案」を検討した。やはり災害は多様で、突発型と予測可能型がある。洪水避難などは後者。後者の場合は上級誘導者の指揮下に入ったほうが効果がある。しかし、広範な資格としたとき、初期誘導員に急な参加を強制できるか。火災の場合は風向きなどの判定が厄介。事故災害などは想定が難しい。しかし、避難の初動制御がパニック回避の中核なので、消防署にとってみれば、民間協力ということになるが、緩みをもったまま、かつ集団被災の責任のリスクを問えるか。ボランティア保険のような最低限の保証は出来たとしても、制度の社会的合意がないと、実働は難しい。しかし民間協力なる部分、社会的弱者の災害避難には大事な部分なり。この辺の検討は追って紹介する。


夜間傾聴:なし


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9/21~23 台風一過のように企画が過ぎて行き

2011-09-24 07:07:24 | 引きこもり
2011/09/23 記
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1)「災害初期誘導員制度条例案」、2)「命の旗」、3)「カーシェアリング」の3つの内容のそれぞれの資料集を作っていた。これを1)は茅ヶ崎市障害者連絡協議会アンケートで募集された「提案」に、仮説住宅への移住が一息つき、失業保険が切れ、先々の不安から自殺急増が予測される危険な時期10・11月の見守り支援の一助として、単身入居者の意思表示の手段を提供する試みで、特に仮設独居高齢者に至急提供する訴えとして、3)は仮設コミュニティ形成の手段(場面)の提唱という目的をもったものだ。

1)は同協議会、関連団体、市会議員等に配布。共感者を求めた。2)の「命の旗」と3)「カー・シェアリング」は、被災地訪問団体、被災地諸団体に手渡し配布を始めた。特に2)は急を要するが、「旗を送る」という具体的支援法が明示されており、地元自治体と相談して、必要本数を配りたい。

(参照)
●「「命の旗」で、仮設の一人暮らし高齢者を見守り/宮城・登米」

今、議員5人、4団体、災害関連2団体、個人4名に配っている。1団体からは、気軽なアンケートに対し、重過ぎると簡略提案にするとのことを、他の関係団体・個人からは、応答が無い。判断材料が無いというか、行動提案だけに誰が活動を支えるのかという話になっていく。私は勿論積極的に係わる意志があるが、1)の条例化提案以外は、2)は募金であり、3)は手立てをこれから準備していく議論の口火なので、私としては係わりやすさを考えた上で、内容を絞り込んだつもりでいる。

これらの資料をもって、金曜日も横浜と平塚を回った。横浜(県)は責任者不在、平塚は土曜日から市民活動センターの大きなイベント前日ということで、空転に終わった。これから藤沢・都内をまわる。

大船渡市・陸前高田市は、単身者仮設戸数がわかるので、行政と地元保健師さんたちに現状確認の上、来週には、駅頭チラシ配布に入る。協力者が出てこない場合は、規模の小さな仮設を指定し、資金がまとまり次第仮設指定で行政に送り、実現に向かわせる。河野太郎氏ではないがごまめの歯ぎしりである。

ペットレスキューや、美容(理容)サービス・カット券購入配布活動のように、継続が要求される活動ではない、いわばそれぞれの地域について一発支援なので、できたら旗は大船渡・陸前高田の業者から横断旗素材を発注したい。横断旗の製造元で「横断中」の文字のないものを注文するが、だいたい値段は送料抜きで300円/本となる。

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台風15号が通過した21日(水)、午前中から大磯の星槎中見学が、午後から障害者雇用促進フォーラム(茅ヶ崎)が予定されていた。星槎中見学は同中が災害回避休校のため中止となった。昼過ぎに台風通過ということで、午後1時半からの「雇用促進フォーラム」の予定を念のため確認。なんと実行という話で、ならばと傘を最初から諦め、濡れてもいいと割り切り、茅ヶ崎市勤労市民会館6FのA大会議室に飛び込んだ。神奈川県の主催なので、仕事で動員参加している行政、企業人事関係者が大半という集まりに驚いた。案の定、閉会後、東海道線は勿論、相模線までも動いていない、凄まじい状態となった。こういうときに、参加者0でもやってしまうのが行政の企画である。しかし、嵐の中、ほぼ満席とは恐れいった。

講師は、eキャリア・雇用プロジェクトK理事の安部省吾氏、パネリストは龍屋物産(株)の多田正弘社長をはじめとして、知的・精神障碍の関係者雇用を企業からのレポートが続いた。講演は真新しいものではなかったが、後々利用させてもらえそうな資料が提供されて助かった。

今回の参加企業は、「かながわ障害者雇用優良企業」に選定されているところであり、自社の従業員として基本的には受け入れるが、雇用は生活支援に踏み込まなくてはならないという、経験を語っているところは面白かった。

とにかく全身びしょ濡れである。幸い路線バスが通っていたので、全行程を歩かずに済んだが、走行中、大型のプラスチックゴミ箱が車道に飛び出してきたり、自転車が横転したりと凄まじい状態だった。

おかげで仕事の方も夜の授業は休校ということで、もっぱら大田区・品川区関連の障害者就労の打診を役所機関に短時間であるが電話問い合わせしたり、数少ない都内の雇用関係の知人の電話レクチャーを受けていた。夜は**子の親御さんと話し合った。

22日、台風一過、からりと晴れると期待したが、なんと曇天。にわか雨が降る状態だった。相模原の塾から横浜線で東神奈川で乗り換え、大森に出た。ハローワーク大森の担当者と、大森にある大田区役所2関係課の担当者と大まかな状況の話を詰めた。**子は10月3日にかかりつけの病院に薬をもらいに行く。そのときまでに、親の会関連を打診し、親御さんを交えて久しぶりの再会を行なう。

この日、大船渡の2名に対し、県立鶴嶺高校のボランティア塾招待の打診を行なった。ひとりは時々東京に出てくる。東京に事務所があるからなのだが、最悪のとき新幹線往復の費用+謝金を被ることになる。来月は助成金獲得に動くことになる。招待は1名である。これは冬休みの高校生体験学習の布石となるので、是非実現したい。

私の10月の予定が少し絞られた。気仙地方に遠野から入れるか調整しなくてはならないが、10/18以降の10月中、3泊4日(下手すると車中2泊)となる。今回は調整のための訪問。ひとつは謝罪。紹介していただいた方が、私を政治的立場が違うと察知して、私を怒らせるような言葉で会う前から遮断が始まってしまった。こういうとき、無理するとろくなことにならないので、間をおいている。会えなかったことを紹介者に伝えて謝罪する。しかし、とにかく了見が狭い。

今回は予算が出来れば、盛岡か石巻に寄りたかった。ボランティア塾のこともあるので節約、節約。

夜は湘南子どもネットワーク主催のかながわA(エース)の吉澤氏の講演会。お久しぶりです。ということで、二次会は相変わらずひんやりとした会話。私の取り組みが保育関係ではないので、やむをえないのだが、一応「命の旗」の話と、特別支援校訪問の件を伝えて終わった。

23日は、午前中相模大野へ。父の入所先で父の介護度の認定更新をするということで、県サポで資料を下ろしてから平塚の老健へ。夕食の時間と重なるので、面会せずに事務室で予定の調整。茅ヶ崎の高齢福祉課に月曜日申請に行くことに。老健からの帰り、平塚の市民活動センターに飛び込んで返り討ちに。明日からセンター上げての大イベント前日で、ごった返していたのだ。話にならずにとりあえず資料を預けてきた。全く間が悪い。

**子から電話あり。延々と塾時代の昔話。「ちょっと堪忍」と電話を切った。藤沢のセンターは関係団体をはっきりさせておかないと、また奇妙なことがおきる。準備できたら土日に訪問。平塚の図書館に面白い新刊書が入った。老健の帰りに借りてきた。

●「のこされた動物たち」
●「東日本大震災 被災地との絵手紙」
●「漂流被災者」
●「検証 東日本大震災 そのときソーシャルメディアは何を伝えたか?」


夜間傾聴:南大沢君(仮名)

p.s.これから仮眠とって藤沢・横浜を回る。


(校正3回目済み)

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「命の旗」「カーシェアリング」「災害避難誘導員制度」資料作成中

2011-09-22 07:29:22 | 引きこもり
すみません。たてこんでいます。
今夜、書き込みます。

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9/19 敬老の日というのに

2011-09-20 06:23:04 | 引きこもり
2011/09/19 記
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ペットレスキュー活動支援の掲示通信(壁新聞)を撒くにも祝祭日は動物病院は休みだったり、午前中だけだったりと効率が悪い。残りの配布先は、それぞれかなり離れた場所なので数はこなせないが、ペットショップを中心に1時間半ほどまわってきた。

動物病院はあと6箇所残すのみとなった。生協が掲示協力してくれるというので貼ってみたが、文字が小さいのに掲示板に近寄りにくかったり、掲示板の位置が高く、QRコードを読み取りにくかったりと、掲示物をもっと大きくしなければ意味が無いことがわかった。

現在はB4カラー版だ。B5×2の構成。最大A2(A3×2)まで大きく出来るが、こんどは占領面積の件でクレームがつくだろう。B4にしたのは、B4が50円/枚の値段の最大寸で、A3となると80円/枚になってしまうからだ。せっかく許可して下さったのに、悩むところだ。

今日は産業道路を起点に国道一号線の北側ばかり。母が飲める人参ジュースを見つけたので、6本組を先に買ってしまったので、巡回に重く、邪魔でかなわなかった。ペットショップも休みの店舗があったものの、今回であと2箇所まで追い込んだ。まあ、ペットショップで店舗所在不明のところが数箇所あるが。

日常生活支援期の後方支援の有り方を考えていた。参考になる資料が出ていないかと探ってみると、私のチェック網に漏れている書籍があった。

●「週末は東北へ 災害ボランティア・ブック」
●「災害ボランティアの心構え」
●「自然災害ボランティア・ハンドブックー被災地に負荷をかけない活動の手引きー」
●「東日本大震災を生き抜く―岩手県釜石発被災者の日記」
●「文藝春秋増刊「つなみ 被災地のこども80人の作文集」 2011年 8月号」
●「漂流被災者---「人間復興」のための提言」
●「遠野市沿岸被災地後方支援50日の記録 : 2011.03.11東日本大震災 「縁」が結ぶ復興への『絆』」遠野市刊(一般書籍ルート外)

何点か図書館に注文済み。

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JR相模原の塾、久々の時間帯最終コマの社会人クラスを担当。悲しい知らせ。一ノ関の病院から呼び寄せた気仙沼の老夫婦。肝臓ガンのご主人、4日前に急変し亡くなっていた。なぜ連絡をしてくれなかったのかと関係者を詰問。「互いに負担だろうから」と遺族の意向で葬儀は家族のみ。私に連絡せずに気仙沼に行っていたのも、その状態を見越し、先方の意向に沿ったものらしかった。

なかなかまとめた時間が作れないので、帰りに時間が遅いが無理をお願いし、その塾生の御宅にお邪魔して、お別れをしてきた。

とんでもない敬老の日に。終電間際の相模線ホームで待ち時間、妙な仲間はずれに、正直言って落ち込んでいた。塾生の祖母は、このまま神奈川に住むことに。

●「福島産花火の打ち上げ中止 「放射能の恐れ」愛知・日進」
----またかの感。愉快犯ではないかとさえ思えてくる。

p.s.大船渡・陸前高田の就業資料、再びコメントあり。今夜はしんどいので議論は明日に紹介。内容はまた追って書き込む予定。火曜日、ボラセンの遠野10月便予約に行く予定。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正3回目済み)

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9/18 後方支援の枠組みつくりと…/大船渡・陸前高田の就業者分布2005より

2011-09-19 06:09:03 | 引きこもり
2011/09/18 記
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東日本大震災被災者支援の湘南側の運動の芽を生むために、支援の枠組みを考えている。日常生活支援期に入った支援活動の後方支援が、物資提供と地元産商品購入運動のまま経過していっていいものだろうか。

がれきの撤去や、農地の土壌改良など、被災地でやることは山ほど残っている。しかし、被災地に出かけていけない人や、追憶に偏るマスコミ情報を通してしか、被災者の今の声を聞くことが出来ない非被災地在住の人々の関心は薄れつつある。後方支援の参加の道をこのまま放置していていいのだろうか。

関心の薄らいでいくことを、民衆の移り気や、発想の底の浅さに責任転嫁していないだろうか。募金や被災地産商品購入以外の関与の道や、参加の構造を検討していかないと、結局は被災地訪問を決意した感心な者の酔狂という遮断に押し込められてしまう。感心な者とは、「良いこと(<自己防衛)だが、私とは関係ない」という関係遮断の意味が込められている。

後方支援活性化を疎かにすることは、長期的にみれば、活動の活力を殺いでいくことになっていく。遠野まごころネットの報告会に参加して、被災地訪問者の増大は頼もしい傾向だが、参加者の自発的行動で訪問参加が活動という、被災地における個人や団体参加の活動に関心が集中し、被災地現地の活動以外は興味がないように聞こえて、この傾向のまま活動が閉じていくことに危機感を覚える。

被災地活動一辺倒のスタイルのままではあるが、「週末被災地ボラツアー」の呼びかけのような、閉鎖化する状況への穿孔活動のような一石は、あることはある。しかし、その呼びかけには、参加者が自分の訪問の便宜以外の意味で、啓蒙的な意味で熱心であるようには見えない。

裾野の拡がりの狭い活動は限界がある。

避難所から仮説住宅・遠方の賃貸マンション生活へと、無職のまま移り住むということは、貯蓄を食いつぶし、失業保険と生活保護で食いつないでいくことだし、避難所と異なり光熱費と食費等生活費を支払っていくことでもある。職を得る為に遠方に出稼ぎに出、子の進学のために子を遠方に疎開させ、家族が共同生活解体の危機に晒されることである。加えて、農林水産業従事者にとっては、郷里に残ることがより一層の重荷となってのしかかってくる。こうした日常生活に戦場が移行する中、日常的には出合うことができない非被災地の人々が、なしうることは何なのだろう。

ひとつは10~11月を中心にした仮設転居後の、仮設の壁に仕切られた部屋に落着いた後の孤独、生活苦と見通しの無い未来への絶望から、自殺するものが出たり、仮設の閉鎖性ゆえに高齢者等の無縁死が拡がる、そういう危険期回避の対策、取り組みが早急に必要という短期の課題。

櫛の歯が抜けるように、2+1年の期間内に入居者は徐々に減っていく。まさに「仮住まい」が仮設の変動するコミュニティの本質という特殊性、地方ゆえの高齢者比率の高い入居者という、特に就労面での困難を引きずった方々の特殊性を踏まえた支援活動を形作る必要がある。農林水産業の職業復興の困難・地場産業復興も自立復旧までの若手原動力が枯渇している。更には高齢者や乳幼児らの福祉や、学齢期の子の通学と教育という生活難への年スパンの課題がある。

私たち非被災地の住民と被災者を結ぶ協力のひとつの絆は、「政治」を媒介にするものだろう。しかし国政にこの期待は持てない現実がある。

もうひとつは、「社会活動を通じた直接民間交流」を活動の中につくることだ。お互いがある課題を媒介に交流することだ。生活に直結するような、直接交流を促進するような、いわば親戚づきあいのような付き合いを育てていく支援の形を探ることだし、しょっちゅう顔合わせが可能な地元活動を提案し応援することだ。

私は前から、被災地産商品購入は、地域復興の一助になるがそれは、たとえその業者が義援金で地域イベントを通じ地元還元しているとしても、その利益の大半はその企業と従事者を潤すだけで、給与所得者や年金生活者の支援には届かないと言ってきた。地域市場は復興しても住民の生活難は変わらないという矛盾がある。

このことについて、私の知り合いとの議論では、「産直による農漁業者支援や、地元製造業支援が有効である、なぜなら第三次産業比率が少ないからだ」という反論があった。しかし陸前高田市と大船渡市の就労状況を調べてみると、それは思い込みに過ぎないことがわかってきた。

統計局の資料によるとそれは、ブログに貼り付けたグラフのようだったのだ。資料が古いが大勢は変わらない。この給与所得者の勤務地は陸前高田市で72%、大船渡市で93%に及んだ。つまり地元の被災した第三次産業従事者と言っていい。年金生活者とともに、支援が直接届かない層なのだ。

こうした認識に踏まえて見れば、就労支援、収入保証が第一なのがわかる。生活難と将来への不安を抱えた方々への支援は非被災地の者の手の届かないような内容なのだろうか。

原点に帰って考えたい。例えば家族が遠方に転居して被災したとき、私たちは何をするだろう。きっと頻繁に連絡を取り、心労を労い必要なものを聞いて金と物を送るだろう。息子夫婦が被災したら、知恵を貸し、立て直しに協力するだろう。

被災者支援活動がこれと違うのは、

「頻繁に連絡を取り」
「知恵を貸し、立て直しに協力する」

という部分だろう。距離感が親しい知人同士程度としたら、

「互いに負担にならない話題でつなぎながら『頻繁に連絡』する」

だろう。

私がペットレスキューに着目したのは、二点ある。そのうち一点は教育者の臭みを伴ったものなので、今回は公開しないが(いずれ公開する。)、もう一点は、仮設・賃貸マンションに移住したとき、ペットを飼えない場合や、共働きで飼育しきれなくなった犬猫を長期預かりしたり、譲渡をうけたりして、お互いをつなぐ柔らかな絆をペットを契機に、直接交流を生み出していくことにあった。もちろんこれは、直接交流案のひとつにすぎないが、笑顔でつながりうる活動だと思う。

もうひとつ、美容(理容)サービスへのサービス発注型支援は、仮設入居者の方への癒し提供と家計補助があり、地元美容師さんを媒介にするので自立復興支援の一助にもなりえると思ったからだ。仮設会合室でサービスを提供するだけでなく、保健師さんと組んで、独居高齢者や障がい者支援として仮設の個人宅の戸別訪問サービスを実施して欲しいと願う。美容師さん協働のお店「絆」店舗作りを進める団体さんとは、カット券発行という話が出てくるところまでは、何とか活動を煮詰めてきた。しかし湘南の支援活動にはまだ結びつかない。

もうひとつは、冬休みに高校生の朝市体験学習を実現したいと考えている。しかし交通費他実費負担がかかる。予算に縛られている。

現在急務である「見守り支援」は、「さんさんの会」のような配食サービスにリンクさせて、その活動を支援する。(独居の方で食堂に出てこない方は個人宅配)

「命の旗」(独居の方に黄色い旗を配り、援助・相談を望む人は玄関に旗を出す。この旗を見た人は要望を聞くという活動。不完全だが有効。)と、「買出し・通院・入湯」などに連れ立って車で外出することで、仮設コミュニティを育てる「カー・シェアリング」を提唱することなど、これをどう提案していくか、協力者の手がかり探しに、もがいている。命の旗は、現物カンパを組織しうる。交差点横断時の旗を流用すれば、いくらかでも旗を送ることができるだろう。

きっともっと優れた生活支援、見守り支援が登場するだろう。しかし、これらの活動を後方支援の参加の道を拓くものとして展開させたいのだ。

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一方災害対策のほうでも、災害ボランティア活動の経験が活きて来る。パニック対策のためのおの

「(災害)初期誘導者」制度(前の記事参照)

である。

遠野まごころネットでもそうだが、大人の支援活動の視座からは、常に「中高生」が消えている。被災地で彼らは何を担っていただろう。彼らを活かしてこそ地元活動は活気付く。実際は協力していたはずだ。これが見えないのは大人のエゴというものだろう。

陸前高田で、ある団体が主催して小学生に災害復興の会議を持たせる活動が行なわれた。新しい街の夢を語らせたという。愚かしいと思う。昔、無着成恭というオヤジがいた。「山びこ学校」という生活綴り方運動を起こしたのだが、その作文を読むと、ローティーンズが日々の生活をどれほど深く感じ取っていたかがわかる。時代性があるが、被災タワーを作ろうというような自分と家族の生活を棚上げにしたような「夢」の語らせはあきれるばかりで、まるで行政の箱物つくりのような思いつきに発想が飛んでしまう。津波に家族や友人を失った子が「タワー」なのだろうか。

避難所で彼らも家族のことを考えていた。「避難所どうだった」「暑かった」というような言葉のやりとりを引き出した教育者は、被災地にはいないだろう。その底の浅い反射応答の背後の井戸から、彼の心をくみ出すようなことが出来ていない。心打ち明ける関係性がないところでは、彼らがリアルに語りだすことは無い。これと同じように、災害支援活動は自分のことに夢中で、中高生を消し去ってきたのだ。ここに手がける手立てが欲しい。接点が欲しい。

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母のダンピングがひどく、地元医が日曜日で休みなので、強引に私宅の玄関に押しかけ処方箋を貰ってきた。そう何回も出来ないが、嫌な顔せずに出してくれたので感謝。

土曜日、スワンベーカリーめぐりとなった。**子採用の隙間はないが、経験談を聞いてきた。そこからチェックしたいところはまだあるが、実行には自由になる、まとまった時間が足らない。

富良野の人参ジュースを買った。砂糖を入れていないが甘いのに驚いた。珍しく母が1本飲んだ。献立の思案が続く。しかし、母ではないが、治験後、自分が低血糖昏睡を起こしてるのは、しょうもない話だ。


夜間傾聴:なし
     **子(仮名・親御さんとも)


(校正3回目済み)


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9/17 雑感その2 連休が邪魔(怒られそうだが…)

2011-09-18 07:22:37 | 引きこもり
2011/09/17 記
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大船渡に協働美容室「絆」を展開している「NPO法人FEEL東日本大震災美容復興支援プロジェクト」からの提案で、「カット券」発行するときの、遠隔地からの活動の立て方をあれこれ考えていた。MLに報告をすると、やはり待ち受け店舗展開に絞り込んだとき、仮説入居者の交通費が問題になるという意見が出た。「絆」の展開は、基本的に待ち受け店舗展開だが、6月の時点で移動美容室(トレーラー)を準備していると表明しており、ここから先は直談判かなあと思うのだ。訪問型支援と低価格という条件が出来たとして、その券を茅ヶ崎で、どう支援金活動につなげていくか。その芽が見当たらないのだ。当然批判も出る。MLからも地元の他の美容師さんたちの訪問活動との関係をどうするのかということ、これが指摘されていた。

つまり私が立ち上げるべき活動は、独自に美容サービスを届ける活動として展開し、その選択肢の太い幹として「絆」支援をたて、地元の美容師組合や、被災地への美容師さんの訪問活動と連携していく形の活動を作ることだろう。活動はシンプルなほど協力を求めやすい。しかし、これでは活動のバックがあまりにも薄すぎる。いっそ「絆」は待ちうけ店舗型、訪問型は別個に活動を探っていくという展開を求めた方が、私の活動の協力者はわかりやすいだろう。

しかしこれがすっきりしていないのは、単に訪問型支援をしている方たちが結束していないせいだけではないだろう。それは美容サービスをする目的の部分が、自立開業支援なのか、仮設見守り支援の仮設コミュニティ作りの一翼をなすかという力点の問題があるからだ。仮設は変化していく集団だ。街に美容室が復活していく中で訪問の価値はどんどん変化していくだろう。このとき仮設に取り残されていく「生活再建が難しい方々」への支援にこだわっていったとき、訪問型支援が生き残ってくれるだろうかという不安がある。これも現在訪問活動を続けている方としっかり話し合っていかなければならないところなのだ。

私の視野は大船渡を含んで陸前高田に向いている。陸前高田に支援の重点をおきたいのだ。見守り活動という事で言えば、「さんさんの会」などの配食活動との連携を求めた方が、意味が濃いだろう。これも10月訪問に掛かっている。

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ペットレスキューの壁新聞(通信)配達は今回は東海岸3箇所。これからはどんどん場所が散っていく。これからは国道一号線の北側に移っていく。

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母のダンピングが復活している。冬瓜と茄子の煮物で場を切り抜けているが、いい献立はないだろうか。今日は、東京南部の継続就労支援の事業所を回る。昨日、**子の親御さんと電話で話した。ここからは峠道。連休が邪魔だ。公的機関が休みだからだ。(私の今の職場の仕事は土日が休みではない。休みは不定期に入ってくるというか、窓際職休みだらけなのだが。)

木工の方で、地元の小学生と活動している方と知り合った。ペットレスキューの関連で話を詰めていけないかと考えている。これはまもなく連絡がとれる。

銀座の岩手地方紙東京事務所に立ち寄りたい。日曜日ではだめかなと。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)



(校正3回目済み)

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9/16 まとまらず、雑感

2011-09-17 05:35:30 | 引きこもり
2011/09/16 記
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気仙沼の食品加工業の正社員となった**君から、素っ気無い採用メールが入ってきた。全くしょうもないなと思いつつ、東北便習得してくるべしと、お祝いの返信メールを送った。しかし嫌な性分、彼を信じていないわけではないが、破綻に備えているのだった。

協働の美容室「絆」の親団体「NPO法人 FEEL 東日本大震災美容復興支援プロジェクト」のSさんからメールをいただいた。美容カット券を発行するのでそれを買ってもらい券を仮設に届ける形で、活動を作ってもらえまいかという話だった。私の訪問サービス案に応答する形の提案だった。

仮設に入居すると家賃こそ無料だが、光熱費や食費がかかり生活を圧迫することになる。美容利用も後回しにされがちとなるが、無料カット券配布してもらえば助かるだろうという提案だが、店舗待ちうけ型をベースにしたい考え方は変わっていなかった。6月に移動美容室(トレーラー)構想が動いているので、先方は仮設訪問自身を否定しているわけではない。価格交渉などまだまだ構想が未成熟なので、近隣の支援者の方と近々話すことになった。

大船渡の炊き出しサービス「「さんさんの会」のYさんと話したのだが、県立鶴嶺高校のボランティア塾の被災地からのゲストの参加を生み出したいのだ。招待する資金は最終的には立替えることになるだろうが、高校生が生活・復興支援に参加してみたいと思うような語りができる現地ゲストを決める時期に来ているが、どうしたものか。再度、仮設への配食活動を続けている方々も候補として考えているので、美容サービスの券とともに集中する必要がある。土曜日は午前中、糖尿病治療薬の治験がある。午後太田区品川区の生活・就労支援関係事業所まわりの際、東京事務所の方と話せないかと思っている。夜は授業なのだ。

南三陸町の茅ヶ崎支援者の方のお店に立ち寄った。動物病院周りの途中立ち寄ったのだが、宮城の三陸ワカメに出会うことが出来たが、気仙地方との接点がなく、話が空転するのがしんどかった。郷土会を通じて支援者を探すとよいとのアドバイスをいただいた。

昨日は動物病院3件、ペットショップ1件の4件。場所が離れていて効率が悪くなってきた。土曜日は巡回のゆとりがない。

ビッグイシュー誌を中継していただいた。常連さんのところに持ち込むのも日曜日から。大船渡には「舫(もやい)」の面々が入っている。社会的弱者支援ということになるか。

母の食事、献立がしんどくなってきた。土曜日は「母孤食」だなあと、窓をみる。夜明けだ。


夜間傾聴:なし
     自由が丘夫妻(仮名・お懐かしや、元気?)


(校正2回目済み)

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9/15 ペットレスキュー新聞巡回と反響

2011-09-16 06:25:17 | 引きこもり
2011/09/15 記
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今回は昼過ぎからペットレスキューの新聞を配達した。ペットショップと動物病院を巡回したのだが、動物病院は午後は16時からのところが多く、初めはペットショップが中心となった。そんな関係で動物病院は5ヶ所。浜竹・松林(室田)・高田。

関心は非常に高く、今回「ねこひと会」の保護猫ばかりだったので、「犬は載せないのか?」という質問を複数いただいた。

ある動物病院では、岩手は神奈川にはいない寄生虫の報告があるので、対策は打っているのかという突っ込んだ質問があり、こちらのペットレスキュー団体は、獣医さんのところで一時預りし、治療を経たペット以外は出していないし、予防接種等は行うことが引き渡しの条件だと説明した。10月半ばに次の号を出したいこと、「長期一時預り」「仮設への入居とペット」のふたつの話も載せていくと説明し、実は放浪動物の保護中心ではなく、飼い主さんが分かっている譲渡を求めているが、その例が遠隔地情報では少ないのだと、民間交流への期待を話した。

寒川の動物病院への紹介を申し出てくださったところもあったが、寒川は市議会からシビアで、何かが起きているので遠慮させていただいた。家畜の防疫の話など話題がひろがったが、お客さんが来て中断、この前の獣医師学会の話など情報を得ておきたいこともあって、次回訪問時、お時間をいただくことに。

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母の近所の主治医は木曜日も午前中だけ開いている。「めまい」の件で原因はあいかわらずわからないが、のど風邪の薬の服用をやめるように指示があった。服用をやめたところ、夜から咳き込み始めて、どうしたものかと思っている。今回の風邪は、流感だかアレルギーだかよくわからないところがあるが、重症化せずにのどの痛みや咳が長い間治らない。風邪薬も返って調子が悪くなり、とにかく長期化する。おかげで母はますます食欲が無く、果物ばかり食べている。食事管理、昼か夜、しっかり食事させなくてはと、突き返される献立と格闘している。

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被災地の失業手当の延長が決まったようだ。10月半ばから無収入状態の家族が出てくる心配をしていた。生活保護ではなく、失業手当でなんとか年を越してもらいたいと思っていた。

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相模大野の授業は新顔が多く、取り出し指導の件を教えておかなければならず、授業後残らせて説明した。そんな関係で帰宅は終バス。

帰宅すると、大森のハローワークからなにやらとんちんかんな電話が入ったらしく、「お前に隠し妻がいるのか」と母に責められてしまった。さすが30離れると想像も滑稽になる。これは話が通じていないなと思ったものの先方の担当者の名前も母が確認していないので、紋切り型で拒否されるだろうが、今日ハローワーク大森に電話を入れる。

母に噂をたてられた**子、くしゃみではなく悪寒だ風邪だとなっていないといいのだが。

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気仙沼の++。私の知人の食品加工会社の正社員になったとのこと。社長から電話があって、当人からは音沙汰なし。この辺の機転の利かなさ、しょうもない…。


夜間傾聴:飛び込み参加君の母親(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)


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9/14 茅ヶ崎市障害者団体連絡会アンケートに答えて(補足)

2011-09-16 04:21:49 | 引きこもり
2011/09/14 記 (補)
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突然災害が起きたとき、障害者・高齢者・乳幼児をはじめとした社会的弱者は、災害から自らの身を守ることが難しいだけでなく、人々の混乱の犠牲になりかねない状態におかれます。社会的弱者のみならず一般市民も、予測される災害はもとより、突然の災害に対して、社会生活の中に、緊急時の事前の行動の約束事を育てていく政策的活動が必要です。

まず災害からの避難行動について、今回の津波からは、自主判断による即時避難の大切さが教訓化されましたが、私たちは状況判断や避難行動の困難を抱える方を保護する必要があります。また流言飛語による混乱に対する手立ても打たなくてはなりません。

今回私が「誘導員制度」を提案した時、念頭においたのは、自主判断と即時避難に困難のある方が、どうしたらいいのかを直感的に判断できる援助法、一般の方にも、パニックという状況を回避する直感的な方策でした。この方策は、社会環境によっても最適化する必要があるものです。

例えば、近所の熟知している場所で被災する場合と、ショッピングモールのある高層ビルや、観光地など地元以外の方が多い場所とでは、対応が違います。ましてや職場や学校などのように管理された集団のときや、野球場・劇場・列車内のように管理者は居ても、圧倒的多数が見ず知らずの方の集団のときでは対応が異なります。

私の提案は、障がい者・高齢者・乳幼児を抱えた母子等が居る確率の高い、居住地域社会の中で被災した場面を想定しています。その関係から、案の制度化を行うフィールドは市町村です。実現には市町村レベルの条例と、それを社会的に認知させていく啓蒙活動が不可欠です。凝った制度ではなく、知らない方にもわかりやすく、特別な資材は極力抑えて、準備期間を大げさに取らずとも、すぐに開始可能な活動にしたいと考えました。この制度がたたき台になれば、場面の手直しは、やりやすいでしょう。

この間の対策は訓練された担当者や専門家が、烏合の衆を誘導していくと言って過言ではないほどに、一般市民は受動的な対象にされてきました。提案した「誘導員」は二段に分けました。この「上級誘導員」は、救急法等の消防署の研修を受けた方達で、団体や商店会など地域の担当者です。しかし主眼は集団被災回避の自主判断を含む指定避難所への誘導を主な任務とするいわば役割を特化した消防団のような存在です。これに対して「初期誘導員」は、中高生を含むできるだけ広範の研修資格にし、災害に備える自覚的一般市民に役割を提供するものです。避難場所も二段に分けました。「一次避難所」は、被災地点の近くのより安全な場所のこと。「二次避難所」は、市町村が指定した避難所のことです。「一般誘導員」は、被災地点から「一次避難所」までの誘導を主な任務としています。

この「初期誘導員」が提案の肝になります。つまり現場の混乱の回避を一般市民が自覚的に取り組む限定的な資格です。他者を誘導する任務を帯びることで、自主判断の錯綜する場面を制し、自覚的な一般市民として、当面行動を引き受ける案内人になるのです。制度を実現することで、被災回避の当座の目安ができることになります。地域防災教育の生み出すひとつの形です。誘導のために、社会的弱者の保護を被災地点の一般市民から選び委託する権限を持ちます。「一次避難所」までの安全誘導という、被災から危険回避移動までを、パニックを抑制する役割を果たします。

この「初期誘導員」は、地元繁華街で被災したとき、最低数名が登場できるほどの人数が資格を得ている状態をつくります。「上級誘導員」の指示に従い補佐します。自主判断の錯綜する被災現場で、誰に従えば安全かということが、「見える」ということが、社会的弱者にとって大事なことなのです。誘導員研修を職場・学校・地域などで行い、自主参加を促します。研修修了証をカード携帯できるようにし、いざ被災現場では、両手の挙手という形で、資格のアピールとするのです。

これ以外の諸提案は、原案の詳細部分というべきものです。視覚・聴覚障がいの方や、重度の自閉症の方などのように、支援に経験がいる方の場合は、同伴者や寄り添い経験者の応援が大きな意味を持ちます。現場に立ち会った看護師さんなどの場合はむしろ「上級誘導者」等のより高度な指導に合流してもらうこととして、居合わせた障がい者のご家族等誘導経験者の方に、他の同様な障がいの方の誘導に協力していただくために、薄手の黄色い布手袋片手分を外出時携帯していただくように奨励します。
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話は一転します。東日本大震災規模の災害が起きたとき、交通手段も携帯電話も使えなくなります。また状況の理解が難しい知的・精神障がいの方や、認知症の方などとの対話促進には携帯電話副次機能の「フラッシュカード」が有効です。

「便器のイラスト」とか「赤十字マーク」や「水の入ったコップ」、「自宅の住所・電話番号・自分の名画面」などの画像を表示するソフトです。これを所持することで、自己表現が音声言語を視覚化することで容易になるというものです。

また健常者がこのソフトを携帯電話に入れておくことにより、視覚的に対話を図れるという効果が得られます。被災現場では案外筆記用具が使えません。紙を支える台がなかったり、紙が汚れ、湿ってしまうことなどが原因です。

携帯電話副次機能のメモを使って文字を対話に使ってもいいのですが、この画像掲示ソフトは案外役に立ちます。文字を媒介にするときも、文字の拡大機能があるソフトを利用するとお互いが文字が読みやすくなります。聴覚障がいの方に適しています。

制度的には「地域代表帰宅と消息カード」があります。商店街の放置自転車流用という検討課題を含む部分がありますが、何丁目まで細分化して現場のご近所さんと出会えれば、天候が荒れていたり火災・水害が発生していなければ、代表帰宅と消息カード配達により、家族の消息が災害掲示板より早く伝えることができます。交通機関停止・電話回線パンクの自体の中で、古い手段が活きます。外出中の自分の消息を家族に伝える一方的なものですが。状況が少なくとも小康状態になってからの話です。

最後に、長期戦になるとき、商店街に携帯電話の充電設備をぜひ設置してください。携帯電話による代用公衆電話を準備することも必要ですが、回線パンク
状態の時は、充電させて、各自が使える状態を作るのです。商店街なら自家発電機から携帯充電環境を設置するのも不可能ではないでしょう。

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9/14 障害者雇用部会に行ったものの(今回は空転話です)

2011-09-15 06:17:29 | 引きこもり
2011/09/14 記
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「新杉田17:30」。たったこれだけの企画予定に振り回された一日だった。これは電機神奈川の障害者雇用部会の予定だ。

ペットレスキューの新聞配布をするにも動物病院は午前中と16時からというところが多い。11時からは橋本の巡回が入っていた。巡回終了が13時。相模線が13:19発。茅ヶ崎に14:17着。午後から歩いても動物病院は休み時間に入ってしまう。

結局、巡回に出かける前の新聞配布となり、今回は2ヶ所だけ。午後の配布を諦めて、橋本から大森のハローワークに出て、飯田橋の東京しごとセンターを駆け足で回り、新杉田へ。私の知人が在職しているかどうかの実質チェックだけで終わってしまった。雇用部会も狙いの後半「(株)ウェルハーツ小田急の8年」は、母が「めまい」を起こし、東京駅構内で休んでいるという携帯連絡に中断。母を迎えるために東京に向かうため会場を出た。

母は夜間診療病院に行くまでも無く、ひとりで帰れると言い出した。すでに東海道線に乗っているとのことで、辻堂駅ホームで合流。大丈夫という母を休ませながら帰宅した。油断していた。しばらく「めまい」の訴えが無かったからだ。母自身もそのつもりで、東京の友人と会っていたらしい。家に置き忘れていた常備薬を飲んで母は落着いた。

私の傾聴専用携帯に留守電が入っていた。気仙沼で就職の世話をした**からだった。家に帰るという内容。私は普段この携帯を持ち歩いていない。既に数時間が経っていた。夜間だが社長宅に電話を入れて驚いた。先方も寝耳に水とのこと。下宿先に連絡を入れていただいた。彼はそこにいた。

帰りたくなってバスの予約をしたが、やめたのだという。引きこもり青年が波風なく就職できていることのほうが珍しいというもの。社長に詫びて、ほめながらお灸をすえてくれと頼んだ。大人のすることではないことは確かだからだ。

結局、東京しごとセンターの方だけ、知人と話すことが出来たこと、雇用部会の前半のシンポジウム「各就労支援センターの現状、課題について」の平塚サンシティの勝田氏の話に拾い物があったこと、気仙沼の**が自分の判断で帰宅を思い止まったことが収穫。明日、母を地元主治医に連れて行きたいが木曜日、休診である。どうしたものかと、思案している。

今日は動物病院巡回に集中する。夜、相模大野で授業。

大田区の教え子からメールの応答が無い。メールが使えないのかなと思いつつ、次は土曜日、事業所関係をまわって、求人情報をつかんでくる。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)

p.s. 大船渡のサンマ直販の会場に中りをつけるメール、会場側から応答あり。でも横浜では…。

   ●「キャッシュフォーワーク/震災復興の新しいしくみ」入荷。

(校正2回目済み)



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