湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/30 融通の利かない家事に取り込まれつつ

2017-12-31 06:17:49 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/30 記
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全く社会活動に関われない一日。ビッグイシューの販売員さんから電話が入り、来年は10日ではなく5日から始めると、日程変更の話。横浜寿町の年越しの準備の様子を聞いた。母をひとり残しておくと、当てつけのひとり入浴が始まる。さすがに交代の奇特な方がいないので、彼にほかろんを託すことにした。全く量が少ないので、仲間内で分けてもいいけれど、販売だけはしないでくれと約束をした。

昔、山谷の支援団体が風邪薬と傷薬のセットを無料配布したことがあって、それは一部の番長のような者が回収して、廉売したというせこい話が話があるからだ。

販売員さんに、戸塚で受け渡しすることになった。彼は横浜市の無料パスを持っているので、地下鉄がただなのだ。ついでに買い出しをして、急ぎ帰ればなんとかなる。

富岡八幡宮の氏子たちが悲鳴をあげているようで、初詣激震という状態のようだ。地元知人から電話がはいってきた。画像を送ったというので。メールをみたら、馬鹿でかい観光写真のような、使えない画像が1枚入っていた.即消去。

母に昨夜から作り置いた「けんちん汁を出して食事。なにやら炊き出しを思う。東海新報のスクラップブックをいよいよ廃棄することに。
切りのない家事に、ふりまわされて一日が過ぎていった。

<気になる新刊から>

●「グループホームの作り方―ハンディのある人の住む所
」ISBN:9784883522422

夜間傾聴:定例の12/31・1/1は定休

(校正1回目済み)
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12/29 外出計画失敗に

2017-12-30 06:13:39 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/29 記
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東京脱出時、塾から電話が入った。受験生以外の塾生の冬期講習が今日で終わりなので、町田で打ち上げをするから覗けという内容。丁重にお断りした。「いたしません」である。

この私の電話を聞きつけ、母が外出を阻止したのだった。「今日は、窓ガラス拭きと料理を作れ」と。さて…。

糖尿病の私と、胃切除の母の共通料理メニューは難しい。元を作っておいて、調理の際、追加食材でハイ・カロリーとローカロリーに作り替える。薄目野菜スープで具沢山の「作りかけ、けんちん汁」、「きゅうりとニンジンのピクルス」、「塩豚」、「ほうれんそうのお浸し」、「ブロッコリの塩ゆで」、「長いものすり身(冷凍下)」、「エビチリソース冷凍へ」,「切り昆布の醤油煮」…嫌になった。3日まで、これを食わされるのだから。冷凍庫は「魚の切り身」だらけ。

つまらない衆愚娯楽番組に同調させられてと、ふて寝を決め込もうとしたとき。自由が丘の**夫妻からTEL。(ふたりともパニック障がい経験者)正月3日に招待がかかった。嬉しいが無理。せめてと、コンビニにと夜のコンビニに脱出して、深呼吸した。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)


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12/28 私事ですが、師走の我が家というところ(すみません)/他

2017-12-29 06:22:00 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/28 記
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やっと年賀状を書き終えた。さてとばかり鋏を持ち出した。いつも頭髪は自分で切っているのだが、鋏が走って一部が短くなって、浜見平の**さんにヘルプをかけた。情けない。**さんの長女の++さんは、横浜の施設まわりのボランティアをしている美容師さんなのだ。年末でお宅にいらしたので、泣きついた。

浜見平に来てくれれば、直してくださるとのことで、自宅からタクシー。見事直して下さったのだが、初めから店にいくべきだったと、少々ではあるが、反省している。爺ぃゆえ、まあいいかと、帰宅。

あきれ顔の母が待ち受けており、さっそく保存食作りを指示された。おせちほど上等ではないが、普段、弁当に入れる程度の定番3品完成。

まあ、母のボケ防止と思いつつ、嬉しそうにタッパウェアに詰め込んでいるに詰めているのをみると、まだ大丈夫だなと思う。なにが大丈夫かかは、ご想像におまかせする。

たまっていた洗濯物を洗って干していると、外は真っ暗。なんともせわしない。しかし家事は、きりがなくあるものだ。明日は逃げ出して丸善を漁ってくる。母の事があるから、神保町は無理だろう。

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弟が19時ごろ、突然現れ灯油タンクを車に積んで、GSで入れてくれた。弟は嫁さん方のご母堂の認知症介護をしている。徘徊があったので、ほとんどそれにかかり切りだった。話によると、風邪から間質性肺炎を発症して最近入院したのだという。病院泊まりは夫婦でやっていたが、音を上げて、完全看護の病院に転院するとのこと。

しかし車のない我が家にとって、灯油を買ってきてくれるのは助かる。

ともあれ、落ち着いて何かが出来ぬ、駆け抜けるように日が過ぎていく。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)



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12/27 師走実感、生の一回性ということ

2017-12-28 05:45:27 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/27 記
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亡父の生前の職場の親友が亡くなったと連絡が入った。93才だった。父が亡くなって3年。私達家族は全くお付き合いがない方だった。お宅が我孫子であり、法事は遠慮させてもらうことにした。しかし、年末、なぜか知り合いが他界する。年末のせわしさの対局で人生の決算をたどる心が虚ろの闇を引き寄せるのかもしれない。しかし父が在宅介護に入ったのが20年前だから、それ以前のお付き合いだったことになる。連絡に驚いている。今年は、私の恩師ふたりと、叔父、教え子、教材執筆陣の先輩が他界した。つい自分の燃料計を見て口を閉じる。
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リオのオリンピックの際、サンパウロの親戚の招きで現地体験をした、引きこもり青年@@君が、再び現地の親戚に招かれてサンパウロに出かけた。バイト体験させてくれるとのことで、煽って追い出した。切り替えをつかめ!来月半ばまでいっるのだという。

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今年の年賀状は、新しく追加された方が居る。秋田赤十字病院の**さんと、浦和の看護師団体の++さん、神戸の#さん、大船渡の&&さんだ。皆災害ボランティアの関係だが、引きこもり関係の活動家の環形が定年以降激減している。爺ぃはどこの団体も歓迎しないから、補完が難しい。

私のように受験競争の歪みを問い続けてきたものにとって、スローラーナーや、生育環境に重い課題を抱えた子に対し、親御さんが無理解な進学圧力を加えている文脈のケースも、LDやADHDの心療に乗せてしまう、いわば中間層教育ママ風の臭みを感じてしまうものは、高機能の関係団体との、そりが合わない。そんなこともあって、子どもそのものと対話したいと願う活動となかなか出会わないことも、原因だとわかっては、いる。

母にお清めしようかと、白ワインを買ってきて、一口乾杯した。じわり年末である。


<<気になった書籍>>--------------

●「障害者が街を歩けば差別に当たる?!―当事者がつくる差別解消ガイドライン」ISBN: 9784768435618

●「ケアすることの意味:病む人とともに在ることの心理学と医療人類学」ISBN: 9784414428667 2015年刊購入済み

夜間傾聴:ふたり(ひとりは@@君)

(校正1回目済み)

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12/26 今年最後の「火曜災害ミニカフェNo.89」を終えて/他

2017-12-27 06:12:52 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/26 記
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災害ボランティアを行っていて、この世界はなんと固定概念に捕らわれているのだろうと思うことが、しばしばある。被災地産の商品を買えば支援になるとか、災害ボランティアの目標は、被災地の復興であるとかいうものだ。条件付きで正しいことが、そこからはみだす事態をを知らず、はみ出し部分が「一部の事」と、情報を得ずして切り捨てる発想である。とどめは「健康と明るさ」が、時に強迫観念とさえ思える前提条件として居座る事態だ。リアルに物事を捉える事の難しさを思う。

このことは、当然ティーンズたちにも影響している。これは社会常識というくくりもできない。

以前、2012鶴嶺高ボラ塾の中で、生徒有志からのプレゼントをどうしたらよいかという問いがあって、陸前高田の某仮設住宅の経験談をした。被災して身ぐるみ失い、カンパ物資の衣類と家財道具の生活になっているという話だ。冬場寒いから出歩くことが億劫になってしまうというものだった。手作りマフラーが全国から余るほど届いており、手袋は少ないという話だ。その話を伝えながら、だったら「毛糸の帽子」を作ったらと助言したところ、使い古しの毛糸の既製品の帽子を集めてきたという経過だ。マフラーの話の時に、担任の先生に、「まあ自作は心を込めるという副産物がありますけどね」という言葉を添えたのだが、ほつれたり、洗っていない帽子が集まってしまった。結局それらは、私がクリーニングにだし、破損のひどいものは、私の判断で抜き去り、事情を説明して担任に還した。気持ちの問題があると指摘したけれど、全く通じなかった。

これらは、被災者への想像力の欠如がある。使い古しの帽子には、ふたつの発想が潜んでいる。

1)お恵み寄付…支援者を被災者と別格とし外部から投入れ。
2)新品は失礼、ゆえに使用済みのものを

と考えた。仮設入居者の**さんは、受け取ってくれたけれど、恥ずかしかった。ここにも「お恵み寄付」の発想が背景にある。現場をつかまずに、帽子を集めるという粗さを感じてしまう。常識という傲慢さに触れる出来事だった。

「人を救う」・「正しい行い」という誤解。共感から出発することを伝える難しさ。

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今年最後の「火曜災害ミニカフェ」を行った。この時期混雑するが、被災地に出かけられないフットワークの低下を感じる。運転免許証を目の限界(網膜色素変性症)ゆえ、現地についても都市部でないかぎり、動きがとれないハンデそして、柔らかな拘束の介護の煩悩が付きまとう。

「いま・ここ」で、なし得ることは何かを自らに問いかける。時が刻々と過ぎていく。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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12/25 おにぎり配りと、研修企画作りの件で雑感

2017-12-26 05:34:20 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/25 記
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売れ残ったローストチキンを買って、裂いて分けやすくし、食中毒を考えて梅にぎりの弁当を3人前作った。この中途半端な人数は釜の大きさのためだ。ペットボトルの暖かい茶をつけて、夕方、路上生活者のテントと看板の裏側を訪問した。看板の裏側の**さんは、ホカロンとともに、黙って頷いて受け取った。テントの方は、一緒に食おうと持ち出したが、クリスマスにローストチキンというのは無粋だと叱られた。いらねえといわれた。怒るかどうか顔色を見ている。ま、せっかくだからと受け取ったが食べない。思いつくことがあって、「炊き出し」かと聞くと、うなづいた。教会が「炊き出し」をしたり、弁当を配っているのだ。追加のホカロンだけ、さっさと衣類の下にしまいこんだ。素人ではないのだから、軽率だった。配布し残しは、横浜寿町に持っていく。お恵みではない、お歳暮だと言って渡す。まあ、雨があがってよかった。

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社会活動というものは、ひとりではできないというのは嘘だ。ただ複数で行えば、何倍もの効果が生まれる。「この指とまれ」型の活動は、なかなか地方都市では生まれない。もともと所属集団があって、その土壌の上に芽がでる。ただ諍い好きや、価値観を対立させることでアイデンティティーを確認するテリトリーの狭間では、この集団の価値がなかなか育たない。所属集団の中からはその集団の情況が見えないから、外部からの関わりは宇宙人の襲撃に映る。ゆえに、焼き直し以外の新しい活動は茅ケ崎からは生まれにくい。その覚悟の上で、引きこもりや反差別の活動にかかわって20年経つが、いわゆる「いじめの土壌と同質」の価値を引きこもり・反差別の活動に持ち込むことはできない。

明日は今年最後の「火曜災害ミニカフェ」を行う。来年は1/9から再開する。第90回、月2回だから45か月、4年弱ということになる。

「地元ティーンズの防災研修の実現相談」は16日から始める。試案をを描く。訪問CMして参入者を待つ。

明日、家の窓ふきを母から固く言い渡されている。上映が終わったら、急ぎ帰宅して、土砂降りの母の小言を浴びながら作業となる。毎年、冬期講習でいなかったので、大みそかの昼間の仕事た。退職してからは、母は手ぐすね引いて待っているようになった。

ボラ塾の追記は時間切れとなった。明晩である。申し訳ない。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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12/24 地味なクリスマス イブ

2017-12-25 05:24:43 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/24 記
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母の友人が脳溢血後、認知症が進み施設に入所している。我が家と同じバツイチの息子と母親の高齢母子家庭だが、自由業で何日も家を空けることが多い。介護度5。私たちが訪問しても眼差しは宙に浮いている。雨が降りそうだが、母は覗きに行くと言って、犬の根付のようなみやげを持って外出した。

結局、塾の呼び出し(招待)を断って、母に連れ添った。塾では2組、塾長担当のグループの学習指導代行を任され、大人と講師たちは、フィリピン風クリスマス忘年会なるわけのわからない食事会を塾生宅でやっている。私はどうせ飲まないのだからと、学習指導をたらいまわしされてきたのだが、私が断ったため、塾長がパニック状態になった。解雇(3回目)だそうで、毎回後で「蚕」と言ったのだとか謝ることが繰り返されてきた。その辺の愚痴謝罪は夜間傾聴の時間帯に電話をかけてくるのだが、今回も同じ。迷惑である。

母と訪問した方の個室はクリスマス仕立てで飾られ、棚は折り紙だらけだった。胃ろう(PEG)をしているので、食べ物は持ち込めない。顔と口の中を拭いてきた。帰宅後、先方の息子さんからお礼の電話が入ったが、京都で突貫仕事をしているのだという。お互い、地味ですなと笑っていたが、摂取カロリーのバランス管理が崩れて、体重が見た目5kg近く太っているようにみえた。

3年前、講師職を定年で追い出されてから、塾訪問講師と教材屋と某生業の閑職で生計をたてているが、電話の向こうの彼も収入は不安定、入所費が馬鹿にならないと思う。富岡八幡宮の初詣の心配をしているどころではない。

私が施設訪問して思ったのは、独特の年末の施設の空気だ。私は2000年に交通事故で年末入院し、医療ミスもあって2年間入院生活をした。ローテーションする看護師の人数が減り、患者も帰宅させられるため閑散とした病棟と、無理をしたクリスマスと正月飾りがセロテープがはがれて揺れていた。私の再起は友人の北海道の看護師さんに元気づけられたことが大きい。ただナースステーションの話声が筒抜けのように響いてきて、一人が塩釜出身であることがわかってしまった。その地域は津波被災が大きかったところ。昔の話だが、彼女たちの実家はどうなっているだろう。トイレの木製サンダルの音が廊下に鳴り響いていたことなどを思い出した。

金目鯛の煮つけ・しそ風味切り昆布・浅漬け・大根の味噌汁・枝豆の混ぜご飯すべて自作、白ワインおちょこに一杯、ささやかなイブなり。

-----ここから-----

~4名ずつ、全員高1~
(その6)(転載不可)


●「あの日わたしたちは のビデオをみた。もし地震が起きたらどうすればいいのか教えてもらった。」


●「テレビやニュースで被災地のボランティアの活動をみたことはあるけどそこで実際にどんな問題や悩みがあってどんな助けを必要としているかは知らなかったから、私たちのような学生だからこそできる事があると知って少し驚いた。復興してからもボランティアが必要だとは覆っていなかったからびっくりした。自分の誰かの助けがしたいと思った。その為に分かっていると大人の人の話を聞こうと思った。」


●「人を助ける、人の為に何かしてあげる、そういったことを当たり前のようにできるような人になれたらいいなぁと思いました。もし、また東日本大震災のような大きな震災が起きた場合、助け合いがとても重要だと分かりました。また、お年寄りの方が楽しく安全に暮らせるように私たちもサポートしていきたいと思いました。私は団地に住んでいるので周囲の人とコミュニケーションを大切にしようと思います。」


●「助けのサインを少し覚えると色々な人を助けることができるということができます。特に、耳が悪い人や、目が悪い人は他の人の助けがないと災難あることは難しいです。なので、私達学生1人1人の若い者の助けによって、人を助けられるので、頑張ろうと思います。部活でも、チームワークで行動する。という事を、とても心がけています。このような事、行動も困っている人を助けるという事につなげられたらいいと思います。」

---- 書きたくなることは山ほどあるので、それは明日に。

-----ここまで-----

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)
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12/23 成年後見制度研修に参加し/鶴嶺高ボラ塾授業への生徒感想(5)

2017-12-24 04:42:51 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/23 記
--------------
成年後見制度関連の研修にお邪魔した。

又村あおい氏の
「成年後見制度と意思決定支援の現状の整理と今後に向けて」を聴く。
盛りだくさんの話だったが、臨界が見えてくるのはさすがだった。母の
事がちらつくが、他の話が出てこないのは、訪問支援という仕事が、当
事者の生活支援まで踏み込んでいない証拠だと感じていた。

翔の会・育成会動員かなとおっさんだらけの会場を眺める。いつも女性
だらけの会場なので、もっさりしている感あり。

山口一美さん、お久しぶりです。

--------

帰りに急ぎ母と連絡を取る。いちおう無事。お前の入った風呂は汚いか
ら洗ったと聞き、肝が冷える。ひとりのとき、危ないことしないでくれ
というが、怒り出すのは母のいつものパターン。目が離せない。

イトーヨーカ堂で、パイン1つ買って帰る。ハワイアンステーキ(糖尿
病者には毒だが。)酵素効果を使う。赤パプリカと塩・胡椒。正解。

-------------

~4名ずつ、全員高1~
(その5)(転載不可)

●「さまざまな被災者に向けての工夫で、いろいろな高齢者の方が笑顔
になっていて少しの工夫で変わるのは良いと思いました。仮設住宅で、
変わると死者が出てしまったのはかなしいけれど、また新しい家で食事
会などが出てきてまたみんな笑顔になっていておかったと思った。ボラ
ンティアをすることによって、人々を助けるとともにいろんな知識を取
り入れることが出来る。」


●「知らないことによって助けられない、助からないことがすごくこわ
いなと思った。自分は、中学の地元から引越ししたから、地域のことも
あまり知らず生活しているから本当に怖いと思った。家族を守り、死の
怖さやできる事を知った。孤独紙もとても怖いと思った。自分にできる
事をして生きたい。」


●「5時間目の時のボランティアの話と変わって、ボランティアって大
変なことが多いんだと思いました。もし、避難を自分もすることになり
大変な状況に立たされたら、他の人をかまっている場合じゃないんじゃ
ないかと思いました。でも内田さんがなぜ他人をたすけるのか、それは、
人間は人の事になるとがんばれて、頑張ることで自分も見えてくるとお
っしゃっていて、なるほどと思いました。今回の授業を聞いて、
他人にも尽くせる人になりたいと思いました。」


●「これから高校生がしっかりと協力していかなければならないと思い
ました。地震などが起きた時には自分から行動できるようにしていきた
いです。」


----ちょっと待って。私は「内田」ではなく「飛田」だ。前のレスに戻
りますが、私は避難所までなんとか逃げ延びてから後の話を中心に話を
しました。そのことを明示し従来の安全避難対策偏重、その後の語りな
しの語り口をずらして話題を組み立てた。自然災害の波を第一の波とい
えば、避難直後から始まる「避難生活確立と生命の防御、繰り返される
余波対策」があります。しかし災害弱者にはもうひとつ「無理解と差別
の波」があります。これを第二の波といいます。この「第二の波」につ
いての言及は、避難所>仮設住宅>公営災害住宅というい大きな流れと、
そこに乗れない周辺の事態という大枠を概括した後に話したこともあっ
たせいか、伝わらなかったという印象を持っています。

あと1回で感想の紹介は終わりますが、災害は、いままで正面から受け
止めたことのない事態の課題だったのです。大きな基礎知識がないと、
地元の若者に期待される仕事の話は、その必要性が伝わらないというこ
とになります。45分間では猛烈に時間が足らないという悪あがきが影響
した感想になりました。5+5分の動画といくつかのエピソードを入れ
ました。福島の原発事故避難の水野総合病院の緊急避難の悲劇や、岩手
の医療関係者から取材した嚥下障害の悲劇。(寝たきり高齢者の食事を、
寝かせたまま食べさせ放置している家族の無知の悲劇>頭を起こし、口
は常時清浄を務める必要)車いすが入らないトイレ・和式トイレの健常
者の無知の話などを話しました。あらゆる見えない困難が待ち受けてい
ることなど。事態が見える人になってほしいという願いと、託したい仕
事の話をしましたが、空転していました。

以前の授業で「片方の足が沈む前に、もう一つの足を出せば、水面を歩
くことができる」さてどう思うと問いを発したことがありました。メカ
ニックに強烈な回転を与えれば、確かに条件限定で沈まずに済みますが、
生身の身体を前提にすると無理です。「1枚の食パンをその都度、半分
だけ食べれば、無限にパンを食べる事が出来る」これらがおかしいなと
思うのは生活経験が裏打ちされているから直感的に「変」とわかる。前
提条件よりも先に常識が立ち上がる。

今回の高校生たちとの出会いは、伝えることの困難さという壁でした。
仮想の事態の「中に」身を置くことの難しさがあります。出来事を配列
して終わってしまったり、強迫観念のような「笑顔」と「決意表明」の
ステレオタイプは、現場追体験をしつつ関係者と対話することによれば、
相当気づきを喚起できますが、生活の困難などの裏事情については、理
解の個人差・年齢的限界がやはりある。

ルソーがマリー・アントワネットの逸話を紹介した中に,
「フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければ
お菓子を食べればいいじゃない」と発言したと紹介された」
(Wikipedia)という有名な話題がでてくる(創作らしいが)。

経験からはみ出している部分の対話は、常に対立のテンションと空転野
清戦場となる。語り切れない悲しみを飲み込んだ。

最後に「何故他人を助けるのか」という授業途中の質問に、即興で答え
た「他者と私は合わせ鏡」という弁証法の話をしたものだ。相手との関
わりのこと、彼に響いていたことがわかって、嬉しかった。

感想紹介は次回が最終回だ。



夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)


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12/22 ティーンズ防災講習実行委相談の場作り/鶴嶺高ボラ塾(4)

2017-12-23 05:31:48 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/22 記
--------------
1/16から始める「ティーンズとの現場の対話と知り合い作り」の定点相談の場開設のお知らせのチラシを配布した。(関係者のみ)今回は以下のみにて。)外部の仕事納めかなと。

-----ここから------------
~4名ずつ、全員高1~
(その4)(転載不可)

●「引きこもりや高校退学者の援助の話、震災が起きたあとの話、視覚・聴覚障がい者の話・震災後の高齢者の話をされましたが、その全てがとても興味深く、とてもためになりました。話を聞いて、何かのボランティアに何かのボランティアに参加することも
大切だが何か災害が起きたときに、自ら人助けをすることは、もっと大切だと感じました。」


●「災害が起こった時、自分にできることはないと思っていましたが、自分に出来る事もたくさんあるし、やるべき事もたくさんある事が分かりました。」


●「今日、お話を聞いたり、動画を見た事によって、災害時に自分が何をするべきなのか、再確認することができました。小さなことでも、見つけて、しっかりと、やって行く事が大切であると思いました。茅ケ崎は海・山・川があるので、被害を少しでも減らすように助け合っていきたいと思いました。」


●「孤独死を出さないようにするという取り組みがあるっていうのは、初めて知りました。老人ホームでは災害によって、亡くなっちゃう方がいたり、思うような生活を送れなくなってしまう方が居るのだなと思った。そして、災害弱者という言葉も知らなかった。災害においても、お年寄りは最初に守るべき災害弱者なんだなって感じました。でも、茅ケ崎の事、全然知らなかったから知ろうと思いました。」

-----ここまで ----------------

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

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12/21 「地元ティーンズ防災絆研修」たちあげ相談/鶴嶺高ボラ塾授業への生徒感想(3)

2017-12-22 04:51:12 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/21 記
--------------
「1月16日(火)から第一・三火曜日14~15時、「茅ヶ崎市男女共同参画推進センターいこりあ」フリースペースで飛田が作業をしています。「地元ティーンズの防災絆研修」実現の準備作業をしています。準備の話をしませんか。場所がいっぱいの時は、KFCにいます。」というチラシを作っている。間に合えば明日から配布する。ティーンズの災害ボラのキーパーソン作り企画である。話が流れずすでに2年経っている。様子見のゼリー状の膜をどこかで穿つ必要がある。まずは出会い、話し合えたらと根気勝負というところ。

---------

母は旧世代抗ヒスタミン剤を盛られたようで、だるさと眠気、のどの渇きを訴えている。耳鼻科通院は、年1~2回だから、薬を地元主治医に見せた方がいいと説得。ベッドに誘い込まれれば、たちどころに足の筋肉が弱まるので、冷や汗をかいている。

今はやりの鼻風邪はしつこい。放置すると初期の蓄膿症になる。抗生剤で芽をつぶしておく必要がある。

----------

塾長が冬期講習前に風邪をひいた。受験生にうつすと大変と、焦っているが治らない。爺ぃふたり、延々と電話でため息をついていた。

トーベ・ヤンソンの輸入絵皿を準備していたが品切れ通告が今頃になって到着して困っている。アジア系米国人の絵本作家のおばはん向けの良い本があるが、年内は間に合わない。では何を?富岡八幡宮の様子も見ておきたいし。東京に出られるか?

------------

以下は、県鶴嶺高校ボラ塾の授業感想を生徒たちが書いた。4人すつ紹介する。


~ボラ塾参加・鶴嶺高生4名ずつ、全員高1~
(その3)(転載不可)

●「災害がおきた時に一番動けるのは、その地域に住んでいる私たちなんだなと思ったし、私たちにもできることは、たくさんあるんだなと思いました。あと、被災したときに親の自由時間をとったりするのは、家族しかできないから、そうなった時は、しっかりとやりたいと思いました。」

●「わーく編集部で災害のことについて、色々と聞けました。そこで、災害が起こった時のために、予備知識を持ち、私たち高校生が自分から行動することが大事だと思いました。例えば、その土地について少しでも知っておいたり、困っている人に声をかけたりするだけでも、ボランティアになるということ知れたので良かったです。また、話をしてくれた方が、ここは津波がくるとか、ここはこの位浸水してしまうとか、色々知っていて熱心に話してくれて良かったです。もし災害が起きたら、自分から行動しようと思います。」


●「ボランティアのけいけんがない自分からしたら、少しでも感心がもてるはなしだったのでよかったです。災害のボランティアの時とか、その場でなにをしたらよいかを教えてもらいました。」


●「自分の地域や周りの人たちが、災害の被害をどの程度受けるのかということを、自分は全く知らないが、それによる危機感は全くなかった。しかし今日、お話をきいて、それがいざとなった時、危ないと分かった。また、災害への備えも大切だが、災害そのものが起きた後の生活や、適切な対応などを、少しでも頭に入れておくことが、災害時に役に立ち
、自分も知識として知らなければいけないと分かった。」


被災時、無事避難すると「避難生活」が待っている。発災から3日ほどの時期は、地元勢の共助を立ち上げる時期、以降は外部ボランティアや公的支援(公助)が始まり、生活支援・医療支援も多様な活動が始まる。そして仮設転居を境に外部ボランティアが多数帰っていく。このとき、地元勢は、外部ボランティア依存を抜けなければならないが、長期見通しの混乱が起きる。この流れに沿って、中高生というより、若い地元住民として動く場面があり、ここがモラトリアムとしての学校依存から脱し未熟な大人が立ち上がる。彼らに託された独自の仕事がある。

それが「親の自由時間保障手助け」「御用聞き支援」などの活動だが、災害の情況からしてわかっていないので、災害弱者が観念的にしかつかめない。授業時間、45分では無理だ。


夜間傾聴:なし(開店休業)

(校正1回目済み)

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12/20 教材屋の忘年会から60kmはなれて/鶴嶺高ボラ塾生徒の感想(2)

2017-12-21 06:07:35 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/20 記
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教材屋の忘年会が神保町であったが、母の事や懇話会のゲスト招待費用用などを考えて欠席を表明していた。元締め社職員を除いて30名弱ほどいるのだが、彼らもまた私のように夜が遅い。昼まで後期高齢者陣の大半が帰り、真の飲んべは、20時に終わる一次会のあと、癖の強いところに移動する。彼らは飲まない私など相手にしないからいいが、一次会から三々五々帰路の途中でひとり一杯やっていたり、自宅で飲み直ししている連中が、23時過ぎに電話をかけてくる。「(私の)体調が悪いのかと思って…」が共通の合言葉。うるさいので電話のモジュラージャックを抜いた。携帯もOFF。そうしたらメールが山になった。

私が関わってから30年近くになるが、3分の2が入れ替わり、半分があっちの世界へ旅立った。だからあまり無下にできないのだが、私のように肩書がないのは数名というところ。塾屋は私だけ。でもオンラインでつながっているのはまずいないという全執筆屋は単独者集団。有名なのひとりもいない。私が年齢の平均のすぐ下。

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北海道の友人元看護師さん宛に、トーベ・ヤンソンの皿を注文していたが初め追加入荷予定が長引いて、先ほど品切れと連絡してきた。sinnen プレゼントと控えていたが、急な話、困った。東京に出る用事が、また一つ増えた。

母の風邪の残した鼻の裏側の糜爛(びらん)、抗生剤を服薬し始めてから使い始めて翌日、症状軽減。また断捨離と言い出して、私のチラシファイル、教育と災害・障碍関連チラシファイルが、風前の灯。


---- ここから ----

~ボラ塾参加・鶴嶺高生4名ずつ、全員高1~
(その2)(転載不可)

●「災害が起きたところからいろいろなことまで、何をしたらいいのか、してはいけないことは何なのか、知ることができてよかったです。弱者を助けたり、率先避難することなど大切なこととか、知らないことも多かったので良かったです。避難所の生活も大変なことが良くわかり、少しの知識を知っているだけでも、お年寄りの命を助けられることが分かりました。」


●「意外と身じかに震災があるんだと改めて知りました。中学の頃も、災害が起きたら、中高生が頑張ると言われてたけれど、どう頑張るかは知らなかったから、詳しく知れて良かったです。」


●「震災などの災害が起きたとき、ただ完全に避難すれば終わり、外部ボランティアに頼ればいいなどではなく、自分たち土地のことに詳しい者が、行動したり、避難の際にも助けあったり、土地のことなどに詳しい大人とつながりを持ったり理解を深めていくことが大事と分かった。老人ホームからの避難に観光バスが用意された話など、『無知ゆえの不手際』が引き起こす二次災害の話は、病院に入院している姉が居るので、何だか身近に感じてしまってすごく恐ろしくなった。私も災害の時に率先して行動を起こし、命を守れる人々になりたいと思った。」


●「首都直下型地震が起きると、私の家がある地域はとても被害を受けることを初めて知りました。災害弱者と呼ばれる人は知らないだけで、たくさんいて、それを助けるには中高生のように若い私達が率先して行動していかなければならないということが分かりました。災害が起きたとき、パニックになってしまい何も手につかない状況になってしまうと思います。でも、その中で、工夫を凝らしたり、自分だけではなく周りの人たちの事を考えながら乗り切ることが必要だということを知りました。災害が起きたら、協力することがいちばん大切だと分かりました。」


---- うーん、通じていない。ひとりしっかりうけとめてくれた子がいたのは嬉しいが、姉さんの話などの経験との接点を見出してくれたことが、「ティーンズの自主防災活動」・「要援護者支援活動」の土台が言葉の消化酵素のような経験の読み解き効果がほとんど期待できないから、被災地見学とか、バズセッションというような解き明かしの時間が必要だ。45分では災害経過ダイジェストで終わってしまう。私は90分になれているので、なおさらに感じるのだ。

厄介な問題提起で応答が大変だっただろう。ごくろうさまでした。

----- ここまで -----

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)



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12/19 火曜災害ミニカフェ再延期/県鶴嶺高校ボラ塾・生徒さんたちの感想(1)

2017-12-20 05:20:18 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/19 記
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11月に予定していた「火曜災害ミニ・カフェ」が、会場を他団体が使用中ということで、今日に延期されてきたのだが、サポセンに行ってみると、また別団体が使用していて、再延期となった。サポセンは、スペースの予約制が無く、先に使用した方(団体)が優先という仕組みになっている。カフェの開始が14時なので、それまでに他団体が先に入ってしまうことが増えて困っている。母との食事を済ませてサポセンに行くと、早くて13時半すぎ位になってしまう。上映中の音の迷惑の問題があって、子どもの部屋しか使えないので、選択肢がない。虚しい思いで、1月9日に移動した。

この1/9は、「地元ティーンズの防災絆研修」の設立呼びかけ人顔合わせの初日だった。しかし、1月の根回しの時間が足らないので、1週遅らせて16日から「いこりあ」待機スタートにすることにした。

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サポセンでは、ビッグイシュー誌配布と、県鶴嶺高校ボラ塾の私の分科会の「見返り(感想)」を受け取ってきた。受講した生徒さんがどう考えたかわかる。

私からは、
*1)45分という時間幅では、未知の知識の紹介はダイジェストで終わってしまう。既知の知識の上をなぞらえるのとは違うので、最低、この倍の90分が欲しいということ。

*2)発災時、高校生と呼ばれる君たちは、一個の人間として行動が問われる。急性期の独自活動を判断しなくてはならない。その考える手がかりを紹介した。

*3)被災時に起きること、避難後に起きることその双方に、期待されていることがある。家族と災害弱者に眼差しを向けて、考えてみて欲しい。特に「両親の再建活動のバックアップ」と「避難所生活が無理な独自避難者の不利を補完する『御用聞き支援』」は、重要な独自活動領域だ。心に留め置いて欲しい。

この3つを私側からの感想を出しておいた。安全避難できたら終わりということではないよと、授業のときは釘をさした。

以下は生徒さんの感想である。災害弱者ということ自身が初めての着眼点だったこともあって、「弱いものを助けなければいけない」という倫理的な発想に、浅くつながってしまった若さゆえの限界がでてしまった感があるが、だからこそ経験者と個人的につながることに価値が出てくると思った。

----- ここから -----

~4名ずつ、全員高1~
(その1)(転載不可)

●「地震だけでなく、災害時に周りを見て 助けられたら良いと思った」

●「災害ボランティアについて、詳しくお話を聞きました。災害にあってしまったとき、一番最初に何をすべきか、自分や自分の家族、周りにいる3人たちのために何ができるかなど、今まで大きな地震などを自分が経験したことがなかったので、あまりじっくり考えることはなかったのですが、深く考えるきっかけになりました。」

●「私の住んでいる町では高校がなく、大人も外に働きに、行ってしまうので災害が起きたとき、動けるのは中学生180人だけです。だから中学では、学校での避難訓練はもちろん、地域の人との防災訓練もやってきました。今日のお話や映像でその大切さを、改めて理解することができたし、高校生になってから、ボランティアもしてより多くの人を救わなきゃいけないなと思いました。

●「災害の話を聞いたのですが、ちがさきの話ばかりで正直よくわかりませんでした。でも、自分の家がどんな所にあって、災害が起こるとどのような危険があるのかということをちゃんと知っておかないと、いざ災害が起きたときに困るので、これからはしっかりと、予備知識を持つようにしなければいけないなと思いました。

------ ここまで ------

うーん、違うんだよなというところ。まだ続きます。それは明日に。


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母の咳がとまらず、門前仲町行は中止で、駅前合流した母に付き添って耳鼻科へ。風邪の置き土産で鼻の裏側に糜爛が出来ているという。また抗生剤が処方された。しかし、母は縮んだ。胃がなければ当たり前だが、祖母にだんだん似てきたことに、背筋が震えた。


夜間傾聴:ひとり(専門学校無事に治まっていた、よかった。)

(校正1回目済み)


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12/18 川崎・幸区の「ご近所支え愛モデル事業」の件で 他

2017-12-19 05:45:45 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/18 記
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FBをチェックしていたとき、川崎・幸区の地域共助の関連情報が気になった。

●「見守り活動に手応え ご近所支え愛モデル事業」
http://www.townnews.co.jp/0206/2017/12/15/411451.html

平常時の高齢者見守り活動の進展を伝える記事だった。高齢化社会がやってきて、地域サポートの重要性が高まり、その延長上にある話だった
。認知症徘徊が念頭にあるのだろうが、近未来の震災発生時の安全避難という環境下では、障がい者避難が再び忘れらているように思う。地域の健常者の無理解・差別があることもあって、当事者・家族の地域連携に閉じているように思う。

ここで課題化しているのは、高齢化社会対策であって、問題が顕在化する災害弱者の発災時避難の話ではないことだ。私は大災害からの災害弱者を含む住民の安全避難が、より地域住民にとっての明快な例だと思う。被災が今の課題であり、高齢化が近未来の課題という程度の差だろうか。だから地域サポート作りは、何を軸に実現・拡張するかを問うべきだろうと思う。町内会のこの動きは、地方自治体の対策の必要性から降ろされたトップダウン型の活動である。ならば、平常時の社会プランだけではなく、緊急時の社会プランを複合推進する動力学が必要だと思うのだ。

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社協にビッグイシューを配達した。「よいお年を」と、あえていわなかった。「地元ティーンズの防災研修」呼びかけと、26日の「火曜災害ミニ・カフェ」ポスターを明日配達する。

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寒い。母の居室は隙間風が入るから効果は下がっているだろうが、エアコンのありがたみを知った就寝だったようだ、私は電気ストーブを抱えて書いている。明日「火曜災害ミニカフェ」が終わったら、社協に寄り、母の見守りがついたので、門前仲町を覗いてみようと思っている。(時間的に苦しいか?)

夜間傾聴:塾長(風邪ひいたぁの悲鳴)
     ひとり

(校正1回目済み)





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12/17 ダウンしています、すみません

2017-12-18 05:23:19 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/17 記
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約束を破って、壁紙交換業者が9時に現れた。慌てた。母はパジャマ姿。私は床の中。午後からという約束だと抗議して断る。目が覚めてしまった。目が覚めてしまった。睡眠時間2時間半。

エアコン業者も11時に現れて、エアコンのカタログを持ってきて機種を決めて一度戻った。13時にエアコンを持って再びやってきた。壁紙業者は15時まわって現れた。

二人とも互いに話すことなく、終了は同時。案の定、こめかみの痛みと猛烈な眠気で18:30まで仮眠。どうしようも無くな4時前に4り、出前の寿司を取って、夕食を済ませる。

やっと母の寝室が暖かくなった。私の居室は冷房が効いていた。工事業者が出入りしたので、縁側のサッシ戸が開いていたのだ。

ともあれ一日がこうして終わっていった。明日は9時前に灯油屋がやってくる。母は壁紙が臭くて眠れないと朝4時前にトイレに立った。これがもう一段あればつぶされる。

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神奈川子どもファンドからカンパ要請の手紙が届いた。
映画「ケアニン~あなたでよかった~」が109シネマズ湘南であるとのことで、隙間を見つけて見に行く。

思考停止、ここまで…すみません。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)
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12/16 強制的師走作業に閉口 他

2017-12-17 05:19:55 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/16 記
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母の行動力には平伏する。いつの間にか自分の居室の壁紙交換と、エアコンのガス交換、我が家全部の障子の張替を業者に頼んでしまった。相談もなくやるときは、私に対して不満が鬱積しているときだ。師走というのに社会活動ばかりに目を向けている。定年になったら社会活動をやめるかと思ったら…。とまあ、母の爆発は10数年前以来のことだった。私の書斎は、チラシやパンフレットの、経年山積みの「ごみ屋敷」)状態だそうだ。障子を持ち去られたら、部屋の様子に担当者が悲鳴をあげるだろう。母は仕事を家庭に持ち込むことにもともと反対だったから、教材屋の山ファイルや、壁中のファイルや書籍を、定年後、一掃させることを目論んでいた。

私の部屋関係の障子張替は拒否した。結局障子張替は業者に取りやめが連絡されたが、逆にエアコンは、「新規交換」に話は広がってしまった。我が家は、古い日本家屋なので効率が悪く、またエアコンの重さがかへわゆ問題になり、母の居室のみ中古エアコンが、ようやく動いていた。夏場は扇風機、冬場は石油ストーブを抱え込む。

気の早い話で、明日2業者が一斉に工事に來る。川崎の「当事者ばかりの精神科病院」企画に母の見守り役をつけて抜け出す算段をしていたのだが、またドタキャンとなった。庭師が入って臨時出費にむっつりしていたのに、とどめがきてしまった。

「もったいないJapan」に、「書籍と理科実験用具」を提供しようと考えていたが、車の運転が出来なくなっていたので、ちょっと億劫にしていたのだが、いっそ明日に宅配できるように、まとめることにした。母の見守り依頼は断った。

懇話会を12月にやらずに延期したのは正解だった。母の体調元気はいいが、突然の「めまい」や、判断力の低下(ひとりで入浴等)、歩行能力の減退、聴力低下は、実は綱渡りしているのではないかと実は、ははなつまづきにひやひやとしているのだ。

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熊本学園大学避難所の学生ボランティアの運営資料をいただいた。やはり「身体障碍の方たちを「障碍者」と呼んでいるところがあって、発達障碍や知的障碍・精神障碍の方々のことは、どうしたのだろうと問い合わせた。資料を送ってくださった。

cf.>「平成28年熊本地震45日 大学避難所~障がい者を受け入れた熊本学園大学震災避難所運営の記録~」(ISBN: 9784877555672)

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足止めをくらったが、明日、工事が終わり次第サポセンにいく。「12月分火曜災害ミニカフェ予定表ポスター」と「ビッグイシュー」を届けにいくのだ。カフェは12/19・26と行う。滑り込みの印刷物なのだ。

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粉砕し塩漬けした赤パプリカのソースを手に入れた。サルサソースよりもシンプルなので、鱈の切り身を煮込んでみたが、うまくない。皮付きの鳥のもも肉を煮込んでみようと思っている。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

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