湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

11/27 父の老健に行き/見通しを持って動くこと

2010-11-30 09:02:05 | 引きこもり
2010/11/27 記
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母が起きてこない。10時から父の老健で話し合いがあるので、起きるのを待っていられない。平塚からバスなので乗り継ぎがよくないので1時間半は見てお粉九手がなくてはならない。母の寝室を覗き、ダンピングが起きているのではないことを確認して、母の朝食の下準備をして朝食を摂る。間の抜けた目覚ましアラームが、PCの前で鳴り出し慌てて止める。今までなら、難なく止めていた目覚ましだが、床に本を落としていたため、つまづいて蹴飛ばしてしまった。本が見えていなかった。右側である。ハンカチを忘れる癖がある。利き手の右側に置くからだ。頻繁になってきた。

父の老健には10分前に着いた。周辺は田舎の民家と町工場、畑しかない。コンビニで父の差し入れの茶を買うが、話し合いが1時間は見ておかないといけないので、駅前ではさめてしまう。1つ先の停留所まで乗り、茶を出来るだけ老健の近くで買ってと思っていたが、習慣で目的の停留所で降りてしまう。夜間傾聴が終わったのが4時前。4時間は寝ているはずだが、母の嘔吐のトイレがあった。知っていることは目が覚めたこと。ボケている。最近の傾聴は切羽詰ったものが少ない。レギュラーの悶々とした時間に連れ添っている。だから多少は付き合い方が分かってきたものが多いから、談話後に引きずることは少ないのだが、それでも影響は残る。

少し早めに着いたので、暖かい茶の出る自販機を探すが、前にも探したが手入れが悪くて、冷たい茶しかないのがわかっていた。町工場の奥に自販機が見えたので、警備の方に挨拶して自販機を使わせてもらい、なんとか暖かい茶を獲得できたので、衣類にくるむ。

老健には定刻に到着。昨日名前を刺繍した衣類の提出を後回しにしてもらって、先に話に入った。先方にも介護保険の改定後のケアプランの説明があったが、私にも近い将来、母の入所を見通した予測が必要となっていた。目が悪くなる私にとって、今の家は負担になる。しかし離れが書庫になっている現状では、家を売って借家に入るにせよ、広さがいる。縮んだ生活に入るにせよ、この父の老健生活が長期の保証がないと、見通しが悪くなるという不安があった。幸い父は職員と格闘してはいない。それは生活の不満が無くなって順調ということと同時に、ポテンシャルが下がっていることでもある。活気が失せた、そうも思う。仕事の定年がないのは嬉しいが、契約講師である。巡回がいつまで持つかもわからない。遠い墓地の移転や家業の見通しなども、今回の話の私の尻尾、だいぶずるりと大きくなっている。

ケアマネさんと話をする。私の職業や社会活動をしていることも知っているので、平塚市との行政施策の比較を含んだ挨拶があった。前回、ここを訪れたときは、道が荷崩れ事故で混乱、老健玄関には救急車という異常事態だったので、救急車の件の説明も入っていた。隣が老健を経営している病院なのに、なぜ救急車なのかという説明。

持病持ちの方の体調悪化で、命の山場は越えていたが長期化の見通しがあったので、自宅から通いやすい病院に救急搬送したとのこと。県のはずれから2時間以上かかる老健に入所しており、この遠方入所をせねばならない状態が高齢者介護の実態である。一度病院に出たら、もとの老健はふさがってしまう。父の引き取り場所も探さねばならない事態もありえた。

在住の市内なら、ネットワークのやりくりで急場はしのげる状態だが、市外の方は基本は在住地域のネットワークに返すという。介護度と家庭の状態によって点数制で優先順位が決まるためで、退院時点の点数で様子がまったく変わってくるという。

父の発症予測は、肝臓や腎臓、血栓という高齢者の王道のような病であり、その内容では隣の病院でフォローできる範囲だった。その場合は老健復帰は戻りやすいが、体調しだいでは次のところを探すことにもなる。長期化すれば生業も社会運動も追い込まれることは必至だった。

介護保険改正後のケアプランの承認手続きやら、父の生活状態の報告を受けるが、やはり徘徊再開の傾向があった。しかしほとんど歩けないので転倒がこわい、そういう状態があったが、案外夜よりも集団管理されている昼間のフロア、他の方の移動(トランスファ)が父の近くで行われている最中、手の離せないときに限って立ち歩く困った状態が始まっていた。私には父の強い不安の性分が浮かんでいた。今のところ、離れた職員がかけつけて対処できているが、対策を検討中だが、父の不安の背景には便秘、便意が隠されていることを職員さんたちは、つかんでいた。ここの管理強化が結果的に、急な立ち上がり歩行を解消していく道として説明してくれたが、その辺は納得のいくものだった。

年末の短期帰宅は断った。受け入れ態勢が無い。母も休み中のダンピング・めまい対策は救急外来は専門医ではないので的外れ治療が怖い。地元医と北里東病院の救急外来と話をつけておく必要があった。その状態をケアマネさんに伝え、短期では年末対策を、中長期では入所継続を頼んで、必要書類に署名捺印し契約更新を終えた。

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平塚の図書館で書籍更新を済ませた後、相模線で巡回に出る必要があった。田村十字路まで出てタクシーで神川橋を渡った。茅ヶ崎を経由するときの乗り継ぎが悪かったからだ。田村十字路は比較的にタクシーが拾える場所だった。タクシーの中で、心配した母から電話が入った。今回は橋本だった。湘南あすなろ会の新規の会報が出来ていた。離れている町社協配布は諦めて、町役場だけ配布。隣の図書館に駆け込んで書籍更新をすませ、小走りで寒川駅から相模線に乗った。

橋本巡回。終えて気がついた。昼食を摂っていなかった。彼も食べていなかったので、糖尿病には鬼門だが、ラーメン屋に入って食事。彼からラーメンの薀蓄を聞く。引きこもり青年はいろいろこだわりを持っている。だから話題も私の知らない情報が入って楽しい。彼はスーパーのバックヤードのバイトをしていたので、商品情報が詳しかった。ラーメンの流行モニターの話は面白かった。経営者に任せると赤字になるというのだ、笑った。

橋本から戻って、金曜日なので茅ヶ崎の行政関係、社協等を17時前に会報配布に回った。社協ではビッグイシューの今後の配布の件を話した。東京事務所から茅ヶ崎販売を「解雇」されても、定期購読者への冊子届けはメール販売なり、買取り配達なり引渡しへの責任があった。販売者を標榜してはいけないので、個人として無償受け渡しすることになる。虚しいが活動自体は大切、ここは継続していく。

母の所望の食品は平塚駅南口のスーパーに行かないと買えないものだった。また平塚に逆戻りして購入。ついでに平塚の市民活動センターに寄って、会報配布。

母が地元眼科に行ってると連絡してきたので、眼科に迎えに行き連れて帰る。18時を回っていたので夕食の準備。北海道の友人が送ってきてくれたケーキを母が小腹が空いたと食べてしまった。これで大半の惣菜が食べ残しになることが決まったようなものだった。ずっしりと虚しさがのしかかる。四面楚歌に思えること自体が問題だった。ストレスを散らさないと持続できない。飯が炊き上がる間に強制仮眠を取った。自己管理の戦いである。

不安は伝染する。母の愚痴を聞きながら食事。父に衣類を届けたとき、持ち込んだ最中菓子を忘れていたが、衣類にくるんだ暖かいお茶が衣類の中から転がり出たので思い出したのだといううような、他愛の無い話で母を茶化した。父は蓑虫かと話した。若い人たちは、この蓑虫自身を知らない。ミノガの個体数が激減しているためだ。だから寿町の「さなぎ達」さんの「さなぎ」のイメージがなく、「なぎさ」になってしまう。

食器洗いを済ませて、梅永雄二氏の著作読書に取り掛かる。土曜日が横浜講演。これからしばらくお世話になることも多いので、登場人物の件で企画化の準備だった。

あと1時間で夜間傾聴。毛布をかぶって1時間仮眠。

夜間傾聴待機中は、30日の懇談会資料準備。
予備校・塾は進路面談が続いているが、今年最悪のとき私は定年退職候補になる。巡回予約の変更が多いからだ。だから進路相談の応援依頼はまわってこない。巡回フォローだけである。

面白い書発見。「親の懲戒権はいかに形成されたか 明治民法編纂過程からみる」。「親の懲戒権」を法制史から歴史の目で相対化している。当たり前のことにしない視座に共感。生活規範を絶対化する発想に私は組しない。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本3君(仮名)

(校正1回目済み)
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11/26 父の新調上着に名前を刺繍しつつ

2010-11-29 05:47:38 | 引きこもり
2010/11/26 記
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父の冬支度をする。老健のレンタル衣類に加えて、父が冬場に着ていた上着を調えて26日に老健に持っていく。父を預けっぱなしという状態は作ってはならないと思うが、老健の側からもいろいろな呼び出しをかけてくる。だから月最低2回は老健を覗くことになるが今月も、インフルエンザ予防接種の申し込み、承諾書の提出とか、冬用上着の持込要請、介護保険改定後改定介護計画書の説明面談と承諾書提出という具合に、出向かなくてはならない用事が出てくる。これに加えて、毎月のレンタル衣類の料金支払い(銀行振り込み不可)とか、糖尿病治療報告面談などが重なってくる。主に承諾書捺印や支払いが多い。

年末帰宅要請があったが、貸しベッドは返したし、母の状態からも年末年始の帰宅は無理だ。この件は説明して預けっぱなしにしたが、母の状態を説明しておく必要がある。

しかし驚いた。父の上着は全部が極端に伸びていたり、破れて、強い尿のにおいが取れない状態になっていた。いかに介護が格闘技だったか思い知らされるのだが、なかなか捨てられないで、押入れの下段に押し込んでいたのだ。

改めて洗っても老健で使えるようなものではなかった。母は勇気を出してと表現したが、まるごと衣類っを捨てることにした。かわりに老健に持ち込む上着を買うことになるが、買い物は母がやりたいといいだしていた。

しかし厄介なことは重なり、母の部屋のエアコンのリモコンが壊れ、直接操作できないタイプなので、母の部屋は電気毛布だけの状態になった。これも大きく影響して、昨夜はダンピングが早朝始まり、9時ごろまで眠れない状態が続いていた。この寝不足状態の母を買い物に連れ出すわけにはいかなかった。

私にはまだ閑職とはいえ巡回指導がある。父の介護のときの助っ人をしてくれた母の友人親子も、母は自分の体調のこととなると、面倒をかけることは出来ないと突っぱねた。だから応援団がいない。私の仕事もそうも変更を繰り返しているわけにもいかなかった。

今回の父の上着の買い物は、昼間私が先に巡回を済ませて、夕方駅前を散策することにした。母は胃切除後、柔らかな料理がないからと、外食が極端に減っているので、自炊の準備を巡回前にしておかなくてはならなかった。母は突然、出したメニューを突然拒否する。だから複数準備しておかないと間に合わなかった。少量多品種の料理を作るのである。この買い物も、上着探しの間に効率よく済ませていかないと、上着選びは膨大な時間がかかる。寄り添っているだけで、正直言って逃げ出したくなる。

結局2時間かけて3着の上着を買い込んだ。私には憂鬱だった。父が嫌がればそれは勿体無いと私に回ってくるからだった。老健に持っていく衣類は全部、靴下の片側一足にせよ、名前を入れなくてはならない。上着はマジックインキ書きが出来ないので、刺繍していく。母は手の骨折後遺症と、膠原病のために巧緻動作が無理な状態なので、網膜色素変性症の曇りガラスのような眼で名前を刺繍せねばならなかった。曾祖母の介護から20年近い介護経験が役にたった。歪もうと何しようと、一応刺繍は読める状態に出来た。夜間傾聴の時間まで30分に迫っていた。

上着を見ながらろくでもない回想をしていた。父は身勝手をしつけと呼んだ。抵抗する間柄は似ているとブラックユーモアがあるが、父は自分の衣類と同色の上着を着ることを嫌がった。父の好きな色は黒と赤。ともかく気まぐれな文句が飛び出すので、私は黒と赤は避ける習慣がついていた。認知症を発症してまで、おしめの拒否と立小便の習慣厳守から始まる階段上の激突があったが、このときも、赤と黒のガウンなどが、山ほどの洗濯物となってのしかかっていた。買った上着も類型のもの。老健にはふさわしくない派手なものだった。私が着たら、上着に着られてしまう。

散髪も料理も介護のときに覚えたものだ。自分の頭も後ろに鏡があれば、なんとか切ってしまう。しかし刺繍は手がつった。不器用の証拠だが、新潟の伴走舎のビデオを観ながら、湘南の活動の芽が育たない現状に、念力をかけても仕方が無いが、うらやましく観ていた。目先しか見えない指導者をかき分けていくその先に出口が見えるか、とにかく種まきをどう続けていくか。刺繍の針にう日を刺されながら考えていた。

経済産業省の高齢者介護の助成金制度開始の状況は、地域起業、特に引きこもり青年と軽度障がい者のチーム就労を基礎にした仕事作り構想に援助が出たことだ。生鮮食品市の件はホームレスの職業開拓に適している。しかしこれは、安定就労の難しい者の起業、地域に出むく地域起業、仕事を生み出す仕事なのだ。資本がなくては出来ない活動として、当事者の結集を呼びかけていく必要がある。

今回は相模大野の巡回を終えて、母と駅前バス停待ち合わせで、父の上着を買い求めて終わった。明日は平塚の老健に回って、土曜の梅永雄二氏の講演会の場に届ける資料を作る。以前、先生に仲介していただいて、歯科技工士としての高橋今日子さんの小さな懇談会を開いた。そのときのお礼のご挨拶と同時に、障がい特性を生かす専門職の方を紹介して下さるようにと、お願いしてこようと思っている。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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11/25 ビッグイシュー茅ヶ崎販売終了判決?/地域セイフティネット作り

2010-11-28 05:14:43 | 引きこもり
2010/11/25 記
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社会的企業とは、企業の社会的貢献活動とは違っている。社会活動が解決力を得るために企業的手法を取り入れて活動することだ。その本領は社会活動にある。私の住む湘南にも、福祉の総合商社のような活動がある。そこに所属している団体間はお互いの情報や協力が成立っているが、その所属エリアの外にある団体は連携しようが無い、困った性格がある。その内部の決定には外部は参加出来ないのは勿論だが、連携の相談のとき、会の結論を持ってくる上に、それが十分に論議されたものと思い込んでいる。連携は異なる団体が接触し話し合う時点から調整が始まるのに、それは組織に持ち帰ってという話になる。だから連携の場には常に結論が持ち込まれ、反論もなにも必要がないとなれば、説明も無く引いてしまう。これは企業社会の連携会議の場によく現れる傾向だ。社会活動を成すものが、この企業の論理まで取り込む必要は無い。

この状態とよく似た光景が、昨日のビッグイシュー東京事務所の中に起きた。ビッグイシューっ茅ヶ崎販売は、Eさんの就職によって販売活動が休止する。そのけじめのためにお邪魔したのだが、もうひとつ解決しなければならない問題があった。バックナンバー販売の日時と号数を規定の申告書に3月から記載せずにバックナンバーを販売総部数の形で支払ってきたことが、問題化していたのだった。

話し合いというより通告が行われた。検察調書を作るように、販売形態と管理状況の聞き取りが行われ、事情聴取が始まった。春先のTさん事件、主因は徘徊する父の介護による私生活混乱の余波である。7月初めに父が入所したので平常状態に戻せると伝えたところ、支払い報告メールを取り出し8月も総額だったと私に示したのだった。判決は茅ヶ崎販売終了。

何だろうこの雰囲気はと、違和感を抱えつつ、予測された最悪の事態に守るべきことは、ふたつあった。ひとつは販売者OBとなったEさんの東京の活動保証。もうひとつは定期購読者への継続購読をどう保証するかということ。

前者は問題ないとなり、後者は「メール販売」制度を使うこと。この無償仲介者資格をEさんが持つこと。最低限の保証は通った。

飛田「解雇(雇われたつもりはないのだが)」ということで、私は購読者として間接的につながることにし、私のホームレス領域の活動は、従来の支援活動と平行した地域起業に就労支援の軸をシフトすることにした。ビッグイシューの活動の趣旨はすばらしい。しかし支えるメンバーが企業の論理に飲み込まれているのはいただけない。私に成した裁判を、重圧を超えてきた販売者さんには向けないことだ。

残務処理は手早くというのが普通だが、これをゆっくりやろうと思っている。Eさんの仕事が激務だからだ。もし彼が続かなかったとき、彼の収入源がなくなってしまう。当事者は経理にはなれないので、私以外の支援者に役割を引き継いでもらうことで超えたい。私は販売活動から身を引き、購入者となる。私が在任中の販売総部数から中間マージンとなる14円/冊は、1年半余、大体7~8万円になるがこれは分割であすなろ会に全額戻すことにする。つまらない話になるのは沢山だからだ。

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湘南あすなろ会は、当面寿町の越冬支援に参加していくが、大きな個性は、若いHLを対象にした諸活動を立ち上げていくことや、市民生活との接点にたち、様々な支援活動を作っていくことに独自性をだして行きたい。例えば鶴嶺高校のボランティア塾のHL問題紹介授業後のように、高校生が自分たちで格差社会やLH、差別のことなどを考え行動する会や企画を立ち上げる。支援する側の活動育成などの活動だ。勿論、パトロールや炊き出し行政参加懇談会)に参加しけていく。思案のしどころだ。

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帰り、寿町に立ち寄って、年末の予定を確認してきた。12月30日には、前回当事者の面々と寿町に出かけたが、その2回目をやる。14時に茅ヶ崎駅改札口集合。また私は現地集合になるが、あすなろ会の面々がいる。炊き出しが16時からある。今回はひとりに交通費とワンカップ1つがプレゼント。1回目の私の14円/冊の利益を使えばいい。

しかし時代錯誤に驚いた。まだ「黙って のたれ死ぬな 生きて奴らに やり返せ」と予定表に書いてあった。37年目とのことだが、37年前にタイムスリップしたかのようだ。このセンスに戻るつもりは全く無い。カウンターカルチャーは化石だ。誰だろう、このセンス。

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地域セイフティネットに消費再生産領域(私生活領域)への起業活動を平行して走らせること。その起業活動に引きこもり者や軽度障がい者、社会的弱者の仕事をつくりたい。社会的企業を立ち上げることによって、賃労働のような仕事の意義を間接化したものではなく、公益性を持った仕事をつくることによって、彼らの居場所と出番を、直接勝ちの見える「協働」として拡げていくこと。更には、個々人の特性を踏まえた「協業のチーム作り」をすることで、特に障がい者の熟練、発達の保証を企画していく。そういう流れの中で、高齢化社会の地域に根付く構想をたてる。

このとき、22日に経済産業省が助成金を出すことになった「買い物代行」は、地域起業ネットの有効な着眼点となるだろう。また屋外企画としては、地元住民対象の「生鮮食料品市」を立ち上げれば、ここにも就労の口を拡げていくことを考えている。HLの方の仕事はこちらだろう。裏方や企画屋を考えたら、就労者数は大きく抱えることが出来るだろう。なによりもそれをどこから作るか、まずは高齢者問題という切り口であるが、単身高齢者のニーズを具体的につかんでいくために、「買い物難民」のオンライン読書会をはじめて行きたい。大きな地域構想を提供する炭谷茂氏をなんとしても茅ヶ崎講演を実現したい。

「大都市のひとり暮らし高齢者と社会低孤立」を入手。

夜間傾聴;中央林間君(仮名)

(校正1回目済み)
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11/24 経済産業省が買い物難民対策に動き出した/ひょうたんから駒のような出来事

2010-11-27 08:57:17 | 引きこもり
2010/11/24 記
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正直言ってごまめの歯軋りをしている。私が6年近く言い続けてきたことに、国が動き出す時代になってきた。入れ物の拠点を持つ団体が請負い、また地元ネットワーク作りが頓挫する構造に流されていくのだろうか。旧態然とした発想から出ることの出来ない活動の壁を越えなくてはと試み、6年が過ぎ去ってしまった。地域起業の大きな鍵になり、無職者の就労対策を組み込んだ構想が、これでも通らないのかと苛立ちもした。自分で丸抱えする活動の時代ではない。まだわからないのかわからんちんと、気負う自分を冷やしていた。社会的な課題を企業的な手法を導入して解決へと導くのが社会的企業。社会活動が力を得るための方法。行政の外注請負ではない。大事なことは、地域に社会的課題に解決力を育てるネットワーク実現なのであって、社会的弱者の居場所と出番作りなのだ。ここを社会的弱者の一領域をサポートする団体が活動を抱え込んだら、地域はまた契機を失ってしまう。拠点型の活動は脱する時期なのに。

●「買い物弱者」600万人救え…政府が補助金(読売 11月22日)
●「買い物弱者対策支援事業の募集開始と説明会開催について」(経済産業省)
●「平成22年度「地域商業活性化事業費補助金(買物弱者対策支援事業)」の公募について」

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彼と会った。詳細が書けないもどかしさがあるが、一応の対策は打てたものと思っている。卑下するな。そのことだけだ。

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ひょうたんから駒というか、私の失敗からひょんな出会いが生まれた。

私のメインPCが故障し修理に出し、使っていなかった予備PCを使い始めた。するとiTuneの更新メッセージが出たので、Ver.Upを行った。これがいけなかった。携帯のバックアップを取るつもりで、iPhone携帯を予備PCにつないだら、まっさらの連絡帳がiPhoneにコピーされてしまい、メインPCのバックアップにしていた連絡帳の住所録がすべて消去されてしまった。

復活にはメインPCの修理があがってくるのを待たなければならなくなり、連絡が取れなくなった。日常的な付き合いをしている方は問題ないのだが、ちょっと離れている方は連絡が取れなくなった。困ってしまった。

11/30の障がい者就労関係者の懇談会に、ある引きこもり青年とそのご家族を招待する予定でいたが、電話番号がわからなくなった。そこで以前、近所のバス停で待ち合わせした記憶を頼りにお宅にお邪魔し、ポストに案内状を投函しようと思った。お宅は団地だったので、割合お宅探しは楽のはずだった。ぐるり階段下のポストの表札を300軒ほど探していくと、終わり間際にそのお宅の苗字のポストがあった。訪ねるには時間が遅かったので、封筒書きして案内を投函して帰宅した。

翌日、見知らぬ方から電話が入った。それは私の投函した案内の真意を確かめる電話だった。私は同姓のお宅に間違えて投函していたのだ。ところがお詫びをしていると話が少し違ってきた。なんとその方も、障がいのことで相談したい問題を抱えていらした。聴覚障がいの方を家族にお持ちの方がいらして、この企画に参加を希望されたのだった。

びっくりした。しかし新しい出会いに偶然なったが、当日が楽しみである。
どうもお騒がせしました。

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今日は、これからビッグイシュー東京事務所に行く。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)


(校正1回目済み)
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11/23 ある青年の相談に/「発達障害と虐待との関係性」講演会に参加

2010-11-27 07:09:30 | 引きこもり
2010/11/23 記
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昼に夜間傾聴の延長線が飛び込んでいた。珍しいことだった。茅ヶ崎に来るという話を押しとどめていた。以前、ある子が突然鎌倉にやってきたことを思い出した。私の0467局を鎌倉と間違えたのだった。説得してその日自宅に帰したが、今回は年齢が高いし男性である。どうしたものかと考えていても仕方が無い。今回の巡回が中央林間なので、彼には合流しにくいところなので茅ヶ崎合流を承諾した。開業医は午後の診察が15時からで、母と私のそれぞれの診察日なので、ともあれ昼の巡回を済ませて急いで茅ヶ崎に戻った。

待ち合わせ場所に彼は来ていなかった。携帯電話にかけてみたが彼は出なかった。命の危険はないものの、こういうときの判断は難しい。母に帰宅が遅れると連絡し、もう少し待つことにした。結局彼とは連絡が途切れ1時間が過ぎたので、彼のPCアドレス(携帯アドレスが分からない。)にメールを送って帰宅した。

母の地元主治医は歩いていける距離にある。母は支度をして待っていた。昨日今日と、大きな崩れは無いが食事をほとんど摂っていないので、突然の「めまい・嘔吐」が危なかった。立ちくらみのような立ったときに起きるものとは違い、本当に突然やってくる。だから脳や神経を疑っているのだが、検査に出てこないし、脳内の血圧異常があるわけでもない。一見元気なので頻度だけが調子の目安になっていた。母に付き添いはいらないといわれつつ、母を主治医に届けた。リハビリがあるので、私のほうは茅ヶ崎の駅前。患者さんがいたことのない不可解な内科なのだが専門医。定期検査にやや時間がかかっても、すぐに終わる。処方箋をもって薬をもらうのを後にして母のクリニックに戻った。母はちょうどリハビリを終えるところで、買い物をしたいという母を抑えて自宅に連れ帰った。

彼の連絡が途絶えたことが気になって、教室の許可を取って、自宅の電話番号を聞き出し連絡したが、固定電話もなりっぱなしだった。もしやと思いつき、中央林間の私がよく使う店に呼び出しをかけた。当たりだった。彼は延々と待っていたのだった。

携帯電話を家に置いてきてしまったという。彼とは以前、相模大野で会ったことがあった、そのときに次に中央林間の巡回の予定を話したことがあった。それで店を知ったのだろうと予測はついた。しかしなぜ茅ヶ崎の予定が中央林間になってしまったのだろうと考えたがよく分からなかったが、やっと意味がわかった。所持金だった。

彼は相談専用携帯に連絡を入れようとして、自分の携帯電話がないと番号を覚えていなかったので、私の言葉に有った中央林間に所持金と相談して、私を捕まえるつもりでやってきたのだった。ところが店に入ったが金が無い。出るに出られず困っていたのだった。

困ってしまった。店長に事情を説明し、長居を詫びた。そのうえで私の同僚に頼み込んで、相模大野の在校生ではないが、私的に金を借りて、相模大野から金をとどけてもらった。巡回指導の経験者でなければ、このような金銭のやりとりはタブーと断る内容だった。ともあれ家族が不在ならば家に戻れと指示し、それを彼の気持ちと接点を残す「待機」と呼んだ。彼はまもなく、同僚から店の飲食費と帰りの電車賃の不足分を受け取った。同僚からの電話に感謝した。

急ぎ、夕食の下準備を整え、彼と橋本で合流する予定で再び茅ヶ崎に戻り、薬局に立ち寄って処方箋の薬をもらっていると、メールが飛び込んだ。彼のPCアドレスからの感謝状と、今日は大丈夫そうだから家にいるとの内容。

橋本行きは中止し、予定通り18時半からの湘南子どもネットワーク主催の講演会「発達障害と虐待との関係性」(山田不二子氏講演)に参加した。講演は対象者の把握がむずかしい。そこをはっきりしないと、自分の活動の語りたいコアの部分を伝えるためのバックグラウンドの概要説明を延々として、本題になかなか入れないで時間が来てしまう。今回の山田氏の話もその講演のレトリックに取り込まれていた。

話の大切さを感じつつも、類型化したそのカテゴリーのひとつひとつに応じている話にもどかしさを感じつつ、その要約の切れ味に専門家を感じていた。発達障がいを持つ子どもを持つ家族は、特に母子関係において齟齬を生じやすく、愛着関係育成が阻害されることが多い。それが日常生活の危機と重なって、虐待を生んでしまう。孤立化を避けなくてはいけないという骨子なのだが、ケースカンファのような形の語りに踏み切れないので、経験がなかなか伝わらない。

とそこにメールが飛び込んだ。彼からの携帯メールだった。茅ヶ崎に来ているというのだ。慌てた。まもなく講演が終わる。そこで待っているべしと指示し、講演後、彼と合流した。

母には講演会終了後はいつもの二次会に合流するからと言ってあったが、とんでもない二次会となった。

彼の相談内容は書けないが、当座の確認が取れた。しかし中央林間に予定変更したり、突然茅ヶ崎に来るなど、私の了解を得ないで動くと、私自身が対応できないことも生まれると注意。アポ取りせよと確認し、それがあれば出来ることは支援すると話し、相模線に乗せた。

22時前、私は自分の夕食をとっていないことに気がついた。バスがちょうど来る時間なので途中のジョナサンで食事を摂るつもりでバスに飛び乗った。しかし不覚にも座席で居眠りしてしまい私の平常降りる駅も通過してしまった。疲れていた。

自宅に戻り、残り飯に生玉子をかけて、トマトをかじって、とりあえずの食事を摂って仮眠。起きると毛布の上に掛け布団がかかっていた。1時少し前、夜間傾聴待機の時刻に間に合った。中央林間の巡回した青年からレポートが返ってきていた。添削して返したが、昨夜は静かだった。

Eさんのビッグイシュー販売終了後の体制をどう作っていくかという問題を解いていた。最悪の場合、茅ヶ崎販売が継続契約できないかもしれなかった。ビッグイシューはいわば総合ソフトのような活動をしておりそれを目指している。しかし、さまざまなソフトを連携させて機能を作る発想とは違っていることを感じていた。同時にお互いの状態を理解するためには、会っていなくてはだめだと痛感した。7月の父の入所までの半年間、東京との連絡をEさんに任せていた。連絡を単線化してはいけない。その鉄則を守らないと、相手の解釈がずれていっても修正が利かない。

当座は、寿町越冬支援をやっていくが、いわば遊軍化した活動は長続きしない。独自に取り組む課題がないと霧散していく。あすなろ会は路上生活者の自助活動であり、市民生活との接点に立ちネットワーキングしていく活動に個性を持っている。鶴嶺高のボラ塾の授業をいわば「情報宣伝」活動と観るのではなく、高校生との接点をまさぐる活動と考えるこの微妙な違いが、実は大きい。あすなろ会を従来の路上生活者へのサービス提供活動へと導くのではなく、自立支援へと誘う質をどう方針化するか、その辺の自前のひと味なのである。遊軍流の発想を超えていく質を、現在の会の技量の中に見出していかなくてはならなかった。

明日、ビッグイシュー東京事務所に行った帰り、寿町に立ち寄ることにした。当座の寿町越冬に参加する調整を済ませること。

あすなろ会の活動とは直結しないが、ふたつの活動の準備をして夜が明けた。ひとつは「買物難民―もうひとつの高齢者問題」の緩やかな読書会MLのスタート、もうひとつは、学校や地域講演会向け「HLの課題紹介パッケージ」案作りだった。HL支援活動のパトロールや寄せ場企画参加に加える+αの企画の一案である。こちらから出向く、行商みたいなものである。

前者は少なくとも3年前に国が支援に乗り出してくれたらと思う、無職者対策の開始を恨みつつ、空転し続けてきた地域就労支援活動の立ち上げのやっと潮目が見えたことを受けて口火を切る意味合いを持たせたい。

統合ソフトや、単機能ソフトの規格の限界を超えていかないと次がない。そう感じているのだ。

傾聴待機終了5時。

今夜、彼と会う。


夜間傾聴:相模大野3君(仮名)

(校正1回目済み)

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11/22 母の慢性不調と/湘南あすなろ会定例会

2010-11-26 07:07:09 | 引きこもり
2010/11/22 記
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母の検査入院の大腸検査の結果が癌が陰性であったことに一安心したが、やはり検査の後遺症が出てきて、無理が利かなくなったと当人が嘆いている。古い地元の母の友人が初期の喉頭癌で手術していたことがわかって、それも影響しているようだ。外出意欲は衰えていないので、大変な事態とは思わないが、それも手術前と比べれば半減している。突然襲うダンピングと嘔吐、めまいに世話する側もうんざりしている。

日曜日というのに、母はベッドに伏せっていた。早朝の嘔吐に睡眠が妨げられて参っているのだ。こうなると自分から食事をしないので、体力がますますなくなってしまう。だから巡回指導に出る前に、母の食事の下準備をしておく。暖めればいい程度の半調理。それも気が乗るメニューではないと、冗談ではなく煮豆数粒、みかんS1個で一日が終わってしまう。胃切除したので食欲自身が生まれてこないのだと母から説明を受けるが、信じられない。この制約が真綿で縛られるように、私の自由を奪っていく。まな板をざっと洗って、ブレザーを着込んで玄関を飛び出していく日々。

海老名巡回、寒川図書館書籍更新を済ませて、茅ヶ崎サポセンへ。元ビッグイシュー販売員のEさんが,就職したため、湘南あすなろ会の定例会が水曜日から土日に変更になっていた。しかしこの移動の間にも、母から電話がかかってきていた。突然の嘔吐があるので孤食が不安なのだ。あすなろ会の今後の時間を早めることは可能だが、早い時間では私の巡回や企画参加と重なることが多くなる。だから18時半開始は動かせない。

海老名巡回は、今回初めて親御さんが同席した。大学進学と就職の見通しの相談だった。家業も継がせるほどに豊かではない。しかし4年後の社会はどうなっているのだろう。明るい見通しは語りきれなかった。大学にどれほどの意味があるか不安に思ってるのだ。私も彼の選択が就職に効果があるとは思えなかった。しかし、裏の所属を得るということがあるのだと説明した。

社会は相手の信用を勤務実績でみることは稀で、出身校や、誰の知り合いかとか、どの仕事チームに所属しているかというような集団所属が根拠になり、一旦社会人になると、自分の所属の組み換えは非常に難しい、裏返せば集団にはじかれて所属できる機会がなかなか得られないのだ。この所属作りに進学することが有りなのだ。眼に見えない社会の閉鎖性を切りぬけること、学歴というのともちょっと違う。

昔、学歴は社会階層を越えていく有効な道だった。今は実力主義の時代と言われるが、それは先端の話。一般人には集団が細かくなったというのが実態。彼はバイトを始めるという。受験前に親の前でそれをいうのには、かなりの事情がある。今回はレギュラー君の巡回の隙間に相模大野から海老名までご足労ねがった。もうひとりが続いて相談がかさなっていたのだ。

親子そろってきょとんとしていた。困ったな、言葉が無い、そう思った。

次の相手のレギュラー君は、今回宿題回収の臨時巡回なので、さっと終わる。

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駆け足で寒川図書館の用を済ませて、11/30の就労支援関係者懇談会の資料作りに、早めに茅ヶ崎サポセンに飛び込んでがっかりした。1時間半前というのに、もうTさんが来ているのだ。こうなると集中できない。とにかく誰か早くきているのだ。

今回は、

1)鶴嶺高校授業の自己評価(反省)
2)年末寿町越冬企画への参加調整
3)ビッグイシュー休眠準備

ということだった。

1)は生徒さんの明らかな変化があったことを皆が確認。
2)は、寿町実行委に予定表をもらい、炊き出しなどに参加。
3)は24日、東京事務所と午後話し合う。

という、大雑把に言うとこうしたことが話された。

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Oさんに送ってもらって、茶の間の電灯が消えている我が家にもどって、蒸気を吹き上げているやかんのガスを止めた。

母が薬を床にばら撒いて、ベッドに伏せっていて、どきりとした。

母は疲れと薬に引かれて眠っていたのだった。急いで食事を作って茶の間の電灯をつけた。何も食べていなかった。そのあと、母は一応の量を食べたので、単純な食欲不振ではないことがわかった。孤食が不安だったのだ。困ったなと思っている。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)



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今日、ビッグイシュー東京事務所に行き、販売活動に区切りをつけてきます

2010-11-24 10:03:42 | 引きこもり
24日、今日。ビッグイシュー東京事務所に行きます。茅ヶ崎販売のEさんが就職したため、販売活動がこれで終わるからです。定期購読者の方達には、メール購読の形で届けることになります。「メール購読」は、元販売員だった方などが、仲介マージンを取らずに、それぞれの購読者の方に発送またはお届けするもので、Eさんが引き受ける形になります。卸屋としては実際の活動が無くなるので、とりあえずEさんの活動卒業のご挨拶と清算をして、ビッグイシュー販売支援活動が終わるのです。会としてメール販売をEさんが担当する形で継続休眠か、卸資格終了の形でEさんが個人活動の形になるかは、わかりません。湘南あすなろ会自身は、路上生活者支援の活動を継続していきますが、ビッグイシュー関連活動の部分についての区切りの相談です。

私はもともと、社会的弱者の地域セイフティネット作りと仕事作りをする中で路上生活者支援にかかわってきたという、路上生活者支援または本人活動をしてきた方々とは視点の違いがあります。コアな活動と連携の触手を持ったアメーバのような活動の差でしょうか。この「連携」の部分が薄らいでいくことになるのが気になります。支援活動に連携の質を踏まえた独自活動を加えて行きたいと考えているのですが、なかなか場がつくれません。たとえば当事者の方達を招いてバーベキュー(酒盛?)をする。そのとき支援者や参加希望者と交流しますが、支援者や当事者外参加者に積極的な活動拡大の実践をしているのではなく副次的になる、その点についての活動の立て方の質の差をめぐることです。会社組織でいえば福利厚生型の活動になっている。鶴嶺高校の授業実践のように交流と連携が軸になってる活動ではないところです。この隙間にあすなろ会のアイデンティティを立てられないかと考えているのです。

もちろんこれはビッグイシューの活動でも二次的な部分です。練れず提案できないまま、事務所にいくことに無念さもありますが、とりあえず終わりということ。けじめです。

帰りに寿町に寄ってきます。

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11/21 母の手術を断って/12/2 明大経営学部の「成功するソーシャル・ビジネスの条件」

2010-11-22 16:28:32 | 引きこもり
2010/11/21 記
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視覚障碍対応機器の関連講演会で、予約をして石川准氏の講演を楽しみにしていたのだが、時間のやりくりがついにつかなくなってしまった。地元医が血管に入れるタイプの経管栄養の管を母の胸部に取り付ける手術をしたらどうかという話の2回目の話があって、その件も20日に割り込んでいた。胃に流動物を流し込む経管栄養とは違って、点滴のルートを取るように、注射口を胸部にセットするというもので、医師によると現役の営業マン・造園業の方たちも手術を受けたあとも問題なく就労できているという。大腿部から管を挿入して胸部に注射口を作るが短時間手術、必要が無くなれば抜けばいいという。前回も私が反対していた。

今日は衝突が起きてしまった青年のお宅を訪問する。あと2件は学習指導で1件は親御さんに対して高卒認定試験後の学習構成の一般論の話をする予定なので、実質2件。その前に母の件を済ませておく必要があった。

母はダンピングが強いが、食べられない状態ではない。少しずつ、一日6食とか8食という具合に分割して食べれば、量的には食べられる。問題は偏食であり、食欲が無いことなのだ。

地元医も明言を避けているが、母の「めまい」や、発作的な歩行困難は胃切除後遺症と直結できるわけではない。体力減退が引き金とは言えそうだが、原因はわからない。食について長期的な体調管理に問題があることは事実。しかし80代に入った人間に手術を施すことのストレスを考えると、受け入れるわけにはいかない。調べてみても、その手術が広範に実施されている情報が入ってこない。となるとリスクが高いと慎重になるのが当然。北里東病院の神経内科受診のとき、その話を出したところ、にべも無くやめておきなさいといわれたこともあって、これは断るべきだと判断していた。

母に連れ添って受診。納得のいく術後事例を出してくれなければ、母が実験台になるような治療は受けさせられない。高齢のリスクを考慮していますかと質問。結局、私が主張し、母が嫌がっている簡単なリハと食事療法を組み合わせる方向で、方針が出た。三度目は出してこないだろう。母はつかまってスクワットなんてやりたくないと文句たらたら。本当は水中歩行をやらせたいのだがと母に言ったら黙ってしまった。

父の介護から解放されたと思ったら、軟禁されているようだと同じように介護をしている友人に出したメールに書き込んだら、監禁に訂正されて戻ってきた。家事と介護は、時間切り分けの勝負なのだ。

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案の定、もめている渦中の巡回は、火消し役は延長線にもつれ込んだ。ただ、親はただ飯なんて言ってはいけない。もともと対等の議論ではないのに、もつれるばかりだ。今夜、再度電話することになるが、性急な結論はどのみちろくなことがない。これ以上は書けないっもどかしさ。夜間傾聴の人達ではない。念のため。

会のビッグイシュー口座をチェック。まだ154号が支払えない。困った。

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12/2に「成功するソーシャル・ビジネスの条件」― 環境をテーマに人間と社会の変革と地域活性化をめざす 英国「エデン・プロジェクト」と「グラウンドワーク三島」の実践から学ぶ―という明治大学経営学部主催の長い名前の企画がある。明治大学非営利・公共経営研究所、(株)公共経営・社会戦略研究所のバックアップ。市民活動畑というより、行政の民営化、企業の社会貢献に距離が近い。ガバナンスの発想が強いものは好みではないのだが、ヒントが出る可能性もあるので参加してくる。

夜間傾聴:□□君(仮名)


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11/20 平塚の老健に父を訪ねたものの/トリエステ日本講演に思う

2010-11-21 15:48:46 | 引きこもり
2010/11/20 記
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母がうなまぶしが食べたいと言い出した。うな重といわないところがなんともひっかかるのだが、母いわく、どのみち一口しか食べられないからだという。こうして私のけんちん汁は抹殺されたのだが、「食べたい」と言い出したとき、母の体調は要警戒なのだった。

19日は父の老健に行く約束の日。レンタル衣類代の支払いや、冬物の持ち込み衣料届け、車椅子散歩の準備が進んでいた。また、介護度が4から3に下がったため料金が変わり、加えて介護保険料改正で、料金があがることになるために、その変更の話を聞きにいかなくてはならなかった。

だから、母の突然の申し入れには、父の老健の帰りに平塚で待ち合わせで解決することになった。この「平塚待ち合わせ」ということが曲者で、自宅から平塚駅改札口まで「めまい」やダンピングを起こさないで済むかは、賭けでもあった。相模大野のグリーンホール駆け込みのような事態は再現したくなかった。

今回の巡回は昼間、相模大野が1件、海老名が1件だった。ひとりは彼の中退した出身校に立ち寄る必要があったが、これは授業担当の**さんが行くことになった。巡回を終え、帰り道は、私は海老名から厚木経由で北側から平塚の老健に寄ることにし、この選択が、今回成功したのだった。バス路の田舎道、今回異様な渋滞で、あとから聞いたところによると、細い工場地帯の町中の路上で、トラックの荷崩れ事故が起きたため、バス路線上下線とも通行止めになっていたのだ。路線を逆からはいったことで、事故地点を通らないで済んだのだった。

しかし渋滞は渋滞、予定を40分遅れて到着したので、早い日の入り、空が暗くなり始めて、父の車椅子散歩は中止となった。偶然は重なるもので、私の到着時、老健の入口も救急車が止まっており、入所者の女性が運び出されるところだった。隣接の所属病院には担当科の医師がおらず、別の病院に運び出されるところだった。事務室は騒然としていて、父の費用の支払いは出来たものの、新しいプランの確認は延期。月末にもう一度行くことになった。

話を聞くと、父は風呂場で指示無視の立ち上がり歩行事件を起こし、倒れる寸前に担当者が取り押さえる出来事が起きていた。その方向には何も無いのに、電車が来たと言ったという。認知症の進行を思わせる話だが、私が会った父は力が無くなった感があるが、極めて意識明瞭で、一応軽い会話は問題が無かった。担当者の話によると相変わらず他の入所者との交流は無いが、予定の先取り行動が出てきており、自分の始末に対する意識は強いという。認知症フロアなので、友人が出来ないのもやむ終えないことだった。母の近況を父に話したが、父の意識の中では祖母がまだ生きていた。

時間を早めに切り上げて、事務室に立ち寄って事故の復旧具合の話を聞いた。現場検証が終わって、片付けていたとマイクロバスの運転手から話を聞いているとのこと。渋滞はだいぶ解消していたが、問題は母である。携帯電話をかけてもバッグの底に入れてしまうので電話に出ないことが多く、時間通り平塚駅に着く必要があった。事故地点を通らない別路線まで歩くことにした。競歩で20分。この選択も当たりだったのだ。駅前も軽い混雑。到着が約束の時間の5分過ぎ。無事母と出会うことが出来た。

食事も帰宅も無事に済んだと思っていたら、母は帰宅時トイレに駆け込んでしまった。動悸がひどく、その場で座り込んでしまった。何かを食べたいと要求したときは、用心しなくてはいけなかった。夜の巡回を入れないでよかったのだった。

母のベッドを整え、母をベッドの縁に座らせた。寝かせないのは、ふたたび嘔吐を催したとき、ベッドから離れる時間がかかるので、様子見の間、ベッドに布団を折りたたんだ山を作って座位を保持する、もたれかかり部分を作った。

私の自分のベッドはくしゃくしゃである。夜中に限界がくると休止に飛び込んで横たわる、その状態のままなのだ。私の知り合いのIT屋さんも、親の在宅介護をしている。かれはベッドを持っていない。仕事の合間に毛布にくるまって、ソファーで睡眠。夜間のおしめ交換を担当している。しかし彼は40代、私は60代(なりたて)である。活力が違うよなと相手に言っているが、ベッドを使うだけいいじゃないですかと、妙な持ち上げ方をされている。父は夜間、いつの間にか階段上にいた。階段転倒との格闘技が、そのままのベッド放置の癖をつけてしまっていた。私はバツイチである。文句言う連れ合いももういない。私は介護という怪物に食われたなと思いつつ、やり残したことはやりきっておきたいと願っている。

昨夜は奇妙に夜間傾聴の予約メールが来なかった。静かな夜が過ぎていった。梅永雄二氏の「発達障害の人の就労支援ハンドブック 自閉症スペクトラムを中心に」を読み終え、炭谷茂氏の「ソーシャルインクルージョンと社会的起業の役割 地域福祉計画推進のために」に移った。炭谷氏の交渉、著作の読み直しが絶対に必要。交渉難航中。

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トリエステの日本縦断講演は、私が参加した東京講演が一番時間が短かったらしい。横浜講演はどうだったのだろうか気になる。精神病院を廃止し、地域センター通院型のインクルーシブな環境づくりの件は、興味がある。しかし今度の講演もそうだが、聴衆の設定をいつも誤っていると感じる。イタリアは精神病院の廃止を既に実現している。その発火点がトリエステの活動だった。実現には時間が流れている。その実践経過を知りたいのに、初めてトリエステを知るビギナー向けに企画されてしまうので、新しい情報が入らない。何のために来日してもらっているのかわけがわからないのだ。この手の来日企画はいつも的外れを経験する。なんとかならないものかと思う。

トリエステ精神保健局から「トリエステ精神保健サービスガイド : 精神病院のない社会へ向かって」が出ている。2006年に出たものだが、神奈川県の図書館にも複数在庫がある。予約を入れておいたが、しばらくは配本されないだろうなと諦めている。


夜間傾聴:なし


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11/19 慈恵医大眼科の診察を受けた~診察のコンセンサスということ~

2010-11-21 10:41:40 | 引きこもり
2010/11/19 記
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順天堂大病院の眼科の紹介状を持って、東京・御成門の慈恵医大病院の眼科に行った。網膜色素変性症の詳細な状態をつかむために、網膜の部分撮影を行う機器と診察経験医を兼ね備えた病院へと転院してきたのだった。網膜色素変性症は遺伝性のものと非遺伝性のものがあり、後者は更に治療例が少なく、死んだ視神経の再生は、今後のiPS細胞の再生治療技術の確立を待たなくてはならない。ここ10年では無理という。少なくとも進行を抑えることが現在の治療となる。

検査の重複を避けるためにと、順天堂からの紹介状は検査データを添付した厚いものとなった。それを窓口に提出しながら、詳細な問診表に記入していく。筆記台がないので紙面までの距離が不安定となり、右目を閉じないと、視野の部分が霞んで記入欄を間違えたり、はみ出したりしてしまう。台を求めて席を立つと、たちまちのうちに席がなくなってしまう。建物が旧く、外来のフロアはL字に曲がって見通しが利かないが、相当の人数が順待ちしていた。私の場合は紹介状ありなので、初診医が違い、ひとりに対する診察-検査ー診察の順の、目的の医師の診察前の下調べ時間が長い。問診まで2時間、検査まで30分、再び診察まで30分待たされる。その上で、紹介状に指定された医師に送られる。ここで順待ち1時間。昼を挟んで5時間弱が過ぎていった。

初診担当医がチェックしたのは、病歴の詳細な問診。また、網膜写真撮影とその大まかな判定。つまり順天堂大の検査から経った数日の時間のブランクを埋めて、現状が変化しているかということと、現在早急に治療をしておかなくてはならない症状が出てきているかのチェックだった。担当医は30代。若い。

とにかくカーテン一枚の仕切りで診察が進むので、話は全部漏れてしまう。すごいところに来たなという旧式の構えである。乗ったエレベータがまた古い。機械接点の押しボタン、震動して止まるタイプ。待っているときの外来廊下の椅子も年季が入っていたから、余計担当医の若さが際立ってしまう。

一応電子管理のシステムは整っているが、診察ブースの背後の薄闇を忙しく看護師が行き来していて、楽屋裏が見えている安っぽい光景だった。

しかし検査は、眼圧・視力だけの簡単なもので、重なりは少なく、形式的なものであっさり済んだが、問診は診察の条件が整っているかだけではなく、問診表にある病歴家系図の補間、他の疾病を含んだ私の病歴の詳細な記録作り、紹介状と私の受診目的のずれがないか確認のうえ、ゴールドマン動的視野検査の放射グラフを見せて、順天堂大学の事前検査結果が送られてきていることを告げ、検査の重なりを避ける旨の説明が入った。ゴールドマン視野検査は、微細な光点を追う時間のかかる視野の分布検査で、重複検査はしませんよというシンボル的な意味合いで、そのデータを私に見せたのだった。私の両眼の視野は見事に歪んでおり、右目は不規則に歪んでいた。背筋が寒くなった。

しかし紹介状をいつ読んだのだろうと思うほどに、前の患者の問診との間が少なかったにも関わらず、話と質問は紹介状の詳細にわたっていた。またその紹介状の中身を開示したこと。これも大概は、やらない。専門的なデータなので、見せても仕方が無いという判断なのだろうが、診察の経路が患者に明示されているというのは歓迎だった。資料の中には干渉断層画像が入っていた。スリット光を使った視診。慈恵医大で重ねた検査結果の報告と意見を添えて、専門医に送ると説明した。一見気がつかないで過ぎてしまうことだが、診療の公開性を感じた。

そのあと、昼を挟んでいたが、診察は継続しており、途切れることはなかったが、とにかくひとりが長い。カーテンの向こうのやり取りが皆、聞こえてしまう。前の方もやはり加齢による重篤な網膜疾患の方で、手術の治癒の可能性を話し合っていた。この患者の短時間な入れ替わりの間に、どうカルテが書かれているのだろう。電子カルテ以前の手書きカルテのときは、記録修正が騒ぎだっただろうと思う。ワープロと原稿用紙のようなものだ。

北里東病院の母のカルテのように、診察科を横断してデータが瞬時に取り扱えるということは、診察の質を変える。電子カルテは慈恵医大データベースではどのようになっているのだろう。眼科と横断する例は、糖尿病網膜症のように内科との横断がその例だろう。

しかし1時間の待機はさすがにいただけなかった。

私が送られた医師はやはり若かった。30代後半の感じ。網膜色素変性症の診断には違う意見を持っているようだった。前の眼科の担当医は専門が違うのにと首を傾げたのには、若いなと思わされた。反骨意識である。私の症状は非遺伝性であり、典型的な網膜色素変性症ではない。別の症状との判別検査の意味合いもあると、目的の検査の説明をもらった。神経束の部分と黄斑の部分の詳細な撮影を行い、桿体細胞と錐体細胞を分離した検査にかけるというこの部分が、順天堂大から慈恵医大に検査機器を求めてきたその機器の機能でもあった。

ところがこの機器の撮影予約が厄介なものだった。三ヶ月前からの順待ち状態で、私がそのまま入れば、来年3月を過ぎてしまうという。救急で入れないか調整しますとの話のあと、医師が席を立ち看護師と相談していた。5分後、私は診察室に取り残されていたが医師が戻り、1ヶ月後に空けたが、申し訳ないが選べる状態ではないので、日程を合わせてもらいたいとの要請があって、来週の撮影が決まった。救急で1ヶ月後と思ったが、助かったことに午後である。(笑)承諾してこの日の診察は終了した。順天堂大には、結果連絡を入れておくので、診察はそちらでもかなわないとの話があったが、非遺伝性はこちらと話があったので、このまま継続をお願いすると伝えた。まもなく14時になろうというのに、その医師は次の患者を受け入れていた。

今回の診断でわかったことは、診察と治療の開示がしっかりしていること。出来ることと出来ないことをはっきり伝え、論拠もわかりそうな範囲で説明があることだった。コンセンサスを得て診療を進めるという方向は納得のいくものだった。しかし待たせる。9時の予約が終了が14時近く、つまり5時間が経過していた。大半が待ち時間である。

今までの治療薬(栄養剤みたいなものだそうだが)を継続することになって、処方箋を薬局に持ち込みながら、新しい素っ気無い診察券を眺めていた。慈恵医大から回ることになったら今度は遠いなと思いつつ、前の医師が権威と専門用語で患者を煙に巻いていたことを考えると、正解かなと思っていた。

私の家からは、茅ヶ崎>品川>田町>御成門というルートで行くが、これが困ったこと。贅沢であるが品川からでは絶対に席に座れないこと、田町(三田)経由が面倒で雨天は濡れてしまうこと、御成門から東京に出るのが案外不便なこと。御成門からはすぐなので、この辺は便利ではあるのだが。

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とにかく生業の巡回が押されて変更続きになってしまう。鶴嶺高校の件や、母の診察付き添いなどを避けると不規則な巡回になってしまうので、従来から変更を頼まれていた20日の土曜日の巡回を受け入れた。この日は視覚障碍のサポート電子機器の話と石川准氏の講演が専修大学で予定されていて、予約を取っていた。障害者リハビリテーション協会でご挨拶して以降だから、ずいぶん年月が経っていた。しかしキャンセルということにした。この日を空ければ重ねて巡回が出来るからだった。

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時間が中途半端なので、私の昔の庭、神保町に足を向けた。出版社のある猿若町や小川町の方に立ち寄ってもいいのだが、沈没の可能性があったので、田中夏子氏の「イタリア社会的経済の地域展開」を求めて書店を歩いてきた。これはオンデマンド版なので出版社に直接注文すれば入手できるのだが。やはり新刊書店には無く、古書店も開架状態にはなっていなかった。見つけることは見つけたが、新刊料金と大差ないので諦めた。

とにかく神保町やすずらん通り界隈は、糖尿病患者には行き場所のない、ハイカロリーの店だらけなので、古瀬戸でコーヒーを飲んできただけなのだが、それでも足が向いてしまう。母に頼まれた品物を馬喰横山経由で人形町に出て受け取った。職人技のみえる店なのだが、今は亡き母方の叔父の同級生の店でもあって旧知の関係だった。つい長居をしてしまったが、この人形町・水天宮周辺も足を運んだ町だった。

ここからは横須賀線で戸塚乗換えで帰った方が早いのだが、新宿から小田急線で巡回先に回ったほうが時間が合理的と判断。新宿紀伊國屋書店を散策して時間調整して東林間に出た。

奇妙なものを持っているので、気が散らないかなと思いつつ、東林間のお宅にお邪魔した。本校からFAXが届いていて、二度手間は避けられたが、巡回を迂闊に当日変更していたら雷ものだった。

帰宅して、食器と洗濯物の山を見たときは、うんざりした。母には前日けんちん汁を作っておいたので、あとは冷凍の半調理品ですませるように指示しておいたのに、全く手をつけていなかった。めまいでテーブルの角にぶつけたのだと寝込んでいると、困ってしまう。私が帰るとわき腹を押さえて出てきたので、打撲だろうと思う。風呂には、単独のとき絶対に入るなと言ってあるが、このめまい、長い。すでに半年を越えている。胃切除後の体力減退は、食欲が無くなり、食べないからなのだが、食べるとダンピングが待っている。厄介なのだ。

しかし食器が山という事は、食べた証拠。問い詰めると来客があって、寂しいからふたりで食べたとのこと。その客が惣菜を持ち込んだので、それで食べたという。私の作ったけんちん汁は、塾の子たちと食べたこともあった。まずくはないはずなのだった。回答した冷凍物半調理品は、面倒なので使わなかったという。結局ここから、私の糖尿病対策メニューは破壊されていくのだが、今回はため息がでた。疲れていた。とにかく食器と洗濯物をやっつけて、1時間仮眠した。

石油ストーブが油切れだと起こされた。灯油のポリタンクも空だった。離れの下が物置になっている。そこから交換して、満タンの灯油タンクを持ち出してくるのだが、夜間シャッターを開けなくてはならなかった。音がうるさいと隣人ともめたことがあるので、時間も0時を回っているので、忍び込むようにシャッターを開閉した。気の疲れる家である。父の介護の大騒動の影響なのだった。

<気になった書籍>
●「途上国障害者の貧困削減-かれらはどう生計を営んでいるのか-」
●「大都市のひとり暮らし高齢者と社会的孤立」


夜間傾聴:東林間君(仮名・さきほど会ったばかり)
     ******君(仮名・母親から)


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11/18 生きていく「誇り」ということについて

2010-11-20 15:12:48 | 引きこもり
2010/11/18 記
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鶴嶺高校のボランティア塾を終えて、授業を反芻していた。ひとりひとりと話をしたかった。そのことが心残りだ。ビッグイシューをHRに持ち帰って、昼休み他の分科会に出た友達に見せびらかしてくれただろうか。

あれこれ思いながら、彼らの視界が拡がってくれることを願っていた。しかし、ビッグイシューの素晴らしさを語るにはもっと時間が必要だ。ホームレスの自覚したものの自立活動を周辺が支援するというところだけに留まらない活動がビッグイシューだ。ホームレスから独自の本を買うという支援活動の参加の契機がそこにあるし、冊子を持ち帰りそれを橋渡しに問題を語るというメリットもある。しかしもっと根本的なことは、売買の商取引の基本は対等の関係というところが大きな意味を持っている。ホームレスは生活破綻と心の危機をくぐってきた人たちである。だから販売行為を通じて、「生きていく誇り」を回復していく活動であることだ。誇りを持って生きるということが、お互いに出来てこそ、インクルージョンではなく相互変革的な関係が生まれてくる。

このことは、不登校・引きこもりの青少年の当事者さんとかかわりながらも常に思うことなのだ。磐石の社会があって、そこから転げ落ちた者に自信をつけて組み込みなおすという運動構造を持つ実践は、胡散臭い。転げ落ちたらそこで勝手に生きていけばいいじゃないかというのは論外。双方とも当事者に向き合う支援者や健常者と称する者が問われないまま放置されているからだ。

引きこもりの人たちと話していると、ご両親は本当に「保護者」とは呼べない直接の関係者(第二者と呼ぶべきか)であることを感じる。先日、藤沢の精神のネットワーク関連企画で、講演者が引きこもり青年を救うのは親御さんであり、もっと自信をもって関わって欲しいという一見正しそうな話をまとめのところに出してきた。私は不登校・引きこもりの話が、強力な親御さんの庇護の中で回復するものという論を初めから胡散臭く思っている。

進路選択を親御さんが方向を決めてしまって対立したり、親御さんの不倫や、離婚、失職、倒産などのあおりをかぶって、独自の選択をしようとする当事者に、横並び以外を許さない同世代集団が彼をはじき出すことによって、心身の居場所を失って不登校・引きこもりの状態に陥ることも多々見てきた。

不登校の場合、年齢が幼いこともあって庇護の様はそれほど矛盾して見えないが、それが青年にまで及ぶとき、親御さんや、周辺の社会が当たり前の基準にされてしまうおかしさを強く感じる。大人しく親のいう事を聞く青年がなぜ社会にでられないのか、それは甘やかすからだという人たちの鈍感さに呆れるのだ。この人たちは自分を問うことをネグレクトしている。そういう前提を容認していく活動は、不登校・引きこもり青年たちの深い闇を握りつぶしているように思う。

医療もまた、神の高みから偏りと欠損を正すという構造を持つがゆえに、当事者の誇りを育てない。だから私はそれぞれの領域の社会的弱者と呼ばれているマイノリティの進路選択している生き方に、握手する関係を求めたいと思う。その制度的な保障実現を含んで行う実践が社会活動なのだと思う。

その辺の市民生活をする側との話を含んで、ビッグイシューの話をもっと語りたかった。無念。

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大きな企画があるたびに、母は孤食を強いられている。仕事の巡回分を夜にまわすから、夕食が別々になるからだ。母の体調も取り戻しているようなので、安上がりに大戸屋で夕食を済ませた。歩けなくなったら、一日何語の孤独な生活になる。そんなのはいやだと、母は前から出歩いて交際を広げている。しかし今回のダンピングを含んだめまいと歩行不安には、かなり参っている。数年前、母に携帯電話をプレゼントして、メールを使えるようにしたが、母の周辺の世代はデジタル・デバイドをもろにかぶっていて、電話機能すら認めず固定電話にしがみついていると、母が嘆く。足腰が弱まって家にいる方が増えているという。メールが使えると少しは違うのにというが、拒絶されてしまうと嘆く。

櫛の歯が抜けるように、友人が少なくなっていくのは寂しいことだと母が言う。特養のベッドに必ず携帯が置いてある時代が来るよねと母が言った。そうだね、でももっと通信料が安くならなくてはと条件をつけて私も同意。

しかし困ったことだ。夜、私が忙しくなると母は孤食になるという矛盾。昼にきちんと食事をということを当面の策と考えているが、父の世話を焼くという事はそういう側面をフォローしていたのかと改めて思う。

大戸屋で気分転換になるなら安いものだと思う。しかし親に指摘されるまでもなく、親を送ったあと、私はどのみち失明する。どうするのかなあと思う。闇に閉じ込められるのは、まっぴらごめんだし、社会活動を除いたら出汁にもならない。視覚障碍の方たちのところにも突っ込むかなと思っている。「ばかだねえ、いい年してそんなことを考えているのかと思うと、親として世間に顔向けできない」と母がいうので、「ありがとう」と返事した。「先生面かい、全く」という母の言葉に深くうなづいていた。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)


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11/17 県立鶴嶺高校「ボランティア塾in鶴嶺」2日目湘南あすなろ会懇談レポート

2010-11-20 13:25:24 | 引きこもり
2010/11/17 記
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県立鶴嶺高校の「ボランティア塾 in 鶴嶺」の2日目に湘南あすなろ会として参加してきた。前回の「『ホームレス』と出会う子どもたち・本編」上映を受けて、ホームレスと市民生活というつながりの部分にアクセントをおいたガイドと懇談を行った。

ビッグイシュー販売員Eさんの就職という朗報ではあるが突然の出来事に、当日の発表者の予定調整が入り、今回は会からは4名の参加で進行を取り仕切ることになった。60名の生徒さん(本当は、ひとりひとりのお名前で呼ぶべき)に話しかけることになった。担当の**先生からも質問をいただいた。

提案は大きくは2つ。

ひとつは、ホームレスとはどういうひとたちなのかを私たちの生活の破綻の先という連続体で、予備知識として概括すること。特に偏見と差別の実態。

もうひとつは、社会的排除の強い社会に、再チャレンジと地域セイフティネットを作り出していく必要性の話と、再チャレンジのモデルとしてのビッグイシューの紹介(自立支援活動と連携の発火点の意義)。

これを45分に押し込むというのだから、もともと無茶。高校生世代の日常生活に直接つながっている話なら、シンボルを提供すれば記憶が呼応する。しかし、多重にコートされた世界の話は、ただシンボルを提供されても記憶は喚起されない。だからコートを剥くか鋭利な刃物で断面を作るかという方法論が必要で、今回は前者の道を選んだ。

高校生は貧困生活苦・虐待は未経験の空想の出来事だから言っても通じないという論が常識として流布されている。果たしてそうかと私は、そこに口封じられた軟禁世界の彼らの疼きを感じている。彼らの世界との接点は実はあるのだと思う。悲惨や困難を見せられると反発する心性の背後には、接点の芽を踏みつけてしまう正義の抑圧が潜んでいる。ねばならぬ論に陥らない提案とは、私たちの生きる現状をたどり、ともに認識を再構成していく過程をたどることだ。

彼の問題として、私たちの問題として、連携の問題としてホームレス問題の被覆をどう剥がしていくか。その接点に、見えない差別選別の暴力に満ちた格差社会を正視しながら考えていくその流れを短時間に掘り当てなくてはならなかった。

ボランティア塾は「見返りシート」という、参加団体側の感想を書くアンケートが配布されている。前回の上映のとき、予測されていたことだが、「よっぱらいのおっさん・怠け者・脱落者」というホームレスへの偏見と怖いもの見たさのような気分を上映前にどう払拭するかという課題に取り組んだ。上映時間30分の前後のコメント15分に込めた語りだった。このとき、私の話を受け、作品の関連場面に差し掛かったあたりから、彼らの中に生まれた変化を感じ取り、それを林竹二氏の南葛飾高校の授業実践を連想させると書いた。教員が情熱を込めて授業に取り組む根拠になったような、懐かしい世界だ。携帯を隠しながら机の下ですっと弄り回していた彼の顔がふとあがり、言葉に聞き耳をたてているそれが、背中で参加する南葛飾高実践の様子と重なって見えた。4人の彼に起きた出来事をしーとに、印象として書いた。このシートがどうやら、鶴嶺高の教員の関係者にどうやら届いていたようなのだ。

2日目、座席表にしたがって着席する生徒さんたちに、携帯電話を授業中しまうようにという指示が飛び、事前配布した資料の束を開けていて、全く聞いていない様子には笑ってしまったのだが、初めから携帯電話という姿は見られなかった。それを初日の提案を受け止めてくださったと取るか、これは叱られたなと取るか、その辺微妙なところなのだが、授業開始時、明らかに初回とは違った「切換」が起きたのだった。

始めは資料の確認と資料にこめた私たちの願いを語った。ホームレスの話はすぐに実務者向けのものになってしまうため、概括的な資料が得にくい。配布資料は、それをみるとひと通りの様子と入口がわかるようにしたもので、この授業の中ですべて読むよなものではないこと、さらに絞れば、若者ホームレスの取材記事の1枚を読んでくれれば、様子と心境がわかると伝えた。ビッグイシュー・サンプル版は友達なり家族なりに、今日の授業のことを伝えやすくする橋渡し役の意味もあるのだと話した。最後に今回の会からの出席者の紹介。

そして本論、前回の映画に出てくる街と子どもの話から入った。大阪釜ヶ崎の話。プレゼン画像は小さいが、同じものが資料に入れてあるので、大きな混乱は無かった。私の声はくぐもっているので、30名を超えると大げさであるがマイクを使う。今回もマイクがあったので実は助かっていた。地図を指しながら、釜ヶ崎の様子をシンボライズしながら画像の力を借りて、地理的な確認、子どもの里の場所と、夜回り参加の子どもたちの紹介。寄せ場の成り立ちと意味、東京・山谷と横浜・寿町の紹介をハイピッチで行っていった。

ここで場面転換、作品の川口猛さんの人生のたどりなおしと、茅ヶ崎をはじめとした湘南のホームレスの人たちの例を語った。高齢なのに倒産。再就職の道が無く、多重債務に取り立てられ、日雇いすら身の危険を感じて防砂林に隠れ住む方の話。非正規雇用の雇い止めにあって、不況下路上に出てきた藤沢横浜の方の例、連帯保証人の印をついたために、財産の一切を失って家族離散、再起の意欲を失って挫折と向き合う方の例。同じ職場の連れ合いのDVに会い、職場に戻れずに退職、幼児を抱えて職探ししたが失敗、幼児を施設に入れて職を転々とし、身体を壊して路上にでた女性の例。心に障碍があるがゆえに、生活保護などを自己主張できずに、社会の隅に追いやられた方の例。だから茅ヶ崎駅南口の酒盛りをモデルに、怠惰な人物をイメージするのは偏見であることを語った。

自己紹介のときに会のふたりは、当事者ともと当事者であって、Kさんからは担当教員の方からの質問に応じる形で、家を飛び出して彷徨った体験談をしてもらった。

そこに空き缶集めを例にとり、空き缶を集めるのは主にひと気のない夜であり、夜働けば昼休む、それが通行人の目にとまる悪循環の話や、エコの資源ゴミとして町内会や子ども会が所有権を主張、条例によって持ち去りは犯罪とするという、まったくホームレスの命のかけらも意識しない現代の市民生活の冷酷さを指摘した。ホームレスの追いたて事例の画像、茅ヶ崎駅南口植木ポッド・藤沢駅北口地下道の障害物・平塚博物館前の横たわり妨害付きベンチなどを見せる。

私有地にいれば不審者、公的な場にいれば邪魔物、生活保護を受ければ税金泥棒のレッテルと孤独死という隙間ない市民社会があること。ならば再チャレンジやセイフティネットはなぜ進まないのかという疑問。住所と連帯保証人の重さを語り、いつ失職がホームレスにつながるかわからない状況の話をした。

このころになると、ほとんど全員の顔が上ってきた。高卒の5人にひとりは職に就けない、30歳超えればバイトすら激減し、仕事のブランクが次の採用の不利な条件になってしまう厳しい状況を話し、こうした現状ではホームレスの就職はいかに難しいものであるかを想像して欲しいと語った。

昔はホームレスは中高年の問題だといわれた。不況と非正規雇用の使いまわしの時代では、そこに若者ホームレスという別の現象が起きており、中高年ホームレスのイメージで問題を考えるとはみだしてしまうのだと説明。資料との呼応関係を指摘、あとで読んでねと急いで、ビッグイシューへ。

ビッグイシューは、路上生活者の自立活動であって、これはそのまま職業としていくというより、次の就労のステップとなると説明。これを支援者からみると、ホームレスのひととの交流の契機であり、敷居の低い支援活動の入口なのだと説明。自分にできる支援とは何かを考えて欲しいと提案した。

例えば、学校内の文化祭などに懇談企画を設けるとか、学級新聞の取材とか、花壇や校庭清掃などに参加を呼びかけるとか、交流してみてほしいと、教員の皆さんには、しんどい事例を紹介して提案を終えた。

とにかく残り15分の懇談の時間を確保するのに、急ピッチのキャッチボールというか、競歩というか、生徒さんもしんどかっただろうと思う。さ、質問はありますかと言ったとき、さあ終わりだと資料をしまいかけたり、隣と話が始まるのが常。ところがしんとしずまって、誰が指されるのか様子をうかがっているのがわかった。この違いは大きかった。何かが動いた。気持ちが動いたのだった。

その待ちの間に、担当の先生から娘のいる身として、女性のホームレス体験をしたKさんの話が気になったという要望が出て、Kさんの体験談が始まった。つまり、この授業は教科書にはない実例に満ちていた。

喜ぶべきことではあるが、Eさんの就職によってビッグイシュー茅ヶ崎販売が休眠するのは、身近な接点を失うことでもあるので、本当に口惜しいところがある。沢山の知識が伝わることより、話に喚起されるひとりひとりの思いこそが肝である。何かが動いたことはわかった。しかしそれが見えるまでには、再び時間がかかる。時間の短さを口惜しく感じたという2日目の「見返りシート」を書き上げ、高校生にとっての支援活動とはどんな活動なのだろうと、思いをめぐらせている。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     相模大野2君(仮名)

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11/16 順天堂大学附属病院に紹介状をもらいに行って

2010-11-19 11:12:01 | 引きこもり
2010/11/16 記
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ここのところ午前中の出が続いてへたばっている。今日もこれから鶴嶺高校の授業が10時半からある。睡眠時間がなくなるので、今回はメモ程度で。

順天堂大学附属病院の眼科に紹介状をもらいに行ってきた。前回検査の結果、私の症状は、非遺伝性の網膜色素変性症で、症例が少ないために、この深い検査を行う機械が慈恵医大にあるので、そちらで検査して治療したほうがいいという診断がでたからだった。初めての大学病院を転院するのは初めての体験だ。

眼科学会でつないでくださったようで、検査資料も二重にならないようにと、紹介状に同封してくれた。ただどこの大学病院もそうだが、待たされる。基本検査を済ませて、1分足らずの問診の上、紹介状を受け取った。

治らない、ただ進行を遅らせる方法を探っていく。非遺伝性の網膜色素変性症の情報さがしをしていかなくては…。

昨夜、やはり試験結果の不安を訴える電話があった。魔の時間四時台。それから明け方まで話していた。とにかく眠い。岩波ホールで「冬の小鳥」をやっていた。時間があわんなとおもいつつ、岩波ホールは各回入れ替えだったなと思いつつ、カヴィアルのカレーを半分だけ食べて気後れする御茶ノ水ではなく、小川町まで歩いて帰宅した。東海道線は乗客の出入りが激しく眠れないが目を閉じた。瞼の裏側で湧き上がる水流の影の慌しいうごきを眺めていた。

巡回中止。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本3君(仮名)


(校正1回目済み)

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11/15 塾にLANを入れる作業を手伝いつつ、高卒認定試験二日目の留守番を

2010-11-19 10:07:20 | 引きこもり
2010/11/15 記
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14日、朝からJR相模原の塾に行っていた。朝の相模原は初めてだった。こちらはもうひとつ用があった。既存のPC5台がLANで結ばれるのだった。卒業生のバイトで作業が進められ、私は二日目の受験者の報告を聴く場を準備していた。私の提案していたように対面4台、教員用1台で輪座して授業が出来る体制は、部屋の有効利用に反するということで、授業にPCを一切使わない年配講師どもの反発で、LANでつないだPCは一列に壁に向かう形に並べられた。黒板は背中方向。これでは授業で使えない。自習用だ。いっそ各教室1台ずつわけて、連絡用か何かにしたほうがいい。LANにした意味がない。最近、デジタルデバイド世代の猛反撃が始まっている。飛ぶ鳥跡にう*ちの感ありや。

久々に朝、立ち食いの天ぷらそばを食った。その強い出汁醤油の味が口に残っていて、昼もまた和食で行きたいと話したら、インスタントのどん兵衛、きつねうどんを買ってきた。バイト君と外食するつもりでいたら、これ。節約だがなんとも山小屋の雰囲気。思いつきで彼のアイデアを借用して、小パッケージのカップ麺を試験打ち上げパーティ(?)に出すことにした。人数が少ないからポットの湯量でも大丈夫だろう。

こちらは年齢のばらつきが少ない。全員携帯を持っている。有線LANでインターネットも出来ないひどい仕様だが、なんとかインターネット接続の可能性を残してくれれば、クラウド端末に携帯を使えそうだ。話をするとバイト君が笑い出した。よっぽど相性がわるいんですね、**さんたちとと彼が言う。デジタルデバイド軍団は、インターネットは不良をつくるから、つながらないようにしておいてくれといわれていたという。

呆れていると塾長から電話が入り、車で受験者を連れて帰るとの話。厚木街道 246号線を南下して町田のはずれで16号線に移って帰るコース、結構時間がかかる。私はパーティの最後まで残れるかどうか怪しかった。

バイト君は、これで引き上げなので、いたずらをしておこうということになった。PCの画面に「お」「疲」「れ」「様」「!」と表示しておくのだ。小細工していると時間の早い小学生どもが入ってきた。PCの配置が変わってなにやら面白そうなことをやっているというので、「お疲れ様!って何?」という質問の嵐。

予想外に道が混んでいるとのことで、わるいけれどパーティーは遠慮させてもらうことに。これが甘かった。小学生がPCをいじらないわけがない。「ソリテア画面」「疲」「れ」「た」「PowerOff」となっていた。いじったのだ。

「疲れた」とは何だという塾長の小言が私の携帯から飛び出したのだった。
受験、順当に済みの模様。よかった。

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JR相模原からの帰りは、駅前で買い物をして帰る。煮崩れしないようにメイクイーンを数個買う。大玉のたまねぎ。シジミを買う。品質はかなりいい。

買い物袋を下げて相模線に乗り換え、梅永雄二氏の「発達障害者の人のための 就労支援ハンドブック 自閉症スペクトラムを中心に」を読み進めていた。

就労訓練とそのモデル解説が中心。あまり面白くないが、話題が豊富だ。就労支援懇談の大きめ企画のほうで招待したい。

湘南あすなろ会の資料準備はOさんがやってくださった。精力的に活動してくださるので助かるのだが、これでいいのかなとも思う。15日の集まりも中止となった。あとは鶴嶺高校懇談の日を待つばかりだ。

15日、朝から順天堂大学附属病院の眼科に紹介状をもらいに行く。非遺伝性の網膜色素変性症は、適応検査機器の揃っている慈恵医大病院眼科に行った方がいいという話になったのだった。

検査を受けないで紹介状だけというわけにはいかないようで、待たされるのは覚悟している。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     橋本3君(仮名)


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11/14 物忘れの魔、駆け抜ける

2010-11-19 07:49:17 | 引きこもり
2010/11/14 記
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試験初日、受験報告が夕方まとまって届き始めた。相模大野校の方に立ち寄っていると、町田経由で帰ってきたグループの一部が乗継が悪いのに現れた。出た言っていたのが出たと、他教科担任と騒いでいる。まあ、順当だったようだ。14日はJR相模原の方で待機するので、様子が分かったので帰宅した。

この間、母と私の双方とも眼の調子が悪かったので、部屋の清掃や、食器洗い、家業の帳簿付けなどが山積していた。食器を洗いながら眼を閉じる。掌と指先の触感だけで洗ってみるが、掌に神経を集中すると、洗い場の環境が消えてしまい、洗った食器を重ね損ねてしまう。触覚を使って物の形や何者であるかを私は視覚記憶と照合してしまう。視覚記憶は清眼者のもので、結局視覚依存の世界へ翻訳をやっているにすぎない。難しい。そのものをそのものとして受け入れていく世界はまだわからない。

家事を仕上げて、鶴嶺高校の企画二日目の資料の吟味を始めていて、私の使っているiPhoneアプリの「即プレゼン」は安定した動作をしてくれるが、限界が見えてきた。画面が縦長であって出力の向きが変えられないので、画面が縮んでしまうのだった。手元では横画面や拡大画面が使えるのに、投影画面は縦長のままなのだ。もうひとつは出力がビデオ出力であること。これはアナログTVに直接つなげるが、CRTにはつなげない。VGA出力ではないからだ。これは画面の解像力が悪いことを示しており、細かい文字は表示できないのだ。

ビッグイシューの創設者ジョン・バード、現在の総責任者イアン・マッカーサー、日本代表の佐野章二(敬称略)の3氏を1画面に入れた。画像は見えるのだが、名前が読み取れなかった。12ポ・MSゴチである。力不足は否めなかった。大阪梅田のビッグイシューブースは画面にぴたりとはまり、上映時も綺麗にいくと思った。画面構成をざっくり大きく、細かいものは手元資料と併行して使えばなんとかなる。PCを持ち出さなくてもスライドショーが出来るメリットはかうべきだろう。

もうひとつは日本の三大寄せ場の資料。最後は若者ホームレスのインタビュー。中高年中心のいままでのホームレスの問題とは、様相が違う。私が追いかけてきたニート・引きこもりと連続している質を持っていた。今回はこちらに比重を置き、湘南の中高年中心の状況の持つ意味や実情を印象的に扱って全体のガイドとすることにした。

資料準備終了。

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相模大野から帰宅すると母が急にいなくなっていた。入れ歯が折れたのだという。それはいいが、携帯を置き忘れてしまったと顔色を変えて帰ってきた。親子揃ってこの1年、父の介護の余波か加齢か、極端に忘れ物が増えた。夕方、気が遠くなるなるほど眠くなる。バスに数分乗ると寝ている。こういう状態が親子ともにおきていた。父の入所が7月に決まって救われたのだった。在宅介護の限界になっていた。しかし、今回のように大事なものまで無くなるというのは、さすがにまずい。私のやる頻繁なハンカチや傘の置き忘れとは違って影響が大きい。

母の携帯に電話をかけてみた。看護師さんがでた。よかったのだ。会計をしたとき窓口に置き忘れたのだが、他のところと違って、取っておいてくれるからだ。作った資料の追加プリントアウトをついでにやってこようとおいことにして、母の携帯電話を歯医者に取りに行った。その脚で生協の半額コピーを済まし、帰宅。炊事に飛び込んでいると、母がPCが鳴っていると言い出した。PCのFAXが届いている合図だった。試験を受けた連中が連絡をしてきたのだった。

なんとも落着かない一日だった。と、考えてぞっとした。巡回が1件入っていたのを忘れていた。母のことを笑えないのだ。予定表を見て笑った。相模大野で先ほど会っていた奴が相手。二日目の試験のためにコーチをしてきたところだった。ということは、先方も忘れているのだ。本校に連絡を入れて謝ったが、彼の家は彼が帰っておらず、誰もいない状態。彼の友人経由で彼の携帯に、連絡求むと伝えてもらった。何のことは無い。彼はまだ本校に残っており、私の電話していた上司の背後にいたのだった。話は延期という事でまとまった。

母も私も冷や汗の一日だったのだ。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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