2010/11/27 記
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母が起きてこない。10時から父の老健で話し合いがあるので、起きるのを待っていられない。平塚からバスなので乗り継ぎがよくないので1時間半は見てお粉九手がなくてはならない。母の寝室を覗き、ダンピングが起きているのではないことを確認して、母の朝食の下準備をして朝食を摂る。間の抜けた目覚ましアラームが、PCの前で鳴り出し慌てて止める。今までなら、難なく止めていた目覚ましだが、床に本を落としていたため、つまづいて蹴飛ばしてしまった。本が見えていなかった。右側である。ハンカチを忘れる癖がある。利き手の右側に置くからだ。頻繁になってきた。
父の老健には10分前に着いた。周辺は田舎の民家と町工場、畑しかない。コンビニで父の差し入れの茶を買うが、話し合いが1時間は見ておかないといけないので、駅前ではさめてしまう。1つ先の停留所まで乗り、茶を出来るだけ老健の近くで買ってと思っていたが、習慣で目的の停留所で降りてしまう。夜間傾聴が終わったのが4時前。4時間は寝ているはずだが、母の嘔吐のトイレがあった。知っていることは目が覚めたこと。ボケている。最近の傾聴は切羽詰ったものが少ない。レギュラーの悶々とした時間に連れ添っている。だから多少は付き合い方が分かってきたものが多いから、談話後に引きずることは少ないのだが、それでも影響は残る。
少し早めに着いたので、暖かい茶の出る自販機を探すが、前にも探したが手入れが悪くて、冷たい茶しかないのがわかっていた。町工場の奥に自販機が見えたので、警備の方に挨拶して自販機を使わせてもらい、なんとか暖かい茶を獲得できたので、衣類にくるむ。
老健には定刻に到着。昨日名前を刺繍した衣類の提出を後回しにしてもらって、先に話に入った。先方にも介護保険の改定後のケアプランの説明があったが、私にも近い将来、母の入所を見通した予測が必要となっていた。目が悪くなる私にとって、今の家は負担になる。しかし離れが書庫になっている現状では、家を売って借家に入るにせよ、広さがいる。縮んだ生活に入るにせよ、この父の老健生活が長期の保証がないと、見通しが悪くなるという不安があった。幸い父は職員と格闘してはいない。それは生活の不満が無くなって順調ということと同時に、ポテンシャルが下がっていることでもある。活気が失せた、そうも思う。仕事の定年がないのは嬉しいが、契約講師である。巡回がいつまで持つかもわからない。遠い墓地の移転や家業の見通しなども、今回の話の私の尻尾、だいぶずるりと大きくなっている。
ケアマネさんと話をする。私の職業や社会活動をしていることも知っているので、平塚市との行政施策の比較を含んだ挨拶があった。前回、ここを訪れたときは、道が荷崩れ事故で混乱、老健玄関には救急車という異常事態だったので、救急車の件の説明も入っていた。隣が老健を経営している病院なのに、なぜ救急車なのかという説明。
持病持ちの方の体調悪化で、命の山場は越えていたが長期化の見通しがあったので、自宅から通いやすい病院に救急搬送したとのこと。県のはずれから2時間以上かかる老健に入所しており、この遠方入所をせねばならない状態が高齢者介護の実態である。一度病院に出たら、もとの老健はふさがってしまう。父の引き取り場所も探さねばならない事態もありえた。
在住の市内なら、ネットワークのやりくりで急場はしのげる状態だが、市外の方は基本は在住地域のネットワークに返すという。介護度と家庭の状態によって点数制で優先順位が決まるためで、退院時点の点数で様子がまったく変わってくるという。
父の発症予測は、肝臓や腎臓、血栓という高齢者の王道のような病であり、その内容では隣の病院でフォローできる範囲だった。その場合は老健復帰は戻りやすいが、体調しだいでは次のところを探すことにもなる。長期化すれば生業も社会運動も追い込まれることは必至だった。
介護保険改正後のケアプランの承認手続きやら、父の生活状態の報告を受けるが、やはり徘徊再開の傾向があった。しかしほとんど歩けないので転倒がこわい、そういう状態があったが、案外夜よりも集団管理されている昼間のフロア、他の方の移動(トランスファ)が父の近くで行われている最中、手の離せないときに限って立ち歩く困った状態が始まっていた。私には父の強い不安の性分が浮かんでいた。今のところ、離れた職員がかけつけて対処できているが、対策を検討中だが、父の不安の背景には便秘、便意が隠されていることを職員さんたちは、つかんでいた。ここの管理強化が結果的に、急な立ち上がり歩行を解消していく道として説明してくれたが、その辺は納得のいくものだった。
年末の短期帰宅は断った。受け入れ態勢が無い。母も休み中のダンピング・めまい対策は救急外来は専門医ではないので的外れ治療が怖い。地元医と北里東病院の救急外来と話をつけておく必要があった。その状態をケアマネさんに伝え、短期では年末対策を、中長期では入所継続を頼んで、必要書類に署名捺印し契約更新を終えた。
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平塚の図書館で書籍更新を済ませた後、相模線で巡回に出る必要があった。田村十字路まで出てタクシーで神川橋を渡った。茅ヶ崎を経由するときの乗り継ぎが悪かったからだ。田村十字路は比較的にタクシーが拾える場所だった。タクシーの中で、心配した母から電話が入った。今回は橋本だった。湘南あすなろ会の新規の会報が出来ていた。離れている町社協配布は諦めて、町役場だけ配布。隣の図書館に駆け込んで書籍更新をすませ、小走りで寒川駅から相模線に乗った。
橋本巡回。終えて気がついた。昼食を摂っていなかった。彼も食べていなかったので、糖尿病には鬼門だが、ラーメン屋に入って食事。彼からラーメンの薀蓄を聞く。引きこもり青年はいろいろこだわりを持っている。だから話題も私の知らない情報が入って楽しい。彼はスーパーのバックヤードのバイトをしていたので、商品情報が詳しかった。ラーメンの流行モニターの話は面白かった。経営者に任せると赤字になるというのだ、笑った。
橋本から戻って、金曜日なので茅ヶ崎の行政関係、社協等を17時前に会報配布に回った。社協ではビッグイシューの今後の配布の件を話した。東京事務所から茅ヶ崎販売を「解雇」されても、定期購読者への冊子届けはメール販売なり、買取り配達なり引渡しへの責任があった。販売者を標榜してはいけないので、個人として無償受け渡しすることになる。虚しいが活動自体は大切、ここは継続していく。
母の所望の食品は平塚駅南口のスーパーに行かないと買えないものだった。また平塚に逆戻りして購入。ついでに平塚の市民活動センターに寄って、会報配布。
母が地元眼科に行ってると連絡してきたので、眼科に迎えに行き連れて帰る。18時を回っていたので夕食の準備。北海道の友人が送ってきてくれたケーキを母が小腹が空いたと食べてしまった。これで大半の惣菜が食べ残しになることが決まったようなものだった。ずっしりと虚しさがのしかかる。四面楚歌に思えること自体が問題だった。ストレスを散らさないと持続できない。飯が炊き上がる間に強制仮眠を取った。自己管理の戦いである。
不安は伝染する。母の愚痴を聞きながら食事。父に衣類を届けたとき、持ち込んだ最中菓子を忘れていたが、衣類にくるんだ暖かいお茶が衣類の中から転がり出たので思い出したのだといううような、他愛の無い話で母を茶化した。父は蓑虫かと話した。若い人たちは、この蓑虫自身を知らない。ミノガの個体数が激減しているためだ。だから寿町の「さなぎ達」さんの「さなぎ」のイメージがなく、「なぎさ」になってしまう。
食器洗いを済ませて、梅永雄二氏の著作読書に取り掛かる。土曜日が横浜講演。これからしばらくお世話になることも多いので、登場人物の件で企画化の準備だった。
あと1時間で夜間傾聴。毛布をかぶって1時間仮眠。
夜間傾聴待機中は、30日の懇談会資料準備。
予備校・塾は進路面談が続いているが、今年最悪のとき私は定年退職候補になる。巡回予約の変更が多いからだ。だから進路相談の応援依頼はまわってこない。巡回フォローだけである。
面白い書発見。「親の懲戒権はいかに形成されたか 明治民法編纂過程からみる」。「親の懲戒権」を法制史から歴史の目で相対化している。当たり前のことにしない視座に共感。生活規範を絶対化する発想に私は組しない。
夜間傾聴:□□君(仮名)
橋本3君(仮名)
(校正1回目済み)
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母が起きてこない。10時から父の老健で話し合いがあるので、起きるのを待っていられない。平塚からバスなので乗り継ぎがよくないので1時間半は見てお粉九手がなくてはならない。母の寝室を覗き、ダンピングが起きているのではないことを確認して、母の朝食の下準備をして朝食を摂る。間の抜けた目覚ましアラームが、PCの前で鳴り出し慌てて止める。今までなら、難なく止めていた目覚ましだが、床に本を落としていたため、つまづいて蹴飛ばしてしまった。本が見えていなかった。右側である。ハンカチを忘れる癖がある。利き手の右側に置くからだ。頻繁になってきた。
父の老健には10分前に着いた。周辺は田舎の民家と町工場、畑しかない。コンビニで父の差し入れの茶を買うが、話し合いが1時間は見ておかないといけないので、駅前ではさめてしまう。1つ先の停留所まで乗り、茶を出来るだけ老健の近くで買ってと思っていたが、習慣で目的の停留所で降りてしまう。夜間傾聴が終わったのが4時前。4時間は寝ているはずだが、母の嘔吐のトイレがあった。知っていることは目が覚めたこと。ボケている。最近の傾聴は切羽詰ったものが少ない。レギュラーの悶々とした時間に連れ添っている。だから多少は付き合い方が分かってきたものが多いから、談話後に引きずることは少ないのだが、それでも影響は残る。
少し早めに着いたので、暖かい茶の出る自販機を探すが、前にも探したが手入れが悪くて、冷たい茶しかないのがわかっていた。町工場の奥に自販機が見えたので、警備の方に挨拶して自販機を使わせてもらい、なんとか暖かい茶を獲得できたので、衣類にくるむ。
老健には定刻に到着。昨日名前を刺繍した衣類の提出を後回しにしてもらって、先に話に入った。先方にも介護保険の改定後のケアプランの説明があったが、私にも近い将来、母の入所を見通した予測が必要となっていた。目が悪くなる私にとって、今の家は負担になる。しかし離れが書庫になっている現状では、家を売って借家に入るにせよ、広さがいる。縮んだ生活に入るにせよ、この父の老健生活が長期の保証がないと、見通しが悪くなるという不安があった。幸い父は職員と格闘してはいない。それは生活の不満が無くなって順調ということと同時に、ポテンシャルが下がっていることでもある。活気が失せた、そうも思う。仕事の定年がないのは嬉しいが、契約講師である。巡回がいつまで持つかもわからない。遠い墓地の移転や家業の見通しなども、今回の話の私の尻尾、だいぶずるりと大きくなっている。
ケアマネさんと話をする。私の職業や社会活動をしていることも知っているので、平塚市との行政施策の比較を含んだ挨拶があった。前回、ここを訪れたときは、道が荷崩れ事故で混乱、老健玄関には救急車という異常事態だったので、救急車の件の説明も入っていた。隣が老健を経営している病院なのに、なぜ救急車なのかという説明。
持病持ちの方の体調悪化で、命の山場は越えていたが長期化の見通しがあったので、自宅から通いやすい病院に救急搬送したとのこと。県のはずれから2時間以上かかる老健に入所しており、この遠方入所をせねばならない状態が高齢者介護の実態である。一度病院に出たら、もとの老健はふさがってしまう。父の引き取り場所も探さねばならない事態もありえた。
在住の市内なら、ネットワークのやりくりで急場はしのげる状態だが、市外の方は基本は在住地域のネットワークに返すという。介護度と家庭の状態によって点数制で優先順位が決まるためで、退院時点の点数で様子がまったく変わってくるという。
父の発症予測は、肝臓や腎臓、血栓という高齢者の王道のような病であり、その内容では隣の病院でフォローできる範囲だった。その場合は老健復帰は戻りやすいが、体調しだいでは次のところを探すことにもなる。長期化すれば生業も社会運動も追い込まれることは必至だった。
介護保険改正後のケアプランの承認手続きやら、父の生活状態の報告を受けるが、やはり徘徊再開の傾向があった。しかしほとんど歩けないので転倒がこわい、そういう状態があったが、案外夜よりも集団管理されている昼間のフロア、他の方の移動(トランスファ)が父の近くで行われている最中、手の離せないときに限って立ち歩く困った状態が始まっていた。私には父の強い不安の性分が浮かんでいた。今のところ、離れた職員がかけつけて対処できているが、対策を検討中だが、父の不安の背景には便秘、便意が隠されていることを職員さんたちは、つかんでいた。ここの管理強化が結果的に、急な立ち上がり歩行を解消していく道として説明してくれたが、その辺は納得のいくものだった。
年末の短期帰宅は断った。受け入れ態勢が無い。母も休み中のダンピング・めまい対策は救急外来は専門医ではないので的外れ治療が怖い。地元医と北里東病院の救急外来と話をつけておく必要があった。その状態をケアマネさんに伝え、短期では年末対策を、中長期では入所継続を頼んで、必要書類に署名捺印し契約更新を終えた。
------
平塚の図書館で書籍更新を済ませた後、相模線で巡回に出る必要があった。田村十字路まで出てタクシーで神川橋を渡った。茅ヶ崎を経由するときの乗り継ぎが悪かったからだ。田村十字路は比較的にタクシーが拾える場所だった。タクシーの中で、心配した母から電話が入った。今回は橋本だった。湘南あすなろ会の新規の会報が出来ていた。離れている町社協配布は諦めて、町役場だけ配布。隣の図書館に駆け込んで書籍更新をすませ、小走りで寒川駅から相模線に乗った。
橋本巡回。終えて気がついた。昼食を摂っていなかった。彼も食べていなかったので、糖尿病には鬼門だが、ラーメン屋に入って食事。彼からラーメンの薀蓄を聞く。引きこもり青年はいろいろこだわりを持っている。だから話題も私の知らない情報が入って楽しい。彼はスーパーのバックヤードのバイトをしていたので、商品情報が詳しかった。ラーメンの流行モニターの話は面白かった。経営者に任せると赤字になるというのだ、笑った。
橋本から戻って、金曜日なので茅ヶ崎の行政関係、社協等を17時前に会報配布に回った。社協ではビッグイシューの今後の配布の件を話した。東京事務所から茅ヶ崎販売を「解雇」されても、定期購読者への冊子届けはメール販売なり、買取り配達なり引渡しへの責任があった。販売者を標榜してはいけないので、個人として無償受け渡しすることになる。虚しいが活動自体は大切、ここは継続していく。
母の所望の食品は平塚駅南口のスーパーに行かないと買えないものだった。また平塚に逆戻りして購入。ついでに平塚の市民活動センターに寄って、会報配布。
母が地元眼科に行ってると連絡してきたので、眼科に迎えに行き連れて帰る。18時を回っていたので夕食の準備。北海道の友人が送ってきてくれたケーキを母が小腹が空いたと食べてしまった。これで大半の惣菜が食べ残しになることが決まったようなものだった。ずっしりと虚しさがのしかかる。四面楚歌に思えること自体が問題だった。ストレスを散らさないと持続できない。飯が炊き上がる間に強制仮眠を取った。自己管理の戦いである。
不安は伝染する。母の愚痴を聞きながら食事。父に衣類を届けたとき、持ち込んだ最中菓子を忘れていたが、衣類にくるんだ暖かいお茶が衣類の中から転がり出たので思い出したのだといううような、他愛の無い話で母を茶化した。父は蓑虫かと話した。若い人たちは、この蓑虫自身を知らない。ミノガの個体数が激減しているためだ。だから寿町の「さなぎ達」さんの「さなぎ」のイメージがなく、「なぎさ」になってしまう。
食器洗いを済ませて、梅永雄二氏の著作読書に取り掛かる。土曜日が横浜講演。これからしばらくお世話になることも多いので、登場人物の件で企画化の準備だった。
あと1時間で夜間傾聴。毛布をかぶって1時間仮眠。
夜間傾聴待機中は、30日の懇談会資料準備。
予備校・塾は進路面談が続いているが、今年最悪のとき私は定年退職候補になる。巡回予約の変更が多いからだ。だから進路相談の応援依頼はまわってこない。巡回フォローだけである。
面白い書発見。「親の懲戒権はいかに形成されたか 明治民法編纂過程からみる」。「親の懲戒権」を法制史から歴史の目で相対化している。当たり前のことにしない視座に共感。生活規範を絶対化する発想に私は組しない。
夜間傾聴:□□君(仮名)
橋本3君(仮名)
(校正1回目済み)