湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

9/30 自転車泥棒容疑事件で/慶応大湘南C秋祭実行委総会に行きました

2010-09-30 16:19:28 | 引きこもり
2010/09/30 記
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私の担当している青年が、自転車泥棒の容疑で交番に連れて行かれた。歩道にはみ出した自転車は違反だから直していたのだと本人は主張。店員は謝らないから怒り出して警察沙汰にした。親を呼べと店員が主張。見かけは大学生っぽいが本人はまもなく30歳になる。その言葉に更に本人が抵抗したもので、見事にこじれた。

私は当人が一向に現れないので、彼の携帯に電話し、その電話に警官が出て事情がわかった。彼は診断を受けていないがアスペと思われた。しかし彼自身には、その障がいのことを説明していなかった。こういうときが難しい。当人の目の前でそれを話せば、診断を受けているわけではないので、レッテル貼り人権侵害にもなりかねない。受容の問題も起こる。当人から離れて警官に説明すれば、本人が不審を抱いたり、警官も理解力があるとは限らないので、ろくな発言をしないことが以前の例からもあるのである。

結局、彼の論理の「他人の自転車を触ることで泥棒となるのか」という主張に水を注すことにした。この自転車が他人のものであること。ならば、移動する前に、関係者に移動することを「ひとことなぜ告げなかったのか」ということだった。彼はお気に入りのiPadを持ち歩いて移動中曲を聴いている。私との面談のとき彼は癖でテーブルの上にそれを置く。それを私が急に触ったら怒るだろうと言ってしまった。これは通らないことが多いのだ。案の定彼は、これは自転車でiPadではないといいだしてしまった。般化が難しいのだ。

店員には、彼は私の勤務先の学校に登録している生徒であり、私は担任であること、融通が利かないが悪気は無いので、許して欲しいといった。店員は様子に戸惑い、「とにかく悪いことは悪いことだから、警察に任せますよ」と言って帰ってしまった。

この「悪いことだから」に彼が反発。「悪くない!」と怒り出した。私は「事前にひと声」論に徹し、警官もそれに同調した。本来ならクールダウンが必要なのだが、彼はうなづいた。論理ではなく私への信頼表明だった。「ありがとう」と私が言ったが警官は怪訝な顔をしていた。一応は警官の注意でことが済んだ。私は炎上中の信頼表明を心に刻んだ。

今回の巡回はこうして流れた。しかし日常茶飯事のように、類似したことは起きる。切符自販機に忘れたご婦人のハンドバッグを返すのに、追いかけて改札口に突入、警告板がしまって、乗り越え騒ぎで押さえ込まれ、婦人物のバッグを持っていたので窃盗を疑られた者もいる。幸いご婦人がバッグ紛失に気がつき私鉄窓口に駆け込んだので事情がつながって「無罪放免」になったこともあった。

盗みなどしていないのに捕まえたという彼に、勝手に改札口を越えたことはどう考えるかと問い、主張を押さえ込んでしまったが、本来は手順を教えるべきなのだ。

こうした不器用な青少年や、心と事情のもつれを抱え込んだ青少年が私の担当となる。しかしその場面が彼の処理キャパの狭さからくるとも言い切れない状況はどこにもある。場面のめぐり合わせの過酷さは誰も味わったことがあるものだ。

ちょっと思い出すだけでも、冷や汗が出てくる。ある研修大会の模擬授業のとき、ワイヤレスマイクが突然使えなくなった。会場が学校なので空調が無く、窓を開けていたので騒音が結構入っていた。黒板の前にスクリーンが下がっていて、黒板の代わりにホワイトボードが設置されていたが、ペンが乾いていて書けない状態だった。私の声は通らない。そこに下校の曲交じりの長い放送が入って私の授業は終わった。油断したと思った。こういうときは黙るのだ。授業条件が整わないので一時中止しますとしたほうが、集中と協力が得られるのだ。授業は全く空転に終わり一年が瞬時に消えた。それからは、自前のチョークとホワイトボードペン、レーザポインタを持参すること、これを忘れたことが無い。

教員やっていれば、この手のことはしょっちゅう経験する。引率中に子が消えて、同時に別の問題が起きたりすることとか、授業中の生徒同士の突然の喧嘩とかいろいろある。青年の場合は社会経験もあるので、逆に激突してしまう。ケースバイケースだが、私は権力型で押さえつけることができないものだから、なんで始末ついたのか自分でもわからないケースも、いくらもある。人生、傷だらけのものだと酔うのも勝手だが、この騒動に気持ちがつぶされてしまう者もいる。強くなれは抑圧に転じる。しかしどうしてこうもめぐり合わせが悪い連中なのかと、他人事ではないが、思ってしまう。

しかし偶然ともいえない操作が入った「偶然」も有る。時間限定発言はいつも私は順が最後となる。時間切れを作られれば私の発言は封じられる。しゅっちゅう出会うからそれがわかる。順の不自然さは直らない。微妙な操作が会議の中に忍び込んでいる。こういう際どい空気のようなものの対応は彼らには無理だ。

帰り道、彼と歩きながら話した。損な奴だなあと言ったが意味が伝わらない。この伝わらなさが障がいなのだが、私は別れ際に信用してくれてありがとうと言った。ありがとうだけがはねかえってきたが、分析せずにその言葉を大事に抱え込んで改札を越えた。

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糖尿病治療薬のエクア錠50mgというのは初めてだ。アマリールよりは効き目が柔らかい薬だそうだが飲んでしばらくすると低血糖気味の感覚を味わったので、しばらくは扱いに慣れる必要がありそうだ。

食事の残り物片付けモードを撤回することを母に告げた。たちまち、「食べたくないのだから手をかけて作らなくていい」という応答が返ってきた。「仏さんじゃあるまいし」という高齢者ならではの会話(翻訳:仏壇にあげる食物の量はほんのひとつまみだ。)を返し、「少しずつでもいいから食べろ」と言い返した。今夜は慶応大の祭実行委に行く。夕食はひとり、「食事を省略するな」と念を押した。

ふたりとも、それぞれ低血糖と自律神経失調でふらふらしているのでは、話にならない。

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市長面談のときの置き忘れた袋を受け取りに、市民相談課に行き、Nさんから袋をいただいた。「お手数かけました」と挨拶の途中、「懇談時に提出する書類だったのでは」とNさんから質問を受けて困った。袋の中に入っていたのは、市長宛の就労支援の請願書。時間切れで、説明不足なら出すべきではない上に、スペアの全会員の了解を踏んでいない文書だったからだ。内容は前述のブログで書いたものと大差ないが、日本ソーシャルインクルージョン協会代表の炭谷氏の講演実現支援をお願いする一文が入っていた。

Nさんは秘書課兼任の方。「時間切れで提出を取りやめた書類です」と説明したが、もう一度、今度は就労支援の関係で市長に説明させてもらえないか考えている。

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夜に出かけた慶応大湘南Cは、教官の**さんに会うために看護医療学部にたまに行っていたが、もう数年は行っていなかった。交通事故からの退院後も私はしばらく杖を使っていたが、そのときは数名の学生さんに介護されてしまい、恐縮というか冷や汗をかいたことを覚えている。

慶応大に初めてきたのは湘南Cが出来た頃だが、私は引きこもりの方の中に、相当の割合で軽度発達障がいの方が入っているという意見の立場で、心理学系の研究会に出ていたことがある。その会場がたまたま湘南Cになったことがあった。当時は連絡の行き違いで、私がボランティアとして関わっていたPTSDがらみの現場の子ども支援活動の関係で、有珠山噴火避難所の子どもとのオンライン交流をしている心理系の危機管理屋として紹介されて困ったことがあった。私は夜間緊急出動がらみの夜間傾聴屋であり、訪問教育相談屋である。その研究会で慶応のM教授に初めて出会ったのだった。

有珠山というからこの研究会は、もう10年前のことになる。

このころから、たまに学園祭にお邪魔することがあったが、今回秋祭にお邪魔して、いわゆるひねった社会派イベントが全く見られないことに時代の変化を改めて感じている。高校文化祭から社会派が消え、やがてエコ全盛となり、またマンネリ化している状態は、大学祭にも共通の傾向が見てとれる。

今回は秋祭実行委総会ということで集まったが、いわゆる地元参加やテーマ参加の、学生さんではない参加者の顔が見られなかった。湘南あすなろ会の**さんとふたり、場違いだねと話していた。私は場違いの商売をしているので、この空気はお馴染みなのだが、私が馴染んでいるという意味ではない。大学の差がかなりあって、ここはそんなにケバくない。今回、Oさん製作の湘南HL便り号外に、かなりケバい女の子(私にはAKBもKGBも区別がない)の画像カットが挿入されており違和感を感じている。挑発かなあと悪いオジさんの顔を思い浮かべている。

それはそうと、地元はエコ関係のお店や、ゼミのお遊びなのかなとも思いつつM教授の名前があった。白髪頭は会場にひとつだった。今回の話は当日の実務的な詰め。進行の手際のいいこと。あっという間に終わったのは大学の個性だ。すぐに本館前のバス停からバスに乗れた。

私たちのBig Issue ブースは、本館裏あたりになりそう。うまく行きますように。

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**さんと食事をして家に戻ったが、案の定、母は食事をしていなかった。強制的に雑炊を作って食べさせたが、吸収が早いものは、腸に食物が直接入ってしまうのでダンピングや動悸が出てしまうと文句を言われた。固いと食べないので加減が難しい。「食べたくない」と拒否された食物は捨てることになる。勿体無いからとハイカロリー食を食べたことで、私の糖尿病が悪化したのだ。父が家にいないので本当に助かっている。これが両親ふたりの世話だったら、私がつぶれている。

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12/4東工大を会場に「不登校、ひきこもりへの支援を語る」という内閣府のイベントがある。案内状ファイルをセブンイレブンのネットプリントで印刷した。駆け抜けるように季節が変わっていく。

IPSリカバリーの次の企画の準備期間に入ってしまったが、大事な柱が抜けてしまった空虚感が私を包んでいる。今日もこれから一箇所、中止のお詫びに行く。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)

p.s. DINFの資料まとめて受け取り予定。>10/1


〈校正2回目済み)
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9/28&29 母と私の診療の高齢家族の日常/三浦半島はつながりが悪い

2010-09-29 10:19:25 | 引きこもり
2010/09/28 記
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雨が降る。父の入所先の老健から、また父が夜間、徘徊転倒したので、フロアのセンターからよく見える部屋に移動させたとの報告電話が入った。不思議と雨天時は父が夜間徘徊をする。

母が友人の転居の選別にと選んだものを、母は私の留守中に電話でストップをかけていた。商品交換するために、日が無いから藤沢に出かけると言い出した。私の巡回は今日は減らして海老名だけになっていた。藤沢に出かけるのは遠回りとなる。母を雨天時外出させるのは少々冒険だった。足取りよりも不注意が怖かった。結局、母と藤沢の小田急デパートまで連れ添い、巡回を拝み倒して入れ替えをして、東林間に切換え、母をショッピング後、稽古の道具を作っている藤沢の店で時間をつぶせと提案。帰りに駅ビルの喫茶で合流。帰りに母の地元の主治医に立ち寄った。

主治医とは、母の胃切除後の食欲減衰が露骨な体重減少、骨粗しょう症傾向の影響を及ぼしていることで、母の右太ももの血管からカテーテルを使って点滴用の取り付け口を心臓の際につくる手術を施すか、私の言うように、眼科ボトックス療法の副作用で3ヶ月外出を激減させて寝ている生活が筋力を急低下させているが、その直前には不調であるが余力があったことを指摘。ボトックスの効果が無くなる3ヶ月目、買い物などの歩行や、短時間の簡単なスクワット・片足立ち等自宅メニューを連れ添い運動療法の効果を見たいと応答した。ただ母は自宅訓練は全面拒否するだろう。案の定、こいつはうるさいから嫌だと言い出した。母は学生時代水泳をやっていた。脅かしてやろうと、水中歩行を水泳教室でやるのも手ですよねと主治医に提案した。たちまち猛反対が現れた。主治医の大笑い。確かに年配者でも水中歩行はいい回復訓練になりますけどねと返事。

これがいけなかった。家に戻るまで、傘を開いたり閉じたりしながら、どうしても訓練させる気かと動揺して怒っていた。家の食事はハンスト。白菜と鶏で出汁をとったあげ茄子ととろろの雑炊とシラスの和え物は結局私の腹の中に。私の糖尿病食のゆでブロッコリは夜食に回ってきた。母は早々にへそを曲げてベッドに入ってしまった。

どんなに手をかけても、メニューや話題が気に入らないと、まず食事に影響が出る。食べないのだ。祖母の介護で、高齢者の食事の量の感覚は死にはしない量はわかっている。しかし1年で15kg体重減少、骨密度減少というのは余病併発の元でもあり、放置するわけにもいかない。両親の食事を支えてきた地獄は7月の父の入所で抜け出したが、母に寝込まれては、私の仕事は再び重石をかけられてしまう。どうしたものかと思いつつ、予定変更した彼にメールを書いた。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本3君(仮名)



2010/09/29 記
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早朝の豪雨。木造旧家のボロ家が雨漏りした。屋根裏なので手が付けられない。古い家なので重い瓦を使っている。それが長年の間に斜面をずれて隙間が出来たのだ。この場所は昨年漏り始めて、瓦の持ち上げとコーティング剤を注入したところだった。家も住人も老朽化しているのである。さっそく雨が上ったらと修繕業者に頼んだ。

昨日の巡回先に午前中まわった。湘南台経由で急いで上大岡に出てウィリング神奈川のウェルじゃん(横浜市福祉求人情報センター)に飛び込んで、仲介屋を済ませた後、京急に乗って県保健福祉大図書館に出る。予定のコピーを手に横浜経由で茅ヶ崎に戻った。三浦半島方向は本当につながりが悪い。文教大が越谷と入れ替わりになっていたらと思う。福祉大図は予想外に資料が少ないが、必要な資料がヒットしやすいのだ。

内容はふたつ。ひとつはソーシャル・ファーム以前の障がい者の社会的企業の関連資料、もうひとつは若年ホームレスの流動情報、両方とも綱渡りほどに手がかり資料が少ない。後者は研究者の手がかりが。しかし大阪。この綱渡りは、横断を意識するためには必要な作業となる。案外手がかりの穴を明けてくれるのが新聞情報だ。そこから実践と情報を手繰り寄せてくる。

茅ヶ崎に戻って、市役所秘書課へ。市長面談のとき、配布資料を入れた本屋の袋を忘れてきていた。バッグと違って、配布後は必要が無いものだったので、すっかりわすれていた。スペアちがさき代表のやしろさん経由で、忘れ物情報が飛び込んできた。皆様、お手数かけました。

私は本当に忘れ物をする。乗り物の荷物棚は絶対に使わない。座席に置いた折り畳み傘、汗を拭いたハンカチ、思案中のときは買い物袋まで忘れてしまう。しかし今回は意味が少し違っていた。右目の網膜色素変性症が進んで、右から左に姿勢を変えて立ち上がるとき、右側の持参品を忘れてしまう。視野が切れるのだ。この現象は食器洗いのとき、右側の食器を落とすという形で現れる。自覚的には見えているように思っている。しかし見えていない。

またやってしまったと思いつつ、秘書課で謝る。しかし袋は市民相談課に移っていた。市民相談課の担当者の方がお留守だった関係で、この日は空振り。またその方と調整を取ることに。

市議会事務局に寄って、議員にポスティング。慶応大秋祭にビッグイシュー販売参加の件、協力議員に便りに添えたメモ。

時間に余裕があったので、初診の糖尿病クリニックへ。男が家事をして、食事担当で残り物で糖尿病復活という話に呆気に取られている。父が老健入所してやっと、自分の糖尿病治療に気をまわせるから、再開の意味でこちらに来たと言った。外来はがらんとしていて、地元病院系ではないのか患者さんが少ない。藪ではないようなら、続けようという気に。待合室に待たされる時間は予測が難しい。するとその後の巡回の予定の時間が立てにくい。早い時間にいけばいいのだが、中高年外来は午前中が混むし、昼夜逆転人間には負担が大きい。

栄養指導に来てくれませんかと頼まれる。自分の分とて5年を超えるし、父の糖尿病治療の食事管理は私がやってきた。父の主治医の栄養士の指導も付き合いで複数回出ている。いらないんだけどと言ったが、質問していいからというので11月のときに出ることに。用心したか、質問は事前に聞かせてくれると的確な応答が出来ると、言わされた。胃切除後の母のハイカロリー食と、私の糖尿病食と食材を使いまわしたメニューってありませんかという変化球。手をつけていない食事を大胆に捨てるふっきりの呪文はないかという無理難題。

従来の薬より低血糖コントロールの易しい新薬を処方すると言って処方してくれたが、調剤薬局にないことも多いので、こことここの薬局に出来たら行って欲しいとの指示あり。血液検査などもやったが、あまりいい患者ではない。問診表も原因が明らか(家族の食事の始末)だし、健康診断も毎回受けているようだ。糖尿病網膜症の可能性も眼科検査を別に受けているのでコメントもない。だから新薬なのかなと思いつつ、ともあれ服薬治療再開。

実はこれがいけなかった。夕食後飲んだら低血糖。対策を打ったが眠気が来て、2時間ダウン。母が慌て出した。母にしてみれば、自分が調子が悪いのに、手間を頼っている息子の面倒をみるなど出来ないというものだ。子どもがいない家族はこんなものだ。

資料整理と生業の仕事開始が23時半。いつもより1時間早い。玄田有史著のつまみ食い。今回仕入れたコピーの読み込み。29日は慶応大秋祭実行委。久々の元ホームグラウンド藤沢遠藤に行く。ここに私の塾のひとつがあった。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     相模大野3君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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9/27 スペアちがさきの市長面談より/三宅雪子氏の講演会に参加し

2010-09-28 04:08:34 | 引きこもり
2010/09/27 記
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スペアちがさきの市長面談に参加してきた。内容の詳細は「スペアちがさき」の掲示板に紹介されるはず。私は軽度発達障がい者の就労支援の部分を、より広い立場と関連付けて提案してきた。今回は企業就労に関する提案は控えて、地域起業の面を中心に提案した。

その内容は、次の通り。

まず語ったのが生活・就労困難者の支援は急務であること。それにもかかわらず、特に心の障がい分野の方の就労が立ち遅れていることを語った。

また、就労というと企業就労だけがイメージされている。特例小会社は障がい特性に留意してくれてはいるが、多勢は会社の鋳型にはまる人材を求めている。これは特に発達障がい者には高いハードルとなっている。個々人の特性にあった仕事を求める逆転の発想が求められている。特に精神障がい者の急性期と寛解期の周期のように、力の分配が苦手な発達障がい者は、企業が求める安定した就労が難しい面もあり、利益追求と競争原理が健常者よりも重圧となることを考えると、「地域起業」というもうひとつの就労の道も同時に自覚してもらいたい。地域行政の本領は、むしろこちらの地域就労の基盤〈プレイグラウンド)作りにある。今回は地域生活と消費社会にターゲット置く事例を紹介するので、それを求める活動に積極的な行政参加を求めたい。特に事例の中の「生鮮食品・野菜市」などは、多様な既存活動資源を活用し、様々な仕事をさらに生み出す元となる。ここの仕事作りは、社会的生活・就労困難者の雇用政策として、就業の場を恒常的・保護的に育てる目的を持たせて欲しい。

文科省の図書館海援隊プロジェクトを発展させつつ、市立図書館のプロジェクト参加と、気楽なプレ相談の場作りを図書館の場の機能を活用させて実現させて欲しい。生活・就労・障がいにわたるプレ相談の連続小企画を推奨し誕生に協力して欲しい。

縦割り行政課の横断参加を生みだすために、関連市民活動企画への行政職員の積極参加を研修の拡大を含んで奨励してほしい。

ハローワークの専門支援と一般就労支援の部門の谷間を埋める相談窓口をサザンボ(障がい者共同の連絡と就労支援の公共の店)や、ゆめたいのような場や障がい別の生活・就労支援センターを活用し、手帳を持たない方の就活ガイドを含む支援の谷間をカバーする相談の場を拡充して欲しい。

こういう内容のダイジェスト版語りに、参考資料を添付して提案した。しかし実際は圧倒的に時間が足らなかった。

全体の時間が40分の持ち時間。予定の3人の倍、6人の提案者の最後だったので、時間は3分+超過1分ということで、ダイジェストのダイジェスト位の話で、具体的な話は全く切り出せなかった。

スペアちがさきからの提案ということもあるのだが、発達障がいを超えた社会的困難者、就労困難者の協業の就労企画の中から考えている私にとって、発達障がい者の就労という切り口が少々語りにくかったのも事実。

絞り込んだ論点の一つは、地域行政の本領は、地域起業促進にあるわけで、野菜市とか高齢者支援とリンクした便利屋など、地域の就労のプレイグラウンドを行政が提供してくれることも、そこに仕事を作っていく意味で、就労支援になる。企業就労促進だけを就労支援と思っているいわゆる常識があるが、それは視野を広げる必要があって、地域起業の環境提供を考えてほしいということを提案した。

もうひとつは、そのことを選択する理由として、発達障がい者の特性を生かす仕事、素人臭さを逆用した体調にあわせた調整に理解者の助け合いを弾力的に使いながら、自主運営の要素に取り込んでいくことが見込める強みが有ること。

買い物代行や、独居高齢者対象の便利屋兼弁当や食材の配達と独居高齢者の体調巡回などをセットに展開しうる。

今回は地域行政がプレイグラウンドを提供するという大きな役割が目玉。ともあれ、種を撒いてきた。

スペアの他の方は学齢期の教育について、特に拠点校方式を改めて欲しいという要望が出されていた。

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13時からは衆議院議員の三宅雪子氏の講演会があった。三宅さんの弟さんは発達障がい者で、川崎の日本理化学工業に就労している。また厚生労働委員会の委員としての活躍もされている。そこと関連付けた話が中心となった。

しかし、正直言って総花的で、焦点がつかめなかった。可もなし不可もなし。


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相模大野で入学希望者の父親との面談があった。久しぶりのネクタイ。

サポセンで時間調整をし、Mさんに10月の県立鶴嶺高校のボランティア塾 in 鶴嶺に湘南あすなろ会が参加する上の仲介依頼をした。

資料は市長に渡したが話が短時間だった悔しさを抱いて、移動車中、なかなか空かない席にため息をついていた。疲れが出ていた。

母への土産、好物の「カツサンド」。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     橋本3君(仮名・こちらから)


〈校正2回目済み)



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9/26 ある引きこもりの方から電話連絡がありました/他

2010-09-28 01:59:47 | 引きこもり
2010/09/26 記
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茅ヶ崎図書館に書籍交換に立ち寄り、市長面談用の資料を抱えて巡回へ。折角バッグが軽くなると思っていたら、予約の重たい書籍が到着していた。小田急線経由なので辻堂駅のコインロッカーに入れて身を軽くした。

しかし読書も適度の明るさの環境を作らないと、左目もやられてしまう。右目は視野の右端と上がまだ見えるが左端(鼻側)と下はすりガラスの上に砂嵐がちらついて、やっと大きな輪郭と色が見えているだけだ。左目は特に下側がちらついている。視覚障がい者用の読み上げソフトや、視覚障がい者の専門書の読書法の事例を注意して情報を集めている。私もいずれ失明するからだ。社会活動も制約を受ける。それが二十年先か今晩か、それも待ったくわからない。ただ右目はまもなくピントを失うだろう。

目の話は上司には言ってある。しかし、両眼失明後、生き埋めにされる覚悟はしてるが、あがきつづけるだろう。両親を送れば親族の支えがなくなる。独居爺さんさてどうすると考える。迷惑だろうなあと思いつつ、針の穴からでも、引きこもり青年たちに何ができるかを考える。巡回に社会活動への拡がりの限界を感じ超えて行きたいと念じつつ、一方で、接して悩むことのいつか失う価値を感じている。

今回の巡回先は中央林間君。駅周辺で話しているが、なかなか落着ける場所が無い。今までのところが最近混む事が多くなって、使いにくくなった。18禁は平気でも、まさかそこでお勉強するわけにもいかない。改札口合流した後、しばらくうろついてしまった。その時間はカウント無し。

慶応大のビッグイシューの販売のとき、覘きに来ないかと話をした。湘南台からバスですぐだから。ちと反則かな。

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この日、昼間、引きこもり君から電話があった。ちょっとびっくりし、そのあと悲しくなった。というのも、私の活動は就労支援活動であったり、相談支援だったりするが、居場所を持っていない。オンラインのネットを作りたくても、まだネットの芽となる地元湘南の当事者のつながりを持っていない。つまり様々な活動にことが散っていて、既にある活動の輪に入りたいという希望に沿えないからだ。彼に、これから作っていくのだが、一緒にやっていこうというには、難関が初めから多すぎるのだ。だから、受け止めてくれそうな知り合いを紹介した。引きこもり君、ピンチのときは、いつでも相談OK、協力する。しかし合流する場はないのだ。ごめん。

電話を切って、ため息が出た。もう5年以上湘南のつながりを作る空転を重ねてきたからだ。始めの候補者は病気で亡くなった。あとのふたりは、重篤な精神症状を抱えており、自ら命を絶ってしまった。あまりにも若い命が失われ、活動を始める前に封印されてしまったかのようだった。それから1年後、参加した娘さんは、家族で米国に移住して翻訳家を目指しているが、湘南の活動に関われなかった。

他にも地元の青年と接しているが、関心がないという状態だ。

活動の立ち上げは、爺さんからではだめなのかなと思いつつ、粘っている。連絡がきたことは嬉しかった。逆に励まされていると、薄くなった頭をかいている。面白そうだと思ってくれるまで、案を練って提案し続けていく。画像放送のマンガをかけるひと、SNSの中の障がいを抱えた人の携帯交流の場を引っ張ってくれるひと、SNSや画像放送の技術協力者と出会いたい。その仕事をしてみたいという方、とくに引きこもっている君の部屋をサテライトスタジオに、事務所を持たない活動からたちあげられないかと、念じている。対象と活動様式が今までにないものだから、真似する前例がない。これが地域特定層メディアとして、就労支援活動の芽として成長させられないかと考え続けている。

連絡してくれた引きこもり君、君の求めているところと出会えただろうか。まだ選択肢はある。うまく行かなかったら、いつでも連絡してください。次のところを紹介します。


夜間傾聴:□□君(仮名)


〈校正1回目済み)

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9/24&25 父の老健内転倒と鼻の怪我連絡を受け/父の介護度更新判定に立会い

2010-09-27 14:44:10 | 引きこもり
2010/09/24 記
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一日の寒暖の差が激しく、エアコンが効かない古い和室の私の部屋に毛布が登場した。肩掛けだと思案中に寝転がる癖があるので、外れてしまうのだ。夜間傾聴の相手がくしゃみをして、寒さを話題にして爺ぃだと言われる。先方はエアコンの効いた部屋にいるのだ。

昨日母が私の留守中、父の入所先の平塚の老健から夜間電話を受けていた。父が就寝してからまもなく、ベッドから出て転倒、鼻を打って怪我をしたので、応急処置をしたが、午前中に病院で検査をするので立ち会って欲しいという連絡だった。なんと母は、電話を切ってまもなく帰ってきた私にそれを伝えなかった。

私が毛布騒動をしている早朝、母が起きてきて、父の怪我のことを突然私に言い出した。母は午前中の検査の立会いを断ったという。看護師の連絡では家具にぶつけたのではなく床に倒れ、その場で応急処置をして、直属の宿直整形外科医が見てもらっているとの話だったからだ。老健は病院系列の経営する施設で、隣に病院がある。そこから医師が老健にやってきたのだ。鼻は耳鼻咽喉科なので直属の医師はいないので、他院のレントゲン検査を受ける。そのための立会いという話だと知った。

母も私も父の転倒には不感症になっている。父は今日、茅ヶ崎市の高齢福祉課の介護度評価更新の検査を受けることになっており、これから午後、家族が立ちあうことになっていた。伯父、曾祖母、祖父母を見送ってきた私は、奇妙なことに気付いていた。外出とか来客など日常生活の変化の有る前日は要注意の日であるという体験だった。今回のように怪我をしたり、体調を急変させたりと、幼児を育てるときの体験と同質のものだ。

眠そうな顔で私の部屋に入ってきた母に、そのことを話すとそういえばそうだとうなづいていた。父の場合は痛風やら転倒で何度も救急車を呼んでいた。母が茶の間に移動し、茶を入れ始めたので、傾聴待機を休止して、父の怪我の話やら、魔の前日の話をぼそぼそと話していた。

父の怪我は朝の老健からの容態連絡があるとのことで、それが悪化なら朝出かけられるようにしておこうということになった。魔の前日の話は、当人が翌日の変化を察知していたかどうかだと私が言い出したものだから、母が嫌な顔をして引き上げた。噂話の構造は共感が得られればそれでいいのであって、分析することではない。この感覚の差があるから世間話が苦手なのだ。この丁度裏返しのように自閉症スペクトラムや、パーソナリティ障害の方の細部の現象配列因果付けの語りを聞いたときの感覚がある。勿論、その語りに伴走するが、奇妙なアナロジーが成り立つものと、ひとり納得していた。父の容態不安は確かにそっちのけなのである。慣れである。

耳鼻咽喉科に行くなら、生業優先で夜間の仕事を切り替えておかなくてはらなかった。25日の校正入稿のものが控えていた。幸い夜間傾聴は短いものが2件あっただけ。寒い寒いと、茶を抱えて自分の部屋に戻ったが、途中トイレの明かりがつきっぱなしであることに気がつく。母は決してこのような放置はしなかった。老いが潜んでいる。廊下の闇をにらみ付けていた。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     もうひとり



2010/09/25 記
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朝9時丁度に父の入所している老健から連絡が入った。「検査どうしますか」という内容。「どうしますか」ではなく昨夜は「行きますから」だったはず。ということは、大したことがなかったなと判断。午後、判定員の方と会う前に早めに行くので、そのとき様子をみようということになった。寝たのが5時半すぎ。あと1・2時間というときに起こされる。再びダウン。

判定員の方からか、再び電話が入り母が対応。父が転倒して怪我をしていることを連絡してきたという。母は私が寝入っているのでと起こすことはなかったが、結局うたた寝1時間弱で起きるはめに。

父の転倒は、恐ろしいことだが床に手をつかない。反射が鈍っているので、手が出る前に頭や顔を打ってしまう。目撃したとき父は棒のようだった。

鼻を打っているなら寿司もないだろうと、そのまま土産を持たずに老健に向かった。母からの電話を玄関前で受けた。私の巡回圏の駅前にある高校の先生から電話があったとの連絡だった。困ってしまった。ふたつ高校があり、それぞれ別の用件がからんでいた。しかもA高校のB先生だか、B高校のA先生だか、高校名と先生のお名前が丁度逆。母が曖昧に受け取ったので、どちらだかわからないというのだった。

困り顔で老健に入り、目の前にケアマネさんが立っていたのにで、虚を突かれてびっくり。先方は父の心配をしているのだと勘違いしたようだった。まさかA高校B先生かB高校A先生かなどとはいえない。状態はどうですかと質問を儀礼的に発しながら認知症フロアへ。

フロアの看護師さんと父の様子を見に行った。鼻に絆創膏をあてているが、顔の油で絆創膏は取れかかっていた。朝、顔を拭いていないのがわかった。父に容態を聞くが鼻のことを言わずに「首を打った」と聞いた。前に倒れたのなら「首」とはいわないだろう。アザもないので後ろ向きに倒れ、後頭部を打っているのではないかと疑った。鼻血が出て騒ぎになった…。

看護師さんに父の前で倒れたときの様子を説明してもらった。案の定父は後ろ向きといい看護師さんは前という。宿直の職員さんが発見し看護師さんが確認した。つまり看護師さんは倒れた直後の現場を見ていないのだった。

首の痛みを言っているが、首や後頭部を医師が診断しているのかを聞いた。首は整形外科でレントゲン検査をしており、頭部のCTはしていないが様子見となった。鼻の打ち身は目視と触診。専門外とのことで、様子を見て耳鼻咽喉科に行けとの指示だったとわかった。

この老健は入所したてのときも父が転倒したのですぐ来るようにと電話がとんできた。このときにもフロア責任者、ケアマネ、看護師から別々に3回電話が来ていた。それが日を明けて2回起きていた。いずれもベッドから立とうとして尻餅をついたときのことで、片方は夜。その都度、老健には行けないと応答した。現場で対応できない怪我や病気のために病院に行く必要があるときや、認知症や行動面の急変があるとき以外は連絡は、いらないと申し入れていた。

この「病院に行く必要」という部分がからんでいた。眼科や歯科診療のときも呼び出されるのだ。「規則だから」という抵抗を押し切って、無理に確認した結果の隙間の穴だった。

首に触れても父は、避けようとしなかった。父の応答をききながら、それは肩に近い部分、私なら首の付け根と表現する肩の部分だった。様子見とのことで話は鼻に移った。外部に傷が無いところに、薬物を塗った様子も無いバンドエイドが、顔の油のために、はがれかかっていることで、何を治療したのかを聞いた。私にはバンドエイドの意味がわからなかった。結局はっきりした応答は得られなかった。

鼻に触れると嫌がるが痛みの反応ともとれる表情をするので、それ以上問わなかった。朝、顔を拭いていないことと、首から上の症状なのに被り物のTシャツを着ていた。鼻血の痕もないので現場か、レントゲン検査の時点で着替えさせていたことが読み取れた。しかし前開きの衣類にしていないのは粗いなと思ったが、またこちこちの応答が返って来るので、看護師さんには言わなかった。

看護師さんには、耳鼻咽喉科の検査が必要なときは任せるから、立ち会わないと伝えておいた。

逆に私は安心していた。連日連夜、ベッドからの徘徊と転倒の格闘騒ぎが、老健入所後ぴたりと治まるはずがないと思っていたからだった。週1・2回、父はベッド下に尻餅をついていた。共同スペースの席から立ち上がって職員が制止に飛び込んでいた。しかし、父の表情は在宅時よりいいし、訴えも無い。私が到着したことを発見し手を振るという認知面の快挙も起こっていたからだ。

定時に顔見知りの茅ヶ崎市の判定員の方が現れた。

フロア責任者の方と看護師さん、それに私と判定員の%%%さん。質問が始まったが、長谷川方式のチェックは簡略型。確認の見立ては勿論教えてくれないが、私の聞いていた範囲では、父のアイコンタクト、麻痺側の脚が極端に筋肉の衰えがあることが以前と変わって悪化していること。しかし質問にはしっかり答えているので、認知面は認知症が進んでいるようではなかった。ただ質問の中で、今の季節はいつですか、春夏秋冬のどれですか、「例えば『春』とか」という部分は、質問がいけないと思ったが口出ししなかった。誘導が入っていたからだ。父は「春」と答えた。本当に父は「春」と答えているかもしれないし、わからなかったから、質問の例に引きずられて「春」と答えたかはわからなかった。

しかし前回、父は自宅の部屋を生家の住所で答えたし、家族は祖父母が生き返っていた。だから本当に「春」と思っているのかもしれなかった。今回は住所確認は無かったが、生年月日は明瞭に答えていた。

若干の父の容態についての状態認識の意見交換を済ませて1時間ちょっとの判定は終わった。

私は愛甲石田から母が受け取ったB高校のA先生に会いに向かっていた。気がついていなければ、母の伝言は危ないところだったのだ。私の担当している子の関係だった。

塾の方に報告を入れて、まっすぐ茅ヶ崎に戻るころ、母と駅前合流して買い物。外食は嫌だというので、遅い夕食。

父の話を報告するが、母の稽古の友人関係から電話が割り込んで、曖昧な形で話が断ち切られたが、母は放置されるのを嫌がって、私が自宅作業に入るのを妨げた。報告ではなく、まあ大丈夫そうだから様子見だという話になったとだけ伝え、心配していた介護度が現在より下がった場合、今の老健にいられるのかという点にについては、支払い料金が上るが追い出されることは無いとの話だとの話をして、母を安心させた。

市長面談用の資料準備もあって、夜中コンビニでコピーを済ませた。コンビニのネットプリントという方法を使うと、自宅のプリンタよりも細かい印刷が出来る。USBメモリを持ち込んでもいいのだが、コンビニのメインDBにファイルを送っておき、コンビニ端末機に転送印刷する。結構使っているが、フォントに制約が大きく、違った印象の印刷物になるので作る時点で工夫がいる。

玄田有史著の「人間に格はない 石川経夫と2000年代の労働市場」が茅ヶ崎市立図書館に届いていた。明日取りに立ち寄る。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)


〈校正1回目済み)

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9/23 健康診断結果は入院?/日本電子出版協会企画に参加しました

2010-09-25 09:21:22 | 引きこもり
2010/09/23 記
--------------

健康診断の結果を聞くために某病院を受診した。案の定糖尿病と指摘され、状態は入院が必要とされてしまった。私はしばらく糖尿病治療の主治医のところに行っていない。健康診断なら設備のある病院で検査したほうがいいだろうということで、普段糖尿病治療にかかっていない病院で検査を受けた。私がデータシートを見せて欲しいと言ったが、総合診療科の高齢の医師は「糖尿病は自覚の無い病だから怖い。すぐに入院の準備をしてください」と私の要請を全く無視して説明し続けた。

II型糖尿病として診断を受けて4年目になるが、昨年春から通院していない。その時点では食事療法に任せる程度の指示だった。私が通院していないのは、父の介護が深刻になってきたからであって、飽食の結果ではないのだと説明するが、医師は全く人の話を聞かなかった。

「酒と煙草をすぐにやめなさい」というので、「問診表をみてくれ」と応答した。私は煙草は昔から一切吸わない。酒も年間にビール5~6本であって、私の仕事は夜もある。飲んだら仕事にならないからだ。「問診表を見てから診断してくれませんか」と応答。問答の末、入院とは「指導入院」で、糖尿病のメカニズムと治療法の集中指導が目的であるとわかった。

私は父の糖尿病治療で食事療法を支えて十年になるし、自分の治療にも質問が出来る研修講座に何回か出ている。「指導入院」は経験済みだし、飽食するほどの金が無い。むしろ不規則な食事、外食依存、そして母のハイカロリー食の残り物始末が悪化の原因と医師に伝えた。形勢が悪くなってきたとみたか、看護師が出てきて、「検査がしっかり出来るから、うちの病院に通院するように」という。驚いたことに「予約を取っておきました」というので、「キャンセルしてください」と応答、結果の検査シートをもらって帰ってきた。

ここの総合診療科では、今年の春先、私がみぞおちの胃の違和感があるので検査を受けたが、このときは、今回とは違う医師が診察した。私が○をつけた数行の問診表だけを見て、「呼吸器だからレントゲンとMRI」と言って、看護師に指示を出した。突然のMRIにはびっくりしたが、MRIのある系列病院にまわされて撮影することになった。このときも、私になにも質問しないで、問いの粗い問診表だけで診断するので、「症状の様子を聞かないのですか」と問い、それでも結局みぞおちは呼吸器だと診断、肺の検査の結論を言い渡された。結局移動した系列病院の医師から、「きれいで全く問題が無いではないですか、大丈夫。みぞおちは、胃の検査をしたほうがいいですよ」と、高いMRIの検査費を払ってきた。

この奇妙な診断した医師の外来患者は私が午前の最後であり、私が看護師に「胃の検査はしてくれないの」と質問している間に医師はいなくなった。地下の売店に飲料を買いに行って見ると、先ほどの医師がおにぎりを買い込んでいた。「早く来ないとすぐになくなる」と売店の店員さんと話しているのを聞いてしまったのだった。胸部MRIは胃も写るだろうと思って撮影したが、それは診断外、MRIのある病院の医師は診断してくれなかった。

今回ペプシノゲン検査を加えて健康診断をしたが、糖尿病が要治療値であること以外の部分は、検査結果問題なしと出ていたので、従来のクリニックか他の糖尿病科に通院を再開することに決めた。しかしここの病院はひどい。最低限患者の問診は直接して欲しい。問診表のみの結論宣告はひどい。患者を全く問わない医師が、同じ病院でふたりめというのは、そこに病院の方針が入っているのを感じる。

ともあれ、糖尿病通院治療は再開しなくてはならなくなった。朝、母が食べたいと意思表示した食材を夕方に買って帰ると、食べたくないと押し返される。その料理をそのまま捨てるだろうか。つい、勿体無いからと食べるハイカロリー食が私の糖尿病を悪化させているのは常々悪い予感があった。これからはそれを捨てなくてはならない。しかし、黙っていたら入院させられ、初級指導させられていた。総合診療科は客引きなのかと思う。

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診察を終えて、昼食を食べる気にならず、そのまま横浜に出た。たまっていた用件で先に県庁まわりを済ませて歩いて石川町へ。次はLプラザで、手続きを頼まれていたある中年の方の就労相談の予約と、この方の経過の参考情報提供を済ませてきた。

この方は当時、社会人再進学組として、私が短期間担当したことがある方で、進学断念後、連絡が切れていた。今回再挑戦と入学手続きに本校を訪れたが、入学は勧められないとお断りした。

前回の経過を踏まえて、進学ではなくむしろ再就職の支援が大事と判断したのだった。ハローワークに行く前に、ここで一度就労相談をしておいたほうがいいと、Lプラザを紹介していた。この方の支援は、私にとっては、いわば生業からすればサービス、就労支援活動からすればボランティア活動だった。ボーダーの傾向を感じさせる方で、こちらの心理&就労相談を優先したのは、境界線の障がいを疑われる方は、ハローワークでは相談が難しいだろうという私の判断があったからだ。要するに忙しいところで相談するのは不向きと判断した。当人と話してあるので相談予約完了。ここは若年者以上の年齢(34歳~)の方の専用窓口だ。

午前中から動き出すと体調が狂う。四肢のあちこちが痛むので、神保町の教育会館の喫茶でちょっと休んだ。今日は巡回を入れていなかった。16時から日本電子出版協会主催の「DAISYとEPUBが提案する出版の将来と最新のTSS(音声合成エンジン)」という講演会に参加した。

「わーく」は、画像放送とSNS環境環境の提供を行うが、私の未熟さからくるいくつもの技術的問題と人材確保が難しく、若年層の社会的弱者の緩やかなコミュニティ作りにオンライン環境を提供したかった。引きこもり青年も、成人障がい者もなかなかどこかで出会うことが難しい。そこに社会参加の橋渡しとなる携帯ネットワークが出来ないかとまさぐり続けてきた。

また、地域起業の仕事作りとして、これから進む電子出版の分野に職業開発していくために、もうひとつの準備を進めていた。携帯創作小説という道も否定はしないがその道ではなく、図書館・公共認可の書籍電子化作業の社会的企業化の道だった。アメリカの出版物はすべてDAISYという形式の電子出版物としておきかえ、保管されている。この電子図書が出版社の義務になっている。日本も点字図書館の保管様式は紙メディアの点字から、電子図書のDAISY形式に変わった。学校の教科書もDAISY形式の出版物を併行して国会図書館に納入することが始まっている。一般書籍の電子化、電子出版は大手出版社の市場になる。著作権やら流通ルートなどのところで競うのは新参者には無理。仕事の孫受けをもらうのがせいぜいだろう。しかもここは電子読み取り技術が入るので、デバッグとメディアのコーディネート(文字・画像・音声)の組み込みが仕事の種になり、納期も早い。だからまずは保護的環境の中で、図書館仕事の下請化の道を開こうと思っている。小説創作と逆に、出版物起こしが仕事になる。これが就労可能の受け皿を広げてくれる。そして図書館海援隊プロジェクトの意志は、ここにも交渉可能性を求めることができる。電子化の仕事のニーズは膨大なものになるので、障がい者参加も可能な職域が拡がる可能性がある。

この技術的な成熟の段階を紹介するのが、今回の企画だった。電子出版のメーカー側の技術開発の速さは、やっと一般人が参加できるところまで降りてきた。あとは指導者作りと、公共のニーズを社会的弱者の仕事に開く行政参加の仕事作り交渉が必要なのだが、足場を組む段階に入った感がある。それを全国・県・市町村どのレベルで、どう開始していくか。一介の地域活動家の動き方をまさぐっているのだ。

マイクロソフトや、アドビシステム、ジャストシステムなどから次々と開発ツールが提供されてきた。今回も各社のデモがあった。スキャナ読み取り文書をワードで修正して、アドオンソフトでDAISYに変換できるようになった。ここがひらけば、仕事になる。そのデモをしっかり見て来た。新しい職域の誕生はオーバーではない。ネット系の団体と国際支援関連の民間団体の参加もあった。

「わーく」第二の仕事は、この職域環境を整えること。仕事作りである。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本3君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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9/21&22 ひとり墓参と湘南あすなろ会定例会(火曜移動)

2010-09-24 11:42:57 | 引きこもり
2010/09/21 記
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連休、お彼岸初日。母方の墓参を頼まれる。父方と違って親戚は遠方。不便な場所に墓苑があることもあって、夏場しか会う機会はない。馬鹿だなと思いつつポメラと「発達障害の人の就活ノート」を抱えて出発した。目の調子が悪いので左目だけで読み書きすることになる。だから長時間は無理で、1時間ごとに目を休ませる。

うたた寝しつつ車内で読書。この書はマニュアル風に節ではっきり分かれているので、この手の状態でも何とか筋の程度は頭に入る。私の前の席の男性もiPad nano を聞きながら、眠気を伝染させたか舟を漕いでいた。予想外に車内はすいていて、降りてからのバスの方がひどい渋滞に難儀させられた。

母に携帯で連絡、なにやらリモコン操作されている気分。今夜は外食にしたいと言われて困った。硬いものはダメ。量の多いものはダメ。遠いところはダメ。まずいところはダメ。落着かないところはダメの、ダメ尽くしだからだ。

祖父の死を待つ在宅生活の枕元で父の宗教は偶像崇拝だからと、祖父母のひとりで写ってる写真と仏壇を焼いた。強制的に承諾を迫って承諾を得たと父と某信者のふたりが実行した。その父を介護しなければならない矛盾を抱えていた。ここの墓地はその混乱時、母方の菩提寺から無宗教の墓地へと移された場所で、住職からあなたたちは罰が当たるといわれていた。罰なら生まれたときから当たりどうしだからどうということはないが、意識的に遠方に押しやられたのには参っている。どのみち母を送ったら、私は無縁さんである。だから余計生の足跡にこだわる。圓朝だって牡丹灯篭で幽霊の足音をさせた。お足なしという古典は抑えても、足跡ぐらいいいだろう。

墓参りを済ませて、渋滞を大きく迂回して茅ヶ崎に戻ったら、南口駅前でホームレスの流れメンバーの宴会を目撃。++さんもいた。困ったなと思いつつ、今は話したくなかった。

@nifty の引き落とし日だと気付いたが、支払い用口座に入金しようとして祝日であることに気がついた。気が回らなくなっているときは、新しいことをしない。むしろ保守に徹する。

キャラバン隊懇談会中止の件をどうしようか悩んでいた。他の企画に差し替える気にならないのだ。サポセンを使えば会場確保は可能だが、年末まで公共施設が私が空いてる日程のすべてつまっているという状況がある。一方サポセンはオープン型スペースだから話し声が入り混じって落着かない。次の企画は12月まで無理という事情が有る。すべて解約すべきと思いつつ、未練が残っている。それを断ち切るためにも、現状を語って中止のお詫びはしてこようと言い聞かせ、敷居が高いがとりあえず入所事業所1ヶ所、お時間をいただいた。休日のため前の担当の方ではないので、話が伝わっていないので、経過から説明。伝達に誤解を生まないように謝罪してきた。

辻堂に出て、母を辻庵に呼び出して食事。みやじ豚の価値がわからないと私。浄めのワインを飲もうと母が言い出して驚いた。ひと口、付き合ったが、ハイカロリー食がいい母と、糖尿病治療食の私が、食欲では逆転。物足らなさを抱えて帰ってきた。

相模原から留守電あり。明日の巡回変更。


夜間傾聴:□□君(仮名)



2010/09/22 記
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@nifty の引き落とし日に、引き落とし用口座に入金しているしようもなさ。相模線で居眠りに徹しつつ、橋本経由でJR相模原へ。橋本3君(仮名)の件を済ませて、横浜に出る。

横浜と辻堂の巡回先に10/30中止の謝罪。遅い昼食をなか卵で済ませる。母の手術の件で、偶然午後までいらしたOTさんと母のクリニックで会う。家庭の持ち帰りメニューの件は全く想定していなかったようだが、その選択はありとのこと。父の老健に茅ヶ崎市の高齢福祉課から介護保険の判定員さんが行く件で、母のクリニックで母の相談中に確認電話が入った。24日合流である。気が滅入ってきた。

目の調子も悪いので、家で小休止。

18時半から湘南あすなろ会の定例会。SFCのビッグイシュー販売は順調。あすなろ会の基本カード作成提案を巡る誤解は、時間をかけないともつれるばかりだということで、秋の行政との懇談会は日送りしたほうがいいだろうということになった。平塚パトロールの日程確認。Oさんから9条の会の上映会チラシをいただく。米海兵隊隊員訓練のドキュメント。ベトナム戦争帰還兵がPTSDを抱えて就労できず、起業した話を思い出して話すが、残念、言葉をかぶされてしまった。構えなくてもいいのに。ありがたく当日の券をいただいた。

疲れが出ている。家に戻って仮眠。夜間傾聴は、緊急性の有るものを除いて、遠慮してもらった。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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9/20 「便利屋」と「野菜市」、自由と生存の家の新聞記事から

2010-09-24 06:45:38 | 引きこもり
2010/09/20 記
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朝起きたとき、古いフィルムを上映したときの細い傷がちらつくような視野にたじろいでしまった。今の私の存在している世界が、急に過去の生命を失った世界に貼り付けられたような死の世界、自己喪失の恐怖すら感じていた。やがて左目は生命不在の平板視から抜け出し、ゆっくり現実にもどっていくが、右目は普段見えている視野の部分、周辺部までちらついたままなのだ。ドライアイ目薬を注してしばらく眼を閉じていると両眼ともだいぶ復活するが、右目失明のタイマーが動き出しているようで、その現象が起きたとき、失明の覚悟を飲み込んでいる。

昨夜はキーボードの前で眠っていた。9/18の朝日生活欄に「仕事 ないなら作れ」という「フリーター全般労働組合」のメンバーが立ち上げた「自由と生存の家」(四谷)の就労支援活動が紹介されていた。記事に「野菜市」「便利屋」の起業の話が出ており、記事は就労困難者の自前の地域起業の可能性を探っていた。この記事は残念ながら有料DBからしか読めないが、自由と生存の家紹介の記事としては、就労企画ではなく団体による住宅紹介の話として読売新聞が取り上げていた。「若年貧困者に住まいを 労組が集合住宅借り上げ」がそれだ。

つい最近も、過激派出身という私の経歴が問題になったのか、湘南あすなろ会の活動が誤解される困った事態が起きた。拒絶された方は、現場二十年近い実践を現場で積み上げてきた方だった、レッテル貼りにときどき出会うので、その時はがっかりさせられることがある。

私は、特に労組がらみの活動には紹介を慎重にしてきた経過が有る。私は活動の内容から離れた空中戦ほど不毛なものはないと思う。不登校・引きこもり・軽度発達障碍と教育というホームグラウンドからの発想起点を私は持っているが、今の私の一番の地域の役割は、つなぎ屋だと思っている。ホームレス支援へと活動を拡げたのは、初め、実際の販売員++さんを支援するつもりだったこともあるが、それも「地域の生活・就労困難な方のセイフティネットと地域起業」というところからホームレス支援の領域に踏み込んでいる。

机上の空論をしっかり生み出し、それを地に結ぶのが私の仕事だと考えている。既存の活動の中にもすばらしい活動があり、それが隣り合わせでお互いを知らずに熱心な活動している。そこを横断的につなぐことで新たな活動を生み出していく、寄る辺の無い境界線の活動だと思っている。だから「○○労組」は「●●系」という固定した見方から、常にはみだしたいと願っている。様々な分野の情報の中でも、火中の栗のような分野だから、大事な内容の記事の中でも、まずは皆が納得でき、見通しの開けた課題を優先して提案している。厄介な課題を先に出してつまらない食わず嫌いに出会うのはもう沢山だからだ。

この新聞記事を読みながら、私はそこに紹介されている「便利屋」の紹介に違和感を感じていた。思いつく様々な仕事に取り組んでいる貪欲な姿勢はわかる。しかし取り組みに時代が無い。仕事創出という目的は、社会的企業とも言えなくはないが、活動が小さく当事者に利益が閉じている。

社会的企業は社会の公共的ニーズに応える市民活動ビジネスだ。戦略性と言おうか、時代を孕んだ公共性を担う、そこにこそ「協働」のプラットホームが生まれる。公共性がひとをつなぐ、サービスを求める側、提供する側双方からなる市場が拡がるのだ。実際当事者の仕事探し、仕事作りは内容の選択肢どころか、対象を見つけること自体厳しいという実感は有る。

しかし逆に言うと、ある事態を抱える者が社会に食い込む活動は、その事態を共にする者の拡がりの活動でしかない。サービスを受ける側は全く動かない。支流の無い川のようで、他の活動の参入が企画されていない。社会をどう動かすか、その力学が無いのだ。

私たちが作りたい便利屋は、様々な課題・領域から横断的に参加するひとの協働の芽として展開したい。そういう展望をそれぞれの領域の活動に込めたい。

記事に紹介された「野菜市」も面白い活動だ。市民活動の中には、エコの有機野菜の活動をしている団体がいくつかある。農園があり、流通や店舗販売活動をしている方もいる。その現場に就労支援活動から無償で人材を紹介していく。これを地域おこしと結び付けたなら、行政の支援、地元商店会の参加も可能だろう。これは緩やかなエコの時代ニーズに乗ることでもある。自前で市を立てるのは現実的な活動だろう。しかし皆が参加できる公共圏の活動に命をこめる活動があるのだ。活動が換骨奪胎されないような活動が戦略性を持った活動だ。この「野菜市」を主導するところに、生活・就労困難な人たちの社会的企業活動が根を貼れたらと思うのだ。大きな企画を作り生協や商店をも動かすような活動が出来たら、そこに就業の受け皿が拡がるだろう。(大阪のエルチャレンジのような公園プロジェクトと取り結べば、ホームレスの仕事つくりも活性化するだろう。)この大風呂敷企画は、単独で社会に突っ込む方法よりは大きな受け皿を生むだろうし、そこからまた新たな活動が生まれてくるだろう。その協働の芽を形作り、着手していく中間支援活動が必要。そう思うのだ。

優れた活動は完成図を描かない。活動がそこに至る筋書きに落とし込められるからだ。多様な活動が出会い、発火して流れを生み出していく、その参加の可能性と志向性を描いていく。スポーツの試合が勝敗の筋書きを描かないのと似ている。「野菜市」などはそのいい例だろう。小さな原資・人材から始めて様々な活動が取り結び拡大しうる。その過程は稲作のように将来の収穫を待つのではなく、その過程自身「市」として価値還元されていく。勿論市場にはキャパがある。しかし「市」は変容をやめないだろう。飛び火も生まれてくるだろう。しかし初めは、リンゴの一個の投擲かもしれない。そういう種のような活動がいる。

協働と共益の活動を動的に描く。そのことを念頭において障壁を超えていく。

就労支援は社会へのあてはめ活動ではない。IPSリカバリーの活動が萌芽的に捉えている、ひとが自分の希望にそって自分の道を進む情熱の治水でありながら、自由である活動が検討されるべきなのは、就労が営みであってゴールではないことを知っているからだ。

実はこの「便利屋」「野菜市」の記事は市長交渉のときに、地域起業の事例として、地域採用の就労支援活動の眼差しから、それを見直してみないかと提案しようと思っている。あの「労組」記事を出したから左翼だというような底の浅い発想に行政が流れないような魅力をどうこめるか、参加の自由さと変容可能性が漂う企画、そんなことを夜中に考えていた。

市民活動、当事者活動だからこそ始められることは何なのか、その鍵はキャッチボールなのだろうなと思っている。企業の収益活動に横取りされない価値の毒気をどう埋め込むか、そういう悪事も考えていた。私のやりたいことは、社会的困難者の自立支援であって収益可能性ではないからだ。

-------

母の点滴口作りの手術をする前に、リハのメニューをたてて実行しようと母に勧めている。一日30分の歩行とするなら、買い物をしようと言っている。何時と決めず一日一回、必ずやるとしようとも言っている。連れ添うからと説得している。地元主治医のリハはOTさんらしいがPT的視点の提案も可能だろう。自主メニューを組んでもらおうと母に言っている。勿論応答は濁っている。今月中にクリニックと話をして選択することに。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     ******君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)
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9/19 父のいなくなった家族の関係補正か/関心空間の拡張とまなび

2010-09-23 10:13:57 | 引きこもり
2010/09/19 記
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「わーく」の画像放送用のテスト機に画像を送る。大森海岸君(仮名)が指摘していたように、画像のサイズに関係なく画面いっぱいに画像が映る機能は、初期設定が必要なものがある、標準の画像サイズを決めておかないと、はみ出てしまう。要注意。

巡回前に母の買い物に本人を連れ出す算段。短い抵抗の後、母は外出に承諾。父が母の買い物に連れ添ったことは、私の記憶にはない。しかし、母の妙な要求は、父が入所してからのことだ。家族構成が変わり、私の利用可能域を打診しているのだと気付いたが、このゲームは代償が高い。連れ回せるうちが花と自分を納得させているが、これが続くと私の活動再建に影響が出る。

螺鈿の財布を弄り回して、鎌倉彫の盆をいじっていた。趣味性が高くて残るものは避けたほうがいいのではと私が言うと、私らは先行きが短いから、途中でダメになるものは嫌な思いが残るのだと母が応答した。なるほどと思ったが、他の方と重なるものは、負担になるのではないのと言い返した。

こんな問答を続けながら、実家のお子さん夫婦の面倒になるという生活の転換があるなら、プライバシーを守ることが必要になるだろうと、気の利いたサイズのかさばらない小物入れを選んだ。男の場合は書類や本が出てくるが、女の場合は小物が多いと母がいう。

考えてみると母と食材以外の買い物をしたのは何年ぶりだろう。父の介護は時間の勝負だった。父をショートステイなどに送り出したときだけが、母と出かけられる機会だった。母の友人親子さんが手助けしてくれたこともあったが、これはそう何回もお願いするわけにいかない。しかし、食材を買うときと違い時間が長いので、あっという間に巡回に出かける時間になってしまう。

母は路線バスに乗せればまず大丈夫。一見足の運びも順当に見えるので、連れそう必要がないように見える。私たちは見慣れた場は、視野が欠けても、体験記憶に頼って案外スムーズに動けるが、実際はその補正しながら行動している。特に人や車の往来など、交渉に依存するものは、記憶に頼るわけに行かないので、柔軟な行動調整が求められる。身体などに困難があり不安定になると関心が安定の保持に回って、周囲と交渉が浅くなってしまい、ミスマッチングを起こす。現在の母は、特にボトックス治療後遺症によって強調されてしまった「めまい」があり、筋肉の衰えを伴う臨機応変な反射行動の危うさがある。積荷の多い車のようなキャパのなさが潜んでいる。

時間にゆとりを取ったはずだが、時間はたちまち過ぎ去ってしまう。藤沢駅はエレベータ以外下りは階段の設備の悪い駅なので、エレベータを使ったあと、次の駅の上りのエレベータの場所が近い辻堂駅の方が有利となる。私の巡回先が相模大野なので、藤沢に戻らねばならなかったが、とにかく母をバスに乗せ、見送った。

藤沢に戻って小田急に乗ったが、早速母から電話がかかってきた。商品の送り控の伝票がないという。母のトートバッグの中の封筒の中だと応答して解決したが、この瞬時の戸惑いも衰えの特徴。以前は鍵がないと大騒ぎになった。それは紐が切れたために鈴をはずして、自分のポケットに入れていたのだった。女性はポケットの利用率が低い。だから男には信じられないことがおきる。

私の右眼を失明したら、私も注意力が一層落ちるだろう。どうしたものかと考えているうちに相模大野に着いてしまった。

ある県央の進学校の講師をしていたとき、夏期講習明けの企画で、連れ添ってピューロランドに出かけたことがあった。ぬいぐるみの大きな顔に抱きつかれて気持ち悪かったが、生徒達と話すことができた。このとき面白いことに気がついた。この場所はその前に、ある補習塾の学力回復クラスの子達も来ていた場所だった。進学塾の方の子たちは、ここに来るまでの過程で周囲でおきたことや、入場するときのぬいぐるみの中身と、今出会っている同じキャラのぬいぐるみの中の人物が別人であることなど、結構観察が話題に出てくるのに対し、塾の学力回復クラスの子たちは、同行した子たちの発言や今起きている状態にどう対応するか(ぬいぐるみの誘いに乗って、一緒に写真を撮るかなど)という具合に流れに乗っていくだけだった。どこに出かけ言っても、風景は刺身のツマで対面している仲間のおしゃべりの世界から出ないので、旅の印象がない、まさにそれだった。

私たち教員が授業をするとき、その題材にいかに関心を引き起こさせるか、内発的な意欲と結び付けていくかは、常に念頭においていることだ。知の世界は拡がりだが、注意すべきことは、これは選択肢、自由度の問題であって、優劣の問題ではないということだ。

今回の子は、転導性の高いADHD傾向のある子で、関心は周囲に拡散している。関心と無関心の差が激しく、やはり選択肢の狭さを感じる。前回のノートを持ってこさせることひとつに労力を要する。ふたつの対応をしている。ひとつは学校用とバッグを兼用せず、予備校専用のバッグを使うこと。ふたつめは、彼が出かける前にメールをいれること。安定した世界の拡がりをつくることが課題となる。自閉症傾向の方では逆に持ち物にこだわる子もいて、注意力散漫を共通項とすることは出来ない。

巡回の帰り道、北里東病院の閉じる間際の窓口で、母がわすれた眼鏡を受け取ってきた。母の通院する病院が私の勤務圏域というありがたい偶然は、こういうときに有利だが、通院は母に寄り添うので、現地合流が出来ない難があるので、逆に不合理を感じることにもなる。

会議を終えて、藤沢に戻りジュンク堂書店に書籍を取りに行き、藤沢市民活動センターで用件を済ませて、ダイエー地下で食材の買い足し。三富士町バス停から茅ヶ崎駅行終バスに乗って帰宅。

シルバスタインの翻訳絵本が出ていた。「The Giving Tree」だが、母性をめぐって議論の多かった書だ。金欠なので手を出せなかった。村上春樹訳。

さわらのサルサ。遅い夕食に文句を言いつつ、母も食事。1時から夜間傾聴待機が始まる。

明日から、リカバリーキャラバン隊の企画中止謝罪の巡回を始める。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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9/18 母の栄養補給点滴口挿入手術の医療相談/26日の市長面談と鶴嶺高野宿者懇談

2010-09-22 04:50:55 | 引きこもり
2010/09/18 記
-------------

母の頼みで母の友人が遠方の実家の孫夫婦のところに転居するので、餞別を選んで欲しいと言われて困った。高齢の女性に贈る趣味性の高い品。そんなものを私が選べるはずがない。第一、その手の売り場で、場違いな親父がひとり、うろうろしていれば、必ず店員に捕まってお節介焼かれてしまう。そのときに、勧められた商品を断固拒否できる自信がない。ここにも私のアキレスの踵があったのかと、タコ並みの足の裏を思い浮かべる。

巡回が藤沢経由だから、巡回前に小田急百貨店あたりで買ってくれといわれた。予算が○万円なので、失敗したら死ぬまで文句の種になる。母はめまいと足のぐらつきを訴え、出かけるのはいやだと言い出していた。

間もなくお彼岸の連休である。商品も増えるだろう。墓参に必ず行くからとハエではないが手すり、足すり、買い物に母の同行を拝みこんだ。今回母方の墓参は私ひとりだ。墓の前でアラーアクバルと言ってやろうかと思いつつ、罰だけは必ず当たるという経験則を思い出した。ともあれ母の難題は何とか納まった。

父の介護の後、母の介助がこれほどの早くやってくるとは思わなかった。足元とめまいが安定すれば、とりあえず離れられる。めまいはボトックス療法の後遺症が大きく響いていた。持っていた食器を取り落とすほど、急に間の周りの筋肉の硬縮と疼痛が起こる。頻繁ではないが、一日何度も顔を歪めている。もう3ヶ月は経っている。影響が治まるころのはずなのだが、回数が減っただけだ。四肢の異常も減ったが、急な状態変化に対応が出来ない。つまずいたら倒れてしまう。

巡回前、午後一番で母の地元医受診に連れ出し、医者と話をした。胃切除者は、食べられなくなるだけでなく、ダンピング(逆流)も起こす。だから体力が落ちて、様々な症状が出てくる。右足の付け根からカテーテルを入れて、心臓脇に内側から点滴をつなぐ場所をつくれば、週1~2回栄養価の高い輸液を点滴して体力を回復させる手がある。手術したらどうかと勧められた。夜間訪問看護を受けて、点滴を夜にセットして朝はずすようにすれば、5時間近くかかる点滴も、生活を壊さずに済むだろうと勧められた。

現に大工さんで、その手術を受けても仕事をしている人もいるし、今まで感染症を起こした人は、自分の担当した今までの患者さんには、ひとりもいないというのだった。

私はあれほど強引に勧められたボトックス手術が、全く効果なくひどい副作用を起こしたばかりなので、慎重になっていた。高齢者は、ひとつ砦の体調が悪くなると、坂を転がるように調子を崩してしまう。大きな影響を与えるような療法は、タイミングを見定めなくてはならないと思っている。

私はメンタルな面の大きさに気付いている。母は眼の痛みが治まっているとき、母が自分から外出することを知っている。しかも足取りはゆっくりではあるが、数kmは歩いてきてしまうのだった。食欲がますますなくなり、足取りが浮ついてきてからでも血液への栄養補充点滴の手術は遅くないと考えている。まずは、PTさんに、自宅トレーニング(と言っても足の屈伸程度だが)メニューを組んでもらい、さらに近所を歩くこと。栄養指導を私が同伴の上で受けて、胃切除した方の予後回復事例を引き出して実施すること。母は華道の師範なのでお弟子さんを取ることで地元の人間関係を作っていくという生活転換を考えているのだと伝えた。

母は交通事故で両手の手首を骨折している。書道の復活は無理でも、華道の方は何とかなるのではないかというと、鋏が使えないという。これはツールの問題。場を考えず切るだけなら、電動鋏が有る。支点比の違う鋏は、合羽橋で注文の店が有る。

しばらく医師は無言で私の話を聞いていた。もしこの道を進むなら、母の援助は不可欠だ。付きっ切りとはいかなくても、初動支援は必要だろう。散歩は任せても、帰宅受け入れは確実にしなくてはならない。

医師は、たしかにまだ気力と体力があるから、様子を見ながら手術のタイミングを計ってもいいという。

こうして私の在宅作業時間はいっそう狭められることになった。ジョブコーチなみにフェイドアウトできるだろうか。

------

巡回は橋本というか南大沢のみ。橋本3君である。

帰りは横浜に出て書籍交換。26日の市長面談の障がい者の就労支援に使う資料をスキャンしてプロジェクタにかけられるようにした。業者に頼んだが仕上がりはさすがにきれいだ。今回は横断的な複合機能セイフティネットとその見通しの話をする。消費領域への起業を組織的に起こしていく事例を挙げていく。複数の担当課職員とともに、見学を組織したい旨を伝えていく。行き先は横浜だ。ここには協業の関係で、障がい者領域の面談ではあるが、野宿者の仕事作りも言及する。時間にゆとりがあるので、ポイントを練っている。

県立鶴嶺高校のボランティア塾に再度、野宿者懇談企画を実現することが可能になりそうだ。11/9&16のいずれか1日になりそう。企画思案中。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     □□君(仮名)

<入手書籍>
●「精神障害者の働きたいをかなえる」
●「NPOと社会的企業の経営学 新たな公共デザインと社会創造」
●「13歳の進路」

なお、残念なことになってしまったIPSリカバリーのキャラバン隊の中原・飯野さんの共著がまもなく発売になります。これもご紹介。

●「働くこととリカバリー―IPSハンドブック」


〈校正1回目済み)

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9/17 父の老健を訪ねて 生活が見えなくなっていく/兄がお世話になりました…から

2010-09-21 12:12:47 | 引きこもり
2010/09/17 記
--------------
平塚市立図書館に書籍交換に行って、父の老健にまわる。今回は時間の余裕がない。今回も父の様子が不可解な元気さを感じさせるが、それが逆に不安に感じる。父は昼間、フロア中央の食事をするテーブルの椅子に座ってTVを観ている。その位置はTVの近くで、父は新聞を独占している。父のいるフロアは認知症フロアで、その新聞を他の方が読むような雰囲気ではない。父はその新聞を押しのけたり、たたみ直したりしているが、内容に関心を持って読んでいるようには見えない。

私が着くと満面の笑みとなり、職員の方が歩行訓練をしているのだと、そばで語りつつ車椅子を持ってくる。父は指示に従い、笑みを絶やさずテーブルにつかまってしっかり立ち上がる。これは家のベッド生活では危うかったところだ。しかし姿勢がちょっと崩れると危うくなり、職員の方が飛び込んで車椅子に移したが、父は落下するように尻餅状態で座った。しかし次の瞬間、笑みが復活する。一生懸命笑みを作っている感じなのだ。

エレベータのロックを解除してもらい、車椅子を一階ロビーに移動し、父の近況を聞きだしながら海鮮太巻き寿司を食べさせる。巻き寿司にしたのは、父は片手が麻痺しているのでにぎり寿司だとこぼしやすいからだ。父は勢いよく食べながら、質問に答えた。昼食のメニューを聞くが、「全部食べた」と父は応答する。父は「出されたものは残さず食べなければいけない」と、きつく仕付けられた。もう一度質問しても、父の口から昼食の内容は、ついに出てこなかった。

気付いたのは、応答の快活さと裏腹に、身体が脱力して椅子にはまり込む感じが強まっていることだ。父の背後に窓が有り、その先に中庭が広がっているので、窓を指差しながら、「この前はあそこの席でビールを飲んだねえ」と私が少し父を試した。車椅子は後を向くことが難しい。首を向けようとして戸惑うか、立ち上がろうとするか実はそれを試していた。父は関心を示す風もなく、「中庭は散歩するところだ」という。前回、一緒に食事をしビールを飲んだことを私が語ると、父は「ビールは美味しい」と答える。納涼祭の出来事自身を忘れている。「また中庭でビールを飲もうねえ」と語りかけると、大きくうなづいた。我が家の近況はついに話せなかった。

部屋にもどり、父を車椅子からテーブルと組んだ椅子に、職員さんの手を借りて移動させて、私が、「又来るから」というと、父は「無理して来なくていい」という。私が席を離れると、父は力なく前方のしきり柵をぼんやりみている様子。すでに私に関心はない。フロア責任者に父の近況を立ち話で聞いたが、夜中の徘徊が止まったこと、職員とする個人別のゲームは楽しんでいること。健康上の心配はないことを語ってくれた。前々回の私をみると手を振った父の快挙を説明すると、「何かをして欲しいという請求は、してくれますよ」という。しかし私は、父の沈み込んだ身体が気になっていた。営業スマイルは、在宅時は客にしか見せなかったものだ。家族には体調のいいときは怒りを、悪いときは無関心を示し続けていた。だから、私への営業スマイルの奥に虚無があるか、鮮明に家族が思い出せないのか、いずれにせよ、そこに抑圧的なものを感じるのだ。

時間に追われて時間予約していたタクシーに乗って、愛甲石田に出た。ここから相模大野はすぐだ。

相談を一件済ませて、代行授業。と言っても3人抱えた個人授業のようなもの。この子たちは、もうすぐクラス分けされていく。中途の新入生たちだ。得手不得手を教科から調べていく検査中心の授業。家庭生活や学校生活の様子を聴くことはしない。

レポートを書いて、次の授業予定を伝えて終わるが、そのうちのひとりが「兄がお世話になりました」と言う。平凡な名前だったので気にならなかったのか、その女子中学生の顔から、兄とはだれかが言われてすぐにわかった。こういう挨拶をしてくれる子は少なくなった。この子の兄貴は高校を一年留年しただけで済み、専門学校に通っているという。こういう情報は嬉しい。「宜しく伝えてください」と応答するが、次の巡回に移動中、この兄貴の学習環境が一向に思い浮かばないのに焦りを感じた。

理由がわかった。彼は学校の教科担任と対立して休学したが、成績には不安がなかった。高校卒業認定試験を受けて大学進学を目指して高望みして失敗。浪人せず専門学校の道を選んでいた。「家には来ないでくれ」と本人が希望を出していた。それは兄弟が問題を起こしているからと言っていた。今から考えると、その兄弟が妹さんだったのだ。気付かずにいた出来事の突然つながったリアルさに、身が引き締まる思いがした。

次の巡回は東林間だった。ここは昔、ある塾の時間講師をしていたところだ。今その塾は教室閉鎖している。大和の方に移動したと噂を聞くが、名前を変えたらしく電話帳検索にかからない。

ここは強烈な体験をしたところだ。仕付ける方針の塾内の穏健派は、生徒から敵として矢面に立たされる。塾長との対立の最中、子どもが自傷事件を起こした。その子が退塾し、その事件の責任を取って辞表を出した苦い思い出があるところだった。

私は自分の塾を閉じて他の塾や予備校を転々とした。祖父母の介護に自営収入の限界を感じていたときに、自分の塾でも問題が起きていたからだった。生徒間の性の問題だった。私には見えていなかった。

その後、ある進学塾兼予備校と、収入補助に、この塾に通い時間講師をしていた。車で通勤していたので遠方とはいえ出来る組み合わせだった。祖父が末期の肺ガンで家に戻されていたので、夜間の介護は夜間傾聴をしている私の役目だった。出勤は9時だったので、週五日は睡眠時間が帰宅後の仮眠を入れなければ4時間を切っていた。残りの一日に時間講師を東林間で行っていた。

だからここを通ると、その息苦しい記憶が蘇る。今回の青年も東林間には対面指導に適した喫茶がないので、家庭訪問している。右目が霞むので延長せず、時間内で切り上げて東林間に戻り、中央林間で急行に乗り換えて藤沢に出た。遅い時間の買い物は難しい。ダイエーも閉まっており、食事を済ませて隣のコンビニで買い物。母にケーキを買い込み辻堂へ。01系統の終バスを延々と辻堂駅前ターミナルで待たされて帰宅した。

今回は自宅の仮眠時間がとれぬまま、夜間傾聴に入った。待機しながらメールの応答を書いていると、すぐに時間が過ぎてしまう。考えてみると、父の介護の手が離れたが、若松町のゆめたい店の一角にもしも事務所を借りられたとしても、「わーく」の今後の活動拡張(授業企画作り・当事者懇談会企画・紙メディア発刊・画像放送テスト放送開始)と「湘南あすなろ会」活動拡張(BI販売2人体制作り・パトロール参加恒常化)等の生活困難者の就労支援活動以外に、地域交流のゆめたいの諸活動にまで手を広げる私のキャパがあったか疑問だということに改めて気がついた。活動内容が、たい焼き屋さんの接点があるが、現行の場から就労支援活動の起点にしていくことは無理と思われた。

うとうとしているとワンぎり電話。1時だった。睡眠中は電話をはずしているし、夜間は起きているので、いたずらの意味はない。ご近所さんが夜中うるさいという意味を込めて、電話直後、窓が大きな音をたてて閉まることもある。今回もそれだった。

今夜はメールにマイクロファイナンスの話を書いていた。ムハマド・ユヌスの話ではなく、ジャック・アタリ氏来日のときの講演資料集の話だった。日本の展開は途上国支援に留まるだろうかという話を加えて書いた。だれもがマイクロファイナンスというと消費者金融かと聞く。生活困窮者の就労支援の話だと言っても通じない。社会構造の差もあるが、社会活動としての就労支援は育っていない。だから話が通じないという面も大きい。

夜間傾聴は、今回からぶり。連休の影響かなとも。


夜間傾聴:なし


〔校正2回目済み)

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9/16 IPSリカバリーの皆さんと会うことが出来なくなりました/巡回の奇妙な出来事から

2010-09-20 13:58:31 | 引きこもり
2010/09/16 記
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以前のメールから予想されてはいたことだが、企画中止となった当事者懇談は、当人の意思決定という、今後の企画を開くときの大切な柱となる内容が込められていた。それだけに、無念さが募る。

しかし、当事者さんの自発性を尊重するIPSの活動は、本物だと思う。サポータさんたちとの関係が違う。ご意見の内容ではなく構えのこと。たっぷり現場の様子を頂戴しました。感謝します。

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昨夜の雇用部会で、茅ヶ崎養護の**先生とお会いしたので、「携帯電話副次機能活用による就労スキルアップ」授業企画骨子を見ていただこうと思っていたが、会の終了後には先に会場を出られたようで、空振りに終わった。来週学校にお邪魔する予定なので、うまく出会えればと思う。

廃棄携帯電話の応用として、特別支援校職業実習教具にという線は、以前と比べて個人情報漏洩防止証明・レアメタル回収の件で、それほど容易ではないことがわかってきている。個人情報については、公共機関限定の提供とか、生徒さんの家庭・携帯販売関係者の個人用廃棄携帯を集めるなど同意が取れるところからの回収を活動として作っていくことが必要になる。業者さんとのレアメタル回収契約はお任せする以外にないが、携帯入手は不可能ではない。

今回はそうした周辺活動が授業実現とどう結びついて必要となってくるかを盛り込んだものにしてあった。出会いは予定していたものではなかったので草稿のままだったが、見ていただけたらと思っていた。修正版を学校に持ち込みたいと思っている。

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ある引きこもり青年の親御さんから電話が入っていた。何回か交流があったのだが、今回初めて本人が電話に出てくれた。ありがとう。

地域の様々な支援がある。私もその支援の糸口を紹介してきたが、彼の場合、彼の意向を丸ごとサポートしてくれる活動はない。出会ってみて試していくことになるが、私はその場の緩衝材となってくれる方の仲介を重視している。そこからはみ出てしまう語りは、私を利用してもらえばいいと思う。しかし私は職場の仲介者の背後に控える。今私が夜間傾聴で交流している方たちは、進学希望の方を除いて、職場仲介者さんと私が話すときに、就労と生活サポートの区分けのようなイメージで協力関係を結んでいる。勿論、本人の了解の上だ。

その関わりを認めてくれる一歩になればいいがと思う。基本24時間対応だから、苦しいときなどにご利用あれ。

彼は専門職を志す、同様の悩みを抱える方とで会った方がいいのかなとも思う。その世界への思いが共有されることが、意味を持ってくるような記がしている。あなたの困難でつながるのではなく、希望でつながる出会いは、いまの活動の範囲では難しいのが現実。いくつかのサポートを知っているので、こうした活動も湘南に紹介していく必要があるのかなと思いつつ、時間をもらえればなあと思う。正直言って今は私の切換えがつかないのだ。

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網膜色素変性症の主治医変更を本格的に準備している。この病気には治療法がなく、進行を抑えていく薬でしのいでいくだけだ。だからレスキュラというプロスタグランジン系の眼圧抑制剤とチョコラAというビタミンA剤で、網膜周辺の視神経の血流をよくするする薬を飲み続けていく。ところがじわじわと右目の視野が悪くなってきているが、3・4ヶ月に一度しか主治医に会うことが出来ない。その治療も事前の検査結果を背後でメモを取っている助手に専門用語を羅列して問診しないことが続いていた。母がめまいで受診した横浜の大学附属病院では、「眼瞼けいれん」と診断した医師が、私の主治医の所属する学会の同じ理事だったという偶然もあったが、母のボトックス治療の後遺症を見てもらえるかとその医師の名前を出したところ、腹を抱えて笑い出したということがあって、なおさらにこの人物が信用できなくなっていた。問診を曖昧にして専門用語で権威立てするのは、私には効果がないが、この失礼な爆笑は背景がみえてしまって不快だった。

網膜色素変性症はその名前を語るだけで、地元医は大学附属病院通いを勧める。それではと調べてみると選択肢が少ないのが現状だ。眼科窓口に専門外来の混雑の状態を聞くが決してどのくらいと答えてくれない。そこで私の知り合いの通院している方とその方の知り合いの別病院通院の方にお願いして、眼科の混み具合を聞いてもらった。結果数ヶ月待ちというのは、現在の医師とかわらなかった。

そこで附属病院眼科外来のHPから、担当医の情報から、開業医が大学病院に特定の曜日に出て診療している例を集め、その開業先に連絡を取った。その複数例の中から、ある開業医にお願いしてみることになった。待ちの期間がやはり数ヶ月に一度だが、網膜色素変性症関連の検査機器があり、その開業医予約の間に、網膜色素変性症について対応できる他の医師を抱えているので、その方の出張している大学附属病院ではなく個人医院の方に通院するほうが賢明と判断した。いい人物であることを期待している。

今朝も起きたての私の両眼は、ひどい近視のようにぼんやりと霞がかかっていた。涙液洗浄の上、間を置いてドライアイ目薬を差して、左目は復活した。右目はそれでも視界が半透明ポリ袋が入ったような視野をしており、しばらく眼をとじた。

専門医の診察は11月上旬。間の期間に前の主治医のクリニックに薬をもらいに行く。今月末まで我慢かなと思いつつ、眼のかすみに不安を抱いている。

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私の勤務先の会議無断欠席の件は、無罪放免されていたが、昼に本校に出向いて気持ちのいざこざの整理をした。決定的だったのは、契約講師や外勤講師は参加の必要なしという指示だった。この手の話は、確実にメールで行おうと約束した。また勤務用のホワイトボードには、複数個所の書き込みをして間違って消されないような対策を打つと宣言してきた。昔のような帳簿書き込みの方が間違いが少ないが一覧性に欠けるので、二重は事務職の負担ということもあって、書き込み方を変えるとした。

復活後8年近くになる。それ以前からの仕事も入れたら10年は越す。信用してくださいよといいたかったが、まわりを眺めてみて、私の直属の上司をのぞいて勤務歴が私よりも少ない方ばかり。通じないと口ごもった。

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相模大野から町田まわりで橋本に出た。ラーメンを食べているとき、これから会うはずの橋本2君に出会ってしまった。私が食べているときに彼が入ってきた。しかし、「まだ会う時間ではありません。」と腕時計を見せてくれた。時間がまだなのに、あなたがいることがおかしいという論。一本やられてしまった。

私が先という論は彼に通じない。「会うのはここではなく○○です。今は準備中です。1時間42分後の17時に会いましょう」と応答して了解を得た。一般には不思議な会話だろうなあと思いつつ、スープに未練があったが店を出た。

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橋本2君の後は、海老名。電話連絡があり、自宅訪問に切り替えて欲しいとの要請で、一駅移動後バスに乗る。海老名で買った袋詰めのバジルの葉が香り、気になる様子。すぐに冷凍してパスタに使うのだと話したのがいけなかった。ずっと調理の話ばかりに話題が流れて、時間になってしまった。彼はいきいきとしている。親御さんは怪訝な顔をしている。これ、有料なのの顔。回り道なのですといつつ、冷や汗をかいていた。

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相模線は一本乗り遅れるとしばらくは次が来ない。海老名は他の私鉄と駅が離れているし、相模線側には店がない。以前、炎天下の入谷駅の凄まじさを味わったが無人駅、屋根もなく日陰もない。周辺は畑と農道だけで歩道橋の影に入っていたことを思えば楽なものだが、結局は駅のベンチでiPhone片手に過ごすことが多い。

茅ヶ崎の駅前の深夜の買い物は案外不便だしバスの本数がないので、バスの時間に合わせてしまう。すると結局買い物が出来ないことが多いので、海老名で買い物をしておく。まさか買い物袋を提げて訪問というわけにもいかないからコインロッカーを使ったり、ショルダーに入るものは、ショルダーに入れてから訪問する。今回のバジルの葉のように香ってしまうハプニングも起きる。

律儀な彼から、冷製パスタのレシピのURLがいくつも引用されたメールが届いていた。海老名駅まで30分もたっていない。iPhoneのアドレス教えて、まずかったかなと思いつつ、相模線の来る間、彼のお勧めパスタのレシピを眺めていた。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)
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★ 10/30 当事者懇談「IPSリカバリー/リカバリーキャラバン隊の皆さんと懇談」中止のお詫び ★

2010-09-20 09:13:06 | 引きこもり
2010/09/16 記
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残念なお知らせをしなくてはなりません。

10/30 に企画していた当事者懇談会企画IPSリカバリー活動紹介の、リカバリーキャラバン隊の企画は中止となりました。

私のブログに、過去のキャラバン隊の発表感想があり、そこに当事者さんの発表が実名でマイナス感想を書いてることが問題になり、当事者さんを傷つけたということが直因です。

当事者さんへの実名公開は確かに行きすぎです。会のご指摘の日、ご指摘のブログ記事の修正削除を行いました。キャラバン隊の皆様の様々な感想をサポーターの方のメール経由で受け取りました。

当事者さんのご指摘の中には誤解感想もありますが、当事者さんの実名公開マイナス批評は誤りであり、そのことによってご本人が傷ついたということも重く受け止めます。

私は当事者の会の名前を持って、皆さんをご招待できませんでしたが、引きこもり青年、地元で働く知的障がいの青年を支援者とともに紹介できたら、実の多い企画になるという思いは変わりません。残念です。

私の過ちで意味の大きな企画が消えてしまった件、湘南の皆様にお詫びいたします。

以下は、リカバリーキャラバン隊の方々からのメッセージです。


> 茅ヶ崎の皆様へ
> こんにちは、リカバリーキャラバン隊です。
> 10月に伺うという機会をいただきましたが、依頼元とのやり取りから判断し、
> 残念ですが、辞退させていただくこととなりました。
> 必ず伺える機会が来ることを期待しています。
>

飛田
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9/15 神奈川県「精神障害者の雇用をめざして」&障害者雇用部会に参加して

2010-09-19 16:03:58 | 引きこもり
2010/09/15 記
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母の友人親子は11時に我が家に現れた。10時だと昼夜逆転の私に悪いだろうという御配慮だったが、この方たちは高齢者介護には慣れていなかった。このまま老健に行けば、先方の昼食時間に重なってしまう。しかし私は石川町のLプラザ13時半の認証式に出るつもりでいた。いつも10時なのでなんとかなるだろうと思っていた予測がはずれてしまった。

母は胃の具合で夕食を重くすることが出来ない。だから昼食をしっかり摂らせる。昼食の支度をしながら、母に合いの手を入れて応対していた。だから母の体調を理由に同行をやめる話には出来なかったし、母が行きたくないと言っているからともいえなかった。急遽昼食を4人分整えてと言ってもカレーだが、昼食時の老健訪問は避けなくていけないと説明。ところが母は午後、北里東病院の予約が入っていると嘘をついた。こうして申し訳ないが父の老健は14時ごろか、改めて日を変えてということにしてほしいとお願いした。ならば日を変えてということで許してもらったが、それは長いおしゃべりに中身が転換すること。気が気ではないバスの時間。間に合わず、認証式は5分遅刻で会場に飛び込んだ。

-----今回、認証された企業は以下の通り。

日本理化学工業 株式会社 湘南環浄サービス 株式会社
有限会社 伊藤苑 社会福祉法人 誠幸会
社会福祉法人 進和学園 医療法人社団 杏月会
株式会社 旭商会 株式会社 元気もりもり山森農園
株式会社 大協製作所 社会福祉法人 光友会
龍屋物産 株式会社 光文図書 株式会社
サクラ電線工業 株式会社 ニッパ 株式会社

日本理化学工業はダストレスチョークの製造元。大山会長の職業観で有名であり、見学も順待ち状態ときく。湘南でもおそらくはあちこちで見学を組んだだろうけれど、「わーく」でも見学を考えている。

お世話になった進和学園さんも、見学を組んでみたい。幅広い受け皿の様子、拝見したいのだが、地元で行きたいという方をどこで集めるかが問題。

湘南環浄サービスさんは、HL支援とも重なってくるところがあるので、是非拝見しておきたいところだ。これも今後の課題。

第二部の松為講演「精神障害者の雇用をめぐって」は、概括解説の形をとるので、学会の講演と重なる部分が多かったが、レジュメ資料が他の話を書くときの参考になった。新味は無し。ただいつも後半の同じところが時間切れ省略されるので、この後半に時間を割いた講演が聴きたいと思うのだ。

第三部に入るところで、携帯が震えた。休憩に入るところだったので、会場の外で電話を受けた。昨日の運営会議無断欠席の件だった。私の直接の上司が私の出席は議題から、関係ないと判断しその旨を伝えたと言ってくれた。ホワイトボードの欠勤サインを見たという講師も現れた。結果,無罪放免になったのだが、ひとの気持ちはそれでも済まない。明日、出勤するからと伝え電話を切った。同じ職場で顔を突き合わしているというのと違い、外勤の巡回講師は内部の様子とつながっていない分、自分の身を自分で守らないと危ないし、巡回の成果が紛れてしまう。また電話が入ってくる可能性があったが、中途半端にならぬように電源を切った。

第三部は光文図書(株)の事例発表だった。光文図書は様々な製本作業のラインを昇華してくれた。機械化が進んでいるので熟練は相互関係と効率化が中級編なのかなと見ていて思った。ひとの間隔がまばらなので、初めての者が作業に入るにはジョブコーチが必要かなと思いつつ、熟練者に聞く、熟練者が教えるという部分がどのように保証されているのかが気になった。もうひとつは、非常時対応。おしっことか目に汗が入ったとかいう場合、どうするのだろう。自閉症の方など、ちょっと怖い。つまり概括的な説明だったのだろう。資料がさすがに印刷業なのでカラー刷りで勿体無い感じ。

場所が大和なので、見学を組みやすい所なのだが、テーマをたてて観に行かないと、観光旅行に組み込まれた工場見学のようになってしまいそうだ。

------

会が終わって、夜の雇用部会まで2時間ほどあった。この間を使って寿連絡会の生活館を訪ねた。残念ながら知人は皆お留守。ビッグイシュー販売員の二人目候補を求めてきたのだが、無念。帰りに「さなぎ達」さんに立ち寄ったが、こちらもシャッターが閉まってしまった。先に寄ればよかったのだ。

お好み焼きコロンブスさんに、11月すぎの企画を頼むのには時間の余裕がなかったので、その足で新杉田まで移動。食事を済ませて、18時半から電機神奈川の雇用部会に参加した。

ここは障害者雇用の関係者と、企業の接点。今回は藤沢養護の##先生、茅ヶ崎養護の%%先生と会ったが、前段の県主催の認証式に取られたか人数が100人弱。今回の話の中心が、特別支援校の教育実習の評価と、それを就労に結びつけるにはといういわば手帳のある方の企業就労シンポ。だから教員が多いのだなと思いつつ、会場を眺める。白髪が多い。私が目立たない。つまらないことだが担当者の年齢の高さが気になる。

就労のモチベーションを育てていく教育実習の話を聴きながら、企業側が法定雇用率達成を超えて、障がい者就労のメリットを語る企業が増えてきているのは、好ましい。一般就労の世界では、大卒の内定時期の早期化に中小企業が苦しんでいたり、高卒者の求人が冷え切っている状況で、障がい者雇用の試みが膨らんでいるのは、法的な保護環境が支えになっているのかとも考えてみたり、その職種がニッチ的な部門だったり、景気の動向に直結していないところが多いせいかとも考えたりする。しかしここではやはり地域起業の筋は弱い。喫茶・パン屋開業と就労のような例が多い。

最後の講演の県立岩戸養護学校の状況報告が、特別支援校高等部の現状を如実に表しているように思い興味深かった。個々は横須賀市のYPR野比からバスで10分、徒歩10分の僻地にある。岩戸高校の跡地に新設された学校だ。地元の武山養護、武山養護分校の人員パンク状態の対策として新設された学校だ。

現在は自閉症スペクトラム、ADHD、アスペを含む方が通学している。昔はこの子たちは普通校に通学していた。「気にかかる子」を旧養護学校が引き受け始めている。ところがこの子たちは、社会的挫折を味わっていることが多く、発達障がいの指導に加えた新規の指導が必要になっている。

知的障がいの子たちの多くが、就労を通して社会参加や職場で一人前の評価を得る道がひらけていくことに喜びを感じている子が多い。ところが高機能の子たちは、友人関係や将来の自分を先取りして、学習や就労実習を忌避したり、中には非行傾向の子達も入ってくる。仕事は夢ではない。この辺のギャップを特別支援校は抱え込まされている。

事例が印象的だった。入学時のタイが、やがてゆるみ、してこなくなる。これは岩戸養護の生徒であることを隠す意味合いがあるという。普通校ではない引け目。そう感じるという。今まで支援の谷間にいた子たちが、特別支援校に入ってくる。彼らにもリアルな就労の世界を描く展望が社会にはない。だから教員・支援者が仕掛けていかなくてはならない。これは企業さんが待ち受けていても治まる問題ではない。

同じ横須賀の久里浜少年院の見学と議論に参加したとき、少年院の教育の様子と指導の質の高さを語る見学ガイドに、庭清掃しているのはどういう方かと質問した。そのとき出所を数ヶ月後に控えた子たちだと答えた。ずいぶん、院内の人数が少ないように感じるがとの問いには、企画で全員院外に出かけていると応答があった。見学後、見学は院が外出企画のときに見学を組んでいることを聞いて、要するに庭の清掃をしている子は見学の見せ要員で、出所まぎわの荒れそうもない子を残しているのではないかという疑惑を持った。指導の流れと質の高さを語る説明者に、ここを出た子の就職先を教えてくださいと私が質問。場が凍り付いてしまった。触法青年の就職先は縁故以外、まずない。ここを足に豆を作って探しても、職場の同僚のはじき出しなどがあって、なかなか定着しない。こういう社会の強烈なレッテルがある。

高機能の子たちの挫折感はこうした社会を感じ取っている。従来の旧養護学校の指導とは質の違う指導が必要になる。地域支援者が特別支援校に連携していくツボのところかもしれない。

地域の絵を描かねばと強く思う。

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帰宅時、大船に着く頃には、右目が完全に曇ってしまった。大船で食事の取り直しをしながら、何ができるだろうと繰返していた。障がい畑でもなく、一般就労畑でもない活動をどう育てていくか。

目頭を押さえていたのは、悲しいからではない。この目で先を見通さなければいけなかったからだ。辻堂経由で帰宅。

母に小さなケーキを買って帰った。私がいないと食事がいい加減になる。補充のつもりだった。

仮眠1時間半。夜間傾聴待機に入った。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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9/14 巡回と行き違いの一日

2010-09-19 09:18:06 | 引きこもり
2010/09/14 記
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昨日は集中して巡回をこなしていた。JR相模原の塾に、小学生の不登校相談が複数名入っていた。その相談や初訪問に専任たちが回っていたので、玉突き式に若手が教室担当していた個別の小中学生が、臨時に私の方に回ってきた。この子たちは教室で個別指導するので、私は教室に近い巡回先とのピストン(と言っても2往復だが)をみていた。9月は不登校の魔の季節。相模大野の予備校が高校生中心なので、影響は小中学生比率の高い塾の方に敏感に出てくる。

しかし小学生は実技教科を除く全教科対応となるので、冷や汗をかく教科もある。歴史的な質問は何とかなるが、地理的な質問は注意が必要だ。始めの臨時担当が花屋さんの息子だった。ここは嘘をつかずに、学校の先生が花の名前や育て方を詳しく聞かれてもわからないだろうと例えて、私もここは苦手だから、怪しいところが出てしまう。言うから、その箇所は調べなおして欲しいと言ってしまう。加えて、調べてわかったら教えてくれと頼む。これで障壁がだいぶはずれる。指導被指導の関係が変わるし、本来「まなび」は、つかむものだから動機ができるのだ。しかし小学生指導は勝手が違う。

清新交差点近くの自販機で千円札を入れたら詰まってしまった。次の巡回時間が迫っていたから移動しなくてはならず、歩きながら自販機の連絡先に詰まったことを電話連絡。すぐに機械の設置されていた店から連絡が入り、戻ってきてくれとの話。千円は戻ってきたが、時間は戻ってこない。峡の原車庫行のバスに滑り込みセーフ。とにかく普段と時間の割り振りが違うので、時間の余裕が取ったつもりがすぐに壊れる。

夕方は母が地元の眼科から帰るので、茅ヶ崎駅で合流して外食で夕食を済ませることになっていた。南橋本から相模線で帰る。携帯の予定表を見ると、翌日の神奈川県主催の「精神障害者の雇用をめざして」と題する「かながわ障害者雇用優良企業」認証式の予約を取っていなかったことに気付く。17時間際なので、上溝で下車。ホームから申し込んでセーフ。今回は、勝田所長のサンシティひらつかの上部団体、進和学園さんが表彰されることになっていたこともあって、もっとけちな話では、この諸企業、後日、神奈川大会でも会えるが参加日が高かったからでもあった。松為先生の話もあるし、出ておきたかった。結局15分待ちの次の電車で茅ヶ崎に戻ったが、今度は遅刻した母と会えなくなっていた。18時半すぎと約束してあったのだ。

女性はバッグの中に携帯を入れることが多い。母もその手で、携帯の役をしない。大概駅ビルの中をうろついているのだが、どこに行っているかはわからなかった。結局改札口と駅ビル入口の間を往復し、以前住んでいた浜見平団地のご近所さんと会ってしまった。私の塾で団地内の花見を塾生と仕組んだことがあった。ところが買い物に行っていたはずの塾生が、持参の固形燃料を使って、団地の芝生でバーベキューを始めてしまった。火気厳禁のうえ宴会禁止だったのだが、これが管理事務所からえらく叱られてのだが、なんとそのバーベキューに、このご近所のおばさん(失礼)も参加していたのだった。一緒に怒られたのだが、おかげで塾生へのカミナリは軽くて済んだのだった。管理事務所に私らが謝りに行くときも、連れ添ってくださった。

そんな方と再会したのだが、今の私は塾も閉じて、他塾の外勤講師をしているいる身、どうしていると聞かれるのが、応答に気後れしてしまうところがあった。ところが、挨拶のあと、母と先ほど出会い、母は薬局にいたとの情報が入った。この方の情報で、成城石井をうろついている母をつかまえることが出来た。

母の文句を聞き流し、食事。駅ビルから離れて、実はリカバリーキャラバン隊の方々を招待しようとしていた和食・魚の店に入った。ここは煮魚もうまかった。キャラバン隊の中に、茅ヶ崎に詳しい方がいらして、その方の所望の場所よりも煮魚はうわての店だった。母はそんなことは知らない。もくもくと食べていた。私は呼ぼうとしていた地元引きこもり青年##君が魚が苦手だったことをふいに思い出した。食事、もめていたなと思いつつ、企画が流れていく予感の中で、じっと母の背の壁をながめていた。

浮かない顔の私に気付いた母が、どうしたのかと聞く。自分が撒いた種なのだといなして、大丈夫と応答した。もつれた糸は機を待たねばならない。帰り道の自販機で無糖コーヒーを買いながら、昼間千円札が詰まった話をしていた。私の傍らに失った妻の気配を感じて驚いた。ここには三人いるのかもしれないと。

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家に戻るとPCの専用アカウントに、メールが届いていた。会議無断欠席の件だった。相模大野の方の仕事、母と食事していた時刻に、定例運営会議が開かれていた。今回は契約講師、外勤講師は関係ないと聞いており、連絡用ホワートボードにも欠席とかいておいたのだが、何かが行き違っていた。すぐに電話を入れたが今日に限って機械対応になっていた。時間外電話は営業時間にしてくれというアナウンス。やむなく専任の携帯へ。連絡用ホワイトボードに私の書き込みはないという。明日は一日中、横浜の会議で、午前中は母の知人の親子が家に来ることになっていた。父の入所している老健を、母を乗せて訪ねてくれるというのだが、その断り役を母から仰せつかっていた。弁明に明日出かけるわけには行かなかった。明後日に行くからといいつつ、先方が納得していないところ、電話を切った。

母は身体の状態を先方のケアマネさんたちに見られるのが嫌だったのだ。父の症状が悪化し、加えて父の介護が私と母のふたり体制で支えることが無理となったとき、介護度が3から4に上った。それが老健入所のきっかけになっていた。在宅でひとり介護することと、母の容態次第では、ふたり面倒を見ること、これは明らかに無理と判定されていた。ただ母のストレスフルな症状は、外見では胃切除後の食事をしないための身長体重の激減が目立って、めまい・歩行不安定という部分が他人にはわからない。この評価の差が母には負担だった。加えて父にうんざりとしていたから、折角の間を塞がれたくなかったのだ。夫婦は引き離されているのは悲しいだろうという一般則はなりたたない。その紋切り型の常識が、当事者の言葉を奪っていく。

私には先ほどの突然の気配に動悸が治まらなかった。しっかり捌かなくてはなと青臭いといわれそうな念仏を脳裏に唱えていた。見られているのである。

無糖コーヒーを飲んで、巡回レポートを打ち込んでメールする。母は疲れたとベッドに乗って壁に寄りかかっていた。食事後、横になるとダンピング症状(逆流)が起こるのだ。メールを送って、7月に出た「障害者白書」の「雇用・就労の促進施策」を開いて、すぐに落ちた。その場で仮眠2時間。粘りが聞かなくなってきている。

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夜間傾聴は、2時過ぎに連絡が入った。大森海岸君(仮名)の激励電話だった。しばらくたわいもない話をしていたが、彼がiPadを買ったという。見せろ見せろで話となった。体調が悪いようなので、東京に私が行った帰りに会うことになった。

次の連絡が□□君(仮名)の学習相談。彼は会うときは「ろろ君」という。私のブログの省略記号からの由来である。緊急性はないが、彼は眠れない症状、だから不安な夜に連れ添っている。


夜間傾聴:大森海岸君(仮名・傾聴にあらず・激励)
     □□君(仮名)
     他当事者問い合わせ1名(紹介)


(校正1回目済み)

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