湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

12/30 年内の澱を出し切って

2011-12-31 06:07:33 | 引きこもり
2011/12/30 記
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泣いても笑っても2011年が終わる。今年ほど年賀状を書きにくい年も無かった。毎年、冬期講習と大掃除で大晦日に追い込まれるのだから、もともと書字不精〔新語か?)だから、まだ3分の1も書いていない。帰宅後、母を連れ出して買出しに出かけた。お前の話す世界は一部のひとだ。景気が悪いって言ったって、こんなに人手があるじゃないかと母が言う。高額食品のところ、店員が半分だ。売れないんだよと私。若夫婦が多い。いや高齢者夫婦の姿が少ない。両手に荷物の人も少ないだろうと私。気に入らない母。

景気が悪いのは下層の人。中間層は大丈夫だと母は家族平和の夢をみる。しかし、辛苦の波をくぐらない人生はありえない。家族を城壁の中に夢みるのではなく、「人は城」だろうと母に言えば、お前の周りにそんな人がいるかいと、語気を強めて親の口調になる。どうやら寿町越冬支援を察知しているようだ。人の中に生きるか、人を押し出して家族の居場所を築くか、この論議は50年間平行線をたどっている。

荒波に襲われて、がれきとともに濁流に飲まれていった人たちの画像をみれば、ひとは心穏やかではいられない。ガーデニングの花を写真にとって、これもブログに載せようと無邪気に語るチップスターのCMへの違和感。舟板一枚の地獄を声高に語ろうとは思わないが、被災経験から、姿を露わにしてしまった金魚鉢の中にあえて入ろうとは思わない。正義や倫理のことではない。リアルということ、近似の真実。

正社員だったらボーナスが出ていると、母がまた鬱憤晴らしを始める。自営の塾をやっていた頃も、私は複数収入だった。自営塾を閉じ、契約講師とテスト屋を続けているが、成果給の部分が大きい世界だ。

しかし、ひと相手の成果ほど見え難いものはない。自閉症スペクトラム、特にLDについて、LD学会が出来た頃は、他塾はスパルタで子どもに臨んだり、厳格なローステップ学習に追い込んだりしていた。

職員会議や、父母会でLDという困難について語ったことで、子どもを障がい者扱いしたと懲戒免職されたこともあった。今見れば異様な出来事である。それこそ誰も守ってくれない。

こうした不安定は続いた。塾が嫌だという子を無理矢理塾に子どもをつれてきた親子。車で立ち去る親と、興奮を担任の私にぶつけて私の眼鏡は宙に跳び、ポロシャツは破れ、引っかき傷から血が流れ出た。その姿で電車帰宅する経験は初めてではなかった。しかしこうしたトラブルも、私と正社員(専任講師)の二人が支えていたが、そこに高機能自閉症とパニックの理由を後輩の研修で語り、後輩がその知識を生のまま、当人にぶつけたことで、障がい者扱いしたと、後輩もろとも首になった。そういう時代をくぐったからこそ、今の粘り腰の私がある。

無知に返り討ちにあう事態にふんばれば、私の寄り添いの未熟さから、命を絶った子もいる。生涯この過ちの痛みはわすれまい。そう思って私は講師を続けている。心理カウンセラーをしている方もこの危うい世界の淵に立っている。夜間傾聴の初期の頃の青年は、危うい綱渡りの転倒の瀬戸際に飛び込んできた。今は緊急時と言っても真綿で首をしめられているような危機を抱えた面識のある子が大半だ。それは自分の抱え込める子の範囲を明確に言い切っていることが原因しているからだ。

私は自分の仕事に誇りを持っている。しかし、交通事故入院を経て社会活動のホームグラウンドを失えば、既存の社会活動団体に爺ぃの受け入れ場所は無いのだと思う。ならば、作ればいいのだが、精神や高機能自閉の子が味わう入口のなさ、標準外の生活者への優しい拒絶の残酷さを知る者が、世界をとり結ぶ。その仕事も40年経っても、母との理解は無い。

災害救援活動の中で声高に語られ始めた「絆」。それは反面では家族を持たない単身者をかき消している。「家族」というモデルが出来るという事は、地縁や活動のなかで培った友情を排除するものであるなら、連れ合いを失ったものの悲しみの行きどころはまた個に封じられてしまう。一括モデルというものは、そういうものなのだという苦い思いをかみ締めている。無論母には通じない、通じない言葉なのだ。

茅ヶ崎市に複数の提案を出そうと準備を始めている。アイデアはどんどん盗んでいい。そのことが実現する可能性を高めるなら、提案する者は「ひとりよりふたり」なのだ
内容は「災害時初期誘導員の奨励と育成」「福祉避難所の設置と運用」「仮設カーシェアリングと車の転用制度」の3つ。

古傷を蒸し返すことは、年末行事のようだ。しかし折角なのだから、私に集中する時間がほしい。三箇日はPC抱えて寿町と喫茶の往復になるだろう。

ゆずが匂ってきた。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)
     橋本2君(仮名)
     淵野辺君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)


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12/29 障害物競走フィニッシュへ

2011-12-30 07:16:19 | 引きこもり
2011/12/29 記
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前期冬期講習が突然今日で終わった。30日の予約の子たちが1月に変更をかけてきたためだ。喜びも束の間、母から障子をやり直すようにと連絡が入り、結局逃げ出せなくなった。桟の清掃がいい加減で、紙に汚れ染みが出来ているというのだ。加えて、年始にくればいいのに、浜見平の親子が生まれた子を見せにやってきた。作業が進まず、23時過ぎにやっと終わった。とにかく、いわゆる「先公」といわれる仕事で偉そうにしている以外、役にしない人物だと自負しているほどなのだ。それも時代劇で言う木っ端役人。しょっちゅう切られている。

鎌倉の五島うどんの計画も怪しげになってきたので、帰り道、わざわざ逆方向の戸塚に出て、五島うどんの「乾麺」と「あごだし」を買ってきた。麺が椿油で練ってあることが書かれているが、見た目はわからない。泥葱も仕込んできた。外皮を剥いだときの白さがたまらない。戸塚から葱を抱えたおっさんが、眼鏡を額に上げて、片目でスマホを覘いていたら、やはり隣には座りたくないだろう。辻堂に着くまで結局隣は空席のままだった。

東海新報社への連絡があったが、三箇日明けになりそうだ。当人がお留守。この時期、深入りは失礼と諦めた。

とにかく昼間、我が家の掃除戒厳令の元では、PCを開くことが許されない。持ち出し用のPCはメモリの関係でLinux の Knoppix というOSが走っている。その関係で内蔵無線LANが上手く走ってくれない。だから外に持ち出しても、図書館の有線LANしかインターネットにつながらない。方法があるのだろうが、無線LAN、試行錯誤している暇が無い。

ともあれ、駆け込みで年越しとなりそうだ。浜見平の親子はハワイで年を越すという。我が家は母の眼を盗んで寿町にいく。変な親父だと思う。父の好物の煮物材料を仕込んである。31日はこれを煮て、元旦明けに父の老健に行く。

十数年前までは、毎年鍾乳洞に塾生を連れ込んで、岩手の岩泉町の地下に潜伏していた。闇の年越し。それからのちは介護地獄。一巡して5人目の父のことが、老健に救われたのが去年。6番目が母である。

認知科学系の研究会があるが、その資料のひとつに、懐かしいイリイチの「シャドウワーク」がある。どこにしまったかなあと、大掃除する振りをしながら、書庫をかき回す。古書店に持ち込んでも買い叩かれる辺境の書ばかりだ。アメリア・アレナスの美術教育論のビデオが出てきた。仮設実験授業の授業書が束ねて出てきた。私の塾のなごりの資料類だ。結局「シャドウワーク」は出てこずに、県図書館からかりることにした。

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大森海岸君(仮名)から、珍しく連絡が入ったり、質の悪いネオ・フロイティアンの同僚から酔った声で電話が入ったりと、なにやら駆け込み対話のような電話に邪魔されつつ、南大沢君(仮名)の親御さんと延々と話した。

まとまらないが、30日は会議だけで帰宅できる。ともあれ早く帰って、障子をいれて寝る。あと1日。とにかく今回も、これで終わり。


夜間傾聴:大森海岸君(仮名・お久しぶり)
     南大沢君(仮名・親御さんと)
     同僚


(校正2回目済み)

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12/28 時代劇の浪人は傘を貼っていたが…/神奈川県タクシー協会という選択

2011-12-29 07:04:50 | 引きこもり
2011/12/28 記
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相変わらず耳が詰まり、右耳では耳鳴りがしている。しかし、突発性難聴の再発の可能性が低くなったことは嬉しい。「想定外」の事態で、一日年末の予定がずれてしまった。冬期講習を毎年憎んでいるのは母である。年末年始のない年越しは「常識外」だと、怒り収まらないのだ。昨日の講習の予定は夜だった。その前の時間、大掃除なる行事に私は拘束されていた。最悪なのは障子の張替えだ。我が家の障子は、離れを含んで18枚ある。急いで2日間はかかるのだ。交渉の末、10枚ということで妥結。今日はなにやら古新聞・古雑誌、そして障子紙と格闘して昼間が終わった。父の在宅介護があった昨年までは、昨年までは掃除逃れをしてきたが、その代償として、母は我が家を「破れ障子のお化け屋敷」というあだ名を頂戴していた。ともあれ障子張りは、我が家は、離れを含んで18枚ある。急いでも2日間はかかるのだった。今回交渉の末、離れの分を除いた10枚で妥結した。

父の入所する老健に毎月一度は支払いで寄らねばならず、事務員は今日までで休みということで、障子張りを乾燥工程の前まで済ませて、老健に飛び込んだ。父の顔を見れば、夕食を食べさせてくれという要請を断ち切る気まずいことになるので、ともあれ支払いを済ませて、老健を飛び出した。伊勢原に出て小田急で相模大野にでるのだった。

授業は幸い私の取り出しにかかる生徒が欠席していて、内緒で年賀状を書いていた。見事に悪事がばれて、定年肩たたきにまっしぐらということなのだ。まあ、逆に授業が暇で内職している生徒を引き抜いて、キャッチアップならぬフォールダウンの指導をやってきた。引きこもり生活を受験の圧力でしぶしぶ通ってきている子である。

学校教員と出会いそうな場所で買い物をする必要があるとき、飼い犬を散歩に連れ出すという話。奇妙なところで燃え上がっていたが、引きこもりの諸君の生活は、結構ご隠居さんの生活に似ている。

学習指導外の話題をしながら、学力の高さに、実際はほめ殺しをしていたようなものだ。普段はこの手の子は、取り出し授業の肩たたきには、呼ばれることは希だ。ちょっとしたつっかえは机間巡視の指摘で、解決してしまうからだった。

夜間のスーパーで買い物を済ませ、バスが無くなったのでとぼとぼと、歩いて帰宅した。遠野まごころネットの多*さんや、連絡会の関係で大関さんにメールを書かねばと思いつつ、湘南の活動立ち上げの腰の重さを考えると、憂鬱になってくるのだった。爺さんが現地手伝いに出かけても、やれることは知れている。現地と連携した後方支援の形を作るとき、岩手支援勢と出会わなければ、結局宮城勢の旧来の活動パターンに、生活再建型の活動を加えていくことは難しくなる。「わーく」編集部の啓蒙活動の形でしか、現地の活動との連携は難しい。特に障がい者の作業所支援とか、現地の中高生の役割評価を伴った高校生体験交流などは、南三陸で展開することになれば、作ってきた下地を放棄しなくてはならないことになってしまう。そんな憂鬱なことを思い浮かべながら、つくったスパゲッティはうどんのようになっていた。

胃を切除した母は気に入っていたが、なんとも冴えない食事を済ませたのだった。基本的に既存の活動に乗っかるのはダメ。しかし新しく活動を立ち上げるには育つ芽が必要なのだ。

奈良**MLに鬱憤をぶつけた。応答は「奈良においで~ ^_^)/~~」だった。全く…。ともあれ、今、カーシェアリングの件で、ホンダのタイ工場で水に浸かった大量の生産車両がスクラップになっていくのを見て、門前払いでもCSR持ちかける必要を感じている。

また日の出町の神奈川県タクシー協会には年明けに行くつもりだが、営業ナンバーを白ナンバーにするあたりの問題が無いか考えている。中古車は必ず出てくる業界だ。これらは勿論活動の本流の流れには乗せられないところだが、説得するには説得に使う企画をきっちり描く必要がある。

「仮設カーシェアリング」は、仮設期以降の車両利用の絵が描けていない。ここを書かねばならないことと、短期テストを行なえる仮設の場所設定。大船渡・陸前高田への説得と根回しをどう進めるか。昭文社の陸前高田・大船渡の地図を広げて仮設の位置を重ねて、考えている。山田町は銭湯がが復活した。スーパー・マイヤの買い物送迎バスの詳細情報はと考えているが、地元の眼がなくては、実効性のある手立ては成り立たない。

年が明けてしまうと混雑するので、年内に鎌倉の五島うどん(麺を椿油で練っている)の店に行きたいと考えている。銭洗い弁天の参道沿いと聞いている。そこから寿町の越冬の手伝い。夜は母のお守り。こんなパターンで31日は過ぎていきそうだ。30日は前期冬期講習最終日、昼間にあがる。

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「にゃんだーガード」のMLに携帯アドレスを登録して失敗したと思った。ツイッターなみの書き込みが頻繁にある。携帯が、なりっぱなしの時間ができる。波長がちがうので、ばさばさとメールを見ては消している。湘南で被災犬の譲渡をきちんとやるにはどうしたものかと考えている。

これは新聞社の有料記事になるのだろうが、27日の朝日33面医療面で

●「在宅医療 宮城での挑戦 大震災 通院できぬ高齢者増加」

という記事が出ている。

医師の訪問医療の患者数が1.5倍に膨らんでいるという。「仮設カーシェアリング」は、こうした専門職の活動ともリンクする。24h対応とか急変時対応とかいう場面だ。被災地の場合、病院数が少なく遠い。また救急車のサポートも都市部と比べて対応が遅れている。そのとき隣人の民間協力移送が効いて来る。仮設カーシェアリングはその側面も補佐していく。

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寿町の炊き出しにミカンかリンゴを持ち込めないかと、ふところ具合を見ている。湘南あすなろ会で対応できないのが難。10kg箱かなと。

夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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12/27飛び込みの耳鼻咽喉科検査は/遅かったか?

2011-12-28 04:57:21 | 引きこもり
2011/12/27 記
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昨日の地元の耳鼻咽喉科の指摘で、慈恵医大病院の検査を受けることになった。私は2000年2月に突発性難聴を患っていた。それがあるために、今回の両耳(特に右耳)のつまり感と右耳の耳鳴りは気になっていた。地元の耳鼻科医が判断の難しいものを抱え込むのを敬遠して、大学附属病院に押し付けたとも読み取れそうなのだが、灰色の診断しか出せないものは、附属病院でも灰色だった。外来の待ち時間もいれて4時間かけた検査結果は「わからない」。ただ、よく似た訴えの患者さんが散見され、いずれも風邪治療が長期に渡った経過の末の発症だということ、個人クリニックでは患者数の土台の大きさが違うから、見えないものもある。粗い点描の絵画ではつかめないものも、ドット数が多ければ浮かび上がる絵もある。長期の風邪薬の服薬の影響で、神経に異常がでている可能性があるとの話だった。とりあえず難聴の再発という筋は考えなくてもいいのではないかというものだった。風邪薬の服薬を中止し、ビタミンB12等の処方で、痛んだ神経を回復する、ただしこの年末年始改善が見られなかったら、すぐにに救急外来に来ること、というものだった。

症状の出方が違うので、突発性難聴の再発の可能性は低いと思っていたが、それでも先行きが見えることは、それなりに嬉しい。しかし、網膜色素変成症やら突発性難聴やら、私の身体の右側は散々である。

地元医からすぐに総合病院の検査を受けろと言われたものだから、冬期講習の仕事は病欠扱いとされてしまった。1月末に新年度講師契約の更新があるのだが、停年勧告がくるだろうと思うのだ。病欠が気になるなど、ゾンビが死を恐れるというか、まるでノミの心臓人間のようだ。

帰りに新子安の動物福祉推進協会の**さんのところにお邪魔できないかと連絡をいれた。2名の被災犬の新しい飼い主さんとお見合い可能な被災犬を保護していないか問い合わせたかった。応答は状況が動いていて、現在被災犬は行政の東京センターに集められているとのこと。全く…タイミングがはずれる、困った。

私は「にゃんだーガード」さんに連絡を取ることにした。こちらのMLに登録したばかりだった。しかし、以前にも通信への情報依頼をしていた。今夜は仕事の休み期間に入る前に見通しを立てておきたいのだ。すでにあちこちの団体が御用納めをしている。少し心配している。

動物福祉推進協会の事務所にお邪魔する計画はあっけなく終わった。それではと、浅草の合羽商店街を散策する予定も、病院外来会計を済ませた時点で17時をすぎていた。遅すぎた。店が閉まってしまう。合羽橋も取りやめとなって、結局、丸の内の丸善に立ち寄って帰宅した。とんだ飛び込み受診だった。明日は授業は夜。我が家の大掃除の予定。

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**子から電話がかかってこない。どうしたのかと思いつつ、慈恵医大病院から新橋に向かって歩いていると、サポチガのMさんから連絡が入った。東海新報社編集部の木下繁さんの講演のアンコール依頼がきていて、仲介をすることに。日が悪い。マスコミといえど交代で休むだろう。しかし反響は予想外に大きい。

丸善で面白い書に出会った。メモしておく。皆、新刊。

●「木造仮設住宅群:3.11からはじまったある建築の記録」

●「災害に負けない「居住福祉」」

●「きちんと逃げる。-災害心理学に学ぶ危機との闘い方」

夜間傾聴:休み

(校正2回目済み)



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1/26 とんだ伏兵が…/ころんだら藁しべを握れ

2011-12-27 06:33:53 | 引きこもり
2011/12/26 記
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サンタクロース仮装の悪ふざけをJR相模原の塾の方では、やっていたらしいが、相模大野校の方は、そういう雰囲気は全く無い。昼間の指導を終えてPCに向かってレポートを書いていた。若い講師たちの設定のPCは、1クリックでフォントが小さく、よく見えないので、雲に霞む右目を閉じて、丹下左膳(古い!)というかクック船長のような気分でキータイプしていたら、ここ1週間アメ耳のつまりのような両耳(特に右耳)が急にひどくなって、耳鳴りが始まった。今年、同様の症状をおこして、茅ヶ崎駅南口の耳鼻咽喉科に行ったことがあった。受診の結果、鼓膜や耳道はきれいだから様子見となって、そのまま放置された。私には2000年真冬に右耳の突発性難聴を起こし、平塚共済病院で治療をうけたことが気になっていた。平塚共済病院は神経耳鼻科があったからだ。ステロイド療法をうけていた。2000年は散々な年で、師走に交通事故で膝の粉砕骨折で徳州会病院に緊急入院した。

そんな病歴があるので、耳鳴りはこわかった。今回は特に強烈なストレスがあったわけでもなく、突然始まった。サポセンのMさんから、帰りの車中で電話があったが、そのあと地元の耳鼻科に急いだ。満席の外来、待つこと1時間半、右耳だと言うのに左耳を見ている医師に驚かされたが、聴力テストのあと、しばらく待っていてくれと指示があり、2時間後、「わからない」という応答を得た。内耳を水洗したり圧力をかけたりしても治らない。発症7日目ということで、急ぎいきつけの眼科のある大学附属病院に行けといわれて診断書がでた。突発性難聴の疑いがあるが、ただの機能障害かもしれないが区別がつかないという。

突発性難聴は時間の勝負だ。しかし2000年体験があるので、こんな程度の耳鳴りではなかったことは体験していた。だから紹介状をもらっても、実は驚いている。仕方ない、明日の冬期講習は夜は入れたら移動出来れば移動して、慈恵医大に行ってくる。少々へこんでいる。網膜色素変性症や糖尿病があるので突発性難聴の場合、ステロイドは使えないのだという。眼科や内科とデータ共有して治療がいるというのだ。眼圧が高いのはだめなのだそうだ。

症状が鬱陶しいので直して欲しいが、ポンコツだなあとつくづくそう思う。

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朝、**子から救援要請電話が入っていた。仮眠中だったので慌てたが、依存が始まっているように感じ、時間指定した。その時間に承諾したにもかかわらず、電話がない。こちらも要注意。だが明日はよほどのことで、ない限り、**子の家に立ち寄ることはない。

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ペットレスキューの一時預かり希望の電話があって、「にゃんだーガード」さんに問い合わせることにした。明日時間が会えば、新子安の「動物福祉推進協会」さんの事務所にも寄る。平塚の椿油製造販売業者の方に寄ることは、来年までお預けだ。

帰り早かったら、合羽橋を歩いて来る。フレーバーや、サプリメントの入手経路と値段表を入手したい。入浴添加剤の可能性もチェックする。

サポセンのMさんとの電話でも話したが、今年度末の就労支援講演会は、障がい者就労支援をたてて、震災下の社会的企業を内在した二次加工型支援を取り上げたい。大洋会の椿油をものにしたいのだ。見通しは1月上旬までに済ませねばならない。

1月下旬、気仙沼小ファイト新聞の写真展を引き込めないか、打診開始。


夜間傾聴:今夜は休み(ごめん)


(校正1回目済み)

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12/25 仮設の孤独死またしても(白河)/冬期講習、朝方は嫌だ

2011-12-26 07:38:19 | 引きこもり
2011/12/25 記
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この記事を書いている最中に、憂鬱なニュースが飛び込んできた。心配していた被災者の孤独死である。

●「東日本大震災:67歳、仮設住宅で孤独死…9カ月の朝」

福島の原発避難者、白河市の仮設住宅の出来事だった。同郷の被災者が再会するイベントに出かける日の朝の出来事とか。決して人断ちをして部屋にこもっていたわけでもない。心臓発作だ。ストレス値の高い仮設生活のなかでは、被災していない日常生活以上に、冬季の突然死のリスクは高い。それは一見、支援の輪の中にあるような環境の中で、ハプニングのような形で実は兆候の見逃しによって死に至る例が怖い。たとえ、ケア付仮設であっても、仮設自治会が出来ているところでもである。

この方は中学にほとんど通えず、文字を書くことが苦手で、支援の申請書類も、事情を知った友人が支えていたというプロフィールが紹介されている。夜間中学の授業や識字学級の経験もあるので、特殊な方とは私は思わない。ただ身辺の急変にはもろい社会的弱者の方々の意識化は、しておくべきだと考える。

今回の件も非常時の保健医療が、この方に届いていただろうかと気になる。目が行き届いているから、東北人は面倒見がいいから大丈夫と言った陸前高田社協の方の言葉がむなしく響く。

冬場の孤立の魔が広がらないことを切に祈っている。非被災地にいて、支援の方法が空を切る。常駐ボランティアや精神保健の専門相談員の手助けができないものかと思う。後方支援の有効なデザインは急務なのだ。

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昨日から冬期講習が始まっているが、私の苦手な午前中が前期には多い。私の場合は学級集団を引率していくような授業の担当をするのではなく、キャッチアップ屋として動くことが主になる。机間巡視のような演習の場面の手伝いにも入るが、私は授業を面白がるので、着々と進めたい担任は私がいると鬱陶しいらしい。たとえば「you」がなぜ単数・複数ととも同じなんだろうねと、生徒にうなづいたりするから、「あのねえ…」と担任講師からの注意が飛ぶ。結局取り出し指導にして、かわりに代表からがっちり言われている有効な「個人レポート」を書くことが業務となっているので、持ち出しは損としりつつ、家に持ち帰る仕事が多い。今回はパーソナリティ障がいの子を抱えたようだ。ADHDの青年とともに、急な対応が必要となりそうだ。

昼過ぎに家に戻ったら、母の買い物のポーターをさせられた。電気毛布やサーキュレーターなどとともに、執念の障子紙を抱え込まされた。緊急出動できるのだろうかと嫌な予感がするのだ。

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駅前で路上生活者の○○さんと会った。大晦日、私は寿町の越冬の応援(邪魔?)に行く。母が孤食と生涯言われかねないので、初詣の直前には帰宅する。ただ、引きこもり青年たちにとっては、親戚の集まる正月は針の筵(むしろ)である。何かが起きる。**子の不安定化もあるので、三賀日無事に済むようにと思っている。JR相模原の塾の方は、今回は塾長が私の相棒。ただ相模大野校は、私だけだ。小田急線出動がなければよいのだが。

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気になる記事が続く。

●「東日本大震災:障害者の死亡率2倍 在宅者保護難しく」

●「離ればなれ、飼育断念・・・・80匹保護中」

前者は初期誘導員制度・福祉避難所設置の行政提案から始める為に、書き溜めている。

後者は通信を読んだと、1名の方が被災犬の新しい飼い主さんに名乗りをあげてくれた。ペンディングのネコちゃんと、中型犬の3件を抱えるようになった。初仕事。年内に団体と連絡を取らねば。

出勤時間、これで。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)
     大田区の某施設職員と


p.s. 「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」山本義隆・著入手。お久しぶりです。

(校正2回目済み)
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12/24 学習カウンセリングと「架け橋の意識化」ということ/年内の活動の残務を

2011-12-25 05:42:16 | 引きこもり
2011/12/24 記
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これは同意が得られないことだろうが、曜日に関係の無い私は、連休はなんとも行動の邪魔と感じてしまう。銀行の入金や公的機関の利用制限などである。図書館などにしても、17時終了となるので、授業が昼間あった時などは、時間内に利用はできない。

冬期講習初日、割り振られた新入生を2段重ねで、入会時、行なったテストの様子をみて話し合った。単純に教科学力のことだけではない、彼らの家族や学校・病院などのこと、彼らの希望など多岐にわたる。

母が通った北里東病院の裏側の辺りに、以前私が教えていた子の職場があった。今回出会った子の祖母がその職場の利用者だとは、なんともローカルな話だった。初めての時、学習時間の半分ぐらいは世間話で終わる。その子のプロフィールを肉付けするためだ。しかし自然な会話ではない。いわばソフトな尋問である。

それも次の子に交代するときには、私はリセットして前の話を引きずってはならないのだ。しかし介護体験をしている家庭には、独特の発想がある。家庭の中で役割を持っているから、様々な判断が必要なことは、応答のタイミングがワンテンポ遅れるのだ。大人のそれと同じタイミングというか…。

そんなことを思いながら、次の子と話をしていると、まったくそのような環境に無い男子なのに、同じタイミングの応答が出てきて、私は戸惑った。彼は長い不登校の経験がある。私のような「先公」(古い)と何回も会っている。私は、自分では注意しているつもりだったが、対話環境のなかでは、私が相手を規定していることを忘れてはならないのだ。つまり私が無意識に前の子の余韻を発して、その子にも同様のタイミングを期待していたのだろう。彼はひとの表情を読み取ることに習癖にすらなるほどの警戒心が根付いていたのだ。


私とあなたとの間にある「架け橋の意識化」という化け物が、この職にある者にはついてしまう。だからシャットアウトしながら、社交辞令で話している相手に、関係を持たなくてはならないとき、シャットアウトはずしと言うような手がなかなか使えない。話が終わってしまうからだ。かといって、あちこちからつつくわけにもいかない。JR相模原の塾長は地のでかい声で相手の構えをぶちこわすことで、強引に飛び込むことをやる。私がこんなことをやればただ破滅だけが待っている。産業カウンセラーたちがよくやる「営業スマイル」研修などは、狡猾な強引さでシャットアウトの脇の下をくすぐる。

私はどのみち相手からしか障壁は開かないのだから、準備しながら待つ流儀を取る。経験的に場は意外なところから開くことが多いことを知っているので、特に若い子たちには、私のレッテルをまず勝手につけさせ、安心してもらうことが多い。勿論人権侵害になるようなあだ名は拒否するが。シャットアウトをとりあえず認め、固定する。とにかく久しぶりに、繊細な尖り方をする子と会った。今回の冬期講習は初戦からしんどいことになりそうだ。

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とにかく大掃除をさせようと手ぐすね効かせて待っている母と、冬期講習の隙間に、来年早々の活動パターンを決めておきたい私は、いわば逃亡者のような関係になる。今年度中には、2000年の春先に起こした突発性難聴(右耳に後遺症)と、交通事故で粉砕骨折した膝の後遺症、そして2010年に悪化した網膜色素変性症の件で、平塚共済病院や慈恵医大病院に継続薬を貰うこと、父の入所している老健のクリスマス(これは遠慮させてもらった)や、年末年始の自宅外泊拒否の理由説明、「ねこひと会」「にゃんだーガード」さんとの、ワンちゃんの「お見合い」セットを具体化しておかなくてはならなかった。時間がかかるものばかりだった。それで職員・担当者のいない連休が邪魔になったのだが。

母の「めまい」再発も年末年始の不安要因だった。近所のかかりつけ医に頓服を処方してもらった。体調が不安定なので大掃除要求が先鋭化するのだ。トイレに入ったら、目の前に障子紙がたてかけてあったのには絶句したが。

そんなわけで、上司には日誌提出を堪忍してもらい、声のメモを事務局に米突きバッタのように頼んで、単語起しをしてもらった。古株講師だから効く事だ。後が怖いのだが。

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毎年クリスマスは無粋な授業をしている。前期冬期講習が終わる30日に母を誘い出して鎌倉に五島うどんの店に寄ってこようと思っている。食用椿油のチェックだが、母には内緒だ。

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もうひとつは、陸前高田・大船渡に支援者の連絡会が出来た。それに参加するのだが、「わーく」編集部でいくか、飛田でいくか迷うところがある。おそらく個人参加は問題が出てくるのだろうが、「仮設カーシェアリング」も「命の旗」も、そして「茅ヶ崎防災企画飛田提案の2案」(初期誘導員制度と福祉避難所制度)も、湘南が呼びかけ段階では、団体名を標榜するわけにもいかない。だから、2月の気仙地方訪問までに、生活支援期の支援活動を立ち上げたいと考えているものの、手立てがないのが現状だ。

31日~1日、私は茅ヶ崎と横浜寿町を往復している。年越しを母ひとり残しておくわけにはいかないが、ひとり路上生活者で寿町に流れ着いた自称木村さんを説得する。腕は見ている。炊き出しやら雑用に跳び歩いている主と会ういい機会だからだ。彼は静岡某所で旅館の板前さんだった。多重債務で路上に押し出された。食用椿油の利用について、鎌倉の洋食コーディネーターの方とのドレッシング開発の交渉に失敗しているので、彼を失えば、いわばプロの地元の手づるが無くなる。陸前高田大洋会の障がい者作業所支援の二次加工商品開発が出来なければ、そこから先、地元の障がい者団体の作業所作りに結ぶことが出来なくなる。今のところ弁当の天ぷらの改良に使えることがわかっているが、価値を出すには物語がいる。

岩手県野田村の「のだ塩」は、母が絶句したが「塩釜」で「香味焼き豚」を成功させている。塩釜は「鯛」なども有効だが、いずれも家庭料理ではないことが難点。場面設定が難しい。漬け物・なれ寿司も有望だが、今の私には手を広げきれない。

こうした地元防災や、被災地原料による素人可能な二次加工商品の開発、加えてペットレスキュー、美容サービス発注支援などは、長期戦覚悟の活動畑開拓企画として、一歩引いた形で持続していく。

「仮設カーシェアリング」と「命の旗」そして「春休み高校生被災地朝市体験」は、共同の課題として押し出して行きたい。

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東海新報社編集部の木下さんと講演を追えて別れぎわ、改札口で握手した。その握力を私は忘れない。私の仕事は生活支援期の後方支援活動をデザインすることだ。被災救援期の活動からの転換をかけて、精神保健上最悪の時期への無策を恥じつつ、冬期講習を障害物競走のように感じてはイカんとは思いながら、ともあれ2011年のゴールまで走りたいと思っている。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     橋本2君(仮名)

p.s. 気仙沼小「ファイト新聞」写真展開催申込連絡取れる。予定は1月に調整。
  ●「大震災 自閉っ子家族のサバイバル」<申込済み


(校正1回目済み)

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12/22・23 年度初めの企画の準備作業/冬期講習が始まって

2011-12-24 06:43:36 | 引きこもり
2011/12/22・23 記
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毎年この時期、通級中高3年生に問題が起きる。私の普段の分掌は、訪問生と困難を抱える高校生・社会人の教育カウンセリングを行なうが、この時期は新入生と、自閉症スペクトラム系の中学生のカウンセリングの手伝いが入ってくる。JR相模原の塾の方は鷹揚だから、じっくり時間をかけて見守っていくが、相模大野校はもともと進学校を志していたところだから、即成果を要求される。これが元でやめていく子が多かったが、最近は少子化の影響で、やたらと家庭訪問が増えている。

来月から私の担当になる引きこもり脱出した娘さんが、突然やめるといいだして、対応に追われた。真相は彼の通う****に自分も行きたいということだった。そこはLDの治療教育もしていて、それなりに実績もあった。手を打ちあぐねていたが、試しに、「逆に彼を連れて来たら」と言ってみたら、なんと彼をつれてきた。驚いた。一緒に対面指導を頼みたいといいだしたので、ならば通級クラスに入ったらと勧めた。彼が嫌な奴がいるとのことで通級クラスを拒否し、結局個人対面指導をふたりとも別々に受けることになり、妥協線として曜日を揃える事になった。受験は来年度。

そんなこんなで、障子紙を持たされて、やり残しの事務仕事を抱えて、買い物に行くと称して、PCを某ファミレスに持ち込んで、作業をやっつけている。化け物屋敷、何とかせいと母に迫られるのがたまらず、定年間際なのに職場によく出てくる講師ということにさせられている。

橋本3君は、また私のように、缶コーヒーを背筋に浴びる被害者を出した。父親が野球好きなので、ビールのかけあいを覚えたらしい。親御さんと私が先方宅に謝りに行ってきた。

冬期講習がそんな中、いよいよ始まった。私は30日まで、授業の穴埋め屋と個々人の学習の穴埋め屋の取り出し指導が始まる。

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寒い。交通事故で膝を骨折した手術跡の腱が引きつって痛む。母も水曜日の東京通院の疲れだと称して、一日空けた金曜日、壁に体当たりした。月数回不規則に「めまい」を訴える。対処はかなり慣れた。ただ原因がいまだにわからないのは不気味ではある。

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年の瀬である。NPOサポートちがさきの中期目標をたてることを勧めたが、中間支援団体という立場は、市民活動をつなぎ、企画の立ち上げに協力する仕事があるが、時代の大きな流れを可視化し、その課題を取り込んだ諸活動を提案していく仕事も含んでいる。市民活動の社会的企業取り込み・東日本大震災への取り組みというのもそれにあたる。個々の具体的な活動は「自主事業」として取り組んでいくが、いわば番外。

私は「仮設カーシェアリング」が皆でそれぞれに協力して取り組む課題のひとつだと思っている。「カーシェアリング」用の中古車を、どこでどう手に入れるかという点が、空転する原因になっている。高価なものだから、送る前にその中古車をどこで手に入れるのかというイメージがある。下記の実例を見て欲しい。

●「中古車、被災地で一役」

民間に広く呼びかけることが可能なら、退役寸前のマイカーの提供を促すという道から、活動をスタートさせている。この活動は行政や新聞社などと提携して車の公募をしないと始まらない。もうひとつは東北に工場のある新車製造企業の系列販売の中古車引き受けとの交渉である。CSRということになるが、多少の買取り金は支払わねばならないだろうが、中古車を被災地行政と取り結ぶボランティアを担うのだ。中古車業界は怪しげな商売も横行するところなので、あえて中古車業者から買うと言わない。もうひとつは、レンタカー業者から2年なり3年なり車を借りるという形がある。これも代金はCSR料金が前提。最後は「日本財団」や「日本赤十字社」から、車を提供してもらうという筋もある。

仮設住居地と外界を結ぶ足であり、仮設・外出先で旧地域のコミュニティ作りであり、高齢者・軽度障がい者の生活のクオリティーを上げる活動であり、被災地の医療事情から、救急車が間に合わなかったり、救急車を呼ぶのを躊躇するが緊急な通院の非常用の足に転用できる役割も持っている。これから数年の仮設生活にとって貴重な共用の足となる。

小さく始められないところが難点だが、年明けと同時に、私は中小企業団体や、日本財団を訪ねることを開始する。ひとりのごまめの歯ぎしりでは始められないが、悪印象を振りまくだけかもしれないが、戸を叩き始める。

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また、仮設の独居入居者および高齢者夫婦入居者宅の玄関先にたてる「生存の証」となる「命の旗」の件、また実例が出てきた。大船渡・陸前高田ではケア付き仮設住宅という管理事務所と相談員が常駐する形の仮設を運営するうえ、被災者臨時雇用事業として「仮設巡回員」を合計数百名3月まで雇用するので、防犯や孤独死防止の体制は手一杯の上、必要もないとおもわれるということで、拒否されている。はじめ登米市の南三陸仮設を巡回する駐在さんの発案で始まったものだが、大槌町、福島の富岡町民の仮設でも動き出している。(下記)

●「【現場、語る】富岡町民の仮設住宅自治会長 12/22 朝日福島版」

横断旗のマーク印刷前の旗は一本300円前後だ。これを地域でとりまとめて、被災地行政にプレゼントする活動があっていい。常駐相談員は配置され細かく動けば動くほど雑務は再現なく出てくる。阪神淡路のときのアルコール中毒や孤独の病死、自殺者は僻地で起きているわけではなく、ひとの交流が活発な地域でも、その網目から落ちるように、命が消えている。目印(生活印)を出せる人は、本来心配する人ではないかもしれない。しかし、目印から助かる人、地域のお茶会や目印を出せない独居の方を浮き上がらせるには、該当者は条件の削り落としの残りの形で見えてくる。旗出しが防犯上問題という、大船渡・陸前高田の関係者からの指摘があったが、登米市・大槌町・富岡町は実際運営している。防犯上の問題が起きているかは、これもまた年明けと同時に、打診を開始する。

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現在、実は陸前高田の太洋会の椿油製造の応援をしようと、二次加工の方法を練っている。高価な油なので化粧品に使われることが多いが、陸前高田の気仙椿油は、食用なのだ。サプリとかドレッシング用途を探っているが、この製造所は陸前高田の障がい者作業所。だからできるだけ地元障がい者作業所の製品開発をしたいと考えている。長崎の五島うどんは、練りを椿油で行なう。そうした食用の道を調べているが、圧倒的に資料がインターネットをしても、不足している。油を買い込んでいるが、食用ではなく香りを加えた化粧用なので、調理に使えない。食用油も探している。

神奈川県立図書館に「日本植物油脂」という大正元年丸善発行の学術書があって、ざっと目を通した。油の特徴や効用は、インターネット商用サイトの説明文は、これに準拠しているようだとわかった。「サライ」に連載していた陸田幸枝氏の「伝統食礼讃」にも「椿油」は出てくるが、これはエッセイ。家内工業の圧搾機の出口の写真があるが、伊豆大島の贅沢な天ぷらの話が出てくるが、既知の知識しか残念ながらでてこなかった。現在アロマテラピーの油としての椿油の文献を読んでいる。実物の経路は平塚に化粧品加工前の油の仲介業者を見つけたので、大島椿の油だが、情報が得られるのではと期待している。

障がい者の金銭収入の上る社会的企業への道にたどりつけないかと、藪の中を歩いている。

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災害と障がい者の安全という課題では、八戸が進んでいるようだ。また聴覚障がい者の方々にも注目すべき動きが出てきた。(下記)

●「災害時「福祉避難所」導入へ 八戸市事業者と協定70か所(2011/12/18 読売青森版)」

●「聴覚障害者の「みみ」へ 来月、仙台に支援センター11/12/23」

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やっと様々な被災者支援の活動がでてきている。震災孤児の見守り活動も動き出した。私はあしなが基金の形で協力してきたが、注目している。(下記)

●「震災遺児の成長温かくサポート 「子どもの村東北」設立へ 11/12/23」

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現在、物資提供の形のヒントになりそうなのが、下記。仮設生活支援である。「カーテン」というのは、いい。

●「仮設集会所暖かく  いわて感動ネット 世田米の2団地にカーテン 2011/12/11東海新報・住田町」

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ペットレスキューに動きがあって、被災犬預かりの2件の話が別々のところから飛び込んで、これも年明け、「お見合い」になるだろう。

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大船渡・陸前高田の連絡会に入ることにした。問題は湘南の活動作りだ。とにかく重い。レギュラー活動家が組みかえられるような活動実態から抜け出さないと、いつまでたっても、動き出せないだろう。まず動け。とにかく、企画化作業を続けていく。


夜間傾聴:なし


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12/20~21 珍しく、ちょっといい話 他

2011-12-23 02:49:27 | 引きこもり
2011/12/20~21 記
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**子の調子がよくない。昼間電話がかかってきたので、先方の作業所に連絡を取り作業緩和を勧め、服薬後の調子も悪ければ、無理せず家に戻れと指示した。12月は年内にことを終わらせようとすることもあって、生活のテンポが速くなる。些細な意思疎通がすぐに傷口を開いてしまう。**子の御宅は自営業。目が届かなくなることを**子は鋭敏に察知してストレスを溜め込んでいく。調整を済ませ、慈恵医大に私の目薬を取りに行く日を翌日に延ばした。

(12/21)
午前中に外来にかかり、昼過ぎに**子に会う。16時からNPOサポートちがさきの研修報告会。母も東京で「めまい」心療内科の今年最後の検査。報告会終了後、待ち合わせして、茅ヶ崎駅前で母と外食することに。「親に孤食させる気か」という殺し文句は、なんともねっちりと行動を制約するものだ。

JR相模原の塾の方の社会人クラスは出席率が目に見えて落ちたという。私のこのクラスの授業は年内は、もうない。橋本3君の夜の巡回面談を済ませようと茅ヶ崎駅南口のロータリーを歩いていると、軽く足を引きずった見慣れない男性が、私に手を振った。

近づいてみると、以前南口駅ビル前で、たむろしていた路上生活者のひとりだった。市民の苦情から茅ヶ崎市は彼らの一斉排除を行なった。彼は40代~50代、多重債務の闇からやっと抜け出たものの家庭崩壊し、アルコール依存症に落ち込んだ。

今、仙台が彼らと同じような状態の中高年があふれている。大阪・東京・横浜のドヤ街から暴力団がらみの闇業者が、借金帳消しのだまし文句で引き抜かれ、福島原発の危険作業や、がれき撤去をさせて、親会社から給与が出た段階で、給与を巻き上げて、彼らを仙台に残して業者が姿をくらますという手口だ。被爆作業の人体使い捨てが起きている。

アルコール依存者には、こういう日雇い風の仕事しか得られない。アルコールが体力を奪っているからだが、手を振っていた彼は、市が集中排除を行い。市内某所に、生活保護を貰って生活していた。屋内生活していると、気が滅入ってしまうので、以前の仲間のいそうなところをまわっていると言うのだ。

私の支援を、彼はがんとしてあ受け付けなかった。小奇麗な感じにかわって、今は軽い半身不随の後遺症を抱えて、アルコール断ちの医者通いをしているのだと、にこやかに語った。見かけの変化にびっくりしたが、酒断ちにもっとびっくりした。

嬉しかったのは、私を呼び止めたことと、私が「いざという時、これで私に電話しろと渡した100円硬貨を大事に持っていたことだ。ちょっと気分が和らいだ。

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不思議なことだが、こういときはちょっといいことが連続する。

**動物病院から電話が入った。裏に住む++さんが被災犬を引き取りたいと言っているという。壁新聞の初めての反響だった。中型犬を紹介して欲しいという。

それからまもなく、別のペットショップの新聞を見たという方から、小型犬の仲介を求める電話が入った。これは市内の獣医さんのネットワークが協力してくれたのではないかと考えている。年内に連絡をし、来年早々、新しい飼い主さんとのお見合いの場をせっとする。

夜間、**子から再び電話が入った。ペットの話をした。塾にいた猫の話が話題となった。なんとか今夜、彼女は夜を越せそうだ。

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南三陸のワカメ養殖の支援活動の情報が入ってきた。先日は釜石のかきの養殖いかだのカンパ話を聞いていた。こうした地域の基幹産業の復興支援も、今後の後方支援の課題だろう。収穫とのバーターをすれば、なおさらすっきりする。具体例を、今まとめている後方支援の形の表に産業復興支援の方法を一行書き加えた。


夜間傾聴:**子(仮名)
     橋本3君(仮名)


(校正2回目済み)

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12/20・21 中間支援団体サポチガ事務局宛の提案から

2011-12-21 04:24:45 | 引きこもり
2011/12/20~21 記
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20日に慈恵医大に行くことができなかった。21日午前中に受診することに。帰りに援助を求めてきた**子に大森で会い、16時には茅ヶ崎サポセンのサポチガの研修報告会に出る。

提案3つ。「仮設カーシェアリング推進活動」「わくわく祭りへの被災地産原料商品展示と調理法提示」「気仙沼発ファイト新聞写真展開催」。

以下は中間支援団体サポチガが、後方支援活動を提唱することを提案。その文書の転載。新聞記事はカット。


---- ここから ----

●「仮設カーシェアリングの活動立ち上げを」

サポチガ宛
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2011/12/21
呼びかけ:「わーく」編集部

 3.11東日本大震災発生後、9ヶ月経て支援の方法の切換えが必要になっている。被災救援期の支援物資提供や、環境整備(がれき撤去・仮設周辺整備等)重点の時期から、被災者の就労支援・家族の健康保健・教育保障等、生活再建の時期に新しい支援活動が生まれていない。そういう状況が続いている。

 生活支援はプライバシーに留意する必要があり、被災地に長期滞在する形をとらないと、なかなか被災者の方々の事情や状況には立ち入れない。心の痛みや悲しみは専門職の活動が軸になるというわけで、なかなか非被災地(湘南)にいる私たちには、支援の気持ちはあっても、なにをどうしたらいいのかわからないという状況にある。

仮設住宅に入り、とりあえず個々の生活を確保し、自分と家族のことを考えると、山積していた問題がいっきにのしかかり、家族を失った方や独居の方は、冬の寒さに閉じこもりがちになる生活に、孤独が迫ってくるというわけで、生活と心の支援が問題になる。人の交差する支援の行き届いていたはずの仮設集団のただなかで、アルコール中毒や自殺・孤独死が落とし穴のように起こるのが阪神淡路の震災の教訓だった。これからの支援の鍵は、支えあう集団、アイデンティティを語れる集団、「コミュニティ」を形成していくことが大事な課題になっている。

仮設は「2年間」延長含んで「3年間」に、特別措置の延長が加わる程度の長さで終結する仮想コミュニティだ。昔から住んでいた地域の隣人・友人に会うためには、仮設の中に閉じこもるのではなく、買い物や通院・入湯など外に出向く必要がある。しかし昔のように自宅の車がないから、仮設店舗に買出しに出たり、一日数本の路線バスや、大手店舗の買い物送迎バスに頼ることになる。仮設は公園や学校などの僻地に多く、隣人は見知らぬ人となっているケースが多い。この出歩きも冬場はつい気力がにぶる。

もしここに仮設の公用車があれば、近所の高齢者を連れ出して、買い物が出来る。買い物途中で昔の地域の知人と会うことができる。公用車で買い物に誘えば、仮設の隣人も親交を深めることができる。僻地に散った仮設生活では、遠方の病院に頼る救急車も、回る時間がかかる。そんな非常時の移送にも公用車は転用できる。

仮設生活では、生活と「コミュニティ」作りに「足を確保すること」が重要な意味を持つ。中古車を確保し、車検や修理費等のメインテナンス料も込みにして被災地行政やボラセンに、仮設共同利用車として、車を提供できないか。

田舎では、ひとりひとりの生活の足として車が使われてきたから、エコの観点からの「カーシェアリング」ではなく、被災被害克服の活動を支える「仮設カーシェアリング」を、今後の活動の重要な分野として、活動を提起できないか。宮城や関西の試みも動き出している。湘南からも行政を交えて支援活動の流れを作れないか。中間支援団体として、モデルケースを立ち上げられないか検討をお願いしたい。 (文責:飛田)


以上

夜間傾聴:**子(仮名・面談希望)
     橋本3君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/17(続)災害仮想体験授業の得失/12/18 来年度の活動の焦点

2011-12-20 06:22:30 | 引きこもり
2011/12/14~17 記(2)
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私のやった授業は、演劇などで使われている、仮想空間に観客を巻き込んでいく方法だ。私は正直言って、露骨な問題を抱えているので、普段の授業のときはあまり使っていない。

この方法は、ガリレイが天文対話で使っているが、背後に既製の物語が潜んでいる。鋳型が厳然として残っているのだ。既存の教育というものは、どんなに自由な航路を飛ぼうと、予定の目的地に到着するから、結局は直線航路と大差ないのだ。

落語のはっつぁんと、くまさんの珍対話に引き込まれている観客は、その対話の体験時、どこにいるのだろう。クイズ番組で2枚の絵の違いは何箇所あるかという問いにゲストが答える。その流れのとき、視聴者に何が起きているか、そんな問いかけをしながら、持ち出した方法だった。

もうひとつは、「(擬似的に)感じ取る世界」ということだ。3.11の津波の画像が私の心をからっぽに流し去り、涙と背筋の寒さを運んできた。泣いている私とは誰?そう考えると、私が体験している映像体験とは何だろう。逆にその瞬時瞬時に仮想空間を浮かび上がらせることができるなら、既知の知識を仮想体験で跡付けることが出来ないかと考えた。

○○ちゃん、そこに折れ曲がった自転車があるよ。泥の中に赤ちゃんの靴だ…と実況をこうやると、何が起きているのかが彼と観客の心にも映像が見える。ただそれが折れ曲がった自転車であり、どろだらけの乳幼児用の靴でしかない者と、推測されるそこに起きたドラマを再生する者がくっきり分かれる。自閉症スペクトラムの子たちには、ひどくしんどい授業だったと思う。場面(映像)と知識に小刻みに返ることで、地すべりを回避していたのだが、感じ取る災害、掴み取る経験(もどき)を狙っていた。構造上の問題があるので、よかったと感想をいう方には、入口に立っただけなんだけどねと語って、語れない抱えた局面の行きどころの無さに、悲しくなった。

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(12/17)
17日、JR相模原の塾の講演会の前、茗荷谷の筑波大の認知科学系の会合で話題となっている同時多発発生型の活動が、やがて互いが取り結んでいく道、変容していく活動の話があった。果実は勝手に摘み取ってかえればいい。私は今後の社会活動の輪郭を描くために参加していた。

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2011/12/18 記
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東海新報の木下繁喜氏に、子どもたちのアンケート等を添付してメールを送った。

やっと熱が取れたが、今度の風邪は完治しないで繰返す。冬期講習が始まる前に、来年の活動の焦点を定めておこうと考えた。こうしたまとめばかり思い浮かぶのが師走だ。網膜色素変性症の眼圧を下げる目薬が切れ掛かっているので、慈恵医大病院に寄らなくてはならなくなっていたので、来春早々始める活動で、東京で準備できるものをまとめておくことにした。21日にNPOサポートちがさきの会合がある。そこに協力依頼の外郭を印刷物にして配りたかった。

大きな部分が

1)仮設カー・シェアリング
2)サービス発注型支援/二次加工型被災地産品購入連携
   (実例:美容サービス提供・二次加工販売提案イベント)
3)高校生の被災地体験行(春休み)

これに加え…個々の提案では、

a)被災地作業所との生産連携講演会(就労支援PJ年度末講演・3月)
b)気仙沼小ファイト新聞写真展(『わーく』編集部・2月)
c)障がい者の防災講演会
 (県内他市の防災計画関係者の講演:(呼)『わーく』編集部・1~2月)
d)茅ヶ崎市防災計画提案(飛田提案・1月)
e)公的線量測定を実現する方法のCM(サポチガで出来ないか・2月)

「命の旗」はペンディング状態。
「精神論的元気付け」「招待」の日常生活かく乱は脱皮する。

20日、確認取れたらCANPAN_PJ関係者と会う。

以上

夜間傾聴:12/18 橋本2君(仮名)・南大沢君(仮名)
12/19 橋本3君(仮名・母親)


(校正2回目済み)

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12/14~17 冬期講習を前に/災害とは何か、塾の特別授業から

2011-12-19 05:31:20 | 引きこもり
2011/12/14~17 記
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冬期講習の分担やら、高卒認定の合格発表を受けて、失敗した子のフォローにはいったりと、珍しく生業の方で忙しくなっていた。

今年は定年肩叩きの予感もあって、取り出し指導の受け時間を多めに取っている、ぬれ落ち葉だそうだが。JR相模原の方の災害ボランティア紹介授業も昨夜17日にあって、ただ塾長の注文が入って、90分は小中学生には長すぎると急に60分に短縮されてしまい、予定を精査する手間が増えてしまった。実際には、塾生たちが話し始めたので延長になって、実質90分になったのだが、語る側としてはちょっと欲求不満が残った。

まずは、この12/17の講演会の話から。

私たちの塾では、主に社会人クラスが特別授業をやることが多いが、小学校高学年以上の塾生とその親御さんを対象にした特別授業は年に1・2回程度だ。大体夏休み企画とリンクしたものを、7月に関連ゲストを呼んで開くのだが、今回は震災の影響で年末の取り組みとなった。今回は安上がりにと、講師・塾生に係わらず、被災地に行った者が体験を話すというやり方を取った。

今回は気仙沼市の実家を流されたが、その時間帯、一関の病院に入院していた祖父と、介護に行っていた祖母は、偶然助かったと話す**さん一家の話と、彼らの紹介で食品加工に入れた元引きこもり青年の++君のメール参加、それに長くて嫌がられる私の話という具合にプログラムが組み込まれ、合計2時間(休憩10分含む)の会となった。私は認知科学系の集まりから、直接塾に回ったので、**さん一家の語りの途中に飛び込むことになった。

**さんの話は津波の恐ろしさを語った。そのうちに、飽きた橋本3君たちがばらばらに会場を抜け出して、会場は騒ぎだったらしい。**さんは話し慣れていないので、話題を繰返してしまったという。閖上の映像を貸してあげればよかったのだが。私が着いたとき、部屋の外で塾長が橋本3君たちを諭していた。諭されている塾生の身体の方が大きいので、奇妙な光景だった。

私は気仙沼に行った事がない。次回の訪問の時には組み込むつもりでいる。その気仙沼にいる++君のなんとも紋きり形の短文メールを受けて、私は気仙沼の話から始めた。木下氏の講演会のときに使った地図を使いながら、小学生といっしょに被災地の位置を確認。駆け足でリアス海岸の概念図を掲示。記録があるのに昔の被災経験が活かされなかったことに言及。ここを話せばこれだけで授業が成り立ってしまうほどの内容。しかし、話の中心ではないのでここも簡単に。

私は逆に震災・大津波ということから、参加者が知ってること(何をイメージしているか)をメモ書きしてもらい、塾長に分類してもらった。その作業中に、私が被災地に初めて降り立って感じたものは何だったのかということを話し始めた。

私は大船渡のサンリアというスーパーの前に降り立った。その前までは出来るだけ長距離バスのカーテンを閉めておき、開けて以降は空を眺めていた。はじめて見たのは、人通りの少ない通りの、シャッターの閉まった商店の前を掃き掃除していたおじさんだったのだ。(がっかりか?)

挨拶をして、この辺は被災しなかったのかと聞いて、ここまで津波が来たという話が返って来た。狐につままれたように歩いて盛駅に着き、だんだん異常を感じ始めた。電車が動いていない。駅が閉まっている…このようにして、まもなく私はやがて、一階の突き抜けた倉庫の跡の前に立っていた。次々と変わる風景。(写真掲示)

私は7月に大船渡に入った。被災後4ヶ月という時間が生み出した街の時間差。

塾長がアンケートを持ってくる、「人使いの粗い講師だ」といいつつ。私の旅の伴侶に橋本3君にお願いして、一緒に大船渡からボラセン・警察署・お寺・葬儀屋さん・橋本食堂・朝市などを付き合わせて、陸に乗り上げた船、ねじり曲がった標識、蓋が取れ砂に埋まった側溝の排水口、倒れた車のタイヤから生えた背丈の短い野草、鉄骨のがれきに挟まれたひしゃげた車の残骸、舟の動いていない凪いだ湾の周囲などを歩いた。

閖上の住民が低い位置から移した津波映像。アンケートにある塾生たちの津波とどうも様子が違う。大きな地震があって、それが治まった弛緩の空白に突如押し寄せた事態が抜けていて、突然重さの無い怪獣が家を食べている。地震はどこに行ったのか。信じられない光景の跡を飲み込むように押し寄せた、家や樹木や車などの虚を破る事態は、アンケートの絵のように、波頭のしぶきををかぶったのか。

ここで橋本3君、疲れた様子なので、塾長の奥さんと浮気していっしょに歩いている講師飛田に変わる。

汲んでおいたバケツの水を前列の子に持たせる。津波って、バケツ何倍分と問いかける。地元の人の声の紹介。家や車や廃材の真っ黒い塊が押し寄せてきたという言葉。地図をフラッシュ上映。

この後がこれと、大船渡の湾側、陸前高田を見せる。無くなったのは何と問う。

アンケートにかかれたことは皆正しかったが、何かが欠けていた。シャッターの前で掃き掃除をしていたおじさんや、家族を失い仕事が出来なくなった葬儀屋さんや、大変だったねえと声をかけると凍り付いてしまう小学生。整然と事故の様子を説明してくれた市議会事務局の担当者の**さん。商売にならないよと、移動販売車に寄りかかって、「夜海のほうを眺めてご覧よ」という魚販売の++さん。

塾長の奥さんが、疲れたからと、仮想の路線バスに乗ったら料金が「ただ(無料)」だった。ばあちゃんたちの屈託の無い笑い声。なんで「ただ」なのと問う奥さん。降りて時刻表をみてびっくり。2時間に1本、え?時刻表にないバス。目的の民宿・病院はどこ。

このように、仮想伴侶と歩いて人と会い、災害の爪あとの深さ、家族も友も失ってしまった悲しさを見せずに、三陸わかめがないからと、鳴門わかめを使わずに、ワカメ抜き料理を出す食堂##さんの悔しさ。全部、ひとの命と生活を持ち去った津波と、あの時間にこうしていたらと悔いる津波の時間差。

今積み上げている生活は、一瞬にして失うことのある生活であること。「0」とは「あるべきものが無い」ということ。その喪失感を堪えて踏ん張っているのが被災地・被災者。でも…と続けて、気仙沼小「ファイト新聞」を見せる。「こどもは無邪気だから」と大人はいうけれど、避難所で「子ども」はどうしていたのだろうと、次の伴侶を塾長の奥さんの隣、台湾人ハーフの%%に交代。「子ども」とすぐに手綱をつけて「束ねる」。そんな大人は勝手、変だよねといいつつ、様々な理由で「避難所」にも居場所の無いひとたちと、その怒りを超したものが何だったかを例を挙げて話す。

このようにして、避難生活を場面を書籍を利用して掲示しながら、ここでも様々な軋轢とドラマが潜んでいたと語りつつ、仮設住宅とプライバシーの壁を語り、肩の荷を降ろせば孤独が剥き出しに迫ることを語る。ここで時間切れ。

いっしょにしゃべりながら、追体験しながら、被災とはなにかを感じ取ってもらった。私の声は鼻にかかり歯切れが悪い。それでも、60分の旅は短かった。数名から拍手があったので、一応成功。後はお互い我慢していたおしゃべりが始まり、間が抜けて一拍はずれて、追いかけ拍手が続いた。

(私の話は)変だけれど、面白かったとは、橋本3君のおかあさん。私が話し終えて、会場の収集がつかなくなって塾長が「意見のある人」と束ねなおした。「自分は大船渡の隣の釜石にいったことがある」だの、相模原で地震避難があるとき、やはり避難所には行かないというハーフの&&。福島のことを話したがった○○子。全然かみあっていない時間だったが、連想の言葉が交錯したのは、よかったのだ。

南橋本の駅に送ってもらい、相模線の待ち時間。私の抱えていた資料や印刷物は全然つかいませんでしたねと。車を共に降りた講師Bさんが指摘。「いいんじゃないの」と私。

私はある実験を行なっていた。掴み取りの旅をする講演も有りだということだ。


山積みの食器の待っている我が家に、駅からとぼとぼと歩いて帰った。
知恵熱らしい。風邪引きなおし、37度5分なり。


夜間傾聴:お休み

p.s.鶴嶺高校の授業の様子、映像が18日に届き、東海新報の木下繁喜氏に送る資料が整った。

(校正3回目済み)

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高卒認定合格発表不合格者と対面カウンセリングがあって

2011-12-17 03:57:18 | 引きこもり
お鉢がまわってきました。
今、終わって、これからレポート。明日13時都市大なので、書き込み遅れます。ごめんなさい。
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12/13 有効な活動を探るとき、ペットレスキュー支援活動は逆効果か/活動の基軸を整理する

2011-12-16 04:04:30 | 引きこもり
2011/12/13 記
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茅ヶ崎市議団にペットレスキューの通信No.04白黒版を投函した。私にとってのペットレスキューの係わりは、始めてみて、私の根っこと後でつながったという個的な経験に寄っている。(前の12/08 記事参照)だから他人から見れば、災害ボランティアの活動としても、突然ぽつんと浮いて見えるだろう。

「湘南あすなろ会」・「炭谷茂氏の社会的企業(ソーシャルファーム)就労支援講演会」・「命の旗」・「カーシェアリング」と多種の活動を紹介しているから、逆に「また飛田か」になってしまう。

ペットレスキューを持ち出すこと自身、流れから言えば逆効果だし、表面的には戦略性が見えないから、提案の質が低く見えるだろう。しかし、被災者の個別体験の視座から見れば、家族・親戚・友人を引き裂かれたことを思い起こせば、ペットを見捨てた家族の子どもの視座からは、特に子どもは大きな喪失感を抱いている、大人社会への嘆きを放置していていいはずがない。

以前、遠野まごころネットの集会に参加したとき、強烈な身勝手さとも思える場の偏りを感じた。参加者は自由意志に基づいて、全国交流のステージに登場した参加者の自負に満ちている集会だった。それ自身が問題というのではない。

ただそこには小学生はおろか、中高生世代も登場していなかった。障がい者自身の参加も見当たらなかった。場を支配しているのは環境整備に尽くしている若者と、現地長期滞在ボランティアの私が阪神淡路大震災のときに見、有珠山噴火のときに見た時と全く同質の活動が会場を埋め尽くしていた。被災当事者の活動の芽がそこには見えなかったのだ。各地の市民活動やティーンズたちの非被災地の地元活動、加えて商店会・漁業関係者等業者の支援活動の声も聞こえてこなかった。ただ、壇上の発言者から、被災者の心を受け止めている共感とケアの視点からの発言があったのが救いだった。

この類型化した活動パターンから逸脱した活動が社会には必ずある。ケアの視点の活動と当事者自立活動は、ひとの生活の営みと心を抱えるから、表には出にくい。環境整備と仮設運営活動に束ねられた活動。しかし、こうした視点の活動の中から消えてしまう、子どもと被災者当事者の社会的弱者の自主活動の不在は、活動の発展を被災地の支援の面的拡大に求め、自分の活動の内省が活動の質を変え、新規の活動を生み出していくという、深みと出会いの「質のネットワーキング」には、つながっていない。

そういう災害ボランティアの常識が、どこにも蔓延しているから、ペットレスキューは、「それどころではないだろうに」と受け止まられてしまう。CMすればするほど、もうひとつの眼差し、政治派閥への分類の視点、どこの活動家が活動を提案しているのかという卑俗な視点が提案の邪魔をする。

結局、ポスティングに踏み切った。勿論応答はない。

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鶴嶺高校ボランティア塾の感想アンケートを見ることができた。著作権の問題があるので転載はできないが、25名全員からのメッセージが届いた。これは教員の勧めも確かに入っているが、文面の大半が、強烈な印象の中で自主的に考え始めていることを示していた。同校ボランティア塾当日、ひとりの子の机の下の携帯操作も講演中すぐに消え、私たちは荒涼とした被災地の風のなかにたつ被災者とともにならんで時を過ごしたような、共通の世界を見たように思った。そのことが多くの子のメッセージの中に語られていた。

今回語りの99%を東海新報社の木下繁喜氏にお任せした。リアルというより願いに近い語りの力だった。せめてあと30分あれば、触発された高校生の内にこめられている思いを交換することができたのにと、仕掛け屋1%の自らの語りを思い起こしながら考えている。

被災地、特に木下氏の語った気仙地方に高校生を連れて行きたい。すでに冬休みを使うことは無理だが、春休みを利用して被災地の人々と語り合いたい。これの資金を調達できないかと、これはこれで探している。教育系の助成金の線でありそうな気がするが、学校教員の取り組みでないと、申請団体の信用、活動実績が問われてしまう。教員の協力を得たい。教員自身の参加まで求めはしないが、責任問題の壁を超えること、そこが難しい。

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「(仮設)カー・シェアリング」を実現するには、中古車の入手経路を考えなくてはならない。しかし中古車業者から買うというのも能のない話だ。中古車を提供してもらうと話も、呼びかけ団体の力量が無くてはならない。行政仕立てに出来ないかという線を分岐案として探っている。それには仮設期以降の車の行きどころを含んで市民提案していかなくてはならない。骨格作りである。車検等メインテナンス料をも込みでプレゼントする形にすると、高額な企画になる。それだけの効果が見込めるかという予測や、例えば陸前高田市を対象に考えるとき、その車を最低何台提供配置すればいいかをつかまなくてはならない。マーケティング調査である。現地の行政・ボランティア・マスコミ等の地元の情報協力がいる。

こう考えるとクリスマスプレゼントのような送り側の勝手のような活動を超える必要がある。「(仮設)カー・シェアリング」について、行政関係課有志、私ら仕掛人と市民活動有志、被災地の関係者の議論を始められないかと考えている。

お手軽にはSNSの会議である。ただ書き込みには結構時間がかかるので、TV会議を併用できないかと思う。この辺を17日、関連学部の教授に会うので聞いて見る。呆れるだろうが、安上がりに実現する方法である。

アクセルを踏む時期なのに実現のステップというか、先の長さが見え、信号待ちのような苛立ちがある。ブログを読んでいる近隣の方の協力も欲しい。今考えているのは、この取り組みの枠組みは茅ヶ崎市だろうか神奈川県だろうかということだ。予算規模が大きいからだ、現実的には茅ヶ崎市だが。またどちらにせよ、県茅ヶ崎保健福祉事務所有志の係わりも必要になるだろう。

もうひとつの伏線、行政が動かなかったときの道のこともある。この話が先日サポセンで「のだ塩飴」を渡すときに話題になった。

かなり大きな資力のある団体の協力が必要という事で「日本財団」が話題になった。これと同時に頭に浮かぶのが「日本赤十字社」である。しかしここに提案するには、「仮設後」の提供車の有効利用方針がしっかりしていることが前提になる。しかもこの提案が他地域から要請があったとき、もしこれが東日本全域の仮設をフォローするとどのような金額になるかを試算しておく必要がある。なぜ陸前高田だけなのかとなるからだ。

仮設閉鎖後、流用先として、たとえこの中古車が世界の被災地に流れていったとしても、先方のメインテナンスやガソリンなどの調達を含んで考えなくては、寄付した先の自治体の問題と、押し付けて責任回避したとしても、世界をゴミ捨て場にしたとの謗りを「日本財団」や「日本赤十字社」は受けるだろう。となれば、世界の被災地を含んだより大きく高度な企画の中で「(仮設)カー・シェアリング」を語ることが必要となる。

これを考えたとき、広い盆によらずとも、特定の自治体支援を支援モデルとして実現可能な資力のある団体とはどこなのか、その団体の条件はどうなるのかを見通して依頼巡回に踏み出すことになる。それには私の提案をより公的に展開するチームがいる。または私の提案を応援してくれる団体がいる。

そう考えると、中古車提供の市民とメインテナンス請負いの業者を考えて活動の大きさを意識していくのが現実的なのだろうとも思う。こうしてこの道は行政協力を得るという道が第一番の道となる。

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もうひとつは「二次加工型被災地産商品購入」活動のことだ。今までの活動は、被災地の障がい者施設の作業所製品の購入活動のような、純益資金の行き先が直結して見える活動は例外として、商品が賃労働している者に直接分配されるのではなく、産業復興が地域を潤すという論理は、間接効果であることを押さえておく必要がある。純益の*%を地域還元としても、その地域還元分以外が被災者と重なる従業員たちの給与にどの程度分配されているのかつかんでおかないと、支援活動が一企業の販売活動と大差なくなってしまう。

しかもこの活動が個人消費者として購入者を逆規定してしまっている。購入活動という社会活動が、非被災地の支援活動を成長させるバネ、購入者を横につないでいく活動の力に直結しないこと、自由な募金者、多少見返りのある募金者として個々にばらされてしまう。団体が購入を決めるという事とは違い、購入活動を通じ「購入」という社会活動自身を成長させていく視点が無いことだ。

非被災地の支援活動の成長と、被災地復興の社会的還元が取り結ぶ連携活動を構想していく必要を感じている。それが「二次加工型」という活動、または「サービス地元発注型」支援(美容サービス提供際、提案した。)だ。

「二次加工型」支援とは、被災地において、その地域住民が広範に従事している産業活動のなかで、原料的な商品を購入し、非被災地において加工販売することで、購入規模を膨らませ、私たちも加工販売や販路を拡張していく活動のことである。福島の原発事故の影響があるので、線量モニターをしっかりしたうえの話であるが、牛乳や鶏卵、塩や魚などを買う活動だ。被災地で最終商品にしてしまうのではなく、原料・半加工品を買うのだ。

もうひとつの支援は「サービス地元発注型」支援だ。以前提案した美容サービスも、日常生活には欠かすことの出来ないサービスを、美容・理容師さんが被災地に出かけて行ってサービスを提供するのではなく、被災地の美容・理容師さんに仕事を発注して、サービスを被災者に提供してもらう活動のことだ。ここでは「二次加工型」支援のように、連携業者の社会性を問うことは無い。ただ確実に、良質のサービスを提供してもらう活動だ。地元関係業者さんには、地域の社会的貢献による栄誉と先々の顧客獲得の手がかりが得られる。その分、発注者が値切ることが可能。発注者も被災地に出向かなくてよいというメリットを得る。

このふたつの形の「被災地産商品購入活動」へと、舵を切るべきなのだが。

私はまずは陸前高田の障がい者作業所製品の二次加工販売を製品化すること。大船渡「絆」美容室を接点としたカット券購入活動を通じて仮設に美容サービスをとどけることから始めたい。

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市社協に東海新報社編集部の木下繁喜氏の講演反響について、高校生版の方の情報を提供しに行った。災害ボランティアの茅ヶ崎ネットワーキングの動きの話を聞いていた。南三陸のネットワークの話のことかというような困った応答があっただけだった。「(仮設)カー・シェアリング」の追加資料と、鶴嶺高校生の被災地体験を実現する際、ボラバスに乗せて欲しいという話をしながら、助成の可能性を打診。困った顔だけが返って来た。

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16日に高校卒業程度認定試験の合格発表がある。講師全員集まるべしという召集が相模大野校で、かかった。予測されていたことだが、毎回結構これがしんどい。「勝って兜の緒を締めよ」「これからが本番」の精神論を生徒と共にまた聞かされる。

宮城県警から電話連絡が来た。駐在の工夫のことは知ってるという話で、状況はつかんでいなかった。警察ではなく登米市役所に連絡をという話。日にちかけてこれが応答とは。日が何日あっても足らない。

化け物屋敷のような我が家の障子の張替えをやれと、母から勅令(笑)が出た。相模原で購入して帰ると、猫は許さんと言い出した。また元通りである。説得しても元へともどる。高齢者の特徴であるというが、夕食を食べていないというのに、布団にもぐってしまった。栄養が偏るからと無理矢理起こして、リゾットを作って食べさせる。糖尿病の私が食べないのではなく、胃切除した母が断食してどうするつもりだろう。野菜ジュースを添えたが、冷たいものは嫌と、あいかわらずの主張をして拒否された。胃切除前の好物だったのにである。

コロッケの衣を取ったらマッシュポテトだろう。外食の不足分をたべながらぶつぶつ言っていると、宮城の障がい児の作ったカレンダーはいらないかと、メールが入っていたので読んでいると、母が電話に出て騒がしくなった。女の子だと私に言いに来た。あ、おめでとう、浜見平の友人親子の娘さん、無事女の子を出産した。困った。明日は手伝えない。また母のハンスト抗議に遭ってしまう。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/12 治験が済んで/岩手県野田村の「塩飴」を配りつつ/災害授業の準備

2011-12-14 16:24:17 | 引きこもり
2011/12/12 記
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糖尿病治療の治験で、私の苦手な午前中、至近距離で人と観察的な視線の中で会話しなければならないのは、正直言って嫌だった。ラッシュアワー時の車内のひとの距離感は、視線をはずすことによって静穏を保っている。低血圧というわけではないが、朝から営業的笑顔と付き合うのが嫌だった。勝手ではあるのだが。

私の治験は、医師の監督の下で使う認可薬と組み合わせて使う新薬の相乗効果をみるという、従来の治験とは少し違う検査なのだが、調査方法は大差ない。規定の食事をして、一定間隔で血液検査を繰返す。血糖値の変化などをみているのだが、待機時間が長い。その間を外食しないように院内に軟禁されるのだが、拝み倒して外出したが、月曜日、図書館が休みなので、結局外来のソファーで、持ち込んだ本を読んで時間をつぶした。ところが右目が網膜色素変性症で見えないので、片目を閉じて読んでいくのだが、それが気になるのか担当者が話しかけてくるので、午前中は災難だった。

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治験が終わったときは、開放感がある。通信端末を抱えていたので、食事後粘れるところを狙ってメールを開く。大船渡の旧盛駅の休憩所の画像を頼んでおいたのだが、駅全体を意識しすぎて、休憩所の機能が見えない画像だったので、がっかり。結局気に入った画像は自分で撮らなくてはならないのだろう。次回は2月、湘南の支援の進展を届けたいのだが閑古鳥、気ばかり先に進んでしまう。ともあれ、**さん、調理以外も腕を磨こう。ありがとうとは、まだ言わない。

●「東日本大震災:災害FM開局 陸前高田市長が早速出演 /岩手」
●「被災者ら180人 遠野市が雇用へ」

現地はどんどん変わっている。靴の上から掻くようなもどかしさ、「元気付けはもういいよ」と言い放った仮設の++さん。湘南にいても精神論ではなくて、生活支援につながる運動は出来ないのか、これは生活支援期にはいった災害ボランティアの構想力の問題なのだ。

陸前高田の作業所支援を何とかしたい。昨夜、気がついたのは、「ドレッシング」と同時に、よりラフに試せる「スープ」を考えること。「薬膳」の流れかなとも考えて、被災地産野菜を探し始めた。

「カーシェアリング」は、車検料等メインテナンス代を込みにした中古車セット・プレゼントを考えるか、レンタカー業者の協力を取り付けて、その運営資金を基金化していくか、いずれにせよ、これは「仮設期のための企画」、仮設解消期には車が無駄になる。各人1台の東北地方の生活環境からすれば、都市型のようなエコ共有車は根付かないだろう。割り切ったほうがいい。これは奈良**MLにそう書いた。

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「のだ塩飴」を茅ヶ崎サポセンに持ち込んだ。震災復興シールを貼らないと、商品の意味が全くわからない。野田村の了解を得て、こちらでシールをデザインして貼ることになるのだろうか。しかし、主眼は「塩」を二次加工して販路に乗せる支援だ。「塩飴」は塩の紹介のときに一粒添えられる。

しかし、野田村も被災状況と復興活動の現状を紹介する印刷物を出して欲しい。1月に製塩工場が出来る。通販は3月とのことなので、新パンフレットを待っている。

サポセンでは、被災地障がい者の作業所製品の請負販売展示の話を聞いた。しかしそれは、湘南側が消費者、客に固定されてしまう。支援活動は支援する側がいかに自己表現(参加)するかという部分、その質に鍵がある。ちょっと買い物をして支援というお手軽側面と、支援が役にしているという達成感は連続していても企画のメイクアップは別物だ。しかし係わりの変容可能性は保った方がいい。

「塩」をイメージアップできるかということを含んで、考える。一般製品との差異・メリットが見えなくては売れない。

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昨日、母に壊されてしまった話を修復を求めるメールを書いた。どうもちぐはぐでいけない。ウィンナソーセージを使ってオードブル風に仕上げ、夕食を簡単に済ませた。

昨日、予告編をしておいたJR相模原の塾の震災授業の資料をまとめた。

●「自然災害のあとで (被災者からまなぶ自然災害) 」
●「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」

話の中心を被害の強烈な状況紹介に置くと、それだけで時間が過ぎてしまう。小学校高学年から大人までの範囲のごちゃまぜの方に90分枠で話をする。焦点は各人(自分)が何をすればいいかを見えるようにすること。災害の知識を習得することではない。

上記の2冊は、小学生向けのように見えるビジュアルなものだが、非常に簡潔に語るべきことがまとまっている。教師には都合がいい資料だ。ただ前者は3.11以前の書なので、その期待には答えられない。閖上の被災資料とともに、絞り込んだ。授業が済んだらまた報告を書く。

今回はここまで。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正2回目済み)
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