湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

3/30 年度末、「わーく」の紙面を編集しつつ

2014-03-31 06:35:36 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/30 記
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父の納骨先が2つに絞られた。有力候補の方に母を連れていくことになった。しかし家族の死ということは、大きな変更なのだと改めて思う。名義変更や契約の取り直しなど、振り回されているうちに3ヶ月余が流れ去った。

生業のことは勿論そうであるが、社会活動の拡散に警戒してきたが、災害ボランティアとしてのリアリティが、決して共有されているものではないこと、活動の単位が個人ではなく、組織と縁のなかで判断されることに、いかにふんばるかという点で、空転を阻止するあがきが逆効果を生んでいることに、余力がなくなっていたことを痛感する。しかし、東北の被災者との連携の必要性や、防災の重要性は変わるわけではない。ひとがつながっていく道筋をたてていくことが、結局はそれらの課題を集団訓練の防災から、私たちの生活の「縁」から再編されたセイフティネットを獲得する重層的な転換へと導く防災と被災者連携を生み出して行くことになるという先が見えてきている。

3.11直後、「正常化バイアス」という言葉が広がった。しかし、私の場合はそれ以前からの「手帳を持たない境界に生きる者の困難」(これは現在では『自閉症スペクトラム』のような広範な概念となって浮かび上がってきている)への取り組みや、ソーシャル・ファーム(要援護者の救援連携を目的とした社会的企業)の提言として活動し、空転を続けてきたことの延長線上にあり、「正常化バイアス」はそれを後押しした形で登場した。その空転が新規の接点の方の疑惑を生むという軋みを引き受けつつ、既に十余年が経っている。オオカミ老人ではないが、私は私の活動の重要性を引き下げるつもりはないし、災害対策の緊迫した状況判断を過剰とは思わない。東京オリンピック会場を埋立地に集中し、避難路が数少ない橋でつなぐ愚かさは、直下型地震を無視し、3.11から何も学んでいない日本の現状を表している。大鉈で社会を裁いてもアメーバのように切れないそんな状況に、ネットを拡げていく大切さ、いまここで空転承知で提案を続けて行く営みを続けて行く。読む読まないは勝手。それが「この指とまれ」型活動の原則だ。

やっと個人の事情の忙しさは山を越える。来年度は孤独な道でも歩みきる。評価は後からついてくる。それ以上もそれ以下も求めない。幻想は持つまい。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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3/29 TBS特集報道「災害と自閉症」を見た

2014-03-30 06:06:40 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/29 記
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大事な放送があった。
TBSの17時からの報道特集「災害と自閉症」だ。被災障がい者の情報は、なかなか伝わってこない。齋藤雅俊記者の取材によるものだが、気仙沼の本吉地区の自閉症者の家族取材から始まり、通所施設「ほっぷ」開所に至る「本吉絆つながりたい」の紹介をしていた。東北は家庭の閉鎖性が強く、世間に迷惑をかけないという意識が強い。それだけに、よく取材させてもらえらものだと一方で感心していた。

ここで、被災体験の傷が自閉症の方のパニックやこだわりの強化につながっている状況が描かれていた。被災直後、避難所に入れない彼らとその家族はどう暮らしていたのだろう。2ヵ月後に仙台の特別支援校に臨時避難できたというものの、地元の施設が収容支援機能を失ってしまう大災害下、冷や汗をかく思いがある。その後、地元校が再開しはじめることで、彼は家に戻ってくる。しかし、彼の不安は強くパニック・こだわりを繰り返す。

これは他の障がいを抱える方も、なおさらに、ぎりぎりのところを生きてきたことが推察され、孤立させてはならないと思う。この特集の中で、自閉症者の不安・心の傷の影響調査表が出た。PTSDと同じく被災後、4・5年たっても行動の異変は高止まりしていて、多難な生活再建を余儀なくされている状況がわかる。

5月上旬にいけたら陸前高田と気仙沼に寄ってこようと思っている。来年度の懇話会企画は、前半が個別積み残し課題だが、後半は当事者家族または支援者から体験談を煮詰めて行く。

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ブログの読者が半減した。前回のような企画状況があれば当然だと思う。しかし間違っているとは思わない。いい仕事をすることでしか、つなぐ手は無いと信じている。今黙ってしまうほど、状況は好転していないし、太平洋岸の大震災の可能性が強まっている中、私の火種は必ず拡がると信じている。いかにいかがわしさのレッテルを貼り続けられようとも、それは私が活動をやめる理由にはならない。十数年が二十年になろうと、まず今なにをなすべきかを考えてほしい。そう思うのだ。

片方で「風化」とよばれ、私がプライバシーに関わる医療・介護・福祉の生活支援への課題のシフトと、支援のしにくさが状況として浮かび上がってきている。未来塾では、以前私が開拓した「せんべい」が地元起業の例として紹介されていた。(もっとも私の場合は、南部せんべい流の即席せんべい汁の素のようなものが中心だったが。)その起業のなかでも、海外販売を開拓したネパリ・パザーロ仲介の「椿油」や、着物端ぎれ再生の東北マームの「小物グッズ」のような事例が生まれてきているが、淘汰された起業展開も行われている。

支援が淘汰されているという感じがある。それどころではないのに、愚かだと思う。まずは今自分がどういう状況にあり、いかに連携できるか、轍をふまずに準備できるかを考えていこう。自分なりの網の糸を繰り出していく時期であるはずだ。

私は災害弱者への連携と、再起が必要な挫折した方の再出発の道を描きたいと思うだけだ。ここから災害ボランティアの道を歩く。

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**子がシアトルに帰った。次は進学の関係で数年は来られないという。きき忘れたが、彼女は災害と支援ボランティアのことをどう思っているだろう。視座が違うから、ちょっと興味がある。

春期講習がない春は久しぶりだ。「わーく」の紙メディア版が復活する。図書館の災害関係書籍はいつもきれいだ。世の関心はそんなものだ。幻想は抱かず、活動を続けよう。

夜間傾聴>**子(年度変わりの相談)
     ひとり

p.s.魚屋さんに就職した彼、順調だろうか。気になっては、いる。

(校正1回目済み)

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3/28 「ミニ・カフェ」開始と「ワーク」紙メディア再開/集合墓2つの形

2014-03-29 06:12:01 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/28 記
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やっと墓の候補が2ヶ所に絞られた。最終確認をしに、都内の墓苑に行ってきた。右目の涙腺がおかしいのか、涙が止まらず、そんな涙目で業者と対面すれば、先方は病気であることを知らないので、奇妙な慰めをかけてくれるが、的外れなのでこちらの調子も狂いがちだ。

一つ目は、奇妙な納骨堂型墓地だ。ビルの駐車場や自転車収納場のように、骨壷が検索されて下りてくる。墓の戒名もディスプレーで表示される。街中のビル。無宗教OKで、表示はハングル文字も対応できるという。びっくり。

もうひとつは、集合墓だ。これはやや辺鄙なところにあるのだが、骨壷は他人の骨壷と一緒に埋葬される。集合墓碑の背後にUの字の石板が建っており、そこに名前や戒名を掘り込んで管理される。

値段や永代供養料交渉をしてきた。次回は母を連れて行き、候補をひとつに絞り込む。代が途絶えてしまう家庭では、このような日々の管理が雑草の生えた墓苑より、ましだ。雨にも左右されないで済む。

やっと見通しが立ったので、急ぎ慈恵医大病院眼科へ。外来はさほど時間がかからなかったが、結局はアレルギーではないかということで処理されてしまった。ドライアイはよく聴くが片目だけ涙が止まらないというのは、最近のマイクロソフトのCMで織田信成さんが、流すコンピュータグラフィックの涙まではいかないが、3時間ほどして効き目が出てきた。

しかし御成門からJR相模原は遠い。ぎりぎりにすべり混んで授業。日吉・菊名経由で2時間弱。相模線で茅ヶ崎に戻る頃には、終バス直前になっていた。

「わーく」は、オンライン版が年2回ほど流れていたが、紙メディア復活となる。「要援護者の被災保護は、家族保護の視点で」という記事の推敲をしている。被災時、要援護者のケアを行う家族も逃げ遅れることになる。避難できても公共サービスが、地域集団から離れて生活しているために受けられない問題を見逃している。被災後の家計たて無しも、いっそう条件が悪くなる。このサバイバル状況を踏まえ、当事者の対処機能の困難に目が集中しがちだが、家族単位で災害を考えるべきなのだ。

やれることはまだあるが、そこを「わーく」で、援助活動の立場から、自主防災の話を書く。地域社会活動の場面では引きこもり青年にも出番はある。懇話会と違い、実現すべき課題に取り組む。一般公開型の紙面。

ドキュメント「架け橋 きこえなかった3.11」は、4/13の埼玉県の上映会を見てくる。これがOKなら湘南上映にもちこむが、懇話会で紹介しても、上映は別組織。「わーく」上映にしようかと考えている。上映実行委形式もあるが、またひとり空席もありうる。それを受け止めるには「わーく」編集部でないと無理だ。勿論、よびかけにベストは尽くす。上映決定と申込みは4/13埼玉上映会を踏まえるので、「わーく」No.041は、4/15配布を目指す。しかし金が要る。孤立の危険がある活動には助成金申請もかけられない。要援護者支援の流れを生み出すためには、黙ってはいけない。

ひととつながるために、TV番組鑑賞も初めて行く。「よるカフェ」ならぬ「ミニ・カフェ」だ。災害関連中心に仕掛けて行く。結果は「わーく」に。

保健師ジャーナルをチェックする。ジュンク堂にあるか?

<注目している書籍>
●「3・11後の労働のデザイン―労働と表現の関係性を探る」4/3刊
----- 著者は保健師経験者。
●「災害時の介護―介護施設が巻き込まれる5つの変化」
●「花園大学人権論集 弱者に寄り添う―災害と被災者支援の実践から」


夜間傾聴>塾長(恒例の高尾山花見の招待あり<行く気なし)
     ひとり


(校正1回目済み)





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3/27 新年度の体制を整えて

2014-03-28 06:15:11 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/27 記
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とにかく税金に追われている感じだが、やっと一段落が付く。私が墓苑探しをした帰り、母と待ち合わせて、ささやかな外食。胃が無い母は,量を食べられない。和食以外は、油がしんどいということで、行き先が限定されてしまう。ちょっと注文が多いと懐石風に流れ、高いし私の糖尿病の胃袋がわめきだす。しかし、本当に中間どころがなくなった。高いか安いかの両極なのだ。辻堂駅前界隈は開けたといっても若者にしか微笑まない。高齢者の行き場が無い。結局割烹に入って安値のものを食べて、欲求不満で店を出る。

嫌がる母を引き回して、藤沢で値段の高いささ身とローストビーフ塊を買い込んで、口直しと称して「茶碗蒸し」とスライスビーフを作り、母は両方、私は「茶碗蒸し」のみを食べる。

ひょんな話から、母は「サンマー麺が食べたい」と言ったのを「サンマラーメンが食べたい」と聞き違えたことで、昨年の大船渡に行ったときの復興を目指した名物作りの話をした。岩手北部の野田村は、天日干しではない火力釜で煮詰めた塩がある。そこに塩釜を提案したが、なしのつぶてになっている。

塩釜とは、塩の山に食材を埋め込んで、火にかける。すると塩が熱の緩衝剤となって、適度な湿気と温度で蒸されるような状態で食材調理が進み、軽く塩分が移って風味よく仕上がる。塩漬けのような辛さにならない不思議と、最終段階木槌で塩を割る面白さがあるので、やってみないかと観光協会を誘ったのだった。欠点は加工時間が長いことと、加工後の塩の残りの回収再加工が結構面倒なことだ。野田塩は海産物加工の塩であり、結晶が大きい。例として牛タンにたっぷりオールスパイスを降りかけて、なかるくセロリの葉で一重に巻いて、塩釜に入れて焼く。水気の少ない魚もOK。塩はけちらず多めに使う。派手だから観光資源になるんじゃないのと伝えた。メールを送ってみた。

陸前高田広田町のワカメは、成城石井が買い付けて販売している。販売店によって置いていない店もある。しかし、先日生協でCOOPブランドの三陸ワカメと比較して、愕然とした。三陸ワカメは、均一にやわらかなのだ。ところが成城石井の広田ワカメは、明らかなムラがあるのだ。株丸ごとカットせずに袋つめているのが原因だ。これでは復興にはならない。

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墓苑は都内が有力になった。明日、JR相模原の塾長に最終コマだけにしてほしいと頼み、管理寺院に交渉に出かける。また右目から涙が止まらなくなっており、慈恵医大によるかなと考えている。

今、「要援護者の被災保護は、家族保護の視点で」という文章を書いている。久々の「わーく」の記事(B5両面版)それでもNo.041号になった。オンライン版から、紙メディアに戻す。まとまったら、ブログに転載する。

裏面は、「災害ユートピアと引きこもり青年の再出発について」と「個人医療情報QRカード検討」の連載を始める。紙面が小さいのでこまめに発行する。

夜間傾聴>なし

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3/26 県茅ヶ崎保健福祉事務所に懇話会通信No.006を配布し/他

2014-03-27 05:44:40 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/26 記
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懇話会の通信No.006を配布している。今回は県保健福祉事務所と、育成会、そして香川の某高齢者関係事業所。県の関係では、まず目に入ったのが「保健師」関連の映画批評。次にJDFの資料集。やがて前回の企画レポート。あ、読ませてもらいますといういう応答1件。警戒すれば身をひくのが役所のならい。しんどくなるぞと思いつつ、隠せば伝わったときに根が深くなると目を閉じる。

奈良**MLで賛否両論の方がそれぞれひとり、メールをいただいた。以前、某政党の機関紙の元記者さんを紹介してくださった**さんは反対の立場。内容の濃い活動をしてれば、わかる人がついてくるという論。私は無視の力を知っている。内容の推敲と精査は当たり前。しかしキャッチボールは相手がいる。その相手は理屈ではなく縁でつながっている。そこに理屈が相手の心を揺することができるのかという問い。埋もれて行く力と屹立するしんどさは、交点を作らねば解決の一歩も始まらない、ボールは闇の中に消えて行くということ、幻想は持たないということを応答した。

また、賛成の立ち場に立つ方のメールには、言わなければわからないとの話が書いてあった。言ってもわからないのですよと応答。しかしそれが、だから言わないという根拠にはならないというコメントをつけた。偏屈爺ぃである。

医療・福祉の関係がなかなか個人の進言が通らないのは、専門職と依存の壁があるが、長年社会活動をやっていると、社会勢力の、いわば力の分布もまたわかってくる。私は是を是、非を非の立場だが、石頭とはつながれない。またその分布操作に乗るほど器用ではない。それどころではないではないかという立場で言葉を発している。この危機感が背景にあるから、私はへこまないが、から回りする。しかし不毛だ。眺めていないで、自分なりにやればいいのにと思う。

元記者さんは、正義の刀を振り下ろせば、わが身も切れるという私の論に嫌な顔をされて、話が止まり再会の話無くお別れしたが、俗なひとだなという印象しか私には残らなかった。亡くなった森毅さんが、にやにやしながら、その辺の構えについてうなづいていたことを思い出した。自分からせっかちに主張する方ではなかったが、野暮ったいことは嫌いだった。しかし、相手は切れていないよ、空間認知の問題かなと嘯きつつ、またけもの道の藪こぎに戻るだけ。

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消費税値上げ期にあわせ、XPサポート打ち切りの話が流れ、浮世の流れに突き動かされてPCを購入した。タブレット型では自由さが気になるが、デスクトップでは小回りが利かないということで、嫌がる店員を捕まえて、タッチパネルと新規ソフトの追加の話や、キーボード継ぎ目のマグネットの磁気漏洩の程度などつっついて、結局型落ちノートPCに落ち着いた。Win.タブレット型は納期半年近くだという話をききながら、今、通信添削で使っているiPad(私物にあらず)で、補完は充分ということで、ノート型がまもなく我が家にやってくる。

先ずはじめに、墓地データとは笑ってしまうが、それなりに小さい。型は古いが、たまには持ち歩く。外出時はスマホで充分。外国製のPCは修理が大変と店員がいうが、ああそうとHPやレノボ、DELLを手に取る。まあ、この中で機種が決まったのだが。

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母が東京の病院の診察を受けに出て行った。見送りを嫌がって携帯をごたごたの最中、家の玄関に置き忘れた。連絡が取れないので心配していたら、定時に帰って来た。古い友人と外来で出くわしたので、趣味仲間と行っていた神田のすし屋で、食事を済ませてきたという。

ジャガイモ&ピーマンの千切りを炒めて、ほうれん草の味噌汁。塩麹漬けしておいた柚子大根を、塩分に問題ありとぶつぶついいながら食卓に並べて夕食。糖尿病食である。母の中トロの自慢話と小言。馬耳東風・馬の耳に念仏・耳にタコとならべていくが、まあ、食事を済ませた。勿論母はお茶を飲んでいるだけだ。携帯を返した。

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相模大野校で綾瀬の墓地の話を聴く。事務長の次に、私が棺おけに入るんだろうと口の悪い連中が言っている。ここは引きこもり青年の居場所ではなくなった。壊れるのは速い。

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●「視覚障害被災者の10年―阪神・淡路大震災メモリアルイベントの記録」

茅ヶ崎市立図書館にあったので予約。(2005年刊)

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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3/25 懇話会通信No.006配布開始>冬がやってくる

2014-03-26 06:30:01 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/25 記
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懇話会の通信No.006 を配布開始。当日、市の障害福祉課の方々以外は参加しなかったことをレポートに明記した。隠しても事実は事実、仕方が無いことだ。冬が始まることは覚悟の上だが、東北被災地の方々の生活再建がおぼつかない状態のまま、風化なる煙幕を張ってもしかたがないことだ。どうしたら、この「被災数年後の壁」を越えられるか知恵を尽くさなければならない。

災害弱者(要援護者)の当事者・家族は、迅速な避難行動がとれないことや、集団避難生活に「迷惑をかける」という感覚から、指示待ちに身を置き、自主判断を萎縮させて思考停止してしまう。これはあまりにも悲しい。加えて、高齢者・障がい者の災害避難は当事者の困難から発想し易いが、ケアに当たっている家族が崖淵に追い込まれ易いという「家族の問題」としても存在していることを忘れている。

安全避難から避難生活へ、生活再建期へと移行する中で、支援の潮の引いた数年後、家計見通しを含んで孤立化してしまいやすい。当事者の年金や生活保護を受けても、厳しさは増す。

だから地域連携の知恵は練っておかなくてはならないと思う。ましや、首都直下型地震や南海トラフ型地震の発生が警告されている現状を、続けて災害は起こるものではないと合理化してしまう轍だけは踏みたくない。

頑張りに疲れと限界が見えてくる被災数年後の孤立化を前にして、なにもできないのかと思う。自分が近々通る道でも同じ憂き目に会うのが予感されているのに、知恵を絞らないのは愚かとさえ見えてしまう。

今日は、市役所関係課・市議会・記者クラブ・市社協・会参加者等に通信を置きつつ、今後の予定への協力を求めてきた。当然、無視の勢いは強まる。

懇話会は被災地現場の鮮度のある経験に触れ、参加者の検討を促進するいわば種まき活動で、この会自体が結論を実践する場ではない。議論の公共空間を目指している。論点を持ち帰り、深めてもらうことに価値を置く。講演ではなく懇談という贅沢な選択をあえて取りたいと思う。それほどに、生活再建と連携の壁は越えることが容易ではないからだし、懇話会は今後の連携の芽を育てる、悪い印象の言葉だが、医療・福祉の公共ロビー活動だと思っている。実践が動き出すならそれは「ネットワーキング」と呼べるようになるだろう。だから懇話会を育てたい。「この指とまれ」型で進める活動だし、それには芯が折れては話にならない。

飛田無視はすでに十数年に及ぶ。対案を聞いた例が無い。そのときどきに、協力してくださった方に感謝したい、しかし、問題がここに厳としてある限り、私は沈黙するつもりは毛頭ない。

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永代供養墓のある寺院の協会があった。勿論、一部の寺院で、すべてを網羅しているわけではないが、助かった。

今日は、通信を配布した後、JR相模原の塾に行ってきた。塾長がなにを吹き込んだか、新人塾講師アルバイト君が、「確かに」と、わけのわからない納得をされてしまった。塾、つぶれなくてよかったですねと塾長に、皮肉なご挨拶をして、春期講習中は私は暇になる。金欠だが中古PCを買おうかと思案中。

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グランドトマト(調理用)が手に入った。分厚いカジキマグロを買い込んで、シーフードステーキを作った。加熱したトマトソースとガーリックで整え、パセリをかけた。母用はバターとオリーブオイルで、私は軽くサラダオイルで区別、カロリーコントロールした。

今回は,遅い夕食と嫌がっていた母が、完食するなど成功。

明日は通信配布後、橋本で仕事。帰りに中古PCを見てくる。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)


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3/24 墓地探し続く/懇話会の通信 No.006 完成/他

2014-03-25 06:03:31 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/24 記
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父と家族の墓地候補を求めて、探索は県内に枠を広げた。その結果、副次的に発見もあった。それは、消費税増税前に高額商品を買う動きは、実際、墓にも波及しているということだ。管理者の鼻息は荒い。

今回訪ねたのは、ある市営墓苑に隣接した墓地だった。市営墓苑は高齢者事業団や、障害者団体が清掃・環境整備を請け負っている。障がい者就労の職域開拓の中では、比較的早期に実施されており、そこには初期、引きこもり青年も参加していた。そんな関係で、今回訪問した墓地の所在は知っていたが、訪問してみると。市営墓苑に隣接した民間の個性を持たせた墓地だった。

芝生墓地の面積が広く、ローンは使えず、代が途絶えても代理人が使用料を支払い続けなければ、墓を買えない仕組みになっていた。つまり高いことで差別化を図っているようだった。

また、もうひとつの屋内遺骨安置所を構えている寺院は、無宗教は合致しても、そこの法主が北朝鮮の総連会館を購入しようとした池口恵観氏でびっくり。

最後のひとつは、その宗派の檀家さんだけに設置された墓地だった。

うまくいかないものである。あとは4候補。少々疲れてきた。墓石をみると赤い文字、当人が存命のとき墓に赤文字の名前を入れる。新しい分譲地の、あちこちの墓が中身が空なのだった。そんな社会現象を垣間見たのだった。

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懇話会の通信 No.006 の校正が済み、明日印刷配布する。次回は災害医療の地域サポート・訪問介護の話、今回は宮城の現場から招待する。冬場が来る。今、東北支援と湘南防災の緊急度と懇話会の現場主義の公共空間を作る価値について、説得を続ける。東日本大震災の風化なる言葉を語る前に、東北の復興の現状から人生を狂わされた方たちとの。それこそ「絆」を考え抜きたい。何も終わってはいないのだから。

さらに高齢者・障がい者など災害弱者(要援護者)の課題を当人の課題と勘違いすることの無いよう注意したい。この方々を支えるご家族の課題でもある。大災害に逃げ延びることの不可能さを論じる前に、家族を単位に考えたとき、何ができるかを考えた方がいい。

「携帯メールを使えるようにする」・「雑踏の中、自分が支援者であることを表現する『頭上両腕側振』(飛行機の誘導合図)を拡げること」など、準備が無くとも大きな意味を持つ活動の紹介や啓蒙というような、小さくとも大きな意味を持つ活動を紹介しながら、懇話会の運用を促すことを始めて行く。

「この指とまれ」型の活動は、ひとりでも文句をいわないことが必要。「個人医療情報QRカードとSOSカード」や「笛の携帯」「黄色いハンカチ」「鈴」というような道具を必要とする提案は、別途企画化していきたい。また「架け橋 きこえなかった3.11」は、試写鑑賞後、「わーく」編集部で取り組みたい。それらと関係付けて、干物の歯軋りを続けていく。

夜間傾聴>A子(明日、シアトルに帰るとか)
     ひとり

(校正1回目済み)


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3/23「1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-」鑑賞ちと幻滅 他

2014-03-24 05:58:17 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/23 記
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渋谷アップリンクで上映されているドキュメント「1000年後の未来へ」を観てきた。ふたつの立場から視点を変えて見てきたのだが、作品はB級だった。とにかく浅いのだ。

ひとつは懇話会の立場。災害時地域医療と介護の論議促進作品としての期待。もうひとつは「わーく」編集部として、災害時医療・介護の外周の民間支援のモデル形を提案する作品としての期待だ。

いずれも満たしてはくれなかった。以下が懇話会の通信に書いた記事だ。ご覧あれ。

----- ここから ------

『1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-』(2014/日本/DVCAM/16:9/カラー/98分)
製作:都鳥伸也、都鳥拓也 監督:都鳥伸也
製作・配給:有限会社ロングラン 映像メディア事業部

●3/23(日)「初の保健師映画」という上記の作品の上映会を観てきた。これは、大災害時、被災者の避難生活の現場に立ち会い、地域医療と、個々人の心身の健康管理を行う専門職のひとつ「保健師」の、東日本大震災に於ける地域活動を紹介する作品だ。
●私はこの作品を通じて、高齢者・障害児者のケアに携わる者として、災害時医療・介護の外周、圧倒的人手不足になる専門職の活動の矛盾を受けざるを得ない者の立場から、活動支援の民間連携の形を探っており、特化した専門職の横断的な取り組みの可能性を期待し、作品が議論を促進してくれないかという関心から試写として鑑賞してきた。可能であれば、湘南上映をと考えていた。
●結果は中途半端な評価となった。たしかに保健師の仕事を紹介しているが、3.11を終息した過去の災害の扱いをしていることや、誰がどのようなメッセージを届けようとしているかが全くわからないB級作品だったことだ。被災者が見えない、被災者と向かい合う現状の語りが全く見当たらないのだ。
●学校現場の論文作文の場面で、テーマをあげると綿密に経過を調べ羅列して研究と称する作文が乱発される。著者の関心と表現目的が軸になっていない論文は評価できない。同じことが起きていた。残念でならない。監督は「ケ(ハレとケのケ)」の土本典昭流の表現というが、被災者の現状に立ち会う保健師の仕事が描かれていないで、経過をなでているだけだ。NG。今回は、その辺が見える立場にいる湯浅誠氏がトークショーにからんでいたが、全く論じられなかったことは驚きだった。
●被災後数年という場面は、被災者の頑張りに限界が見え、特に災害弱者の未来に諦めの暗雲が立ち込めてくる頃だ。特に精神保健の観点からは、危険な孤立化が目立ってくる。災害は終わったのではなく、今が地域保健・医療が問われる時期である。その現場の拮抗が浮かび上がってきてこそ保健師の骨頂が表現されるのではないか。
●困ったなと思う。保健師ジャーナルに紹介されたらしいが、類似作品が無いので、これを「保健師活動紹介」作品としてなら、保健師の活動メモとしてなら何とかつかめるというものの、3.11を標榜されてもあんまり関係ないから、懇話会採用は無理かなあと考えてしまった。 (飛田)

●「1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-」
●「架け橋 きこえなかった3.11」

----- ここまで -------

A子は座間の実家に帰る。まだ数日滞在しているので、海老名あたりで、改めて会う予定。

**子と武蔵小山でおデート。さすがにお彼岸なので和尚は来なかったが、たまっていた話を聞いてきた。しかし、健常者ならまもなく小学生位の子がいる年齢。作業所をやめたら、交流が全くなくなる。いい知恵はないか。

夜間傾聴>塾長(花見の話、今年はフィリピン支援がらみか)

(校正1回目済み)

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3/22 墓苑めぐり続く(当座、今日まで)/明日の映画会は湯浅誠が参加

2014-03-23 03:51:50 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/22 記
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墓地まわりをしている。今日は元の我が家の墓参後、事務所で墓の永代供養料などをきき、雑談。墓の生前購入者が激増とか聞いた。3>8%の影響はあるが、どのくらいというところまでは、わからないとか。

とにかく路線バスが無い、タクシーも拾えないという田舎道。偶然通過した霊園送迎バスに手を振ったら止まった。しめたと思ったら、近くの別の霊園に連れて行かれてしまった。ついでなので事務所に話をきくと、墓石の値段がだいぶ違う。10万円単位で違うのでびっくり。無縁墓ではない合同墓情報が偶然手に入り、折り返しの送迎バスにも乗れた。

藤沢に出て、今日最後の墓苑へ。ここは合同墓はなし。

3箇所回ったのだが、茅ヶ崎市民はこんなところでも苦労しなくてはならない。

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明日朝、「1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-」を見に行く。定員オーバーの可能性はあるまいと、思っている。朝8時すぎには家を出なくてはならないので、今日はこれで終わり。

後でレポートする。


夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

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3/21 今回は私事ばかりです・墓苑探しは難しい…

2014-03-22 06:13:21 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/21 記
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お彼岸である。しかし今年のお彼岸は、父の遺骨の納め場所探しという困った仕事がつきまとった。我が家の墓は少々遠いところにある。父は介護を男がするものではないと突き放し続け、年寄りの多い我が家で無茶をした。祖父母からは遺言で同一の墓にしないでくれと頼まれ、父自身もある新興キリスト教の信者として葬儀と墓を否定した。折り合いところとして、無宗教合同葬の墓に入れることを母は望んだ。だからことは面倒になった。社会慣習からの逸脱を一切認めない父方の親戚筋の抗議を受けながら、新しい墓を探さねばならなくなった。

都内のある合同葬の墓苑は、無宗教を謳うが仏教だった。宗派を問わないという意味だった。大庭墓苑は藤沢市民だけであり、今回回った墓苑は合同葬型がなく、もうひとつの墓苑は仏式だった。しかし高いものだと思う。区画と墓石作成料のない樹木葬や海に流す方法も2人分(私と父)を越えると、安い埋葬型墓石の墓と大差なくなる。しかし、私は、やっと父の介護の束縛から離れたというのに、墓でも父をひとりにさせないために、付き合うことになった。憂鬱な墓地探しである。

一日3箇所は徒歩では巡回は無理だ。我が家の墓苑まで近隣駅からタクシー。最後の横浜はバスがあるが、閉苑まぎわなのでタクシーで滑り込んだ。それでいて収穫がないとは。

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帰りのバス待ちの人の列に並んでいると、老夫婦の話が気になった。中越地震で妻を無くし、東日本大震災で夫を無くしたふたりが、墓地でであったらしい。夫婦ではなかったのだった。日常の中に、災害の爪あとが隠れていた。

シアトルに移住した元塾生A子が戻ってきていた。墓参である。会いたいとの事だが、指定日が23日の「1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-」の上映時間と時間が重なっていた。迷いはあったが、断った。

息苦しさを感じ、無糖コーヒーを曇り空に持ち出して、あおった。道を拓く持久戦である。

(懇話会・通信No.006作成中)


夜間傾聴>A子(台湾語と英語と日本語ミックス、相変わらず)

(校正2回目済み)

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3/20 要援護者支援ケア関連の上映会に「架け橋 きこえなかった3.11」が入り

2014-03-21 06:11:21 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/20 記
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一気に気温が下がり、ぐずついた一日。JR相模原の塾長から安否確認(笑)の電話がかかってきた。しばらく教室に行かないからだ。夜間に電話をかけてくるくせに、安否確認もない。年度末の始末をしていたのだと説明。

大庭墓苑は藤沢市民以外は利用できない。隣接地域もだめかと話して、あっさりダメと断られた。まだ「みずき」の湘南墓苑を当たっていないので、明日は戸塚と両方を訪ねてみる。いっそ博物館はどうだとブラックジョークをいう。母からそれはお前だろうと応答があった。不謹慎極まりない話ではある。

聴覚障害関連の映像作品に「架け橋 きこえなかった3.11」がある。「『わーく』編集部」の取り組みかなと考えるが、3万円+観客数×300円は痛い。神奈川では

    1月25日
    東日本復興支援映画上映会
    主催:東日本復興支援ネットワーク神奈川
    参加者 40名

となっている。下見をしようと今後の予定を観たら、4月13日(日)さいたま市上映会までない。湘南の聴覚障害関連団体の方々と相談してみようかなと思いつつ、またそれ以外の障害当事者団体の沈黙があるのかなと考え憂鬱になる。

保健師さん関係の「1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-」は23日朝の上映会で下見をする。

金策、助成金のめどを立てたい。歩きはじめる。

プライマリ・ケア連合学会PCATの医療・介護訪問支援を来月早々交渉を始める。まだ具体的な講師が決まっていないが、依頼書は送ってあり、医師というので、高額にならなければいいのだが。

懇話会の通信No.006は、3/10の懇談会が市障害福祉課の方々のみだった最悪の状態を明記した。ビデオの扱いもあるが、来週火曜日には仕上げるつもり。

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両膝の怪我、やっとかさぶたができた。しかし災難は続く。

笑いながら読んでください。

昨日、茅ヶ崎のイトーヨーカ堂の食品売り場で買い物を済ませ、レジを通った。店は混んでおり、私はうっかり買い物袋(2円)を買い忘れて、レジに戻って袋を買い求めようとした。勿論、私の次の方の支払いが済むまで待っていた。

と、その支払いをした50代男性が突然大声をあげた。「順番を守れ!」と。レジは通路を塞ぐほどに列が出来ており、私は買い物整理台に行く前に気が付いてUーターンしたのだが、男性はいきり立っていた。「私は今ここで、レジの清算を済ませていたことは、ご存知ですね。買い物袋だけ欲しいのですよ」と応答。「お前は常識がないのか!」と、また大声。「なにか、面白くないことでもあったのですか、大人がみっともない」と私。

これがいけなかった。レジがとりなして買い物袋を出したが、「お前の家までいく」とがなり始めた。「どうぞ、ご自由に」と私。結局彼は、肩を怒らせすごい形相で、駅の歩道橋を渡り、南口の私の行く先のバス停までついてきた。しばらくすると、茅02系統のバスに黙って乗り込んで行った。脅したつもりなのだろう。本当に荒れた世の中、当たりやすそうに見えたのだろうか。定年退職間際の男性がどうもいけないと思いつつ、似たようなものだが、失業者にみえているのかなと、ため息もでた。

あるお世話になった方が、一昨日亡くなった。独居ゆえの発見の遅れがあったらしい。葬儀に出る顔が無いので、一段落してから御挨拶に行ってくる。お別れの方が増えてきた。歳なのかなと思いつつ。


夜間傾聴>**子のヘルプ(23日、夕方お宅訪問することに。)

(校正2回目済み)

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3/19 やっと年度の一区切り/サポチガ全体会に参加し

2014-03-20 05:57:02 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/19 記
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朝、灯油の配達があって起こされた。7時半。投函すれば終わりと寝床に入ったのが6時半。全くうまくいかないものだ。8時には起きて、相模大野校で打ち合わせの予定だった。会議は、ぼけているので追い出された(幸いだが…)。とにかくノルマは終わり。春期講習は担当しないので、これで一息が付いた。しかし朝型人間は非寛容だ。

毎年、確定申告最終日がらみで、ここが年度の区切りとなる。会議を追い出されたので、とにかく急いで家に戻る。結局それは母の昼食を作ることと同じことになってしまう。支度を整えて外へ出ると、サポチガ会員の**さんと道で出会う。マラソンのゴール間際で沿道から足止めの声をかけられたときのようなやり切れなさに、ゆとりの無い自分を感じてしまう。このままサポチガ全体会に出ると何かを引きずってしまいそうな、悪循環の弾みをずらすために、サポセンへの直行を避けた。

幸い全体会は20分遅れで始まった。テーマは役員改選準備だったが、時間が余って話題があちこちに跳んだが、何かを共同でやることで異なった活動が交流できるような活動、結節点的な場、それが必要だという話になった。アイデアはでるものの人材と資金が足らないという迷路に迷い込んでしまうのだった。

しかし、3.11震災から3年を経て。被災地の課題が多様化し、生活・産業復興等それぞれに、実益的な支援を求められていること、それが支援活動に関わりようの無さを生み出している事情がある。非被災地の住民が飽きっぽいのではなく、援助策の手詰まりを感じて、それが活動の低迷に繋がっているという面を忘れてはならない。具体的手だてがない。だから知恵を寄せ合う、そういう公共空間をまずはうみ出して行くこと。

現状報告が順番に回ってくるが、私の活動を語る場に立って言いよどんでしまう。活動の背景が違うからだ。医療・ケアの地域チームサポートネットを私が語る背後には、遅延性PTSDや、鬱が潜んでいる仮設生活を語らねばならない。それを語れば、被災3年目より頭をもたげる、言葉から共感を奪い去った事態から皆、口をつぐむ。

厄介なテーマだが、やれることは、あるはず。足跡を残すために、レポートの懇話会通信No.oo6完成させている。今夜はとにかく、眠る。

夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)

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3/19 水曜はサポチガ全体会に参加予定/湯浅誠トークショー付きの上映会に

2014-03-19 06:23:01 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/19 記
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立ったり座ったり。家に戻った私は和食卓にPCを載せて作業しているが、膝の骨折痕がある私は正座が出来ないし,あぐらも不安定だ。夜間は机は隣の家に近く、ずっと抗議があったので、全く作業をしなくなった。だから畳に座り込んで作業をしている。すぐに足が深々と冷えてくる。だから立ったり座ったりして、血の循環を取り戻す。動物園の檻の動物のようだ。明日で区切り。

明日はサポチガの全体会に出る。久々だ。どうやら最後まで大丈夫そうだ。

22日は墓地探し。伊勢原か?

23日に湯浅誠氏のトークショーと組んである「1000年後の未来へ 3.11保健師たちの証言」上映会に参加して、品定めをしてくる。渋谷アップリンクだ。はまれば上映料金交渉。どのみち小さな上映会になる。ただケアは欠かすことのできない視点。黙るわけにはいかない。

前回の懇話会の資料が泣いている。拒絶されたら仕方が無いが、今までの参加者の方々に、気を悪くされない範囲で届けようと思う。被災直後の支援は、特に在宅の方々の安否確認などを迅速に行わなければ、命の問題になることすらある。

平常時、地域サポート・リスト作りは、なかなか進まない。障がい者団体に所属している方以外は、自治体が手帳取得者リストを持っているが、非公開の壁にぶつかる。

前回のJDFの陸前高田市の場合は、市が当事者関係団体に関連個人情報を開示し、全市アンケートを行うことができ、訪問支援が的確なものになっていった。この経験は貴重だ。またアンケートから得るところも大きい。支援者が防災を学ぶと言った時、地域の防災の組織者という立場の方はどれほどいるだろうか。親が障がいを持つ子に向かい合うときも含んでいいと思う。ただ、首都圏の大地震発生が近いという認識と、自主判断の大切さが通じていないと、ピンと来ないのかもしれない。

だから次回の「訪問医療と地域ケアネット」を医療サイドから語ってもらう。次が秋口の「事業所・施設の福祉避難所展開と地域在宅ケア」、いずれも仮称だがその現場の最善の語りを引きよせたい。その延長上に、これは「わーく」が担うが「1000年後の未来へ 3.11保健師たちの証言」を実現するゆとりがあるか。実践と予算だ。被災時、専門職の外周作りをしなければ、絶対にサポートは間に合わない。この一点にデザインの想像力を集中すべきなのだが。

夜間傾聴>塾長(フィリピン被災支援、空転の模様)
     ひとり

(校正1回目済み)

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3/16&17 書き込み再開、『1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-』のこと

2014-03-18 06:04:18 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/16&17 記
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書き込みを休んですみません。

入試と来年度の準備、教材屋の入試問題集編集、講師契約更新面談が確定申告を遅らせ、締め切り間際になってしまったり、その締切日に問題集原稿入稿締め切りが、いつも重なる。今朝、原稿郵送を終え、その足で確定申告を済ませてきた。明日、明後日、春期講習の教科マネジメントを経営者と担当者に説明する役目を、古参2人組に加わって行う。私が一番爺ぃだ。契約講師の仕事ではないでしょうと思うのだが、毎年これで私の次年度が始まる。水曜日で生業軟禁状態が解ける。あと2日。

しかし、今日の確定申告は最終日だから、混むは混むは…・藤沢税務署の外も3重に折りたたまれたれた人の列。昨年末、父の葬儀があった。それがいけなかった。あれやこれや、書式の書き直しと、たらいまわし。4時間かかって、やっと済み。

しかし、こういう集団の中にいると、地の個性が見えるものだ。ひたすら、列の横入りをなぜ黙っているんだとか、厚化粧だから水商売だ,着ているものでわかるとか、隣の順待ちの人に話しかけているおばさんがいた。前者は税務署職員がセーターをはおっていたのだが、しかし自分のフラストレーションを他人の非難で解消しようとする愚かな行動なのだが、じっと列に耐えている者にはたまったものではない。「うるさい」と40代の男性が叱り、やっと静まるという場面があった。60代男性ふたりぐみは、「税金で食っているのに、年1回だというのに土日休みやがって」と、うらみ節。

しかしパソコン入力、ひどかった。窓の反射が露骨で画面が見えない上、標準のカーソルだから、すぐにどこかにずれてしまい、発見に戸惑った。目が悪いというのは、こういうときにあからさまになる。

ぎりぎり間に合って、横浜の販売員さんからビッグイシューを買う。帰りに**さんに届ける。

ともあれ、無事終了。

なかなかサポセンに出向けない。水曜日か。ん?全体会?最後まで居られるか…?

23日、湯浅誠が話すこともあって、渋谷アップリンクに●映画「『1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言-』」のチェックに行く。内容が濃ければ、湘南上映に動く予定。前日は斎藤環がトークショー。私はまた墓地交渉で出かける。しかし渋谷10:30が嫌だ。保健師さんの働きを見直す内容とか。予算、間に合うか。

NHKの●「被災地の福祉は今」シリーズがいい。番組の質が濃い。


夜間傾聴>ひとり
     **子

(校正1回目済み)

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3/15 平障連の上映会に参加し(明日は書き込み、休みます)

2014-03-16 03:41:40 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/15 記
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平障連の会合のお手伝いをしてきた。「生命のことづて」の上映とコメント屋をした。報告は4月初めにJDAにお邪魔して話そう。カンパもいただいている。

今回の会は、さまざまな障害の方が話を受け取った様子が勉強になった。この作品は、被災した障がい者の方へのインタビューが多いのだが、余分な背景は描写されていない。韓国で行った国際会議に間に合わせるために、編集を急いだと聞いている。そのため、関係者に通じればよしとする編集の割りきりが返って印象的だ。ところどころのインタビューの当事者さんの応答に、観客は相づちを打っていた。

上映終了後、感想を語り合う場面があった。映像に触発されているのはわかるが、発言は関連付けた自分の活動紹介が多かった。それは作品の筋から導き出されたとは言え、筋そのものではないので、感想を語り合うことの難しさを感じた。

私はコメントを問われた。集団の一員として、指示にしたがって迅速に避難することを訓練目的とする防災では、障がいを抱える者は「助けられる厄介者」でしかない。この流れからは、抑圧が働き、各人の独自の意見や判断を求めること自身が難しい。

だから、「地域の絆」ということを論じるとき、家族・支援者にとっては必要なものだが、障がい者にとっては、集団の一員として依存せざるを得ないひとたちのことで、その運用に注文をつける気持ちにはならないだろう。障がい者畑では災害避難論議に救助する側と当事者の落差があるのは、こうした事情がある。

もうひとつは、実際上、災害発生時避難は無理、飛び込みの救援の運に依存するからということで、思考停止してしまう。この溝を埋めて行くには、はじめから「地域の絆」を論じ合うという設定が無理があると思う。だから、自分の現状を語ってよいのだ、発言は自主判断を持とうというところに影のウェイトを置いた。

「災害が起きたらどのような安全脱出が可能か、どのような支援が必要か、自宅と外出先までの生活圏をたどって、まず考えよう」

と語りかけた。ご近所の専属の方が自分を助けてくれるのを待つと考える限り、災害避難論議は不毛だ。その助けが届かない、外出時で周囲に知り合いがいないという場面からまず考えてみよう。その上で、「地域の絆」を求めていこうという内容だった。

話は時間切れ。最後に3点紹介して会が終わった。

1)医療情報QRカードとSOSカード
2)携帯メールを使えるようになろう。受信元のセンター作り
3)外出被災時、支援者であることを示すジェスチャー
  (両手をあげ、頭の上で交差し続ける動作)

1)を除いて、2)・3)は、比較的容易にはじめられること。だから、上映感想と防災実践の議論をはじめましょうと提案。

お弁当がおいしかった。
++さん、出会いをいただき、感謝します。

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とにかく眠い。昼夜逆転人間の午前中企画は、身に堪える。足がつるので、足を温湯浴させた後、2時間眠ることにした。

自宅作業、再開。

夜間傾聴>中止

(校正3回目済み)

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