湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/30 医療的ケアの必要な方と家族の発災保護と病室24h家族看護/眼科検査してきました

2017-10-31 05:42:17 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/30 記
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慈恵医大眼科の年に一度の大きな検査をうける。

ショックな結果>加齢による視野悪化
診断書見送り>金欠

全3時間。非遺伝性の網膜色素変性症は珍しいらしい。

外来支払い最後、処方箋薬局が閉まるので、院内薬局からいつもの薬を受け取る。日赤時間切れ。病棟にあがり看護師長に挨拶し、懇話会メモと、医療的支援の必要な方の被災活動について、情報をとろうとしたが、夕食時で騒然としていて無理だった。

東京に戻り、丸善に取り置き依頼していたA・クラインマンの「ケアをすることの意味」(ISBN:9784414428667)を受け取って、急ぎ東京駅構内の駅弁ブースで残り物弁当を買って帰宅。

母はベッド上でむせていた。浜見平の友人さんと、中華の外食をしに行ってきたが、麺をすすると咳き込んで、結局食べられなかったと語り」、」弁当もいらないといいだした。しかし熱のある感染症の患者を連れまわしては、いけない。という私もマスクと格闘していた。つけると息の水蒸気で視野がなおさらに見えなくなる。電車のコーナーで、乗客に背を向けているという、儚い抵抗をしていた。しかし車内あちこちで咳き込んでいる。はやっているようだ。

私も身体にほてりを感じて、1時間ほど仮眠をとった。

NHK-Gで、東京裁判のドラマ4部作の第一回をやっていた。傍らのTVでそれを見ながら、橋本訪問のレポート採点を済ませ、夜間傾聴の参加者の待機。生活困窮者ネットの12/21川崎研修会の申し込みを書いている。いつも講師選択に、いまいちのしまりがないので、あまり期待していないが、ご無沙汰なので。(北村年子さんは切れるが、ジャーナリスティックで、一長一短、偉そうだが。)

私の企画の「医療ケアの必要な方と家族の被災」を扱う件進んでいない。1月にもつれ込みそうだ。

昨日のハフィントンポスト紙上に、子どもの入院時の寄り添い看護の告発記事が気になった。建前上は病院側で子どもの看護をおこなうことになっており、実態は病院長が家族が看護のために病室宿泊するのを認める形をとって、母親の24時間宿泊滞在を許可することが強要されている件だ。医療ケアの必要な方と家族の保護の記事だった。

実は私は幼少期、結核と喘息で長期入院を繰り返し生死の狭間を彷徨った。このとき母と介護代行さんが交代で私の傍らに付き添っていた。だからその負担の大きさは実感を持って感じている。何回も捨てようとした命だが、今になっては感謝に耐えない。

負担が大きく、1994年以降は、介護代行業者は禁止されていったというが、医療行為のことだろうか。仕事をやめざるを得なかった例もあるという。弱者いじめの社会である。

もう少し「わーく」:の記h時手直しをして寝る。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

p.s.母が用足しに起きてきた。足元がふらつているので、寄り添った。



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10/29 明日は慈恵会医大病院眼科の年1度の検査で、東京にでます

2017-10-30 04:24:42 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/29 記
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PCを抱えて眠っていた(薬のせい)ので、寝ぼけて最後の「投稿する」を押していませんでした。すみません。

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母は先ほど浜見平の知人に母の様子見を頼んでおいたので、明日は早稲田界隈を歩き、医療ケアの必要な障碍関連者と会ってくる。時期懇話会の準備だ。母の件があるので曙橋周辺は、あきらめた。

11/18、茅ケ崎に北村年子さんがくる。いわゆる昔風セクトのバリアーを感じさせる方だが、リスキーな世界も捌いているバイタリティのある方だ。久々に会う。以前は路上生活者襲撃事件の件で、ビッグイシュー販売仲介者として会っていただいていた。思春期カフェ。誤解も六階もかたまっている人たちの会なので、ただ聴いてくるだけ。

「わーくNo.072」、ついに横市大##君なしに編集を進めることに。一番つまらない結果。「地元ティーンズ防災教室」実施について、弱点となっていた、ティーンズ集めの方法について、ひとつの筋としてJRC関連の情報収集ができないか、明日、眼科検査のあと御成門の赤十字に足を運んでみようと思っている。地元では北陵高校にあることがわかっているが、もう一歩踏み込んだ提案を作れないかと思案中。

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私の風邪は山場を越えた。36.5度。喉に薬起因か強い渇き。母が早速薬の副作用か、食事を戻しはじめ、腸の触診。動きが弱い。胃を切除しているので、食事も薬もたちまち小腸に届く。ガス抜きをするが腐敗臭がない。便も下り気味。バイタルは体温以外平常だが、やっと痰が固まり始め、せき込むが呼吸は楽になってきている。37度(平常時35度台)。

抗生剤処方されているが、二次感染防止用でインフルエンザ対策ではないことがわかるので、時間をずらし食事の時間と合わせる細工。耳下リンパ腺の腫れもないので、食事後しばらく起きたままの姿勢を保ちガス抜きを自分でときどきやらせる。こうして嘔吐が治まった。

量は少ないが、タンパク質とビタミンCを含んだ食事をしているので、メニューと食前バイタル2回分の記録を添えて、明日のリハの際の看護師にメモを準備した。経験則でしかないが、こういうとき、長期化していなければ、持病のめまいはでない。しかし感染を恐れて母は即刻、帰宅させられる。そのときは電話しろと言ってある。明日は、私の年1回の眼科検査日で慈恵医大に行く。私もまた敬遠されるだろう。私も、見える側に剥離したゴミか大きな視野妨害物が出来て、白内障が併発しはじめたのかと怪しんでいる。近隣医か再度慈恵医大で吸引することになるのかもしれない。

これはこれで中途失明に直結はしないだろうが、拡大読書機のポータブル機を準備した方がいいのだろう。次回、国際展示場の福祉機器展があったとき、機種を決める。

昔、金にあかせて、奇妙なお歳暮を贈ってきた**女史が亡くなった。おおきなお化けかぼちゃを送ってきたり、明太子を個人宅では消費しきれない量を送ってきたりと、脅かすのが趣味の方だった。気にいると遠出の資金援助をしてくれ助かっていたが、路上生活者の件については、当人の心がけの結果だと譲らなかった。東日本大震災発災以降は、疎遠にしていたが、8月末に有料医療ケアホームで、隠して持ち込んだ酒を飲んで脳梗塞を起こし、まもなく亡くなった。遺品整理していて、私のことがわかったらしい。享年97才。某有名菩提寺に遺産を寄付。福祉系諸団体にしろと勧めていた約束破りだった。無駄遣いのマニア完成か。某健康食品販売会社会長。なんで接点があったのか、自分でもわからない。どんどん古い知り合いがいなくなる。

夜間傾聴:ひとり(おまたせ)

(校正1回目済み)

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10/28 風邪に封じ込められつつPCで…

2017-10-29 05:27:01 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/28 記
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鶴嶺高ボラ塾は、高1の子たちの特別授業として、防災・平和をテーマに年1回行われている。昨年私は、鶴嶺高のマンネリ化を感じて参加しなかったが、地域に「関係職の大人とつなぐ地元ティーンズ防災教室」を実現するために、「災害時、要援護者」支援活動への接点を打診する目的で、再チャレンジに踏み切った。

「災害時、要援護者」支援活動は大人さえも敬遠される分野なので、高校生なりたての子に、話が通じるか、正直言って期待していなかった。ところが予想人数を超え、25名の参加を得たために、逆にそれが教員の統制配置の力を感じて、彼らに響く接点を沈黙のうちに避けられてしまうことしまうことを恐れた。規律、礼、お願いしますという対応は、実は背筋が寒くなっていた。や・は・り…である。

前回も書いたが、大規模被災下、彼らが大人の手伝い以外に、独自の領域でお願いしたいことは、

1)避難生活時、大人に自由時間を与えること
2)御用聞き支援

という2つの柱があることであると伝えたかった。

特に1)は説教じみて聞こえ、反発を招くので、できる限り避難状況をリアルに語ることに徹した。

*家族・知人・家屋の喪失と、臨死体験
*長期間公益のために自我を抑圧し続ける緊張

こういうストレスフルな環境の中で、なおかつ萎縮せずにボランティアに身を置くのはなぜか。またその綱渡り的な行動に活路があるというのはどういうことか。そのバランスのこと。ひとは自分のこ無とより他者に対し夢中になれる社会的生き物である自覚。その活動に身を置くという場こそ自分が見える鏡の立ち位置になっているという事例。

家族の失踪と探索・家族の疲労衰弱と傷病罹患対応と臨死・家計破綻回避対策・育児補償・疎開による家族分断というような家族関係の激変が起こることに対する周辺支援活動の意味。

中学時代の近隣友人とつるめ。高校では離れすぎている。

同様の支援活動する友人と、困惑を分かち合い、協力の形を互いに探れ。このとき、どの大人とどうつながるかを知っておくことが肝心なのだ。日常の生活のケアの知識の大切さ。家族の命を支えるという凡庸な非凡活動の価値。平穏の影の維持の戦いの自覚。

2)についても語った。それは次回。


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母の発熱が収まらない。私は37度台に下がった。台風22号が近づいている。生協まで補充の買い物。

しかしひどいものだ、サポセンから口コミ情報が一切入らなくなった。昨日も子ども関連職の交流会があったという話が、終わってから話をつかんだ。今は災害対策ボランティアに身を置いているが、本来の話は、生きにくさを抱えた若い子たちへの支援だ。

来月18日の教会系の方か、思春期セミナーを行うので、申し込んだ。排除かな…。

医療的ケアの必要な障碍児者をテーマにした次回の懇話会の準備。参加してくれそうな関係者への打診を始めている。

ロキソニンを飲む。まもなく就寝。枕元はモジュラージャックを抜く。母の枕元に水を置く。やわらか食、平常食の3分の2、食べたのを確認。生姜を入れた鱈の白醤油煮。すりリンゴ+レモン。バター風味の炒り卵。

私はレトルトカレーとトースト。温野菜サラダ。

夜間傾聴:早期終業

(校正1回目済み)

p.s. すみません、書き上げた後「投稿する」ボタンを押さずに眠ってしまいました。
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風邪でダウンしています/鶴嶺高ボラ塾:避難下の生活・保健技術のこと

2017-10-28 05:02:11 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/27 記
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鶴嶺高ボラ塾を終えた。昨日、夜より発熱39度、寒気。母も37度の熱でベッドから出てこない。覚悟を決めて、母を補助しつつ、地元クリニックで点滴を受ける。ついでの私は初診料をとられて、Xレイ撮影と小柴胡湯加桔梗石膏&アズレンうがい薬…。付き添いの方が高いとは。頓服として、所持薬のロキソニンを頓服として利用可とか。

親子そろって、一日中、床の上。山芋アレルギーはないので、自然薯とニラ汁、皮をはいだコロッケと、山椒昆布、玉子粥を母に、山かけ丼とニラ玉子、玉ねぎの味噌汁が私。80%カカオのチョコレート片とキウイ。

あるもので対策。熱湯で絞ったタオルで、顔と髪・手のひらの清拭。

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実はボラ塾の高齢者介護の例で、寝かせたままの高齢者に真上からスプーンで粥を流し込んでいる孫娘さんらしい人を制止したことがある件を語り、この食事法が大変危険な理由を質問した。高校生全員と担当の教員、見学の大人(1名)ともに全滅だった。避難生活時の誤嚥性肺炎の蔓延の話といえばわかるだろうか。

保健士・看護師の人員ではとても対処できない。中継ぎをし、保護環境への災害弱者の移送を行うことと、疎開という家族の分断の話。母親だけではたちまち対処できなくなる現実。エコノミー症候群の知識のない家族の車中泊のこと、配られる食品にアレルギー物質があれば、アナフィラキーショックも起きる。感染症はたちまち広がる。目に見えぬ静かな戦場が避難生活の底を支えている。保健士・看護師さんと対話する機会をとも語った。

お願いしたい2つの役割。

1)両親に動ける自由を提供する活動
2)御用聞き支援

この1)にあたる家事(介護・育児)分担と保健の活動の話だった。

夜間傾聴:ひとり
     塾長の奥さん

(校正1回目済み)

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10/26 鶴嶺高ボラ塾はともあれ成功、が。

2017-10-27 04:23:42 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/26 記
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鶴嶺高校ボラ塾、滑り込み成功です。ただ解熱剤で支えた授業なので、声が通らないこと、時々せき込むことで、要援護者支援活動の印象に悪影響がでたのではという不安があります。

交流会を欠席し、近く同ジョナサンで服薬休憩を取って、糖尿病のかかりつけ医のクリニックに飛び込みましたが、そこで38度、家に戻って食事を済ませた時点で39.5度。まずいことに、私に風邪をうつした母の体温が37.5度(平常時35.5度)になっており、下手をするとまた嘔吐が始まる状態に悪化。頓服を飲ませ、やっと眠った母の見守りをしています。私の方は37度台に下がっていますが、朝、母を医者に連れ添わないと金曜日、土日が心配という状態です。

最悪のときは、母の町医者は近いのですが、タクシーで往復とします。

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授業の方は、解説の多くなる「泥なんかに負けない…」や「ピアノとバーベルは、」取りやめにし、「あの日 私は/北茨城市の今川弘子さん」の高齢者施設看護師と「同 仙台市の飯塚正宏さん」自治会と食事会リーダーを流し、専門職の対応限界軽減活動の場面を見せて、高校生世代にできることを提案しました。

2年前は携帯電話をのぞきこむ子がいたけれど、今回の25名は、終わりまで聞いてくれた。初めてのことが多かった割には、質問には挙手の応答があった。それを根拠にまずますの成功と考える。

内容については、明日。受講高校生のアンケートがまとまるのが半月後と2回検討する。

とにかく、一応のご報告。


夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

p.s. 今。家庭ごみを出しに行ったら、また自転車に乗った訪問看護の@@さんに出会いました。@@さんだから、医療行為+おむつ交換だなとわかった。
ご苦労様。
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いよいよ鶴嶺高ボラ塾です

2017-10-26 04:31:11 | 地震津波災害ボランティア
風邪ひいてしまった、8度5分。解熱剤飲んだ。
25名相手だ。マスクかけると、声がきこえくなる、やばし。

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鶴嶺高ボラ塾(10/26)資料作りをしています

2017-10-25 05:30:32 | 地震津波災害ボランティア
すみません。ブログを休みます。
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10/23 台風一過 鶴嶺高校ボラ塾の準備進む

2017-10-24 06:05:27 | 地震津波災害ボランティア

2017/10/23 記
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衆議選が終わった。台風がぶつかる印象的な選挙となったが、これでやっと日常が戻ってくる。早急に仕上げる仕事がふたつある。ひとつが鶴嶺高ボラ塾授業準備と、刊行が遅れている「わーくVer.72」の発行だ。

26日にボラ塾があるので、これを優先しているのだが、今回は「地元ティーンズの絆研修」の打診の意味があるので、焦点が甘い。鍛錬型から自主判断型への転換を伝えていくものだが、即、価値が伝わるとは思っていない。また、外部ボランティアが引き上げた後の地元支援という課題もある。問題は何を高校生に伝えていくかというところが、訓示ではないリアルなメッセージを残せるか「君はどう考える?」ということに尽きる。

前々年度のマイクロFMの授業のとき、機器準備トラブルと、教室着替え制服の散乱という信じられないことが起きるのもボラ塾。今回もすでに一覧表が開かない(xlsx形式?)ということが始まっており、伸縮授業案を防衛策に取っている。明日、サポセンに受け取りにいく。

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浦和の看護師さんは、##君からの選挙支援要請メールから、懇話会を宗教団体と誤解されたのだが、その誤解は解けたものの、警戒は解けまい。##君を失うことになったようだ。残念でならない。

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母のリハは、台風の影響で午前中はお休みとなっていたようだ。混雑していたので手抜きして帰ってきたと不満げ。私の糖尿病外来もA1cが下がっているものの、油脂を強め、食事を目先豪勢にした。しかし防災に関わっているのに、粗食に耐えられなくなると注意を受ける。ニンジンの剥き方や、緑黄色野菜をふたつにわけただけなのに、見破れぬとは。(笑)

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神戸の牧さんが行っているように、被災時に障害を負った方の資料がないかと探している。これは「わーく」の中で取り上げるが、今回の「No.72」には間に合わないか。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)
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10/22 鶴嶺高ボラ塾の授業案作り/「地元ティーンズの防災の絆研修」について

2017-10-23 06:12:16 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/22 記
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台風21号が上陸する前に宿敵のずれを修復した屋根瓦のチェックをしたり、庭の枯れ木を切り取ったり「させられた」、こういう仕事は一番苦手なのだが。(笑)

横市大の**君は沈黙している。待つ以外ないだろう。

鶴嶺高ボラ塾の画像関係の絞り込みをしている。相手が高1であることもあり、今回の授業は、災害ボランティアのファースト・エイドという性格と、ティーンズ独自の役割を明示しておくことだろうと思っている。誰のための支援活動であるか、今何をすべきなのかをよくみて行動しようと提案していく。既存活動のメニュー選択だけでなく、自分の活動を作ろうよという誘いだ。

だから、画像枚数が増えてしまう。がれき撤去も避難所の炊き出し支援も実際の状況を知っているわけではないので、あるある問答を入れていくつもりだが45分枠だから精選しておかないと通らない。だから画像もまた、絞り込んでおく必要がある。

発災直後は高校は休校になり、ひとりでさてどうするかを考えることになる。高校は学区が広域なので、友達と相談するといっても会うことが難しい。ここは割り切って、中学校時代の友達と会えと提案する。ボランティアをしている先輩と会うのも手だと伝えていく。

つまり支援活動との仲介知識を提供していくつもりだ。伝わるかな?

大きなところでいうと、大震災の湘南版を語る。津波がきても、彼の居住地が北部の丘陵地帯の場合、家屋倒壊とがけ崩れが目の前で起きてくるし、山側住宅地では火災が問題になる。沿岸地帯では津波が加わるという違いがあるし、藤沢・鎌倉では津波被害が大きくなるという大づかみな状態がざっくりといえるわけで、この違いが出る発災時は残念ながらビギナーが関与できるところは少ない。

発災直後は災害弱者への避難支援とか、率先避難、救急法実施、ペット預かりというような支援者の一翼となる支援が中心となる。安全避難後は、避難所運営が大事となり、一応の災害終息を得たとき、外部ボランティアと協力して、ガレキ撤去や物資配布・炊き出し協力活動が出てくる。

時期によって活動の内容が変化するので、その辺の話をしていくが、「御用聞き支援」と「両親の家族保護の拘束を軽くする活動」を手掛けて欲しく、ここがティーンズの独自活動があると思う。学校が再開したとき、学校が組織する支援活動が始まる。学校の活動との関係を整理して自分のスタイルを作って欲しいと願う。

大人の側としては、彼らのストレス・バランスを見守る人間と、活動ガイド(相談役)を準備させていきたい。この理解者集団がボラセン・サポセンに形成されるべきだが、現実的にはステレオタイプな安全避難=防災活動の発想が強いので、ここの活動推進は私たち要援護者支援の大人の準備しておく活動と言える。

大きな流れはできたが、それが彼ら鶴高生の心を打つか不安はつきない。

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「わーく」では「地元ティーンズの防災の絆研修をやろうよ」という呼びかけが載る。ここは大人向けに書くので、構想の段取りも載せていきたい。

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夜間傾聴:ひとり(独居者なので、台風の件を話す、)

(校正2回目済み)

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10/21 嵐の予兆・期日前投票をしてきました

2017-10-22 05:56:39 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/21 記
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全く信じられない話だった。浦和の看護師##さんのところに、横市大*君名のメールが送られてきたという。選挙がらみの支援依頼のメールだが、某宗教団体政党の選挙の支援を依頼するもので、懇話会の要援護者支援防災懇談の話とは全く関係ないものだった。

事情を##さんに説明し、誤解を解いたが、**君の弁明は稚拙なものだった。##さんは団体の知り合いも多そうだから、投票を依頼したという。懇話会とは関係がない。あっけらかんとして、「いけませんか?」と話す**君。

##さんに迷惑をかけた件、謝罪のメールを出すようにと指示をだしたところで、応答が切れた。しょうもない話。医療に携わる予定なのだろうが、こういう浅薄な判断は、慎むべきだろう。患者さんを傷つけかねない。
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台風が日月と関東を襲う。それで天候が落ち着いているうちに、期日前投票を済ませてきた。市役所分庁舎の会場に出かけたのだが、期日前投票経験は、これが2回目なので比較にならないが、本庁舎前から5F会場まで、ずらり人の列ができているのはびっくりした。ともあれ、義務は果たした。

橋本の訪問学習も延長なしで、とにかく庭の枯れ木の補強や、雨どいの詰まりチェックで一日が終わった。月曜になれば皆の関心も選挙一本ではなくなる。

鶴嶺高ボラ塾に使う映像は「NNNドキュメント『泥なんかに負けんばい』」のダイジェストに決まった。高校生世代の話である。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)
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10/20 苦言・防災対策を広げていくということ

2017-10-21 06:25:33 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/20 記
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<苦言>
横市大の**君が某宗教の勧誘員をしていることがわかった。このブログを読んでいるだろうから書いておくが、災害弱者の現状に支援の気持ちがあって行動する一線があれば、一緒にやっていくが、信者さん勧誘が目的ならば、私は協力しない。浦和の##さんから問い合わせがあってわかったこと。

「地元ティーンズ防災研修」
「お薬手帳QRコード版」
「市民トリアージ」
「御用聞き支援・拡散」
「要援護者支援懇話会」
「火曜防災ミニカフェ」
「地域防災FMと避難所(仮設)ネット(マイクロFM) 」
「率先避難誘導員資格研修」
「被災者ペット一時預かり」

これ防災に有効と思って活動しているので、活動は皆に開かれた活動でありたいと考えている。これらは各地で利用できる柔軟性を意識して作っている。真似できることが社会活動の肝だと思っているからだ。この活動を勧誘の口実にしないという一線を守ってくれなければ、私は君と一緒に活動することはできない。大義を見失わないでもらいたい。

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<気になる記事>

●「鳥取)中部地震1年 住宅被害約1万5400棟に上る」
柳川迅
2017年10月21日03時00分 朝日・鳥取版
http://www.asahi.com/articles/ASKBN21D6KBNPUUB002.html

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鶴嶺高ボラ塾は高1が対象になる。だから通り易いと思うのだが、大災害発災時、避難後数日は学校が休校になって、ひとりの個人として自主的に行動をする必要が出てくる。このとき高校は、友人も広域に散って、連絡も取りにくくなっている。だから活動は、中学校時代の友人に声をかけていくと立ち上げやすいだろう。

今回のボラ塾は、こういう活動のイメージと作り方指南といったところだが、通じるか。

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母は睡眠導入剤が効いて寝息をたてている。野菜スープからの回復メニューを食べさせている。これで秋のパニックが終わってくれればいいのだが。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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10/19 阪神淡路大震災当時の病院関係者で…

2017-10-20 05:13:28 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/19 記
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つい癪に障るのだが、今日の母は昨日の出来事を忘れたかのように、TVの娯楽番組を見入っている。午前中の集金もあって眠りが寸断されてかなわない。昼食をとって1時間ばかり眠りこけていた。節々が痛む。嫌がる母を連れて主治医にかける。同一疾病に複数医の診察は保険適用ができない。だから昨日の診察は急患ということになっている。

茅ケ崎図書館は今日が館内整理日でお休み。事務所の扉をあけて、「寄贈本のビッグイシューを新旧交換してもらうように頼んだ。

浦和の看護師さんからメールが届いた。まだ先のことだが、新年度初めの懇話会に「高齢者入所施設震災火災と地域連携」の予定があるが、阪神淡路大震災当時、病院被災下の元病院看護師でご存命の方が分かったが、連絡仲介しようかとのこと。「ご存命」というところがひっかかった。「都市型災害というところで、避難所指定されている被災高齢者入所施設の混乱と救命活動協力」を考えていたので、ゲストの年齢を伺ったが当時定年間際の婦長さん(まだ師長とは言わなかった。)とわかり、健康は個人差があるが、今回は遠慮させてもらった。ただただご配慮には感謝している。

鶴嶺高ボラ塾の資料が不足していて、作成している。図表を減らさねばと考えるが、いい画像がない。今日は橋本の訪問指導があったが、冷たい雨。資料集めに町田に立ち寄る気になれず、茅ケ崎に直帰。塩鱈と調理パンを仕込んで帰った。

希望の党が茅ケ崎駅南口で演説していたが、足早に通行人は通り過ぎていった。雨が続き投票率が下がるだろう。いい方向には動かないだろう。何回この国の民は愚かな選択を繰り返すのだろう。今起きていることは、知らなかったではすまされない。

市社協にビッグイシューを届けた。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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10/18 私事ですが…

2017-10-20 05:10:16 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/18 記
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母は、町医者の休診日の前に体調を崩すという癖があると、つい思いたくなる。茅ケ崎にはケアの基本が通っている病院がない。だから利用したくないのだが、相対的に無難なところにカルテを置いている。普段は個人のクリニックを主治医としているのだが、病院も商売。母を応急処置だけでは終わらせようとしない。だから「救急用・つなぎ」だと、始めに伝えてしまう。医師は多少突っけんどんになるけれど、応急処置はしてくれる。

昨夜はダンピングがひどく、専用の深い膿盆も吐瀉物で交換する状態で、おそらくこれと「めまい」は関係していると思う。医者は何も答えない。ともあれ、病院に行くまで、母は、うつらうつらと浅い眠りをしつつ、夜が明けた。我が家のトイレのすぐ脇には隣の家があり、迷惑だろうということで、吐瀉物は流さず風呂場で異臭を発している。5人目の介護で慣れているとはいえ、気持ちのいいものではない。だがこうして、母も私もゆっくりと有限の坂を崖に向かって下っていく。だからこそ、「いま・ここ」を意識する。愚かなことだが痕跡にこだわり、地を踏みしめる。

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ビッグイシュー誌の前号の「夜間中学」特集はバックナンバー取り寄せ依頼が入ってきた。珍しいことだ。次号買取りのとき、受け取ってくる。

夜間傾聴:臨時休業

(校正2回目済み)

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10/17 災害ミニカフェ/被災単身高齢者の覚悟に寄り添うこと

2017-10-18 05:52:21 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/17 記
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「火曜災害ミニカフェ」を再開した。今回は、熊本地震で我が家を全壊したが助かり、避難所生活に耐えられずに、テント生活していたが
決意し、夫が残した土地に家を新築し、資産使い果たし独居生活を始めた佐々木さんの心の遍歴を紹介した番組「FNSドキュメント大賞候補・私は私を全うする~佐々木ばあちゃんの熊本地震」(55分)を取り上げた。

親族のいない70代後半の話だが、見る人によっては、資産のある人の話だと話題を遮断するひともいるに違いない。身を支えきれなくなっても土地家屋を売却して入所施設で余生を暮らせると、新築をスタンドプレーであるという方もいるだろう。

私は「災害は被災者を人生に対峙させる」と考える。この番組の佐々木さんの異様なほどの笑みと明るさは、残された命を全うする使命を己に科したカモフラージュに見える。ひとは「人並みの安穏」を求めて「はぐれず」ついていくを良しとする。ところが災害をくぐり、各自固有の事情に気づき、家族を根拠に選択する。私が着目するのは、「被災単身者」の孤独のことだ。足跡を波に消され、高齢者の場合、再出発は困難なものになる。ましてや家族を失った者の再出発は、生き残った「科」を全うするという苦渋に満ちたものになる。これは貧富の差異を超えている。

被災者は自分の生活再建で手一杯というだろう。だが私は被災地には、複数のカフェが必要だと思う。少なくとも、吹き曝しにいるよりは、「背」を寄せ合っていた方が暖かい。何かの生の意味合いが生まれるかもしれない。災害ボランティアの寄り添い活動は、場を維持して時を味わう。佐々木さんの頻繁な笑い声も、自己確認を潜ませた饒舌な語りかけも、荷を下ろせる場になるかもしれない。

災害復興住宅や、残った方が住む仮設住宅でも自覚的なボランティアでない限り、活動が支えきれない。どうすれば、支えていけるか知恵が欲しい。今出ている案は「家賃無料で学生が住み込むカフェ」という案だ。

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リハの団体は健康食品の販売を始めている。母に昼食を出して、私はサポセンで「災害ミニカフェ」に出向こうとしたとき、「にんじんジュース」を届けにきた。母の顔見知りなので茶の間にあげて話になってしまった。路線バスに乗り遅れ、タクシーとなった。

母は気が晴れたらしく、めまいも癒えたようで、対話の力を改めて感じている。壁の向こう、母の寝室、今夜は静かだ。

夜間傾聴:ひとり
     横市大の**君


(校正1回目済み)


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10/16 長期間の緊張と、ねばならぬ論の回避のこと

2017-10-17 05:35:41 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/16 記
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浦和の看護師さんと話し込んだとき、「幼い子が避難生活でかわいそうだと思ったのは、お母さんが味方ではなくなっていることかな」と私が発言したことに端を発し、私が提供した「わーく」の「ティーンズに期待する」内容があったことが「心配」だと指摘されたのだ。

3.11災害が発生して3か月過ぎた頃、私は岩手県大船渡市の避難所にいた。地元の方と話をしたとき、その方が自分の息子さんに「静かにしなさい!」と怒鳴り、息子さんが火のついたように泣き出したのだ。「まわりの人の迷惑でしょう!」と叱り、子どもを外に連れ出したのだ。話はそこで中断。私はとある地元の方の紹介で、中心部から離れた釣り宿に1泊することができたのだが、ご主人と食事をしたとき、中学生の姪っ子さんが夜中に悲鳴をあげるからと、母親(嫁)がハグしていたのだ、赤ん坊返りしてしまうのかねとの話。その子は津波体験者だった。翌日、偶然、3才の息子さんを連れた昨日の親子連れに会った。迷惑をかけてしまうから、他の避難所に移るのだそうだ。子どもはチックを見せていた。

PTSDのことは、やがてTV番組でも紹介されたが、学習支援に入った外部ボランティアから、子ども、苛ついているねと感想をきいた。これはPTSDとは違う。無理がきているなと思ったのだ。

浦和の看護師さんは、その辺の様子をよく知っていた。私の「ティーンズのボランティア」論は、その点で無理を助長しないかという不安だったのだ。最近NHKが「ピアノとバーベルと涙」という番組を流したが、高1になって、教員にどんな部活をしたいか告げるシーンで、ガレキ撤去をしているボランティアさんが,恰好よかったから、災害ボランティアをやりたいと告げる場面が印象的だった。その一方で、日テレの「泥なんかに負けんばい~九州北部豪雨と被災地の6人家族」の中で、母親と取材者の会話の途中で、急にゆらりと娘さんが意識を失いかけるシーンが記録されている。無理は禁物なのだ。

実際、「ティーンズのボランティア参加」は、使命感でおこなってはならない。公と私の軋轢の境界の上に活動がなりたつ。ゆえに信頼のあるカウンセラーが見守っている条件がつく。しかし、大人社会に組み込まれて働くという体験は、深くそして人生に刻み込まれるような貴重な価値を持っている。未熟を持って排除したり、束ねて管理下におくのは、彼らの伸びしろを閉ざしてしまうことになる。

そういう意味で、昨夜のブログを書いた。看護師さんの指摘は的を射ているのだ。

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母の早朝ダンピングが始まった。4時半ごろ母が寝室から速足でトイレに飛び込んだ。介助しながら、寝室を汚さないように深い膿盆とロールペーパーと、うがい水を準備。寝ぼけた状態でトイレに急ぐ危険を納得させた。私は夜明けまで隣の部屋にいるから、合図せよと同意させた。

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鶴嶺高ボラ塾の資料を作っている。

「わーく」は小休止。挿入画像に腐心しているのだ。

まもなく就寝時刻。夜間傾聴を閉じた。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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