湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

介護と沽券/訪問活動を超える場作りを

2009-04-30 16:02:07 | 引きこもり
父の膝の擦過傷痕は一度化膿し瘡蓋(かさぶた)が出来た。それを掻き壊してからは、傷口が塞がらなくなった。糖尿病の特徴。アマリールという血糖値コントロールの薬を増減しながら様子を見るのだが、食事のときに薬を添えてセットをサイドテーブルに置いて、父の上半身を起こすだけで、その場を離れる。この後、父はその薬を自分で飲むのだが、ベッド下に落としてしまう。薬の包装を取って出さないと、母の友人の母親などは、そのまま飲み込み、胃壁を傷つけて救急車騒ぎになった。そういう事例を知り合い関係でも、高齢者の場合、認知症ではない方でも数例起きた例を聞いているので、珍しいことではないと知った。そこで包装から錠剤を出して提供しているのだが、今度は紛失するのだった。

週1・2回の清掃をするとき、ベッド下や、防水シートの下から、このアマリール錠がいくつも出て来ることがあって、肝を冷やした。飲み違えると低血糖を起こしたり、血糖値が乱れるからだった。食事療法をしても父の空腹時の血糖値は300を越えた。ただごとではないのだが生きている。しかしそこまで時間をさいて、父に張り付いているわけには行かない。この錠剤は小さいので、私から飲ませようとすると、自分で出来ると吐き出してしまう。だから、こぼれ落ち紛失する。余分に処方してくれないので、本人に任せる以外ないという事情もある。

その血糖値コントロールの累積が、傷の治りにくさを生み出している。生々しい傷口。それにも関わらず、転倒を繰り返すのだ。雑菌が入って足の指先の壊疽で切断に至る重症糖尿病の紙一重の状態に父はいる。尿で濡れた床に膝を付いたり、濡れた手で掻きむしるために、介護のときの消毒は欠かせない。

昨日、部屋に拡げたシーツに何箇所も新しい血痕があり騒ぎとなった。シーツの上を歩いて転倒し、膝の血が付いたのだった。傷口が大きくなっていて、市販止血剤を塗って乾かすのだが、時間がかかる。じっとしていないので、やりとりに注意しないと険悪になり、そのバランスを取るのが介護側のストレスになる。

ポータブルトイレ下の工夫を落下物と勘違いしてはずそうとする父を制止することと合わせると、手間は膨大に膨らんでいる。手間をかければかけるほど、用件が加速拡大してしまう。放置はたちどころに病症悪化につながる。家族外の支援をどううまく使うかを意識しないと、正直言って潰されてしまう。当人が元気を主張すればするほど泥沼に引き込まれる矛盾。

臨床のガス抜きの場数が私を救っている。しかし、新しいホーム泊から戻って以降、父のナーバスな動きに、振り回されている。家族への不信である。階段下バリケードは欠かせないものになった。部屋から階段に出る扉に「危険・階段を降りるな!」の張り紙を貼った。

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6時半、カーテンの開く音がした。足を引きずる音がして、音が止まったと思うと、ガタンという家具の転倒音。父の大声。急いで階段を上がってかけつけると、ポータブルトイレが横転し、バケツから排泄物がこぼれだしていた。腰を抜かして私をにらみ付けている父の利き手の先には、せっかく設置した転倒止めのスポンジセットがあった。何回も制止していたにも関わらず、異物と勘違いして、力任せに引き抜いて、スポンジを裂いてしまった。用意してあったぼろ布と尿取りパッドとの格闘となった。

目がくぼむような思いがしている。工夫が事故を呼んでいるのだ。父が見境のない行動をおこしてしまうのだ。拭いている間、父は私を指示した。「もっと左だ」「ボロは洗えばまた使える」という具合。冗談ではない、使い捨てられるからボロを集めてきたのだ、言えば、また相撲を取らなくてはならない。

窓を開け放つ。ゴミを捨てに出たら、なんと父が下着をベランダ手すりに設置してあるBSアンテナに引っ掛けて干そうとしていた。駆け上がって、父をベランダから部屋に戻して、また格闘状態になった。ベランダは、床の木材が腐り、危険な状態なので、普段補助錠を2つ加えて、すぐに出られないようにしている。しかし今回は臭み抜きに開け放ったときの事件だった。濡れた下着を自分で干そうとしたのだった。下半身裸の父と格闘するとは、油断していた。

朝食の時間になっていた。こういうときに汁物を出すと危ないというのに、私はラーメンを作ってしまった。興奮冷めやらぬ父は、ラーメンを丼ごとひっくり返して、シーツも交換しないとだめな状態になってしまった。この抗議は、母のときもやって、防水シートをベッドに敷いて、その上に父を寝かせた経緯がある。これが2回目だった。麺を掴んで床に投げ出した。認知症だけの話ではない。沽券をめぐる服従を強いる行動だった。父を椅子に誘導する私の息が詰まった。愚かしい戦いを挑まれている。シーツを交換して、心配して上がってきた母を降ろして、ガス抜きではなく、我慢した。ひとはどこまでも愚かになりうる。昇れば落ちる。その単純な論理に気付かない。

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巡回は祝祭日も関係ない。小田急相模原から、相模大野に出て巡回2件だけで帰ってきた。相模大野の青年の場合は、本校に通うと言って家を出て、1回も登校しなかった。それが発覚して、講師が彼を叱り付けた。それが母親の前だったことから、母親に反発。家庭の対立に火がついて引きこもった。勿論そこにたどり着く前に様々な事情があったのだが、そこから3年が流れてしまっていた。彼の現状から、それを越える大学進学のモチベーションが持てなかったまま、日が経って行ったのだった。彼の声に耳を傾ける者がいなかった寒々とした現実が拡がっている。

巡回という活動の限界も、そこでは、まざまざと見せつけられる。彼を活かせる場があったら違っていただろうにと思う。それには自分を解き放つ時間と場が必要である。しかし彼を緩やかに未来へとつなぐ、変容性に富んだ場が必要なのだと思う。

(このメールを書いた2009/04/30 朝、時間切れで飛び出した。中途半端をお許しあれ。)

夜間傾聴:中延君(仮名)
     大森海岸君(仮名/傾聴にあらず)

(校正1回目済み)
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新しいホーム泊体験は失敗か/朝方の相談電話との衝突を(4/28&29分)

2009-04-29 09:26:57 | 引きこもり
記事を載せる朝の時間帯が、父がホームから帰宅して以降不安定となり、事件処理に追われている。このタイミングを逃すと、次が昼時。この時間帯、ある青年の親御さんからの切羽詰った電話が昨日あり、巡回と重なったこともあって、タイミングを逸している。申し訳ない。まだ数回、2日おきになりそうな上、連休明けには半月、今期最終の季節労働が再開する。出切るだけ連日体制で行くが、隔日配信をお許しあれ。

以下、一昨日書き溜めた分から始める。

----- 2009/04/28 分 ------

父が帰ってくる前に、痛んだポータブルトイレを直した。茅ヶ崎ではダイクマがDIY系商品を交代させている関係から、前の田にある島忠まで足を運ぶことになった。ベッド際に置いたポータブルトイレの脇の隙間に父がずり落ちたり、転倒したりする。このとき、禁止しているにも関わらず、トイレにしがみつき、手の力で引き寄せて起きようとするものだから、体重がかかりトイレが転倒する。この行動の勢いが激しいと、中の汚物バケツごと半回転して、排泄物が周囲に飛び散ってこぼれてしまう。

このしがみつき行動は、対面移動介助中も、目に入った家具や壁にしがみついて介助者ともバランスを崩す危険な場面も出てくるので、介助者を信用してくれないかと、父に対し、ホームヘルパーさんと何回も話し込んだことがある。この行動は、ひとを選ばず、しかも全く止む様子がないので閉口してしまう。自分の不安定さ回避に夢中なのだろうか。

修理箇所はまず、蓋を激しく開閉するために、厚手のテープをクッシュン剤に貼り付けることから始めた。ただバケツ落下を防ぐいい方法が思いつかなかった。しっかり本体と結びつけてしまうと、本体が逆立ちするので、被害が大きくなるのだった。逆に、バケツがすぐ真下に抜け落ち、枠部だけが転がる方がいいだろうという結論になって、そのバケツの落下を受け止め、横転を防ぐ受け皿を探すことにした。ところが本体はコンクリート塊の足を付けていることから中央空間が狭く、ポリバケツ状のものは、安定を確保する大きさをえられなかった。園芸プランターのような長い形状のものも、今度は長すぎて、枠からはみ出た部分でつまづきかねなかった。

結局今回テスト候補になったのは、座敷犬や猫を飼うときの、座布団状の囲いつき組み立てクッションだった。底のスポンジが厚すぎるので、実験的にこれから調整するが、今のところ、中身の多いときのバケツなら一応合格している。逆に中身の少ないときのバケツが不安定で、まだ及第点に達していない。このセットは水拭きや手洗い洗濯が出来る。

山のような買物をし、タクシーを使って、ホームの送迎車到着予定時間の17時間際に帰宅出来た。今回の修理箇所はクッション貼り付けのみで、受け皿セットは、時間が無いので設置を見合わせた。
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ところが送迎車が時間通り来なかった。ホームは距離が近いのに27分遅れだった。従来のホームは遠方にもかかわらず、数分の誤差で到着していた。しかも担当の生活指導員がふたりとも張り付いていた。人材不足がはっきりと感じられた。こういうとき、「起床就寝時刻・食事時刻フリー」というホームの特徴は、いつでも「放置」と裏腹だから、ホーム側が常に注意すべきことなのだった。

職員からは無事に生活をしたという報告を受けたが、私がホーム利用前に「父は野球が好き」と伝えた。これは、高校野球以外は観ない習慣や、途中から観ても場面が分かるという意味で好きなのであって、勝敗がどうのというファンではないことを伝えなかった。ところが伝達欄には、「野球を観ていた話」や、「新聞を読んでいた話」が書かれていたのだった。父は普段、新聞は傍らに確保するものの1行も読まないという習慣があった。その意味で、日誌伝達欄は、筆の走りとしか思いようが無かった。つまり「監察していない」または、「監察が浅い」のだった。

こわいものだと思う。日常行動には、その端々にその人の特徴が織り込まれている。ひとに関わる仕事は、その意味での日常生活に対する感度確保には、厳しい自戒を含んでいなくては、忙しさに状況が埋もれてしまう。しかも敏感さと合い照らすように、関係の鷹揚さが無い関係は信頼関係を膨らませることが出来ないのだ。

父はむっつりと黙りこくったまま帰宅し、寝るまで口を利かなかった。話したことは、「照明を消すよ」「ああ」、これだけである。視線を一切合わせない。新しいホームに行ったことで、何事か不満な事態が起きているのだった。

父が帰宅直後、私は巡回に家を飛び出した。それと入れ替えに母が町医者から帰ってくる。相模原と橋本の指導を終えて帰宅すると、すぐに父の就寝時間。紙パンツ交換とポータブルトイレの始末、ゴミ回収日にあわせたゴミ出し準備を先に済ませて、自分の夜食を取る。夕食の食器始末をしながら、洗濯をする。このとき、洗濯物から父の沈黙の意味が分かった。

帰宅時、父は排泄の失敗、「漏らし」をしていたのだった。その汚れた衣服がビニール袋から、生々しい脱がせたままの状態でズボンが出てきたのだった。排泄物は白く、帰宅直前に牛乳を飲ませていたことが推測できた。そういえば、上半身の衣服が厚手のセーターの上に、薄いTシャツと逆だった。この事件で父の沽券が揺らいでいたのだった。持ち帰った歩行器には、名前がはがれかかっていた。それも紛失し修復していなかった。

帰宅時、父は即座に階段昇りに立ち上がってしまう。ホーム宿泊時の父の生活が安定していたことを長々と話し始めたので、それはあとでとさえぎってしまった。ところが父をベッドに送り届けた直後、早々に引き上げてしまったのだった。ボタンの付け違いのようなずれかもしれない。しかし信頼性が低いのだ。

予定では来月ももう一回利用日があった。さてどうしたものかと思案している。28日、午前3時50分、父の大きな寝言が始まっていた。

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この間、オンライン上ではあるが障がい者の自主活動のなかで、携帯電話を使った日常生活を拾ったものはないかと漁っている。勿論、かたちがもっと決まらなければ掬い上げられないものだろうとは思うが、当事者が繋がることによって何かが生まれてくるような実践がないかと思っている。いまのところ、定期的にではない一発物の宴会やレジャー企画への参加という形しかでてこない。●「ピープルファースト」のような活動もあるが、地域活動としてはなかなか見えてこない。それは社会と繋がる活動としてあるというよりも、求心的な結束の活動としてあるために、周辺に情報が流れ出さないのだ。障がい関連の活動は、当事者・家族と特別支援校や施設などの関係者の結束で推進している。支援者は部外者という情報遮断の壁に驚く。ところがこの情報の壁が、社会との繋がりを作る活動のとき、支援者の関わりようのなさに繋がってしまう。

<気になる新聞記事>
●「学生発 フリーペーパー、全国200以上/朝日」
●「千葉いのちの電話 設立20年/朝日」
●「不況下 教会中心に生活支援の輪/朝日」
●「ボクシングで引きこもり脱出へ/朝日」
----- 最後の記事、要注意。「気が弱いから引きこもる」という発想は、押し付けである。

夜間傾聴:中延君(仮名)
     □□君(仮名/こちらから)

----- ここまで -----

以下は、2009/04/29 分。

父の朝食時間が8時台なので、午前巡回のときは11時の約束なので時間の間が無い。8時前の数時間と昼間での3時間が睡眠時間なのだが、これが消える。夜間、父は頻尿なのでその都度、紙パンツを下ろして立小便に起き上がり、事故を起こす。おむつ拒否の代償が、布団と周囲の排泄物だらけの状態、居室の悪臭である。強制すれば、紙パンツを投げ出しての大騒ぎとなる。

介護で知り合った市内の方は、昨年連れ合いの男性を見送ったが、アルツハイマーが進行していた。まだ70代後半の方だった。その方はところかまわず糞をするアピール行動に閉口させられたという。父はそういう事は無いが、自分の行動パターンを決して変えようとしないのだ。着替えの手を通す順番ひとつとっても修正できないのだった。介助者には無力感が漂うが、状況が超えられれば、その都度、善しとしていかなければ、日常生活を維持できない。

私の裏の関心事は、父の認知の変化とそのあり方があった。それが家族よりも距離感を保つことになっているのかもしれない。

父は新しいホームから帰って以降、問題行動を連発している。昼頃、私が相談電話応答中、父の宗教団体の信者さんが突然訪ねてきた。母が隣室で気付かないために、鳴らさないようにと約束していたチャイムを鳴らしてしまった。さっそく父が階段踊場まで出てきてしまった。

父は夜間から落着かなかった。寝言で癇癪を起こして、ベッド枠を叩いた。排尿に起き上がるとき腰を抜かして立ち上がれなくなり、大声で私を呼んだ。失禁の始末2回。空が明るくなっていた。父は「**はどこに行った」と私のことを私に聞いた。父は私をホーム職員と間違えていた。初めてのことだった。

歩行器に掴まらせて、身を起こさせた。だがこの寝ぼけた状態では、父は自力で立ち上がれないのだ。一時も速く、濡れた衣類を父は脱ごうとする。私は、作業用紙シートを敷いて、ベッドに寝かせて処置したいのに、父は今すぐ脱ごうと衝突する。さすがに疲れた。これがおきると、次がまたおきるのだった。

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呼吸を乱したまま、夜間傾聴最終間際の電話に出る。親御さんの場合は、PCやFAXを使わないので、専用携帯にかけてもらい、駐車場まで出かけてから会話する。近所迷惑になるからだった。ところが玄関を出て行く音をホームからの迎えと勘違いして父が起き出してしまう。階段から覗く父を制止するという最悪の状態が起きていた。

夜間傾聴をe-mailやfaxにしているのは、この近所迷惑ということと、説得風迷惑応答回避の微妙な間合いを取るためだった。始めはe-mail面倒としている青年も、携帯チャット風のやり取りの価値に気付いてくる。

親御さんは切羽詰っている。母を起こし、父をベッドに戻した横に、しばし父を見ていてほしいと頼み、駐車場に出て行く。母が早朝に起こしたと怒り、傾聴を施設に返せと要求。母の誤解は依然続いている、もう十数年近くたつというのに。

相談電話は、青年の命に関係するものというより、非行犯罪の入口に立つような内容だった。東京南部の子なので、辻堂「ぽれぽれ」に受け渡すわけにはいかなかった。元の塾の子たちの紹介だった。連休中に一度会いに行くことを約束し携帯を切った。

図書の返却期限がきているものを返しつつ、Big Issue 誌を設置してきた。交換に仕入れてきた書籍から一部を紹介する。

●「アメリカの高校生が読んでいる起業の教科書」
●「コミュニティ・カフェをつくろう! 」

前の「教科書」シリーズは、「経済の教科書」「資産運用の教科書」の続編。案外自分の役に立ったりする。後半は再出。資金調達の方法まで丁寧に紹介している。

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夜の巡回を終えて、相模線車中で仮眠。駅前にBig Issue 販売候補のTさんの姿が無いことに不安感を抱えて帰宅した。

神奈川県のかながわ人材育成支援センター(能開校関係)が新年度の民間・公共共同研究会(指導プログラム開発研)の分科会に「不透明な社会で不安を抱える若者の対処支援プログラム開発」と「パソコンによるジョブカードの作成支援プログラム開発」が設定された。今までの引継ぎで前者に参加するが、頻度が低ければ後者にも参加したいと考えている。今までは民間と言っても、市民活動は私だけ。あとはプロ集団ばかりだった。今回もそんなところだろうと思う。発想が違うから意味を持っているというところ。連携がキーワード。

新年度は某教材出版社系の学齢期のキャリア教育開発関連のMLに野次馬参加できた。傍観(ROM)しきれるかどうか…。障がい者の視点がないから…。

鎌倉の発達障がい系ML(元特殊研・齊藤宇開氏たち)は、会費が高すぎてパス。

放置傘神奈川ネットワーク呼びかけ文試案(Ver.01)完成。

夜間傾聴:中延君(仮名)
     小田急相模原君(仮名・今日行きます)

(校正1回目済み)
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ショートステイ・なか日の休みを利用して

2009-04-27 08:08:26 | 引きこもり
父のショートステイ中日、母が父の部屋整備だけで休みがつぶされるのは嫌だと言い出した。私自身は濡れ雑巾になったような鈍い疲れが溜まっていることもあって、東京・飯田橋の不登校新聞Fonteの発達障がい関連の講演会参加を見合わせることにしていた。その一方、横浜・紅葉坂の県立図書館の書籍交換期限と、図書館司書補助アルバイトの職場取材(再開『わーく』初仕事)許可の件で、ここ数日のうちに出かけなければならないことも溜まっていた。

母が外食をしたいといいだしたので、気分転換に中華街にでかけることとし、母が以前から知人への贈り物で、横浜・高島屋に行きたいと行っていたこともあって、初めは横浜で別行動、母は買物、私は図書館という具合に用を足し、夕方、中華街合流とすることにした。

ところが電車が藤沢を通過するころ、突然私の携帯が鳴った。父の実家の老夫婦の伯父が退院してきたので、今日、来ないかという誘いの電話だった。私達は心筋梗塞で伯父が救急入院したということ自体知らなかった。急場を越えて昨日退院してきたという。母は急遽行き先を変えて、父の実家まで行くことになり、私は図書館に行くと先方に連絡していたので、まずは用事を済ませてから、父の実家に行くこととした。電話口に倒れた当人が大きな声で出ていたので、急迫感は無かったが、これから何回も元気な姿を見ることが難しくなったと感じたので、会っておこうという話になった。高齢になってくると、身近な人が次々と逝ってしまう。母の気晴らしは、こうして終わった。

県立図書館は定期的に図書館の職場見学を企画している。引きこもり青年や軽度発達障がいの青年、鬱を抱えた青年たちは、書庫管理のような知識の素地を求められるちょっと専門性のあるバックヤードの仕事に向いている方が多い。このひとたちの就職先にと、行政が受け入れている事例もあって、神奈川の状況や採用の可能性等を取材できないかと考えていた。

「わーく」は、ふたつの活動を始める。ひとつは、主に知的障がいのQOLをあげる会員制携帯ネットワーク育成の中で、ポッド・キャスティングの5分間インフォメーション放送を自主制作する試み、これにはテスト版をまずつくる。

もうひとつは、初め私が単独からでも出来ること、年数回の通信発行を始めていく。図書館見学と知人インタビューを狙おうと思っていた。ところがこれは先方を説得するのに、モデルがオンライン配信交流というより、既存電波放送局イメージしか脳裏にないので、空転に難儀する。動き出し発刊ししまえば、それを見てもらえばだいぶ違ってくるだろう。これから協働スペース活動の情報流通の血流となる活動なのだが、それを就労支援という関連付けになると、構想が広すぎてしまうのだ。成長力の芯になるものも仕組んではあるのだが、説明すればするほど、全体像が見えにくくなってしまう。

図書館は月曜日が休み。今回行かないと、次は火曜日になってしまう。ともあれ突っ込んでみようと図書館の司書の方に話を持ち込んだ。ところが担当者が日曜休み。みごと空振りして、書籍交換と書籍購入希望だけ出してきた。

そこで知ったのだが、昨日は午前中、神奈川にじの会で、松為先生の講演があったのだった。最近、情報の落としが多くなっていることを感じつつ、憂鬱を抱えて、父の実家に向かった。

母と遠出するのは、久しぶりだった。深夜、帰宅した家には、夜間傾聴の開始要求のFAXが闇の中で印刷音をたてていた。

<気になった新聞記事から>
●「特別支援学校生が急増 教員・教室の不足深刻/朝日」
●「法定外施設の生活保護者、全国に1万4千人 厚労省調査/朝日」
●「地元品売って失業者雇用を/朝日愛知」
●「ホームレス襲撃 市川市が対策/読売千葉」
●「NPOが「路上生活脱出ガイド」 食べ物・体調・仕事…/朝日」
●「紙薪燃料:新聞紙再利用、試作品完成--高山の障害者施設「青葉の家」/岐阜」
●「季節の花出張販売します府中市の知的障害者施設 市役所で先行実施/読売広島」
●「「ベランダで食事」証言、虐待常態化か 大阪・女児死亡/朝日」


<気になる書籍>
●「バニラエッセンス うつ病からの贈りもの」
●「自閉症という体験 失われた感覚を持つ人びと」
●「神様、ボクをもとの世界に戻してください -高次脳機能障害になった息子・郷」
●「ダイバシティ・マネジメント―多様性をいかす組織」
●「地域でささえる 障害者の就労支援 事例をとおしてみる職業生活支援のプロセス」


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正3回目済み)
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峠・父をホームに送り出す

2009-04-26 17:11:44 | 引きこもり
父が今回始めてのホームに、2泊3日のショートステイに出て行った。前日、私の外出中、大惨事を起こしてくれた件が尾をひいていた。父の部屋のベッド周りは、スリッパを履かなくては、周辺に尿臭さを運んでしまいそうに、悪臭が残っていた。父は、私達との口論の影響か、一晩中奇妙な演説を長々と反復していた。眠っているのだが、仰向けの状態のまま、両手で中空をかき回し、大声の寝言を繰り返していた。レム睡眠行動障害である。

午前4時14分から3回、うなされるというより、周辺を征圧するような口調、宗教の伝道演説もどきを繰り返していた。暴れて危険な状態ではないときは、起こすとベッドを降りて転倒したり、ろくなことにならない経験があるので、見守ることにしている。これだけ大声だと、窓を通して4~5m先のお隣さんの2階の窓へと、筒抜けに聞こえてしまう。冷や汗ものなのだが、父は6時20分頃目覚め、その窓辺においてあるTVを大音量でかけはじめて、慌てて私が音を落とすために飛び込んだが、先方の窓がぴしゃりと閉じた。抗議の開閉だった。

父は私が飛び込んだために興奮し、ベッドに走りこんでバランスを崩し、ベッド上に激しく倒れこんだ。痛かったのだろう、ベッド柵に打ち付けた手をかばいながら、私に背を向けて丸まってしまった。

とにかく、今夜も1~2時間眠っただけで、結局は起こされてしまった。父の出発は11時。食事が定時8時台という中途半端さで、眠ることが出来ない。戸塚で買ってきたお焼きを暖めて、お吸い物と果物を糖尿病食の範囲で付けて出した。父は眠いのだろう、声をかけても起きないし、この状態だと揺り起こせば、身構えてしまうだろう。冷めないうちにという意図が伝わらないもどかしさは、百万と飲み込んできた。今回は百万一回目なのだった。自分のガス抜きをし、スリッパリレーをして、風呂場にもどった。靴下が、鼻を突くアンモニア臭がするので履き換え、事件後の処理で溜まった風呂場脇の洗濯物の悪臭抜きに、窓を開けるためだった。

父の足を引きずる音が聞こえ、叩きつけるようにポータブルトイレの蓋が閉まった。お絞りを暖めてベッド脇に出してあるが、私が指示しないかぎり、手も顔も拭かない。だから、尿で濡れた手でお焼きを食べているのが想像された。母はこの不衛生な状態が耐えられずに、体調の悪いときは嘔吐していた。

身体がしびれ、四肢末梢が脈打っていた。母の「何で生きてきたんだろうねえ」という言葉を思い出して、「その問いが答えを準備しているのだよ」と、心の中で応答していた。生は目的に向かって全うされるものではないのだ。意味を求めることの意味をつぶやいていた。

予定の時間の直前に、説得し着替えをさせた。父には部屋を清掃しておくからという部分だけ納得がいったよう、この辺が悲しいが、今は反発せずにホームに出かけてくれることが第一だった。雨の中、父は赤い傘をさしかけられながら出て行った。先方は起床・食事の時間が自由というホームである。昼間寝続け、夜中徘徊転倒しないよう相談確認している。中途で帰ってこないようにと、車に礼をした。

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母は死んだように眠っていたが、胃切除の影響で黙っていては食事を取らないで日を過ごしてしまう。11時半を回っていたので食事をつくり、本メッセージを仕上げた。

14時から、飯田橋で不登校新聞の講演会だが、休むことにしようかと思っている。「わーく」の取材先なのだが。
(つづく)
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再びポータブルトイレが逆立ちし/ポルト湘南さんにお邪魔して/戸塚善了寺カフェ・エコセッション

2009-04-25 12:58:17 | 引きこもり
今日から、初めてのホームの2泊3日が始まる。父は本来外泊を拒否している。しかし、母の手術等のことがあったから、やむなく承諾というスタイルを取る。しかしそれも、デイサービスと同じホームに通うことが慣れて来たために、そこのショートステイに限って、出発時は大きな反発をせずに行くようになっていた。

ところが、職員の安全確保指示、特に夜間ひとり歩きの禁止が守れないために、ホームでも転倒を繰り返し、大声を上げていた。ポータブルトイレを拒否してトイレに向かって歩き出すという仮説を立ててみたが、特に便秘気味のときに歩き出す傾向があるものの、昼間はポータブルトイレに、あっさり利用できているというところから、父の意志の聞き取りと危険注意の説得が行われていた。自分の意思表示はせず、あっさり受け入れてベッドにもどり、またすぐ徘徊することに、職員は音をあげていた。ただしこれは毎回の出来事ではなく、前夜、家庭で徘徊が頻繁だった日の翌日のショートステイのときに起きていた。

このホームは以前から、宿直が女性職員であることから、男性のショートステイを基本的に断っていた。そのこともあって、職員側から他のホーム利用への意見がケアマネさんのところに上がっていた。

そういう背景を持ちつつ、今回は前回の病院系列のホームに継ぐ2回目のホーム泊である。前回のとき、父は「俺は聞いていない」と、徘徊制止時に反発するのだった。前日父と私達との説得の場面では、「手術日はいつか」と父が聞くという、母の胃ガン手術を終えていることがわからないというところから話をしなくてはならなかった。その言葉の意味が再度の手術を意味しているのではという仮説は、母の胃ガン手術が12月に終わって回復期を過ごしてきたことを説明しても、その場で納得しても再びすぐに忘れ去られることから、記憶の混濁があるためと判断していた。

前回の病院系列のホームは、職員の指示に従わない徘徊や他害のある方は、その場で家庭に引き取らせるという強硬な方針だったこともあり、ショート利用は1回限りで終わりにしていた。だから今回は、特に転倒回避に事前の話し合いを詰めておいた。ただし、本人の確認は前夜までするのをやめていた。

興奮して、室内徘徊と排便のための階段降りが始まってしまうからだった。つまり、排便失敗不安というか、事前に排便しておこうとする行動が衝動的に起こることのように思う。おしめ拒否とも同根の部分ではないかと思う。

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昨日は、ポルト湘南の■さんと会うことと、本校の面談1件、戸塚のトークセッションへの参加ということで、夕方母の友人親子の応援を得る以外は、母が留守番することで、私は午後から外出していた。非常時は連絡するようにと確認していた。

トークセッションは21時に終わり、戸塚の駅前で買出しをしている頃、父の部屋では心配していた事件が起きていた。

父はベッドから下りるとき、掛け布団を胴体に巻いたまま降りようとする癖があり、そのため布団とともに落下をすることが頻繁におきていた。今回も、父は排尿のためにベッドを下りようとして落下。ふだんから厳重に危険注意を確認していた手の力による掴まり引き寄せ行動を、目の前のポータブルトイレの高さ調整と安定のためにはめていたコンクリート塊の土台に掴まり、1個15kgの塊を動かしてしまい、次に上の不安定になったポータブルトイレに掴まり、このトイレを一本背負い状に投げ飛ばしてしまった。尿の溜まったバケツも吹き飛び、周囲は尿の海と化し、父はポータブルトイレの下敷きとなった。尿は布団と本人をよごし、ベッド下を伝って押入れに流れ込んだ。絨毯を濡らし、ベッドマットもしぶきを受けて濡れてしまった。

50cm強も投げ出される状況は悪夢としかいいようのない情況だった。母は父をなじってしまった。そのため、父は落下した食器を投げて大声をだしたという。トイレをもどし、抵抗する父の胴体から布団を引き剥がし、用意してあったぼろきれで床を拭いた。口論となり、母の掴まり立ちの危険指摘に対し、父は15kgコンクリート塊4つを「自分が自転車で買ってきたのだ」と主張、掴まるのは勝手だと言い出したという。勿論、この塊は私が車を依頼して2人がかりで購入し設置したものだった。この反論に母は嫌気を感じていた。

帰宅と同時に、ぼろきれの廃棄、床の清掃、衣類の洗濯の緊急行動となっていた。父の怪我のチェックの際、父は身体を触ることを拒否した。時間をおいて父と話した。この間、あらゆる身の回りのものに掴まって転倒事故を繰り返していること、回避に四つん這い姿勢から半回転するように立つ方法を訓練し、自力で立つことに成功していること、だから四つんばいになって起きて欲しいこと、それを阻害する布団巻きつけのままのベッドから降りる行為をやめるべきことを説明した。父は沈黙し、横を向いてしまった。

やっと身体を触れるようになって、怪我をしないでよかったと告げつつ、濡れたパジャマの交換中、父が「十字ドライバは、どこへやった」と言い出した。ポータブルトイレが壊れてもいないのに直すと言い出したのは、何十年も昔、過ってドライバを紛失して以降の言葉だった。トイレは壊れていないことを告げると、「コンクリートを返して来い」と言い出した。トイレの土台にはめ込んで、トイレ本体の転倒を防いでいた土台である。それは無理だと応答すると、「明日返しに行く」と言い出した。

合計60kgある塊を「自分が自転車で返しに行く」と言い出したので、「その足で自転車に乗れると思うのか」」と、「第一どこへ」と聞き返した。明快に「***金物店だ」と父はいう。その店は終戦直後、父の実家の丘を降りたところにあった。父方の叔父さんの昔話から聞いていた店だった。その店は無くなって60年は経っている。時間系列が混乱しているのだ。

パジャマと紙パンツ交換を終えた途端、交換した掛け布団を腰に巻いて降りようとした。何も説得が効いていない。なぜ巻くのかと聞くと、私を払いのけながら「寒いからに決まっているじゃないか」と言い出した。「布団を巻いたまま小便をするのか」と問うと、ベッドの反対側に力任せに布団を投げ出し、反動で自分もベッド上で転がってしまった。強引な起き上がりと立小便。たちどころに紙パンツとパジャマが漏らしのために濡れてしまった。母なら切れていただろう。

こうして翌日のショートステイの行き先の確認は翌日まで言い出せず、持ち越しとなった。父は早朝、長い時間寝言を言い続けていたという。ストレスは即座にレム睡眠行動障害に反映する。大きく荒れなかったせいか、父のベッドの窓下に近い母の寝室に聞こえていた。

朝食を出した時点で、父はTVと部屋の明かりを点けたまま眠っていた。これから説得である。出発は11時。

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何とも無駄な話だが、午前中、相模原の塾の方で、重篤な神経症を伴う子の親御さんとの相談請負があった。母の用事のため、一度家に戻り留守番交代、再び私が夕方外出するという行き来があった。父の事件前の話である。往復3時間強が消えていく。

母の帰りにバトンタッチするように、私は夕方、ポルト湘南の■さんに会いに行った。Big Issue 茅ヶ崎販売再開への協力依頼と、放置傘再販の活動企画化の相談だった。アポなしの夕食準備の忙しい時間帯に、躊躇せず相談に応じてくれた■さんに感謝。

この日は初日、提案をして検討をお願いしてお暇した。入所している方が何事かと気にしていらしたので、会釈。

これで、茅ヶ崎販売再開の件と、放置傘ネットワークの支援者の稟議が終わった。あとは路上生活者支援とは直接関わってこなかった方の掘り起こしと、呼びかけ文と会合の設定である。

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戸塚・善了寺を会場に、浦河べてるの家の向谷地生良氏と、戸塚の明学大国際学部辻信一氏との夜のトークセッションがあった。辻ゼミの学生さんたちのナマケモノ倶楽部がお寺さん・善了寺をカフェにしてしまう企画をされていて、文化人類学者・辻氏のエコ活動の一環としてべてるの家との交流を企画、大月書店からの「ゆるゆるスローなべてるの家」の出版記念というわけだった。

時折小雨のぱらつく本堂に100名弱の学生さんと地元の方が集まっていて、方向音痴な私は始まった直後に会場に入ったため、開放された軒下席から参加する形になった。小雨が振り出し、会場受付の机を片付けた隙間になんとか席を確保できたものの、かなりローカルな会合であることがわかった。

会費1500円は高いなと思ったが、同書付(1200円)ということで、販売促進を兼ねた会だった。浦河べてるの家の活動は、強烈な文明批判・医療批判を含んでいる。べてるの家の近況を聞きたかったことと、茅ヶ崎協働スペースへの学生さん勧誘を兼ねて、「障碍」ということについて、どのような理解をされているか聞こうと思ったのだった。

話は同誌の内容に沿って、向谷地氏の生い立ちを軸に、べてるの家の設立に至るポリシーの生成過程をたどっていた。会場には向谷地氏の奥さんも参加されて、「べてる感染症」なる「スローな価値観」の逸話が淡々と語られ笑いを誘っていた。部屋の脇には学生さんがナマケモノ倶楽部のエコなカフェの品々を提供していた。

向谷地さんの話にもあったが、便利を軸とした文明を命から批判することで、エコな生活観を提案するという構造には、経済社会学的な判断が欠落している。消費文明は資本主義という欲望の体制が歴史的に生み出した結果なのだが、この視点が批判者になく、消費者の自由意志の選択に命のテンポに基づいた生活観を対置してしまう過ちを繰り返していた。

視点のつややかさや、そこから引き出される生活観を支えるのは、抽象化された人間一般であったり、市民であったりする。本源的な資本の欲望管理と向き合わなければ、ことの解決はドラキュラの杭を打てないのだと思う。あとからつけたエコCMは論外としても、生活選択の可能な中間層以上の社会階層の活動になってしまう。美意識の領域にまで及ぶ価値観の混乱があり、その表象の豊かさゆえに、宗教的価値観の陥穽に落ちていた。

しかし、向谷地さんの話は、するすると既存の価値観を切り裂いて見せてくれた。これ自身は大変面白いのだ。ただ生命科学者柳澤桂子流の受精卵は誕生と同時に遺伝子レベルの死が開始されているという論と、パウル・ティリッヒ神学の内なる神の存在論が発達をめぐって柳澤生命論と交差し
からむところに、べてるの家の価値観の源流があると語るこれは、遺伝子レベルからひとの生活という社会的な価値観を直結させる過ちを含んでいるし、感覚的に面白いという結果的な親しみによる以外は、論拠は違うとしかいいようがない。プロテスタンティズムの類型である。

会が終わって、私は戸塚駅の逆側の駅前スーパーに立ち寄るつもりで、うっかりと開かずの踏み切りに立ち往生していた。やがて後方から会場運営とカフェを支えていた明学大の学生さんたちが、大声で話し合いながら近づいてきた。「あれが完売したのはすごい。儲かった。」と興奮気味。うーん、こまったな。その「儲かった」が「資本主義の欲望の始原」なんですけど…。

夜間傾聴:******君(仮名)

p.s. 疲れた。マウスを握ったまま、明け方まで眠っていた。
   父の朝食に、戸塚で買ったお焼き。食ったら外泊を承諾した。一安心。
   戸塚のセッションに、ネネムの□さんが参加されていた。なるほど。

(校正2回目済み)

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網膜色素変性症の精密検査/Big Issue東京事務所・寿町「さなぎ食堂」「お好み焼きころんぶす」に

2009-04-24 14:50:24 | 引きこもり
昨日は私の目の治療に、都内の眼科の精密検査を受けに行っていた。診察を含んで3時間、薬のせいで霞の中にいた。強度の近視だから、風呂場の湯気の中のような視野は慣れているが、違うのはピントが合う部分が無く、やたらにまぶしいことだ。点眼薬で瞳孔を開いてしまう上、麻酔と油剤の鬱陶しさが重なっていた。金属類を身から離して、額と耳たぶに電極をつけて、闇の中15分待たされてうたた寝して叱られたりしつつ、網膜色素変性症のより細かい症状をつかむ目的だった。

網膜色素変性症は、やがて失明する難病。多くは遺伝だが、突然何かがきっかけで発症することもあり、原因不明だが、ストレスと因果関係は無い。強度の近視の方がかかりやすいようだという。私のような両眼発症だが左右のバランスが違う例は少数派。しかも家系による遺伝ではなく、突然の劣性遺伝か他の原因によるのは4分の1程度。若いときから発症し、じんわりと悪化していく症例が多数派。私の場合はこの2年弱で急速に悪化した。それは症状が視神経乳頭の周辺に集中したために、結果的に速く感じているのだという。

どうやら話は、治療計画に移っていて、セカンド・オピニオンの域を超えようとしていた。原因不明で現状維持を目的にした見守りと環境改善治療しか手が無いという。検査結果は「網膜色素変性症」の裏づけ確定。「網膜色素変性症」の専門医以外は、確定診断法とその検査機器の準備が無いとか。神奈川の患者さんたちの会の定例会にお邪魔して、だいぶ進度が違うが、気持ちの整理はついてきた。会の顧問医の方に今後の見通し相談を持ちかけ、見通しをたてようと考えていたが、あまり意味が無くなってしまったようだ。

眼圧降下剤の使用は中止。緑内障の別のタイプの治療薬で、網膜の血行を良くする薬を転用し、ビタミンA等サプリを使って、眼球の環境改善をしていくことを承諾した。右目は失明の可能性が大きく、これからいろいろな症状が出てくる可能性が高いことや、この病気は、ストレスとは無縁な病気で要するに、なる人はなるという、わけのわからない説明もあった。いつ失明するかわからないが、なるよという。次回は7月。このテンポで十分という。来ても直せないという意味でもある。

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瞳孔を開く薬などの影響の残る汚れた眼鏡の風景のような視野のまま、JRに乗り、市ヶ谷経由で曙橋のBig Issue 東京事務所を訪ねた。ふたつの用件があった。

ひとつは、茅ヶ崎販売再開の件。運用環境を整えるための人材探しだ。

もうひとつは、放置傘販売についてだった。

偶然、佐野代表と面会でき、湘南でアンテナショップ活動を立ち上げることと、構想をBig Issue Japan で積極的に取り込んでくれないかという話だった。今回は佐野代表と面会できるとは思っていなかったこともあって、改めて正規の企画提案させてもらおうと思っているが、会そのもので扱うことは難しいということが現状。世の中甘くない。

美味しいカステラを販売員さんとご馳走になって、次の訪問先の横浜寿町の「さなぎ達(さなぎ食堂)」に向かった。

Big Issue 事務所では、「路上脱出ガイド(東京23区編)」が刷り上っていたが、うっかり分けてもらうのを忘れていた。神奈川版ができるのだろうか。この冊子は、湘南にも仲介する予定。

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新宿から横浜に出た。すっかり日が暮れて、この時間帯、果たしていらっしゃるのだろうかと不安だったが、とにかく「さなぎ食堂」におしかけたのだった。石川町の労働プラザの前を過ぎた辺りで道路を渡りそのまま十字路をいくと「さなぎ食堂」がある。この上が「さなぎ達」の事務所。簡易宿泊所やコインランドリーとシャワーがあちこちにある。

用件は同じだった。違うのは、放置傘再販の運動作りの協力依頼の打診だった。幸いなことに、昨日は「木曜パトロール」の日で理事長さんや皆さんがいらして、Big Issue 再開の支援の件や、放置傘の企画の立ち上げについて検討してくださる件(今日は、地元ポルト湘南さんにお邪魔の予定)これも一歩踏み出すことに。問題は支援の輪に新しい広がりをつくること。

私の埼玉県の古い友人が、この私の活動を引きこもり青年と関係が無いのではないかという懸念を昨日ぶつけてくれたのですが、私は本当の在野からの起業体験というものがこれから必要となっていて、実はこのあと、帰りに石川町駅前に出来た「お好み焼き ころんぶす」に立ち寄ったときの感想と重なるものなのです。「お金がないと、何も出来ないの?」という笑われそうな問いなのだ。

「お好み焼き ころんぶす」は、引きこもり青年や、ドロップアウトした青年たちが、「コロンブスアカデミー」「K2-インターナショナル」に集い、店舗展開を始めたそのうちの1軒だった。つるつるに剃りあげた女性店長さんのすばらしい手さばきの焼きそば(糖尿病にはきついところ)をいただいてきたのだが、全員の背筋が伸びた展開というか、店の隅々まで気持ちが行き届いた質の高い運営をしている。その仕事にはまっている様子が、なかなかよくて、次回の見学会は港南台のたこ焼き屋・根岸のスペースとともに、食事にお邪魔したいと考えていた。

しかし、この店舗準備は資金がかかっている。元手がある場合はそれを次に膨らませる企画が、決して安易な道ではないが、引き寄せられる。しかし、0からの出発の道がないわけではない。その道を開くには、代わりに人材・人脈が必要になる。それを育てるのが「必要性」というキーワードだ。

社会的企業(起業)とは、営業の公的性格を表に出すことによって繋がるという販売促進戦略なのではなく、社会的ニーズに応えることによって職と活動という相互補完的な二兎を追うことなのだと思う。資金のない活動が社会とつながることによって、仕事と活動の可能性を拡げること。そう考えると、大きな活動を引き寄せる資金を持つ者が、より質の高い活動へと育つ未知の外、もう一本のけもの道を開くこと。ごまめの歯ぎしりではなく、誰にも容易に入れ、始められる活動のノウハウを実践的に貯めていく、社会活動的には、誰もが始められる活動のサンプルを提供することが、私の主眼になっている。

「わーく」で言えば、自分の部屋からの参加でも始められるオンライン併用複合コミュニティ活動というような部分、そこに共通に流れるものだ。

極論すれば、路上生活者の人たちも地域活動の潜在する人材だと思っている。リサイクルとか、御用聞きシステムというのは、持たぬ者の知恵である。ここを開拓していくことは、無鉄砲な試みであるとは思わない。引きこもり青年や、軽度障碍の方の仕事作りや、復活のステップの性格を持った地域活動に、路上生活者を加える、つまり本来の意味での社会的弱者の自立と協働の道へとつらなる古の毛式にいうと「星火」を点す作業なのだと思う。(久々に『星火』を思い出したなあと…)

ひとりでやる仕事ではない。それは分かっているのだが…。

今日はこれから買物を済ませたあと、ポルト湘南にお邪魔し、19時から戸塚で、向谷地生良氏(浦河べてるの家)と辻信一氏(ナマケモノ倶楽部)のトークセッションにお邪魔してくる。どうか父の緊急呼び出しがかかりませんように。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     多摩センター君(仮名)
     中央林間君(仮名)

(校正1回目済み)
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有料老人ホームまわり2日目/古物営業法13品目の選択

2009-04-23 07:59:43 | 引きこもり
父の最近の暴発の話を母から聞いて、母の友人とその娘さんが突然様子を見に来た。母は某お稽古事の講師手伝いをしている。父がこんな状態なのでお弟子さんはとっていないが、たまに手伝いに出て行く。それも気が滅入った日の直後に飛び込むものだから、情けない話だが、しわよせは私のほうに来る。外勤講師(学習カウンセリング)は、自主管理なので日程の自由が利く。その利を母が利用しているが、父の介護をさせること自体、無理がある年齢である。介護を覚悟した以上、よほどの無理が来ない限り、母の急な予定変更も受け入れることにしている。

父は墜落事件の日も、階段は泥酔者のように危険だったが、なんとかデイサービスに出かけて行った。こういう日は帰ってきても、疲れるのか眠ってばかりいる。しかし油断すると、階段を降りたり、困った修理が始まる苦い経験をしたばかりだ。だから最大の困難、階段介助には規則だけではなく、実態として家族がその場に、いないといけない為、17時前には家に戻っている必要があった。自由時間のゆとりがないところに、突然の来客。そう何回もこのお客達に留守番を頼むわけにいかず、かといってむげに帰すわけにもいかない。結局、この日、母が18時に戻るまで、気の焦りを感じつつ、雑談相手をするはめになった。

私は長い間、フリースクールの教育活動やら、療育関係の外縁に位置するような活動をしてきた。だから大なり小なりその分野に関係している当事者や支援者の方とばかりお付き合いしてきた。そんな関係で、いわゆる「雑談」という奴がどうも苦手なのだ。しかも母がいなければ、話の矛先は私の方に向く。

案の定、私の職業や結婚経験の有無のような、興信所じゃあるまいしというような話題が出てくる。外勤講師の巡回先がいわゆるハイティーンではなく、一応青年のおっさん、おばさん予備軍の、しかも困難を抱えている方と知ると、話相手は面食らうが、でも一応はうなづいてくれる。季節労働者やおっつけコラムライター、閑職家族零細企業の社長兼小間使いの話になると、相手のキャパを越えてしまう。そこにバツイチとなると、火をつけたのは先方なのに、もう話の相手をしてくれない。介護は父が5人目と知ると、その話題、大概逃げ出すか、別の話題をさがし、さらに介護と私教育について、私の日常生活の中の研究テーマを語るに至っては、魔よけの結界を貼られてしまう。

だから何やら自炊と買物の話で場を保たせたものの、途中巡回先との際どい電話が何回も割り込んだので、聞き耳立てるので、バランスに冷や汗のかき通しだった。結局、父の帰宅時間直前に、近所で買物を済ませただけで、母の帰宅まで、物悲しい時間が流れ去ったのだった。我ながら、このような状態で、夜間傾聴というおこがましい対話をしているものだと思う。

結局、夜間巡回も出発が遅すぎるために、相模大野に中間報告をしに出かけただけで、一日が過ぎ去ってしまった。

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そんな話を旗の台君(仮名)にして、私事を話すカウンセラーなんて、聞いたことが無いと言われた。しかし彼の場合も彼が小学生の頃から、そうしてきたのだった。だから彼に意外性はないだろう。

その夜、父は相変わらず闇の中で立小便をして転倒した。とっさに掴まった歩行器を投げ飛ばしてしまった。しかし今回は少し様子が違っていた。その後、父が立ち上がらなかったのだ。いくら場数慣れをしてきたと言っても、これはまずかった。

しかし行って見ると、倒れたまま、いびきをかいて寝ていたのだった。脳溢血の可能性は無いか、声をかけて反応を見た。すぐに目が覚め応答したのでほっとしたのだが、この「寝てしまった」ということ自体が、今までにない症状だった。

意識の混濁を疑い、ゆっくりベッドに誘導した後、会話を試みた。相変わらずの虚勢を帯びた反発が帰ってきたので、一安心したのだが、なぞが解けたわけではなかった。

階段昇降が無理になったとき、父の部屋は1階になる。しかしそこには、移行期間が挟まるだろう。介助付きでも階段が無理、しかし完全に歩けない状態ではないという状態が一番怖い。目を離した隙に、厨房のレンジの火や冷蔵庫開けっ放し、風呂場の空焚き・転倒や操作のミス、玄関先落下、サイドボード倒し、電源コード転倒と外出徘徊など「危険の巣」に踏み込む常習犯だったからだ。火の始末では、いままでに何度もボヤを起こしてきた。これがあるから2階に実質、隔離をしてきたのだ。

こんなことから、有料老人ホームを含む長期入所を準備する時期に入ったと感じている。徘徊・指示無視・大声のある男性を柔軟に受け入れる場所を探さなくてはならなかった。放置や懲罰傾向の無い施設は、パンフレットではわからない。利用者家族や見学から、順番待ちに立候補する価値のあるホームを見つけなければならない。ケアマネさんに報告を入れつつ、情報を探っていく作業が、私の日々に、さらに加わった。

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昨日は、父はデイサービスだが、私は中央林間の巡回が入っていた。藤沢経由分、移動時間がかかってしまう。私の自由時間のゆとりはほとんどないので、すぐに帰れる辻堂駅周辺の有料老人ホームにお邪魔した。徘徊・大声に強い難色。後日見学させてもらうが、申込までいかないと思う。これは職員の数が問題なのだが、先方は風評も気にしていた。

見学訪問は時間がかかる。この長い時間の捻出が問題になっている。母が捜し歩くわけにはいかないからだ。

急ぎ辻堂駅から帰宅。買物袋を抱えて、ホーム送迎車到着5分前に無事滑り込んだ。今回は父の宗教団体関係者が3人も待機してくれたが、ビジネスマン風の男が何人も囲んで待っている姿は、暴力団風?階段介助はそれでも難しかった。彼らが腕を引き上げてしまう上、テンポがばらばらだったからだ。慣れがいる。

今回は、TさんのBig Issue 再開の件と放置傘販売の件で、ポルト湘南にお邪魔する予定だったが、これも流れた。予定が予定ではない厄介さ。悔しさのようなものが澱のように胸に溜まっていく。じれたら終わり。行動に実を残すことなり。

たとえば、3食作り片付けるまで1時間半かかったとしても、それだけで4時間半、そこに買物や、洗濯を入れたら6時間は、毎日かならずかかっている。それを母と分担するが、正直言ってこれがなかったらと思う事は、じばしばある。父の非協力に怒りを感じたときの対処は、心の中で人格を抜く、抽象的個人に仕立て上げることだ。父ではなく、高齢男性の介護をしていると考える。距離感の操作なのだが。

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中央林間の駅前の喫茶指導は店と本人の慣れともに初体験なので、落着かなかったが、これも場所が確定すると落着く。あと数回はだめだろう。お宅はバスで時間がかかるし、家族構成にも問題があって駅前と決まった。SSWの神奈川の創始者の方と会える場所でもある。

彼にそのことを話した。SSWは、学校と家庭との間に立つ当人の支援者だ。社会関係の調整を重視しているところに特徴がある。中学時代にSSWのひとと出会えたら、道も変わっていたかもと、彼は語った。彼は病人扱いされてきたことに怒りを感じていた。

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古物商の申請をしておこうかと思い始めている。古物営業法では13種類の品目が定められている。リサイクルで、街頭販売や小箱ショップに関連のありそうなものを申請する。店舗は当面自宅。やがて新協働スペースに移ることになる。

【古物営業法13品目】

1)美術品類 2)衣類 3)時計・宝飾 4)自動車 5)自動二輪車等 6)自転車類 7)写真機類 8)事務機器類 9)機械工具類 10)道具類 11)皮革・ゴム製品類 12)書籍 13)金券類
●「警視庁HP/古物営業法の解説」より

このうち、2)衣類 6)自転車類 10)道具類 12)書籍、加えれば1)美術品類 となる。1)は生産者からの委託販売だから「古物」には当たらないからだが、その再販となると関連してくる。6)は放置自転車関連。


夜間傾聴:******君(仮名)
     中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

p.s. 今日は東京の眼科に、網膜色素変性症の診断書を書いてもらいにいく。かえりにBig Issue 東京事務所と、寿町のさなぎ達の事務所と食堂にお邪魔してくる。父の緊急対処は訪問介護の方に依頼することに。

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4/21書きこみ分です/背筋が寒くなった父の転落/過渡期のような一日

2009-04-23 00:12:53 | 引きこもり
書きこみ、遅れてすみません。

gooが朝、4/21朝メインテナンスをしていたために、書き込めなかった分です。
翌日、来客の関係で書き込めなかったので、遅ればせですが、upload します。

------- ここから -------

午前3時7分、母が目をこすりながら、夜間傾聴のメール対話中の私の部屋に入ってきた。幸い、中延君(仮名)との話が終わり、待機に移るときだったので影響は無いが、シビアな場面だと、応答タイミングからも先方が揺れ動くことがある。頭上から父の呼び声が聞こえるのだがという。もう十数分呼んでいるという。

私の部屋からは、ごとごとという寝返りのような音が聞こえていた。父の2階の部屋に行って驚いた。布団を巻きつけたまま、ベッドから逆釣りのようになって助けを求めていた。力のある健常者なら腕力で姿勢を立て直していただろう。父は昆虫の脱皮のような姿勢で固まっていた。

非常用ボタンは、はずしてしまっていた。ただ、今の父にはこのボタンは使えないだろう。父の就寝時、TVは私が消した。深夜というのにTVがついていた。失禁していたのでベッドに戻して、紙パンツ交換を始めたら、父が怯えているのだった。父は私を見ているのではなく、寝惚けたうわごとから幼少の頃の家族を見ていることがわかった。恒例のトラウマが浮かび上がっているのだった。レム睡眠行動障害の発症中に滑り落ちたということがわかってきた。母に砂糖水を持ってこさせて、父に含ませた。医学的な裏づけがあるわけではないが、低血糖緩和策のつもりだった。

紙パンツを交換して驚いた。足が血だらけなのだった。古い傷のかさぶたを書き壊していたのだ。尿のついた手で書き壊していたので、感染を恐れて救急箱に残っていた古いクラビット錠を飲ませ、処置を済ませ眠らせた。4時半を回っていた。シーツは血だらけ。介護側の気分は最悪だった。

続く夜間傾聴の要請メールも無いので、横になってサブPCで「商店街再生計画」のアイデアメモを書き始めた。協働スペースに学生さんの情熱を引き込むための下地つくりだった。数分たったところで、急に足がつった。ジンをあおって、仰向けに寝て膝を立て、腕は脱力して体側に置いた。こうすると、数分で引付が収まるのだった。

うつ伏せが、腰の神経を圧迫するので、横になってSFC(慶應大湘南キャンパス)の講師の著作を読み続けた。文教大と同時にSFCにも学生にアクセスしたい。馬を射るには将を射よ(?)なのである。中途半端な一夜が明けて、今、燃えるゴミ出しを済ませた。そのまま8時の父の朝食を出して、眼圧降下剤点眼薬をさして仮眠する。午前9時、一日の締め。

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Big Issue 茅ヶ崎販売のTさんと駅前で会う。彼が話を持ちかけた相手が、参加を降りたという。様子見である。活動を作るとき、ひとりからふたりになる道が一番険しい。活動の趣旨に反対ではなくても、実体を見ないとひとは動かないのだ。しかしこれは、ひとりでキャッチボールをせよ、野球の試合を見せよといわれているようなものなのだが、それでもひとりで立ち上がらなければ、何も始まらないのだ。勿論立ち上がっても活動が拡がるとは限らない。しかし立ち上がらなければ、何も始まらないことだけは確実なのだ。「諦念の決起」を若いTさんに求めるのは酷だ。Tさんは失望し、茅ヶ崎を去ることを考え始めていた。

路上の人たちは、様々な辛酸をなめている。そう簡単には活動には乗らない。損にならず、安全が確認できないと乗ってこない。自分の限界をTさんは思い始めていた。Tさんを泥沼に帰していいのかと思う。活動はその一方で、心揺り動かされるポテンシャルの高い活動には、非論理的にひとが飛び込んでくる。その情熱を束ねることを忘れてはいけない。前のBig Issue のときの金銭管理問題を残しているカトリック教会系の方と話し合う必要が出てきている。今日は施設のほうへお邪魔して、援護射撃が可能かどうか確かめてくる。話が可能なら、放置傘販売による雨天収入源確保企画を立ち上げたい。だめなら、寿町と東京の賛同者探しの手をうつ。もうひとつの身体がほしい、機動力のある。他者をあてにしてはだめだ。遠方訪問は23日。

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<追加予約の書籍から>
●「軽度発達障害―繋がりあって生きる」
●「「新しい貯金」で幸せになる方法―あなたの生活を豊かにする「NPOバンク」「匿名組合」のススメ」
●「PL法(製造物責任法)の知識とQ&A」
●「わかりやすい古物営業の実務」

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中延君(仮名)

地域巡回:海老名1件・小田急相模原1件


(校正1回目済み)

------ ここまで ------



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父の工事癖を封じるために/下準備の一日

2009-04-20 07:57:30 | 引きこもり
ガスまわりの点検は、さすがに土日関係なくすぐに来てくれる。ホースを留める金属製バンドを蝶ネジのものではなく、+ネジのものはないかと聞いた。父が力任せにねじって金具をはずしていたからだった。型の違う手持ちのものが無いとのことで、後日交換に来てくれることに。ストーブ本体は壁紙がはがれた程度で、ガスストーブは無事復旧した。

ただ父がガスストーブで危険な行為をしたことは、困ったことに本人にはその危険性が通じていない。2階に設置したトイレが、尿取りパッドを流すことで詰まり、階下の厨房が汚水の大雨となったこともあった。便器自身を使えなくしたあとも、廃止し物置にしたトイレで積み上げた家財道具を便器から下ろして、強引に排便したりと、強引さは、それはただ事ではない。抵抗という意味では、失禁したおむつをベランダから投げたり、無断で階段を降りてしまったり、大事件一歩手前のことをしてくれる。ホームでこれをやれば、追い出されてしまうだろう。本人は、とらえ違った困難を解決しようと積極的に行動しているだけに、始末が悪いのだ。

母は「すでに父の介護から引いている」というより、怒りと絶望の感情を父にぶつけてしまう。だから、最近は特に私が制止している側面もある。留守番以外の分担を避けるようになってきたため、家事の大半が私が行うようになった。そのため、時間的なゆとりが、さらに無くなってきているのを感じる。

父の入所を見通して、ホーム裏情報を的確に収集していくために、関連活動している方との接触を始めることにした。日常会話が困難になった徘徊性の方の受け入れをしているホームは、祖母の介護のときに古い所はつかんでいる。ただそれでも、そこには日常会話が「まだら」な状態の方の情報がない。認知症は放置すればすぐに深みに転げ落ちる道ではある。そしてその過程で起きる様々な事件をその方は、どう処理したのか、実際に認知症入所の直接経験談を掴んでおくことである。知りたいのは、根拠の無い噂を遮断するために、入所に至る介護に直接携わったご家族の経験談である。

まずは社協筋からかなと思っている。訪問看護筋は守秘義務の範囲でという条件が付くが、裏とはいいにくいが、いずれにせよ、月曜日から動き出さねばと思っている。不自由という山場をつくらず、ディスコミの陥穽の少ない、いわば柔軟性と耐久性のある贅沢な施設である。うまくはまった事例は、私の言うような理念的な環境ではなく、職員さんとの関係がうまく行ったときの事例になるのだろうが、その良好な関係が生成可能な場を求めるというのが妥当な、そして再現が難しいが必要情報なのだ。

ガス修理を済ませ、地域巡回を翌、日曜日は、まとめて実施しておく必要があった。日曜日は施設回りをしても担当者が出勤していないからだ。ガス修理事件から時間が経っていないので、再び勝手に動く父との衝突がおきたとき、母の無茶が怖かった。母の友人と連絡を取るように仕向けたが、こういう緩衝材、いや緩衝人材がいるにも関わらず、母は常識という迷惑拡大論で遮断してしまう。やむなく、母に非常用ボタンを持たせて、とにかく情報を探り、生業の方も介護に影響が出ないように、巡回日を重ねて再編し、空きの日を作った。

巡回先の橋本方向の青年達は、急な連絡が向かない方ばかりだ。結局、巡回場所の散ったところを何とかつなげて回る以外なくなる。結局それも2段積みまでで終わってしまった。若さの神話信仰ではないが、不思議に心の壁の向こう側の柔らかさを、私は以前より敏感に感じるようになった。だから期待という負荷を逆にセーブしている。相手が敏感なひとたちだからだ。

今回は相模大野を起点にした外周部の方を巡回。帰りは大和から横浜に出て、父の関連情報で父方の親戚と会った。県立図書館の書籍の入れ替え、紀伊国屋書店に取り置き依頼していた書籍の回収をして、地下売り場の肉まん下げて帰宅した。

帰宅後、父の状態はまさに冷戦だった。しかし父は意味が通じていない。防戦のバリアの中で、排泄物を貯めていた。初心者はこの匂いにつぶされてしまうだろう。きっと私は有機化学筋とか動物飼育員とか介護臨床筋もOK。第一関門突破だなと、ひとりごとをいいつつ、汚物処理と清拭をし、河馬の連想をしていた。この辺までは、はかない抵抗というものだろう。

話は変わるが、日曜日も相鉄側のBig Issue 横浜駅前販売員のXさんはつかまらなかった。土曜日、東京事務所の方にも、茅ヶ崎販売員さん孤立の件で、支援が必要となっている件で連絡を取っていたが、Xさんともども遅遅として話が進まない。路上の方の諦めと慎重さが空転のもとだが、販売再開には、あとひとり路上の協力者が必要。人探し、私が力をこれ以上分散できずに動けず、ため息をついている。

昨日は探す時間が無かったが、「『わーく』5分間インフォメーション放送」のハード面で、今はミキサーとマイクはあるが、非PC化のためのソリッドメモリが操作が厄介で運用には買い替えが必要、また著作権フリーのBGMがない。この辺のところで、月曜日は、父をデイサービスに送り出してから、藤沢ビッグカメラをメモリ探しの散策の予定する。こちらは、まずはラジオ形式でテストの予定。

NHKの連続ドラマ「つばさ」が、へんてこなコミュニティ放送のイメージをばら撒く前に、協力者を掴んでおかなくては、ますますやりにくくなると思う。軽度障がい者のQOLを上げ磁場をつくるという部分が微妙で重い。裏の求人DBや、当事者企画立ち上げノードの確立というような部分が、余暇活動の裏に繋がっている。また、引きこもり青年の出番を仕掛ける意味もある。商業放送局のミニュチュアコピーではないから、その辺が説得のためには、常識が邪魔。まずはテスト録音をしてみようと思う。そう、まだ生放送型にはならない。関心のある方は「ポッドキャスティング」という単語を検索してみてほしい。圧倒的に音楽番組風の発信型の放送局が引き出されるだろう。こんなの障がい者のQOLと関係あるのかと思うだろう。それをコピーするつもりは全く無いのだが。

23日に明学大白金キャンパスとBig Issue 東京事務所を回る。JHC板橋会の見学会話をまとめることと、路上の協力者さんの話を進めてくる。

とりあえず、父の対策。室内のソファー位置の変更、工具類の撤去、ポータブルトイレとサイドテーブルの補強をする。ケアマネさんと話し合えたら今後の方向の確認を取る。

<借りてきた書籍から>

●「病いと<つながり>の場の民族誌」
●「統合失調症を持つ人への援助論」
【購入】
●「買物難民 もうひとつの高齢者問題」

夜間傾聴:□□君(仮名)

(校正2回目済み)

p.s. 横浜都筑区にNOTAの利用サイトあり。接点要請を投げた。
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父の夜間暴走と/鶴が台古書店ブックアーチのYさんとの話の中で

2009-04-18 04:59:51 | 引きこもり
----- 2009/04/17朝 記録分 -----

明け方3時半すぎ、激しい落下音に慌てて父の2階の部屋に飛び込んだ。ガス臭い。父が転倒していた。慌てて窓を開けて換気。父を押しのけて、ガスの元栓を閉じた。

父が猛烈な怒りの表情で、転倒したまま私につかみかかってきた。父は都市ガスのストーブの止め金具をはずし、ホースを引き抜いてしまった。

落着かせるときのセオリー、座位、背後からの抱きしめ。黙ってじっと、父の治まるのを待った。母が慌てて上がってきた。ガスの匂いに慌てる母。入室を制止し、ぬるいお茶を持ってくるようにと指示する。羽交い絞めも、振りほどかされそうだ。とにかく父は力がある。眉間に脂汗が噴き出してくるのがわかった。

父をベッドにもどし、母からお茶を飲まさせ、動揺する父を落ち着かせた。何があったのかと質問する母を制止し、状況はあとで話すと説得、ストーブの復旧に集中した。頭の中に推理が渦巻く。そう、この2・3日、夏日のように暑かった。ところが一転して気温が下がった。就寝時、ストーブを付けずに、私は父の居室の2階から降りてきてしまった。だからだ…、父は寒かったのだ。

昨日、父の宗教団体の、母の友人で古くから付き合いのある女性が、夕方訪ねてきて、父の居室の掃除をしてくれた。このとき、消えているストーブの電源コンセントを抜いたのだ。そしてそのままに…。そう言えば、食事を運んだとき、ストーブの電源コードが抜けていた。

しかしすごい力である。壁に埋め込んだストーブも前傾してはがされていた。闇の中、父がホースを引き抜いたのだった。丁寧に止め金具をはずして…。安全弁があるとはいえ、危険な行動だった。

時間が時間である。修理も屋外に音がしないようにそっと状態回復していった。ここで石油ストーブを持ってくるのは簡単だが、父のことである、今度石油ストーブを倒したらたまらない、火事である。それは危険極まりないことだった。

元栓のセット位置を直し、傾いたストーブをはめ込んだ。換気ダクトを懐中電灯でチェック。爆圧抜きに窓をあけたまま、電源コードを戻し点火、燃焼の異常をチェック。

この都市ガスストーブは、ストーブの転倒の危険を避け、燃料補給の手間を省くために設置したものだった。部屋が広いので、市販の石油ストーブでは、火力がカバーできないということもあった。その安全策のストーブがこの様だ。

上部の蓋の中に収められた操作盤は、作動ロックがかけられるようになっていて、点火スイッチを押しても点かないようにしてあった。これが裏目に出た。

父は寒さを感じ、自分でストーブをつけようとした。作動ロック・電源コード抜けの関門を父はクリアできなかった。ガスホースを付け直そうとはずし、そのとき転倒し、ストーブ本体にしがみついた。こういう経過が想像された。しかし金具をはずしたところに、現役の名残りがある。返ってこれが困ってしまうのだ。

窓を閉めて、階段を降りた。近所では騒々しい家だと思っているだろう。

母に状況を説明した。「ガスは危ないのに、何てことをしてくれるのだろう」と嘆く母。その表情を見ていると、急に父を羽交い絞めしたときに、無理をした節々が痛み出した。父は制止のとき失禁していたので、尿臭さの移り香が鼻につき、嘔吐がこみ上げてきた。パジャマを脱いで、シャワーを浴びた。部屋に戻ると、蛍光灯を半分つけて、母は茶の間のTVをぼんやり見入っていた。どうしたのかと問いかけた。父を「ホームに入れよう。私、このままでは持たないよ」と母。

父は金具をはずしてからホースを引き抜いていた。的外れながら修理をするつもりだったのだ。この状態があるために、逆に私は母の訴えを鵜呑みに出来ないのだった。父を1階に寝かせていたら、厨房や風呂場で何が始まっていたかを改めて感じさせた恐ろしい事件だった。

------

母を寝かせて部屋に戻ると、夜間傾聴開始要求のメールがいつの間にか飛び込んでいた。父の騒動の最中に到着したものだった。応答メールを送ったが時間が経っていたせいか、反応は無かった。寝たのかなと思いつつ、他の緊急事態にかかりきりだったことを書いて再度メールを送った。やはり応答は無かった。

5時半過ぎ、彼からメールが飛び込んだ。彼も決断をしかねて夜を明かしていた。私が出ないから、PCから離れて眠ってしまったという。彼は周期的に孤独に苛まれる。そんなときの夜明けの話し相手になっていた。眠れたのなら結構なことだが、まだ6時前、「もうちょい寝ないとあかんぞ」と伝えた。彼は私が「見放したのか否か」が気になっていた。爆弾レスキューだよと説明して、彼を強引に納得させた。今夜の地域巡回に入っていないが、立ち寄ることを約束してメール・チャットを終えた。

何ともしょうも無い話だ。門灯を消して、定期回収のゴミ袋を抱えてゴミを出す。今日は10時から居宅介護のヘルパーさんが来る。9時には父に朝食を食べさせなくてはならないが、今回は10時から橋本で巡回があった。母は気持ちが萎えて寝入っている。食事を急遽握り飯に切り替えて父の枕元に置いた。父の着替えなどの準備は、時間差をつくり、電車の中から携帯メールで母を起こすことにした。

橋本からの素っ気無い帰り、寒川図書館に寄った。期限超過の本の入れ替えを済ませて、急ぎ茅ヶ崎に戻り、本数の少ない藤沢行きを避け、到着していた路線バスで市立病院に出た。そこから徒歩で、約束していた特養ホームに立ち寄った。

入所前のショートステイの体験入所を申し込むためだった。私たちをサポートしてくれるケアマネさんの仲介だった。デイの利用者・目的フロアの利用者さんとも、身辺自立している方が大多数で、だからだろうか、起床・食事・就寝時間とも自由な個室型のホームだった。雰囲気は明るいが、父は集団遊びには入らないだろう。自由な分、孤立が気になる。とりあえず月末の利用を決めてきた。予定はもう一件あった。今日は見学の余裕はないが、平塚の某チェーンの介護型有料老人ホームのパンフレットを農協の知人経由でもらいに行った。ホームの施設は遠いし高い。平塚になると、ケアマネさんの平常の管理地域を越えてしまう。了解は得ているものの、遠方は私たち家族が探さなくてはならない。

平塚駅前からとんぼ返りをして、育成会の□□さんに会うつもりで、終業時間間際の作業所にすべりこむが、これも空転。すっしり疲れて、茅ヶ崎サポセンでプリントアウト。買出しを済ませて家に戻るころには19時をまわっていた。

茅ヶ崎駅前で、バス待ちの時間。路上生活者のたまり場に行き、Big Issue の候補者Tさんを探すが、中央公園だという。他の方に放置傘再販の話をする。猛烈な好反応。雨の日の収入源の発想は当たっている。ただ彼らの身の安全、ガードの環境をつくらないと事業は始められない。またこのことが、支援者との連携を深める道に繋がっていかなくては、路上の課題に食い込めない。6月前になんとかしたいねえと彼らと話して、バスに乗り込んだ。身体が3つ欲しい、丈夫な奴が。

夕食を作る最中、目が霞んだ。ヒアルロン酸点眼薬で治まるドライアイ。家族三人三様の食事がいる。母に目の異常を伝えて、食事を依頼。横になった。右の耳鳴りがひどくなったので目を閉じ、2時間仮眠。

遅い夕食を済ませる横で、母が昼間の留守中の話をし始めた。

夕方、父の部屋のカーテンを閉めに行ったら、天窓に鍵がかかっていたという。私たちは鍵をかけない。部屋掃除を手伝ってくれた知人の帰った後は開いていた。父がソファーの上に乗って背伸びして鍵をかけたことがわかった。早朝の騒ぎのときだろうか。早朝の大きな音は、父がソファーの上からころげ落ち、膝に怪我。このとき近くのストーブのところまで転がったのだろう。強運の持ち主である。骨折しないのだから。

しかし、とことん困った。この粗暴な行為が直らない。入所しても他害はないが、指示に従わず危険行為をするとなると、入所しても追い出される可能性がある。我が家は家族を黄泉に送り出したのが5人目である。父にすべてをつぎ込めば、母が裸状態になってしまう。「寝込んで欲しい」、奇妙な希望だが、この「自分は出来る」という粗暴な行為が無くならなければ、どこも袋小路である。

------- 2009/04/18朝 分 --------

一昨日、鶴が台団地の終点ちかくの古書店兼子どもの居場所を展開しているブックアーチのYさんとお店で話をした。同僚の方がシャッターのペンキ塗りをしていらした。手作り、面白そうだった。若手独特の欠落・不自由さを楽しみに変えられるいいムード。ふれあい朝日さんの取材を受けたとか。(タウンニュース湘南・茅ヶ崎版には既に出ていた。)私は2つの用件でお邪魔していた。

私は「『わーく』編集部」の「障がい者携帯SNSの5分間インフォメーション放送(ポッドキャスティング)」と「ネット・ショッピング運営」の技術スタッフへの参加要請に行ったこと、これが1点。

私はもとの塾で関わっていた文庫活動の延長で、地域図書館と組んで文庫パッケージの配送運転手をしつつ、書籍選別の手助けしていた。病院や学童のところにテーマパッケージを届ける活動だった。また自主出版の流通サポートショップの株主をしていたりした。ここで考えていたアイデアを、真新しくは無いが、おみやげでYさんに社会的企業の商機拡張の契機として届けた。

紹介したのは、老人ホームへの雑誌配達企画である。グラビア雑誌の画像中心の新しめの古雑誌を届けて、皆の話題つくりの道具立てを提供する。一般にこの企画は商売にはならない。本を有料にしても、交通費がペイできないからだ。

女性誌を選んで届けることで高齢者に「おしゃれ」話や「観光ガイド」を届けることで、思い出話のテーマパックを届ける活動だ。そこに化粧や衣服、旅行の話・思い出話が膨らめば、関係市民活動団体を仲介するという活動。これは障がい者の活動関連ではないが、ただの配本活動ではないところに面白さがある。

加えてもしも商売がらみなら、元気な方のツアー代行や、芸人仲介、パッケージ文庫有料貸し出しのような部分に営業を膨らませることが出来る。本屋とは、情報の提供者でもある。このアレンジ活動のアンテナ(ショップ)拠点を一箇所仲介したのだった。あとはYさん次第。週明けにYさんはホーム施設長さんと会う。繋がる豊かさを享受することは、ネットワーキングの手法である。

Yさんは「『わーく』放送」テスト版作りに協力してくれることになった。この放送は、若手の磁場を準備し、願わくば新協働スペースの配達業の求人DBに繋がって欲しいと思っている。

鬼ごっこ爺さん、しっかりしなくてはなと、思うのだ。

連休前に、PJ見学会の下準備、放置傘とBig Issue販売再開の元団体作りを進めていく。

同僚の■さんへ>活動は連綿と連なっていくもの。単発ものではなく、もっと考えたら?既存活動の焼き直し、つまらないよ。

夜間傾聴:小田急相模原君(仮名)
     ******君(仮名・親御さん)

(校正3回目済み)


p.s. すみません、父の状態に振り回されています。今回も2回まとめてになってしまいました。

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ばててます(2日分すみません)/浦河べてるの家の向谷地さん、24日戸塚に

2009-04-16 08:28:42 | 引きこもり
季節労働の「おつり」が来ています。昼間バスを乗り越したり、傘を忘れたりと、しょうもない状態。書きこみ遅れてすみません。これは一昨日の分です。

----- 2009/04/15朝の分 ------

父の言動がおかしくなって2晩を経た。夜間の失禁時、闇の中で自分で紙パンツ交換をしていた父が、急激な足の悪化から気持ちが折れたということなのだろうか。昼間は、ベッド柵にしがみついているようになり、夜間は、いつ様子を見に行っても目が覚めている状態となった。頻繁だった歩行をしなくなった。ただ尿意を感じたとき、ベッドから起き上がり、ポータブルトイレに立小便をすることはするのだが、ベッドから離れてふらり歩き出すことをしなくなった。

父の食欲は変わらないが、捜査が電話機を着信時、いつも出るなと言っているのに急いで電話機に飛びつく、この困った行動がなくなった。電話はそのまま、着信コールは鳴りっぱなしっとなった。親子電話の誤操作で用件を足せずに切ってしまうので困っていたが、それも無くなった。なにやら観念にとらわれているかのような眼差しになったが、解離しているわけでもなく、応答がある。失意?猛烈な行動がぷつりと切れたような状態なので、なす術もなく様子を見ている。

介護と子育ては予定が立たない。振り回されることを最小限に留めるために、昨日は父のショートステイ先に新しい場所を加え、近い将来の入所のために予行演習をすることになった。先方の初めてのホームのケアマネさんと話をした。新しいホームは個室である。そこにどのような生活を提供してくれるのかチェックしていたのだが、やはり「指示に従わない認知症を伴う男性」は敬遠されているのを肌に感じた。父は、その嫌われていることを知らない。

季節労働のしわ寄せで巡回が遅れていた分をうめつつ、2箇所のホームを回り、期限が来ていた寒川と平塚の図書館の書籍を入れ替えしてきた。だが新規のホームの利用には、本人との面談と利用意志を問われる。対話可能な利用者は、利用者が拒否したら、それを覆すだけの事情と経過の説明が家族にのしかかってくる。

ホームの送迎待ちうけと、炊事に時間が輪切りにされていく。今日は相模川を挟んで対岸の交通の不便さを感した。雨天時、徒歩の移動は厄介となる。効率を高めるために連休前に自転車を買うことにした。今の自分の目の状態だと車の運転は危険だから妥協線だろう。しかし予定が立たない。父の暴発があったら、限界に来てしまう。

ひとの終着駅がこのような状態である。円満な家庭の場合をモデルに、引きこもり青年に「絵に描いたような未来」を語ることは出来ない。私は人生の終わりから今の自分を逆算していく宙吊り思考を善しとはしない。有限な時間は、クリアに現状を見る眼差しを提供してくれるものとは思うが、私は「いま・ここ」の私の足元を踏みしめる、その実感が大事なことと思っている。ひとが生きるということがぶざまなものなら、そのまま受け取ろうと思っている。そこを突き抜けていく価値を見通すところに、人の営為がある。特別ではない日々の営みのなかに手ごたえを探すたびに私は随伴や、ガイドをしているのだと思っている。自分が面白くなかったり、納得のいかないものにつき合わせるのは、相手も納得がいかないものだ。

----- ここまで -----

昨日、午前5時すぎ、父が階段、下から4段目あたりから1階床まで転倒。膝から出血、意識朦朧としており、しかし手すりをしっかりとつかんでいた。

私がうたた寝していたときの出来事だった。3分の2、階段を降りたところで父が足を滑らせた。階段下に毛布を敷いて、座位のままで様子を見る。意識を取り戻すが、下半身裸。起きてきた母が、「おしめと命を交換するつもり?」と怒り始めたので制止。父が「**が来ているじゃないか!」と、反論。**は故人だった。背筋が寒くなった。

父は腰を打っていたが、頭は打っていないようだった。ただ、いつもと違うのは、正気に戻らないこと。今起きていることが理解できない。私の表情を隅々まで探っていた。私とは分かっているが、自分のいる場面がわからない。

父は急に私にしがみつき立ち上がろうとした。父はこういうとき、そのものを否定するとむきになる。怪我は軽いと判断し、「膝を怪我しているから、絆創膏を貼ってからにしよう」となだめる。階段に腰掛けるように父は座り、荒々しい行動は治まった。母に救急箱を持ってくるように指示。「どこまで心配かけるのだろう」と言い捨てて、母は救急箱を取りに行った。

「**はどうしたんだ」と父。「すぐに帰ったよ」と私。母が白湯を持ってきた。救急箱から消毒薬と大型絆創膏を取り出して持ってきた。

「広場に行かないと」と父。この発言は以前会談を降りたときも言っていた。「どこの広場?」と私。「階段の反対側に決まっているじゃないか」と父。この「広場」は、父の関係している宗教団体が、朝の訪問のために集まる場所だった。「ΔΔさんが、怪我しているから休みなさいと言っているよ」と私。ΔΔさんとは、階段昇降の介助してくれる方だった。

「階段あがれるか?今日は休もう」と私。うなづく父。母は膝の処置を済ませ、起き上がる父を、後から睨みつけている。途中、休み休み立ち止まらせて最上段まで上らせたが、出血した側の足腰の痛みを感じていないようで、ただいつもより無我夢中でしがみつく父に、介助者の不信の壁が消えうせ、依存に代わっていることに気が付いた。歩行器は、使用法が分からないようで押しのけてしまう。母に椅子を持たせて、移動中力尽きたとき、座らせられるようにした。休憩1回。無事ベッドに戻ったが、周辺は事件の跡がさんざんな状態だった。

父は失禁した紙パンツを掛け布団に包んで、ポータブルトイレ前で下半身を脱いで転倒したらしく、防水シーツの位置がずれていた。その状態でトイレにしがみついて立ち上がり、トイレットペーパーをまるごと中に落とし、サイドテーブル沿いに移動、洗濯物を物色。着替えが分からないまま階段を降りたという経過が読み取れた。

いつも就寝時、はっきりとわかるところに、紙パンツをおいて消灯していたが、今回はそれを忘れていた。対策を忘れると、即座にそれが事故に繋がっていく。母は黙りこくったまま、ふたりで周辺を整理していると、それを無視するように、換えたばかりの紙パンツを下げて、ポータブルトイレで立小便を始める父。

「ΔΔ兄弟は帰ったのか」と父。うなづく私のサインがわからない。「休んで下さいと言って帰ったよ」と私。「そうだな」と父。絆創膏を気にしていた。「まだ血がとまらないから、そのままにして、時間になったら**先生に診てもらおう」と主治医の名前を出した。父は納得した様子でベッドに戻った。

階段を降りて、母は急いで自分の部屋に戻って扉を閉めてしまった。一日中かけて、父の観察をしてきた様子が、一瞬に覆っている状態に私は動揺していた。うたた寝で父の2階の騒ぎに気付かず、父が階段をまもなく降り切るところまで、気付かなかったことに、次の対策をどう打つかという気持ちと、入所準備を急がねばという気持ちが交錯。寝床に横たわりながら、まんじりともせず、すでに明るくなっている窓を眺めていた。昨日はデイサービスの日、送り出すかどうか、いずれにせよ、朝食まで2時間を切っていた。

(つづく)


---- 2009/04/16 分、ここから -----


朝食を作っていると、母が電話を受けていた。訪問看護の++さんからの電話だった。事情を説明しているが、「私はどうしてくれるのか」と八つ当たりが聞こえてきて、母が介護にうんざりとしているのが分かった。++さんは翌日の今日、採血にくるという話。父に朝食を出し、意思確認をする。赤子のように柵の間から覗き込む眼差しは、正気の大人のものではなかった。

出発準備を整え、おしぼりを出す。しっかり顔を拭くのを見て、送り出す事にした。階段を降りるとき、ホーム職員の方に状況説明を済ませ、一歩を確実にすることに留意しつつ、介助。動かない片足を引きずるように、父は準備した車椅子に転げ込み、いつもと異なる危うい移動に、私は朝の出来事の余波を感じていた。

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今日訪問する鶴が台の古書店ブックアーチのYさんは、子どもの居場所作りと同時に、余った雑誌やパッケージ化した文庫を配達することをはじめようとしていた。新協働スペースの参加者のひとりである。

私の提案は、高齢者向けの雑誌をホームに届けるのはどうかというものだった。もうひとつは、本に関連した企画展や講演をスペースで企画すること。とりあえず前者のテストケースを父の通うホームで始める件の仲介を取っていた。

施設長のYoさんとアポをとってあったので、父を追いかけるようにホームに向かった。

画像の多い雑誌類を無料でホームに置き、うまく利用してもらうテストケースにさせてくれまいかと頼む。一応OK。ただし会議了解を取るとのお話をまとめた。ブックアーチのYさんにしても初めてのこと。ただ置くのではなく、利用企画をセット提案するといいとYさんに伝え、今日夕方彼と会う。

古書配達業は、交通費の採算が取れない。付加価値をつけないといけないが、実は私が大田区の塾にいた頃、塾の文庫活動でファッション誌とリンクした高齢者のおしゃれ教室活動をまとめると、高齢者のQOLを上げる活動になった。その発火剤が雑誌だった。そういう活動を引き寄せる契機にしたらどうかと、ホーム・ブックアーチYさん双方に提案していた。Yさんとは、これから協働スペースの方で、協力して企画をたてる。その前哨戦だった。

「中身を企画した配本をしようよ」

という提案だった。

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浦河べてるの家の向谷地生良さんが24日、戸塚にやってくる。

●「ゆるゆるスローなべてるの家―ぬけます、おります、なまけます (ゆっくりノートブック) 」

この共著の辻信一さんの関係者の企画、24日夜。ともあれ行ってきます。ちょっと硬いかな雰囲気。仲間じゃないという警戒ムード。無視無視、いいものはいい。

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「WAKIYA - Haute Chinese Cuisine from the Kitchen of Wakiya」が茅ヶ崎図書館に入った。以前、カフェを作る企画に入っていたとき、脇屋氏のレシピに感動した。大型本でなければ借りていくのにと、両手の買物袋にうんざり。

連休の一日、相模原の塾の小学部の一日企画で湘南に社会見学集団が来る。高木敏子さんの「ガラスのうさぎ」をたどるのだそうな。こういう先験的な設定、情操教育の外部注入方式のヒューマニズムって、肌にあわない。底が浅いぞ。顔だけだすけどね、堪忍して■さん。

ずっしりと身体が重い。夜間傾向を済ませて、とにかく寝る。夕方、Yさんに会う。ちと小休止。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・同じ学部のKさん知っているとは…。)
     ******君(仮名・叩きたくなったらトイレ・トイレ!)

(校正2回目済み)
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PandA-J成人後見制度関連DVD他/父の歩行の不可解さ

2009-04-14 09:32:05 | 引きこもり
いつも月曜日は、デイサービスの送り出しと帰宅待機があるので、巡回は基本的に夜になる。ところが昨日は相模大野15時の書類受け渡しが入り、家に戻ったあと小田急相模原に出かけることになっていた。

ところがJRの横浜=川崎間の人身事故の余波で藤沢に出られない事態が起こり、辻堂から浜見山交差点経由でバスの乗継ぎで小田急に乗る騒ぎがあった。辻堂駅から藤沢に出ようとしたとき、藤沢から辻堂に出るバスの逆が無い路線があることを知った。普段JRを使っているから、気付かなかった。北口からは南仲通り経由しか出ていない。南口は長久保経由の江ノ電バスだけなのだ。周辺からは藤沢駅と繋がっているのに、辻堂駅とは繋がっていないのだった。意外な感があった。

帰りは海老名経由か藤沢経由かと悩んだが相模線は急ぐときには向かない。結果、事故の余波の残る藤沢から帰宅したのだが、ひどい混雑だった。結局バスを待っては、帰宅時間が間に合わないので、駅からタクシーとなった。階段昇降が交代できないこと、その時間に昇降介助のヘルパーさんが、そのときだけ来ること。デイサービスは家族にとっては負担。ただ父の入浴が出来ることだけが意味になっている。

ホームの車が到着すれすれに帰宅。昇降介助のヘルパーさんと打ち合わせ。父の段踏み込みの浅さの危険を確認。到着時の尿意の始末について相談。父到着し、今回は2段目で踏み外し、危ない状態に。事前確認大当たり。

急いで着替えて、厚木経由で小田急相模原へ。とにかく時間の余裕が無い。待ち合わせの店が月曜休みでまたハプニング。お互い携帯電話があったので調整は簡単だったが、これは店が満席だったりと結構頻繁に変更がかかるので、携帯は必需品。

今日からやっと教科に入った。まあ、初回はそれなりに新鮮。

一応、父は夜間、居室事件ばかり。階段を降りてくることはなかった。

放置傘の件、話を聞いてくれる高校あり。ただ横浜なので連携が取れない。近くの高校JRCを紹介してくれないかと交渉中。北陵高校JRCは大丈夫。

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書籍や案内が来ていた。

ひとつは、成人後見制度の関連DVDビデオとハンドブック。発達障害関連パンフレットとハンドブック。「PandA-J」の企画。

もうひとつは取り寄せ…
●「特別支援教育のプロとして子ども虐待を学ぶ」
●「障害と子どもたちの生きるかたち」
2冊。生活時間の隙間読み用。

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父の調子には不可解なことが起きる。例えば、デイサービスの階段の上げ下ろしのとき、父は目覚めてから1時間の朝食・着替えの時間を終えてから、ホームの迎えの職員さんと私のふたりと共に階段を降りる。サンドイッチの実のように、前後に挟みこまれる。

この数分の間、父は階段片側についた手すりに必死でしがみつく。両手でしがみつくために体位は段に対して斜めになり、私たちは初めの頃は、体側で悪い方の足が優先でカニ歩きのような降り方を、体側をサポートするような形で挟み込んだ。これは私たちと父の接触は、自由度が高い分、膝の不安定が大きく、途中、父の手すりの持ち替えが起きて、その際腰が抜けるように転倒の危険が数回起きた。階段から床に移るとき、手すりにしがみついた手を、茶の間の襖に激しく移すため、襖が外れそうになることが続き、下側担当の私が身体を襖と父の間に割り込む形で、父の手を私の肩に移させた。

細かいことのように思えるかもしれないが、歩行サポート中は、相互の信頼関係が問題になる。叱りつけるタイプのYさんという職員さんを除いて、父は移動中も近くにしがみつけるところがあると、前をサポートしているひとの指示を無視して手を放し、そのものに、まずしがみつこうとし、体位が不安定になってしまった。それでも、歩行の振り子運動が連続性を保つ範囲で、平地を移動できていた。体位は比較的立位に近く、前傾姿勢は少なかった。Yさんの場合が一番安定して、階段昇降を済ませることが出来た。指示に従わないと、まずいことになるという緊張した表情で、前のYさんにしがみついて歩く。

父はもともと、Yさんのような指導者タイプが好きだ。かといって、身体の移動にサポーターが抑制的に関わることは、指示待ちを生み易い難があった。

途中の体位の崩れと、襖問題が下りに起き、昇りの時は手すりを放す踊場の転倒、入室後の掴まるところのない3mほどの距離の移動が、突然体位を崩して倒れる危険があった。このため、椅子を置いて中継点を取り、小休止を入れてさらに4mほど先のベッドまで歩行器補助を入れて移動した。

この中継点、椅子への着席が、焦るためか十分な移動前の回転が繰り返され、尻が半分、椅子からはみ出して、椅子下に滑り落ちることが頻繁に起きた。自分の空間配置の認識が即応的になっており、メタ認知的な相互関係が行動基準になっていないことを示していた。目の前に進行する状況に即応することに手一杯で、サポーターは意識の中に無いようにすら感じられた。

最近は、階段サポートは、基本的には、父の体位は段に平行な位置に近づけ、手すり依存の割合を減らして、前のサポーターの肩に片手を乗せさせ、体位の前傾を補正することにした。このとき足は交互に宙に浮き、不安定になるが、それを歩行の連続性に結ぶように心がけた。降りるという行動を連続した行動にしていくことをサポートする。歩行は無限の連続転倒だからだ。

ところが、これには振り子運動の力だけでなく、足を前に出すという腿の筋肉に依存した運動が伴う。これが父の場合、ある日を境に急激に衰えた。この日を境に深い眠りの時に床の中で失禁するようになった。劇的な変化だったので、血栓が跳んだのだろうと考えている。

昇りの場合も、悪い方の足の前後の振りが衰えていた。手すり依存が高まり、再び体位は体側カニ歩き状に戻ってしまった。こうなると、足で立つことの意識が弱まり、腕の力で身体を持ち上げていくように戻ってしまう。こうなると、サポーターは邪魔物でしかなくなってしまう。

最近は悪い方の足の段への踏み込みが浅く、指導しても直らなくなった。と同時に、床の歩行の前傾がひどくなり、中継点までたどりつくことが難しくなってしまった。倒れるというより歩けないのだった。このままでは、踏み外しに寄る転倒が起きてしまう。その意味で非常に危険な状態が生まれている。

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不可解なこととは、歩行にまつわることでは、ひとつ起きている。

階段昇降時の前傾のひどさ・歩行困難と比較して、居室内の自由行動のときの歩行の様子の差異が信じがたいほどに違っていることだ。

昨夜22時45分、父は就寝消灯を行った。パソコン側の天井灯はベッドから5mほどの位置にあり、天井からの紐を引くタイプ、室内のメイン天井灯は、階段出入り口の壁のスイッチタイプだった。父は習慣上に決まっている23時消灯の少し前に、調子のいいときは消灯を始める。暗闇の中、ベッドにもどる行動を取るので、私たちの来るまで待てと注意していた。

私たちの定時行動を覚えていて、待ちきれないで先に行動したのなら、時間感覚があることで、認知症の障がい進行が深まっていない証拠なのだ。しかし少し調子の悪いときは、開始時間のばらつきが大きくなった。定時行動を覚えているとは思えないのだった。

問題は、この消灯行動の時の歩行にあった。杖を突くように、悪い方の足の反対側に正規の使用法の歩行器を持ち、悠然と前傾もせずに歩いているからだった。以前もカーテンを自分で閉めようとしたところに私が立ち入り、焦って
走り出そう」として、ダイビングするように転倒したことがあった。急げば不安定になるが、ならば階段昇降時の歩行困難は何なのだろうと思わせるほど、その歩行は安定していた。

これは関係性の問題なのだろうか。患者と介助者という枠にはまったとき、父は卑屈に身を縮めているのではないかと思い、「卑屈に」の部分に家族の感情的歪みに気付くという経験。もしも血栓から歩行困難にという仮説が違っているのだとしたらと考えたが、昨日は父は2回大きな転倒をし、3回ずり落ちと腰砕けを起こした。動き始めのときの困難ではないかと、次の仮定をして父を見守っている。

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夜間傾聴:******君(仮名)
     中延君(仮名)

(校正1回目済み)
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網膜色素変性症の当事者の会にお邪魔しました、結果はう~ん、他

2009-04-13 07:42:52 | 引きこもり
私の目の症状について、地元医は「緑内障」、セカンド・オピニオンを求めて行った都内の専門医は「網膜色素変性症」と診断していた。いずれも視神経が死ぬために、症状回復は出来ないが、進行を如何に遅らせるかだと結論付けられていた。オブラートを被ったような視野、視野の欠損、視野外周部のちらつきから視野狭窄へという進む。特に右目のかすみがひどく、悪化に不安を感じていた。ところが「緑内障」は高眼圧が原因ということで、眼圧降下剤を点眼してきた。その効果か眼圧は下がって、急激な症状悪化は一度ストップした。

ところが、治療が周期点眼と検査という経過で半年になろうとしていた今、右目の異常が再び進んでいた。この不安に突き動かされてセカンドオピニオンを求めた結果が「網膜色素変性症」であり、強度の近視の者は眼球が紡錘状のため、視神経束部が圧迫されて死ぬために、そのものの治療は出来ないのが現状で、サプリメント等で栄養補給したり、紫外線をカットするカラーレンズ着用して網膜変性を遅らせることになる。「緑内障ではなく、眼圧降下剤は無意味」「視神経の遺伝であって、長期にわたり徐々に症状は進行し」完全失明ではないが失明する難病とのこと。

診断の差に困ってしまった。「症状は緩慢に継続悪化」という部分が自分の場合と合っていなかったために、その疑問を解き明かそうと、「網膜色素変性症」患者の神奈川の会会合にお邪魔してきた。

横浜県民サポートステーションを会場に「支部ミニ集会」という集いが毎月行われていた。若手の参加者はおらず、他の視覚障碍の会と異なって目つきは晴眼者と変わらないが、白杖を携帯している方が何人も参加されていた。今回は二十名弱だが県下会員は300~400名とのこと。私の症状を聴いてもらったところ、それは「網膜色素変性症」であるという。

網膜は輪郭を感じる部分と、動きを感じる部分があって、症状は緩慢に推移するが、輪郭をつかさどる部分が徐々に犯されてくると、急激に視野が悪化するというところだろうと説明されていた。診断できる専門医も少なく、3千人~8千人にひとりと、実態調査も完全ではないとの話。支部顧問の医師のクリニックは、なんと私の職場と同じ相模大野の、伊勢丹の斜め前に有った。

引導を渡された形だが、右目は失明に近い状態になることもありうるとの話。私のセカンドオピニオンの診断は正しいとの話。カラーレンズ着用を進められた。度入り眼鏡で値段が高いが進行が早いときは様子を見ないと、視力が低下するので、作り直しになってしまうという。診断書を出してもらい、行政に身体障害者手帳を発行してもらい、その割引率を利用するのがいいとも教わった。会の皆さん、ご助言ありがとうございました。

この病は、他の症状、「白内障」や「緑内障」などを引き起こしやすく、眼科医の定期検査を続けていく必要があるとのこと。

米国で、ある腰痛治療薬が、この症状の進行緩和にもなるという薬効研究が今年人体の治験を終えて、年内に商品化の段階に入るとの事。ただ日本ではすくに販売承認にならず、厚労省の治験を経るので、あと4~5年かかるという。この薬の早期承認を求める運動を始めているのだそうだ。

また北京大学の血液循環向上手術をうたう石川県支部の動きは、支部自身が無く、手術の内容も公開されていないため、効果は怪しいとの話もあって、もともと原因がわからない症状に、経験的に関わっている状況の不安に付け込んでいるとの話も。

同じ月に同じ症状の治療を複数の医師には、保健の関係で出せないので、来月早々、相模大野の眼科に行き、都内の病院か、こちらかに通うことにしようと思う。ただ身体障害者手帳を視覚障碍でとれるとの話で、ため息がでてしまった。ときどきミニ集会に参加させてもらおうと思う。

余談だが、網膜色素変性症は、視野狭窄になる方が多く、私の隣席の方が視野が4度とのことで、白杖利用者の方から、困った友人の話を伺った。街頭で肩をかして下さった通行人の方と電車に乗って着席後、その方が、本を読み始めて、街頭で肩を貸した方が怒り出してしまったという悲しい話だ。「見えるんじゃないか!」という怒り。視覚障碍者は全盲をイメージするので、視野の狭まり、視野狭窄をご存じないのだという。本は、やめようという話になったのだという。

腹は決まったというものの、これからは対策を打たなければならない。今も眼圧降下剤の点眼を済ませたが、情報収集を出来るだけ生情報を集めていくことなどだ。

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昨日の父の介護は母に任せていた。父が階段から降りてきたら、携帯に電話が来ることになっていた。それが鳴らないので安心していたら、母が頻繁に父の部屋を覗いたので、階段から降りなかったが、父の宗教団体の信者さんの訪問も、ちょっと挨拶しただけで、ぼんやりTVを眺めていて、訪問者は放置されてしまったとか。母の注意も効果が無く、すぐにぼんやり状態に戻ってしまったのだという。

その後、父は母に、亡き母方の祖母から手紙を受け取ったという話をして、葉書が見当たらないから探せと大声を出したという。故人から葉書が来るはずがないではないかとの母の説明にも、自分が郵便配達から受け取ったから確かだと、受け入れないという。2階にいるのに、郵便配達から葉書を受取れるはずが無いというが、確かだから探せと大騒ぎだったという。霊界からお誘いとは粋なもんだ、祖母もその位の支援してくれなくてはねと、ブラックジョークをいう母の言葉の最後に、2階の父が大きなくしゃみをした。秀逸というか…。

波状に病状変化の波が来て認知症は進んでいく。私のときは小切手探しだった。この紛失騒ぎは認知症の特徴。次は食事を食べたかまだ食べていないかの論争になるだろう。階段が怖い。

同時に母の孤立感がじわりと身を責めているのを感じている。今月末には、入所下見を兼ねた、他のホーム体験ショート・ステイ2泊3日を組んでもらった。母に父の介護を任せるのは限界に感じているからだ。新しいホームは個室だから、夜間が心配。騒がないといいのだがと思いつつ、明け方の大声の寝言を階段下で聞いている。今夜は階段騒ぎにはならなかった。

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当事者の会の終了後、相模大野にまわった。用件を本校担当者と手っ取り早く済ませて、伊勢丹のそばの眼科の場所を確認した。ここなら巡回前に立ち寄れる。

中央林間君(仮名・初回)の御宅にお邪魔した。夕食時で申し訳なかったが、彼はひょっこり私の前に現れた。なんだ、顔見知りだった。名前と顔が一致しなかったのだ。ここから先は内緒だが、話したことのある相手だと私のほうもしんどくない。先方は私のことを分かっていたわけだ。

<気になったっ新聞記事>

●「就職内定率8割超 たまがわ高等支援学校」
●「生活保護申請 月1000件超える」
●「ティッシュケーキ、トッピングもOK 兵庫の作業所」
●「高校生4割、習慣病の予備軍 テレビの時間と血圧関係」


夜間傾聴:□□君(仮名)
     多摩センター君(仮名・こちらから)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)

(校正1回目済み)

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季節労働に一区切り、新年度の巡回分担の方も決まって…(私のことばかり)

2009-04-12 11:48:16 | 引きこもり
季節労働が山場になっていた関係で、書き込みのゆとりが取れませんでした。すみません。連休明けに短い山が来て、あとは11月末。タコ足就労なので、しょうもない話です。

昨日は新年度の巡回する方たちの基本的な担当が固まったので、見直してみたのですが、継続の年齢層が高く20~30代に露骨に移動しています。昼ごろ、不登校の方の問い合わせ電話があり、いわゆる「居場所」を求める問い合わせだったようなのですが、フリースペースを開いているのではなく、巡回しているということと、年齢層が高いことを説明しました。これでおそらく続けて相談することはないでしょう。年齢層によって受け皿が違うというか、小学生に個別巡回をかけるというのは、当人の負担が大きすぎるから、気の合う数人グループが必要になります。学習グループではなく、もっと緩やかな友達関係というか、そこに様々な企画が包み込みます。

ところが高校生学齢以上となると、じっくり話せる個人や数人の学習や企画媒介の出会いの方がいいのです。部分的関係性を活かすというか、全体を包み込むことはしないのです。家庭に深入りしない大人の関係に近くなります、私のような暴露風の危ないことはしない。ところがその闇に彼らの苦しみの魔が潜んでいるのです。その先のどう出会うかは、その方の状況次第です。

この違いが巡回なり、テーマ実現の結合の基礎にあります。わたしはもともと塾屋として小中学生のフリースクールに携わり、時間講師として予備校のキャッチアップ授業と学習カウンセラーをしてきた関係上、小中学生に魅力がないといえば嘘ですが、白髪爺さんは遊び的に関わるのは難しい上、スペースを準備できない以上、手を引くのが無難です。昔、太郎次郎社というところが「ひと」という月刊誌を出していて、そこに面白い塾や、ママさんグループが子どもの学習を自分たちがやっていた、いわばフリースクールの芽がありました。そういうところには、アドバイザーというのはおこがましいので、火付け屋のように巡回種まきしていく仕事がありました。しかし時代はそういう自主グループも散ってしまっており、連携なども出来なくなりました。

私の知人の塾はその末裔的な場所でした。そこには自主的な参加意志のモチベーションを持ちうる、障がいを持った子たちも参加しており、彼らが私の担当になったという過去があります。当時小学生だった子が今は青年といっても髭に白髪を見つけた奴もいます。そういう長期的なお付き合いが一方であり、義務教育世代切捨てを行った結果、学習カウンセリング的な巡回指導と、ピンチヒッター的キャッチアップ講師をしているという現状に至ります。

この後者の担当する分担があるのですが、巡廻指導は私と同僚のふたり体制のところが2箇所あってというか作らせて、様々な青年たちを回っているのです。この分担する青年や高校生たちの短期の方たちは、このブログには登場しません。明らかに長期化、または長期の方たちが浮かび上がってきます。

今年度は、私の家庭の事情もあって、ほとんどが継続の方ばかり、授業の経営圏外の方を私が担当するということで、今回は中央林間や淵野辺の方が、それぞれから入ってきたということで、頻繁に通う必要のある相模大野・町田と相模原バス圏内は相棒が動いているという状態です。車を手放してしまったので、夜間緊急出動はよっぽどのことがない限り距離的な限界から対応していない状況です。ニーズは高いのですが。夜間は行政も警察対応で横浜のセンターぐらいしか動いていないので、臨床心理専門職ではありませんが、ストッパーのニーズは高いのです。今回はふたり危ない状態の方がいます。ひとりは精神科の病院と相談する必要があるので、ご家族と近々当人の承諾の上で、相談に出かけます。

この体制が私の就労支援活動の弱点となっています。地元がいない。小中学生から始めないと、青少年の接点がとれないので、湘南に即移植というわけにいかない難があるのです。今回の協働スペースは、やっと定点が得られたというところ。誤解を避けるために言うと、特定の曜日時間帯の「居場所」「出会いの場」です。占有する意図はありません。

昨日は父の件を母と応援団にまかせて、都内に仕上げの原稿を届けたあと、五反田で中延君(仮名)と会いました。彼とも長いお付き合い。彼も当事者と家族の会の古参になっているので、昔のやり方が通用しないという話が通じるのです。軽く一杯(ロックのダブル1杯)やって帰って来たら、ダウン。ひどい頭痛で、血圧は正常なのにおかしいので、夜間傾聴を緊急以外を日延べさせてもらいました。そのまま眠っていました。今日はこれから網膜色素変性症の神奈川支部当事者の集いにお邪魔してきます。耳鳴りといい、目の異常といい、頭痛は偏りは無いものの、関連がないかと不安。

ともあれ一区切り。今日は帰りに相模大野を回ってきます。


夜間傾聴:緊急以外日送り

(校正1回目済み)

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季節労働の追い込みでした

2009-04-11 15:20:32 | 引きこもり
今回は一回お休みします。
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