父の膝の擦過傷痕は一度化膿し瘡蓋(かさぶた)が出来た。それを掻き壊してからは、傷口が塞がらなくなった。糖尿病の特徴。アマリールという血糖値コントロールの薬を増減しながら様子を見るのだが、食事のときに薬を添えてセットをサイドテーブルに置いて、父の上半身を起こすだけで、その場を離れる。この後、父はその薬を自分で飲むのだが、ベッド下に落としてしまう。薬の包装を取って出さないと、母の友人の母親などは、そのまま飲み込み、胃壁を傷つけて救急車騒ぎになった。そういう事例を知り合い関係でも、高齢者の場合、認知症ではない方でも数例起きた例を聞いているので、珍しいことではないと知った。そこで包装から錠剤を出して提供しているのだが、今度は紛失するのだった。
週1・2回の清掃をするとき、ベッド下や、防水シートの下から、このアマリール錠がいくつも出て来ることがあって、肝を冷やした。飲み違えると低血糖を起こしたり、血糖値が乱れるからだった。食事療法をしても父の空腹時の血糖値は300を越えた。ただごとではないのだが生きている。しかしそこまで時間をさいて、父に張り付いているわけには行かない。この錠剤は小さいので、私から飲ませようとすると、自分で出来ると吐き出してしまう。だから、こぼれ落ち紛失する。余分に処方してくれないので、本人に任せる以外ないという事情もある。
その血糖値コントロールの累積が、傷の治りにくさを生み出している。生々しい傷口。それにも関わらず、転倒を繰り返すのだ。雑菌が入って足の指先の壊疽で切断に至る重症糖尿病の紙一重の状態に父はいる。尿で濡れた床に膝を付いたり、濡れた手で掻きむしるために、介護のときの消毒は欠かせない。
昨日、部屋に拡げたシーツに何箇所も新しい血痕があり騒ぎとなった。シーツの上を歩いて転倒し、膝の血が付いたのだった。傷口が大きくなっていて、市販止血剤を塗って乾かすのだが、時間がかかる。じっとしていないので、やりとりに注意しないと険悪になり、そのバランスを取るのが介護側のストレスになる。
ポータブルトイレ下の工夫を落下物と勘違いしてはずそうとする父を制止することと合わせると、手間は膨大に膨らんでいる。手間をかければかけるほど、用件が加速拡大してしまう。放置はたちどころに病症悪化につながる。家族外の支援をどううまく使うかを意識しないと、正直言って潰されてしまう。当人が元気を主張すればするほど泥沼に引き込まれる矛盾。
臨床のガス抜きの場数が私を救っている。しかし、新しいホーム泊から戻って以降、父のナーバスな動きに、振り回されている。家族への不信である。階段下バリケードは欠かせないものになった。部屋から階段に出る扉に「危険・階段を降りるな!」の張り紙を貼った。
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6時半、カーテンの開く音がした。足を引きずる音がして、音が止まったと思うと、ガタンという家具の転倒音。父の大声。急いで階段を上がってかけつけると、ポータブルトイレが横転し、バケツから排泄物がこぼれだしていた。腰を抜かして私をにらみ付けている父の利き手の先には、せっかく設置した転倒止めのスポンジセットがあった。何回も制止していたにも関わらず、異物と勘違いして、力任せに引き抜いて、スポンジを裂いてしまった。用意してあったぼろ布と尿取りパッドとの格闘となった。
目がくぼむような思いがしている。工夫が事故を呼んでいるのだ。父が見境のない行動をおこしてしまうのだ。拭いている間、父は私を指示した。「もっと左だ」「ボロは洗えばまた使える」という具合。冗談ではない、使い捨てられるからボロを集めてきたのだ、言えば、また相撲を取らなくてはならない。
窓を開け放つ。ゴミを捨てに出たら、なんと父が下着をベランダ手すりに設置してあるBSアンテナに引っ掛けて干そうとしていた。駆け上がって、父をベランダから部屋に戻して、また格闘状態になった。ベランダは、床の木材が腐り、危険な状態なので、普段補助錠を2つ加えて、すぐに出られないようにしている。しかし今回は臭み抜きに開け放ったときの事件だった。濡れた下着を自分で干そうとしたのだった。下半身裸の父と格闘するとは、油断していた。
朝食の時間になっていた。こういうときに汁物を出すと危ないというのに、私はラーメンを作ってしまった。興奮冷めやらぬ父は、ラーメンを丼ごとひっくり返して、シーツも交換しないとだめな状態になってしまった。この抗議は、母のときもやって、防水シートをベッドに敷いて、その上に父を寝かせた経緯がある。これが2回目だった。麺を掴んで床に投げ出した。認知症だけの話ではない。沽券をめぐる服従を強いる行動だった。父を椅子に誘導する私の息が詰まった。愚かしい戦いを挑まれている。シーツを交換して、心配して上がってきた母を降ろして、ガス抜きではなく、我慢した。ひとはどこまでも愚かになりうる。昇れば落ちる。その単純な論理に気付かない。
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巡回は祝祭日も関係ない。小田急相模原から、相模大野に出て巡回2件だけで帰ってきた。相模大野の青年の場合は、本校に通うと言って家を出て、1回も登校しなかった。それが発覚して、講師が彼を叱り付けた。それが母親の前だったことから、母親に反発。家庭の対立に火がついて引きこもった。勿論そこにたどり着く前に様々な事情があったのだが、そこから3年が流れてしまっていた。彼の現状から、それを越える大学進学のモチベーションが持てなかったまま、日が経って行ったのだった。彼の声に耳を傾ける者がいなかった寒々とした現実が拡がっている。
巡回という活動の限界も、そこでは、まざまざと見せつけられる。彼を活かせる場があったら違っていただろうにと思う。それには自分を解き放つ時間と場が必要である。しかし彼を緩やかに未来へとつなぐ、変容性に富んだ場が必要なのだと思う。
(このメールを書いた2009/04/30 朝、時間切れで飛び出した。中途半端をお許しあれ。)
夜間傾聴:中延君(仮名)
大森海岸君(仮名/傾聴にあらず)
(校正1回目済み)
週1・2回の清掃をするとき、ベッド下や、防水シートの下から、このアマリール錠がいくつも出て来ることがあって、肝を冷やした。飲み違えると低血糖を起こしたり、血糖値が乱れるからだった。食事療法をしても父の空腹時の血糖値は300を越えた。ただごとではないのだが生きている。しかしそこまで時間をさいて、父に張り付いているわけには行かない。この錠剤は小さいので、私から飲ませようとすると、自分で出来ると吐き出してしまう。だから、こぼれ落ち紛失する。余分に処方してくれないので、本人に任せる以外ないという事情もある。
その血糖値コントロールの累積が、傷の治りにくさを生み出している。生々しい傷口。それにも関わらず、転倒を繰り返すのだ。雑菌が入って足の指先の壊疽で切断に至る重症糖尿病の紙一重の状態に父はいる。尿で濡れた床に膝を付いたり、濡れた手で掻きむしるために、介護のときの消毒は欠かせない。
昨日、部屋に拡げたシーツに何箇所も新しい血痕があり騒ぎとなった。シーツの上を歩いて転倒し、膝の血が付いたのだった。傷口が大きくなっていて、市販止血剤を塗って乾かすのだが、時間がかかる。じっとしていないので、やりとりに注意しないと険悪になり、そのバランスを取るのが介護側のストレスになる。
ポータブルトイレ下の工夫を落下物と勘違いしてはずそうとする父を制止することと合わせると、手間は膨大に膨らんでいる。手間をかければかけるほど、用件が加速拡大してしまう。放置はたちどころに病症悪化につながる。家族外の支援をどううまく使うかを意識しないと、正直言って潰されてしまう。当人が元気を主張すればするほど泥沼に引き込まれる矛盾。
臨床のガス抜きの場数が私を救っている。しかし、新しいホーム泊から戻って以降、父のナーバスな動きに、振り回されている。家族への不信である。階段下バリケードは欠かせないものになった。部屋から階段に出る扉に「危険・階段を降りるな!」の張り紙を貼った。
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6時半、カーテンの開く音がした。足を引きずる音がして、音が止まったと思うと、ガタンという家具の転倒音。父の大声。急いで階段を上がってかけつけると、ポータブルトイレが横転し、バケツから排泄物がこぼれだしていた。腰を抜かして私をにらみ付けている父の利き手の先には、せっかく設置した転倒止めのスポンジセットがあった。何回も制止していたにも関わらず、異物と勘違いして、力任せに引き抜いて、スポンジを裂いてしまった。用意してあったぼろ布と尿取りパッドとの格闘となった。
目がくぼむような思いがしている。工夫が事故を呼んでいるのだ。父が見境のない行動をおこしてしまうのだ。拭いている間、父は私を指示した。「もっと左だ」「ボロは洗えばまた使える」という具合。冗談ではない、使い捨てられるからボロを集めてきたのだ、言えば、また相撲を取らなくてはならない。
窓を開け放つ。ゴミを捨てに出たら、なんと父が下着をベランダ手すりに設置してあるBSアンテナに引っ掛けて干そうとしていた。駆け上がって、父をベランダから部屋に戻して、また格闘状態になった。ベランダは、床の木材が腐り、危険な状態なので、普段補助錠を2つ加えて、すぐに出られないようにしている。しかし今回は臭み抜きに開け放ったときの事件だった。濡れた下着を自分で干そうとしたのだった。下半身裸の父と格闘するとは、油断していた。
朝食の時間になっていた。こういうときに汁物を出すと危ないというのに、私はラーメンを作ってしまった。興奮冷めやらぬ父は、ラーメンを丼ごとひっくり返して、シーツも交換しないとだめな状態になってしまった。この抗議は、母のときもやって、防水シートをベッドに敷いて、その上に父を寝かせた経緯がある。これが2回目だった。麺を掴んで床に投げ出した。認知症だけの話ではない。沽券をめぐる服従を強いる行動だった。父を椅子に誘導する私の息が詰まった。愚かしい戦いを挑まれている。シーツを交換して、心配して上がってきた母を降ろして、ガス抜きではなく、我慢した。ひとはどこまでも愚かになりうる。昇れば落ちる。その単純な論理に気付かない。
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巡回は祝祭日も関係ない。小田急相模原から、相模大野に出て巡回2件だけで帰ってきた。相模大野の青年の場合は、本校に通うと言って家を出て、1回も登校しなかった。それが発覚して、講師が彼を叱り付けた。それが母親の前だったことから、母親に反発。家庭の対立に火がついて引きこもった。勿論そこにたどり着く前に様々な事情があったのだが、そこから3年が流れてしまっていた。彼の現状から、それを越える大学進学のモチベーションが持てなかったまま、日が経って行ったのだった。彼の声に耳を傾ける者がいなかった寒々とした現実が拡がっている。
巡回という活動の限界も、そこでは、まざまざと見せつけられる。彼を活かせる場があったら違っていただろうにと思う。それには自分を解き放つ時間と場が必要である。しかし彼を緩やかに未来へとつなぐ、変容性に富んだ場が必要なのだと思う。
(このメールを書いた2009/04/30 朝、時間切れで飛び出した。中途半端をお許しあれ。)
夜間傾聴:中延君(仮名)
大森海岸君(仮名/傾聴にあらず)
(校正1回目済み)