湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

11/28 ペットレスキュー通信No.4作り/陸前高田作業所商品二次加工企画は立ち消えていた/他

2011-11-30 05:59:44 | 引きこもり
2011/11/28 記
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川崎のペットレスキュー活動と結んだ里親(新しい飼い主)さんの会をを作っている団体に、保護されたワンちゃんの紹介記事の転載を求めていた件で、主催している動物病院の方に連絡を取り直した。しかしまた応答がなかった。残念だが、連携を望まれていないと判断し、転載をあきらめた。(お騒がせしました。)

被災後、8ヶ月を過ぎてくると、滞留しているワンちゃんの数が減ってくる。湘南まで足を運びマッチングを行なってくれる団体がもともと少ないので、対象になるワンちゃんの数も減っている。毎月15日発行と考えていたが、今後はネコちゃん中心で進めないと、記事が無くなってくる。

石巻の保護センターの様子は年内にはお邪魔することが難しいので、知人の仲介を頼めそうな新潟のセンターの筋の打診を始めている。

しかし、厳しい岡本先生のお話といい、「動物愛護」をめぐっては、複雑な問題が起きているらしいことがはっきりしてきたように思う。

もともと私は不純な発想を持ったペットレスキュー支援活動を行なっている。純粋「動物愛護」というところからではなく、被災救援や、民間交流、心のケアというような人に引き寄せた発想をしている。犬猫は飼い主さんの「家族」だ。その絆の危機に支援を行ないたいと考えている。だからこの対立の外野である。

No.04は時期が遅れているが、ここ数日のうちに仕上げたいと考えている。

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茅ヶ崎市と茅ヶ崎市社協双方宛の後援企画報告書を書いた。フリーフォーマットだが、書き直しになるかなと思いつつ、とりあえず資料を添えて提出することになった。

今後の企画の件で、仮設住宅から就労をめざしている方の声や、在宅介護に係わっている方の声を拾いたいと思っている。3月の就労支援講演会は、なんとか作業所支援の話をまとめて、その陸前高田の作業所の施設長さんを招待できないかと考えている。被災下の障がい者就労という、就労連携の実例を茅ヶ崎からの取り組みとしてコーディネートできたらいいのだが、この件については、冷や水を浴びるような出来事があった。

先週の土曜日は、触法障がい者の支援を担当するセンターが出来ているが、その紹介をテーマとした講演会が開かれた。休憩中、私は陸前高田の作業所の製品の二次加工販売企画を、この講演会主催者の団体に提案していた件の進捗状況を伺おうと思った。製品購入による被災障がい者支援活動を実現できないかラフスケッチを検討してほしいと頼んでいた。

ところがその会の中枢にいる方に、二次加工企画案の検討の様子を聞くために話しかけて驚いた。全く何も伝わっていなかったのだ。これではいつまで待っても応答が得られるはずがない。企画推進の道のりの遠さを感じてしまった。不可解な質問を私がしたので、その方は警戒して、私の周辺からいなくなってしまったのだが、また私は不審者に上塗りされてしまった。

二次加工の方法探索の協力は得られないことがはっきりしてきた。県の図書館ネットや、関連技術書を大学図書館ネットで検索しているが、資料そのものが圧倒的に少ない。そのうちの一点は代々木の東海大学図書館が所蔵しており、すでにコピーを取り寄せていたが、内容は戦前の製造業者の紹介に終わっていた。他2点は県図書館ネットに在庫していたので取り寄せ中だが、私が進めている用途とは別の用途のものだ。

もうひとつは新聞記事から探索をひろげる筋がある。これはライブラリィに会員登録していないので、新聞社の横浜支社の知人にお願いするつもりでいる。取得情報を流用すれば著作権法違反なので、情報の所在がわかればいいと思っている。1日に**子の大田区の作業所に寄った帰り、横浜に立ち寄る。この技術の関連学部を絞れれば、ツイッターで指導を請うことも出来る。ともかく道を作らなければ振り向きもされないだろう。被災地までの道のりがまた遠のいている。しかし藪の出口はかならずある。

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母がまた調子を崩している。私が忙しくなり、夜間作業が増えると母の体調が崩れる。昔は車や原付で移動していたので、作業は教室でやることが多かった。しかし塾を閉じてからは、自宅作業なので、母が付き合って起きているのが原因だ。教室で作業していたときも、明け方家に戻ると、母は起きていた。玄関の鍵が気になって眠れないという困ったことを言い出していた。

母の症状はダンピングである。ひどくならないうちに、睡眠導入剤を飲ませてしまうのだが、私自身もオイル切れを起こしていた。ともあれ、早急に提出すべき作業をこなしてしまうことにしている。

明日は、父の老健に費用の支払いをしつつ、父の様子を見てくる。介護度が3からもとの4に戻った件も、老健と調整してこないといけない。夜の予定が相模原なので、老健に行く前に茅ヶ崎市役所と市社協にレポートを出しに行く。

ともあれ今夜はこれで〆。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・本人&親御さん)
     **子(仮名・しかし話が長い。)


(校正2回目済み)

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11/27 浦和のクッキーフェスに行き/筑波大大塚Cの研究会にお邪魔したのだが

2011-11-29 06:04:49 | 引きこもり
2011/11/27 記
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ここしばらく睡眠時間が数時間の日が続いて、眠気の限界がきていた。何のことはない、午前中企画や遠方の13時企画が続いたのだ。幸い夜間傾聴のシビアな相談が入ってこなかったのが幸いだった。

埼玉県の浦和駅前のスーパー、浦和コルソ1Fで「クッキーバザール2011」が開催されていた。13時から茗荷谷の筑波大大塚キャンパスで、被災地の子どもの心のケア関連の講演会と、認知科学系の研究会が開かれていた。それぞれ別途の用件があって巡回してきた。

浦和のクッキー販売は、埼玉県内に避難している福島県双葉町の方々や、被災した障がい者への支援を埼玉県内14の作業所が行なったもので、地元の埼玉ベルエポック製菓専門学校や日本デザイナー専門学院が協力していた。クッキーの購入もさせてもらったが、実は製菓専門学校の方と、双葉町の方に会いたかった。

陸前高田の作業所支援のために、製菓(洋菓子)の関係者と会いたかった。また、双葉町の方は、「わーく」編集部の連続企画で、被災者と語る講演会の接点が欲しかった。しかしバザールは、1F通路のところに、1×1.5(m)ほどのカートが4つならんでいただけだった。飾りつけや、クッキーの梱包はこだわりを感じたが、会場には製菓専門学校の方や、双葉町の方やクッキーを焼いた障がい者の方は不在で、支援者の方々が販売していただけだった。質問しても、連絡先がわからなかった。チラシをいただいたが、目論みは空振りに終わった。

浦和にはビッグイシューの販売員の方がいる。話しかけて、このあとの研究会などで売りつけると話して1冊購入した。ここの販売員さんは長い。そこそこ常連さんがついているという。

浦和から茗荷谷に出るには、案外面倒くさい。田端乗換えで池袋経由で回ったが、案外東京まで出て丸の内線というのも乗り換え時間を考えると時間差が少ないかもしれない。茗荷谷は昼食を食べようとすると店探しに苦労する。目先の変わらない日高屋で麺を食べているうちに13時が過ぎてしまった。

会場に急ぎ飛び込んでみると、迷路のような古い建物は跡形もなく、どこに金が有るのだろうと思われる新校舎が建っていた。幸いエントランスのところで、お目当ての方が煙草を吸いに出たのだろう、会場に急ぎ戻るところで出会った。

陸前高田・大船渡の関係者の紹介をメールでたのんでいたが、応答がなかったのだ。話してみると、自分は宮城の方に活動の中心があり、岩手の関係者はよくわからないというのだった。今日の会場参加者に気仙地域の方はいないかと問い、話はまわしておくという応答を得た。名刺を渡してくれるように頼んでせわしく別れた。

内容からすれば、宮城の支援活動をされている方でもいいのだが、私の活動がますます分散してしまうことが気になっていた。私が湘南で何か具体的な活動を持っていて、交流したいというなら、相手とつながりやすいのだ。これから活動を作るのでということになると、相手にメリットがないので、相手にされない場合が圧倒的なのだ。従来型の活動ではなく、新しい領域横断の中身を盛り込んだ活動を目指すとき、相手に活動実績を見せることは難しい。企画にぴしりと見通しを感じさせる質が見えるか、相手の活動にとって大きなヒントになるような、いわば食指が動かなければ、説明を聞いたり、読んだりすることはまずない。資料を受け取って放置されるのがオチだ。

私が参加したのは認知科学系の研究会だった。3.11は膨大な人の生活の崩壊と再建の営みが渦巻いている。現状の課題の解決を求め、個々人の大きな変容とコミュニティの再編が起きている。エスノグラフィックな研究は当然始まっていると思うが、災害に立ち向かう社会活動に見通しの鍵を提供してくれる可能性を持っている分野の会合または、その探索を行なっている方と出会える場になると予測された。私以外は多くが現職研究者なのだが、今回は様子が違っていた。社会人というか別の職場で働いている方の比率が高かったのだ。ローマで国際学会が開かれたのだが、その各国の発表が現在の社会的課題と取り組むテンションを弛緩させていることに危機感を感じて、今回の研究会が行なわれたのだった。

しかし、話が始まってみると、他分野の初参加という方が多く、現職の方の発表も学校文化の枠内からの発表であり、3.11以前と内容が変わらないものだった。私はいくつかの目的を持っていたのだが、話せる状態ではないというか、ここでは問題意識が伝わらないことがはっきりわかった。

ひとつめは、環境の激変の中で個人がたちあがるエネルギーをどう束ねて、自立した活動を作り出していくか。そのネットワーキングに過去の例と異なる成長を見込めるかということ。

もうひとつは、「災害ユートピア」と呼ばれるコミュニティの異なる位相をどう評価するかということ。気仙沼に移住した**君のような対人の壁を超えて脱皮しようとしている引きこもり青年の姿などの変容の力学、いずれ去ってしまうボランティアという形ではなく、物理的に離れた地の連携活動を互いに支えていけるような視野をもちうる当事者活動を育てていく方策はありうるかということ。

みっつ目は練った上で紹介するが、これから茅ヶ崎市の防災の方に提案を考えている「初期災害避難誘導員制度」の「誘導」をめぐる可能性の根拠付けのこと。

最期は、仮設生活期に入り、従来の地域コミュニティとは異なる、地域混成型の仮設コミュニティを作る活動が始まっている。しかし仮設は数年更新の、人の抜けて行く仮のコミュニティであること。外出推進などを通じ、もとの地域コミュニティ出身者が出会うことを推進する活動は、果たしてこれでよいのか。東北の生活共同体の規制力は、被災以降世界のメディアで有名になったことだが、反面家庭間の諍い回避の相互萎縮を含んだコミュニティであり、よそ者の活動はいずれ無縁に戻されていく。これでいいのか、ここを超えていくことは可能かという問いだった。

支援活動は日常生活再建期にはいってから、現地長期滞在型の活動か、引きこもり巡回と就労支援という専門性の高い活動以外の活動が、遠方からは係わりようがなくなってきている。いわゆる後方支援の形(方針)を出していかないと、被災者支援のやせ細りが起きてしまう。再び「他所事」化が始まってしまう中、被災者の失業保険が切れ、二重ローンと家族喪失がのしかかる、しかも孤立性の高い仮設生活のなかで、独居の方や高齢者夫婦・単独生活を試みている障がい者世帯が、アル中から孤独死に至る事例が、この冬、年越しを前に危険な状態になる。山田町の70代女性や、金曜日発見の南三陸町の男性の孤独死など、既に悲劇は始まっている。ここを打開するのは急務なのだが、専門家との連携のケアをどう進めるのか、ぶらり現地に行って慰労してくるという以上のことはできないのかと考えている。(地元発注型サービスの活動提案はこれに準じている。後方にやるべきことができる。)

その相談相手を求めたのだが、この研究会に3.11の風は吹いていなかった。

無念さを抱いて帰宅した。「命の旗」や「カーシェアリング」を湘南の地で支援活動の恒常活動の芽を育てねば、大船渡の支援者連絡会に顔を出すことが出来ない。陸前高田の作業所支援も二次加工が採算のめどまで高める準備活動がいる。フットワークの軽い学生と結びつきたい、外食のタンメンが馬鹿に塩辛かった。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     南橋本君(仮名)


(校正2回目済み)

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11/27 睡眠不足で、今回はお休みさせてもらいます

2011-11-28 03:51:17 | 引きこもり
すみません・




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11/26 11/22木下さんの講演の提案部分について

2011-11-27 05:51:33 | 引きこもり
木下さんの講演には、いくつかの提案が含まれていた。それには、震災は震災、津波は津波、がけ崩れはがけ崩れという管轄の行政が防災対策を立てている縦割り行政の現状では、今回のような地震と津波、がけ崩れと火事というようなあらゆるものが同時に進行するような同時進行災害の前には対応が破綻するのは当たり前だった。「同時進行災害」が独自に持つ課題に取り組んでいくことが大事。そういう複合的な災害に遭ったとき、ひとりひとりは、周囲の行動を見習うのではなく、自主判断が迫られる。知人、家族の命と引き換えのような矛盾した事態となるのが災害なのだ。そういう自主判断をどこでどう育てていくのかが大事。

しかし、それでは社会的弱者、高齢者や乳幼児、障がい者はどうしたらいいのだろう。こうした事態を超えていくための想像力と行動を問いたい。

また個々の提案の中には、避難所の整備と関連付けて、それぞれの独立処理が行なえる複合処理施設(下水道)や紙の備蓄など様々な指摘があった。被災時、市町村行政は機能停止となることが多い。主役は県、ここに対策本部をおくことになるが、地域住民の活動との連携は組み込み済みで動けるような状態をつくるべきだ。

今回改めて「わーく」編集部としては、実体験を踏まえた防災と、被災者と対話する支援の重要性を感じている。と同時に、被災した方とのひと皮剥けた連携の対話のチャンネルが開かれる「被災」という事態が、私たちに問いかけるものに応えたい。仮設や、半壊持ち家に孤立無援の方を生み出さない支援が問われている。生活困窮とのしかかる不安が、その頂点では孤独死を生む。東北人は世話好きだから大丈夫と言ってのける被災地救援担当者の信じられない言葉の影で、心が壊れ、アルコールや自殺などの方々が続出する事態に、後方支援の方法を考えなくてはならない。(ex.『命の旗』、『カーシェアリング』etc.)また日常的な民間交流を進める手立てをうつこと(ex.『ペットレスキュー支援』『絵手紙』『青少年体験交流』etc.)、長期生活支援としての「地元発注型サービス提供支援」(ex.『美容カットサービス巡回』『口腔・視覚検査等医療連携補助』(入れ歯調整・眼鏡提供等)etc.)推進など、後方でも成しうることを明確にした支援を組むことにある。非被災地に住む私たちを再び傍観者に戻してはならないのだ。

陸前高田の障がい者作業所の販路支援も実現したい。そのためにもネットワークを推進する湘南の意見交流企画を積み上げたい。今、次回の候補は被災者支援と防災計画両面で活躍している行政職の方との意見交換、就労の受け皿となる被災地中小企業企画を議論されている中小企業団体の方と障がい者雇用の可能性を議論する企画を打診している。また高校生の災害ボランティア実地体験企画を個人ベースで企画している。学校対学校のような公的交流ではなく、個人の体験が大事と考えるからだ。

中間支援者としては、これからの生活再建・復興支援には「テーマ基金」を求められる支援が増える。ここを実現する活動の拡張を探っていかなくてはならない。社会資源を探り出し、社会活動と結び付けていく試行が問われている。

これからは、離れた祖父母が被災したり、叔父叔母・転居した友人の被災などから見た被災者支援活動や、飼い犬猫の命と葛藤した被災者家族の体験談など、私たちと結びつく回廊を持ったエピソードを拾い紹介するような支援も必要だろう。単純な自然の猛威紹介では今必要な支援とは結びつかない。情緒的に煽るのではなく、当事者性の共感を育てる活動である。

以下に、11/22の木下さんの午後の講演会の参加者が書かれた感想の続きを書く。

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●実際に被災された方のお話を大変重く受け止めました。様々な提案も大変勉強になりました。/私も4回ほど被災地支援に行き、避難所支援にも入りましたが、要介護決定を受けているような高齢者や障害者はいませんでした。避難所のあり方や住民の方々の意識の部分も課題であるように思っています。/行政のあり方についてもいろいろと考えさせられました。ありがとうございました。
(参加者Fさん)

●今後の防災(地域)の参考になりました。/被災地支援の変化を考えて対応していきたいと思います。 (参加者Gさん)

●木下講師のお話は、机上の話や想定の話ではなく、事実の体験の重みがあるお話で、今迄の正しいと思って来た考え方、行動指針を改めなくてはならない事があり大変役に立つ話であった。/帰宅してから、家族で再度話し合いをし、確認し合いたいと思います。/自然災害は人間の考えを超えて発生する。/これには対応の仕様がないと思うので毎日々を充実した暮しをし、その時は(災害)来たら悠々とあるがままにまかせたいと思った。 (参加者Hさん)

●報道よりの情報は持っていたが体験談としての講演は見につまされた。/講演の中で近隣に声をかけても逃げないとの話があり、又大丈夫だとの先入観があり逃げないとの事でですが私が自治会長をしていた時に、相模川の堤防決壊の情報が流れても誰も行動を起こさない事が思い出され今後は地区の防災にもその点 徹底していきたい。  (参加者Iさん)

(完)

----- Hさん、講師の提案と違いますよ、講演は「自主判断が大事」という話でした。なすがままでは、災害に飲み込まれてしまいます。「臨機応変」「防災、日々の自覚を」という意味ではその通りだと思いますが。


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JR相模原の塾の方では、私を提案者にした講演企画を始めている。前にもこの手の話があって、職員1名と塾生3名が集まり、飛田を茶化す会になってしまった。相模原は遠い。地元活動との連携を相談した方がいいと断った。

講師ではない生業の方でお歳暮を頼まれた。いつも人形町から魚の粕漬けが来たり、糖尿病で飲めないのにスコッチが来たりする。今年は被災地産から考えようかなと、陸前高田のお味噌をつつきながら考えている。酒焼けしたテンションの高い社長の顔が浮かんでくる。イトーヨーカ堂地下食品売り場(魚店舗とやさい店舗のに味噌がある。八木沢商店である。買わずともごらんあれ。

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父の介護度が4に戻った。月曜に老健に行く。


夜間傾聴:淵野辺君(仮名)

(校正1回目済み)

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11/25 11/23の市社協講演会は的外れだった/ 11/22講演会感想その1

2011-11-26 06:37:27 | 引きこもり
23日の感想を先に書きます。防災・危機管理アドバイザーの山村武彦さんの講演「「震災と防災」ボランティアのネットワークづくり」を聴いて来ました。正直言って求めているものとは全く異質のものでした。

これは私の時期認識がまるで空転したことによります。象徴的には、「被災した東北の皆さんは捨て去られた」のです。湘南の防災の参考材料にしか扱われませんでした。私たちの防災も大事な課題です。同時に、被災したとき、その方々が孤立せずに生活再建を遂げていくことができるのか、現在進行形で問われ続けていることを忘れてはなりません。その支援の絆が切れ掛かっている、これが問われていないのです。

災害救援期から生活再建期に移行したことに伴い、被災地の長期滞在型の活動か専門職の現場活動しか的を射た活動が出来なくなってきていること。この変化に非被災地の方の関わりが空洞化し、関心が薄らいできているという、活動孤立化への危機感があり、いわゆる後方支援の活動デザインをしっかり書き直さないと、活動は行政施策と街の再興に収斂し、被災者の自立活動が萎縮してしまいますよという社会活動サイドからの場面移行議論をすべきという関心事に触れてこないからなのです。

災害は常に社会的弱者に再起の難問を残します。対人関係にまでミクロ化した隣人関係で話すと、親切と隣合わせに普通逸脱への箍(たが)がかかっていたり、差別がありながらも、保護が形の上で取り正されたりと、当事者の言葉が奪われる事態が大事の前の沈黙を強いる抑圧となってあらわれるという、隣人レベルを超えた地域の視点からは掻き消えて消されている事態も、あからさまな人間関係の中に進行して行きます。

だから「絆」ということを語るには、痛みに耐えているところがある。大事なものでありながら、素晴らしいものとして賞賛する気にはなれません。この言葉を奪わないひとの関係は、精神的に自立した関係と社会的な関係が包括的に発酵するように成長していく気付きを伴わなければなりません。これは身近なことの協働作業などで培われていくものなので、これが行政誘導や街の復興活動に活動が収斂してしまうと、また丁寧に社会的弱者は言葉を取り上げられてしまう。このことに自覚的でありたいと私は思うのです。

山村さんの講演は専門家が大衆教化のために、知識を吹き込んでいく話であり、ひとびとの災害対策活動を支援していくものではない。ネットワークを語りながら、いかにうまく個々人が生き延びるかという知恵を伝授しているので、聴衆は横につながることはない。災害対策は、地震に敏感に逃げ延びる群集作りになってしまう。間違いだと思います。

民間の災害対策活動をどう育てていくのかということ。社会的弱者の言葉を奪うような「緊急事態」に流されず、共に生きていける道を育んでいくことをどこからどう実現していくのかを問うべきです。知識の一つ一つは面白いもの、無理なもの玉石混交でしたが、道ができていない。NGでした。

------ 以下は22日、木下さんの講演会の感想の一部です -------


●当事者としての視点で 心にしみる思いを届けていただき、ありがとうございました。特にトイレの問題は気になっていました。同時複合災害が起きた場合の対策本部の設置を県行政に求めると共に、民の支援体制が即効性をもって立ち上げられるように、日頃のつながりも大切だと思いました。特に弱い立場の人を見のがさないような支えあいの意識も普段の暮らしの中に、つくっていかないといけませんね。 (参加者Aさん)

●今日は大変貴重なお話を頂き、有難うございました。実体験があるからこそのお話やご意見が頂け、勉強になりましたし、驚くことも多かったです。行政として、事前にどれほど準備、想定が出来るかということが重要だと思います。同時に、想定を上回ること、想定外の事柄が起こることは災害において常だと感じます。可能な限り準備しつつ、いざ災害が起こった際は 行政、市民などの垣根をこえて協力し、臨機応変に対応していく必要があると考えます。災害が起こる前からこのような協力体制がとれるよう、日々市民の方とともに、行政としても行なっていきたいと思います。  (参加者Bさん)

●大変リアリティのあるお話でした。ありがとうございました。いずれ茅ヶ崎にも 大地震、大津波がやってくると思いますが、大きな犠牲の上に、木下さんの貴重なご経験があり、私たちに、いただいたお話には、たくさんの命の重みが つまっているんだと感じました。それを確実に受け継ぎ、「そのとき」に一人でも多くの命を救っていきたいと思います。また、東北の方々の「普通の暮らし」を取り戻すために、自分にできることはやっていきたいと思いました。
(参加者Cさん)

●正に至言!/津波のみならず 自然災害、人災、常に考えて置く如きご意見であります。/何を持って、支援できるのか考えます!/現地で買い物!そのとおりでありますね!/希望基金!協力したい。 (参加者Dさん)


●その場にいた人の話で 感じるものがありました。/行政の事は参考にさせていただきます。  (参加者Eさん)

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相模大野校に母から奇妙な時間に電話が飛び込んだ。事務局から私の携帯に話が回ってきて、驚いた。母は携帯電話を家に置き忘れ、家の玄関の鍵を無くして室内に入れないでいたのだった。母は私の携帯番号はいつも忘れるが、相模大野校の封筒の端切れを財布に入れているので、事務局経由で電話がかかってきたのだった。幸い帰りの駅ビルでの買い物の最中、持ち帰り仕事があるので,今夜の湘南子どもネットワークの講演会は欠席だななどと独り言を言っている最中だった。

急遽、買い物を最低限に留めて帰宅。ついこの間も、偶然揺らしたら開いた窓をまたいで、盗人もどきを母が演じた鍵騒ぎが起きていて、放っておくと危ないことをするので、焦ってバスに飛び乗った。転倒して大腿骨骨折でもやらかしたら留めだからだ。

明日は翔の会の講演会に出る。茅ヶ崎市と市社協への後援企画報告を出すために、この土日を使う。日曜日は浦和と筑波大を回る。3月の就労支援関連の講師に災害と民間復興計画の関係者と研究会の後、別個に会える可能性があるので、帰りに明大にまわる。久々の私のホームグラウンドの古書店街で、カレーを買って帰ると母に言っているのだが。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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11/24 11/23 東海新報編集部・木下繁喜氏の大人向け講演会報告/02他

2011-11-25 05:27:20 | 引きこもり
2011/11/23 記
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木下さんの午後の講演会では、災害発生時の行政の個人情報対応の融通の効かなさを指摘されていた。

地域の民生委員さんや、町内会長さんなどの職務上の調査に対しても、地域の独居の方や、障がいを持ちながら自立生活をされている方、在日外国人の方など、救援活動上確認する必要がある場合にも、個人情報非公開が障壁となっている状態は異常といえる。

平常時、地域の孤立しやすい独居生活者、高齢者夫婦家庭は、民生委員さん・町内会長さん、消防団さんの実態からすれば、事前にリストを作っておくべきだと言う主張は現実的ではない。災害発生時、地域管理職の方の肩書きで、町内会などのご近所さんが救助抜け落ちがないかチェックする意味で問い合わせる場合が多い。

また避難所利用者名簿などは、自宅生活や、自家用車生活を選択した方々に支援の抜け落ちがないか調べるために必要となることもある。

木下さんの講演の中には、半壊家屋の生活者に、情報や支援サービスが届かない問題が指摘されていた。私も大船渡市の盛町の方々と話をしたとき、「家屋が残ったが家族を失った方は、被災者ではないというのか」という支援者への怒りをあちこちで伺った。

支援活動は、だから重層的な構造を持たせないと、被災という現実に四つに組むことが出来ない。この辺が企画化していくときに、部分のシンボル的な支援活動を変容可能性を孕ませて取り組み、拡がりの勢いを借りて多層化していくという方法か、大きく抱え込み細部をそれぞれに変容させていくか腹を決めなくてはならないことがある。

例えば美容サービスを届ける活動の例で言えば、まずは仮設入居者から、地域に散った在宅被災者へとサービスを拡張していく手立てをとるだろう。しかしこのときも、被災された方の全体像を把握する努力が背景になければ、現実はかならず抜け落ちを生じさせる。

市民活動(社会活動)は、皆が「真似できなくてはならない」。共感した活動が拡がっていくことが力なのだから、この見通しは引き継がれていかなくては、社会の大きな解決力になれない。

実際は多層的な現実にアンテナを張っていくことには経験がいる。木下さんのお話を聞きながら、支援活動がお互いに関連を持たずに、それぞれの分野で行なわれている実態では、被災の重層構造の深まりを持ちえるのか、自分に問いかけていた。

被災された方の心の苦しみや悲しみに寄りそうこと自身、ある面、不遜なことではあるのだが、それでも支援することの論拠を私はあえて問わない。ただそれに正義や同情が被災者を塗りこめてしまうようなことは避けたい。響きあうこと自身、その気持ちがクリアであり続けることに私は自覚的でありたいと思う。だからなおさらに、異なる領域の視角の違った支援活動とのネットワーキングが必要なのだ。

木下さんの講演は、行政に対して、一般の支援者に対して具体的な経験提供が含まれている。これは次回に。

社協の講演参加したががっかり。この辺も次回。


以下のTV番組、特に「助かった命が なぜ」の方、内容が大切。再放送しないか注視している。「NHKオンデマンド」は録画できない。いいドキュメントなのに、「NHKワールドプレミアム」では、酒作り、見ることができないか。無念。


●「NHKスペシャル 東日本大震災「助かった命が なぜ」」
  NHKオンデマンド見逃し番組 11/27まで

●「それでも酒っこつくるべや~岩手・陸前高田 再起の酒造り~」
 2011年11月28日(月)22:50~23:24 NHKワールドプレミアム


11/27 浦和で作業所が東日本大震災カンパのクッキー販売をやる。14作業所合同とかで、様子を見てから筑波大大塚に行く。26は翔の会の企画をのぞく。夜、相模大野。

(つづく)


夜間傾聴:**子(大田区の作業所の件)
     橋本2君(仮名・母親と面談日程調整)


(校正2回目済み)

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11/23 東海新報編集部・木下繁喜氏の大人向け講演会は被災地の現実を運んできた/01

2011-11-24 05:16:30 | 引きこもり
2011/11/23 記
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22日、茅ヶ崎市総合体育館第一会議室を使って、14時から東海新報編集部の木下喜さんの講演会兼意見交換会を行なった。茅ヶ崎市・市社協の後援をもらっていた。招待にまわったとき、明快に参加表明をしてくれた方がいなかったために、会の幕を開けるまで、何人出席してくれるかは闇の中だった。実際、過去には2回、見事に私以外参加者0だったり、当日の運営を手助けしてもらった**さんひとりだったりしたことがトラウマのようになっていた。前者の原因は企画の重なり。

前夜、受付をしてくださるとの連絡が入った。木下さんをまさか参加者0の状態でお願いするわけにはいかないと思案しているときだっただけに嬉しかった。参加費は無料に設定しているので、内容がしっかりしているのに、参加者が0であったとは報告も出せないと背筋が寒い思いをしていた。最大の原因は、日程の関係で、ボランティアバスを使って被災地訪問をしているボランティアとの方々の集まりに出向き、企画を伝えられなかったことだ。参加の個々の方には訪問の上、講演会を紹介していたのだが。次が社協の大会の中、「『震災と防災』ボランティアのネットワークづくり」(講師:山村武彦氏)が翌日に控えていたことだ。

午前中の県立鶴嶺高校の後援との移動に時間がかかり、受付の**さんに到着が遅れる旨の会場で流してもらっていたが、20分遅れで会は始まった。災害対策や防災計画の行政担当者や、市会議員、保健所職員、NPOサポートちがさき関係者など、いわゆる災害対策関係者が18名集まった。願望とは離れているが、今後へと引き継がれる質の集まりを作ることが出来た。

木下さんの講演は、鶴嶺高校講演の大人版+提言の形を取っていた。行政が想定している災害の流れと対処がいかに的をはずしていたか。また住民の意識がどれほど震災と津波の現実とずれていたか、防災教育として、街中のモニュメントにチリ地震のときの水位を記録していたことが、裏目に出ていた。平常性バイアスがかかって、住民が逃げ出さないで、前回はここまでは津波がこなかったという形で様子見をしていたこと。高い建物の陰に隠れて、津波が見えていなかったことと、迫り来るがれき(浮遊物)の恐怖が今も焼きついていると実体験を語られた。

木下さんの講演には「無駄がない」、推敲された内容を臨機応変に伸縮されており、2時間弱に及んで、思いの丈を話された。家族知人社会的弱者をどう救うかということと、まずなにはともあれ、「津波でんでんこ」、自分の身を守り高台に逃げることとの矛盾に晒される。機械的な正解は無いのだが、自己判断の大切さを語られた。

(つづく)

p.s.すみません、睡眠不足で気力が続きません。続きを書いていきます。
  11/23NHK総合で流されたドキュメント、以下の2作の再放送を是非チェックしてください。いい作品です。

●「それでも酒っこつくるべや~岩手・陸前高田 再起の酒造り~」

●「NHKスペシャル 東日本大震災「助かった命が なぜ」」
  <陸前高田の社協の会長さんが陸前高田では起きていないと煙に巻いた言葉が耳に残っています。専門職以外は関係ないというように響きます。勿論仕切り直して、係わり続けますが引き下がってはいけない状況です。


夜間傾聴:**子(12/1に東京にて対策)
     南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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11/22 速報的ですが、県立鶴嶺高校ボランティア塾の講演レポートです

2011-11-23 04:05:35 | 引きこもり
2011/11/22 記
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高校卒業程度認定試験応援関係の話は、小さな嵐が吹きましたが、とりあえず、県立鶴嶺高校と、大人向け講演会を何とか終えることが出来たので、それを優先して書こうと思う。

10:30 東海新報社編集部・木下繁喜氏と茅ヶ崎駅改札口で待ち合わせる。メールや電話ではやり取りしていたが、直接出会うのは初めてだった。東海新報の新聞タイトルが見えるようにして、探すまでもなく、すぐに先方が私に気付いてくれた。気力にみなぎっているが、非常におちついた感じの方。現役の編集者を感じさせてくれた。準備開始が10:50からなので、挨拶もそこそこ、鶴嶺高校に向かった。

今回は8団体。災害ボランティアはそのうちの3団体。ひとつは、ボランティアバスで南三陸町に入っていた経験を伝える形の分科会を持つ団体と、津波に押し流された大切な家族の歴史を記録したアルバム類を清掃保管するボランティア。それに最後が私たちという構成だった。

私たちは事前の選択で参加してくれた25名の高1の方に、挨拶をした。これで鶴嶺高校のボランティア塾は3回目3年になるが、授業時間が半分の45分となったことが気にかかった。講演のあとのQ&A。大概Q&Aが湿った火薬のようで、改めて、導火線となる問いかけがいる。そうすると講演30分として問いかけ5分、だからQ&Aは10分しかとれない。講演を30分以下に切り詰めると伝達力の弱い表層的な語りになってしまう。つまり45分はQ&Aを講演と組み合わせることが無理なのである。

その辺の迷いを引きずった企画だったが、講師の木下さんは非常に語り慣れした方で、実体験を中心として、被災とはどういうことかということを伝えてくれた。土地の様子も大船渡と陸前高田との被災状態の違いを語ることに寄って、震災を平板にとらえていた子達が、リアルに情景をつかみとりことができたように思った。

私たちの分科会に参加した高校生達には企画のテーマが提供され、事前の分科会選択を通して参加したこともあって、モチベーションが高かった。女子が多数派、男子は8人の少数派。事前アンケートの中に、親戚が三陸におり、被災したという体験をしている。

木下氏の講演は、全体の終了時間5分延長して、Q&Aを10分という形だったが、非常にまとまりのよいものだった。木下氏はMossBurgerの創始者櫻田社長が大船渡出身であり、櫻田氏の伝記を書くことが、夢だったとのこと。4年かけて出版、その発売日が、MossBurger創設記念日3/12だったという。本屋の書架に並べられた書籍は、11日の津波で店舗ごと流されてしまった。そういう衝撃的な出来事が木下氏の被災の始まりだった。こうしたマスコミの報道の隙間に、おきていることを丁寧に語ってくださった。

高校生達は、抑制された講演の背後に被災地を見、自分たちが被災することも絵空事ではないのだと感じ取ってくれたようだ。木下氏の言葉の力である。

授業終了後、木下氏は思わず涙ぐんでいた高校生と話をしていたが、その子が三陸に親戚がおり、その親戚が被災したという経験の持ち主だった。また東海新報社刊の写真集を手にとって眺めていた生徒さん3人は、画像に絶句。被災地に言って見たいと語っていた。高校生達を気仙地域に体験ツアーを実現したいと思うのだ。最期まで生徒さんを引き寄せた講演だった。

(つづく)


夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     大森君(仮名・応援)


(校正2回目済み)

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すみません、立込んでます

2011-11-22 05:34:10 | 引きこもり
土日が高校卒業程度認定試験、22日が講演会本番で、
集客と資料作りの追い込みをかけています。

レポートは、講演会終了後に。


飛田
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11/18 試験前日なので、今回は書き込みお休みです

2011-11-20 05:25:42 | 引きこもり
夜間傾聴:橋本3君(仮名)


(校正1回目済み)
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11/17 焦点の絞れない年の瀬感あり/辻堂ショッピングモールと就労/現地ネットワーク参加の接点は

2011-11-19 17:05:22 | 引きこもり
2011/11/17 記
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高校卒業程度認定試験が迫ってきた。私は東京会場を今回も受持つが、まずいことに、JR相模原の塾の方も受験者が居る。私の白髪頭は目立つので、一発でみつかるなと思う。相模大野校の方とJR相模原の塾の経営者には、私がふたまた稼業をしていることを言ってあるが、生徒の方がうるさい。爺さんの担当する子たちではないから待機でもいいよと上司にいわれているのだが、塾の方は、ひとり芸能レポーターのような奴が受験生なので、彼のいるクラスの授業が今日有ったので、授業中、ふたまたの某校引率で、君と出会うからよろしくなと、皆の前でばらしておいた。周辺はどうでもいいやという顔をしているので、一応の対策にはなったと思う。

A3ソフトタイプのクリアファイルが2枚しか在庫がない。このために横浜に出るのかと憂鬱になった。辻堂の新しいショッピングモールに無印良品とLoftが入っている。期待薄だが探してみることにした。B4までは有ってもA3はないのだ。結果はやはり在庫なし。

西脇画廊さんではないが、美術品の用品店を探って、クリアふぁいるではないが別のものがないか探すことに。ただ費用をあまりかけられない。以前はノングレアガラスで苦労したが、今回はクリアファイル。板に画鋲で次々に重ねた画像をちぎって掲示してもできないことはない。画像が勿体無いだけだ。

しかし、辻堂のショッピングモールは、母を連れ出してみたが、高齢者の居どころなしの感じだ。上限が子連れ若夫婦のあたりに設定されている。「落着いて」食事をしたくとも、行列待ちや、詰め込み席、ブランチ型の食事しか出来ないのには呆れた。食品販売もいつも同じ顔の出店ばかり。品ぞろいを主張したいのだろうが、A3ファイルではないが、万人受けするもの以外は、丁寧に排除されている。今回は「焼き豚ブロック」と「切り三つ葉」を探して、底の浅さが見えてしまった。なんとか評価できるのは、待ち合わせや一休みの席が一応設けられていることだ。店舗配列の規則も明快ではない。エリア表示が不親切。結局母は早く出ようと言い出して、茅ヶ崎に戻ってしまった。

私は実は昔、このショッピングモールのような店舗配列のバックヤードに、引きこもり青年を紹介して、彼を爆発させてしまった失敗経験がある。地下街である。自閉症スペクトラムの方には、方向感覚が鈍い方がいる。私も方向音痴だがテクニカルな回避方法を意識しているので、大事に至らないでいる。段ボールを積み込んだカートを移動させ、バックヤードから商品を届ける役を分担された。ところがなんとか陳列コーナーに行き着いても、帰れない。それをさぼっていると叱られたのだった。上司をなぐって首になったのだが、なぜひとに聞かなかったのかとうっかり聞いてしまって、状況認識の浅さに気がついた。従業員の制服を着て、お客さんに道を聞くわけにはいかない。

ところが彼の言い分はちがっていた。カートがはさまって、声かけられないというものだった。とりあえずカートを脇に寄せて、ひとに聞くという柔軟性がないのだ。カートで通行人に迫れば避けるに決まっている。こういう目に見えぬ壁が彼を孤立させていた。誰にもわかってもらえない壁である。

私は改めてジョブコーチの大切さを感じていた。ショッピングモール初日、ポイントカード登録者以外は入店させないという開店方法で差別化して価値を出そうとしていた。ところが、バイト君、家族が入店しているのに、あとから来た男性をマニュアル通り拒絶してしまった。この男性、面白い方で、くるりと向きをかえてゲートをでる素振りをした。たちまち他の従業員が彼を捕まえて、こちらは出口ではありませんのでと、その男性をバイト君から奪って中に入れてしまった。バイト君は素知らぬ顔で、他の客の通行規制していたが、笑うに笑えなかった。おそらくカートの事件の青年だったら、バイト君が正しいというだろう。私の笑いが不可解だろう。バイト君のマニュアル対応ということだけではない適材適所の大切さということが、背後に流れている。

土曜日の「ソーシャル・ジャスティス基金」の設立のHPを見ているうちに、湘工大の災害ボランティアグループが福祉・教育系ではないのが想像がついた。接点が取れるか怪しく思えて、出席を取りやめた。被災地作業所の商品の二次加工技術の件で、ある中小企業団体に相談を持ち込むことを考えていた。こちらは障がい者委員会を持っていて、二次加工以降のシェアリングも案があったので、鼎型の協力が出来そうに思えた。そこで、芝工大のファンド会場の代わりに、中小企業経営者の全国本部を訪ねることを考え、アポ取りの連絡を入れた。残念ながら土曜日はだめ。**子に会う件も芋づる式に取りやめとして、私の報告資料作りの日として、こもることにした。巡回も無くなり、久々に家にこもる予定となる。

「命の旗」の派生筋で、災害後の精神衛生関連の方の活動が見えてきた。当座は陸前高田・大船渡のボラ連絡会の方とメールを積み上げて行くことになるが、現地との日常活動が明快でないと、すぐに外野から、球場外に押し出されてしまう。製品二次加工の話は、開発の隘路をひとりさまよっている状態であるし、「カーシェアリング」の関係は、湘南では暴力団関連の危ない一線と際どい筋が予想され、構想は一応の完成形で提案すべきと判断した。後方支援者にも参加可能なシンボル化した活動を企画しないと、現地行政が雑音排除の壁となって排除されてしまうだろう。いずれも「孤独死」という重く、年末冬場という危険期間を通過する課題だけに、発想の固定化を避けるためにも相棒が欲しい。

木下さんの講演会と意見交換会は、必要以上に重くするつもりは無いが、今回は一般参加者というより支援関係者のカンファのような場面を入れ込みたいと思っている。この前、川崎でやった会の講演者の中に、次回、「わーく」編集部の講演企画を立てたい方を見つけてある。川崎の行政関係者の方だ。立案の基礎作業となる企画だが、市民活動がどうからんでいったよいのか探ることにもなる予定。(交渉中)

明日はペットレスキュー支援の通信No04作りと、22日用レポート仕上げの予定。


夜間傾聴:淵野辺君(仮名・こちらから)
     南大沢君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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11/16 高田と小和田の動物病院に配達をし/22日講演会の資料準備

2011-11-19 06:35:33 | 引きこもり
2011/11/16 記
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夕方、時間ができたので、高田の岡本動物病院と小和田の宮地動物病院に通信を持っていく。徒歩のため、配達がこの地域はいつも遅れてしまう。順路の関係で午後の診察時間がいつも合わないのだ。午後学会や臨時の休診が重なる。この通信配達も前回は雨で傘が壊れて中断。これが3回目の挑戦となる。

岡本先生にはいつも叱られてしまう。獣医師会のどの枠組みで働きかけているのか、その団体の許可を得ているかということだ。もうひとつは、私の通信に取り上げられている団体、レギュラーは、ねこひと会と動物福祉推進協会にお願いしているが、その団体の信頼証明のことだ。市民活動の動物愛護活動は、いつも問題を運んでくる上、動物愛護という観点で質が低いということだった。

しかし、これは困ってしまう。私は信頼できますということをどう証明したらいいのだろう。クレタ人はみな嘘つきだとクレタ人が言ったというパラドックスがある。言語の上では私は信用できますということを自己言及することは無理がある。幸い通信を病院長として自分の病院では受け付けてくれるという。厚意に甘えている。結局、質のいい情報を出し続けていくことしかない。叱られながら、湘南の込み入った問題経過や、市民活動の奥行きの浅さを考えていた。

まずはともあれ、滞留している被災地保護犬猫の新しい一時預かり主とペットレスキュー活動を取り結ぶこと、現地活動をしているペットレスキューの活動支援を通じて、願わくば被災された飼い主さんとの民間交流が、同時に生み出せたら当座の目的は達する事ができるからだ。市の防災と動物保護の件に口出しできるほどに、私たちの組織実態が育ってはいない。まずは、つなぎ屋が意味を持てばいいのだ。

宮地動物病院に向かうころには、日はとっぷりと暮れ、相模大野に出る時間が迫っていた。診察室の明りが消えており、失礼とは思ったが、御宅のブザーを押し、娘さんに事情を話して通信を受け取っていただいた。

実は市北部や寒川町境の4病院がまだ抜けているが、そちらには2号は届いているので、まもなく発刊の4号と、未配達の3号をあわせて配達しようと思う。松風台から更に北上するのは、自転車がないと一箇所空振りするとそれで一日が終わってしまう。

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私の携帯はPCメールが入ると到着連絡が来る。22日の木下さんの講演会の問い合わせが1件。被災地作業所製品の加工についての試料購入応答が1件。ところが後者はなぜか英文。高級感をだしたいのかなと思っていたら、問い合わせた日本の店が輸入代理店だった。文面の大半は見当がつくが、個人輸入はしたことがなかった。

相模大野校のカラーコピーは、USBメモリから直接印刷は出来ない。一度プリンタで原稿を打ち出してからコピーにかける。この光学読み取り工程で鮮明度がかなり落ちてしまう。がっちり(今風ならがっつり)コピー料金はとられるので、統計資料のみ印刷し、図版はセブンイレブンのコピー機にかけたほうがいいのだ。

22日の木下さんの講演会、せっかく大船渡からご足労願ったのに、湘南で空振りするのは、なんとも情けない。先日も、かながわ生協にチラシをおかせて欲しいと頼み、内容を読まないうちに断られていた。掲示板利用は大丈夫だが、掲示板が目線より上のほうで通行量が多いところだから、これは読まないと思われた。知り合いのスーパーさんに久々に立ち寄ったら、その店自身が無くなっていた。不景気である。コンビニは本部の許可がないと貼ってくれない。

チラシの方は、腹をくくるとして、木下さんの講演がつまらない事故で流れ去らないように、伏線を張った。プロジェクタやPCを使うと、接続故障や、悪魔のちょっかいと呼ぶ現場の機器故障が起きる可能性があるので、紙芝居用の画像打ち出しをしておき、ローテク対応できるようにしておく。

45分授業はあっという間だ。修理などしていられない。A3全11枚。気仙地方の地図と、大船渡・陸前高田の個々の地図。高田高校の校舎被災のスナップ・ショット、陸前高田マイヤの被災状態画像だ。木下さんが必要なとき、使ってもらえばいい。ただ問題は、提供情報を欲張りすぎると、紹介だけで時間が終わってしまう。バランスは経験がいる。

またつまらないことではあるが、A3版のソフトタイプのクリアファイルが専門店に行かないと売っていないこと。これが案外手間がかかるのだ。藤沢有隣堂にあるかなあと思いつつ、100円ショップとの隙間、暴利値段に甘んじなくては入手出来無い作業だ。商品在庫確認の手間と店まわりがなんともしんどい。

会場では東海新報を配る。同社の震災記録写真集の見本展示もする。しかし、この講演を通じて、情報提供に止まらず、大船渡・陸前高田との具体的な結びつきがうまれないかと、芽となる思案を続けている。高校生の冬休み現地体験学習ができればいいが、無理でもビデオメール交換程度はできないだろうか。現地の受け取り手も準備しなくてはならない。授業後、高田高校が可能なら、色紙は書いてもらうつもりなのだ。木下さんに託せないだろうか。これらは授業成果に
かかっている。

土曜日,芝工大で震災復興支援活動に関心のある方向けの、基金立ち上げの講演会がある。湘工大の団体が行くとの情報がある。また、藤沢の西脇画廊がアルバムなどの流出品の清掃保存活動をしているので、そちらもお邪魔してこようと思っている。生業が行動の邪魔だとは口に出してもいえない。たちどころに「定年の年齢なのだから…」と肩叩きにあってしまいそうだからだ。…これも内輪のレトリックなり。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     南橋本君(仮名・お久しぶり)
     気仙沼君(仮名・母親)


p.s. この記事を載せる間際、嬉しいメールが届いた。受付をしてくれるとの情報。感謝!



(校正3回目済み)

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11/15 高原状態をかわす/22日講演会事務準備始める

2011-11-18 06:36:16 | 引きこもり
2011/11/15 記
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母の定期受診日に付き合って、鶴が台のバス路線沿いの眼医者に母を送り届ける。本人は元気で、付き添いは、いらないというが、縁側の廊下を使った物干し竿の下で、洗濯物を落とした状態でしゃがみこんでいるのを数日前に見ていた。原因不明の「めまい」は発症頻度が下がったが、治ったわけではない。眼科と東京の消化器内科と2ヶ所で、同じ「めまい」治療を続けている。私はそこから北茅ヶ崎駅に出て、相模線で寒川に出た。母は帰りは我が家までタクシーを使って帰る。

朝、可燃ごみを出す日。私は昼夜逆転生活なので、日の出まではゴミを出せない。かといって皆さんがゴミを出す時間を待っていると睡眠時間がなくなってしまう。日の出を待ってゴミ出し。隣人が雨戸の開け閉め反復で起きろアピールが10時ということで、3時間ちょっとの睡眠なので母を午後の診察時間の30分前到着なので、寒川町役場の議会事務局に22日の講演会チラシをポスティング依頼してきた。眠いので1時間、図書館でこっそりいねむりをした。昨夜は飛び込み君(仮名)の、心療内科の薬を飲みたくないという相談応答がてら、明け方の魔の時間を連れ添うという対応をしていた。今回は静かだ。

夜に相模大野校なので、最期に藤沢市民活動センターにチラシを置いて、チラシ巡回はこれで仕上げとした。母からおでんが食べたいという連絡が入り、おでん種を買って急遽家に届け、再び藤沢に出ることにした。生活の空回りが真綿で首を絞めるようなじんわりとした疲労感がある。同僚に、飛び込み君の今夜の対応を頼む電話をいれ、明日の午前中の橋本巡回を日送りした。今夜の夜間傾聴は休むことと自分に話しかけていた。

やっと22日の段取りに入れる。岩手県の図、陸前高田の図、大船渡の図、東日本とプレートを明示した震災発生図、高田高校の遠景、破壊された校舎の復旧作業、避難所と仮設住宅、MAIYAの津波被災図を作り、講師・木下さんの必要に応じて掲示できる体制が出来た。45分勝負なので、画像に寄りかかったら絶対時間に収まらない。

木下さんと集合時間などの事務確認のメール交換をする。朝、まずサポセンに寄ってプロジェクタを受け取る。(前夜の方が安全か?)その足で茅ヶ崎駅に戻り、木下さんと合流、鶴嶺高校に向かい準備。終了後、駅前に戻り軽食。急ぎ総合体育館へ。講演会準備。終了後、茅ヶ崎サポセンに、木下さん、SFCの学生さんを案内。ティータイムを取ったあと、駅前解散。

午後の講演会の受付役は省略。2人体制から私だけで始末する。名簿・アンケートを会の最中にまわす。資料は各自で取ってもらう。トラブル発生時は、…諦める。

問題は確実に参加者を獲得することだ。木下さんには、十大さんとこのたこせんべいを東海新報社へのみやげにする。面白いから食べてもらおう。

これからは電話作戦。

以上

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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11/14 糖尿病の治験を終え/慶応大湘南Cの災害ボランティア写真展に声をかけて

2011-11-17 05:04:21 | 引きこもり
2011/11/14 記
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この間、外食が増えた分、その祟りが糖尿病の検査に出てしまう。外食と言っても、時間短縮の為に食べた牛丼・親子丼やら、立ち食いカレーライスの類。こんなもので医療費がかかるというのは、馬鹿な話なのはわかっているのだが。

朝の10時から治験がはじまった。観察者の目の前で規定の食事を摂り、治験薬を飲んで、血糖値の変化を時間ごとに計っていく。その検査が終わったのが12時前だった。前回の検査結果がA1Cが増加に転じたこと、今回体重が2kg増えたこと。疲労感は鬱積していくのに、脂肪まで鬱積しないでもらいたいものだと思うと、昼食を奢る気になれない。薬の関係で最近低血糖風になるのは、天候の寒さが影響しているようなのだが、足のこむら返りが起きる。だからサンドイッチにブラックコーヒーを摂って、SFC(慶応大学湘南キャンパス)に向かった。

陸前高田の災害ボランティア経験をした学生達が写真展をやっているので、年末か1月に「わーく」編集部と連携して茅ヶ崎に写真展を開くことができないか、様子見をしにいったのだった。θ館の1F廊下に厳選された写真が展示されていた。しかしその目的はもうひとつあった。現地の環境整備と物資提供に閉じた活動にはまらない災害ボランティアとの仲間作りが必要だった。仮設の精神衛生的視点からの見守り活動支援などは、若い人にはピンとこないかもしれない。ならば、高校生の体験学習を実現する若手スタッフになってもらえないかと思ったことも正直言ってあったのだった。

写真は明らかにプロ・セミプロの撮影画像であり、それを引き受けて展示している風だった。実にいい表情をしている。被災とそれゆえにあらわれる人臭さ。とてもいい表情をとらえている。

陸前高田には、奇跡的に津波に耐えた海岸の松が、夕日の逆行にシルエットとなった松の輪郭が美しい。マスコミに紹介された有名な作品だ。しかし私は、こういうシンボル化した写真は好きになれない。

私の関心事は「ひと」だ。話は飛ぶが水墨画の山水のミクロコスモスを感じるのはなぜなのだろうと考えていたことがあった。そのとき絵の中に小さな人物が描かれていることに気がついた。もし、この絵が人物の書き込みのない風景画だったら、私は山水の芳しき大気を同様に感じ取れるだろうかと。私は無意識のうちに、この絵の中の人物に我が身を重ねていることに気がついた。

つまり私と絵の中の小さな人物は共鳴し、人物に身を置く想像力を媒介に、山水の大気が我が身に流れ込んでいたのだ。この仲介者の役割が、映像の中では大きな力を発揮する。写真の画像に写りこんだ人物の表情を仲介に、私は被災地の大気を嗅ぎとり、その中のひとの体温を感じ取っていた。スナップを通してこの回路を通す腕力がプロの眼、構成力の力だ。

そこにはある特定の見かたを強制するののではなく、鑑賞者を参加させるもの、自由な想像力を刺激し続けるものなのであって、シンボル化した特定のメッセージを鑑賞者に強要するものではない。昔、社会主義リアリズムがメディアをプロパガンタに落としこめた愚と同じ、鑑賞者の眼差しを奪い去る愚を反復していないこと、共感の膨らむ画像であることが感じ取れた。

気になることは、写真展を営む学生さん自身の雑音に満ちたスナップの群れが登場していないことだった。このことは後日、彼らと話し合ってみるつもりだが、営業写真の毒気との薄皮一枚の踏ん張りの部分が、営業写真に麻痺した心を突き抜けることを逆に遠ざけているようにも感じられる危険。鑑賞者の始めの深呼吸というか、お見合いのような気持ちがなければ流れ去ってしまう、初導の契機の仕掛け、トンと肩を押す仕掛けを彼らはどう考えているのだろう。

私はSFCの彼らに声をかけた。私の活動が大船渡・陸前高田であること。被災地と取り結ぶ企画の立ち上げという活動をしていること。そしてマスコミの眼差しから抜け落ちる被災者の日常や、社会的弱者・未成年の日々の営為にチューニングした活動を作りたいと思っていることを告げ、目的と連絡方法を明記した名刺を置いてきた。もしも縁があるなら、彼らと話したいと思っている。あえて私と話した**さんの所属や連絡方法を聞かなかった。私の活動に魅力を感じ取って連絡してくれることを心の中で念じていた。

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慶応大附属校の下校時刻に重なって、何台もバスを見送らなくてはならないほどに、バスは混んでいた。湘南台に出たものの、今夜は相模大野ではなくJR相模原だった。湘南台の某作業所に立ち寄って、震災被災地の作業所との連携に関心がないかと話をした。責任者を呼びますと困惑しているので、しんどくなって22日のチラシを渡して帰ってきた。

私のカバーしてきた分野が、災害ボランティアという括りになると、想定局面がやはり一般的ではなくなってしまう。いわゆる災害ボランティアという活動との交流が私の人脈には薄いのだ。市民活動センターを仲介しても、様々な領域の活動が、その一部分として災害ボランティアを行なっているために、それも私のように活動の片手間をはみ出している活動には、なかなか波長があわないのだ。

身軽な人は個人的に現地入りしている。非被災地にありながら、この地に皆もできるようなそれでいて的を射た活動を探っているのは、その活動が成り立てば、全国でも成り立つ。皆の出来ることを背景に持つことが大事というレトリック。これが市民活動の肝だと思っている。

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治験のあと市役所の議会、各関連部課にダメ押しのチラシをいれた、また記者クラブにも情報とチラシをいれた。

あとは寒川町の関係を入れればいいと思いつつ、しばらく町田でたまっていた生業の作業を喫茶でやっていた。

JR相模原の方は、間近に迫った高校卒業程度認定試験対策の相談に火がついていた。名にくつろいでいるのとはっぱをかけられて、巡回時間と嘘をついて教室をぬけだして、ある病院の外来の長いすに横になって、微妙なバランスで、仮眠をとってきた。足の調子がよくないからだった。

授業を終えて、携帯をみると**子の親御さんから留守電が入っていた。今夜は木下さんにメールを書くつもりだった。しかし、これで**子の親御さん宛のメールが、わりこむことになった。

謝金・交通費の件で電話が来たので、時間はあとわずか。母が帰りに買って帰った寿司折りがまずいことからはじまって、私の部屋を断捨離せよと文句が絶えない。木下さんの講演は、やっと枠組みが出来たところだ。

受付係が確保できない零細団体の悲しさ。明日、浜見平の親子を拝み倒してくるつもりだ。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)


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11/13 被災地障がい者作業所支援下準備に/シンポ「震災、つながる、川崎」に参加し/他

2011-11-16 04:42:30 | 引きこもり
2011/11/13 記
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12日の土曜日、CANPAN_PJの参加が出来なかったことで、陸前高田の作業所商品の販路見通しをつける作業は、改めて日本財団にお邪魔して○○さんに面会を求めることになったが、もうひとつ商品開発の件で、協力者を探すことは、すぐにでも動き出しておかなくてはならなかった。**子の件で、大森に出た際、初期の塾生大森君(仮名)に連絡を取っていた。

今回は調理師の協力が必要だった。しかし彼の実家の関係をしても、中華と洋食の距離は大きく、求める方との接点を見出すことは出来なかった。被災地の作業所と湘南の作業所との連携を生むための企画を支える実現可能性を高めるには、商品化と販路見通しのアウトラインを固める必要があった。「商品化」については、この企画が障がい者の社会的企業として成立するように、作業分析も踏まえる必要があった。この点は従来の作業所で実例のあるスキルで、経験が必要な巧緻作業は回避できる見通しがあった。それだけに試作品を携えて作業所と交渉できるような品質と経営見通しが欲しかった。

大森君とは、以前、就労支援拠点喫茶の個性化の軽食「粥」に「煎餅」を利用するプランを共に立てながら、商品開発途中の喫茶助成のルートが壊れる苦い経験があった。商品開発には恐ろしいほどの時間が必要だった。今回のことについても大森君からは、時期をショートカットするためには、プロの助言が必要という指摘があり、私も同感だった。今は東海新報さんの講演を成功させることが第一だが、「命の旗」と、この「作業所連携」は年内に手がかりを見つけ出したかった。大森君の親御さんらの「塾の先生が何か苦しんでいるようだ」と話していたというお話はありがたかったが、今回の求めるものは、ちょっと特殊すぎていた。

**子の件を終わらせてから、大森君の親御さんのお店で彼を交えて少し話をした。母からの孤食抗議の電話に中断されてしまったが、同業者ルートをたどるには、新規開拓が必要だという結果が出てきてしまった。先方を延々と待たせるわけにもいかない。年内が一応の区切りになるだろう。

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東海新報・講師木下さんの講演会の人員確保は、やっと様子が分かってきた。

県立鶴嶺高の「ボランティア塾」は、昨年の分科会の人数偏重を是正した結果、凹凸を減らし、私たちの講演会は25名の生徒さんを対象に話し合うことになった。遠方から来ていただくのに確かに話し合い易くはなるが、やはりあんまりだろうと思う。初期の段階で学校の先生方と直接話さなかったことが原因だが、ならば印象深い会にしていきたいと思う。

木下さんも気持ちよく話していただけるように、あれこれと策を練っている。木下さんの話題の得意分野を軸に、Q&A形式を途中で入れ込もうと思っている。群大の片田敏孝氏の資料をほのぼのビーチのシンポの際いただいたが、その中で小中学生に、被災時の行動を問うアンケートを仕掛けている部分があって、高校生の場合、親に連絡してという発想は無くなるだろうが、どうするだろうかという問いかけや、避難生活の中で彼らがどうするかその辺を聞いてみようと思う。木下さんからは、高田高校を初めとした事例や、突然家族を失うという事についての話題は織り込まれるものと想定して、運営のイメージを描き始めている。

このブログを書き終えたら、木下さんの語りたい分野と場面のお話をメールしていただいて、私のイメージの軌道修正を図りたいと思っている。

気仙地方の位置を示す地図・陸前高田の全体図・同中心部地図・大船渡の全体図・同中心部地図のスライドを作った。PPを持っていないので、Star Suite Impressだが、PPも読み込める。後は東海新報社の取材写真を使っていただくが、最低必要限の資料は出来たと思う。おっさんふたりの仕掛人が行なう授業である。彼らに成しうることが提案できたらいいと思うが、逆に現状を語り、今何をなしうるか手伝って考えてもらうのも手だと思っている。

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13時から、川崎・溝の口の川崎市立養護学校で行なわれたシンポジウム「震災、つながる、川崎」に参加してきた。釜石の豊心会の方や、山田町田の浜の被災者の方々の実情レポートがあり、障がい者の被災フォローの話が織り込まれていた。実情を実体験から語ると、突然台風の目のようなあっけらかんとした場面が登場する。私たちが想像する災害の状況には織り込まれない体験の多様性につながる部分だが、その体験談に共感し、多様な場面を統合する想像力が私たちにあるか、そのようなことを感じさせる話だった。特に岩手船越東部は津波が押し寄せ、半島部が島になってしまう猛威を浴びたところだ。

若い子には文化生活が一転して原始的な生活に変わったことの衝撃を語っていたが、年配者には生活自身は食料の乏しいキャンプ生活のように見えただろう。それ以上に、家族の死亡崩壊と将来像の崩壊のことの方が大きなことに感じるだろう。しかしそれは、若い子には家族が陥った生活破壊も同等の異様さを持っていると見るべきだろう。

私はいくつかの目的を持って、ここに参加していた。ひとつは釜石の豊心会さんとつながること。(藤原伸哉さん:社会福祉法人豊心会 釜石・大槌地域指定相談支援事業所「トーク」相談支援専門員)これは一応接点は出来た。次に「障がい者の作業所連携」関連の情報取得。これは今回のシンポが川崎の障がい者の防災計画を紹介することに重きを置いているために、被災から教訓を得ようとしていた。そのために東北の被災障がい者支援の話題は物足らなかった。ましてや施設・作業所の実情まで降りていく話は期待からはずれていた。

川上賢太さん(川崎市健康福祉局精神保健福祉センター)の川崎の障がい者防災の話は、もっと時間をかけて聞きたかった。この方は茅ヶ崎・寒川の障がい者連絡会の講演会のような場で、招待すべきだろう。今回は時間に追われダイジェスト版にもならなかった。残念である。

この時間に追われている状態は、最期のバズセッションにも影響していた。10名弱でひとつのグループを作って輪座討論するのだが、時間は25分。これでは自己紹介だけで終わってしまう。私は「仮設入居独居・高齢者」重点の「見守り支援の支援」、と「カーシェアリング」(仮設から外に乗り合い誘導)の提案をしたのだが、他の方を食ってしまったようで、気になっている。

最期の目的の協力者の発見。これは陸前高田・釜石に現地入りしている年配の方がひとりだけだった。全体が40名弱。主催関係者が大半だったのではないか。木下さんの講演会も人員確保は、気を緩めてはいけない。

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木下さんの午後からの大人向け講演会に、関心を示してくれたのは、「市生活支援課」「障害福祉課」「防災対策課」「茅ヶ崎保健福祉センター」等の行政関係者が中心だった。課のお墨付き貰って会に来てください。茅ヶ崎市の後援企画なのですから。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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