湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

ぱれいしあさんから、コメントをいただきました

2004-08-31 04:01:14 | フリースクール
ぱれいしあさんとSOFの実践はスタンスが違うということが
ありますが、ぱれいしあさんのご主張に反対しているわけ
でもありません。リンク、もちろん歓迎です。

ただブログのリンクの部分は、実はもっと紹介したいとこ
ろを削って現在の最小限の状態になっているので、リンク
をSOF-HPの項目の中に設けて、載せられなかった方々を
紹介しようと考えていたところでしたので、さしつかえな
ければ、そちらで9月に入ってからというのはいかがで
しょうか。

というのは、この日誌は学びの世界の入口集の話題に
話を焦点化しておきたいのです。もちろん時々脱線します。
時間のゆとりがとれれば、もうひとつブログかメルマガを
と考えているのですが、もちろんそのときは、ぱれいしあ
さんのHPの紹介をしたいと考えています。

皆さんもぱれいしあさんのトラックバックをご覧下さい。

ここで紹介している木幡さんや丸山さんは、いつもお世話に
なっている方々です。それで限定、増やしません。

皆さんもリンクはHPの方につくるということで、ご理解
下さい。

---

ところでぱれいしあさん、

「子どもはフリースクールを求めても親が学校外教育を
 授ける義務を怠ることもある」

とのお話、まなびのイメージが知識伝授型の旧来の「学校」
の発想から離れることが出来ない、常識の狭さを感じませ
んか。逆に引きこもっている方が、フリースクールを敬遠
する場合もあります。従来の序列化した学校へのプライド
に縛られてしまっている場合もあります。

だからもっとまなびの世界の広がりをリアルに示す必要が
あると思います。

しかし体験は案外、他の方にも通底していることが多い
ものです。もう少し語っていただけたら、知識とまなび
のことも浮かび上がってくるのではないでしょうか。

その辺をトラックバックしてくだされば、皆さんの
共有財産にもなると思うのですが、いかがですか。



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ぱれいしあさん、リンクありがとうございます

2004-08-30 02:59:50 | フリースクール
私の拙い文章を読んでくださったのですね。感謝。

ぱれいしあさんのメッセージを拝見しました。
正直言って困ったなあという感じです。
時には大なたを振るわなければ切れないものは、あります。
そして特定の場面では、それをなさねばならないときも
あります。しかし私は今料理を作り始めているので
大なたで料理をするわけにはいきません。
また、大なたで世界を切ってくださってる方も
いらっしゃることは、社会がまんざら捨てたものでは
ないとも思います。

成田の合宿大会の全体講演で、内田良子さんが語った
ことは、ある地域について真実であり、他の地域につ
いては一概に言えないことを全国の話として語ってい
ました。しかしその話題に引き込む内田さんの予見と
いうようなものがあり、10年前に切れた方だなと
思っていたことが、10年たって同じことを語られて
しまうと、やはり時代をアクチュアルにとらえること
に失敗しているように思えてなりませんでした。同僚
のスクールカウンセラー擁護論が出たときは、さすが
にため息がでました。

今、不登校・引きこもりの運動は次のスタイルを求め
て生みの苦しみをしています。学校を創る、ではその
内容は、なにをどう?そういう話は流れの隅に押しや
られているようです。

私のやるべき仕事は、この数十年くりかえしてきたプ
ロパガンタを繰り返す方式から一歩引いて、世界を
見直すことから始めています。それが私の見えない
戦です。そこにまずは力を注ぎます。

私の住んでいる湘南にはいろいろな市民運動があり
ます。その中には同じ教育畑の運動もあります。
ただその中でさえ、「師弟愛」とか「善導」という
ことを求める方もいて、それは私には化石のように
しか見えないのですが、当人はそれが現状打破の道
と信じて疑いません。

信じられないことが、新旧織り交ぜて進行している
のです。ですから私は私の腕の届く範囲の子どもと
の付き合いから、針の穴から世界を覘くような、再
構成の仕事からはじめていこうと思います。個別具
体的な質に埋もれることなく、個別具体的な質から
離れないで世界を覘く仕事をしたい。ことの立て方
が違うのだとご理解ください。

また、私の日誌の言葉は教育改革をまさぐる方に向
けて書いていますが、ときには混同してヒント集も
厄介な硬い表現を使ってしまうことがあります。が
提言で実際に想定している層は、高校生から逆に
中学生に向けています。やってみるとわかりますが
結構幅広い年齢層の方に、それぞれの関心が広がる
世界を紹介しているつもりです。

大学生ならば、ある程度、自分でテーマをみつけら
ますしね。余計なお世話になってしまうでしょう。
まあ、中高生の方もそう思っているかもしれません
が。

成田の集まりのなかで、小児科医の森英俊さんが
語っておられましたが、

「世間に流されず、自分を見つめなおして、自分の
人生について考え直してみることは誰にとっても大
切なことです。そして、自由な空間もたいていの場
合飽きてくるものです。そのとき、何かを好きにな
る、誰かとつながる、というプロセスの中で、人間
は生きる道を見出すことができるのではないか」

と大会パンフレットにあるとおり、私もその「次」
が欲しくなった方への誘いを書いているのです。
森さんとは、もう少し話してみたかったのですが、
時間切れ、残念でした。

ぱれいしあさん、大学つくりがんばって(この表現
好きじゃないんですが)下さい。
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登校拒否を考える夏の全国合宿2004 in 成田 から帰ってきました

2004-08-29 04:06:26 | 不登校
終電で帰宅しました。敷地の中に孤立したようなホテル
だったために、高いカレーライスを食べさせられました。

平塚の「のびのび」さんと合流。
小児科医の森英俊を囲んであれこれ話してきました。

ばてました。詳細は昼過ぎに。

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今回はお休みです

2004-08-28 05:28:23 | 不登校
配布資料やら、追っ付け仕事やらでパス。

成蹊大のLD学会を終えたら、登校拒否を考える
全国ネットワークの成田合宿に参加してきます。

新ネタがあるでしょうかね。
一昨日の川崎の講演会はちらちらと面白い話が
ありましたが、それもあとで…。

では。
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学校外でまなぶ子にとって憂鬱な時期が

2004-08-26 04:10:31 | 不登校
不登校(選択登校)をしている子には息苦しい時期が始まっています。9月から学校に出てこないかというクラス担任の働きかけが有形無形に行われたり、皆と違う行動をとることの重圧が彼ら自らが心身を縛ってしまいます。

昨日は「子どもサポート・あねもね」の「TOTOドロノワ倶楽部陶芸ワークショップ」が10時からあり、SOFも参加しているので会場に出かけました。当事者の欠席が目立ちました。毎年繰り返される憂鬱な時期です。

YMCA高等学院(藤沢)の先生方と来週早々に話し合うことになりました。11/28の湘南子どもフォーラム・文化祭への参加招請の件です。Mさんが正式版企画書を仕上げてくれたので、さっそく動き出すことにしたのです。

明日(今日)は9時半から発達性ディスレキシア研が川崎で、あります。明後日からのLD学会のプレ・イベントなのですが、こちらは臨床精神医学系の方に混じって教員が参加します。ここで、県下の知人と会えるので、参加がてら子どもフォーラムの話をCMしてきます。

翌日はLD学会が成蹊大であります。ここは親の会参加が結構あります。その翌日が東京シューレ・学校外でまなぶ子の会の全国合宿が成田であります。たて続いてイベントが詰まっているので、この期間、教材紹介のピッチが落ちますが、お許しを。会の様子を書き込むかもしれません。

学校外の学びのデザインをどう形作っていくか、ともかく走ってみるというところからSOFは始まっています。オンラインの協力者を待っています。SOFの掲示板に書き込んでください。

湘南オンラインフレネHP

今回は、これで。

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タイムアウトでした

2004-08-25 05:11:24 | 不登校
--- ヒント集だけ終わったのですが…日誌の方の解説は間に合いませんでした。すみません。
☆自主学習のヒント集「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(下)」☆

YMCA高等学院の方は、水曜日に時間調整取り直しとなりました。出会いの話が生まれるといいのですが。

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YMCA高等学院(藤沢)にお邪魔します

2004-08-23 04:46:08 | 不登校
 昨日は日曜日+17時+夏休み中?ということで、果たして接点がもてるかと心配でしたが、YMCA高等学院の関係の方とお会いすることが出来ました。八洲学園高等学校の技能連携校なんですね。

 私が関係しているLD・ADHD児・者の実践の関係で、明学の緒方さんの講演会が昔ここでありまして、藤沢もYMCA内の活動があるのだなと気になっていました。不登校や学習困難な人たちももう一度自分の学びに向かうことの出来る場として、高等学院の形で実践が実を結んだのでしょう。

 明日、アポをとって、関係者の方に会います。学校の総合学習的な関わりや、部活の形で祭実行委に参加できないかと勧誘です。

 後期夏期講習の始まる前に、少し地域を回っておこうと思っているのです。うまく話が成り立つといいんですが…。

 今、資料作りに追われています。それを持ち込もうと思っているのです。

 このブログをご覧になっている方で、子ども支援関係の湘南地域団体をご存知でしたら、下記のHPから掲示板に行って、教えてくださいませんか。

☆SOF-HP☆(学習の掲示板へ)

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8/21湘南子どもフォーラム・文化祭世話人会レポート

2004-08-22 05:27:43 | 活動理論
11月28日、茅ヶ崎駅前エメロード商店街で行われる子ども支援団体の交流イベントがまた一歩具体的になりました。

・企画書正式版の校正
・行政後援交渉開始
・企画名決定>「湘南子どもフォーラム・文化祭」
・メインタイトル決定>「子ども支援の連携に向けて~何か面白いこと出来ないか?~」
・正規参加確認団体名>子どもサポート・あねもね(呼びかけ団体)/ヒューマン・スタジオ/フリースペースのびのび/コロンブスアカデミー/湘南オンラインフレネ
(9月はじめに会合を開いて正式参加を検討中、実行委世話人会が未確認な団体は7団体あります。まだまだ膨らみます。)

次回は
9/18(土)13時半~茅ヶ崎市勤労福祉会館B会議室にて、「第二回実行委」。この回から子どもさんが自主参加します。

細かい動きはSOF掲示板やMLでご覧下さい。
MLは基本的に参加者によって構成されています。
問い合わせはSOFへ。

tobita@mbm.nifty.com (@は半角に直してください。)

以上
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今回は小休止

2004-08-21 05:09:29 | 不登校
土曜日21日が湘南子どもフォーラム祭の世話人会だ。
PCがちょっとトラぶって、資料の書き直しをしているのだ。
明日をお楽しみに。

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「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(中)」を載せました

2004-08-20 05:58:55 | フリースクール
--- 今回も、ここの話から広げています。「独学から始める困難を超える」話。

☆自主学習のヒント集「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(中)」☆


 まず自分の関心から学びを始めた場合、学校の授業よりも様々な困難にぶつかるために、なかなか持続できない。その学びの構造の大きな差は、「自ら道を探れねばならないこと」だ。手探りで進む道は、充実と背中合わせに頓挫(挫折とはいわない)が貼りついている。

 ここでは、無理して突っ込んでも実がないということも一面の真実であって、さっさと白旗を揚げて、別のことに移るというのも手なのだ。わかり方は、フロー・チャートのように一筋縄でいかないし、基本と応用ということ自身が怪しい。別のことをやっていて突然、突き当たっていた壁が崩れることがある。系統性にこだわるとろくなことがない。それは知識がそのような構造になっていないからだが、かといって三日坊主の汚名を着せられては、これまたしんどい思いをせねばならない。

 そこでひとつのテーマで始めた学びが壁にぶつかるまでを、たどりなおしてみると、入門書やマスコミから刺激を受けたり日常の疑問からスタートした場合も、「決定的にひとりだ」という当然の限界にぶつかるのだ。この「ひとり」というのが曲者で、視点が動かないために立ち尽くしてしまうのだ。

 ところが社会はうまくできているもので、知識は必ずそれを支えている人がいるのだ。その人たちと関係を結ぶと視点が動いてくる。他者の視点が自分の発想をずらしてくれるのだ。ではその人たちの知識と出会うには、どうしたらいいのだろうか。学校の授業では、こんなことは考えないでもよかった。

 学校以外の接点は、果たしてあるのだろうか。これは親も未経験のことが多いから、アドバイスもできない。しかしひとつは社会教育の窓口がある。地域図書館とリファレンス・サービス、博物館・美術館などの社会施設と学芸員の方々への質問、インターネット上の関連HP主催者へのアクセス、著者への問い合わせなどこれだけでもかなりヒントが得られる。しかしこれらは仲介者や大人の随伴者がいたほうがいい場合も多い。

 僕のやや下の世代に高野生さんというひとがいる。学校をやめてから、スワヒリ語を身につけようと、単身アフリカに赴く。「僕の学校はアフリカにあった」(朝日文庫)を読むと彼の熱気が伝わってくる。

 しかし願いがこうダイレクトな場合はともかく自分で研究(学び)を始めてみて疑問がわいたとき、それをどう解きほぐしたらいいかという場面になると、どこにどうアクセスしたらいいものか、そのこと自体がわからなくなる。このとき、やっと僕のような仲介者が意味を持ってくる。

 まずは自分に完結せずに「人と出会い、その対話を通じて道を開いていくこと」を戦略化するのだ。学びの集団(学校とはいわない)に飛び込めれば、さらに大きな転換も期待できる。

 つぎに押さえておきたいのは、本文に書いた「自分のホームグラウンドつくり」ということだ。「本を読んで触発されて学びたいと思った。しかし、どこから、どのように?」この後者が厄介なのにその情報がないのだ。これも大事なこと。

 質問される側にたてば、学校外で学ぶものは何者なのかがわからない。どんなに未熟であろうとも、自分の歩んできた道を示さなければ、相手がわからないから、答えようがない。その自らが歩んできた道が形にならなければならない。

 これらは独学から始めた者が否応なしに抱え込まなければならない矛盾だ。しかしそれを上回るだけの知識の価値が出てくる。それは「自分で掴んだもの」という価値だ。だから僕はこうして、君にメッセージを書いているのだ。


  (参考)「僕の学校はアフリカにあった
       ~15歳,マイナスからの旅立ち~」
       高野生・著/朝日文庫 た19-1
       ISBN:4-02-260665-7 '91/10

       鎌倉市腰越図書館    2000013249
       鎌倉市深沢図書館    3001108871
       藤沢市民図書館総合館 0000621813
       茅ヶ崎市立図書館本館 0110681244

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「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~」番外編

2004-08-18 05:31:47 | フリースクール
 横須賀自然・人文博物館の大場信義さんの「ホタルの木」を読んだ。ホタルのイメージがどんどん拡張されていく。この世界の広がりは関心のある子には魅力的な広がりだろう。昆虫採集で生計はたてられない。しかし仕事は食うためのものにくくられないのだ。どこかに自分の世界を拡げている者は、そこに網の目のような知のつながりをみるだろう。そこが見落とされて生業を追う「必要の学問」に矮小化すれば、結局は生業の魅力も風化していく。

 せっかく湘南にはホタルの生息地があるのだから、そこを家で学ぶ子たちの自然観察のホームグラウンドとして利用できないかと思う。

 今までは「ホタルが教えてくれたこと」や「日本列島ダニさがし」などが知の入口を指し示してくれたような知識は、結局は、常にシャボン玉のように宙に消えてしまっていた。「では具体的に自分が『どこで』『どのように』はじめていけばいいのか」という情報がつかめなかったからだ。加えてホタルは夜の外出、ダニは昼夜電球つけっぱなしの装置(ツルグレン装置)が必要になる。親の理解がなくては成り立たないものだ。それだけに親にも説得的な構想が語られなくてはならない。この部分の経験を媒介する仕事が必要だと思う。

 自然科学は初学者を抱える懐は深い。ただ、前述したような意味で研究者と初学者を結ぶ架け橋のような仕事がいる。同時に初学者は職業研究者にならずとも、自分なりの活動とネットワークがもてる様な誘いが必要だ。その辺に僕や、同好のHPを出すネットワーカーたちの出番がある。これは自分なりの学びの出発点でもある。

 学校という固定したシステムだけが、学びの場ではない。しかし専門性という意味で、僕は学校を否定しない。そこ以外に学びがないような馬車馬的言説に反対するだけだ。
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学びの転換は歯切れが悪いが、着実に進んでいる 他

2004-08-18 05:29:56 | 社会的企業
 一昨日、J.V.Wertschの講演会に行ってきた。媒介された行為をめぐる彼の著書の概要を語るものだったために、真新しい論議はなかったが、それでも質疑応答のユーモア溢れる比喩交じりの応答は現在進行形の新鮮さを見せていた。

 学びを頭脳という穴あきバケツに知識を流し込むモデル、能力を脳に内在する効率的な入出力可能状態とするようなモデルで語る学習観は幕引きの時代になってきたようだ。

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 9月下旬に川崎の生田緑地にある岡本太郎美術館を使って、アメリア・アレナスが試みた子どもとの美術批評対話を試みる。アレナスのような美術の素養は全くないが、この間、箱根彫刻の森美術館で試みた子ども対話を、親子素人批評の形で整理してみようと思う。詳細は後日。近くに粘土造形工房が借りられるといいのだが。招請状原案を仕上げた。9月はじめに公開する。

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 メールマガジンを出せないものかと思案中。ヒューマン・スタジオの丸山さんの「ごかいの部屋」「青少年支援セミナー」のようにきっちりかければいいのだが、僕は思いつきで書きたい性格なので、不定期で書いていけないかと思う。

 「ヒント集」「日誌(BLOG)」「掲示板」の役割分担を考えると、「行事企画の連絡マガジン」+「落書き」あたりになりそうだ。本当はあれこれ書きたいが、垂れ流しは良くないだろう。携帯用の短いメルマガを、回数だそうかとも考えている。

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「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(中)」ができた。今、この解説を書いている。
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「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(上)」を載せました

2004-08-15 05:54:31 | フリースクール
--- 今回も、ここの話から広げています。「伝記へのしらけ」の話。

☆自主学習のヒント集「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(上)」☆


 僕は昔からもともと伝記というものに懐疑的だから余計感じるのかもしれないが、子どもが大人に習うということはどういう力が働いているのだろうかと気になる。例えば歌舞伎役者の息子が役者を受け継ぐというような例が、サラリーマン技術者の家庭の子が親の仕事を継ぐという場合とは様相がだいぶ違うように思う。まあ極端な例を出したのだが、選挙前にばらまかれる立候補者の立志伝の本のいかがわしさと同質のものを伝記なるものに感じるのだ。

 伝記はその人間の「社会的貢献をした仕事」がどのように生み出されたか跡付けたものだが、それが個人の内的な決定によって選択され実現したという発想に裏付けられている。その仕事が社会的な関係の中に成り立っていることには無頓着な書き方をされる。その仕事は幼少のころから受け皿が準備され育まれていて、やがて出会いの契機によって選択された生き方が偉大な仕事であったという書き方だ。

 「親の背中を子は見て育つ」ならぬ「大人の背中を子は見て育つ」という経験則がそこに埋め込まれている。試しに自分を含む身近な人々の伝記を書いてみるとわかるが、偉人伝のような「一貫した意思の存在」というものが希薄なのがわかる。むしろ二転三転しながら今の自分を築いている。そこが偉人との違いなのだよという論理は眉つばだと思う。ある物事の成り立ちを因果律によって整理する方法は常に怪しい。そこに主観性というか読者操作を感じるのだ。「書く」こと自身そこに働きかけがあるのだが、伝記は「粉飾されている」それが嫌だという意味だ。

 僕ら団塊の世代の尻尾は、やはり伝記を読まされた。なるほど興奮した人物はいたが、ヘレンケラーでは接点をもつことも難しい。人間の精神の偉大さと自分の生涯とは関係があっても、即つながるものでもない。

 こういう不確かさが覆い隠されて、型はめが準備されても、そこからはずれる私は至らなさの汚名を着せられてしまう。受験と選別というシステムとの格闘の結果として残された選択肢の延長上からしか仕事が語られないのは変だ。法律畑の人間が突然ミュージッシャンになっても一向にかまわない。とするなら偉人の幼少期はいったい何なのだろう。

 伝記の中の人生訓を全否定するつもりはないのだが、こういう立志伝がしらけもせずに通じていたのは、その背後に自分を押し上げていく社会の流れがあったように思う。人生訓が異様にしらけて感じるのは、所詮こんなところという受験選別の出来レースが見えているし、不確かさが覆いかぶさってきているからだろうけれど、別の道があることに気づき始めているということもできるように思う。

 自分から手ごたえと面白さを蓄えていく道だ。ここで欲しい情報は、その分野の面白さと可能性の世界だし、そこそこその社会にはまっていける予感だろう。それも単線型にしぼる必要もない世界だ。なぜなら自分を一枚の名刺に押し込まずとも、複数種の名刺をもってもいいからだ。ボランティアや私生活の顔もあるはずだし、複数の顔を持つ私を語る伝記はどうも格好がつかないだろう。

 今回僕は2冊の本を提供した。本文で指摘した「椅子に縛り付けられた」存在から、関わりながら自己変革を行う存在へと子ども観をシフトしていくことの重要性をまずはじめに書いた。「ダニ」と「ホタル」というマイナーな世界の面白さをこれから続編で書いていくが、この構想とて実は男の論理なのである。それの境界論議をいま思案している。

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墓参から帰宅したところです、流星群観察MLは

2004-08-14 02:32:12 | フリースクール
僕の古い友人と、僕が教えている子だけがML参加者。
ちょっとがっかりでした。あとはSFC(慶応大学湘南
キャンバス)の
辺で観察をされている桜井さん?からメールがあり
ました。桜井さん、ありがとうございました。

失敗ですが、恒例化への道をさぐります。
では。

    
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**24時間ML開始/いえにいる君へ 庭に出てペルセウス座流星群を見よう**

2004-08-12 12:14:24 | 引きこもり
 ●毎年恒例のペルセウス座流星群の観察をやりましょう。市街地の明るい空では発見個数は減りますが、今年は月の状態もよく、20時過ぎから明け方までの間に発見が期待できます。

 ●今回は初めて24時間MLを開きました。携帯からのやりとりを保障するために、いちおう500字位までのメールを交換しましょう。

 ●以下のアドレスに参加希望の方は、登録申請メールを出してください。

    □MLの名称
     2004.8自分の空を眺めよう

   申請先: tobita@mbm.nifty.com

   1)ご希望のハンドル名
   2)登録希望のメールアドレス
   3)在住市町村名

 可能ならば

   4)お名前
   5)年齢

 をお知らせください。およそ2時間おきぐらいにチェックをいれて登録します。

 ●「ご招待」のメールが届きますので、本文中のURLに応答すると登録が完了します。

 ●なお、マナーの悪い方は、強制削除しますのでご了解ください。



--- よい出会いの契機になりることを期待しています。

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