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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/30 まとまりがつかず、失礼。

2015-12-31 05:48:21 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/30 記
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母が美容室に行くのだというので押し出した。下手をすると丸一日、大掃除で潰されかねないからだ。最低限やらなければならないことを済ませて、PCにしがみついた。今までなら冬期講習の騒動の中にいた。家にいるから使われるなどと勝手なことを考えながら、近場で買い物を済ませ、カレンダーを張り替えた。あとは屋根の上に登って天窓を外側から拭いた。これで一段落と、PCを持ち出してきたのだ。

東京南部の塾卒業生・古参の集まりが毎年新年に有った。定年退職後、軽度障がい者の社会的企業について、何らかの企てを始めると言っていたが、3.11発災で話が中断していたからだった。私が災害時要援護者ケア支援の活動にシフトしたため、どうしたのかと問われていた。収入が減ったが、定年によって半分仕事が減った。それをいかに生かして、経済的にも持続できる関わりを手探りしている最中なので、出席しにくかった。

一方、JR相模原の方の塾生や卒業生たちが、教室で1/4彼らが集まるので、来ないかと誘われていたが、災害ボランティアの医療・生活福祉ケアの活動の協力者を得るチャンスでもあり、プレゼンをやらせてもらえたらという下心があったため「わーくNo.61」の誌面づくりの見通しが立てば、覘きにいってみようと思う。彼らは大晦日から元日にかけて、高尾山に行っている。それ次第で新年会予定も変化する。

あと19時時間で2016年である。不満そうなTV漬けの母の横で、PC編集をやっている年越しになりそうだ。

次回の書き込みは、昨日の話の「つづき」だ。私は若い路上生活者の方、特に路上にはみ出して間もなさそうな青年、いわゆる「ニート」の実情をもっと知りたかった。特に「ニート」である。路上に出てくる「ニート」は、経済基盤が崩壊している例が多く、彼の身の転落が、親からの貧困の連鎖があったかなど、それとなくききだしていくのだった。

貧困がどのような壁をうみだしてきたか、また彼にとって学校の授業とはと誘導的だが質問していたのだった。

前回の続きは次回にて。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

 

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12/29 路上生活者へのお歳暮として/「貧困」と「学び」について私見(1)

2015-12-30 06:23:56 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/29 記
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茅ヶ崎の路上生活者は、一時期、駅の南口にかたまっていたが、行政の方針から施設や生活保護枠で、賃貸アパート入居が進み、ある地域の集合バラックを除くと、目立たなくなった。そういう理由で、毎年続けてきたホカロンの配布の相手が減っている。今回は既に居場所が分かっている古参の路上生活者に配ってきた。残りは大晦日、横浜寿町の炊き出しの様子を見てくるだけとなった。以前は分けてもらった山北みかん5kgを、持ち込んでいたのだが、仲介者が引退することで、持ち込みもできなくなっていた。今年は中止。釈然としないが、家にいる。

3.11発災以前から、ビッグイシュー誌販売や、若い方の簡易路上生活相談を通して既存支援団体への仲介をやっていた。それにはわけがあった。昔、私は「学ぶ」ということについて、その行為自身を「貧困から抜け出し身を立てるための正しい道」という古い教育活動の価値観に違和感を感じていた。それは1970代に頂点に上り詰める進学競争下の学びの偏りや、「基礎から発展へ」という迷信と痩せた学びへの違和感があった。いわゆるニート化の事情をつかむという伏線を含んでいた。勿論、彼の困難を切り抜ける手立ては、おこなってきた。

「学び」について、教育の中身・質を問わず正とする発想が正しいのか、アン・サリバンがヘレン・ケラーに提供した学びは、感覚から知のネットワーキングを構築したことであって、積み木のようなモデルではないだろう。その過程は多様で共同的なものであっただろう。

また象徴的な物言いになるが、英語を学び始めたとき、Youのように、単複同形のものがある。「あなた」と「あなたたち」は違うのに、なぜ英語はいい加減にするのかという生徒が出てくる。それに対し、「そうなっているのだから、覚えなさい、暗記は基礎です」というのは変だ。異文化ということや、異なる価値観あら眺めたときに見えてくるものを、通じそうな範囲で語ること、わかる範囲の世界を紹介すること、こういう過程が学びではないか。

「分かる者が分からぬ者を諭して行くのが教育」というのは間違いだろうという疑問がある。その一方で学歴社会という社会階層のパスポートのようにして、振り分けようとする社会への疑念があった。

また私は病弱学級との境を歩いてきた経過があるために、体育実技が出来なかった。ところが当時、私の学級には不思議な子がいた。必ず聞き違いをする子、学校から外に出ると特定の友達なら話せるがかたくなに口を閉ざして、ひと言も言葉を発しない子、アトピーのひどい皮膚喘息といわれた子、理由もないのに手が汗ばんでいて臭いといわれる子、居眠りのふりをしているのに、授業は完璧に出来る子。立ち歩き耳に手をあててはねる癖のある子など実に多彩な小学校だった。今になってみれば、家庭環境や貧困、差別、障がいなどの困難を抱えた子が学級や学年にいた。出発点から走行コースの条件までそれぞれ違うことが当たり前だった。私は春と秋に体調が悪化して短期入院をしたりして、授業がぶつぶつに切れていたが、座学の遅れはなかったし、これは高校に至るまで上位をキープしていた。私がだめだったのは、体育実技と咳き込むための歌唱。進学時ハンデとなったが、掌が臭いといわれた子は、授業時解答をすると、正誤を問わすいじめられたり、テスト解答用紙は破られたり、通知表を隠されたりしており、私が正義の味方ではないがガードし、代わりに散々暴行をうけてきた。その子は東京有数のの出身者であり、母子家庭の子だった。そういう誰も助けに入らない地獄は、幼いときから身に染みてきた。

父の職業柄、その後は私学進学校や、公立校、極端な進学校と渡り歩いてきたが、進学校にはそういう事情がある子と出会うことがなかったし、公立校の低学力のレッテルを貼られていた子の大半は自営業者の子たちで、この歳になってみれば、私などよりよっぽど収入が多く、社会で活躍している。私達は「学び」につまらぬ偏見を持っていると考え、それをフリースクールの場に展開してきた。

しかし、最近格差社会の拡大を背景に、子どもの貧困が問題となり、貧困脱出の鍵としての「学び礼賛」が復活。私の世代が問いただしてきた「学びの質」の問いは再び地下に隠れてしまった。「貧困」というものごとに対する解決策が「学ぶ機会の保証」という切り口だけで見ると、見誤るという気持ちが私の中にある。

(つづく)


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

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12/28 高齢者ケアに関わる従兄弟と外食しつつ

2015-12-29 05:41:55 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/28 記
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母のリハの今年最期の日。鍵を開けておかないと、母が家に入れないが、時間通り帰宅せず、よりよって携帯電話も充電器に置き忘れたままという事態で、辻堂駅北口の生協合流に約束していた従兄弟と会えないアクシデント。従兄弟は高齢者宅配に関係している。ゴリゴリの某党支持者なのだが、排他的ではないので、亡き父のケアの際、藤沢側の高齢者施設の利用法を聞いていた。今年の父の命日のとき、お花代をもらったので、母を引き込んで外食する話になっていた。

母は近くの医者に薬をもらいに立ち寄っていた。今年最期だからということしか頭になく、外食話は忘れていたというのが真相。母は疲れたから外食は嫌だと言い出し、ともあれ従兄弟と会おうということで、母を残して辻堂に出かけた。

メールの行き違いで合流がなかなかできず、1時間遅刻で合流した。なんと藤沢市議の**さんがそこにいて、懇話会の話などたしなめられるような雰囲気で、大戸屋で食事をし、母に弁当をテイクアウトしてもらった。

九条の会に参加しないかと誘われたが断わった。路線とかそういう内容の話ではなく、数十年前、私塾と予備校の講師をしていた頃、私は政治活動や識字や夜間中学などに関わっていた。その結果、次々と変わる政治課題をこなして行く人材確保の場に教育や塾活動が狩場のような使われ方があって、猛反対して何団体とも対立した経過があった。ひとつひとつの政治課題は大切だったが、そのころ既に何十年も流されてきた経過があって、もう沢山だという気持ちから、首を突っ込んでいた団体からも離脱した。九条の会が悪いのではなく、そういう香りのする人種と距離をとりたかったのだ。足跡のひとつ残らない世界に生きたくないという心情だった。

従兄弟と市議さんには丁重にお断りしたが、政治対立を持ち込むつもりもないことも、相手は驚いていたが、伝えておいた。私は親方日の丸、組織の威光を担ぐつもりはない。それゆえの孤立なら、それを引き受ける。そういうことなのだ。政党に限らない、会社・組織の代弁者にはならない。支持協力はしても私は私、ひたすら、いい仕事をしたいと願うばかりだ。

家に戻ると母が食事を済ませていた。鼻息が荒い、外食嫌と言ったのがそんなに悪いかと、こてんぱんに叱られて、土産の弁当は私が食うことに。携帯で弁当の件を連絡してあったのだが、いやなものは嫌だと拒否されていたのだ。糖尿病どこへやら、二食食べることに。---- だから高齢者支援活動はしんどいのだ。

どうも冬期講習がないと、調子が変だ。橋本の方も先方が里帰りする。三賀日過ぎまで身動きがとれない。「懇話会ニュース/レポート号」と「『わーく』OnlinePicUp No.61」を仕上げることにする。

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和風煮豚を作った。母の味は洋風だが、「つゆの素(X3)」・「鷹の爪」・「紅茶パック」・「八角」で40分煮た。一日置いて翌日に配った。

ホカロンではないが、即席カイロを多めに購入した。恒例の路上生活者へのお歳暮。5~6枚ずつ巡回しつつ配布する。私のなすべき仕事だからだ。(枚数が多いと、売り始めるという嫌な経験があるからだ。)配布は、明日。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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12/27 地方紙整理と、「読む」という行為の追体験 他

2015-12-28 05:47:15 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/27 記
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岩手県大船渡市に本社を持つ東海新報社から、気仙地方(大船渡・陸前高田・住田)エリアの地域情報を得るために、3.11の1ヶ月後から日刊紙・東海新報を今年3月まで取っていた。発災直後は謄写版刷りの新聞を発刊したという骨っぽい保守系地方紙である。この新聞と未完のスクラップが部屋に山積みされていたのだが、母からさんざん「ゴミ屋敷」と非難されていたが、思い腰をあげて捨てることになった。トイレットペーパー10個にはなるかなという分量である。

スクラップを細かく切り、貼り付ける作業はせず、ざっくりと記事を切り取り、空き箱に当座保管することにした。河北新報と岩手日報は思い切って捨てることにした。この2紙は、HPからかなりの細かさでDL出来たからだ。東海新報HPはガードだらけで、おまけにHP記事に抜け落ちている記事が多かったのだ。

ひと仕事だったが、丸一日かけて作業が終わった。「ゴミ屋敷」状態は、やや軽減されたが、母は書籍も捨てろと迫ってくる。冗談ではない。古い家だから床が抜けるというのが根拠で、実際、一部床が傾いているエリアがある。

しかし切り抜き作業もひととおり終えたが、それでも被災障がい者情報は数えるほどしかない。陸前高田は福島県の南相馬とともに、障がい者の個人情報(氏名・年齢・住所・障がい種別等)を地元障がい者団体に、条件付だが開示するという先進事例となった。その記事は、大きな扱いだった。これによって、両市の訪問支援活動は,きめ細かさが大きく前進した。

しかし、新聞紙両面に記事が重なる場合があり、これはまとめて近所のコピー機でコピーし、切り抜いた。こんなことから丸一日かかったのだ。最終的に保存価値ありと判断した記事はスキャナで取り込んで電子データとして保存する。

書籍では、古い教育実践レポートで、自閉症スペクトラムの子の個別指導話や、古い「子ども論」、教育と医療誌・POSSE がとびとびに。これらは束ねて物置きへ。(来年、古紙回収日に捨てる。)

明日は窓拭きをやらされるようだ。

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眼鏡ごしからでは、読み取りにくくなった新聞縮刷版を生き残りの左裸眼で読み取りつつ、「読む」という行為について、改めて実感することになった。ところどころ雲にかすんだ視野の隙間から文字を読み取るのだが、紙面から10cm程度のところでピントが合うため、紙面全体の流れが消え、目の関心が文字のピントあわせと文字の読み取りに集中するため、文章が読めなくなっていることを実感した。文章は大づかみに段落などに目立つ単語や文節の形をヒントに、文脈読み、つまり大まかな予想読みが行われ、流れの違和感を後から修正読みされて、流れ予測と修正確認という意味喚起に引き継がれていく。予想読みはこの喚起された意味から予測されるのだが、この一連のシステムが「読む」という行為になる。

文脈の流れと予測という場面が、至近距離読み取りではかけて、文字面に関心が移ってしまう。よって意味と文字列の音が離れて「読み」が出来なくなる。

悲しかった。授業の指導時、「逐次読み」という「なぞり読み」の子の指導をしてきた者が、その状態に引き戻されている。拡大読書機は、文字の拡大機能よりも、読み上げ機能の方がフィットしているのは、文字のピントあわせの軽減と、流し読みの回復という求める効果が得られるからだ。

新聞・書籍整理をしながら、この「読み」の追体験の驚きを語れる者が湘南周辺にいない寂しさを感じる。徹底して個人の意志による単独行動を詰めて行く基礎作業、来年も通して行く。これが私の社会参加であるからだ。


夜間傾聴:自由が丘夫妻(パニック障害、子育て通じて回復したような話、ちょっと面白い。お久しぶり、新年会偏屈爺ぃ欠席なり。)


(校正2回目済み)

 

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12/26 鶴嶺高校ボラ塾感想が返ってきた、冷や汗

2015-12-27 06:01:39 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/26 記
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県立鶴嶺高ボラ塾の「避難所マイクロFM放送局を作る~高校生が作る災害FMより小さな域内ネットワーク」の感想が返ってきた。電源・音声出力端子なし・輪座できない私物だらけの教室という信じがたい悪条件下、授業を始められなかったにもかかわらず、生徒さんから感想が返ってきた。優しいのか、書かされたのか…読んで再び落ち込んだ。

他者の準備に頼る危険性が生に現れた。下見を許さない・机や周囲に散乱した私物や衣服が山積みの教室、地域交流学習への学校取り組み理解の浅さ、一方における実行委の準備時間組みの短さ・備品準備の粗さ、寒々とした。来年、マイクロFMをやるかどうか重いものがある。以下は、その感想だ。

----- ここから ------

●もし災害があって、避難したときに、少しでもみんなの役に立てることをここで知れたからよかったと思う。マイクロFMで必要なものとかをくわしく教えてもらえました。

●FMについて教えてもらった。災害時にはとてもラヂオが役立つとわかったので、ラヂオを持つようにしたいです。
FMの便利さを知れた。また、怖さも知れたのでその知識で今後はFMを使いたいです。

●災害時にいつも使わないFMが役にたつととてもFMの大切さを知った

●避難場所で、自分たちにできる活動がたくさんある事が分かりました

●私は飛田さんよりマイクロMFについて教えてもらいました。普段からMF放送は放送されていますが、聞いている人は少ないそうです。一番役に立つ時が災害時らしいです。マイクロMFを避難所で活用できるそうです。避難所での人探しは関係者が走り回っているそうなのですが、マイクロMFの受信機があれば素早い情報伝達が可能になります。ですが範囲はあまり広くないのですが同じ物をもう一つ用意し中継局を利用すれば問題ないそうです。(飛田 注:「MF」ではなく「FM」ですね。)

----- ここまで ------

----- 配布資料がなかったら、生徒さん、困ったでしょうに。


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ここ2日、亡き父の信じていた宗教団体の信者さんたちの訪問やら、車を敷地内に置かせて欲しいなど、朝8時前から知らぬ方の訪問が続き、睡眠時間2時間状態となっていた。昼夜逆転生活をしている為、午前中の訪問は、やめて欲しいと古株連中に伝えてあったが、見知らぬ人が挨拶に来る。眠気で押し流されそうになりながら墓参を済ませたが、朝型人間は嫌いだ。ついに今日、昼間2時間沈没していた。電話はモジュラージャックを抜いてあるので大丈夫。訪問は防ぎようがない。

母は浜見平の友達の車でに誘い出してもらい、仮眠室のある沸かし湯浴場に追い出した。丸一日眠った模様。余計疲れたとの感想だが、犬猫の長期旅行中預かりの御用聞きといい、新聞を代えて契約してくれだの怪しげな訪問も重なり、母を疎開させたのは正解だと思っている。湯に入ったというので、明日、母は起きてこないだろう。

今日は窓を拭いておくと母に伝えておいたが、浴槽タンクの洗浄と修理だけしかできなかった。浴槽のお湯張り機能は復活しなかった。

日が落ちて、母が帰るまで<a href="https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784787233929">「大震災の生存学」はじめに>第二章</a>を聞き取り終える。東日本大震災の被災障がい者の数など。

牡蠣のリゾット。母がいらないという。ディスポーザー飛田としては、糖尿病だというのに、胃袋に流し込んで夕食。

夜間傾聴:臨時休業

(校正2回目済み)

 

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12/25 クリスマスどこへやら、父の命日、墓参でした

2015-12-26 06:04:45 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/25 記
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クリスマスというのに、墓参です。

叔父の次女の運転する車に便乗させてもらい、隣駅の駐車場に車をとめて、バスで墓地まで移動する予定だった。ところが幹線道路はクリスマス渋滞を起こしていた。私を拾って行く方針は頓挫。足の悪い叔父の乗った車の予想到着時間に合わせて、現地合流に。

物事というものは、ドミノのように、一度頓挫すると次々に負の連鎖が始まる。抵抗すれば傷口は広がって行く。ともあれ、家からの出発時間が大幅に遅くなったことはむしろ歓迎し、電車乗り継いで先に墓地に着き、叔父達の車を待っていた。

叔父はかろうじて大正ではなく昭和の生まれ。足腰が弱っていてもやむを得ないのであるが、自己主張の強い叔父にため息が出た。父や祖父母の介護のときは、こんなため息はでたことがないのに、私ら初老の世代に任せてくれればいいのになあと、ぽっこり言葉が浮かび上がってきたのだった。

不便な母方の墓参を済ませた足で、父の眠る墓苑まで電車の乗り継ぎ競争で向かい、はしご墓参が可能だったからだ。父の墓前で母の携帯に中継して、母の語りを墓に届けるという馬鹿なこともやってのけた。弱者への感覚が鈍磨しているなと気がついた。

叔父の好物のうな重を食べながら、当時、寝たきり生活で筋肉が落ちていたとはいえ、災害時、この男の兄、つまり私の父の緊急避難は出来ただろうか。在宅介護時、半身不随にじれ、認知症の幻覚に暴れる父を2Fから降ろし、母を連れて避難所に逃げることなど可能だっただろうか。海抜が低ければ、今頃、津波にやられて死んでいたなと思うのだ。

昔は曾祖母・叔父・祖父母が同居していたのだ。在宅介護は無理だ。バツイチも当たり前だなと思うのだ。女手では父の介護は無理だ。次々送って、今度は私か母の始末。

従兄弟が叔父の口の周りを拭いているのを見て、大変だねと声をかけつつ、実は私は叔父の疲労の心配をかけらも感じていなかった。会食中、回想にふけっていただけだ・・。ましてや、見世物ではなく自分でこんなに元気に出来るのだからと、声を荒げる叔父をただ老醜を見るようで、優しくなれないのは、父の因縁が尾を引いているのだろう。

申込みをして5年目で、父がやっと入れた特養。介護度5で老健まわりで衰退していく父の姿をずっと見てきた。頻繁に施設に様子見をしていかなければ、嚥下障害のある父は、飲食が後回しにされる。ひとつのテーブルに生気なく宙を眺めている入所高齢者を3人、ひどいときは5人を束ねて食事させている現場。祖母のときからそういう現場に立ち会ってきた。職員さんと話し込んだ。某病院では前夜のココアのにごりの残る水のみが翌日そのまま枕元にあった。それでも冷静に看護師さんたちとも話し込んで、量質ともに人材不足の実態を見てきた。

災害があれば、その職員・看護師さんが昼夜引き回され地獄になる。大船渡の高田病院も、石巻の赤十字病院も、戦争状態に陥った。そのつけは、患者さんや入所者さんに及ぶのだ。

東日本大震災の被災高齢者は、湘南の高齢者より、格段に元気に見える。仮設と配食ボラさんの御宅を回りながら、寄り合いに参加しない高齢の方が、自宅にひっそり隠れてる様も見てきたから、農業や海産加工に身体の動く限り働くという身体の健康な80・90代が確かに多いが、心身が病むと急速に他界する方がいると解釈すべきだろう。一方、湘南の高齢者は元気なら趣味活動にでる方がいるが、決して多数派ではない。庇護される隠居生活の中で、病気を発症して田舎よりも長期間の介護を受けつつ施設や病院で亡くなって行く。

長期間入所待機が続く状態では、在宅介護負担が大きい。こういう各自の家庭に体調の落ちた高齢者が分散している状態で、被災したら…。そう考えると、避難ひとつ解決力を持たない状態で、いや、車に乗せれば大丈夫だとか、いざとなれば119があるからと思って生活していることに背筋が寒くなるのだ。

峯本懇話会は、ざっくりと言えば、高齢者を「減災福祉ネットワーク」というインクルーシブな地域に託していく。私はマキャベリズムではないが、災害が地域を目覚めさせると思っている。先々の大災害を逃げ水のように先に送り、今の困難に手一杯の状態にあることで、準備を避ける状態がある限り、危険信号は点きっ放しと言う都市近郊型の陰画も際立たせた。峯本さんのせいではなく、手一杯という拘束が、改めて鳥瞰する価値を見えなくしている現実である。

なにやら眉間に皺寄せて帰宅し、母に塩まかれたとき、自分の関わりがカウントダウンしていることを、改めて感じている。土曜は仏滅だそうだ。

「大震災の生存学」を拡大読書機で読み始めている。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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12/24 公私の私だなあと思いつつ

2015-12-25 05:31:47 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/24 記
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冬期講習がないとこうも寂しいものかと、定年の切れ目を実感している。父の墓参に叔父が行きたいと言い出し、明日に一日延期となった。ただ遠方の母方の墓参は、その関係で年が明けてからとなった。そんなわけで、私の友人の娘さんに絵本を贈った件のもっともらしいメールを書いて送った。早いもので大学受験生である。レンブラント・ライトの話とひとの存在について、格好つけて書いたから、嫌われるなと思いつつ。

それはそうと、この年末に1つ穴形式の浴槽が突然つまって、お湯張りができなくなって、掃除にパンツ一丁で水浴び状態、疫病神を疫病神が祟ってどうするんだとぶつぶつ言いながら取り組んだ。どうも結果が良くない。シャワーは出るが、母がシャワーを嫌うので、ポンコツ浴槽と戦っている。風邪引き必至。

今年は駒沢公園君たちに合流するのも諦めた。音声読み上げを邪魔にされつつ、拡大読書機「よぶべえスマイル」を使って、つまみ読みしかしていなかった「東日本大震災と地域福祉」「大震災の生存学」をの通し読みをはじめている。そういうことは、年明けからにしてと叱られつつ、明日の墓参までは許せと執行猶予をもらった。26日からは大掃除となる。

ゲスト探しで知り合った秋田赤十字大の**さんと奈良++MLの#さんに年賀状を書いたが葉書の空白真っ黒になって、投函をためらっている。受け取ったら、縁起が悪いだろうなあと思っているのだ。

ともあれ、明日は白髪頭ふたつ並べて墓参してくる。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

 

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12/22&23 懇話会の後始末をしつつ

2015-12-24 05:15:59 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/22&23 記
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12/21のために後回しにしていた用事をやっつけていました。すみません。

チューターの峯本さんに、非常識な会につき合わせたお詫びと、被災時ケア関係者と支援者のサポート長期戦について、メールを書き送りました。

まず、東北3.11被災者継続ケア支援のリアルさや、東南海トラフ地震など、近未来の大地震想定の危機感がなかなか共有できないし、それを個人が考えてもどうにもならないと考える壁が立ちはだかっているのも事実です。

しかしひとりひとりが判断しなければ、流れにぶら下がるのでは、轍を踏み続けることになります。投げ銭とお手伝い支援を繰り返すとき、被災当事者になったとき、リングに誰も上がってこない孤立をあじわうことになります。

先日のブログで書いたように、私の関心は、

1)大災害時、行政職員やケア専門職の家庭もまた被災しており、仕事が集中して燃えつきてしまう。地元市民による支援外注分担は。

2)都市型地域の要援護者支援。巨大な潜在人口をさらっていく「避難所入居者」と「自宅待機者」を大前提とし、後者に厚い施策を事前に準備する必要があること。避難所に偏した支援活動にならぬよう見守り支援配置をモデル化しておく必要は。

というあたりにあり、大きく変貌してしまった野外を歩くにも随伴者が必要という被災視覚障がい者の証言や、避難所に来ない方の多くが障がいを持った方や、寝たきりや認知症の方とその介護が手を放せない方だったという行政担当者の証言もある。医療知識がなかったために、誤嚥性肺炎を起こした高齢者がなくなった事例など、一見専門職の仕事のように見えて、家族など、支援者の仕事があることは、1)の関連で非常に大事だと思う。大災害のとき、専門職とその家族の被災もあって、とても支援者なしには維持できないから、関与の道を具体化しておかねばと考える。

次回の懇話会は「サブ会」として、「ハートネットTV:誰もが助かるために3部作」の感想懇談を2月に行います。

懇話会はその後、4月に阪神淡路大震災の被災障がい者の記憶または、東日本大震災の被災障がい者の状況を担当者の肉声を聞く形の会を企画しています。

被災の惨状と生き残りの幸運の話だけでなく、危機を越えていく知恵と方策を受け止めていきます。

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父の法事があった。今回は母を弟が車に乗せていった。新興宗教のため、何回忌という言い方はしないが、車の人数の加減で私は勝手にいくことになった。

雑事が残っていたので、どうせならと母方の墓参を兼ねて、クリスマスに行って来る。六曜を母は気にするためだ。しょうもない話だが。

実は2000年に交通事故で足を粉砕骨折したのも、今日だった。手術ミスなどで2年入院した。年末年始はろくなことが起きない鬼門だと我が家では言っている。

初めての冬期講習のない年末を迎えつつ。


夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

 

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12/21 12月懇話会は冷や汗ものでした##さん、感謝

2015-12-22 05:24:02 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/21 記
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冷や汗をかいた。私の力の無さなのだが、峯本さんの仕事の価値が伝わっていかなかったのだ。危うく私と峯本さんだけの懇話会になるところだった。行政レギュラーの**さん、今回初参加の保守系市会議員の++さんが参加して下さった。

もっと時間があればなあと思う内容だったが、それは懇話会の個性である対話まで、峯本さんの提案をフォーカシングできなかったことだ。

峯本さんからレジュメは「地震災害と高齢者福祉」に沿って、阪神・淡路大震災の状況と東日本大震災の比較をしつつ、都市型災害の災害発生後生み出される地域協力と公助に至る人命救助と要援護者の見守り支援の実相を説明された。まずは発災時から避難所・福祉避難所生活期、応急仮設住宅入居検討期、応急仮設住宅入居期、応急仮設住宅退去検討期、恒久住宅移行期とその時期に応じて見守り活動も変化していくこと。その活動を支えて行く「見守り推進員制度」の吟味。

一方、防災の課題として「減災福祉コミュニティ(神戸では『防災福祉コミュニティ』)」づくりを紹介をされた。時間的に個別事例を複数説明できないことから、「ひよどり台防災福祉コミュニティ」 の説明をされた。東日本大震災の「被災前のご近所づきあい」の回帰志向と異なり、理想化された新規町づくりとそれにともなう新規防災福祉一体となったコミュニティ」をモデル化したものだが、もともと崩壊していく町の絆を必要性(防災・福祉)に基づいて再編していく方向を紹介された。

災害時における地域包括支援センターの役割は、神戸の場合は空き家利用を通した「ルーム(関西他地域では『ひろば』)を市内42箇所に開設し、そこに見守り推進員さんを配置し、発災時の安全避難を民生児童委員さんたちとともに、サロンと見守り、安全避難の基礎単位とし、センターが束ねて行く話がかたられた。介護保険制度下の煩雑な仕事に更に仕事が増えるということで敬遠されるだろうが、役割をもつことになるだろう。加配を含めて政治の世界から援護射撃する必要がある。地域の大きさのイメージでは「小学校区」だという。

一方私の関心は、

1)大災害時、行政職員やケア専門職の家庭もまた被災しており、仕事が集中して燃えつきてしまう。地元市民による支援外注分担は。

2)都市型地域の要援護者支援。巨大な潜在人口をさらっていく「避難所入居者」と「自宅待機者」を大前提とし、後者に厚い施策を事前に準備する必要があること。避難所に偏した支援活動にならぬよう見守り支援配置をモデル化しておく必要は。

というあたりにある。その対話に至る前に会の時間となってしまった。

市会議員さんが入ってくると、会自身が○○党系というような愚かしいレッテル張りが行われる。会の目的は被災現場の風を茅ヶ崎に届けること。懇談により情報収集と新しい視座の発見があれば、持ち帰って活かしてもらうことにある。入口は開かれている。だから市会議員さんも利用してもらっていい。年4回を目指している。次回はサブ会二月の上映会を踏まえて、四月に障がい者の課題を考える。

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大風呂敷だったかなあと思いつつ、発災時から見通しを持って支援活動に関わるという眼差しの差が実は大事なのだと思いつつ、移ろい易いボランティア活動から長期的な支援活動をどう作っていけばよいのかその経過のダイナミズムを脳裏に思い浮かべていた。

市会議員の++さんには、是非市会議員の皆さんに、話を広げてくださいと要請した。またチューターの峯本先生からは、同著5冊と、お菓子を頂いた。参加者に1冊ずつ、残り3冊は、レギュラー参加者に1冊(レジュメと組の資料として)、茅ヶ崎図書館寄贈2冊(香川分館1冊)とした。お菓子は甲子園サブレを分けていただいた。ご馳走さまでした。

<資料>
●提案資料「阪神淡路大震災から20年、東日本大震災から4年の今~あらためて高齢者と災害福祉を考える~」
●「防災福祉コミュニティ-少子・高齢化時代のコミュニティ」
●「みやこ鳥・首都大学東京機関リポジトリ」
●「大都市における地域防災と災害弱者支援活動の現状と問題点-福祉コミュニティ形成の提案-和田清美論文」(都市科学研究第1号2007)
●「地震災害と高齢者福祉」(峯本佳世子著 2015/10)

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夜間傾聴:**子(ライブにいける喜び報告)
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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12/20 映画「みんなの学校」茅ヶ崎上映会/明日、峯本佳世子氏の懇話会

2015-12-21 05:36:57 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/20 記
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●映画「みんなの学校」真鍋俊永(まなべ・としなが)監督茅ヶ崎上映会に行ってきた。

行きがけに茅ヶ崎駅前で、**君と出会う。就労支援は見解の差で最期までお付き合いできなかったけれど、元気な様子。日曜日はいろいろな人と出会う。珍しいところでは、花屋さん。昔、不登校の子が「アルバイト」ではなく、「お手伝い」させてもらっていた。看護師さんを目指していたが、どうしたか。

映画は、地域の障がいを持つ子も、いわゆる健常の子も一緒に育ちあう場としての小学校。大阪市住吉区の大空小学校(210名)のドキュメント。様々な家庭環境や心身の状態を抱える子たちを地域の親御さんたちの協力の元で、クローズアップされた個性の強烈な子たちが、対立を糧に経験を育てていく。

私にとって見ると、懐かしい子たちが目に飛び込んでくる。ジーンズに砂を、繰り返し砂時計の砂のようにひたすら振り掛けている子。軽くはねている子。教員に静かに笑いかけ続けている子。頑として自説を曲げない子。おそらくは場面緘黙の子。共働きのため寝坊して登校できない子。しかしいい表情をしている。それはまず彼らの居場所であることが前提となり、行事企画を通じて、友人が膨らんで行く。

いまは、二人を除いて私と対面学習している世代はいわゆる「若年」:だから、不登校の子とは年齢層がちがう。15年前ほどまでは、不登校の子の通学と成績補償を行っていた。
だから「懐かしい」。

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いよいよ明日が、峯本佳世子氏との懇談会。念のため、加筆前の資料を10部用意した。成功させたい…!

帰りに市会議員の##さんとエレベータ内で出会った。疲れた状態で出会いたくなかたのだが。

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●「TOMORROW 「あの日、音のない世界で」(BS1 30分) 」
を録画した。3.11時、聴覚障がい者の方は、宮城県で46人の方が亡くなった。避難生活も様々な誤解や困難を経験する。被災した側の生活上の困難を具体的に語ってくれる。いい番組だ。1月の金曜災害ミニカフェで取り上げる。

 

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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12/19 定年で今年は冬期講習がない分、楽なのだが/蔓延する強情人間と

2015-12-20 05:47:53 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/19 記
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糖尿病治療の主治医の診察。年内最期。薬をもらって橋本へ。新しい生徒の御宅にお邪魔。方針説明の最中に、何回も**子から電話あり。大声で怒りを撒き散らしている声が、携帯から離れていても聞こえてしまう。初回から生徒を怯えさせてしまった。**子の父親から事情を聞くと、使い込み医療費のことで、母親と激論になった模様。ともあれ、仲裁は今出来ないのでと伝え電話を切った。面談中の母親から**子の年齢を聞かれ、まもなく40に届くと答えると、キャパを超えたらしく、言葉を失って、40ですかと呆然としている。考えてみれば、この方と同世代だ。

おやつをご馳走になって、世間話。私が茅ヶ崎から来ていることに、またびっくり。たしかに片道1時間半かかる。この方のご母堂が民生児童委員をされていて、その情報ルートから塾長にたどり着いたらしい。この方の妹さんは、仙台にボランティアに行っていたという。大槌町に「カタリバ」という団体が、被災生徒への学習支援をしていた話があり、彼らが3.11以前から「斜めの関係」というのが好きだと伝え、若い先輩の言葉が大事な学習契機になると説明。爺ぃには真似の出来ないわざだと笑った。まあ、初回としては無事に過ぎたようだ。

茅ヶ崎経由で平塚中央図書館ポストに書籍を返す。日が落ちてコートを羽織っていても寒気がしみ込んでくる。12/21関連の月刊社協バックナンバーが欲しかったが、時間が間に合わなかった。障がい者団体関連は、高齢の話題に冷淡だ。地域から家族の結束で身を守っている感の強い障がい者活動の場合は、高齢者支援に登場する地域包括支援のセンスと遠いから、包摂的な地域環境を整えるという見通しから、戦略的に関わる感が強い。これは市民活動レベルではない。彼らが12月懇話会に参加することを祈るような気持ちになった。

今回は市民生児童協にチラシ配布をお願いした。反応が出て新規の方が参加してくれると嬉しいのだが。

**子、ライブに行ける様になったと、彼女のおばさんから連絡あり。ともあれ落ち着いた模様。

平塚に行くと、駅ビル地下で厚切りの鮭の切り身を買って帰ることにしている。焼くだけだから簡単と思っていたのがいけなかった。偏食の母の抵抗にあう。真空パックの煮魚(カラスカレイ)で対応。飯を残すので、ジャガイモの味噌汁で対応。悪戦苦闘の末、母は食事の大半を残してしまった。間食をしている感じだ。高齢者支援活動をしてこなかったのは、こういう偏屈の受け流しがいるからだ。即身仏になるつもりかと、猪介をかけても百戦錬磨の婆さんには通じない。こうして残したおかずは、私の胃というディスポージャーで粉砕される。糖尿病生産装置である。


<気になる新聞記事>

●「仙台「手話言語条例」議員提案で一致」
●「宮城・仮設集約 石巻は入居率30%以下」
●福島「復興住宅、高齢者率53・6% 県営住宅の3倍」

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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12/18 **子の悩みとは/引きこもる「個人」の画一化の時代 他

2015-12-19 05:50:02 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/18 記
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気温が一気に下がった。古傷が一気に痛み出す。なんともポンコツである。水曜日のNPOサポートちがさきの全体会と忘年会に欠席したが、今回は連続の空転から参加する気になれなかったのだ。鶴嶺高校ボラ塾の開催環境の粗さ・来年2月のワイワイ祭り参加選択肢など準備が必要で、従来の祭り屋台型に合わない対話深化型が発想されていない環境の単調さについていけない気分を味わっていたからだ。高校や大学の学園祭は、どこに行っても同じ喫茶や放置展示ばかりという、のっぺりとした画一化が市民活動にも拡がっているように思う。

この違和感は「公共の喪失」という時代のバイアスが市民活動に及んでいると感じているのだと思う。画一化とは公共の儀礼化のことだが、逆にここで守られる個人化が多様性に支えられているかといえば、実はそうではない。ここで核となる生活の営みから、社会の歪みを根源とする貧困・病苦・差別などの闇は塗り込められ、消費生活に包み込まれる画一化があたかも各人の固有性の如く、当然の様に営まれ拡がっている。クリティークな精神の危機がそこにある。

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**子と話をする。おばさんと直接話をすることで、背景的なことがわかった。今年の健康診断で、母親がB肝キャリアと診断されて改築中の自宅生活を更に掻き乱す事態となっていて、**子は、自費でB肝の予防接種を受けさせられ、作業所収入を使い切ってしまったことが、医療費流用となったという次第。

彼女の命に関わる治療薬を飲み残していたが、その危険性と親への交渉を避けたことを叱っていたことが分かり、クリスマスライブは、**子に同伴するつもりだったこともわかった。

表面的には問題解決なのだが、激昂する傾向があって、交渉の途中、事故がおきなければいいがと思うのだ。

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来年、松の内が過ぎた頃、再度西宮にいくめどが立った。今回は峯本氏の提言をうけて、西宮・神戸両市の高齢者・障がい者関係行政の担当者と会う。来年は1月末に金曜災害ミニカフェを懇話会つなぎ語るカフェをひらく。

来年度は「被災障がい者」の4月語り。西宮・神戸の方から。
7月は「宮城県石巻市の行政関係者または、施設職員の方。10月が高齢者関連で神戸市、12月が被災後、障がい者関連は疎開復帰の関連で気仙沼(予定)になりそうだ。

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夜間傾聴:**子

(校正1回目済み)

 

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12/17 野蛮な傾聴だが…

2015-12-18 06:35:22 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/17 記
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昨夜**子からメールが来た。会って欲しいという内容。この間、実家の改築問題が起きて、彼女の居場所がなくなるということで、親族間でごたついていた。また家出話かなと思って電話で話を聞いたが、彼女の好きなタレントのクリスマス・ライブがあって、いつもはおばさんに同伴してもらうのだが、今年は行けなくなったと、おばさんに言われて、行けなくなった、死にたい…というのだ。

健常者なら馬鹿馬鹿しいと話を打ち切るのだが、彼女はてんかんとともに、心の困難を抱えている。まずは話を聴く事にした。

話は、おばさんを説得してほしいというものだった。以前、**子のご両親が商店会の慰安旅行に出ているとき、横断歩道を横断中、発作が起き、救急車で%%病院に運ばれ回復。親戚に電話するが留守。心細いから来て欲しいと言われたことがあり、相模大野校の仕事の前に、%%病院に立ち寄ったが、乗り換えだらけで閉口したことがあった。**子の引き取り先が、今回の「おばさん」だった。**子は転倒時、捻挫をしており、彼女が向かおうとしていた南武線某駅の「おばさん」宅までタクシー移動。おばさんの携帯が通じ、無事引き渡した経過があった。(いなければ、住職さんの登場となる予定だった。)

今回はさすがにそこまで親切ではない。取り次ぐがあとは、自分で説得しろと話し、「おばさん」に電話を入れた。主治医の診療と薬代金を、このタレントの新作アルバム代にしたことが「おばさん」にばれたということが、わかった。残薬があるから平気だと**子。それで「おばさん」が怒った。

全く一日中、ライブ騒動に振り回された。おばさんが両親に話をし、30代後半の女性(娘)が「おしおき」をうけることに。

こういうことは、たまにある。倒れている自転車は、他人のものでも立て直さねば気が治まらない、自閉症の&&君。パチンコ店の店員が、その子を自転車泥棒として警察に突き出すと叱ったとき、&&が切れて、異様だったので所持品から、私の電話番号メモが出てきて、&&君を引き取りに行ったこともあった。自転車は真っ直ぐでなくてはならないというこだわりを店員さんに説明した。不可解な顔をしつつ納得してくれた。

つまり、単純に教科指導だけではなく、救急時応援団もやっているのだ。担当した子は、心身のハンデを抱えているが、私は担当した子をふたり自殺死させてしまった前科がある。病院と家庭と当人の間に私は立つ。しかしむやみに深くかかわらないといいつつ、線引きに今もなお、悩んでいる。

夜間傾聴は、自殺念慮やパニックなどの青年が深夜早朝、魔の時間(明け方)をともにすごす試みだが、人数は少ないが一助になっているようだ。たわいもない話、その裏に影がゆらめいている。それに連れ添う仕事だ。

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峯本著「地震災害と高齢者福祉」第6章・終章を拡大読書機の読み上げ機能で再度なぞった。

母に牡蠣鍋。ノロウィルスで殺す気かと悪態をつく母。まだ大丈夫だ。

山崎達枝氏の「災害時のヘルスプロモーション - こころと身体のよりよい健康をめざして」入手。古いが実践的。

夜間傾聴:**子(昼間)
     ひとり


(校正1回目済み)

 

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12/16 ろう者の被災の番組には現場の風が吹いていた 他

2015-12-17 05:58:30 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/16 記
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高齢者のサロンをしている藤沢の***に懇話会12/21の案内メールを出していたことで、そこの++さんから問い合わせのメールが届いた。一般向けの講演会と勘違いしていたので、追加説明メールを出しておいた。まだ応答は無いが、初参加かとつい嬉しくなる。

民生児童委員の##さんと会う。ご近所なのでたまに買い物で出会う。被災地にお餅を贈る運動のことを語っていらして、立ち話ではあるが、12/21は、都市型災害の阪神・淡路大震災の経験を語る会となるが、地域の結びつきの弱い地域の医療・福祉長期支援をざっくり語ることになると説明すると、以前のKさんのときと同じく、きょとんとしていた。安全避難と元気付け応援のパターンと違うからだ。関連専門職も被災する。大量の要援護者があふれたら、まかせきりにしたら、彼ら、つぶれてしまうよ。

避難所が災害弱者には過酷な環境。被災現場から避難してから命の危機に出会う方も多い。ケアの活動を専門職の援護射撃になるようなボランティア立ち上げしないとねと語ると、異文化接触起こしたようなびっくり反応。来てくれるかなと少々不安に。しっかり予定をみてくれたのが救い。企画をたてるとき、いつもこの憶測と不安にさいなまれる。レギュラーの方がいらしてくれるから、現場の風の価値を届けられる。懇談は対話だ。そのことを##さんに伝えた。

ろう者の発災時避難の様子、やっと番組が出てきた。今度日曜日に再放送があるか。


<注目する番組と新聞記事>

●「あの日、音のない世界で」
●「<むすび塾>要援護者の避難を考える」

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

 

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12/15 40歳ですか…/ビッグイシュー販売員さんの持病/防災福祉コミュニティのこと

2015-12-16 05:48:36 | 地震津波災害ボランティア

2015/12/15 記
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南橋本から塾長の奥さんの車に便乗して、ΔΔさん宅へ。最高齢40才。おそらくはアスペ。地元スーパーに縁故就労している。通信制高校の学習が続かないので、補佐依頼。就労・進学とも異なる依頼。強烈な個性、今後数回会って、話し合う。相性がこの手の学習には大事なこと。必要とされるひとりになれるだろうか。JR相模原に送ってもらってから、横浜へ。

ビッグイシュー誌を買い取りに販売員さんと会う。重い糖尿病といわれ治療を続けていたが、薬を飲んでいないのがばれて…という話。寿町では有名な方が同誌の仲介をしているが、その方は内科医なので、彼の微妙な視線のおかしさに気付いていたはず。叱られたのはそれだろう。この判断は長期的な話なのだ。彼は長時間の路上販売の立仕事時間制限を受け、代わりに、ある軽作業のアルバイトを始めることになったという。これからの症状経過の可能性を読んでの、的確な配慮だと感心した。販売員さんとしての仕事は、今後長くはないのかもしれない。久々に一度、この地域卸の**さんと会ってこようと思う。読者さんに中断の迷惑がかかる可能性があるために、伏線を貼るのだ。

横浜のビッグカメラで、VGAアダプタを捜し、見つけた。購入して茅ヶ崎に戻ったが、不可解なことが、VGAモニターでは、iPhone 6s の画面は無事表示されるが、画面が小さい。これでは役にしない。これはこれで、今後私のプレゼンに使うが、今回の話はHDMI端子のPCではプロジェクタがつながらないのが発端。結局PPを使わず、印刷物でお願いすることに。懇話会当日、アダプタは持参するが、使えないだろう。迷惑をかけてしまった。

阪神淡路大震災の当時の地元で生まれた医療・福祉支援のボランティアたちは、「防災福祉コミュニティ」の中にどう引き継がれているだろうか。そこには高齢者だけではなく、障がい者と家族は、ネットワークに関連しているだろうか。東日本大震災の太平洋岸集落の生活共同体の絆への回帰とは異なる都市型コミュニティの動態をつかみたい。大きな網をあけてくれることを期待するのは、問題だろうか。

取り組む課題が明確なとき、ひとは集まり活動が生まれる。しかしそれが継続して行くことは、大変なことだ。その活動の目的が包み込んできた多様性が膨らみ、優先順位が変わって分散していく。このとき、見通しを明らかにしていくことは、大事な結節点となると思う。しかし、それだけで専門職を補佐支援して行く活動のように依存性の高い活動は、失速していく。20余年という長丁場を超えていくためには、しっかりとした地域の枠組みが成り立ってこそだ。問いのヒント・手ごたえが欲しいのだ。

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母、湯豆腐+ブリのてり焼きに不服そう。糖尿病食に付き合わせたためだ。塩焼きではないのが妥協の産物。私はしゃぶしゃぶは、要注意なのだ…。iPad以来,機嫌が悪い。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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