湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/27 金曜ミニ・カフェ「ハートネットTV『鉄の扉の中の孤独~阪神淡路大震災20年の"教訓"』レポート」他

2015-02-28 06:00:59 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/27 記
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体調が良くない。冷たい風が吹くとやけどの跡のように、皮膚がひりひりと痛む。炎症跡をカバーして姿勢を歪めている分、筋が痛む。つい無口になると、怒っているのと勘違いされる。付き合いきれない、疎遠な証拠か。母が溜め込んでいた消炎酵素剤で解熱効果もある頓服薬を飲んで、上映中をしのいだ。

受験と春季受講生受け入れの裏仕事と教材屋仕事が、季節商売で出てくるので、PCとストーブかかえて作業をしている。これから複数収入者の厄介な確定申告も重なってくる。

慌しく時が過ぎて行く。県保健福祉事務所と茅ヶ崎養護、香川周辺を昼間、懇話会通信の2月懇話会レポートを巡回配布した。香川からサポセンに戻る頃から、身体が痛みはじめた。アナフィラキシー・ショックの後遺症は初体験。早く暖かくなって欲しい。

------ ここから -------

金曜災害ミニ・カフェも23回目を迎えた。花金の夜という無愛想な時間帯におこなうことも原因のひとつだが、このカフェは、大災害・東日本大震災関連のTV番組を観て、軽い意見交換を行う場だが、ずっと閑古鳥が鳴いている。まあ、番組タイトルを観て、NHKアーカイブスなどで、各自が見ていただければそれで用件の8割が済むことになる。

今回の番組セレクトは非常に大切な内容だ。ただいつも思うのだ。「鉄の扉」というタイトルを見ただけで、人はTVチャンネルを変えてしまう、そういうひとにまぎれて、被災地に思いを馳せてくれる方がいれば、現時点での目的を達することになる。それほどに、「被災者の孤立」の課題は誤解されている。

「被災者の家庭の苦境の様は、全国の人から無視されているが、それは「他人が立ち入るところではないプライベートな場面だから」で、それを被災者が"孤立"とよぶ。」

これは番組の趣旨とは無縁な連想にすぎない。

「阪神淡路大震災・発災後20年。一般の方が思うように、被災破綻の状況から自力脱出できなかった方々が、仮設住宅から災害復興住宅に転居することで、被災の話は終わったわけではない。災害復興住宅が高層集合住宅であるがゆえに、個室化した生活の入居者分断から、突然孤立化し、隣人の病死・アルコール依存などが激増してしまう苦い経験を阪神淡路大震災は、いまもなお味わっている。見知らぬ隣人が孤立死後、何日も放置されてしまう厳しい現実がまっている。食堂や集会室を作っても、入居当初の支援者の協力で交流が生まれても、すぐに利用は途絶えている。高齢化が進むに連れて、自治会も壊れて行く。建物を民間から20年間、市が借り受けたビルでは、高齢化した被災者に20年目の立ち退きが襲ってくる。このような過酷な現実の中に投げ出されている状況を『被災者の孤立』と呼んで、誰にもやってくる高齢化と老後のQOLをめぐる同じ課題が、東日本大震災の災害復興住宅入居、阪神淡路大震災のいつか来た道の轍を踏むように、起ころうとしている」その深刻さを誰も知らない。想像力の貧困の怖さが背筋をぞくりとさせる。阪神淡路大震災の復興住宅の調査を見ればわかる。ひとにぎりの方の問題ではない。以下が関連番組だ。

☆ハートネットTV
「鉄の扉の中の孤独~阪神淡路大震災・20年後の"教訓"」
(2015/01/14 NHK 30分)

この高齢化の冷え冷えとした図式を阻止する試みが「常駐コーディネーター」をおく方向で検討されている。自治活動を条件に、低家賃で学生を住まわせる試みなどだ。しかしそれも、復興住宅のエリア内の出来事に押し込められている。この長期戦の図式に早くから取り組んでいたのが、故・黒田裕子さんたちの訪問看護・介護の実践だった。この「被災者の孤立」に、支援活動が取り組む方向は「交流」をどうコーディネートしていくかという流れになろう。まずは阪神淡路大震災の現状に耳を傾けよう。なすべきことが見えてくる。

---- ここまで -----

夜間傾聴>臨時休業

(校正3回目済み)

 

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2/26 CLCの出版物を読みながら

2015-02-27 05:10:51 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/26 記
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相模大野校の応援の帰り、寒気がするので家に真っ直ぐ戻った。
先日のアナフィラキシー・ショック治療の後遺症のようで、手が震えているので、体温を測ったら微熱がでている。様子がおかしいので、仮眠をとることにした。そんなわけで、きょうは何も活動をしていない。風邪のように熱っぽいのではなく、何をしても体温が上がらず寒気と動悸がするという感じなのだ。

受験生を抱え次年度の準備も始まっている教室に、明日は出て行くのは控えなくてはならないだろう。アレルギーではなく感染症を起こしている可能性があるからだ。このブログを載せたら、布団にもぐる。メール返信は iPhone でごそごそと…。

田所さんからいただいたCLCの出版物「ガイドブック 災害公営住宅ができた!」と、「東日本大震災・地域生活支援『困った』ときのQ&A」を眺めている。災害公営住宅のタイプ、間取り図や宮城県の「災害公営住宅の整備状況について」を見た。イメージ作りには参考になる。

私の活動の中心は岩手県なので、同質の資料を探してみようと思っている。

(注)CLC> http://www.clc-japan.com/clc/index.html


夜間傾聴>ん君(N君ゆえ)
     ひとり

(校正1回目済み)

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2/25 懇話会通信No.012完成し配布開始/編集要点

2015-02-26 05:31:45 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/25 記
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懇話会通信No.012が完成した。基本はブログ2015/02/20&21に記したものと同じだが、田所さんたちの視点は、「危機と地域コミュニティ」・「生活再建と地域コミュニティ」というような「地域コミュニティ」への着目という特徴がある。

被災>避難所>仮設住宅>災害公営住宅

この流れは速くても4~6年かかり、その過程で数回のコミュニティの再編に出会う。若い人の4~6年と、高齢者の4~6年の意味は違う。仮設に残る方は災害で資産をすっかり失った高齢の方が多くなる。こうした厳しい環境下で、病死を含んだ単身者の孤立から死に至る方は、決して「一部の方」ではない。公共支援が途切れた結果でもある。被災当時の外部支援が途切れた時期に、深刻な事態が進行する。この事態にどうすればよいのかという問いかけ、そこに至る中の避難生活の具体事例を検討し、特に災害弱者の生き延びる隘路を探って行く。田所さんたちは、仮のコミュニティの力に着目する。

今回はその大きな流れそのものを検討することはできなかったが、「避難所の出来事」からの話がスタートした。これから立場と場面から検討していくが、大きくは、災害公営住宅入居までの道と、支えあう人の再編を見通して行く議論を作って行く。

田所さんには、その口火を切っていただいた。また民生委員の方の参加は、従来の自治活動との関連という切り口をもたらした。そういう意味で、多様な目が必要ということも実感した。

今回やっと懇話会の使い方が見えてきたというところだ。次回は5・6月に障がい者の避難生活を語る予定。

全体の文章量が3ページにわたったので4頁構成とし、最期に次の2冊の図書紹介を載せた。後半は日弁連の報告書。陸前高田・大船渡の障がい者の調査と情報公開活動が折り込まれている。懇話会で招待した小山貴さんたち(JDF)の活動だ。

■「あと少しの支援があれば」
ISBN:9784863711761
ジアース教育新社(2012/02発売)
>被災障がい者と家族の記録。

■「災害時における 高齢者・障がい者支援に関する課題」
ISBN:9784871541138
あけび書房(2012/10発売)
日本弁護士連合会高齢社会対策本部、高齢者・障害者の権利に関する委員会【編】
>日弁連の災害弱者の保護を目的にした報告書だが、記録は法制の福祉的観点の不備が強く意識されている。

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印刷を終え、市役所関係、市社協・老人クラブ・地域自治会連合会・障がい者関連事務所の配布を終えた。文字数が多いから、読んでくれないかな。それが心配。

夜間傾聴>アレルギーの薬の影響でダウン。臨時休業。

(校正2回目済み)

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2/24 懇話会通信No.012 田所さんとの懇談レポートまもなく完成

2015-02-25 05:47:29 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/24 記

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まもなく「通信No.012」が完成する。今日から配布するので、すみません、ブログを休みます。

 

 

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2/23 皮膚科受診へ/陸前高田の米崎中学校仮設のドキュメントで

2015-02-24 05:46:49 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/23 記
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びっくりした。ステロイド・ホルモン剤で症状は治まっていたものの、季節外れの蛾の毒毛による糜爛性疱疹。皮膚科に行ってきた。薬をもらってきたが、季節外れなので、医者も怪訝な顔をしていた。捨てるつもりでポリ袋に毒蛾の毛のついた軍手を道具入れにいれたまま忘れていた。その軍手を母が知らず、下着と一緒に洗ったから、軍手が中に入ったパンツに悲劇が集中した。1週間位は治療がかかるとのこと。

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大船渡の知人から、椿のマスコットの改良版の画像を添付したメールが届いた。そういえば椿の花の開花期が近づいている。そのことを返信で質問した。以前、この方の若夫婦のいる末崎の、ワカメの販路の件で相談があり、静岡の昔の塾屋仲間が、海産物ではないが、有機農産物の活動をしていることを思い出して仲介したことで、たまにこの方とメール交換するようになっていた。東京に来られるとのこと。よりによって、また3/8(日)である。

市議の++さんに昼食会のご招待をうけたが、JCーNET会議(ジョブコーチネット会議)が3/7&8 にある。7日が母の検査結果を聴きに、会場・唐木田に 近い北里大に行く。悔しいが母の付き添いがあるので、一度茅ヶ崎に戻らねばならないので、JC-NETは8日の一日だけ。だから、**さんのお誘いも無理。

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もう一通は最近珍しい手書きのお葉書で、20日の懇話会に参加された民生委員の##さんからお礼状が届いていた。「勿体無い」というご感想。少々恐縮させられるところもあり、しかし納得してもらえたのだなと思う。##さん、感謝。

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2月懇話会レポートを書いている。その横でNHKのドキュメントを見ている。陸前高田の米崎中学校仮設のコミュニティ作りの記録を観ていた。被災後4年目、仮設から復興住宅への転居が進み、家庭ごとの格差が激しくなる。コミュニティ再編の時期だ。かあちゃんたちは、仮設の中で笑って絆を結ぶ生活をしているという。しかし、いつも思う。なぜ男性が仮設エリアにいないのだろう。就労活動なら、それを描けないのか。また、地域のいわば「近所付き合いの『公的』交流」だけ描くのだろう。

物事には裏と表がある、多義的な意味合いがある。それを俯瞰してこそ、ひとのつながりが手を結ぶ。公私の私の生活に介護などの事情があっても、ぎりぎりまで助けを求めはしないだろう。そこが問題なのだ。

夜間傾聴>ひとり

p.s. 痛みで気力が失せています。中途半端でごめんなさい。


(つづく)

(校正2回目済み)

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2/22 田所さんにいただいた資料を/講師契約更新最終回/アナフィラキシー・ショック

2015-02-23 06:22:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/22 記
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2月懇話会ゲストの田所英賢氏からいただいた資料

・「月刊 地域支え合い情報 No.25 特集:島と震災」
・「月刊 地域支え合い情報 No.29
            特集:地域で生かそう『私』の目線」
・「東日本大震災 地域生活支援『困った』ときのQ&A]
・「ガイドブック 災害公営住宅ができた!」

を読み始めている。仕事が立て込んでいるのでレポートは遅れるが、ともあれ「懇話会通信No/012 2月懇話会レポート」を作り始めている。2月いっぱいには完成し、3月には配布したいとと思っている。

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私は準契約講師なので毎年受験期のゴタゴタの最中に契約更新を向かえる。来年度1年が最期、65歳定年となる。JR相模原の塾は生徒との対話が成り立つ限り続けられるが、学生バイトと大差ない。相模大野校の更新はできたが、見渡せど同世代はいない。最長老になってしまった。寂しくもある。引きこもり関係の団体に参加しようとも、癖の強い爺ぃは入れてくれないので、個人でぽつぽつ続けて行く道を進む以外ない。道路工事と呼んでいるが、道作りの1年が始まる。走れない・見えないハンデが微妙に制限をかけてくるのがわかる。

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田所さんのお話に使ったパワーポイントファイル2本を参加者配布を許可してくださったので、DVD(CDかも)焼きして配る予定。

田所さんの所属するCLCは、医療・介護・福祉系支援の中間支援団体だ。依頼を受けて活動に必要な方を派遣する仕事や、関連専門職の活動のプランニングを行う仕事があり、それを「中間支援」と呼んでいる。

「中間支援」者は直接の当事者として活動しているのではない。私も中間支援者のスタンスが強いが、網膜色素変性症の手帳所持者だから視覚障がいの活動をするかといえば、長年やってきた「不登校・引きこもり」の教育・生活支援、社会参加支援(就労支援を含む。)の中の自閉症スペクトラムや、うつ病のいわば手帳を持っていない境界域のハンデを抱えた青少年年達の支援を取り組み続けたい。相模大野からは撤退だが…。しかし思う、塾をやっていた昔と比べて、中間支援者の活動は根無し草だ。いい企画を生み出し続け公開していくことだ。手を抜いてはならない。
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我が家の庭は昔、バラとツバキの花があった。そこにチャドクガとイラガの幼虫が寄生し、その撤去をしたときの軍手を棄てるつもりでビニール袋」に入れっぱなしにしたまま忘れていた。昨日、母が軍手を発見し、私のパンツや雑巾とともに洗濯機にかけてしまった。気がつかなかった私は、そのパンツをはいて痛みに悲鳴をあげた。股から尻と背にかけて幼虫の毒毛が刺さり、1時間後には出血。以前母がの掌蹠膿疱症にマイザーというステロイドホルモン剤を使っていた残りがあったのでその軟膏を塗った。やっとただれの赤味が引いてきたが、アナフィラキシー・ショックだろう、一時くらみで立ち上がれなくなった。恐ろしいものだ、3年前の軍手だ。今もふしぶしが痛み、ロキソニンで抑えている。月曜日に皮膚科に行くが、洗濯が事故につながってしまった。パンツだけでよかった。他の洗濯物は、不要なものは捨て、他のものは多重のすすぎをかけて洗い直ししているが、着る気になれない。糜爛性の毒のようで、赤い水疱の口はむき出しになっており、治るのに時間がかかりそうだ。跡も残るだろう。ヘルペスの水泡のように、密な水泡とは全然様子が違う。春はまだだというのに、とんだ騒ぎとなった。

夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)


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2/20&21 2月懇談会はゲスト田所さんのポケットの多さと、民生委員さんの発言に支えられて

2015-02-22 06:00:58 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/20&21 記
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20日、仙台から 「CLC 石巻・開成より処あがらいん」などの石巻グループ長の田所英賢さんをゲストに招いて懇話会を開いた。今回のテーマは、被災生活の中で孤立する災害弱者を、いかに地域から取りこぼさず新しい繋がりを生み出して行くかという支援者の枠組みの仕掛け作りの事例と、現場の具体的課題を洗い出すことにあった。

被災4年目という年は、篩(ふるい)のような年だ。被災者も新しい生活を始める資力と血縁のある方と転居に踏み切った方が仮設から抜けて、農業など地域に根付く必要がある職業の方や、自助努力だけでは次のステップに踏み出せない荷を負った方が残る時期であり、職業転換には年齢が問題になる方や、支えてきた家族を失って生きる意味を見出せなくなった方などが数多く残り、見知らぬ復興住宅へ振り分けられていく時期だからだ。非被災地からしてみれば、支援のしようがなくなる時期であり、最終的には自分のことは自分でやるんだという突き放しの庶民倫理が働く頃だからだ。

一生懸命働いていれば道が開ける、子を社会に送り出せば人生を全うしたことになると懸命に生きてきた人たちが、幹をへし折られるのが災害であり戦争だ。一番見落とされていることは、人は他者へ関わることによって情熱的となり自らを成すという本性を、ひとりの自助努力と根性論にすりかえてしまうことだ。漁師として身を尽くして働いた方が家族と船を失い、高齢ゆえ船と無縁な補助的な仕事となり、それで余生を全うせよと言えるだろうか。支援者の手が引き、あとは本人次第だよというとき、その背後に私たちの社会は全くセイフティネットの発想がなかったことに気がつく。

単身者のアルコール依存症や不摂生による病死が目立ってくるのが4年目だ。旧知の仲の知人が身近にいなくなり、仮設入居の抽選、復興住宅の抽選によって、何とか知り合った方も再度散り散りにさせられていく、そういう意味でコミュニティの不在を耐え忍んで生きていかなくてはならないのが、4年目の危機だ。都会はもともとばらばらという論があるが、それがいいとは言える論拠にはなるまい。

被災障がい者の家庭の場合、同じ質の障害のご家族との交流が生きて行く上のコアの部分にあり、被災という厳しい状況の中で、地域サポートの質が低下する中で、生活を持続させるために、従来の利用施設をノード(結節点)にした、サポートの耐乏生活に入って行く。「障がい」と言っても抱える困難の質がばらばらなこともあって、横断的な発想は弱く、障がいの区分はこてされたままだ。東北の場合、生涯を家族が当事者を担って行くという発想が強い。私が「大災害の第一の波は『生命の危機の波』だが第二の波は『無理解と差別の波』だ」と書いたが、この第二の波は、生活にゆとりがない社会では、健常者のお荷物として、不利な位置に追いやられて行く。ぎりぎりのふんばりで生活してきた者が、いまひとつの努力(?)を求められる。

こういう状況下で被災した方々への支援を作り出していくことは、医療福祉ケアの専門職や行政職員や、田所さんたちのように、医療・福祉系の中間支援者以外は、生活支援には入りにくいだろう。昨年9月逝去された阪神淡路の医療系福祉の黒田裕子さんらが定型化した仮設内の集会施設と訪問支援を絆の枠組みとして、被災後を地元で生み出して行く契機が生まれる場を推進して行く、その役割の大切さを認識している。

地元に働く場を生み出したり、収益性の高い産業への転換を進めたりすることを否定するものではない。その土台となる生活基盤(私生活の安定・不安脱却)整備と老後・病後保障が必要と言っているし、再出発を立場を考慮せず同列のラインを引く乱暴さを言っている。

田所さんとの話の際、民生委員の方たちが参加してくださったのは、いい刺激になった。被災者の困難を語り支援することの大切さを主張されていた。

田所さんは、まず「避難所」の生活の具体例を語り、極限の疲労下にある方々が、自制できない声をあげたり、奇妙な行動(見慣れていない)を取る障がい者を追い出す殺伐とした状況が生まれたり、物資配給の不平等さに怒りをあらわしたりと、場が慣れてくるまでの異常さが議論された。

民生委員の方や町内会関係の方から、避難所は場によって違うが、近隣地区から8割の方が集まるというが、避難所の管理運営はどうなるんだろうという話から、議論の口火が切られた。要援護者救出を進める民生委員や町内会の取り決めが、避難所運営会議などに反映できない論調に違和感を感じるという話だった。しかしそれは、想定されない家庭の被災や、災害死などの混乱のなかで、大きな避難所では広域から被災者が集まってくるために意味を成さないことが出された。独立性の高い集落で、被災程度が軽い方が多く自宅生活されているところの避難所では、避難所運営が前の打ち合わせどおりである例が多いが、地域移動の交点にあり広範な地域から移動してくる避難所は、その打ち合わせのようにはいかないというように、場所によって違うということだが、予定外に柔軟に対応しながら、調整を行える実践力が現実的という話となった。

様々なエピソードが飛び交い、「福祉避難所」と言ったとき、その必要性がどこまで皆の中で共有されているかという話や、医療・介護専門職の人数が圧倒的に足らず、退役関連職への手助け要請だけではなく、いわゆる素人がなしうる境界面の支援活動を膨らませていく視点の大切さが話された。「わーく」としては「市民トリアージ」をその例として出したが、学校が一律に束ねる中高生の元気付けやお手伝い活動に収斂しない一個人としての中高生の応援例として、避難所外で生活している障がい者や寝たきり高齢者家族と避難所とを結ぶ「出前活動」支援などは、中高生の大事な分担になりうることなどが語られた。

「無理解と差別」という第二波は、被災地に学べば対策が得られるものと信じる。このとき大切な視点は、大災害は一面地域のリセットであり、障がい者とその家族のインクルージョンの契機であること。「あがらいん」のような非介護保険の公営受託の仮設内集会所のようなラフな場の出会いが地域に必要であり、このコーディネーターの意識的な働きかけが意味を持ってくるだろう。

●「あがらいん」

災害弱者支援の形を探って行く上で、孤立者と障がい者とその家族を受け止めて行くモデルのひとつとして、田所さんたちの活動の重要性を改めて認識することができたように思う。

災害ボランティアたちが風化と呼ぶ状況の他の一因は、首都直下・東南海地震へのリアルさの差がある。数日後には倒壊するビルでも、明日だけなら大丈夫だろうと宿泊する論理、日々それどころではないと考えて被災したチリ地震体験者の教訓などは、ひとごとといういわば「平常性バイアス」の感覚にもろにはまっているのは、悲しいかな災害弱者とその家族自身。今やるべきことは想像力の行使であり、理解者の検討の活性化であろう。「安全避難」に偏した災害ボラが、災害ボラへのレッテル貼りとなり、生死を運に託す悲しさ。

懇話会は被災地の体験と湘南の災害弱者の防災を生む契機作りの場だ。被災地の体験から、各々の活動を活性化して欲しいと願う。

会終了後、民生委員さんはカルチャーショックを感じられたようだ。それもまた懇話会の役割だと思う。

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夜間傾聴>ひとり(原付免許取得に動き出した)

(校正1回目済み)

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2/20 2月懇話会成功 ダウンしてました

2015-02-21 05:31:21 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/20 記
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民生委員さん、自治会関係の方の参加あり。
2月懇話会成立。田所さん、ポケットの多い方で成功。
感謝。

ばてて、いつの間にか寝てました。

生業の作業中、詳細はあとで。

沈没情けなし。

夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)

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2/19 湘南子どもネットワーク主催「決めつけるのはダメ,ゼッタイ…」に参加し/資料集作成完了

2015-02-20 06:29:34 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/19 記
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2月懇話会に出す資料集をとりあえず作った。やはり高齢者関連の記事が多い。意外なことに視覚障がいの取材が少ない。もともと、発達障がいや知的障がい・精神障がいの心の障がいは取材例が少ない。精神障がいに至っては、犯罪者予備軍のような偏見にみちた社会通念が広まっていることもあって、精神障がいの方の理解につながる取り上げが出来ている例は極少数だ。

家庭における家族の支えが、障がい者の場合、それが被災によって崩れるということは、死活問題につながる。家族を支える地域関連サポートが麻痺する状態では、被災地外施設に避難したり、他健常者家庭のように生活再建に割り当てる力の大半を、親子ともに生き残ることに割り振らねばならなくなる。同じ障がいの全国組織や利用していた施設からの支援があるが、激変する生活のストレスから、症状を悪化させるため、医療サイドの専門職のサポートが必要になる。

高齢者の場合は、誤嚥性肺炎・廃用症候群(生活不活発病)や、進行する認知症・孤立原因などのアルコール依存症、うつ病など医療支援の重さが大きくなる。保健活動が健常な高齢者に大きな意味を持ってくる。

しかし高齢者のほうが、マスコミの取り上げ量が多い。高齢者・障がい者ともに、当人の自主活動は表に出てこない。庇護される存在として扱われていく。

この資料集は時間を置いて見直した発災直後からの4年間の、生活実像と避難生活の困難の具体事例を優先して取り上げた。

いわゆる災害復興支援活動を「公」世界の交流とすれば、傷病治療と生活支援活動は「私」、「私」の世界の支えあい交流は、プロの活動に閉じている。だから大災害の場合、即座に破綻と麻痺に陥る。人材が足らない。だから「市民トリアージ」のように、医療行為と訪問・通所介護の専門職の活動と家族保健の中間地帯の活動を生む必要がある。

明日は大規模仮設住宅の「集会場兼食堂」の「石巻・開成より処 あがらいん」を運営している田所英賢さんとこの辺の課題について話し合う。この際、地域医療側から「包括支援ケアネットワーク」と災害弱者を支える家族が、従来のケア・プラン会議とどう違うのか、地域をめぐるサポートの指針、つまり民間活動と専門職の活動が被災状況下、協業がなりたつのか、懇談したい。

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湘南子どもネットワーク主催の「ダメ、やってはぜったいにダメ」というアスペルガー症候群の体験談。金田ゆうじさんのトークだった。

私は障がい者を治療という純粋培養するような発想のおかしさを感じている。当事者の年齢が上がるにつれ、ほつれ目が目立ってくるのだが、乳幼児や入学前児童の場合は、その辺が見えにくい。親の庇護が圧倒的に強いからだ。東日本大震災の中で、両親がなくなり、子育てのパワー不足の高齢祖父母に育てられたり、親戚筋が里親になったり、孤児として施設で育てられたりした事例が続出しているが、保護者との距離感の差まで視座にいれた治療を私は見たことがない。共稼ぎ家庭の学童保育の中で起こる軋轢をどう調整していくか、いわゆる生活に接するカウンセリング的な、つねに社会的要素との関係の中で語られて行くものの大きさを踏まえず、心身の内発的なゆがみ矯正や一律とは限らない発達の補正として関わるという形を私はとらない。インクルージョンというのは、手を結ぶことであって、無理やり金太郎飴をつくることではないと思うのだ。

金田さんの語りはおもしろかった。

私の知る事例でいえば、調理師になりたいというアスペの子を地縁で料亭に弟子入りさせた話だ。彼は書字に障がいがあり、読字も困難だったため専門学校よりも、まず現場で経験してからという筋で、親方にあずけた。ところが数日で追い出されてしまった。親方が指示するだんどりをことごとく、異なる方法で行い、学ぶ意欲がないと判断された。親方は怒っていた。

ところが弁当屋に就労させたところ、彼が左利きであることに気がつき、もしやということで、親方に左利きであることを知っていたかというと、仰天。実は親方は右利きを押し付けていたのだった。しかし、弁当屋は2度の失敗の末、就労した先であり、これをアスペの融通の効かなさの結果と判断していた支援者は果たして正しかったのだろうかと思うのだ。ひとの行為には様々な要因がからまっている。たしかに短気な親方と、この子の相性はよくないだろう。だから料亭の道を失ったことが、よくないことと判断するのも早計だろう。人間万事塞翁が馬なのである。

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会が終わったとき、軽度発達障がい関係の方から、退会を促す話があった。またかと思いつつ、災害ボランティアを始めて以降、ここでも軋みが生じている。泥だらけのランドセルを見た人と、両親を津波で失った自閉症の青年を知ったとき、「第一波は『命の危機の波』、第二波を『災害弱者への無理解と差別の波』」と私は書いたが、私は脳の現象としての障害、その補正という発想に立脚せずとも、関わりを生み出せる。

金田さんが生き抜いた社会がなんとも鬱陶しい。


夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

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2/18 懇話会の意義を伝える方法のなさに空ながめつつ/ビッグイシューを受け取り…

2015-02-19 03:22:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/18 記

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雨模様が続く。事故の跡の膝の腱が痛む。歳だなと感じるが、ちょっと不明な点があって、確定申告の相談をしに、税務署に立ち寄る。しかし相談内容はともかく、気分のよくないところだ。

藤沢の郵便局にまわり、東京の教材屋にげ書留便を出す。メールだけでは足らないものもある。しかし、字が汚い。我ながら嫌になる。しかし、先方の教材屋の編集者は贔屓目なしで、彼の方が汚いと思えるので、自己嫌悪にならずにすむ。まあ、お互いそう思っているのだろうが、被害者は郵便集配課の方々である。

ジュンク堂書店に立ち寄り「発達 128号 震災の中で生きる子どもたち」を取り寄せ注文。丸善もそうだが、最近定期刊行専門誌ばなれが極端になってきた。

小田急で、相模大野に出て届け物を手渡し、某ファミレスで防災の腱を専任たちに話す。次年度は教室でも地震避難訓練が初めて入るんだとか。机の下にもぐって、地震が収まったら、整然と避難する訓練するとかで、全く古い訓練方法だなと言うが、もちろん通じない。

帰りに湘南台に立ち寄り。ビッグイシューの販売人に会い、最新号を買う。雨が続くと食えなくなるという話を聴いて、ちょっと気が咎めて、地下の蕎麦屋で、ふたりで蕎麦を食う。おごりだが、立って販売することが中止の時間を使い食べている。旧知の友だから、食べたのであって、ビッグイシュー関係者としても話しているわけでもない。ビッグイシューは管理がきついが、文句が異様に強かったら私の方に連絡するように言っておいた。

朝日の「ともに 災害弱者の20年」という1月下旬に紙面に載ったシリーズ者がわりといい。議論の口火になりうるので、資料のはじめに挿入。

懇話会、是非出席を。

 

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

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2/17 神奈川県公立高校入試が済み…/どうも中途半端でいけない

2015-02-18 06:14:46 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/17 記
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2月懇話会の資料を作っている。最近、各社新聞の中に、2011年当時の災害弱者の状況が具体的に取材されている記事が散見されるため、これをまとめている。要介護の高齢者のおむつ交換や入浴サービスが途絶えたための状況や、発達障がい児の不安からの大声から避難所利用が出来ず、在宅生活による孤立によって、公共サービス情報からの孤立、透析患者の移動が道路事情により通院できなくなった例など、やはりと思わせる内容が続いて記されている。

湘南の防災と言ったとき、何らかの協力支援の関わりは考えうるが、東北の被災災害弱者支援となると、現地に行ってさえ、関わりが難しい。そのハードルをどう越えるかということは、現地活動をしている方と話す以外ない。

私の立場の特殊性からすれば、その支援のあり方の中から、若者の社会参加の活動を抽出していかねばならないのだが、そこは、まずは懇談手探りの中から、やぶこぎ式で道を拓くいがいないだろう。

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神奈川県の公立高校の入試が終わった。今年は非常用電話番だったが、携帯転送をかけて、海老名に出かけていたりした。大きな問題もなかったが、この入試担当、来年が最期になる。60過ぎてからは完全に窓際族だった。寂しさもあり。

3/7のワイワイ祭り(中央公園)は、打ち合わせに出なかったので、どうやら不参加になりそうだ。公園で行うと、議論もできなければ,映画も難しい。医療個人情報QRカードのサンプルを撒こうと思っていたが、来年も屋外なのだろうか。

某市議さんから昼食会のお誘いがあった。嬉しいが大妻女子大でJC-NETの大会が重なった。こちらも母の検査結果の付き添いが土曜日にあるので、JC-NETも1日だけになる。とにかく、進む以外なしというところだ。

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ビッグイシューが出ているが、雨天で販売員さんが困って、愚痴電話がかかってきた。私の受け取り分だけ、明日会って受け取ることにした。

夜間傾聴>**子の親
     
(校正3回目済み)

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2/16「わーくNo.051」配布し、らいふ萩園にお邪魔し他

2015-02-17 05:35:21 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/16 記
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高齢者通所デイサービスのらいふ萩園(リフシア)にお邪魔し、2月懇話会へのお誘いをした。所長さん不在のため、概要説明させてもらい取り次ぎをお願いして終わったが、しかし職員研修講演と少数懇談の違いがなかなか通じなかった。

幸いコミュニティ・バスの時間が合い、そのまま直行で市立病院に出ることが出来、こちらは「わーくNo.051」の「市民トリアージ・レポート」を聴いてもらった。救急外来の混乱については、確かに問題であることだけ応答をいただいた。

市役所の方も、防災対策課が興味を持ってくれたが、議会事務局では、偶然出会った**氏や、##氏も資料を受け取ったが、関心なし。

県保健福祉事務所は、担当者不在だったが、いつも読ませてもらっていますとの応答有り。継続して「おくすり手帳のQRコード化」に関心あり。

育成会は++さんに受け継ぎできた。
身体障がい関係は、空転。

あとは茅ヶ崎養護だが、懇話会の件を前回お願いしているので、「わーくNo.051」で情報混乱させるのはマイナスと判断。

「避難後、災害弱者におとずれる第二の波『無理解と差別の孤立の波』」に準備することという視座は、面食らうようだ。しかし、そうなのだ。インクルージョンの立て方自身が問われる。動かねば、消されてしまう。

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陸前高田の精神の作業所の%%さんからメールあり。某政党系の方だが、現場の言葉で語れる方だ。ブログを発見したとのこと。前回はサイダー、ご馳走様でした。呆れてしまう書き込みが多いでしょうが、ご覧下さい。雪、降っていますか。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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2/15 **子の発作/懇話会準備メモ

2015-02-16 05:47:40 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/15 記
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**子が昨夜、てんかん発作で救急車騒ぎだった。両親と同居しているが、当日、父親は商店会の会合で、母親は実家の介護で留守をしていた。夕食の下膳中廊下で失神。偶然**子の忘れ物を届けに行った近所の住職が発見。深夜、住職が私に連絡をまわし、ご両親に私がメールを飛ばして連絡がとれた。

私が夕食を済ませた22時、当人から電話が入った。打撲が多少あるが大丈夫とのこと。**子は、これがあるので、ひとり
遠方外出が出来ない。たまに夜間傾聴枠に連絡してくるが、宿坊のある寺の住職の協力があるので、まさに駆け込み寺をしてくれるので助かっている。

きょうもまたご両親ともにお留守だという。**子に不安があり、ご両親が帰宅されるまで、話し相手を請け負っていた。

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2月懇話会ゲストCLC田所英賢氏に事務連絡のメールをだした。今日、「わーくNo.51」配達時、懇話会是非と個別事業所をあるく。

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6月懇話会ゲストと連絡がとれた。自己紹介文を送った。書籍は2011年のもので、その後の活動情報が乏しい。その辺の打診も含めてメールした。障がい者の被災・避難生活について。健常者との協働地域づくり的な発想はない。

千葉の歯科医##さんが、同県の3.11支援に熱心な歯科医を紹介してくれた。そこから被災地の歯科医とつながれるか、打診を始めた。



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2/14 網膜色素変性症と/月曜にリフシアまわりで懇話会参加要請を

2015-02-15 05:52:58 | 地震津波災害ボランティア
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2/13「わーくNo.051」巻頭の辞「無理解と差別」について/追悼・黒田裕子さんの話の中で 他

2015-02-14 05:40:21 | 地震津波災害ボランティア

2015/02/13 記
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やっと「わーくNo.051」の作成が終わった。今回は「市民トリアージ」の特集号。東海地震の被害シュミレーションの結果表を2種類載せた。沼津市と磐田市、つまり東部と中央部の事例だ。市の環境も違えば人口も違う。それに従って病院の収容人数も違います。その上で、被災状況の吟味すればいいのですが、表のガイドを付け忘れた。市民トリアージの実践場面ではなく、必要性の資料だった。

時間が遅かったので、サポセンルート配布のみ。今は入試にふりまわされてしまうが、来月下旬になればひと息つく。

20日の参加要請チラシを今夜、作って「わーく」配布時に関係者に手渡すつもり。

今回、災害ボランティアは、障がい者支援活動には関係ないと言われたことがあったので、今回のメイン・タイトルを「☆☆私達は、災害発生時の『命の危機の波』と、その後の第二波…『災害弱者への無理解と差別の波』に備えます☆☆」とした。

災害ボランティアは安全避難と健常者のお祭りだから、私達は関係ないという言い方。「わーく」や「懇話会」は避災後の災害弱者の避難生活を支援し、医療福祉ケアの視座から長期伴走をめざしたいとした。それで「無理解と差別」という言葉を象徴的に使ったのだが、これは「その不当性に抗議し戦う」という態度に裏打ちされているんではないという表明もした。被災の裏の価値は、社会のリセットにあり、社会的関係性の結び直しにあり、インクルージョンの好機でもある。その意味で「新しい関係の結び直しを探る、それが『わーく』の願いです」と明記した。個々を忘れてはならないからです。

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今日は「金曜災害ミニ・カフェ」の日だった。今回は「追悼・黒田裕子」として、3本の番組を上映した。阪神淡路大震災以降、大型仮設団地の中に「グループ・スペース」(現在の集会所)を運営することで、高齢者の交流を進めた。しかし、亡くなる直前、黒田さんは故郷出雲の病院に移る際、西宮の病院で兵庫県知事と会う。その際に「福祉避難所」を「癌患者」「透析治療者」というふうに、ニーズが違うから、きめ細かい対応をと依頼していた。看護師の視点だなと弱者のイメージ例を見ていたが、「自閉症者」や「統合失調症者」のように、その社会参加に困難が伴う方を健常者と切り離して「束ねて」いく「居場所としての福祉避難所」は、実際上必要だが、社会参加をつむぎ始める好機も被災状況ではないか。私はここに経験者の外部支援の場面も考えられると思うのだ。こここそ、準備議論を積み重ねて可能性を引き出しておく研究活動が必要と思うのだ。ゆえに、障がい者が助かるのは時の運と匙を投げてしまう必要はない。その話を次号のレポートに描くつもりだ。

黒田さんの残した「集会所」形式は東日本大震災で、定式化した。ひとつの成果である。訪問介護・看護の評価は次回に。

夜間傾聴>臨時休業(すみません、ばてて。)

(校正1回目済み)

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