湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/27 冬期講習と大掃除の狭間でため息を/「黒板とワイン」入手

2010-12-31 13:37:12 | 引きこもり
2010/12/27 記
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冬期講習が続いている。私は30日が前期最終だが、講習自体は三賀日も続く。若手講師の担当だが、実際は熱心な連中だけが残っている感じで、さっさと自分の担当クラスが終了し次第消えている。

昨日は個人指導の生徒のトラブルが案の定発生し、担当講師が出かけていったため、私が後のコマの代わりを務めつつ、その状況次第で私が火消し屋となるので待機していなければならなかった。その時間帯、演習サポートが重なっているので、不安定極まりなかった。TT(チームティーチング)が敷かれているが、学生アルバイト講師なので、ひとりで切り盛りが出来ない。TTは彼の研修の意味が強いのだ。心配はあたった。生徒がキセルをしようとして見つかり、駅員に抵抗してしまった。怪我などはさせていないが、学校に連絡するというので、彼が泣きこんで連絡してきたという情けない話だった。講師君が引き取りに行って、まずまず事態は治まったものの、親御さんに伝えるかどうかで悩ましい事情があった。ともあれ、居直る彼の説教。社会的不合理に対する抵抗ならまだしも、キセルというのは情けない。そんな心情は伝わるべくも無く、実質は彼の最近の日常と家庭環境の把握のための対話が裏の価値だった。

毎回トラブルがあると私が出て行くとなると、相模原市は遠すぎた。だから、引継ぎ処理が私のところに回ってくる。今年のクリスマスは比較的静かだ。この件が起きて、むしろ逆にほっとしているという屈折した思いがある。

今年の講習はハンデを抱えている子たちの女子が少ない。もともと広汎性発達障害関係の子は女子の比率が少ない。これは困難が潜在化していることも大きいといわれるが、親御さんが進学を高望みしないということも大きいのかもしれない。社会人リターン組が比較的多いのが本校の特徴でもあるが、彼らは課題が明確になれば自習する。水先案内は、やりやすいといえるが、学力が高いわけではないので、頻繁に閊(つか)えるので放置は出来ない。

昼休みにその社会人リターン組の++さんとラーメンを食べた。彼はADHDを越えてきたひとだ。だが凡ミスが続き、結婚話があった最中退職に追い込まれた。スキルアップが結婚の条件となってしまい、ふんばっている。本来なら受験指導なのだが、彼の置き忘れてきた知識の取り戻しが課題となっている。入ってきたのが秋からなので、今年の受験は諦めている。進学できれば彼女の親も折れるだろうと語る彼に、目標の絞込みを指導してきた。営業マン独特の語り口を聞きながら、正月は彼女の両親と時間を過ごすという話に、雪解けの近さを感じていた。

図書関係も更新を済ませておく最終日になっていた。大和経由で横浜に出て、県立図書館の書籍更新をすませ、急いで辻堂に戻り藤沢分を更新した。憂鬱な気分で路線バスに乗った。私自身に戻れば、大掃除年末指令が下っている以上、一度帰宅しなければならない。2往復すれば4時間が消える。しかし、この年末年始、母とだんまり勝負していても仕方が無いことだ。家に戻ると、家の門前に父の部屋の壊れた椅子がふたつ並んでいた。…掃除が始まっていた。椅子を持って階段を踏み外したら一発だというのに。

階段を椅子を持って降りてきた母を叱った。突発的なめまいで通院している人間が、荷物抱えて階段を降りるかと思ったのだ。私が「いつになってもやらないからだ」と昨夜の再燃。そこに廃品回収の業者が現れ、対立は中止。父の2階の部屋の壊れたサイドボードや、古い机を、雨ざらしで足元の傷んだベランダから下ろして、門前の椅子と一緒に持ち去った。椅子は業者が下見したときに、降ろしたものだった。

私の部屋は、三途の川の石の山というかケルンというか、あちこちに本が山積みされている。せめてもと埃を払っているが、昔から母にはその本自体がゴミなので口論が絶えなかった。妥協線が障子という結界を越えないということになっている。文学小説系が全く無いので、マイナーな専門書は二束三文。オンライン販売が使えなかった時代は、業者に来てもらうほどの量は出さないので、宅配発送して見積もってもらうと送料だけで、本の売価が雀の涙程度になってしまうこともあった。これを整理していたら何ヶ月もかかってしまう。とりあえず床掃除を済ませて、近場で買い物を済ませると、次の講習の時間が迫っていた。

父のデイサービスを利用していた頃、週に数回はこれをやっていたのだ。だから慣れているといえばなれているが、数時間の往復の時間の読書はだから必要不可欠なものだった。しかし、実質片目になってきた今、左目の無茶は出来ない。症状が安定するまで、1月末に遮光レンズの入った眼鏡をかけて様子見をしなくてはならない。だからワイヤレス・ハンディ・リーダーが出来れば、異様な高額でなければすぐにでも買うだろう。活字行をなぞれば、読み上げてくれるツールだ。読みの意味解析が専門書レベルまで達すれば、クラウドPC経由でiPhoneなどで音声化する。長時間バッテリーが必要だが、この点でiPhoneはダメ。電池交換方式の方がいい。

ともあれ今度は相模線で橋本に出るので、サポセンに寄った後,北茅ヶ崎から橋本に出た。無難に授業を済ませたあと、講師の車に便乗させてもらって南橋本まで送ってもらい家に戻った。遅い夕食を済ませる頃には、夜間傾聴待機の時刻が迫っていた。30日までである。29・30は重なりが無い。あと二日である。

慶応大三田Cの地域連携の記録「黒板とワイン -もう一つの学び場「三田の家」」入手。地域への大学連携事例、何かヒントが出てくるか?


夜間傾聴:******君(仮名・珍しい)
     橋本2君(仮名)

(校正1回目済み)

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12/26 40年の二者択一のまま年は終わっていく

2010-12-30 07:53:50 | 引きこもり
2010/12/26 記
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冬期講習の私の役割は、ここ6~7年補助役である。もはや専任講師の中には私の年代はいない。外勤講師のカウンセリング業務に賛同サポートをしてくれる同僚も、ひとりは50代突入、もうひとりは30代後半というところで、同一世代というにはかわいそうな年齢である。私は年齢が上から2番目で、一番上が私より2つ上の契約講師である。もうひとつの職場の方は、賛同専任講師兼肉体労働派遣労働者が私の4つ下で、実に面倒見のいい男である。地元ではない私は何べんも彼に救われている。こちらは経営者が私とほぼ同じ年齢で理解がある。

だから私は高校生学齢の子たちは若手が主導し、リターンマッチ組(まるで定時制のようなクラス)は、私と専任が教室としては「余芸」となっているが担当している。学力のキャッチアップを主軸と謳っているわけではない受験と進学中心の教室だから、私のクラス担当の後継者はいない。ただこのクラスは昼間に授業することが難しいから、冬期講習は私が夜間担当を個別巡回型で行い、昼間出席できる生徒さんはできるだけ昼間に集めて、理念賛同の専任さんが授業をしてくれている。このクラスを除けば、他のクラスでは私は補助だ。

授業目標を立てて、2週間集中受講させるのが冬期講習だが、リターンマッチ組では、自習課題の集中相談のようだ。だから一斉授業の場に立てるのは前者の補間だけだ。

今日はその補間をやってきた。やはり教員の側からすれば、まとまったことを語れるので、そこから学習集団を練っていく伝統的な方法は、充足感がある。授業として充足しているかどうかは別問題なのだが。

帰りに1ヶ所巡回して帰宅。母に遅ればせの外食を駅前で食べさせた。胃切除のため固いものはすべて残すので、メニュー制限が厳しい。

母は30/31両日、冬期講習が終わるので大掃除をして欲しいと言い出し、初めから外出する約束を言っておいた私と衝突した。家とどちらが大切なのかと怒り出す。寿町の支援は命がかかっている。手助けしたい。私と40年もなんで二者択一を繰返すのかと声を荒げたのがいけなかった。だんまりを翌朝まで続けている。家を放置したつもりはない。しかし年越しを底辺から見上げるようなものにしたくないという感覚が母にある。若い頃は、人を見捨てて幸せは得られないのだと反論した。しかし今は、誰と泣き笑いしたいのかと思う。舟板一枚の地獄の上で生きている人の危うさを知る者が、だからこそ知る幸せの価値はわかっても、知らずに感受する者と同じ感じ方に戻ることは出来ないし、何かを失ったとも思わない。ともに活きるということを膨らませて行きたいのだ。食事は悲しい結末となった。生涯溝は埋まらないのだろうか。

母は帰宅後、寝室にこもってしまった。洗濯・炊事を済ませて年賀状に向かったが、さすがに書けない。機械的にメールをより分け、応答が必要なものを選び出した。私の歳は喪中の葉書が多い。県下の若年者就労支援活動の成長を跡付ける新聞記事を歯噛みして整理する。湘南でなぜ活動が育たないのだろうかと思う。領域を超えた横断的な地域起業の構想が描けていない。寿の風のなかで頭を冷やしたほうがいい。そう思うのだ。

飛田名シャチハタスタンパを買った。孤立HLの路上で渡す連絡先カードの裏に印を押した。



<<県下の就労支援活動関連記事より>>

●「困窮者の生活再建支援拠点がスタート、若者に特化し20団体が参加/横浜」
●「若者の就労後押し、JR大船駅そばの支援拠点「湘南・横浜若者サポートステーション」が開所2カ月/湘南・神奈川」
●「「市子ども・若者支援協議会」を政令市で初めて設置へ/横浜市」
●「若者の働く意欲を支援、高津区に拠点施設がオープンへ/川崎」
●「引きこもりの若者らを就労支援している飲食店がオープン1年、「働く喜び」を提供/横須賀」


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/25 クリスマスイブはいつも冬期講習の中

2010-12-28 14:55:07 | 引きこもり
2010/12/25 記
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交通渋滞はピークに達していた。自転車の効用がわかった。相模大野校は車通勤を禁じていた。私は授業を終えて一度茅ヶ崎に戻っていた。

イブのときに買い物袋を下げて歩いていると通行人の列が途切れない。横断しようとしても足を速めて前を通られまいとする。衝突寸前で袋を蹴飛ばしていく。私が10年前、交通事故を起こした頃に感じ始めていたことだが、ひとの関係性による距離感が明らかに変わってきている。立ち止まったり、先方を優先させたりすることが減って、通行人どおしが自分の前の流れを味方に、眼を合わせず至近距離を小走りするようになった。全体に忙しいのではなく、交差時の関わりが煩わしいのだ。10年前は、歩きながらイヤホンで環境音遮断しているせいかと思っていたが、その予想は違っていた。最悪のサラリーマン層のすきまに、おばさんもまた走る。

母がケンタッキーフライドチキンが食べたいと言い出した。私が帰宅する頃には冷えてしまうし、「21時以降は飲食をしない」と母はダンピング症状対策を打っているのに、その前に私は帰宅できない。「ひとりで食べるなら探してくる」と言ったので、子どものような要求は治まった。イブ当日に、うまいチキンにありつこうなど無茶な話。翌日には、いつもどおり食べられるのだ。

とにかく昨日は南側窓拭きと買い物だけで許してもらった。

今回は小学生の理科クラスを臨時で受け持った。テキストを進めたら、後は何やってもいいというので、筒の先に大きなビー玉を半分はみだたせて万華鏡を即興で作ってクリスマスプレゼントにした。筒の色は帰ってから何とかしろと言ったのに、授業後、職員室は鋏と包装紙を求める塾生でいっぱいになった。筒からビー玉のレンズを覘くと結構きれいだ。予算は塾長を口説き落とした。クリスマスプレゼントとすればCMになるではないかと。ついでに塾長はたこ焼きが好きだと嘘を教えた。近所にたこ焼き屋がないのに、どこで調達したのか、塾長の机はたこ焼きだらけになった。進学塾の塾長の顔をしていられまい。

今回の相談は拍子抜け。入塾相談のみ。イブの効用とみた。

「自閉症百科事典」が早々、茅ヶ崎図書館に入った。オンラインで一般書のように読み通すものではない書籍に6千円近くかけて、その割には利用者がいないのが常。注文かけた方はどうやら身の回りにいる方ではないかと予想している。くしゃみが出たら私のせいである。

28日か29日に父のいる老健に寄るが、沼津に関東に身寄りの無い統合失調症の青年とともに、沼津に引っ越した**さんが戻ってきていたので、茅ヶ崎でお茶の時間をいただいた。私の海老名巡回があったので、急がせて申し訳なかった。青年はしばらく入院していたが、今は病院系列の作業所通いをしていて元気とのこと。死への誘惑もなくなったという。孤立から救われた彼は、いい人にめぐり合えたなと思う。

私の巡回担当した方は、数年前まではかなり重篤な方もいらした。これらの方は予備校の関係ではなく、某クリニックが回復期に通塾させたその当事者と、東京の塾の塾生が通った軽度発達障害系の団体の紹介によるものだ。だからかなり遠方の方もいらした。

今は、相模原市・座間市・大和市・町田市エリアの通学・通塾していた方ばかり。現場の激突はなくなった。遭っても即座に対応できないが。直接命にかかわるような事態も本当に少なくなったが、ひとの抱える課題の深さは、地盤沈下のような気がつかないうちに深く崩落の際まで沈み込んでいる場合もある。だから単純比較は出来ないと思っている。面談をしていると、以前の方との知り合いの連鎖が切れた感じがしている。それが様子が変わってきた原因だろうと思う。

夜の授業は相模大野の方であったが、若い新任講師さんのカバーをしながら掛け合いを演じてみた。ぼけと突っ込みではなく、突っ込みと突っ込み。しんどいなこれと思っていたら、携帯の光が2ヶ所から。まあ、終了5分前だから逃げ切ったわけだが。小田急線1本遅れると辻堂まで30分以上違ってしまう。急いで改札をくぐって予定どおり乗れたのだが、買い物予定のダイエーに着いて愕然とした。そう、ビルの建て替え工事だったのだ。なにかぼっこりと抜け落ち、取り残された気持ちを抱いて家に戻った。

時は否応なしに流れていく。何回、冬期講習に干されたイブをくぐり抜けてきただろう。生腐れ定年だなあと思いつつ、壊れて閉まらない門を何回も閉めなおしていた。メリー・クリスマス。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     旗の台君(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目済み)

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12/24 冬期講習が始まった(まとまりがつかない、すみません)

2010-12-27 05:37:53 | 引きこもり
2010/12/24 記
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冬期講習が始まるのだが、道は連休でひどい混雑だ。路線バスの時刻表が全く当てに出来なくなった上、人身事故やら線路へのひとの立ち入りなどで、際どい時間で電車も移動が怪しくなっている。最悪なのは、他の講師が車通勤していて、彼の遅刻で授業に穴が開くことだった。相模大野の予備校は教室移動が少ないが、JR相模原の塾の方は、車を使って教室移動するので、トラブルだらけとなる。

私は両方の講習時間コマをいくつかこなしながら、主は巡回と親を含む学習相談希望者面談を済ませていく。とにかく私は風体のあがらない擦り切れ講師なので、初対面の親御さんは焦るようだ。相談は進学情報提供もあるが、私の専門はキャッチアップや、障碍特性を踏まえた指導の見通しをたてる段取り企画係のようなものなので、相談に時間がかかる。否応無く経験を積まされる役割なのだと説明すると、なるほど、だから擦り切れてしまったのだねと納得する。話して自分が嫌になるしょうもない話なのであるが。

私学の教諭の息子もいる。私の知り合いの教員の子も親の指導は反発されて、親が子の面倒を見るのはなかなかうまく行かないので、不本意な気持ちを引きずって塾通いをさせている。珍しいことではないのだ。しかし彼(子ども)は、教員のずるさを知っているので、いろいろ仕掛けてくる。私へのレッテルは全部的外れで予想外、彼はしぶしぶ学び始める。もともと勘所を世襲(大げさ)のように体得していることが多く、学力の回復は速い。しかし中には、とことん学習忌避を貫く強者もいて、それはそれで、ともあれ接点が有ればいいと、焦らず、さまざまな誘いをしかけていく。

だから、冬期講習を進学塾の一斉授業をイメージされると、私の持ち時間の様子は全く違っている。生徒は話を聞いていないとか、真剣に(白紙の)ノートを「じっと見ている」ので、同僚と組んで机間巡視しながら、個別指導ではなく取り出し指導を行っていく。ADHDの子もいるので、しんと静まったのは塾長が突然教室に来て、場違いなゴマスリをしたとき位のものだ。何をやっているのかと、びっくりしたというか…。

私は今回、面倒でも一度家に帰る組み合わせの日を多くした。母はいつも「冬期講習と大掃除は両立しない」と何十年も経つのに苛立っており、今年は父がいないので夜間の大掃除をやらされる可能性が高くなったからだった。学習相談との組み合わせの日に帰宅することが多いが、昼前か夜に学習相談を入れ、昼間に相談のときは、夜に授業、夜に相談のときは、昼前に巡回というような組み合わせを作って、一度帰宅した時間に大掃除もどきをして、再度出勤する。通勤時間ばかりがかかる。

ところがこの一日二往復が交通渋滞でかき回されている。困ったものだ。

@@さんから、メール販売で買ったビッグイシュー7冊の配達を受けて、ともあれ友人の1冊は届けたが、この混乱である、残りは1月になってからとさせてもらった。

今年は例年のように島忠ホームセンターに、資材を買い込むような大ごとは、母を説得して諦めてもらった。食事の下準備や洗濯をこなすと自由時間が全く足らないからだったし、ここで夜間傾聴出動の事態が勃発したら、たちどころに支えきれなくなるからだった。30日に寿町の越冬イベントに参加する。この日が講習前期の最終日なので、別行動現地集合で湘南あすなろ会レギュラーの方々には堪忍してもらった。

そろそろど年末ともなれば、葉ものの野菜が減っていく。日持ちするキャベツなどを先買いしていく。冷蔵庫は安物先買いの食材で、いっぱいだ。

しかし、今日は驚いた。店員が年末募集の新米バイトが多くて、奇妙な応対をするのだ。茅ヶ崎駅ビルの魚屋レジで起きた出来事なのだが、私の清算の最中、ハプニングが起きた。私は小銭を使いきってしまおうとした。それを心身の不自由な老人と思ったか、私の財布に手を突っ込んできたのだった。びっくりした。手伝うつもりだったのだろう。しかし私の後ろは、ひとりだけ。混雑しているわけでもないので叱ったがやりすぎ。てきぱき働くのがサービスと信じている。ましてや、財布を他人がいじるのは、失礼千万である。

私の降りたバス停では、ひとり先に降りた80代の男性が、通りかかった自転車に衝突して転倒した。しかもその自転車、逃げ去ろうとしていて、私が名前を怒鳴ったので彼は諦めて止まった。彼が落として行った紙袋に大きく名前が書いてあるのが見えたから、その名前を呼んだからだった。

「行きつけの近くの整形外科に行くからいい」と、腰を押さえて起き上がった男性は、砂を振り払って奥さんの介助を受けながら、犯人を置いて立ち去ってしまった。

さて捕まえた自転車の青年をどうしたものかということになった。バスは止まったままだったが、転倒した方の無事を確認してやっと動き出した。

被害者がいないのではしょうがない。整形外科の場所を指図して、「謝りに行け」と指示し、私たちは彼を解放した。師走は若者が休みになるから、せわしないだけでなく、危ないのだ。なぜ停車しない。無灯で隙間をすり抜けようとする。転倒して大腿骨骨折でもしたら、被害者が寝たきりになる危険性だってあるのだ。

冬期講習の混乱が始まって、ここ数回はまとまりがつかない。申し訳ない。

焼豚2本予約。おせちは生協ものの安物で。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     東林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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12/23 溜まっていた新聞記事の備忘録/人間ドックと大腸内視鏡検査

2010-12-25 05:46:11 | 引きこもり
2010/12/23 記
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昨夜の23時過ぎに専用携帯が鳴った。すわと思ったが、出たのは酔った同僚の講師だった。冬期講習が始まるのに、今から呼び出しも無いだろうと断ると、どうやら酒代が払えないらしい。「社会勉強。身ぐるみ剥がされなよ」と言って断る。「全く、生徒には聞かせられない話だ」というと、その聞かせられない生徒(成人)と飲んでいるんだという。「奥さん泣かせしないで帰れ」というと、その奥さんも一緒に飲んでいた。全く…。

12月は22~25日が一番荒れる。酒気帯びで教室から追い出され、講師と口論になったりする例は毎年のように起こる。古い話では覚せい剤もどき(実は砕いた氷砂糖)事件もあった。家出対応を打った年もあった。私のような爺ぃを待機させておいて、中年どもが酔いつぶれていてどうするんだというが、若手はとうに消息不明で蒸発している。いいから来てくれとしつこい。深夜、茅ヶ崎から町田まで呼び出すとは、何を考えているのか。意地悪に電話を切った。

●「「貧困、ブームではだめ」 今冬一転、寄付の毛布足りず/朝日」

という記事を読んだ。生活支援は波があってはいけない。しかし空き缶条例は何とかしたい。日常生活の隙間があってはならないと考える地域住民と、隙間の隅々にまで荒仕事する業者の対立の脇で日干しになっているがホームレスだ。空き缶まで奪わないで欲しい。ホームレスの既得権を主張する場合、その対象のホームレスが特定の人間や団体ではなく、社会現象として出てきている階層なので、既得権を引き受ける側として成り立たないという論理が成り立ってしまう。だからホームレスの利益を代弁する組織が必要になる。ここが小回りの利かないことになる。越冬のような事態は遠回りしている余裕が無いから、向かう相手が行政になるが、この住民の想像力の無さをなんとかならないかと思う。

冬期講習が始まってしまうと、情報収集の作業に手が回らなくなるので、溜まっている資料を読み返す。

ビッグイシューが関わった記事もある。

●「若者ホームレス実態は」

若手ホームレスがどのように路上に出てきたかを調査した話だ。ここに明らかな社会階層の歪みが見える。経済的に不安定な家庭に育つものが半数いるというのだ。格差社会の階層の断層がここに見える。アンケート回答者の35%近くに精神症状がでていたという。私は引きこもり青年の中でも心身に障碍を抱える方を優先して巡回している。しかも進学の意思表示をしたり迷っていることを告白した方を看ている。だから経済的には際まで追い詰められていないので、様子が少し違っているが、すぐ先に迫る家計逼迫は、耐えられずに路上に転げ出るのは遠くない状態でもある。ネットカフェ巡回を再開しても、受け皿をどう整えたらいいのだろう。

私が引きこもり青年の地域起業に適する仕事になんでも屋があり、その中心に「高齢者・子育て支援買い物代行」があると語ってきた。都市部の高齢者向け買い物代行は、介護保険制度下のヘルパーがそれを行っているので、競争にならないとの問題点指摘がある。しかし要介護レベルではなく要支援レベルの方のサービスは後退しており、この層の方への支援を中心に置くこともできる。この方々は、自分で買い物をすることが可能だが問題があるというレベルである。

しかし介護認定も申請しなければサービスが受けられない。特に対象となる独居の方は情報が適切に伝わっていない例も多く、現実には孤独死に至る極例もある。このなんでも屋企業は、高齢者御用聞きシステムを背景にするので、調査巡回業務の結果は、サービス時間の不足はすぐにわかるだろう。ここに社会資本としての展開がありうるのであり、行政サービス代行の範疇からはみ出す地域支えあいの領域に踏み込む形もありうる。採算はその部分からも検討されるべきなのだ。例としては生協活動との連携などである。

この買い物代行は、半径500m以内に店舗が無い郊外・過疎地から試行が行われている。長野県の例が記事になっていた。

●「高齢者の1割が「買い物弱者」 県調査(長野)/朝日」
●「買い物お手伝いを支援 県商工労働部(長野)/朝日」

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引きこもり青年や、若年無業者の就労支援は現在むしろ「パーソナル・アシスト」という個々人に寄り添って就労へと取り結ぶ活動が注目されている。ハローワークのジョブカード(仕分け対象になったが)と同じく、継続的に当事者の就労活動を追い、当人に向いた仕事を探して職場に納めていく、適材適所型の企業就労支援である。しかしこれも、例えば精神障碍の方のように、急性期と寛解期の波がある方や、体力的に短時間労働となる方や、通院回数が多く就労日数に制限がかかる方などの場合、自前の起業活動を前提とした方が安定就労できる方もいるので、適材適所配置では収まりきれない例も出てくる。「パーソナル・アシスト」自身は、地域起業した場合も必要な活動であるが、むしろそれは地域セイフティネットの活動として位置づけられるべきだろう。

企業就労に困難があるが、福祉的就労からははみ出してしまう方の自立就労の道を拓く試みをいかに重層的にたてるかというところに、公共のニーズとして地域の社会的弱者の生活支援労働がある。

今はその断片的な試行の情報収集を徹して行い、ひとつのモデルを生み出す事が必要。実践が拡散しているので、実例を育てることに至らずとも、実現可能性を示す必要がある。

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母の偏食が一層進み、高カロリーの洋菓子で、食事の代わりとしてしまう傾向が出て困っている。しかし問題は食事後、落ち込むように睡魔に襲われるという訴えが出てきたことだ。血糖値の激変が影響していないか、胃切除者糖尿病の入口ではないかとあれこれ考えてしまう。地元内科医は、結局わからないというのが実態のように思える。血流増加剤と睡眠導入剤の処方の薬剤をあれこれ入れ替えて、症状にヒットするものを探している状態だ。

人間ドックは私はあまり期待していないが、より総合的な病態像に踏み込めるかと母が希望しているのだが、もうひとつの目的の癌転移検査。検便陽性で転移の可能性のある大腸の内視鏡検査は、胃切除している者には負担が大きいという難がある。胃がない分、内蔵配置に緩みがあり、内視鏡が腸を飛び出して動いてしまうという。ところが大腸内視鏡検査は、日帰り検査となっており、母の場合、条件が違うので日帰りがきついという。ところが1泊となると宿泊できる病院が案外少なく、宿泊の場合、不必要な検査がセットされるために高いところでは20万円を超える。保険外である。この辺の融通の聞くところを探すために病院が限定されてしまう。

昨日は藤沢の順天病院のセンターと、平塚共済病院を当たった。前者は大腸の内視鏡検査が無く、バリウムだけだったが、隣接する脳神経外科とタイアップした脳ドックが可能という話で、先方は主治医の紹介状を使って、大腸内視鏡検査を保険適用させて総合病院1泊したほうがいいという。

一方の平塚共済病院はとにかく混んでいた。転移のチェックのように、時間を空けないほうがいい検査があるので、一応対象外とした。冬期講習が始まってしまうと、病院探しが出来なくなる。母を週明けに、順天病院に連れて行くことにした。

父の老健から連絡が入った。父の上着をもう早々に汚したという。洗い物を回収という話が出たので、老健で洗ってもかまわないものを買ったのだと母が説明した。介護はとにかく雑用が多い。持久戦のような思いが入所後も続いている。

海老名巡回。帰りに海老名で買い物。冷凍の刺身の柵を仕込む。ちょっとだけ正月の香り。

<<注文書籍より>>
●「「渦中」の心理学へ-往復書簡心理学を語りなおす」
●「地域精神医療におけるソーシャルワーク実践-IPSを参考にした訪問型個別就労支援」


夜間傾聴;相模大野3君(仮名)
     小田急相模原君(仮名・お久しぶり)

(校正2回目済み)

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12/22 今回は個人的な話、師走の風感じています

2010-12-24 10:09:54 | 引きこもり
2010/12/22 記
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母が父の冬場の上着を探しに藤沢に出て、いつの間にか袢纏(はんてん)を返品していた。四六時中母を監視しているわけではないから当たり前であるが、急に出る「めまい」「四肢のしびれ」「嘔吐」が解決しているわけではないので、雑踏や下り階段の事故を考えると、出かけるというひと言が欲しい。

一昨日の母の体調悪化を受けて、翌朝、地元医の母の通院に連れ添った。一夜明けて、昨日のことが無かったかのように軽快に歩いていた。だから医師は診断しにくい。ただ更年期障害の症状と似ている症状もあり、更年期障害が閉経後のホルモンバランス異常であるのに対し、母のような高齢者の場合は内分泌異常が潜んでいるように思えてならない。胃切除後、母の体重は15kg以上減少し、身長も5cm以上縮んだ。2年間の変化だ。当然カルシウム代謝もバランスが崩れ、手術前までの年齢より5歳若いといわれてきた骨年齢が、現在は骨粗しょう症予備軍と警告が出る状態に落ちている。急激な老化の歪みが体調のバランスを崩しているとしてもおかしくはない。

結局は服用薬の変更があっただけで、返されてしまった。血流をよくするという薬の変更。素性の知れたジェネリック薬への変更のような気がする。

母を連れ帰り、準備しておいた昼食。母が買ってきた混紡ニットの上着を抱えて父の老健に届け、伊勢原経由で相模大野に出ることに。

老健に行くときには、寿司を差し入れている。入所者は生ものを食べていないからだ。おやつの時間にかかるので甘いものは重なるので買わないのだが、母の好みの麩まんじゅうがあったので、一緒に買いこんでいた。

入所半年で父は痩せた。生の活性(ジンメル好みか)が抜け落ちた状態、病み上がりというような状態に似ていた。食事をするのは玄関ロビーに連れ出してからなのだが、半身不随の悪い方の足が、車椅子の足掛けに持ち上げられない状態に悪化していた。感覚がなくなりつつあった。今までは立ち上がり、足をひきずっていたが、多少は全身の体重移動を使いながらも足を運んでいた。それが動かなくなった。今回驚いたのは、好物の寿司を避けるようになったことだ。麩まんじゅうを使って、内緒でテストしてみた。案の定、味覚異常が起きていた。これでは食が進まない。食事はカロリー・コントロールされているが、それ以上に食が進まない原因になってしまう。この点は施設の看護師に伝えた。

父は上着を無感動に着込んで、窓の外の中庭を見ている。眼差しが宙に誘い込まれようとしては、私の話に元の身体に帰るという繰り返しが始まったので、ロビーから、認知症フロアに戻った。母に父が無関心だったとは言えない。困ったなと思いつつ、フロア責任者に上着のことを伝え、パスワード解除してもらったエレベータで玄関に降りた。

残った食物は、持ち帰らなければならない。麩まんじゅうを包み直してショルダーに、そっと押し込んだが、寿司は駅前でゴミ箱を探さなければならなかった。じわじわと体調を衰えさせていく父には、おそらく子が感じる悲しさとは違った感情が入り混じっている。父の分の家族の介護も支えてきた終章が始まっている。しかし、父の代役として家族の介護を支えてきたことや、直接殴りはしなかったが父の身勝手な強制に耐えてきた過去が痛みとなって、怒りに似た感情が常に寄り添っていた。許しもなにもない。ひとはもともと残酷な顔と慈愛に満ちた顔の裏表を持つ存在だから、そういうものとして認めていけばいいのだ。

相模大野駅を危うく乗り過ごすところだった。母に上着の報告電話を入れて、気持ちの区切りをつけた。

冬期講習の予定確認を済ませ、東林間の巡回。大和から横浜に出て、県生涯学習センター経由で県立図書館の書籍更新をすませ、急に腹が減った。考えてみると時間がなくて朝昼食べていなかった。自分の薬も忘れていた。ぶり返しの低血糖感覚が出ていたのだった。ジョイナス出口のビッグイシュー販売員の++さん誘って何かを食べようと販売場所に行ったが、時間が少し遅かったか空振り。急に店に入る気が失せて、立ち食いそば屋で済ませた。夕食があるので丼半分。

有隣堂書店事務用品売り場に戻って、年賀状を仕込んだ。めでたくもないが、年中喪というわけにもいかないなあと馬鹿なことを考えながら、大船で降りた。夕食を仕込むのは藤沢よりも大船の方が駅ビルを出ないでも済むのだ。

買い物袋をぶらさげて、茅ヶ崎の改札口を南口に向かって歩いていたら、突然、若い子が礼をして通り過ぎた。あ、鶴嶺高の子だとすぐにわかって、ワンテンポ遅れてひやりとした。「ボケ爺ぃだ、これでは」と思いつつ、深呼吸してバスに乗り込んだのだが、乗客のキャスタにつまづいて、両替のコインを床にばら撒いていたのだった。右目のせいだった。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/21 湘南あすなろ会の定例会がありました/、「記名1品販売」支援活動?

2010-12-23 16:25:37 | 引きこもり
2010/12/21 記
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湘南あすなろ会の定例会が終わった。定例会の日程が毎週水曜日体制から土日中心の体制へと移行してから、土日夜は主婦は参加しにくいことや、一定の曜日ではないために、日を間違えやすいという問題が起きている。元販売者の**さんの就職が決まり土日に変更したが、日曜出勤があることがわかり、再び曜日の再検討を始めることになった。次回は、1月8日(土)18時半から、茅ヶ崎サポセンで行うことに。

今回は継続論議が多かったのだが、ひとつは声かけカードが決まったことが次のステップの始まりとなった。

3種類のデザインから選んだカードは、一番シンプルな登山靴風イラストが入った図案のものになった。(画像参照)空白部分に夕食会とか、交流鍋の日程などをメモ書きして手渡す。

私の私用携帯電話の番号を24h連絡先にした。湘南あすなろ会の公式番号と違うことが議論されたが、このカードは名刺ではなく、ホームレスの方が心身の危険を回避し生活を守るために、手助け仲介を求める連絡の糸のようなもので、昼夜問わず連絡が入る可能性があるので、受け入れ体制が無くてはならない。その意味で会の公式連絡先では影響が大きすぎると説明し、了解を得た。

幸か不幸か、私は不登校・引きこもり青少年の夜間傾聴をやっている関係で、夜間は起きている。非常対応を取るための足がなかったが、来年1月中には自転車を買う。個人対応の限界はあるが、言いだしっぺは自分でやらなくてはならないので、拡張を決断した。

ところが私たちは、ホームレスの生活支援まで活動が成長していない。だから

「湘南あすなろ会」
「>困ったら連絡を下さい」
「地元炊き出し・医療・行政に仲介します。」
「ビッグイシューを売っていた団体です。」
「TEL/e-mail とびた」

とした。これは名刺ではないので提供情報を割り切り、最小限の情報と機能を持たせた。活動内容はOさんが作っている「湘南HL便り」にすればいい。デザインが一番シンプルなものになったので、左側の空白の書き込み欄が優先になった。あとは会員が裏に印鑑でも押して、使えばいい。

とりあえず、12/30の横浜・寿町詣(もうで)がメモに書く内容になりそうだ。私たちが生活支援を支えるまでに成長していないので、配布は限定的に「孤立化しているHL」に手渡すことにしている。

次にビッグイシュー残部の清算の報告。
片方に情報確度のチェック機能が無い。そういう中で見事に歪んで断ち切れた販売契約終了の経過後追いは闇の中。ともあれ清算はしなくてはならない。一応バックナンバーの返送も済んで、支払い残しがないかチェック。不明なところがあちこちに残っている。常連さんへのご挨拶とともに、東京事務所にも連絡を取り、確認中。しかし、虚しいとも言っていられない。まずはけじめを。

30日の横浜・寿町詣(もうで)の最終確認。14時に茅ヶ崎駅改札口集合で出かける。予測を立てて回数券を買うことにした。今回は現地の空き地で交流会をやる。炊き出しの弁当(汁?)と、こちらが準備したワンカップ1本。私は冬期講習の前期最終日の始末後、現地合流。翌日大晦日も講習後、夕方まで手伝い(お邪魔)に行く。

市川ガンバの会がHLまたはその経験者の作品展を開いた。これも地域交流の契機になる試み。問題は、もうひとひねりコーディネートが必要に感じている。たとえば、「記名1品販売」だ。オンラインでいえばハンドルネームでもいい、その名前とシルエットをそえて、彼の履歴アウトラインを書く。ずらり皆さんの作品を並べるのではなく、その履歴付きの作品(商品)をカタログ販売していく。帰ってこの方が、その人の顔が見えるし、作品に込められた願いも見える。徹底した個人販売。これあたりを同様の活動をしているところに呼びかけてみようと思っている。会が販売活動、オンライン活動を始めていく。それには個人販売ウェブをもって市場にでる。それを湘南あすなろ会がやるかどうか。これは来年持ち越し。偽名であれ名前を剥ぎ取らず、本人が人前にでることが大事。それが意味を持ってくる。作品(商品)の質は吟味が要る。

もちろん、これは障がい者、引きこもり者の起業活動にもつながっている。ピンと来たら、どんどん盗んで真似して下さい。やれるひとがやる、それが社会運動です。

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数日間、母は調子が良かったが、夕方、足がしびれると言い出し、ストーブの傍らに横になってしまった。食事後、母は急に足がつり、うめきだしたので、養命酒を飲ませた。弱くてもアルコールがあり、母は顔が赤らぐ。ワインが無いので代用品と言って含ませた。上向きに寝かせ、腰ベルトを緩めて、両膝を立たせた。落着いてきたら、白湯をゆっくり飲ませて部屋の温度を上げた。

母の状態は、これは前兆症状で、やがてダンピングの逆流、嘔吐が始まる。夕食に天ぷらが入った。これが引き金を引いたのだろうか。母はハイカロリー食、私がローカロリー食という厄介な取り合わせ。エビなら、母が天ぷら、私が茶碗蒸しといった具合。

案の定、0時過ぎに嘔吐が始まった。生理食塩水程度の食塩水で口を濯がせた後、白湯を枕元に置いた。明日は地元医に連れて行く。

母の不定愁訴外来と人間ドック1泊入院は、来年早々の北里東病院神経内科受診の際、紹介状とデータをもらう。年内は人間ドック候補病院2ヶ所の受診。日程の隙間できるか。

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早めのクリスマス・プレゼントに、友人の娘さんに毎年絵本のセットを贈っている。今回は「WITH MY LITTLE MOON」の初版英語版を入れた。私が交通事故入院の手術ミスで2年目のクリスマスを迎えたとき、小児科と整形外科兼用の看護師さんに日本版が出たから図書棚に買っていれろと言った本だった。残念なことに小児科医不足で子ども入院患者さんがいなくなって、結局その本は私の独占となった。先行きの不安で押しつぶされそうになった夜、当直の看護師を蹴散らして、隣の誰もいない小児科病棟の図書棚のところへ、車椅子で出かけ、松葉杖を抱えて絨毯の奥の棚にたどり着いた。そのとき、眺めていた本の一冊だ。

子どもの頃の神々しい死の川原の満月の記憶、高校時代私が家出して見上げた空の記憶、子どもを引率して下田に流星を見に行ったときの細い消え入りそうな月の記憶などいくつもの記憶を伴っていた。中学生だったら、この黄色、空想世界の色であり、願いの表現なのだということが通じるかなと思いつつ。(他の2冊は気が向いたら紹介する。)

母親から到着御礼のメールが届いた。飛びついて箱を明けて中身を持ち去ったそうな。今は地理に燃えているとのことで、娘さんとは、年二回の絵本を通したまもなく10年になるお付き合い。サブダの初版英語版アリスは、親子そろって声上げたとか。あれは技だが。

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冬期講習私は24日から。若手は今年も年越し講習をやるようで、年越しカップヌードルの箱だけは事前に差し入れしておいたが、お湯が無いと大騒ぎしていた。そこまでは知らない。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     東林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/20 孤立ホームレスの方への声かけカード(名刺もどき)を作ります

2010-12-22 14:47:16 | 引きこもり
2010/12/20 記
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慈恵医大の診断をどう受け止めたらいいのだろうか。結局右目は実質放棄ということなのか。それとも両眼失明を避けられそうな話を喜ぶべきなのだろうか。ひとつ言えることは、網膜色素変性症の治療法は確立していないこと、これは確実だ。レスキュラ点眼薬とビタミンAの服用という経験的な療法は、明確な治療効果のデータがない。血流が増し、眼圧が下がるということは言えるが、それが症状改善に結びつくかということでは、どうやらやや改善するらしいということだった。ならば、左目が治療できるとなぜ言えるのか。

医師は左目の残存視細胞の数が多いと言っていた。右目は明るさや色、ピントのすべてが失われるわけではなく、何かの能力が残るだろうとも。

この結果は希望でもあり、不安でもある。実際、今、自分の両目は直射日光を見るとハレーションを起こして、視野がまったく確認できなくなる。右目は、「E」の字の雲の様な陰の隙間からものの形がちらちらと見える程度の状態になっている。左目のちらつきの進行はここ1年、進んできている。これが抑止できるのか、そのことの不安が残る。右目はまもなく明るさと、すりガラスを通した程度のものの色と形の雲の中の世界に包まれる。

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鶴嶺高校の生徒さんたちの感想が返ってきているので、今夜の湘南あすなろ会の定例会に資料提供する。販売者**さんが就職したため、茅ヶ崎販売は終わる。しかし、日常生活支援まで活動は成長していないので、この生徒さんたちの声にどのような接点を持っていったらいいのか、この辺を今夜話し合う。

私にとって、ホームレス支援の一番重点化したい部分は、地域の生活・就労支援ネット作りに関係付けられた地域交流と就労支援ということになる。私たちの就労支援は仕事斡旋は違法なので仕事作りや仕事情報提供になる。

そのためにも、もっと個々人の路上で出会うホームレスの方々と接点を広げていかなくてはと思い、メモ書きを入れて手渡す、名刺のような連絡メモを作ることにした。これを常時携帯して、話しかけていく。そのメモデザイン案を3例作った。ここの連絡先は「電話番号・e-mail」のふたつ。緊急連絡先は私の個人携帯を公開することにした。24h連絡が入ることになる。日常活動を支えるところまで活動が成長していないので、地元活動へ「仲介」とした。医療や行政とつなぐ部分で、やれることはやっていく。ビッグイシューという活動の軸がなくなった今、活動の柱は2本だ。

ひとつは、地域・市民活動との交流と広報活動。(交流鍋など)
もうひとつは、パトロール参加や、孤立HLの方への声かけ活動。

この2点。後者は緊急出動が出来るように来月自転車を買う。片目なので危ないが、動きが取れなくては活動にならない。

私は新参者の位置を逆に使って、始まっている若手HLとの接点を重点化したいと考えている。ニートとの微妙な接点である。

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夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/19 慈恵医大眼科の検査が終わった

2010-12-20 14:19:37 | 引きこもり
2010/12/19 記
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慈恵医大眼科の検査は午後からだったので、昼食の下準備をしてから家を出ることが出来た。しかし品川>田町>御成門と短区間の乗換えが多く予想外に時間がかかるので、20分前にと余裕を取ったつもりが滑り込みとなってしまっていた。局部撮影と聞いていたが、網膜電位図つまり神経反応の電位分布を見る検査だった。視細胞には桿体細胞と錐体細胞がある。ひとの網膜にはが中心窩付近に錐体細胞集中し周辺に桿体細胞が分布している。電位差を計測することで、ダメージを受けている部分をその2つのタイプの細胞の分布の形で捉えて、障害されている部分の様子をつかむ検査というわけだった。

光量を変えたフリッカー光をあてて計測が行われるが、時間のかかる検査だった。まずまず薬を使って瞳孔を開く。これが数十分かかる。その後、暗室に入って完全に瞳孔を開く。これが30分。検査のためにセンサーのついたコンタクトレンズを両眼にはめるために、麻酔の点眼薬を入れて、効果が出るのを数分待って、レンズを装着する。検査開始。フラッシュ光から段々光量があがり、フリッカー光を浴びせ計測。部屋を明るくして眼を慣らさせ、再度同様な検査を繰返す。

土曜日、検査を受け終わる頃には外来に人影が消えて、しばらくして現れた別の患者さんとふたりで結果を待った。この検査は実は前の眼科で体験済みだった。だからなんと診断されるのか、大まかな予想はあった。ただその状態が進行しているか否かが、関心事だった。

診断は典型的なタイプではないが「遺伝性」「網膜色素変性症」「が疑われる」というもので、家系に視覚障害が出た者がいないので、劣性遺伝の可能性があるというのだった。「非遺伝性」だろうが「遺伝性」だろうが、両眼失明することが一番怖い。その辺の見通しのことについて話し合った。私が次々質問し、医師がそれに答える異例の診察。

右目については錐体細胞の減少が著しい。しかし左目は予想以上に視細胞が生き残っていて、視力回復はしないが現状維持の可能性が十分にある。右目についても完全失明にはならないだろうという。明るさは保存されそうだという。対策として視覚障害5級を申請し、遮光眼鏡で昼間の太陽光から眼を保護すること。現在のレスキュラ点眼薬を続けること。ビタミンAについては、通院観察を続けることで、希望があれば薬を出す。ということで、一番大きなことは、左目について現状維持が十分可能と言葉が出たことだった。朗報といえば朗報。右目はダメという意味で、無念は無念。実験台でもいいので、可能性を追って欲しいと伝えると、治療法がないのが現実。だができるだけ新しい知見はお知らせしますという話となり、ここの継続治療が決まった。私としては説明責任と情報提供をしっかりやってくれれば満足ですと告げて診察は終わった。

次回は私が普段なしうる治療法は何かということ。つまり戦略を立てるということの相談をし、前々日に局部電位図を取るということになった。

専門医のところにはあるそれほど珍しい装置ではないが、網膜色素変性症の専門医が少ないので検査を受ける機会が少ないということになる。

本が読めなくなる。それは致命的なことなので、そこだけでも歯止めがかかったような気分だった。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     相模大野3君(仮名)


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12/18 **さん、誤認のご指摘ありがとうございました

2010-12-20 11:02:23 | 引きこもり
2010/12/18 記
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今日これから慈恵医大の眼科検査を受ける。診断と同時に見通しの説明をうけることになっている。

昨日は案の定、母の体調が崩れた。老健に出かけた体力の消耗というより、ストレス。苦情処理はどは私に任せると約束していたが、仕事中の私に配慮したつもりで、自分がオーバーフローしてしまった。ストレスを抱えている者は、昼間平常のように見られ、ひとりの時間に無理が噴き出してくる。これは母に限らず、私の夜間傾聴で様々な話をしている若者も同じだ。

母の状態は、大きな流れとして、老化・急な体力低下があり、胃切除とその後遺症という背景がある。そこに体調との戦いがあったり、今後に対する不安や失われていく処理能力への苛立ちが重なっていく。父を入所させた結果、母は介護側から降りるという関係の変化にさらされた。親族の少ない家庭の同居者は私だけである。親子の関係もバランスが変化せざるをえない。その変化に母は混乱している。しかし、子のいない家庭はどう軟着陸するかということが問いとなる。その思いは、他の子中心に回る家族との言葉が通じなくなることでもあり、見えない切断が母を孤立させていく。想像力の欠如を思っても、もって行きようもないところがある。常識という横暴はどこにもころがっている。少なくとも私はそれに敏感でありたいと自分に念じる以外ない。

母は6時台にダンピングを起こし、9時に某石材屋から墓地紹介の電話が入り起こされて、そのまま起きてしまった。気分の悪化を訴えるのですぐに地元医につれて行った。この関係でこの書き込みは私が間もなくでかける隙間に書き込んでいるので、今回はメモ風なのをお許し願いたい。

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あるホームレス支援関係者の方が、私のブログを訪れて、愚文を読んで下さった。そのなかで、私の事実誤認がある点について、メールしてくださったので、改めて以下の点、訂正します。

1)茅ヶ崎におけるビッグイシュー販売前任者をカトリック教会の方と書きましたが、プロテスタント教会の神父さんだったとのこと。

2)また、私が鎌倉でホームレス・パトロールに参加させていただいたとき、運営団体を鎌倉カトリックの信者さんたちと紹介した件で、そのような関係ではないとのご指摘がありました。

ご指摘ありがとうございました。
以上、訂正致します。

31日の寿町手伝い(お邪魔?)は、主夫業ゆえ、昼前に出ることができません。出来るだけ早めに行こうと思っていますが。

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丸善から輸入絵本の問い合わせの応答が帰ってきた。Rapunzelの版が売り切れで、来年3月にハードカバー版が出る。予約するかとのこと。異常は応答の遅さでキャッチしていたので、別のものにした。X'masプレゼントが3月というのは、いただけない。落合恵子さんのクレヨンハウスは健在かなと思う。仕入先を数箇所もっているのだが、店舗に最近全くお邪魔していないので、様子が分からない。来年一日かけてまわってみようかと思っている。

鶴川君(仮名)ブログを見たそうで、冬期講習、今年は私が担当なのでよろしく。奥さん候補、今回は隣に座るのは堪忍してください。別席でお待ちを。

「スクリプトによる社会的スキル発達支援」入手。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     相模大野3君(仮名)

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12/17 今回の冬期講習はアフタフォロー屋かと/迷惑な来訪者

2010-12-20 08:24:51 | 引きこもり
2010/12/17 記
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ホームレスを支援すると言ったとき、私は単純にホームレス人間を支援しているわけではない。佐藤さんだったり、鈴木さんだったりと特定の生涯につまづいて路上にでてきている個々人と出会っている。そういう個々人の出会い方が路上生活からの脱出という共通の願い、路上に生きていくというひりひりした命の全うの仕方の宣言に寄り添う形で私とその方々が対面している。

私は鶴嶺高校のボラ塾授業のなかで、ホームレスの方をよく見て欲しいと訴えた。人生に傷ついた「隣のおっさん」でしょう、お湯かける人がやっぱり変だと語った。この「隣のおっさん」に気付くには、名前を剥ぎ取られたホームレスというレッテルを剥ぎ取って生身に帰らなければ、「おっさん」に至らないだろう。今では「おっさん」だけでなく「あんちゃん」もいるが。

この付き合いには私にも名前がいる。湘南あすなろ会会員という肩書きでも、日常生活のカスタムメイドの支援は出来る。生存と基本的人権を支える活動は、それだけでも大変な仕事だ。しかし、その活動は一律のサービスの提供の形もありうる。しかし、恒常的な仕事の就労支援となると、個々人の生き方から離れて支援することは出来ない。なぜなら仕事は表現だからだ。

つまりホームレスの就労をめぐる支援活動は、ひととひととの価値観をめぐる極めてプライベートな部分と、ばっさり突き放したカスタムメードな部分の緊張という構造を持っており、挫折と辛酸をなめた方であるがゆえに、きれいごとではいかない。そこに筋をどう作り出していくかという点で、試行錯誤に耐える部分と、ばっさり見通しをひらく施策的な部分を併行して作り出していく。

この両面の顔は、大きな実践もひとりの方にかかわるような小さな実践でも、常につきまとうものだから、その片側を見失えば活動事態が成り立たない。

社会的困窮を伴う課題に取り組む活動は、そういう意味で関わる者の資質を揺さぶり続けていく。この部分が見失われてはならないだろう。舞台への投げ銭的構造を突き崩していくことがない限り、課題は解決しない。鶴嶺高校の例のように、当事者同士として関わりの場にひとりひとりを問うこと。関わりを固定することなく、その活動の中に次の活動を胚胎していくような活動を作ることが必要だ。今、考えている交流豚汁鍋のような小さな活動も、次の活動をそこに内包している。これは一例だが、活動は双方の関係を作り変えていく質を孕むことに自覚的でありたい。

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JR相模原の方の塾の冬期講習への関わりは、例年になくアフタフォローの性格の強いものになった。講師がやめて引き継ぎ時に問題が起きた。講師の指導のスタイルが違ったためだ。こじれる前に会議に出しておかないと、公共教育と違ってあっさりとやめてしまう。その際でその生徒さんを私に引き継いだ。爺ぃの役割というのはそんなところだが、その生徒さんが私を一定程度知っていないと、火中の栗を拾うような事態になってしまう。幸いひとりは以前担当していた生徒さんで、あとは初対面。学年もばらばらだ。個人指導となる。今回来年分に1回、奇妙な茶話会を入れさせてもらった。ゲストに、彼らとは全く関係のない若手講師を呼んだ。顔は知っていても話したことのない違う学年の子たちと、私と若手講師の奇妙な会だ。私と講師が塾の授業運営の内輪話をして、彼らがからむという短時間の会だ。浮き上がり目立つことを避ける現代の子たちだが、ここで手ごたえがあれば、月例化していこうと思う。気がついた方もいるかと思うが労務管理の方法であり、なかなかうまくいかない方法である。理由は単純。刺さっている棘をそこでは抜かないからだ。でも始める価値がある。

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相模原の事務調整のあとで、海老名で巡回を済ませて寒川図書館に立ち寄った。書籍更新を済ませて路線バスを使って「ジャスコ前」で降りるつもりだった。茅ヶ崎サポセンの下車停留所である。眼が覚めたら茅ヶ崎駅にいた。印刷があったが戻る気になれなかった。

母に連絡を取り、約束どおり駅前で外食を取ろうとしていたら、母は父の老健に行って帰宅したところだから戻るのは嫌だと言い出した。父の宗教の関係者だろうか直接老健を尋ねた客があって、彼らが母に連絡し、母が慌てて老健に出かけたらしい。車を使う人は距離感を知らない。母は疲れて帰ってきた。今朝のダンピングで睡眠導入剤を使っており、その反動が出る時間に歩き回ったのだから当たり前。いく必要はないと母を叱ったが、呼び出されたのだという。突発性のめまいが起きたら、主治医は休み、病院の緊急外来を使うことになる。配慮のない呼び出しに腹をたてて帰宅した。

老健で宗教活動があったらしく、ケアマネさんたちに注意されたという。呼び出しはそれとは関係のない、父の要望を仲介した内容だったが、何も今すぐ母が持っていかなくても良い様なものを、母は持って行った。入所に不自由はさせないという意地があったという。先方はこれっぽちも悪いとは思っていないだろう。相手にするなと母をたしなめたが、通じない人には通じない。

生協の配達があったので、食材は豊富にあった。炊飯し鍋物を作って配膳しようとすると、母は茶の間のストーブの横で寝入っていた。起こすのをやめ毛布をかけた。お互いカウントダウンに入ったのだなと思った。大回りはしたくない、そう思った。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)

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12/16 茅ヶ崎・維新カフェ「アリ地獄のような街」上映と関根健次氏講演に参加しました

2010-12-19 06:52:06 | 引きこもり
2010/12/16 記
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北里東病院神経内科外来に行き、東邦大医療センター大森病院の心療内科宛の紹介状を依頼した。行き先が決まらなければ紹介状が書けない。決まったなら窓口で申請せよという面倒な話。地元医ではないのだから、こういう融通の利かなさは嫌になる。受診予約が取れているわけではないので、受付の事務員が仲介になって医師と話をする。次回は1月。そのときまでに書いてもらい、データも添付してもらう。両者とも勿論有料。ここがダメなら、次々とこれを繰返さなくてはならない、データは転用可能だが。

幸い北里大学系の病院は、私の巡回のエリアと重なっている。昼に相模大野でひとり、会うことになった。時間が早かったので早めの昼食を取る。ゆうちょ銀行のチェック。約束の時間に行くと、彼は外に突っ立っていた。カウンター席以外に空席がない上、ダメだったときの次の店が満席だったのだった。とりあえず図書館に入って彼のノートをチェックした。ただここで彼の指導をやると職員が注意しにくる。伊勢丹の休憩椅子も向いていないので、結局もとの喫茶の空きを待った。湘南でも結構対話できる無料の場には苦労する。私の行為が営業行為だからだ。10分ちょっとで席が空いた。

彼は冬期講習不参加だ。もともと進学予備校なので受験の危機感はいやおう無く教室に蔓延する。その空気が彼の体調に不可解な動悸や過呼吸を思い出させてしまう。彼を街に引き出す意味もあって、喫茶店などで対面指導するが、最悪のときは彼の家の茶の間が学習の場となる。彼の部屋は最後の砦だから、了解が得られないときは、無理しない。自宅訪問のときは茶の間までに止めている。

彼は公務員になりたいという。安定志向というわけではない。彼の父が公務員だった。彼に安定志向の話をして彼の意思を聞くが、あと大学4年間迷いたいという希望に、それ以上話を絞らなかった。

相模大野から新宿に出て、御茶ノ水の東京医科歯科大附属病院に1泊の検査を相談するが、ここには心身医療科があるが、手術前やターミナル・ケアのような受容の担当科のようだ。いずれにせよ、初診は精神科受診が必要だし、精神科・心身医療科ともに予約制だ。順天堂大学病院はメンタル・ケア科の扱いになって、いずれも中途半端だったから、人間ドックも以後の同院の診療につながらないものとなる。身体症状だけなら消化器内科があるが、母は「めまい」があるので、精神の影響を評価する心療内科を当たることにしている。

懐かしいエチオピアでカレーを食べて茅ヶ崎に戻った。

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茅ヶ崎では、コミュニティホールで維新カフェに参加した。私は「維新」とか「事変」という言葉がどうも馴染めない。明治維新は国家の独立と個人の自由をもたらせたというような発想は、その後の天皇制国家への道の口火を切ったことを忘れているし、そこでいう個人の自由とは、富裕層の平等だったからで、ここに変革の期待をこめて「維新」などと呼ぶことは抵抗がある。流行語といえないのだ。茅ヶ崎北口のパチンコ店の看板、「湘南事変」などはもってのほかだ。「事変」は、血なまぐさいニュアンスが伴う。住民の健忘症を感じて、母ではないがめまいを感じる。新語ではない歴史の貼り付いた言葉には敏感でありたい。

今回は文句だらけになりそうだ。

「アリ地獄のような街」上映と、社会起業家・関根健次氏の講演がカップリングされていたが、運動論が古いのだ。

●「アリ地獄のような街」

私はこの作品を見ていて、高校あたりでこれをやったら、飽きる子が出てくるだろうと思った。テーマの深刻さの割りに、登場人物が絵解き物語の人形のようにステレオタイプ化しているからだった。筋書きを訴えるための人物、これは日本の商業放送TVでは、もはや流れなくなったものだ。TVを観ていたら、ちょうど長い予告編を観ているような錯覚を起こすだろう。

四ノ宮浩氏のスカベンジャー・ドキュメントの連作を見ている私には、上映作品が大きな限界にきている方法論に基づいていることに気がついた。四ノ宮作品を上げておこう。

●「忘れられた子供たち スカベンジャー」
●「神の子たち」
●「BASURA バスーラ」

始めはフィリピンのスモーキーマウンテンと呼ばれるゴミ捨て場で、一家揃って有用なゴミを拾い集めて生活している最下層のスカベンジャーと呼ばれるひとたちのドキュメントだ。ここにも「子ども」が登場するが、劣悪な環境の中で病死したり、犯罪に巻き込まれたりしている。しかし、このままではいけないという思いと併行して、終戦直後の日本の子どもを見ているような親しさと、それでも生きていく姿への共感が生まれていることに気付く。この「生活の根としての共感」という部分が四ノ宮氏が開いてきた地平なのだが、今回の作品の人物はダッカに突然あらわれ、自分の役割を演じ悲惨と閉塞を訴えていく。観客は参与の余地無く傍観者に押しやられ、外野から憐憫と義憤をかきたてられる。作品が特定目的のプロパガンタなのだ。

義憤を束ねる運動は、底が浅くなる。理由はふたつある。ひとつは作品に対峙させられる観客は正義という公的な顔で向き合うからで、千差万別の個人が自らの心のうちと照らし合せる前に、類的立場、公的人間としての判断にその過程が抑制されるからだし、もうひとつは、目的を持ったものの操作という、世界の歴史には苦い経験の蓄積する大衆操作に対する無防備が潜んでいるからだ。為政者の大衆操作に対して同じ方法で対することは、社会改革には泥沼を引き寄せることでしかない。四ノ宮礼讃というわけではないが、共感の根をたどる作品は、この時代の壁との格闘の果てであった。

今回の作品のところどころに登場する道端にただ座り込んでいる大人たち、じつはこの光景、日本のスラム、寿町の様子と似ているのだが、作品は通り過ぎてしまう。つまり社会が紹介されていない。犯罪を巣くわせている大人社会の状況が突然、関係者のドラマに飛んでしまう。犯罪を取り締まりきれない警察も警察署の光景としてしか描かれていない。ドラマ手法とか、直接の社会批判を避けた表現は、その国家の思想統制に縛られて、マスコミに載せられる範囲に意識的にカットしている場合もある。「これはフィクションだから」と逃げる隙間を作っている場合もある。だから、そういう表現の断片化、粗さは批判しないとしても、「犯罪」「子ども」というテーマの立て方も、これは過去のプロパガンタ型の古い作品と同じ。それでは底が浅く固定されてしまうと思いながらこの作品を見ていた。その作品の訴える内容が間違っているというのではない。浅いし深まらない、正義の御旗を見上げたら足元は見えないのだ。映画の収益金の用途ではなく、それを訴える方法、作品の質の問題だ。

このあとの関根氏の話がもろにその構造に陥っていた。社会矛盾の羅列解説がはじまり、社会改革の必要性が語られたが、同質の話は誰が話しても同じ訴えができる内容でしかなかった。後半、彼はそのことに気付いていることをあきらかにし、彼自身が何をなしているかを語り始めた。

社会余剰の切り取り方として、はやっている、営業販売の一部を社会改革のための資金としてカンパする、かの「“想い”と“頭脳”で稼ぐ 社会起業・実戦ガイド 「20円」で世界をつなぐ仕事 」で著者・小暮真久氏らが手法を広げた「企業CSRと結んだ」手法に乗った、ホームページバナー広告に似たクリック回数が寄付金になる方法を始めて、その寄付金額が膨大なものになり始めていること等が紹介された。むしろこの経過を彼はもっと具体的に話すべきだった。

途中DVD(傷があったのだろう)が止まったりしていたが、それよりも義憤操作の方法は退色していることに気付くべきだろう。深みと広がりを求め、共感のネットワークを敷いて行く時代に入っていることを検討してもらいたいと思ったのだった。

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21時半に叔父の件で従妹から電話が入ってくることになっていた。カフェが延長となり、バスの時間が迫っていた。最後に++さんの締めくくりが有ったが失礼して会場を出た。

それはそれ、必ず時間ぎりぎりは失敗する轍をまた踏んでしまった。結局12系統のバスではなく、01系統のバスに10数分待って乗り込んだ。電話はすれすれセーフだった。叔父退院の話だった。

母にリンゴを剥いた。50年代に据え置かれたような画像が眼に焼きついていた。リンゴがばかにすっぱかった。

明日から冬期講習面談である。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     中央林間君(仮名)

(校正2回目済み)

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12/15 集中病院巡回中

2010-12-18 08:24:34 | 引きこもり
2010/12/15 記
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相模原の塾の方も冬期講習の最終調整に入っている。今回は教室の授業を少し担当することにしてもらった。ただ最終コマに入ると、相模大野の方とは異なり、地域地元教室では路線バスがなくなってしまう。最終コマと前のコマが組んであるので、前のコマも芋づる式に入れなくなる。車の運転をしないので、こういうときに遠い塾は小回りが利かない。

母の師走は混雑前の鎌倉と考えていたが歩くのが長いのは嫌というので、結局二ッ谷というバス停の傍の割烹もどきでお茶を濁すことにした。胃切除しているので消化の悪いものはすべて食べ残してしまう。高い話をしないで母を満足させるには鍋物か寿司のような和風のものが無難だ。しかし電話をして驚いた。当たり前といわれそうだが、ど年末は予約などとれるはずがない。いきあたりばったりで連れていくが、順待ちかなと行く前にうんざりしている。冬期講習の時間帯とぶつかりそうで、ひやひやしている。

大晦日は昼間、寿町に手伝いというか、邪魔かもしれないが炊き出しに行ってくる。冬期講習は30日まであるが、この日は湘南あすなろ会の寿町ツアーをやるので、午前中と授業コマを考えていたが、我が家に事件が起きそうなのでやめることにした。そのつけは新年にまわる。若手は大晦日から三賀日通しで授業を担当する。受験指導という奴で、これはイベントだなと傍観決め込んでいたが、3日の授業コマを割り振られた。仕事が無いよりはましだろうと思っている。1月3日、出かけるなら隙間に寿町にいく。短時間なので役にも立たないだろうが。

母の不定愁訴外来探しは、一応東邦大大森病院としているが、大船周辺も回っている。しかし、予約待ちの長さと問診時間の短かさはどうにもならない。薬漬けまではいかないにせよ、引きこもり関連の情報網が逆に活きて、効果があまり見込めないということになった。東邦大を除くと不定愁訴外来は案外少なく、東大や板橋、国府台に飛んでしまう。東大は時間が短いだろうし、板橋、国府台はなおさら遠い。大船のクリニックを打診した。私の受診ではないことを説明するのになんとも時間がかかった。結局条件あわず。

次に横浜市大病院に行く。茅ケ崎からは乗り継ぎが多くて敬遠していたが、ここは児童精神科があるので、商売上は身近なところだった。精神科もデイケア体制が一応あるので行ってみたが、母が続かないだろうと思った。予約待ちもあるうえ、重点が認知症外来なので、不定愁訴のような身体症状を統合的に見ていく心療内科というより、やはり精神科なのだと思う。おそらくは病院行脚となるだろうと思っているので最終グループかなと思って申し込みをしなかった。

私の眼の方もそうだが、標準的な疾患ではない場合、病院選びは労力がかかる。しかも、うちは向いていないと即答する病院は、まずない。全く同じ検査を繰返され、結果断られる。この検査も予約制で日にちがかかり、検査費が消えていく。だから直線的に受診せず、併行して受診し選んでいく。そうしないと一年はあっという間に過ぎてしまう。数ヶ月待ちなどざらだからだ。

不定愁訴外来探しと、1泊内視鏡検査付き人間ドックのふたつをさがしてまわっている。電話はたらいまわしの挙句、御来院下さいで切られてしまうので、精神衛生上よくない。私は高齢心身症の背景には、更年期に有ったような内分泌異常があって、ストレス耐性が崩れていくように経験的に思っている。母の嗜好の変化は胃切除によるものが大きいが、唾液分泌や高齢者独特の脂ぎった眼光の涙腺分泌の衰退開始が観察できるので、急坂の老化の現象のように思えてならない。とすると、より身体的な神経内科でいいのではないのかとも思っている。しかしいずれにせよ、担当科横断した全体症状を観る眼が医療には欠けている。統合科が無く、神経内科はその範囲の専門科として、心療内科は不定愁訴外来は数少なく、むしろ精神科に吸収されいくほどに医師が少ない。

みなとみらい駅周辺のクリニックに内視鏡人間ドックを探ったが1箇所で時間切れ。高い、余分な検査がセットになっているから、なおさら高い。東海大大磯は、祖母の介護の頃、いい印象ではなかった経過があるうえ、認知症外来が重点なので、入れていない。

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大船を回ったので小袋谷の若者サポートステーションに立ち寄ろうと思ったが、ぶらり寄っても仕方が無いところなので、改めてK2の方をお邪魔しにいくことに、根岸である。

今年は年賀状を書く気にならない。親しいところが喪中の方が多く、世代だなあと思う。閉塞感が強いからだが、また出す頃は、冬期講習に振り回されるのかなと思う。

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右目の痛みが続いているので、地元医に飛び込んで洗浄してもらったのだが、ドライアイ点眼薬が一応楽になる。となると乾燥も一因なのか。

医者廻りで今日も終わる。18日の慈恵医大の局部撮影を経れば私の方は、善いにせよ悪いにせよ、ことは動く。しかし、母の方は鵺(ぬえ)のように原因がわからない身体症状が続いている。冬期講習が始まる前に病院だけでも決めてやりたい。

今日はテスト屋詣で駿河台界隈を2軒まわり、順天堂大病院総合診療科に相談しに行く。ただ順天堂大病院には心療内科や精神科が無く、メンタルクリニックになってしまう。帯に短し襷(たすき)に長しなのだ。東京医科歯科大病院は別の日に。

巡回、橋本。空振りなり。疲労感。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     □□君(仮名)
     自由が丘夫妻(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目済み)

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12/14 医者巡回のような一日を

2010-12-17 17:20:55 | 引きこもり
2010/12/14 記
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湘南あすなろ会のパトロール用名刺(テスト版)の3種類を作った。街角でホームレスのひとたちに接点を持とうとしたとき、きっかけとなるものが欲しかった。湘南あすなろ会は地元関連団体や行政などの仲介にたつことはできる。以前の基本連絡先ガイドと異なり、直接先方を紹介するものではない。また、市民活動などとの連携活動は、私たちがある程度の独自性を持つことが出来る。県立鶴嶺高校のボランティア塾の授業45分2コマの授業は、何人かの生徒さんの心に届いたようだ。こうした周りを変えたり、協調する活動は、あすなろ会の細々とした展開力の中でも行いうる。だからここをデザインしていきたいと思っている。

今相談しているのは、市民活動サポートセンターのワイワイ祭り(3/5)の豚汁交流だ。花壇整備や清掃などの単発仕事が出来ないか、そこから知り合いを増やしていけないかと思っている。法的に仕事の斡旋は出来ないので、直接の出会いが意味を持ってくる。

鶴嶺高校の生徒さんたちのアンケートが送られてきたので、表を印刷した。著作権のことがあるので公開出来ないが、他校の類似のボランティア紹介授業にも例の少ない課題を紹介できたと思っている。ドキュメント「『ホームレス』と出会う子どもたち」の北村年子さんたちにも、報告しようと思っている。

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母がまたしても早朝ダンピングを起こした。2時と5時台なので、今日は10時に相模大野で保護者面談があったので寝たようではない。夜間傾聴は待機をしてはいるが、予約がはいっていないときは仮眠を取ったり、仕事を片付けている。それも中断したような状態だった。

頓服に睡眠導入剤をもらっていたので、それを飲ませると今度は午前中起きてこない状態となってしまった。老化のせいか唾液の分泌が低下しているので、パンを好まなくなっているので、下準備をして家を出て行くときのメニューが結構面倒くさい。

何とかバスに間に合って時間通り教室についたものの、気になっていた。面談は訪問調整まで話が進んだが、これは長続きしないことがわかっていた。神経症を持った車椅子生活の女子だったからだ。校舎がバリアフリーではないので、家庭教師ということになるのだが、来年3月から親御さんが働き始める。そうなると当人しかいない御宅に爺ぃが訪問するわけにはいかなくなる。神経症の部分がなければ学生を割り振ることも可能だが、難しそうなのだ。何件か渡り歩いて本校にこられたようで、むしろ川崎の関係者につないだ方がいいのかも知れなかった。とりあえず年内に本人と面談することになった。

睡魔に襲われつつ、登戸経由で武蔵小杉に出た。聖マリアンナ東横病院に母のがん検診ドックの件で相談に行った。母がダンピングを起こしているところで、転移がないか内視鏡チェックするのは、日帰りドックでは負担が大きい。1泊させてもらえるところを探していた。北里は本院も東院も無理とわかっていたからだった。「めまい」「嘔吐」の方は不定愁訴外来を求めて、東邦大医療センター大森病院の心療内科を受診することにしたが、時間をかけてくれるところでなければ、地元心療内科でも大きな差が出るとは思えなかった。その辺の話が一致したので、大森病院を選んだ。ところがここは一般の人間ドックは、やっているものの検査をしぼって1泊という条件になると該当しなかった。

細かいところで問題を残しつつも、聖マリアンヌは候補に残っていた。1月の受診の話をまとめてきた。丼に顔を突っ込んでしまうほどに眠かった。横浜の県サポに出て、内緒の場所で1時間仮眠を取った。

駅東口のそごう地下の富澤商店で粉類を仕込む。ここは煎餅作りでもお世話になった。母のハイカロリー食の仕掛けを仕込んでおきたかったのだが、1袋の量が多い。それが難。

母から携帯にメールあり。頼んでおいた父の袢纏(はんてん)が到着が遅れると連絡があったという。また老健の段取りが狂う。年末は予定が崩れどおしだ。ともあれ、用件が終わったので、帰りに私の糖尿病の主治医のところに寄って時間を調整し、再び海老名の巡回を済ませて帰宅した。なんとも無駄の多いコースだが、時間が折り合わない結果だった。

県サポの生涯学習センターで「発達障害白書2011年版」を受け取った。例年になく長期間待たされた。


銀だらの粕漬けを焼く。この手なら母も食べる。しかし魚と一緒に手も焼いていること、わかっているのかなと思う。胃切除者は食欲とは無縁だからだ。

夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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12/13 ソーシャルファーム型の地域就労モデルを描き続けること

2010-12-17 17:07:39 | 引きこもり
2010/12/13 記
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右眼の調子が悪い。自分から見て「E」の字に深くかすんで,鼻側が特に見えない。調子の悪いときは耳側、つまり体側側の奥が、瞬間引きつれたように痛い。ところがここ数日は鼻側が痛む。眼球運動を支えている筋肉に異常があるのではないかとか、涙腺に異常があるのではないかと仮説をたてて眼科医に質問することもあったが、検査に異常がないという。母の「めまい」と結びつけると中毒ではと疑るが、医師に笑われてしまう。

元の医師は非遺伝性網膜色素変性症と診断した。しかし患者の会を通じて話を伺ってみると、症状の進む速度はむらがあるが、引きつれのような症状の話は聞いたことが無いという。涙液やドライアイ用の点眼薬を使うと、痛みはやがて治まる。疲労したときのように眼が充血してしみるような状態とは別に、瞬間引きつれ、痛む。しみる症状は別に起きているが、覘いてみても充血していない。

日曜日なので眼科は休み。刺激の少ない売薬のヒアルロン酸系点眼薬を買って、場を凌いで小田急線に乗った。幸い、ちらちらと流水の影のようなちらつきが見えるが左目は、かすみが晴れてきているので、幸い座れたので相模大野まで眼を
閉じていた。眠ってしまう可能性が高いので、iPhoneの目覚ましをセットしておいた。案の定目覚めたら鶴間。熱さまし用のパッドをあててみたら、なおさら痛くなった。血流かなと思いつつ、蒸しタオルを職場の沸騰室で作って当ててみる
と楽になった。

帰りに本厚木に出て3月の講演会の講師依頼の件で話し合った。1月30日にソーシャルファームの国際シンポがある。ここが日程の限界かと思う。

日本でソーシャル・ファームを語ると、家内工業が世界企業を名乗るような実態のうそ臭さが出てしまう。それほどに実践を映した統合的なモデルが社会活動の中に生まれていないのだと思う。地域起業という話がすべて原資の力に矮小化さ
れてしまう常識の壁が超えられない。木が根から枝を広げるような形でしか運動の広がりがイメージされていない。つる草のような絡み合い、つまりネットワーキングの網目のような発想を根底にした成長の論理は、オンライン交流と結びつ
いた諸活動やワーカーズ・コレクティブのような形の活動の例があるが、IPSリカバリーの中に垣間見るような内発脱皮の情熱を組み込んでいく実践には、なっていない。そつ(口+卒)啄の機のような内発性の条件がモデルに捉えられていない。


引きこもりの領域では、着眼点が少なくとも5~6年は後手を打っている。発達障がいの視座や、企業就労を前提にした生活・就労支援センターをポンプとするような送り込みの発想から抜け出せない。実際、特に手帳を有する方の就労は、
身体の方を除けば、当事者活動になるほどの数の就労実態ではない。圧倒的には障害年金と生活保護をベースにした福祉的就労の中にいるし、手帳を取得していない、または社会的挫折の範囲にいる方の自主活動は一部店舗活動の中にしか芽
が育っていない。社会に潜在化している困難を抱えた方や、若年層を超えていく手帳を有する方の力動的な束ねの実践が検討されていない。

ソーシャル・ファームは、大きなヒントを提供してくれる。無媒介な夢物語と切り捨てる前に、ボトムアップの可能性の前に心引かれて立ち止まる、そういう瞬間を生み出したい。

私はそれを消費生活社会、つまり私生活の部分、生み育てそして引き継いで終えていく人の生涯の営みの場としての地域、ここに公共のニーズを求めることによって、参加の価値と協働の場を育てたいと考えている。これによって、個々人を育て上げ、送り出すという発想から、政策的雇用創出の網をかぶせていく。

先日の「わーく」の懇談会の中でも指摘されたが、都市部はホームヘルパー制度が高齢者や障がい者の生活支援を安い料金で行っているので、なんでも屋的な企業は競争にならないという指摘がある。それでは立ち上げはホームヘルパー企業なのか、それならやはり原資はある程度いるし、実際、競合は無理だという論だ。

実際、なんでも屋の経営状態は引き手あまたの状態ではないし、おおきなニーズとして表面化していない。しかし、ホームヘルパーが近郊都市部の社会をカバーしている率は、過疎地と違うとしても、支えきれていない層が厚いことから新入
参加できない状態ではない。しかし、社会的弱者ならではの独自の領域が見込めるからこそ、ここにこだわるのであり、それは活動を通じた社会参画を担うという部分だ。彼らを地域社会の潜在力として登場させる視点があるからだ。仕事を
有償社会活動として捉えるのだ。これは賃労働としてのホームヘルパー職の求人開拓ではない。

まもなく始める「買い物難民」読書会MLは、まず現在社会問題化している高齢者の地域生活困難の実態を整理するところから始めるが、仕事の切り出しを通じた社会参画の見通しをかんがえていく。

もうひとつは、路上生活者支援の野外就労モデル作りである。これは現在リサイクル部門への雇用拡大活動として、公園や行政現業部門の切り出しを行うこと。これは大阪の公園PJや、今回資料が得られた英国エデン・プロジェクトの中のPJ内管理諸活動のように、具体例がある。犯罪予備軍や放蕩癖のレッテルを返上したときの、運営責任を分かち合ったときのひとの変容がそこにある。社会的な挫折と同時に就労体験をも抱えている、そういう特性・専門性を組み込んだ構想の中に立ち上げられるモデル、若年層のみならず中高年を含んだモデルが必要。絵に描いたしっかりとした餅を沢山描かねばならない。

日常生活支援活動や、湘南あすなろ会が手がけている自立支援活動は、サービス提供活動の範囲にある、逆に言うと不可欠な活動であるが、就労支援を通じた自主活動の芽を育てていくモデルが必要だ。社会の歪みや個人の偶発的な挫折から
の復活のモデルである。

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本厚木から時間のロス承知で平塚駅行のバスに乗った。相模線への厚木からのせわしない乗換えがとても嫌だった。必要の時間に組み込まれて、夜間傾聴前の時間がことごとく潰れていく。空想だ妄想だと指摘されようとも、ソーシャル・フ
ァームは実践者の手で描きなおさなければならない。せっかくウォーム・アップしたところから降りたくなかった。そこにもう少し手がかりを見つけて置きたかった。幸い夜の巡回は先方のコンディションが悪いために日送りになっていた。

回り道して、夕食の遅い買い物を済ませ家に戻ったときには、19時半近くになっていた。どこをどうしたか、家事はすべて済んでいた。従妹から見舞いのお礼の電話があって話し込んだらしい。

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今回の夜間傾聴は大繁盛というか、もとの塾生、東京南部組からの連絡が入っていた。新年会の誘いだった。偏屈と思いつつ、今回は封印自粛と応答。アホかと彼らに傾聴されていた。来年度、予備校側の外勤が終了する。(非常勤は残る。)採
算が取れない部門については、60才を区切りにしたいのだろう。その水面下の継続交渉を続けているが、結論は1月中につく。社会活動として引きこもり青年との接点を維持するには、塾の側だけでは長続きしない。湘南オンラインフレネの
フレネマニア教員たちふたりはとうに悠々自適なる生活に入っている。ちっとも湘南ではない連中なので、新たな活動を作っていく必要を感じているという私の話に、慢性火事場症というありがたくない診断つけて断られている。神戸や川越まででかけて口論もないだろう。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     大森君(仮名・傾聴にあらず)
     駒沢公園君(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目済み)

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