湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

3/30 春だというのに…

2015-03-31 06:02:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/30 記
--------------
相模大野校に顔を出す。小田急線で居眠りをしていたので、半寝ぼけ。専任講師**君と話しこんで、やっと眠気がとれた。

学習カウンセリング予約。昼過ぎまでかかって作った資料を手渡しつつ、悩む。学習に困難がある生徒を、志が崩れた教室に誘い込んでいいのか、他の受け皿を紹介は違反だが語るべきかと迷った。

話を聴くうちに、親の要望の進学希望先があきらかに無理という常態に、逆にほっとしていた。結局生徒さんを受け入れることはしなかったものの、対話したことで、眼球の移動に異常が見られるので、良心的なクリニックを紹介した。LDなどとは別の原因が隠れているかもしれなかった。

上司への報告をすませ、予想よりも早く帰宅した。

全国社会福祉協議会の報告書

●「本大震災被災地社協における被災者への生活支援・相談活動の現状と課題 : 大規模災害における被災者への生活支援のあり方研究報告書」(2012.3)

の入手法の問い合わせを全社協にだした。コピーになる可能性あり。応答待ち。

辻堂モールで買い物をしていると、藤沢側の某老健職員の**さんと出会った。父のときご厄介になった。ちょっとお茶をと誘い、防災の話を聴いた。また看護師さんが代わっていた。地域連携の話せる人さがしどころではないなと、がっかり。介護報酬の変更の波が押し寄せている。懇話会のニュースを渡し、覘きにおいでよと誘うが、担当が違うと及び腰。脈ないなと思いつつ、6月懇話会の人選が役に立つのか、切り口を考え直している。

河北新報が宮城県社協を取材していた。

●「災害時の要援護者支援ネット発足へ」

神奈川県がこれを始めたら、内実がどこまで作れるか疑問がある。市町村レベルで、内実を高めておく必要がある。しかし、市の委員会はシャットアウトだから、地域からいまやれることを積み上げて(積みあがるか?)行く以外ないだろう。とにかく他府県の情報が欲しい。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

コメント

3/29 某ゼミのワークショップに参加し

2015-03-30 05:42:20 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/29 記
--------------

午後一番、都内某大の教室で教育の場面の即興性をテーマとした小さなワークショップが開かれた。つまらない感想から。

1)きっと若手ゼミ生ばかりに違いない
  >結構、関連書は年配者も動かしていた。

2)配られた資料の文字フォントが小さくて、全く見えないものも。(4月に今のレンズ拡大鏡を譲り、PC画面式拡大機を購入予定 網膜色素変性症の進行>悲しい現実)

3)床に座るゲームが出たら、私は座れないし、急に立てない。
  不安があった.(2000年末の足の膝の粉砕骨折の後遺症)

それらのゲームは、真新しいものではなく、観点がシェイプアップしているものがあった。しかし、もっと小学校教育現場からのフィードバックの影響があれば、輸入物ゲームの選択眼が違っていただろうにと思う。

アイスブレイキングゲームにしても洗練がたらなかった。

言語教科の例をとるが、いわゆるしりとりゲームだが、始めの文字選びを、床にカードを撒いて拾っていた。授業時間のタイムロスが大きく、授業現場では「アミダくじ」を板書して、児童の視覚を安定させるだろう。練れていないという感が強い。日本の教育現場の類似実践との対比に踏み込んで欲しい。

---------

第二部は、家庭環境の貧困化・親子関係の悪化を主因とした不登校・非行化、いわゆる現代の「子どもの貧困」に対し、地域の居場所作りを行っている事例紹介があった。もとビッグイシュー社関連ボランティアの方がいらして、なるほど「貧困」が取り上げられている契機がわかった。居場所が出来て4年目だという。

長ければいいというわけではないが、私は公教育現場から疎外された子たちを含む私教育(塾・予備校など)をはじめて40年を越す。そこには時代の影があって、高度経済成長期には、画一教育からはみだす子や、表層知識への懐疑から自己の学びの危機を感じ取った子たちがいた。それは教員側の高校全入運動に象徴的に現れている、家族の収入格差を教育機会均等によって是正するという切り口の劣化があった。

ゆえに私塾の活動も、学校で話し得ないプラグマチックな体験学習をする場になったり、関連活動を媒介にした居場所作りが行われた。やがて学校現場の荒廃が目立つようになり、いじめ・非行の駆け込み寺的な塾運営が始まり、ゆとり教育がトップダウンで始められる。以前から進学競争を塾に託していた父母からの反発と、終戦直後の生活単元学習の破綻の轍を踏むようにして、ゆとり教育は誤りのレッテルを貼られて撤退した。

しかし、この間に学習によって親の階層を乗り越えて行くことの困難さが明白となり、リーマンショック以降、親の階層ニ分化が進み、8割を占める凡庸層(言いすぎか)の知識忌避傾向とともに、家計不安定化による「貧困」の課題が浮上してきた。こういう経過を背負って、教育機会の提供と居場所作りという塾が、不登校・居場所のない子たちの支援を行うようになってきた。ところがこれらの塾は、塾の歴史から切れており、ゆえに高校全入運動期からの子どもの変遷を踏まえていない。

残念なことに、居場所作りや非行青少年の保護という大切な仕事のわりに、新しさは感じない。篤志家の居場所提供という塾の宿命的な財源限界を越えて行く意志を感じなかった。大事な活動ではある、だがそれだけだということを自戒をこめて書き留めておく。

-------

気になる実践があった。賛否両者が論点のほめ殺しを同時に言い合う実践だ。私はディベートの授業の疑義と同質の英語圏臭さを感じていた。未だ判断がつかない保留や、まず相手の意見を聴く(理解しようとする)という立場が居場所をなくしてしまうのだ。とくに特別支援教育の現場では、排除される実践ではないか。討議は強靭な知力と精神力を要する。危ないなと思えてならない。

-------

帰りに友人宅にお邪魔。東北の行政ルートの障がい者福祉系列課の知人仲介してもらえないかと依頼した。私の勢いに友人はびっくり。4年たてば地元に任せたらどうなのという忠告あり。気力途切れて退散。

東京駅は通過駅に成り下がった。待っていても座れない。構内で母へのみやげの弁当を買うが、飲食店がない。辻堂で、いつもの店でいつもの食事で帰宅。

母は好みの弁当を抱えていたが、とにかく疲れた。足がつるので芍薬甘草湯を服用して、両膝をまげて上向きに寝転がった。天井が渦を巻いている。網膜色素変性症の症状だ。ポンコツだなと思う。

家事を終えて、1時より夜間傾聴再開。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

コメント

3/28 「『冬眠から覚めた愛』は自然に眠るのか」より/6月懇話会準備他

2015-03-29 06:18:27 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/28 記
--------------

春期講習の学習カウンセリングが月曜日に決まった。やはり、発達障がいが疑られる子の相談だが、受け皿が壊れている予備校に誘うことに、戸惑いを感じている。まずは話してみよう。

ごりごりのER畑の元看護師さんと藤沢で会った。共産党系の方だが、石頭ではない。昔、祖母がお世話になった方だ。某看護学校の講師の方につないでほしくて会ったのだが、あっさり断わられた。とにかく私は共産党系の方に評判が悪い。しかし、気仙沼&釜石の小児科情報が少し入った。まあ、感謝である。

母が珍しくグラタンが食べたいと言い出して、漬けておいた塩豚でグラタンを作った。案の定、私の自慢の仕上がりとは別に、スープを飲んでしまったので後で食べると言い出して、一度焼き上げたグラタンは、今も尚、冷蔵庫に眠っている。私は笹蒲鉾とハマボウフウのおひたし、温泉卵とネギの味噌汁という糖尿病食。明日、グラタンは捨てるはめだなと、世の儚さを感じている。しょうもない。

     ***

医療専門誌「臨床透析」(2012/03 Vol.28 No.3 日本メディカルセンター刊)が「東日本大震災と透析医療」という特集をしていた。被災病院の内情がすこしでも見えるかという基礎作業の資料として入手した。石巻赤十字病院のそれが取り上げられていた。私の関心は、医療関係者と患者さんの間の災害ボランティアのなしうることの抽出である。これもいずれ紹介する。

      ***

私はいつも、市民活動と社会活動との断層を見てしまう。そこには、市民社会なる幻を前提にしている点で違和感を感じるものであり、「自分の日常生活が脅かされない範囲」で、「協調的」あるいは「投げ銭的」、「娯楽または善行」を行う活動ということで、限界を感じるものである。

一方「社会活動」は、社会的義憤(私は嫌いだが)、階級・階層的な利害や、社会的独自性(例えば福島原発に対する大熊町というような)の対立や矛盾解決を課題とする活動であったり、個人的課題の背後に社会矛盾という他者をつなぐ絆を孕む活動の課題に取り組む活動であったりする。私の諸活動は社会活動に属している。

私は「投げ銭的善行」ほど己の姿を糊塗しているものはないと思う者であるが、例えば募金はしなくてよいか、出来る範囲の協力を否定するのかと問われれば、胡散臭い顔でそれを認める者だ。要は靴の上から掻いているような、本質をはずしている点にあり、高みから銭を投げたり、藪の中から石を投げるような行為はしないというものだ。後者は社会的義憤の危うさに通じる感じ方だ。私は社会活動をしているのだなと思う。

実は先日から、郭基煥氏(東北学院大経済学部教授)の論文、

●「冬眠から覚めた愛」は自然に眠るのか
 『災害ユートピア』の継承可能性」郭 基煥・著
  (『震災学』誌 2015/Vol.6 所収・東北学院大刊)

これを読んでいて、レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」(ISBN:9784750510231)を読んだときの霞が払われたような気持ちと、非被災地からの支援の隘路が閉ざされるような閉塞感を味わっている。ここで語られている「「脱工業化した現代社会においては『冬眠している愛』」とされる、「災害ユートピア」の情動が、市民活動と社会活動を仲介してくれそうな感触を得ている。

被災地の中で命を最優先した「法」を超えた活動が支持されてきたのは、脱工業化社会という家族という再生産活動と消費活動が日常生活を包み込むことで、命の危機というような極限矛盾が露呈したとき、無関心・警戒という態度で場を流す堤が切れて、眠らされてきた「愛」が行動となってあらわれるという。

郭教授はそれを「自己贈与的同一化」と呼び、「災害ユートピア」の心性としている。津波避難のとき、道にいる見ず知らずの方を車に乗せるという衝動的行為をどう読み解くかという点について、郭教授は石巻市・気仙沼市在住の外国人対象のアンケートや、ソルニットが前著で明らかにしている実例をもとに、極限の人間行動は、従来言われているパニックと退行・野蛮化を特徴とするものではなくて、

・災害によって<あり得ない場所>としての地獄のような世界が現れたとき、まさにそれが条件となって現出するような<もう一つのあり得ない場所>としての天国paradiseが「災害ユートピア」である。(郭氏・同論文p.129)

・惨事に遭遇したとき、人はむしろ、「利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけではなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する」。こうして現出する「特別な共同体」を彼女は「災害ユートピア」と呼ぶ。(同)

という。これは日本人の特性というものではなく、人類共通のものであるとする。百万の実証が対立意見の否定に届くことはないが、私はそれでもなおかつ、被災地のすべての被災者や現地の支援者を包み込むものではないという感触を得ている。それは救出時の「相貌」異様な障がい者や路上生活者への除外視であり、避難後の身元確認後の外国人・障がい者排除であったりするからだ。閉ざされた地縁の中のユートピアであったりするが、それでも災害前と比較にならないほどに「寛容」となる。

私は、引きこもり青年のリセットの場として、災害ボランティアを勧めているが、必要とされる経験をする珍しい場だからだ。

私たちの生活する社会が、消費社会とその欲望を基礎にしているがゆえに、己を巻き込まない生命の危機が露呈したときも、無関心・警戒心を露わにするだけだ。たとえ「災害ユートピア」が立ち上がったときでさえ、「法」と「規律」を言い立てたり、自己贈与的同一化の超法規的行動基準を非難したりする。

食料がなくなったとき、避難所近くの畑から芋を取って、分かち合うという行動が、窃盗と断じられるだろうか。

こうした心性は、時間の経過の中で、経験化されることはなく再び冬眠させられる。

この心性を眠らせることなく、引き伸ばし続けることは出来ないのだろうかという。この被災地に立ち上がった心性は、経験化されることはない。ここを倫理教訓化したり、非被災地の活動に移植したりする行動は、その情念を封じ込めることであって、ゆえに「防災」活動は、現地支援活動とはエネルギーの出所が違うゆえに、醒め切ってしまう。

じんわりとボディブローを食らった感じがしている。今の災害ボランティア活動が、世界中ただひとりの活動であったとしても、活動は続けるだろう。被災という場には、物理的な波が覆いかぶさっただけでなく、人心という波もまた押し寄せたのだと思う。懇話会の課題には抽象的過ぎるが、郭教授に会いたいという気持ちが、じわりみぞおちあたりに宿ってしまったようだ。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

 

コメント

3/27 金曜災害ミニカフェ・新しい文明(被災地における医療の実験)/ネズミが!

2015-03-28 05:59:25 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/27 記
--------------
突然、我が家にネズミがでた。ハツカネズミである。今まで出たことがないので、知人の生物の高校教員の@@君に聞いてみた。冬篭りしていたのが、暖かいから出てきたのではないかという。私には、もうひとつの仮説があった。一昨日から隣の家が売れて、取り壊しが始まっていることから、ネズミの引越しが起こったのではないか。それを@@君は「ありうることだが、ハツカネズミは本来、屋外にいる。引越しだとしたら、クマネズミではないか」というのだ。子どものネズミと考えても、クマネズミの大きさではないし、耳の大きさの比率が違うからハツカネズミだろう。

薬局で初めてゴキブリホイホイならぬネズミホイホイがあるのだと聞いた。ドブネズミがかかるとしたら、えらく大きなものだろうと思ったら、ゴキブリホイホイと大差ない。ドブネズミがネズミホイホイを身にくっつけたまま走る姿を想像しておかしかった。初めて殺鼠剤を買った。

@@君によると、3.11の直後から三陸沿岸部に不可解な人物が徘徊しているのだそうだ。被災と家ネズミの発生分布を継時記録しているのだ。種で増える雑草は津波の影響を受けたが,地下茎の雑草は影響が出たか、植生遷移を記録している植物学者の話は聞いたが、ネズミもいるのかと感心した。

高校敷地内に捨てられていた仔猫を生き埋めにした高校教員が動物愛護法に抵触するとTVで叩かれた。ネズミは殺してよくて、猫はダメというのは、矛盾を感じる。ましてや住居ではなく公共施設である。

--------

橋本で学習指導をこなして、帰りにサポセンにBD-PLAYをかつぎこみ「金曜災害ミニカフェ」今年度最期、東松島ケアサポートセンターを開いた。八王子の北原国際病院の北原茂実院長が「新しい文明」と題するせっかちな講演をしている。

医療関係者はあくまでも神の視座にある。三陸に必要なのは救急救命の医療だが、人口密度から救急救命センターを置くことができない。しかし、家庭医も配置することは予算上できない。病まない地域を生み出すための治療という試みをはじめるためにセンターを作ったという。

(つづく)

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

コメント

3/26 春期講習のおこぼれ始末のような仕事/ソルビットの「災害ユートピア」の面白さ

2015-03-27 06:16:34 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/26 記
--------------
「震災学2015_Vol.6」の「『冬眠から目覚めた愛』は自然に眠るのか~『災害ユートビア』の継承可能性」(郭 基煥・著)は、韓国出身者の目から「災害ユートピア」を緊急時の「人間」の行為とするソルビットの主張と、日本人のモラル水準とする主張をぶつけ、矛盾点をあぶりだしていく。棘があってなかなか面白いので、もう少し読み込んでから、書き込む。

呼び出しがあって、相模大野校に出かける。以前、彼が小学生の頃、訪問支援した子と再会した。彼は4月から高校生になっていた。クラス担当の若い講師をまぜて、この子の仲介をしてきた。波があるので、わからないことがあったら、電話応対すると約束してきた。

今回の金曜災害ミニ・カフェは、東松島市に訪問看護のセンターを作った八王子の北原国際病院の北原茂実院長の語りとなる。東北太平洋沿岸部の高齢過疎化に対応する医療から、基本的な医療の社会的役割にふれて論じて行く。年度末なので、積極的な意味ではないが取り上げることにした。

ひとは「よりよく生涯を全うするため」医療を必要とするという発想は、一見正しそうに見える。果たしてそうか。のんびりと過ごす生涯は価値がないのだろうか。その辺の論議を明日の夜に提案する。

毒蛾のアナフィラキシーショックで股と腰をやって以降、痛みが冷えると発生するようになってしまった。坐骨神経痛の様相を呈してきた。急に始まったので、実はショックである。爺ぃ本格化か。

夜間傾聴>ひとり(駅の立ち食いそば論他)

(校正1回目済み)

 

コメント

3/25 ハマボウフウがやってきた/「震災学2015Vol.6」より 他

2015-03-26 05:42:43 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/25 記
--------------
相模大野校の、春期講習学習バックアップという裏方仕事をしていた。個別教材準備は終わったのだが、学習カウンセリングが必要な子が出てくれば、出勤となる。いい加減な待機状態だ。窓際爺ぃでなければ、実現できない勤務形態だ。

母の旧友の埼玉の##さんが「大船にいるから、渡したいものがあるから来て欲しい」という突然の電話をかけてきた。鎌倉に行ったらしい。しかし地元ではない人は、距離感がない。リハに母は行っている。運の尽きかと、PC一式をバッグに詰め込んで、炊飯タイマーを点けて出かけた。

渡されたものは「ハマボウフウ」の茎と葉、別に分けて乾燥させた根だった。茎と葉は糖尿病に,根は去痰、解熱、鎮咳薬として用いられる。民間療法薬である。乱獲で浜辺から群生をみかけなくなった。礼をして、急ぎ京浜東北線の桜木町駅の県立図書館に数冊のリクエストを出して、書籍交換してきた。

相模大野校から連絡有。相鉄で大和経由で飛び込み、入学希望者の母親と面談。PC作業、ここに来るならPC持ち込みは手間だったが、意地もあって作業。ロイヤルホストの近くのスーパーで買い物をして、家に戻った。

母は「野草は気持ちが悪いから食べない」と言い出し、相手にすると時間がどんどん無為にすぎて行くので、「震災学2015 Vol.6」を読み始める。炊飯釜が蒸気を上げている。

☆「被災地の天使・黒田裕子さん-その思想と行動」
(室崎 益輝・著 兵庫県立大防災教育センター長)

という記事が載せられている。私はもうひとつ…

☆「冬眠から覚めた愛」は自然に眠るのか
     -「災害ユートピア」の継承可能性
 (郭 基煥・著 東北学院大経済学部教授)

があり、購入を決めたのだが、黒田さんの追悼文は少々恥かしい。阪神淡路大震災の現地支援活動の後方サポートをしていた私は、神戸市の西神第七仮設にテントを張って訪問看護活動を始めていたころの若き黒田さんと、偶然出会っている。それから二十年弱のち、懇話会ゲストをお願いして再会を果たす。ざっと黒田さんのプロフィールをまとめた文だが、「被災者支援の経験の継承は、いかに成すか」という問いが執拗に残る。

後者については、後日。

--------

金曜災害ミニ・カフェはNHKの震災4年後被災者1万人アンケートから始まる。この日「仮設から復興住宅へ・石巻」という翻弄される被災者の「移住抽選制」の後遺症とともに、これから神戸を追うように入居者孤立の長期戦が始まる。災害弱者へのアンテナ感度を鈍らせるわけにはいかない。(>4/10分)

次ぎの会がJDF岩手の小山貴さんたちの「障害者たちの挑戦・陸前高田」と「疲弊する自治体職員」(>4/27)となる。
災害FMの障がい者・社会参加自主構成番組の話等。

ここから始めて行く。

今日、中小企業家同友会の地元企業側の経営事情を語るちょっと珍しい番組を録画した。いずれどこかで引用しよう。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

p.s.
4・5月の外出は関西になるか?

 

コメント

3/24 春期講習と爺ぃ講師のかくれんぼ

2015-03-25 06:02:13 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/25 記
--------------
春期講習が始まっている。ここには爺ぃは出ない。若手講師の研修を兼ねた生徒寄せの場だからだ。現時点で、ひとり自閉症スペクトラムらしい子が入学を希望している。今年は事務長が、来年は私という、「脚きり反対派」が抜けると、不登校・引きこもりや、障がいなどの困難を抱えた子たちが切り捨てられる。定年以降は、小口ではあるが株主の立場から注文をつけられるが、見切ったほうがいいように思う。講師人材の質が違うのだ。

今日は教材屋仕事と訪問指導があり、海老名に出かけて戻ってきた。彼の高検の課題に寄り添うが、アルバイトは生協関連の長期の仕事とつなげそうなので、彼の気持ちを聞いた。

今年のJC(ジョブコーチ)ーNETは、母のハプニングのため、参加できなかった。しかし情報ルートだけは、作っておかなくてはならない。いわゆる手帳のある、特別支援校卒業の子を対象にした就労支援が圧倒的で、精神障がいや、私のかかえる自閉症スペクトラムや神経症・家庭のハンデのある子は、障がい枠ではなく、ハローワークとの関連で企業説明会などに寄り添い個別に相手を探して行く。

この立場の違いが、障がい者就労畑の関係者には、なかなか通じない。部外者のレッテルが貼られていくが、10年は経っているというのに、ここにも職務集団の外側にいる。仕事に結びつけた子もいるが、私の知り合いが定年を迎え、生情報から離れてしまうので、新しいルートを作っておきたかった。

いわゆる生業としての仕事ということがあるが、私の仕事は仕事が持つ意味を伝えて行くこともある。生き抜くサバイバルの手段としての仕事ということではなく、自己表現としての仕事・社会とのつながり方としての仕事という「社会参加の中の仕事」を描くという厄介な役目を担いでいる。

災害ボランティア体験を勧めているのは、挫折と復活というドラマの渦中に飛び込むことや、いわゆる「他者に必要とされる経験」ということが、いわゆる賃労働と家族の再生産という枠組みを相対化できない糸のほつれを解いて行く場面を見てきているからだ。「私は誰であろうか」という問いに、引きこもり青年たちとの対話は曝されているからだ。

では私を新しい情報源関係者にどう説明したらいいのだろうか。「災害ボランティア」と語れば、きょとんとされる、「塾講師」といえば「進学塾・今でしょ」のイメージで閉ざされる。「社会活動としての社会的弱者支援家」といえば、セクトと拒絶される。

その辺の事情を語ると、定年間際の爺ぃの問いではないねと事務長には笑われた。これから選挙がうるさくなる。すると議員関係も逃げ出すので、4月は懇話会講師探しの旅に出た方がいいかなと思いつつある。私の担当する子たちにも露骨に言っているのだが、つまんない社会だねと思う。手を引く引かないの話ではなく、でもやることはやろうよと言っている。

「震災学2015Vol.6」(東北学院大発行・荒蝦夷発売)を入手した。内容は後日。

県下某所で民生委員をしている親戚と、偶然茅ヶ崎駅前で出会う。ビッグイシューを買ったら、販売員さんが私の名前の名簿メモを持っていたのでびっくりしたとか。面倒なので私は関係者と言っておいた。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

コメント

3/23 春期講習バックアップと、金曜災害ミニ・カフェ4月分決定

2015-03-24 06:29:41 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/23 記
--------------
母が異様に張り切り、私の就寝から2時間ほどして起きてしまった。墓参が無事済んでほっとしたらしい。冗談ではない。布団をかぶると母の電話が鳴った。母は午後からリハ。施設からの健康チェックだった。暖めるだけの母の昼食を並べ、勝手に言ってくれと布団に戻った。そこにソーラーシステム販売員がチャイムを鳴らして入ってきた。八つ当たり気味に追い出したものの、結局寝ていられなかった。厨房の椅子に座り、とにかく目を閉じた。母はそっと昼食を摂っていた。

母をリハに追い出して、出勤までの1時間、とにかく寝た。

相模大野校に春期講習追加テキストのファイルを持ち込み、専任講師とチェックし、私の仕事は半分終わった。町田経由でJR相模原に出て、塾へ。先日、職場で嘔吐した青年が休職したことを聞いた。精神の方も受け入れているので、彼の休職がなりたったのだ。来年度の件で、塾長と打ち合わせ。南橋本まで送ってくれたので、相模線で高いびき。

なんとも形のつかない一日。早々と母のリハ帰りより早く帰宅した。

-------

金曜災害ミニカフェの4月分を選ぶ作業。JDFの小山貴さんたちの陸前高田の障がい者FMトーク番組紹介の

●「ハートネットTV・被災地の福祉はいま(2)障がい者たちの挑戦・岩手県陸前高田」

これがまず決まった。

次に

●「ハートネットTV・被災地の福祉はいま(3)疲弊する自治体職員」

これが4月下旬用。

4月上旬は

●「NHKスペシャル・東日本大震災『震災4年 被災者1万人の声』」

●「ハートネットTV・被災地の福祉はいま(1)仮設から復興住宅へ・石巻」

 の組み合わせ。これに決定した。

夜間傾聴>ひとり

(校正2回目済み)

 

コメント

3・22 「ケンちゃんの絵日記」で書く、墓参と研究会

2015-03-23 06:32:15 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/22 記
--------------
父の墓参を済ませ、墓苑近くの和食の店で昼食を摂る。一組の老夫婦が奥で食事をとっている。お彼岸というのに店は静かだ。父の宗教が契機になって、親戚が疎遠となった。父には語る言葉がない。「馬鹿野郎」と言って手を合わせてきたが、虚しさのおつりの納めどころがない。

糖尿病というのに天ぷら定食を頼んだ。待っている間、店を眺めていて気になった。老夫婦は明らかに墓参だ。親戚がいないから夫婦だけで来たのだろう。しかし誰の墓だろう。親だろうか、それとも子だろうか。私も充分怪しげだが、考えてみれば老夫婦もまた怪しげだ。

まあいいと意味のない詮索をやめて、茶をやめて冷たい水で清めたつもりにした。気持ちを抱えたまま研究会に出たくは無かったからだ。

-------

「ケンちゃんの絵日記」と私の尊敬する先生が名づけた文章がある。朝*時に起きて、歯を磨いて、…+時に寝ました」と目的も無く出来事を羅列する日記が、それだ。公私混同の「ケンちゃんの絵日記」様式のブログである。私の大切な友人が私に、「語らねばわからない」と要求したことに答えているつもりだが、実際は書いてもわからないだろう。

やはり祟りがあった。地下鉄が人身事故で動かなくなった。私に協力してくれた##先生を偲ぶ会なので遅刻したくなかった。近隣の山手線駅からタクシーを使って、会場に乗り込んだ。

東日本大震災があって以降、しばらくご無沙汰していた人々がそこにいた。年を食った。お互い様なのだが、私のように社会活動畑から参加している人は、いないだろう。東日本大震災前は、いわゆる社会から疎外されている人たち、それは私にとって「不登校・引きこもり」・「高機能な自閉症スペクトラムと欝・神経症」・「認知症高齢者」が念頭にあったが、社会に再包摂する過程を見つめたかった。また連携することによって、前述の方々の中の特に青少年の変容をいかに支えていくかに関心があった。また特に就労支援のことで「社会的企業・ソーシャル・ファーム」に関心を持った。大きくは私のフィールドは私教育であり、地域社会活動だった。就労支援はその中にあった。

東日本大震災後は、災害弱者の避難生活サポート支援に関心を集中させたので、教育臭さは薄らいだ。それゆえ、しばらく会の企画参加から離れていた。##先生の逝去は、その切れた時間をつないでくれた。

会場は古参の方が多い。私を見てにやりとして通過した方もおり、何はともあれ、被災者に消費した時間を感じ、来週周辺に押しやられた引きこもり青年関係の報告の、ある研究会を経れば、私はまた空転の被災者支援活動に戻るつもりだ。

いくつかの知らない情報が飛び込んできた。私を東北の地縁の閉鎖性を気遣って注意するようアドバイスしてくれた%%先生と##先生が昔組合活動経験者であったり、今は無くなった政党の関連者であり私の古巣である立場を##先生は経験していたりという、研究者としてはどうでもいい暗号情報を%%先生が提供してくれたことだ。

##先生の研究の経歴紹介により、漠然としていた私のつかみ方がより鮮明になった気がした。動きを動きそのものとして、労働や人間関係の生きた過程をつかみだすために、それは私には頑迷窮屈な世界から一時開放されたような気分にしてくれる理解者が、そこにいるという安堵感を得る、束の間の時間だった。

蛇足だが、そういう研究者はなぜ「いま・ここで要求されている課題(時代的要求)」を反映させないのだろう。また、どうでもいいことではあるが、発表者はなぜ自分のPCをプロジェクタにつなぐのだろう。USBメモリにデータを入れておき、主催者がPCを準備しておけば、画面が出ないとごたつくことも無いだろうに、習慣とは目に見えない形で潜んでいることそのものだろう。

我が家の玄関扉を開けると、母が電話にかじりついていた。母に食事が済んでいることを確認して、奇妙な取り合わせの一日が終わった。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

コメント

3/21 墓参狂想曲(なぜ毎年危険を繰り返すのか)

2015-03-22 04:26:30 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/21 記
--------------
母方の墓参に行って来た。駅を降りてバスに乗り換えるが、始発駅とはいえ、一時間に2本しかないバスに長蛇の列。入りきれるはずも無く、私は何とか車内に入ることができたがドアの間際。ここで事件が起きた。

無理をして乗ろうとする乗客をバス会社の社員が「引き剥がし、遮断」を行っていたのだが、グループの一員の高齢の女性が引き剥がされた。どうやらグループのうち2名の高齢女性が取り残されたようで、整理員から後のバスにするように説得を受けていた。この二人の女性が必死の形相で、「ばらばらになっちゃう!」そう叫び続けていた。「目的地で合流してください」という説得は全く聞こえていない模様。

するとバスの奥から、「(私達)降りまーす、降りまーす」という、これまた高齢女性の裏返った叫びが聞こえ、車内が大騒ぎになった。車内は目一杯混んでいて、奥から降りられないのだ。運転手の機転で、立っている乗客全員を降りるよう指示し、やっと入れ替えが済んだ。

ところがこれでは終わらなかった。外に出た女性の帽子が無くなったというのだ。一方では、降りた人数分、バスに乗れるはずだと乗り込む乗客がいて、整理員とどこで区切るかという口論をしている。帽子は、運転手が後で捜して、営業所で預かっておくとなり、この混乱の結果出発は20分遅れた。喧嘩が起こらなかっただけ善しとしなければならないのだろうが、女性のグループは分離の都合を絶対に認めないという頑迷さだった。

このバスは発車後もトラブルが続いた。地元の方は、墓苑より前の停留所で降りる方がいる。ところが混雑しているから、降りられないのだ。その都度、中央ドアの乗客が外に降りて、その方を外に降ろし、運転席横の料金箱に運賃をはらうのだ。3箇所ほどで車内に隙間が出来たが、田舎だからバス停からの新規の乗客がいなかったからよかったものの、学校の通学時間などが重なったら、その都度、混乱が起きていただろう。

墓苑からの帰りタクシーを呼んだが、予約のパンクだけでなく、道の混雑で予約を受け付けられないと断わられた。初めてのことだった。

墓参は高齢者や幼児が多い。慣れない混雑をよく越えたなと感心している。帰宅後、体の不調がでるだろうなと想像した。幼児のおしっこ・嘔吐、高齢者の失神・持病発作などを考えたら、墓苑がマイクロバスの増車や、バス会社のピーク時臨時運行バス(またはミニバス)を走らせるなどの工夫が必要だ。

しかし、平常2時間程度の行程が、今回は4時間弱かかってしまった。お彼岸という小・民族大移動の体験だった。

明日は父方の墓参。今度はバスがない。電車の事故がなければいいのだが。

----------

帰りに、嫌がる「ん」君を説得して、個人学習指導。給料で新宿に行くのだという。JR相模原の教室に電話。塾長と**君の仕事中の嘔吐が気にかかり、塾長の奥さんは**君を救急外来に連れて行った。検査の結果、胃がひどく荒れているとのことで、彼は当分の間、塾長のお宅の夕食を食べることを約束させられていた。一食百円と、無料にしなかった。奥さん一流の配慮である。

明日早いので、これで。

夜間傾聴:臨時休業
(校正1回目済み)

 

コメント

3/20 金曜災害ミニ・カフェ/大槌町の「風の電話」(特に不登校の釜石さんのこと)他

2015-03-21 04:35:52 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/20 記
--------------
ビッグイシューから路上生活者の詩集「路上のうた」が出ている。社の意思として販売員ルートでしか買えない形になっているが、それも手伝って今日2部予約が入り、販売員**さんに連絡した。税込み700円で販売員さんに350円/冊の利益となる。

今日、金曜災害ミニ・カフェをやった。

●明日へ「大切なあなたへ~こころで話す「風の電話」~」
(2015/02/08 NHK 48分)

を流した。大槌町に移り住んだ佐々木格さんが、敷地内に絵本図書館「森の図書館」と、電話線につながっていない電話ボックス「風の電話」を建てた。その後、東日本大震災があり、特に「風の電話」は、家族や親しい人を失った方が、故人と話が出来る癒しの場として共感を得て行く。

位牌に語りかけるのとは違うと利用者の方は言う。位牌は一方通行だが、「風の電話」は、その向こうに黙って話を聴いている故人を感じるという。私は神秘的な意味合いは否定するが、語る当人が自分と向かい合う儀式の価値を感じる。被災の傷は生涯心に引きずっていくものだが、節目節目の情的な自己確認は、くすんで行く生活感覚をクリアに浄化していく働きがあるのだと思う。

印象的なのは、仮名かなと思うのだが、震災当時不登校だった釜石望鈴さん(13)が、「風の電話」に出会い、ボックスの中に訪問メモノートを読むことによって、信じられるひとの出会いを感じ取った。それを契機にして、「風の電話」のガイドのボランティアをはじめ、ボランティアという社会参加を通じて、不登校を脱して行く。他者と当人の接点を掴み、働きかけてくことを通して自分の殻が剥けて行く。

私は以前「災害ユートピア」という協業環境への出会いが、必要とされる自分の発見が、個人を劇的に変容させることを紹介してきた。釜石さんは「風の電話」という環境の中で悲嘆と真心に出会い変容していく。

番組の本筋ではない話に脱線したが、「風の電話」のような場は、今後も必要だろう。設置者の佐々木さんに敬意を表したい。

-------

明日は母方の墓参をしてくる。雨が降らないといいのだが。夜、海老名**君と、お勉強をしてから帰宅する。さすがに母は「親を孤食させる気か」とは言わないだろう。


夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

 

コメント

3/19 懇話会ゲスト説得の旅を企画始め/他

2015-03-20 06:19:31 | 地震津波災害ボランティア

5月の連休前に福島か神戸に行けないかと調整中。懇話会の企画調整が主目的。某新聞社経由で大船渡市行政との仲介話があることもあって、絞込みに苦労している。彼岸明けに決定予定。

今回の焦点は「成人障がい者の避難生活」なのだが、大船渡の方は「単身仮設在住高齢者」なので、話が少しずれてしまう。

引きこもり君の就労体験をさせてくれる地元スーパーの店長から電話が入り、勤務中に嘔吐が始まり休ませていると連絡があって、塾長の奥さんとともに、スーパーに行って来た。私の担当ではなく塾長の代理。母子家庭で母親が失踪中。塾長の奥さんが身元引き受けしたが、腹が何日もからっぽだった。おかげで**君と知り合うことができたが、継続して担当するには、ちょっと遠すぎる。

帰りに無理を言って、海老名でバイトしている##君に電話して、改札口で会い、バス旅行にいかないかと誘うが、いけるわけないでしょと嘲笑されてしまった。いやいや、本気だよと応答するが、アウト。無念。

鍋物の食材を買い込んで相模線でもどる。珍しくダイヤが乱れていたが、定時に帰宅できた。帰ると母がカレーの食材を買い込んできており、またぶつかった。厨房の主導権を譲らないという心情が強い、困っている。

ビッグイシューのご近所配達分を届けにまわり、一応の一日が終わった。

地方紙の記事が溜まりこんでいて、今夜は「障がい者関連記事」を集めた。6・7月の懇話会の資料にはなるか。

明日か土曜日に母方の墓参。22日は父の墓参で午後研究会。

夜間傾聴:ひとり
     塾長

(校正1回目済み)

コメント

3/18 サポチガ全体会とコーディネーターの役割論議 足のつりの治療法

2015-03-19 06:09:08 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/18 記
--------------

芍薬甘草湯は、足のつりなどの痙攣性の痛みの即効薬として使われる。座り仕事が長引くと足がつって、のたうちまわることが、寝不足のとき、しょっちゅうあったので、医者に処方してもらって取っておいたのだが、数ヶ月ぶりに朝、あしがつって目が覚め、利用することになった。時間のあるときには、温湯のシャワーを足にかけ続けると直るし、血圧が急に上がるので危ないが、焼酎やテキーラなどの強い酒をあおって、瞬時に血管を開いても直る。足の裏のツボを強く押すのもいい。山場を越えて安心したのか驚いていると、母の尻餅の音が聞こえ、足引き摺りながら母の寝室にいくと、付き合わないでいいのに、母も新聞を投げ出して床にこけて、足を抱えていた。伝染するはずもなく、残り最後の芍薬甘草湯を飲ませ、湯で絞ったタオルを乗せてともかく急場を脱した。私の夜間作業は母の寝室のそばで明け方までやっている。それにつきあっていたらしい。

とにかくこれで、夏期講習テキスト編集の追い上げの6月まで、しばらく落ち着ける。しかし今回はいろいろあった。チャドクガ由来の発疹とアナフィラキシー・ショック体験、今回の足のつり。ポンコツだなと思う。母もつきあわねばいいのにと思うが、母は私の夜明け就寝のとき、大概寝床で起きている。これがあるので私は浜見平の**さんの長期旅行のとき、夜間の書斎として借りようとしたが、夜間傾聴のFAXや、母がひとりは嫌だという強い要望があって頓挫していた。

今日は血糖制限を緩めた。母に昼食の下ごしらえをして、昼がいいという**君の要望に従って海老名で学習指導。いっしょに昼食をとって別れて、北茅ヶ崎からサポセンへ。今日は茅ヶ崎の町づくりの長期企画の話で、NPOサポートちがさきの全体会があった。

レポートの中で、いわゆる若者の「ボランティア」が継続性に難があるのはなぜかという話題が出てきていた。現在は若者の「ボランティア」が増えているのか、授業単位のためにやっているのにすぎないのかということの意見が出された。私はいつも違和感を感じているのが、「自分の出来るお手伝い」をするという発想だった。これが良い悪いという話ではなく、お膳立てに乗るという限界を感じているのだ。災害ボランティアで言えば、支援活動を進めて行く際の現状打破の志向は、「お手伝い」をすぐに越えて行く。ここから先の支援活動の経験というか継続性というところで、支援の世代交代を踏まえた課題を分かち合う方法が確立していないと思うのだ。今回の話にも出たが、実はここでコーディネーターという中間支援者の役割評価を考えていかなくては、壁を越える活動はなかなか実現しない。

例えば、物事を子どもに教えるという学習支援の場でも、被災地の場合、子どもは心のカップがゆとりなく、すぐに水は溢れてしまう。経験の少ない学生ボランティアは、むやみやたらと激励したり、「自分が出来る勉強は、相手をわからせることができるという素朴な学習観があって、子どもを追い込んでしまうことがある。まずは「その子の状態から出発」し、「併走」を行う。対話が取り込める場合は、意見の差異を浮き上がらせ考えて行くといういわゆる教員の黒子指導が必要となる。これは実践の中で体験していくことでつかみとる。

学習ボランティアという学生には、飛び込みやすそうな支援活動にも、「その子の状態から出発」というリテラシーが要求されるため、「自分のできることのお手伝い」という関わりには、コーディネーターの調整が必要となる。PTSDや、自閉症スペクトラム等の子への関わりは、関係者の助言が不可欠となる。成績上位者は特にわからなさがわからない傾向にあり、自由さや快活さを失わない範囲で、実を通して行く中間支援者の働きは、その通じなさを抱え込まなくてはならない。

だから災害ボランティアでは、「自分のできることのお手伝い」の登場場面が減ってきている。それを単に「ボランティア」が増えているか否かという問いは、あまり意味を成さない。

ただその意見交換のなかで「ボランティアの名を騙ったイデオロギーや組織勧誘の警戒」を語る方がいらした。私には「孤立死」ということばひとつで、嫌悪感を示す方のように、偏狭な心しか伝わってこない場面もあった。親方日の丸をかつぐほど程度の低いことはしていないつもりだが、嫌になることもある。

ともあれ「金曜災害ミニ・カフェ」のCMだけやらせてもらったが、エネルギーの質が違うなと思わされていた。

-------

夜の予定が狂ってしまったので、鶴が台団地と甘沼周辺の施設を覘く。前回の「懇話会レポート」を渡しつつ、6(7)月懇話会の話をする。またかいなという感じ。高齢者関係の職員の方は、障がい関連の方の話に関心が薄く、逆も然りだ。

懇話会は話を引き出すのが基本的関わりだが、さあ情報を下さいというのには勿体無い。その辺を意識しつつ、誘いをしてきた。

ビッグイシュー、サポセン分・市社協分・図書館関係に配布済み。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

 

コメント

3/17 神田を歩き…(エンジン再始動のつもり)

2015-03-18 05:56:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/17 記
--------------
4月並みの暖かい一日。教材屋の打ち合わせで小川町に出かける。上野・東京ラインという言い方が新鮮に聞こえる。久々に三省堂書店を覘いてじんわりと闇を見た。明らかに弱小出版社の書籍が減っている。丸善では感じなかったことだ。神保町の風化が押し寄せている。書泉もダメ。東京に出て、丸善で以下の書を購入。

●「マイノリティの社会参加-障害者と多様なリテラシー」

ろう言語教育関係者の研究会らしい。ロー・ビジョンの著述もある。発達障がいや精神障がいの関係書を探しているが、まとまった書はなかなか見当たらない。

丸善に行く前に、神田錦町にある6・7月懇話会のゲスト候補者の書籍出版社を訪ねた。その書籍を2冊購入し、編集裏話を探れないかと話すが、アポなしなので関係者がいなく、空振り。出版後、被災障がい者の実情の継続調査をしているかだけでも知りたかったのだが。

約束の時間が迫っていたので、藤沢経由で湘南台でビッグイシュー販売員の**さんと会った。アルコール依存症の関係者の会合に出るのだと**さんは語っていた。路上生活者の支援活動には不可欠な課題。ビッグイシューを帰り道に届けて回る。

訪問支援をしている++君と「ん」君からメールが来ていた。「ん」君は明日、サポセンの全体会が終わったら、夜、海老名でちょっと久しぶりになった対面学習指導を決めた。ぼちぼちエンジンをかけている。

明日、水曜日の夜は教材屋の仕事が再度まわってくるので、ブログが疎かになりそうだ。それが終われば、4月に入るまでは、222・29日の研究会の夜が怪しげだが、ブログがかけるだろう。

母がカレーライスにはまってしまって困っている。安物外食で糖尿病にはよくないのだが、食い飽きているので、ため息をついている。早く飽きてくれと…。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

コメント

3/16 駆け込みセーフばかりの一日

2015-03-17 06:00:27 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/16 記
--------------
情けない話だが、毎年この時期、確定申告・教材屋の原稿締切・塾屋の親子説明会や面接が重なる。今年は生業の契約切り替えが重なった。ほぼ済んだが、塾屋の面談も今年限り。それもまた寂しいものがある。

私の場合は、複数収入なので申請が面倒で、つい締切日になってしまう。最終日は大量処理の構えなので、疑問点をまとめておき、一度手続きが始まれば、すぐに終わるのだが、担当者に出会うまでが大変なことになっている。

例年長蛇の列となるのだが、敷地内にはみ出しているひとの列に、今日は整理員の方が焦り気味で列を詰めさせていた。それは、雨が降り出しそうだったからだ。列が数倍に膨らむ上に、申請者の苛立ちが増幅させられるからだ。もうひとつ変化した光景がある。それは会場の屋内の光景だ。ひとつは列の一部に、順に椅子に小休止で座る部分を作ったことだ。また最期まで申請書を手書きで仕上げることを、いよいよ本格的に廃止し、パソコン入力に一本化したことだ。高齢者の方には担当者がピタリと張り付いていた。私はフォントが小さすぎるので、軽度の視覚障害者であることを告げ、大半はやってもらってしまった。

小田急線で相模大野校に向かい、ひとりADHDのお子さんと、学習がてら手伝いたい自営業の父親と4人で話し込んだ。詳細は書けないが。

ともあれ家に戻ってみると、母が新しい携帯を抱えて私に同報通信を教えろと詰め寄ってくるシーンがあって、とにかく後でと有無を言わさず、毛布をかぶってダウン。1時間半、仮眠からめざめ、後始末。

ともあれ、一日が終わった。

あすから平常通り、すみません。


夜間傾聴>ふたり


(校正1回目済み)

 

コメント