湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

冬期講習前期終了・大掃除というか…

2008-12-31 10:21:46 | 引きこもり
私の分の冬期講習前期の担当が終わった。今回は新しい資料を出す習慣が初めて途切れてしまった。新規受講者には、なかなか見えないが、こういうことは気が付く者には気が付くこと。お疲れ様でしたと挨拶されても、お忙しいようですねと普段と違う挨拶が飛ぶ同僚と話すと、やはり気づいていた。彼は例年私の資料の勝手校正者だったからだ。彼は長年、教科の教材研に参加している。某政党関係者。私のような絶滅危惧種の野良猫風の生き方はしていない。

私のような年配者は、まず帰りに寄り道せずに家庭に帰る。私と同方向に帰るJさんと電車の中で話し合った。やはりご母堂の介護と大学入試を控えた息子さんの関係で、今年の年末年始もない状態だが、奥さんと年越しの数時間をお子さんからいただいたので、地元の初詣をするのだという。奥さんがいい顔をしていないというのが笑えるところだが、私のほうは、例年、東京南部の元引きこもり青年と駒沢公園周辺で合流していたのだが、今年は中止という蟄居状態なりと話した。口の悪い奴で、流行に敏感なんですねときた。不況だが、私の場合、慢性不況と言ったほうがいい。昨日の本校のトイレ扉を壊した子は、やはり入校希望を親が出している。本人が折れて通うようになると、私の担当になる。彼と出会うことになるかどうかは、三賀日明けまで、地下に移る。

雑巾持って、日没前の戦いを済ませた。今年は母が走り回っていないので、日差しだけがペースメーカーとなる。私は恐ろしいことに気が付いた。ガラス窓を拭いていると、小さな汚れに気づくものだが、注目しなければ拭き残しが見えなくなった。右下の汚れが後になって気づくという異変だった。眼科に指摘された視野の地図には右目の視神経が死んで視野が狭まっている部分だった。目の中央部分のかすみとともに、意識して補完していないと、細かい作業には支障がでるだろう。意識していても、右足元に置いたバケツに何回もつまづいている自分がいる。出先で右に荷物を置くと忘れる。歳だなと了解すべきか、ポンコツと位置づけるべきか、いずれにせよろくなことは無い。

表札を付け替えた。ブロック塀に木材の土台を埋め込み、石材がネジ止めされていたが、土台が腐っていた。まさに我が家。ノミでこづくと、ぽろりと表札がはがれた。木材を取り去った穴は今日、コンクリートで埋めなおす。新しい表札は、見やすい場所に付け替えた。安物の金属エッチング製なので、外壁には見劣りするが、石材や木製で、どっしり構える内実が我が家には無いから、とりあえず新年の切り替えということにした。

いつも食材の買出しは、誰か知人に出会うものだが、ごった返したパン屋では、お目当ての食パンは売り切れ、佃煮屋に探しに言った牛肉のしぐれ煮は、単品販売していなと断られ、鮮魚の切り身コーナーは、おせちに埋め尽くされて狙いの切り身は3店回って、母の分(人差し指の先程度の分量)を確保するのみだった。夕方でかけても、売り切れ。戦果は芳しくない。胃には刺激物だが実山椒もどき(鞍馬山椒)と男爵芋2個を仕込んだ。

なんとか外回りの自称大掃除を済ませたので、大晦日は屋内を仕上げる。父の特養には年内回れそうにない。年賀状を半分ほど書いた。今回違っているのは、名前だけの家業の、関係者への印刷年賀葉書。出すのが遅いと取締役(母)からの督促があって、昨日なんとか投函。元日に着かなくてもと、不良社長(私)は居直っている。取締役が膿盆抱えたり、オシメ投げの秘儀に興じているすさまじい会社ではある。

泣いても笑っても、あと1日。冥土の旅の一里塚を通過かなと思いつつ、紅白を見ないのが違う程度の古典的年越しに突入している。

夜間傾聴:なし

<気になった記事>
●「元旦、2日は24時間特別相談 東京自殺防止センター」
●「不況で「夜逃げ屋」大忙し 順番待ち40人、ヤミ金も…」
●「追い出し屋、詳細手引き書 弁護士ら「不法行為裏づけ」」
●「世界を襲った「危機の連鎖」 逃げ場なき「究極の嵐」」
●「ホームレス越冬集会、寒空に「生き残って再び会おう」」
●「内定取り消し「10人以上」「2年連続」…企業名公表へ」
●「大衆演劇でちょいと働いてみねぇか?「雨露はしのげる」」
●「生活危機:ハローワーク、遅い仕事納め 2日で1万8159人相談」
●「ハローワークプラザよこはま:300人以上、不安抱え 臨時開庁きょうも /神奈川」
------
●「高校の新指導要領 特徴は」
●「ブラジル人学校、消えゆく生徒 失業の親、学費払えず」
●「うつ病当事者の会:うつに悩む仲間支援 川崎の田中さんが開催 /神奈川」

夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本2君(仮名)
     相模大野3さん(仮名・中学生)

(校正1回目済み)
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母の退院無事に済み

2008-12-30 08:54:34 | 引きこもり
昨日、朝7時。セットを間違えた携帯のアラームが鳴り出した。緑内障治療の目薬は、1日1回寝る前にという処方になっている。眼圧を下げるために房水を抜く効果がある。ただ「寝る前に」というのは困った。寝るといっても、また1時間程度。一日の予定の隙間を見つけて眠る形の日が多いから、とりあえず夜間作業と傾聴が終わったときに、薬を注すことにしている。だが目を休ませなくてはならない。目を閉じて30分ほど眠りに落ちたところで、非情のアラームが鳴った。ここで再度眠ると、大学病院に遅刻してしまう。血流のせいか、激しく明滅する視野を軽く押さえて起きてしまうことに。

昨夜、母は荷物を持つことを拒否。ということは、車でということ。せめて行きがけだけでも節約と、眼圧の上がるカフェインを避けて黒豆茶を温めて朝食後、方針決定。

予定より30分早く出発。さすがに日が押し迫っているので、幹線からはずれると電車はすいている。乗り継ぎのバスも順調で、病院には1時間前についた。外来患者もいない病院の玄関は、タクシーも一応1台、暇そうに待機状態。病棟は30日から交代勤務の年末年始勤務シフトになるという。だから用を済ませておこうとしているのか、ナースステーションは慌しかった。

地下の売店で握り飯をひとつ。早くついたのでと食べようとすると、「胃の手術した患者にそんなもの、食べられない」と、朝っぱらから小言パターン。「これは私が食べるのだ」と言って食べ始めると、同時に、母は立ち上がって荷物を持ち出し始めた。せっかちな…。

荷物を守衛所脇に置かせてもらって、病室を1往復。これで全財産である。タクシーのトランクに荷物を詰め込んで、運転手にルートを確認。これをしないと長距離の場合、全く料金が変わってしまうからだ。少々不服そうな運転手に宜しくと念を押して、最後に母を前の座席に乗せた。企みは、後部座席が空けば、隙をみて横になって、仮眠がとれるというものだったが、運転手に見抜かれて、「危ないから横にならないでくださいね」と、釘をさされてしまった。

出発して二十分ほど経った頃、携帯が鳴った。大森君(仮名)だった。起こしてやらないと、病院に遅刻するだろうからと、親切に仮眠を絶ってくださった。すでに母を乗せて車の中だと説明。「変だな」と思ったが、考えてみると出発が早かったせいで、帰りの出発も早かったのだ。彼が起こしたのは、従来の病院到着予定時間だったのだった。母は私より先に舟を漕いでいた。こうなるとタクシーの車内、料金メーター監視で、寝るわけにいかなくなてしまった。せちがらい話だが、仕方がなかった。

通院患者さんたちは、市内・隣接市住民が大半で、私たちのような遠方の客は珍しいと運転手が語っていた。地元医の紹介だからと応答して、世間話をしているうちに、渋滞もなく順調に帰宅した。

それからが、小言の嵐だった。手ぬぐいの模様を意識した母好みのたたみ方など、私が知っているはずも無い。「いいがかりだ」とぶつぶつ言いながら、とにかく1時間ちょっとで、なんとか整理がついた。車の中でケアマネさんから我が家に「立ち寄る」というメールを受け取っていたので、腰を下ろす間もなく、ケアマネさんが来た。

父の入所している「特養に、これから行くのだ」というので、この間のトラブルの経過を説明。母が早く帰ってきたことは、まだ父には言わないで欲しいと頼んだ。ならば俺も帰るとやられたら、身動きがとれなくなるからだ。

「興奮しているから昼寝したほうがいい」と母を床につかせ、煩いのがいなくなったところで、ケアマネさんと1月の予定調整をした。1月は利用が多く、1月中旬以降の予定が全く立たないので、キャンセル待ちとの話。そのころは、講習が終わり、季節労働と呼ぶ入試問題解答作りのチーム作りが始まる。在宅仕事分が増えるので、なんとかやりくりが可能だと思うが、母より、介護度がついている父を外泊させた方が安上がり。拝み倒してケアマネさんと別れた。

とにかく睡眠を取れないと夜の授業が差し支えるので、仮眠を取った。

早めの夕食を母に出し、出勤。しかし、家に中に待つひとがいるというのは、雰囲気が違うなと改めて思った。ひとりのときのように、部屋の空間を感じないで済むのだ。

アマゾンに、以下の本を注文。

●「胃を切った人の食事―おいしく食べて治す 消化器をいたわるレシピ200」
●「胃を切った仲間たち―胃切後遺症とその克服法 」

夜半、母がミカンを食べすぎたと嘔吐。ことはそう順調には行かないのは当たり前。これから食事の量とペースをつかんでいけばいいのだ。


<気になった記事>
●「犯罪者に「社会奉仕命令」 法制審部会、導入めざす意見」
●「ネットカフェを「住居」登録 経営者「次への足場に」」
●「障害者、コンビニ勤め/東京」
●「弱者の証言、判断二分 知的障害児裁判/千葉」

社会奉仕を苦役のように見ているようで心外。就労には、まず住民票が現実的。コンビニチェーンの試み歓迎。杓子定規、状況証拠では裁けないというのは…。

夜間傾聴:##君(仮名)
     大森君(仮名・傾聴にあらず)
----- 本校では扉に穴が…。私に担当、回ってくる予感。

(校正2回目済み)
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母の退院前日が過ぎていく

2008-12-29 04:00:01 | 引きこもり
退院前夜なり。冬期講習の再々変更はさすがに嫌な顔をされた。しかし、事が事なので承認せざるを得ず、結果、次からは私には授業の声がかからないという状態になる。静かな「雇い止め」である。

ただ私の場合、学習困難者の個人指導という交代できない部分を持っているため、経営者が経営理念からそれらを軽視し抹消しない限り、即座に首にはならない。ただ平常授業の講師の口が、欠勤だらけでは売り物にならないために、採用が無くなるということなのだ。昨日は感情的に「失職」を口にしたが、首の皮一枚でつながっている世界なのは事実なのだ。成果がでなければ契約は打ち切られる、その短期の成果に腐心しなければならない現実、仕事の性格上、短期成果自身が実は無理難題なのは、私にはわかっているのだが。

2箇所の上司に頭を下げてきた。在宅介護の場合、これからも不安定勤務が続く。フリースペース運用型の場合は、この問題は無い、その代わり、運営資金繰りの地獄が待っている。

帰りに、面会時間切れすれすれに病棟に立ち寄った。母の論はすっきりしている。何であなたがその奉仕仕事をしなければならないのかという論法だ。私が私教育に飛び込んで40年、母が言い続けた論理だ。生きることの痛みを忘れたら終わりだからだよと言っても、それは答えにはならない。

母の全体の荷物は大したことは無い。「一番大きな荷物はあなただ」と憎まれ口をたたいても、蛙の顔になんとやら、母は平然としている。

面会時間帯を大幅に過ぎても、用事で来る介護者家族には露骨な注意は来ない。かえりにナースセンターに、挨拶して通り抜けるが誰も応答しない。そう、誰も知らなかったこと。

今日朝10時、再び病棟に行く。あわただしい一日。冷蔵庫をさらうために鍋自炊。残り物があると煩い主婦が帰ってくる。アリバイ工作なり。

今回考察シリーズはお休み。

夜間傾聴:##君(仮名・二股指導気にする必要などないよ。)
     中延君(仮名・恒例の駒沢公園初詣ならぬ初散歩、会えるといいのだが。)

(校正2回目済み)

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29日、母の退院決定>困った…

2008-12-28 08:29:04 | 引きこもり
母が帰りたいと言い出し、月曜日に退院という話になった。ベッド生活なら外出しない限り大きな行動上の問題はなくなってきているが、床に敷いた布団などから立ち上がる腹筋を使う動作は、まだ痛みが強く困難と思われる。「倒れたらどうするの。畳に座った状態から起きるのは出来るの」という問いかけにも、頑強に「平気だ」を言い通している母。勝手に病院側に手続きを取ってしまったので、29日月曜日退院ということで、冬期講習日程調整(冷や汗)やら、基本食材の購入などに振り回されて一日が終わった。

父のいる特養が友人夫妻がドライブに出かける途中という事で、一家中で、私への連絡無しで、直接見舞いに行った。職員から「関係は」と問われたので、家族ではないと面会できないのかと思って、「近くの親戚」と言ったという。これもまた火種になってしまった。父の入所は、介護の手が母と私のふたりきりで、母が入院という事態になっている為の救急措置という説得で、先方が渋々承諾したという経過があったからだ。近くの親戚の学生の息子・娘連れとくれば、「御」の字である。どうしたものかと頭を抱えている。本来手のかかる被介護者を預かるのが特養だが、職員数が不足しているので、徘徊・汚物食のような目の離せない高齢者は敬遠されてしまう。父の場合、認知症は「まだら」の上、性格も重なって言う事を聞かず、露骨に転倒するという、管理の枠をはみ出してしまう状態だから、入所審査時から敬遠されていたのだ。(乱暴な軽症者のイメージ)

友人に文句をいうわけにもいかず、父が「きょうこれから帰るところだったから、丁度よかった」と、車に乗せろと友人に言うという困ったやりとりがあったと聞いた。友人は父が「明日から勤務だから」とにこにこしていたという話をしてくれた。にこにこしながら、「認知症は困ったね」と友人が語る語りに、聞く側の私のにこにこは、引きつっていた。

案の上、携帯に夕方、特養から、「明日話があるので来てください」と電話があった。「仕事が抜けられないし、母が急に月曜日、病床数の関係で急に退院となったので」と予防線張って断った。父母帰宅のダブルパンチなら、失職である。冗談ではない。

とにかく日曜日は、授業前に我が家の付け焼刃的大掃除、こうなれば、いわゆる「四角い部屋を丸く掃き」方式である。視角認知に問題がありますのでと。

夜間傾聴:******君(仮名)
     橋本君(仮名)
     橋本2君(仮名)

(校正2回目済み)
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地域就労支援の形を考える(『ワークシェア・ローカルネットワーク』の考察2)

2008-12-28 07:35:51 | 引きこもり
「ワークシェアリング」という言葉は、「すでにあるパイの分配の方法」として狭義に論じられているから、障がい者就労・社会的弱者就労というところでは、そのパイをもともと期待できないほどに格差がある現状に、分配など無意味な話とされてしまうだろう。しかし、そこには生産と消費という分野の前者に偏った視野の前提がある。後者の消費生活の分野にシフトした視点から、地域と起業という含みを前提にしたうえで、「再分配」という政治的統括視点からというより、仕事という複合システムの「協業」の視点から、ボトムアップ的にとらえなおしてみようと思うのだ。

ひとりひとりの「能力」の判定から「就業」選択へという、いわゆる社会の「ジグソーパズル」的な「就労」モデルから、「出会うことによる可能性の喚起」のモデルに「就労」モデルを置き換えることを考えている。

このことは、一般就労についても従来から、奇妙な規範とくっついて「社会人としての自立」と「生計自立」という「立身と就労」がメダルの裏表のような関係で、ひとくくりに、抑圧的に語られることが多く、この価値観が特に引きこもり青年の呪縛となっていた。

また精神障がいの分野からは、長時間労働・安定就労の困難(急性期と寛解期の波など)が、指摘されていた。例えば「浦河べてるの家」の事例にあるように、参加コニュニティが自主管理的に労働分配しているというようなこの形は、ある定型の労働があってそれを分配していくというより、開放型の創造的な起業立ち上げが背景にあり、その点で単純な能力配置のような発想を抜け出しているところが特徴となっている。

一方、「チーム就労」の各地の取り組みでは、就労持続の窮地の相互補完のようなことを試みている例もある。しかしこれも派遣会社のような運営管理者(支援者)の調整システムが不可欠となっている。

教育の分野では「個人の能力を育てる」という発想が強く、共に活動することで何が実現できるかという「協業」の観点に乗った問いは、なおざりにされてきた。このことが、低次元な個人競争意欲喚起論の土壌となってきたし、弱者自己責任論を生み出す隙間となっていた。

私が考えるのは、従来の法人ベースで試みられてきた就労支援を、地域ベースのセンターの、かつ開放型の就労支援システムを生み出そうということを提案しようと思っているのだ。これを「ワークシェア・ローカルネットワーク」という障がい分野・社会的困難分野のそれぞれの横断、支援団体間・個人横断、願わくば民間・行政横断の地域生活就労支援センターの設立と運用を実現し、地域に分散している社会的困難を抱える方々も、ネットの一員として初めから考えているような形で生み出していくことを提案したい。

その芽が、この間、語ってきた茅ヶ崎・若松町の地域就労店舗の一部を使ったセンターを、社会的企業の形で経営試行の別店舗により経営基礎をバックアップしながら設立しようと考える。

「ワークシェアリング」というサーチをかけたところ、ウィキペディアを初めとして様々な動きが、ある固定的な分類で表現していた。親和性という意味で一番近い型は「多様就業対応型」だろう。異なるのは「決まったパイを分配」するのではないということだ。特に地域消費生活分野では、未開拓の仕事があるし、それらは社会的需要という社会的企業の前提を見込むことができるからだ。就労のパラダイムシフトが必要なのだ。


(cf.)
-------
●「ワーク‐シェアリング[work-sharing]」
●「ワークシェアリングとは」Wikipedia
●「ワークシェアリングとは」岩手県職員労働組合
●「ワークシェアリングについて」熊本県地域労使就職支援機構
●「ワークシェア」坂本 衛:監修「現代キーワードQ&A事典」
●「第4回『日本のワークシェアリングのあり方を探る』発言要旨 」JIL労働政策フォーラム


(未完)

(校正2回目済み)
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じりじりと年の瀬追い詰められての感あり

2008-12-27 09:12:47 | 引きこもり
夜型人間にとって連日午前通院はきつい。昨日も結局徹夜状態で、大学病院へ。執刀医が退院前の予後の計画について家族と確認する場だったのだが、朝9時半までには来ていてくださいということは、7時半には家を出なければならなかった。

要点は、退院の日程再調整・食事リハの方法を守ること・数年間年1・2回の通院をすること・地域主治医への医療の引継ぎという内容だった。わずか20分程度の話に往復3時間半強の時間をかける馬鹿馬鹿しさを感じる。書面確認で済むこと。前日の栄養指導に出ていれば、3日間連続となる。病院の配慮のなさというかセクションのつながりのなさのしわ寄せが家族に向けられている。

午後から母の旧知の友人たちが見舞いにくるというので、肴にされる前に退散した。今度の病室は、女性だけの4人部屋で、カーテンのパーテーションが行われているので、独立性が高く、狭いが窮屈ではない。一番はナースセンターから距離があるので静かなこと。母が年内退院を強く主張したので、年越しは我が家でということになりそうだ。昨日中に予定が決まるはずなのに、未だ連絡が無い。

巡回の関係で、大和に向かい、数時間の空きを大和徳州会病院外来を利用して仮眠した。ぐるぐると闇が回る。携帯のアラームに起こされるまで、無事睡眠。

海老名に出て巡回を済ませる。海老名は様子が分かっている大きな病院が無い。だから、仮眠を邪魔されない場所を選んだのだった。

退院が年内となると冬期講習の予定にかかる場合が出てくるが、午前中のコマは逃げているので、さほど影響は出ないだろう。むしろ食事、そして来月からの父と母ふたりが家にいる場面が増えてしまうこと。これがきつい。1月末は、かためて大きな集まりがある。ここはなんとか出席したい。

ともあれ、大学病院と特養にむやみやたらに呼び出されると、活動を作る時間がなくなる。今回はふたたびの大風呂敷なので、時代の先を読み込んでおかなくてはならない。同じ内容でも、私が語ることと、障碍者関係組織の核になる人の語りでは、全く違った結果になるという立場のちがいに、歯噛みしつつも提案と、私のやれることを思案しつつ、これまた「画策」を始めている。

定額給付金は、大型やかんと湯たんぽを買うつもり。路上生活者冬場支援になるかなと思いつつ、待て待て、カトリック教会の支援の概要をつかまねばと思う。当人たちは、味方と思いつつも友人とは思っていないので、支援には部分的な応答しか返してこない。用途選択には直接打診が必要。貧者の一灯風だが私は口火でありたい。
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私の昨日担当したクラスは年齢層が高い。人数は少ないが定時制風。だから非正規雇用者で雇い止めがひとり要る。他は親の補助があるのでまだ目だっていないが、彼はその後、教室に通う資金が作れるか不安を隠さない。

夜間傾聴:入谷さん(仮名)
     橋本君(仮名)

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「わーく」提案の主眼は「ワークシェア・ローカルネットワーキング」です

2008-12-27 07:55:22 | 引きこもり
夜半から気温が一層下がって、私の家のように古い木造家屋ではストーブをつけていても冷気が忍び込んで来るのがわかる。突然解雇され、寮を追い出されたひとたちが路上で、この慣れない寒さに耐えている。死者が出たらどうするのだろう。新聞は8万5千人の非正規雇用者の失職予想をトップに報道していました。障碍者、引きこもり青年の社会参加・復帰はどうなるのだろうと思います。

ただこのことを考えたとき、2000年以降の地域就労支援活動の空回りのことがふと思い出されました。様々な障壁があります。乳幼児診断を経て、初めから障碍者としての生涯の設計に取り組んできた人たちと、事故や疾病などによる中途障碍の人たちや、健常者とともに育ちながら、心身の隠れた障碍や社会的不利や差別を抱えたまま、自己責任の重さをかけられている人たちとが、この不況の衝撃にどのように立ち向かっているかというと、その経過と方法の違いに、どこに接点をおくかという課題にぶつかります。

私が伴走を試みてきた人たちは、健常者の中に埋もれ、自己責任という社会の遮断・放置に遭って来た、不登校・引きこもりとか、ADHD・アスペルガー症候群とかパーソナリティ障害というようなハンデを医療カウンセリングというような自己責任に任されてきた人たちだったと思います。

特別支援校(旧養護学校)を経て福祉的労働と親御さん中心の支援活動によって、生活保護と障害年金という既得権(勿論政治はいつでもこの権利すら吹き飛ばしますが)を踏まえることが可能な方々と、これから地域にその支援のネットワークに連携していくことで、就労や社会参加を生み出していかなくてはと考える立場のずれが、社会的弱者・生きづらさを抱える者と言葉の上で一括しても手を携える場面を設定できないベクトルのずれに、翻弄されてきたのです。

しかし、経済の安全弁としてもともと不利な立場に形作られてきた非正規雇用のひとたちの解雇が噴出してきた時代に、企業就労の道がいっそう狭く不安定になり、社会保障の収入が政治と消費生活の両面から追い込まれる時代に入ると、本人活動と支援活動の社会的な課題が連携の新たな局面に入ってきたことを感じるのです。

企業就労の場面の、特に法定雇用率達成だけに形式的に採用する企業の就業の質と収入、社会参画への道を確保していくことや、作業所のA型移行(給与所得への移行)と収入の向上という起業的な活動の課題、これらは特に行政支援の退潮やシーリング設定が懸念される中の活動になります。

しかし未組織の障碍を抱えた方の地域連携を生み出す活動は、特に発達障碍や精神障碍の分野への時局の親和性の強い活動として、本人活動の育成を含んだネットワーキングとして生み出す必要を感じている。つまり「仕事作りと協業」の絵を描くこと。切り捨ての風を受けつつ成長させる社会的企業の手法を効果的に導入することです。欧州的な第3セクタのネットワーク(ex. ソーシャル・ファーム etc.)を育てる方向です。

時代の風は受け止める戦略が必要。それを私は「ワークシェア・ネットワーキング」の形で横断的な連携を生み出していく。そこには本人のSNS下の携帯電話ネット連携のようなオンラインの網を有効に組み込んでいく必要があると思います。人体に模していえば脳・神経伝達系の部分です。ネットには触媒が要ります。ここに「わーく」のインフォメーション活動を組み込みたいのです。

今、茅ヶ崎の若松町の店舗機能の相談がNPOサポートちがさきの地域就労支援PJの場で始まっていますが、ここの店舗の一部が、横断的な地域就労支援のセンター機能を持たせられないか企画を練っています。私としては自立支援法の枠から大きくはみ出した網をかけたいと思います。その経営基盤をどう持つのかという部分で、自立起業の形が問われています。今、共同オフィスの形が提案されていますが、たしかに現実的な課題ではありますが、一方で呉越同舟的な面が捨て切れません。協働の企画が必要なのです。だから「ワークシェア・ネットワーキング」なのです。横断的な地域就労支援活動です。不況だからこそ、地域開拓と下支えの必要があるのです。

(cf.)
●「非正規社員の失職、8万5千人に 来年3月までの半年で」
●「14時間電話鳴りっぱなし 非正規雇用相談に1700件」
●「派遣切り、届いた0円の給料明細 「寮費不足分払え」」
●「休業手当助成、短期の非正社員にも拡充 厚労省」
●「休業助成の申請急増、12月2万人 昨年度1年の4割分」
●「派遣労働者、07年度は20%増 製造業では倍増」
●「「理由なき雇い止め無効」元嘱託職員が勝訴 東京地裁」



<最近(12月)の厚労省報道発表資料から>
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●厚労省「緊急雇用対策/仕事をなくした方・お探しの方へ」
●厚労省「ハローワークにおける年末緊急職業相談及び労働基準監督署における年末緊急労働条件特別相談を実施します」
●厚労省「ハローワークにおける住宅確保のための相談状況等について」
●「ハローワークにおいて、社員寮等の退去を余儀なくされた方々への住宅確保のための相談支援を開始します」
●厚労省「雇用調整助成金等の拡充及び離職者住居支援給付金(仮称)の創設について」
●「派遣労働者が384万人に増加~労働者派遣事業の平成19年度事業報告の集計結果について~」
●「雇用調整助成金等の利用状況について」
●「非正規労働者の雇止め等の状況について(12月報告)」
●「「短時間正社員制度導入支援ナビ」がオープンしました!!ー「短時間正社員制度」の導入を応援しますー」
●「『若者自立塾創出推進事業』の実施について(塾実施者の決定等について)」

(校正1回目済み)
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師走の一日を実感しつつ

2008-12-26 06:31:38 | 引きこもり
私の担当した引きこもり元青年の元奥さんが、服毒自殺未遂の状態で入院していたが、一昨日退院し実家に戻られた。私はふたりともに交友があったので、親御さん経由で了解を取り、昨日お見舞いに行ってきた。体調回復は順調だが、まだあれこれ話す状態ではないので、短時間で失礼した。その後、久々に男性の方にも会って来たが、シビア。それが個性であるが、痛々しい心がところどころに顔を出していた。しかし時の流れは速い。彼の髭はだいぶ白髪が混じってきた。

池袋から新宿に出て、ある障碍者団体の研究会の国際セミナーの申込をしてきた。この日、職業リハビリテーション学会系のセミナーとダブル・ブッキングとなるのだが、プログラムを見て渡り歩くつもりでいる。片方は社会的企業の国際状況の情報入手と、ワークシェアのネットワークを推進する事例が得られそうなのだが、片方は神奈川県の具体的な動きと発達障碍に特化した就労支援の事例とのリンクを含めて、これも欠かすことが出来ない話なのだ。分身の術ともいかず、こういうとき零細企業経営のような分業が出来ない悲しさがある。

茅ヶ崎からも新宿からも大差ない母の入院先へと回った。午前中、家族を呼び出しての栄養指導が組まれていたが、内容を知っていることと、母の友人がヘルパーさんに化けて出てくれるとのことで、逃げ出した。9時半までに病室になどと朝型人間基準で言われても、7時半に家を出るなら、有意義に使いたかった。この栄養指導はパンフレットがあって、その読み方の説明のようなものなのだ。医療関係者は自分の予定を押し付ける。忙しいのは分かるが、家族との日程交渉を踏まえないのは失礼というものだ。医療の非対称的関係が透けて見える。

母の回復は順調だが、諍いのしこりが残っていた。移動先の消化器外科の4人部屋は、静かだった。しかしナースセンターで移動先を聞くとき、腫れ物にさわるような応答は、なんとも…。

病室には午前中の母の友人とは別の友人のお客さんがいらしていた。母の友人にしては珍しく高齢者介護やダウン症児イベント・バックアップなどの活動をされていて、母をついのけ者にして話をしてしまうのだった。しかし、市民活動はさまざまな参加レベルがある。企業的経営手法を導入して解決力を高める話が論じられるが、古い表現だが「ゲタ履き参加」、ひょいと参加できる気軽さ、敷居の低さも市民活動の命なのだ。この広い裾野を見失うと、市民活動は地域サービス企業の営利活動の隠れ蓑に没してしまう。ここは敏感であるべきと思っている。企業との協働と言っても原動力の質の違いは保つべきことだ。

母は赤い羽根に熱くなるセンスは、お祭り屋だと酷評。私もスポーツファンとか県人会などの熱気にファシズムの根を感じてしまうのだが、病室の会話ではないから、母の友人の話をつつきながら、片方で抑制してしまった。

母より少し若い方だが、茅ヶ崎サポセンで捕まりそうだ。少々頭が痛い。

病院は、今日朝10時から担当医の術後経過と退院後の見通しの話し合いがある。家族親族強制参加である。平日のふつか間午前中に日程が開けられる人がどれほどいるのか。これが自覚が無い。分業調整屋が病院内にいないのがいけないのだ。

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病院から30分、夜間傾聴のレギュラー、##君のお宅を訪問した。中身は書けないが、##君の見通しが少し開けてきたのは嬉しい。あせるともつれる。君は自分を語れる。それは、だからこそ苦しいのだが、それは実は、すごいことなのだ。(こういう物言いは、いけないのだが。)

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横浜駅のBig Issue 販売員さんと会えないで困っている。新刊を図書館寄贈しているので、差し替えが出来ないのだ。もう1ヶ月になる。今回も空振り。

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日がとっぷりと暮れた闇の中、父の好きなチラシ寿司を抱えて特養に飛び込んだ。施設では食中毒の危険があるので、生もの食品の持ち込みは禁じられているのだが、今回は家族が直接食べさせるという条件の下で許可されていた。

前々日、父の転倒の件で呼び出されていたので、こう頻繁に通わなくてはならないのなら、預ける意味が無い。今回も、転倒の件で父の衰えが見える話に、寒空に立つような気持ちになっていた。腰掛ける際、椅子やベッドサイドとの距離感がつかめないために、転倒したりずり落ちてしまう。車で言えば車幅感覚に当たる身体感覚が後退しているのだ。

現場責任者の方は夕食後の支度の片手間で、なかなか話が煮詰まらなかったが、ケアマネさん以外に、家の状況を伝えることが出来た。しかし、帰りはバスが無い。父のうまそうにチラシ弁当を食う様子を見ながらどうしたものかと考えていた。

結局洗濯物を抱えているので、タクシーを使ったが、これでは身が持たない。特養には、年内あと1日来るが、後は来年になると伝え、父の個室の扉を閉めるとき、「こけるなよ」と念じていた。「扉閉めちゃだめ!倒れても見えないでしょ!」と、職員さんに怒鳴られて、それも断ち切られたのだが。

洗濯しながら自炊。訪問レポートを書いてメールしたら23時を回っていた。覚悟して仮眠を取った。寝たら傾聴電話が鳴ろうが、暴漢が飛び込んで来ようが寝ているからだ。午前3時前、ここに書けない方の連絡が入り、20分後、朝訪問した彼からお礼のメールが飛び込んだ。

緑内障の右目が最悪。資料整理を中断して、お茶を飲んだ。病院への出発まであと1時間半。夜の授業までの間、病院外来のソファで仮眠することに。用事をまとめない医療関係者に苛立ちを感じつつ。

夜間傾聴:&&君(仮名・元青年<中年と書くかね?)
     ほか1名

p.s. ●「自閉症の社会学」入手

(校正1回目済み)
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X'masプレゼントの絵本から/恐慌前夜の就労支援の形をつくる

2008-12-25 08:19:30 | 引きこもり
私の友人の娘さんにX'mas プレゼント贈るのが習慣になっている。幼児絵本から大人びた絵本までの経過を通ってきた。「絵本」は子どもだけのものではない。じっくり絵本を観てみるといい。それが実感できるはずだ。

やっと旅立ちの話、すでに古典になりつつあるアネット・ランゲン&コンスタンツァ・ドロープのフェリックスの旅シリーズを贈った。絵本に手紙が貼り込んである。封筒をあけて中身を読むのが楽しい。

私は絵や写真を独立して楽しめる作品が好きだ。このフェリックス(うさぎ)は全体の安定感と、想像への誘いがいい。

私のところも、彼女のところも親御さんの事情は窮地に立っている。しかし子どもは直接それに巻き込んではかわいそうだ。私は毎年、冬期講習と重なっていわゆる忘年会には、ならない。駒沢公園近くにすんでいるもと引きこもり青年と年越し散歩をしたことぐらいが、年末年始の行事だ。

昨日は能開校系の「心の悩みを抱えた方のキャリア形成支援プログラム開発」分科会の企業担当者教育プログラムの話のために、かながわ人材育成支援センターに行ってきた。市民活動畑からは私だけ。カンセリング技法の伝授の流れが強く、時代状況が反映されないのが、なんとも違和感。県の公共窓口関係者と、いわゆる産業カウンセラーのプロとの接点のひとつなのだが、ここには当事者の吐息のひとつもきこえてこない、私にとっては異様な場でもある。

今、この間の活動をシンボライズする概念をたてることができたので、新年の提案にしようと思っている。大きな流れとしては、世界恐慌前夜のような厳しい時代に飛び込んで、非正規労働者が切り捨てられている現状で、引きこもり青年や、障碍者の就労のようなさらにハンデのかかったひとたちの就労は、現行の企業のままでの就労は、一層空洞化と空転が進むだろうということ。法定雇用率達成の採用のその後の労働がおざなりになるだろうということ。

生活保護と障碍年金の生活は、背後を支える家族の家計の危機や、親亡き後の生活保障が不安定化するために、年金自身いっそうの切りつめを要求されること。支援団体の経営難から、当事者を支える裾野が弱体化すること。この辺だろう。

企業就労とは別の地域起業も、経済危機は重しになるだろう。篤志家の資産に頼った展開は限界だろう。

第3セクタ的な支援ネットを障碍横断の形でつくっていくことに加えて、あるひとつの仕事を複数名が請負う方法も浮かび上がらせようと思う。精神の分野では、安定就労が難しいことが問題になっていた。企業側の常識では労使の1:1の契約が雇用だから、変則的なチーム雇用を実現する。「ワークシェアリングネットワーク」をオンライン機能を重視して作る。このセンターを茅ヶ崎若松町からスタートさせようという話。今はこの精選と肉付けを行っている。仕事探し・仕事作りもネットが担っていく。

こんなことを考えながら授業をやっているから、教室からひとり消えたのを気づかなかった。相手が大人だから、上司に叱られもしないが、やはり、まずい。

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いすず藤沢工場の知り合いから、非正規雇用者の、直接雇用期間工の中途解雇が来春の契約満了時の雇い止めに、方針がずれた話を聞いた。ボーダーのもと引きこもり青年で、地元採用枠で入社してから彼は長い。正規雇用である。依然独身だから、切られるときは先にやられるだろうなと彼は言う。

切られたら何を支援できるだろう。受け皿をハローワークや地元企業と連携することはできないだろうか。また大風呂敷をと交わされそうだが、当事者のネットワーキングで支えあっていかなくては、打開の道は開けてこないだろう。

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切り分けが難しい。

まもなく母の大学病院に出かける時間。これで…。

夜間傾聴:##君(仮名・一度会おう)

<チェックした記事>
●「障害児宿泊の臨時職員同行費 親らへ返金/千葉」
●「「家を」「職を」支援動く/埼玉」

p.s. 今日の予定・母の病院へ>父の特養へ 配達屋。

(校正1回目済み)

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母の異変は大学病院病棟管理のお粗末さにあった

2008-12-24 06:27:01 | 引きこもり
母の友人からの問い合わせ電話が朝からかかってきた。私宛の母のメールが、趣味の集まりのリーダーのところに間違って送られてしまったからだった。母は返信モードを使うと間違える。概念に勘違いがあるのかも知れない。

状況がつまめぬまま、病棟に着いたのが昼過ぎ。自治会の組長引継ぎトラブルの飛込みが出先にあって、1時間弱足止めをくらったのが遅くなった原因だった。師長が病室に入ろうとする私を呼び止めた。担当病棟研修医とふたりなので、病状の話ではないことを直感できた。

「わがままと思っていたら、精神不安定なので、精神科病棟に移す」という確認をするために私を呼び止めたのだった。こういう性急な確認ほど危ないものはない。「まずは母の様子を知りたいので、母に会います。それからにしてください」と要求を遮断。

母に会うと、母は確かに苛立っていた。

「どうしたの?盲腸の手術跡のひきつりと前から言っていたこと?」

と、どうやらはずしている「新たな病変発見」の筋でわざと問いかけてみた。母は滝のように、未整理な訴えを始めたので、「客観という主観」の文脈整理法である「主訴」「経過」「現状」「対話」という始めの部分の拘束力を排し、「時間に沿って教えて」という「結論が最後に来る方法」を取らせた。より自然に語ることが出来、その過程で自分が論点のつかみ返しができるからだった。傾聴の方法である。

話の内容は、「病室環境の異常さ>不眠」「職員の処理>不満」という2点に治まった。母はICUから移されてきた見守りが必要な患者が入るナースセンター直結の病室にいた。部屋の割り振りが満床(?)の関係で、3日間この部屋にいたのだった。母は術後、翌日から歩行リハが始まる程度の状態だったので、特別に感染症でも予測されているのでは無い限り、この部屋に3日というのは部屋の事情によるものとしか考えられなかった。

次に驚いたのは、母のベッド床に圧力センサー・マットが敷かれていたこと。母は徘徊と診断されていた。

母は父の世話の関係で、睡眠中の異音と奇声・男性の咳払いと吐痰には敏感になっていた。私と分担して四六時中、父の介護を担ってきたからだった。前々日まで母の足元側には高齢の男性が入っており、昼間寝入って夜間に絶え間なく吐痰・咳払いを繰り返していた。母の右隣のご婦人は、四六時中ナースコールを鳴らしては、看護師と不可解な問答が絶えなかった。加えて周辺の患者さんの連続した死亡を母は目撃していた。この3日間にまるごと2回患者が入れ替わり、3名がもがき苦しんで亡くなっていったという。

この部屋から別の部屋に移して欲しいという訴えが、複数の看護師の片手間(名前も判明している)で、お互いの情報交換もなしに扱われるため、混乱した話をしだのは異常と判断されたこと、ここがレッテルの始まりらしい。母は前の話が受け継がれていると思っていた。

21日夜から、賛美歌合唱隊とおもいきや、たけし扮装のビル・オーナー(大学病院ビルのオーナー)と子どものバナナマンが病室乱入を繰り返し、クリスマス騒ぎを連日行い、静穏の維持のため、彼らを重症部屋から排除をしようとした看護師が即座に配転された。オーナーの機嫌を損ねたのが原因?その看護師は母曰く、新米ではないがマニュアル型対応だったという。母の担当の看護師だった。ここでも母の訴えは、担当替えで、かき消されていた。

このオーナーは専属部屋があり、病院の一室を別荘代わりに使っているという。名前はNさん。(患者間の噂)

この為、静穏と程遠い環境の中で、訴えが伝わらず、救援を求めて私の元へ電話をかけに行こうとして歩行中、崩れて保護されたという経過があった。

手術前、複数名の心理カウンセラーが母を訪ね、「不安はないか」「信奉する宗教関係者の牧師や僧侶の仲介の必要は無いか」と問われたという。このとき「術式と成功率の詳しい説明を受けていること」「転移の可能性の検査の結果が出ていること」から、「お任せしますからいりません」としたが、「不安ではないことが彼らの不安」だったみたいだという、言わばア・プリオリな型はめ(マニュアル対応)が行われていた。母からあれが精神科なら絶対にかからないと笑われていた相手がこの騒動に再登場した。

母はハルシオンを常用していた。睡眠導入剤である。主治医からは、父の夜間緊急出動担当交代のとき、対応を私に任せてぐっすり寝られるようにと処方されていたものだった。

これらの情報は、消化器内科のS医師の問診により、院内共通電子カルテに書き込まれ、消化器外科の執刀医K医師の確認問診で、認知症の夫の在宅介護にて心身の疲労があること、ハルシオンを処方されて就寝時に服薬していることがカルテの連絡欄に補強書き込みされていた。ここを病棟関係者が(原簿を)読んでいないのだ。

誰に話しても空振りし、間近な死の現場目撃の不安の訴えにも、そのような患者はいない。(現在は別人に入れ替わっている)という応答に、母は部屋替え要求を出して、病院側と話がこじれたという。私には忙しい病棟の情報管理と、関係者の自己責任回避の複合現象という医療現場の荒廃があり、ここの病院も抜け出てはいないのだと了解された。情報のエア・ポケット現象は、統括管理のシステムがないと、かまいたちが通り抜けたように、突然血(事故・事件など)を見る。この危機に病院は気づいていない。

母はノイローゼ、または薬物依存と徘徊の危険人物ということで、精神科病棟へと移送する話になろうとしていた。師長と病棟医が私に通告確認とろうとしていたのは、それ。恐ろしいことに、傾聴を行わずに、母がマニュアル対応を笑っていたカウンセラーたちから、認知症の進行度判定に使われる長谷川方式の問診がすぐにあったという。認知症のレッテルがあったからこその行為。病棟把握が出来ていない稚拙(危険)な対応だった。

まず母と会わせず結論の同意を取ろうとしたのはなぜか。母の主訴を把握していないのはなぜか。患者の経歴を「認知症の夫がいる」という話以上事情をつかんでいないのはなぜか。昼夜頻繁に看護師の出入りする見守り病室内の不眠を病的とする根拠を示せという問いかけを彼らに出した。

彼らの応答は、母の文脈はつながりがなく、感情的であり(>心理不安定)、徘徊が見られるため、睡眠コントロール治療が出来る精神科への移床が適当」と論拠をあげたつもりで応答しているのだった。白衣の威圧は私には通じない。ハルシオン常用者=精神異常者という論拠に立つなら、宿直看護師は皆、精神異常者になるし、救急外来担当医は精神異常者なのに執刀していることになると反論。

第一、同じ処方を数年間出し続けることが常習性のある薬物なら、主治医を医薬法違反で訴えなくてはならない。徘徊と診断するが、それは1回の出来事であり、母からは看護師に保護されたその道で、目的地の談話室からの公衆電話で救援を求める電話をかけている。ということは、その時点で看護師はどう判断し対応したのか。ましてやオーナー軍団の騒ぎへの抗議の直後、長谷川方式のチェックをするなど、医療従事者として拙速ではないのか、責任者が病棟統括のため、直接母の状態の再確認をしているのか(これは病棟医がしていた。ただし外科医の予後監察の目で)と。

「予断を認めますか?ならば入院に至る経過を話しますから」と、父の24時間監視を含む介護の状況の簡略説明と、ハルシオン服用が治療というより健康管理という意味合いがあることを語り、医師の診断は傷病の状態把握と人物の経歴(背景)の把握が必要であることは、基本の基「客観という主観」訴えの遮断という抑圧を監察に突き放す、その間に潜む予断が一番怖い。ことによっては人権侵害になると伝えた。私の説明を信じていいか自己判断に不安があるなら、院内共通電子カルテの原簿を読むべし。執刀医サインの原簿、病棟入院患者分読むのはゆとりがないのですかという追求のところで、割り込みが入って「わかりました」となった。

即座に母は個室に移動、翌日の移動計画の中に母を入れて、他の女性部屋(ただし無料部屋)に移動するということになった。「無料部屋」の了解は留保したが、ともあれ母は戦場から離脱した。

引きこもり青年たちが、精神科や心療内科で味わう空転とレッテルの抑圧は、今回の出来事と同質で、医療現場には、未だ横行している状態。シャブ漬けがまさにこれ。

病院の始末を終え、夕方ぎりぎりに教室に飛び込み、授業、その後、相模大野巡回を済ませて帰宅。母の洗濯物と朝食の食器洗いを済ませたら睡魔が襲ってきた。

午前2時、夜間傾聴の専用携帯に起こされるまで、3時間ほど爆睡した。

母の癌の転移や、新たな疾病が見つかったのではないことが幸いだった。今日、明日、母の友人が見舞いにくる。母が感情的なおしゃべりをしないといいのだが。母の連絡では、今朝10時、栄養指導するので家族も来るようにとの話。早く追い出すのかなと思いつつ、連日は行けませんのでと応答。

「一件落着」はどこに行ってしまったのかと思う。今日はドロノワだが限界。14時からの能開校の精神の分科会に出て、帰りは授業。

夜間傾聴:相模大野2君(仮名)
     ******君(仮名)
     多摩センター君(仮名・こちらから)

(校正2回目済み)

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父の徘徊と母の異変/路上生活者への「湯」の提供を

2008-12-23 07:33:21 | 引きこもり
冬期講習が始まった。困ったことは重なって起きた。股関節が攣(つ)るのだ。問題を解かせている間、ときどき壁によりかかって症状が去るのを待った。父をショートステイさせたその日、天候が悪かったり、寒いときに現れた。親父後遺症だった。母の介護と、父の様子見が隔日ぐらいのテンポで行う必要があったので、その時間は確保する、補佐は補佐なのだが時間講師なみのテンポに落とした。かわりに、演習の乱捕りのような場面の補佐を増やした。安いが出れば金になる。

警戒は大げさかと思っていたが、さっそく携帯が鳴った。父が徘徊をやめない。危険なので話したいという連絡だった。今日は夜が巡回だったので、それを明日に入れ替えて、帰りに家の「着替え」を抱えて、駅からタクシーに乗った。20時近くになっていたからだった。特養の宿直に「着替え」をお願いし、夜勤の看護師さんに話を聞いた。しかし、私が父に会って静まるものでもなく、結局それは転倒事故の予防線。歩行器を今回は持たせているので、歩行器を指導してくれないかと頼んで場をかわした。現場では、歩行器指導のような時間はないのはわかっていた。警告で呼び出さなくてもと思いつつ、先方の戸惑いがケアマネさんの個人プレーであることがわかったことと、職直が別に看護師がついて複数名いることがわかったのは、収穫といえば収穫だった。

小雨降るバス停には待避所が無い。20分待つのは気が重かった。結局帰りもタクシーを拾った。自炊を止めて、駅前で食事をしていると、メールが飛び込んだ。母の友達からだった。「股関節の引きつり、退院、それどころではなくなった。急。」と書かれていたので、転移ではないかと、私の方に問い合わせのメールを寄せてきたのだった。私自身が骨折した側の股関節が痛み、坐骨神経痛だろうと思っていた矢先だけに、合理的ではないが嫌な予感がして、母にメールを入れた。応答は早朝にあった。「6時すぎに連絡する、急」とあった。何かが起きているのは確かだった。癒着?子宮転移?椎間板ヘルニア?応答がない。昨日、お別れのようなことを書かなければよかったと、ちょっと後悔している。蚤の心臓かな。カウンセラーの内情である。

父はジャージの腰紐の結びが解けると、力任せに引き抜いてしまう。この紐通しと、名前がついていない靴下への名前入れが宿題に出ていた。母が和鋏を病院に持ち出したらしく、細かい切断やきれいな切り口の糸きりが出来ないのが困った。切れない洋鋏を振り回して作業した。経験者ならぞっとする内容である。ジャージの紐は紐通しを使っても、何箇所か糸留めてある箇所が何箇所もあり、そこが全力出しても通らないのだ。その部分を鋏で切り開いて穴を開けてしまうと、そこから生地のほつれが拡がってしまう。だましだまし力を込めて場を切り開かなくてならない。結局1時間弱時間がかかってしまった。一方靴下の名前入れは、縫い取りは、伸縮生地のために取れてしまう。名前を書いた生地を貼りつけるにも、両面を張り合わせる丈夫な方法が求められる。すそ上げテープ位しか手が無い。生地の切り口が洋バサミのために曲がっているつぎはぎ名入れを済ませた。作業時間2時間なり。両者とも、たちどころにもとに戻される仕事。介護はそういう仕事。

駅前で食事を済ませた後、イトーヨーカ堂で食材の補充買出しをした。そういえばこの時間、ピザ屋のところに買い物袋を持って突っ立っていた城山三郎氏を見たことがあった。亡くなるころじゃなかったかと思う。今日はあの世が近いなと思いつつ、足の引きつりの特効薬ドライ・ジンを1本仕込んだ。強制血管拡張剤。ところが駅の南口に渡るフロアで、顔なじみになった路上生活者の男性軍に出くわした。雨のとき、寒いとき南口トイレのところでは凍えてしまうということで、とりあえず身を寄せ合っているのだった。

女性路上生活者に声をかけていた、東京から来たカトリック系の**さんが話を終えてやってきた。地元カトリックとは別の個人行動している大学生さん。暖とりたいねえと話になった。食べていると追い出されるのでということで、彼が応急だがと、使い捨てカイロを買ってきた。アル中がいるのでまずいかなと思いつつ、ドライ・ジンを提供してしまった。驚いていたが、アル中の自滅は仲間内で注意して調整かけてくれと伝え了解を取った。

彼はときどき茅ヶ崎サポセンに現れる。冬季の雨天・強風時、彼らは防砂林グループと合流して、凍えを避けている。雨天時、缶集めも出来ないので、放置傘再販の企画は是非という話が出たが、冬季はむしろ暖を取る方法だった。

湯を沸かすから、取りにくるかいと提案。しかし個人宅に取りに行くのは、東京で周囲の住人とトラブルになった話があるそうで、やるならこちらが持ち出すか、中間点で合流するかとなる。湯がなくても実はラーメンなら、コンビニで湯をもらって食べられる。しかし路上で煮炊きすると排除されるので、暖かい食べ物がいいということになった。ここはカトリック教会が炊き出しをしている。しかし、粉スープを溶くなら湯がいいということになって、とりあえず寒そうな夜、やかん2杯の湯を言いだしっぺで提供することにした。不定期だ。

怠け者のレッテルは、勝手に貼ればいい。ことは這い上がる道をさがすこと。格差社会で非正規雇用者が路上に押し出されようとしている。地域の受け皿作り、生きる道作りとしての社会的企業が必要なのだ。行政が動くはずが無いというのが彼らの話。多重債務やアディクションがあるために、表に立てない者も多いが、この癖の強さが路上生活者支援活動の特徴となっている。非正規雇用者のホームレス化、家族縁者を失った引きこもり青年のフリーターからの無業化から路上への道を本格的に考えなくてはならなくなっている。少なくとも、精神障碍と養護学校を通らない発達障碍の成人分野では、境こそナンセンスになりつつあると思っている。

ともあれ、湯やスープを提供する支援。口火を切る。放置傘交渉は、私の任務だろう。

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P.S. 朝5時半、母が携帯から電話が入る。すぐに来て欲しいとのこと。何かが起きているが、説明が無い。病院だからベッドからの電話は禁止されている。切れたのは看護師が近くに来たから。幸い今日の冬期講習は夜なので、病院に先にいき、帰りに巡回して教室に向かうことに。嫌な予感。

夜間傾聴:##君(仮名)
     相模大野2君(仮名)
     旗の台君(仮名・傾聴にあらず。正月の招待。)

(校正1回目済み)

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ともあれ、やっと一段落つきました

2008-12-22 08:25:16 | 引きこもり
父が普段と出発の様子が違うのに興奮し、早朝から起き出してカーテンを開けようとして転倒。早朝の鬼ごっこを経て、休み返上で手伝ってくれた友人とともに、父の階段介助を済ませた。危険な場面1回。父が友人の手を振り払おうと体のバランスを崩したのだった。父の手の動きを抑止しようとしたからだった。階段下に降り立ったとき、彼は、父が手すりにつかまり損ねたのがいけなかったと私に語った。原因が父にあるという。判断基準が違うのだ。もう頼めないなと、実はがっくり来ていたのだった。

父は彼の車の後部座席に無事移動した。ここでもある出来事が起きていた。車椅子は、車体と同じ方向に寄せておく。彼はドアを開けて座席に90度の位置に寄せて私が直した。この位置の違いの意味を気にするまでもなく、彼は父を立たせようとした。私の指示で、彼は反対側のドアから先に車内に入り、父の腰を抱えるように奥に引かせて、座席に父を深く座らせた。これは技と彼に伝わったようだ。「なるほど」との応答。このとき、父の頭が車体にぶつからないように手を添えて保護する。

車椅子と、今回は別に歩行器持参で、病院系列の特養に一時入所した。この日、ホームでは、「餅つき大会」。入所者とデイのひとたちが車椅子集合していた。圧倒的に女性が多い。この光景はどのホームをみても同じ。男は早死にするからだろうか、それとも従わないから?

ここでは認知症の方に混じって、障碍のある方が多めに見えた。ただし徘徊やせん妄を抱えている方は、見あたらなかった。父が浮き上がって見えた。寄り添った職員の語りかけに父が笑顔で応じていたので、場を去ることにした。

母が、男はダメだと言っていたことが起きてしまった。父の靴下は洗って干したままだった。数が足らないのでと職員の方に指摘されて、数日中に届けるからと応答した。しばらくしてしまったなと思った。今回は友人の車で来ているのだ。取りに帰ればよかったと。この辺がひらめかないのだった。

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私は糖尿病を意識しているから、ハイカロリーの夕食を予定しているときは、昼食を軽くする。藤沢警察署の分岐を海に向かうと、スーパースズキヤの前に「ひな野」という和食バイキングの店がある。野菜惣菜の店なのだが、ここに彼を誘導して昼食を取った。なんとも彼の嫌な顔。ジャンクフード漬けの人間には、確かに似合わないのだが、私の病気のせいにして許してもらった。あいつと行くのは嫌だと今後きっと言い出すだろう。

しかし車は気楽だ。時刻表を意識しないで済む。ここから、大学病院まで1時間半。助手席で仮眠を取らせてもらった。学生時代、こんなことをすれば、口にティッシュペーパーを詰められたり、ろくなことをしないが、50代ともなれば、さすがにやるまいと油断していた。ところが、しっかり携帯で寝顔を撮られていた。ブログに載せてもいいよと私がいうものだから、興覚め。公害だからやめておくと、彼は画像を引っ込めた。

それはそうと、仮眠は助かった。目覚めると大学病院にあと数分の位置にいた。寝ぼけ顔のまま、病棟ナースセンターを通過して、母の病室に入った。母は、まだナースセンター監視直下の部屋に留まっていた。

母は順調に回復していた。まだ自由に自分で起き上がることが出来ないので、周囲に置いたものを取ることや、公然の秘密の携帯電話も充電できないままでいた。前の病室と異なり、TVカードが必要だった。友人が馬鹿話をしている間に、売店を行き来して不足を補い、洗濯物を取りまとめた。

「人はパンのみにて生きるにあらず」ということを知っているかと、母は友人に説教していた。「おかずもいるわな」と茶化してみたが、話は、ずれなかった。「男は用件を済ませてさっさと帰ってしまう。情緒もゆとりも何もない」ということを友人に伝えていた。「鬼嫁も同じではないか」と私が反例を上げるが、母は却下。

こんな話が続いたが、ともあれ数日で、普通の病室に移動予定とのこと。「クリスマスには談話室で職員の賛美歌合唱をやる」と看護師がいうので、「御詠歌も渋いんだけど、正月?」ときく。全く意味が通わらない。先方は戸惑っている。言葉の無力さを感じつつ、荷物をまとめて退散することにした。

ごみを始末して、エレベータの前に友人と立っていると、後から看護師の声。ふりかえると、何と母が点滴のキャスターを片手に立っていた。看護師が「リハです」という。「親に見送りさせるなんて」と母が小言を言っていた。友人には内緒だったが、実はジンと来ていた。母をいつか送ったとき、このシーン、きっと思い出すぞと思った。看護師さんの演出成功なり。

友人に家まで送ってもらい。父の居室整備と洗濯物の山を片付けると21時を回っていた。これで一応すべて一段落なのだ。安心したら睡魔が襲ってきた。夜間傾聴の連絡が入るまで、ひと気のない家でとにかく眠った。

夜間傾聴:##君(仮名)

(校正3回目済み)
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言葉は無力、経験は先行できないのだろうか

2008-12-21 06:13:13 | 引きこもり
珍しく父が大声で寝ぼけている。まもなく午前4時。父が起き出しカーテンが空いてすぐに転倒した。「まだ5時間もある、疲れてしまうから休もう」とベッドに連れ戻すが、すぐに立ち上がり、階段を降りようとする。パジャマの上にパジャマを着込み、衣類・紙パンツ袋の周辺はかき回されて無茶苦茶。ともあれ興奮をなだめて一時休戦。

父を特養一時入所させる前の混乱が再開されていた。これも父の常備薬を主治医が「診察無しでは処方を出せない」と、突然いいだしたからだった。父を主治医の医院に連れて行く騒ぎが、出発前日に割り込んだのだった。

テンポが違う若手信者さんの階段介助協力と、付き添いのみという旧知の女性信者さんの応援を得て、車椅子のまま介護タクシーで移送した。

介護タクシーは屋内移動を手伝ってくれない。玄関の車椅子に当人が座ってから医院の玄関までがサービスの範囲だった。10時出発というのに若手は10時にやってきた。タクシーが数分前に着いているので、父の階段介助は、私ひとりとなった。

平地の移動すら父は私に捕まらず、必至に周囲のつかまりどころを探す。これは誰がやっても同じことが起きるのだった。ただセオリーの型に父の気を引かせてすんなり戻すところが、素人と玄人を分けていた。父はサル山の敵と私を見ていた。それがやっと介護の必要で指示に従うようになっていたが、第三者のいない階段単独介助は私に従うのを嫌がった。しかし、父の宗教団体の信者さんたちの単独誘導の場合には、父が身を任せる形で従おうとするが、ともかく彼らが不器用だった。たちどころに父の腰が泳ぎ、やはり彼らだけでも誘導はだめだった。

この介助の技の有名な事例では、「視覚障がいの方の手を引いてはいけない」というものがある。身を無理なく手の届く距離まで接近して寄り添い、自分の肩に手を添えてもらいガイドする。

丁度、この「手を引く」ことを信者さんたちは、知らずにやってしまうからだった。だから私が腰を支え、信者さんたちが声かけながら、三人で降りてやっと父は安定して昇降していた。実はこの「技」をめぐって、私の友人を怒らせてしまった。話の空転から、体験のギャップと言葉の無力さを感じたのだが、これは後で書く。

階段最上段で階段手すりを握るのを拒否して、壁に手をつき、崩れるように腰を落としてしまった。父はもがいて立とうとする。このまま手を引いて父を引き上げれば、古い骨折跡のある利き手は、肩や腕の関節に痛みを残すことになる。体突っ張る父の場合は、胴体の雪崩を起こし、腰を痛める危険があるので禁じ手としてきた方法ではあるが、座ったまま「赤子の『はいはい』」の形で降ろすことにした。以前は毛布に斜めに座らせて、毛布を引いた。危険度は増すが、父の協力少なくして、移動する苦肉の方法だった。不器用に階段を降りる際、今回は階段下に、介護タクシーの業者さん、付き添いならと参加した女性信者さんが。もがく二人の様子をじっと見ていた。

半身麻痺の側の足が段に引っかかり、深く折れ曲がっていうことを効かず、なんとか足の動きを私が補助して滑らせ、階段を降ろした。階段が危険であることを…


(割り込み)

父がカーテンを再び開けて、何か大声で私を呼んでいたので、書き込みをやめて2階に行ってきた。「*子(私の母)は、まだ帰ってこないのか」とどなっていた。母の手術も何も忘れていた。「今は朝の4時半、出発まであと4時間あるから、身体を休めていてくれ」とベッドに誘導。部屋が冷えているのに気が付いて、大部屋用のストーブの温度設定を上げてきた。日が出ると気温が急に上がるという天気予報、あとで設定を直せばいい。

部屋を離れたがポータブルトイレの蓋がすぐに開いた。まだ父は休んでいない。要警戒。

(割り込み解除)

階段が危険であることを父は知っているではないか。自分ひとりなら安全と考えているのだろうか。この辺がつかめない。

医院についてからは、持参の車椅子から医院の車椅子に乗り移る場面があったが、玄関は患者さんの靴が沢山散っていて、2台の車椅子を接近させておくことができない厄介な場面に出くわした。医院側が室内を汚さないためにとる措置なので、医院側の車椅子の汚れる外で乗り換えすることもできない。看護師はトランスファを実習していないのだろうか、協力要請するが、眺めているだけで看護婦は一切手伝わない。やむを得ず、付き添いの信者さんを前に立たせて、私は後方横から腰を支えて立たせ、2歩歩かせて「止め」、次に回転方向を肩をねじらせ指示。90度ずつ合計180度反転させ、転倒す体重のかかる腰を落下させず引き受けて、ゆっくり受け止めて医院の車椅子に移させた。足元はぎっしりと通院の患者さんの靴の山。危険極まりない移動だった。看護師は黙ってそれをみていた。

下半身麻痺の車椅子の方が、歩道放置物の進路妨害に立ち往生したとき、まず状況脱出を支援してくれる人がいないという「人ごみの中の孤独」を感じるという話をを思い出した。通行人にとっては、迂回させるには時間がかかり、放置物は他人の所有で、手を触れるわけにはいかないという手立ての迷いがあることはわかる。しかし、状況回避に誰かが誘導しなければ、この状況を脱することができないから、車椅子走行は、場の困難予測に気を使う。

しかし、ただの通行人と違って、今回の医院の看護師は故意の行動、関わりの基準を持ってのこと。実際、父が無事医院側の車椅子に腰を落としてからは、実に気が回った。境目の困難な場面協力は自分の抱えるリスクではないという判断であることだ。これは閉口した。頼むがダメ。帰りも同様に、今度は看護師の姿が消えた。

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今朝の移動は鎌倉の知人に無理に頼み込んだ。彼は「ふがいない奴」の「手助け」のつもりでやってくることに。気になったが、出入り口の大きい自家用車で特養まで運んでくれるだけでなく、母の見舞いを兼ねて車で大学病院まで、その後、行ってくれるというのでお願いした。

日送りした後の昨夜の巡回先は、変更不可能だった。橋本往復の4時間弱、例え家の階段下にバリケードを作っても、父をひとり放置するのは危険だった。そこを職場帰り家に立ち寄り、様子を見るということで協力してくれるということで、彼を連日だがお願いした。

彼が留守番中、幸い父は眠りこけていた。

「倉庫みたいな部屋だな」と私の部屋をのぞいたのだろう、「片付けろ」と彼にいわれて、受け流していた。「よーくみろ、雑誌が一冊もないだろう、問題は集会資料とチラシの始末なのだ」といいたいが。言い分けをその夜、メールするまでもなかった。私の帰宅直前、彼は鍵をかけて出て行ったのだった。

私の帰宅後、父の遅い夕食を済ませ、今日の段取りについて調整の電話を入れた。朝の階段のトラブルを説明した。笑われた。自分なら引き上げられる、立たせることができるというのだった。力技は当人とのコミュニケーションをとらずにやるのは危険なのだというが、通じない。古い知り合いなので、私の両親に面識があった。だから「自分なら信用してくれるから、そんなもの簡単だ」というのだった。

未経験ギャップの魔が潜んでいた。右足が沈む前に左足を出せば、ポニョではないが水面を歩くことが出来る。俺はお前と違って信用がある。だから、階段介助は大丈夫だという。腰が抜けて座り込んでも、父を「引き上げる」ことができるという。しかし、父がもし「肩が痛い」とホームで訴えて、職員が病院送りに判断したら、入所計画はそこで中断となり、入院が数日以上なら、もとの特養に戻れなくなる。長期ステイの父が行き場を失えば、その後は在宅看護になる。慎重にして欲しいのだ。それが伝わらない。

階段がうまく行かなかったのは、私の信用がなく、腕力が足らなかったからだと彼は思っている。介護の技を軽く見てはダメ。それは当事者の気持ちと交流を取る方法だからなので、実際、以前初対面の時、介護タクシーの業者さんは、軽く父を立ち上がらせることができた。彼は父の腕を引き上げているのではなく、背後に回っていた。

こういうと、知人は介護のコーチなんて大げさ、必要ない。お前は頭で考えすぎると叱られてしまった。

体験は言葉で伝えることは出来ない。対話することによって、共感可能な環境が背景にあってこそ成り立つ話なのだ。これから、やっと眠った父を2時間後に起こして食事をさせる。出発である。友人がまた怒るだろうが、助手席でいびきをかかせてもらうつもりなのだ。

夜間傾聴:なし
     大森海岸君(仮名・忘年会話<これ辞退なり、すまん)

(校正2回目済み)
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父の21日一時入所前の騒動が残っていた

2008-12-20 05:39:17 | 引きこもり
父の帰りが午後3時なので、午前中から動き、自宅待機前の午前10時に大学病院に着く。朝7時に庭師が年内最終の松の剪定にやってきていたので、完全徹夜状態で病院に飛び込んだ。庭師の介入は誤算だった。デイサービスの帰りは午後5時前。今回はショートステイだから2時間到着が早い。ひとつがずれると、次々にずれていく。庭師は母が夏の終わりごろに頼んでおいたものだった。私の夜間の仕事をカバーするように、母が午前中の仕事を分担していた為、私は要領を得なかった。その弱点の時限爆弾が爆発した形だった。

手術をするときに母が着替えた衣類を持ち帰り、即日洗濯して、それを翌朝届けるという予定でいた。それでも8時に家を出れば間に合うと思っていたので、まだ洗顔中に庭師がやってきた。大学病院には往復3時間半。帰りに駅ビルで買い物をしても間に合う予定だった。やむをえず、庭師に仕事の段取りを頼み、家を留守にしてでかけ、午前9時過ぎ、移動中の電車の中で、転送電話を受けた。

父の主治医からだった。21日から父の一時入所が始まるので、糖尿病・痛風などの父の常備薬を事前に頼んでおいたのだが、それを断ってきた。訪問看護が始まっていないので、父を直接診察しないと、外泊が長期間でもあるし、薬は出せない。薬が必要なら、父を連れてすぐ来るようにというものだった。

父のシュートステイ明けの帰宅すぐに、そのまま医院に転送すれば父は、その異変の緊張からトイレ騒動を起こす。だから、人手の応援が無い外出時に、騒動が起きたら、私だけでは対処がうまく行かない。下手をすると、それが21日の出発に影響する。そう考えて、とりあえず今日の父の通院は延期させてもらった。とすると代わりの日は、翌日土曜日の診療の「午前診療」のみということになる。午前通院は、やむをえなかった。

母の担当看護師に洗ってきた衣類収納を依頼し、備品の不足のものを病院売店で補充購入した。750円もするペットボトル用「水のみキャップ」は使ってみると水が出なかった。水を吸うときに、入れ物の周辺を押さないとだめだが、母は握力が無いのだった。私が見たときは、はじめのストローの折れ曲がる部分に空気の漏れる穴が開いていた。そこで交換用ストローに取り替えておいたのだが、それも水が出なかった。瓶を握るのである。そのとき母の利き手に点滴針が入っていた。握ることがなおさら出来なかった。注意していないと病院売店といえども,まがい物を掴まされてしまう。この商品は母が入院時、面白がって買ったものだった。

当分は水分補充は点滴からという事になるので、水のみはすぐに使うわけではなかった。

母は全身麻酔が覚めるとき、だいぶ調子が悪かったようだったが、一日明けた昨日は、夜間、重篤な方の集中治療で、看護師が出入りするために眠れなかったと説明していたから、逆に元気だった。それだけに身辺の不備への看護師の介護の指図が細かかった。待合室に立ち寄って、ホームのケアマネさんに、土曜日の介護タクシーの通院・往復の手配を依頼したとき、介護タクシーは玄関から車までのサポートを含んでいるが、屋内移送の階段介助は、別のヘルパー補助が間に合わないという。冷や汗をかいた。賭けだった。知り合いに手伝ってもらうことになっているから大丈夫と、受け皿が決まっていないのに応答した。そのとき、ショートステイの帰りは午後3時ごろだが、自宅待ちうけが大丈夫かと、ケアマネさんに念を押されてミスに気が付いた。デイサービスなら帰宅5時前だが、ショートステイの帰宅は3時だったのだ。

早々に帰ろうとする私に不満をあらわにする母を、事情を説得して病院を飛び出した。病院そばのバス停の路線上の道路は数kmに渡って上下線とも渋滞を起こして動いていなかった。こういうときは病院張り付きの待ちうけタクシーに聞くのが一番だった。その幹線道路を使わず、駐車場裏ゲートを抜けて、バス路線を使わずに、裏道から、本来の上下線の到着2駅の電車駅の中途の駅に向かうのが早く着くという。裏道作戦となった。これは順調で、電車を乗り換え、時間内に帰ることができた。

この間の移動時間に父の宗教関係者に電話連絡を取り、父の帰宅時の階段介助は、私の帰宅直前にやっと可能となった。父の帰りつく10分前だった。翌朝の屋内介助部分と、階段介助のみ、その若い方が連日担当してくれることが決まり、そこに父が戻ってきて、これで一応は済むと思っていた矢先、庭師の落とした松の枝が邪魔して車椅子が通れなくなっていることに気がついた。庭師が慌てて枝を回収し、混乱の中、5分遅れで父が玄関先に到着した。

母の安否を聞く旧友たちからのタイミングの悪い電話が、その最中にかかってきたが、今回は無視。父を力技でベッドに押し込んで、電話に出ているところに、庭師が「終了しなかった分、明日午前中に来る」といいだした。「留守中だから料金請求は夜にしてくれ」と私が頼むと、宅配便業者が突然、定期のボトル水を持ち込んできた。大混乱だった。

父が帰ってきたが、今度は冷蔵庫保存の食材の一部が傷んでいた。帰ろうとする信者さんを引き止めて留守番を頼み、近くの店で食材補充をした。とにかく休む間が無い、夕食準備までの数時間仮眠する以外時間が取れないので、若者が帰ったあと、父のうたた寝を確認して、ともかく階段下に布団を持ち出してごろり横になった。

しかし今度は電話が鳴ったのだった。Softbank からPCアンケートとかいう電話、10分後、NTTからBフレッツ利用者へのPCアンケートときた。回線モジュラー端子を抜くのを忘れていた。父が起き出してしまった。夕食を済ませ、母の知人友人へのオペ結果の電話レポートを行うことで義理巡回を断り、父の洗濯物やら、食材の始末を終えたら意識がなくなった。

2時間後、夜間傾聴の電話に起こされた。午後10時。自分の寝室で着替えもせずに眠っていた。慌てて父の様子を見に行くと、TV番組をつけっぱなしで、父も眠りこけていた。助かった。今その分、早朝のたち歩きが始まっているが、階段を降りてこないので、階段下に車椅子とボトル水のダンボール箱を積み上げたバリケードをとりあえず組んである。

これから父を午前中、主治医のところに連れて行く。間の悪さの連鎖が止まって欲しいと願う。今夜は橋本までの巡回である。夜間の留守番を父の宗教団体の信者さんに頼んだ。21日は午前中に一時入所先の特養に父を運び込んで、在宅介護が来年初めまで中止、一息つく。

出発まで、あと2時間半である。K.レービットの文庫が期限切れ。もう知らんというのが実感。

夜間傾聴:##君(仮名)
     中延君(仮名・ごめん!)

(校正2回目済み)

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母の手術は無事成功し

2008-12-19 07:47:42 | 引きこもり
昨日、母の手術は無事成功した。車の渋滞にかかり、あと2kmで待たされて、10分遅刻。携帯から渋滞の中にいることを病棟ナースセンターに報告していたので、その間に母のオペが始まり、5時間後、無事、割れた風船のようになった母の追うような眼差しに出会うことが出来た。酸素と痰除去のチューブをくわえて、その上にマスクをしているので、声がしても話にはならないが、意志も、はっきり戻っていた。

執刀医の説明を受けながら、私は妙に覚めて行った。ひとつの困難が終わったのだという感覚だった。父の介護をめぐって母は守るべき友軍だった。その関係が、父とともに介護を受ける、向こう側に移ったという事実だろう。気の張りを捨てて、あるがままの状態に戻ったったから、「割れた風船」と映ったのだ。衰えたという意味ではない。

ICU(集中治療室)に入る必要が無いのか、ICUがいっぱいなのか微妙なところだが、母は一日、術後の回復のために、病棟ナースセンターそばの、機材でごったがえした休息室に移され、翌日、もとの病室に戻るという。

切除したホルマリン漬けの母の胃は、1cm弱ほどのクリップに挟まれ、ようやく患部と分かる掌二枚分ほどのゴム板に見えた。目で壁面を追うが、この組織をどう取り出したのかということばかりが心にひっかかって、母の身体から切り取られたという実感は湧かなかった。目で筒状に復元された想像の胃は小さかった。

百歳間際の祖母の盲腸手術のときも、年齢に興奮する手術チームに見せられた太いウィンナソーセージのような盲腸よりも、それを無感動に眺めていた祖母の表情の方が心に焼き付いていた。その患部との別れというか、肉隗を共に見送っている感覚なのだった。

興ざめしたように、執刀医の説明は締めくくられ、病棟ナースから、預かっている母の貴重品の引渡しがあると、せかされて場を立ち去った。

近くには、7~8名の家族縁者が落着かない時間を持て余していた。それに比較して、何ともあっさりとした出来事だった。しかし、事は終わったのだった。

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母の携帯を、了解を取って覘いた。笑った。「ご臨終だったら、さあ、どうする?」という母の仕掛けた問いが画面に出てきたからだった。母は手術後、一番いけない「笑う」という腹部に負担のかかる場面をポーカーフェイスで仕掛けてきたのだった。後には、すぐに報告をして欲しい友人知人たちの名前が連なっていた。看護機器の展示場のような部屋で携帯を眺めていても、看護師たちは何もいわない。測定機器やペースメーカーがないからかもしれないが、地元病院の監視は、強引な演出なのだとわかった。

「病院で年越しだねえ」と母に声をかけた。「家事はたくさん」と応答しているのが分かった、しかし、ひとは不思議なものだ。声のアクセントと断続で、埋め込まれた関係から根菜を引き抜くように意味の塊を引き取るのだから。

用件を了解したことを母に伝えると、母は目を閉じた。もう付き合わなくていいから、帰れというサインでもあった。

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病院の出口から、洗濯物を下げたまま、次々に連絡をとっているうちに、つながった日常に反発するように、妙にやるせなかった。父のいるホームに電話をして、ケアマネさんと話をした。父を呼ぶかという先方の配慮を丁重に断った。それは父への諦めと、小さな復讐なのだったが、それを察してか、話は母の退院予定や、埋めきれない1月中下旬の父の介護の穴の調整の話なのだった。

相模大野の本校に挨拶して、横浜の県サポに立ち寄ってから帰宅した。オペの待ち時間、談話室でうたた寝をしていたのだが、自分の寝室に戻った途端、眠気が爆発した。目が覚めたら20時を過ぎていた。

身体の節々が痛んだ。洗濯と夕飯の支度を同時に済ませて、次々に送られてくる宅配便を受け取り、安否を気遣う電話の応答を済ませて一日が終わった。

介護は量が増えるはずなのに、何か「終わった」という開放感が強いのだ。病院通いが課せられているが、両親が入所しているあいだ、仕事にもどれるという自由を感じるのだ。夜間傾聴をしながら、掛け時計の音を聴いていた。

夜間傾聴:大森君(仮名:傾聴にあらず)
     自由が丘君(仮名:傾聴にあらず)
     ##君(仮名)

p.s. これから病院に出かける。父が帰宅すると身動きがとれなくなるからだ。


(校正1回目済み)
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