湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

育成会事業所協議会全国大会第三分科会に参加して(社会的企業とは)/父の興奮を…

2009-01-31 09:42:16 | 引きこもり
キー入力を開始した午前1時過ぎ、たちどころに父が階段に現れて母を呼んだ。私が出て行くと、大声で家業の件で母が出かけたかどうかと聞いてきた。急いで父を部屋に戻して格闘になった。危ないが座らせることで、高さを下げて転倒して場を切り抜けた。父には階段の危険がわからず、突然息子が襲い掛かってきたと解釈したのだろう。その父の問いかけは、十数年前にすでに終わっている出来事だった。

なんとかなだめてベッドに戻したが、書を読むのをやめて、このメールを書き始めた午前6時5分、キータッチが始まった途端、父がベッド柵に体当たりして落下した。天井に地響きがするほどに派手に落ちたのがわかった。外は風雨が強い。以前から考えると、天候はあまり関係ないのだが、来客があったり、翌日が出かける日だったりという条件はあるようだ。しかし格闘は避けたい。なだめたり、背後から声をかけて羽交い絞めとか、両腕を押さえ込み90度角の体位で押さえ込むというようないくつかの沈静化のための拘束の方法があるのだが、まずは階段からの移動という急場処理が必要だから、声かけだけは必ずやるようにしている。今の落下は自分で上がれたようだ。TVがついた。徘徊につながってはいないようで、胸をなでおろしている。

以前、引きこもり青年が荒れたことがあった。弟の部屋が隣にあって、受験期だった。弟の勉強が兄の焦りを誘って荒れた。部屋の配置上どうしようもない状態だったが、弟を1階に移すよう勧めた。父親は出張が多かったので、隣を1階の父親の部屋との交換案を出したのだった。彼を除いたメンバーで家族会議が開かれ、部屋の交換が実行されたのだが、彼は深夜、階下の弟の気配を察知して壁を蹴った。それもまた鋭敏な反応だった。このときは、睡眠導入剤でとにかく彼が睡眠をとっていくことと、彼が荒れはしないが興奮する父親との接触の距離をとることで、場を乗りきった。父親が子どもの受験期、帰宅後、実家に外泊するという方法をとっていた。父方の実家は自営業で早朝から仕込が始まるので、弟の学習環境を移すことに向いていないから、昔から慣れているという父親が泊まった。今、彼は、しばらく会っていないが、遅い一児の父となったと聞いた。父方の実家の仕事関連に就いていた。しかしこれも神経がいかに鋭敏なものであるかを示すような事例だった。

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全日本手をつなぐ育成会の「地域活動・就労支援事業所協議会全国大会」は二日間の日程を終え閉幕した。一日目がシンポジウム、二日目が分科会で、私が参加したのは、地元木曜クラブの報告の出る第三分科会「障害者の『働く』を考える」だった。

印象が古くならないうちに、先に分科会をメモしておく。

一番印象に残ったのは、おなじみ「蔵王すずしろ」の豆乳等大豆製品販売のレポートだった。製品開発と共作連を中心にした販売ネットと豆腐販売業の連携の話は実績の重みがあった。

ここでは「商品販売」を通じた地域連携が報告されたのだが、この形が今までの作業所が持続していくなじみのよい形だった。販売活動が地域と結びつくこと、その活動自身に関係者を広く巻き込んでいくこと等。しかしこれは販売商品を選んだ。「豆腐」「豆乳」の販売という選択は成功例だ。これがすべての商品に適応するとは限らない難しさがある。企業的手法を使った民間経営に徹した事例だ。

これに対して木曜クラブは、清掃業への職場開拓としてビルメインテナンス業者との連携や、特養ホームの清掃・シーツ交換(いずれも職業訓練)を中心にした障がい者自身の仕事を確保することを地域に求める活動がある。藤沢市や県行政からの外注や自立支援協を中心にしたネットワークからの仕事確保によって、地域に障がい者の職域を拡げる活動をしていた。

「蔵王すずしろ」は、どこかで「商品販売」の選択に踏み切った場面があっただろう。勿論木曜クラブは実利可能性の手堅さを狙っているわけで、「商品販売」以外はおかしいということを言っているわけではない。ただ「蔵王すずしろ」の提案には、社会的企業の「コミュニティ・ビジネス」型の実践があった。もともと特に消費部門の商品販売は、販売店と顧客という地域のつながりがある。ここが社会性を孕んでいる。

私はこれを否定はしないが、私は「ソーシャル・ファーム」型の提案が今必要なのだと思っている。「社会的ニーズ」から職域開拓を行うという道だ。例えば高齢者生活支援・介護というような分野との接点を持つことだ。訪問・配達・同伴・店舗販売などだ。企業的展開の努力によって販売業績を高めていくという道には、何をメッセージとして販売するか、そのことによって人のつながりの何を変えるかという視点が希薄になるという、企業の利潤追求第一主義の猪突猛進的ガンバリズム容認の穴がある。市民活動の企業的手法を使った展開とは、目的実現の太い流れの中でこそ意味を持つのであって、市民活動の経済基盤を充実させる副業ではないということなのだと思う。戦略性を見失うべきではないのだ。

この意味で「蔵王すずしろ」の実践は、企業展開の成功例として評価されても、それが職種の賭けのような新規事業展開に引き継がれたとき、それは賢明な方法とはいえないと思う。「社会的ニーズのその解決」という力動的な立て方によって、障がい者の社会参画を孕ませること。今回八木原律子氏の講演会の仮称テーマに「障がい者が街に生きる」という言葉を冠したのは、木曜クラブの矢澤さんが語っていらした「地域に役割を持つ」ということを、さらに一歩踏み込んだ願いが込められている。

「蔵王すずしろ」のレポートには、もうひとつ「熟練障がい者」の「コーチ」化とその意義という自己評価の話があるが、これは今晩の書き込みにて。

(つづく)

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同僚から再三電話をかけたがつながらないと抗議をうけた。午前中大会参加したので、その間携帯の電源を切っていたが、その後、電源を入れ忘れていたというのが真相。

同僚とふたりで支えていた子が本校をやめると言い出したという。サポートをどうするか、引き継ぐならどうすべきかを私に相談するつもりでいたのだった。昼過ぎ家族との話し合いで、やめた場合のサポート連携の見通しがあるのかという点を語り、結局、再度考えるということで、ペンディングされたのだが、彼はいつも虚しい思いを重ねてきたので、またひとりで抱え込むことに苦痛を感じていたのだった。サポートすることは苦の一部を分かち合うことでもある。だがそれは、解決に導かれたときの「塞翁が馬」のような喜びの前提となるところでもあるのだ。

おそらく来週早々動きがあるものと思う。準備はしておくと同僚に答えて、よろしく主任と柏手を打っておいた、拍手ではない。

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夜間傾聴:##君(仮名)
     橋本さん(仮名・橋本君の親御さん)
     同僚(熱心だが酒の誘いが煩い。)

(校正2回目済み)

p.s. 父の部屋のTVが突然大音量。あせってボリュームを下げに行くと、足元に入れ歯が落ちていた。様子がおかしい。今日は母と二人、交代に動かざるを得ない。耳鳴りが止まらないので仮眠を取る。

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父の転倒は止まらない/育成会作業所連絡会の全国大会二日目も行くことに

2009-01-30 06:31:24 | 引きこもり
父は容赦なくベッドから落下した。たちまちワイヤレス電話の子機の電源トランスが断線して、子機が充電できなくなった。カップと皿が割れ、セコムの非常用ボタン充電器が、AC電源から抜け、彼方に吹き飛んだ。サイドテーブルの内部仕切り板を父が掴まったために折れた。

母は割り切って、落下した父を引き上げずに毛布を渡して、私の帰りまで床に寝ていろと指示した。父は、全く母の言う事を聴かなかった。時間をかけて、もがきながら起き上がり、途中再転倒したが、なんとかベッドにたどり着いていた。調子のいいときは、部屋を歩いている。しかし倒れると、つかまるところが無いと起きあがれないというか、利き手の力だけで起き上がろうとして、周囲を見境無くつかまることで次々に破壊した。

昼間、こんなことがあったので、夜は父の神経がとがっていた。PCのキータッチ音に異常な反応を示す。1階の作業音が2階に聞こえるはずもないのだが、私がキーを使った途端、父はベッド柵を蹴飛ばし、柵を手づかみにして揺らす。寝ているので無意識の行動なのだが、この不可解な反応は、私が交通事故で6人部屋に入院したとき、私が枕元の腕時計を取ると、対角線上の80代の男性が悲鳴をあげた。内緒で持ち込んだCE機をいじってキーをいじると、寝返りをうってベッドに当たった。機械音が何かの連想に結びついているのかと思った。そしてこれは毎回再現されたのだった。

私が離れた4人部屋に移されたときも、距離があるのに同様な悲鳴やベッド柵叩きが再現された。父に起きているのは、その異様な鋭敏さ、耳が遠くなっているにも関わらず起きている同様の反応だった。

注意しておきたいことは、耳が遠いということは、聴覚器官の機能不全の場合と、神経を経て脳の処理が行われる系で、萎縮があったり、情報処理に異常が出て聞こえない場合とがある。後者は電気信号が聴覚器官から送り出されているので、信号は届いている。だからその受け取り方に異常があってもおかしくはないので、「耳が遠くても音に反応」ということは、ありうるのだ。

このことは、私の部屋の裏に済むご近所の年配者からの、昼夜を問わないPC作業拒否窓開閉にもつながっていた。いずれも、問題は音の大きさというより音の質のようなのだ。

私の入院時、看護師は勿論忙しいから取り合わなかった。私がしつこく言えば私側の神経過敏にされてしまう。父の状態を母に話せば、母は常識にこもり状況再現自身を拒んだ。証明されてどうという解決があるわけではない。誰かがそのうち現象を拾うだろう。だから時々書き留めておくことにしている。

今回の父の夜間徘徊は、家具にぶつかってその痛みから目覚めたらしく、まもなくベッドに戻っていた。ポータブルトイレにトイレットペーパー1巻が丸ごと落ちて、尿に水浸しになっていた。あらゆることが起きて不思議ではない。午前3時直前の出来事だった。朝から出かけることにしていたので、深夜、トイレで始末を行った。

父には、ゆっくりと縄が引きちぎれて行くような感覚を、この間味わっている。母側にも、父の介護から解き放たれたかのような、関わりの不安定さが出てきている。物忘れ、しくじり行為が頻度を高めている。バランス・キープ屋の私が耳鳴りではどうしようもないのだが、急性疾患へとつながる可能性が低いという事が救いとなっている。

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朝型人間の企画は嫌いだ。手をつなぐ育成会の作業所協議会の全国大会2日目は、参宮橋のオリンピック記念青少年センターで、(私にとっては)なんと9:15からだ。10:15からとし、12:15終了とすると部屋の予約が問題なのだろうが、2時間は見ておかないと遅刻する。今日は徹夜。帰りに相模大野校に寄って、巡回をすませて夕方帰宅する。

1日目の感想は、時間なので今夜まとめてレポートする。生計の立つ仕事の模索、社会的企業の必要を論じているが、社会情勢分析が無い。社会的ニーズをとらえず、従来の発想上から抜け出られていないという印象を受けた。これはとりあえず大枠ということで。

夜間傾聴:******君(仮名)
     □□君(仮名・こちらから)

(校正2回目済み)
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茅ヶ崎市障害福祉課にお邪魔して/耳鳴りは治せないという現状

2009-01-29 07:50:11 | 引きこもり
父のデイサービスの帰宅時の迎え入れ時間は、17時前後30分となっていて、家には北里大学病院だと15時30分には病院を出なくてはならなかった。29・30日は、手をつなぐ育成会の生活就労支援関連の全国大会があって、私はどちらか1日参加する予定でいた。だから耳鼻咽喉科をもうひとつ地元の病院で見てもらうことにした。茅ヶ崎市の障害福祉課との講演会(3月)後援依頼の交渉をしていたので、午後からの受診となった。

初診の質問表が面白かった。同じ疾病で他の病院の診察を受けているか・そのときどう言われたかという項目があったのだ。「しばらく様子を見ましょう」という結論と書き込んだ。このため、診断基準の概略説明をうけることができた。

聴力検査に異常が無い
発症部位が片側
連続発症していないこと

このことから、緊急を要する疾病の予兆ではなさそうであること。老化やストレスによって、振動を電気信号に変える細胞の中に、異常電気信号を発する細胞が出てくること。この振る舞いには、血流と代謝を良くするビタミンB系の薬の投薬が行われるが、即効性が無く改善薬であること。

個別に異常信号を出す細胞を抑制する治療法は無いこと。

ということで、耳鼻咽喉科としては「見守る以外ない」ということだそうだ。

「直りますか」と、私。

「数日で直る例が多いのですが、中には何年もかかる例があります。後者は投薬治療します。」と、医師。

難聴や痛みがないなら、我慢せいという結論。病院2箇所ともそうなら、仕方ないかなと思いつつ、今も耳鳴りに悩まされている。心身症的な診断を期待しているのかなと自省。しかし、実際に鳴っているのだからしょうもないのだ。

足がつったときの緊急用の「ジン」を飲んでみた。劇的な変化は無いが、逆にやや強まるようだ。しかし、やがて治まっていく。不可解なのだ。

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茅ヶ崎市の障害福祉課に地域就労支援PJの年度末講演会(3/24)の後援依頼の交渉を行ってきた。PJ以外にも平静から顔合わせしている面々から、下地になる情報が伝わっていたので、講師・明学大の八木原律子氏の略歴と、講演会のテーマと狙いを

「障がい者が街の中に生きる、地域貢献と交流のお店拠点をつくろう(仮称)」

とし、地域の障がい領域横断交流と協働の仕事作り・社会的企業手法を使う仕事つくりと収入作り・街づくり的な展開の可能性・学生参加・地域中小企業連携

などの内容を含む「地域モデル」を提案してもらうこと。(議論の口火を切る。)

以上のこととし、内容については了解してもらった。ただ平日夜に日程を作り、職場帰りに行政職員が参加しやすい形にした件は、苦笑い状態で終わった。

申請は受け取り、課で検討するということで、一応交渉は無事に終わった。

ただ今回のことで、障害福祉の領域から、社協や地域自治会など街づくりとの関連などが出てきたこともあり、この件はさっそく関連団体の稟議にまわされることになった。講演会ではなく、講演会に提案される店舗展開の論点が共有可能か、この辺が鍵になる。PJ関係者が調整を始める。

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今日は参宮橋で手をつなぐ育成会の「地域活動・就労支援事業所協議会全国大会 (東京大会)」初日。午後から大会参加する。帰りに巡回。

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父の見守り応援団が出来たことは、嬉しい。今回も昼過ぎに数時間、母とのおしゃべりにきてくれるとのこと。父が階段を降りるのは、朝と深夜が多く、次が昼なので、この後者を監視してくれれば、あとは私が見ることが出来る。父の食事の食材準備はしてあるので、これは母に任せて、外出することにした。

食材は母が階段を昇るとき重くないように、汁物を避けた。大丈夫と思う。いちおう階段下バリケードを作っていく。

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EeePC の動作環境がやっと練れて来た。キータッチが不安定なのだが、まあ上等上等。

夜間傾聴:橋本君(仮名・今夜寄ります)
     ##君(仮名)

(校正2回目済み)

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年寄り軍団は頭から「きーん」と音を出しているのだそうで…

2009-01-28 07:56:16 | 引きこもり
神経内科受診した同じ病院の耳鼻咽喉科に行ってきた。痛みや難聴症状は無いが、耳鳴りの発症回数と持続時間は増えており、音が大きくなっていた。

結果は「心配なし」。

受診してすぐ、医師は聴覚検査をするように指示を検査士に出し、検査士が隣の無音室で検査を行った後、評価をした。

「左右のばらつきが多少あり、音域の一部が弱まっていますが」

「お歳だから、しょうがないですよ。無理なさらずにもう『悠々自適』の『余生』を、満喫されたらいかがですか。『70代後半なら』立派ですよ」

かちんときた。笑い話のような話だが、私は「70代後半」に見られていた。私の前の患者さんは、70代後半位の女性だった。若い医師の顔をしげしげと見て、

「『老化』ですか…年取ると『耳鳴り』がでるんですか?」

と聞いた。

「ええ、皆さん、大なり小なり出てますよ。お酒を控えてくださいね」と医師。

慌てている看護師に

「年寄りは、皆『キーン、キーン』しているんですね~」
「70代は『悠々自適』に『余生』を過ごすんですか」

と嫌味。

空気の異様さに気付いた医師はカルテを覘き無言に。

「私『57』なんですけど…酒飲まないし。目の方とも関係無しと?」と私。

「え?目ですか。ああ、すみません。目は眼科のほうで…。ああMRI検査するんですか・MRIは萎縮がないと見えないですよ。まあ、様子見てください。変化あったら、きてください」と医師。

検査のときは耳鳴りが止まっていた。ただこのやり取りの最中、右耳は「老化」の「キーン」という音をたて、病院を出るまで続いていた。

カルテを読んでいない。事前の質問表には「喫煙なし・飲酒なし」「糖尿病(眼底検査異常なし)あり・緑内障あり、両眼視野下部に神経系異常を疑うちらつきがあり、右目が特にひどい。耳鳴りが同じ右側なので関連に不安を持って受診」「来週神経内科にてMRI検査」と記していた。

外来が混んでいたことは認めよう。しかしこれはひどい。バスの中、高齢者軍団を眺めつつ、バスじゅうが「きんきん」している様を想像していた。「70代ねえ」と、落ち込んでもいるのだが。

とりあえず緊急性なし。このことだけは確かなようだ。しかし、難聴は出ていないし、連続もしていないし、片側であるが、不快な耳鳴りは、金曜日、突然始まって、音が大きくなっている。ただ「聴覚検査異常なし」ということは、押さえていいだろう。

そういえば、母の「掌蹠膿疱症」も「水疱」があるのに「あかぎれ」といわれたり、まあまともなのは「小水疱型水虫」と診断されたりした。白癬菌やアレルギーのチェックしたのかなと疑わしい診断が多かった。

今まで2000年に一度同じ部位の耳鳴りを起こし、突発性難聴としてステロイド剤治療を受けていた。早期発見で後遺症は出なかったが、その病歴は質問表に書き込む欄が不足していたので書かなかった。問診時に伝えるつもりでいた。いずれにせよ、別の耳鼻咽喉科にいかなくてはと思う。今は、嘘のように耳鳴りが止んでいる。

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母の応援団のおかげで、父の階段転倒の危険は回避できた。帰りに図書館で期限が来ていた本の更新も出来た。ただ、私が帰宅したとき、紙パンツと尿取りパッドの大きな荷物を抱えていたことに、応援団女史は驚いていた。私のおかげで、この方の息子さんは「爪の垢を煎じて飲まされる」はめになりそうだ。介護は女性の仕事という頑迷な常識が、要介護者家族の口を封じている。実態は主婦だけでは手に負えない仕事なのにという矛盾だ。

応援団の「耳鳴り世代」の女性が帰ったあと、夕食の準備を済ませ、巡回に出た。今回は相模原の彼のところだった。

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彼は私の同僚に会って話をしていた。家族間の緊張は表面的には治まっていたが、彼はぼんやりしてるのが気になった。向精神薬の服用の影響が出ていた。息苦しさの回避の方法を伝えたが、心開いてくれたとは思っていない。私は夜間傾聴担当で、彼の巡回は市内在住の同僚がやることになっていたが、こういう分業が成り立つのかは、疑問に思っている。結局は人との出会いによる信頼関係だけが、彼の凍えを癒す方法だからだ。大げさなことではない。自分を受容する他者の存在が了解できれば、当座彼の踏ん張れる足場が出来るからだ。それ以上でも以下でもない。また訪問させてもらうことについては、拒絶はなかったと解している。警察沙汰の話は不問という事になったらしい。

夜、始めの頃は相模原からの帰りは、橋本経由相模線というルートが気になり、「信頼できる」町田まで、まずは遠回りでも出ていた。しかし今は相模線フリークのようだ。車の運転を止めた今では、相模線の価値は仮眠できる路線というところだ。

父は今日デイサービスに出て行く。夕食時、食事のすべてを乗せた盆をひっくり返すトラブルを起こしていたが、応急用の準備もしておいたので、机に移動させ、それを食べさせたとのこと。私は帰宅後、水分に膨らんだ床シートの交換や拭き掃除をやることになったが、耳鳴りとのお付き合いしながらそれを済ませた。夜は午前4時50分ごろの大声を上げ、立ち歩こうとしたところに介入しただけで無事済んでいる。

夜間傾聴も無事すんで、これから父に朝食を食べさせ、9時にホームに送り出す。そのあと茅ヶ崎市役所で、地域就労支援PJの3月講演会への行政参加要請交渉を行う。午後、不便だが北里大学病院に予約なり午後診療なりをしにいく。ここは茅ヶ崎から遠いが、勤務校への通勤に便利だからだ。夜、相模大野校で演習補佐をして帰る。体調悪ければ帰れる…「悠々自適」な仕事なのだそうだ。

夜間傾聴:□□君
     入谷さん(仮名・ご無沙汰でした)

p.s.「買物難民」図書館にて入手。交渉時資料作成中。と書いている間に、父ベッド下に転倒、引き上げる、8時。ろれつに異常、様子見。ベッド柵のカバー破損。


(校正2回目済み)
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今回は私の体調話のみです

2009-01-27 09:47:45 | 引きこもり
昨日は、父をデイサービスに送り出した間を使って、私の右耳の耳鳴りと、両眼視野下部の異様なちらつきと緑内障の、特に右目の症状進行について、神経内科を受診してきた。

MRI検査は初診で飛び込んですぐでは、やってくれなかったが、簡単なチェックの後、「検査不十分でわからない」が「緊急性ある症状ではなさそう」ということになった。同じ右側に発症していることのなにやら共通項があるのではという不安は、解消されたのだが、現に進行する症状については、眼科・耳鼻咽喉科に任せる形で引き継がれることになった。

ゴッホの糸杉ではないが、私の右目の下部は視野にうねりと異様なちらつきがあり、左目にもちらつきがあることで、眼科から「眼科の領域ではない神経科の領域」と、突き放されている件は、とりあえずは、来週のMRI検査後ということで先送りした形だ。耳鳴りについては、耳鼻咽喉科を今日、受診することになった。突発性難聴の予兆とか、メニエル病の可能性等は心配なさそうだという。こちらも右側の脳裏に耳鳴りが断続的に起きていることは解決しなかった。神経内科としては治療薬を処方できないというのだ。

父の帰宅予定の16時半には、家に戻っていなくてはならなかった。二科受診は無理だった。痛みや取聴困難は無いものの、突然詰まったような耳鳴りが繰り返される不快感と、何かの前駆症状ではないかという不安は消えないが、とりあえず受診は、通院時間を考えると中断せざるをえなかった。母の友人に火曜日の耳鼻咽喉科受診の間、階段下で母とおしゃべりしながら、父の監視をすることを母を通じてお願いしてもらった。

幸い父はここ昼間、眠っていることで静かだ。排便が昨日あったこともあって、夜も、寝惚けて行動することはなく、深夜、部屋を歩き回るのは目が覚めている。よろけて家具にぶつかることや、時間構わずつけたTV音声の音量のすごさ。寝る前にTVの電源コードを抜いておくことにし、これも回避。

とりあえず、これから耳鼻咽喉科に行く。

明日は市行政と講演会について話し合う。今回の講師が、地域の官民協働の提案を含む、地域協働がテーマだからだ。

夜間傾聴:多摩センター君(仮名)
     □□君(仮名・親子とも)
     ##君(仮名)

(校正1回目済み)
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買物難民?!/今日は自分がファーム入り

2009-01-26 09:21:24 | 引きこもり
母の直属応援団が入った。階段の見張り番が出来たが、身辺介護をしてくれるわけではない。母にとっての便利屋。買出し等々。それでも間が取れるので、昼間の巡回を嫌がる相手を説得して、2件済ませてきた。包丁騒ぎの彼は、同僚が行っていた。

右耳が時々「きーん」と耳鳴りを起こす。2000年の前科(突発性難聴)が有った上、緑内障が右目が強い。眼球運動時の引きつれや、視野下部の流動する影の明滅は、眼科の範囲ではないと医師に言われていた。

夕食の食材は簡単なものにし、夜間の作業と傾聴は緊急性のあるものだけに絞って、大事を取った。

しかし、父は容赦をしてくれはしない。午前2時に教室の板戸に激突して倒れた。戸がはずれ、今度は鼻の頭だけでなく、額も擦り傷を作った。4時。父が私を呼んだ。家に帰るから車を出してくれという。照明をつけると怒るが、しかたない。ここは我が家だというが、私の声は届かない。家というのは60年前の実家のこと。夜が明けてからにしようとカーテンを開けて、夜であることを伝え、休ませた。すぐに眠ったが、1時間もしないうちに、ベッドから落ちた。母に見張りを交代して、仮眠を取った。

今、耳鳴りは治まっている。父の体位を変えようと持ち上げたときなどに始まるので血圧が関係していると予測された。今日、父はデイサービスである。まもなく迎えが来る。人材育成センターの企業プログラムは、顔だけ出してで許してもらう。父の帰りの受け入れが17時前だからだ。

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<発見した書籍>
●「買物難民 もうひとつの高齢者問題」


夜間傾聴:*******君(仮名)
     □□君(仮名:改めて別の時間に)


(校正1回目済み)
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体調不良なり。

2009-01-25 07:42:58 | 引きこもり
父の朝食を作り置き、そっと家を出た。相模線で橋本に出てから相模原にまわった。さんざん昨日叩かれたのだろう、万引き騒ぎの彼は眠りこけていた。かかりつけの内科医から処方された薬を飲んでいた。安定剤だろう。

捕まるために包丁を盗んだと父親。他人を傷つける話でなくてよかったと母親。しかし、あいつには愛想がつきたと父親。

「彼、その言葉を引き出したかったんですよ」と私。

怒りの目を向ける父親と、困惑する母親。不満があるなら言えばいいではないかと両親は思い、彼が何を引きずってきたかを追うことは出来なかった。時間がかかるなと思った。担当は地元の同僚と私の二人組みで行うことになった。

相模線の帰り、仮眠を取った。

橋本近辺の子達にアポを取ったが、早い時間帯は反応が鈍い。また戻ってくる気力はなかった。年末年始にかけて、今年は静かな方だ。

茅ヶ崎駅で遅い昼食を取る。私の帰宅に使うバス停の前には、路上生活者たちのたまり場になっているので、バスを待つ間、彼らと話す気力が残っていなかった。北口から辻堂駅行にのって、家に回りこんだ。

父が電話をかけると言い出したと母。しかし電話番号を教えても、父の枕もとの子機を父は操作できなかった。外線ボタンを押すという手順を教えようとすると、父は、いつものとおりバリアの虚勢を張って拒絶したという。

とにかく眠った。すぐに猛烈な大きさのTV音声に起こされた。父は耳が遠い。ボリュームを下げに行って介護戦争は再開されたのだった。

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八木原律子氏の講演会の準備作業に入っている。週明け早々、茅ヶ崎市の行政参加要請交渉が始まる。コンセプトを整理。今日はこれだけにして、とにかく休んだ。

同僚が先ほどの家族を夕方訪ねていた。部屋からでてこなかったものの、本人と話をすることが出来たという。とりあえず今夜は大丈夫のようだという。念のためとかで、私の専用携帯の番号を教えてきたという。

一昨日から右耳の耳鳴りが止まらない。月曜日は能開校系の障がい者雇用研修に出る。終了後、遠いが、夜やっている神経科にいく。

夜間傾聴:休み
     ##君(仮名:すまん)

(校正2回目済み)
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東大医学部の公開セミナーと日本電子出版協会主催のUDセミナーに

2009-01-24 10:49:12 | 引きこもり
父の部屋の階段下に車椅子と木製の椅子、飲料水の箱を重ねたバリケードを作って階段を降りることへの警告とし、臥せって機嫌の悪い母に留守番を頼んで出かけてきた。

午後からは、身辺介護のヘルパーさんが入り、父の宗教団体の信者さんが父を訪ねることになっているので、父に他人の目がはいることで、緊急呼び出しで、即、帰る事もまず無いだろうと判断した。この出先、すでに父の足音が聞こえていたから不安ではあったのだが。しかし、これでは外出が全く出来なくなってしまうと、気を取り直して玄関を出た。

気持ちが父との事に向いているので、出先に予定の再確認をすることを忘れていた。医学系の公開シンポは、先週すでに終わっていた。あるメルマガからの情報で飛び込むことを決めたのだが、それからずいぶん経っていた。HP確認をすべきだった。もともと日程が誤情報のようだった。

廃墟のように傷んだ安田講堂では荷物の搬入が行われていた。管理者と話して先週シンポが終わっていたことを知った。教育学部のある方にお邪魔してもいいかと連絡したが、お留守で空転。昔、実験教室の機材を買っていた医療器具の店に飛び込み、先代さん,ご健在を知った。さてどうしたものかと、道を逆戻りして根岸方向にとぼとぼと歩いた。ここにも剥製のお店や、昔、教材編集の裏方をした出版社がある。結局、まるでお年始まわりのように、あちこち立ち寄って、最後は上野高校に。友人は定年退職していて、とどめ。

アメ横で基礎食材を買って、バッグに詰め込んだ。主婦びっくりだなとひとり笑って、遅い昼食を取った。母からメールが飛び込んだ。電話ではないから大丈夫だろうと、メールを開いて読むと、「父、転倒!」とある。焦って電話を入れると、母が私を試したと知る。しかし、まんざら嘘でもなかった。父は階段に行こうとして、周囲につかまって、積み上げている洗濯物の山の中に倒れ座り込んだという。洗濯物の中に転んだのだ。

ふとおもいついて、ある大手進学塾に電話を入れた。私の塾にいた子が就職していたからだった。和田中のアフタ5の賛否論の渦中にある塾だ。外出中で、これもだめ。

気が滅入るので、早めに神保町に移動。こちらはホームグラウンド、とりあえず書泉と三省堂まわりをして、新年度教科書の郵送交渉を早々と旧知の*さんにふっかけて、ついでの用事を済ませてしまった。行きつけの古書店数軒回って、なにやら疲れてしまった。足ではなく気力がである。金を持たずに神保町を歩くべきではない。気になる書籍や、絶版ものが書架に出ているからだ。目の毒だった。1冊は取り置き交渉。送金確認後、発送するという。昔はツケが効いた店だった。

すずらん通りに出て、2杯目のコーヒーを飲んだ。やっと時間が埋まって、教育会館へ。日本電子出版協会主催のセミナーだった。私はDAISYとPICシンボルの絡みを考えているので、電子出版の進捗状況をつかむ目的があった。その目的は浅い情報ではあるが一応入手できて、ハード面でも今年中で環境がそろうという確信を得た。しかしこの分野は、ベンチャー的なレッテルがべったりと貼られていて、中年以上は耳を貸さないから、関連学部生や、オタクの手助けが絶対に必要となる。今までが、まな板を首から提げて「ハンディ」というような、ひどいセンスだったから当たり前では有るのだ。

やっとDAISYに電子合成音声を使えるようになった。地味だが出版業者にとっては画期的なことなのだ。先端研のKさんの話の中で、障がい学の星加亮二氏が同センター在籍と知りびっくり。「わーく」編集部のほうの企画の講演会候補のひとりだった。この世界、どう面白がる面々と手を結べるかが、情けないが万年懸案事項。私が構想しているのはUD(ユニバーサルデザイン)の中にあるから障がい当事者救済に収まるものではないのだが。

会のあとの柄にあわない立席パーティをすり抜けて、欲求不満をなんとも「てんや」で晴らす。まあ、糖尿病患者にとっては、冒険でもあるのだ。

しかし出先まで、連絡が入るとは。教室から呼び出しがかかったのだった。刃物の万引きで、ある子がつかまって、その背景がまずいから来てくれというのだった。渋谷から長津田経由で相模原までは1時間ちょい。しかし、時間的に終電になってしまう。どうしたものかと悩んだ。橋本まで相模線の最終に間に合うように同僚の車で送るという条件付きで動き始めた。サポチガからPJ講演会関連の連絡もあり、携帯の充電寿命が怪しくなっていた。

武蔵溝の口を過ぎたあたりで、担当者から再度の電話が入った。先方の親御さんから、時間が遅いので結構ですと断りの電話が来たとの話だった。先方の御宅の電話番号を知らせよと伝えるが要領を得ない。なるほど、帰りたいのねと読んで、「明日のアポ取るから」と嘘をついて、口を割らせた。電話をしてみると案の定、夜だから行けないと連絡があったとのこと。

事情を聴いている最中に携帯の電池がご臨終となって、急遽電池交換。こちらが忙しいものと勘違いされて、訪問希望が再び今日へとずれることになった。話の内容から緊急性ある山場を越えているとわかったので、承諾した。今日、まもなく担当者が訪問するはず。罠をかけたことがばれないといいのだが。

空振りの一日だった。武蔵溝ノ口を過ぎていたので、武蔵小杉から横浜経由で帰ることにした。電車は座れる状態ではないから、身の程知らずで立ったままで神大・曽我部研の「商店街再生計画 大学とのコラボでよみがえれ!」を読んでいた。イラストの多い楽しい本なのだが、2回混雑の中で本を落として顰蹙をかってしまった。

帰宅した家は、車椅子が廊下を塞ぎ、流しが食器の山、うんざりするほどの洗濯物が私を待っていた。ともあれ父のオムツ替えをして、足と鼻の擦り傷を消毒。尿で汚した毛布をはずして大ゴミ袋につめこんだ。クリーニングに出すのだ。部屋の電気を消し寝付かせて、食器と洗濯物をやっつけている間に、闇の中、またもや父が部屋を歩く足音が聞こえていた。母は茶の間のストーブの前でうずくまっていた。夕食を食べていなかった。手術後は食欲が無いので、炊事は父の分だけ持っていけばそれで沢山だったのだ。じんわりと疲れがこみ上げてくる。

四面楚歌なら天地が空いている。天は父に任せておいて、地の方をやる以外なし。母の膝をひっぱたいで、健康管理を説く。リンゴ酢を使った和え物を添えて粥を出し、「気持ち悪くなる手前まで、食べろ」と出す。0時を迎えようとしていた。

父が深夜、板戸を開けていたので、2階にあがる。暗闇の中、「食堂に行くのだ」と言っている。明かりをつけて、「今日は部屋で食べる日だっただろう」とごまかしてベッドに誘導、数回転びそうになって体重かかった父の身体を起こす。枕もとのミカンで納得させて振り向くと、日めくりカレンダーは1月28日になっていた。カレンダーをめくったこと自身を忘れてしまうのだ。短期記憶が犯されているのだ。寝付くまで枕元の小便臭い椅子に座って、こちらも睡魔に襲われていた。

シャワーを浴びたら、右耳が耳鳴りが始まった。2000年に突発性難聴を早期治療で回復させていたので、危険信号だった。緑内障も右目が強い。神経科に週明けいくことにした。

緊急性の少ない傾聴を断り、ともかく昨夜は寝た。明け方の父の転倒と悲鳴で目が覚めるまで、4時間半。6時の転倒は、床に落とした布団に滑って倒れたが、つかまったポータブルトイレのバケツが落ち、コンクリート塊で固定した枠が倒れかかってきたからだった。相当の力をかけないと、こうはならない代物だった。幸い父に怪我はなく、バケツも予測して空にしておいたから、被害は出なかった。これが糞尿だらけになっていたらと想像すると、気が遠くなる。

しかし、「拭くの紙」の試練である。昼間父はぐっすりと眠っている。デイサービスなどを使わないと、そのままではだめになる。母に買ってきたチーズケーキと生姜湯を食べろと強制する。その最中、回覧板がタイミング悪く戻ってくる。地域自治会の組長移行が無事手続きすんだとの迷惑な朝の井戸端話を遮断して、やっとブログを書いている。今日は夕方から巡回。昼まで仮眠する。

夜間傾聴:******君(仮名/今夜、2番目で巡回を約束。傾聴を堪忍してもらう。)

(校正2回目済み)
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父の心に入り込んだように…/傾聴は嘆きの壁なのだろうか         

2009-01-23 07:12:32 | 引きこもり
午前4時25分、父が大声を上げて論争している。ベッドが軋み父が落下。悲鳴をあげる。急いで2階の寝室に駆け上がり明かりをつける。逆立ち状態でベッドからすべり落ち、後頭部を打っている。まずい!と、近寄るが、腕を振っているので近寄れない。

声かけをしてゆっくり近寄る。ろれつの回らないつぶやきで、いつもの光景を再現した言葉(トラウマだろう。しかし、内容は書けない。)を繰り返している。やっと私がわかったようで、下半身を床に下ろして救う。

後頭部は打ったというより、ずり落ちるときに力がかかったようだ。突然私を払いのけて立ち上がり、ポータブルトイレで排尿し始めた。利き手が痛むようだ。しかし、この無理な行動はすぐに崩れ、周辺に尿が飛び散った。

「大丈夫だ!」と、私を払いのけてベッドにあがり、布団をかぶってしまった。

周囲を清掃し、父を濡れティッシュで清拭して紙パンツを交換する。憎しみに満ちた異様な眼差しで父は私を睨んでいる。私は別人に見えている。父がハリネズミのように虚勢を張って従来から父権にこだわる、父の根っこの部分に立ち会っている。背筋が寒くなる。

30分ほど、連れ添っていた。父は昼間、平常を取り戻す。ただ昨日は一貫して奇妙な言動をしていた。ポータブルトイレには山のような便が溜まっていた。5日ぶりのことだった。高齢者の場合、便秘が心の清浄をかき乱す。しかしこれは、夕食後のタイミングの排便と思われた。時間が経っている、なのになぜ、格闘のような状態になるのだろうか。

階段を降りると、PCに中学生からのメールが来ていた。「寝ているのでしょう。返事がなくても平気です。」という異常メール。危うさを感じて手をうつ。5時半、やりとりの最中に父の足音。もうカーテンを開けている。私を呼んでいる。あがってみると、バインダーを重い皮かばんに詰め込んでいた。「これをもっていってくれ」と、父はかばんを差し出し、かばんの重さに耐え切れなくなってソファーに倒れこんだ。このかばんは父が若いときに、通勤で使っていたもので、もう何十年も使っていなかった。

「まだ出かけるには早いから」と父をベッドに横たわらせた。たちまち父は寝息をたてて眠ってしまった。平常を維持できるのは、もう長くは無いなと感じる。この虚しさを傾聴ににじませてはならないと初めは思っていた。確かに学齢期の子たちには無理だが、20代も後半の青年と語るとき、希望という嘘で彼らの正常化を図ることは、おかしいことと知った。矛盾は家族や社会に依然としてある。そこにすり合わせるのではなく、矛盾を認めうるスタンスを踏まえることの方が大事と思う。このスタンスは、私と彼の生き方の照らしあいだろう。リアルに自分を過不足なく見せ、その中の彼の判断に寄り添うこと。神の座からの監察と誘導・矯正の立場を私は取らない。彼の踏み出す環境を整え、彼の別の顔を生み出す「人との出会いや共同行動」を提供していくことに力点をおく。発達(回復)をめぐる脱皮のステージを想定できるからだ。

だが、絆を手放していく父の場合は、どう関係を取り結ぶべきなのだろうか。

金子みすずの詩の一節を学校の先生が送ってくれたという。「みんな違って、みんないい」というところで、中学生の彼は勝手だと怒った。「いい」というのは先生がいいと思っているんであって、「違って」ってどうすればいいんだよという内容だった。「個性的であれという抑圧」もまたあるのだ。

ポケットに両手を突っ込んで、イヤホンで曲を聴きながらより集まっても、同質の他者を確認するだけ、今が延々と続くだけだ。自分の主張をぶつけて討論しても、そこには日常の私に出会うことも、私を私たらしめるあなた(他者)に出会うことも無い。

そんなことを思いながら、今日の準備をしていた。今日は午後から東大安田講堂で、医学系の発達障がいの公開シンポがある。そのあと出版のユニバーサルデザインの講演会(私にはDAISY出版からの関心)を聞いて帰ってくる。果たして呼び出しと中断がないことを祈っている。

まもなく7時。昨夜、参考資料を茅ヶ崎サポセンで印刷した。それを綴じて、前半の会の資料を作った。

JHC板橋会の●「精神障害者の相互支援システムの展開―あたたかいまちづくり・心の樹「JHC板橋」」と、神奈川大学曽我部昌史研と三浦展編の●「商店街再生計画 大学とのコラボでよみがえれ!」が届いた。後者は学園祭を見るようだ。

夜間傾聴:******君(仮名)
     □□君(仮名)
     橋本君(仮名・こちらから)

(校正2回目済み)


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父の認知症の進行に付き合えば…/明日は久しぶりに安田講堂に行く

2009-01-22 07:03:34 | 引きこもり
父は昼夜寝起きに奇妙な行動をとり始めた。デイサービスの前に、宗教の関係の書物を突然探し始め、転倒して眼鏡を吹き飛ばしたときに顔面に擦り傷を負った。ホームでは食事と入浴の時間以外は、大半眠っていて、起きると職員を無視してトイレを探して歩き回った。家に戻ると、ひと眠りの後、数年間会った事のない信者さん宅に電話をするから、電話番号を知りたいからと、階段を降りようとして制止。電話番号を大きな文字で書いて手渡したが、紙を放置して歩き回った。それぞれの行動には父自身の意味が込められているようにも見えるが、長い時間を共にしてきた家族には、今までに無い行為であり、関心の示し方から、目的未達成の受け止め方まで、やはり急変しているように見える。

つい先ほども、誰かがブザーを鳴らしていると階段を降りようとして、私に「夢をみているよ。今は夜中の2時半。聞き違いだから、安心して眠りな」と制止されて、素直に従った。この素直に従ったことが、普段と様子が違うのだった。ベッドに戻して階段を降りる背中で、父はまた部屋を歩き回るのだった。制止したことに苛立つのではなく、またリセットされて歩いているようにみえた。しかし、昼間、目が覚めて30分もすると、過剰防衛的な普段の意識に戻って、私たちを指図して、別人格に入れ替わるように思えた。

夕食時、ホームから帰ってきた父を休憩させて、食事をいつもの通りサイドテーブルの上に出し、厨房に戻っていくと、2階で派手な音がして排尿のために、立ち小便をした後のポータブルトイレの蓋がしまった。次の瞬間食器が落下する音がして、父がベッドに戻るとき手すりにぶつかるときの音がした。様子が派手なので現場に行ってみると、ベッドの隙間に父が落ちており、全く起立動作に関係ない、ポータブルトイレの下に落ちた皿を取ろうと手を伸ばしていた。皿にはトイレから滴り落ちた尿が溜まっていた。

父を戻して目診。周囲を片付けたものの、皿は偶発事故とはいえ、状態はショックだった。母は自分のお気に入りの皿が共用できなくなったと布団をかぶって横になってしまった。さすがに洗い流したが、私もこの皿を使う勇気はなかった。

この間、訪問看護の導入や、階段昇降介助のヘルパーのポカ休事件をめぐる混乱など、ケアマネさんの掌握していない事態が連続して、ケアマネさんから、厳重注意が飛んだので、ずれの傷口が広がる前に調整しておこうとホームを訪ねた。

案の定、憶測の先に憶測が連らなり、事態の理解がかけ離れた解釈になっていたので、訪問は正解だと自分では思っている。訪問看護師さんの事業所にも回ったが、担当者兼責任者がお留守で、結局携帯電話話になってしまった。微妙な部分は、やはり会った方がいい。結局、デイサービスの間は、父の部屋の片付けと、路線バス移動の事業所訪問、図書館(返却)と市役所(申請)、食材補充の買い物で駆けぬけるようにして終わっていった。

父の宗教の信者さんの階段ヘルプが到着しないまま、這うような姿勢の父を押し上げるようにして、階段をクリア。このとき、転倒時に打った膝が再び痛み出したために、父の居室の椅子に座らせて、手当てを行ってベッドにあげていた。その1時間後、皿の落下等が起きたのだった。

コートを抱えて巡回に飛び出したものの、私の体力的な限界が来ていた。町田往復を済ませて帰った直後、耳鳴りの異常が起きて、棒切れのように横になって眠った。昨日の休み分、夜間傾聴はレギュラーから中学生まで三人、にぎやかだった。幸い傷害に結びつくような相談はなかったが、この時期、自分の将来に苦しむ例が多くなっている。言葉の間合いの意味が、疲れていると気が付かないことが増えていく。結果、あっさりと効率よく終わったかのように見えるが、問題は当人の胸のうちにこもったままになっている。

父の深夜のご挨拶以降は、まもなく午前6時だが、派手な寝返りの軋み以外は静かになった。

金曜日が一日中、東京の企画に参加するので、今日は巡回を詰めている。自分が雑巾になって行くと巡回時の心が響かなくなる。緊急時の助っ人として訪問看護師さんと契約したのは正解だった。

八木原氏の講演会会場はMさんが回っている。会場が狭くなったが、空きがないので、ここに決まった。Mさんから公開されたら、私も会場を公開する予定。

巡回の支度を終え、講演会の関係者向けのチラシの外枠を試作。放置傘活動の企画紹介を作り、松本市の自転車リサイクルの資料を取って今夜は終わり。いずれにせよ、すべては父の状態で中断されることを前提にしなければならなくなっている。ロッククライミングのハーケンのように、落下の制御がいる。

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技能とは何かということを考えていた。経験の中の小さな発見が組み合わさって行為が潤滑になっていく。小脳の機能のうんぬんと論じるつもりは無い。意識しないで無駄なく身体が動く。しかしそれを伝えようとしたときに、どうしたらよいのかということだ。それをつかみ出し、言語化しても、それを相手が再構成出来るとは限らない。行為への思いにしてもまた同じだ。

「学ぶって、しまいこむことですか」、これが大森海岸君の問いだった。これは傾聴ではないが、彼のひっかっかり部分と私の意見は微妙に土俵がずれていた。「脳は穴あきバケツにあらず」という話のつもりだったが、彼は学習形態への批判だったのだ。ソフトハウスの研修が不満だったのだった。

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夜間傾聴:##君(仮名)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)
     多摩センター君(仮名)

(校正1回目済み)

p.s. BPD関連の書籍の整理を始めている。質問できるプロを捜索中。個別的すぎるのだ。悩み。

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講演会講師は明学大の八木原律子氏に/Big Issue 東京事務所にお邪魔して

2009-01-21 08:32:59 | 引きこもり
昨日の父の騒動は、父が階段踊場から数段、膝を打つ形で滑り落ち、駆けつけた訪問看護師に誘導されて混乱は終わった。父は動かない方の足をひねったらしい。転倒時、手すりに必至につかまって落下は免れた。母が電話の子機を持ち出し、父に動かないように指示し、看護師を呼んだ。母は不安定なまま立ち上がって部屋に戻ろうとする父をなだめて、父を監視しながら看護師さんを待った。このとき、痛みからか父が指示に大人しく従ったから、事は大事に拡がらずに済んだ。

手すりにつかまったまま反転するように落ちたらしい。尻ではなく膝を打っていた。筋をひねっているはずなのだが、他は私の帰った夜まで異常は出なかった。骨折はなく、頭も打っていなかった。父は制止しようとする母の目の前で、滑り落ちたから、打ち身の様子が分かっていた。

お願いした看護師さんをさっそく使うことになってしまったが、母だけでは事故脱出は無理。救急車騒ぎの一歩手前の事態が看護師到着で治まった。打撲箇所の痛みは、家に山ほど残っている湿布薬で応急処理。主治医に報告してくれた。ベッドに戻された父は、たがが外れたように眠りこけ、私の帰るまで、眠っていた。

父の部屋の衣類が撒き散らされていた。出かけるつもりだったらしい。歯医者と騒いだのは、入れ歯が合わなくなったのだろうかと母はいうのだが、夕食を猛然と食べている様は、そういうことではないように思う。転倒して大人しくなってよかったという、なんとも皮肉な事態。まだらの「ぼけ」から回復した父が、家族を押さえつけるような口調で、「知らないものを責められてもしらん!」と居直っていると怒る母。防御壁が高くなるだけだから、叱ってもだめだと母を制止。

この転倒の結果、部屋の徘徊がとまった。便意を催した不快感と、不安緊張からの意識障害だろうか。低血糖によるものだろうか。いずれにせよ、小さいはちみつチューブを準備しておくことにした。これは後者対策。

私が帰って、用件の始末を済ませて夕食を持っていくとき、小さな出来事を目撃した。ベッド上、半身身を起こして、父は動きが鈍い側の手でペットボトルを持ち、反対側の手で蓋を開けようとしているのだが、グリップが甘くて、ペットボトルが滑り落ちてしまうのだった。今までより麻痺が進行しているように見えた。食事中、父は効く手を使って食べ、反対側の手は身体のバランスをとるように身体を支えていた。その動作が見られず、麻痺側をぶらりと下げて、上半身は回転が止まるときのコマのように、味噌すり運動のようなゆっくりした揺れが出ていた。不安定なので、食事の容器を椀からマグカップに替えておいたのは正解だった。血栓が跳んだのかもしれない。今日、父はデイサービスに出る。階段を降りて出て行くので、観察してもらうことにした。今日は主治医に連絡し、ケアマネさんと相談する。

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昨日の講師依頼の交渉は順調にまとまった。明治学院大の八木原律子氏だ。精神保健福祉領域のプロとして、後継者養成と研究に携わっている。JHC板橋会の副理事長でもあり、今回は就労について現場事例紹介が期待できる。日程はまだ場所の予約だけで契約を済ませていないので公開を避けるが、3月下旬になる予定。

明学大白金キャンパスは品川からバスで数分。交通の便がいい。教員ラウンジでお願いしてきたのだが、よそよそしい雰囲気の無い環境でありながら、学食のように学生さんが立ち入らない場なので静かだった。

話は自己紹介を踏まえ、地域就労とネットワーク拠点作りから、地域社会へとの結ぶという私たちの関心に応えて欲しいと要請。八木原氏は教職活動の一環として学生さんたちのフィールドワークを行っており、この関心に接点があること、当事者の参画については、板橋会の様々な活動の特にピア・カウンセリングの当事者間の支えあい活動を交えて紹介してくださることになった。また中小企業の就労にも詳しい方なので、地元企業・行政との協働の観点や、ボランティア養成の進め方などにも、時間があれば立ち入ってもらうことを、盛り沢山になりそうだが、さじ加減を任せるとしながらも、無理にお願いしてしまった。精神障がいの領域を中心にしながら、知的・発達障がいを横断する話になる予定。

講演会前に一度JHC板橋会にお邪魔する予定でいる。いつもの調子で無茶苦茶を言っていたのだが、笑って受け止めてくださった。感謝。

板橋会から昨年末、八木原氏のものではないが、実践レポートを中心とした論考が出版されている。

●「精神障害者の相互支援システムの展開―あたたかいまちづくり・心の樹「JHC板橋」」寺谷隆子・著

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帰りに、Big Issue 湘南販売再開の件で、曙橋にある東京事務所にお邪魔してきた。それはそうと、東京シューレは引っ越したのだろうか、同じビルに同居していたのだが。

アポを取らずに突っ込んだので、ご迷惑をかけてしまったのだが、販売支援の私の基本線を話してきた。「元・湘南子どもフォーラム懇談会」「現・『わーく』編集部(移行期)」として取り組んでいるのは、引きこもり青年と自閉症スペクトラムの方を中心とした、軽度にあたる方の社会参画なので、路上生活者支援は活動が重なるが、ずれていること。活動は反貧困の視角を持ちつつも、主軸は「行き辛さ」を抱えた青年の支援からという側面参加になるので、元のカトリックの支援者さんたちの継続支援が難しいという状態であればという前提の上で、期間ごとの見直しを入れつつ監査役を請負うと伝えた。金銭管理は、Tさんだけならまだしも、話が膨らんで、複数になってきたら、すぐに私のキャパを超えてしまうからでもあった。

ともあれ、湘南販売は再開に向けて本格的に踏み出した。

今回は、路上の方の雨天時収入確保を進める放置傘販売の企画も提案してきた。放置自転車リサイクルの話も、関心を持っていただいたようだ。「仕事立ち上げ」の話である。これは湘南販売再開後、改めて話を膨らませる形になる。

出来立てのほやほや、現地配布する「路上脱出ガイド(大阪編)」を、無理を言っていただいてきた。絞り込まれた必要情報が満載されている。これはいい。

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今、父のデイサービスに出かける前の食事を運んで、着替えさせてきた。膝も動くし、ただ父は戦々恐々としているので、反撃する母は上がってこないと落着かせ、私は「まあ、大丈夫そうだ」とほっとしつつ、突然、異様な状態になるのはなぜか考えている。今も眼差しが平常と違う。要警戒でホームに送り出す。16時半には帰ってくる。家族には入浴以外のメリットが無いサービスなのである。

夜間傾聴:なし(というか、1件メールを無視して寝てしまっていた。大森海岸君、すまん。)

----- いままで「なし」の日が少なかったが、最近増えている。当事者が少なくなったのならいいことだが、傾聴活動が停滞して、立て直しがいるようにも感じている。

(校正2回目済み)

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地域就労支援PJ1月の月例会から/講師依頼にでかけます

2009-01-20 07:59:10 | 引きこもり
昨日19時から、地域就労支援PJの月例会を持った。

まず日程的なこと…

<次回2月月例会予定>

 ●2月4日(水)19時~ サポセン


<たい焼き店店舗&共同オフィス予定家屋見学>

 ●2月3日(火)13時~ 現地集合

>論議にイメージを。あっさり30分位で。



今回はテーマが2つ。

1)3月講演会講師交渉関連

   地域交流を生み出す店舗展開の事例紹介を重点に。

   交渉日>3月中旬を除く前後・平日夜

    講師と交渉
    3/ 4,9,12,23,25,26,27 から候補2日間
    
    候補2日間から、PJ関係者がこのMLで相談して決定


2)鯛焼き店舗とその利用

    本棟側>食べるスペース・展示スペース
    別棟側>共同オフィス化

    職員休憩スペース・共同オフィス機材保管場は?

    2月3日現地見学

    凡樹瑠さん共同オフィス利用交渉進む
    小箱ショップと展示スペース・販売プラン
    「わーく編集部」編集作業・メインテナンス&
      夜間傾聴デスク設置希望

    協働事業としての配達業提案をめぐって
     まずは共同オフィスとたい焼き店舗で段階踏んで

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段々店舗イメージの輪郭が浮かび上がってきた。10月開店時、共同オフィスに、障がい者と、引きこもり青年の仕事交流拠点が出来るか。

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今朝6時、父が大声を上げてカーテンにしがみついて転倒した。突然の音で驚いた。部屋を朦朧とした状態で徘徊していたらしい。7時45分、歯医者にいくのだといいながら階段を降りようとするのを阻止。いない人物と連れ添っていくつもりでいた。尿取りパッドを流して壊してしまった2階のトイレのガムテープ封印が破られ、便座が折れてしまった。寝ぼけているよとなだめつつ、ベッドに戻す。階段を降りてPCにたどり着いたが、背後でもう足音がしている。

困った、3月講演会の講師依頼で東京の研究室にお邪魔する約束が午前中。そろそろ出かけないといけない。バリケードを階段下に置くが、まっすぐ帰らないと危ない。母には、転倒・階段落下時の対応と連絡を指示。訪問看護師の救援を頼むこととした。

出かける。

夜間傾聴:******君(仮名)


(校正1回目済み)
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父の介護に訪問看護師さんと応援団1名加わり/Big Issue 「路上脱出ガイド」発刊

2009-01-19 07:13:03 | 引きこもり
父は昼間、一日中寝ている。尿意を催して起き上がってから冒険が始まる。今回は階段の上から眼鏡が落ちてきた。物を持って降りようとした初めての出来事だった。物を持って降りれば落下の可能性が、比較しようも無いほどに高まる。こだわりがでないように警戒をしている。

早朝のベッド上の立ち上がりも、珍しい行動だった。レム睡眠行動障害のような夢の動作が現実の激しい動作に現れるとき、大概下半身は眠っている。夢遊病とは違うのだが、目が覚めたときの意識の混濁が始まって、様相が変わってきている。ともあれ、立ち上がりの危険に方策がないかと思っている。医師の処方で眠らせてしまうと、薬の副作用が心配。日常の意識の混濁の引き金になってしまった話も聞く。

父の手元の日めくりカレンダーがすでに21日になっている。その都度、カレンダーをめくらなければと思うのだろう。しかし、前にめくった過去想起の時間感覚が失われ、忘れてしまうので、また1枚めくってしまうのだった。生活にめりはりをというが、そのめりはりをつけたという生活がマンネリ化している。

私は精神疾患に陥った引きこもり青年宅の訪問も行っている。朝が来て夜になりまた朝が来る…この繰り返しの生活にどのようなめりはりをつけても、他者との交流に勝るものは無いと思っている。無理な治療としての不自然な会話は抑圧でしかないが、自然な交流から生まれる会話は価値があると思っている。しかし事は逆なのだろう。共有できる話題や企画話は、協同することが背後に動くから、響きあう会話、自然な会話になるのだろう。

若い人たちの場合は、脈々と心の地下水が湧いているが、高齢者の場合は、焚き火のように突然燃え上がって消えてしまう。この繰り返しが悲しい。

父には一昨日から、医師の紹介の形で、訪問看護の看護師さんがついた。糖尿病治療の主治医のもとへの通院が家族の負担になってきたことと、段差のある玄関の靴の取替え時の転倒が増え、危険が伴うからだった。医院の看護師の協力が得られないのだ。

この訪問看護の看護師さんは、祖母の介護のときからのお付き合いの大ベテラン。市の高齢者医療行政に深く関わってきたひとだ。ばっさりとした物言いが個性的。私には相談相手が出来て、再会は幸運だと思っている。母の知人の月1~2回の生活支援と、この看護師さんの適時医療支援が加わることで、私の無茶なスケジュールが解消されるのではないかと、期待している。

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Big Issue 基金から「路上脱出ガイド」発刊の情報が飛び込んだ。不況解雇と雇い止めの時代、路上にはみ出す方への早期対応をも想定しつつ、新たな行動が始まっている。了承を得ていないのでタイトルだけにとどめておくが、手がかり情報の提供は貴重。協力をしたいと思っている。今回は大阪版だという。

私の立場は、引きこもり青年の支援、生きることに不器用な青少年との生活就労支援にある。引きこもりの長期化や、家出などによって家族を失った方が、ネットカフェや、路上に押し出されている。その接点の部分を主に考えているから、正統な路上生活者支援や、反貧困の活動を支える活動ほどに完全燃焼してはいない。これは障がい者生活就労支援についても、包括的な支援が主になる。しかし、Tさんの茅ヶ崎(湘南)販売は、住所と連絡先を持つ理解者を(連帯保証人というのでもないらしい。限定的中間立替者でもある。)始動3ヶ月限定で、引き受けた。前任Eさんと話をしようと思う。先はそれからだ。ことが動いていけば、放置傘や放置自転車リサイクルへとつないでいける。この自転車あたりのところで、地域の仕事つくりが、路上の方を含む社会的企業として仕事を生むだろう。

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湘南スタイルが非常時の食糧として「おかゆ」を開発した。天災などの非常時には、水分の確保も課題となるので、「アルファ米」よりも「おかゆ」の方が向いているというのだ。市の行政との共同開発という。

適材適所の就労常識を超えて、包括的な地域就労の協業の絵を描きたい。行政と接点を作れるか。こういう事例を見るたびに歯がゆさを感じてしまう。

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寒川に出て図書館で**さんと会う。講演会の話。もろに空転。講師名、その人誰という具合。障碍の領域を超えると別世界?困ったことで…。

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19日(今日)19時から、茅ヶ崎市民活動サポートセンターにて、PJ月例会。


昨日の巡回。海老名、入谷さん(仮名)。

夜間傾聴:なし(静かだ…)


(校正1回目済み)

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父がショートステイから戻って/巡回指導は悟りの伝授ではない

2009-01-18 07:33:27 | 引きこもり
センター試験が始まった。私の担当する子には該当者なし。長期間担当した子の中に、たまに該当者が出る。父が帰宅した14時半、電話が鳴り、本校に出勤していると勘違いした同僚から上気した連絡が入る。出勤の日ではないと断ったとき、応答に出来るちょっとした間合い、「あ、そうか」と、後は体裁を繕って電話が切れて、妙に引き出されたままの、箪笥からはみ出した衣類のような気分に私は取り残された。すぐに再び携帯が鳴り、ホーム送迎車がまもなく着くとの連絡に、切り替えられぬちぎれた気持ちに慌てながら、応答をした。

デイサービスとショートステイでは、父の帰宅時刻が違う。父の宗教団体の信者さんが、父の階段昇降介助の応援に来てくれるが、また時間を間違えていた。父をひとりで上げなくてはならない。わずか数分の戦いであるが、落下状態になると、全体重がのしかかるので、無事にベッドに座らせるには、ひとりでは危険が伴う。さて、どうしようかと困りながら、父の帰りの車椅子を受け入れた。

父は体重を車椅子にのしかけた状態から立ち上がるまで、しばらくかかる。これは起立動作が困難だからというより、身体を起こすために「掴まる」ところを探している間があるからだ。職員さんが手を差し伸べ、腰に手をあてがっても、夢中になって「掴まるところ」を捜している。時にはその職員の手を払いのけて混乱してしまう。微妙なところだが、この混乱に認知症の症状が潜んでいる。

父を受け入れる私の背後に誰もいないことに職員さんが気付き、私に確認してくれた。この急場は、職員さんの機転の番外サポートのおかげで難を逃れることが出来た。このまま3時間、父を待機させることは出来ないから、父と心中覚悟で押し上げるつもりでいたのだ。

父の平地歩行介助をするとき、対面で介助者の片手を肩に置かせることで、前かがみ姿勢を矯正しながら、介助者は背面歩きするのだが、比較的安定した誘導の最中、通路が狭くなって壁や手すりにつかまれるようになると、突然父は周辺に掴まろうとして手を離し、崩れてしまう。

以前、茶の間では棚に乗った工芸品の紙箱につかまり、体重をかけて身を引き寄せようとして箱が音をたてて弾け跳び、父が転がってしまう不可解なことが繰り返された。掴まって身を引き寄せる動作に頼る。このときに、自己を鳥瞰する「メタ認知」という判断基準が消失している。結果、予測に基づく動きが消失し、溺れる者のように、状況と直接交戦してしまう。この孤独な戦いが、介助者には異様に見える。なぜ介助者が消えるのか、ここに認知症の闇が潜んでいる。

階段昇降では、玄関先のふすまに手を伸ばす。強引に引き寄せれば、ふすまは指の穴が開き、戸が外れて父がふすまごと転倒することは明らかだった。同様の戦いでトイレの板戸がゆがみドアノブが外れ落ちた。サイドテーブルが回転して吹き飛び、椅子を抱えたまま、父が転がってしまった。最悪なときは、ガスコンロ上のやかんや片手鍋を握ったことすらある。タイミングでは大やけどになってしまう。

食事のためにベッドから椅子に自分で移るとき、立ち上がりの腰を浮かせた状態の移動の最中に、目の前に飲み薬を乗せた容器が見えると、自らを支えていた手を離し、容器を掴み取ろうとして転倒する。つまり、起立という目的から、掴み取りへと目的が急転してしまう。この段取り混乱の心理状態こそ、認知症の症状。不安と混乱の中に投げ出された状態といえる。

直線的に連続した連携の手順指示を適時提供しながら、掛け声に気が付くゆとりを奪わないように意識して関わる。不安定な体位に移行すれば、たちまち事態は崩れるように移行する。心の見えない綱引きを介助者は行っている。ここを自覚しているか否かが熟達者と素人の違いだ。

父は無事ベッド上にたどり着いた。上着を脱がせて、横たわらせ布団をかける。時間が迫っている私は、即座にバスに間に合うように場を脱出したかった。しかし父が尿意を訴えて、いつも場に拘束されてしまう。介護に日程が立たないのは、切れ目の無い日常を支えているからだ。苛立ちが頭をもたげようとして、天井をみることで回避。

一本バスが遅れてしまうと20分待つことになる。それが乗継ぎなら1時間弱の違いに引き伸ばされることはしょっちゅうある。この差を埋めるために、事前にタクシーを使うことも頻繁にあるから、介護は未経験者には異様に映る。

父を再びベッドに戻し、階段を降りてバリケードを階段下に作る。母に経過を要約して伝え、上着を羽織って飛び出すまで5分。前のめりにバス停に着くと、バスが出た後かバスの到着が遅れているかわからない状況に晒される。こうして、約束の会場には終わり間際に着く。会の終わりの話と同時に次の会場へと部屋を飛び出すが、次の会場へはどうしても企画終了時になって、間に合わないのだった。玉突き式の困難。これを介護に責任を負わせることで済ませることができるだろうか。私は企画参加したいのであって、それを「無理」と自己説得して納得できようか。やはりこれはおかしい。事態の隙間を探る可能性を読む眼をつむることはない。今を覆い隠さないようにバランスをとりつつ、感情と切り離し段取りを再確認していく。

茅ヶ崎販売再開の件で、Big Issue 東京事務所から、連絡が入ったようだった。私の3ヶ月サポートの件で、調整が必要だったからだ。私からの応答の電話は空転。先方は留守だった。

やはり自分は感情を絶ったとはいえ、孤立感はじわりと忍び寄ってくる。閉館間際の図書館でムハマド・ユヌスの「貧困のない世界を創る」を更新。薬局で介護用品を補充して家に戻り、荷物を置いて海老名に出ると、19時を回っていた。夜間の巡回。PCを取り出して、若者の家庭の応接室のコンセントに電源コードを差し込むまで、私は車中で読んだ同書の、グラミン銀行の成功の背後に、自立のニーズがどう働いていくのかということが頭を占領していた。

まさか親御さんへの挨拶に、脳裏のマイクロクレジットの可能性を問うわけにはいかない。もつれた挨拶に、父の混乱がよみがえる。我ながら不器用だなと思う。PCで資料を見せて、当人との対話に移って1時間半、私は帰りの終バスに乗り遅れていた。晴でよかったと思いつつ、知らぬ夜道を携帯片手に歩いて帰る。これが巡回。

帰宅して家事を済ませてシャワーを浴びようとして浴室を見て絶句。廊下から浴室まで、父の洗濯物に占領されていた。入浴を諦めて、父の身辺介助を忘れていたので父の就寝状態作りを済ませて、遅い手抜きの夕食を抱えて自室の作業台に座ると0時をすぎていた。1時から夜間傾聴待機である。

再び3時過ぎに父の異常行動が始まった。私の留守のとき、父の宗教団体の信者さんたちと父が、ベッドサイドで歓談していたと母が怒っていた。あれでは私たちが父を軟禁しているとしか見えないではないかというのだった。

初めて訪問した人にはそう映るだろう。しかし、父が「これから出勤」と話したり、昨日のように話す宗教の門付け巡回の話が、実は10年前の話だったりすることに、敏感なひとは気が付くだろう。

客は「『頑張って』『早く』『直って』ください」と父を励まし、母に「『大丈夫』『良くなりますよ』」と言い残したという。

「**子!(母)茶碗を下げなさい」と、客のいる玄関先に聞こえるように父は二階から母に怒鳴ったという。「(静養中の)私の身体は、どうなったの」と言い返してやったと怒る。「虚しいのだが、父も客も意味が通じてはいまい」と、男の愚かさをかみ締めながら、私は母に応答した。父という馬鹿者である。

夜間、父はベッドを軋ませ、眠ったままベッド上に立ち上がろうとした。大声をあげるから、起こさざるを得ない。この戦いが終わった4時。やっと静寂が訪れる。あと百万回これを繰り返せば場を抜けられると自らにいいつつ、待機。百万回の苦しみにいる彼と闇を挟んで話し合う。

夜間傾聴:******君(仮名)
     ##君(仮名)
     町田さん(仮名・来月転居)

p.s. 就労支援PJの日程を忘れていた。確認電話をしないと…。20日が講師との調整である。

(校正2回目済み)

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母の大学病院通院に連れ添い/Big Issue 茅ヶ崎販売は再開に一歩踏み出した

2009-01-17 06:44:59 | 引きこもり
母の付き添いで、胃ガン摘出手術の予後検査を受けに大学病院まで行ってきた。外来問診の前に採血・レントゲン撮影。順調のため、内視鏡検査は、なし。予定に反し、あっさり午前中に終わってしまった。

母にとっては、術後、初めての交通機関を使った外出だった。執刀医の問診中の話から、地元主治医への治療のバトンタッチは、予定通り4月からとなった。術後初めて外食に挑戦し、自然食系の店で煮込みうどんを食べてきた。指定し柔らかくしてもらい半量を食べた。これから少しづつ身体を動かしていく。昔の開胸手術の予後とは格段の差、さらに浅い胃ガンの場合、内視鏡手術という食道を経た内視鏡操作で手術を済ませる術式の場合、1週間もすると今の母の状態に回復できる。母の場合は、胃の近辺に穴を開けて手術した。厄介な手術ではないとのこと。だから、病後歩き始めの宙に浮くような感覚は残るものの、母の表情は明るかった。

今日は、午後2時台に父が2泊3日のショートステイを終えて帰ってくる。階段介助を済ませたら駅に出る。集まりがいくつも重なっている。いずれも遅刻。中途半端になる。

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昨日は Big Issue 茅ヶ崎販売再開を準備していた販売員のTさんの要請で、話し合った。東京事務所と再開条件が整ったので協力して欲しいという。私は社会的弱者とくに若年者のリターンマッチや初仕事の、いわゆる自立就労支援を目的にする者だから、以前の支持団体の方たちと対抗する関係ではないことがはっきりしなければ、Tさんの身元保証の協力はできないと釘をさした。

私は放置傘の販売とか、単発日雇い就労探り出し支援(斡旋は不可)を通して、自転車リサイクル・公共自転車システムによる街づくりのような大きい企画の中に新たな仕事を生み出していくような社会的企業への就労を生み出していく道を実現したいと思っている。そこに関連付けられたステップの課題を踏みたいと考えている。つまり、この Big Issue の販売再開は、より大きな企画のために、皆が結集できる形を整えて行きたいと考えている。その一環なのだ。

このことをTさんに伝え、Tさんは自活収入を得ると同時に、路上脱出に賛同する当事者を考えた戦略を意識しているか確認した。その結果、とりあえず、彼個人の出発に協力するということで、彼の連絡先を3ヶ月間、私の住所「気付」としてかまわないとした。また、彼の活動の公益性を明確にするために、路上生活者の連絡会をつくることを勧めた。ただこの連絡会は、あくまでも当事者のものであり、会の住所まで踏み込んで貸す事はできないとした。

ともあれ、Big Issue は、一歩踏み出すことになった。これから支援者の方をTさんが回る。私は援護射撃と大きな流れつくりを始めていく。

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「非営利放送とは何か」を入手した。昔、私はBNS3FMという微弱FM波の放送を塾や周辺の少年たちと作っていた。そのインターネット版を、今度は「わーく」編集部として青年中心につくろうとしている。この書に描かれた地元放送のミニュチュア版、特定視聴者向けの放送を私は作ろうとしている。大きな違いはメディアにあるのではなくて、不特定多数に発信する放送ではなく、ハンデキャップを持った方の交流促進を目指していることだ。

機材丸ごと10万円もあればまともな放送になる。PCがあれば機材は数千円から始めることができる。このことに触れた話も出てくるので、全く意味不明のオタク爺のたわごととされてきたことに、陰の援軍ができたような気がする。「いままでにないことは、これからもないこと」という壁を破りたい。SNSの退潮の中、そのSNSの5分間放送となる。極論すれば、留守電機能使えば、放送を作ることが可能。技術の問題ではなく、コンテンツの問題なのだ。

そういえば、14年前、阪神淡路大震災のとき、連絡メディアとして「FMわいわい」の人たちなどが活躍した。その震災で亡くなった人たちを悼む「鎮魂の祈り」が16日に行われたとニュースで聞いた。時は矢のようにすぎていく。

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「精神障害者の相互支援システムの展開―あたたかいまちづくり・心の樹「JHC板橋」」を注文した。ピア・カウンセリングと就労支援が試みられている会の実践レポート。

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3月に年度末の就労支援PJの講演会を企画している。20日に講師候補とアポを取ることができた。地域横断の就労システムを実践者の眼で論じてもらうつもり。

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さて困ったな。傾聴のメール、応答が途絶えている。寝たかな…と。
今回は閉じよう。

夜間傾聴:******君(仮名)
     旗の台君(仮名)


(校正1回目済み)

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