湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/27 生業が立て込んできました、今回休みます

2014-02-28 06:28:22 | 地震津波災害ボランティア

すみません。

 

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2/26 障がい者の共同作業所巡回の中で 他

2014-02-27 05:40:37 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/26 記
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「3/10という設定は、翌日の3/11を意識して設定したの」と、巡回中、立ち寄った高齢者包括支援センターのケアマネさんに尋ねられた。そうなのだ、実はこれが不安の種になっている。県レベルで見れば、この日には関連企画が乱立するに決まっているのだ。日本障害フォーラム(JDF)から昨年3月に公開されたアンケート集約等の資料集をいただいた。あとは確実に懇談可能な参加者を増やして行くことだ。

相模大野校に出かける前に、今日も何ヶ所かの障がい者の作業所をまわった。中海岸から西の海側の地域と茅ヶ崎駅前周辺だ。そこの責任者に会えたのは1箇所だけだった。他は職員の方か親御さん。

相手はびっくりして、なにかの詐欺師が来たように、「必要が無いから」を繰り返した。「ちょっと待って、これを見てください」と通信No.005を渡し、やっと少し話せる状態になった。

とにかく、私が既に知っているところを除く新規の場所は、住所だけでは見つからない。通行人の方は、本当に障がい者の作業所を知らない。全く異次元の話なのだ。通りかかったバイクの郵便配達人さんや、宅配便の配達スタッフの方を捕まえて、やっと道がわかるという、しんどさを味わって到着したところばかりだからだ。とにかく高圧線の近辺が多い。携帯地図アプリのGPSが、強い磁場で誤作動を起こして使い物にならないところが多いのだ。ここで迷う。

食い下がれば遮断されてしまう。きっと営業マンの日々味わっている気分だろう。なんとか話せる状態に持ち込んでも、「責任者に渡しておきます」という定型の応答は、本当に渡すだけで、渡された責任者は文字数の多さをみて、読まずにゴミ箱へという状態が落ちなのだ。少しでも今、出会っている方が、責任者へのメッセンジャーになってくれなくは困るのだ。

陸前高田の青松館(大洋会)や、山元町の共同作業所の話からはじめ、家が流されても避難所に行けないひとたちの孤立、施設職員の被災などによる集まる場所の喪失の話などを使って問いかけ、今度の集まりは「安全避難」話ではなく、避難してから始まる「家族生活の激変」と「避難生活」をどうしようかという話で、岩手の被災地から様子を教えてくれる方に来てもらったと話した。話し合いたいから、参加しませんかと説明した。

「災害ボランティア」というと、「町内会の避難計画と訓練をしたから、もういいよ」と拒絶される。「安全避難」の話ではないというと、意識は霧の中に跳び込んでしまう。全く大地震が起こりうるという意識が無い。ハードルは高いと感じる。

今回は「光の風」もお邪魔したが、事務所自身が無い。古いアパートが建て替えられて、行方不明。

相模大野校に着く頃には、強烈な眠気に襲われ、夢うつつの中で、机上巡視をしていた。無呼吸症候群なみの眠気で、夜間傾聴の副作用みたいなものだ。無事演習が終わってセーフ。

母には「酸辣湯おじや」と、「塩焼き鳥串」を途中まで作っておいて、あわせて加熱すれば食事が出来るようにしておいた。帰ってみたら、クリームパンをつまんだら、腹が入らなくなったと、材料手付かずの状態。手変え品を変えて、母を説得。半分量を食べさせた。糖尿病の私が食べたいのをがまんしているのに、栄養摂取しなくてはならない母が、食事を摂らないという厄介な話。今日は一日中、説得していた気分。伸びをして夜間傾聴開始。


夜間傾聴>ひとり


(校正1回目済み)

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2/25 日本障害フォーラム(JDA)から3/10小山氏講演の資料をいただきつつ 他

2014-02-26 04:47:37 | 地震津波災害ボランティア

日本障害フォーラム(JDF)から、3/10の小山貴氏との懇談企画時に配布する資料を15冊いただいた。女性の担当の方だったが、お名前を伺うことを失念していた。改めて感謝です。もう一方のプライマリー・ケア連合学会の件は、担当の方がご不在のため訪問中止。時間にゆとりができたので、茅ヶ崎に戻り、高砂コミュニティセンターに懇話会の通信No.005を配布。幸町バス停から東原に移動し「わの会」を訪問。

時間がぎりぎりだったが、橋本の途中なので、香川駅で下車。周辺をまわった。現実は担当の方と会えたのが2ヶ所。他の3箇所は担当者の方と会ってもらえなかった。もう3年がたつ。最後のひとりは、すでに帰宅されていた。

今回は翔の会の「こげら」と「つぐみ」。本部の判断によるとの応答。身体障がい者のグループホーム。企画前日まで巡回は続ける。

今回のように、「高砂コミュニティセンター」と「わの会」を除いて、香川周辺は短時間に6箇所をまわることができたが、これは事業所が集中しているところだからだ。しかし前回の通信を読んだという方はひとりだけ。橋本も滑り込みで間に合ったし、効率はいいが、即答がない。ここから先は待つ以外ない。

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入試の最中に企画の巡回とは呆れた話だが、それを言うなら**君、合同面接会で就職が出来たが、うまくやっているだろうか。不合理な場面にどうか切れないでと、思う以外ないのだが。

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私の留守の間に、三陸町吉浜の%%さんから電話が入っていた。中古自転車を預けてあったのだが、錆びてしまうので家のほうで使ってもいいかという問い合わせだった。なんとも真っ直ぐな方だと思いつつ、中古自転車にかこつけて、最近の大船渡周辺の様子を聞いてきた。三陸鉄道の南北リアス線の開通話一色で、やはり現地に行かないと、必要な情報に出会えない焦りのような感覚が疼いているのがわかった。吉浜の方にとっては重要な交通の足だから、仕方が無いことではあるのだが。

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来年度の懇話会企画案を作っている。

●日本プライマリー・ケア学会PCAT>チーム訪問医療について

○被災した障がい者福祉避難所運営経験者から>運用上の諸問題

○被災した高齢者福祉施設職員の方から>介護度が高い方の命の確保について

○阪神淡路大震災の心のケア関係者から>市民ボランティアとの連携は可能か

(●は、ほぼ確定/○は、関連団体選びと調整中・年3or4回)

要するに、防災にとっては、要援護者支援の網をどう準備して行くかという論議の、隙間のイメージを出前してもらう場にする。現場主義。これを徹して行く。早く計画を固めたいのだが。

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鎌倉映画祭、「ALL鎌倉映画祭」の話を今頃になって聞いた。いずれも癖の強い作品ばかりだ。解説を踏まえないと一般公開では通じない部分が大きい。ここから被災者支援の活動や、防災の議論が作れただろうか。上映会はそれを放映すること自身が目的化して、活動をしたかのように勘違いしやすい。今、ここのテンションの中にありたい。

まあ、うるさいことは言わずにと言われた上ならば、「先祖になる」が、必要に心理描写の濃い作品だ。被災した我が家に残るか、仮設入居を選択するか、家族の中ですら割れてしまい、別居しているシーンがいかにも「ひと」くさい。ゆとりがあれば、再度観たい作品ではある。

夜間傾聴>ふたり


(校正1回目済み)

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2/24 平障連の上映会事前テスト終了/他

2014-02-25 06:06:53 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/24 記
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平障連の上映会の手伝いをしてきた。平塚から西、二宮まではは西湘の医療圏になって、諸社会活動のつながりが異なっているため、あまり知人がいなかったのだが、特に視覚障がい・聴覚障がいの方たちとの、災害ボランティアからの接点が生まれてきたら嬉しいと思っている。災害勃発時(急性期)である外出時被災や在宅からの避難の件などで、特に成人の方の安全避難が、リアルな課題であることは、在宅重度身体障がいの方と同様だからだ。この辺のことは、発達障がい・知的障がい・精神障がいの方たちと、危機感の持ち様が違っている。

今回は会場のハード面の事前チェックだった。また手話通訳の方が入るべきか、上映後の意見交換時、発言の筆訳表示のハードの準備がいるか等のチェックだった。小規模上映なので、どこまで準備するか、その程度のチェックでもあった。

基本は私が仕切らないこと。安全避難に終始しがちな論議を、被災後の、地域ボランティア・家族のサポートが絶たれたり、交流経験のない健常者から支援を引き出さねばならなくなる、そういう意味での「孤立化」の諸相を浮かび上がらせるべきとのみ指摘をしておこうと思っている。また、可能であれば、高齢者の避災との連携の接面を意識していただきたいと願うつもり。

幸いハード面では、アプリ操作の障害が事前チェックできたので、対策が打てたことと、音響面の下準備の時間がいることがわかった。当日の泥縄準備では、騒ぎになっていることだった。いずれにせよ会は非営利。

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明日、日本障害フォーラム(JDF)にお邪魔する。帰りにプライマリー・ケア連合学会PCAに立ち寄る。JDFの小山貴氏にも尋ねようとしているのだが、地域環境差が前提になるが、チーム訪問診療の見通しと論点が見えてくるような懇談を作りたい。PCAには、その辺の打診。アポなしばかりなので、どこまでうけとめてくれるか心配である。帰りは橋本でお仕事(笑)、京王相模原線かな。

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母の歯の調子がわるく、肉を硬いと言い出した。ステーキなら食べるというので出すと、厚すぎるという。生パイナップルやキウイの酵素を利用しようと試しているが、パイナップルやキウイは嫌いだと言い出し、試した肉片は私が食べてみることになり、糖尿病悪化につながりかねないので、実験台(犠牲者)を求めている。母の地元医から豚肉を食べなさいと指示があり、ヨーグルトを試している。ひとり1食の食事。私は弁当屋の焼き魚っでいい。食塩取りすぎかなと思うのだが。

明日は母に、浜見平の友人(親)が訪ねてくれる。夜に外食を頼んでおいた。

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障害者施設・作業所被災関連職員の語りチェック開始。

夜間傾聴>塾長(フィリピン被災応援要請<堪忍してくださいと応答。手の広げすぎになる。)
     ひとり(摂食障害の娘の相談<相模原の相談窓口紹介)

(校正1回目済み)

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2/23 やっと閉会式にほっとして/仮設は仮住まいではあるけれど 他

2014-02-24 06:26:07 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/23 記
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JR相模原の塾を覗いた。豚汁ならぬ鶏汁鍋の匂いがまだ立ち込めていて、昨日フィリピンの被災者支援の会合に、塾生の彼も借り出されたらしい。「豚」や「牛」の肉は、禁忌の危険を避けるから使わないのだ。成人している私の塾生は、朝の4時半ごろ、帰ったという。起きないだろう。30分まで遅刻待ちして空振り、電話で叱る。地元でないことのろう

そうなれば教材屋の仕事の仕事を行った方が得だ。急ぎ茅ヶ崎駅にもどり、食材補給して帰宅。

PCに置き薬屋の友人からメールあり。活動助成は無理だが、新年度の人事異動があるので、それを待てとの内容。墓地の下調べの日程調整メール。相模大野校の事務長退職の送り出しコンパ。会費を払うが欠席する。引きこもり青少年への支援をやめる方向の経営陣では、事務長の意思が頓挫することになる。別に個人的に送り出すつもり。

今日は深夜に閉会式がある。また邪魔されるため、生業の方は先に済ませておいた。夜間傾聴の心配なひとりには、先に様子を聞いておき、開始をam3:00~にずらした。なんと言うことは無い、閉会式を観るのだとの応答。

NHKの震災番組のなかで、災害公営住宅建設の遅れの様あり。今日の河北新報にも、業者入札に業者が現れない現状が語られている。>「災害公営住宅の入札不調問題 釜石市、小白浜も設計変更へ」
これは読売新聞宮城版にも>「生活保護625世帯増」
被災者の心身に疲れが出てきている。河北新報には>「飯舘の春いまだ遠く(4)震災の疲れ/心労重なり肉体癒えず」>支援の絆、切ってはならない。
NHKの震災番組の中で、80代の女性のつぶやきが、耳に残る。「復興住宅は入れるのは3・4年後だと。生きているかどうかさえわかんね。」と。

東北だけではない、この道は首都直下・南海トラフ地震の湘南もまた通る道だからだ。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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2/22 生活保護単身者の老後/懇話会紹介が印刷物に 他

2014-02-23 06:31:56 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/22 記
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年配の知り合いで軽度半身不随で単身者の彼は、生活保護をうけている**さんが、転居の挨拶にやってきた。足がもつれ始めたので、平塚の食事ケア付き共同住宅に転居することになったという。ただ脳梗塞が進んできたら、今の医者にもかかれないので、ましてや他地域に出るのは不安なのだという。市内には、部屋の空きがない。

医療費はその都度、行政に申告してから治療を受けるのだが、医者はどこがいいかわからないしという。生活保護基準が厳しくなる中、身体条件から、脚きりならぬ頭切りをされないかを心配していた。グループホームならぬ、弁当配達付きアパート程度のところらしい。

まず介護度を取ること、医療費については済世会平塚病院の医療カウンセラーにも相談してみることを勧めた。ケアマネさんか、ポルト湘南の職員さんとつながっておくことを勧めた。

やはりこんきかはなにも持っていなかった。転居先は行政が空きを見つけたところだという。

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庭の雪が融けない。草が枯れてしまうとせっつかれて、雪かきをした。ただ、右目の視野を壊したのもこの作業だったので、急がず時間をかけて作業した。

3分の1程度の雪を処理したが、まだ根雪になりかけの部分が半分も残っている。夕方からJR相模原だったが、相手が教室で鍋ものを作っていると電話が入り、勉強の雰囲気ではないことを知った。それで日送り。

その時間で、こんど懇話会の活動概要が印刷物になるので、校正を行ってメール返信。夕食作りにもつれこんだ。硬い焼きソバなのだが、油分が多い。糖尿病では半分残すことで対応。

オリンピック・フィギュア・スケート・エキシビションを観ると、母が人形のオタヤンみたいに座布団から動かない。隣にいると、読書すら頭にはいらない。

どうせ頭に入らないならと「自閉症の倫理学」を開く。時間が欲しい。

今回は私事ばかりですみません。


夜間傾聴>中止

(校正2回目済み)

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2/21 女子フィギュア観戦恐るべし/3/10再巡回開始・新米受付者の壁

2014-02-22 05:55:33 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/21 記
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昨日はフィギュア女子の生放送を観るのだと、母が作業場所の隣に陣取った。TVがあるからなのだが、こんなに作業がやりにくかったことはない。傾聴は中止。相手は敏感。他者の気配を感じただけで、電話を切ってしまうだろう。

アクセス数も60%ほどに縮んだ。相模大野校から休みを取った職員がいる。ソチ観戦だろうと噂がたっている。受験期だから理事長に聞かれたら騒ぎになる。

今日から、3/10のJDF小山さんの懇談の誘いに2回目のところを回り直した。毎回のことだが、参加するもしないも、応答をしてくれない。参加はするのだが申込みや応答が無い。背筋が寒くなることがしきり。

市社協に別の用事を兼ねて行って来た。要援護者支援の課題は、全国社協も冊子をだして取り組んでいる。参加よろしくと通信No.005を手渡してきた。通信を取り出した瞬間から、腰が引けているのがわかる。困った話だが、他の領域の企画申請のときも、当日出席されたことがない。参加は市や国の主催の福祉系の企画と自前の企画のときだけだ。

偶然、市の秘書課の++さんと道端で出会った。個人医療情報QRカードのことは知っているとのこと。通信を渡すと、びっくりされていた。ということは、前の通信No.003/004 は、市長受付で遮断されている。影が見えてしまった。関心はもってもらえたようだ。今後指名してくださいとのこと。感謝!

どこをまわっても、担当者が留守のとき、事情を知らない方が応答し、チラシ等を「預かる」という。ところが担当者に誤解されるような話に化けて伝わってしまうので、かならず概要を説明するが、とにかく渡しておきますからに化けてしまう。また来ますとやるのがベスト。

関連5課をまわり、担当者に会えたのが2課。あとの3課は留守。

高齢者支援関係の方に、障がい者支援企画をぶつけても応答はまずないが、聴覚障害・視覚障害・下肢障害・発達障害・知的の団体代表の方を含む、この間の参加者宛メールをだした。

ある精神障害の方の作業所にお邪魔すると、いつもの年配の女性がチラシを受け取り、もう来ないで下さいといわれた。ちょっとこれはそのままで引けないので、事情を聴くと「不審な人物を室内に入れないように」と責任者に注意されたという。チラシをみてください、障害者が被災し易いことに対策が必要だから、みんなで話しましょうという話だし、私はいつも門外、室内に入ったことはないでしょうと弁明。

がっかりするような話だが、いままでのチラシはすべて内容を見ずに彼女の判断で捨てられていた。どうやら怪しい者ではないらしいとわかったので、チラシは責任者に届けると言ってくれたが、説明を始めると「わからないから」と拒絶された。

住所がわかっているので、訪問せずに、説明を添えてペーパーメディアで投函することにした。以前お邪魔したときに、作業中の電話は、一番迷惑とのお話があったので、手紙が一番と判断したのだ。

今回は初めての身体障害系作業所にお邪魔。ここは話を聞いてくれたが、会議にかけるといってくれたが、参加するもしないも応答は無い。

今日は、これで時間切れ。明日は個人宅が事務所になっているところを回る。あとは民生委員さん、個人ごとに当たる予定。生業なのに橋本往復がひどく邪魔に感じる。今は新規塾生募集の関連話で、引きこもり青年の声を聞いているわけではないからだ。

不可解なことは、もう一件ある。JDF(日本障害フォーラム)に電話を入れて、昨年3月に出したアンケートを基にした「報告書」の残りは無いか問い合わせたところ、そのような冊子は出していないというのだ。現に私は事務所でその報告書をもらい、そのことを告げたが、なにかの間違いだと否定されてしまった。また、担当者の壁である。現物をもっておじゃますることにした。どこで行き違っているのか全然わからないのだ。予備があれば、3/10のとき、参加者の中の希望者に配布するつもりなのだ。

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<参考資料>

●「飯舘の春いまだ遠く 福島・松川第1仮設から(2)守る者の重責/弱る入居者、懸命の世話」2/21河北新報

●ハスキーズギャラリー、大雪の帰宅困難者43名を保護。---- 加藤さんご苦労さまです。震災のときもよろしく。(タウンニュースより)


夜間傾聴>申込みなし

(校正1回目済み)

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2/20 とりあえず書き込みます

2014-02-21 06:23:28 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/20 記
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相模大野校からの帰り、茅ヶ崎の辻堂寄りの2ヶ所の事業所に立ち寄り、3/10の小山氏懇話会の件を説明。検討してくださることに。

相模大野校から雑事、押し付けられ始末中。
隣に母、女子フィギュアスケート中継、TVから離れず、悩み。

書き込む状態ではないので、話は次回回しに、すみません。

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2/19 特別支援校まわりをすませ/雪だるまは絶滅危惧種か

2014-02-20 05:19:33 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/19 記
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右目の視野は依然ぼやけたままだ。アズレンの代わりだから大した効き目ではないだろうと、昨日受け取った抗ヒスタミン系消炎点眼薬を両眼にさしているが、あまり効いている感じはしない。ただ瞼のかゆみが治まっている。調べてみると結膜炎の薬らしい。医師が的をはずしているのではないかという不安が付きまとう。

白浜養護・平塚聾学校・平塚盲学校・某喫茶を巡回し、懇話会の通信No.005を配布し、説明。18時半に南橋本の巡回指導が久しぶりに入っていたので、時間的なゆとりは取れなかったが、話の中で、聾・盲両学校とも、やっと活動が認知された。聾学校では、以前見学させてもらった伊勢原のスワンベーカリーの++さんと偶然出会い、その後の様子を伺うことができた。「目をどうかされたのですか」と突然問われて、どきりとする場面も。おそらくは視線が変なのだろう。左目を追いかけて、右目は見えているふりをしているだけだからだ。

聴覚障がい者の場合は、外出時被災がこわい。健常者と間違われる被害が出るからだ。音声で情報の多くが伝えられるために、状況が理解できないという困難がある。視覚障がい者の場合は急変する場に対応できないとか、身が集団の危険に晒されるという危機感がある。そのために、被災対策はリアルな課題だ。だからじっくりと話せば、懇話会の価値は伝わる。今回は、どこかの馬の骨から、魚の小骨に出世したとでもいうべきか。

ここからは、既に巡回している団体とのじっくりと話し合うこと。難しいことだ。しかし要援護者支援の重要性は変わらない。誰が継承してもいい。この懇話会という公共空間を根付かせていくべきなのだと思う。

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<雑>
不思議なことに気が付いた。この2週間、記録的な雪に見舞われ、まだ道端には雪の山が残っている。しかし、雪の降った翌日もそうだが、

「雪だるま」が全く見当たらないのだ。

子どもが「雪だるま」を面白いと思わなくなっているのか、親に止められているからなのだろうか。「雪合戦」も派手さがない。これは「集団外遊び」が衰退しているからだ。

「雪合戦」は戦う相手が必要だし、「雪だるま」は製作過程で他者との協働がいる。TVゲームのように、お膳立てられた場に乗っかる結果、他者と出会うというのと違い、「活動を自分たちで仕切る」必要性がある。ここが一番敬遠されること、責任を担いたくない風潮がこんなところに潜んでいた。

明日はサポセンに寄る。

 


夜間傾聴:ふたり(親子)


(校正1回目済み)

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2/18 視野変調でかかりつけ大学病院へ/地元開業医と拠点病院のネットワーキング 他

2014-02-19 04:07:39 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/18 記
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眼の調子が悪化したので、慈恵医大眼科へ。電話で事情を伝えると、外来最終組に入れてくれた。やはり私の担当医ではなく、研修医。検査をしたが、出血の跡もなく様子見。2週間後の予約。アレルギーを思ったか、抗ヒスタミン剤消炎点眼薬が出た。アズレン効かないよねと言ったのが気になった模様。長期使用の必要なしとのこと、つなぎの薬。今も憂鬱右目の状態は改善なし。憂鬱。眼圧高めだが、それは既に使っている眼圧降下剤でいいとのこと。

今回の様に、地元医にいくのに二の足を踏んだが、地元医と大学附属病院との分担治療というが、実際はうまく機能しない。学校教育の教員と同様に、一国一城の主意識が根底にあって、地元医がただ追従するだけになるか、大学附属病院が検査だけになるかの往復になって、私のように網膜色素変性症のような決定的な治療法が確立されていない難病の場合、同じ薬が長期間処方されるので、視野検査ぐらいしか大学附属病院の価値がない。私の場合は、医療情報や再生医療等の情報入手や、治験の実施の可能性が若干高まるなら通うと伝えて、了解を得ている。すると地元医は、調子の悪いときの「つなぎ」になって検査もないので、さっさと厄介者を始末する感じになってしまう。ましてや他の医大出身の開業医の時は、断る場合も。この急な変調は大学附属病院では対応が苦手で、研修医にたらいまわしされる。つまり治療の谷間ができてしまうのだ。

幸い左目は変化が無いのだが、昨日の両眼の視野が一時的だが真っ赤になる症状が出た以上、変化なしとは断言できない。

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横浜で途中下車して、県立図書館の書籍更新を生涯学習センターで済ませたが、アベノミクス効果か、生涯学習センターが廃止になるとのこと。県サポの事務局が代行(?)もともと県立図書館廃止の噂もあって、福祉・文化後退ひしひしと。

ビッグイシューを購入。茅ヶ崎の常連さんの分。

相模大野校から何回もお叱りの電話あり。契約更新は済んでいるが、ポンコツ窓際定年、圧力強まるか。

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プライマリ・ケア連合学会の医療関係者を懇話会のゲストに依頼する件で考えた。過疎高齢化被災地の在宅診療の話が出るが、湘南は周辺都市型在宅診療が出てくる。高齢化社会到来時の拠点病院のベッド数が圧倒的に不足することが背景にあり、東北太平洋沿岸部の状態と様相が違う。それにしても、拠点病院と開業医との関係はうまく機能するのだろうか。私の眼の異常に治療の谷間ができたように、昔流に言えば「往診」が「通院」「入院」のより多くの役割を分担できるのだろうか、心配だ。

懇話会では「被災時」という、矛盾が頂点に達する環境下の想定論議となるので、この辺は次回の小山氏の障がい者訪問支援の現場の眼では、医療連携の形はどうなるのかも質問してみたいと思っている。

私は思い付きをメモし、それを見ながらブログを書くのだが、トリアージ緑タグ、その部分で医療・介護無資格ボランティアがなせる仕事はなんだろうかという部分が、続きが依然空白のままだ。元看護師・保健師・介護ヘルパー等の有資格者ボランティアを頼んでも、災害時という同時多数の負傷患者への対応が求められるとき、NGOや自衛隊などのサポートが入るのが早くて翌日、大概は数日後からだが、それでさえ人員不足だから、治療後のケアの部分で急性期協力のデザインができないかと考えているのだ。

また避難後のケアの部分、看護・介護の専門職の指導下で動ける部分は何か、これは別にデザインする必要がある。

また拠点避難所と在宅避難者との支援の隙間も考えたい。発達障がいの方を持つご家族が、福祉避難所すら適合が難しく、自家用車内避難生活をされていた例を聞いている。ここには情報格差も生まれ苦労された。ここにも社会活動が成り立つように思うのだ。

私は社会活動の中に、災害時・日常のそれぞれのケア関連活動を専門職の活動との分業の形でネットワーキングできないか考え続けている。しかしこれは、傷病者を抱えるご家族以外、日常時の協力を組織することが難しいことは、身にしみていよう。ただ現在のように、広域大規模震災津波災害発生の確率が高まっている現在、この防災ケアが水準を押し上げる機会となるだろう。民間サイドにしてみれば「懇話会」は、現場の生情報提供と医療福祉災害ネットワークの種まき活動であるか、民間活動にとって、連携の相手との提携の契機でもあるのだ。

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今夜は夜間傾聴は中止。明日は藤沢の白浜養護、平塚の盲学校・ろう学校を訪ねる。夜は南橋本。サポチガ全体会は、時間の関係で、欠席。

夜間傾聴>中止

(校正3回目済み)


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2/17 雪道掘りつつ茅ヶ崎養護へ 他

2014-02-18 05:56:02 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/17 記
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我が家の玄関から門前まで、家の軒づたいの雪道を切ってある。しかしこれは、荷物を持って通ると家の壁をこすってしまうので、改めて直線コースの道を掘る必要があった。水曜日から、また雪の予報があったので、不精を決め込んでいたら、来客が玄関前でこけた。壁と接しそうだったからだった。母の友人だったこともあって、茅ヶ崎養護に出かけようとした私は、玄関で逮捕された。行く前に、道を掘れという母のご託宣だった。

約12m、40cmを越す雪を15分以内にかき分ける話となって、取り組んだがざらめ状の雪の底は解けて板状の氷になっていた。スコップは雪が貼り付いて離れず、振り離すため疲れるので、合成樹脂製の塵取りで掘ったのだが、さすがに15分は無理だった。しかし、掘り終えたとき、異変が起きた。視野が真っ赤なのだ。焦った。しかしそれは1分以内に治まったが、右目に異変が残った。わずかな残ったクリアな部分の視野が完全に霧の中に入ってしまったのだ。バターを塗ったガラス越しに世界を見ているような右目の視野の、わずかな隙間が消えた。眼圧のせいだろう。網膜の出血だろうか。

地元の眼科は、もう1年は行っていない。慈恵医大は予約していないと研修生の診察になってしまうし、今日は時間的に間に合わなかった。予想していない事態にさすがに滅入ったが、明日東京に行くことにした。しかし、血圧があがることが眼に悪影響なことがわかった以上、今後注意しなくてはと思う。作業終了時、真っ赤な視野は結局、生き残っている左目もまた一時異変を起こしたため、両眼とも眼底検査をしてもらおうと思う。

すっきりしない気持ちを抱いたまま、茅ヶ崎駅から茅ヶ崎養護に近い西久保に向かったのだが、予定時間20分遅れでもバスが来ない。そこに小谷行が来たので、番場から向かうことにして、バスに乗り込んだ。ところが番場から異常が続いた。橋を越えるまで歩道が雪で歩けないのだ。土手を降りて学校の裏手に行く道が雪で途絶えていた。目の下の道路に出るには、雪に埋もれて滑り降りる以外なく、見られた話ではないが、バッグ内のファイルシートを尻に当てて、何十年ぶりかの雪ぞりをやって滑り降りた。雪まみれ。そこから先もところどころひざ下までの雪に埋もれることになった。コミュニティバスは運転中止になっており、東部病院側からしか道が開けていないことがわかった。今日ならば道が落ち着いているだろうという発想自体が甘かった。

16時半をまわろうとしていたが、**教頭先生に面会を申し込んだ。20分強待って、やっと話を聞いてもらえることになった。**先生は初回の懇話会参加のとき、何人規模の会になるかという質問に私が言いよどんだ件以降、不信感をもたれており、今回も何も応答がないまま、私は通信を御願いし、どなたか防災担当の先生の出席をと御願いして、祈るような気持ちで学校の門を出た。

帰りにリハビリテーション専門学校に立ち寄り、受付の方に御願いして通信を置いてきた。17時を過ぎているので、受付の方が対応したという経過。なんでうちに来たのだろうと、意表を突かれたような表情のままだった。毎回通信は届けている。担当の方の手元に届けばよしとした。丁度やってきた東部病院の送迎バスの運転手さんに乗せてくれないかと交渉、路線バスがだめみたいだし、専門学校の用だからいいんじゃないかと言ってくれたので、バスに乗ることが出来た。確かにバスが幹線道路に出るまでが10数分かかり、バイパス閉鎖の影響と説明を受けた。

駅前で買い物を済ませ、家に戻ったのは19時を過ぎていた。掘った雪道は凍っていたが私は汗をかいていた。こうしてPCに向かい入力しているが、右目の視野は戻らない。眼圧を下げる点眼薬をつけているが、即効性のあるものではないから、効果はないだろう。

いつも茅ヶ崎養護に行くには、往復3時間半近くかかってしまう。つつじ学園にも行かなくてはならないのだが、今夜は気持ちが萎えている。

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明日は相模大野校の日だが、慈恵医大の受診が先。不良社員よろしく欠席。帰りに横浜でビッグイシューを買い込んでくる。

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父の墓地候補に出していたメールの応答でカタログが送られてきていた。母はカタログをひろげ、あれこれ話すが、右目を閉じて応答している私は、話が上の空になってしまう。陸前高田の認知症家族の会の小野寺さんを紹介してくださった方に、事後報告の手紙を書いてあるのだが、もう1週間、投函しようとして雪にかき回されて、日付をなおして封をしたまま、また忘れている繰り返し。バッグの中に封書を入れたまま、持ち帰ってしまうのだ。同じ色の封筒が目の前にあり、つい連想したのがいけなかった。ひとの話を聞いていないと、母は腹を立てて寝室に閉じこもった。やっと作業に入れると思ったが、母存命中に失明したらまずいなと、今、頬杖をついているのだ。失明は終点ではないが、仕事の、ひとつ残る成果が欲しいと願う。社会活動も、やってなんぼの世界だなと思う。やらねば事は動かない。

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県立青少年センターから、「フリースペース等事業費補助金 形成26年度事業の募集についてのお知らせ」という葉書が届いた。引きこもり青少年に対する仕事は、JR相模原の塾の手伝いと、夜間傾聴・就労相談で細々とつないでいるだけだ。災害ボランティア参加は実例を残したいが、今は候補がいない。定年まであと1年強。東日本大震災の活動では、彼らの人間観の転換を伴う場面は難しくなっている。どこにも接点がないなと思いつつ、葉書はゴミ箱行きとなった。無念。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

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2/16 懇話会来年度企画編成の楽屋裏の思案とは 他

2014-02-17 05:22:45 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/16 記
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来年度の企画を考えていると、もやもやとした憂鬱が忍び込んできた。「要援護者支援」の課題と「災害時要援護者支援」の課題の差異のことだ。

今後の医療・介護・生活問題を論じる場合、日本は高度高齢化社会が到来するということを前提に対策を考えているわけで、これは高齢者支援関係の担当者によって話は深められているわけで、改めて懇話会を作って議論するという、会の存立の論拠は乏しい。

この懇話会の設立の根拠は、東日本大震災から3年、被災者を取り巻く環境はますます長期劣悪のまま、多様孤立化していること。これを放置してはならず、いかにリアルな長期間の連携支援を民間・行政の中に生み出すか、その手がかりを浮かび上がらせるという役割が会にはある。

もうひとつは、東日本大震災の経験を専門職に委ねて、災害がある度に,ステレオタイプ化した対応を民間は繰り返しているが、これでいいのかという疑問がある。それを場面で考えると、人のつながりには「公」と「私」があって、復興支援活動や従来の生活支援活動は、被災者の外向きの顔に連携してきたのではないか、家族が団欒に集うときのように、生活再建や医療の問題などの、いわゆる「世間様の迷惑をかけない」という行動規範のまさに「世間様の迷惑」の闇が語られる、そこに実は深刻な問題が息を潜めているわけで、いわゆる「私」の顔への連携・支援が、社会的問題であるにもかかわらず、家族と個人という当事者にすべて背負わされているというおかしさがある。騒ぎ立てずに、的確に寄り添う静かな支援が求められている。そういう自覚を前提に、「私」への援助の手立てをつかみ返す場が求められていると感じている。

これらは現在的には、東北の被災者の孤立を防ぎ長期連携を行う被災者支援の必要性に、会の存立の論拠を置く立場だ。しかしそこには、鏡像のように、なぜあなたが、どの立場から連携を望んでいるかという、万人の倫理と義憤を超えた問いが突きつけられている。その鏡像の課題を、各人つかみ返す場でもあるのだ。

さらに課題は、「いつか私たちも通る道としての災害」に対する「災害体験と対策経験の吟味継承と防災」という知恵の連携を求めることがある。それは専門職や経験者が己の領域と異なる領域の出会いと共有を求めることから、新たな切り口を見出して行く場をセットすることにある。ネットワーキングである。懇話会は、副産物としての官民の実践チーム形成の萌芽、まずは災害と人をめぐる課題の鮮明化、経験のつかみ出しを行う場が懇話会である。参加者の判断に委ねられた「災害議論の公共空間」を基本機能として持っている。

このとき、懇話会はひとつの意図的な偏りを持ちたいと思う。それは、現場主義・被災者の生の声から考えるという会の特殊性だ。これは実は非常に難しい裏方の判断がいる。

こんなエピソードがある。災害の深刻さと対策の必要性を伝えるために、被災者の方々を非被災地の会場に招待して、体験談を語ってもらうという一見実のあるかのような企画が各地で行われた。ところが体験継承と再建課題を論じたいと思う企画者の意図とは裏腹に、講演する被災者は、事前打ち合わせをしていたにも関わらず、被災時、自分の身の回りに起きた、衝撃的な出来事を綿々と、かつ仔細に語っていくという、すれ違いが起きてしまう。

今後の防災の課題の論議に取り結ぶ内容ではなく、被災状況のスペクタクルがそこに拡がるばかりなのだ。講演者は体験を仔細に語ることで、津波震災の恐ろしさを伝えようと考える。ところが企画者は対策を求めている。これは、その被災場面の背後に流れる価値のつかみ出しを行うことによって、経験が姿をあらわにするという、地下茎掘り出しのような企画者の触媒作業の介在が必要となる。この辺は、会の世話人会を通じてリードする関わりを準備する必要がある。懇話会は教え込みの場ではなく、ヒントの果実を持ち帰る場だ。

つまり、防災ボランティアの要援護者支援と防災医療・介護・生活についての懇談を、被災者の体験によって鮮明化しながら、被災者との出会いを生み出して行く。「災害時要援護者支援」の議論を求めていきたい。

これらの前提に立ち、課題をいかに精選するか、私は今、そこに立ち尽くしている。

永井雅子県福祉事務所課長には、懇話会の口火を切っていただいた。3.11被災の直後から全国の行政職員の被災地派遣が行われ、被災者の保健と安全確保が行われた。その活動紹介をしていただき、特に専門職が被災時、決定的に人手不足に陥り、元保健師・看護師のボランティアの支援が入った件、これは湘南で被災したときも、同様の問題に直面するという現実は変わらない。ボランティアとの協働は、被災前に議論しモデルを作っておく必要性があると、専門職活動との接点の活動の予感が論じられた。

黒田裕子さんは、阪神淡路大震災から災害看護の活動をされてきた。都市型災害と安全避難にウェイトを置きつつ、災害時の社会的弱者の支援のあり方について懇談。特に被災後数年から、地域コミュニティの崩壊の隙間に、単身高齢者の孤独死が忍び寄ってくる。ここに訪問看護・介護・巡回生活支援の重要性があり、サポートの事例を求めた。しかし、そこに至る前に専門職としての安全避難指導の話が長引き、必要とされている支援の多様性の、異なる参加者の意識がすれ違い、時間切れとなった。医療サイドからのアプローチだった。

次の小野寺彦宏(よしひろ)さんは、被災認知症者と家族の立場から、生死の境を渡った被災時の会員の話と、家族の認知症者サポートを紹介してもらった。避難後、避難所や孤立した自宅の生活について語っていただこうと思ったが、被災時、個々の家庭がどのような状態だったか、地域サポートの活動紹介をしていただくことになった。この回もまた、時間切れとなった。

そしてこれから、陸前高田から日本障害フォーラム(JDF)の小山貴さんのお話が始まる。陸前高田市の個人情報開示を起訴に、全市アンケートが行われ、それが訪問支援にどのような変化をもたらしたか、また被災地の障がい者サポートの様子を紹介していただく。

最後は、まだ交渉途中だが、日本プライマリィ・ケア連合学会PCAT関係者をゲストに、無医・高齢化という状況の中で訪問支援の重要性が増している。その訪問診療を村落部と都市近郊部の状況差を踏まえて、地域医療の立場から論じていただく。

今後は、1)被災時の施設管理と人命確保、2)地域医療の在宅治療システムと被災、3)被災障がい者の生活支援を考えている。

大きくは、要援護者への地域連携チームによる支援のあり方と、被災地への的を射た長期連携のあり方をめぐって、企画を重ねて行く。それには、誰とつながり、ゲストとして招待したらよいか、見通しをもとめて思案している。


夜間傾聴>ひとり

(校正2回目済み)

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2/15 TV会議採用の可能性 懇話会企画との関係で

2014-02-16 06:14:39 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/15 記
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小山貴氏の講演を前に、平塚の平障連の@@さんと電話で話した。プロジェクタ等の接続テストの話だったが、小山氏の懇話会のときに、参加されないか打診した。明快な応答は得られなかったが、懇話会が一般公開型の講演会ではない「ケア関係者の被災地ゲストとの懇談会」であることが、戸惑いの元だった。懇話会が「地域活動のつなぎ・種まき活動」で、さまざまな関連活動に携わる方の「公共空間・ノード(結節点)」であるのだということに宇宙人飛田を見たのかもしれない。(でもここは地球です。)

石巻赤十字病院や全滅した雄勝病院の関係者を今秋、招待できないかと検討していて感じた。小山氏のこともそうだが、人手不足下で取り組んでいる被災地の医療介護福祉活動の関係者の方々を、果たして連れ出していいのかなという疑問だった。TV会議のような方法で、負担軽減できないだろうかと考えた。

ところが大学の教室設置してあるような大掛りなものにせよ、プレス・トーク型というかトークン・リング型というような不自然な対話が話題の深まりを制約しているような、懇話会の大事にしている現場の空気が、抜け落ちてしまう例ばかりしか私は体験して来なかったのだ。それを超えるには、被災地側に出向くMCを立てて、双方でリードする方式を取るという位の潤滑剤を準備しないと、一般公開型講演会と大差なくなってしまう。7月のプライマリィ・ケア連合学会PCATの方々との企画が実現し終わった、次の企画のとき(秋口)に、前回に引き続き、2回目も地域訪問医療の課題を取り上げたい。

だからふたつの道を探る。ひとつは、東京本部の被災地間通勤支援者にゲストになってもらう形。もうひとつは、TV会議に詳しいかたと相談させてもらうこと。いずれも思案中なり。


夜間傾聴;ひとり

(校正2回目済み)

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2/14 朝日の教材屋摘発の記事にふれて/また雪に封じ込まれて 他

2014-02-15 06:16:27 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/14 記
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入試は雪。2週続いて迷惑な雪に動きを封じられた。朝日新聞が1面トップで、塾の教材屋が入試問題と回答を商品化していることについて、著作権の問題があるのではないかという指摘をしていて驚いた。私たちのような講師を兼ねる教材屋は複雑な気持ちでいる。それは私教育の立場から、子どもたちの発達に関わる自負がからむからだ。公立や私立の学校文化を営む教員の周辺にあって、知識の習得をめぐって子どもを形作るという立場や、モラトリアムという軟禁状況下の子どもを問題とする立場まで、学校の補佐から、十全な子どもの社会的組み込みを試みる立場まで、様々な私教育に携わっているが、そのいずれの立場からも、単純な商品化の商売は受け入れがたい。

現に子どもたちは学校に通っており、その学校の営みの力の中に生きている。不登校・引きこもりの子たちの塾の中には、独立した学びの場を営むものも少なくないが、大学進学や就労の場面で、再び学校文化と交わるところで、そこまで切り分けられないというのが実情である。だから第一ゴールのような形で、学びの水準を問わねばならない場面が出てくる。そこに入試問題の解析を踏むという作業が出てくる。

そういう発達の周辺に関わる者としては、入試問題への取り組みは、教育または共育の立場から発現するものであって、難関突破のアイテム取得の暗号特権販売の発想とは異質と思っている。以前、私の塾を閉じ、他塾を渡り歩いた苦い経験がある。ある横浜の塾は、地域の学校のテスト問題のコピーを売り物にしていたし、ある塾は暗誦と鍛錬を教育と履き違えていた。こういう塾も確かにあるが、朝日新聞の塾はそれをも超えて、入試問題を発掘し効能を商品化するという、子どもとの営みから離れた行為にまで至っているという点で、いっそう受け入れ難いものだ。

しかしそれでは、教材屋という稼業自身はどうなのかということになる。私の参加している教材屋は、塾の講師用の模範解答例と解説を書く仕事と、いわゆる練成問題を塾や学校に卸す仕事が主となる。私の関係している仕事は、学習に長欠などの理由で欠落がある子や、認知に偏りがあって、その子の特性に合わせたオーダーメイドの教材を作る部門にいる。だから生の入試問題に触れる機会は少ないが、私教育の講師はポリシーをもってそこに教材作りにも携わっている。ひとのふんどしを販売するような行為で収入を得ているわけではない。レッテル貼りが始まらなければいいがと、気になってならない。

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朝、母の常備薬が切れた。「雪ふってるし、転倒するとまずいし」と母は、私に水を向けてきたのだった。地元医に電話すると、母には頓服として筋弛緩剤を処方しているが、他は保健薬なので、切れてもいいから、悪天候があがる月曜に来てもらえばいいというのだ。そうこうしているうちに、母の大声があがった。灯油がないというのだ。車の無い我が家は、配達を御願いしている。注文後、業者が来るまで待っていると、雪が積もってきた。結局、茅ヶ崎養護に行く話は月曜日に日送りとなった。

雪の中、高校入試や大学入試の受験生を抱えた講師からのメールがとどきはじめ、相模大野校から車に分乗して帰るのだとの話。茅ヶ崎養護から茅ヶ崎に戻り、相模大野という出勤はこうして流れた。入試に付き合う恒例の応援団は、雪にくじけて中止となり、一方、入試話ではなく、教材屋話でJR相模原の塾長は、フィリピン報告会の流れた鬱憤を晴らしているようなメールとなって、SNSとメールだらけの一日となった。

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懇話会の例会テーマへの参考記事あり。

●「2/11 県が委嘱 災害時医療「調整役」27人」(読売岩手版)


夜間傾聴>中止(母がソチ・フィギュア番組で隣から離れない為)

(校正2回目済み)

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2/13 母の定期癌検診に連れ添って 他

2014-02-14 05:30:10 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/13 記
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母の北里大附東病院の定期検査は、いつも朝が早いので昼夜逆転の私には地獄。たかだか5分弱の検査結果の問診のために、徹夜騒ぎとなる。その結果が、20数項目に及んでいるのに、ただ「大丈夫です」だけとは、検査結果の表もくれない。検査時、昨年の担当者は外来におらず、初めての若い医師が割り当てられた。その医師から、地元で検査は出来ないのかといわれて、付き添っていた私が切れた。

最低5年間は、定期検査を受けるようにと指示したのは、院長。その指示を担当医に出したのも確認している。第一、5年間の経過データは、そちらにとっては数少ない貴重なデータでしょう。外来患者が多い日だからといって、説明不足を居直って、医師の任務放棄でしょう、違いますか。

むっとした顔の医師。早期癌が5年大丈夫なら、地元で大丈夫ですよ。それとも++先生(地元医)はイヤなんですかと医師。

下衆だね、この次はあなたに当たらないようにと、受付に言う。診断ミスしないように注意しなさいよと私。時計で5分。追加料金請求しかねないから、帰ろうと母を促し診察室を出た。料金は保険が保証する代金を含んで、3万円弱が病院に入る。検査の料金は先週払っている。診療報酬とはこんなものだ。アンケート用紙に経過を書き込んで、母を連れて帰ってきた。

医者相手に怒ると損だよと母。母と蕪蒸しの昼食を食べながら、高齢者はおそらく、すくんで帰ってくるのだろうなと思った。こ病院勤務医の状態をふまえても、説明義務の軽視は医師の資質が問われるもの。高度高齢化社会の切り札となる在宅医療と訪問診断を支えるには、この意識レベルでは無理。腹立ちを飲み込むには、お茶2杯が必要だった。

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しかし、北里大附東病院は相模大野が最寄り駅となるから、そこをうろつけば、知り合いにぶつかる。もう相模大野校では、改札ですれちがった婆さんは、飛田の親か連れ合いかと話がまわっていた。まったく碌な者ではない。問い合わせのメールを出す話題かと応答した。

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昨日、平塚に懇話会の3/10の懇談紹介の話を通信を渡しながらしてきたのだが、某特別支援校の○○先生から電話が入った。どこのルートから伝わったのかは見当がつくが、ありがたいこと。来週説明にお邪魔することに。

明日、茅ヶ崎養護にお邪魔しようと思っていた。雪とは。様子見かなと。明日は入試。講師が集まる。私は教材屋の裏稼業がスタートする。ゲスト小山氏の懇談の意義、まとめておく必要あり。防災の面では先を見通した論議、即、今のニーズの泳ぐ話題ではない。東北被災地の支援としても、現状認識がもう済んだことの話という身勝手な発想に転換を求めないと、議論の意味が薄れてしまう。防災の観点からは「いつか自分らも通る道」「相互保障(連携)の実質」が問われる道だということを招請状として付け加えるかなと考えている。通信No.006である。かならず風化と飽きがやってくる。夢中も飽きも、そのレベルで行動するなら、懇談の収穫は実らない。今回の話も、先を読み込んだ話にしていきたい。

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夜間傾聴>ひとり(下記)

SSWの関連になるような不登校の低学年の小学生の母親から、問い合わせあり。仔犬がほしいとのこと。ペットレスキュー関連から私をキャッチしたらしい。資料をメールした。

(校正1回目済み)

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