湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

朝9時半着でつくばに行きます、今回もパス

2008-02-29 02:40:21 | 引きこもり
すみません。立てこんでます。

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今夜はパス

2008-02-28 04:10:36 | 引きこもり
3/1の資料の準備が、思わぬ事務トラブルで、ごたついています。

今夜はパスさせてください。
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3/1就労支援講演会に市長参加決定/どうしたものかと…

2008-02-27 06:34:03 | 引きこもり
昨日、茅ヶ崎市役所から電話が入った。3/1 の就労支援懇談会に市長参加との話。

びっくりすると同時に困ってしまった。私たちの活動の地域就労支援や地域にプレ就労の場を作る活動は、行政の協力を必要としている大事な活動だ。それはそうだが、関連団体の総意を集める状況には無い。社会的企業型の就労支援地域ネットワークの検討すら、眉唾ものとしてみている。会場会議室の席を埋めるのに苦労している状況下、松為先生講演という無茶をやっている。そこに市長参加は、正直言ってしんどい。

西湘のエリア違いの地域ではあるが、隣接市ということで参加を呼びかけた。やるしかないのである。今日は午後からNPOサポートちがさきの事業部門代表者会議がある。部外者動員はお願いしてもだめ。きっちり内容の肝を浮かび上がらせる算段を考えることにした。

今朝はドロノワ陶芸WSがある。時間が欲しい。どうしたものかと考えている。



3月1日チラシ配布巡回は以下の通り。
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平塚方向

平塚市市民活動推進センター
(NPO個別投函)

ハローワーク平塚

サンシティひらつか
(生活・就労支援センター)

平塚市役所---
健康福祉部障害福祉課
経済部工業労政課(?)
市民部青少年課
議会事務局
教育委員会教育総務部教育総務課

平塚保健福祉事務所
保健福祉課
保健予防課

湘南養護・市社協・藤沢養護は時間切れ。


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相模大野の会議は大幅に遅刻した。****君が退院したとの連絡が移動中に飛び込んだからだった。親御さんと会った。自傷の危険は回避。詳細は書けない。だがとりあえず状況は一歩好転と考えようと、親御さんと連絡を確認。しかしこれは、本部未確認の行動と叱られた。この歳になるとさすがにわかっていること。親御さんが本部に連絡したが事情が分からないアルバイトの者が出た。その隙間を現場担当者がフォローしたまでのこと。首を縦には振らなかった。

時間は遅くなったが、町田2君(仮名)にもあっておくことにした。28&29は武蔵工大でオンラインコミュニティ関連の方と話す貴重な場がある。「わーく」の技術的可能性を高めておきたい。講演会の資料集は29日夜にサポセンで印刷するか、原稿次第では3/1朝印刷することになる。とすると今日一日の時間が貴重なのだ。事情を説明して短時間(15分?)お邪魔した。終バスぎりぎりセーフ。

今朝は10時からドロノワ倶楽部あねもね陶芸WSがある。午後、事業部門代表者会議。家に戻って資料集作り。午前中、不良会員決め込むかと考えた瞬間、2階の父の寝室から怒りの大声があがった。レム睡眠行動障害である。内線電話で制止したら起きてきてしまった。結果的に、このまま徹夜となる。対策打たないと…。明日午前中、再度病院に連れて行く。また午前中である。今日ケアマネさんに連絡を取る。

夜間傾聴:******(親)

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3/1講演会チラシ配布再開/仕事をたてる

2008-02-26 08:19:16 | 引きこもり
3月1日の講演会のチラシ配布を再開。今日は藤沢重点。

藤沢YMCA高等学院
藤沢サービスセンター「ぱる」
藤沢あおぞら(藤沢育成会)
湘南高校定時制
藤沢市北保健センター
翔の会本部
茅ヶ崎育成会

を回った。YMCAは久しぶりの訪問だった。メンバーが入れ替わり、時間のゆとりがあれば、もう少し間を埋めておきたかった。しかし徒歩でバスを乗り継いでの巡回では藤沢は広い。当初予定していた藤沢養護学校は、順路からはずさざるを得なかった。藤沢駅北口から小塚(弥勒寺)まではわずかなのだが、バスが30分~1時間おきのために、バス待ちで時間が無くなっていく。弥勒寺から鵠沼神明までの道のりは約2km強。乗継・渋滞箇所もあるので1時間近くかかってしまった。小出一本松から文教大学を経由して円蔵に出る。これも普段は、やらないだろう。交通事故を起こしてから、車を運転しなくなったが、やはりこういうときは不便だ。

今回の巡回では、あまり時間を掛けて説明をすることが出来なかったが、やはり行政区分を超えると、情報が全く流れていないことを感じた。藤沢は独立共和国の感が強い。今日は藤沢・平塚の特別支援学校(養護学校)・ハローワーク平塚等をまわる予定。しかし今回も巡回を控えているので、藤沢養護学校は最後になる。

昨日は、北茅ヶ崎から入谷に出たが、町田2君(仮名)の親御さんの要請は間に合わなかった。学習カウンセリングとして巡回しているが、私の担当している子達は、大きな問題をもてあましている子達ばかりだ。医療的な関わりが必要な子は、どこかで線引きをして臨床心理系の関係者に引き継いでいくことになる。たとえばいじめのことを例に取れば、私は彼の立ち直りをサポートすると同時に、いじめという社会関係の中の彼の位置を変えることを考えていく。ところが引き渡す先は、社会関係は手付かずのまま、彼の回避復帰策を指導していくために、一貫性の無さのような形で親御さんからの批判にさらされることがある。いじめは犯罪であり、そのことはそれとして裁かれなくてはならないからだ。ここに当事者の活動の必要性が生まれてくる。

入谷さん(仮名)は多国籍的な言語環境にあったために、日本語の発音に訛りが出る。これがいじめの標的になった。今はむしろその言語環境を活かすことに気持ちが整理されたのだが、その道は相談相手が少ないし、この子の切れ味を評価してくれるひととの出会いも難しいものがある。麻薬の密売取引のような田んぼの中の駅でのレポートの受け渡しも、これはこれで芝居がかっていて楽しいものだ。彼女が家庭をもったとき、語り継いでくれることだろう。それが私にとっても、ひそかな遊びでもあるのだが。

巡回の途中、茅ヶ崎市の障害福祉課の*さんから、3/1参加の申し込みがあった。嬉しかった。地域就労支援の活動が少しでも拡がってくれることを願っている。

帰宅後、家事を片付け資料作りに入っている。今回は引きこもり側からのメッセージが少ないからだ。作業の観点から、なしうることを軸に職種を決定していくという従来の発想に対し、ある分野のひとつの企業が活動していく場合、様々な部門が企業を支えている。この部門の中には様々な作業が織り込まれている。だから企業モデルをたてて、仕事を切り分けていく。そうすると企画経営の全体像を共有(柔らかな全体会)を踏まえていれば、彼は協業に参加していくことが可能になるだろう。私たちの職場がそのような構造に無く、請負解決なのだとしても、それを基準にするのはどうかと思う。初めていけそうな事例の中で、引きこもり青年の活きてくる仕事を黙々と探している。

夜間傾聴:入谷さん(仮名)親
     町田2君(仮名)

時間オーバー。おやすみなさい。昼から再開します。


(校正1回目済み)
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父の実家へ/やるせない時が過ぎていく

2008-02-25 07:45:30 | 引きこもり
父の実家に出かけていた。父の変調のことを知らせておくことが目的だった。私は母方の祖父母の介護を母と担ってきた経過があるので、地域サポートの大まかな見通しを持っていた。立て続けに、重なるようにして父が崩れようとしている。ところが実家の話はあっさりしている。私の老後の話ばかりとなって閉口した。命はこんなものなのかと父のことを思う。父はトラウマの連鎖の中にいる典型的な人物だった。若い頃、その連鎖を私は全力で絶った。代償は大きかったが、今はからからに乾いた自分が見える。父をみる眼差しは「ひと」から「生き物」へとオーバーラップする心の像を追っている。

用事を済ませて帰宅すると、母が疲れた様子でお茶を出した。間が悪そうに父は寝室に上がっていった。何かが起きたことは想像がついた。宗教の集まりへと車に乗せてくれる信者のいる前で、階段から手荷物を放り出して、下にいたその方を怪我させるところだったのだという。元気を演出して、堂々と降りようとしてバランスを崩したのだった。父は腰を打って転倒は止まった。しかしそのときに、失禁があったことが、父が落胆している原因だった。母が走り回り事態を解決したのだが、連日の転倒で、父の非協力的な無用心に怒りを持っていた。

今日契約したケアマネさんと事態解決の方法を検討する。しかし本当に遠出が出来なくなった。

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不思議なことだが、シンボリックなことは、こういうときになぜか起きる。我が家の庭にオスの白猫とメスの三毛猫が迷い込んできた。白猫が堂々と家に上がりこんで餌を要求するので、庭先で餌と水を与えた。白猫は、かつかつと餌を平らげたあと、我が家の部屋の巡回をして、耳の後ろの分泌腺を柱にこすりつけてマーキングが始まった。我が家にはキナコと命名したメス茶トラの通い猫がいる。縄張り争いが起きそうなので、ご遠慮願った。おそらく新婚出産の場探しだったのだろう。夕食食材を買いにいこうと庭を見ると、夕暮れだというのに植え込みにうずくまって、私が出てくるのを待っていたのだった。そのまま、白猫を無視して門を出た。声振り絞って鳴く猫の声が数百m先まで聞こえていた。なんとも切ない、身を切るような響きだった。

日が落ちると、小春日和は深々と冷えて冬に戻っていった。馬鹿な話だが小さな缶詰を買って帰ってきた。勿論猫はいない。馬鹿な話だが、缶をころがしてため息をついている。

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日曜日は私たち塾屋は休みではない者が多い。以前は授業を組んでも人の集まりが悪かったので、人並みに休むことが多かった。しかし少子化・チェーン化が進む業界の事情に押されて、受験コースや、小中学生では、個性化した個人指導風のコースをたてているところが多い。私の場合は巡回学習カウンセリングを行っているので、親御さんと会うメリットで土日を使う。掛け持ちなので休日がめったに取れない。だらだらと短時間予定が入り込んでしまう。

実家が県内なので特に遠出した感じはない。今日は夜間傾聴も旗の台君(仮名)の雑談のみだったおかげで自分の身の回りのことで時間を費やすことができた。

アマゾンに本を注文。
●「無能な者たちの共同体」

夜間傾聴?:旗の台君(仮名)


(校正2回目済み)
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父の変調/茅ヶ崎に「成年後見支援センター」誕生

2008-02-24 06:46:28 | 引きこもり
朝、父の様子がおかしくなった。朝6時過ぎ、茶の間に下りてきて冷蔵庫をあさり始めた。飯を温めもせずに食べ、TVを大きな音で点けて、着替えて出かけようとした。玄関を降りたところでつまづいて座り込んでしまった。日曜日と日程を間違えたのだが、Yシャツのボタンがひとつずれており、タイピンがふたつ付いていた。

擦り傷を消毒しようとするが、父はそれを拒んだ。「平気だ」という。「リンゴを剥くから、とりあえず食べよう」と誘って居間に誘導し、出かける日は明日であることを伝え、まだ居間で寝ていて欲しいと説得した。リンゴを食べ終えると、そのまま着替えもせずに布団にもぐりこみ、眠ってしまった。

私の就寝時刻は6時か7時。私も焦って自室の床に飛び込んだ。一応4時間、11時まで睡眠をとった。

今度は父が起きないのだった。昼食を食べ始めると、父はTVの前で眠り込んでしまった。昼食を片付け母に引き継ぐと、成年後見制度の講演会は30分後に迫っていた。バスに駆け込み、会場に飛び込んだ。

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今回の話の成果は、藁科ビル内に「成年後見支援センター」が行政との協働の形で発足し、業務委託を受ける形で湘南オンブズマンが相談業務を開始することだった。高齢者・障碍者の生活を保護する拠点ができる意味は大きい。未成熟な法律なので、医療行為や葬儀など様々な場面で超法規的な人道判断が要求される。

こうした制度の進行と、片方では地区自立支援協のスタートという状況下で、あえて「地域の社会的企業」や「わーく」を語る必要性はどこにあるのだろう。障碍畑の伝統からすれば、本人の自主活動よりも、社会の波から保護をする諸施策が中心になる。

引きこもり畑の活動も精神障碍畑のスタイルの、心の静穏と活力回復の延長に就労・社会参加をおくスタイルは濃厚に残っている。しかしひとを変えるのは出会いなのである。ここで医療モデルと社会モデルが拮抗する。無理な激変活動はゆり戻しがやってくる。それはそのとおりだし、これは解決策であるという万能処方があるわけでもない。だから二者択一ではないのだが、前者に社会参画の意識は乏しい。ましてや「引きこもり」なる大雑把な概念でひと括りできるほど、個々人の状況は単純ではない。私は生と死の狭間を彷徨い苦しんでいる引きこもり青年に就労を進めているわけではない。自分の世界をひとつ広げたくなっている、いわば波を経て、回復と模索の時期にある引きこもり青年に誘いをかけている。こういう状況下で、自主社会参画的なモデルをあえて提案することは、未来の一角を更にひらくことにつながっている。

しかし現状は、彼らにメッセージをどう届けるか。中にはフリーターとして、その泥沼に足を踏み込み始めた青年に、根をはる提案をどう届けるかという状態にある。だからこそ、その基調はすっきり自主活動・本人活動とたてようと思う。回復と模索の時期の「引きこもり」者が必要としているのは、社会参加の形と手立てを得ることだからだ。

このことは、生き難さを抱えている青年に共通の提案である。家族に付随せずに街の中に生きていくそのための協働ネットワークをつくることなのである。これは既存の活動の直線状に出てこない難点がある。障碍畑にとってみれば、Uさんが以前語ったように南北問題のように聞こえるかもしれない。しかし彼らが仲間を持ち、表現の手段をもつことは、贅沢なのではない、基本的人権に抵触するものなのだ。特に支援の狭間にいる軽度障碍の青年たちや社会的挫折を抱えた青年の出入りする柔らかなプレ就労と相談の拠点を持つことは、保護活動と相互補間的な活動だと考えている。喫茶拠点で偶然を待ち受けるというのではなく、表現することで誘いかけていく活動を軸とするというのが、「わーく」の提案だ。社会への絆を生み出すことで脱皮していく活動を提案している。

この始動の重さは当たり前のこと。しかし障碍畑にしてみれば、企業就労の格好のチャンスが来ているわけであるし、保護ネットワークを張っていけば、先が開ける。私はその仕事の質を問う。フリーターたちが月十数万の壁に苦しむ中での就労であり、企業がこの格差社会の断層を意図する限り、社会の端役に押し込んでいくことは目に見えているし、単純労働力を外国籍労働者に求める流れがあるときに、情報社会の周辺域の仕事の取り合いになることも考えうる。企業の技術革新の中で、彼らの就職後が安定しているとは思えないのだ。そのために社会的なニーズを有償で担っていく社会的企業の意味がそこに開けてくる。社会参画への足場であり、それ自身新しい仕事でもある仕事の形を拓くところに、活動を拡げていくことは、贅沢ではなく必要なことなのだと思う。

成年後見制度の集いの場で、3月1日の講演会のチラシを配布させてもらった。主催者の茅ヶ崎保健所の方々に感謝します。

巡回:相模大野@@@
   授業臨時代行1コマ

夜間傾聴:入谷さん(仮名)


(校正2回目済み)

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障碍者が働くことを親御さんはどう考えているのだろう?/21日の日誌

2008-02-23 07:17:22 | 引きこもり
藤沢の行政関係やNPOに3/1講演会チラシを配布。途中、古い友人の訃報メールが飛び込む。名古屋に住んでいた。もう二十年音信不通だった。高校教員をやめて塾屋に転じて進学塾をはじめたが、快調で忙しくなったことで私のような偏屈な補習塾屋から離れて行った。韓国旅行中の事故だが、どうも自殺らしいとの話だった。中途障害の子どものことで苦しんでいたという。

メールは、私と彼と同期のVからのものだったが、大手の進学塾に吸収されて室長をしていたようだ。仲介してくれたVは教員をやめて家業を継いで布団屋の専務をしていたが、舌癌から声を失い、一昨年からは、もっぱらメールで年賀状と暑中見舞い程度の交流を続けていた。その彼も部位は書かれていなかったが、癌の転移があって余命を生きているとあった。

ずっしりと後半戦の人生を感じている。しばらく藤沢の市民活動推進センターに出かけていなかったから、チラシを依頼しながら近況を話したのだが、語るにつまるところ、じんわりと情こみあげて、押さえ込んでいた。先方なんだろなと思ったに違いない。ことがうまく運ぼうが詰まろうが、事は自分が背負っていく。その受け皿がちいさくなっていることに気がついていたからだった。3月1日は、自分にとって仕切りなおしである。

先日の会議の時、司会から降ろしてもらった。実を通せば余計なものはいらないからだ。必要な活動を見誤る岐路にあるからだ。地域にプレ就労の場を実現する必要性は、障碍畑も引きこもり畑も同じ。違う世界というところに、その発想が無意味になる、ひとが繋がるプログラムを実践していくことが大事なのだ。地域の絵がこれほど問われることもないだろう。

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一昨日、父を車に乗せて神経内科連れて行った。糖尿病主治医の紹介状を携えていったので、病歴を伝える時間分、検査を伸ばしてもらったのは助かったのだが、その紹介状の中に某宗教の信者である旨の言及があり、私を驚かせた。診察にあたったX医師は、家族もそうであるかを問うので、それが分かった。私たちは父の宗教に散々ひどい目にあってきている。否定したが、いやな体験を思い出してしまった。紹介状はここまで書くのかと、少々呆れ返った。

某総合病院の医師がCT画像を正常と診断した部位が萎縮していた。異常が出るものの遅い進行だった。しんどい課題を抱えて帰宅した。

家族の昼食を作り、父の夕食を準備した。つくっておかないと、父が火を使うことになるので危ないからだった。やかんの空焚きは得意芸、レンジ脇にサラダ油を置いて、容器が溶けて、レンジ周りが油だらけになって、そのままレンジに火がついていたこともあった。ストーブの灯油も床にポリタンを倒して騒ぎになったこともあり、家事をしてこなかったつけが噴出しているのだ。ただこのことは、今回の認知症進行とは無縁、以前からそうというところが、程度の差あれ、恐ろしいところなのだが。

レンジの元栓を締め、個別ロックをかけた。ハイカロリーの食品を隠し、階段昇降を避けるように諭して、非常呼び出しボタン(SECOM)を首からさげさせて外出した。先に帰宅した母が驚いたのは、ストーブが点きっぱなし、鍵もかけずに、父が宗教仲間の車で出かけていたことだ。通所型のプログラムを組んでもらわないと私たちが身動きが出来なくなる。月曜にケアマネさんと再度話し合うことになった。

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橋本の巡回に出かけ、彼に会った後、彼の通っていた高校の元担任の%氏と会う。本部にレポートを書いて送って一段落。

帰りの相模線では完璧に寝ていた。睡眠時間が2時間を切っていたからだった。まだこれが可能だからいい。それが衰えてきたら、活動は制限されてしまう。確認電話を自宅にしてから平塚図書館で本を入れ替えて、玄関で携帯で夜の会議の資料を編集した。

茅ヶ崎サポセンのPJ会議は19時から。駅で夕食を済ませてサポセンに向かった。話は事務的な準備に加えて、反響のチェックをするが、明快な応答が無く、目的を再整理した。


>>>> 養護高等部卒業後の青年の就労支援を考えます。

>>>> 地域に就労困難な青年の工夫と練習のためのプレ就労の場作りを。

>>>> 就労困難な青年の地域デビューを。


この点をはっきり伝えることにした。養護在校生の親御さんが、就労をリアルに感じないことは、知的・精神の県の調査のときも、福祉的就労の現場の通所しているお子さんを一般就労させることに賛同する親御さんは1割前後と、異様に低かった。安全な施策を選んでいるのか、お子さんの労働像を描けないのか判断がつかなかった。だから、この迷いは就労支援活動には、腹をすえなければならないところでもある。ニーズ応答というより提案型の活動をしなくてはならないからだった。苦しい展開が常に伴う。ただこのことが、PJ参加者に共有されていないことが、なおさらにしんどさを生んでいる。

時間切れ。昨日分は追って。

夜間傾聴:*******(親)
     橋本君(仮名)


(校正2回目済み)

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3/20の日誌から

2008-02-22 08:02:42 | 引きこもり
ここ数日午前中の用事が立て込み、昼夜転倒人間には恐ろしい状態となっている。書き込みの遅れ、もうしわけない。

順に紹介しておこう。

20日スペアちがさきの講演会、今回は発達性ディスレクシア研究の第一人者・加藤醇子さんの講演だった。川崎のLD懇話会でお世話になっていた関係で、話の展開は的を射たものであったことが分かるが、親御さん、当事者(子ども)との関係が医療と療育というところに固定されて聞こえてくる。当たり前といえば当たり前なのだが、研究の知見が障碍をめぐる親子支援者の実践課題として、日常生活に埋め込まれたものとして自生していくというより、患者のリハになってしまうことが、実践を狭く感じされてしまう。

言語の読み書きの障害は、発達障害のひとつの症状としてピュアな形ででてくるというより、他の症状と併発するような形で現れることが多い。そこをきれいに整理してくれたのだが、二次障碍を起こしているときなど、親御さんや学校教員のような濃密度の関わりをしている人は逆に、障碍の本丸に至る道筋を見失ってしまう。この鬼ごっこのような関係をどう打開していくのかという臨床の課題をケースカンファしてほしかった。ここは別の見方をすれば、専門家をどう機能させるかということでもある。知の口移しということに論が乗っていることに、これでいいのだろうかと思うのだ。

スペアの講演会でYさんのお言葉に甘えて、配布してもらった。申し訳ない。

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東京の労働政策フォーラムのイギリス・ドイツの差別禁止法の語りをつまみ食いするために労働政策研究・研修機構主催のフォーラムに飛び込んだ。巡回が後半に1件あるので、すべてを聴くわけにはいかなかった。関心はEUが多国籍化していく過程で、社会的企業のような社会政策的な展開が、すべての民族に均等に福祉的利益を配分することができるか。もう少し日本にひきつけていえば、高齢化・国際化(多国籍化)していく過程で、移民労働者と日本人が社会的企業の恩恵に均等に浴することが可能なのかという問題意識で飛び込んだ。

ところが全く偉そうなはなしではない。会場の大同生命霞ヶ関ビルがわからないのだ。結局40分遅刻して飛び込んだ。一番聴きたかったイギリスの事例が終わってしまっていた。その後のドイツ・フランスの場合も社会的企業のような社会政策的な部分に言及することがなく、差別禁止法の国際比較のような形で、目的に合わず、時間ぎりぎりで大森に離脱した。

大森では大森海岸君(仮名)が待っていた。今回は時間が取れないので、傾聴に徹し、夜間に延長戦をやることにした。

30分ほどで、そのまま横浜に戻り、松為先生と待ち合わせの西口地下有隣堂書店文庫売り場に赴いた。驚いた地下商店街が臨時休業で、すべての店舗が閉まっていたのだった。幸先の悪い偶然。

松為先生はヒルトンホテルの喫茶ラウンジがいいということで、スタバっている私は、なんとも場違いな感じ。就労困難な青年の高等部卒業後の支援のあり方について、人の輪の中に老後軟着陸できるようなシステムの概要を描いてもらうことになった。このとき、東京・神奈川の企業側の雇用状況と連携が取れるようなヒントをいただくことにした。

対象が当事者親子と、長期に関係を持つ支援者とに分けて話を配分してもらうようお願いし、新規情報の実を確保することにした。今回は、この間の松為講演の後編をなすものとなると予想している。期待。

夜間傾聴:大森海岸(仮名)君

(校正1回目済み)
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3/1の地域就労支援講演会チラシから

2008-02-22 06:12:09 | 引きこもり
>>>> 養護高等部卒業後の青年の就労支援を考えます。
>>>> 地域に就労困難な青年の工夫と練習のためのプレ就労の場作りを。
>>>> 就労困難な青年の地域デビューを。

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●テーマ:「生涯を見通した就労を支えるために
      ~障害者の地域就労(生活圏の就労)を考える~」

●講 師:松為信雄さん
(県立保健福祉大学教授/日本職業リハビリテーション学会会長)

●日 時:2008年3月1日(土)13時半~16時予定(開場13時)

●場 所:茅ヶ崎市役所分庁舎コミュニティホール5階A/B会議室

●費 用:無料

●主 催:NPOサポートちがさき「困難若年者地域就労支援PJ」

●参加申込先:
NPOサポートちがさき「就労困難若年者地域就労支援PJ」
〒231-0041 茅ケ崎市茅ケ崎3-2-7
茅ケ崎市民活動サポートセンター No.61

>>> 講演会担当:飛田   tobita@@mbm.nifty.com ("@"をひとつとる。)
資料準備がありますので、参加予定の方は、事前に飛田までお知らせ下さい。


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**就労が難しい若者の活躍の場を生み出すために**

就労困難若年者地域就労支援PJ

 私たちはこの一年間、「企業就労に馴染まない若者の地域就労をどう生み出していくのか」ということについて、「もうひとつの就労~地域就労~」の議論の輪作りをおこなってきました。

 大手の企業は法定雇用率の達成への行政指導が厳しくなってきている今、特例子会社作りや、現業部門への障害者の採用を拡げています。しかしその枠は、いぜんとして狭く厳しいものがあります。現状として、身体障害と社会性のある知的障害の方の就労が中心であり、精神障害の方の採用が伸び、発達障害の方の就労支援が始まったといいつつも、その傾向は変わりません。

 私たちは発達障害とその周辺、また引きこもりの方、パーソナリティ障害やうつ病などの精神障害の方々などの、福祉的就労と一般就労との境目にいる方の就労がなかなか就労支援の枠にはまらず抜け落ちている現状を憂います。安定した勤務の持続をしづらい困難を抱えるために、適職と弾力ある職場を求めて、支援の狭間(はざま)をさまよっています。

 こうした方々を地域という生活の場のなかに職場を形作ることによって、弾力ある労働環境を生み出すことをさぐろうということで、NPOサポートちがさきの会員有志の呼びかけで、自主事業として話し合いの場を出発させました。特に行政関係の方との懇談を支えていこうということで、神奈川労働局・茅ヶ崎市障害福祉課に協力を戴き、行政懇談や世田谷区就労支援ネットワークの見学を行ってきました。また、地元当事者団体や支援団体の交流を重ねてきました。私たちは今後、就労を当人の支えあい(ピア・サポート)を積極的に活用し、プレ就労の場のデザインとして、当人の連携と自主活動を促していこうと思っています。

 こうした活動の年度のまとめと、課題をより明らかにしていくために、日本職業リハビリテーション学会会長・神奈川県立保健福祉大学の松為信雄教授にお願いして、「生涯を見通した就労を支えるために~障害者の地域就労(生活圏の就労)を考える~」というテーマで講演をしていただくことになりました。皆さんのご理解と、積極的な参加をお待ちしています。


 >>> この講演会は (財)光之村助成金の支援を受けています。


以上

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20日分は追って書き込みます

2008-02-21 06:30:21 | 引きこもり
今日は父を午前中病院に連れて行く。睡眠時間が取れないので、昨日分は追って。

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父の介護体制作り/特総研セミナー「特別支援教育の今」に参加しつつ

2008-02-20 05:05:18 | 引きこもり
父は歩行困難の状態のまま、茶の間の前のTVを抱えて一日を過ごしている。ワーキングエリアの機能低下が進んで、頑固に守っていた宗教すら曖昧になってきている。糖尿病があるので糖尿病専門医を主治医にしてきたが、神経内科診断が必要と判断し、一方、募る齟齬と家族拘束の泥沼化進行を避けるために、通所型ケアを受けることで、第三者の支援受け入れを進めることにした。

昨日は、介護度「要介護1」に基づいて、祖母のとき世話になった施設のケアマネさんを専属にすることにし、その契約をした。父は他者と遊ぶことを好しとしない。だからそのままでは、介護拒否で暴れだすのは目に見えていた。歩行機能回復の件で、専属のプロがつくと説得。昨日は私の留守の間、母の主導でケアマネさんとの出会いと契約を無事済ませた。先方にも事情は事前に伝えてあったこともあり、スムーズに話が進んだという。

考えてみれば、私は×イチの長男として、母を補佐する形で祖父母の介護支援からもう二十年近く、介護に参加している。ここで父がその延長にエントリするというのは、母にとって酷である。父は妨害こそすれ一切家事に関わらなかったから、この真綿で首を絞めるような拘束の地獄を感じない。このやるせなさは、障害を持つ家族が感じる拘束感に通じるものだと思う。それが我が子の場合は底突きの果てに、ともに生きていく希望を見出していく生きる智慧がわく。生きている脈動のような生の確かさが親子をつないでいく。ところが高齢者介護の場合、静かな軟着陸を促す自己プロデュースを演じるようなもので、希望というには無理がある。父がその枠に乗ったのだった。

私は父母の介護によって、私のボランティア活動に急制動がかかることを予測していた。その分、基礎作りに焦りもした。しかし活動は個人のものではない。だから仕方の無いことではあるが、空転の結果は半歩の前進(少なくとも周辺の見通しだけは、見えるようになった。)に収まりつつある。私のやり方の不器用さを棚にあげるつもりはないが、それにしても想像力のない世界だと思う。必要に追われて、必要の隙間に隠し絵のように滲み出している未来が放置されている。私はこれを認めるわけにはいかない。私は活動を続けるから、その活動はより効率化が求められる。エンデの嘲笑が聞こえてきそうだが、私は有限。誰かにつながっているという所属保証に身をゆだねるわけにはいかない。舟板一枚上の安らぎを守って、学習カウンセリング+地域活動を続けていく。

父の診療の方も、神経内科の検査を受けることにした。私は医師を神格化しないので、専門医の衣の質を見る。ひと月前、父の転倒で近くの病院に救急外来でCTやら眼底検査をうけて大丈夫の診断を受けたが、時間帯から研修医。私の右手の中指も、右足第二指拘縮も基本的な治療が出来ていないために後遺症が残ったのも、母の右手首が歪んだのもここの病院。だからどこも大差ないとは思いつつも、複数個所の診断を求めることをする。木曜日の外来に父を連れて行くことになった。また午前中である。

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発達障碍者への情報アクセシビリティの研究者と出会うために、特別支援教育総研のセミナーに参加した。IT関連技術は、教材教具の知識伝授の場面で語られたり、障碍機能補助の場面で語られたりしてきたが、家電のように日常生活の中に入り込んで研究された成果を聞くことは少ない。

私が「わーく」の地域マスコミ活動を立てるときに、社会参加や仕事を基調にしながら、若者とつくろうとしている活動は「ハレ」と「ケ」で言えば「ケ」の活動を作りたいと思っている。携帯が一気に人々の生活に組み込まれたような、確実な変革がありえるように、障碍者にも参加可能なネットワーキングを形作る基礎技術をたどるために、国内研究者を探していた。この手の放送局などの活動をそのまま若手に任せると、基調から宴会文化が割り込み、ライブばかりの「ハレ」の形に歪んでしまうからだ。引きこもり青年には楽しくとも、障碍を持つ青年には楽しくも何ともない事態が予測されるからだった。ここは爺ぃの偏屈を通すべきと思っている。障碍特性と「茶漬け」文化を基礎付ける技術を突き合せたかった。

障碍特性ということが加わると、研究者が激減する。NTT総研あたりには居そうだが、特総研のMさんは、もろにその関係者だった。発達障害関連では視覚優位とか、比喩・暗喩表現の回避などの条件をWeb 上に還元して見せた。労働の場面のなかの補助具としての道もあるが、「わーく」のセンスを基礎付けるデザイン技術の交流を求めた。先方はすでに助成が終わった企画なのでと言葉を濁されたが、とりあえずのメール交換が実現しそうだ。楽しみにしている。

Mさんから、これを読めと指摘された書籍があるので紹介しておく。

●「Webアクセシビリティ」

「わーく」はオンラインの様々なメディア複合体なので、Mさんとの接点がある。使いやすく楽しさや必要が軽くサポートできるような土台の話だ。

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特総研セミナー「特別支援教育の今」のもうひとつの関心事は、広島大の落合俊郎氏の「特別支援教育の世界的な流れと政治」に予測された新自由主義時代のインクルージョンの姿と社会的企業の動きだった。サッチャーリズムがクローズアップされるとは思わなかった。こちらも推薦図書が紹介されている。

●「New Public Managementから「第三の道」・「共生」理論への展開―資本主義と福祉社会の共生」


私は第3分科会の「キャリア教育」の分科会に参加していた。こちらは学校教育の枠の中のキャリア教育なので、特別支援学校の授業の枠組みをなぞる感じだったが、研究指定校の流山養護のST学習の実践は、認知科学の知見の接ぎ木のように思えた。希望とか願望を原動力としてまなびを展開するのだが、それを実現の途につなげるのには、知の腕力がいる。また時が割り込めばポテンシャルをあげるのは、並大抵のことではない。濃密な関係と授業集団経営の別の力が背景に無ければ、開花しないだろう。「個にせまる!」というがこれは矛盾ではないか。まなびは本源的にインタラクティブなものだから、個を仕立て上げていくという工業化社会の労働力作りの論理、近代学校の論理を超えていない。自由という拘束の矛盾が潜んでいるように見えた。

この方式に使われたスキルの中で、アイデアチャート(イメージマッピング)は短時間の枠の中では有効。ただし時間がたつと、再構成して脳裏に経過を置くことが高度な作業なので、場面を選ぶ難がある。この方法が発達障害関連の親の会の中でも口コミで使われ始めているが、方法の一人歩きを恐れる。

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Uさんに3/1講演会のチラシをつくっていただいた。茅ヶ崎養護の支援者懇の場面で配布をお願いしたが、実はMさんにもお願いしてしまった。二重化のミス。Uさん、Mさん申し訳なし。余ったチラシを受け取った。今日、朝10時からスペアちがさきの講演会がある。こちらで撒かせていただくことにした。スペアの皆さん、ありがとう。

スペアの講演会案内はこちら>講演会

東京からの帰り、元町の家の明かりがついていたので、お邪魔。チラシを手渡ししてきた。


夜間傾聴:町田さん(仮名)

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3/1講演会チラシ配布

2008-02-19 04:07:36 | 引きこもり
今日9時半から、参宮橋のシンポ参加のため、睡眠時間を確保します。
手短に。

昨日は
寒川・茅ヶ崎・藤沢のそれぞれの議会事務局・秘書課にチラシ配布を行いました。

Uさん、Mさんにより、茅ヶ崎養護学校の支援者連絡会議席上で取り上げてくれました。

申込第一号は、一昨日からぽつぽつ始まっています。

夜間傾聴:******親

(校正1回目済み)
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3・1講演会のテーマを整えています/2/21夜19:00茅ヶ崎サポセンで「PJ会議」です

2008-02-18 05:56:36 | 引きこもり
今週は3/1の講演会のイメージを整理していきます。21日夜19:00~茅ヶ崎サポセンにてPJの会議を開きます。今回のテーマについては、

湘南東部と寒川&茅ヶ崎の地区自立支援協の発足
成年後見制度議論の高まり

という状況にあります。一方、この間の松為信雄先生の講演は「障害者のライフステージの中の就労」という視点から、就労を実現していくための準備ということで世代を遡り、学校教育・家庭教育のなかの職業教育の必要性を説き、それを「生涯を見通すこと」、「ライフステージ」と呼んで焦点化しているように思います。この世代をおろす接点で親や教員とを取り結ぶ「仕事」(指針)を明らかにしています。

今回、講演会に想定される参加者の世代が若くて、なかなか問題意識がかみ合わないこの間の難点が再び予想されますが、講演を、「学校卒業後」に向けてもらおうと思っています。大人として社会人として生きていくQOLを考える核として「就労」を見つめていく視点です。「障害者のライフステージの中の就労」の後編というか、特に成年後見制度の支えが必要になる手前までの世代像を描くことです。

「障害者のライフステージの中の就労」という視点にたてば、自立支援協の「生活支援」「就労支援」というような、自立支援協の機械的な部会区分から抜け落ちていくような質の部分を掬い上げていくことが出来るだろうし、「就労」そのものが「給与の獲得手段」という狭い観点を超えて、「つながりあい生きていくこと」という「ライフステージ」を前提にした議論へと、大きな話の流れにシフトすることができるだろうと思うのです。議論の対象はもろに「若年者」(15~34才)にスポットが当たります。

「大人として社会人として生きていくQOLを考える核として『就労』を見つめていく視点」とは、「社会参加としての就労」ということです。賃金を得るための技術論として就労を語るのではなく、「働くこと」そのものが社会と取り結んでいく絆(協業)として描きなおしていくことです。お子さんたちが、大人・社会人として働くことを通して、どういうひとたちとどのような生活を送っていくことが出来るか、引きこもる必要のない一歩先の未来像の絵を描くのです。

ここから先はPJの範囲を超える話です。>賃金獲得によって私生活を買い取る形の賃労働では、私生活は個人の勝手ですからインクルージョン(包摂)という社会活動の方向は、企業労働も私生活も、結局倫理目標になってしまいます。

就労困難な人たちが地域で結束して、地域に情報の結節点(ノード)をつくり、それ自身がプレ就労的な卒業と就職の間に立つ社会的企業(第3セクタ)として展開できれば私生活は生産から消費まで、身を分断しないで協業の体制を生み出していくことができるはずです。企業に身をあわせ、私生活は家族のバリアに閉じて消費生活を満喫する形では、それができないひとには、隣人と手を結ぶことすらできないでしょう。ネットワーキングが出来てこそ、「大人として社会人として生きていくQOLを考える核として『就労』を見つめていく視点」を保ちえます。この機能、議論と出会いを発酵させる「わーく」はPCフリークの活動ではないのです。

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父が再び階段で落ちる寸前で助かった。自尊心を傷つけられたか全く応答せず布団にもぐってしまった。昼食作りを短時間に抜けることが出来なかったので、社協の地域交流の集いには、遅刻参加となってしまった。この結果主催者にチラシ配布許可が得られず無念。

スペアちがさきが「発達障害を知っていますか」という内容の濃いパンフレットをだしました。お疲れ様! ICFに触れている点や、私が痛い目にあってきた「告知」のことも触れています。表紙がちひろ。おや?誰のセンスかなと。無料配布ですね。

このパンフ、社協の集いの会場受付のところに山積みされていて知りました。ごっそり持ち去ろうとしたら、あかんとのことで、ひとつまみだけ。(^^;

巡回:橋本君(仮名)
   多摩センター君(仮名)の親御さん

夜間傾聴:駒沢公園くん(仮名:就職?)


(校正2回目済み)

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「障害者IT支援とパソコンボランティアの展望」と「引きこもり青年の東横ネットワーク」

2008-02-17 06:31:10 | 引きこもり
セミナー「障害者IT支援とパソコンボランティアの展望」(主催:日本障害者リハビリテーション協会)に参加。テーマは単純なデジタルデバイドの補完の話ではない。工業社会から情報社会への転換の中で、障害者の生活の転換がスムーズになされるには、どうしたらよいかという発想が根底にある。実際に様々な分野から、障害者の生活の権利を守るためにアプローチがなされているが、今回も話はばらばらの感を超えられなかった。

もともと私の狙いは河村宏氏(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所 特別研究員)の「ITのユニバーサルデザインの発展と国連障害者権利条約」という講演だった。日常の活動とは無縁な世界のように感じるが、障害をめぐる世界の認識の基礎をなすような論議が技術談と結びついている。

たとえば「障害者権利条約及び選択議定書」「第2条:差別の定義」のなかで日本政府仮訳と川島聡・長瀬修 仮訳では「障害を理由とする差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。」(政府仮訳)と「障害に基づく差別には、合理的配慮を行わないことを含むあらゆる形態の差別を含む。」(川島聡・長瀬修仮訳)という具合に「合理的配慮」の「否定」と「行わない」という違いが生まれている。政府仮訳の「否定」は「意識的な行為」であるのに対し、川島・長瀬仮訳の「行わない」は「無意識・結果的行為」を含むことになる。

店舗をつくるのに、入口に段差が残ったとしよう。この段差のために車椅子の進入が阻害されたとき、障碍者がこの段差をなくすように要求できるかという場合、経営者が車椅子の進入を意識していなかったとしたら、この要求は法的な支えを持つことが出来るか否かというような形で、それは問われてくる。無自覚・結果的というようなとらえどころのないものを抱え込むかどうかということが、ここの部分で問われている。

こういうシビアな競りの世界の話が河村氏の話だった。

プロジェクタ故障という困った事態があったものの、「つまみ食い」は十分にできたように思う。(参考:「国連障害者の権利条約」

午後のシンポは、12:30から千駄ヶ谷の津田ホールで行われた「子ども・若者がつながる 居場所もつながる~子ども・若者の参加をひろげる『東横ネットワーク』を目指して~」(主催:渋谷ファインイン・ピアサポート事業調査実行委員会)に参加するためにあきらめたのだが、結果論ではあるがこの後者の企画の方は、話が熟しておらず、巡回の時間もあったので、16時で引き上げさせてもらった。この後のシンポに充実した話があったのなら「熟していない」は撤回してもいい。

久々に苅宿俊文氏の講演を聞いた。教育工学会の講演以来だから何年たっているのだろう。観点のやわらかさは魅力であるが、彼の発想には障碍者がいない。参加としてのまなび論なども健在だが、彼が言う「共同体」とは「まなびの」「学校共同体」であって、それ以上ではないし、トマセロの紹介から本源的な欲求としての「まなび」から、それをどう開花させるかを語るのは、まなびを脳裏の変化にみてしまう中途半端さや、なんで「引きこもり青年の集いに学習論なの?」という違和感を消すことができなかった。NGである。不登校が投げかける問題が、情報社会への転換を述べながら、社会の労働力の再生産という工業社会の構造に乗ったまま、新たな学校の再建にはまっていくというのは、なんともいただけないものだった。

パネラーには横浜から、岩永牧人氏と岩田充功氏という私の活動にも大きな関連をもった人物が登場していた。故*君の件では岩永氏にはお世話になった。しかし今起きていることがますます泥の雪だるまになることが目に見えていた。引きこもり青年たちの新たな動きを見ておこうという目的だけを抱えて参加したので、傍観者として参加し、傍観者として帰ってきた。

これらの会は、3月1日の講演会の話のとき、地域参加型の就労の話の際に、協働の内部に熟成されていくものとして、参考にさせてもらおうと思う。格差社会と窮乏化という問題が、情報社会への転換とどう取り結んでいるかを意識化しておきたい。論をたてるときの見通しに位置する話だ。

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新宿から町田に出た。町田2君(仮名)の要請に答えた。先日の親御さんの話の延長だった。橋本君(仮名)にも返すものがあったが、身体が軋みをあげていた。お詫びして後日に延期してもらった。

家では不可解なことが起きていた。昼から眠り続けていた父が、夕食時「8時というのにずいぶん暗いな」と言い出し、急に出かける準備を始めたというのだった。状況は急速に悪化しているように思う。私が帰宅したとき、母が姪の話をしたことにたいし、父は姪がわからなかった。家族という閉鎖空間が壊れていくその局面に入っていた。父を神経内科に連れて行こうと母と確認した。ケアマネさんは来週早々やってくる。通所型プランを立てていく予定。

3・1資料作成ここまで。松為先生と調整するため、来週、お邪魔することに。


夜間傾聴:橋本君(仮名:延期すまん)

(校正1回目済み)

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危機は重なるものと心得る

2008-02-16 05:19:04 | 引きこもり
昨日のリスカ青年の苦しみは青年の母親の心労につながる。入院は当人の砦の土台が崩れることになりやすい。この親子のサポートは、心理臨床の病院側に任せることになるが、私がこのまま親子に連れ添うべきであるかという判断が問われる。私が学習カウンセラーだから、現在の親子のニーズから、はずれたからだ。ひととして、苦しむ方への助力は当然のことである。しかしそれでも前者の問いは厳然としてある。公としては待機に移行。私としては、精神科の動きをみて一歩引いた位置から、母親のメル友を続けていく。まさに傾聴の必要な時期であり、テレコムの距離感を意図的に使う時期である。対面は控えることにした。この話題、ここまで。結果がでてきたころに報告させてもらう。

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父が階段で宙吊りとなり、背面ジャンプの位置で頭から十数段を落下する事態の寸前で止まった。下手をすれば即死だった。近くの厨房で洗い物をしていたので、悲鳴をキャッチすることができた。両手で左側の手すりにつかまり、かろうじて転落がとまっていた。そのまま飛び込めば巻き込まれる可能性が大きかった。体位を横に構えて、最悪のときは横に巻き込んでうっちゃる腹積もりで飛び込んだ。滑り落ちるなら、怪我で済む。

幸い肩で体重を支えることが出来たので、体位を前傾に直すことが出来た。父は階段にふんばり、うつ伏せになり、私は一度その状態で休ませるつもりで指示をだしたが、父は無視。興奮して足を蹴り上げると数段先の踊場に駆け上がった。そこでまた腰を抜かすように転倒してしまった。窮地で指示を聞いてもらえないショックは残るが、何とか危機は脱した。

母が離れから走りこんできて、私に怒鳴られた。母がころんだら終わりだからだった。この家庭に閉じた緊張はいずれ更なる問題を引き起こす。市役所の用地管財課と産業振興課に用があったので、ついでに高齢福祉課の知人に状況を話しておいた。介護認定が要介護1が出ていたので、少しでも通所プランを実現できないかと、祖母のときお世話になった民間ホームのケアマネさんと契約を依頼した。来週早々にプランの相談にきてもらうことになった。第三者が割り込んでいるということが貴重なことなのである。ガス抜き策、とりあえずスタート。

帰りに糖尿病専門医の主治医に介護認定の結果を報告しながら、数少ない神経内科筋に足を見せるため予約を取り、主治医に紹介状を依頼した。通院が二箇所になる。実はこれも家に篭る父を外出させる算段のひとつである。動かなければダメ。そこに必要を配置した。

夕食の食材を買い込み、サポセンに3/1講演会のプロジェクタ予約の電話を入れる。松為先生へのコンタクトは、これから再メールする。今日は10時から新宿戸山サンライズでシンポ。午後から渋谷ファンイン・ピアサポート委員会の東横ネット作りの会合に参加する。父の件は逆療法を使うことにした。母を家から引き離した。1Fの茶の間にいて2階の居間に上がるなと父に指示をしておくことにした。20時前には帰宅できるはず。今夜は傾聴無し。

対策の網をかけたぞと自負して、食材を抱えて帰宅。玄関先において、ショルダーに交換して巡回に出ようと、玄関の扉を開いたら、煎餅の包み紙や、インスタントパック飯の容器が茶の間に散乱し、黙ってTVを見ている母に、大笑いしながらTVの話をしている父の声が聞こえてきた。さすがに気持ちが萎えた。「食材を玄関に置いた」と母にどなり、家を出た。再出発は気持ちが萎える。止めを刺された気分で相模大野に向かった。

入院した子の報告を出し、退学要請の有無を進言。巡回は相模大野にて、町田2君(仮名)の親御さんと話し合う。終バスが出てしまったので、タクシー。今回は親子の状況が状況なので、タクシー代はOKさせている。今夜は数時間寝て、今夜は早く寝ることにした。

ミルトン・メイヤロフ「ケアの本質」入手。


夜間傾聴:取りやめ。

(校正1回目済み)

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