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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

9/29 全国地域寄せ場交流会に参加(?)し

2012-09-30 06:37:09 | 引きこもり
2012/09/29 記
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路上生活者支援の@@さんから、

9/29・30 YMCA三浦ふれあいの村にて
「全国地域・寄せ場交流会」

の情報を教えていただいて、早速覘いて来た。出発は前日からの夜間傾聴と母の件があるので午前中というわけにいかず、帰りも相模大野に20時前までには入らねばならなかった。どうしたものかと思案したが、資料をいただくことや、会いたいひともいたので、出かけることにした。しかし会場に近づくにつれ、もうひとつの恐れが出てきた。山道に街灯がないのだ。網膜色素変性症の私は、いわゆる「鳥目」状態、闇が苦手なのだ。鍾乳洞に入っていたときと違い、壁がない。懐中電灯は携帯しているが、月明かりがまだないので日没前に帰らねばならなかった。

私は20代の頃、学習困難児の学習指導の出前をしていた。そのとき、社会的要因のため、貧困が受け継がれていく現実に出会った。また私自身も体験してきた病弱者の院内学級をみてきた。私の場合は、重度の小児喘息と結核による留年体験から、自分独自の道を歩まねばならない亀裂のようなものを意識してきたから、院内学級の子たちの指導者と協力することは、全く違和感がなかったが、社会的体験からの差別・抑圧の存在は、普通といわれるひとたちの学習と進学は、そういう作られた立場の違いに寄って、そぎおとされ、残った結果を普通と呼んでいるということに気付かされた。そんなことで、私はと識字学級を手伝っていた。同時に心身の要因によって教科学習が疎外されていることについて、塾の場を活かしていくことを試みていた。

夜間中学のサポートに入ったこともあった。そうした経過の中で、スラムの存在を知り、それは路上生活者の接点へと拡がっていた。しかしここでも、心身の要因、今で言えば自閉症スペクトラムが重なっていたり、軽度の知的障がいが重なっていると思われる方がいて、指導を変えたことが、支援者の常識からはずれていた。そんな対立に貧困下の教育現場から追われてしまい、結果、大人の路上生活者の支援とも次第に離れていた。そこに不登校・引きこもりの青少年の指導という課題が大きくなり、フリースクール作りへと舵を切っていったのだが、自閉症スペクトラムや欝との取り組みから、卒業生の就労挫折組の指導が始まり、訪問指導から、再度貧困へのすべり台構造と向かい合うことから、再び貧困のことと向かい合うことになった。

寄せ場交流会は、2年前だったか東京のオリンピック記念体育館会場のとき、その会場の上の会議室でソーシャル・ファームの打ち合わせをしていた。知った面々と意外なところで出会い、「全国交流会」の存在を知ったのだが、参加は今回が初めてだった。

とにかく往復4時間強は痛かった。14時前に出発し着いたのが16時台。予約もなにも日程自身を知らなかったから、とにかくどこかの分科会に入ることになった。会費2千円は資料費のようなもの。私は会いたい人がいそうな福島原発の作業に借り出された非正規労働者の関連分科会に出て、目的は達せたのだが、1時間もしないうちに閉会。バーベキューの時間には夕闇が濃くなっていた。資料を抱えて、急ぎ暗闇の山道を下り、横須賀駅行きのバスに乗ることが出来たが、とにかく接続が悪く、相模大野に20時ぎりぎりセーフという状態だった。日曜日も交流会はあるが、橋本への訪問指導がある。参加は無理だった。

実質は分科会の**さんに再会することと、資料をいただくことだから、出費は痛かったが、目的は達成した。三崎口駅は、昔、小網代の自然観察で来たことがあったので距離感はあったが、私たちの「わーく」編集部のひとりが久里浜から来ている。改めてご苦労様といいたい。

もうひとつ、いわゆる左翼臭さの会場の雰囲気も久々だった。懐かしさもあるが、強面のわりに切れ味を感じなくなっていたのは無念。余計なことではあるが。要はアプローチの多様性のことだと思うのだ。

来年は、近場なら改めて時間をとって参加したいと思っている。

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母の遅い夕食、紀文のおでんを買って帰る。見るなりへそがまがった。胃切除したものに、こんにゃくを食わせるのかと。やむなく、ヘタクソな出し巻玉子を作って納得させた。とても三崎に行ってきたなどとは言えない、極秘である。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正3回目済み)
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9/28 月末駆け込みのように、事態は進展し

2012-09-29 04:54:26 | 引きこもり
2012/09/29 記
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月末に駆け込むように、いくつかの物事が動き出している。

ひとつは、連続セミナーの講師の件。やっと茅ヶ崎からのメッセージの真意が先方に届いた。まだ日程のすり合わせや、費用など未解決の部分が残るので、安心はできない。忙しい方だが事前調整だけは踏まえたい。最悪のとき、神戸に出かけることになるが、やっと接点が生まれた。11月はタージが防災訓練を予定しているので、企画の重なりが無いように、そこは注意していきたい。

もうひとつは、陸前高田の広田町との接点の件だ。三重大の勝川教授の提案との関係で、生活支援の道が開けるかもしれない。その件である私学の教頭と話をし、可能性を確認した。しかし本来は北里大の学生さんと話をしたい。広田町が陸続きの島社会のような自立性を持った高齢者社会の先駆けの地域コミュニティであり、ここの地域医療と保健福祉の大事なモデル地区となる鍵が提供された。この件で事務長に頑張ってもらい、対話を作っていきたい。普通校であるが、今日は継続提案の道が出来た。思案のしどころに入った。これも電話が契機。

最後は、高校生の災害ボランティアについて市教委の協力の道が開けそうだ。11/13の県立鶴嶺高校ボランティア塾にシンポのチューター的形で、議論に参加してもらう講師依頼をめぐって、行政の下準備が始まった。私は視聴覚資料を準備しはじめた。順調に行けば西浜高校にひきつがれていくのだが。

連続セミナーの第二回は被災時の障がい者の生活・医療・福祉にわたる議論だ。講師依頼書は出してあったが、解説付きの資料を昨日送り、今朝、読ませてもらうとの応答があった。このときは、予算がつけば陸前高田の高田病院・希望が丘病院から、地域医療計画と早急な課題を受けようと思っている。陸前高田に行きたい。しかし、茅ヶ崎側からの現地地域医療福祉ネットワークへの協力が絶望的な現状にあるので、講師に土産を持たせられない。この辺がなんとも悲しい。

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路上生活者支援の@@さんから、

9/29・30 YMCA三浦ふれあいの村にて
「全国地域・寄せ場交流会」

があると教えていただいた。この間、辻堂の%%さん、海老名の&&さんのふたりの見守り支援は続けているが、ふたりとも熟年。私の本来の若年層路上化しつつある引きこもり青年の見守り支援を行なう都市部の活動が消えている。その辺のこともあるので、覘きに行ってくる。

「三浦ふれあいの村」は、京浜急行「三崎口」より3番バス。「和田」で下車後、徒歩15分。

土日でなければ、県立保健福祉大図書館で、講師候補の連絡法の検索をしてくるのだが。時間も足らない。明日は2時間居られるかどうか。相模大野に戻らなくてはならないのだ。

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父の入所している老健に寄った。支払いがあるから月末には必ず行く。父の介護度認定の更新検査が4日になった。立ち会うのだ。父はいま、「刻み食」を食べている。嚥下障害が出始め、誤嚥性肺炎を2回起こしたからだ。しかし「刻み食」は、味気ない。次に来るのが食欲減退>体力低下>衰弱>持病発症という坂道だ。様子がいいようなら、元の食事に戻してほしいと頼んできた。

夕闇の迫るバス停で、ぽつねんと雑草が生い茂った畑を見ていて。暗澹たるきもちになった。父が入所、母が通院治療中。親を送ったら生きるも死ぬも、ひとり。目も時間の問題。死ぬために生きるのではない。生を全うするために生きるのだ。こぶしを握り締めていた。

母に鶏なべを準備。私は低カロリーカレーとバターロール2こ。ふたりとも剥きトマト付き。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・病院にいってきたとか)

〔校正
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9/27 発達障がい関係の方の協力を得たものの

2012-09-28 06:13:17 | 引きこもり
2012/09/27 記
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発達障がい関係団体の**さんと会った。連続セミナーについて狙いを説明。私の資料は、量が多いのでうんざり。YesもNoもない。ともかく支持してくれたのはありがたかったが、話をしていて、講師の方に早急に会いにいかねばちう思いがこみあげてきた。私の提案の大切さを再確認しているような不思議な感覚だった。

ふたつの柱、ひとつは「災害ボランティアの現状打開」もうひとつが「災害時要援護者の保護」という話だが、前者は立場の違いで空転しているのがわかった。「東日本大震災の復興支援は現地訪問支援に任せ」これからは「地元防災」という割り切りが持つ無責任さだ。震災後1年目から始まる生活再建の困難な長い道と孤立化。伴走方法を考えていかないでどうするのだという指摘を私はしている。この孤独な道を、講師++さんは、阪神淡路の震災に看護という視角から寄り添ってきた。この経験は東日本大震災にも必ず役に立つ。私はこの方の活動紹介を読んで手ごたえを得ていた。だから、是非講演を実現したいと考える。だから事前にぜひ面会したいのだ。神戸にお邪魔したい。「広田半島通信」を実現し、地元の方を招待するために、陸前高田にも足を運びたい。資金に縛られている。方法はないかと、もがいている自分が**さんと会って、恥かしい。社会活動をやる者がかかえるのが常のジレンマだからだ。++さんには、明日電話でお願いを伝えていこうと思っている。

台風が近づいている。嫌な風が渦巻いているが、明日は出だ。塾長は尖閣列島と竹島に熱くなっている。震災前から塾長は在日外国人への社会の不合理に取り組んでいたから当然では有るが、震災被害者が消える感覚が私にはわからない。政治に翻弄されて流れて生きるのは嫌だ。

●「東日本大震災 医療と介護に何が起こったのか 震災関連死を減らす」
●「オランダの社会住宅 住宅セーフティネットのモデル」

を入手。


夜間傾聴:なし


〔校正1回目済み)
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9/26 高齢者・障がい者団体の方と、連続セミナーの件を話合って

2012-09-27 05:03:40 | 引きこもり
2012/09/26 記
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連続セミナーを支えてくれそうな団体の方々にメールを出した。その中で、今日会ったのは、故祖母のお世話になった高齢者訪問介護の事業所関連の方と、看護の関係の方。「手をつなぐ育成会」の関係の方。いずれも「高齢者」の医療・介護の方たちや、障害者福祉・親の会関係の方だ。

今回のセミナーは、「災害時要援護者」という大きなくくりを立てて、実行委を作ろうと呼びかけ、継続的でなくとも活動の具体的検討を行い、セミナーの質を濃く練り上げる準備会を作りたかった。例えば高齢者支援の関係者は、認知症者の在宅介護と被災と立てることのリアルはあっても、妊婦さんやその出産、乳幼児子育てと被災の関係は、誕生と余生のような価値の隔たりを感じて、優先順位を意識してしまうとか、欝や引きこもり等の若年層の地域孤立や情報格差の課題などは、自己責任に思えてしまうという立場の差が予想外に結束を難しくしている。ましてや「東日本大震災被災者の継続支援」や「防災の日常待機」の形や程度となると、「東日本大震災被災者の継続支援」という課題が、実は支援活動をしていなかったために、「防災」はわかっても、支援はピンと来ないというような、連続セミナーの2本柱「東日本大震災被災者の継続支援」と「防災の枠組み作り」の片方がないということ自体が出てきてしまう。

今回の説得は、大局的な見方の中から、集まることでどのような成果が期待できるかを必ず入れて話した。これは第三回の「つなプロ」(日本財団バックアップ)の視点でもあるのだが、初回の方はそこを阪神淡路の生活再建の経験という期待が持てる講師の人選をしたつもりでいる。偉そうにいうが、救急看護の関係者から教えていただいた方で、当人の語る記事や執筆書を読んで引きこまれたというのが正しい。

高齢者関連の事業者の方々は、話を持ち帰ってくださったが、講演傍聴者となっても主催側に立ってくれる感じが得られなかった。一方「手をつなぐ育成会」の方は、お付き合いが10年を越え、障害者と被災について取り組んでいる片であり、市の審議会の関係者である関係から、対話の展開速度は速く、発想の基本線は確認できた。しかし障害者自立支援法が新しい法に移行する時期と重なり、2月おきというピッチは無理があるということだった。助成金の年度しばりがないのなら、日程にもっとゆとりが欲しいという要望を得た。

しかしそれは、災害ボランティア畑の活動の状況からは、「東北の被災者は現地訪問ボランティアに任せて」私たちは「地元防災」だという非被災地活動の縮小の道であり、それが根付く前に生活支援の活動を提案し拡げておきたいという思いがある。それは間を取るのではなく、塊をぶつけていくことの方が、必要なことだった。

いずれにせよ、この連続セミナーは、障がい種別を越えた市の連絡会の方にも提案する価値があるということで、ともあれ、知的・発達の障がい関連の方々の知るところとなった。また民生委員・児童委員の連絡会の方々に説明する場を設け、仲介をとって下さることになった。

また運営費・講師謝金&交通費等12万円強は、最悪の事態私の立替えとなるが、助成金が取れないときは、金額的に追いつかずとも、会場費500円を毎回とることで補助にする。

とにかく、講師が私を信用していないので、構成員の所属を明らかにすることが必要。講師が承諾を躊躇しているからだ。講師の説得も本番に入る。

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この話合いから、副産物が生まれた。「QRコードを使った個人医療福祉カード」を茅ヶ崎市との協働の課題に、取り上げてくれることになった。私の提案は、市の評価を得ていたが、民間推進者がいなかった。それを取り上げてくれる意義は大きい。「災害初期避難誘導員制度」の提案の方も動き出してくれると本望なのだが。

明日は「発達障がい」関連の方と会う。市会議員団関係にも広げてほしいと頼むつもりだ。

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被災犬猫の新しい飼い主さんを探す通信No.12犬号を発刊する時期になっている。これは県立鶴嶺高校ボランティア塾の関係で、高校生を編集部に入れたい。行政課の協力を得ることにした。

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**子の就労支援の件で蒲田駅近くの作業所の責任者と電話で話すことができた。案の定、定員オーバーで店番は会員の中の募集であるとのこと。諦めずに責任者と会ってこようと思っている。しかし日が無い。頻繁になると交通費二千数百円が飛んでいくのが重荷になる。別件の用事で東京にでるときに重ねたい。親御さんとも相談したい。**子の誘導も感じるからだ。

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母が同窓会が年齢のため閉会するとのことで、寂しいと言い出した。仲の良いメンバーを湘南に呼んで、食事会をやりたいから、仕切ってくれと言い出した。私が忙しいから堪忍してくれと言ったのがいけなかった。ラマダンを始めてしまった。困った。

塾の遠足企画も逃げている。スカイツリー周辺散歩らしい。

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9時から、会議。数時間でも仮眠を取る。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)




(校正1回目済み)

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9/25 仕切り直しの一日

2012-09-26 06:07:04 | 引きこもり
2012/09/26 記
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橋本3君の就労体験話は破談に終った。彼は結果的な進学選択となった。今後どうするか、橋本3君のお宅に塾長が行っていたが、その報告がてら、担当者が集まった。私は相模大野の学習面談と重なって、橋本3君の方は会議を欠席した。在籍させておくべきではないという意見も出たらしいが、彼の通い慣れた居場所もまた塾なのだった。学習面談はすぐに終ったので、自宅作業分を抱えて家にもどった。

先日の触法青年の学習支援の受け入れ拒否の経過レポートが届いていた。こう立て続けに指導が失敗すると、正直言って気持ちが萎える。●「つないで支える。災害への新たな取り組み」読破を今日の課題としたが、全く読み進めなかった。連続セミナー第三回目の課題だ。

大型被災時、各地では一斉に全国から集まり、救援活動が行なわれるが、その救援と救援の狭間に、要救援の方が陥ることがある。「つなプロ」の問題意識は、活動の隙間に人が陥り、孤立してしまうことに対し、ボランティアの領域を超えて対応できる調整屋を連絡会とともに設置、全体把握を団体に還元していくという提案なのだが、社協のボランティアセンターが、とろくて役にたたない経験からみると、ボラセンのかわりを作っても機能的に役に立てるのか疑問が残る。ただ、救援の狭間対策は必要だ。

猛烈な睡魔に襲われている。明日は、一日目の講師の事務所に連絡を入れる。大支払い大会。銀行巡回をすませ、手をつなぐ育成会に働きかける。

地域医療福祉への協力活動のイメージをプリントに図式化している。説得用なり。

夜間傾聴:私がダウン>休み


(校正1回目済み)

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9/24&25 連続セミナー講師と支援者宛てメールを出して

2012-09-25 06:53:37 | 引きこもり
2012/09/24&25 記
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連続セミナーの講師依頼仲介者から、私の要望が複雑なので、直接依頼して欲しいというメールが還ってきた。専門職の活動に素人が連携することが、やはり面食らうらしい。サイドガードはして下さるようだ。早速メールを書いたが、やはり会いたい。神戸の方なので、交通費がかかり先方に出かけることができない。ともあれ陸前高田に近々行かなくてはというところで出費がきつい。

時々関東にいらしているようなので、そこで説明を加えたい。

しかしいつも、卵が先か鶏が先かというジレンマにぶつかる。日常的に組織内で共同行動を取っているわけでなく、今回の講演のように、その都度集まるから、不確定要素が大きくなり、講師が決まらねば集まらない、集まらなければ講師が来ないという悪循環の中にある。

今回は阪神淡路大震災の経験を持つ医療畑からの提言となる。仮設をベースとした、災害時要援護者の支援、QOLを上げる活動、それを地域医療福祉ネットワークに乗せていく、使い古された言葉だが「生活と命を守る」自主活動推進にまで、初動をかけていく活動、それが被災地内外の裏方活動の基本だ。

私は「裏方」である。緩急整備から就労支援といういわば地域の「公」の活動はいわば男の論理だ。生活と健康という世界は「私」の世界。そこが様々な軋轢にきしんでいる。そこを調整する活動である。

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今回の連続セミナーは、災害弱者保護の視点が通る。だから東北の被災者支援と防災の両輪を押していける。そんな話を織り込んで、関係者6箇所にメールを入れた。またかいなといわず、講演がタイムリーであることを理解して欲しい。どのみち応答が無いだろうから、お邪魔してまわるつもりでいる。

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**子から電話が入った。出来高払いの内職が欲しいという。細かいハンデが有る上、**子の体調がよくないので、周囲が落着きようの無い家の自室にひとりこもって作業ということは、なさらにストレスをためる。勧められないし、ノルマの無い内職はないだろう。大田区のハローワークと調整することになった。蒲田ではなく大森に作業所はないか探している。

陸前高田の高田病院の医療スタッフに会いたい。「ナース発 東日本大震災レポート」を読み始める。病院看護師さんには、救急治療の激務の様を、訪問看護師には声を潜める災害弱者たちの現状を語ってほしい。

今回の特徴は、高齢者訪問介護の業者にも声をかけていることだ。おそらくこの講演は大きな意味を持つだろう。

全国民生委員児童委員連合会が出した「要援護者支援と災害福祉マップづくり」を見ていると災害時救護に飛んでいくことが迅速にできるためという発想が基本にある。しかし、仮設住宅のように移動転出の多いコミュニティに、この方法は適切なのか。一度被災した地域の二度目以降の防災は、初発の被害対策をうつ地域とは違った細やかな対策を考える必要がある。

橋本で降りるところを八王子まで直行、居眠りの自分のいびきで目が覚めた。恥かしい。

夜間傾聴:社会人クラス全員(これは塾長の指揮、こころの避難訓練というところか、煩かった。)

(校正1回目済み)

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今、連続セミナー実行委への参加協力依頼のメールを書いています

2012-09-24 05:03:23 | 引きこもり
個別に書いているので、まだ3分の1済んだ程度。
今日の日誌は間に合わないので、お休みします。すみません。
次回は合併号を書きます。


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9/22 東京を回り(単身高齢者マンションの孤独)/NHK 23日10:35より広田町の

2012-09-23 06:05:21 | 引きこもり
2012/09/22 記
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母の昼食を早めに済ませてもらい、元児童相談所職員の**さんと会い、触法少年++君の登校忌避の相談が塾に来ている件で、児相紹介後の対応について、どこまで協力してくれるものか事例を教えて欲しくて、30分ほど湘南台駅前の店で話し合った。(児相を利用すること自身が微妙だった。)

結局、彼を塾の力不足で断ることにした。塾にはいじめ原因のPTSDと戦っている子が複数いる。そこに粗暴化している彼の矛先がこの子たちに向けられたときのことを考えると、受け入れるべきではないという苦い結論だ。彼が落着くまでの衝突のことを考えてのことだった。数年前だったら、私の訪問型の個別学習指導に場をつないでいたに違いない。塾の経営状態がよくないから、長期化が予想される子は請けてくれるなと、訪問縮小の話を塾長から聞かされていたからだった。彼は神奈川在住者だが、八王子在住の講師が東京側の受け入れ先に心当たりがあるというので、引き継いでもらうことになった。

湘南台から戸塚に出て、横須賀線で小伝馬町へ。家業の件で用件を済ませ、休日で閑散とした問屋街を抜けて馬喰横山から渋谷へ。遠縁のおばさんの消息を確認しにマンションまで行ってみたのだ。植木鉢の朝顔の葉が整えられていたが。共同使用の集合ポストに郵便物が溜まっているので、入院したのだと思い、隣部屋の住人のブザーを押して、様子を伺った。

実はその話にぞっとしたのだった。「昼間働いているわけでもないし、十数年ここに住んでいるが、隣人の名前も顔もわからない」という。ただ巡回警察官の話で、このマンションは、ほとんどが単身高齢者世帯で、今年に入って2人が施設に入って空き家状態で、防犯上問題なので巡回していると言っていたという。特養なら住所を移すだろうと私が問うと、ここにいるひとはお金に困っているわけじゃないからという。私は単身高齢者の孤独死を考えるとき、生活保護を受けている方たちのアパートをイメージしていた。建物自体は設備が贅沢ではない1LDKだが、確かに血縁の世話やハウスキーパーの入っていない、自立生活が困難な高齢者もいてもおかしくはない。場所もいいから家賃は高いだろう。公的支援を受けず、他人を入れずに、静かに余生を暮らしている方も確かに居てもおかしくは無い。ただ老いと死だけは平等にやってくる。

こうして、主の居なくなった部屋の玄関扉に、我が家の電話番号を紙に明記し、連絡が欲しいとした貼り紙してきた。管理人さんでも連絡が入るかも知れない。災害時、このマンションの人たちはどうなるのだろう。エレベータのない4階建て、階段は広いが手すりが無い。隣人が疎遠。30人近い方がどう避難されるのだろうか。

渋谷に出て、山手線品川経由で蒲田に。ここから環八に出て歩く。**子をつなげる福祉ショップの関係者に会うためだった。徒歩20分、もうここで、テンカンをもち、方向感覚が弱い子が通える距離ではなかった。バスはあったが、途中分岐していく多種路線なので、乗り間違いを起こすだろう。

地図を持っていたのでお店の発見はすぐだったが、店はしまっていた。電話してみると、前言を翻し「祝日は休みなのだ」という。先方は、ご近所感覚でことを語っている。しかし、ここにくることは、実質往復4時間弱の仕事なのだ。それをいうと、「そんなに遠くからでは、利用は無理でしょう」と、先日私の話したことは、全く通じていなかったことがわかった。

店番募集情報があったこのお店は、徒歩の距離から無理だった。気を取り直して、もう少し蒲田駅よりの、もう一件のお店を確認しておくことにした。すでに日が落ち人通りもなく、土地勘のない人間には場所探しが大変だった。幸い路上駐車違反を取り締まっていた警官をみつけたので、質問すると近くの店に行って、私に場所を教えられないかと、2軒口を聞いてくれた。おかげで、近所だからと、店の前まで私を案内してくださった。感謝です。

そのお店は、店番募集はしていないが、蒲田駅から徒歩十分程度で、道がわかりやすく、目印もあった。こちらのお店は祝祭日休み、営業終了16時ということで、お店の写真を撮ってきた。蒲田駅前で食事。川崎から帰宅した。遺跡発掘のような抜け殻を歩いてきたという感じなのだ。

川崎で「事例を通して学ぶ 避難所・仮設住宅の看護ケア」を購入できた。偶然座席にすわれたので、さっそく本書を読み始めた。辻堂につくまでに読み終えた。

昔の准看護婦レベルの災害看護ケアの「教材テキスト」だ。経験と勘がかなり織込まれている。もしも講師をお願いするときには、話題を防災に話を向けて、こうした一般論を語られたら、それはただの研修になってしまう。講師の体験を語り、場のジレンマを問いかけてくれなくては。そして生活再建と地域復興の影、災害時要援護者の支援、生命の保護を具体的な地域例のなかに語って欲しいと願う。

この書の「災害時要援護者」についてp.51を読むと、視覚障がい・聴覚障がい・歩行障がいの身体障がいは出てくるが、知的障がい・発達障がいは検討さてれいない。またp.63に取り上げられている仮設トイレの件。洋式トイレではないのだ。このために足腰の悪い方は、しゃがめない。私も陸前高田で、ひどいめにあった。

今日23日は、朝10:35~11:23、地デジ・NHK総合で、陸前高田市広田町の復興の住民会議が放送される。連続セミナーの講師謝金立替えを考えると、現地に出かけていけない悔しさ、無理矢理棺桶に押し込められるような不快感がある。焦っても仕方が無いが、活動足踏みが悔しい。動け、状況!

●「明日へ-支えあおう-復興サポート▽漁業から町は生まれ変わる~陸前高田市広田町2」(48分)


夜間傾聴:橋本3君(仮名)


(校正2回目済み)


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9/21 講演会下準備/2つの電話に翻弄された一日

2012-09-22 06:42:53 | 引きこもり
2012/09/21 記
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**子の就労先の打診で、蒲田駅周辺の福祉店舗訪問に時間切れ。茅ヶ崎市の高齢福祉課から父の介護度認定更新の連絡が入ったと、母から連絡が入った。毎回私が立ち会うので、高齢福祉課にかけるべきところ、父の入所している老健に電話して、先ほど調査員の方が検査を行ったと老健から誤情報が入ったので、横浜駅の構内で立ち往生していた。結局それは別人のものであり、日程中世のために,自宅に電話があったのを、母が取り違えていたことがわかったのだが、ホームのベンチのところで1時間も立ち往生していたのだった。まとめて巡回する予定は、今日は厄日のように足止めされていた。

この騒動が終った直後、また茅ヶ崎市の市民自治推進課から問い合わせの電話が入った。災害ボランティア講師の件だったが、被災地から「盆栽」に詳しい講師を知らないかという問い合わせ。驚いた。「盆栽」で仮設生活にゆとりをもってもらおうということらしい。ため息が出たが、課の方も困っているんだろうと、仮設在住の高齢の方で、笑って引き受けてくださいそうな方がいることはいるので、その話を課の職員の方に返したが、実際のところ、高い所に立ったときのように、足から血の気が引くのを感じた。被災の苦しみが通じないひとがいる。課の方では、仮設入所者の方ですかと、別の意味で躊躇している様だった。足止めが入った気がして、**子の件は日を譲り、横浜線で相模原に向かった。

いけないとはいわない。しかし「盆栽」には度肝を抜かれた。

横浜で県サポで用事を済ませたあと、有隣堂書店で以下の書籍を入手した。

●「あと少しの支援があれば」
●「東日本大震災 高齢者、障害者、子どもを支えた人たち」
●「要援護者支援と災害福祉マップづくり-第2次民生委員・児童委員発災害時一人も見逃さない運動」

災害弱者の資料である。この関係者は、看護関係者の11月の講演と連続して、1月に実施したいと考えている。最後の3月講演は「つな」プロ(日本財団)関係で締める。単純な災害体験紹介にはしない、最後が役不足だが。

**子の件は、やむをえない、明日、行きなおす。土曜日は開店しているとのこと。

介護福祉士関連のHPに、具体的な「地域生活支援内容」の記述のある頁を見つけた。活動イメージを絞り込んでいくために、参考になりそうだ。

●「地域生活支援内容」

「ナース発 東日本大震災レポート」(日本看護協会出版会刊)読み込み開始。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)

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9/20 進まぬ再建、「大槌町 保健師による全戸家庭訪問と被災地復興」から(下)

2012-09-21 06:23:49 | 引きこもり
2012/09/20 記
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書き始める前に、二重ローン救済制度が使われていない実態を描いた朝日新聞の記事が、HP上に登場した。いかに復興が足踏みしているかがわかる。リンクを本記事の最後にまとめておいた。この遅延が福島では、被災者の自殺が置き、裁判となっている。また、長期戦には、互いの顔がわかる継続個別民間交流(擬似親戚づきあい)と、風化させない継続的な中間支援者の演出が必要となるが、大きく動機付けるのが、「災害時相互応縁協定」という自治体交流や、集団交流を超えた学校間個別交流だ。「おうえん」の「えん」の字が「縁」となっているのがいい。これもリンクを参考に。

私の健康診断の結果は、糖尿病と非糖尿病性の網膜色素変性症以外は健康だという不可解な結果となった。糖尿病と網膜色素変性症があって健康といえるのだろうか。

医師:「酒、煙草は、やめたほうがいいですよ」
私:「節酒禁煙主義者です」
   (節酒>年間ビール数本、足のつり対策のジン、年間200cc程度)
医師:「あ、あ、ならいいです。カロリー摂取も管理して、目によくないです」
私:「糖尿病性の網膜症と、網膜色素変性症は関係ないはずですが?」
医師;「あ、ならいいです」

総合診療科は鑑別診断という経験のいる診療科のはずだが、大概は新米の若手医師か、雑巾状になった定年再雇用組の医師ばかりなのだ。前回は「うちの糖尿病内科に通いませんか」「いや、下手だから…、機械があるから検査だけきます」「…」という棘だらけの会話があった。茅ヶ崎の4つの病院、それぞれ「個性的に」ひどい。入院したくない。

相模大野に出かける途中、藤沢ジュンク堂で、今回の講師の執筆した新刊の取り寄せをする。いずれも専門職の閉じた地域医療福祉活動だ。そこに連携する支援活動とは何か、具体的に拾い出す検討活動がいる。「外出支援」もそのひとつだが、「災害時要援護者」というくくりを更に「外出困難者」というカテゴリーと重ねて or の部分を取る。通院だけでなく、買い物としたとき、同伴時の転倒があったとき、当事者をいかに守り、責任をとっていくか。

やはり、今年で廃止になるヘルパー2級取得を勧めていたほうが実践的になる。次年度から「介護職員初任者研修課程(仮称)」となって、筆記や実施研修が厄介になる。ボランティアとしては痛し痒しなのだが。この辺のことや、保健師さんの協力の世界を専門職側にも意識してもらわねばならないことに。ハードルをいかに低くし、なおかつ当事者の安全を守る、まずはデスクワークの議論を早急に積んでいく必要がある。

相模大野校では、医療福祉系の専門学校生と組めばいいという発想がやらたとでる。実際専門学校を歩いてみて、話題を持ち込む前の障壁が高いことを感じる。理事・教官が動かないと無理だ。茅ヶ崎市内には熱心なところがあるが、企画がしっかりしていないと、「いっしょに考える」というところにはならない。失敗は尾を引くので、大枠がかたまらないとと二の足を踏んでいる。

「大槌町の…」の母子・成人・高齢者・精神保健のそれぞれの対策は、被災者・地元民の喚起を狙ったコミュニティ支援とアウトリーチによる保健師のパーソナル・ケア・アプローチが対策ついでにあげられている。心配なのは,保健師さんは全国の補助支援が得られるだろうが、継続できるのか、過剰負担になるだろうと予測できる。被災者・地元民の喚起とは、実際上は受動協力だろう。短期訪問者は結局はここの部分で協力していくことになると言っていいのだろうか。パーソナル・サポートはひどく気力を要する。それだけで手一杯だろうとおもう。教科書通りの対策に見えてならない。

また、この三陸海岸一帯が、若手が戻ってくるのは、一部の地域だけだろうと思われる。だから高齢者のQOLを上げる方向を向いた活動という、バイアスをかけた活動を考えるべきだろう。とにかく高台移転や二重ローン救済制度がまだ機能できないことに象徴されるような異常な状態の中にある。集団対集団の民間交流は、教員などの得意技だが、「ハレ」ではなく、私生活の「ケ」の個人交流をひろげ、「元気付け」などではない、高齢者にも利用可能な交流媒体と、家族交流を組織していくことが、保健師さんとのネットワーク支援となっていくだろう。この非被災地活動を含む活動を今後の「連続講演」の議論に載せて行く。

これから、ある製薬会社の助成申請を担当者の方と相談する。実績の無いところには出ない基金だが、可能性を追いたい。また、蒲田駅の近くの小規模作業所のところに、**子の就労支援をしにいく。夜に相模大野まわりで、指導面談すませて帰宅というところ。先ほど、母の孤食批判がでないように、不細工な厚焼き玉子を真夜中、焼いておいた。

夜間傾聴:なし(続くと寂しくもあり)


(校正2回目済み)


●「被災ローン減免、利用わずか71人 金融機関は消極的」
●「「原発の避難生活で自殺」 福島の遺族、東電を提訴」
●「災害時相互応縁協定:宮城・村田町と多可町、来月1日に /兵庫」
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9/19 NPOサポートちがさきの全体会がありました

2012-09-20 05:02:48 | 引きこもり
2012/09/19 記
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茅ヶ崎市関係課との意見交換会アンケートや、11月開催希望の災害ケア・ボランティアの連続セミナー初回の講師依頼状、19日午後に開催されるNPOサポートちがさきの全体会配布資料(予定案・連続セミナー協力依頼)、橋本3君の正規の後始末の礼状等を、夜間傾聴の待ち時間に打ち終えないといけなかった。幸い、専用携帯は鳴らなかったので、なんとか打ち終えたが、テーブルに額をしこたま強打してしまった。時計は6時を回っていた。

こんなときの文章は睡眠をとった後、読み直ししてみると、誤字だらけである。それならまだいい。私は文章の泥ダンゴ流重文指南役だから、居直ってあきらめている部分があるが、文脈がぶれているのが、ありあり。書き直しの時間がないので、目を閉じて送信…、すみません。

やっと同姓同名の講師が関西の方の方だとわかった。連続セミナーは関係者向けなので、なかなか実行委に参加せず、価値が見えなければたちどころに出席自身もあやうくなる。当日の会が成り立つかどうかの綱渡りは、事前の必要性説明を成功させなければ、講師と私ひとりの憂き目も現実である。事実、地元大手2団体がもつれたところに、別団体の企画が重なり参加者0、講師に頭を剃って詫びたこともある。まあ、スキンヘッドがはやっている現代では、その行為自身も詫びたことにならないが。とにかく実行委が企画を牽引し始めないと。

阪神淡路大震災は「内海沿岸の都市型災害」であり、東日本大震災は「リアス海岸の集落型災害」という違いがあるので、経験をそのまま比較するのも限界があるが、「再建期」という「被災者が孤立する長期戦の時期」に、いかに手を打ってきたかという事は、実践的な経験検討たりうるだろう。石巻・気仙沼・大槌町という現場を踏んでの語りになるので期待している。講師依頼書、どうか承諾していただけますように。

今回、サポチガ全体会に出した「災害ケア・ボランティアの連続セミナー企画協力依頼書」は、ふたりの講師とも交渉中だったので、お名前は決まるまでブログで紹介できないのが残念だ。

同姓同名の方は、一方の方は「生活再建期の地元地域医療の大枠について」語っていただけるし、もう一方の方は「阪神淡路大震災の段取りを、東日本大震災生活再建施策に再検討していくこと」が可能だ。この意味でセミナー1・2回目続けて、このお名前の講師を呼びたいところだが、まず失礼にあたるだろうということ、2・3回目は、災害要援護者の当事者&家族との「被災経験」ではなく、「生き抜くための今後への対話」を入れたい。3回目は「防災」と、もうひとつ「被災者との民間交流型継続支援」を話し合っていくという線で行きたいと考えていた。そんなわけで同姓同名講師の連続講演案は消えた。

また助成金の件についても、企画が一般の方に開かれた会ではなく、災害ボランティア関係者の方針研究の会ということになると、成果の社会貢献期待度が問われるので、説得の敷居は高いだろう。

一回4万円弱の出費も痛い。一回千円の有料セミナーにしていくつもりだが、有料にすれば行政の後援が遠のく。飛田が嫌いだから行かない(笑)というリスクも負わねばならなかった。残金は背負うことになるだろう。一ヶ所、製薬会社の庶務の方に伺い、後援申請書式をいただいた。地元でなんとか捻出できるといいのだが。

障がい者団体に呼びかける。しかし「被災者を忘れるな」という部分は、空転するにちがいない。講師依頼の応答があり次第、呼びかけを開始する。

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母がTVを見ていて、中国人は荒っぽいねえと言い出した。私は画面をよく見てと言ったが怪訝な顔をしている。自然発生的なデモだったら、手書きプラカードや自作横断幕が出てくるだろう?あるかな?と問いかけた。…そういうことである。

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東京の遠縁の消息が途絶えて気になるので、地域の包括支援センターに電話した。しかし、親戚と言っても個人情報だからと入院先や施設を教えてはくれなかった。私の知りたいのは安否だけでいいのだがと言ったが却下されてしまった。前の職員さんは、すぐに手をとってくれたが、今度の応答職員さんは、個人情報を金科玉条のようにふりまわす石頭のようだ。

ーーーーーーーーー

明日は病院で健康診断の結果を聞きに行く。帰りに相模大野だ。東京に寄れそうにない。蒲田の小規模作業所に**子を売り込みに行きたいのだが。

今回、受診が午前中なので、「大槌町…(下)」はお休み。

●「ナース発東日本大震災レポート―ルポ・そのとき看護は」

を読み始めた。持ち歩きに不便な分厚さ。


夜間傾聴:南橋本君(仮名)
     橋本3君(仮名・母親)


(校正2回目済み)

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9/18 講師は私がはじめ選んだ方であっていた(よかった)/講師依頼書を書いています

2012-09-19 05:29:20 | 引きこもり
明日は、NPOサポートちがさきの全体会。そこに提案できるように講師の資料をまとめて、あと印刷するだけにした。午前中、面談指導で橋本からの帰りにサポセンの全体会に出る。印刷はセブンイレブンが茅ヶ崎は駅前に無いので、教室でプリントアウトしておかないと。

今、講師依頼状をを書いています。自己紹介とテーマ説明を詳しくとのことで苦戦している。そんなわけで、今回、手抜き。すみません。

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9/17 講師依頼の危うさ/「大槌町 保健師による全戸家庭訪問と被災地復興」から(中)

2012-09-18 06:48:02 | 引きこもり
2012/09/17 記
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とんでもない間違いをするところだった。紹介していただく講師、同姓同名同分野の方がいらしたのだ。仲介の方にどちらの方か確認のメールを入れた。冷や汗をかいた。やはり連続セミナーの必要がある。東日本大震災の活動の枠組み作りの議論と、地元湘南の防災の話がある。前者も被災地訪問支援と、非被災地と被災地ケアネット作りとの民間交流を基礎にした連携活動がある。このセミナーは、きっと大切なセミナーになる。

藤沢の「キャンナス」の菅原由美代表の被災地訪問ケアの活動紹介が、朝日新聞湘南版に大きくとりあげられていた。近くに看護師さんの活動があるのは知っていたが、会が会社形式になっていたので、接点が取りにくく感じていた。専門職と退役有資格者の活動だ。もっと私の提案を連続セミナーを具体化しなければと少々気があせる。専門職の活動と連携した外周の活動を生み出そうという話なのだから。

「大槌町…」の仕掛人・参加者双方にも是非、今後も連絡を取りたい方がいらっしゃる。この前のMSWさんたちのときのように、他の現地活動に参加することで満足している団体では困るのだが、もうひとつ困ったのは、現在も活動継続されているかどうかが書籍からでは判断できないことだ。地元の行政の担当者で、非常に切れ味のいい方も私は存じているが、連続セミナー後、茅ヶ崎市を含む災害ボランティアとの継続した連携がとれるかどうかが心配で、現役行政職の方を依頼する気持ちになれないでいる。

ここで描かれる健康アンケートは、津波震災一般にいえる内容のことと、三陸海岸の風土的な特徴をもった結果がある。しかし高齢化している。4人にひとりは65歳以上という状況である。今回のアンケートで裏づけられた大槌町の人口ピラミッドの変化(p.58)は、70~80才の方が集中的に亡くなったり行方不明になっている。それよりも高齢な方よりも比率が高いのだ。田舎の高齢者は元気だ。だから、この70~80才は現役として、ひとの世話をしたり、誤った地震が逃げ遅れを生んだのではないかと推測している。あと5年もすれば年寄りだらけの町になっていく。

若手を呼び戻すことができるだろうか。高齢者が今以上に、活力を持って生活していける町と健康につながる過渡期になりうる生活支援期の活動を描くには、町の当事者独自のパワーに期待して活動をつくるのではなくて、継続した民間交流の緩やかな知り合いネットのような対話をつくり、外気を取り込んでいくような活動が必要だ。私たちは一時的に脱輪車を押し上げる協力者として身を置くのではなくて、継続的な擬似親戚付き合いのような関係を考えていくべきなのだと思う。それこそITの出番だろう。もっと練れたメディアが間をつないでいくのだ。このスタンスの違いは大きい。ハレの交流ではなく、ケの交流を生み出していくことだ。

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昨日、来客で行き逃した父の老健に行った。時間が遅かったので敬老の日のイベントの痕跡が残っていた。しかし父は、自分の部屋で眠っていた。体力が明らかに落ちていた。嚥下障害が強まったので、刻み食に食事の質が落ちていた。上着を持っていったのだが、いまはそれがわかる状態ではない。

帰りに「毎日がアルツハイマー」の上映会に立ち寄った。初期から中期のアルツハイマー型認知症になった母親を元気に介護していく、つい笑ってしまう映画なのだが、映画紹介に立った++さんが、「認知症というと”暗い”と思われるが、この映画は"明るい”」という「明るくなければいけない」かのような社会の抑圧に飲み込まれている発言はなさけない。学校からは「いじめ」で、職場では「宴会強要」で「明るさ」は現代の急迫観念。その論理に巻き込まれるのはいただけなかった。

ただ帰り道、4人連れの女性のひとりが、「アルツハイマーって、うつるんでしょう?」と話している方がいた。++さんの販売の苦労の状況が見えた気がしたが、それにしても、40代がそんな認識とは、当事者家族にならないと通じないというのは、あんまりだなと思う。

夜間傾聴:**子(仮名・また限界が)


(校正1回目済み)
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9/16 被災ローン減免制度の利用率/生活再建期という時期の地域医療福祉ネット支援他

2012-09-17 06:11:25 | 引きこもり
2012/09/16 記(その1)
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残念ながらアサヒ.com無料記事では読めないが、16日朝刊13版社会欄に「被災地の二重ローン減免制度 消極的な金融機関 利用者わずか71人」という記事が出た。本制度は出来てから1年余になるが、1万人の持ち家被災者の利用が見込まれていたにもかかわらず、利用して債務整理がついたのは、宮城46人、岩手12人、福島7人の合計71人。手続き中の方が708人だという。原因は制度を金融機関から説明が無く、ローン帳消しをいやがって、返済猶予期間を延長しているからだという。ただごとではない。

●「被災ローン減免制度(個人版私的整理ガイドライン)の更なる積極活用を求める会長声明-運用開始から1周年を迎えるにあたって-日弁連」
●「個人版私的整理ガイドライン. 利用マニュアル.pdf」

「大槌町 保健師による全戸家庭訪問と被災地復興」に登場する訪問調査は昨年4月末(4/23)~5月連休明け(5/8)に行なわれたが、寄付金残金や活動の成果継続は全国保健師教育機関協議会の「東日本大震災復興支援 教育・研究プロジェクト」に引き継がれたという。

私は急を要する方・治療中の服用薬切れの方を発見し医療にむすびつけたことは大きい。被災時、私は後者の件で薬剤師さんを忘れていた。薬品の調達と分配を災害時に自立性を高めて展開するのだが、その眼で見直したら、石巻赤十字病院の活動記録があった。

●「そのとき薬剤師は医療チームの要になった」

「大槌町…」で描かれている世界は、保健師さんの間のチーム展開に関心が注がれているが、素人のボランティアが手助けできる余地という発想をすると、奈良**MLの連中もきょとんとしている。地域医療福祉はふだん、住民が必要に応じて、実行をお願いする業種であって、そこに地域医療や福祉に素人が参加する流れの中にないからだ。また、救急の場では、素人は邪魔な存在でしかない。だから何を言っているのかというのが、一般的な反応だ。3月で一度再編をうけたが、被災者臨時雇用として、行政が訪問相談員をまとめて雇用した。正規の相談員が仮設を中心に巡回しているが、評判はよくない。素人はプライバシーに立ち入り過ぎたりするので迷惑だという。

ここではっきりさせておきたいことは、私のいう「地域医療福祉分野の地域住民・ボランティア活動」とは、「避難所から仮設入居に切り替わって数年間の「生活再建期」の集団で現われる心身の諸問題とどう向き合うのか、長期・集団化する医療福祉に地域から関わる」ということ。そういう期間的な復興期の提案であり、仮設コミュニティが再度崩壊して、被災者住宅や再建した我が家に住み替えた新たな地域コミュニティをつなぐ環になる性格の活動だ。

この執筆者群から、何人かに依頼を持ち込みたいと思う。内容は気仙地域や岩手の三陸海岸部の保健師さんとつながることだ。だから具体的な活動で交流の道を開きたい。(つづく)

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東京の遠縁の##さんの安否が途絶えて1ヶ月になる。エレベーターのない都心のマンションの4Fにひとり住まいしており、息子さんが毎日通いで食事などの面倒を見ていた。レヴィ小体型認知症が疑われていた。階段を降りることが出来ず、それでいながら公的支援は全面拒否してきた。ところが猛暑で体調が悪化。食事がとれない状態になっていることが、本人からの救援を求めるような昼夜を問わない連日の世間話電話の隙間から、わかっていた。

その電話が途切れがちになり、こちらからの電話で、息子さんが栄養剤などの売薬を飲ませていることがわかり、息子さんに地域の包括支援センターに連絡を取るように勧めたが、息子さんも高齢、介護福祉の予備知識が全く無く、私の説明が通じているとは思えなかった。

本人の老健・特養のイメージは、精神病院拘束閉鎖病棟のような誤解イメージがあって、それもあって息子さんは公的支援の選択肢をとらなかった。連絡が途絶える最後の頃には、電話の話のつじつまがあわなくなっており意識障碍も急速に進んでいた。息子さんは、私たちと全くお付き合いがなく、##さんも息子さんに説明していなかったようだ。微熱と食欲不振、嘔吐があるとのことで、息子さんに早急に救急隊を利用すべきと伝えた。

ところが数日前、息子さんが119番の救急隊に病院の救急外来とつないでもらったところ、点滴をして脱水だからといわれて返されたばかりだとのことだった。ならば地元の包括支援センター経由で訪問看護師に来てもらい相談し、看護師に救急外来の医師に状況説明を頼むといいと伝えた。

一日おいて、当人から電話が入り、誰も来はしないとのことで、「病院関係者」とだましつつ、区の高齢者関係課・同地区包括支援センターに連絡、別居の息子さんが栄養剤の売薬で済ませていること、老人ホームアレルギーがあることを伝えて保護を頼んだ。一度目は、訪問看護師が行って、息子さんに拒絶されて終わり、二回目の連絡は当人の言葉はほとんど聞き取れない状態になっていたからだった。センターからは、民生委員が様子を見にいっていること、事態は把握しているから大丈夫とのことだった。

それを最後に先方への電話は鳴りっぱなし。応答が無くなった。連休が入っているので、センターへの問い合わせはあきらめて、金曜日に東京に行ったとき、マンションに立ち寄った。入院して留守というところだろうと予測していたが、案の定誰もいないが、チラシ等は溜まっていなかった。驚いたのは同じ階の住人がそろって誰もいないことだった。まわりに落ちている子どものおもちゃから若い家族ばかりなのだろうと想像された。連休に若夫婦の一家が居るはずがない。逆に言えば、このマンションは、発作や怪我をしたとき、誰も助けてくれないということだ。高齢者の一人暮らしは危険だ。裏に洗濯物が無いことから、空き部屋状態となっているということだ。

我が家の仲介が入っていることを知りながら、連絡がこない。1ヶ月も留守番電話の応答が無い。火曜日になったらセンターに連絡してみるつもりだ。

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橋本3君は外出中という。煩い母親の小言をさけているらしい。今頃は**にいると母親が指摘できるのが、おかしいというか、笑うに笑えなかった。

敬老の日だから父の老健に行こうとしていたが、母のところに突然の来客。母の趣味の友達が来て、縛られてしまった。やむなく作業をしていると、突然閉めておいた部屋の障子が開いて、トイレはどこと客がきく言葉が途切れて絶句。パンフレットや書籍の山が私の部屋中に積んであり、物置き状態だったからだが、急に障子が閉じて、ごめんなさいは無い。私の友達は押入れを銀塩写真の暗室に使っており、隣の部屋に客が行くのを間違えて襖をあけたら、赤い電球をつけた変質者が押入れにいたということで、悲鳴があがったそうな。光がはいって、悲鳴をあげたかったのはこちらだと、彼は言っていた。それからその客は口を聞いてくれないという。時代遅れの酢酸処理もやっていたらしい。

足止めを食らって、老健は諦め、客を追い出して、茅ヶ崎と辻堂の図書館に書籍交換して買い物。塾長に橋本3君の話を報告。電話の背後から日本人ではない騒ぎ方の声。パーティをやっているようだった。職場から即日、不採用の連絡が来ていた。当人の家よりも早く報告があるのは、塾長が橋本3君の親戚の縁故採用話を進めていたからだったが、本人と家族に伝えるのは私の役だとか。貧乏くじは何百本も溜まっているが、何かと交換してくれるわけではない。

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夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     橋本2君(仮名)



(校正1回目済み)
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9/15 橋本3君の就労体験は/「大槌町 保健師による全戸家庭訪問と被災地復興」から(上)

2012-09-16 06:43:12 | 引きこもり
2012/09/15 記
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橋本3君の職場体験の日、朝からトラブル発生。親御さんから朝、電話が入る。橋本3君が起きない。とりあえず事態を職場担当者と塾長に連絡。冷や汗かきながら、配送センターの庶務の**さんに平謝り。実際、引きこもり青年のときは、こういうことはよくある。彼の場合はアスペルガー症候群を伴っているので、拒絶が強烈に出ることがあり、無理強いしていいことは起きない。

1時間後、彼と電話で話すことができた。綱渡りのような会話をしつつ、彼の言い分がわかった。「白衣」である。梱包済みの商品を二重梱包し、分別配送する場である。メールでセンターの画像を送り、「白衣」の人はいないことを説明。破談だなと思いつつ、縁故採用なので、彼を連れ出し、一緒に謝りにいくことになった。勿論彼は悪いことをしたという自覚はない。定時に会う約束を反故にしたという一点で納得させ、なんとか無事に帰ってきた。

結果は親御さんのところに連絡が行く。

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「大槌町 保健師による全戸家庭訪問と被災地復興」を読み終えた。

私はこの書から大槌町の被災者の状況把握とニーズをつかむヒントを探っていた。家庭訪問の時期は4月末から5月連休明けまでの期間であり、被災救援期の最中、避難所とお宅の戸別訪問を全国から集まった全保協(全国保健師教育機関協議会)の呼びかけに応じた研究者・保健師さんたち137名が、一斉調査を行なったものだ。

被災後2ヶ月という時期は、まずは家庭から見た被災状況の把握と、急ぎ治療を要する方を抽出し、医療機関に結びなおしていくという仕事や、乳児・寝たきりの高齢者・安定薬の切れた精神疾患を持つ方等を正確に把握し、医療・行政に連絡を取るという作業が同時に行なわれた。

この意味で、現在のような仮設生活が始まった生活再建期とは、様相の違うレポートなのだが、ここから被災救援期訪問の教訓を引き出しても、私の目的、生活再建期の支援活動への再構成という課題に活きるものではない。湘南の防災の参考にはなるが、東北の被災者への継続支援、県レベルの被災の質の地域差の大きい災害ボランティア活動には、普遍的な成果を求めるよりも、共通点を基礎に反芻して行った方が実があると感じた。

これから数回、その中身の「つまみ食い」論評と、地元保健師さん等医療・福祉関係者とどのような連携がありうるかということを考えてみたい。

一次資料を読むような、参加者の感想レポートに描かれたエピソードは、煩雑で読みにくいが、価値は高い。(第6章「保健師活動に向けた提言」第2節「全戸訪問調査ボランティア保健師の学び」)ここも取り上げたい。

私の読みは、「誰とどう連携することが出来るか」という変則的な読みなので、ざっくりとした読みであることはご了解願いたい。まずはここまで。

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「講師選び」をしていると、今後を考える上で、数回の連続セミナーにする必要性を感じる。一般向けではなく、関係者向けの講演だ。先方の承諾が得られればの話だが、初回は阪神淡路の生活再建期の経験を活かし、東日本大震災被災者支援活動の道を探る活動と、湘南における災害対策の道筋をイメージしていくふたつの内容が得られる**さんの招請を行ないたいと思う。

次に被災者と現地支援者の語りから、非被災地の成すべき活動をアクチュアルに引き出していくこと。現地の生活支援ネットワーク作りの支援と、民間交流の価値と役割について、可能性を追う議論を重ねること。

最低この2回のシリーズ企画を実現したい。

次に、この連続セミナーとは別に、「一般向け」に被災時の「自主判断・率先避難」の価値を実証的に語る意味で、「釜石小の関係者」を招待したい。NHKの報道以降、講師依頼が集中して、教育者としては平穏を保つ意味で、依頼を断っていると聞く。この間。地方紙まわりをしていたのは、TV会議のような形で場をつくるバックアップを求めていた。繰り返し壁になっているのが、誰が何人位集まるのかという問いに答えられない事だ。中間支援者のアキレス腱であるが、私の提案した「災害初期避難誘導員制度」のような防災リーダーの外周の「率先避難者」を意図的に作っていく作業にも関連した「心がけから制度(仕掛け)へ」という提案にも、しっかりとした裏づけをくれるものであることなので、なおさらに、実現したいと考えるのだ。

これは地元議論を踏まえてでも遅くない。親御さんを交えた小学校間交流のような可能性もなくはない。早急の要請があるのは、「連続セミナー」の方である。釜石小の交流会で、連続セミナーの担う課題が代替できるわけではない。

まずは資金と人の調達という壁を超えなければ、なにも動かない。ここを併行して追っていきたい。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親&本人)

(校正2回目済み)

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