湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

市民の情報環境は地殻変動を起こしている

2007-12-31 07:20:33 | 引きこもり
冬季の休暇は1日早くやってきた。早ければ早いで家事が際限なく増えるだけだが、年賀状をなんとか書かねばと机に向かう度に、用事をいいつけらえるのには閉口した。買い物のときに、切手を買おうと休日の街をうろついたが、恐ろしいことに今まで切手を置いていた駅の売店が取り扱いをやめてから、全く入手できなくなっていた。人通りの多い場所のポストが近くにある店以外は、近くにポストがあっても、そばの店が切手を扱っていなかった。郵便局の本局の自動販売機までいかなくても、辻堂駅南口のNewDays駅前店で切手を手に入れることが出来た。しかし年賀切手は無く、通常の切手しかないのだった。公衆電話の激減などと合わせた時代変化の氷山の頂点なのだった。


郵送私信の退潮も時代的なものだ。そういえば「大人の総合週刊誌が激減している」記事があった。

●「スクープ連発でも部数減 週刊誌は死にかけているのか」(J-CASTニュース)

電車の中を見てみれば分かる。マンガ以外の総合週刊誌を見ているのは中年以上の男性だ。若い人たちは、携帯電話を見ている人が多い。覗き込むとメールや掲示板の閲覧が多いが、それと同時に携帯電話に組み込まれたゲームをやっている学生が多い。なるほどテレコムよりは安上がりだ。

こうした動向が総合週刊誌に影響を与えている。こういう時代の証拠を見るにつけ、デジタルデバイドの大きさがのしかかってくる。わたしなどが、「わーく」を通して、地域ネットワーキングの基礎を固めようと提案するとそれは、一方における機械拒否と、もう一方における消費者的発想(自分が作るのではなく利用する立場)に挟撃されてしまう。このとき私は必要の論理で双方を説得しようとは思わない。その営為が自分にフィットしてくるものであり、自己表現の可能性を感じさせるだろう。そう、いま「わーく」はその局面にある。

おっとすみません、時間切れです。


夜間傾聴:町田さん(仮名)
     橋本 君(仮名)
     町田2君(仮名)

(校正1回目済み)

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年の瀬は過去が蘇るがそれは今の思いを磨くもの/「わーく」編集部活動を文章化中(7)

2007-12-30 05:27:16 | 引きこもり
昨日は一日早い冬期講習の最終授業となった。私の担当している子がやめてしまったからだ。と言っても私の担当の子たちは特別な理由がある。引きこもっていた子を親が無理に引っ張ってきている例が多いからだ。親御さんから連絡が入って、言うことを聞かないと謝りの電話が本部に入っていた。明日は来なくていいからねと事務から言われても、それは労働協約違反ではないか。2人担当の一人が欠けたとしてもと思ったところ、そのもうひとりも、兄弟喧嘩を契機に外出しなくなった。だから私に訪問指導して欲しいということになり、みごとにクラスが消えてしまったのだった。

事務からは訪問をよろしくということで帳尻を合わせられても、外勤中心の脇役とはいえ、クラスが消えるということは、やはり侘しいものがある。このクラスは専任講師と教科を分け合っているクラスだった。(訪問の場合、私の担当科目以外は、チェック程度でレポート回収をして帰る。)

午後ひとコマ終えて、今年の冬期講習最後となった。橋本君(仮名)と入谷さん(仮名)の巡回をして帰るつもりで、橋本駅を経由して相模線を使う計画を急遽たてて、ふたりのお宅に電話した。入谷さんは、電話に出たもののこれからシアトルに帰省(?)という。橋本君はお留守というわけで、空振りのまま茅ヶ崎に4時前についてしまった。

平塚に買出しに出て、葉ものを買いながら、塾をやっていた頃の年末を思い出していた。粕汁の雑煮の忘年会をやって、赤ら顔で集団で海岸まで歩いたことや、ミニFM生中継の語りのろれつが回らなくなったことで、この子の近所の友人が様子を見に飛び込み参加して騒ぎ、お隣さんからクレームがついた話やら、あれこれ様々。その子たちも今は中年のオジサンやオバサンになっている。19年間の塾を閉じて、15年間サポート校や塾を転々としたが、私の友人の塾に行き着くまで、こうしたフリースペース的な企画に出会うことも作ることも出来無かった。当時の黙々とマニュアル通りの伝達授業を続けていく虚しさが蘇ってきた。

両手いっぱいの買い物袋を下げて帰宅したが、すぐに食事を作る気になれなかった。私の帰宅に気づき、2階からふらふらと父が降りてきてTVをつけて、箸箱を手元に置いた。小脇のゴミ箱には、ぎっしりミカンの皮と煎餅の包装紙が詰まっていた。母が駅前の買出しから帰るまで、食事を急かす父を放置することにし、PCに向かった。

今日はいろいろなことがあった。高卒認定試験の世界史Aの採点ソフトにバグがあり、12名の不合格者を出した話があった。当事者はいないが専任教員たちは確認をはじめていた。また父親が強引に本校をやめさせて、某スポーツクラブの鍛錬合宿に息子さんを送り込んで私たち教員が心配していたが、担当教員にリンチを感じさせる当人からの救援メールが届いて、その確認騒ぎもあった。これは帰宅後の私の問い合わせメールに、その後、父親との喧嘩救援であることがわかり、担当教員が直行している話があった。果たして退会後の生徒の面倒を見ることが、教員の逸脱行為として、経営者が問題化するかが私たちの関心事だった。

私のところには、私を訪ねて家出したことのあるA子君から、年賀状のあて先を問うメールが届いていた。A子君は私の担当から離れていたが、「年賀状は、このメールで」と住所を明かさなかった。もしかしたら、このブログを読んでいるかもしれない。君を信用する信用しないの話というより、緊急のとき以外は、本校の約束事を守ろうということ。個人の連絡は禁止なのだ。だが君の危機のときはメール連絡すればいい、必ず受け止める。そう書いた。そうだね、A子君。

まもなく私を追うように母が帰ってきた。

事情を母に説明しながら、あわただしく食事の準備に取り掛かった。こうして今日も従来の日常に戻って行った。ぼっこり空いた後半の7年間の空転の虚しさを飲み込んで学習カウンセラーの顔をしてみる。馬鹿げたことだが湯気の中の顔面体操なのだった。

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「わーく」編集部を再稼動する



~「わーく」のネットラジオ(ポッドキャスト)について~

「わーく」はただの入れ物ネットワーク環境ではありません。地域の若者の仕事を大テーマとして

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A)ネットラジオ(ポッドキャスト)番組を作る

B)コンビニ冊子「わーく」の発刊配布(番組・HP紹介等)

C)SNS環境内会議室運営とSNS環境管理(携帯ML環境を提供)

D)活動報告HP作り(SNS環境外)

E)NPO製作商品のオンライン販売代行(SNS環境外・携帯ネット)

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これらの地域マスコミ活動を行います。

A) ネットラジオ(ポッドキャスト)番組を作る

ここは「取材レポート」と「テーマトーク」が中心になる。そこに「リスナーの現状報告」を織り込んでいく。これを自由参加の番組編集部が取りまとめていく。

「取材レポート」
「テーマトーク」
「リスナーの現状報告」
「会員投稿」


昔、粉川哲夫さんが自由ラジオという活動を紹介した。FM空白帯を使って、ワイヤレスマイクのような微弱波に乗せた番組を茅ヶ崎浜見平団地北口・藤沢湘南ライフタウンから発信していたことがある。トランスポンダという中継局を使うと半径500m位は可聴エリアとなった。現在は電波法の規制が厳しくなっていることも考えて、インターネット上に放送を流すことにした。これなら全国で取聴可能だ。最大の観点は「携帯電話からの取聴」「iPodからの取聴」を可能にすることにあり、文字媒体の重苦しさを越え、引きこもり青年の自室をサテライトスタジオ化してつなぐ。勿論PC取聴も可能。狙いはふたつ。

*様々な困難を抱える青年の出会いを生み出すこと
*一緒にやる仕事(社会的企業の芽)を作ること

RSSを最大限利用する。(RSSは情報の予約取得機能)

はじめは月に1~2回、収録放送を流す。


技術的・システム環境的にも標準作りを心がけていく。全国で真似してもらう。Linuxではないが、やれる人がどんどん実行することで影響力を深めたい。分散ネットワークによる結合が、引きこもり青年のテレコム環境形成を通じて、実社会への手がかりの実行委的オフライン交流を育てていく。

----- 次回は、コンビニ誌「わーく」の発刊配布活動についてです。

(続)

夜間傾聴:*******
     橋本君(仮名)

(校正2回目済み)
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岩田和輝君捜索その後/「わーく」編集部活動を文章化中(6)

2007-12-29 06:47:29 | 引きこもり
12/18 のブログに紹介した、行方不明の岩田 和輝(いわたかずき)くんの後日情報が入った。昨日の時点で、いまだに岩田和輝(いわたかずき)くんは行方不明のままだ。一部ブログに発見の報が描かれているが都筑警察署には、情報が届いていないとのこと。

一時も早く発見されることを祈っている。どうか12/18の記事をもう一度、ごらんください。

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「わーく」編集部を再稼動する



~「わーく」のシステム環境は、いくつかのメディアを利用します~

まず、「携帯電話ネットワーク」を作ります。

以前、知的の関連の本人の会にお邪魔したとき、そこでは携帯電話の使い方がテーマでしたが、ほとんどの方が、利用度の差はあれ、携帯電話を使っていたのです。携帯電話が通信端末として利用できれば、メールや掲示板、ブログなどが利用できます。

これを利用して、

1)フリートーク(掲示板)
2)企画連絡網
3)投票・投稿・Voice投稿
4)ネットラジオ(ポッドキャスト)

を実現します。4)は携帯電話の種類によっては、まだかなり苦しい機種もありますが、公共連絡は、メール配信を使えば添付ファイル可能なwebメールを利用すれば旧型機でもなんとかなります。これを押さえれば、情報格差の不公平感は減るでしょう。

しかし、ここにはいくつもの問題が控えています。


【個人情報漏洩・誹謗中傷いたずら・虚偽情報防止策】
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障碍者・引きこもり者は、常に差別にさらされています。このことから、まずは知り合いに閉じたネットワークからはじめることが現実的です。しかし、中途参入者の門戸が必要以上に狭くなることは避けたいということから、

SNS環境を採用する
「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」

運営資金は、基本的にはカンパ・広告収入とするが、年間500円程度の会費による補助を考えている。

1)には、管理ボランティアを配置。投稿時にチェック連絡が入る形にする。

掲示板投稿・テーマ投稿は、HP(SNS外部)やコンビニ誌「わーく」に連動させ、掲示板管理やテーマ設定などの「編集会議」を定期的にオフラインで開く。

できる限り操作を簡単にしたいので、文字入出力の音声化技術と連携する。PCではかなり実用化されてきているが、携帯だとまだ練れていない部分があり、未公開案を持っている。

従来のこうしたネットワークの試みは、「場を提供するから、さあ、話てもいいですよ」という形が多く、書き込みが無く失敗する事例や、常連占有が起こり、立ち入りにくい状況が生まれてしまう。基本は「会議室型」提案者がボードを有期限でSNS公開する形を取る。フリートーク掲示板は、ひとつでいい。閑古鳥鳴くもよし。はみだす提案はここで吸収。

この「会議室型」は、ボッドキャスト放送と結ばれており、そこの番組内の提案が会議室に降りてくる形を取る。議論を終え、閉鎖した会議室は、個人情報・虚偽情報・誹謗中傷情報チェックを編集部が行い、HP(SNS外部)/コンビニ誌「わーく」に公開される。

----- 「ポッドキャスト」については、次回へ

(続)

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冬期講習が始まっている。午前中のコマもあるので、今回はこれで。

夜間傾聴:町田さん(仮名)
     荏原町子さん(仮名)
     入谷さん(仮名)
     +++++++

今夜は、しんどい。1年ぶりに荏原町子さん(仮名)から連絡あり。こちらは朗報。
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「わーく」編集部活動を文章化中(5)/就労支援活動がなぜネットワーキングかというと

2007-12-28 07:15:20 | 引きこもり
~なぜ「わーく」編集部作りなのかというと~

従来の活動スタイルは、引きこもり青年の家族が専門家に組織される形で、講演会などで引きこもりに「対処しよう」というものが多かったのですが、当人の都合が正常化に飲み込まれている難がありました。

一方、フリースペースを設けて自主活動を待つ形も、主軸が学齢期のお子さんたちとなり、就労対象になる青年層の結集には直結しません。この青年層は基本的に結集しない層ともいえるので、彼らの姿・形にフィットする活動が必要です。喫茶的な「たまる場(拠点)」も常連占有を廃した世代的な香りがしないと成功しません。この辺が先進事例の困難だと思います。露骨にいえば、青年は興味深いイベントがたたないと、まとまりません。

このことは、軽度障害関連の青年にしてもいえることで、企画力の勝負となります。分かち合えて緩やかなネットワーキングの網をかけていくこと、これが必要。しつらえた公園で遊ぶ子どもが全く違う遊びを重ねるように、青年たちは自分たちが作ったもの以外は、認めつつ認めません。勿論素直に大人枠に乗る若者もいますが、その若者自身は「就労困難な事情」を抱える層ではありません。あえて言えば専門職の空きがないというような悩みはあるでしょうが。

私が想定している就労相談の場合、切羽詰った経済状態の方への話というより、真綿で首が絞まっていくような不安に気づいた方の話が主なので、安定ラインへの渇望・標準ラインのいす取りゲームという線が強い「よりよい職場」争奪の、一般就労とも様子が違います。

「わーく」は、彼らが作る就労噂網です。2ちゃんねるのような野放図な姿ではなく、NHKと、いわれそうですがSNSサイト内に設置します。障碍を持った方の個人情報を守るための情報規制です。

イベントと言っても、ライブ・コンサートのようなイワバ「ハレとケ」の「ハレ」のほうを行くのではなく「ケ」つまり日常の組織化を行う活動になるので、そこはしっかり当人たちをまじえて検討しておく必要があります。


(続)


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冬期講習が始まっています。私は外回り中心なので、講習のようなときも、特別支援教育で有名になった「取り出し指導」や、年齢が高い引きこもりの進学指導と、若手講師の勤務「助言」(要するにチクリと監視)をやっています。窓際爺ィ型勤務です。

私の場合、講習は30日までで若手を除いてお休み。4日から再開です。この間は、いつもより頻繁に、短時間町田・相模原をうろうろしている程度の違いです。もともと素質がありますが、身の回りが片付けられないおじさん状況が続いています。

…予断ですが、引きこもり青年にとってこの時期、センター試験も近いし、皆がだんだん電話でも相手にしてくれなくなるので、ストレスがたまる時期です。大なり小なり年内に何かが起こります。(ほとんど私には毎年の恒例行事です。)

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父が居室でまた転倒。壁があっても尻をついてしまうと立てなくなった。階下で食事をしていると、どさりと鈍い音。急いで2階にあがると、扉の向こうに座り込んでSECOMのスイッチを取ってくれと怒鳴っている。身に着けておいてくれと言っているのに、ストラップは嫌のようなのです。私にSWを押すから取ってくれという矛盾に気がついていないのです。おかしさというより、悲しみを感じていました。介護認定は検査自体を全面拒否。こまったなあと思いつつ、私は、この「困ったなあ」に答えている人間なのだと思うのです。さてどうしたものか…と。

とりあえず、擦り傷治療(糖尿病の場合、感染症から壊疽になる危険あり)をした後、肩を貸してベッド移送。23時。

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まとまらず、すみません。

講習が明日まであります。そこを過ぎれば落ち着ける(かな?)と思います。年末無事に過ぎるといいのですが。

夜間傾聴:自由が丘君(仮名。菊名か横浜で会う予定。お出かけ練習。)
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サポセンにてMさん、Kさんと話し合い…

2007-12-27 06:42:08 | 引きこもり
「昨日は10時からTOTOドロノワ倶楽部の陶芸WS」と書き出したかったが、全く惚けている、12月は1週間早く年内最後のワークショップ(WS)にすると決めたではないかと飛田担当のNさんから叱られてしまった。先週は中央ろうきんの説明会に出かけていた…。ドロノワ倶楽部入口に鍵が閉まっていて、茫然自失、自転車にあおられていたのでした。家では庭の剪定後の清掃を頼まれていたので、そのままそっと松林中学校前のバス停から茅ヶ崎駅北口経由で平塚に出て、中央図書館に寄ってきました。

少し古い本ですが「インターネット社会のマーケティング」などの予約書籍が、集まっていたからでした。

本を回収して、ついでに「サンシティ・平塚市障害者地域生活相談支援センター」にお邪魔して、またまた空振り(一時お留守のタイミング)、世の中の流れに外れた気分で、茅ヶ崎サポセンへ。

こちらは、先週全体会を済ませていたので印刷作業。中央ろうきんの助成金申請の「わーく」企画の書類仕上げの件で、Mさんに助言をお願いし、時間をいただいて今後の企画の件などで、気になることを話し合いました。Kさんとも別個、来年度のPJの見通しについて意見交換。状況は厳しいが、そのなかで状況打開の方策を、PJの中に孕ませていることを伝え、大まかな流れをどう考えているかを伝えることができたと思います。

主に窓口スタッフの方々との連携をどう考えているかがテーマになっていった。現状では、まず私が「わーく」企画の全貌を書き上げること。地域就労支援PJは、従来どおりの活動をしながら、「わーく」企画とテンションを保ちつつ、地元のネットワーキングを進めていく話をしました。やはりPJの大きな任務は、「就労困難な若年者の地域就労支援」という未組織当事者の多い分野を開くために、ネットワーキング促進の方針をこちらもこちらで描かなくてはならないのです。特に組織された障害者関連団体当事者中心の企業就労支援の官民協働の協議会ネットワークとの協力関係を丁寧に描く必要があります。

ジャスコで買い物を済ませ、駅のコインロッカーに詰め込んで、町田に。町田2君(仮名)と会い、経過と現状を確認。1月2日にぶらり散歩に出るから、来ないかと誘い、見事に拒否されてしまいました。「彼を某易団に見せろ」と彼のご両親に進めた伯母さんが家に来るのだというのでした。席をはずして逃げるようなことはしたくないという律儀な話。この気性が、深く考え込み、前日にオーバーフローしてしまうというパターンが引きこもり青年に結構多いため、今回の散歩コースは、芹が谷公園のような町田周辺にしようと思った。取り出しである。

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藤沢で遅い食事を済ませ、家事の残りと父のベッドメイクを済ませて、コーヒー抱えてPCに向かった。0時を回っていた。夜間傾聴は、午前2時半、仕事の方の方だけ。

明日は我が家の修繕と庭掃除である。今回はここでストップ。「わーく」企画の話は未完成。

夜間傾聴:*********

(校正1回目済み)
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「わーく」編集部活動を文章化中(4)/鬼ごっこ再開

2007-12-26 05:29:35 | 引きこもり
~「ケア・パートナー」を生み出すこと~
「わーく」には「ケア・パートナー」という考え方が通っています。キャリア発達を含め、「ひとの発達は、(広義の)他者との関わりを通して行われる」と考えます。理解者とチームを組んだとき、解決可能なレベルの触発される「ずれ」がお互いを成長させます。発達は「ちょっとした背伸び」のなかに起こります。「わーく」の活動はこのことを自覚的に推進します。

この発想のかなり近いモデルは、浦河「べてるの家」の自然体交流でしょう。突飛に見える統合失調症の参加者の方々の会話が、自分のあり方を変化させているのです。(補:『発達』には直線的な『推進』のイメージが貼りつきますが、むしろ『拡張』に近い意味で『発達』という言葉を使っています。)私の読んだ書籍をあげておきます。(茅)は茅ヶ崎市立図書館(同、分館等)にあるという意味です。

●「べてる」の家HP
●「wikipedia 浦河『べてる』の家」

●書籍「悩む力」(茅)
●書籍「べてるの家の『非』援助論」(茅)
●書籍「べてるの家の『当事者研究』」
●書籍「『べてるの家』から吹く風」(茅)

もうひとつの事例はスペインのフリースクールであり、生活共同体の「ベンポスタ子ども共和国」です。子どもから大人まで、様々な年齢の個人や家族が、サーカスという個性的な職業選択を行い、世界中を巡業することで、共同生活の糧を生み出しています。1993年、藤沢の秋葉台体育館にサーカスがやってきました。この年の映画会に皮ジャンを着て、シルバ神父ばりの村田栄一氏が会場にいらしたのを覚えています。

青池監督の映画に出てくる「全体会の議論」の様子が印象的でした。日本では頂点的進学校の議論の場面でしか見ることのできないような、大人と互角に渡る子どもの明快な大人批判があり、さらに大事なことは、何よりもその会議に黙っている子達の表情が違っていました。議論に参加しているのです。自分なりの形でその議論に参加している。議論の内容がすべて理解できていないにせよ、そこに自分の接点を感じているのです。これも自然体のなせる業ですが、「共生の中のひとの成長の可能性」をそこに見ることができました。

地域に就労の渦を作るには、「当人の社会参加的な活動」が必要であり、またそれはともに生きる者との間に「自分を必要とされる相互関係」が成り立つとき、未来(今後)を開く行為は情熱的なものになります。「私が関係の中に能動的に定位していること」、これが「ちょっとの背伸び」が成り立つ前提です。

引きこもり青年が、「わーく」の活動の中でスタッフとして障碍を持つ同世代の方と協力関係を作りながら、彼らの人間味に触れていくとき、お互いが生きて行く場をそこに生み出しています。そういうひとの結びつき状態の基本単位を「ケア・パートナー」と呼びます。「お互いが必要とされ、必要としている関係」です。ピア・サポートの形です。就労の基本単位を能力による個人から、働くチーム単位にシフトしていく考え方でもあります。

以下に「ベンポスタ」関連の資料を載せます。ご覧ください。

●「wikipedia ベンポスタ子ども共和国」
●「ベンポスタから子供達へ」

●書籍「スペインからの手紙 ベンポスタの子どもたち」

●書籍「子ども共和国 自由への壮大な試み」
●書籍「生きているこども共和国―ドンキホーテの末裔たち」(茅)
●書籍「サーカスの詩(うた) ベンポスタの子どもたち―本橋成一写真録」


私は引きこもり青年の相談活動を行うとき、「社会的挫折」とか、累積した失敗体験から来る「社会参加忌避」は、そのものとして治療(正常化)して解決に導いていくものとは考えません。ある時ふいに訪れる鍵が開く体験というか、はずれたタガの中から湧き上がってくるものを、以前から予見的に発酵させていく試みから生み出すことがあります。しかし、ぽつりと突然はずれる体験の中で、試行錯誤がその後も続くので、完成品が生まれるように「蛹が孵る」とまではいいませんが、状態が動くことがあります。これが「新しい自分の開示」であることが多いのです。その体験を生み出す環境が「わーく」の活動であってほしいと思います。

この情熱の原基・全体会にあたるものが「就労しゃべり場」です。「浦河べてるの家」も「ベンポスタ共和国」の全体会も、その先に「就労しゃべり場」がオーバーラップしてきます。その「能動的な私が生まれる」議論に値する活動がこれから描いていく「わーく」の諸企画です。

(続)

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父の面倒を姪に頼み、冬期講習の授業補佐をしてきました。足の状態は、大したことがなかったようで、つかまり立ちができるようになっていました。しかし、いつまた活動が中断するかわからない状態です。症状がもう少し固定化してきたら、知人のケアマネさんにプランを立ててもらうつもりです。

帰りに、今年最後に届いた予約図書を県立図書館から回収し、横浜そごうで日持ちのいいおせち材料を仕込んで、帰りました。買い物袋いっぱいのおっさんというのは、皆さん引きますね、世の中クリスマスだし。姪にみやげを買って家に戻ったら、誰もいない…のです。父が凝っている宗教団体の仲間に、車に乗せてもらい出かけたのだということが分かりました。姪に連絡すると、平気なのに、大事な日に足止めしたと怒っている始末。決着は成人式だそうで、恐ろしい結末に。

父は案の定糖尿病・痛風には毒の食事をして帰宅。何聞かれても黙っています…。よく見ると、くしゃくしゃになったブレザーの裾が泥だらけになっていました。じんわりと真綿で首がしまる思い…。

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夜間傾聴:中延君(仮名:こちらから)
     *******

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市立病院で、C型肝炎汚染、カテーテルを使いまわしたために、5人感染、18人が可能性が出ているとか。私の祖母も寝たきり状態のときの、ある町医者の往診で、茶碗の湯で濯いだ注射針から感染しB型肝炎となり、ひどいめに会いました。寝たきりの老人が突然B型肝炎感染するとき、そのルートは限られます。とはいえ、医療行為の立証は本当に難しい。このニュースを聞くたびに、近くの別の町医者から診療拒否があったり、ヘルパーさんの引き上げがあったりと、多重の困難で塾を閉ざさなければならなかった頃のおぞましい体験がよみがえってきます。謝ってすむものではなし、「粗暴な医療行為をするな」ということ、それだけです。

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今日は10時からTOTOドロノワ倶楽部の陶芸WS。15時からサポセン。夜、町田2君の件、寄れればお宅にお邪魔予定。

(校正2回目済み)
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「わーく」編集部活動を文章化中(3)/夜の橋本巡回

2007-12-25 07:41:22 | 引きこもり
「わーく」は、ハンデを抱えた若者の地域交流と、若者自身がシステム管理運営の企業活動を地域展開する社会的企業です。地域就労促進の自助活動と支援者の協力によって、地域活動のためのオンライン環境と関連情報を提供します。

主な活動は

1)コンビニ冊子「わーく」発刊
2)インターネットSNS携帯ネット環境の提供
3)インターネット放送・番組提供
4)NPOのオンライン販売代行
5)公益行事企画支援
6)オンライン出版
7)地域社会参加型就労情報仲介
8)ハンデを持つ方への相談業務
  (就労支援・余暇支援・生活支援)
9)就労しゃべり場実現
10)支援者交流促進>セイフティネット形成
11) etc.

の地域マスコミ活動です。

ここには様々な活動が詰まっています。

1)を例にとれば…
企画・取材・編集・印刷製本・配布(回収)・渉外・会計などの企業活動の縮図のような業務があり、企画と会計監査を全体会で確認して動きます。そのそれぞれの自分にできそうな仕事を通じて発刊活動に参加します。参加可能な仕事を切り出すために、全体を通して、準ジョブコーチ的な支援者が入り、「ケア・パートナー」という当事者の小作業チームを作ります。作業の面で一般企業と異なるのは、日々の報告会のように、仕事の動きを常に丁寧に共有することです。自分の仕事の位置を見定めるだけではなく、発見や悩みを取り出すことによって、「社員」の熟練を促します。ここにも支援者はアドバイザーとして入り、解決を促します。

支援者は、セイフティネット的な事例研究会(カンファレンス)を生み出す方向で動き、渉外活動の特に拡張や収入財源確保協力を行います。

> 「わーく」は取材活動を行います。特筆すべきは企業紹
> 介をすることです。企業就労が困難な青年たちが取材を
> 行い、就労イメージを具体化し、取材先の就労条件を知
> ります。出会いがあれば、取材は人と人との出会いによ
> る企業の仮面接の働きもします。取材活動では関連活
> 動団体を取材します。出会いと知り合いを増やし、
> 連携活動を触発します。
              (前回記事より引用)

印刷製本は、湘南東部の市民活動サポートセンター・推進センターの機材を利用します。

配布(回収)は、コンビニ店舗を2人一組で巡回します。関係者以外の地元の知人作り活動でもあります。「街の中へ・人の輪の中へ」ということを取材・渉外活動とともに実行します。要請に応じて支援者が協力します。企業側のCSR(企業の社会的責任、社会貢献活動)との接点でもあります。

「わーく」は当初、隔月刊とし、月刊をめざします。発行部数も欲張らず、カラー50部から出発します。これはオンライン出版でもあるために、コンビニ店・推進センター(サポートセンター)設置分の部数です。

(続)

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昨日は父が室内でつまづいたために歩けなくなった。急遽冬期講習の時間帯交代をお願いし、昼間は緊急連絡用SECOMのスイッチを持たせ、短時間で戻れる藤沢での買い物を駆け足で済ませて、家に戻った。いっそ歩けなくなった方が介護しやすいと何回か考え、気持ちを打ち消した。これが続く限り、責任ある仕事に就けないからだ。昨日と今日が母親が休む番。

夕方、東京から帰った母と藤沢で合流。荷物を預かり、私が買い込んだ夕食の材料とともに抱え込んで家まで運んだ。行きに茅ヶ崎図書館と辻堂図書館に期限がきた図書を返し、空いたバッグに買い物を詰め込んだ。

玄関で荷物を置いて、授業は決まらなかったので巡回に出た。橋本君(仮名)の1件きり。橋本駅から町田2君(仮名)宅に夕食(?)のそばを食べつつ電話。強行連れ出し事件の終息を確認。(橋本からなら、短時間でお邪魔できたからだ。相模線は午前中架線事故があったらしい。)

帰宅後、父のベッドメイクをして風呂に入ったら、眠気が来た。2時間仮眠。夜間傾聴待機。昨日は誰からも連絡がなかった。X'mas 効果だろうか。放送機材のリストをオンライン検索して作業終了。明日も相模大野である。偶然大学から成人式祝い請求をしてきた姪を捕まえた。授業時間のとき、我が家で留守番を頼んだ。ラッキーと言っていいのだろうか、不安。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)


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助成金申請に向けて「わーく」編集部活動を文章化中(2)

2007-12-24 06:16:11 | 引きこもり
「わーく」は、社会的企業を目指す地域マスコミ活動です。分かりにくいのは、マスコミの社会的効用の側面から視線が注がれるために、そのバックグラウンドの効用が見えないからです。

「わーく」は、プレ就労の場であり、社会参加の場です。

引きこもり青年や、地域に仕事を求め、地域で働く障碍を持つ方の様々な交流と自主活動を生み出すネットワーキングの社会的任務を担う社会的企業の芽です。この活動には様々な仕事が組み込まれています。各人の特性に合わせた分業だけではなく、特徴は異質な状態の方の出会いによるピア・サポート的な協業、「ケア・パートナー」の考え方を入れ込みます。(詳細後述)これはグループ就労の可能性を拡げたもので、個人単位の就労を超える試みです。つまり、職場活動自身にも、現状打開の大きな価値を持たせている活動です。

「わーく」は企業活動の手法を使い、「就労困難な若者の交流と自主活動触発の契機提供を行いながら、地域社会参加の就労を生む」NPO活動を推進します。経営財源を生む営利活動はネットワークの階層的経営による会費収入(無料レベル・SNS会員レベルの分離)、放送活動・出版活動における広告収入、オンライン環境提供業務・オンライン販売代行業務・出版販売収益、行事サポートなどの営業収入を得ます。このために出発時点の運営の収支を会員規模に応じてフレキシブルに伸縮させる仕事の厳選を行っています。会員収入重点から、地域若年者就労を課題とした第3セクタへと転身を図るため、官民協働・企業連携(CSR)を進めます。同時に時期を見て助成金や事業債券を考えます。

「わーく」は取材活動を行います。特筆すべきは企業紹介をすることです。企業就労が困難な青年たちが取材を行い、就労イメージを具体化し、取材先の就労条件を知ります。出会いがあれば、取材は人と人との出会いによる企業の仮面接の働きもします。取材活動では関連活動団体を取材します。出会いと知り合いを増やし、連携活動を触発します。

経営は会員の全体会を最高機関とします。「わーく」の外側に監査とセイフティネットの有識者会議をそれぞれ置きます。財源は当座、無償労働とカンパ収入とします。「わーく」の収支黒字は時期活動費に全額投資します。

(続)

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冬期講習が始まって、昨日は相模原のほうの教室に出かけた。こちらは学齢期の中高生だが、いわゆる低学力の子たちの集団指導(授業)のTT(チーム・ティーチング)の机間巡視屋である。若い専任講師も、やりにくいだろうとは思うが、私は外勤屋。継続指導をしていないのだから仕方がないのだ。

今日は新入生の中に明らかな空間認知の困難を抱える子をみつけ、取り出し指導を行った。中3の子だ。学校でも指導を受けているという。通常校の特別支援教育の拡がりを感じた。この子は高校入学後在籍するとき、私の定期巡回を受けることになる。しかし、本来はこの指導は小学生のときに受けるべきものだ。彼らの世代では、具体的な場面設定による問題回避の策や、メンタルな自己安定化の方策を指導することが主になる。学習面のバイパス指導もあるが、伸びるところを狙う方法が効果的で、弱点克服は負担のほうが大きすぎてしまう。

今回は友人宅に避難している町田2君(仮名)と下北沢で会う。事情を聞いたが、親御さんが某易団に凝っているのではなくて、伯母さんの勧めだということや父親が強引に実行しようとしていることが分かり、親御さんに町田駅前で面談。無理強いの無意味さを説く。当人の外泊行動に驚いた親御さんは、運命診断を撤回した。いつもこううまく行くとは限らないし、外泊活動がしこりになることもあるので、彼に帰宅を勧め、承諾を得た。家では一時休戦である。

しかし、いろいろなことがおきる。親御さんも悩むからのことではあるが、特効薬を求めることだけは、やめてもらいたい。長い人は何十年も引きこもりの森をさまようのだから。

昨夜は藤沢の推進センターによるつもりだった。しかしこれも流れた。大事なものが流れ去る気がして、飛蚊症のゴミだらけの夕空をながめた。これが今年の決算であっていいはずがないのだ。

夜間傾聴:町田さん(仮名)
     *****

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社会的排除といじめ

2007-12-23 06:59:22 | 引きこもり
朝日新聞の神奈川版に「川崎いじめ訴訟 同級生の親に賠償命令」という記事が出た。ハーフの子がいじめられていた。そこには民族差別がどっかりとのしかかっていた。部分的ではあれ、当然の「勝訴」だった。しかしそこに流れた7年。それでも民族差別に判決は触れなかった。ひどい話である。

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冬期講習が始まって、演習の補佐に入る。ひとり気持ちよさそうに眠りこけていた。早々に居眠りとは達人である。しばらく近くで寝顔を見ていた。「わっ」と大声を抑えた声で私の顔を発見。お目覚めだった。クラス爆笑。となりの教室から、教員が騒がせないでくれと、すぐに飛んできた。すみませんねえと応答。TTの親教員は苦笑い。これがあるから授業はいい。個人指導はハプニングが起こりにくい。

うっかりタイをしていかなかったら、指導が入ってしまった。たるんでいるのは私だ。

巡回のアポ取りをして、藤沢へともどった。印刷用紙を買おうとしたら雨が降り出した。

茅ヶ崎駅南口の路上生活者の女性の所帯袋の山が、いつの間にか一掃されて、植木ポットが並べられた。誰も路上生活者になりたくてなっているわけではない。女性はより清潔な衣服に着替えさせられて、ベンチに座っていた。集めて収容したり、排除するのは、これまたおかしい。辻堂駅のビッグイシュー販売員の方に、話をすると、辻堂駅エレベータ前の方も排除された模様。ただ人通りが途切れた夜に邪魔にならないように、横になっているという。路上生活者の問題は社会問題であり、個々の家庭の事情によるものだ。女性は氷雨の中、どうしているだろうか。行政の担当者や支援者の相談をする時期ではないか。これはあんまりというものだろう。

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冷えると骨折の痕が疼く。買い物袋とショルダー姿で、雨のバス停のベンチに座り込んだ。メールが数通入っていた。そのうちの1通が、無理やり易団に連れて行かれると危機感をわかしていた当人からだった。逃げ出したが居場所が無いという。とりあえず、一番近い私の友人の家を頼るように指示した。もとの塾の同僚で、彼らの一時預かりをしてきた奴だ。二人目の子どもが生まれて、活動を停止していた。

家に戻り、親御さんに状況を説明。明日会うことに。

たまっていた家事を片付け、懇談会通信新年号を書き始める。
明日は巡回と授業。今夜はこれで。

夜間傾聴:町田2君(仮名)
     大森君(仮名)

(校正1回目済み)
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保育関係者の忘年会にお邪魔して

2007-12-23 05:25:33 | 引きこもり
一昨日は酒を飲まない不思議な忘年会があり、それでもどんどん子育て議論は盛り上がった。気おされていた私は、夜間傾聴開始時間に間に合うように0時頃退席したのだが、それでもすでに1件メールが飛び込んでいた。

相手に話をするとき、自分と相手との間に溝が見える場合、黙るか言い放ちへと決断し飛び越えるべきか悩ましいときがある。この感覚は、当人の思いの質の是非は別として、困難な選択に立ち尽くすその溝は、引きこもり者の多くが抱え込む闇である。さまざまな人の因果のからみが、発言の本来の意味を変えてしまう、それに抗する手立てがない。その泥沼を抱える青年たちと話をしている自分もまた、そこから超越しているわけではない。違いは半身の達観と耐性ができているだけ。

喉もとの思いを飲み込んで、冬の夜風に吹かれてきた矢先だっただけに、傾聴の常連さんの紹介で飛び込んだ親御さんの話は、ときに息苦しくもあり、応えられる権限の限界が虚しくもあった。ただ、建前で話を返して、いい結果が生まれた例がない。気持ちよく話してもらえるコンディションに今の自分がいないこと、親御さんが代弁者の形ではなく、メールでもいいから直接当人と語りたい旨を伝えて、改めてご足労願うことにした。(この方は、仕事の巡回ではなく、多摩川沿い東京側のボランティア巡回の方だ。)まだ今後の公開を相談していない方なので、話はここでストップ。電話を切ったとき、すでに午前3時をまわっていた。

保育園関係者の多い集まりで、青年の学習・生活支援と就労支援をしている私が輪に入るのも、もともと無理がある場なのだが、私には「わーく」の地域マスコミ活動の技法が、他の活動の地域公益活動のモデル環境になる普遍性を持っているという確信があったこともあって、「わーく」の発刊・オンライン発信を支える人材協力を得られないか、その場に参加者が得られなくとも、候補の紹介があればと思い参加した。もうひとつのつながりは、発達障碍の方の「生涯を見渡して」、「育ち」ということの中に「就労」を考えることが必要という議論だったのだ。

私は塾をやっていた頃は、ネイチャーゲームやボストン子どもミュージアム流理科遊び、アメリア・アレナスが提唱した親子美術鑑賞(箱根彫刻の森美術館や、川崎・生田の岡本太郎美術館にて)などをやっていたが、忘年会会場になったお宅には、庭にその頃を回想させる遊具や池があった。自閉症スペクトラムの子たちと過ごすようになって、これらの流儀とは違う「意味と理由」を軸とした付き合いにシフトしてきた経過があっただけに、古巣に帰ったような懐かしさがあった。

先日の神奈川A(エース)主催の横須賀講演会でも語られていたが、就労はその基礎を学齢期さらには幼児期に渡って、その価値観を育成すべきであるという論があって、そこからすれば、保育の関係者と共通の話題が立てうるわけだが、これはかなり無理をしている。ここから語れば現場実践を無視した価値観の披瀝と空中戦になるだけだ。ところが子どもの走り回った気配が息づく庭先で「ごっこ」の可能性を語り合うことは可能だったろうし、大人になることの意味を関連付けることも可能だったと思う。

しかし高校生と大人が中心となった今の私の仕事にとって、私が語りたかったのはもうひとつのファンタジーだった。「インクルージョン」という世界の可能性であり、その環境を整える際の解決の実効性のリアリティを貫く道筋の議論だった。はるか彼方の未来のために現在を棚上げしていくのではない、「いま・ここ」の泉を掘り起こす議論だったのだが。

「わーく」はさまざまな当人活動を触発する結び目の活動、苗場の活動なのだ。ここを描くことで、企業就労に向かない青年たちの地域活動という場が開けてくるという思いがある。ただそれがどのようなプロセスを経ていくかという段で、会話は吹き飛んでしまう。「SNS?」「RSS??」という具合だ。漂流者が異国に乗り上げたような空転がそこに横たわっている。

かつてインターネットHPをつくれば、全世界と更新できるかのような妄想と同質の技術依存を私の中に見ているのかもしれない。場を与えれば議論が始まるような幻想をいだいていると思うかもしれない。うんざりするほどの閑古鳥の鳴く掲示板を知らないわけではなく、それを越える方策をも用意している。オンラインの世界の虚構というレッテルがあると、「実社会の関係を活性化するテレコム」という視点は封じられてしまう。丁度、職場に電話をいれようという議論が、仕事を電話で済ますおかしさに論点がスライドしてしまうかのように。ここをこえる長大な説明は忘年会の話ではないのだ。

徒労覚悟で空転をひきずって帰ってきた。仕方のない話ではあるのだが、このもつれは、精密に経過を書き連ねれば通じるというものでもない。なぜなら「読み取り手の場面の中の感じ取り方は千差万別」であるからだ。ことばはお互いが支えている。だから話し手だけの世界ではないからだ。ため息の出る話ではある。

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夜間傾聴のひとり目を終えて、親御さんの背後の「青年への空想力」の限界を感じて目を閉じた。しんしんと冷気が安普請の家の隙間から忍び込んでくる。ストーブを身近に引き寄せて考えていた。説明をするためには具体的な例まで煮詰めて語らないと伝わらない。具体的な例を語れば、すべて出来上がったものをやらせようとすると批判が出る。「まず隗より始めよ」ではないか。活動が関係者に開けていればいい。さて内容が共有できるような開示をどうしていくかというようなことを考えているうちに、いつの間にかPCの前で眠ってしまった。

朝5時半。携帯が鳴った。夜間傾聴の二段目が始まった。本人の意思に反し、親が某易団に彼を連れて行くと言い出したという訴えだった。彼は部屋を絶対に開けないと言い出し、食べ物も睡眠薬が入る可能性があると全面拒否するという。経過を聞いているうち、私の通常の携帯の方が鳴り出した。親御さんだった。当人に待機を伝え、電話を切った。

親御さんは切々と状況を語り、彼の意思を曲げる霊力が働いている可能性を語りだした。その思想の是非はかわして、月曜日の巡回のときに話そうと、時間を稼いだ。実際その易団は祝祭日は休みなのだ。日曜日一日をはずせば、少しは冷静になれる。当人からの再連絡の際、「食事は取れ。異常事態ならすぐ動くから」と伝え一段落。7時50分。

メモを残し爆睡。

夜間傾聴:@@@@@@@@(親)
     町田2君(仮名)
     大森君(仮名・堪忍してもらう。今日の昼間に。)


(校正2回目済み)

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助成金申請に向けて「わーく」編集部活動を文章化中

2007-12-21 06:20:55 | 引きこもり
今、「わーく」の構想を、ろうきんのスタートアップ助成金申請のためにまとめる必要と、従来から取り掛かろうとしてきた「小さなオンライン冊子」として構想紹介をまとめるために、関係者に文章の顰蹙をかいながら、ともあれ原稿を書き始めています。その中で、私たちが支援しようとしている「困難を抱えた企業就労に向かない若年者」の就労と活躍の場作りの構想は、決して彼らの集団に閉じた構想ではなくて、社会へとつながっていく開放されたネットワーキングの構想なのだと、構想実現への思いを強めています。社会的挫折・心身障碍・生育環境などの条件のために孤立してきた方々自身が、人とつながり生計と目的探索(目的実現とはいわない)のその見通しを開いていく活動として、その起点(出発点)を地域マスコミ活動にまとめていくという、当人の活動参加を抱えた構想なのです。

社会復帰のための経済自立の発想から、従来の就労活動が行われますが、それには大きな問題がありました。どんな社会であろうと、その社会は無批判に放置されるのです。その最たるものが「就労(支援)活動」です。就労(支援)活動は次のような方向を持っていました。


1)企業就労への矯正
2)社会復帰までの心の癒しを支えるフリースペース(療育的保護)


の2点が絡み合っていました。両者を全面否定するつもりはありませんが、社会を論の前提として固定的に考えることは2つとも共通の形になっています。就労忌避・非行・引きこもり・不登校を社会矛盾の表れ・解決へのステップ表現と考えるることを従来の就労支援活動はしません、というより無頓着なのです。悪いのは自分という社会規範逸脱のレッテルを貼って、社会の鋳型に鋳造し直そうとする発想が主流であり、支援活動は結局当人たちの解決しない思いを、「就労は個人の秘めたる営為」という常識に乗って、責任を個人の意思にもどして、反論を押しつぶしていたと思うのです。これを当然とさせていた論理が、「厳しい社会」論。経済活動・企業活動の生存競争の淘汰に堪えうる社会人作りという目くらましの価値基準でした。

しかし、「厳しい社会」論を是認したとして「なぜ各人に協業に尽力する道がない」のでしょうか。資質を活かす道を協調的な方向で活かせる就労を、私たちは描けないのでしょうか。さっぱりわからない。ここが「わーく」構想が、従来の就労支援活動と方向を分ける大きな分岐点です。

さらに矛盾は、精神障碍の方のなかに現れるような急性期・寛解期と調子の波を抱える方に象徴的に現れているように、仕事のペースの自己管理がなぜ否定されるのか、再就職のリターンマッチが極端に格差のある劣悪な環境に押し込められ、閉ざされていかなくてはならないのか。高齢化社会の定年後の再就職(リターンマッチ)の道すら選択肢が少なく、賃金格差がつくのか、子育てのために一度退職した女性が職場復帰(リターンマッチ)が困難なのはなぜか、実社会は「ふるい落としの構造」に閉じているように思います。

転じて一度正規雇用された者が、就労をフレキシブルにできないことも不思議でなりません。子育てや高齢者介護のような「家族を支えていくための調整」さえ、賃金カット、地方転勤、子会社への出向、非正規雇用者への「転落」というような脅しのモデルに固定されていったり、派遣・パートのように職場の差別を助長していくような格差固定が行われていくのかが、力の論理に支配されているように感じられてなりません。

「それを言ったら生きていけない」というのは本当でしょうか。ハンデ(事情)を抱えるために、企業戦士にはなれない者は、なりたくない者は、生きていく場すら得られないのでしょうか。そんなことはありません。私たちは消費者でもあり、地域生活者でもあります。勤労者への企業の論理だけで地域が動いているわけではありません。だからこの地域に根を下ろす生き方があります。ただここには、ひとつの制約があります。「自分から踏み出さなくては門が開かない」という制約です。門を開くために、この地域社会参加推進の絵を描くことが、私たちの活動の大きな前提です。

私たちは就労忌避・非行・引きこもり・不登校は当事者の「自己表現」であり、「かけがいのない他者と出会い、ともに生きていこうとする」キャンバスに地域があると考えます。ここに「協業の絵」を描きます。より抽象的な言い方をすれば「多様性と共感と触発の原理(共生の原理)」を位置づけます。要するに「ネットワーキング」です。

これを「わーく」の論の原点にすえようと思っています。

(続)

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この数年間、私は若年者就労相談窓口作りの件で、茅ヶ崎市とのドンキホーテ的な提案をしてきました。地元に帰ってきた者にとって、活動基盤はその活動を媒介することで育てるものと考えてきました。しかし実際には、知的障碍・発達障碍の二分野の方の協力で現在に至っているわけで、引きこもりの関係者は、カウンセリングという個から始まり個に消えていく活動から出ることができないままでいます。

提案者の飛田自身が、フリースクール的な塾の経営を2回失敗し、2000年の交通事故の2年間入院で、軍資金の大半と人脈を使い切っているので、拠点を開設できない経済的な制約があって、チームを育てられないまま現在に至っています。「ケア・パートナー」という協業スタイルを提唱することによって、いわゆる「軽度」の方の「もうひとつの就労」モデル作りということで、障碍分野の方々の協力を得てきましたが、肝心の引きこもり関係者の動きがでてこないことで、恋人来たらず状況になっていました。茅ヶ崎市の「げんき基金」を使った公開連続講演会も、引きこもり関係者に声が届かない悩みがありました。

この状況を打開するために、特異なかたちですが、ろうきんスタートアップ助成に立候補することで、引きこもり関係者が結びつく契機を生み出したいと考えているのです。(ろうきんスタートアップ助成は、自己資金と活動実績を問いません。)それが「わーく」の発刊活動というプレ就労的な協業環境です。取材は職場を回ります。これが就労の契機にもなる一石二鳥をも狙います。私たちは企業活動から分業の切り出し方法を使いながら、さまざまな障碍の方との協働を生み出し、チーム就労を進めます。企画運営・財政・事務・取材・製作・校正・印刷・配布・拡張営業、オンライン環境管理など、小さなマスコミ活動を分析してもさまざまな対人レベルの、さまざまな仕事を抱え込んでいるもので、これを協業的に運用します。つまり配布効果よりも発刊活動にウェイトがあるのです。

引きこもり青年の「社会参加」の契機が欲しい方と、障碍領域の方とでチームを作ります。今回のろうきん申請が、大きなきっかけになりそうだとも思っています。

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今日は「湘南子どもネットワーク」の方の忘年会である。一昨日、NPOサポートちがさき8さぽちが)の全体会と忘年会だったが、父の病状相談で都内の某医療機関にいたので参加できず、すぐ近くの中央ろうきんの助成金説明会もあったので欠席していました。だから昨日は、女性センターの定例相談昼食会の待機を済ませたあと、今日の分の巡回も先にやってききました。相談昼食会、ひとりぽつねんと本を読んでいると、さぽちがのSさんが突然背後廊下を通りびっくり。男の料理教室とか。走りながら考えるという無駄は無駄ではないのです。

巡回:入谷さん(仮名:お父さんのお話をテーマに。)
   橋本君(仮名:訪問)
   鶴川君(仮名:短時間扉越しだが、しっかりと。)
   相模大野校(書類交換のみ)

忙しかったが、無事。

図書館滑り込みで本を返した。「パーキンソン氏病」関連の書籍を借りた。

今日の忘年会用食材を買い込み作った。なんと目を離した隙に母たちが試食。量が足らなくなってしまった。がっかり。

今日は地域自治会役員改選の打ち合わせで新参役員をやることに、その足で食材購入。まったく…久しぶりに時間のかかる調理をしたのがいけなかった。

夜間傾聴:身体がいうことを聞かないので、2時間爆睡。再開、1時。
     中延君(仮名)
     ******
     **2***


(校正4回目済み)
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「わーく」の本格立ち上げの基礎作りを/1/19中央ろうきん助成金説明会に参加し

2007-12-20 06:34:40 | 引きこもり
昨日は届け物もあり、小田急中央林間から九段下経由で飯田橋に出る。「たまプラザ」で書類の受け渡し。認知症外来は時間予約してあったが延々と待たされた。睡魔が何回となく襲ってくる。紹介状とカルテの要約を抱えて問診を受けるが、当人がいないので明快な応答は得られなかった。ただ危険な兆候はすべて当てはまるのに、時期が長いのに医師が首をかしげていた。いずれにせよ、父を連れて行かなければいわゆる治療にはならない。足元の悪さがあるから車で移動となると、躊躇してしまう。症状が急変したときの入院基準など聞いて約10分。化かされたようであり…。

父はSECOMのココセコムという緊急ボタンを持たせてある。それをストラップにつけて首からさげさせようとするが、プライドが許さない。家人が留守だと用意した食事を食べずに、みかんと煎餅で腹を満たせてしまう。薬に守られて健康だからという不可解な健康論を唱えて、糖尿病で半身が麻痺し始めていることを認めず、転倒を繰り返している。三食を要求するので、一日中食事当番になりかねない。

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昨日はNPOサポートちがさき(さぽちが)の全体会だったが、急いで帰るより、中央ろうきんの助成金セミナーが新御茶ノ水の総評会館で開かれていたので、これに出たほうが実があると判断した。全体会の終盤に合流することになるからだったが、県やサポセンのセミナーよりも、多重のメリットを見出したからだった。

ひとつは、病院から近くが会場だったからだ。御茶ノ水に出て歩いた。

もうひとつは、ろうきんのスタートアップ助成は、先駆的な事業に対して初動資金提供を出すが、活動実績が問われない特徴がある。これを「『わーく』編集部活動」に当てはめたいと考えたからだった。1月7日~22日が申請期間だ。正月はこの準備の年越しになる。

また浦和の彩星学舎のHさんと会いたかったからだ。説明会の実例報告者なのを見つけたのだが、会の終了時、Hさんと会うことができた。見学会をさせてもらう用件で、来年初め浦和におじゃますることに。彩星学舎は不登校・引きこもりのフリースペースであり、知的障碍の方との洋菓子屋さんをしている。クッキーがさっくり焼けていた。

次は連合総研に「社会的企業」関連の著作者の連絡先をつかむためだった。これも後で連絡をもらうことになった。

最後は「いのちの電話」連携の件で、飯田橋に戻るつもりだったが、なんと説明会会場の受付に会いたかった方がチラシを配布していたのだった。夜間傾聴は、死の際をさまよう方も参加されるからで、この辺の連携を強めておきたかった。これも偶然にできてしまった。

そんなお土産をかかえて、一路我が家へと帰路を急いだ。平塚の図書館から期限切れの本を返せとメールがきていた。まったく…忘れ物が多い。しょうもない状態が続いている。

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自閉症児行方不明の報は、あちこちのHP/ブログで見かけるようになったが、応答があるようなサイトが発見できない。神奈川県警都筑署でも受け止めているとしていたブログもあった。もう少し様子をみてみることにする。

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冬期講習は例年通り私は高1補佐と、問題を抱える個人の指導担当。もうひとつ、塾のほうは珍しく中3担当となった。しかし相模原は土地勘すらない。進路指導というより,速成学力回復屋にウェイトがある。助成金申請協力者出てくれるかどうか、機械苦手という壁なり。

今日は茅ヶ崎図書館と平塚図書館に立ち寄る。
辻堂のビッグイシュー販売の110番通報事件は、県警への申し入れをすることにし、同東京事務所に連絡をとることに。自立支援を社会がつぶすのは、おかしなこと。ここを支えて行きたい。

懇談会通信は、懇談会は来年度「わーく」編集部に転身することを伝えるものになりそうだ。新年号。じっくり書くことにした。




夜間傾聴:旗の台君(仮名>他のひとの紹介。保留させてもらった。)
     入谷さん(仮名:今日、お邪魔します。)

(校正1回目済み)

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清濁飲み込んで年の瀬は流れていく

2007-12-19 07:48:50 | 引きこもり
私の同僚の息子さんは、聴覚障碍を持っていた。それが原因で交通事故に遭い植物状態だったが、長い闘病生活の末、風邪を引き金に衰弱死した。享年17歳。親御さんは覚悟していたとはいえ、私と話した彼の左手には、横一文字に爪を立て血のにじんだ痕がいくつもあった。年の瀬はどうして、こういう悲しいことがおきるのだろうと思う。合掌。

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混乱していたので、県立図書館から借りていた本の延長をかけるのを忘れていた。今使っている本もあるので、朝、事前に両親の昼食の下ごしらえを済ませて、一抱えある本の山を担いでバスに飛び乗った。横浜の紅葉坂の県立図書館で延長手続き。地下鉄に乗って湘南台に出た。善行でひとと会う約束があったが湘南台まで出てきてもらって、資料の受け渡し。入谷さん(仮名)のお父さんとは、ここで会うことにした。

いろいろ家庭には事情がある。入谷さんの場合は帰国子女の流儀の違いを狙ういじめに遭っている。それだけに自分の進路は日本人不信の痛みを伴っている。親御さんとの話は短かったが、苦い今後の選択を伺って、あふれそうな「消化できない言葉」を飲み込んで、改札口でお別れした。次回入谷さんと会うときまで、この言葉は消化できるのだろうか。

余裕の無い残り時間で遂道経由の辻堂駅行のバスに乗り、「ライフタウン中央」で降りる。大庭図書館の通いなれたPC室に席を陣取り、まもなく停止になる@freeD回線からメールをさぐる。

ところが今までに無いことが起きた。つながったと思っても、ページ閲覧途中で回線が切れてしまうのだ。いままで接続に問題が出なかった席で、回線が使えないというのは、回線混雑か環境劣化だ。いずれにせよ、肝心なことができない金属の塊を苦々しく思いながら、文書作成作業。16時に誰もこないことを確認して、辻堂駅に戻った。

辻堂図書館にビッグイシュー誌の最新刊を寄贈し、帰宅。この間、携帯電話はメルマガ閲覧用アドレスのメール到着を知らせるメール通知音で鳴りっぱなし。うんざりするCM。

一昨日は「やあ、先生、田中です」という藤沢駅南口駅の怪しい語りかけに遭った。間抜けを狙った馬券を買わせる誘導。年の瀬は得体の知れないことも起きてくる。

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お父さんに任せたことが不安だったのだろう、家に置き忘れた私の聴講専用携帯に入谷さんから電話が入っていた。応答したが返事が無い。こういうときいろいろな化け物が妄言をささやくが無視、無視。

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今夜は母が当番だったので、自室の布団で1時間仮眠。両親の口論で起こされる。制限していたみかんが10個全部無くなっていたからだった。父の仕業だったが、せめて「自分の命、好きにさせろ」程度の居直りが欲しい。これでは子どもの鬼ごっこなのだ。ひとの生涯が結局食べ物の争奪戦で終わるのかと、ため息も出る。こんな人生があるから、引きこもり青年に高邁な人生論をぶつけるつもりは無い。押し付けて済むような偏狭な論の体現として私があるのではないからだ。

------

来年2日は、二段構えで夜間傾聴に参加している若手と、都内でおしゃべり会をしようと提案している。男と一緒では嫌だという女性軍のために、二段になったのだが、まもなく三段、四段となるに決まっている。基本はお互い逢いたくないのだからだ。まあ、連絡を待つ。

今日はこのまま、紹介状とカルテのコピーをもらって、都内の専門医の認知症外来をたずねる。父がレビー小体型認知症ではないか、セカンド・オピニオンをもらうためだ。足が無理なので父を連れて行けないから「セカンド」なのである。

午後は中央ろうきんの助成金講座。
冬期講習補完二軍講師の中間調整。

夜は「いのちの電話」関係者と会って、帰宅する。

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夜間傾聴:+++++++

開けゴマ…と何万回唱えたことだろう。

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自閉症児捜索の情報の真贋、源流で騒ぎになっている様子は無い。大丈夫らしい。数日間、情報源へのモニターを続行する。

夜間傾聴:********
     町田さん(仮名)親
     A子さん(仮名)親(お久しぶりです)

(校正2回目済み)

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夜を明かす

2007-12-18 07:40:18 | 引きこもり
世の中、不合理だなと思う。そこにUさんのメール。チェーンメールの疑いと、流入ルートの確かさとの板ばさみ。岩田和輝くん、無事保護されることを祈る。私のブログは約200アクセス。ブログとしては小さい。が、横浜の方がいらしたら、心に留めておいていただけたらと思う。転送は危険なので、私のところどまりとします。

------

訃報が飛び込み、入谷さん(仮名)の訪問は中止させてもらった。父の通院介助を行い、外来に順待ちの間に夕食の買い物。主治医問診に間に合う。話はずたずた。緘黙して食事制限話を無視する。すべての値が異常値。いつ梗塞がおきても不思議ではない。困ったねと医者と私がうなづく。セコムの呼び出し端末は、高齢者の場合、倒れたときにスイッチをいれないのだそうだ。効果が理解できていない。問診を終えて委員の玄関で、靴をはき損ねてまた転倒してしまった。早晩父は足を骨折するだろう。怪我は無かったものの、タクシーの座席の間に腰が落ちて抜け出せない状態だった。どう介護するか、悩ましいところ。母との相談も、お通夜で中断。

講師依頼書を書いていて、いつの間にか転寝していた。今日、入谷さん(仮名)のお父さんと、藤沢大庭図書館待機の前にご足労願って、話すことになった。高校の卒業¥の問題がでていた。まだあとひとり、留年か退学かの選択がかかっている。

うーん、大晦日、厄払いをしようかな。大森君(仮名)どうだい?

eof
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転送禁止・自閉症児行方不明の報

2007-12-18 06:51:56 | 引きこもり
Uさんから、自閉症児行方不明の報が入りました。チェーンメールが怖いので、転送は避けてください。この記事は今週いっぱい掲載し、削除します。

------- その後の経過が入りしだい掲載します。


>>> 横浜市都筑区在住の12歳の男の子が
>>> 12月6日から行方不明になっています。
>>>
>>> お母様からの了解を取っておりますので、
>>> k-proなど全国組織のメーリングリストで
>>> 流して頂ければと思います。
>>>
>>> 岩田 和輝(いわたかずき)くん 12歳
>>> 身長 150cm  体重 45kg
>>> 服装 NIKEカーキ色のトレーナー、ベージュのズボン、
>>>    黒のスニーカー、addidasウエストポーチ
>>>
>>> ・コンビニのトイレに行くことがあります。
>>> ・スーパーの試食を食べることがあります。
>>> ・公園のベンチで長時間座っていることがあります。
>>> ・倉庫や物置に入り込んでいることがあります。
>>>
>>> 連絡先 
>>> 中区障がい者生活支援スペース ぽ~と
>>> TEL 045-628-3572 FAX 045-628-3573

以上
コメント
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