湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

湘南高校通信制にアクセスし/コンビニ交渉その後

2006-05-31 06:38:06 | 引きこもり
 湘南高校通信制にお邪魔しようと電話をかけた。2年前、茅ケ崎駅前で文化祭を企画したときと同様に、はじめから拒絶の雰囲気。通信制はいろいろな事情を持った生徒さんが学んでいる。その環境を攪乱させたくない気持はわかる。しかし、私も若年者の就労状況の改善を願って活動をしている。営利業者のレッテルを貼られたようなじわりと嫌な気分が残った。通信制は通学の難しい生徒さんの大事な学びの環境であるからそっとしておいてほしいというなら、共感もできる。しかし事前に資料を見ていただこうとお願いし、伝達依頼と資料を預けたことも全く通っていなかった上に、何をしに来たのかを問われ、最後は連絡先も聞かずに切られてしまった。悪質な電話が多いのだろうか、砂をかむような思いが残った。一応生徒会に伝えてくださるとのこと、客観的に伝えてくれるよう願うばかりだ。

 あるコンビニの関東統括部にお願いして、コンビニ店頭に引きこもりの方に伝えるメッセージカードを置かせてもらう交渉を始めている。しかし交渉は難航を極めている。一つの団体に認めると次々に認めろという話がでて仕事が翻弄されるというのが拒否の理由で、店舗の仕事がひとつふえることになるというコメントがついている。しかし環境基金などの募金箱が置かれているのも事実で、それは公共性がはっきりしており、公的機関が要請していること、管理回収巡回が負担にならない形でしっかりしていることを条件で、趣旨をコンビニが賛同したという形で置いているのだという。つまり公的な機関の協力があれば道は残っている、そういう連絡と解釈し、言葉を濁す担当者の方に、再度お手数かけるがオフィスにお邪魔する旨を伝えた。これは是非実現したいと考えている。就労相談窓口が出来たとき、本人と直接接点をもつ重要な場所だと考えるからだ。

 就労支援講演会の偶数月は会員のゼミ風の展開となる。回り持ち発題の形を基本にするが、ゲストを招くときの予算をどう捻出するかをあれこれ考えている。内輪の会だから人数が少ないので、費用の参加者請求ですべて解決するわけにも行かない。基本は公開講演会のとき、参加費で純益をあげて、それを講師料に割り振ることだが、これも公開講演会とて講師代が必要で、げんき基金とあわせてもなかなか黒字にはならない状況にある。どうしたものかと思案。

 これも解決策にはならないが、会の講演を録音して販売することを考えている。とても文字起こしの手間まで支えられないので苦肉の策だが、講師の著作権の了解や、加えて参加者発言には著作権だけではなくプライバシーの問題もからむので、Q&Aのカットという判断も余儀なくされるだろう。郵送料を含んで実費が¥200-弱かかる。¥300-と値段を付けてみたものの、記録として売れるだろうか。録音の水準とコピーの効率をあげるテストを始めている。Q&A は、懇談会通信の印刷物として匿名記載することにした。またオンライン上の有料DL技術を調べている最中だ、¥100-位で何とかならないかと考えている。

 また、より明瞭なネットワークのプランが必要となり始めている。当人達の活動の芽を育てていくことも必要。ここも会員間で話し合いたい。

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 大井町の子の面談は今回が最後。長い付き合いだったが、親の仕事の廃業転居だけに心が残る。景気回復というのは零細企業の世界から見ると他人事のような空々しい気分になる。本来禁止されていることだが、事情が事情なので、彼との継続した私的な手紙のやり取りを上司に認めさせた。実家は関西。面談者を引き継げないのが悔しい。

 帰りに横浜で降りて、沢渡の県福祉センター資料室の返却ポストに、借りた育成会の書を投函し帰ってきた。近くの公園でハワイアンダンスの調子の良い筒を叩く音が聞こえてきた。この辺は国際色豊かだ。すらりとした姿の若者が数名、練習していた。聞きほれていると笑顔で手を振ってきた。恥ずかしいからむこうに行ってくれとの合図に感じたので、手を振って別れてきた。この何かを始める人たちの情熱がすきなのだ。

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5/28青少年支援セミナーを振り返って/活動を引きこもらせないために

2006-05-30 07:07:10 | 引きこもり
 武居光氏と牧野賢一氏らの執筆陣による、「本人活動支援'99」という育成会のテキストを要所コピーした。大変わかり易い自主活動の手引きなのだが、市販ルートに乗っていないのが難。ケア・パートナーの協働・チーム就労との接点が拡がる活動に親密さを感じる。もっと最近の書はないかと探ってはいるが、月明けに牧野氏と会う機会があるので、相談してみるつもりでいる。

 一昨日、ヒューマン・スタジオの青少年支援セミナーに参加して、引きこもりの活動が独自領域を抱えるようにして続いてきたのだという感を強くした。

 これはある軽度発達障がい団体のリーダーの方が悩んでいたことだが、障がい児者の活動から連携の呼び掛けがあったとき「私達は障害者ではありません」と断る方が出てくるという話だ。これは私が塾の父母会をしたときに、不登校の子の中に自閉症スペクトラムの方が高率に通塾していることからその対策を始めたいと語ったときの反応と同じだった。

 「不登校・引きこもり」は「治る」、だから「障がい者」ではない。だから一緒にしないで欲しいという訴えなのだ。ここには「生きることの困難」という障がいが社会的なものであるという発想がない。私達は老いる。その老いを障がい者とはとらえまい。精神の様々な症状があり、正常なる状態とは調べるほど連続していることがわかる。ひとの拡がりを包括的に見る目が「治る」という短絡的な基準によって切り離されていく発想は、その活動が社会の中に位置づいていない様を浮き上がらせている。医療というくくりの範疇に閉じている思考をこそ開く必要を感じている。

 そのことを強く感じたのは、後半の議論の中で「引きこもりも選択肢のひとつ」と語った武居氏の発言を紹介したとき拡がった違和感だった。就労することで社会的自立を成し遂げるという発想が、本人や関係者を抑圧している。様々な生き方が社会によって標準とか常識という姿を取って忌避されている状態から、いかに離脱するか。その方向が引きこもりの活動には、まだ見えていないのだ。

 インクルージョンとは、異物を寛容に受け入れる規範なのではない。私達の人間関係は起伏に富んでおり、ひとは一面で接しているのではないということに気づいたものの改革の道なのだということだ。ケア・パートナーの提案はひとと社会の障壁を取り払う活動であり、相互に必要とされることによって私の生の意味を情念のレベルまで高めていく活動なのだ。

 障害にめげずにけなげに生きる障がい者を見習うために、一緒に行動するという話なのではないのだ。愚かな切り離しをやめ、私達の家族や友としてやっていこうというのがインクルージョンの考え方だ。この辺が伝わっていかない閉鎖性を感じてしまったのだった。

 発題者の石川さんは、いい切れ味の論を展開していた。ニート概念の導入によって、引きこもり者は「労働」の価値観から切られてしまい、「就職する」ということが抑圧として覆いかぶさってきている。労働観・人生観の問いを忘れてはならないのだと説く。異論はない。しかし吟味する世界が狭い。釈迦に説法は承知だが、海外の生活集団の文化人類学的な調査や、知の越境を試みる認知科学のまなびの成果を吟味してもらいたいと思う。個人を基準と逸脱の眼差しで囲い込む医学(科学)の範疇がすでに時代的なものだということ。そこに取り込まれない活動こそ求められているものなのだ。

 昨日は、6/10のゲスト懇談(綿引さん)を迎える準備資料をつくったり、事前相談の日取りを調整して終えた。労働に価値を探ることは、社会通念には希薄だ。自分を他者比較の基準で観察し、いかに職場に「はまる」かが現行の就労活動だからだ。しかし社会を固定的に発想する方向は引きこもり体験者には苦難でしかないだろう。ふりまわされることなく、自分の道を探る試行錯誤に踏み出してもらいたいと願う。この「過つこと」へのセフティネットを私ら年配者が作る。それが実務者ネットに期待されている。

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5/28ヒューマンスタジオ・青少年支援セミナーに参加して

2006-05-29 05:43:23 | 引きこもり
 ヒューマンスタジオの青少年支援セミナーに行ってきた。会場は満席である。ただ顔見知りが多い。つまり支援者が多いのだ。都立大大学院の石川良子さんも席についている。困ったことに眠たいのは私だけで、冗談ではなくオロナミンCを買い忘れた。

 しかし丸山さんは細かい。第一部のシンポジウム、語るテーマを細かく指定しておき、シンポジストを束ねて丸山さんは手綱を放さない。私なら大きなテーマを掲げておき、慎重にする場でも、当日食事でもしつつシンポジストの軽い初戦を済ませる程度にしておく。あとはお任せにしたほうが面白いと思うからだ。勿論収拾は差異を確認して終わったしまう。丸山さんは戦わせるのではなく、シンポジストの活動紹介を行わせようとしている。

 なるほどねと客席傍聴しつつ、パンフレットをぱらぱら。神奈川県内のひきこもり支援関係団体・機関の頁をみたら、県の資料を写したとみえ、フォーラム懇談会の名前がない。引きこもり領域の実体がないからなあと思いつつ、パンフを閉じた。

 子どもと生活文化協会の和田さんやリロードの立場で武藤さんや大沢さんの顔も。スペースあとむの大村さんと、愛大の長谷川俊雄さんにご挨拶。

 結局第一部は、最近の活動を交流することが目的なので、真新しい動きという話でもなくさらりと終わった。和田さんの語りが横道から活動を見る語りなのが印象に残ったが。

 しかし第二部は熱っぽかった。石川良子さんがきっちり「ニートから引きこもり論の換骨奪胎の罠」をきれいに語りきってくれたからだ。ただ引きこもり悪循環論解説を欲張りすぎたのではないか。ニートによって労働という鉈で引きこもりをぶったぎり始めたことへの反論は拍手。実は武居光さんの語りの中にあった存在の肯定論の深みへ話を持ち出そうとして石川さんの時間がぴたり、終わってしまったのだった。

 次はヤクザな話、武居さんが語っていらした「引きこもりも選択肢のひとつ」ということを留保しつつ、世間では受け入れられていない就労観を語ったのだが、案の定浮いていた。

 仕事は糊口をつぐためにあらずということひとつ、世間の理解と違う。自分に「やれそうな仕事」を「選択」する主体性を前提に、「やっていけるか」議論するのが就労の課題とされているからだし、社会の荒波を超えていく情報と技法を論ずるものとされているからだ。

 ところが引きこもりの方はひとに気がついてしまった。ダービーの熱に白けてしまった。そういう方に、体調がもどったらまた走れというような社員研修もどきをやっても、正体をみたお化けのようなもので元の鞘には戻らないだろう。ひとにこだわるなら、ここは「働くことの意味」という、青臭い議論を抜きに語ることは出来ないだろう。先哲の知恵をぶつけてもこれまた藪の中。それよりもプレ就労の試行錯誤を論じたほうが言い。ただし理論の鳥瞰を否定しているのではない。このあたりが爺婆がちょっかい入れる場なのだろうが、試行錯誤できる・失敗できる場を作ることこそ涵養なのだ。

 もうひとつは、知や技能が個人の身体にしまいこまれているという理解、これが違うぞという指摘。知と技能は状況に埋め込まれている。ひとがかけがいのない他者に働きかけるとき、ひとは情熱的な存在となる。引きこもり者の脳内の病理改善は的がはずれている。ひとが場面のなかでがらりと変わるトリックは、他者との取り結びにあるのだということ、これを論ずるのは、なんともむずかしい。分かち合える実例で語りたい。しかし実例は自分で作るのだから、それがなければ言葉の橋渡しが難しいのだ。自閉症児のお世話の場面で生じた彼の脱皮も、優れた言説に出会ったときの真剣な眼差しも、今のままではア・プリオリなのだ。

 私にとって「ニート」の流行による引きこもり変節論の危険も、従来からの、臨床の粘土像に仕立てあげられた引きこもり者の危機も、引きこもり状況の閉塞を越えるべき対象なのだ。障がい児者を論じ始めるとひとは凍り付いてしまう。しかしここに手を結ぶべき閉塞打破のひとつの道がある。障がいの領域ではすでに、働かざるもの食うべからずというか無価値の論のおかしさは超えられている。それは障がい者の論理ではなく人間の論理であるにも関わらず、障害者保護の論として、引きこもり領域とは切り離されてしまう。必要とし必要とされるマッチングが生まれたとき、武居さんがさらりと言ってのけた「引きこもりも選択肢」という世界が開ける。

 語りきれぬもどかしさを再び残して、ただし今回は支援者の、否に偏った賛否両論ではあるが意見を生み出したこと、和田さんに飛田がなにをわめいているか(笑)伝わった会となった。

 しかし石川さんは若い。引きこもり者に低空飛行を薦めておきながら、自分は「精進」はない。「マイペース」じゃないのかなあ。自分を棚に上げてのうのうと語れる、これがおっさんなのである。

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今日はヒュースタ青少年セミナーで語るのだが~幕前の闇の中~

2006-05-28 07:14:47 | 引きこもり
 中間テスト期間中。それは心乱れる期間という事もできる。皆が先に行ってしまう不安の語りを私は傾聴しつつも、むやみに励ますことは出来ない。やがて私の心も渦を巻く。

 昨日は茅ケ崎サポセンで、6月の会員懇談の発題者綿引さんへの期待をこめた通信第二面を書いていた。今日の丸山さんたちの青少年支援セミナー春夏には間に合わなかった。今日私は「働くを疑え」というテーマの話をする。以前コロンブスアカデミーの尾根山さんと並んで話したときの、参加者の困惑した表情が思い出されて、果たして私は共通の言葉を持つことが出来るか自問していた。

 今、自分の子どもが苦しみ家族と衝突している。そういう情況下のご家族が解決への道を求めて会に参加している。そこに「就労支援」という話は、何とも場違いなのだ。私が語りかけている方たちは、こうした戦いをくぐり、時間が彼を再度社会に押し出そうとしている方たちなのだ。家庭というとりあえずの居場所を確保しつつも、今の自分の再構成を試み始めた方たちに語りかけている。

 そういう相手違いの空転の意味で、また「まあ、がんばってください」とばっさり切られるのかなとも思いつつ、それでもなお、出会いを求めて、ひととの出会いのひとつの道を提案してみようと思っている。相手と出会えない支援者ではどうしようもない。提案の具体的な形が未成熟なまま、何を語れるのかを問い直している。

 そこにサポセンの紹介ガイドブックに載せる懇談会紹介の記事の校正についてサポセンの**さんが質問にやってきた。電話連絡の応答が無かったので校正は時間切れで、サポセンと市の間で校正を行ったとの了解を求めにやってきたのだ。考えてみればガイドDBに並ぶHPは、皆公的な顔をしている。そこに「超」私的なとぐろを巻いたブログが登場するのは、何とも不釣合いだ。サポセン・市の担当の方がどうのというわけではなく、まずは実際に具体的な活動が根付かねば、なんともいえぬというような言いよどみを起こして、内容は別としてただ承諾の首を振った。こんな調子ではならない、突き抜けなければという思いがつのる。

 そういう私の異常は対面相談の場では、私自身を管理、ガスを抜いて相手の胸元の仮想の花を見ることにしている。私はいわゆる心理臨床のカウンセラーではないから、自分を客観には置かない。しかし、しょうもない話をしつつも、それでもやがて波長があってくるものだ。しかしだからこそ、こういうへこみはしまいこんでも相手に届くと見え、中間テストにへこむ彼は、するりとゲームの話に閉じてしまう。もうひとりは「顔色が悪いよ」と、話は逆の立場になってしまったりとする。後者の子はその言葉の通り、私を受け入れてくれた子だから、「ありがとう」といいつつ、私はその観察眼の素晴らしさを彼に語り、実は場をつくろった。花とは彼らの魅力だ。へこむほど、私はしがみつくようにそこを見ている。これはやはり変だ。

 ヒューマンスタジオのセミナーに持ち出す、残りものの古い通信を集めて困ったことに気がついた。丸山さんから届いたプログラムには、「持ち込み資料1種類」とある。私のは3種類。さてどうしたものかと考えて、結局早めに出かけて、丸山さんに渡してある通信を回収して、会場でホチキス止めの作業をすることにした。会場が13時。60部は騒ぎだなと思いつつ、11時には出かけなければならないことに、白髪頭をぽりぽりとかいている。仮眠3時間ちょい。いつものことといいつつ、これで4日、会場でへんちょこりんなことを言い出さねば良いがと思う。

 今回は穴掘りなり。

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地元の若手の活動を生み出したくて…

2006-05-27 06:46:35 | 引きこもり
昨日は湘南高校通信制にお邪魔しようとして失敗した。なんともはや、金曜日は休校なのである。湘南高校前のバス停で直通電話、愕然とした。この世界を如何に知らないか知らされたのだから。気を取り直して茅ヶ崎高校定時制に向かった。

事前に資料を渡してあったために、面会はスムースに行ったが、なにやら先方は情けない表情なのだ。今年、駒崎氏が退職して「オールアライブしゃ」をたちあげたため、定時制の教員の地域活動に熱心な方が減り、身動きがとれなくなっているというのだ。それ以上の内情は伺うことが出来なかったが、学生との「そり」がいまいち合わないようだ(^^;

無念さを抱えて、一度家に買い物をして戻った。家には「浦河べてるの家」の「べてるの家の『非』援助論」と「ニートっていうな!」をバッグに入れて茅ケ崎サポセンへ。「べてるの家の『非』援助論」には笑った。居直った強さが可笑しい。(失礼)すごいパワーである。本人達の自主活動の威力である。T市議が今年社会研修にいってきた。なかなか着眼点がいい。

さて18時からは元協働まち研WG-2 の会合。メンバーは変わらないが新グループ「みんみんゼミ」となった。これも骨抜き。実際、協働事業の提案は「協働PJ」「福祉PJ」などの方に、アクティブが自分のテーブルを抱えたからのようだ。それならば帯に短し襷に長しの感があるが福祉PJか協働PJに参加することにした。しかし当人活動を[福祉」と呼ぶのはどうもちがうのではないかとおもう。どうも行儀良く収まらない、足がでるのだった。

K氏の進めもあって、サポセンのニューズレター編集の方にも首を突っ込むことになった。ただし脇役。どうなることやら。

6/10の講演会の通知を書いている。今回は内輪のセミナーだから、ポスターなどはない。今回の話は「ヤングジョブスポットよこはま」の紹介。どうも「gggg…」のような居眠り入力が増えたので、今回はここでストップ。

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6/10綿引幸代さん講演会準備進む/定時通信制高校の/第5回全国LD親の会公開フォーラム

2006-05-26 05:44:00 | 引きこもり
第一回公開講演会をメインタイトルにした通信を書いています。5/17に茅ケ崎市が私達を協働事業の交渉相手であるか、担当課の判断を集約しました。心配です。就労支援活動が1年遅れることになってしまいます。

通信裏面は6月の講演者、綿引幸代さんに期待する課題について書いています。偶数月は会員内の活動のすり合わせのための話し合いです。講演者というより発題者です。ゲストとすると軽すぎ。ヤングジョブスポットよこはまの紹介をお願いしています。茅ケ崎に広義のハンデキャップを持った方の就労相談窓口を開設するために、具体的な論議をします。関心がある方は飛田にご連絡ください。

ここ二日、湘南高校定時制と通信制、茅ヶ崎高校定時制にお邪魔しています。ひとつは連続講演会へのご招待・若手グループの活動作りの相談です。今年度は連続講演会とともに、若手の登場を是非実現したいのです。

28日藤沢市民会館会議室にて「ニートっていうな!」の石川さんを招いてヒューマンスタジオがシンポジウムを開きます。14時から会議室。青少年支援セミナー春夏。いろいろな講演者が来ます。私もほそなかのひとり。鍛錬型の就労研修の根拠の無さは同感。議論はどうなることやら。SOFの掲示板をご覧ください。

SOF学びの掲示板
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2


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神奈川LD・にじの会の岸本さんから、6/11第5回 全国LD親の会公開フォーラム(横浜)のお誘いがありました。参加させていただきます。ご連絡ありがとうございました。

以下はそのお知らせです。


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     第5回 全国LD親の会公開フォーラム

  「発達障害のある人の思春期・青年期を考える」
   -教育・非行・就業・自立の諸問題にどう取組むか-


日 時: 2006年6月11日(日) 10:00 - 17:00(開場 9:30)
会 場:横浜市開港記念会館 講堂 横浜市中区本町1-6
      TEL:045-201-0708
    <交通> JR京浜東北線・根岸線
 関内駅南口から徒歩10分

          横浜市営地下鉄
           関内駅出口1から徒歩10分

          みなとみらい線
 日本大通り駅出口1から徒歩1分

会 費:999円 (LD親の会会員 無料)
定 員:480名

 発達障害者支援法が施行されて1年。教育の分野においては、中央教育審議会より「特別支援教育を推進するための制度の在り方について(答申)」(2005年12月)が公表され、小・中学校における特別支援教育に対する取組は着実に広がっています。しかし、義務教育以降の取組については、重要な課題であると認識しつつも、これからといった状況です。 後期中等教育期、高等教育期は、「学校から社会へ」「子どもから大人へ」と一人一人がライフデザインを考えるうえで非常に大切な時期であり、ニーズも多様化してきます。義務教育終了後、発達障害のある人には、具体的にどのような支援ニーズがあるのか、教育支援、就労支援、地域での生活支援などの観点から、講演、トーク、シンポジウムを行い、思春期・青年期の教育・非行・就業・自立の諸問題にどう取り組めばよいか、当事者の視点も踏まえて、参加者とともに考えていきたいと思います。 多くの方のご来場をお待ちしています。

主 催:全国LD(学習障害)親の会
後 援:文部科学省、厚生労働省、横浜市教育委員会、神奈川県教育委員会、東京都教育委員会、 埼玉県教育委員会、千葉県教育委員会、川崎市教育委員会、さいたま市教育委員会、千葉市教育委員会 認定特定非営利活動法人パイロット日本基金、日本LD学会、日本障害者協議会、 日本障害者リハビリテーション協会、日本発達障害ネットワーク、NPO法人アスペ・エルデの会、 NPO法人エッジ、NPO法人えじそんくらぶ、社団法人日本自閉症協会、NHK厚生文化事業団


<プログラム>
 10:05-10:30
来賓挨拶・解説   瀧本 寛(文部科学省 特別支援教育課 課長)

第1部 講 演
 10:30-11:20
  講演 Ⅰ   特別支援教育、発達障害者支援の現状と課題
         ~教育から就労・自立における諸問題にどう取組むか
          山岡 修 (全国LD親の会 会長)

 11:20-12:10
    講演 Ⅱ  非行化の予防と初期非行への対応
          小栗 正幸 (鳥取少年鑑別所 所長)

 12:10-13:10 (休憩) 

 13:10-14:00
  講演 Ⅲ  発達障害のある人の思春期・青年期の課題
          上野 一彦 (東京学芸大学 教授)

第2部 トーク
   14:00-14:50
 「発達障害者支援法、障害者自立支援法を解剖する」
        解説  大塚 晃  (厚生労働省 障害福祉専門官)
       質問者 氏田 照子 (日本自閉症協会 副会長)
             内藤 孝子 (全国LD親の会 副会長)

第3部 シンポジウム
   15:05-16:35
「発達障害のある人の思春期、青年期を考える
 -具体的事例を中心に‐」
      シンポジスト:新堀 和子  (LD親の会「けやき」)
             瀧田 美紀子 (横浜市立高等養護学校 教諭)   
             志賀 利一 (電機神奈川福祉センター・常務理事)
       指定討論 :上野 一彦  (東京学芸大学 教授)
         司会 :内藤 孝子  (全国LD親の会 副会長)

参加申込方法
■参加ご希望の方は、
   ①住所 ②氏名 ③電話番号 ④所属 ⑤参加人数(3名まで)を
明記の上、往復はがきか、E-mailでお申し込みください。
(締切:5月25日)

    1. 往復はがき送付先
       〒247-0074 神奈川県鎌倉市
城廻775-19 伊藤裕美方  
        全国LD親の会・公開フォーラム申込係
    2.E-mail:
         office-jpald@mbr.nifty.com 
        全国LD親の会・公開フォーラム申込係

*会費(999円)は、当日受付にてお支払いください。
*定員(480名)になり次第、事前受付を締め切らせていただきます。
*LD親の会会員の方は、所属の会経由でお申し込みください。
*電話でのお問い合わせは受付ておりません。
*当日の子どもの保育はありません。

<このフォーラムのご案内については、転載自由です。>


以上

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足跡を刻む書き込みはあてつけか?

2006-05-26 03:13:03 | 引きこもり
昨日早朝、ブログの長時間メインテナンスがありました。そのとき書き込めなかった文書を載せます。私の夜間傾聴オンラインボランティアの中で議論があり、それに関連して書いた公開メールのようなものです。

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 今夜のメール交換(chatは語る内容が浅くなるため使わない。)の中で武居さんの話を伝えたとき意見が出た。武居さんの危惧する「働かなければならない」という脅迫観念(常識)が、ひとを歪にするという発言の背後にある考え方と、「働かないと食べていけない」(現実?)との論の隙間に何かあるんじゃないのというP君の指摘に意を得たりと語ろうとしたら、もう寝ると対話を切られてしまった。だから不完全燃焼のような気分で文を書いている。

 食物は命を支えている。しかし私達の社会では食物は商品として登場する。自然の山海がありそこから採取するものとて、厳密にはそこに所有者がいて、自然なるものが実はかすめ取りになっているという話や、それはものの見方の問題で、地球の上では「商品なんて知らないよ」という社会があるだろうという話が出た。珍しく深まった話だったが、勿論、斜にものを見るまる子さんのような困った人物もいる。(笑)

 まる子さんいわく「働かなければならない」主義の権化は飛田じゃないかという指摘だ。これは少々きつかった。私の文章には、「今日自分が何をしたか」ということが綿々と書き連ねてある。「今日私はこれをやったのだから、お前も働け」と読めるというのだ。その危惧は充分予想していた。

 しかし、まる子さん、それは私が延々何十年いわゆる活動をやってきて、ぷっつりと中断を余儀なくされてきたからという事情があるのだ。話は飛躍するが、田舎に出かけたとき地元の方の語り口に眩暈を感じたことはないか。民宿のおばちゃんが、あたかも近所のひとのように「●坂の☆ちゃんがさ…」とか「一本松の長男さんの嫁さんみたいな…」という家族に語るように語りかける現象がそれ。おばちゃんは、何の不思議も無く語っているのだが、さっぱり私にはわからない。それは小さな地域社会では、お互い承知の共通の情報があって、あえて発言を見直さなくても「あれ」「●坂の☆ちゃん」で話が通じるから、それで語り慣れてきた。よそ者が「あれ」「●坂の☆ちゃん」を知らないということが思いも寄らない。

 何をいいたいかといえば、市民活動も似たところがあって、自分達が所属する組織があるとその中に暗黙の了解がたまっていく。その流儀で外に語って魚の「あなご」みたいにひょいと出た頭は、するりともとの穴にもどってしまうんだ。「市民活動は、あなご?」違う。皆、ホームグラウンドを基準に動くから、中間支援者といういわば「流れ者」にとっては、語る言葉が中途のうちに通らなくなる不本意な伝わり方で相手が閉じてしまう空転の事態が起こるんだ。この中間支援者というのは、なりたくてなったわけではなくて、運営19年目に自分の塾を閉じた時点から約10年、他塾・他団体のひとのふんどしで相撲を取っている。流儀が合わなくて相手がいなくて3・4年は活動の失業者として彷徨っていたのだ。主張を持った年配のおっさんはうざいだけで、結局知人の塾の一角で、「学習困難児の学習指導」という自分の活動をつくってきたが、無理に組まされた教員の非協力が、露骨に子どもに反映して破綻。今度はその年に交通事故で2年入院して、根無し草になった実家の湘南に戻ってまた作りなおしをしている。だから、中間支援者というわけのわからない(うそです)仕事をやっているんだ。

 私のやってる道を刻印していかなかったら、足跡は消えてしまう。岩登りのハーケンを打っている感じ。私の記録は、まる子さんと僕を比べて語っているわけではないのだ。無所属の立場ゆえ。

 しかし、書いても私とあなたを結ぶ情報になりえないのは、私とあなたの共同行動の中にその言葉が横たわっていないからだ。あなたの流儀を私は取ることが出来ない。例えば「親だけの会」に支援者が入れないように。でも共通のテーマで行動することは出来る。でもあなたは何者という問いかけがないと、私はあなたのまわりをくるくる回るだけになってしまう。それが中間支援外野の宿命。つなぎ屋の悲哀ってもの。ときに便利屋さんのような気にもなってくるが、新しいことは接点のずれのなかに始まるからあながち無意味な仕事とは思わない。

 組織の中ではルーチンワークは暗黙の了解ですぎていくが、よそ者にはわからない。なんでそんなわかりきったことを聞くのってこと、あるでしょう。その暗黙の了解で言葉にしない部分を取り上げているから、なおさら「うざい」わけ。まる子さん、聞かなきゃよかったって思ってるでしょう?信不信の所属の棚から私は降りているから、話が元の木阿弥になってしまうような構造を、意識しているから、悪あがきかな。ひたすら書いていくのですよ。

 リルケっておっさんが、「ゆうげの窓の明かりを見つめていたら、窓がぴたりと閉まった」という内容の詩を書いているんだけれど、「あれ」ね。属していないものの言葉。語る前に閉まる。そればっかり。でもやると決めれば語るでしょう。

 Pさんの隙間の話だって、常識を盾にしてはいけない。納得がいかなかったら世界中を相手にしても語らなければならないでしょう。「敵」とは書いてないですよ、ここポイント。多面的な視座というか、「メタ自我」というか、当たり前に充足せず「鳥瞰の眼差し」を持つことって大事だと思う。

この前、武居さんが話し終えたあと司会のMさんが、武居さんの旧友の顔に戻って、「自分達は民俗学とか文化人類学が好き」と語っていたけれど、この集団の暗黙を浮き上がらせてくれるからだろうなと、勝手に納得していたんだ。それでさえ「こういうもんだ」という物言いは、抑圧となり探りをストップさせるから、私はこの断層を疑い続けるけどね。

(今回は脱線)


-----

いつものメモ

5/24

湘南高校定時制
湘南高校通信制
茅ヶ崎高校定時制

にお邪魔。進路担当者の方とのアポとり。

懇談会通信No.016 作り

以上

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講演会より:3)当人の安全保障感を確保する/4)支援者が就労推進基準を確実にする

2006-05-24 05:36:00 | 引きこもり
武居さんの講演の中にあった言葉の中で、印象に残った言葉がまだいくつも残っている。そのひとつが3)「本人の安全保障感」、もうひとつが4)「支援者の就労推進基準」ということだ。

就職するということは、職場の仕事と人間関係に自分を組み込むということだ。武居さんの事例の中に、採用内定の直後、その職場に内定を打ち消させるようなことをしてしまった方の話が紹介されていた。自分が就職せねばならないことを承知しつつも、生活の変化にたじろいでしまう。しかし、これは就職のもうひとつの側面を表している。私生活との関係。この総体が自分を危機に陥れることのない安心できるものでなかったら、私生活は就労によって追い詰められかねないのだ。この「安心できる」ということが「安全保障感」。当人が就職後の見通しを持てない就労であってはならないのだ。

支援者は本人の就労相談に乗る。そのとき社会の建前に振り回されてはいけない。まず当人の状態をよくつかみ、自分の経験から「この状態では、やらせてはならない」という明確な基準を持たないと当人を見失い傷つけてしまう。

このような裏表のような話が実例の中で話されていた。この指摘はあたかも親が子をみる目に似ていると思った。心理臨床の場面では、援助者と当人の対話の完結した世界のなかで、外部環境として社会が登場する。この環境への関わりは副次的なものとされてしまう。しかし、私は彼が職場集団としての他者に向かうのではなく、自分と取り結ぶキーパーソンを探していると見る。ひとはそのひとと関係を結びながら、共鳴しつつ脱皮していく。この出会いを仲人のように取り結んでいくことが肝心だと思う。この辺の要点のずれをもっと話してみたかった。このキーパーソンとは就労先の人物とは限らない。彼の生活圏の同世代の友人であってもいい。これがつながることによって、彼は「本人の安全保障感」を得るのだと思う。

(つづく)

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実験:講演会延長戦会議室の設定と情報の蓄積(メモ)

2006-05-24 05:29:34 | 引きこもり
有期限意見交換会議室の期間が終了しました。

アクセスカウンターのセットを間違えたので0人でした
が、次回からは大丈夫。ハード的には問題がおきません
でしたが、ソフト的には、かなり問題がありました。


1)武居さんに事前了解を取れなかったこと。

   Q&Aの延長戦の色彩が濃いので、講師の方に
   当日~2日後の期間、議論にお付き合い願うか
   私がまとめて、講師の方に仲介質問し応答願う
   か、事前相談が必要。

2)呼びかけの際のシステム的混乱

   掲示板参加は自由参加でいい。講演会レポート
   をCDで届ける話と両方を載せたため、掲示板
   が有料に見えてしまった。

   申込書は当初これのみで受付をつくるつもりで
   いた。受付方法がうまくいかない時の予備の表
   と二重化してしまった。

3)掲示板記事のレポート転載の了解

   これももっとすっきり書いておけばよかった様
   に思う。名前はAさん、Bさん式にアルファベ
   ット化して転載する。

   掲示板記事はCDにも焼きこむつもりでいた。
   CDには講演抄録・音声版と講演関連PDF 文書
   およびPDFリーダー取得説明書が書き込まれ、
   これを有償配布するつもりでいた。\200-(〒な
   し)

   勿論、音声版は講師の方の著作権があるので、
   了解の上進めなくてはならない。

4)想定する意見交換の事例を示すために飛田以外の
  桜(^^; が必要。

この講演会はまさにジグソーパズルのような連続企画な
ので、大まかな道案内が必要。その上で迷路に飛び込ん
でもらうのだが、遭難してはまずいので、迷路熟達者と
予備情報が必要。

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5/21就労支援講演会から/(2)君どう思う?

2006-05-23 06:05:58 | 引きこもり
武居さんの講演の「当人を束ねない、名前のある個人として寄り添っていく」というスタンスについて、Kさんから「しかし障害の特徴を知ることが、自分の生活を立てていく上で役にする」という面があるのではないかという話が参加者の中で始まっています。その状況の中で以下は書いたものです。



1)命名することで自分の視野が固定してしまう「わかったつもり」の怖さ。
2)命名されることで当人の気持がレッテルに封じこめられて、不本意な扱いを受ける不当さ。
3)今起きていることが何事であるか、なぜそれが起きたのかということは、私とあなたの了解のためには言葉に表す必要がある。
こんなことが、頭に浮かんできました。


私もハンデを抱えた子たちとお付き合いしてきて、それが決して順当な道であったわけではなく、むしろたちはだかる壁の隙間を通り抜けてきたような忸怩たる思いがあるわけです。提案企画すれば新たな壁が生まれます。この情況に洗われると「わかったつもり」という手抜きの蓋が次々に開いてしまいます。しかし2)の怖さは当人を傷つけているから、手抜きの範囲では済まされないものです。共通理解としての言葉は必要であるけれど、それは常に情況によって更新されるものであり、更新するものだということです。

ごめんなさい、実例が背後にあるのですが公開が難しいので、跳ばしています。

しかし、次のお話はいいですねえ。



(その2)[君どう思う?」

お互いをつないでいく言葉です。これが活きてこそ、活動は膨らんでいきます。ただひとつ、私とあなたの言葉としてこれを考えるのはどんなものだろうか。臨床の場では1:1の関わりが基本になるのだろうけれど、応答を発した複数の「彼」が結びつき、そこに熱がうまれてこそ活動は豊かなものになっていきます。私は「就労しゃべり場」に期待をかけるものです。この場に障がい者が語りを拡げてこそ、今の重い状況は内外共に動くだろうと思っているのです。



話は変わりますが、私が横浜・沢渡の県社会福祉会館資料調査室で興味深い書を見つけました。ご存知の方も多いと思います。

「本人活動支援'99 手をつなぐ地域生活ハンドブック4」

です。本人当事者たちが生み出す活動を支援するものの手引書です。ここには武居さんだけでなく、会員のMさんも共同執筆者でした。


(つづく)

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5/21就労支援講演会/武居光さんの茅ケ崎講演から01

2006-05-22 07:00:47 | 引きこもり
 就労支援連続講演会の第一回目は、横浜の小児医療相談センター(横浜東部就労援助センター)の武居光さんにお願いし口火を切ってもらった。私の昼夜逆転生活の異常さを見抜き、身体の硬さの話から正常な生活リズムの話へと話が始まったのは、耳が痛かった。夜間は引きこもり青年のつぶやきに付き合っている。深夜の傾聴ほど引きこもり青年たちの体温を深く感じるときはないのだからやむをえないと割り切っている。午前中しか会場の空きがなかったとはいえ、睡魔はどうしようもない。まずは引きこもり熟年、司会をMさんにお願いして目を覚ますことに集中していた。午前中企画は徹夜参加なので、開始30分の記憶は夢の霧の中なのだ。

 武居さんの話はふたつの事例を紹介しつつ、就労援助ということが当人との伴走の中、激励するでもなく応援するでもなく、連れ添いつつ当事者の触媒のように寄り添っていくことなのだと語る。武居さんは若者が就労しなくてはならないという立場もとらない。引きこもりも選択のひとつなのだ。(この発想の柔らかさに実は、心の中で喝采を送っていた。)

 関連してMさんいわく、「親の知り合いが縁故で息子を職場にひきとるということも少なくなった。そういう関係がなりたたなくなった」との話は、武居さんの援助を受けた若者の左官屋の親方との出会いから、建築家を志したという話から出てきたものだが、僕はその話に正統的周辺参加論を頭に浮かべていた。

 今も発展途上国に残る徒弟制生産様式では、若者は社会の労働予備軍として実労働に脇役から参加していく。その中でより高度な労働とそこに働くものの人間関係を身につけていく。このあり方が、近代学校制度下の若者のようにモラトリアムの期間として、労働現場から切り離されて養成されている様相とは異なっているという話を、著者レイブ&ウェンガーは描き出していた。就労とは、若者の労働環境からの切り離しを前提にしているという話なのだ。

 この実労働(社会参加)への断層を超えていく活動は、ゆえに技能を高めていくことだけではなく、その社会へのマッチングの様相を呈するのだが、そこでは社会は鋳型であり、鋳型の限られた選択肢の中で、当人が形を変えるものだという暗黙の了解がある。これを前提にする限り、身を鋳型にはめきれない当てはまる者と当てはまらない者が生まれてしまう。この課題をどう解くかという「土俵」を、武居さんは当事者のやりとりの次元から垣間見させてくれたのだった。

 臨床の柔軟な眼差しをレオ・カナー、中井久夫を引用しつつ、援助者の仕事を浮き上がらせた、滋味のある料理をいただいたような講演は一応終わった。一応とは入口が開かれたという意味。本当にここで終わってしまうのが勿体無い感じなのだ。

 結局、どかりと全体から問いを論じるには練りすぎ完成度の高い講演であり、結局気になった言葉尻の連想から話さなければならないのがもどかしいが、以下はそのひとつだ。武居さんの話の一節から書いたものだ。順は不同である。(余談だが参加者は約20名。必要最低限クリアというところ。レポートをどうかくか頭が痛い。)


 (その1)家庭訪問はしない主義

 私は外勤講師という妙ちくりんな仕事を請け負っている。不登校や引きこもりをしている子たちをサポート校へと復帰させるため、家庭訪問や出張学習相談・指導を行う。以前はサポート校が高額の授業料を取って、引きこもったらそのままという無策を批判されないように、形だけ行う閑職だったが、今はむしろ本校の引き立て役。面倒見がいいという評判をたてる役に転じている。

 通学をやめてしまう子のその理由は様々だが、あえてくくれば「親の強制で通い始めたが」という通学尚早の子が多い。親は彼らの生活を支えている。その者の意志に反すれば彼らは今の生活も脅かされる。彼らが今後をどうするかということについて語る相手は、この非対称の関係を背景に持たない者であるべきだ。とは言え、サポート校は親の支払う授業料に応えて動くのだから、私とて厳密にはというより表層的には、非対称の対話しか成り立たないのだが、少なくとも親の管理が直接届かない、いや三者同席しない場を設定する程度の配慮は、していくべきだと思っている。

 しかし、街は通学しない若者を消費者としてしか受け入れない。学習指導となると場が無いのだ。図書館を使うと、おしゃべりを咎められることが多いし、喫茶店は目立ってしまって当人が初めから嫌がってしまう。だから事前に彼の学区からちょっと離れた場を歩いて、大丈夫そうな場を決めておく。実際には、青少年会館とか図書館喫煙コーナー、駅から離れたファミレスなどが多い。

 余談だが、一昨年から茅ケ崎のイトーヨーカ堂の1F階段の座席から、昼間行き場所のない高齢者が消えた。図書館で新聞を開きつつ天井をぼんやりながめている高齢者がいなくなった。それどころではない、荷物を地面に置くことなく、ちょっと台に置いて荷物を直す小さな平面が、ピンセットでゴミを払うが如く、ことごとくなくなってしまった。今のゴミ箱の上面は凹凸のある斜面になっているのを見れば、それが作為であることは明白だ。街は世間話すら座面を公園に追いやり、道を通路にし、出会いを立ち話に制限している。笑わないで欲しいがUさんと私など、茅ケ崎中央病院のロビーを借用したことすらあるのだ。

 結局、引きこもり青少年も用があるかのごとく夕闇の町を彷徨うか、図書館・書店・駅ビルなどをうろついて時をすごすしかない。ひきこもる青少年も家庭を追われる高齢者も、ましてや好奇と排除の視線を受ける障がい者も街に居場所がない。

 社会の隙間をみつけて僕らは密会するかのごとく出会う。なんでもござれ教科書を挟んで私達は教科書と無関係に雑談する。しかも語ることはわたしのこと。しょうもないオヤジだなあと、世話を焼きはじめればそれでいい。引きこもる子は世話焼きが結構多い。ひとに関わればそれだけ深く返り傷も負う。その傷にすくんでいる子は私の時代感覚のずれを笑い、やがて本校に戻らずとも次の行動を始めていく。

 しかし女子高生だと援交に見えるのが困っている、ほんとだ。

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5/21第一回就労支援講演会の準備をしています

2006-05-21 04:53:12 | 引きこもり
昨日は[神奈川子ども未来ファンド成果発表会」に行き、いくつかNPO団体の話からヒントをもらってきました。そのほか気になる「不登校・引きこもり児者矯正論」の話もあるのですが、今回は実はまだ朝の講演会の準備中。(情けない…)

ということで、今夜講演会の報告と共に書き込みますので、パス。

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5/21準備最後の仕上げ/寒川・藤沢巡回

2006-05-20 04:41:12 | 引きこもり
昨日は「らららライブ」とか。茅ケ崎駅前周辺は、昨日・今日と障がい関係のお祭が続く。私は逃げ出しというわけでもないが、寒川町の通信No.015配布や藤沢保健所などを回ってきた。駆け込みで21日の準備を整えた。

寒川町ボラセン
寒川町社協
寒川町役場
 福祉課障害福祉係
 町議会事務局
 秘書課
 教委
喫茶友達
他個人巡回2ヶ所
藤沢市保健所
藤沢市役所障害福祉課
ヒューマンスタジオ
個人巡回1ヶ所

武居光さんの文書、集めてみたが困った。座談会司会のようなものが多く、またガイドブックの共著者で、なかなか主張をつかみ出しにくいのだ。就労援助ではなく小児療育の分野の方なので、そちらの方があるのだが、今回の講演テーマからはずれてしまう。今日は午後横浜だが資料室はお休み。さてどうしたものかと思案中。

忘れないようにメモ。今夜、綿引幸代さん(ヤングジョブスポット&神大講師)へ講演依頼状と地図を作って送るべし。これは自分宛のメモ。

スケジュール表を見ていて気がついた。
5/20,21 とも「午前中!」

Uさんたちのげんき基金報告を聞かないで申し訳ないけれど、体力温存(二日徹夜回避)のため、今日は欠席させてもらうことにした。笑わないで欲しい。生活リズム、引きこもり型にチューニングしてあるのだ。

今日午後から神奈川子ども未来ファンドの2005年度成果発表会に出る。まだ申請資格のない身だが、就労支援の湘南東部拠点に育つには助成がいる。基金性格を含めて様子をつかんでおくことにした。あと1年。申請できる状態まで成長安定できるかが問われている。

関係者にヤングジョブスポットや楠の木学園の方々がいる。終わってから、就労相談湘南窓口作りの話を少し深めてくる。21日の講演会の資料印刷して翌日へ。

Uさん、堪忍。
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県社会福祉会館(横浜)はミステリーゾーン、タイムスリップしていた

2006-05-19 05:19:45 | 引きこもり
菊名の面談授業に行く途中、横浜・沢渡の県社会福祉会館資料室にお邪魔しました。5/21の武居さんの活動資料となるような図書を探しに行ったのです。「手をつなぐ」という全国手をつなぐ育成会の会誌の編集委員をされているので、ところどころに登場されているのですが、懇談会の司会などが多くてなかなか本題に入れませんでした。

もう10数年前になりますが、こちらの会館にお邪魔したことがあります。びっくりしたのはエレベータそばの休憩室。当時のまま。置いてある最新刊パンフレットを抜き取ると1997版!勿論エレベータもそのまま。なんとも洗練されていないDB検索に振り回されながら、リストに到着。ところが利用頻度の高い項目しか開架していないので、結局頼んで書庫から持ってきてもらうパターン。しかも一度に5冊までなので、効率の悪いこと。

なんとか50%確率で書に出会い、ざっと斜め読みして20円/枚白黒コピー。登録して1冊館外貸し出し書籍を借りてきました。利用者いないのかなあ…。私がコピーしているとき、2人の学生さんがカードを作ってもらっていたから、いないわけではなさそうな…。

肝心な書はすべて不明でした。副次的な資料を抱えて30分後、会館を出たのでした。予算がないのがありあり。私が借りた書は、地域図書館では借りられないものなので、なんとかならないものかなあと、ため息つきつつ横浜駅に戻ったのでした。

見てしまった…検索中、懇談会会員のUさんの子育て日記記事タイトル。絶対読まなくてはと申し込んだのに、書庫から出てこなかった。無念。絶対探すぞと…。

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スペアの八城さんからラブコールあり。感謝、5/21のガイド、スペアの掲示板に書き込ませてもらいました。ぜひいらしてください。

今日は茅ヶ崎駅頭「らららライブ」。私は参加せず寒川回り。そののあと、相模大野へ。
やっとげんき基金が出た。少し身が軽くなった。行政処理の遅さよ。

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喉風邪を引いたようで

2006-05-18 06:49:46 | 引きこもり
昨日はNPOちがさきの総会。どうやら風邪をひいたようです。
今回はこれで。

通信No.015 配布>茅ケ崎養護学校

K先生、時間外に押しかけすみません。養護の親の会の
通信に5/21講演、紹介してくださったとのこと、感謝します。

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