湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

「わ^く」が生み出したい地域起業のこと/紙パンツ戦争激化で

2009-09-30 05:16:37 | 引きこもり
「わーく」編集部活動の主眼は本人活動による地域起業にある。消費生活の場面、家族の生活の場面にはさまざまな仕事が隠れている。特に高齢化社会に焦点をしぼったサービス提供は、介護といわずとも様々な必要性に満ちている。

買物代行、ゴミ捨てなど、今でもなんでも屋さんが掲げている仕事がある。私はここに「御用聞きシステム」を織り込ませれば、会員制サービスを立ち上げることが可能だ。勿論、正規雇用の職場から比べれば、初期の収入は微々たるものだろう。最賃ラインを超えていくとが難しいだろう。

しかし、この「地域に出る」ということは、障がい者が地域の知り合いに包まれるという事。企業就労をしても健常者より早く就業の限界がやってくる。障がい者の退職後はどうなるのだろう。職場の友達といえども近所の方は少ないだろう。ならば初めから「○○のZ」とか「☆☆のA子さん」という仕事の名前のついたものとして、地域に根付くのも道だろう。

対人関係に困難を持つ障がい者が「御用聞き?」「無理無理」と性急な判断をされた方に、この活動は「ひとり」でやるものではない。チームで動こうと思う。最小単位は2人。片方がケア・パートナーとして手を組む。ケア・パートナーとは、もうひとりの障がい者の友人となる接客に問題が少ない方を考えている。引きこもり青年・ニート・身体障がい者の一部などだ。この相棒への責任が仕事開拓のやりがいへとつながれば、彼は自分で地域起業も可能になっていくだろう。主眼は「街の中に生きる」ということ。

「浦河べてるの家」ではないが、本人が日高昆布関係の仕事を生み出し、ミーティングを積み上げながら町の産業になっていったように。

私達はその地域起業の可能性を考えるとき、「社会的企業」という方法を根幹に据えて行きたい。地域の公的なニーズを根底に、そのことを持って地域に起業する、それが「社会的企業」。障がい者にとっての地域起業、それはソーシャルファームと呼ばれる活動と構造を同型のものとして、描いていく。

ここにもうひとつの過渡的な地域起業を考えたい。それが私達が画像配信ネットや、SNSの交流環境を支えるプロバイダ兼放送局の「わーく」編集部活動だ。特に仕事の話題をアクセントに置いた就労困難者のネットワークの情報屋である。

(つづく)

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昨日は東京のシンポ「精神障害者が働くために必要なこと」に参加することを断念せざるを得なかった。父は風邪薬を飲んでから、食事の合間にぐっすり寝ることが増えた。ところがこのとき失禁し、そのつど紙パンツは投げ出され、下半身裸の状態で、さらに排尿にポータブルトイレにいくのが間に合わず、ベッド周辺に尿をまきちらした。

紙パンツを履かせても、つぎにうたた寝すると紙パンツが湿る。もうその紙パンツは投げ捨てられてしまう。これが一日実質2時間おきに紙パンツ交換となり、たちまちのうちに紙パンツがなくなってしまうという困った事態が起きていたからだ。周辺に置いた作業シートや、ウェルカムマットはびしょぬれとなり、父は下半身裸のまま、窓側のソファに避難していた。それは父の居室の床全体の汚染につながることであり、頼むから紙パンツの中に排泄し、便のときは私がいるときは手伝うから呼んでくれと頼み込んだ。父は無視を通した。そして結局は湿った紙パンツが飛び交うのだった。

風邪のとき以外は、これほど頻繁に紙パンツの履き捨ては無かった。ところが眠ると失禁するそれが不快で脱いでしまう。風邪薬が眠気を呼んだのだった。

このひとは家族の労力を自覚しないまま、旅立つのだろう。病院のカーテンやパジャマのズボンを引き裂き、看護師に危害を加えたとして強制退院になったのも、紙パンツ内に排泄しない、この意固地なのである。ここでは入院はもう出来ない。

TVを消していいかと問うと即座につけたままにしてくれと応答する。つまり、紙パンツの話の無視は意思的なものなのだ。その意思的な行動によって家族は、四六時中監視していなくてはならない。父のこういう行動は、昔から家事労力の無視の形であった。家事分担をさせれば、排水口が空いたまま風呂の給湯空焚きをしたり、ヤカンは数回にわたり丸焦げになった。すべての皿が縁欠けとなり、インスタントご飯は菓子のオコシのように焼けてしまう。電子レンジ操作は父が寝込む直前まで、アンパンを袋ごといれて爆発させるように基本知識が無かった。急須は何回も茶漉しの金属部分に落雷して燃え上がった。

いっさい黙って場を去るだけだった。衛生観念も非常に悪く、手を半月も洗わないと豪語していた。

そういうバンダリズムがベッドサイドに演じられているかと思うと、ポータブルトイレの清掃なども虚しさがこみ上げてくる。

介護に殺し合いが起こるのは、体力の限界と介護の責任から追い詰められる場合と、認知症のそれのように、介護者の我慢の限界が来る形のふたつがある。介護者が非介護者と心通わせることが出来ない場合は、残酷になりうる。自分をみつめてその芽があることを誤魔化すまいと思う。

幸い私は心理や福祉をかじっている。その知識が危ういときの自己管理を知っている。それが介護を粘り強さを作っている。しかし公的支援をえても、家族は重い。おそらくは脳溢血や心筋梗塞で父は逝くのだろうが、感謝の欠片も得られないまま、送ることになるのだろうなと砂を噛むような思いがある。

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父が風邪に感染したことで、月曜日のデイサービスに続いて、1泊のショートステイも中止になった。ところが母が3日(土)デイサービスを依頼したことで、父の検温朝夕の検温が3日までの間、続けるようにとケアマネさんから指示があった。

朝の検温は、すでにやっていたが、夕食前の検温が加わることになると、その時間帯に私がいなくてはならないことになる。母は父に感情をぶつけてしまっているから、父に触ることは危険が伴う。払い退けられるとき、身体を痛める勢いがあるからだ。

困ってしまったが、これは仕方が無いとすべきなのだろうか。



夜間傾聴;******君(仮名)
     ---------------(昼間)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)

<購入することにした書籍から>
●「 「居場所のない人びと」の共同体の民族誌」
●「ネットメディアと“コミュニティ”形成」
●「労働と貧困―拡大するワーキングプア」


(校正1回目済み)
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受診に終わった一日(『わーく』関連は今夜別に書きます)

2009-09-29 15:17:21 | 引きこもり
自分の体の調子が悪くなったとき、ひとは自分の癖を、つい、出してしまうらしい。とにかく我が家は全員風邪引きである。その癖の部分が看護の仕事を倍に面倒にしている。

休みが明けた昨日、なんとか発熱を売薬で抑えた父を病院に連れて行った。介護タクシーはいつも頼んでいるところを拝み倒した。やはり表には出さないが、インフルエンザ患者忌避心理は働いている。乗車のところというより、階段介助。自分が感染疑義者と密着して運ぶのがためらわれるのだ。

病院の対応は、ふたりのマスクマンを外来の隅において、簡単なチェックを行うことだった。緊急度が少なければ、とりあえずそこに居させる。そこで父の癖が始まった。看護師の指示をとりあえず拒否するのだ。血圧を測ろうとする看護師に抵抗し医者を呼べと怒鳴った。理由も何もあったものではない。わけのわからないことをする他人が嫌なのだ。

これには正直焦った。「血圧を測るから腕に巻こうとしているのに、看護師さん、焦っちゃうだろう」といいつつ、私が父の腕を支えて差し出した。言葉と行動の矛盾。実はこれがあると爆発しかねないのだが、ゆとりのなくなっていた私は、ついそれをやっていた。ところがそれは父の咳き込みによって中断し救われた。ホーム職員は高齢者に対して、これからやることを言葉にして同意をとる。それは聞いていて煩わしいほどだが、これが介護技法なのだ。

その瞬間に体制を立て直して、外来の看護師は血圧を測ってさっさと場を離れていった。

咳が出れば次は尿意と相場が決まっている。そのまま紙パンツにしても大丈夫というが、勿論、いうことを聞かず、車椅子から立ち上がろうとする。移動用のレントゲン撮影装置を積んだ車が父の目の前を勢いよく通り過ぎて、父は戦意を喪失した。

外来の看護師にトイレだと告げて、総合受付カウンターに待機している看護師をゲット。父が別行動を始める前にトイレに連れ込んだ。ところが間に合わなかったのだった。とにかく最悪のことが起きるというのが父の看護である。

用意しておいた紙パンツや着替えはあるが、父のおしめ交換は座位ではすさまじいことになるのは、経験上わかっていた。このまま車椅子で救急外来裏のストレッチャー置き場で交換をさせえくれと、面食らう看護師の承諾を無理やり得て、冷や汗をかいて、無事交換を済ませた。

車椅子の両ハンドルに振り分け荷物である。外来に戻ると、元の席には他の患者さんが座っており、車椅子の居場所がなくなっていた。長いすだから車椅子が割り込めない。長いすに移動するのは、戻ることを考えると大仕事。病院の対応の粗さが見えてしまう。車椅子スペースは確保しておくべきなのだ。

幸い父の順は、席を探している最中にやってきて、呼び出された。

問題は初診担当医師のひとりが、何年も父の糖尿病外来の副担当をしていた医師で、父が痛風で入院時、父と大立ち回りをした医師だったので、2択、どうかあたりませんようにと神なんぞに祈ったのがいけなかった。呼ばれたのは、その医師の部屋からだった。

マスクの下の表情の恐ろしいこと。診察する医師の顔ではなかった。こまったなと思うが、父は医師を覚えていない。認知症が幸いしていた。しかし問診だけで、父に触れようともしない。服を持ち上げますから、聴診器ぐらいあててください。抑えてますからと伝え、父のシャツを巻くりあげ、やっと胸の状態をチェック。経過と、本人の薬特性、「粉薬は、飲めないからやめてくださいね」というのに、PL顆粒を処方してくるのだった。モンスター診療は終了。どうしてこう、医療関係者は、わからんちんなのだろう。

PL顆粒は長方形のパッケージを破って飲む。それは口に当ててみればわかるが、上を向かないと飲めない。パッケージの3分の1は、更に上を向かないと袋に残って飲めないのだ。この上向きの姿勢が父にはできない。足が悪くなる前から、目薬などでこの姿勢を取るとひっくり返ってしまう。ベッド座位の父に私が背を倒れぬようにサポートしても、飲み残しを口の外にこぼしてむせるのだ。(袋を大胆に半分に切ればなんとか。)

柔軟な身体を残している健常者は全く気が付かない場面だが、結局はオブラートに包むか、昔の薬包紙に開けて流し込むのがいい。こういう実践知を医療関係者や製薬会社が取り込む回路がない。PL顆粒の場合は、むせるというよりパッケージに工夫が足らないのだ。

父を会計機の前に連れて行き、また戸惑った。母が渡してくれたのは、父を強制退院させた病院のものだった。だから受診受付の際、混乱があったのだが、会計の際も受診カードがないと操作がちがうのだった。次にそれは、請求書のバーコードを読み取らせればいいのがわかったが、支払い済んで、薬局の順が70番目という状態。下手をすればまた排泄騒ぎになる。困って、「この後、(私が)他の病院に行くので急いでいる。処方箋を他の薬局に出すので、そのままそちら(院内薬局)でやるのをストップして欲しい」と申し入れた。

なんと父の処方は、70人を飛び越えて処方されたのだった。他の薬局に処方箋を持ち出すことに問題があったのだろう。父のうたた寝が始まっていた。帰り上り階段が寝惚けていると上れないのだ。頬や身体をぴたぴたと平手打ちしながら、介護タクシーに連絡。予想より早く、家に戻ることが出来た。

外出は疲れるのか、父は17時過ぎまで目を覚まさなかった。

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厄介なのがもうひとり、熱を出してふらふらしている母を近くの主治医に連れて行くことだ。頑として母は私の同行を拒否した。ゆっくりいくから大丈夫だといいはり、その夜、認知症や大腿部骨折の親を連れて外来に来ている親子は、みんなやつれていて、お前が来るとその仲間入りになるから嫌なのだと白状した。バイタルが37℃に下がっていたので、母は好きにさせることにした。そのかわり携帯を身から離すなと説得して、母からたちまち「うるさい!」と拒否された。

成人検診の結果もあったので、母はひとりで行かせることにし、私は自分のかかりつけの病院に診療時間終了間際に滑り込んだ。糖尿病が投薬治療が必要なところまで悪化していた。しかし頼んでおいた風邪の方を見てくれない。メモを指差し、風邪の引き返しです。喘息との合併症で咳と発熱37℃で困っていますと伝えるが、聞いていない。

「薬出しておきますから」と医師。

「PL顆粒は嫌ですよ。いつまでも後頭部と眉間に頭痛がのこり、喉が渇きますから」

この「喉が渇く」というのが鬼の首を取ったように能弁に、糖尿病の症状だと言ってゆずらない。

前の処方が3日前に切れて、それからは「喉の渇き」が収まったこと、以前からも「喉の渇き」を感じていないこと。よってPL顆粒の副作用ですと伝えた。

だまってしまった。「じゃあこれで」と処方箋をもらった。しかし私も聴診器を当ててもらっていなかった。かちんときて、「ネブライザーぐらい、やってくださいね」と医師にダメ押し。結局だまってカルテが看護師に渡った。

前にこの病院でネブライザー治療を受けたとき、薬品を注射に寄って器具に注入していたのを覚えていた。今回はそれがない。5分で終了後、看護師が
どう?効いた」と聞くので、「水でも一応効果がありますから」と応答。ずぼし、看護師が慌てていた。「水ですよね」と私、「そのように指示されたので」と看護師。認めたのだ。水でも効果があると居直るのがせいぜい。ここで手抜き追求は、やめておいた。

診療時間終了時は、病院とてろくなことをしない。信用してはダメ。処方された薬のひとつは新薬だった。もうひとつも副作用が少ないと喘息患者内で評価されてきた昔からの薬だ。PL顆粒は避けられたのだった。(PL顆粒は病棟看護師が風邪気味のとき、ちょっとごまかすのにも使うので常備薬として持っている。唇にPL顆粒が残っている看護師に「風邪かい」と余計なことを言っていた入院患者が私でした。)

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Tさんの伝言メモを確認しに、茅ヶ崎サポセンに立ち寄り家の戻る。一日中、風邪と受診で終わった一日でした。

夜間傾聴:******君(仮名・というよりお見舞いか?)
     自由が丘夫妻(仮名・久しぶり。こちらはお見舞い。)
     -------------(04:08 いい時間だった。)

(校正2回目済み)
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風邪で家族中やられています/廃棄携帯電話の付加機能を使い切る話

2009-09-28 09:03:24 | 引きこもり
介護タクシーが来てくれない。一日中予約が詰まっているところもあれば、日曜休業のところもあり様々。ただ流感感染者を乗せると、車両を消毒しなければならないことや、風邪を引いている父を密着して階段を降ろさねばならない点で、敬遠されているのかなとも感じる。

夜間の異常なこん睡状態から目覚めたので、ともあれ、父に売薬の総合感冒薬と解熱剤を飲ませて様子を見ることにした。しかし、とにかく言う事を聞いてくれない。相変わらず下半身裸のいたちごっこなのである。昼食の延びきったラーメンを背にしてリモコン操作を間違えたために音の出なくなったTVをそのままぼんやり見ている状態。薬を飲ませた後の検温で37.2℃。様子見の状態が続いている。先ほど立ち上がろうとし、トイレに向かう途中でふわーっと半身麻痺側に横転し、危ういところを私が支えたのだけれど、紙パンツを容認してくれないと、それだけのために私は、こんな調子の父を見張り続けなければならない。濡らさない、濡れたら即脱ぐ、これではベッド大洪水は予防できない。どうせ父も風邪を引いたのだからと母が2階の部屋に行くのだが、これも階段途中で休んでいる状態なので、今夜は私の身動きが取れない。

月曜日のホームのデイサービスはキャンセルした。巡回が2段入っているが、これもやむなくキャンセル。相手に風邪を移す可能性があるからだ。どうしたものかとスケジュールを、憂鬱な顔であれこれいじくっている。

昨日の母の対応は、父の場合と違った意味で困ってしまった。寝込んでいても家事の主導権は渡さないのだ。これではヘルパーさんを頼む意味がない。毎回ヘルパーさんは、時間帯の空いている事業所から来るので、人が違う。また「電子レンジ操作がわからない」ひとだと、母は厨房に出てきて仕切ってしまう。きつく叱ったが、全く無視。この辺は父と大差ないのだ。

明日は介護タクシーを再度依頼して、主治医のところか病院に連れて行く。救急車の方が階段の安全が保てるが、帰りが問題。結局介護タクシーに頼らざるを得ないのだ。

父の診察を済ませた後、私が行きつけの某病院に行く。母は近くの主治医のところに行くと言っているが、付き添いがいるかは微妙。付き添いが必要な場合は、風邪の治療をこちらに変更して、薬の処方をもらう以外、時間的に無理だろう。

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久しぶりに、携帯電話を持って深夜、外で話をした。咳き込んで申し訳けなかったが、一緒に過ごした時間は、ふたりにとって必ず活きてくる時間なのだと思いたい。

秋なのだなあと思う。闇の庭を通るときに、顔に蜘蛛の糸が当たって切れた。女郎蜘蛛の糸だろう。

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茅ヶ崎市広報の別紙に携帯電話リサイクルの話が出ている。


「わーく」編集部活動の一部は、会員制(SNS)携帯ネットワークへの静止画像配信放送がある。この放送は記者を障がい者と引きこもり等地域社会的挫折者に募ることになる。配信は文章ではなく画像が主。スライドショーの形で、携帯電話や、携帯フォトフレーム、ポッドキャスティング,PCに配信される。このとき画像を確保する技術的な背景となるものが、SIMをはずした電話機能のない携帯電話だ。仲介携帯電話ショップに御願い、またはリサイクルネットワークに申請して廃棄される携帯電話をいただいてカメラにする。録音機にする。またはメモにして使う。遠隔操作を使えるなら、自分の通信端末からメール投稿してもらえばいいし、無理っぽいひとには、無料貸「元携帯」を10台位用意して、取材してもらい、その機種をもとのところに回収していく。スナップなどには、ちょっとしたメモを添えてもらい、この画像を「編集部」が編集し配信する。かえって原始的なこの貸し借りの場面が、お互いを知る接点になる。自分の携帯電話から画像添付メールを出せる人は、放送により早く登場することが出来る。

出かけたときのこと、自分の趣味のこと、職場紹介等なんでもいい。「編集部」は、人権と著作権と技術的補正を加えて画像を提供していく。主なのは画像配信であって、会議室のような文章交換ではないことだ。

中邑賢龍さんたち香川大学グループは、先端技術研という恐ろしい名前のところで障がい者の可能性を身の回りの機器を使うことで「ゲタを履かせる」研究をしている。

この携帯電話は、昔の有線電話が生活に入ってきたときと同様に日常の当たり前の光景のなかに入り込んでいるにもかかわらず、その障がい者の生活向上や、地域知り合いネットとか徘徊位置逆探知のようないわば電話機能に偏って語られ、オンラインネットが非人間的空疎な仮想空間という偏見に遮断されながら日の目を見ることがなかった。うちの子には無理という親御さんが携帯電話を使いこなしていない。有線電話が非人間的空疎な仮想空間を作っていただろうか。生身が人間的交流とは限らない。仕事の抑圧やいじめの世界も生身の人間関係の中に生まれている。

携帯電話はネットワーク端末として使えることと同時に、付加機能の「カメラ」「画像表示機」「録音機」「電子メモ」「予定表」「住所録」「電卓」が埋もれた宝として存在している。新しい携帯電話を買うとき、これらの機能を残したまま、クラッシュ廃棄されている。希少元素・金属の宝庫のように材質に還元する前に、私達のようなネットワークの非電話の記者用取材道具に使えるし、お節介を言えば、旧養護学校高等部の就労支援の基本技能ツールとして再生していい。ビジネスへの「電卓」「住所録」「予定表」「電子メモ」「録音機」「画像表示機」「カメラ」のどのひとつを使えるようになっても、仕事の可能性は拡がるし、生活も拡がる。授業案が出てきてもおかしくない時代なのだ。

ましてや「画像表示機能」はTEACCHやPECSとAACというような線からすれば、市販の看板のような形状の機器と比べれば、有効な携帯ツールとなるわけだ。携帯電話関連は、中途半端なコンセプトで開発された周辺機も出来ており、この会員制画像配信ネットワークを形成していく活動自身に、引きこもり青年たちの力や、軽度障がいの方の生活に自前の豊かさを作る熱意を集めたいと思う。これが「わーく」の環境であり、この結集が不特定多数に発信していく就労関連情報の苗場となる。事業者がいて消費者がいるというような前提で消費者が獲得できるのかという問いは成り立たない。ネットワークは参加であり、情報受益者を持って消費者とすれば、新規活動は存在しないということになる。しかし記者は視聴者だという点について、「わーく」は物質的な環境は整ったのだ。今はコンテンツをいかに無理のない必要情報化していくかその最終の詰めに入っている。紙メディアは支援者向けなので別口だが、やりたいことはこの画像配信ネットの彼方に芽生えてくる相互の結びつき本人活動であり、就労情報や生活情報の提供活動なのである。

中邑さんたちを茅ヶ崎に呼べないかなと考えているが、工学的な話はいまのところ誰も鼻にもかけてくれないので、高等部、火ついて欲しいなというところ。

夜間傾聴:******君(仮名)
     ------------(外のお話はこちら)


(校正1回目済み)

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「ファイザー社」のストレングスモデル労務管理/ソーシャルインクルージョン推進会議は/父、発熱

2009-09-27 05:41:59 | 引きこもり
今度の風邪は長い。母の高熱は何十年ぶり。家に帰って驚いた。母が昼間、ヘルパーさんと父の介護に起き上がって作業をしていた。母が熱でふらついているのがわかっていたので、ヘルパーさんには、用事と着替え・昼食提供素材準備をして、母が発熱しているので父に接触させないようにと、メモを残しておいた。どこに何がおいていあるのかを指示しておいたのだが、飛び込んだヘルパーさんが動けなくなったのは、電子レンジの操作だった。祖母のときも経験したことがあるが、あれから十年、世の中の家庭に電子レンジは普及しているはず。

結局、母が電子レンジを操作して、ヘルパーさんが2階にあがって父の面倒をみるという形となり、母の癖に火が付いた。電子レンジで解凍するだけの焼きビーフンを指示しておいたのに、2人のラーメンをつくるから取りやめと変更指示。父の着替えも全部自分好みに差し替えるため、2階に上がってしまった。

私が出かける午前10時、2階にあがると突然、びしょ濡れになった紙パンツを父は私めがけてぶつけてきた。濡れたパジャマは糞で汚れた床に投げだされており、下半身裸。昼にヘルパーさんに頼もうとしていた紙パンツ交換は、結局マスクをした私がその場で交換することに。

ヘルパーさんには、おむつ交換と食事をだすことを御願いしていた。この前者の予定がぶち壊されたのだった。厚手の紙パンツを用意しておいたのに、ヘルパーさんは、紙パンツが汚れていないと判断。交換しなかった。私は平常の尿取りパッドの入った交換用パンツを用意し、とりあえず父には景品の一番薄い紙パンツのみ、はかせておいた。メモにパンツが薄手なので交換してくださいという指示を書いておいたのに、話が消えてしまった。犯人は母だった。私のメモを握りつぶしたのだった。

こうして私が帰宅した20時、父のベッドは大洪水となり、シーツ交換から清拭までやり直さなくてはならなかった。主婦が家事の場に他人をいれることを拒否する強い傾向がある。ましてや初めてのヘルパーさんが、要領を得なければ、ふらつきながらも指導してしまうのだ。しかも、この清拭のとき父のバイタルが高いように感じ、測ったところ38℃。父に風邪が感染していた。最悪である。普段35℃台なので、高熱なのである。今夜様子を見ながら、明日、介護タクシーか、救急車で階段を降ろし、病院の救急外来で風邪薬を処方してもらう。

母もまた無理をしたので下がり始めた熱が39℃台に戻るなど、ヘルパー援助を求めたことは全く逆効果になってしまった。母は薬をもらっているので氷枕を当て、様子を見ることにした。私も朝37℃、抗生剤を飲んで今36.7℃の状態にある。一度回復した症状が復活している状況に驚いている。私の薬はまだある。

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一昨日「ファイザー社」の障がい者雇用の講演を聴いた。精神障がいの領域では、ストレングスモデルが流行である。その方の弱みを克服するとするのではなく、強み(やれること)を軸に就労関係を構成するという労務管理の大転換がそこにある。


「ファイザー社」は米本社を含んで、全社、正社員から非正規社員、障がい者に至るまで、ストレングスモデルが労務管理の基調となっている。ことに失敗したときもその行為の中に含まれている正統な部分はある。だからそこを褒める。

強烈な労務管理と職場人間関係の改変である。しかし、営業などでは仕事にはお客さんが介在する。例えばウェイターがお客さんの前でつまづいて、お客さんに被害を与えたとしよう。こういう場面はどうするのだろう。ウェイターは誠心誠意、お客さんに謝るべきだろう。それをしなかったら…。謎が深いのだ。

もう一点、会社では個々人のよいところを褒め上げる場をつくっているという。集団の恐ろしさなのだが、私はそこに不気味な人間観を見てしまう。例えば、静かに淡々と仕事をこなすことが好みの方はどうするのだろう。周囲に掻きたてられ、褒められることは苦痛ではないか。人は金太郎飴ではない。ストレングスモデルを機械的に適用したとき、それって違うぞと私は異議を唱えるだろう。ひとの正の部分に着目することは、そこに大転換を含んでいることは私は認める。しかし、それを機械的適応させれば、それはそれで大本営発表になってしまう。そんな思いを持ちつつ、質疑応答を待たずに帰ってきてしまった。母という大本営の指示だった。

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iPhoneに携帯を変えてから、不便でならない。Win. とファイル管理が違うことや、タッチが軽すぎてカーソル動作が別のところに飛んでしまうからだった。貼り付けたフィルムが安物なのか、一度画面が拡大すると、2タップすら効かない。このとき、電話がかかってくると、それを了解するスライダースイッチが画面表示できないで、時間切れになってしまう。どうも乗りこなせないのだ。

前のXシリーズ携帯が、とてつもない亀マシンだった点は比較にならないのだが、電話をいただいて、応答できないで切れてしまった例が2件。すみません。

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昨日は日本ソーシャルインクルージョン推進会議の関東ブロックの会に参加してきた。参宮橋のオリンピック記念青少年総合センターの国際交流棟が会場だったのだが、じつはここ、下のホールで「寄せ場交流会」が開かれていた。馴染みの顔がちらほら。ネクタイしてどこいくのという感じ。私は2階の会議室というわけで、ちょっと居心地が悪かった。

Big Issue のTさんには、昨日私の代わりにTaさんに対応してもらったので大丈夫と、携帯を消して会議に参加した。参加人数はレギュラーが主で、講演は正規・非正規を貫いて、労働環境の荒廃と過重労働が進行している職場状況の報告が延々と語られていた。失業者・非就労の引きこもり・ニート、障がい者のいわゆる無職者への言及が弱く、解雇の地域的な受け皿のような形のセイフティネットの必要性という形で失業が語られただけだった。私にとって一般情勢はあまりなぞる必要がなく、むしろ個々の実践事例とインクルージョンの関係を検討してほしかった。

教育心理学者のマクダーモットの著書に描かれえるLDの子の授業研究に、教員が質問を投げかけるが、決して彼を指さないという様子が描かれている。私も以前授業研究で、ある和歌山県の小学校を覘かせてもらったことがある。このとき、教員の授業技術の見事な例を見てしまった。ADHDの落着かない子がいるクラスの授業で、彼は順番に発言させるという手法を使って彼を席に縛り付けた。順が迫ってくる緊張下にその子を置いて静かにさせるという方法を取っていた。

教員の質問に突然、ある席の子が指された、そこから順に発言させる仕組み。そのADHDの子は順が近づいてくることに、席から腰が浮き上がってしまっている。ところが彼の3人手前で授業終了のチャイムがなるのである。彼は発言することはなかった。時間を見計らって教員が策した手法だった。教員は授業混乱を避け、時間切れを理由に、彼の立ち歩きと突飛な発言封じの目的を達成するのだった。

実は、初めての会に参加すると、私はいつも順番が最後になる方向で参加者の自己紹介が始まる。厄介者なのだろうと思う。ひとり数分と割り当てられても、年配者ほどそれは守らない。20分、ひどいときは30分演説をする。ざっと見渡して4~5人は前にそれらしき該当者がいる。案の定、私のところは閉会間際、急ぐように指示され、司会が時計を見ている状態。境界線に位置する活動を説明するのに、いつも必ずここで誤解される。私は自己紹介を封じた。私は和歌山県の小学校教員の顔を思い出していた。さすがに60近くになると裏が見えてしまうのだった。

炭谷茂代表の社会的企業の話を期待していたが、無職者への言及が流れてしまったのは残念だった。

まあ、予定の7割がた、目的達成。善しとしようか。

首都圏青年ユニオンの語りがあり、そのなかに組合が「若者の居場所」を提供しているとの話しあり。有資格者が資格獲得希望者に講座を持っているとの話、これは「わーく」編集部の世界である。へえと、思った。

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午前5時、父の様子がおかしい。脂汗をかいている。母の部屋も覘いた。氷枕の交換だった。明日は病院に行く。病状次第で私の一日が決まる。巡廻指導をキャンセルした。

入手書籍>「ネットメディアと<コミュニティ>形成」


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)

(校正2回目済み)

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母が発熱ダウンし、私も咳が止まらない状態が2日間続いています

2009-09-26 05:47:40 | 引きこもり
すみません。昨日は「かながわ精神障害者就労支援事業所の会」主催の「ファイザー社」の労務管理ストレングスモデルの全社導入と、障碍者就労の話を聞きに行ったのですが、半分で母から「すぐ帰れ」の電話、私の咳き込みで、中途退席してきました。

今日は参宮橋で日本ソーシャルインクルージョン推進会議の関東ブロックが午後からあります。夕食の帰宅はぎりぎりセーフですが、昼食とおむつ交換が完全にダメ
急遽ケアマネさんに相談し、30分のヘルパーさんを臨時に入れました。

綱渡りしています。書きこみごめんなさい。

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母が風邪を引き/野宿者襲撃が/9・22就労支援ネットワーク静岡の分科会に参加し

2009-09-24 06:49:20 | 引きこもり
私が静岡から帰宅後、母が風邪をこじらせ、ここ二日、在宅時の身動きが取れなくなっている。20日に父が排便転倒騒ぎを起こし、部屋の床じゅうが汚染されてしまった後始末があり、絨毯スチーム清掃業者探しもそのひとつだ。ビルメインテナンス業者が検索できたものの、果たして一般家庭で請負ってもらえるのか連休明けを待つ以外なかった。検索結果は、その多くがスチーム掃除機の通信販売話であって、清掃請負の話ではなかったのだ。

もうひとつは、母の不調を知った父の不安徘徊だった。母の体調を心配する態度の変化ではなく、自分の不便の広がりに対する不安不満で神経を尖らせており、部屋の洗濯物を撒き散らしたり、相変わらずベランダに掛け布団を干そうとして、便に汚れた箇所に敷いた作業シーツに足を取られて転倒、椅子に頭を殴打したり、ホームに行く日だから車を呼べと夜間騒いだりという具合。

連休明けにケアマネさんと会い、1泊でも、とにかくショートステイを加えてもらうつもり。母の容態は、私と同じ鼻風邪・喉風邪の上気道炎。父に風邪を移してはいけないということで、介護から離れているという程度で、声をかすらせているが、日の問題。

この連休、父のショートステイは日程に全く空きがなかった。皆さんの予約が早かった。21日の墓参のときも、墓苑行きの路線バスは大渋滞の中で、年配者の救急車騒ぎも起きていて、連休中の民族大移動はなんともストレスフルなものだった。救急医療・介護サービスにさすがに休日はないものの、シフトは応急のもの。命に直接関わらないものは、利用しようがなかった。連休はサバイバルでもあった。

22日、静岡からの帰り、Big Issue 販売のTさんへの接触を求めて茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。しかしTさん伝言板は機能していなかった。やむなく駅に戻る途中、Tさんに出会った。幸運だった。冊子の受け渡しもその場で出来、一応の解決となった。翌日は「あすなろ会」定例会。ところがこの場にもTさんは現れなかった。帰り道、中央公園の横でカトリック教会の炊き出し配達のグループの方々と遭遇。そこにTさんが現れた。すっかり定例会のことはわすれていたが、それも緊急事態があったからだった。

連休中は中高生が休みの関係で、たむろして路上生活者に危害を加える困った輩が出てくる。茅ヶ崎では柳島、藤沢では海岸線防砂林テント村襲撃があったとか。Tさんは、その防災パトロールに協力していたのだった。パトロール隊は警察に巡回要請をしたとか。

私は20日、静岡大の集まりのひとつの分科会で、社会環境が子どもに及ぼす影響についての講演への質問で、反例としてあげた野宿者襲撃の事例を思い出してしまった。

大人が社会規範を示すことによって、子どもの社会意識、とくに集合的有能感を高めることに寄って非行は解決していくという論調に異議を申し立てた、その際、実例として野宿者襲撃を提示したのだった。

子どもに対し、大人の一致団結、社会規範を示せという論は、特に路上生活者の場合などは見事に破綻する。一般に「穢れ」「伝播」を含む状況判断では、いわゆる人倫とはかけ離れた生活の利害が噴き出して、むき出しの自己防衛や、醜い排除が行われる。実際には社会規範とは、自己防衛の表向きの約束事、実質はサバイバルツールとして機能し、例えば倒産や自殺などが起きた隣人家族には「巻き込まれる」「付き合うな」という防衛線を引く。

都市の美観優先や、犯罪者予備軍排除の論理に寄って野宿者が町から追い立てられている。その闇に乗じて青少年による野宿者襲撃、焼き討ちが起きていく。路上生活者が「人生と名前を持った方である」という、たったひとつをとっても「考えたことがない、意外」とうけとられる浅い人間観を大人の常識・規範とするなら、それが一枚岩となって、子どもを鋳型に押し込もうというのは、多重の危険に満ちている。その「役にしない呼びかけ」をあえてすること自体が、社会階級階層の自己表明という裏の意味を持っている。ここは倫理の世界ではない。

帰りに茅ヶ崎駅の路上生活者集団に、様子を聞きに行った。酒盛りの最中で、かなりまわっていたせいか、自分は空手で蹴散らしたなどと威勢が良かった。そうなのである。空手達人の人たちが、花を植えたポッドに居場所を追い立てられるのである。言葉はそのまま受け取ることは出来ないのだ。

炊き出しとパトロールのUさんたちに、10月8日のBig Issue Japan の佐野理事長との懇談会を開く件について、参加要請をすることができた。これは改めてご挨拶することになった。

冬がやってくる。この襲撃が死者を出す前に、この日が「湘南の危機脱出ガイドブック」作成と配布を呼びかける契機になればいいと思っている。

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静岡から帰った翌日、頭痛の中、昼に小田急相模原に巡回をすませ、紙パンツを抱えて帰ってくると流しに食器の山、風呂場の前には汚れたシーツと洗濯物が唸っていた。先に父の夕食を準備し、母の夕食は簡単につくれるものを並べ、階段下に車椅子のバリケードを作って、寝る前の父の下の始末を先にしてしまった。雑用に取り込まれたら実際何も出来ない。父が転倒したときの対応策を母に厳重に指示、ひとりで対応せず、私と訪問看護のOさんのところに連絡するように言い含んで家を出た。

Tさんとのあすなろ会の定例会に向かったのだった。

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「(特非)就労支援ネットワーク静岡」の活動紹介のあった22日、私はこの分科会の方々と短時間だが私的に話す時間をいただいた。静岡方式は、完全ボランティア(アンペイドワーク)、伴走・訪問型の特徴を持つ就労支援だ。相談ステーションとカウンセリング、就労訓練センター型の活動とは全く異なっている。

創始者の津富さん(県立静岡大)とは、再度講演依頼の件で場を持たせていただくが、保護司の活動の発想から拡がったとのこと。就職できたら関係が絶たれるわけではない。仕事が安定したら距離が出来る。しかし、遠い親戚のように付き合いが続いていくという。様々な立場の方のネットワークの巡回活動に寄って、県下の活動が維持されているという。

私達が構想する「本人活動を核にした地域起業」に就労支援の個性化を行うもうひとつの地域就労モデルとして、津富さんのところのネットワークを参考にさせていただこうと思っている。講演時期は未定。

●「青少年就労支援ネットワーク静岡」

夜間傾聴:******君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)
     □□君(仮名)

(校正2回目済み)


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連休中、ホーム利用が出来ない矛盾/大人社会の規範とは

2009-09-22 05:43:21 | 引きこもり
連休中、Big Issue の販売をと湘南販売員のTさんと確認を取ったのが土曜日(19日)なので、せっかち過ぎるとは思うのだが、出向く先に彼の姿が見えなくなると、体調が悪そうだったので、気になる。この辺が路上生活という不安定な生活をしている方との付き合いの宿命である。

昨日は、静岡大の集まりの中日、彼岸連休の関係もあって、父をホームに預けることが、恒例の月曜デイサービス以外は宿泊不可能という状態だった。ということは、父の送迎時、階段介助に家にいなければならなかった。19日(土)に父は、排便に失敗し、2畳分近い床に便を尻で塗りたくってしまった。汚れた手でしがみつき、近くの家具と板戸も無残に汚して、救助に入った私の衣類も汚れてしまった。清拭中、手袋や厚手紙パンツ、平オムツ(使い捨て作業シート)がなくなり、夜間、閉店間際の薬局に買いに走った。その合間に、父は再び排便を試み、紙パンツを脱ぎすて、便を漏らしながら伝え歩きを始めたという地獄絵があった。母の要請もあって、デイサービスの前後、父在宅時は家にいて欲しいという要請については、21日は家にいると約束した。しかし、母の要請はそれに留まらなかった。彼岸の墓参である。これを受け入れたら、静岡に行くことは不可能になってしまう。そこで強行軍ではあるが、21日のデイサービス中に、父母方双方二手に別れ、私が母より先に帰宅することで、解決することになった。

我が家の墓は、相模線を使う。その先乗継があって、バス路が混む。いつもタクシーをやむなく使うが、今回は路線バスが遅れて到着したために、乗ることが出来たのだが、これが仇になった。普段なら20分強の路線が1時間経っても到着できないばかりか、車内が高齢者乳幼児だらけの満員という状態で、ここでも排便途中下車騒ぎが演じられていた。

墓地到着時、管理事務所裏のトイレは長蛇の列ができていた。まさに仏滅という順待ちの人の立ち話を横にききながら、私は線香の煙にむせながら、墓への急坂を急いだ。10分間しか間がないのだった。墓の清掃もひとり。母方は遠方高齢者が多い。年に1度春先にと決めてある。父方は父が無茶をしているのに、我が家と絶交状態なので、そちらは母が苦労しているのだった。先日の大人社会の生活規範ではないが、結局生活規範とは、自分の家族防衛のサバイバルツールとしてしか、実質は機能していない。生活破綻している倒産・失業者や、路上生活者などは、「穢れ」として距離を置かれたり、切り捨てられている。その距離感を統御する論理となっている。共感を育む社会関係という建前に、地域協力を委ねられないのは、大人社会が様々な問題を抱え、歪んでおり、またこうした混在こそが大人社会なのであって、一律の社会規範などは成立し得ないし、それが成立するとしたら、それはファシズムのような社会強制の歪んだ姿なのだ。だから子どもへの社会的影響力という発送自体が、ある特定の社会階層の裏返った階層表明でしかないと思っている。そこに子どもが引き出されている。

墓地には裏手を抜けて地元のタクシーが動いている。路線バスに見切りを付けて、墓参の方が降りたところを捕まえて、遠方のタクシーを無理やり談判して説得。乗り込んだ。私の塾専任講師時代、連携教室がこの近くにあったこともあって、裏道は知っている。私道も含んであれこれ指示し、なんとかJR駅にたどり着いた。乗継ぎ茅ヶ崎駅に戻ったのは、父の帰宅時刻15分前。再びタクシーに乗って、父の受け入れはぎりぎり間にあったのだった。

父はホームで排便を済ませていた。ほっとした。父をベッドに寝かせ、山の洗濯物をしまつして、階段下にバリケードを作って、帰宅40分後、茅ヶ崎サポセンにTさんとの調整にとびだしたのだった。

Tさんとの合流は虚しく空転したが、急ぎ駅ビルで夜の食事の買物を済ませ、母が戻って来たばかりの我が家に到着。父の転倒騒ぎに飛び込んでいた。

今日は、午後から母の知り合いの応援が入る、今、まもなく始発のバスで静岡に向かう。今夜帰宅は23時前となるだろう。


夜間傾聴:中止(******君の件、携帯電話にて)


(校正1回目済み)

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静岡大初日、大人の社会規範とは/便の左官屋さんの後始末話は

2009-09-21 08:55:15 | 引きこもり
ここ数日、書きこみのタイミングを失うような事態が続いている。申し訳ない。

昨日は久しぶりに駅弁を食べた。静岡大を会場にした集まりに出かけたのだが、学食はいっぱいに決まっているから、雨でもないかぎり、キャンパスで食べようと、東海軒のお好み弁当を抱えていった。これは正解だった。

鈍行を使って片道二時間半強の旅。午前の分科会9時半開始というのは、我が家のバス始発より早いために、20分強、歩いて駅に出ることになる。これは案の定、騒動と寝坊で二本目となってしまったため、1時間遅刻で分科会に出た。

「現場の知(実践知・臨床知)」の有り方と、それを如何に有効にその創造性を取り込んだ実践を組織できるかという内容だった。前半を聞き逃したのは残念だったが、大筋で見当がついた。風邪がはやっている関係か、レギュラーの面々がかなりかけていて、代わりに多方面からの有名人の顔が。しかし、それを活かした発表を聞き逃したのは残念だった。

本筋が学校教員と教育系研究者、文科省行政、学校心理士の集まりなので、地域や職場の学びを比較的多く集めた今回の企画は貴重だった。

細かい報告は、22日の分科会がすべて済んでから話すが、私の関心のひとつが、昨日の午後の16時からの分科会にあり、22日のふたつの分科会にある。

しかし静岡大は校舎が古い。B棟の教室など、5階までエレベータが効かず、階段を上り詰めるとその教室にのみつながっているという不可解な作り。地震などの非常事態があったとき、階段にひとが殺到してあぶないだろう。非常階段があるのだろうか。斜面に建った建物で、階段が多くスロープも一部しかなく急勾配だ。身体障がいで歩行困難を抱える方は、介助が必要な状態だった。

駅弁を拡げて食事を済ませ、帰りのバスを確認した。いつもの集まりより小規模なので、何本も待たされることはないだろうが、少し早めに退席したほうがよさそうだった。駅前大学ではないので、タクシーも頻繁に通っている町並みではなかった。

私の昨日の目的の分科会はふたつ。ひとつは「現場の知」をめぐる分科会、もうひとつは、やや会話分析に偏りをもつ「多声性」を論じる分科会だった。

ただ16時の前にもうひとつの分科会群があり、そこはあまり関心があるところはなかった。私塾・予備校・職場などの場の「クリティカル・シンキング」を論じる分科会を覘いたが、配布試料をみたら授業手法の枠に収まったノウハウものだったのでパス。「社会が子どもに与える影響」を考える分科会に飛び込んだ。

基本は大人が社会規範を示し子どもに伝えていけば、非行はなくなり平和な社会がやってくるという平和な分科会だった。大人の影響力をアンケートと因子分析して結論を導く予定調和の世界。

子育てを集合的有能観育成と社会化に流し込んでしまう。子どもの体験咀嚼や都合、子ども社会のしがらみなど一切なし。地域からの社会規範に基づいた善導によって子どもを小さい頃から鋳型に入れていけば、非行は起きないというものだった。

大人が一律の社会規範で生きているわけではなく、一枚岩でもありはしない。ここに落とし穴をもった規範伝達モデルなのだ。子どもも現在を生きている。共感モデルのような、疑似体験の引き出し型でもない。大人は子どもを超越し、大人は放置されてしまう。

最後の質問というか感想の場で、路上生活者をめぐる湘南の経験を話した。駅前にたむろする路上生活者を、都市の美観を損ねるもの・治安上犯罪者予備軍・社会的挫折の悪しき見本という形で、地域からの一掃・排除を地域自治組織が警察行政などに要望したり、湘南マラソンのときなどは、防砂林の野宿村の排除を行っている。こうした動きと、地元中高生若者による路上生活者襲撃のような事態に、今回の話は解決力を持つのかと質問した。また、社会的挫折者への援助の例では、ある自営業者の倒産の例を出した。闇金業者の取立てに悩む家庭に起きた出来事は、学校のいじめを引き起こした。親の規範とは、「関わるんじゃない」というもので、規範はサバイバルツールとして機能している。こういう事例を見て、社会規範の掲示によって非行が収まると、いえますかと質問した。

たちどころに時間切れが宣言され、会場を去る際に「年寄りの慰みかってか」というような罵声が飛んで来た。問題認識の底の浅さを科学の手法で覆い込んではいけない。喧嘩売りに行ったわけではないのだが。

しかしため息が出る。町に花を植えても、その花のポッドに追いやられる路上生活者がいる。それが大人社会なのだ。

19:30発東京行という特急車両の鈍行に幸い乗れて、のんびり帰ることが出来た。これは結構いい。

今日は墓参、ビルメインテナンス業者と交渉の日、父の部屋の床が便で左官してくれたので、スチームクリーニングを頼むのだ。

夜間傾聴:休み

(校正1回目済み)

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Big Issue 共依存に陥らない支援関係を/協働ショップ開店時期の他企画の困難について

2009-09-19 08:27:39 | 引きこもり
木曜日、Tさんを探して夜うろうろしていたのが祟って、風邪をこじらせて喘息が出てしまった。昨日病院に行き、何十年ぶりの吸入器を吸ってきた。とにかく、私が中学生時代以来の出来事。やはり薬品は変わっていたが、身体へのストレスの具合は大差ないように思えた。全身が脈打ち、吸気が肺の末端を刺激しているのがわかるのだから、喘息による炎症は広がっていた。

ステロイド剤の点滴は1時間かかったが、看護師さんに絶対眠気に勝てないから、寝たらよろしくと言っておいた。案の定、大いびきで、録音しておけばよかったと看護師さんに冷やかされた。

しかし、Tさんの自立販売活動を私は支えていた様に考えていたが、実はTさんによって、私も意味づけられていたことを知った。共依存へ紙一重ではないか。これはお互いにとって良くない。横浜のN君の騒ぎもいい例だろう。連休が続くと冊子が売れない。ここを先読みしておかないと食費交通費が枯渇してしまう。N君はビギナーだった。早速日干しに合い、音を上げた。販売をやめると言い出し、寿町「さなぎ達」のSさんを困らせた。何とか乗り切り、今は県民サポートセンターのすぐそばで販売を再開している。

彼はSさんと私に訴えた。私は担当をSさんに移していたから、N君にはいわゆる義理はない。しかし、私はSさんの管理下を踏まえてと条件つきで、彼の傾聴に出向いたのだった。今考えてみると、私はTさん、N君との細い縁を最後まで孤立させない役になろうと思っていること、これは変わらない。冊子販売の伴走者であろうと思っている。しかし、私は何者なのだろう。芥川の蜘蛛の糸の偉そうなおっさんを演じてはいないか。格差社会とひとの生涯への不合理を拒否する同時代者として、連れそう、そう、その「連れそう」という部分が、吟味せねばならないことなのだ。

私の担当した少年(当時)の父親(タクシー運転手)が業務上過失致死の交通事故を地元で起こし交通刑務所に入って、結果、家庭が崩壊した。夫婦の問題が遠因となった事故だったため、離婚騒ぎとなっていたのだが、踏みとどまった。しかしその母子に対し、世間は冷たかった。母親のパートは直接は長欠を理由に解雇、その後、中間管理職から「前科者の一家を雇うわけにいかないから」と本音を聞いたという。幸い縁故筋の事務職に転職できたが、近所も噂をたてた。

彼(少年)は、いわゆる遅滞傾向にLDがあり、いじめられていたところに追い討ちがかかった。結局高校をやめ、「大検」を求めて本校に転入してきた。そのサポートに私が付いたのだった。彼は今、一子を抱える家族を営んでいる。当時、試験を通過しても、試験はあくまでも「進学資格認定」であって、高卒資格に準ずるものとされていた。当時彼の家庭には進学の余裕はなく、奨学金を得る学力がなかった。「連れそう」ということが問われた経験だった。

結局、本校通学も家計から時期限定であることも、それとなくわかってしまったので、詰め込みで大検を通らせた。しかし進学は出来ず、ハローワークの連れ添いを重ねた後、母親のパート勤務先の厚意で、取引先の商店のバックヤードの職を得た。大検は彼の心の支えであり、将来への進学の可能性をつなぐ試みだった。

彼は二年後、専門学校進学を果たし、商店で知り合った女性と家庭を持つに至った。これは彼の力である。細い橋を彼は渡ってきた。商店の勤務も平板ではなかったし、悪友も出来た。しかし、悪友君も社会人として自立。彼の結婚時、隣に悪友君はすまして同席していた。大検サポートもそうだが、結局伴走者として居続けるということ自体意味があると思っている。彼から勇気や生きることの可能性を知らされたというような、取ってつけたような事をいうつもりはない。ただ、顔を合わせてよかったと思うのだ。それだけだ。

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きょうされんの全国大会が、今日から大宮で開かれる。しかし今日はいつもの野次馬を控えることにした。20~22日の静岡大に体力温存しようと思うのだ。静岡大の集まりでは、学校空間の中で語られてきた「教育」や「発達」が、やっと学校外に膨らみを持って論じ始められてきたように思う。静岡ネットワークの概要チェックもあって、今回は多少の収穫が見込めそうだ。中日の21日はホームの関係と母の当番の関係で、父の見張りなり。一日の中休み。代表墓参の話もある。

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若松町のたい焼き屋さんオープンが近づいているが、私はショップ自身には参加せず、協力の立場に残ることになった。隣接協働スペースが、事務所機能と多目的スペースがモノカルチャー的に固定されて、拡張性に乏しくなってしまったことが直因となった。社会的困難な方の地域就労支援のセンター的機能を展望するというより、市民活動一般の地域コミュニティを狙ったものに、はずれてしまったからだった。

このショップ開店が年末にずれ込んでいくにしたがって、なかなか周辺企画や就労支援企画をPJに提案がしにくくなっている。懸案のJHC板橋会のクラブハウス展開の見学(連続企画)や、ソーシャル・インクルージョン推進会議等障碍者向け企画のソーシャル・ファーム関連の年度末講師提案・メンター制に近いチーム就労(ケアパートナー制)実例講演など、地域就労支援関連の話をどこで切り出していくかがタイミングを失っている。今回の静岡大で「わーく」の取材を行うが、ここも企画化可能かを調べてくるのだが、26日もソーシャル・インクルージョン推進会議で講師打診を行ってくるつもり。これらは若松町ショップの開店企画と、なかなか重ならないので、どうしたものかと悩んでいる。とりあえず、下地準備とJHC板橋会のクラブハウス(ニューヨーク・ファウンティンハウス型)&リカバリー(ビレッジ型)の見学会を数名でやってこようかと思っている。

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数日、間が開くので、Tさんと連休中の冊子販売調整を今日は行う予定。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     旗の台君(仮名・連休の誘いあり。ごめん、また重なっている。)


(校正2回目済み)

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Tさん探し、やっと終了/「わーく」の基盤づくりを始めるのだが/父の危険行動を封じるために

2009-09-18 03:24:36 | 引きこもり
路上生活者のTさんと連絡が取れずに困っていた。Big Issue 誌新号の受け渡しである。同誌東京事務所経由で受取るために、発刊日1・15日は前日到着のものが当日到着と、一日遅れる。

今月は15日が小雨が降った。翌日は第三水曜日で茅ヶ崎サポセンが定休日だった。こうした偶然が重なってTさんはTさんなりに、雨天順延・突然の休みと私との合流ポイントに時刻どおり出向かなかった。

私は15日に配達を受け取り、当日Tさんを探し、翌日は明かりの消えたサポセンの前でTさんを待っていた。探しても彼は定位置にいない。ポルト湘南さんの施設のような場所にも、いない野宿者である。他の路上生活者の方に聞くと、Tさんは数十分の差で、すれ違っていた。路上生活の人は、責任ある伝言を嫌がる。だから足止めが出来ない。

こうして14~16日、銀行の入金確認によってTさんの動向をチェックしていた。路上の人たちは、飲食費に困るので、収入を得ても日が開くと仕入れ代金が目減りしてしまう。自転車操業である。このメールを書着始めたときも実は、やきもきしながら電話を待っていた。

こういう空転がある度に、事務所が欲しいと思う。合流点が可視化しないと、ひとと情報はなかなか集まらない。そこが機能していなければ、我が家が仮事務所になっているが機能しないように、役に立たない。私達が日常化している電話やインターネットなどのテレコムも、利用されない。いつもお互いをつないでいないから公衆電話を思いつかないのだ。

昨日、私は喉の治療を受けた後、壊れたXシリーズ携帯から、iPhone 3GS-16M にデータを移していた。OUTLOOK 形式のデータが欠けることなく移せる、かつ安い携帯を探してたどり着いたのがこの機種だった。

ところがMac系列はOS管理概念が違うので操作に戸惑う、戸惑う。またユーザ辞書の作り方がわからない。お気に入りを整理したくてもDelボタンがないので整理が付かない。テキストファイルも、上下左右の移動キーがないので(タッチペンを使えということか?)、文書編集が出来ない。タッチが敏感すぎて、誤変換のまま確定してしまう。ファイル転送も、メールも添付ファイルがわからない。困ってしまって、iPhone 3G用マニュアルを受信したが204ページもあって、プリントアウトする気にならない。Win.との流儀の違いだろうが、今だ携帯クラッシュのリハから出ることが出来ないままでいる。

携帯メール送信・テキスト文書作成の混乱があっては、ここしばらく外出してもお手上げである。操作箇所が少ないから、試行錯誤がしにくいのだ。

こんなことで、途中、確認を取らずにサポセンに行って、定休日とは。

サポセンの入口で竹村さんにも見えるように紙切れにメールを書いて挟み込んだ。字が汚いのがはっきり。我ながら悪筆は嫌になる。闇の中、小雨がちらつき始めていた。

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「わーく」の実現を拒んでいるものは、提唱しているテレコムと就労取材情報共有案が、即、実状の障がい者の方たちとテレコムという取り上げ方自身が、生活実感としてつながらない。テレコムを交流環境としてではなく情報の取り込み収集メディアとして思い込んでいるので、情報の処理が無理と切断されてしまう。しかし、この判断は障がい者をどの範囲で捕らえているかが無意識に違っていることにが背景にある。

もし私が身体障がいの方たちの輪の中にいたらどうだろう。携帯ネットワークなどという提案は、すでに当然のコミュニティ環境として動き出しているだろう。寝たきり生活をしている人にとって、「外界に踏み出す有益なのぞき窓」であると言えば、たちどころに直感できるのもいい例だろう。知的障がいの関係者と接しているから、操作が難しいとかインターネットの必要性というようなところで、吟味なく弾かれてしまうのだ。

精神障がい者や、特に発達障がいの方は、私の寄って立つ引きこもり&社会的挫折者支援のホームグラウンドにそれぞれ片足が乗っている。自閉症スペクトラムとか、広汎性発達障害の裾野に当たっている人たち、精神障がいの中でも、鬱とかボーダー(境界性パーソナリティ障害等)という障害者手帳を持っていないひとたちは、一般校に在籍しているし、精神障がいの場合は青年期などに中途発症して地域に潜在している。こういう方たちは、障がいを軸とした組織率が低い。社会的挫折の方を含んだら、どこにどう呼びかけていったらいいのか組織などわからなくなる。

接点を求めるということのためには、地域の精神科・心療内科などの医療窓口が接点になるかもしれないが、プライバシーの守秘の壁の中で、家族会以外からは、治療効果のある活動のような医療の一環として接点を生み出していくのが現実的とされている。

しかし社会的困難というくくりの中で、その脱出の概念に触れている「社会参画」の、「人の絆の結びなおしの活動」は、該当者のゆるい集団の文化活動として存在しうる。現代の老若男女が、日常生活に違和感なく存在させている電話のように、私達は既に携帯電話の幻想的隣接観の覆う社会を共有している。近未来、私達が電話と呼ぶツールは、既に始まっていることだが、インターネット端末とセットになった「交流ツール」を意味することになるだろう。

このツールが社会的困難を抱え地域に散った方々を取り結ぶ文化基盤的ツールになりうる。何とも猥雑な「2チャンネル」の隆盛をも含んで、インターネットが多声性のツールに根付いていくように、携帯電話を使って、彼らがお互いを発見しつながることは、十分に可能だ。1:1のメッセージ交換の電話機能を超えてネットワーキングしていく機能を磨くことにイメージが飛躍しておくような活動が提唱されなければ、1:1の固着した常識に遮断されるだろう。ネットワーキングは、小難しい論説の交換というような範囲を超えて、その極限は「twitter」のような直感的会話すら含み得るのだ。

私は選挙の集票のような地域分散した潜在対象者のテレコム文化を、携帯ネットワークを基盤として、地域に小集団をいくつも産出しうると考えている。引きこもり者に引き寄せて語れば、地域に自分の居場所、就業と生活の場を自分の手で生み出しうると思うのだ。携帯ネットワークをテレコムの架空の世界のつながりと断じてしまう方がいるが、電話で待ち合わせ相談することが架空世界に閉じることではないように、社会参画を推進するツールとしての価値は、使い方次第なのだ。

私は社会的困難を抱えた方々の、地域連携と地域起業を描きたいと考えている。こういうと別個の隔離集団うんぬんという批判が始まる。支援者と当事者が社会活動の世界に踏み出すというのに閉鎖社会を作ることになるのだろうか。共感する人たちの結集をネットワークと呼んでいるのであって、常にアメーバのように社会の中で伸縮・代謝している、それは閉鎖しているのではない。共感する者の結集が様々なところ、様々な領域で起こりうる。

こうした社会参画の文化活動をまずは交流環境基盤と、そのひとつの切り口としての取材活動としてそこから導入したいと考えている。それが「わーく」の活動である。

私は特別支援校(旧養護学校)の高等部の生活教科に携帯電話など情報ツールの導入と指導を進めるべきと考えている。携帯電話は電話機能以外のカメラやメモ、予定表などの多機能を持っており、この機能を有効に活用すれば、いわゆるフィジカルな能力に、中邑賢龍さんや坂井聡さんの言い方を引用すれば「ゲタを履かせることが出来る」のだ。(cf.「ちょこっとコミュニケーション」

壊れたり新規交換してつぶされる携帯電話を販売店と交渉して、情報消去した元携帯電話を頂戴すれば、それはカメラに使えたり、電卓や予定表などに無料で使える可能性がある。

「わーく」では、これを参加記者のカメラや録音機として使う。高等部が身近なゲタツールとして利用法を教えていくように、「わーく」は、元携帯電話を貸し出し、取材したメモを携帯ごと回収することによって、非レギュラー記者を生み出し、編集してデータを配信する活動を始める。一見原始的に見える元携帯の貸し借りが交流を生むだろう。情報の提供にも実は案があるのだが、自分の旅行スナップとか、自分の飼っているペット、集合呼びかけなどを記録して持ち込んでもらう。これが「わーく」の始まりの姿を作ってくれるだろう。

私が本人活動と呼ぶ、類似の活動では「ピープルファスト」のような活動は、やろうと呼びかけて作れるものではない。こうした交流活動を基礎として、初めて地域起業の土壌ができる。お互いを知り合うことで次が準備されていく。

私の提唱している「わーく」はもうひとつの活動理論の隠し味を入れ込んでいるが、その件は、柔軟なマルチメディア配信の件も含んで別の項で取り上げることにする。

私達は既存の社会の枠の中に、問題を抱え込まされた方を入れ込んでいくのではなく、その資源は活用しつつ、次の活動の卵の殻を割る必要がある。これは絵空事ではない。

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父はヘルパーさんや、来客には快活な大声で応答し、家族には不機嫌な沈黙や怒鳴り声を張り上げる。しかし、その快活なやり取りも、相手が誰であるかわからなかったり、意見を求められると途端に破綻してしまう通り一遍の定形の挨拶なのだ。しかし初対面の方は、父が元気で問題がないと勘違いしてしまう。

父のデイサービスは、多くの人のサポートに依存している。週に一度父の宗教団体の信者さんが、階段介助を手伝ってくれる。ひとりはレギュラーのAさん。このAさんと私の二人で階段介助は十分なのに、いつももうひとり、見学の様に誰かが付いてくる。このゲストに父は快活な笑顔を見せて、ときには階段昇降中の危険な姿勢の最中に、唐突に挨拶が始まってしまう。このときは、注意すると父はすぐに我に返って、憎憎しげな形相に変わる。家族は、父の挨拶が正直言って「うんざり」なのだ。

一昨日は階段では、やらないで済んだものの、ベッドに入ってから、その人に背を向けたまま、快活に挨拶しているのには参ってしまった。さすがに来客は父の異常に気が付いた。帰り間際に「病状は大丈夫ですか」と訊ねていた。

私が風邪を引き、父との接触に距離を置いたことで、母が介護をひとり抱え込むことへの恐怖を感じ始めている。私が寝込んだら、その間母ひとりの介護は確かに無理である。ケアマネさんに情報を伝えたが、先方も困ってしまった。9月の連休は長い。この間は全く空きベッドがないのだ。タイミングが最悪なのだ。母をつぶさないためには、事前の依頼を強めていく以外にない。

先日の検査&教育入院が父と看護師の格闘によって、即日強制退院となったように、非常避難先に病院を考えることは難しい。たったひとつ、排泄をオムツの中でして欲しい、これが出来れば、父の介護先は広がっていくのだ。

今日も宗教信者のYさんという方が、久しぶりと称して、「元気付け」に現れた。階段昇降の応援をして下さっているレギュラーの方には、「元気付け」は禁句と確認している。

「とこやを呼べ」「とこやに行く」と言い出して、無断で階段を降り、先日は靴を履いて、傘を杖に門のところまで外出して、力尽き腰を抜かしたという具合に、徘徊の契機になってしまうからだった。

このYさん、「元気付け」が悪いとはおかしいという主張をされる。新しい賛美歌が出来たからとCDに講演を含んで録音したと持ち込んできたが、父はラジオは全く関心が無くなって、TVも画像を追っているだけなのだった。以前はそれでもCDをわしづかみにして、裏返しにラジオに詰め込み傷だらけにしてしまったが、最近はCDに見向きもしないのだ。案の定CDは味噌汁浸けになって、床に放置されてしまった。

母が父を座位から紙パンツ交換しようとし、言う事をきかない父が尿の塊を引きずったまま、ベッドにもどるところを制止しようとして、母が蹴り飛ばされた。危ないところだった。風邪感染防止のマスクと手袋の異様な姿で私が結局交換したのだが、交換が終わった直後、父は起きだして、立小便をした。ポータブルトイレ周辺に尿を撒き散らし、尿取りパッドを尻尾のようにはみ出させ、下げやすくするため睾丸をパンツからはみ出させて転がってしまうのだった。

いう事を聞かないので作業シーツを交換していると、なんとそのはみださせた睾丸から尿がしたたり落ち、シーツが濡れてしまった。とにかくおしめ排泄を頑として拒否するのだ。

私達は介護経験から、甘言に刺激された今夜は、階段を降りてくると予測していた。私がTさん探しと「あではで当事者の講演会」参加のために、夜の茅ヶ崎駅周辺をうろつき、風邪で咳き込んで限界を感じて帰るまでの2時間弱の間に、父の階段最上段の場で転倒騒ぎが起きていた。

我が家の階段は直線的で、そこから落ちたら大怪我となる。母は父を止めるのを口頭以上ではしないと決めていたので、父にとっては階段直前の転倒は返って幸いだったのだ。父は肩を打った。その痛みで、ベッドに戻る気になったのだが、母が差し出した歩行器にしがみついて立ち上がるまで二十分ほどかかっていたという。疲れが出たのか父は、私が帰宅したとき、下半身を脱ぎ捨て、掛け布団を股にはさんで背を向けて眠りこけていた。

今、まもなく午前3時。止まらない咳に困りながら、父の監視と夜間傾聴の待機を書きこみながら同時進行で行っている。大きな罵声が30分ほど前にあり、ベッド柵を蹴った音がしていた。レム睡眠行動障害が復活している。父が目覚める午前4時半。ここから6時ぐらいまでが、階段を勝手に降りてくる、危険の高くなる時間帯だ。金曜日は訪問介護のKさんが8時半にやってくる。清拭してもらうはいいが、湯沸しや洗濯物の干し物はこちらが準備したり指示することになるので、家族は休めない。私が寝るのは10時前になりそうだ。

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故き自閉症青年の劇映画「ぼくはうみをみたくなりました」の東京都写真美術館ホールの上映が、いよいよ今日18日最終日を迎える。観に行きたいのだが体力がなくなっているので諦めた。湘南おやじの会がおそらく湘南上映を企画してくれるだろう。念のために今日の上映時間を書いておく。

11:00 13:50 16:45 19:00 の4回である。美術館はJR恵比寿駅からすぐだ。

p.s.Tさんとは、私が咳き込んで会場から帰る道、中央公園に突っ立ってるTさんを見つけた。体調が悪かったとか。金曜日、入金チェックしてから販売卸再開である。自分で食べるつもりで買ったリンゴをTさんたちにプレゼントした。ビタミンCと鉄分の補強なり。


夜間傾聴:******君(仮名)
(3時半時点)

(校正2回目済み)


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喉風邪が治らない&父の暴発続く/路上の方と協同するときの連絡法の確立を/A4を6つに折って

2009-09-16 13:33:26 | 引きこもり
激しい咳や、くしゃみは出ないが、極端にだるく喉が痛む。今日で4日目なので従来型の風邪なのだろう。予約していた成人検診の胃ガン検診が昨日8時半からあったので、朝っぱらからバリウムを飲まされることに。ついでに風邪を見てもらうことにした、が…、下手したら隔離騒ぎになるかなと一抹の不安があった。

ここ二日、夜の巡回はマスクをかけたまま行ったが、それは先方も風邪を引いていたからだった。無茶な話ではある。二日前、帰ってきたら頭が痛い。熱が出るかなと観念した。体温は、やや高め。

Big Issue が届く日なので、検診のあとサポセンに寄らなくてはならなかった。とにかく用を早めに済ませて退散することに。

しかし診察は、ひどかった。先に胃ガン検診を受けていたので、口の中はバリウムが残っていた。ひとの口の中を覘くなり突然、

「口の中が真っ白ですよ!どうしたんですか!」
と来た。声の大きさに看護師が飛んできた。

「いや、先に予約の胃ガン検診で、バリウムを飲んだのです。」
「どこの医者ですか?!」って…先生。

いやはや、朝っぱらから、こちらが驚いた。

某病院は、直接内科診療があるわけではなく、総合診療科の予備診察がある。ところがここが新米医師が多く、毎回珍事がおこる。

昨年は

「早く糖尿病を直しなさい」と…。
「生涯付き合う病気では」と応答したが、
「あなたの心がけが悪いのです」と叱られた。

こんな調子が毎回続いている。
ともあれ、風邪薬はもらったしと思ったら、喉を触って、

「ここを上気道といいます。ここが炎症を起こしていて、いつも症状があるのではないので、慢性ではない。だから急性上気道炎といいます。」と言い出した。命名しても治らないよと思いつつ、

「慢性ではないと急性なんですか?」と聞いた。
「急性上気道炎です。お大事に。」と、嫌な顔されて会話が終わった。

上気道炎は範囲が広いが、要するに「喉風邪、鼻風邪」である。専門用語風にいうと仰天バリウム事件が解決するというわけなのかなと、意地悪爺さん、部屋を出たのだった。

これは医師だけではなかった。隣のコンビニとはさまっている調剤薬局で薬を受け取るとき、

「このPL顆粒は、緑内障など眼圧が高い方には、眼圧があがることがあるので要注意なのですが」と

「え、私、網膜色素変性症なんですが」と聞くと
「緑内障の話です」と応答。網膜色素変性症が通じない。言葉は珍しくないはず。
「眼圧を下げる点眼薬を使っていますか」というので、
「レスキュラです」と応答。カルテに必死になって書いていたので覘いた。
「脳膜色素変性症・レスキュラ」と書いてあるのを発見してしまった。
「PL顆粒を飲んでいいかどうか、先生に確認とりますから、お待ちください」と電話した。

「眼科の先生と相談なさってください」との応答。目の前の電話で何が話されたか見当がついてしまった。新米だらけ。サポセンに行きやすいので利用しているが、いつもこんな調子なのだ。

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Tさんの販売するBig Issue 127号が届いた。Nさんの件もあるように、雑誌は新刊の鮮度が売れ行きに関係する。病院からの帰り、伝言板を確認するがまた行き違って会えなかった。路上生活者のひととの共同作業は、密な連絡が取れないことがネックになる。東京事務所を経由すると到着が販売日当日になる。

Tさんは、雨天判断して日送りしたのだろう、料金も入っていなかった。とりあえず茅ケ崎図書館と辻堂図書館に新刊を届けた。

連絡簿にはついにTさんとも連絡が取れなくなっていた。諦めずに今日昼過ぎに入金確認と有志経由の冊子届けをおこなう。雨、止んで欲しい。

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「わーく」には、携帯オンライン環境提供と、静止画像と音声の放送提供、就労意識高揚と地域起業の火付け屋の協同開発、支援者向け紙メディアニュース発行などの多様な役割がある。

第一号をこの9月中に出すこと。A4を6つに折った紙面を作る。これはA3なりB4なりの大きな紙面に6つの紙面を配意する。これが案外記事に影響して、内容決定が難しい。読むというより感じる新聞を作れたらいいのだが。

風邪で、今日水曜日の昼間の巡回をキャンセルしたので、新装再開0号を作る。夕方から、入金確認と19時からあすなろ会定例会を開き、Tさんと会う。

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父が一昨日、3回、暗闇の中、地響きを上げて転倒した。そのつど部屋に様子を見に行くのだが、3:05 4:40 6:10 下半身、紙パンツとパジャマを下げて、足首にからめて転倒を繰り返した。これでは介護者は眠ることが出来ない。

下半身パンツを下げたまま、つかまる所をまさぐって父は汚れた手を振り回して座り込んでいる。最後に失禁。根気勝負といえども、「危ないから便は紙パンツの中で」というそばから、言葉を無視して危険な転倒を繰り返す。始めは歩行器を投げ飛ばした。二度目は頭1cmほどのところに柱があり、3回目は跳ね跳んだ椅子が押入れの板戸にぶつかり、倒れている父の頭の上に落ちた。それでも、やめない。注意すれば黙って横を向いてしまう。

母はおしめ交換のとき、投げ飛ばされたり、父の体重で腰を痛めたので、交換は私かヘルパーさんがやることになっていた。私が長時間家を空けるときは、これだけの用でヘルパーさんが来る。静岡大に行く20、22日両日は昼間父をデイサービスに預かってもらう。巡回中、父が転倒したと連絡が飛び込むこともあった。「寝たきりになって欲しい」と、本気でそう思う。

翌日、この騒ぎが排便直前の出来事だったことがわかった。夕方、食事を作っている最中、父がベッドに入り損ねて、ベッド下に落ちた。シーツは、漏らした便を足や尻でこすった後で汚れて無残な姿。父を清拭して、山のように出た便をポータブルトイレのバケツをはずして清掃。下半身丸裸の父を着替えさせた。その瞬間、父が立ち上がり、ポータブルトイレ前を尿の海にしてしまった。

そして昨夜、3時53分。読書を終えてPC入力を始めたとき、キータッチ音に敏感に反応して「やあやあ!どうしたあ!」と父が大声を上げた。

かけ布団を両手で釣り上げて、父はベッド上で眠ったまま布団と戦っていた。レム睡眠行動障害の再発である。起こすときょとんと周辺をみて、あっさりと眠ってしまった。

今日はデイサービス8時半にヘルパーさんがきて、9時前に父が出て行く。このまま、半徹夜状態が続いていく。午前中はともかく寝る予定。

夜間傾聴:******君(仮名)
     多摩センター君(仮名・こちらから)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず、プログラムの件)



<気になった新聞記事>

●「NPOが脱ニートへ「大学」開校/栃木」
●「高卒求人「お願い」昨年度より半減/山形」
●「求人数は前年度比4割減 高卒就職難/青森」
●「高卒求人最低0.51倍93年以降製造業落ち込む/山梨」
●「高校生の修学と就労支援を要請 東北・北海道の高教組 秋田」
●「非正規教員年収200万未満2割」
●「小中学生の暴力、過去10年で最多 昨年度の県内公立 岡山」
●「「刑法犯少年」減少/青森」
●「青色LEDで心を落ち着けて JR山手線、自殺防ぐ狙い」
●「再出発支援公的施設を/福井」
●「「反貧困ネット」県内にも/福島」
●「ビデオ店放火「被告の個室が火元」 検察、調査結果説明」
●「札幌の障害者NPO「道警が不当聴取」」


(校正2回目済み)

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風邪を引いてしまい/資格取得はギャンブルか/NくんのBig Issue販売苦戦

2009-09-14 15:14:27 | 引きこもり
巡回指導の際に風邪を引いた人の隣に座ったところがおそらく感染源かと思うが、昨日から鼻水が止まらず、喉が痛む。買い置きの風邪薬と解熱剤を先に飲み、ビタミンCを飲んだ。

一夜明けて喉も鼻水も押さえ込んだような感覚で、異常は残っている。外出はマスクマンになりそうだ。今朝の障がい者の震災対策の集まりは遠慮することにした。

ここ二日、いろいろなことが起きている。若い専任講師が在校生に対し切れてしまい、暴言をはいた。からむなど表現方法が悪いが、挑発した学生の方に内容だけは分があった。今回は私だけになっているが、私はその学生が頼みもしないおせっかい弁護にまわっている。彼は、学生をやめるつもりなのかもしれない。高校卒業認定試験の失敗の余波なのだが、落ちても進んでも、「引き受けなければならない自分という闇」がある。人生の重要な関門のような前提を自分で勝手に作って激励するなど、俗物である。

脱線するが、高齢者施設への「巡回文庫と回想法」の案を提出した件について、私の友人の某保健婦さんと偶然出会い、駅ビルで立ち話をしたとき、「『回想法』は職員さんが苦労。忙しいのに無理」と感想を語ってくれた。ここまでは、「それは気が付いては、いるんだけどもね」と私は応答していたが、「高齢者は頑固だし、(回想法って)きれい事じゃないのかな」という彼女の指摘は受け入れなかった。

善しにせよ悪しにせよ、ひとは生きてきた経験がある。その思い起こした関心事に戻って自分を見直すこと、連れ沿い直すこと。つまり「手を握りなおすこと」が「回想法」なのであって、これは、その人の性格が粗いにせよ、密であるにせよ「きれい事」とは関係ないことなのだ。思い出という形の美化、塗りこみ自体が虚飾なのだ。例えば戦争体験を特集した本をホームに置いたとする。そのとき、家族の絆を思い起こす人がいたり、死別の痛みを思い起こす人もいる。だから回想は痛みや苦をも復活させる危険がある。出来ることなら、痛みと労苦は誘い込みたくない。仕掛人の節操で、そういう意味の情報操作は入る。しかしそれを持って「回想=きれいごと」という論は、成り立たない。また過去の美しき善き事にひとを押し流すこともこれまた要注意なのだ。なんで「兎追いしかの山」なのかさっぱりわからない。私の故き祖母は神田っ子だった。

「これはこういうものだ」という束ね俗論が、ひとを見えないところで抑圧している。プロは少なくともそれに自覚的でありたいと思う。

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昨日は朝から「さなぎ達」のSさんから電話が入っていた。Big Issue 販売のNさんが、茅ヶ崎に戻るかもしれないという。相模大野からの帰り、相鉄線で横浜に出て、紅葉坂の県立図書館で用を足した後、横浜駅前に戻りN君を捕まえた。古株Kさんの相鉄ジョイナス出口の販売場所にいた。この3日間食事をしていないとのN君の話に、同席していたKさんを連れ、3人でタンメンを食べた。

茅ヶ崎では毎日炊き出しをカトリック教会が行っている。ところが横浜では、横浜スタジアム前に大勢が炊き出しを待つために、時間がかかる。駅前から交通費を使って移動し食事を済ませて、また販売となると、交通費で稼ぎが飛んでしまうし、販売が全く売れないと、帰る交通費もないとN君は訴えた。

土日は相手が通勤客ではないので、遠方の支援者が買いに来るだけで、ほとんど売れないという。1日・15日の新刊発売日から数日が実質の勝負所で、そこに雨が降ったり、何かの事情で販売時間がとれなかったりすると、それ以降はがたんと売れ行きが落ちるという。

茅ヶ崎の場合は、販売場所と炊き出しの場(中央公園)が徒歩で十分往復できる。ところが横浜の場合、仕入れが寿町、炊き出しが横浜スタジアム前、販売が横浜駅前だと交通費を捻出するために販売しているような状態になってしまい、時間がうまく調整できないので食えないと訴えていた。

Kさんが定期券をもらっているというバスのことで、もしもこの定期券がNさんにも適用できるならと、Kさんと別れ、N君とふたり伊勢佐木町から寿町までとぼとぼと歩きながら相談した。固定客がつくようにとあれこれ思案した。県民サポートセンターに協力者が出来ないかと、今も思案中である。

本来はNくんはSさんの管轄なのだが、厳しい状況なのでSさんに協力という枠内で動くことにした。N君は、この道々で、横浜の販売のとき、外国人の問い合わせが多かったことを話してくれた。表紙のセンスは英語圏のセンスである。ところが中身は日本版ということで、英語版はないのかと聞かれたという。販売ルートが違えば売れ行きも違うかもしれないとN君が問いかけてきたことで、私は彼の間接支援をやめてはいけないと思うようになった。この件は、10月8日の佐野代表との懇談会の際、提案してみようと思っている。

Kさん、Nさんとの食事の際、店員の刺すような険しい眼差しが心に残った。私がいなかったら、オーダーを取りに来ないとか、塩まいて追い出されるほどに強烈な蔑視の沈黙メッセージだった。ここは在日中国人の店。差別の痛みはわかっているだろうにと思う。路上生活者の置かれている現実をまざまざと見せ付けられた。

さてどうする。ここふつか間は、Sさんとの話でバックナンバーを彼が売ることで食いつなぐ段取りはできている。Sさんは、その前にも食券でN君を応援していた。これは長いことは続けられない。冊子が売れなくては、販売中止して炊き出しに出なくてはなるまい。いい案はないか。

立ち上げは、難しい。茅ヶ崎の再チャレンジのTさんも徐々に苦戦に追い込まれている。せめてこの位は支援したい。そんなことを考えながら帰宅した。

今日は新号到着予定。前号支払い期限である。

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これから銀行振込に行く。父のデイサービス帰宅を受け取り、巡回は夜。声が戻ればいいのだが、うつしてはならないし…さて。

p.s. ●「認知症と回想法」を借りてきた。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)

(校正2回目済み)

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携帯電話突然ご臨終に/秋風たつ

2009-09-12 12:06:28 | 引きこもり
突然前触れもなく携帯電話が壊れた。私の電話は私用と公用の2台があるので、急場は凌げたが、直営ショップに駆け込んだが、まるまる2時間かかってしまった。壊れた私用のX-02HTは、とにかく野暮ったい代物だった。JAVAが動かないWin Mobile だったから、商用サイトの多くが問題を起こしたし、携帯サイトも読めなかった。携帯キーボードがUSB経由で特殊な端子を使ってつなぐことが出来たので、外出時の軽いテキスト入力マシンとして使っていた。大半のデータがRAMに入れておいたので、データの被害も少ないが、さて新規取替えとなると、ポメラを今はテキスト入力機にしているし、アドレス帳やら予定表やらがOUTLOOK を使っている、かつ安い機種を選ぶ必要があった。

結局、旧式のiPHONE に落着いたのだが、データをPC経由ではないと移せないということで、プリセットしてくれない。出先で困ると交渉したら、とりあえずとX02-HTの電源回りを磨いて、アドレス帳などが、電源を差し込んでいればなんとか読みとれる状態にしてくれた。結局はデータセットは自分でやれということになり、今度は出力屋に飛び込んでPCを借りてiPHONEを接続できるか試みた。出来ればX02-HTは同期させた経験があったのでデータを移すことが出来るからだった。ところが…Apple ID を入力してくださいときてストップ。Softbank との間で、ID/PWを取り決めたが、Apple ID なんて無い。

Softbank に問い合わせ、セットの仕方のガイドはこちらと伝えてきた電話番号をかけたら、19時までで…これはいけないと、相模大野の巡回先に飛び出した。これ、機械に弱いと自負している御仁には無理だ。ひどいサービスをしていると思った。X02-HT、修理したくも無いが、ショップにあずけると、Xシリーズは1ヶ月かかるという。

今回の巡回は、Softbank の悪口ばかりだったような…互いに異様に燃え上がってしまった。本校には内緒である。

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昨日は、父がショートステイを終えて帰ってくる日だった。母が地元の稽古の息抜きの曜日なので、当番で夕食の準備を済ませている。翌日から雨の予報だったのでシーツなどの洗濯を済ませると、14時半の父の帰宅時間になってしまう。母が私と入れ替わりに帰ってくるので、父の見張りは問題ないのだが、帰ってきた父はひどい状態だった。寝起きの状態だったのだろう、車椅子から降ろされても、指示がまともに通らず、空気が抜けたように座り込んでしまうのだった。しかも機嫌の悪いこと。支える手を跳ね除け、振りほどき、とても階段を上る状態ではなかった。

送りに同伴したホーム職員さんは時間が忙しい。目配せして、強引に立ち上がらせた。激しい抵抗の後、諦めたか急に萎えて、車椅子を押してきたボランティアさんに、階段下から、危ないときは手伝ってとお願いして、ふたりサポートの形で階段を上り始めた。いつ暴れ始めるか肝を冷やしながら2階の床まで父を何とか運び上げた。

鈍痛がこみ上げてきた。左足がつりはじめたのだった。私は右足が骨折後の具合で力めない。だからこれは困った。どんどん引きつっていくが、父は歩行器にトラの毛皮のようにもたれかかって動かなかった。

最悪の手段だが父を怒らせることにした。職員さんに頼りっきり、最低だと煽り立てた。みるみる間に顔が紅潮し、「何おっ!」と私を追いかけ始め数m動いた。職員さんは焦った。ベッドに先に私が座り、襲い掛かってくる父を抱きかかえてベッドにふたりでころがった。私のめがねは事前にはずしてサイドテーブルに置いた。しかし臭い。父は明らかに漏らしていた。


勿論、私は着替えなくてはならなかったし、職員さんからは、こっぴどくお叱りを受けた。しかしベッドまでの移動で20分を越えているのは、まずいし、床に寝かせたまま、私ひとりになるのも、この状態では身動き取れなくなる可能性があったからなのだ。私の無茶は当然ケアマネさんのところに報告が行く。

つった足をかばいながら、父をベッドに横たわらせた。急いで職員さんは退散し、私は父の足蹴りを背中に受けて、足のつりが治まるのを待った。

と、急に蹴りが止まったかと思うと、父はいびきをかきはじめた。体調がおかしかったのだ。しかし、これはこれで困った。紙パンツ交換は相手が眠っていると、力技になって腰がダメージをくらうからだ。曾祖母や祖父はすぐに入院したし、叔父はすぐに死んだ。祖母は体が小学生なみに小さかったので、両腕で抱きかかえることが出来た。だがその介護役を押し付けた父は、てこでも動かなかった。タオルの輪を使って腰を浮かせ、瞬時に紙パンツを挟み込んだが、寝惚けた父がパンツを下ろそうとする。だましだまし下半身の着替えを済ませ、シャワーを浴びに風呂場に駆け込んだ。こちらも時間が迫っていたのだった。

急ぎ着替えを済ませてバスに乗って座席についたとき、携帯電話の異常に気がついた。おそらくは格闘時におかしくしたのだろう。茅ヶ崎のショップにいる時間が無かったので、すぐに移動可能な相模大野で機種交換をした。

しかし何でこうも、マニュアル人間ばかりなのだろう。事態に臨機応変に対応してくれる携帯ショップの営業マンは見たことが無い。

父の機嫌の悪さは母もわかったらしい。シーツがくしゃくしゃなので直そうとしたら、手で払われてしまったらしい。

巡回を終えた気分はずたずただった。終バスを追うのをやめて、吉野屋の4人席に身体を伸ばした。来年は還暦である。介護も5人目、母が次に待っているのかなと思うと、仕事に意味を求めたくなる。レギュラー君たちを除いても夜間のオンライン学習の指導は残っている。駅から20分ちょっと歩いて帰る途中で、路上生活者のIさんと出会った。いいご機嫌に酔っていた。「あれ?お宅は中央公園の方ではなかったんですか」と。それはサポセン。我が家じゃありませんと断るも、帰る足取りの勢いを何やら奪われてしまったのだった。

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今日は横浜・紅葉坂では「フリフリフリマ」という不登校・引きこもり青年達のフリーマーケットが行われている。私はパス。今日は目黒に用がある。20・22日の静岡大の準備。

下記「社会とかかわり学ぶ店きょう伏見にオープン/京都」に注目。ショップ型の事例。「わーく」動き出せるか。


●「高校生の就活、不況が直撃 新卒の求人数が半減」
●「社会とかかわり学ぶ店きょう伏見にオープン/京都」
●「障害者の 本格木工 深谷で展示販売数千点 学習机や時計 製材から仕上げまで/埼玉・深谷」
●「障害者施設の頑張りを常設店舗で/大阪」
●「手作りギョーザ販売 狛江の障害者支援施設」

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夜間傾聴:多摩センター君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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ベランダの修理/隙間を埋める携帯とモバイル機/『わーく』は「プロバイダ」のようなものなのだが

2009-09-11 15:19:45 | 引きこもり
父が泊まりに出ている間に、ベランダの修理をした。修理と言っても我が家は建物自体が旧い。だからベランダ枠の鉄材自身が錆びている。朽ちた木材の床の上にすのこを敷いた程度では直らないのだが、木材の隙間に足を突っ込んでケガをするよりはいい。

私の外出中に到着したスノコを、母が2階まで運んでくれと宅配業者に頼んだが、届け物は玄関までとなっているとかいう不可解な論で断られたという。このサービスの隙間、ここに、買い物代行や雑用請負い屋を始める特に高齢者ニーズはあるなと以前から思っていた。高齢者の家庭など、玄関先に荷物を置かれては困るだろう。業者の別料金制よりもフィットした安いサービスを提供できれば、障がい者のチーム就労の仕事の基盤となる。

スノコは、ベランダの危ない場所に置いて応急手当とした。段差が転倒を生むので、一般よりも薄い物、浮き上がらせる足がない板状のものにし、出入り口の部分だけカバーした。これで当座は何とかなった。

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昨日は相模大野校からの呼び出しがあったが、内容から拒否。ぐずる若い担当者と藤沢で会った。私達は困難を抱えている青少年と向き合っている。聞耳のテンションは、プロとして崩してはいけない。説教するつもりもないし立場でもないから、彼の怒りに耳を貸せ、勝手に断つなとだけ伝えてすぐに別れた。

銀行振込を済ませ、藤沢市議会事務局に立ち寄って空振り。辻堂図書館に。辻堂駅前でコーヒーを飲みつつチラシ原稿を仕上げ、茅ヶ崎サポセンに寄って、Tさんの書置きメモを確認。チラシ印刷と増し刷りを済ませ、買物をさっさと済ませてスーパーの冷凍ものロッカーに詰め込み、書類を届けに知人事務所に立ち寄り、相模線で海老名へ。駅構内で市長と出会う。引きこもり青年よろしくのよれた格好の私に先方が戸惑っているところで、ちょっとご挨拶。辻堂でも「ぽれぽれ」の相談員さんと出くわした。会釈したら、このときも先方がびっくりして自転車が止まった。先方がなにかしてくれるわけでもなし、巡廻指導時は、これがいつもの状態だ。進学系講師として会うときだけタイ姿となる。双方とも自分であるのだ。

昨日が私の日常と違うのは、父の介護の定時の中断が入らなかったことだ。これは手間隙のことだけでなく、段取りや、思案の継続という面でも大きい。まとまったことが、多少なりともできるのだ。昨日はあちこちのやり残しの穴埋めで終わってしまったが。

海老名からの帰り、北茅ヶ崎で降りて、スーパーのロッカーから買物袋を閉鎖時刻ぎりぎりで回収。バスのあるうちに帰宅できた。

しかし考えてみると、携帯やモバイル機があるから、なんとか行動がつながっているものの、これが無かったら、父の介護だけに生活が取り込まれてしまう。障がい者といえども、情報機器を使わなかったら、生活や仕事に大きな制約が出てしまうだろう。障がいを持つ方が自分なりの情報機器の利用法が身につくといいのだが。この辺の交流環境推進が「わーく」のひとつの仕事である。

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若松町ショップから距離の出来た現在、もともと準備を進めていた「わーく」のハード面の基礎を今月中に公開できるようにしたいと、ちょっとした実験を進めている。大森海岸君(仮名)に頼んでJAVAのマクロ・プログラムのモジュールを作ってもらい、それを試しているが、どうも私の依頼が製品の仕様に絡む部分が有って、実現できないもどかしさがある。特別なプログラムが必要なものは拡がらない。本来はメーカーが製品に組み込んでおいて欲しい汎用性確保のパッチなのだが、障がい者が何気なく使えるためには、モデルを作って提案する以外ない。メーカーさんの開発畑の方との接点がほしいところではある。

このテレコム環境作りと同時に、SNSをどこにおくかという3択のサーバ管理者との話し合いは最終段階に入っている。しかもこれは、99%閑古鳥が鳴く企画なので、そのうちの2者は、出発時からの協力という点では説得ができないだろう。人を「呼ぶ」企画は0からの立ち上げが起業者の正念場。サーバ管理者が要求する出来合いの実体を持ち込むことは出来ない。この壁は持久戦込みで超えなければならない。

前もって立ち上げの企画の有効性を確認することが出来ないが、技術の可能性からひとを見るのではなく、ユーザーの実情から技術を搾り出す道を見失わなければ、レッテル貼りと遮断は、いつか解ける。

ハードの部分だけは、無理に頼んだ数人の意見を聴いているが、前例が無いので明快な意見が返ってこないので困っている。ただ先方が首を傾げる状態ではないのが救いだ。

「わーく」は、障がい者の新聞や放送メディアを目指しているというより、内容は「プロバイダ」に近い。その土台にたって、情報配信や、いわゆる新聞編集取材活動がその上に乗ってくる。この「プロバイダ」的インタラクティブ環境作りの活動の部分が、「放送>言語表現>無理」と話す前に遮断されてしまう。だから構造的には逆立ちした新聞編集取材活動という部分から始めざるを得ない。そのための集中した時間が父の件にめどが立たないと作れないというジレンマがあって、今まで遅れに遅れてきた。

既存の技術のつなぎ合わせで可能な範囲であるのだが、たったひとつの製品内蔵プログラムの強情な邪魔を封じないと、製品の利用価値が半分以下に下がってしまう。そこを大森海岸君(仮名)に依頼していた。5つのメディア横断の、一番重度の方でも使えそうなメディアの部分が無粋なプログラムに邪魔されているのだ。舞台裏に隠れる部分が、このために、まだ完全ではない。情報通信系の大学研究室の方とも接点を持っているが、0からの立ち上げでは協力してくれない。残り4メディアでは、今度は当事者の親御さんへの説得力が弱いのだ。「うちの子には、そういうの無理だから」と見かけでバッサリやられてしまう。

しかしこの部分、実は特別支援校高等部の職業教育の中に入れていく内容でもある。TVや電話を無視して将来の生活や仕事を考えることは現代はしないだろう。その間口をちょっと拡げる試みなのだ。この辺は近々就労担当の先生に経過を持ち込むつもりなのだが。検討会が生まれるのを望んではいるのだが。

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ソーシャル・インクルージョン推進協へのアクセスを始めた。市民交流としてではなくて、「障がい者の社会拡張の交流」を私は進めたい。そこに「地域住民との交流」が組み合わさっていく。ハートの鼓動がしっかりしてこなくては、差別と偏見を超えて地域拡張していく力には成長できないだろう。その鼓動の束ねの作業を始めているのだと思っている。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・眠いぞ、こら)

(校正2回目済み)

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Big Issue佐野氏 茅ヶ崎へ/路上生活者向けガイドブック湘南版を

2009-09-10 09:48:53 | 引きこもり
9月4日の高卒資格認定試験の結果を受けて、取り出し指導の担当の再編があって、私のところに夏期講習で担当した青年が回ってきた。別の担当者と衝突して、私に順番が回ってきたのだ。彼の不安は当たっていた。試験の直前、彼は薬物治療を受けていた。薬の副作用の眠気を堪えて受験していた。結果は散々だった。今年は引きこもってから5年目。年齢は1浪と同じなのだが、当人には同年齢の友人とはぐれていくショックを受けていた。

問題は病気と付き合っていく生き方を苦い薬を飲むように受容していかなくてはならない。担当者はそれを大丈夫と励ました。結果、彼の拒絶にあった。本人との電話の話し合いを踏まえて、ここ8日・9日と二日間、彼の了解を得て御宅にお邪魔していた。

日がかかる。今は彼の痛みと夏日の凍えを分かち合うこと。

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とにかく、夜の家事を済ませてPCに向かうと、あと1時間で夜間傾聴の待機時刻というのに、キーボードの縁に頭に付けて眠ってしまう。不覚の眠りのために、ここ1週間ほど文章が書けずに困っている。仕事のレポートも滞ってしまい、なんとも冴えない話なのだ。明け方気温が下がり、昼間気温があがる。この明け方、足のつりで眼が覚めている。これはいかんと傾聴申込ログをチェックする。幸いここふつかは、学習状況について親御さんから問い合わせがあっただけだった。

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2009/09/09 、

午後、ビッグ・イシュー東京事務所にお邪魔した。現在販売している号の支払いと、何より佐野理事長に無理を御願いして、湘南の路上生活者支援関係者の懇談に出席してもらうことに成功した。この日程調整の用事があったのだった。
(詳細図版参照)

あすなろ会のTさんは、ビッグ・イシューが配布している「路上脱出ガイド」の湘南版を冬場の前までに作ることを関係者に提案したいと考えている。ビッグイシュー誌の湘南販売を定着させることと同時に、「当事者参加で出来ること」を始めたいということだ。今回の集まりは、あすなろ会も路上生活者支援の湘南ネットワークに参加する一歩になる。カトリック教会の関係者の方にも懇談会への参加を御願いしている。

ビッグイシューの中間卸しを運営するには、請負団体が正規の書式を使って、受注・販売状況報告をする。その書式の背後の手順がはっきりわからずに、東京事務所の方に説明してもらっていた。説明を受けて、そのわからなさの理由がわかった。地域の卸請負団体と販売員さんの冊子売買の記録が東京事務所に伝える形になっているからだった。販売員のID登録制も含んで、販売状況が関西・東京の各事務所に集中管理される形になっていたからだった。

あすなろ会の自助組織ということが、反対された理由がこの辺にあったのだとわかった。実際、販売という事では、私のようにあちこち路上生活者支援の枠を超えて活動している者にとって、Tさんとの日々何冊の売買把握のためには、頻繁に会って、かつ現金取引が間違いなく行われなくてはならない。ここを私は私なりのシステムで乗り切る工夫をしているが、これは互いに矛盾するものでもない。しかしなるほど、こうして枠組みを作っていたのかと感心した。そのまま記帳していけば、卸屋の工夫無しでも一応運営できる。

この辺の管理の発想のもやもやは、10/8佐野さんに茅ヶ崎の販売の様子を見ていただくことで解決していきたいと思っている。

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帰りに横浜・寿町に立ち寄った。茅ヶ崎から寿町に戻ったNさんや、こちらの関係者の方々にも、10/8の懇談会に参加してもらう為だった。Nさんが地域卸元にしているNPO法人「さなぎ達」のSさんには面会できなかったが、職員Taさんに閉店時間滑り込みで会えた。急場作りのチラシ(図版)を渡し、参加調整をさっそくTaさんに御願いしてきた。Nさんへの連絡もOK。

近くの寿生活館にも立ち寄り、湘南のカトリック教会や県サポートセンターを通じて路上生活者支援を精力的に行っているTkさんとアポ無しなのに会うことが出来た。Tkさんからは、防砂林パトロールなどを通じて、湘南の焦眉の課題は、路上生活者襲撃などの危険や、正月の湘南マラソン前の防砂林村の排除、駅前からの排除や、生活保護取得困難化などの生活維持破壊があり、こうした問題が降りかかってきたとき、孤立しないために何処にどう連絡を取ればいいのかというような、情報提供の形なら意味があるとのお話。路上高齢者にしてみれば「路上脱出」ではなく「安定した生活保護への橋渡し」が必要。「緊急連絡ガイド」ではないかとコメントをいただいた。

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茅ヶ崎サポセンに戻り、19時から、あすなろ会の定例会。Tさんに冊子の受け渡しを行い、懇談会の日程が10/8(木)の14時~16時茅ヶ崎サポセン(集合)と一般の方は内容から申込制であることを確認。分担して関係者回りをすることになった。

また、ガイドブックの構想は、誰がどの範囲で誰に情報を届けるのかを明確にすること、作成委員会形式か湘南ネットワーク依頼か、この辺もつめておく必要があることを確認。重複配布により部数が増えるため、作成部数によっては常時、助成金を取ることも可能と、Mさんの情報提供により、わかった。10/8スタートは越冬対策には遅い。申請タイミングかなと思っている。懇談会の総費用は、今回は私が請負う。Big Issue 元受けには、一冊あたり十数円の利潤がある。振り込み手数料など実費を引いて、年間まとめて返してもらうことで、なんとかなる。

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家に戻り、出し忘れた郵便物を片手に、ぶらり家の門を出たところで九条の会のOさんとばったり出会った。さっそく懇談会の勧誘と11月はじめの「ふれあい祭り」会場の巡回販売が可能か手伝っていただくことになった。一杯やっての帰宅途中、無粋な話で、Oさんの酔いを醒ましてしまったかなとも思う。

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日本ソーシャルインクルージョン推進協議会関東協議会の会合が今月下旬にある。「ソーシャルインクルージョンと社会起業の役割―地域福祉計画推進のために」の著者炭谷 茂氏が会長をしている会議だが、こちらに参加することにした。行政関係者が多いが、「ソーシャル・ファーム」の新しい情報が期待できるからだ。

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どうしようもなく眠く、レギュラーの方にメールと電話で、今夜の夜間傾聴中止を連絡。午前4時半の不承諾の本人連絡があるまで、ぐっすりと眠った。

今日は「わーく」関連と、「あすなろ会」関連でまわり、障がい者求人の候補者の件で接触。夕方、海老名巡回。


父のショートステイ2日目、今のところ静か。忙しくても気が楽。



夜間傾聴:******君(仮名)


(校正2回目済み)

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