湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

10/30 台風接近と風邪/今回は空振りの一日

2010-10-31 06:02:04 | 引きこもり
2010/10/30 記
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薬の効き目か、熱は下がったが喉が痛い。
巡回は高卒資格認定試験を受ける者は延期にした。風邪を移すと影響が大きいからだ。今回、巡回は1名のみ。

橋本まで相模線で居眠り。台風14号の影響で体調を崩している教員が多い。家庭の事情や、研究職の中継ぎ、持病を持つ者などが予備校や私塾講師に多いせいか、私のように古株は少ない。私が病欠補間に依頼しようとする相手も喘息持ちなので、同じ時期に体調が崩れて交代できないこともしばしばある。お互い様ではあるが。

やっと本業の方の在宅仕事が一段落したところなので、橋本には依頼資料の準備不足のまま出かけ、約束が違うと怒られた。情けない講師なのだが、終わりごろには機嫌も直って、私に育毛剤の話をしてわかれたので一安心している。約束は約束なので、家中の切手をかきあつめて、夜中に郵便ポストに資料を投函した。

帰りに香川で降りて、下宿屋さんのMさんをたずねたが、事務所の明かりがついているのにひと気がなく、彼の部屋(別荘と呼んでいる)を覘いてもお留守だった。手をつなぐ育成会の件で教えてほしいことがあったが空転。31日のあではでの篠山淳子さんの講演会の件で、近くのスペアちがさき**さんのお宅に向かおうとしたら雨が強くなり始め、これも中止。

茅ヶ崎に戻って駅ビルで買物し、図書館に立ち寄ってから帰宅した。芹沢俊介氏の「「存在論的引きこもり」論-わたしは「私」のために引きこもる」と、セアまりさんの「もうどうけんふりふりとまり」の2冊が、館外取り寄せで順待ちが多いので、茅ヶ崎図書館自身で購入して欲しいとたのむ。いつもの偏屈な専門書ではないので、利用者はいるはず。いつもの紋きり回答しか返ってこなかった。年度当初に購入予算が決まるので書籍も検討会にかけ来年度に…という説明。新刊書なども希望図書として出しても、館外取り寄せになる。しかし何冊も、館外取り寄せのつもりでいたら、茅ヶ崎図書館のシールが貼ってあった事もある。傘をさしているのに濡れてしまった。

金目鯛の一夜干しを焦がした後、むしって骨を抜く。濃い昆布出しの出汁汁に落としてすまし汁を作り、母にはアボガドと梨の硬め粥、鶏レバーの煮物、私には風邪薬で舌が鈍っているので長ねぎを長めに切ってただ焼く。あとは奴豆腐、シラスと焼き海苔で食べた。糖尿病食兼民間療法の風邪薬。葉酸も含んでいる。

母から玄関の鍵の調子が悪くて家に入れないという連絡が飛び込んで、急いで家に戻った。何のことは無い。枯れ枝が扉に挟まっていた。

夜半から、濡れたせいか熱が復活してきた。37度7分。夜間作業を半分日送り。水分を取って眠ることに。

朝5時前に専用携帯が鳴る。利用者は酔っていた。成年だから法的なものには違反しないが、彼は二極性のうつだった。終了6時過ぎ。少し元気が出たようなので打ち切り。レポートを書き上げて就寝。

夜間傾聴;なし(今回中止)

(校正2回目済み)

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10/29 風邪を引いた/高卒資格認定試験までひと月を切り

2010-10-30 06:55:45 | 引きこもり
2010/10/29 記
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風邪を引いた。従妹の接待など縁起の悪いことをしたからだと思っている。

反響は早速返ってきた。従妹の旦那から電話が入り、高い療養所に入れたそうだが大変だったろうとねぎらわれてしまった。うちでは、金がないからそんなところに入れられないという。予想されていたとはいえ、全くわからんちんである。抵抗する気にもなれなくなって、破産しそうだよと言った。まんざら嘘ではない。

母の一日検査入院が2日に決まる。茅ヶ崎に来るのは、出来たらその後にして欲しいと伝えた。しかし見学したらしたで、ジパングの報告が流れているのだから参る。

奄美大島の被災報や台風の予測が流れているので、巡回を詰めて行うことにさせてもらった。東林間君は空振りだったが、中央林間君と相模大野2君を回ることが出来た。私の声はくぐもっているので、マスクをすると本当に聞きにくくなる。筆談中心で中央林間君がiPhone4 なので、試しに share board というアプリを使ってみた。お互いのiPhoneで手書きしたものがリアルタイムで写るという機能がある。接続に手間取ったものの何とか、丁度お互いがホワイトボードに書き込んで話し合っている感覚だ。データを消すのが少々厄介。ともかくiPhoneでは画面が狭い。iPadなら実用的なソフトだ。中央林間君としばし、9マス○×パズルを楽しんだ。
これで今後の画像の受け渡しなども行える。

高卒資格認定試験対策の授業に出ることを勧めていたが、間際になってやっと重い腰をあげた。こうなると教科指導の方は本校に任せたほうがいい。私は補間に徹する。試験は13・14日なので間際は呼び出しがかからない限り、休む。

藤沢駅前で風邪薬を買った。豚のひれ肉ブロックを買って塩豚を作って寝かせる。母がそんな料理がないというので、煎餅汁を作る。日本のおこげみたいなものだ。

喉が痛いので、夜間傾聴を休んだ。
片目の読書、頭に入るのも半分かと母に冗談いいつつ、今夜は休む。37度4分。

夜間傾聴:□□君(仮名・早い時間に)
     あとは休み

(校正1回目済み)

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10/28 従妹、父の老健に行く/湘南あすなろ会は鶴嶺高生に何を求めるか

2010-10-29 14:39:11 | 引きこもり
2010/10/28 記
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朝8時、電話が鳴った。従妹が茅ヶ崎駅に着いたとの連絡だった。早すぎる。施設事情を知らない朝型人間の行動だった。南口から12系統に乗れとバスの指示をした。嫌な予感がしたのでバスの時刻表を調べると15分の前に12分の02系統があった。ひとの話を半分しか聞かない癖がある。急いで辻堂に出た。案の定、12系統を02系統と間違えて辻堂に来てしまっていた。駅前で時計を眺めている従妹を捕まえると、ストーカーに会ったかのような顔。片付いていない我が家の茶の間に連れて行くのも問題と判断し、南口デニーズに引き込んだ。私は髭も剃っていない。朝型人間とそりが合わないと改めて感じていた。母に従妹捕獲の連絡。きっと母は焦って部屋を整えているだろう。

従妹も長女と違って口が重い。私は眠い。なんとも辛い時間が過ぎていき、茅ヶ崎のバスはわけがわからないという文句を聞かされながら家に到着。まだ9時台なので、母にバトンタッチして仮眠を取った。茶の間からは「男所帯では年をとっていられないでしょう」とかなんとか、勝手なことを話しているが、私はまだ1時間しか寝ていない、とにかく寝ることに。

母に起こされた。大きないびきをかいていたと従妹が笑う。昼は外食で済ませるからと母は着替えている。11時になったばかり、まだ1時間ほどしか寝ていない。今夜は湘南あすなろ会の定例会がある。鶴嶺高のボランティア塾授業時に配布予定の資料案Ver.2の差し替え部分のファイルをUSBメモリに移し変え、洗面所に駆け込むとタクシーが来てしまった。「あとから行くから」と、ふたりを駅で待たせることにしよとすると、母は「これから医者だ」という。「すぐにタクシーに乗れ」という。男というものはしょうがないもので、こういう指図が嫌い。タクシーを待たせて、髭を剃り顔を洗った。文句の言い切れない母を医者まで乗せて、茅ヶ崎駅経由で平塚駅に出て昼食。

文句の多い従妹に病院の面会時間の話を例に、老健も同じだと諭して、やっと納得したようだった。眼が赤いといわれるが、従妹も私の右眼がほとんど見えていないことに気付かない。実はこれが怖い。見えていると相手が思っているのでとんでもないところで事故が起きる。私の不注意のせいになる。

とにかく気が重い案内である。老健の建物と周辺の病院を見上げて、従妹は驚いていた。こんな街中にあるのかという話に、私は高齢者は噛み付かないよと返事をして、嫌な顔をされた。玄関をくぐって、事務所で挨拶。従妹は言葉をなくしていた。どことかの湯治場の建物と似ていると、従妹は廊下を歩きながら話していた。了解を得てデイサービスの遊戯の横を抜け、中庭を見せて、父のいる認知症フロアに上った。

父は食事を終えて、湯のみ茶碗を目の前のテーブルに置いて、TVの前で瞑想していた。私はわかったが、話をしても従妹は誰なのかが父にはわからなかった。祖母の葬儀のとき以来だから10年ぶりでもあった。話はかみ合っているようで、実はかみ合っていなかった。一般的な挨拶や応答は、とても認知症を患っているようには見えなかった。しかし、父の年は67歳であり、もう4ヶ月も会社を休んでいたというのである。大丈夫だという判断は従妹の中でだんだん崩れていった。「これから暑くなる」から、身体に気をつけてという挨拶で、父は従妹を送り出した。

帰りに我が家に立ち寄って、従妹はパラダイムチェンジを味わったという顔で、老健では入所者がベッドに寝ていなかったことを能弁に語った。しかしエレベーターのヒューズが飛んでいて直していたから、運営費を目に見えないところで切り詰めていると言い出した。認知症フロアから玄関に降りるには、パスワードを入れないとエレベータを降りられない仕掛けになっているのだと説明した。徘徊予防の話をするにも、徘徊の説明が必要だった。

ともあれ、父は元気で汚れていなかったので、幸せであると従妹は老健の評価を変えていた。「高かったでしょう、良く探したわね」と母に問う従妹。市役所に行って介護サービスの話を聞いてきたほうがいいと母。地域包括支援センターのことは母も知らなかった。我が家は直接施設とつながっていたからだ。

従妹を辻堂駅に送って、帰りに辻堂と茅ヶ崎図書館で書籍交換をして、サポセンに急いだ。

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湘南あすなろ会の定例会は、Oさんの病欠と##さんの欠席の中、当事者の**さん、++さんとの3人の話し合いとなった。

11月9日の「ボランティア塾 in 鶴嶺」初日の予定確認や、配布資料の原案(Ver.2)を配布。検討してもらうが、対立しているふたりと私である。事務的な確認を除いて話が進むはずもなく、用件のみ確認して終了した。

あすなろ会は、しきり屋が3人いる。食い合わずに持ち味を生かす工夫がなければ吹き飛んでしまう。いわゆる覇権を求めず、知恵でつながらなくてはならない。事があってそれを解決することに向かなくては、もともとの結成の意味がなくなってしまう。ひとを自分の書いた筋書きに乗せることは決してしてはならない。だが罠がしかけられたらそのまま落ちればいい。そのつもりでいる。いつものこと、活動は何回でも作り直す。実を結ぶにはその繰り返しが必要だからだ。

鶴嶺高の語りが質の良い実践となるように、準備していくだけだ。

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憎しみを纏うと世界はすべて反転して見える。私は解釈された世界ではなく生身の現実に向かいたい。そう願っている。

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あすなろ会の途中で、我孫子市長の福嶋浩彦氏が茅ヶ崎にきたときの話を&&さんに聞いた。市民自治にいいセンスをしているとの話。興味を持ったので著書の「市民自治の可能性―NPOと行政我孫子市の試み」を図書館予約したと&&さんに伝えた。

私の基本は、「社会的発明」(W.Fホワイト)と表現される社会の必要性に基づく「内発性」を起動力とした地域協働の力、ネットワーキング、就労支援セイフティネットから拡がるコミュニティ作りであり、無業者である引きこもり青年や、ニート、ホームレスらの地域生活者との協働、居場所と出番作りが根底にある。

前回市長懇談のときに提案した地元民のための「生鮮食品市(野菜市など)」や、高齢者福祉サービスとリンクした「御用聞きシステム(買物代行等)」などの地域起業を通じて仕事を作っていくことに関心がある。ビッグイシューはそのビジョンの一角であり、ホームレス自立支援の重要な口火であると思っている。協働または協同の活動をどううみだしていくのか、そこをまさぐり続けたい。

&&さんや私の中間支援者の立場は、社会活動のどこに対しても居心地の悪い立場ではある。しかし松為先生にも語ったが、今必要なのは地域の絵をかけるたたき上げの実践家が必要。その有志集団が自分の活動を抱えて頭を寄せる活動が必要なのだと思う。それには私の活動が干上がっていては、仕方が無い。しかし、自分の撒いた種だが、宣告待ちのまた0からの出発が待っている。課題領域横断した活動を作りたい、それを念じているのだが、目先を越えた動学(力学ではない)が、伝わらない。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     相模大野2君(仮名・こちらから)



(校正2回目済み)

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10/27 リメディアル教育と再出発キャッチアップ教育の共通項/叔父の訪問続報

2010-10-29 14:31:13 | 引きこもり
2010/10/27 記
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私のブログは、日々の合間に書いたメモを編集して記事にまとめている。だから話題が一日遅れだったり、書き込み日にずれがあったりする。

私が体験した回線異状(異常にすべきか)は、オンラインサービスでは時々体験していた。このgooのブログメインテナンスも、明け方突然やってくる。アップロードできずに、結局6時間以上待たされてしまうこともある。携帯をdocomoからsoftbank 3G機に代えてから、通勤時間帯と0時・12時の回線飽和時間帯以外にも明け方、通信が出来なくなることが時々あるようになった。5~10分で復旧するのだが、回線サービスは信頼度が命なので、専用携帯は別の会社の製品を選んでいる。

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前回、リメディアル教育の話を拾った。このリメディアル教育は、大学入学後の基礎学力獲得の必要性から行われてきた実践なので、私のように大学・高校進学や、特定専門学校入学後の基礎学力を速成させる実践とは、場が違っている。しかし、キャッチアップの方法や、教科間連携というクロスオーバーする指導の特殊性などで、共通点が多い。ただ私の仕事は、学習者の事情という生身の脱皮である学びに連れそう活動であり、学習困難者一般への処方のような特効薬利用とは様相が違う。しかし方法論、教材論を無視しているわけではない。

論理の文化的位相を論じたルリアの「白熊の三段論法」の話などは、様々な批判もあったがそのいい例だろう。土俵の違う勝負のような会話が、お互いの協同実践としての教科学習の中で思考が橋渡しされていく。いいかえれば学校教育への再招待のような実践となっている。しかしこの学校教育自身がひとつの時代ひとつの国家の文化なのであって、組み込んでいく近代学校制度という社会制度体制も絶対的なものではない。彼が生きていく生涯、生きていく社会とどう取り結ぶのかという問いを常に伴っているテンションの中にある関わりが学習実践なのである。学びを社会・歴史的な活動と見ることは、文化人類学や国際教育を行っている方の文化的差異への関心に促され、研究が深められてきた経過がある。

私の学習指導の場で頻繁に現れるのが、課題のテーマを提示したとき、そのテーマを探る営みより、その課題に登場する単語にまつわる知識断片の披瀝に話が飛躍してしまう場面があって、それを的外れと否定してテーマに帰ること自身が彼の抑圧につながる、そういう様相を呈する熱い綱引きというか、鬼ごっこが日常的におきる出来事なのだ。この会話が学習拒絶の沈黙を破って成り立つこと自身に実は価値があるのだが、私は警官の交通整理や、あぶり出しが焦げ付いて冷や汗をかいている露天商のイメージが脈絡なく、ぽっかり浮かんで困ることもしきりなのだ。これはテーマ解釈の差異を論じる熟達者の議論とは明らかに違っている。小学校教育の連想場面とも違う、課題をめぐる相手の説得の仕切り(主導権)対立を伴っている。

私の場合、客観的に抽出された知識を基礎にしていると固く信じられている理数科教育の場面から越境、交差するので、同僚すら、それは科学じゃないと叱られるが、私は科学も文化の断面に存在する営みと考えている。

だからリメディアル教育そのものは、学校教育の整理整頓の即成術の背景を持つもので、キャッチアップということでは共通項があるものの、私の仕事は知識の習得というより、水先案内の方に重点がある。

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急に気温が下がって、不精で遅れている我が家の冬支度をしている。突然の父方の叔父の来訪連絡が入って混乱していたが、叔父・母ともに無茶が効かないことだけではなく、高齢者介護への偏見から、不可解なことが起きかねないことが危惧されていたという事情があった。

こんなことがあって戦々恐々としていたのだが、私の糖尿病の定期検査を受けている最中、母から電話連絡が飛び込んだ。叔父の世話をしている次女が我が家に27日の水曜日に下見にやってくるというのだ。夫の++氏との電話で、彼が引いたことで11月まで騒ぎが延期となっていたことが、彼ではなく妻の従妹がやってくる、誤算だった。糖尿病検査は順調。母の嫌がった料理を勿体無いと手をつけていたことをやめた結果が出たのだが、その話などは吹き飛んでしまった。

本校に連絡。会議の欠席を伝え、巡回先に巡回予定の延期調整。27日の臨戦態勢に入った。ビッグイシュー東京事務所に行くつもりで月末の時間調整をしていたので大きな問題にはならなかったが、その分は従妹の来訪でかきまわされてしまった。先方の都合を聞かないというのは、父方の家系。専業主婦が切り盛りしているのんびりした家庭像を、実体がないのに信じて疑わない。父の宗教騒動も、介護時の諸事件も、ゆるぎない常識を振り回す困ったひとたちだった。買い換えた電動石油ポンプを抱えて、出発寸前のバスに飛びこんだ。

ともあれ、水曜日、私は相性の悪いコンビで、父のいる老健に行くことになった。かながわAへの予約仲介1件、いじめ被害の小学生相談(引きこもり青年の末弟)1件は、11月に延期となった。

ソーシャルインクルージョンの地域起業就労の芽を、実現可能な出発点として提案できることが、炭谷氏の説得の鍵になっていた。必要のないところに講演を依頼することは困難。この壁をまさぐっていたが、タイムリミットがじわり迫っていた。

母の大腸検査のための一日入院の準備も迫っていた。母の監視の元で冬支度をしていたがきりが無い。隙を見て定期健診に抜け出したものの、頑固な従妹の飛び込みに、本のコピーとPC持って逃げ出すことが出来なくなっていた。情けなし。

<入手した書籍>
●「ソーシャル・インクルージョンの社会福祉」(画像参照)
●「働くこととリカバリー―IPSハンドブック」
●「教えます、仕事おこし―障害のある人が主人公の商品開発」


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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10/26 叔父の奇襲回避交渉/リメディアル教育の記事が

2010-10-27 06:39:00 | 引きこもり
----- 10/27の午前4時、突然B-frets@niftyの回線が切れた。携帯twitterで夜間傾聴の交信をしつつ、まとまった資料をメールで送るために、別途PCでオンライン書き込みしている最中だった。2千字近い文章が吹き飛んだ。チェックの結果、回線の異状とわかった。時間からして、おそらくメインテナンスだろう。専用携帯で併行して交信をしていたので大事に至らなかったが、心の危機の子と交信している最中だったら、疑心暗鬼に交信が歪んだり、再接触できなくなることも起こりえた。この異状は30分に及び、こちらは携帯の3G接続アダプタで超えることが出来たが、冷や汗をかいた。今回、体験2回目の異状だったので、無線接続アダプタを必ず小脇に置くことにした。前回はアクセスしようとしたがつながらなかったという接続不可能の事態だったが、今回は中断。後者はもろに被害を被ってしまう。

以下の文章は前のメモをもとに仕上げたものだ。日にちのタイムラグがあるが、ご覧あれ。

2010/10/26 記
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叔父さんの来訪は、我が家だけではなく、叔父さんの世話をしている次女夫婦にとっても負担だろうと判断して、叔父さんが眠った頃、先方宅に電話を入れた。遅い時間の電話である。失礼を詫びると、交代して従妹の旦那が出てきた。もう何年も会っていないので、挨拶の話題にも時間の落差があった。

やっと用件に入ったが、叔父さんの強い希望なので連れて行きたいとのこと。私も率直に月末は用事が山積しているし、直接老健に行くことは、母が重荷に感じているので避けて欲しい、だから日延べしてもらえまいかと話した。

先方は高齢者施設のことを知らない。今回はその視察の意味を含んでいた。精神病院の閉鎖病棟や刑務所の独房のイメージを持っていて、私の延期申し入れは、父の監禁状態を見られたくないのだろうと解釈されていた。慇懃無礼、私にしてみれば化石のような認識だと思う。介護に関心があればTVなどでもいくらでも情報が流れている。「老健」より「特養」の方が「特別」が付いているから,より重症者の隔離をしている施設という発想に呆れてしまう。

先方にしても、叔父の長距離ドライブを支えることは危険を伴うことであった。隠しているわけではないので、それなら一度、あなただけで下見に来て欲しいという話に持ち込んだ。母を彼の車に乗せて老健に行ってもらえば、母も納得する。応答は、「ならば延期しよう」ということになった。ひとりでは責任が重いと感じたのだろう。これは私の作戦だった。

こうして危機は日延べされた。11月上旬に改めて日を連絡してもらい、受け入れることに決まった。気が重いのは変わらなかった。

しかし困ったものである。先に亡くなった叔母は病院生活の果ての逝去だったし、施設を利用したことのない家族は徹底して実情がわかっていなかった。介護保健制度自体を知らなくて、更に訪問ヘルパーさんを侮蔑を込めて家政婦と呼んだ。職業差別が貼りついていた。家事介護の価値や役割の違いがわからないのだ。ホームは「養老院」だった。楢山節考流の爺婆を捨てる、罰当たりが使う捨て場だと本気で思っていた。私の近所の方との会話でも、在宅介護が当たり前、施設に「捨てる」のは親不孝ということを公言する方がいたり、ホームレスなどの低所得者が利用する簡易宿泊所の蚕棚ベッド(これさえ今はほとんど無い。)と混同していたりする。

恐ろしい無知である。関連情報は日々流れている。知る機会はいくらでもある。関心を持たずに情報を切り捨ててきた結果なのである。

ともあれ時間の余裕が出来て、今はほっとしている。

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叔父は何で急に連絡してきたのだろうと思っていたら、ポストに父宛の封書が入っていた。親展ではなかったので開封すると、写真が一枚出てきた。父の高校時代の同窓会が今月の初めにあって、参加者が高齢化して出席者が数名になったので今回を最後にするとの話。記念写真を撮ったから見て欲しいとの文面だった。父の代わりにお礼を書いたが、乱筆の私の苦手とする手書きの手紙(メール)である。書きながら、もしかしたら、叔父のもとにも、この季節、類似の手紙が届いているのかもしれないと思った。しかし、父にこの写真に写った旧友がわかるだろうか。解像力の悪い写真である。ピントぼけも、手振れもしていた。ともあれ父に届けることになった。

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先日湘南工科大学Cで、日本リメディアル教育学会が開かれていた。私たちのように学力回復を目指したキャッチアップ授業を研究しているが、教材会社が主導しているようにも見える。この紹介記事が朝日新聞に載ったので、同僚と話した。

●「リメディアル Wikipedia」
●「日本リメディアル教育学会」

続きは次回に。

夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正3回目済み)

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10/25 網膜色素変性症の染織家の絵本に/叔父さんの奇襲かと

2010-10-26 05:52:30 | 引きこもり
2010/10/25 記
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朝日新聞の2010/10/23生活欄第12版に「色彩の世界 あきらめない 50代でほぼ失明の染織家」という山内深紗子記者の署名記事が載っていた。浅野麻里さんは、網膜色素変性症の方と直感した。

網膜色素変性症の方は、片目ずつ比べてみると、濁りを伴うとは限らないので、見かけは晴眼者と大差ない。しかし見えないから、眼差しは宙空を漂ってしまう。すりガラスの向こうのようで、明暗や色は判別できても形がわからない。光を感じる視野が狭くなっている方もいる。

絵本の「もうどうけん ふりふりとまり」の著者浅野麻里さん(ペンネーム:セアまりさん)の本と著者紹介の記事だった。失明の奈落から浅野さんを救ってくれたのが、ラプラドルリトリバーの盲導犬フリルとの出会いだった。染織家にとって失明は致命的だが、そこに生き延びる光に気付き、勇気を取り戻したのがフリルとの生活だったという。

そう、道はかならず残っている。私もいずれ失明するが、社会活動をやめるつもりは全くない。私の場合はフリルではなく、パソコンかもしれない。仕事を捨てない方がここにもいらした。さっそく絵本を購入予定リストに載せた。

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前回書いた「家出」の記憶は、引きこもり青年の心性にも地下茎がつながっている。社会は向こう側に貼りついて、そこに向かう道は断たれている。私は目の前の押しやられた現実に、黙って時を耐えしのいでいる、そんな様子の私にとって初対面だった引きこもり青年の顔が思い浮かんだ。彼はいくつになったのだろう。

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母のダンピングは、胃切除した者の宿命のような症状で、うまく付き合うかしかないと医者に宣告されている。この間の母の眼の痛みと眩暈とともに、やはり見過ごすことは、やはりできない。

父の兄弟から突然電話が入った。2年ぶりだった。悪性腫瘍の摘出手術を2年前にしてからは、なかなか茅ヶ崎に出てこれる状態ではなくなっていた。同居の次女に世話してもらっているが、この次女も十二指腸潰瘍をやって、手術後ダンピングに苦しめられていた。そんな次女の状態を見かねて、叔父は自分の食べた分の食器を洗ったり、洗濯物の取り込みをしたり程度は手伝っているのだという。父の状態を思えば、その手伝いは立派なのだ。年齢が4つ下ではあるのだが。

しかし、食事後の逆流は、予防に休憩を必ずとって防いでも、食事から何時間も経った後というのに、睡眠中、突然始まる逆流は経験的にしか防ぎようがなく、咳き込んで目覚めるので体力を奪う。食事量が知れているので、大半が唾液なのだが、この発作は看護せざるを得ない。私のように昼夜逆転の生活をしているから対応できるのだが、普通の勤務者がその都度起きていたら、体調を壊してしまうだろう。

「完全に動けなくなる前に、父に会いたい」と、雨があがったら次女夫婦の車で茅ヶ崎に来るという。ただ、私の日程が付かない。巡回をやりくりしなければならず、今週は避けてもらいたいと言ったが、車だから老健に直行するからかまわないと言って私の話を聞かない。母がそれを許さない。父方の親戚は、ホームや老健を精神病院の隔離病棟と同一視しており、全く施設の実態を知らない。話してもかたくなに社会的隔離と拘束の先入観から、私たちが父を邪魔物扱いして追い込んだことをじわりと非難し続けていた。だから直接行くのではなく、無理の効かない母も同行したいというのだった。

つい10年ほど前まで、認知症の患者さんが病院で夜間、ベッド柵に固定されていたのだから、それを観て、病院しか知らない叔父が、認知症者の収監イメージが根付いても仕方が無いと思う。しかし男は介護関連の情報に疎いものだ。叔父に突然来ない様に歯止めをかけたが、我が家は非常臨戦態勢となった。叔父も杖でやっと歩いている状態で、自家用車が車椅子対応していないので、車外の移動にはこちらで車椅子の手配をしなければならなかった。長距離、車で往復すれば、帰ってから叔父が疲労で寝込んでしまうこともありえた。

まっすぐ帰すわけにもいかないので、外食予約もしなくてはならない。正直言って準備の時間的ゆとりがない。困った。

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母が気を使って私の椀に豚汁を注いで、電話を延々とかけているのに食卓に出した。私は火曜日が定期検査なので、豚汁を食べるのを控えていた。こういう日々のすれちがいとごたつきがあることが、私はなんとも苦手なのだ。借りていた県保健福祉大の書籍は、ついに宅配便で送り返すことになってしまった。ここの図書館は郵送も可としているが、借りるときの正規の郵送はしてくれない。しかし何とかパス。

別に親戚がすぐにくるわけでもないのに、檻の中の獣のようにテキスト入力機のポメラ片手に、私に部屋と厨房をうろうろと歩き回って、結局豚汁は残してしまった。ともあれ、母と作戦会議をして、時間ぎりぎりに巡回に飛び出した。パスモのカードを出そうとして驚いた。私は割り箸を持ちだしていたのだった。これでカウンセリングもないものだ。反省。

<入手した書籍>

●「自閉症の療育カルテ―生涯にわたる切れ目のない支援を実現する」
●「もうどうけんふりふりとまり」


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)

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10/24 鶴嶺高ボランティア塾分科会資料と家出の記憶/豚汁をつくるただつくる

2010-10-25 11:08:02 | 引きこもり
2010/10/24 記
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鶴嶺高校のボランティア塾分科会は、45分×2回の構成で、しかも生徒さんたちの入れ替えなしで行えることがわかった。60名の授業となる。高校の授業としては大所帯である。

資料作りをしていて、一度、生活を破壊されたものが社会に復活することの難しさと、脱落者排除の構造が社会のしかも日常生活の隅々にまで忍び込んでいること、これをいかに短時間、完結に表すのかを考えていた。外は雨。

ふと家出のことを思い出した。私が高校生の頃、家族と諍いを起こして数日、家出をしたことがある。友人宅の宿泊を断られて、真鶴の海岸で夜明かしをした。石を投げて驚いた。石の落ちたところが突然蛍光の輪を発したのだった。夜光虫だった。社会が突然向こう側に押しやられたことを感じた。小遣い銭を持ち出していたので、それを使えば数日は移動でき、なんとか食いつなげた。結局私は親からもらった所持金、そのこと自体にうんざりし、交通費と食費を使わず水でしのいで真鶴から海岸線を歩いて、三日後、辻堂海浜公園の周辺にたどりついていた。空腹より何より、敵陣に押しやられた社会全体に対峙するひりひりとする私の生の孤独を全身で受け止めていた。

生き延びるためには、働かねばならない。だが身元が明かせない者を誰が雇うだろうか。そんなことを考えながら雨宿りしている私を、不審者として通報した住民がいて、私は警察に保護され家に戻った。その間、意識が孤独というより異様に興奮して眠れずに、昼間は怪しまれないような場所でぼんやりと身体を休め、眠れない夜に歩いた。雨が堪えた。芯から精気を奪われていくのを感じた。

だから今でも雨が降り続くと、路上生活者の孤独を思う。

私の体験は、たかだか3日のこと。しかし、身の証しを失った者に、なぜ働かないと迫る言葉は無神経の極みに感じる。この感じ方の違いを「家出」を例に語ってみようかと考えている。ますます時間が足らなくなるかなとも。これは自粛かな。

私はネイチャー・フォトが好きだったことで、学生時代から撮影のために夜間、森に待機したり、高校を卒業した頃からは鍾乳洞の闇の中にこもることも平気だった。それなのになぜ、街中の家出に孤独を感じたのだろうと思う。あ、それは「名刺」なのだと気がついた。前者は観察者とか写真マニアという社会的に私を解釈しうる「名刺」を持っていたのだ。ところが後者は、社会関係を断ち切られた、いわば「名刺」(肩書き)を失った者だったからだ。

私が友人宅を訪ね真鶴海岸に押し出されるまでと、夜光虫の光景に私自身が見えて以降の、交通費や食費を単なる意固地ではなく、なぜか使わなかったことは、金もまた社会の側のものだという、向こう側に所属するものへの漠然とした疎外感があったからだ。金銭は私から剥がれて向こうに行ったものという感覚だ。

高校生にホームレスとはと語るとき、労働市場の雇用不安や傷病による失業、事故・火災などによる突然の破産など舟板一枚の地獄に踊る日常生活の舞台裏から説き起こすことに、彼らは実感が湧くだろうか。断ち切られた孤独とそこから始まる生活を、むしろ感覚的に感じ取ってもらうことの方が先ではないか。そんな思いが脳裏を渦巻いている。

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資料の中で、「社会からの排除」の部分をもう一度見直している。住所を得るために支援者・行政の協力を得て生活保護や社協の生活福祉資金を得て、住環境(住み家・借家)を取得したとき、それを税金泥棒と非難したり、それを施しとして心理的圧力をかけるひとが、ならば就労協力をするという話は聞いたことがない。資本無しの起業という隘路も、ゴミの回収、特に空き缶回収すら、法を作って排除してしまう。全くホームレスの収入への無自覚の形で、仕事の隙間すら奪ってしまう傲慢さ。自分と異質な生活を送る者への想像力の欠如。街の片隅からも、隅々立ち退かせている福祉・労働行政の無策を棚上げした徹底したゴミ清掃的排除が、ホームレスの生存を脅かしている。平塚・茅ヶ崎・藤沢の路上生活者排除事例を取材して、市民生活と彼らの生存の矛盾をどう考えるかと問うことにした。

私たちはリターンマッチのできる社会を持たなくてはならない。働けない者への不用感、社会参加への無理解を改革していかなくてはならない。そのことが果たして通じるだろうか。

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「ホームレス自立支援特別措置法」の抜粋を資料に織り込んだ。第一章第三条、第四章第十二条。民間活動との連携推進の部分は大事。2012年までの時限法だが、読まなくても載せておく必要があるだろう。

●「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法 Wikipedia」
●「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」

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母と私の食事の共通項は、良質のたんぱく質摂取と、消化の良い野菜、繊維質をとること。同じ食材をそれぞれ調理して切り分けていく方法を考え続けている。昨日は豚汁を作った。肉を赤身を使い、だしの素を強めブイヨンとローレル、味噌を使って香りとコクを維持する。母には別にゆでた柔らかい肉と肉汁と赤身を入れ替えた。玉ねぎを適量使って味を調え、膨らみを出す。

母はジャガイモを増量した。切換のお新香に焼き海苔をつけた。これを連続して食事にしないように、痛まないように途中で火を入れて翌日の献立に入れ込んだ。

しかし調理時間がかかる。今回は橋本巡回がキャンセルされて、海老名だけだったからできたようなものの、母との連携がなかったらまとまりがつかなかったろう。それでも父の介護時よりはずっとまし。排泄管理が加わったときは、最低限の事務処理と仕事しかできなかった。時間が細切れにされ、急な対応に予定が立たなかった。階段落下という命の問題があったから、皮一枚で首がつながっている思いだった。今は予定を立てられる。

母に笑みが戻る。祖父母の思い出が蘇る。料理の力である。母とこうした時間をすごすことも、互いに歳である、そう長い時間ではあるまい。日常生活の戦いとは、そういう有限の時間を意識することに始まっている。沈黙の領域である。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本3君(仮名)


(校正1回目済み)

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10/23 ガラクタごみと母を積んだ車は、雨の中を走り去った

2010-10-23 11:12:20 | 引きこもり
2010/10/23 記
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母が突然父の部屋の片付けを始めた。母が急に働き始めるのは体調悪化の前兆シグナルなので、警戒態勢に入ったら、そこに浜見平団地の友人母子が我が家にやってきた。なんのことはない、私たちが燃えないゴミ(私を除く)を出す日を2回続けて忘れていて、そのことをこの方たちに愚痴ったことから、自分の団地の方のゴミ置き場に出してあげると、車できてくださったのだ。父の介護や周辺整備、そしてゴミまで、娘さんが介護の有資格者とはいえ、他人の家の下世話、頭が下がる。おそらく他の家なら、こんなずうずうしいお願いをするはずがない。

外出時間、雨の降るのにガラクタをこの方の車の後のボンネットに詰め込む作業。横須賀の県立保健福祉大図書館の予定はこうして消し飛んだ。貧困研究全巻チェックと部分コピーと、「介護等体験ガイドブック フィリア」の貸し出しをしてもらう予定でいた。後者は「携帯電話副次機能を利用した就労支援キャッチアップ課外授業案」をもう少し膨らませることが可能か、ヒントをつかみたかった。

結局、昼を挟んで母は車に乗せてもらって市内の稽古事の方に出て行き、私の心配は夜に移った。というのも母は時間のゆとりがあるのに、携帯から稽古事の必需品まで忘れていったからだった。

私も横須賀から戸塚・湘南台経由で回る予定でいた東林間の巡回を直行で済まし、約束どおり茅ヶ崎駅改札口で待ち合わせして、大戸屋で夕食を外食で済ませるために改札口で待っていた。母が来ない。携帯を忘れていることがわかっていたので電話しなかったが、念のために我が家の固定電話に連絡すると母が出た。ご飯を炊いたところだという。約束を忘れていた。

外食後、母をバスに乗せたら、茅ヶ崎サポセンに鶴嶺高資料案Ver.2を印刷するために回る予定が崩れた。セブンイレブンの文書プリントサービスを思い出し、茅ヶ崎高校前で下車、資料を印刷してそこから歩いて帰宅した。

丸ゴチのフォントが本文で使われているために、おそらくMSゴチにフォントが変換されてしまうのだろうと思っていた。きちんと印字されて納得。これがネットプリントだと標準ゴチ(MSゴチか?)に化けてしまう。

神奈川ソーシャルインクルージョン協会の++さんに連絡をとらねばと思う。来週はビッグイシュー東京事務所に弁明と謝罪、フィンランドデザイン関連の知人経由で、「わーく」画像放送の絵を描いてくれる学生さん探しの件、docomoの裏づけと廃品機種保証の見通し、11/30の県障がい者仕事サポーターの++さんの講演会セットと、鶴嶺高校視聴覚環境の下見が控えていた。母の体調もって欲しいと思う。

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精神の講演会でイタリア・トリエステから病院関係者3人が来日する。東京を皮切りに、横浜・大阪・長崎で講演を行うとのことで、横浜に申し込んだがすでに満席。そこで東京王子の会場の方に申込み返事を待っている。日にちが鶴嶺高校の二日目、11月16日だが18時半からなので間に合う。

社会的隔離から患者さんを解き放った優れた活動の紹介である。楽しみにしている。

http://trieste.jp/ 参照

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<入手書籍>

平塚図書館にあり。
●「発達障害の子どもの視知覚認知問題への対処法」


夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名)


(校正2回目済み)

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10/21 「ボランティア塾 in 鶴嶺」の資料作り/10/22 湘南あすなろ会定例会はシビアだった/母の体調不順

2010-10-23 09:53:43 | 引きこもり
2010/10/21 記
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県立鶴嶺高校の「ボランティア塾 in 鶴嶺」の分科会授業の参加準備を進めている。昨年は30名を超える熱心な生徒さんたちの協力の中で、当事者の語りと寿連絡会の高沢幸男さんのホームレス問題のレクチャーが行われたので、今回は2回目ということになる。

今回は1回完結可能ではあるが、2回シリーズものを組むことになっている。DVDの「『ホームレス』に出会う子どもたち」の本編30分の上映の1回目、2回目はホームレスへの差別と人権、支援を考える当事者を含んだ懇談、とくにビッグイシュー販売活動の紹介を企画している。45分授業時間2コマの企画である。

校内の前評判は良く、60名近くになるのではという話もあるが、教室のキャパや、他分科会との人数の調整もあるとのこと。映画効果かなあと怪しむ向きもあるが、贅沢な話と、準備を余念なく行いたいと考えている。このボランティア塾は、本来は在校生(高1?)の社会学習として位置づけられているので、公開か否かはこれに準ずるのだが、県人権教育指定校であることから、公開について検討されている模様。在校生の家族の範囲か、地域公開かは、まだわからない。ただいずれにせよ、申込制となる。

この授業の準備を始めているのだが、授業細案を今回の湘南あすなろ会の定例会に出すために、配布資料案を作っている。

初日(11/9)は、映画の上映が中心となる。本来は「『ホームレス』に出会う子どもたち」の応用編を上映した方が、ホームレスになった方のいきさつの自己紹介や支援活動の様子が詳しく入って高校生向きなのだが、上映時間が45分と、授業時間にはまらない難がある。そこで本編(30分)を使うことにした。あくまでも支援者の眼差しであって、当事者の目から作られた作品ではないが、ホームレスの方に接する私たちの足元を照らし出してくれる作品で、この作品の上映を通じて、クリスチャン流に言うと「小さくされた人々の隣人」としてどう接するのかを明らかにしていきたい。(残念ながら格差社会と、すべり台構造の話など、自分の側の話には触れられていない。)どのような人に、どう連携するかを示す作品と思っていい。始めの担当教員の方からの挨拶や、会の自己紹介と映画の簡単なガイドを話して15分、上映して30分、合計45分、ぎりぎりである。

本編は、導入部分が児童養育事業に位置する「こどもの里」の荘保共子館長と幼児小学生たちの、巡回出発前の悠長な説明シーンが入る。この世代差が初めて観る高校生に違和感を持たせまいかと心配している。中盤を過ぎれば作品の力によって話に引き込まれていくが、ここは上映前に少し触れておいたほうがいいように思う。

二日目(11/16)は、当事者を囲む懇談会となる。ここの主眼は、ホームレス問題とはどういうものなのかということを、生活挫折と社会からの排除の現実を明らかにし、ではどうつながり協力していけるかという支援の話をたたき台として提案し懇談していく。

前半は生活挫折は誰にも起こりうること、ところが生活再建は断ち切られ、差別されて社会から排除されていく現状を、できるだけ事例を踏まえて語ること。次にビッグイシューなどの支援活動の紹介と、連携の形を提案していくこと。これが要。

前回の企画の講演形式が、一方通行だったこともあって、今回は話し合うことに重点が置かれる。ただここで、ホームレスの課題が高校生の日々との関連を照らし出す内容を素通りして、貧困救援のよそ事(めぐみ)に閉じてしまうことを注意したいと思う。格差社会や不安定雇用、すべり台構造の話までは話せないだろうが、ホームレスが近所のおっさんと変わりないことや、怠け者とアル中のレッテルを剥がせたら、今回の目的は達せたと思う。

私は先日の道路交通法違反としてBI販売者を排除した市職員の行動や、資源ごみを拾うことを条例違反として逮捕できるようにする動きの無知さ、市民社会の醜い部分として、街から排除するうごきなど、生存と人権という基本的なところについて、社会がホームレスを追い込んでいる実例を見せておきたいと思う。この中からの自助努力がどれほどに大変なものであるかを短時間に示す内容を検討している。

当事者との懇談は、できるだけ楽しいものにして行きたい。ビッグイシュー販売活動の紹介やエピソードを交えて、どう連携するかを示していけたら、不安定雇用時代の人間のしぶとさという意味で、逆に高校生に心の幅を提供できるのではないかと思う。

このふたつを45分でというのはなんともきつい。出来るだけ懇談に時間を割きたいと思う。しかし目の前に差別があり、自助努力の手がかりが奪われている現状だけは知っていて欲しいと願う。その上で、でもしぶとく生きていく道はある。自分の目で確かめ、それを支えようじゃないかという話なのだ。

私はその二日目の前半、現状と社会復帰の困難さを作る無知と無関心による差別と排除を語る部分の資料を書いている。

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エピソード1:
BI販売員**さんは、市の職員によって道交法違反として排除された。

捨てられた本の路上再販。

野外販売活動は、公道・公共施設ではできない。
私有地を借りるか、道路使用許可を得るという方法の非現実性。
自立起業の困難。

参考:歴史的既得権のこと>江戸時代非人身分の仕事と路上販売から
   道路交通法の歴史

   ホームレス自立支援活動の行政評価と警察交渉の蓄積


エピソード2:
地域社会から排除されていくホームレス

入居の困難。住民票を取得できない事情の矛盾。
生活保護は「税金泥棒」か。
就労機会喪失の実態

エピソード3:
資源ゴミ条例にみる社会排除

平塚・茅ヶ崎・藤沢のホームレス排除事例画像>撮影済み

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これをざっと話し、問題の所在とどう連携し解決するかの議論にバトンタッチする。

資料提供:「新しい公共」宣言(円卓会議)中のビッグイシュー紹介

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後半のビッグイシュー販売活動の紹介と、購入参加、巡回・炊き出し等の紹介
時間との戦いになりそう。前半は出来るだけ簡潔に。

資料原案が結構な量になった。今夜の定例会で剥ぎ落としていく。

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父の入所している老健から、インフルエンザワクチンの接種申込書が届く。昨日の介護保健証とともに、届けないと。

父は介護度4から3に下がった。負担金が増すが、それ以上に病気等で退所したら入所先がまた困難になる。体調快復して悩み、悪化して悩む高齢者福祉の貧困さ。

夜間傾聴:******君(仮名・こちらから)






2010/10/22 記
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母の調子がおかしい。認知症関連ではないが、両足にむくみ。食事を取らなくなった。症状の詳細を表現しないで、前回の便に血が混じっていた検査結果を気にする言葉ばかり。伏せると調子が悪いとベッドの壁に寄りかかっている。買物等には出て行くが、歩行時、背後から見ると身体が左傾して、片足をかばっているようにみえる。微妙な程度。

母が恐れているのは、大腸ガンだ。しかし、腸の検査は地元主治医は敬遠している。胃切除した者は、身体に遊び空間が出来て腸が動くので、内視鏡検査時全身麻酔が必要になり、その検査ストレスが尾をひくというのだった。造影剤検査ならなんとかというが、それでは初期の大腸ガンを発見しにくい。血液検査はガンが進行していなければはっきり出ないというのだ。

食事をすると腸が大きな音をたてて暴れるという。ダンピングもそのとき出てくる。前日歩行量が多かったわけでもないのにむくむのは、内臓疾患に結びつけるよりも便秘の可能性があると、私が予想をたてて母に聞く。案の定便秘をしていた。医者を嫌がる母を地元医のところへ。食事メニューの変更。センナ系の下剤処方を受けたので、麻婆豆腐の改良版。オリーブオイル+フレーバーでコートしたトマトサラダ。夜はあすなろ会の定例会なので、最後に火を通せばいいところまで作って外出。

帰ってみたら、そのままになっていた。麻婆豆腐は嫌だという。豆腐の残りがあったので、私の分と同じ湯豆腐に。ササミ肉を湯がいて霜降りの刺身2切れ。同じ醤油味なので、先にササミを食べさせる。粒を残した塩の重めの粥。何とか食べさせたが、自分の食事が食べたようではない。

夜間にダンピング、嘔吐。明け方、便がでる。一応脱出か。

父を老健に入所させる数ヶ月前の5月ごろから母の体調は落ちて行った。共倒れを父の入所の7月5日に行って回避できたのは幸いだった。それ以降は猛暑。食が細くなっていた。めまい・不定愁訴・ダンピング・嘔吐が一進一退だったが、徐々に体力を快復、最近はめまいとダンピングが目立って減っていた。いい調子と思っていた矢先の反転だった。

母とは昼食重視の食事コントロールをしていた。私が夕方の巡回を増やし、夕食が遅くなるからだった。母の言う「年寄りの孤食」は確かに避けたい。しかし、それをしたら父の頃と同じ、食事時間に巡回がずたずたに裂かれてしまう。遅い就職ならぬ夜食は、食事のボリュームを制限しなくてはならないので、昼食重視となっていた。しかし、この「孤食」を口にすること自体、母のメンタルなサポートに引っかかるところだった。共依存との距離をとりつつ、実を生み出す事。日常生活の影の戦いである。

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湘南あすなろ会の定例会は、ぎぐしゃぐしたものだった。原因はいくつかあった。SFCの販売活動は順当の成果で終わったが、今後については学生さんへのアピール策を考えなくてはということになったが、これからの鶴嶺高校の予定を立てるところで、問題が起きていた。

大きくは、二日目の懇談をビッグイシューの活動紹介と連携の話から、私が別の話題を持ち込むことで、話がずれてしまうことへの懸念だった。資料を作って定例会に提出すること自身を、強制と取ってしまう誤解があった。

私には、昨年の講演風の授業が、高校生には先験的に感じられた。そのためにはどうするのかというところで、お互いの認識がずれていた。私は現に起きている地元ホームレスの現状が、失業と傷病によって自分に押し寄せる身近な出来事であることや、地域からの排除と無視容認の形で生存権すら脅かされているということを持って、まず高校生にとってのホームレスの問題とのつながりを明らかにすること。次にそれならどういう形の連携が取れるか考えることという大枠の道を整え、懇談に持ち込みたかった。

よそ事への憐憫の形で話が終始することを一歩踏み越える枠組みが必要と思われた。勿論懇談なので、これらのことは触媒的な提案なのだが。

ここに「新しい公共」宣言の資料提供があり、この資料への反発が加わった。円卓会議にはビッグイシューの佐野代表が参加しており、ここにもビッグイシューの話が出てくるという程度の話だったが、民主党誘導の話を持ち込むことへの反発が出て、私のように資料は話のツマの立場とは違うことで、険悪な雰囲気になってしまった。私もさほどこの活動を重視しているわけでもなし、これは採用しないことになった。

次に、道路交通法違反の件で、不文律で取り決めがあることを説明する資料が歴史資料しかなく、行商・露天商の伝統的商行為と近代法の対立は、被害申告や社会的悪影響の予測が深刻であること以外は積極排除しないことで、顕在化させないことになっていた。しかしこれはいわゆる慣習であって、法的には違反であることには変わりないし、商行為は道路使用許可申請が出ても、祭りなどの公共行事以外は公道利用を許可しないことになっていた。こういう実情が説明されないと、ビッグイシュー販売は違法とされてしまう。

定例会の後、資料検索を繰り返し、佐野代表の講演録から、警察との交渉と相互了解の経過紹介が入っている記録を見つけ出したので、行商・露天商の歴史と差別の話は差し替えとした。内容の間違いという事ではなく、二日目後半の懇談時間を確保するためだった。

ビッグイシューを中心とした話題提供と懇談が主軸であることは、全く異論がないことであるし、ただホームレスの問題の焦点が霞んでいる中で、販売活動を語っても、高校生自身を映し出す鏡の機能は果たせないと私は考えている。問題の共有があって、解決の活動連携が出てくる。販売は販売者さんの生計支援であり、差別格差と社会的排除のホームレスの問題への一石であり、自分の生きる社会への自覚の行為なのだという、その深みを提案サポートすることが必要と考えている。ここが有限の時間枠の中でどう立てるかということも重なって、衝突したのだった。45分授業である。前半解説に10分、後半提案に10分、担当教員の方のガイダンスや閉会の辞などで5分と踏んで、懇談20分?少ないよという話なのだった。前半は必要があるかないかという話なのだった。私は日常に問題があり、それを自覚の目で見てくださいという意味で、ビッグイシューを個人支援を超える意味で必要と思っている。

私が春先から父との格闘をしていた間、ビッグイシュー販売活動の状況報告を出していなかった。この件が東京事務所で問題化しており、いままで私がサポートしてきた東京との話のパイプ役を実質バトンタッチしていた**さんにとばっちりが行っていた。この解決が残っていることも、議論の衝突に影響していた。これは近々事務所に行って話を整理してくる予定。

なんとも冴えない結末で、定例会は散会した。しかし、これは鶴嶺高の発表を丁寧にやっていくことで、解決していくだろう。やれることを確実にやっていくこと。的をはずさず柔軟さを保持していくことで、道は開けると思っている。

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電子出版協会から石川准氏の講演会の案内が来た。視覚障碍の先達である。即、参加申し込みをした。

夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)
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10/20 誤解と連鎖の落とし穴の恐怖

2010-10-21 06:58:25 | 引きこもり
2010/10/20 記
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昨日、県の図書館は休館日だったが、県生涯学習センターは休み無し。しかし貸し出しシステムが止まっていたので、再度借りる書籍は期限切れもあって、また横浜まで出かけて更新する、まったく疲れた展開となっていた。

母は藤沢の中古和服をあさったり、知り合いの居る店に行って、久々に羽を伸ばしていた。私は出掛けに、昔、救援に入った子と同じ体験をしていた。辻堂駅でパスモのチャージをするために、スーツ姿の青年の後ろに並んでいた。その男性は切符を買うと、ホームから聞こえてきた電車の到着音に焦って改札を駆け抜けていったのだが、何ということか、切符自販機から千円のおつりが残っていたのだった。私は自分のチャージする千円を用意し、その千円札を駅員に届けるために引き抜いたときだった。40代後半の私の後ろにいた男性が、私の腕をつかんで盗むんじゃないよとねじりあげようとした。駅員に届けるのだから、いい加減なことをいうなと声を荒げて手を振り払ってにらみ合った。失礼な。

私はチャージを済ませ、その男性と改札駅員のところに行って千円札を渡し、事情を説明した。男性はそれを信じず、盗もうとしていたと主張。論拠を示せと私。駅員が間に入って、まあ今回は許してあげなさいよと言ったので、私に火がついた。濡れ衣である。自分の前の人が金を残して去って、自分の番になったらその場を避けよというのかと反論。盗みのレッテルを貼って、今度は駅員が上塗りとは許さない。侮辱であると言った。駅長が駅員を謝らせて、双方の連絡先をメモして驚いた。市立病院の職員だった。その課の課長は私の古い友人だった。電話しろと指示し、課長に私の身元確認をするように言った。掌を返すように彼は謝ったが、私には、盗人と思われたことの屈辱感が残った。服装で人を見る。反論する気力がなかったら、私は盗人にされていた。

これとよく似たことが、私の昔担当していた吃音の子に起きていた。IQがボーダーの子で、図体は大きく身なりを構わなかった。スーパーのレジの前の客が小銭入れをレジ前に置き忘れて行った。その子はレジ係にその小銭入れを渡すために手に取った。そのときに客が戻ってきて、彼をスリだと言い出した。反論できないまま、彼は店の事務室まで連れて行かれて、強引に座らされたので暴れた。警備員に押さえ込まれて、交番から巡査がやってきた。彼は必死で私を呼んだ。

なんとも、彼と同じ体験をするとは思っても見なかった。恥かしい話だが、私たちの日常には、こうした偶然の負の連鎖がある。これに持ちこたえるのには、心の力、気力がいる。心身に障碍を抱える者にはどれほどの負担だろうかと思う。この手の話はホームレスの場合はかならずあるはずだ。この連鎖する無責任は差別というべきだろう。

横浜からの帰り、母と藤沢の改札口で合流した。母と食事をしていても、つかまれた手と押し伏せようとするわからず屋の顔が脳裏を離れなかった。これは烙印。絶対に加害者になるまいとした唇をかんだ。母が怪訝な顔をしてみていたが、私は彼のとき偉そうに周辺をなじり、彼はだまってそれを見ていたが、彼が望んだ私はそういう私だったのだろうか。今になって疑問が湧いている。もう20年は経っている。そんな鈍感さに気付く体験だった。


夜間傾聴:□□君(仮名)

(校正2回目済み)

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10/19 SFC販売の疲れのせいか、まとまりません。

2010-10-21 05:52:10 | 引きこもり
2010/10/19 記
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SFCの秋祭出店で日送りしていた巡回を再開。相模大野を起点に巡回。高卒認定試験が近づいているので、親御さんの相談が本校に飛び込んでおり、往復となって、間に合わなかったひとりの親御さんと、担当教科だけ携帯電話で話す。結局はこれで済ませることはご法度となっているので、普段巡回していないお宅へお邪魔して改めて話すことを約束。普段通学している子は専任講師が指導するため、話にずれが出てはいけないということで、調整があったりして結構面倒くさい。

私は基本的に障碍や心身状況のために学習に困難がある青少年のなかで、引きこもっている方を巡回しているので、電話の方のように通学可能な方は教室で会う事にしている。今日はこの巡回途中の電話で翌日時間を調整したが、それは他教科の教員がそばにいるので、バトンタッチが可能と踏んだからだった。

てんかんを持つ子は、「てんかんの仕組み、興奮抑え役の細胞が逆作用? 玉川大」という記事の評価を求められる場面があって、一般論としては服用している薬については、早めに主治医に意見を求めた方がいいと答えるに留めた。カウンセリング内容が逸脱となるからだった。試験当日に追い上げ学習をするのは避けよというが、家庭の事情が複雑にからんでくる。

本校の相談がらみが1件、相模大野周辺が1件。東林間が1件。私のオンライン+巡回指導から離脱し通学を始める方の引継ぎが一件。夜は持ち帰りレポートを仕上げていた。

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私が忙しくなると母は不満を溜め込んだ。外食したいというので、翌日の夕食を予約を取って堪忍してもらった。

母は最近、ボトックス療法の影響から脱出し始めたのか、眼球の突然の引きつれを訴えなくなっていた。早朝のトイレとその際のふらつきがまだ不安定のままなので、処方の睡眠導入剤を飲んで、眠りを深くして目覚めの時間をずらしている。食事後のダンピングは全く変わらない。

徐々に炊事を分担し始めた。洗濯は洗濯物を取り出す場面、竿に干す場面で腹筋を使い、見上げる姿勢をとるという、まだ避けたほうが安全な内容が入るので、私がすべて洗っている。胃切除者は食事後休憩が必要なので、外食も追いたてられない店を選ぶことが賢明ということになる。

全体として、気温の下がる早朝が超えられれば、徐々に単独活動にずらして、介助者離れを作っていく。

外食を明日に延ばすのだから、おかゆだけでいいという母を、おじやに誘い込むが、自分の分のカロリーオフの食材がないことに気がついて、牛肉のないすき焼きのような、とても書けないメニューを味噌でごまかして作って食べた。

家事を終えて、1時間仮眠。0時からレポートを書くが、全然気乗りがしない。大和経由で横浜に出たときに生涯学習センターで借りた書籍「イタリア社会的経済の地域展開」(田中夏子著)のつまみ読みをしていたが、書店取り扱い不可なのは、オンデマンド版なのだと知った。出版社少部数書籍発刊手段として、受注生産する書籍なのだった。引用のパットナムの議論(「哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造」より)をメモしていると、携帯が鳴った。出るとぷっつりと切れ、すぐにまた携帯が鳴った。これは迷いの表現であり、それから表示を見ないでもだれだが相手がわかった。こうして夜間傾聴が始まった。こういう日は、まとまりがつかない。諦めて付箋を挟んで、相手に了解を事務的な部分のレポートの書式部分を傾聴の合間に書き込んでいた。

明け方新聞を取りにいくと、犬の散歩に歩いている近所の方に会った。おはようございますと挨拶されて戸惑った。私はこれから寝るのだから。

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相模大野の大戸屋から、そういえば傾聴の彼が階段を上ってきて、ばったり出くわしたことがあった。なぜかそのシーンの再現の夢を見ていた。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     ないしょ(1名)

p.s. 右目、完全片目状態。涙液を点眼して軽く右瞼を絆創膏で止めて読み書き。


(校正2回目済み)

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10/17&18 慶応大学湘南C(SFC)秋祭にビッグイシューの店を出しました

2010-10-18 02:18:55 | 引きこもり
2010/10/17 記
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慶応大学湘南Cの秋祭が始まった。初日、湘南あすなろ会のビッグイシューのブースは、レギュラー以外の5名の支援者の参加でにぎわっていた。

東京から販売者さん1名の合流、首謀者(失礼)のMさんとSFCの学生さんふたり、Oさんの奥さんという面々。

しかし、初日、一般客の数が少なく、ビッグイシューが普段も30~40代女性層の購入者が多いという傾向もあるために、学生さんたちにはなかなか購入者が広がらないという傾向にあった。

しかしもうひとつ理由があった。飲食物はその場で腹にはいってしまうが、冊子は持ち歩くのに邪魔であり、終了間際に買えばいいという判断が働いていたようだ。支援者の学生さんの奔走によって、閉店間際に何人かの方が買ってくださったのはその意味で、うなづけることだった。

総販売部数は販売者**さんに確認しないと正確な数が判断できないが、約30数部はでていたのではないかと思う。

しかしビッグイシューのように、ホームレス当事者以外は販売権を持たない冊子の販売の支援は、なんとも手持ち無沙汰だ。

はじめの話のイメージと違って、マーキーテントは3団体共用であり狭く、近くにはステージが2つあるために、質問者の方への音の説明環境は悪く、どこか環境音を断つことのできる近くの場所を探しておく必要があった。

その他は、プラカードを持って周辺に立ったり、会場を歩き回ったりする程度。チラシ配布を禁止されていたので、目立った効果をあげることが難しかった。

13時半ごろ、一般駐車場に行ってみると約60台の車が止まっていた。入構証を掲げた関係者駐車場の車は20台、路線バスの本数が少ないSFCはバスと自家用車以外の参加手段がなかったから、この車の台数からおおよその一般客の人数が推定できると
考えたのだった。

駐車場整理係の学生さんに様子を聞いてみると、「朝早い時間は忙しかったが、それ以降はぱったりと車が来なくなって暇なのだ」という。これは大きなヒントだった。この60台の車の大半は、在校生と祭関係者の車だ。とするなら、車で参加した方は50名を切るのではないか。

路線バス利用者を考えても100名参加しているだろうか。しかも歩いてみると、親子連れが多い。つまり販売環境としては、かなり苦しい。

30部はそういう意味で、我田引水ではなく、かなり健闘したと言っていいと思う。

Oさんの奥さんは、一抱えあるおにぎりや総菜を持ってきて下さり、支援者の学生さんとの交流もできた。Oさんの車の定員もあったので、私はその場に止まっていた湘南台駅行きのバスにのって、湘南ライフタウンの外周で下車、乗り換えて、駒寄で再び途中下車。とうきゅうで買い物をして帰った。この地域に土地勘があるのは、昔、この地域、遠藤で塾の教室を開いていたためだった。

その地域は慶応大建設によって大きく様変わりしてしまった。一般駐車場の西ノ谷の塾生宅はすでになくなっていた


祭参加団体のいくつかは、私の知り合いがいる団体だった。ところがそのコーナーに行ってみると、全く知らない若い方が販売に立っており、時間の流れを感じてしまうのだった。

私は医療看護学部には何回かおじゃましていたが、本館側に来たのは10年ぶり。有珠山噴火の時、子どもと危機管理の件で参加して以来のことだった。秋祭は今回19回目という。古い話ばかりだった。それにも関わらず、曲目は変わっても、ブースの様子は新しさを感じさせるものがない。ただエコの関係団体が、キャンドルナイトを持ち込んでいたこと位だった。

私が感じた新しさは、団体の上げ潮と下げ潮のこと。流れを形作る基本了解が明確になり立つと、それを考えてきたひとたちが、様々な切り口から合流してくる。そのとき、活動はお互いが違っていていい。それが次の活動へと枝を伸ばしていく。これが湘南あすなろ会の状況だ。様々な矛盾や問題は抱え込まれているが、それが顕在化しないのは、活動が目に見えて進んでいるからだ。この矛盾や問題は進行の中で多くは意味を持たなくなる。ところがすべて解決できるわけではなく、下げ潮のとき分解を早める要素になっていく。ひとの知恵をいかに働かせていくかが問われるところだが、それを自覚化している者は少数なのだ。


夜からの相模大野巡回延期。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)



2010/10/18 記
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SFC秋祭2日目。今回はOさんは撤収時まで参加が無理。東京からの販売応援者も無し。レギュラーのKさんも旦那の仕事の都合次第という状態だった。日曜日だから多少は一般客の人数が増えるだろうという予測を立てて、路線バスが辻堂駅からは、祝日は1時間に1本なので、バス停で**さんと合流の話だった。しかし先日も、茅ヶ崎駅前の集合時間の9時よりも早く全員が到着しており、私が予定の10時に着いたときには、すべて準備が終わっていた。約束が約束ではないその場進行が行われているので、9時35分のバスではおそらく同じ事態になるだろうと予測。始発の8時25分発に乗った。彼らはバスに乗ってこなかった。しかし、現地について間もなく、9時35分のバスではありえない時刻に皆が現れた。つまり車で来たという事。やはり空転していることがわかった。始発で来てよかったのだった。

様々な空転が起こっていた。定例会の打ち合わせのとき、雨天時販売用の冊子が濡れてしまうことを恐れて、テーブルシートに使う透明シートをかぶせて販売をと考えたが、値段が高いので70リットルのゴミ袋を裂いて代用したらどうかと提案したことが空振り。ブルーシートがあるからと話が断たれてしまった。販売の冊子が通行人にもっと見えたほうが売れるのではという意味で、テント前に椅子を出して、水平ではなく、たてかけ見本をだしたらどうかという提案も、語る前に話が断たれてしまった。結局これは、冊子のカラーコピーを垂直位置に掲示することで折り合いがついたものの、こういう行き違いが累積していた。荷物になっていると感じた。自分のできる範囲をどう作る事が出来るか、そこに徹することにした。あすなろ会は、自分も含んで仕切り屋集団なので運営が危うい。得意な企画はその方に任せるべきなのだ。

とりあえず、欠員もいる広告、小プラカードを抱えて周辺に立つ事にした。

日曜日だから一般客が増えるだろうというのは間違っていた。しばらくは在校生の客もなく、隣の食物販売の勢いに押されていた。昼ごろからステージが活気付き、それにしたがって客も集まってきていた。ひとり初めて客が入った。今回の特徴は、すでに関心を持っていた方が購入して行ったというところだ。茅ヶ崎の方もいらしたが、茅ヶ崎販売を知らなかった。それにはわけがあった。販売しているのは歩道橋の上、彼は駅前を通るときは自転車だったのだ。歩道橋の下を通っていたのだ。

こうして今回は総部数20部強。複数冊買ってくださった方が何人かいらしたので、少々拍子抜け。慶大生は関心ないのかなという話もあったが、他の大学も大体同じようなものだ。今日は自民党塩川正十郎氏の講演会が午後からあって、大島理森氏をはじめとした自民党議員団と、離れて公明党議員団が現れた。会場前には地元動員の年配者が200名ほど列を作っていた。これが動員である証拠は、講演会終了後、祭を覘いていくというのではなく、団体で帰って行ってしまったのだった。

来年販売をするなら、学生さん相手の作戦が必要。定例会で論議することになる。

とにかく恐ろしい眠気が昼過ぎに襲ってきた。血糖コントロールの薬を家に置き忘れてしまったのが原因だった。母からの呼び出しもあって、片付けが始まる18時の前の17時14分発で辻堂駅に戻らせてもらった。

幸い母が買物を済ませておいたので、帰宅後仮眠を取ることができた。今回は巡回も無し。2時間ほど休んでなんとか復活した。

ステージだけが盛り上がっているというのは、どこの文化祭・大学祭を回っても、すでに一般的な傾向としてある。定例会で話そうというのは、慶応大にカスタマイズさせた企画作ることだ。とにかく今夜は沈没。夜間傾聴は、緊急性が高い方のみとさせてもらった。緊急対応1件。明日引き継ぎをする。


夜間傾聴:緊急性の高い方1名

(校正1回目済み)
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10/15 家族の仕切りなおしを行って

2010-10-16 04:27:08 | 引きこもり
2010/10/15 記
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母のめまいやダンピングがここのところ治まっているので、食事コントロールの件で、昨夜母を捕まえて話をした。母は造血成分とカルシウムが豊かなハイカロリーの食事を、私は糖尿病対策のローカロリーでバランスのよい食事を求められる。そのメニューをいくら丁寧に作っても、意志があやふやだったり、不規則な生活に流されれば頓挫するに決まっていた。

だから、一日一食は前日のメニューを考慮に入れつつ、できるだけ共通項を取り入れた「食事2種類」を作って食べようという確認だった。今回の特徴は「2種類(各人に合わせる)」ということだ。これとて一般家庭では、こんな談判をしないだろう。しかし母は体力が、私は眼病と糖尿病という厄介なものを抱えていたし、もし失明が早かったら、生活のパターン化が慣れていれば有力な戦法になりうる。習慣化を狙う自炊は、今の一歩先を読もうという意味合いを持っていた。

体調管理のもうひとつは、母を体調に応じて外出させることだった。歩行ほど総合的な運動はない。母は幸い稽古事をしており、教える側にもなれる資格を持っていた。胃切除後、関係者と距離が出来ていたが、不注意事故予防と体力の様子見をしながら、母を復帰させることにした。幸いというか不幸というか先方も突発性難聴を患い、しばらく稽古は休みになっていたので、ブランクは空白期間ほど大きくなくて済んでいた。

昨日と今日は、私は午前中の巡回を夜に移動して、母を押し出すことにしていた。母も行きたくないわけではないので、細々とした注意と文句を言い残して玄関を出て行った。市内なので問題はないと思うが、その仲間のなかに70代の水泳の選手(女性)がいて、膝や腰を昨年骨折したのに復活し、健脚なので母を引き回す方がおり、少々心配なのだが、まあ、任せる以外ない。市内で自信がついたら、東京にも押し出すつもりだ。長年通ってきた道だから、雑踏と階段以外不安はない。

父の入所以降、家族の関係が変化した。生活の時間軸が父の介護から、各々の時間にシフトした背景と、親子間の役割の変化がそこにある。母の初期介護の状態は、父が入所によって不在になったとき、共依存の関係に落ち込む危険性があった。だから母独自の世界を引き寄せた。問題は仕事に収まりきれなさを抱き続けている私の身の始末だった。

母を押し出してから、時計を見上げては食器を洗う。この「時」に追われる状態は今後も付き合わざるをえないとしても、問題は生活の質のことだった。約二十年前に自分の塾を閉じてから、そこを拠点として行ってきた教育支援活動のホームグラウンドは、活動に二十年間の終止符を打ち、その後の二十年は、あちこちの既存活動に身を寄せたり、活動を作っては砂山を崩されてきた。中高年になると経験者いわば前科者なので、それぞれの活動もすんなりとはまることはむずかしい。警戒されることは日常茶飯事のように起きる。すると結局は自分の肝に据えて通してきた活動を、心棒のように活かしていく単独活動が多くなる。同僚に出会えれば最高というところだが、そんなに簡単に折り合いがつくものではない。

だから今始めている社会活動は常に、借りてきた衣装のように体がはみ出してしまう。その中途半端さをこのまま続けていけば、どうやら行き止まりが近そうなのだ。数年ということはないと思うが、失明したら単独活動は崩れてしまうだろう。吹き飛びに悔いはないが、賢明な脱出策を探っておきたいのだ。そのための時間と労力が、この追われるような時間の中に活きているか、そのことを考えている。

先日、同僚とちょっと話しこんだことがあって、彼は専任講師を貫いてまもなく一応の定年となる。その後も講師職を続けていくが、お前はどうするのだと聞かれた。そのときに、彼は私を福祉職のような性格を持つカウンセリングが実は向いていないのではないかと思うのだと喝破されてしまった。

彼と一緒に関わってきた不登校や引きこもりの本人や親御さんのケースは多い。そのときにカウンセラーは、共感を基礎にしているが、何気ない日々や、和気藹々とした家族隣人との生活の価値を私が本当に共感しているとは思えないという的を射た指摘だった。

父という嵐を抱え込んだ者が、その越えて来た日々を活かすつもりで立てたアンテナは確かに様々な心の声を聞いた。しかしその返す声は、癒しの声だったのだろうか。内容はセオリーを大きくはずさない経験は出来ている。しかし、踏みこたえているブレスは伝わってしまう。私は生活という戦場に立つ、しかしそれを一般化せずに、彼なりの生活を見守ると言ったときの断層は、無意識にも伝わるものなのだということなのだった。同僚は、これ以上、緊急時を含む活動を維持できるのかという意味で留めていたが、ひとの命を意識する活動の地獄は、医療関係者もそうだが窮地に立ち会う者として、拭い去りがたいものだ。

地獄を封じ込めてカウンセリングできるのという指摘には、共感の質と幅の共通項から考えれば常にはみ出してしまう部分は大きい。しかし始末がつかなくなるような状態は、「悲しいことに」「経験」という狡猾さを持ち合わせるがゆえに綱渡りのバランスを崩すには至らないと答えた。私は神の座から遠隔操作するタイプのカウセリングの立場を取らないから、なおさらにここが厳格に問われるのだ。母を押し出し、食器を洗いながら、そんなやりとりを反芻して、ため息をついた。

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年末にDV(家庭内暴力)を味わった子たちにどう関わるかをテーマにした研修がある。しかし今の私には、当人と家族の齟齬を基底にした激突の緩衝材としてどう介入し、安定させていくかということや、それに障碍諸特性をどうふまえて危機回避していくかという、本来なら資格を必要とする心理専門職の一時代行のような現状に参考になるテーマ、つまり思春期の子たちの荒波を取り上げてくれたらと思う。さらには、社会的挫折を味わった者の再出発をどう整えるかという若年者から中高年層に踏み込んだカンファレンスが欲しかった。対象年齢が若すぎるのだ。なお、学習カウンセラーの私が「一時代行」と呼んだ場面は、夜間出動のときや、ホームレスの方のように、手が回らない領域に踏み込むときだ。また訪問したお宅で爆発が起こったときだ。

しかし、私は私の命を自己責任で燃焼させていく最低限の表現を、本来なら若手養成という複数名の行為に膨らませるもうひとつの活動を複線化していかなくてはならないのだろう。後半に活動がかかっているのだなと思う。しかし私自身がホームグラウンドを持っていない、いわばホームレスというか手足はみだしている者だ。どんなに野宿者支援が順調に育っても、その活動は私のスタンスを満たすことにはならない。地域に自分の居場所と出番を見出せるような生活・就労支援地域セイフティネットを作る観点から私は様々な領域の境界線、接面に立つ。ここの活動が立ち上がって初めて私はホームグラウンドを持つことになる。

もしも「絶望と挫折」「暴力といじめ」に対して、「信頼と希望」を対置する、他者とともに生きる意味を問いかけることが通るのなら、私が私のみ実際のカウンセリングに尽きたとしてもそれは、それまでのことと最低限の身の始末をつければいいことだ。「信頼と希望」を語れるだけの社会なのか、それは確信の強度の話ではなく、疑りの結果であり続けようと思う。だからこそ場から私は離れたくない。困った爺ぃなのである。

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慶応大学湘南Cのビッグイシュー販売は、16日9時に皆が集合する。まもなく夜が明ける。続きはブースの中で書くことにしよう。

夜間傾聴:
10/14>□□君(仮名)
10/15>中央林間君(仮名)
    相模大野3君(仮名)

p.s. 案の定、各地で資源ごみのホームレスからの取り上げが始まっている。なんという無神経さだろう。最後の生きる糧を奪うような法は許されるべきではない。

●「家庭の資源ごみ、横取りあかんで 箕面市が罰金条例案」


(校正1回目済み)
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10/13&14 網膜色素変性症と錯視/眼力(めぢから)と意志/野宿者の生存を追い込む社会

2010-10-14 16:18:24 | 引きこもり
2010/10/13 記
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右目の調子が悪い。先日は「菱沼」バス停裏の工事フェンスの路地を国道1号線側から歩いていたら、闇の中に突然背丈より高い巨大な黒い箱が道を塞いでいた。びっくりして立ち止まったら、錯覚だった。車の運転をしていたら危ないことになっていただろう。暗視能力が極端に落ちた。

道の傍らに反射板を利用した車の速度警告看板が有る。Z字上に反射板を配列し、非常灯をつけた看板を見たことがないだろうか。これを闇の中で見ると、速度警戒中の警官に見えたりする。昼間バス停から、バスが来る方向の彼方に看板の雨よけが丁度バスの屋根の高さに見えて、何回もバスがやってきたかのように錯覚してしまう。それが錯視とわかっていても,そう見えてしまう。ひとの視覚は、一部のパターン情報から全体の形状を検索して、見えているように認識させてしまう。視覚情報の不足分を、記憶を引用しながら補填しているので、私の黒い大箱もその働きがふいに現れたものだった。黒い「妖怪・塗り壁」登場である。

「夜盲症(俗称・鳥目)」はビタミンAの欠乏症として、視野の明るさが落ちるために暗部の階調がつぶれてしまう形で視力低下症状を起こす。私は網膜色素変性症で、同じく暗部の階調がつぶれてしまうが、丁度、古いフィルムを見ているかのように視野がちらついている。原因は不明で遺伝形質が関係している例が多いという。しかし夜盲症と異なり、網膜色素変性症は治らない。網膜上の視覚細胞が死んでしまう。ところが、私の症状を会話で説明しようとすると、相手も引いてしまうので、彼の知っている「鳥目」という言葉でとりあえず伝えておくことにしている。「夜盲症」だと「夜尿症」と聞き違う困ったことも、事実起きるからだ。

調子が悪いといって東京の主治医に受診しても検査をして、今、家で付けている点眼薬を処方するだけなので、途方にくれてしまう。目の異物感を伴うときは、ドライアイ治療のヒアルロン酸点眼薬を点すと、とりあえずかわすことができる。

文科省は2009年6月に「iPS細胞研究ロードマップ」という再生治療研究の予定表のようなものを発表しており、「網膜色素変性症」関連では、


----- 引用、ここから -----

3. 網膜色素上皮細胞
. iPS細胞から網膜色素上皮細胞への分化誘導技術の確立【2年以内】
. モデル動物への前臨床研究【2年以内】
. ヒトへの臨床研究【5年以内】

4. 視細胞
. iPS細胞から視細胞への分化誘導技術の確立【4年以内】
. モデル動物への前臨床研究【3~4年】
. ヒトへの臨床研究【7年以内】

----- 引用、終わり -----

という具合に約10年は待たないと、再生治療は実用化しないという話になっている。勿論、薬物による改善薬開発なども進められているから全く手が打てないというわけではない。(UD-021点眼薬『オキュセバ』開発<『レスキュラ』高濃度薬 など)

難病患者の会のひとつ「網膜色素変性症協会(JRPS)」に私も加入するが、神奈川県では県民サポートセンターなどで、情報交換や講演会などを行っている。顧問の医師は、私の職場の地元、相模大野にクリニックを開業しているが、この間の治療で北里大系の眼科医不審のトラウマがあって、申し訳けないけれど別の眼科医に通うことにしている。

cf. ●「網膜色素変性症協会」HP

我が家の庭の、門から玄関までの敷石のカーブ部分に夜間、照明が届かない一角があって、急ぐと庭草の茂みに突っ込んでしまうことも頻繁に起きている。段差の判定が難しいので、例えば平塚駅北口のバス降車場、三菱東京UFJ銀行側の地下道入口階段一段目のように、段差が階段前に一段あるところなどは、階段パターンが同じために、非常に危険な場所になっている。階段を降りようとして、危うくひとにぶつかるところだった。昼間でもパターン認識が弱まっているのだ。ここは高齢者のトラップになっている場所のひとつ。健常者の作った無神経な施工の一例だ。通ったら眺めてみてほしい。

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体調のはなしばかりで申し訳ないが、昨日は糖尿病の定期受診日でもあった。私は以前通院していたところの治療がマンネリ化しているので、新しい単科クリニックに通い始めている。若い医師でお手並み拝見の感があるのだが、とにかく外来は私ひとりのことが多い。新しいところだから、糖尿病専科は地方ではなかなか成り立たないだろう。中高年が中心になれば、様々な変調が出てくる。それを見てもらいながら、糖尿病も治療するというスタンスを中高年は変えないだろう。糖尿病専科なら、実績があって遠方の方も通うという形なら成り立つだろうが、近隣の総合病院と組まないと難しいところだ。私にしてみれば、待たないで受診できるからいいが、質が落ちたら困る、それだけなのだが。

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野宿者への心無い、下手をすれば殺人につながる襲撃の記事が新聞各紙に出た。中学生や高校生が聾者の野宿者を襲った。湘南でも防砂林や公園で行われてきたことだけに、いじめの歪んだ心性が拡がっていることに慄然とする。しかしそれは、その行為を見逃していく社会が育んだものだ。

湘南の各地で行われている野宿者追い出し行為。私有地から追われる彼らは公園などの公共の敷地に集まる。根源的な労働福祉政策の貧困を棚上げにして、市民社会の隅々から追い出していく。生活保護を受ければ税金泥棒と呼ばれる。ひどいものだと思う。その追い出し行為の細かな対策の力が社会福祉に向かないのはなぜかと思う。今回は藤沢地下道、茅ヶ崎駅南口、平塚博物館前を撮影した。その細かさのひとつ、平塚博物館前のベンチの例をブログに載せた。新聞記事リンクとともに、見ていただきたいと思う。ひとを追い込んで、恥かしくなりませんか。


●「ホームレス聾男性に熱湯重傷…中3男子」
●「ホームレス男性に熱湯=傷害容疑で中3男子逮捕-耳不自由、「反応面白い」・警視庁」
●「ホームレス男性に熱湯 傷害容疑で中3男子逮捕 警視庁」
●「傷害容疑:耳不自由なホームレスに熱湯 中3男子を逮捕」
●「傷害:ホームレスに熱湯 容疑で中3男子逮捕--東京・西神田の公園」


夜間傾聴:******君(仮名・こちらから)





2010/10/14 記
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朝、ゴミ捨てのために起こされた。京都市では空き缶集めも指定業者を決めようとしており、市議会でホームレスの最後の収入源を断つ事になると共産党市議団が指摘した。私は共産党シンパではないが、これは正しいと思う。こまかくしらみつぶしに社会的弱者の生活基盤をつぶしていく、この細かさ・無神経さがたまらない。

●「京都市:「空き缶条例」共産が修正案用意 「回収禁止」削除 /京都」

今日は教室で個別授業だったが、担当の子の高校の行事がからみ延期となっていた。その間を利用して出版社に出かけていた。要件はあっさりと終わったが、他をまわる時間の余裕まではなかった。三省堂で教科書の発送注文を出し、相模大野で書類の受け渡しをして、平塚に出た。

父の入所している老健で、父が転倒騒ぎを起こしたとき、父は鼻を強く打った。そのために、老健を経営している同じ敷地の病院が、夜中、レントゲン撮影を撮った。その際の医療費が未納ということと、診察の結果を家族が聞いていないといけないとのことで、先週の金曜日に連絡が来ていた。連休後に病院に来るように言われていた。入所させても何やかやと用事が出てくるものと、まあ父の顔を見てくればいいかとため息つきつつ、約束の時間ぎりぎりだが、足を運んだ。

電車で戻る最中、自転車泥棒騒動の彼の家族から連絡が入り、対応に追われているうち、到着が30分遅れの16時になってしまった。この時間だと老健は17時が夕食なので、訪問者は敬遠される。だから老健の事務所に挨拶だけ済ませて、裏の病院の方に回った。

受け付けの会計窓口は閑散としていて、地域病院の機能を持っているのか怪しい気がした。もしかしたら長期入院が必要な高齢者専用の病院なのかもしれない。時間が遅かったのでと、状態のメモを残して医師は帰ってしまい、結局骨折なしということで、支払いだけをすませ、メモをもらって玄関を出た。呼び出しておいて、何事ぞと思う。

玄関前は共用の中庭になっていて、パラソルがひとつ。そこにテーブルとベンチがあるのだが、そこに車椅子を寄せて携帯電話で話をしている70代の男性に会釈した。すると携帯を切って、私を呼ぶので話を聞くと、車輪がはまって動けないのだという。車椅子が介助者優先の車輪の小さめのタイプで、溝を越えるのに力がいるのだった。溝から押し上げて老健の方に車椅子を向けると、いや、こっちだと、この方が病院の方を指差した。そんなことがきっかけで、夕食時というのに、そばのバス待ちの時間、ちょっとおしゃべりをした。

老健は認知症の方が中心で、脊椎損傷の方は入所していないとのこと。この方は内臓疾患で入院されていたが、病院の方にも長期入院の方がいるとのこと。寝たきりだねえと話してくれた。飯がまずくてねとぼやいていた。話していて命の張りのようなものが、老健フロアの方と違っているように思う。

目のことを話した。網膜色素変性症は眼球が濁らないので、健常者と間違えられるから余計感じることだが、「眼力(めぢから)」というものがあるのだと説明した。私の右眼が見えなくなってから、会話していて話が通じなくなったことを発見したのだ。もともと声がくぐもっていて相手に言葉が伝わりにくいのだが、眼には意志がこもっていて、どこをどう見つめているかが、気持ちや情報を伝えていくのに大事なノンバーバル・コミュニケーションの要素になっている。視点が合わないと、相手がうまく話をキャッチしてくれないのだ。俳優がカメラの彼方の観客を意識して表情を作るのは、同じことなのだ。横を向いて話していたら、話を聞いてくれないだろう。

実はこういう、本人も意識していないと見えない不自由が横たわっていて、視覚障碍は成り立っている。どんなに怒鳴ろうとも、相手に会話の準備がなければ、話は成り立たない。その空転の苦しみが有る。教員をしているから、自覚できたがという内容の話をもっと簡潔に話した。

だから体躯からにじむ命の張りのようなものは、実は大事なものだと思うと話した。生きている意志のようなものだ。息子に先立たれれば意志もなくなるわねとのお話。意志をぶつける機会ももうないしねと笑っておられた。すみません、思い出させてしまいと謝って別れてきた。

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帰りの時間が遅くなって、夕食を食べる時間を削って、湘南あすなろ会の定例会に飛び込んだ。

慶応大学湘南C(SFC)の秋祭出店の細かい打ち合わせだった。恐ろしい疲労感が全身を襲っていた。血糖コントロールの薬を始めてからの傾向だった。Oさんに家の前まで車で送っていただいて、帰宅した。

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母の夕食の作りかけをバトンタッチし、炊事。同時に洗濯をすませ、横になろうとしたら、明朝の生協の注文表作りが待ち受けていた。母は見張っていていてくれと入浴。倒れたらいけないから私のいる場で入浴してくれと言ってあったからだった。自室に引き上げたのが0時半。まもなく夜間傾聴待機開始時刻だった。

●「ACTをまなぶ セラピストのための機能的な臨床スキル・トレーニング・マニュアル」

上記が茅ヶ崎市立図書館に入った。ひらいてみたが、根気が続かない。レスキュラ点眼薬を点して眼を休めた。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     自由が丘夫妻(仮名・久しぶりだがしんどいので断る)


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10/12 自転車泥簿事件その後 こだわり行動へのアフタケアを

2010-10-13 13:56:31 | 引きこもり
2010/10/12 記
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自転車泥棒騒動のあった相手とまたトラブルが起きて、出動していた。彼は店の前で事件以降連日現場に立ち止まって自転車を見ていたのだと店員はいう。店員が因縁をつける気かと彼につっかかって、また警察に通報した。彼は「因縁」の意味がわからない。声を荒げたことで、彼もまた怒り出した。自分は泥棒をしていないというのだ。

私にしてみれば、もめた現場に通うこともないのにとなるが、彼には不快な出来事が納得がいかないのだった。このこだわりが彼の日常を壊していた。巡査の登場にパニックを起こした彼は、任意同行を求められ交番に身柄を拘束されていた。これは不当という前に、私にとってはよかったのだった。現場にいれば店員に説明を求められる。そのとき彼の障がい特性を話さざるを得なくなるからだった。

私は彼の母親から連絡を受けていた。母親は先に交番に行っていたが、私はどう考えても、交番まで1時間半弱はかかるのだった。母親に仲介をお願いして、警官と話をさせてもらった。彼は身元確認の上、母親に引き取られて私の指示した図書館で気持ちを落着かせていた。

私の到着を連絡し、私は警察署に向かった。勤務時間が終わって警官が交代していたからだった。

携帯電話を使って当人と親御さんに出てもらい、私の身分保障をしてもらった上で、事情を聴いた。彼は自転車と店内をなめるように眺めていたので、連日のこともあり店員が切れて彼に突っかかった。彼は暴力沙汰を起こさなかったが、自分は悪くないことを主張し、話を蒸し返していた。すでに2週間近く経っているが彼には忘れられない理不尽な出来事であり、だから現場に日参していた。その場に何時間も留まっていたわけではなく、確認して通り抜けていったのだった。これが店員さんの神経に触った。

店員さんに胸元を突かれていた。彼は手を出していなかったが、大声で抵抗した。逃げ出さないのは、おそらく彼が自分は悪くないという抵抗だったのだと思う。警官と上司の警官には、状況は立場に寄って見え方が変わることを踏まえるという前提に立ってほしいと切り出した。これは障がいの話をするときに、相手に素直に伝わるとは限らないときの予防線なのだった。

私は先方に発達障がいとか、自閉症という言葉を聴いたことがあるかを聞いた。上司は発達障がいを身長の異常が出る「病気」、警官は自閉症と部屋にこもる引きこもりを同一視していた。私は2004年版の「LD・ADHD・高機能自閉症とは?」という全国LD親の会が出した薄いパンフレットを、携帯に便利なので今回も利用してざっと説明した。資料が旧くて申し訳けないが一冊進呈してきた。

警察は彼の行動に邪気がないことを了解したが、お互いのため店の自転車や店内をのぞかないように説得してくれと私に要請。すぐに解決できるとは限らないが、話すので、配慮をお願いすると要請して話は終わった。

図書館から駅前に出てきて欲しいと、当事者親子に伝え、喫茶店よりもラーメン店で食って話したほうが道具立てができると仕掛け、話し合った。彼の緊張の問題だった。これで私は夕食の飯はカロリーオーバーで食べられなくなった。

彼が店の前を通るのは、その先に用事が有るわけではなく、店と自転車を見に行っていることがわかったので、気になったら、出かける前に私や母親に、まず話すように言った。私たちもまた、叱らず耳を貸すと彼に伝えた。実はひとによって、これはかなり危険な説得なのだった。人によっては、昼夜を問わず電話の嵐になる火付けの言葉でも有るからだった。ちょっとした賭けだが、その言葉に彼は納得し、昨夜の親御さんからの話では、安心して寝ているとのこと。どうか再燃しませんようにと念力をかけている。

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予定のゆとりが全く無くなって、小田急相模原君には相模大野まで出てきてもらった。何の拍子か彼が私の家に遊びに来ると言い出した。規則で禁じられているが、そういわず、我が家は化け物屋敷で、黒塚の婆という爺ぃのかあちゃんの鬼婆がいるから、八つ裂きにされてしまうぞと茶化した。化け物屋敷も黒塚も彼の記憶にないもので、何それという反応。私は鬼太郎なのだよと言ってごまかし笑い。彼も付き合って笑っていたが、何とか話をずらすことができた。

とにかく時間がぎりぎりだった。本校に飛び込んで、よれよれのシャツ姿のまま、当事者相談。専任はスーツ、私は万年よれジーンズ。高卒認定試験の申請は9月に済ませてあるが、進学の経済不安が出てきて悩んでいる話だった。詳細は話せない。

茅ヶ崎に戻って、閉館間際の茅ヶ崎図書館で図書の更新をした。Oさんとばったり出会った。そうなのだ。九条の会が今日、上映会をやっていた。私はすっかり忘れていた。Oさん、申し訳ない。

父の主治医だった内科医のところへ、父の糖尿病の経過診断書を出してもらっていたが、日付の抜け落ちがあって、休日だがサインをもらいに立ち寄って、その足でサポセンのロッカー代(3ヶ月おき)が未納ということで、サポセンへ。

途中、ジャスコで買物。冷蔵ロッカーに荷物をいれたところで、ビッグイシュー販売員の**さんと出会った。話に時間を取れなかった。サポセンの後、自宅から母が辻堂駅に着く時間にバス停で迎える時間が迫っていた。支払いも早々にサポセンを切り上げ、辻堂駅へ。

母のリハを兼ねて、20分歩かせて、和風レストランへ。買物内のジャスコの氷が溶ける時間を見計らって帰宅。慌しい一日だった。ハプニングがなければ、巡回が入っていた。しかし、発達障がいの社会的認知度の浅さは、歯噛みしても治らない。話せばわかるというのも条件付だ。だから対立もいじめも出てくる。予断と偏見だけは正していかないと。この辺が難しいのだが。

昨日講演会で登場した梅永先生、新刊が出ている。

●「発達障害の人の就労支援ハンドブック―自閉症スペクトラムを中心に」

さっそく注文を出した。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     ******君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)
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