湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

11/29 ワイワイ祭り2日目交流会(説明会)に参加し

2014-11-30 05:24:51 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/29 記
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朝10時から、サポチガとの「ワイワイ祭り」の2日目の交流会(説明会)が開かれた。昨夜が13団体、今朝が3団体(のちに6団体)が参加した。ところが企画日程が重なっているタージが欠席だったので、災害ボランティアの団体は私のところだけ。まあ、あとで参加手続きをとるだろうから、今日だけだろうが、説明が終わったあと、「その他の企画」に属する団体の懇談は、サポチガ担当者と私のふたりだけの寂しい話し合いとなった。

今回「わーく」編集部は、「汎用医療情報QRカード」の紹介と、急性期医療の混乱を軽減して行く民間活動を考えるTV番組懇談(別会場)を申請していた。もともと「ワイワイ祭り」の会場が「中央公園」に設定されていた上、今回からはテント・椅子・机なども、自前で整えるという悪条件が前提となっていたため、議論や上映などの屋内型の活動をしている団体には不利な企画だった。前年度も、備品は市から無償提供されていたが「中央公園」のみだったから不参加を決め込んでいたが、今年はもっと条件が悪くなっていた。だから思い切って、最小基準を椅子4脚のみで、野外討論するつもりでいた。こういう娯楽型イベントでは、水と油みたいなもので、議論は馴染まないが、紹介の機会はとにかく場を使おうと思ったのだった。

今まで実際、いろいろな規制があった。会場内のチラシ配布行為が禁止されていた。他団体のブースに置かさせてもらう以外なかった。

そんなこともあったのだが、今回は思い切って「中央公園>別会場イベントCMチラシ配布、文化会館やイコリア等、ある時間を借り切って、定時だけ別会場イベントを行い、メイン会場を中央公園とし、サテライト会場を作ると言う提案だった。しかも、災害ボランティア関係がサテライト会場を時間で輪切り使用すれば、見学者の移動を軽減できる。

この提案は、サポチガの企画会議にかけられることになった。言って見るものだという感想。来年3月7日が祭りとなる。それまで調整がスタートした。

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「わーくNo.049」が仕上がった。説明会の帰りに、4箇所配布をしてきたが、あいにくの土曜日、担当者が休みで説明が通らなかった。2ヶ所は議員関係なので、国政選挙で目が回っていて、ダメという感じ。

「引きこもり青年の社会参加」・「災害弱者(被災時要援護者)の医療・保健・福祉支援」という具合に論をたてているので、障がい者関係団体が含まれるが、当事者にしてみればあまり関係ない。このギャップを埋めて行くのは,容易ではない。

茅ヶ崎から橋本に向かう途中、座間で自閉症児者親の会のイベントがあったことを思い出した。8月はイベントが組めない、9月も準備不足、すると10・11月にイベントが密集する。今日の閑古鳥が鳴いていたのもむりからぬこと。

塾長は来週末までマニラに出かけている。今回は留守番穴埋めだったが、奥さんが迫力支配していたので、ほとんど用なしだった。クリスマスやるから手伝えとの話。糖尿病だからと、わけのわからない理由をつけて退散した。

0時少し前、**子から電話アリ。家族が外出してひとりだが、先ほとてんかん発作を起こして、長いす下の床にころがっていたという。近所の寺の住職さんに、緊急出動を頼んだ。3時過ぎてから、本人からの電話がはいり、%%病院から寺の宿坊に移動し、**子を一次預かりしてくれるという。当人が親に電話して、一段落。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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11/28 ワイワイ祭り交流会の横で「金曜ミニカフェ」を終えた

2014-11-29 04:26:52 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/28 記
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ワイワイ祭りの交流会が夜、開かれた。この交流会は、明日朝10時から、昼間が都合がつく方たちを中心に、もう一度開かれる。この集まりが、実行委参加の意思表明の場になっている。

私は明日朝の交流会に出ることにした。
夜の交流会と同じ時刻、金曜災害ミニカフェを行った。参加者0。その上映時間を利用して、「わーくNo.049」を仕上げた。

ワイワイ祭り(3月)に、「汎用医療情報QRカード」の重要性をブースとNHK番組画像上映を行うことにした。

心の中がひんやりとした一日だった。祈るような気持で企画を進めている。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)



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11/27 今日は金曜ミニカフェ実行/我が家の介護の戦場跡を見て

2014-11-28 06:44:37 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/27 記
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「わーくNo.049」を書いている。あと2面。

明日は「金曜ミニカフェ」の日だが、「ワイワイまつりの交流会(参加表明)」と重なった。「交流会」は翌朝もあり、明日は「ミニカフェ」を実行することにした。

●「ハートネットTV・どうしたら救えたのか~宮城・志津川病院の報告~」
●「NHKスペシャル・阪神淡路大震災19年
  ~巨大地震・そのときあなたは~」

の2本立て。19時から1時間半。大災害時、人身救援・災害医療は住民(民間)もそこに入らなければ、互いの身を守ることが出来ない。神戸市消防局と民間は、大災害時、分業を約束した。消防局は消火、民間は人命救助という分担だ。また静岡県は市民トリアージを始めている。その背景的な問題点を今回の番組はリアルに、まとめている。内容は濃いのだが、空転するだろう。しんどいなと思いつつ、ドアに貼る案内看板を仕上げた。

翌朝の「ワイワイまつり交流会」(参加こう仕込み)に参加する。内容は「医療情報QRカードの実現を呼びかけるブースをたてる。そのときに、今回の番組を観る場を作る。

今日、包括支援センターの**さんが我が家に、母の実行計画表を届けに現れた。丁度その時、父との介護戦場跡の部屋の通気を行っていたので、田舎流、玄関まで入ってくる方法で縁側に近づき絶句した。襖は穴が開き、床から立ち上がるのに使った椅子は横倒しの当時のままになっているのが見えてしまったからだ。

私は親父の代わりに叔父・曾祖母・祖父母そして父の5人の介護を母の補佐として関わってきた。男は家事に関わらないといういわゆる家父長制をごり押しして、私が子どものときから、直接身体的な暴力ではなく精神的暴力を家族に行い、父のようにはなるまいと思って生きてきた。

その父にレム睡眠行動障害が始まり、やがて初期認知症が始まった。暴れる父の介護をしてきた初期の部屋である。半身不随が徐々に始まり、徘徊癖のあった父は、無自覚で厨房の火をつけっぱなしにするということで、やかん2つを焼いて、父の書斎にベッドをおき、デイサービス以外は軟禁することになった。その初期の介護の格闘の跡を、わざと私は残していた。暴力は連鎖する。その自意識のガス抜きと暴力への嫌悪感を忘れぬように、信じがたいことかもしれないが、場を残してある。そこは臨死の祖父の枕元で、父の宗教を押し付け仏壇を焼いた場でもある。ひとの業の深さのシンボルでもあり、へこみそうになった私に反面教師の力を与えてくれる他人には信じられない場だった。介護は生半可なものではない。やさしさと同時に突き抜ける継続の意志の力がないと成り立たない。

そんな場を**さんは覗いてしまった。書類を渡す手が振るえ、異常なものを見る目で私をみて、早々に退散して行った。困ったなと思った。また話が通らないひとが出来てしまったように思う。私の出会う若者や路上生活者などに特有なひとへの不信・深い憎しみと私は向き合う。その闇に寄り添う私の心のセンサーを整えなおす場になっている部屋だった。

どんな横暴もやがては自壊し土へと帰って行く。その間にある淡々と流れる生の時間に気づくこと、そのことは、百万の人からの孤立を経ても、崩してはいけないことだ。

津波に流される家や町を見たとき、足が震えた。人の営みの一切合財が清算される場面をみたからだ。だから私は寄り添いを続けて行こうと思った。しかしそれは、私のことであって、誰々と一緒にという論理ではない。淡々と流れる生の時間という、実は一番危うい崖淵の論理の歴史経過を知るからこそ、それを直接言えば干上がるだけだからこそ、言葉は共通の基盤をうしない消えうせていくのだ。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

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11/26 「わーくNo.049」金曜ミニカフェ・自閉症者の防災訓練他レポートと

2014-11-27 05:55:47 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/26 記
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「わーくOnlinePicUp No.049」の原稿を書いている。今回紹介するのは「金曜ミニカフェ 10/31分」「首都圏ネットワーク 埼玉・川越 「自閉症者の避難訓練」/被災地の福祉は今 陸前高田 障害者の行政参加」だ。特に後半は懇話会のゲスト、陸前高田の小山貴さん(JDF岩手)たちの「障害者の行政参加」ドキュメントを鑑賞した。

---- ここから ------

埼玉・川越は自閉症の親御さんの活動が活発で、行政交渉なども積み上げてきた。その線上に、消防士のかたへSOSカードを贈る活動がある。自閉症者の避難誘導法や、傷病治療時の注意点のポイント説明を行った。

今回紹介した番組は、ニュースの中の一部。それゆえ、欲しい画像が足らない感があるが、消防士の方への情報提供の様子は、やはりそうだったかと納得行くものがあった。発災時、消防士の安全誘導は「大きな声で」・「てきぱきと」・はぐれそうな方の「身体に接触し」・「迅速に」行うが、自閉症の方には悪条件のかたまりのような指導になってしまう。自閉症の方は、場の理解が苦手であり、触覚に鋭敏な場合が多いので、「落ち着いて」・「視覚情報中心に理解を求め」・「今後の行動の確認をとって」・「落ち着いて」・「さわる場合は、事前了解をとって」・「焦らせずに」誘導する。今回は紹介されていないが、パニックを起こした場合、落ち着いてもらう勘所などを含んで、パンフレットと説明と言う形で、消防士の方々との連携をさぐっている。負担が集中してしまう難があるが、自閉症の方の一番の理解者は保護者の方で、安全避難を実現するための連携の形をさぐっている。その試みの現段を紹介した番組だった。

陸前高田では、津波災害以降バス路線が大幅迂回しているので、視覚障害の方が、外出することができないという話をどう解決するかなどという話。登場人物のうち3人、視覚障がいの方は話したことがないが、あとの方は、私が陸前高田に行ったときに、出会っている。1年が過ぎた。どうしているだろうか。

障がい者の行政参加は珍しい活動だ。しかし、当事者でなくては気がつかないことも多く、会議の様子は実にいい。芽でしかないが、市の対応も積極的だ。ここで気がつかない背景があることに注意したい。それは「被災と生活再建」という具体的な共通課題が互いを結び付けていることだ。漠然と当事者参加の地域自治の場合と異なり、解決すべきことが個別具体的に見えていることだ。これは個別具体的なことに留まることを意味しない。そこに孕み連鎖していく課題は、より普遍的な地域自治へとつながっていく。災害は緊急かつ必要な生活上の解決を求められる課題だから、この機会は陸前高田の例のように、積極的な関わりを作って欲しいと願う。

---- ここまで ----

昨日の専門医との対話は、先方にとっても不本意な話だったようだ。仲介の歯科医の方のところに空転の話が来た様で、歯科医の方から、状況の釈明を求められた。この歯科医の方の判断で遺体鑑別の特異な話を聞かせようと判断したのだが、飛田の石頭が、発展性の少ない話題を拒否するという暴挙に出たという筋書きだった。今後の被災時高齢者支援に必要な、口腔ケアの話を聞かせて欲しいという、専門医にとっては常識的な話題に話を切り返されてしまったことが、無礼と映ったらしい。

またかいなという話。私が欲しいのは被災現場の息吹き・その空気。現場をアクチュアルに掴むという仕事であって、それを湘南に導きたいと願うこと。その鮮度がステレオタイプな支援活動から災害ボランティア活動を脱する免疫力になると考えるのだが。

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来年の「ワイワイ祭り」に「医療情報QRカードを実現しよう」ということで、協力者募集のブースをたてることにした。29日午前中の申込みをすることにした。

夜間傾聴>塾長(マニラから<わざわざ)


(校正1回目済み)

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11/25 遺体鑑別の歯科医師##さんと会ってきた…が

2014-11-26 06:05:15 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/25 記
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船橋で、遺体鑑別を行う歯科医師##さんと会った。歯科医師会の偉い人らしく、歯列から個人を特定して行く技術の歴史から話が始まってしまった。目的が違うので、災害時の口腔衛生の価値とそのケアの現状を教えて欲しいとお願いした。

被災時、水道が破壊されて水不足に陥る。水の節約が歯磨きなどの自粛となり、口腔が雑菌だらけになる。高齢者とくに寝たきりの方が避難所に入ったとき、周辺に壁の無い寄りかかれない状態のまま、長時間毛布の上に寝ている姿勢が続き、飲食物が雑菌とともに誤って気管にはいることが多くなる。この雑菌が肺炎を起こし「誤嚥性肺炎」を引き起こす。高齢者は気管と食道と通過物を振り分けて行く喉の弁がうまく機能しなくなり、むせることが多くなる。これが避難生活の場面では、姿勢の関係もあって、頻繁に起きるようになる。避難生活で体力が衰えているために、発熱し、ころげるように病状が悪化し死に至る。高齢者の病死の上位に登場する病いだ。私の父も、この誤嚥性肺炎で他界している。

ところが、誤嚥性肺炎についても、総論的な語りや、災害時注意すべき病いという話で、宮城県内巡回のときも仙台・石巻や気仙沼に行っているにも関わらず、個別の話を聞きだすことはできなかった。TVドキュメントの中で、歯科医師会では常識だった口腔ケアの重要性も、医師会では気づいていなかったという恐ろしい話が出てくるが、医療情報の交換がうまくいっていないというのは本当かと聴いた。逆流性食道炎を整形外科医が知らないこともありえるだろうという、専門の違いのせいだいう話をし、有りうることか否かということにも、明快な回答はなかった。

予想はしていたが、若手を指揮していたので、個別の話は全然違うレントゲン車の話を少し仕入れただけで終わってしまった。私はただでは起きない主義なので、石巻・気仙沼の歯科医師会の医師の取材のための紹介をしていただいた。

どっと疲れた。帰りは戸塚までは爆睡。湘南台経由で相模大野校に立ち寄り、母にはスパゲッティで食べておく様に指示し、私は茅ヶ崎駅から姿を消した「てんや」で、定食を食べておいた。

今「わーくNo.049」を書いている。その中に「金曜ミニカフェ」の番組が決まった。


12/12&26 19時~

●「テレビ未来遺産 震災直後…生死を分ける72時間になすべきこと」 芸術祭参加作品
2014/11/24 TBS 120分

●「明日へ -支えあおうー東日本大震災証言記録 双葉町
放射能にさらされた病院(2014/06/29 NHK 48分)

●明日へ -支えあおうー東日本大震災証言記録 復興サポート▽地域のつながりが新しい介護をつくる~気仙沼
(2014/11/23 NHK 48分)

以上だ。狙い解説は「No.049」にて。

夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)

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11/24 文科省「全国フリースクール等フォーラム」に行ってきた

2014-11-25 06:20:04 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/24 記
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文科省の「全国フリースクール等フォーラム」を覗きに行った。文科省企画に期待してはいないが、不登校新聞関係者や、東京シューレ関係者が参加しているとのことで、邪道だが関西勢の知り合いに久々に会えるかもしれないと思って参加した。

500名近い観客を遠くから見たが、悲しいかな右目は何も見えない。右側は風呂場の湯気の中にいるようだし、左目も中央が霞んでいる。白髪頭は舞台下の最前列から3列まで。下村博文文科大臣の警護だ。知った顔どころではない。不登校新聞の**さん以外は恐ろしいかな全員知らなかった。若い…世代交代しているのだ。ただ服装がおかしい、あれは小学校教員。そうなのだ。フリースクール職員は見ると長年の勘でわかる。リードしていく感じが小学校教員には見えているのだ。つまり、フリースクール関係者参加率は低いと感じた。

第一部では、大阪池田市NPO法人トイボックス・長崎のNPO法人クレインハーバー・横浜NPO法人教育支援協会の実践報告。学校に復帰させるのが目的ではないとはいうのだが、子どもの学習権を保護するというその活動がみえてこない。

第二部は、永井順國氏(政策研究大学院大学客員教授)の「キーノートスピーチ「多様な学びを創りだす協働社会へ」。永田佳之氏(聖心女子大学教授)の「国際的な視点から見た日本のオルタナティブ教育」。司会者いわく永井氏が縦の時系列、永田氏が横断面の構造という話で、実のことをいうと、永井氏の話は、教育行政がなにを目指してきたのかを整理したもので、子ども環境の変遷がダイジェスト風に語られてしまう。永田氏に至っては、教育の類型整理に終始。少なくとも40年近い不登校と引きこもりの青少年の苦難と変化が全く反映していなかった。Q&Aも「検討していきます」ばかり。40年検討し、更に検討するというのだろうか、問いもまた新しいものではなく、毎回質問されるような内容なのにである。

もともと期待はしていないが、特に現場離れしている永田氏が最悪。

結局、フリースクール古株は、出てこなかったということと、世代交代の現実を見て、浦島太郎よろしくホールを出た。

帰りは17時半を回っていた。河北新報東京支社に立ち寄ったが知り合いの**さんは、外出中。結局深入りした情報収集は出来ずに終わった。

その足で飯田橋まで回りこみ、都社協のパンフレット類を仕込んできた。

●「地域包括支援センターが織りなすネットワーク」

あとは成人後見制度関連(3冊目)だけ。

新宿から京王線で橋本に出て、塾長の奥さんと夕食。情報交換して茅ヶ崎へ。

疲れが溜まっている。収穫と言えば、古い友人の箕面市の高校の先生が定年退職してフリースクールに関わっていることが、東京シューレの関係者との話で偶然わかったこと。この会議に参加しているはずとのことだったが、わからなかった。

本業の微調整をしたかの感。しかし、同世代が見えないのは寂しい。

夜間傾聴:中止

(校正1回目済み)

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11/23 椎名千恵子さんの平塚講演会はパス他

2014-11-24 05:37:46 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/23 記
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年をとると疲労は翌々日にやってくる。そう言っている母のことを笑っていたが、徹夜早朝出動のツケは、見事に私の四肢に降りかかった。今日は平塚で福島から避難してきた方の関連の講演会があったが、身動きできなかった。母に朝食兼昼食を作って出し、その後、1時間仮眠してずいぶん楽になった。夕方には復活したが、講演会には間に合わなかった。明日は霞ヶ関である。ため息をついている。

マイクロFMのプランは、現実性を高めるためには、高校生チームのオブザーバーの件を、実際上の人脈を探索しておくことがある。東海大やSFCには「ミニFMサークル」があるが、災害ボランティアに取り組んでいるかどうかは、まだわかっていない。ただ爺ぃが割り込むよりはいい。居住地区が近い方がいい。

避難所マイクロFMの場合、避難所運営会議の連絡伝達だけではなく、例えば、「○○さんとこの婆さん、福祉避難所に移る。手を貸してくれ」というような呼びかけも、チラシを補間できるように定時に放送を流す。協力要請である。さらに放送に厚みを加えるために、取材を行うと、不慣れな高校生が失礼な質問をするかもしれない。避難し入所した方は疲れ、先行きのみえない状況に苛立っている。そこに不躾な割り込みをかければ、怒りが爆発する。大学生は地域大人社会とのかかわりでは、仲介者となる。大人と高校生の関係を上下関係とすれば、大学生との関係は「ななめの関係」。この辺のさじ加減がいい。

被災記録などのエピソードの中にも、学校施設を避難所に開放した小中学校の校長や教員たちは、マナーの悪い方や、無理難題を押し付けてくる方の話や、不注意にかけた声に傷つくこともある。運営会議との連携ということも、実のことを言えば、情報源というより、信用のバックアップという意味がある。

高校生にとっては、マイクロFM記者の名刺は、千載一遇の社会体験のパスポートとなり、現在の支援活動の全貌を眺めうる可能性を提供するだけでなく、さらにその十年、二十年後の災害ボラのエキスパートを育成することにもつながっている。副次効果とはいえ、彼らを邪魔にしてはいけない。老婆心とはいえ、明記しておく。(蛇足を重ねれば、これはフランスの教育者セレスタン・フレネが志向したことではあるのだが。)

次の2点のパンフレットが到着した。

●「Juntos No.78 2014/ 東日本大震災 宮城県が試みる「生活支援員」の支援と地域包括ケア」
●「震災に向き合ったケースワーカーたち」

明日は文科省のホールで、フリースクールの官製講演会がある。帰りに河北新報支社に情報収集に行って来る。門前払いにならないことを祈る。講師連絡法の関係だ。

長芋を頂いた。皮を剥いてポリ袋に入れて、包丁の柄のところで叩いて、大きく割る。鴨南蛮うどんの脂身をカットするため、鴨の赤身ひき肉肉団子でだしをとり、焼きネギの横に、長芋のかけらをいれる。これで、脂が少なくなった分のコクを作る。今夜の献立なり。

今夜の++宅訪問は、事件のため日送りとなった。

夜間傾聴>塾長の奥さん(++の件)

(校正1回目済み)

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11/22 ++のケア/イーハトーブ湘南上映会と釜石高齢者施設関係者との懇談に参加

2014-11-23 05:21:12 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/22 記
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昨夜の++のトラブルは、家族が説得するのをやめることによって小康を得た。明け方、再び塾長から連絡があり、母親と面談して欲しいと頼まれる。今、状況が一段落しているから、今晩まで待てないかと返信。結局、朝一番のバスで相模線に乗り継いだ。着の身着のまま、年数回、こういうことがある。南橋本で塾長の車に乗り継いで、塾長の奥さんの運転でふたり、「++」のお宅まで行ってきた。

危ないところだった。以前私は、家庭崩壊寸前の当人に関わって、当人の命を追い込んでしまう経験をしている。私は生涯この事実を抱えて生きて行く。鉄は踏むまい。突飛な事態を繰り返す++の孤独を見失ってはいけないと考える。++にかかわるとき、常に脳裏にそのときの亡くなった彼のまなざしがある。

連休だというのに、緊急出動させてしまったねえと、塾長の奥さん。++の母親を奥さんが事前にカバーしてくれていた。とりあえず次の道をつけて、相模線に戻った。車内では爆睡。茅ヶ崎駅前の立ち食いそばを掻きこんで、その足で平塚駅より先に来た浜見平団地行きに飛びのった。団地終点から、中島中を目指して歩き、コミセン湘南のイーハトーブ湘南の映画会とトークの会に20分遅刻で飛び込んだ。

映画は「生命のことづて」「逃げ遅れた人々」という障がい者の3.11避難の様子を描いた内容のもの。参加者は高齢者施設関係者とゲスト、サポセンのスタッフの面々。なかなか一般の方は参加してくれないのが実情だ。

トーク会では、釜石の御在所の里(高齢者施設)の方が「釜石の奇跡」の内実について、事実経過を聞いた。マスコミの脚色を改めて知ることになった。

充実したトークだった。ただ…眠い。とにかく眠い。

夕食は母が栗ご飯を準備していたので、焼き魚だけ準備して、簡素に済ませ、とにかく仮眠した。

12月の「金曜ミニカフェ」の企画を立てねばならない。このメールの脇でビデオチェックをしている。予定を載せた「わーくNo.049」を来週金曜日に発行予定。++の方は塾長夫妻が明日、関わってくれることになったが、塾長はあさってからまたマニラに立つ。私は月曜日、霞ヶ関だから、アポを取ってから夜に++宅にお邪魔する。明日、日曜日は自宅作業にさせてもらう。

都社協のパンフレットが来ているとのこと。藤沢に出かける。要援護者支援関連のパンフレットだ。金曜ミニカフェは、1年目に入ろうとしている。今後の論点が浮かぶものを心がけているが、まだ整理できていない。

22時台に長野北部が震源の震度6弱の地震あり。深さは10kmと浅い。ただ糸魚川静岡構造線の上だ。心配。

明け方だがシャワーを浴びた。あと一息。(連載マイクロFMは、高校生の被災者取材とその危険>大人同行の件を煮詰めている。)

夜間傾聴>塾長の奥さん
     ひとり

(校正2回目済み)

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11/21 鶴嶺高ボラ塾「災害マイクロFMワークショップ」を振り返る

2014-11-22 05:39:19 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/21 記
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県立鶴嶺高校のボランティア塾の授業をしてきた。企画担当の**先生の話によると、今年7年目だという。初回から参加してきた私にとって、意外な感あり。始めは路上生活者支援の話をしてきた。3.11以降は災害ボランティアがテーマだった。1時間に満たない授業の中で、いつも生徒に語りきれない言葉、橋渡ししていく言葉の熟成不足による「やるせなさ」と同時に、場面の不在による「通じなさ」を再確認させられてしまうのだ。授業はこの寂しさを踏みしめた上に成り立っている。彼らの心の奥から何を探り出せると言うのだろう。「君はどう考える?」という問いかけ。これが教育の本質と私は思っている。その問いをどこに立てるか。

今回「災害マイクロFMワークショップ」は、語りの土台作りが勝負という構造を持っている。そして何よりも能弁なのは、放送の疑似体験。その先に何が開けて行くかという期待感を醸し出して行くこと。つまりこの授業は「災害マイクロFM」のファースト・エイドとなれば、役割を済ませたことになる。そのまま平板に全貌を語れば、流れ込む情報の過多による思考停止の結果、従来のDJミニFMの固定イメージに技術が飲まれて、生活ケアの漸次情報提供による支援の目的が霞んでしまう。どこまで行けるか勝負どころだった。

今回も全員高校1年生。女子6名・男子4名。前回のように、住所や関心事などを聞いて行く暇がなかった。一番しんどかったのは、土台作りのなかで、解決すべき課題を浮き上がらせていくこと。

災害の規模が大きくなればなるほど中・大規模避難所が必要となること。その避難所の中でも、教室分散型避難所と体育館等大規模避難所の多様なディスコミュニケーションという事態が生まれてくる。即時的だが切迫した災害弱者の支援要求に応えるチャンネルをどこでどう瞬時にセットし、ひきうけるか、そういう課題があるのだというところを焦点化していく。

また仮避難時、高校生は、ひとりの若者にもどっていく、その彼らの受け皿、社会集団の周辺からの社会参加の道をどう確保して行くかを伝えて行く。ただの予備知識という意味ではない、問題点の共有まで進む「土台作り」。そこを短時間だが刻印するように語っていった。

マイクロFMの登場の背景を押さえたあとで、次に今では順が逆だったかなと思うのだが、「公認災害FM・地域ミニFM・マイクロFM」の役割の違いを押さえた上で、運営スタッフの兼任は可能であり、災害避難時でも紹介可能という、私や支援者の大人の役割を語った。またインターネット回線復旧とともに、相手が全国・全世界になるが、インターネット・ラジオのサイマルラジオの立ち上げを平行して行く可能性も語った。機能の違いを押さえず、ただ範囲を大きくすればいいというのは間違いであること、体育館内とか校庭エリア内というようなローカルなコミュニケーションの大切さを語り、疑似体験に引き継いだ。この「マイクロFM」こそ、ななめの関係にあるような若い大人の先輩の手綱のもとで、彼らが担って行くべき仕事だと考える。

余計なことを語れば、彼らが「記者」の名刺を持ち、取材に回る仕事は、大人社会を感じ取って行く貴重な経験となるだろう。ただ放送は、災害に傷つき・苦しみ・追い詰められている方たちであるということ、その方たちがリスナーであることだ。そこを忘れないで欲しいと、いわゆる説教節を入れ込んだ。

そして疑似体験。じゃんけんで3グループに分けて、操作や語りを体験してもらった。緊張してしゃべれない、おっかなびっくりで言葉が出ないということ以上に、面白い、自前ではじめられそうだと感じてくれればよい。どうかサークルが誕生しますようにと念じていた。

今回、生徒さんたちは、分科会の「選びようがない」という結果なのではなく、おもしろそうだと思って参加してくれたことが直感的にわかった、…ただ2名を除いて。事前に準備した「マイクロFMは、民放ではなくNHKです」というテロップの挑発に食いついてきた眼差し。この辺は、いままでのボラ塾にはない反応だった。

操作体験を済ませたあと、しらけた2名を含むクラスの違う10名の間に共感の芽が育っていた。時間が足らないなあ…、これが本音だった。参考図書と、サポセンや私のアクセス法を残してきた。手ごたえはよく、教室を去る際、しらけていた2名を含んで、各人が声の挨拶をして教室を出て行った。

彼らの感想文が近々,帰ってくる。サークルに踏み出してくれるだろうか。甘い期待は落胆を引き寄せる。そういってひとり、天井を眺め、とぼけている。

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**参考資料**

●「ラジオがつないだ FM石巻と東日本大震災」

災害避難時、ローカルFMは大きな機能を果たす。ローカル・コミュニケーション促進と関連地域災害情報提供は、印刷物・メールとともに、即応性という意味で、独自の役割を持っている。その記録のような期待をもって、この書籍を取り寄せた。

ところが面食らうのだ。FM石巻は3.11以前からローカル局としてあり、地震津波被災で、市役所等公共機関まで被害を受けている状況では、情報を求め提供して行くセンターがなかったり、情報回線切断の中で、助けを求めにいく公共施設までの道がガレキと倒壊資材・道路のひび割れ等で目的地に着けないが、FM石巻には行けるという、センター消失や多元化の現場の混乱の選択肢のひとつとして、社会的認知されているFM局に人が期待を寄せたという背景がある。

この書を読んでいて変なのだ。とてももどかしい。一向にFM石巻の「スタッフ側」の災害対応や方針の話が出てこない。ひたすらリスナーの様子と、災害情報が寄せてくる話が、オムニバス形式で次々に語られて行くのだ。求心型傘状の作品構成なのだとわかった。石突きの部分がFM石巻なのだ。

しかしこれはいただけない。周囲から定義すると中心は空洞のままだからだ。しかし、3.11以降のラジオ&図書は不作だ。類書の少ないこの書は、現場の様子がわかるからという意味で紹介図書とした。

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授業を終えて交流会を行った。学校関係者からの自己紹介が始まった。しかし、広島長崎被災の恐ろしさを語ったり、米の有機栽培の話や、DV・性同一性障害の話などの分科会があったという話。タージの++氏のIT関連技術を使った話以外は、災害の話との接点が良く見えない分科会が多かった。鶴嶺高が南三陸の高校生との交流を進めている、その次のステップの摸索を含んで、今回のボラ塾が組まれたのだろう。どうしたのかなと、そちらの方が気になった。

帰りにサポチガの%%さんが「マイクロFM」のことを質問してくれたのは、関係すべきかそれとも、観光ガイドにbluetoothを使う業者連携の話の筋との関連や南三陸高校生交流の次の案が気になったのかはわからない。「マイクロFM」話は、すでに提案4年目だったのだから。ただ被災時対応ということだけではなく、平常時の日常活動にも高校生の手が届く範囲の技術であるということも折り込んである。それに気づいてくれただろうか。

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鶴嶺高校からは謝礼3千円がでた。さっそく母を外食に呼び出し、食事代に消えた。ごちそうさまでした。

携帯には南橋本に迎えにいくから、すぐ来いという呼び出しがその直後にあった。さすがに堪忍してもらったが、明日は14時からイーハトーブ湘南の上映会がある。午前中、JR相模原の&&君の対応を済ませて帰りに間に合うか、少々心配している。

夜間傾聴:塾長(愚痴)

(校正2回目済み)

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11/20 鶴嶺高校ボラ塾「災害マイクロFMワークショップ」の準備から

2014-11-21 05:22:33 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/20 記
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明日の県立鶴嶺高校ボランティア塾の授業の準備のために、午後の巡回時間を昼過ぎまで早めておいた。「災害マイクロFMワークショップ」の内容を整理し直した。

まず発災から避難所までの安全避難と仮安定居場所確保を中心とした、いわゆる「急性期」と、安否確認・生活再建の「亜急性期」、仮設移転と家族生活再開、生活・就労再建、復興支援住宅入居が始まる「慢性期・復旧復興期」というような時系列に沿った時期区分によって、支援の質が異なるというような「被災から復興までの枠組みを伝えておくこと。

東日本大震災では、状況の変遷が従来の区分と当てはまらないが、


    急性期(災害発生直後~1週間)
    亜急性期(1週間~6カ月)
    慢性期・復旧復興期(2~3年)
    静穏期(3年以降)

を知らせ、マイクロFMや地域ミニFM、災害FMの機能の違いを伝えて行くこと。

発災時、各自の単独行動から始まること。避難所運営会議との連携、仮設単位FMへの継承、地域ミニFM、災害FMとの兼任。サイマルラジオとの兼任という発展。

被災前の日常運営としてのマイクロFMの機能。

被災時、同世代結節点(ノード)としての機能。

ざっとこんなことを確認し、非常用マイクロFMセットをいじってもらう。

避難所マイクロFMは「民放ではなくNHK」、リスナーが心身の癒えない避難所利用者(被災者)であること。運営会議との連携が必要なこと。(放送時間7時~9時の定時時間外に楽しみは、勿論可能。)プライバシー・虚偽情報への警戒。

高校生には嫌がられる放送者の倫理基準の話である。

被災地には、コアがない。揺れる環境。地域FMの役割とは。

インターネット放送ではない「ローカル・コミュニケーション・メディア」の特性。

全く…40+5分でやろうっていうのだから、無茶だ。5分は学校教員の持ち分。

ふむ…

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茅ヶ崎市立図書館が、何とも間の悪い館内整理日(休み)。いつも整理日とバッティングする。

作業中、横で母がTVを見ている。白内障手術の映像。つい辻堂駅構内に寝泊りしていた**さんの最後を思い出した。瞳が無く真っ白。感染症を起こしていた。救急車連絡を戸惑ったために翌日亡くなった。重症糖尿病で治療入院を勧めていたのだが。常に手足にあざ。蹴られたと語る絶望感。行政の援助、入院を拒否していた。

私が昨日、サポチガ全体会のとき、ちらりと感じた侮蔑感。福祉・ケアの世界は脱落者にこだわる偏屈論者なのか。健康は社会活動の根底をなす大事な土台と考えるか、社会復興によって健康が確保されるのか。ころんだ人がいたら手をさしのべるか、ころびにくい道路をつくるかといえば、私は手を伸ばす。

災害弱者支援というのは、少数利益の主張にあらず。誕生・老いなどは、皆が通るみちではないか。健常者の世界の穴。常に後回し、常に忘れ去られていく不平等、「あと少しの支援があれば」は中村雅彦氏(福島県点字図書館館長)の本のタイトル。


夜間傾聴>休みにしてもらった

(校正1回目済み)

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11/18 サポチガの全体会と「小さなラジオ局とコミュニティの再生

2014-11-20 05:46:02 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/19 記
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「わーくNo.049」の企画・感想を手伝っている ん)君ことN君(わけわかりませんね。)が、鬱期に入った。昨夜ずっとオンライン上でつきあっていたが、さすがに爺ぃなので、朝7時に彼から離れた。床につこうとしたとき、高齢者の悪い癖、母がまた起きてきた。朝5時・7時と2回。門の新聞を取りにいったので、拝みこんで床に戻ってもらった。私が眠れなくなるからだ。

朝9時前、マナーモードにしておいたスマホが唸りはじめた。千葉の開業歯科医の##さんからだった。クリスマスの直後なら里帰りの前で、船橋なら会うことが可能という話を早々につたえて、遺体歯列検査を行っている歯科医を仲介してくれる話だった。千葉大の講師の方らしい。的が違うけれどお願いしていた件、なんとも朝型せっかち人間だなと、勝手につぶやいて、毛布をかぶった。

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15時半からNPOサポートちがさきの全体会があった。母に食事を出して、病院の送迎車にのせ、家に戻って「わーくNo.049」を作っていた。寝ぼけていた。全体会である。30分遅刻。

全体会では、街づくりの協力の話。よりによって、正面真ん中しか席がなくぞっとした。「金曜ミニカフェ」のことなど、協力要請するつもりでいたが、時間切れ。話すことはないかとMさんに話をまわされたが、資料類は皆家に忘れてきた。このあと南橋本でN君の教室担当者と合流予定があり、寝ぼけて話すとエスカレートするのが常。遠慮して閉会。

南橋本で会う約束の時刻まではまだ間があったので、マイクロFM紹介授業に使うコネクタ類を買って相模線に乗り込んで爆睡。橋本まで行ってしまって、折り返し電車に乗ってこちらも遅刻。冴えない一日だった。

静岡県立大の講師から応答あり。「市民トリアージ」の件で会ってくれないかと頼んだ。年内調整。しかし、これは「懇話会」筋ではない。懇話会は安全避難後のケアを論じる場だからだ。メール、応答待ちに。

N君に電話。彼もぼけていたらしい。ヤカンが黒こげになったとか。薬が効いたか鬱も軽減し、日が暮れてから飼い犬と近所の散歩をしたという。今夜は苦しくなかったら、傾聴休止に。いまのところ電話かかってこない。

明日は鶴嶺高校ボラ塾のリハーサル。

●「小さなラジオ局とコミュニティの再生」

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11/18 夜間傾聴進行中だが…

2014-11-19 06:20:09 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/18 記
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千葉の歯医者さんから死体の個人識別をしたひとを紹介してくれるとのメールあり。私が必要としている情報ではないが、あまりない機会なのでお願いした。私には、避難所生活の中の口腔ケア実施の実例の方が欲しいのだが、年末にセットしてくれるという。肝心なところが動き出さないが、ここに力を注ぎたい。

被災地に進行している出来事と感情、非被災地の生活感覚は明らかにずれている。何年先かわからぬ防災?どうせ逃げられず、明暗を分けるのは時の運?先にやることがある…。しかし、東北の被災者は、今、抱え込みきれないほどの生活再建の困難に直面している。そのずれを対話の中に取り込み、差異を覗き込む。

21日は鶴嶺高ボラ塾だが、この話は出来そうにない。マイクロFMのワークショップなので、資料コピーをしてサポセンに飛び込んだ。授業直後の教室なので、準備が出来ない。ミニFMへの夢と、マイクロFMの独自の役割と手堅さ。嫌われるが、被災した方がリスナーだという点だけは、わかってもらいたい。

県立図書館から2点借りた。

●「発達科学ハンドブック7 災害・危機と人間」
●「阪神・淡路大震災の社会学〈2〉避難生活の社会学 」

前者は発達心理学会編、故・黒田裕子さんも短文だが寄稿していた。後者は長期にわたる避難生活の諸相をとりあげている。東日本大震災、そして南海トラフ大地震などの避難生活を予測させる。だいぶかかりそうだが、いずれ「わーく」誌面の載せる。県立図書館は、往復郵送で行える。交通費使っていくよりもいい。

現在傾聴中、残りはまた次回にまとめて。


夜間傾聴>ひとり(現在進行中)


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11/17 慈恵医大眼科検査を受けて…/都社協の出版物で

2014-11-18 05:47:04 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/18 記
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慈恵医大眼科の検査に行った。月曜日は混む。半日がかりになってしまった。視野検査が入っていたが、左目の調子が落ちていることが、検査に裏づけられてしまった。しばらく進行が止まっていた網膜色素変性症が動き出していた。既に右目はわずかな周囲の視野の窓からしか、物が見えていない。頼みの綱の左目の視野の中央部の霞みが、自覚できるようになってきた。それは症状の悪化だった。網膜の血流を増やし眼圧を下げる薬を続けていくという引き伸ばし治療以外、症状の根治法はない。じわり駒が詰められていく感じ。「失明」という言葉を睨みつけている自分がいる。「投了」はしない。

ビッグイシューの販売員さんから連絡が入る。販売の場所を変更して欲しいとの話。とにかく慈恵医大のそばの御成門からは、つながりが悪い。2時間弱かけて販売員さんと会ったときには、日はとっぷりと暮れ、立ち寄る予定の県サポにも立ち寄れなかった。

ここは私が私塾の講師をしていたところで、当時の塾生が親の店を引き継ぎ経営している。販売員さんに夕食を誘ったが断わられ、ひとり店に入った。入るなり、元塾生と衝突。貫禄のある親父になっていた。すぐに相手も私とわかり、20年ぶりの再会となった。カウンター席は誰もいないので、そちらに座ると「飛田、何いじけてんだよー、こっちにしな」と4人の席に彼は水を置いた。どきりとした。見透かされたような気がした。

厨房から出入りしながら、彼がおごると出してきたビールをあおって食事を済ませてきた。おみくじ小吉というところかとぶつぶついいながら、バスに乗り昔、塾があった跡の駐車場の横を通過して、JR線駅前に戻った。何やっているのかなと、バスの中で下くちびるを結んだ。

ビッグイシュー誌を夜でも間に合う読者に配達を済ませ、家に戻ると文科省から11/24の「全国フリースクール等フォーラム」の通知が来ていた。東京の知り合いに会えるかもしれないと、申込みを済ませた。時間が15時から17時。はじめに間に合わないかもしれない。相模大野からだからだ。

帰りに都社協で「地域包括支援センターが織りなすネットワーク」「災害時要援護者支援ブックレット
災害時要援護者支援活動事例集」
を買って来る。

今日は作業が全然進まない一日だった。明日は鶴嶺高ボラ塾の最終調整がある。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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11/16 自分の出来ることの提供と、必要とされる課題の打開の発想の距離

2014-11-17 06:17:52 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/16 記
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12月の「金曜ミニカフェ」の準備をしている。番組がめっきり障がい者関係のテーマが少なくなってきている。今回は、被災地の訪問看護・介護関連と施設の役割が浮かびたつ形で組んでいる。ひとつ確認が必要なのは、1回、オンライン上の番組を流すのだが、現在のTV画面で表示できるのかということだ。被災地における認知症関連のデイサービスの様子が出てくる。PC画面を直接見てもらったほうがいいのかもしれない。

外国のマスメディアの取材の中で、大船渡・釜石の避難所の身体障がい者を撮った番組があるとかで、字幕がついているとのこと。入手できるようであれば、取り入れる。

災害FM関連を調べていて、石巻・女川の災害FMと話をしてみたくなったが、冬期講習を引いて、宿泊費を現地2泊として、4泊の旅行ができるか日程と借金の見通しを考えている。その場合1月末の懇話会は、石巻・女川の障がい者のグループホームを口説き落とすことになる。

この前のサポセンよるカフェの、小野田さんの落語を聴いた後のあとのフリートークの際、改めて感じたことは、災害ボランティアは戦略性を持って動いてはいないということだ。いま自分が出来ることを考え、被災者のお手伝いをするということで、被災者どうしがもともとバラバラなのだという、関わりの違いを改めて感じていた。お膳立てされた舞台で踊るということだ。私のように、今支援者は何を求められているのかという問いのうえに、困難を打開する道を探るエネルギーを行くものではないことだ。

ただ発災時から慢性期にかけて、アマゾン・コム等に被災地から必要な物資を申込み、それを非被災地の支援者がプレゼントの形で提供して行く、「間接支援」の道は社会運動型の活動との接点もあって、今後に引き継ぐ支援の形と評価できるものだ。私が美容師さんの同業者組合と組み、現地業者にカットを依頼する「カット券」発行形式も「間接支援」に属せるか。

仮設入居移行の時期を踏まえた支援は、大きな流れとしては退潮の流れに抗うことになるが、要望が私生活の中に分け入ったものに変化しているとき、交流を前提とした課題解決型の支援が問われている。支援が退潮し仮設生活によって孤立化が深まるとき、災害弱者に矛盾と課題の集積がのしかかるとき、そこへの支援は、自由意志に基づくお手伝いでは、歯が立たないだろう。エネルギーの出方が違うのは承知のうえで、被災地と私、私の居住地と私の近未来のデザインを描かなくてはなるまい。

地域包括ケアネットではないが、地域のサポートネットの機能確認と実現の道を「金曜ミニカフェ」で考えて行く。災害弱者から目をそらすまい。

音は出ないが、やっと「被災病院における…」ビデオの全編画像を見終えた。外来の混乱のシーンが入っていないため、空振りだったが、ここを解決しないと、助けられる人も助からない。

●「小さなラジオ局とコミュニティの再生:3.11から962日の記録」

が来た。明日、取りに行く。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

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11/15 宮城・山元町立山下中元校長・渡辺修次氏平塚講演会に参加し

2014-11-16 05:43:23 | 地震津波災害ボランティア

2014/11/15 記
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渡辺修次氏(宮城・山元町立山下中学元校長/山元の未来への種まき会議代表)の平塚講演会を聴きに行ってきた。久々に実のある講演だった。

渡辺氏は3.11当時、山下中の校長として、山下中避難所の管理運営の責任者として、現場の様々な問題に対処していた。その経験を講演の中で語ってくださった。

避難所の様子は、避難所によってかなり違う。だから「山下中避難所の」様子を語ってもらったのだが、明らかにその語りには、地元人の絆に根ざした普遍性を感じさせるものだった。支援活動を3年半余行ってきた時点で振り返ってみると、支援活動の大半が「お客さんと地元」という外在的な関わりだったように思う。そこを食い破り公的なお付き合いから、私的な交流をやっと始めているという時点で、被災した方々の生活の私的な営みの語りや、避難生活の中の出来事が語られるようになってきた。その流れの中で、避難所という経験がどのようなものであったのかが渡辺氏の講演によって語られ始めたのだ。避難所管理という視座であるには違いないが。

ペットボトル100本の飲料が200人の利用者がいる避難所で起きたとする。行政なら公平性を優先して、200本になるまでしまっておくだろう。しかし、山下中避難所では、半分にするのではなく「じゃんけん」するという。次の支援物資が来たとき、負けた方を優先して配布するという。謎めいた方法だが、この背後には、地元の絆を信頼するが故だという。勝ってペットボトルを受け取ったひとは、決して独り占めしない。半分ずつ分け合って飲み、次の配分も納得する。それもまた半分ずつにするだろうという。しまい込むのでも、先に半分ずつ配布するんでもない道。この地元の絆に委ねるやり方を山下中方式というと言う。

震災の影響で建物の危険もあったこではあるが、山下中では、近在のグループごとに各教室を利用してもらい、運営の役割分担も、代表者会議の議論を踏まえて、グループ単位に割り振っという。各家族の事情がある。グループなら、その中のやりくりにまかせ、公的な要請の抑圧を軽くするという。支援者は校舎内に入らないという徹しぶりだ。

中学生にも役割を振り、中学生には極力自転車通学を勧めているという。発災時身近なところに自転車があるようにして、彼らの機動性を高めておくと言う。

とにかく学校教員的な意味での目の細やかさを感じる。具体的かつ意図的なのだ。

ただ保健医療的な話は出てこなかった。Q&Aの質問の中で災害弱者への配慮の件では、自閉症の子の家族が校舎の一室を使えるようにしたが、車の中の生活をしていたという。避難所利用者の治療は、自衛隊と医療専門職がしっかりやってくれていたという。急に霧がかかった。つまりそういう視点で対応をしてこなかったということだろう。担当者に任せたという形か。

災害弱者からの視点から考えたい私たちの防災・支援と、地元の絆を信じて「被災者」の自主活動を促した山下中方式は対立するものではないが、常に指の間から流れ落ちてしまう災害弱者の状況を物語っているようにも思えたのだ。しかし、避難所生活という内部からの語りがやっと登場した。私たちにも利用できる工夫もちりばめられていた。その効果教訓への酔いが、災害弱者というマイノリティの無視へとつながる危険をかみ締めている。

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「わーくNo.049」の「金曜ミニカフェレポート」を書いている。大半はブログのまとめになるが、「ドラマ『ラジオ』」を書いていて、あの作品の背後にある「被災と避難生活と復興支援活動の経過認識」の髭根のからまりが見えている方と、初心者の方とでは、ドラマのストーリーの感じ方がずいぶん違っているだろうなと思わせるところを書き加えた。

それとともに、前回指摘しなかった「放送活動という居場所」の価値も語りたい。「被災地とは」という話にとって尾ひれとなって、核心がぼけるかもしれない。しかし誰もが孤立の悲しみを抱える生活と、小鳥の休息の「小枝」。それを引きこもりをするものにとって大事な「小枝」ととらえたい。再生と自立の課題である。

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夜間傾聴>泥酔と悲しさ**君・背中支えて…

p.s. 月曜日、慈恵医大眼科視野検査


(校正1回目済み)

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